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観たいなあ

剱岳 撮影の記 -標高3.000メートル、激動の873日-

というドキュメンタリー映画が11月中旬に公開されるらしい。

言わずと知れた木村監督の「剱岳 点の記」の撮影現場の模様を映したものらしい。

観たいよなあと思うけど、田舎ではその機会はないらしい。

多少時期がずれるけど、はままつ映画祭2009がその近くに催されるんだからそれでやってくれないかなあとも思ったりなんかして。

 で、そのはままつ映画祭に話しを脱線すると、今年で8回目になるそうな。毎回は観に行けてないけどなんか年々観たいなと思える傾向の作品が多くなってきているのは気のせいか。以下遠州弁で

地元の雄の木下恵介アワーは定番として外せないだらあなあ。今年ゃあ

「野菊の墓」と「野菊の如き君なりき」だってや。

他にゃあ日付は省くとして気んなるんは

「ナビィの恋」こりゃ観たでまあいいかあ。ってこれだけ9/19.はあ終わってるじゃん。

「にゃんこザムービー3」家に棲み付いた猫見てりゃ十分か。さすがにそりゃ失礼だな。でもいちおーDVDは買ってるだわあ。

「eatrip」わし食い気にはあんまし興味ないんで。

「大丈夫であるように」COCCOさんて名前しか知らんもんで。どうだかいやあ。

「重力ピエロ」・「色即ぜねれいしょん」・「プール」祭りでなくともシネマイーラで観れるし。だけが決してなーんだとこいてる訳じゃなく祭りとかでなくても観れるようになったっつうこんが嬉しいだいね がんこ。

「しあわせカモン」話の筋はよく知らんけが観てみたい気はする。けえが砂羽さん来られるっつうらしいで混むで無理だの。わし人混み好きくないもんでやあ。

「ラッシュライフ」学生が一流の役者さんと一流の原作を擁して作り上げた逸品みたい。なんかのテレビで堺正人さんが猛烈にヤル気が出たといわしゃってたんでどんなもんかと。でもクロージング作品ってなんだや。意味分からん。

「銀色の雨」鈴井貴之監督作品っつうこんだで水曜どうでしょうファンの連中がつるんで行きそう。問題はその輪の中に便乗するかどうかだいな。

まあなんしょ先にも書いたけど、結構観たいもんあるだよを。いつからだや?って10/24って今日からじゃんかあ。あれまあ。

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おひとりさま その1&2

 一話と二話を観ての印象として

実録おひとりさまの生態記なのか

年下の恋人?との恋愛記なのか

教頭一派が繰り出す組織のごたごたを描く騒動記なのか

新人教員の成長記なのか

教育とはなんぞやというものなのか

イマイチ視点が定まらないまま見ている状態なのですが、芯はどこなんでしょうかねえ。

観月ありささんががんこお奇麗に映ってるので見てる次第でありまして。可愛いからお美しくに変貌されたのは見事だよなあと。唯一個人的に茶髪がというのもあるんですが流行の長さ(期間)を考えると数年後には古さ(時代)を感じてしまう場合もあるんでなるたけ黒に近い方がいいんだけどなあという想いは浮かびます。まあこのドラマに限った話しじゃないんですけど。

超個人的な都合をもうひとつ言えばこのドラマの前のアンタッチャぶるが結構シビアなのでこのドラマには安らぎを求めたい気分なんですけど。

ま、そんなこんなでよくつかめていないまま見てます。

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*でれれんとでえれん

本人はいたく切羽詰まって「でれれん でれれん よを」と連呼して助けを求めていたとしても口で太鼓のまねとかでもしてるのかと勘違いされてしまいかねない「でれれん」という表現。普通に共通語だと思っていたが理屈で考えると遠州弁っぽい。

「でれれん」とは「出る事が出来ない」つまり「でられられない」ということであるが。

遠州弁の必殺技「ら」抜きの2連発と「ない」が「ん」に変わることによって「でれれん」となる。という理屈が成り立つ。つまりこれは遠州弁か。

「でえれん」もその意味は同じであるがこちらは「出られない」の変化したものであろうと思われる。「でれん」という言い方ももちろん存在する。

緊急性というか切羽詰まった感は「でれれん」の方が強く「でえれん」の方が冷静さがある。それと「でえれん」は「出れる状況にない」というニュアンスも含むことになる。意味が同じということでは「でれれん」=「でれん」=「でえれん」だが「でれれん」と「でえれん」は必ずしもイコールではない。

では「出られられる」はどうなるかというと「でれれる」となり「出られる」は「でえれる・でれる」となる。

これに「だろう」をつけて「出られられるだろう」を直すと、「だろう」は「らあ」または「らろ」と遠州弁では変わるので

「でれれるらあ」・「でれれるらろ」

ら行が続くので全部ら行で成立するか冗談で試してみる。「変なガス吸って頭がラリった」の「ラリる」。これを「出る」と替えてみると

「ラリれれるらろ」(ラリることが出来るだろう)

というのが成立し、やってやれないことはないということになる。でもまあこうなると「ら」を抜かずに

「ラリられられるらろ」とする方がよりややこしくはなるが何故かしっくりこない。そりゃそうだな方言でもなければ共通語でもない宙ぶらりんだから。

言葉遊びをもうひとつ。語呂で遊べば

「でででんとでててでれれんもんはでれんでげれんでんまわった」

  (デデデンと出ていて出られられないものは 出られないので ゲレンデの方に周った)

「デデデンと出てて出れんもんは 出れんで ゲレンデん 周った」

例文

「こりちゃったやあ。出口がんこ狭くてでれれやせんくて往生こいたわ。」

  (懲りちゃったよ。出口が凄く狭くて出れなくて大変だったよ。)

「それでどうしたよを。」

  (それでどうしたの?)

「しょんないもんで、でれれんでれれんっつって大声だいて助け呼んだだよ。」

  (仕方がないから出れないよ~って大声出して助けを呼んだのさ。)

「そりゃやっぱ自分デブってるもんだで出えれんかっただらあなあ。」

  (それは多分あんたが太ってるものだから出れなかったんだろうなきっと。)

「失礼こいちゃうやあ。じべたに置けれん荷物がんこ持ってたもんでだよ。」

  (失礼な事言うじゃないか。地面に置けれない荷物を一杯持ってたからだよ。)

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アンタッチャブル その2

 実際に本になるまで出版元は瓜二つだと気づかないものなのかあと感嘆しつつ。発売日が一緒なら仕方ないかあと素人はかく能天気に思いて物語の先をば追う次第ですが。そんな能天気な展開ではなくシビアで嗚呼無情な展開でありました。

タイトルバックに流れる事件の見出しの一群はこれから起こる出来事を謳っているんでしょうか。手抜き工事を予言する女・流行作家二人の同一小説・空に舞う一億円・意味不明な立てこもり・盗聴疑惑・100%当てる占い師・美人姉妹の演奏で失神・超高級クラブの秘密・けた外れの天才児たちVS三流記者。

 鳴海(仲間さん)のスカート。なんか「コールセンターの変人」で青響(みムラさん)の穿いていたのに雰囲気似てる風に思えます。そのせいかやけに色気が漂ってきません。高慢不遜なプライドや自意識過剰で疑り深く粘着気質とかいう性格に問題があってという点もそう思える要素のポイント高いんですけど。記者という猟犬としての素養は十分なものを有しているみたいです。でしょうけど女性として見るには巻瀬(芦名さん)という対比すべき美女がおられるということもあって非常に微妙でありますな。こういうキャラで闇と対峙するなんてバランスを考えると無謀だなあと思えるんですが成立してるから不思議です。

兄貴が桜田門にお勤めしてる分箔がついてるわけでもないでしょうけど。でもなんかお兄ちゃんが一番闇っぽく思えるのは気のせいでしょうか。

「世の中には知らないほうがいいこともある」

前回の謎の言葉。起きている事は、全てが繋がるひとつの大きな闇から生まれいでし歪みなのか、それぞれ繋がりなぞはない複数の闇が無数に存在しているものなのか。

社会的に認められている高名な人物にすらその牙を向ける闇とはなんぞや。

「名なしの権兵衛」再び現る。誰?悪?正義?

 盗作のからくりはなるほどとその奇抜さに得心いたしました。一番怪しくない女子大生が結果的に仕組んだ出来事というのは意外でしたなあ。遺骸になったからこそ被害者と思わせといてその実有名作家に二股かけたペテンの手先だったというのは。

その出来のよい作品は誰が書いたのか。自殺させられた(殺された)いたいけな男子大学生の弁によると彼女には才があったと言う。有名作家は素人の書ける領域ではなく闇の組織の手にものにちまいないと言う。闇とは関係のない才ある若い芽を闇は利用したのか、それとも女子大生はもともと闇の一部(末端)であったのか。

大学生二人は闇の被害者なのか殉教の如く命を捧げて有名作家二人をはめるという使命をまっとうした闇の一員なのか。まあ男子大学生は完全なる被害者なんでしょうね多分。

 作家二人を潰す目的と盗作のからくりは納得したんですけど誰がはめたのか。それが謎に包まれたまんまなんですっきりしない後味が残りました。少なくとも女子大生の立ち位置をもう少し明らかにしといてくれたら霧の晴れ方も違うでしょうに。

 いづれにしてもここまで闇を大きく見せているんですから焙り出して出て来たのが鼠一匹では締まりが悪すぎますから興味としてはどんな凄い闇なんだという正体とはになってきそうです。

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不毛地帯 その2

 信念に基づいて全力を振り絞った気高き初回から一転して綺麗事ばかりでは済まない景色になってくると、エンディングで映し出されるシベリアの極寒の景色が主人公の原点を忘れさせないというかその心意気の素を確認出来るようでいいですなあ。

なんて改めて思える程信念一途から権謀策術の世界への変換は凄まじい勢いでありました。そりゃあ確かにどこの馬の骨とも分からない道具で最前線に立つ者に苦難を強いてはならず。そうなってしまいかねない原因が利権によるものであるというのは現場の人のことを思えばそうなってはならないという大義は理解できますし、いくさである以上どんな手を使ってでも勝たなければ意味がないし負けたものの悲哀というのがどんなものかを身をもって知っていればこそなんとしてでもというのも当然なんですけど。

観ている限りでは私なんぞは素直に奥さん(和久井さん)の心情に同調してしまいますです。だから大人と呼ばれないんだよいい歳こいてって言われても反論できないんですけどね。「狭いながらも愉しい我が家」でいいじゃないかと。どっちみち息子は反抗期なんだからなにやっても親父は嫌われるんだからさあって思っちゃいますわ。

まあなんと申しましょうか、器が違う男を観るというのは戦国武将みたいな遠い過去と社会との違いでなら全く別物の種族という目で観れるんですけど、世代は大きく違えど一応昭和という同じ時代での器量良しとなると自分と比較したりなんかして観てしまいがちになるんですが。

この主人公は器のスケールが違いすぎるものですからそういう目線で観なくても済みそうだというのは分かりました。それに主人公だけじゃなく出てくる人みんな器がデカイですから完全に別世界というイメージで観れるせいかもしれないですしね。

 売り込み作戦の諸々の手段は何が清廉(信念)で何が汚濁なのかとかじゃなくなんもかんも手が後ろに回るんじゃないのかというような暗躍という印象を受けました。目には目をということなんでしょうか。

いくさに明け暮れる世を失くす為いくさして人を殺めるみたいなもんなんでしょうか。

 えげつないよく転ぶ政治家さん登場されて不潔感を感じましたけど、政治家さんと付き合うと必ずこういう世界になるんでしょうかねえ。

 今回は攻めの図でありましたが最後に来て状況が一変して。来週は守りの図が展開されるということなんでしょうか。

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*やあ

文章の頭に持ってくる時の「やあ」を訳せと言われてもはたと困るのであるが、大雑把に言えば注意をこちらに向ける為の掛け声みたいなもの及び「嗚呼」といった感情の表現と言った感じの二種類か。使い方の一例として

「やあ おんしゃ なにしてるだあこんなとこで えらい久し振りじゃんかあ。なによを。」

  (おおこんなとこで遭うなんて随分とお久し振り。今はなにしてるの?)

聞きなれない人が聞くと「なんちゅう言い草だ」ということになるが、遠州弁においては頻繁に使われる久し振りに会った人同士の再会の挨拶表現である。

基本男言葉で女性の場合は「ほい」・「あんた」が主に使われる。他に男女共用の言い方としては「あれえ」というのがあり「あ」にアクセントポイントがある。

こうした「やあ」の言い方は別に遠州の発明とかではなく、「あいや 暫しお待ちを」とか「や これはご無礼つかまつった」とか「や こいつぁてえへんだ」みたいな江戸時代の頃からの表現の名残りでなおかつ形が変形して「やあ」となって今に至っているのではないかと想像してる。

古語辞典に載っている「や」の意味は「呼びかけに用いる」・「驚いたとき、思いついたときに用いる」とあり。ほぼ遠州弁に「やあ」と同じ使い方ではなかろうか。

遠州は明治期に薩摩言葉から広まったといわれてる「おい・こら」といった表現に染まらなかったということか。まあ勝手な想像だけど。

「やっ」だと緊迫感があるし「や」だと異議を唱える風に聞こえるのであるが、それに較べれば「やあ」となれば多少はゆるい感じになるので使い勝手がいいのであろう。

他の地域はどうか知らないが遠州で「おい」だとほぼ注意・説経が後に続くと解釈されるので「やあ」の方が柔らかい印象を受ける。

発音と意味は感情によって微妙に異なるという幅広いバージョンを有する。

「やあ 勘弁しとくりょを」

  (おーい勘弁してくれよ)

「やあ どんくさいなやあ」

  (もう 動きが鈍いなあ)

「やあ 聞いてるだか?」

  (おい ちゃんと聞いてるのか?)

「やあ どうしっかなあ」

  (うーんどうしようかな)

「やあ何々」と言って「やあ何々」と返すと「やあやあ我こそは」みたいな言い合いの合戦が始まることが多いので注意が必要な場合もある。

「やあ」と投げ掛けられて不同意の場合は「ええ?」と返し同意する場合には「おう」と返すことが多い。どっちでもない場合には「うーん」・「ふーん」とかが多いと思われる。

「やあ どんくさいなやあ」だと「ええ?そうけえ。」(ええ?そうかなあ)・「おう そうだあれ」(うんそうだよ)・「うーんどいだいやあ」(うーんどうだろ)

例文1

「やあ聞いてるだか。」

  (おい人の話し聞いてるのか。)

「やあ横からごちゃごちゃうっさい。」

  (もー、横からごちゃごちゃうるさいよ。)

「人ん親切でゆってやってるだになにその言い草わあ。」

  (人が親切で言ってるのになんだよその態度は。)

「分かったで頼むで静かにしとくりょを。」

  (もう分かったからお願いだから静かにして。)

例文2揚げ足とりの場合

「やあどうしっかな」

  (うーんどうしようかな。)

「やあじゃねえよそんなもんこうすりゃ済むこんじゃん」

  (うーんじゃないよそんなものこうすりゃいいだろうが。)

「いちいち独り言に揚げ足とらんだっていいじゃん。」

「これみよがしにゆうもんでえ。」

  (これみよがしに言うからだよ。)

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ギネ・産婦人科のおんなたち その2

 忙しい出産のさなかにひたすらカメラ回し続ける旦那の神経がわたしゃ理解できませんでしたわ。でもそんなことを意に介さず粛々と医療行為が行われてく様を見るとこれが今は普通のダンナの仕事なんかいとがっくりしてしまうのは時代遅れの考えなんでせうかねえ。

 それと八嶋さんが演じておられた旦那さん。寝た子を起こすような真似なんでいちいちするんでせうね。顔見て直ぐに誰だかすら想い出せないような状況ならそこで止めておいて過去の記憶を無理に呼び起こさせなくてもと。まあ大声出して恥ずかしげもなくオレオレした手前、自分が誰なのか思い起こしてもらわないと格好がつかないというのは分からないでもないですけど。普通あそこまでいかないだろうと。

展開としては奥さんを如何に大事にしているか。それによって幸せで明るい家族に訪れるこれからの試練により悲壮感を与えるというための提示でありましょうが、それとは別に「あらら墓穴を掘っちゃった」みたいな弛緩でドラマ全体に漂っている張り詰めた緊張感の空気観を多少なりとも解きほぐそうという意図とかあったんでせうか。もしそうならこの世界で笑いとまではいかずともフッと一息つけるようにするにはハードル高いなと思える気がしますです。

 次に最初と話しが違って全摘出と相成った患者さん。手術の結果を伝えるシーンとかなくて後は押して量るべしというのだと、悪い方にものを考えがちな私としては患者は未来を憂いて泣き止まず親はヒステリーになって訴訟に至るって考えてしまうんですが。なにしろ急患が来たことが原因だったことは臥せておきましょうなんていってたけど患者さんは急患来たから麻酔はちょっと待ってとかいう説明は受けてたからすっ呆けられないだろうにと。果たして次回でその後が語られるのか否か。このまま語られる事なく進んだら明るい将来像が見えてこない被害者その1というイメージが湧きますな。そりゃあ多分立ち直り(心の癒し)はギネの仕事じゃあないのでしょうけど。

知らぬが仏のピースサインが痛々しく感じました。

産婦人科って誕生と旅立ちの両方に立ち会うという他にはない場所と共に医者でなければ父親といえども男子が立ち入れる領域ではないのでやはり普段見慣れている医療ドラマとは漂う空気感が違って見えます。

何を観ればいいのか今だ計りかねてる部分が多いのですが、とりあえずは栄養ドリンク愛飲者の玉木(上地さん)の成長記というのと柊(藤原さん)の心の雪解けを観ていけばいいのかな。

 松下さんがやっぱいいですな。存在感抜群でありまして。色んな面で観ていく上での指標というか基準となるというか。いいですわ。医者としての柊(藤原さん)に足りないものが何かを提示してくれてるようで観ていて分かりやすいということもあるし。

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*しゃてえ・しゃってえ

弟の事。「舎弟」と書くが「しゃてい」とは言わず「しゃてえ」と発音するのが遠州弁。基本は男言葉。

「しゃってえ」(舎っ弟)という言い方もあるが、その違いは殆どないと思われるが多少「うちの愚弟が」といった謙遜というニュアンスになる場合がある。

共通語的にはその筋の世界の業界用語という扱いであるらしいが遠州ではごくごく普通に血縁関係にある「弟」のことを指す。「義理の弟な」ら「義理のしゃてえ」。

例文

「いやあ がんこおみやげくれてありがとね。持ちきれんやあ。」

  (いやあこんなに一杯おみやげ頂いちゃって、ありがとう。)

「みなきし持ってけるけ?なんなら送ってっか。」

  (全部持って帰れるかい?なんなら送っていこうか。)

「ああ大丈夫。しゃってえんとこ電話したではあじき車来ると思うで。」

  (それは大丈夫。弟に電話したんでもうじき車で来ると思うから。)

「そうけえ、んじゃ気いつけて。おやすみね」

  (そう、それじゃあお気をつけて、おやすみなさい。)

「うんありがとね。おやすみね。」

  (本当に有り難うございました。おやすみなさい。)

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*やい

「おいっ!」と言ってる訳だが、実のところ現在は普段生活していて聞く機会は少ない。遠州人は頻繁に発するものだというのは誤解であろう。

だからといって皆無ということではなく職種によって例えば「でえく」さんとか「漁師」さんとかは使うみたいだが、普通に会社勤めしてる範囲とかにおいては「やあ」を使うことの方が多いであろう。

そんなこんなで地元衆でもかくのたまわれると喧嘩腰に聞こえることが多い。まあ他県の衆らから見れば「やい」も「やあ」もそんな大して違わないぞと言われるかもしれないが。

言ってる方は怒ってるわけでなくただ単に「ちょっと」と言ってるつもりなのだろうが聞き慣れていなければ真意は伝わらない表現であろう。基本男言葉で女性の場合は「ほい」・「あんたあ」とかを使うのであろうか。

女性が「やい」を使えばこれは相当怒ってるということになる。

例文

「やい、しょろしょろしてんでねこん積んで上げろやあ。」

「猫近くにいんけど。」

「やいばっかっつら。はあいいわあ。」

暫し沈黙の後

「やい、なぐりくりょ」

「ええのけえ。じゃあ いくにい」

「おんしゃなにしくさるだあ いきなし人の頭はたいてえ。」

「だって殴れっつったじゃん。」

「てめえコントしいきただか大工やりいきただかはっきしせよやあ。」

注、「ねこ」とは作業用一輪車、「なぐり」とは金槌のこと。

続きを読む "*やい"

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オトメン・秋 その2

 冒頭は「いけ麺ぱらだいす」のパロディか。あまり見たうちに入らないので自信がないけど。

今回は、前回のヤンキー学校との一件の顛末が何も語られる事なくオトメン撲滅という新たな展開に突入してました。世間渡る上で一番しんどいであろう後始末というかケツ拭きが描かれることなく平穏に戻るのはファンタジーで羨ましい限りですな。もっともまだ続きがあるのかもしれませんが。

まあそんな羨ましいことへのやっかみはおいといて、とにかくオトメン撲滅の為の刺客が学園にやってきた。その刺客(市川さん)の必殺技は男を惑わすツボを心得た女性らしい女性とな。

残念ながら私のような年齢になるとどこが?としか思えないんで群がるファンクラブの連中の想いが理解出来ないところでありまして。この展開についていくのにしんどいであります。でもまあ人を見抜く力は抜群のようで的確にオトメンを見抜いていく。

で、オトメンを告発というか焙り出して理事長に御注進が役割かと思いきや自ら粛清を謀らんとするは早急にして軽挙なりと映りしが結果は如何。つうか、なびかせることでオトメンが消滅するのかという疑問これあり。

「中堅はちこう」のパロディにしては離れすぎてて「はち」という呼び名がなければなんのことだか理解に苦しみ無理やりっぽくもあり。

脱線話しはともかく落とさんが為の歴戦の猛者を集めしも逆にとりこめられる始末に相成り本人も過去を暴かれる始末。その忌まわしき過去をどんびきせずに受け止めんが上策と諭す飛鳥(岡田さん)。まさに形勢ここに逆転せり。

再度自分に有利に持ち込まんと欲したのか「綺麗事を言うな。」とのたまうが、料理裁縫を得意とするオトメンに料理裁縫の家事全般を得意とせぬ女性を好きになる男はいないというのは「出来なきゃ自分がやるから別に構わない。」って反論されてちょんでしょうにねえ。蓼食う虫も好き好き・割れ鍋に綴じ蓋とか諸々表現はありますが、とにかくカラスの勝手でしょうにねえ。

まあ出る杭は打たれる・失敗からしか教訓は得られない・理想を追うことが必ずしも正しい道に導かれることとは限らないという教えだとみれば成程と思える展開ではありましたが。

それにしてもりょう(夏帆さん)の心情は何も語られてないなあ。っていうか磯野より出番少なくね?

それに雅(桐谷さん)の出番セリフなしだなんて。あのお約束ギャグ楽しみにしてるのに。ないと拍子が抜ける。

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東京DOGS その1

 15分拡大で始まった「月9」。「つききゅん」とこのドラマでは読むそうな。

脚本は福田雄一氏とな。「33分探偵」・「猿ロック」と続いてこの作品と。「1ポンドの福音」は観てないのであれですけど、なんか量産体勢の勢いを感じます。「33分探偵」の時は監督もされてたんでその福田ワールドみたいなものが産地直送みたいな感じで心地よかったですけど。脚本のみの参加ではそういった直結感が薄い感じが予感としてはしてこなくもないんですけど今度はどうなんでしょ。

 とか思いつつ21時台は録画でしか観られないので、家に着いて無意識に直ぐテレビのスイッチ点けてしまって先に終わり間際を観てしまうなんていう興ざめにならぬよう注意を払いながら放送から遅れること30分の後に観ました。

そしたら、これは愉しい。面白いという表現よりも愉しいという表現を使いたいところで、この世界に浸っていたい気になります。自分と比較して共感や参考を窺い知る現実符合タイプではなく、いわゆる別世界に誘われて現実のしがらみから一時離れて気分新たになるタイプのドラマではないでしょうか。

オープニングから軽快級ならではのスピーディさと粋な会話が炸裂して心地よい。重厚級のお芝居演じようと思わばいくらでも緊迫感を醸しだせるぞという空気感を漂わせつつ軽快さを魅せるところは皆の衆さすがだなとぞ思いけり。

一筋縄ではいかないキャラクター達ばかりで、そのギャップの差が著しくてそこが面白いというか愛すべきキャラに仕上がっているようで、大層な事件なぞ起こらなくても人を観てるだけで十分愉しめそう。今回は無視され続ける益子(東さん)がお気に入りでありました。朝令暮改どころか即乗り換えの究極のイエスガールの係長(大塚さん)もいいですなあ。

それにつけても高倉(小栗さん)の銃捌きは米国風で馴れてる感じがして目に強く残りますです。元軍人という肩書きの看板に偽りなしの引き金を引く直前の躊躇のない無表情さが日の本離れしていて新鮮です。それでいて朴念仁で尚且つ母に弱しというキャラは親しみが湧くところですな。母親の電話してくる行動が足枷にはならずあくまでギャグとして機能していけば笑えるんですけどどうでしょう。

対する工藤(水嶋さん)は浪花節的日本男児丸出しという感じで情で動くタイプという高倉との対比が愉快です。それにしても初回でこれほど掛け合いが楽しいというのはこの先がホント愉しみであります。

展開につきましてはおおまかな目標は判りましたがそこに至るまでの道筋が全く予想できないので特に感想らしいものは浮かばず様子見の状態です。

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*かやすとかあす

「かやす」も「かあす」も「返す」ということなのだが。

使いどころが異なるのは遠州弁だけか?んなわきゃないか。

「かやす」は、返納するといった物を戻すといった場合に使われる。(かやすは以前別記事で詳しく書いてあるが)

「かあす」は、裏返すといった物の面の表を変えるような場合に使われる。

「ひっくりかえる」だと「ひっくりかある」・「裏返す」だと「うらっかあす」

「裏側」を「うらっかあ」と言うので紛らわしいのであるが「裏側に裏返す」だと「うらっかあんうらっかあす」となる。

もちろん厳密な使い分けがある訳ではなく。「ひっくり返す」という場合上の屁理屈でいけば「ひっくりかあす」であるのだが現実には「ひっくりかやす」という人も大勢いるのであくまで大雑把な違いで実用的には大差ないということである。

「かあす」は「かある・かあった」とかになるが「かやす」は「かやる・かやった」とかいう風に変わらない。

逆に「かやす」は「かやせ・かやさん」とかになるが「かあす」は「かあせ・かあさん」とかいう風にはならない。

漢字にしたら「返す」で同じだけど単に訛り方の違いとかじゃなく全く別種の言葉なのかもしれない。

共に男女共用の言葉。

例文

「こないだ のぶさあに借りた○○かやいただ?」

  (この間のぶさんに借りた○○返した?)

「や、忘れかあってたわあ。そうゆやあ借りっ放しにしてたやあ。」

  (あっ!忘れかえってた。そういえば借りっ放しだった。)

「ちゃっとかやいた方いいにい。」

  (直ぐ返したほうがいいよ。)

「やいやいなんか垂れてるやあ。変なのこぼいただかいやあ。」

  (おいおいなんかこびりついてるよ。なんかこぼしたのかなあ。)

「拭くかなんかできんの?」

  (拭くとかして落とせないの?)

「うらっかあにしてかやしゃあばれんで済むかいやあ。」

  (裏返しにして返せばばれなくて済むかなあ。)

「そりゃまずいらあ。」

  (それはまずいでしょ。)

「かあしてかやしゃ時間稼げるかもしれんし。」

  (裏返しで返せば時間稼げるかもしれないだろうし。)

「稼いでどうするよを。」

  (稼いでどうすんのさ。)

「うまくいきゃあすっとぼけれる。」

  (うまくいけばすっ呆けられる。)

「馬鹿こいてんで駄目もとで拭きない。」

  (下らないこと言ってないで駄目もとで拭いてみなよ。)

「駄目だったら?」

「弁償するだあれ。」

  (弁償するに決まってるでしょ。)

「わからんよを。いいっつってくれるかもしれんじゃん。」

  (それはどうかな。許してくれるかもしれないだろ。)

「ならかやしいいきない。ちゃっとを。」

  (だったら今すぐ返しにいきなよ。)

「そりゃちょっと。」

「はっきししない。どうせるだ?」

  (はっきりしなよ。どうするの?)

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*わしんしったこんじゃないでねえ

「何言われようともやる」という言い回し。とはいっても強い意志を表すという事ではなく「自分にとってはどうでもいい」・「聞く耳もたない」と言った方が分かりがいいか。それと「自分に責任はない・関係ない」と言い張る場合にも使われる。男女共用の表現。

「わししらんでねえ」という言い方もほぼ使い方は同じ。

同じような意味使いの「しいらんやあ云々」という言い方とどう違うかというと、「しいらんやあ・・・」は「聞いてないよ」もしくは「私のせいじゃない」みたいな「今更そういわれても」というニュアンスで、「しったこんじゃない・・・」よりかはつっけんどんさが緩い。

これを合体させて

「しいらんやあ誰んゆったよそんなことを。なんしょわしんしったこんじゃないだでとんじゃかなくとっととやるでねえ。」

  (さあねえ、ま、私には関係ないから構うことなくとっとと始めるからね。)

ともなると最強に冷酷という勢いになる。

行動の前に発することの多い表現だが行動後に発せば自分は悪くないという意味になる。

「しいらんやあ」(無責任)と「しったこんじゃない」(無関係)どちらも意味・使い場所は同じなのだが殻への閉じこもり具合は「しったこんじゃない」の方が強くより始末に負えないイメージが湧く。

例文

「はあ時間だでいくかあ。」

  (もう時間なんだから行こうよ。)

「まだAちゃん来てんだでまあちっと待つかあ。」

  (まだAちゃんが来ていないんだからもう少し待とうよ。)

「そんなのわしん知ったこんじゃないでねえ。時間守らん方悪いじゃん。しらすかあ、遅れたら意味無いじゃん。」

  (そんなの関係ない。時間に遅れる方が悪いんでしょ。も~遅れたら台無しでしょうに。)

「なにゆってるよもう。そんな冷たいと嫌われるにい。」

  (まったくう。そんな冷たいと嫌われるよ。)

「誰にい。」

  (誰によ。)

「みんなにい。」

  (皆にだよ。)

「みんなって誰よを。」

  (皆って誰のことを言うの?)

「誰って、皆じゃん。」

  (誰って皆だよ。)

注 「にい」→「よを」という言い方の変化で感情が昂ぶってる事を示し最後「じゃん」で締めるというには遠州弁的会話でよくある展開である。「じゃん」以外にも「だあれ」とか様々なバージョンは存在する。

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*しいらんやあだれんゆったよそんなことぉ その2

直訳すると「知らないよ誰が言ったんだそんな事を」。

分かりやすく訳すと「私は聞いてないよ一体誰がそうだと言ってるんだ」。

要は否定するなら根拠を示せと言っている。男女共用の表現。(特にその1の追記という内容ではなくただ単に重複したのに後で気がついたけどもう公開しちゃったんで消すのも何かと思ってその2にしました。)

「しいらんやあ」を省いて「誰んゆったよそんなことぉ」だと、言った奴に文句言いに行くぞという勢いになる。「しいらんやあ」を「しらんやあ」にするとより突き放したような印象になる。

行動を起こす前に制止させられた時に発すれば「自分は聞いていない」というニュアンスが強くなり、行動を起こした後で責任を問われたりされた時に発すれば「俺は悪くない・俺に責任はない」というニュアンスが強くなる。

例文

「あんたねえ やたらくしゃ けっからかしゃあ いいっつうもんじゃないだにい。」

  (あのなあ、滅多やたらにキックすれば掛かるってもんじゃないんだよ。)

「いいじゃん別にい。なんしょエンジン掛かりゃあ。」

  (とにかくエンジンが掛かればいいんだから別にいいじゃないか。)

「足に感覚持ってってここだっつうとこで思いきっさキックするだあれ。でんとけっちん喰らうにい。」

  (足の感覚でここだってところで思い切りキックするの。そうでないとキックバック喰らうよ。)

「いちいちそんな細かいこん足じゃあわかりゃせんって。どれか決まればいいだあ。」

  (足ではかるなんて細かいこと出来るか。どれかが決まればいいの。)

「あんましやってかからんとプラグかぶるだで余計かからんくなるだって。」

  (何回もキックして掛からないとプラグがかぶって余計に掛かりにくくなるって。)

「しいらんやあ誰んゆったよそんなことぉ。」

「常識だっつうの。」

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JIN・仁 その2

 自ええ隊がありなら医者もありなんだろなんぞという訳の分からない屁理屈で納得したことを前回書いたんですけど、もし他の職種だったらどうなるんだろ。歴史を変えてはならないとかいう難しい掟はこの際放棄して単純に資質・力量を問うとしたら、今の政治家が幕末に辿り着いたとしたらその大義や名を成すことができるんだろうか。経営者は当時の人々に受け入れられるのか。

 なんていうドラマとは関係のない妄想はこれくらいにして第二話。初回の勢い衰えず惹き込まれました。この先どうなっちゃうんだろうとかよくぞ思い立ったとかハラハラドキドキしながら観てしまいました。これは面白いです。

前回は無我夢中で医者の本能から患者を救ったのだが、ひと段落して冷静になってふと思い巡らしてみると歴史を変えてしまうとという掟の存在に気づく。

これらを鑑みコロリと転換して診ずに潜むと心するもコロリことコレラが蔓延して状況(時)はそうは問屋が卸さず再び良心と掟の綱引きの葛藤が訪れてしまい気が揺れら。

それを打破するのが咲(綾瀬さん)の存在。南方先生(大沢さん)の苦悩がホント見事に伝わってきて観ていて一緒になって悶々としてしまいましたです。

「義を見てせざるは勇無きなり」。この場合「患者見て治療せざるは勇無きなり」か。

その後奮起し立ち上がるも成果が目に見えて現れていない(しかも治療の甲斐なくじっちゃん死亡)状態で次回に続くというのは厳しい展開です。うるとらマンとかだったら3分でヒーローしてしまうのになあと。そういうとこはリアルな世界描いているんだなあと。

能ある鷹は爪を隠すとかじゃなく、ノー言えぬ鷹は頭かくして尻隠せずとでも申しましょうか。噂は瞬く間に広まって権威のてっぺんにまします緒方洪庵(武田さん)にまで及ぶ辺りは、江戸の情報網の網の目の細かさは凄いよなあと。

「生きる」ということに快楽のみを求めず、大志のもとにや誰かの為にと懸命に「活きる」人々の姿というのも今は薄れているだけに新鮮でありますな。武士は相身互い庶民は向こう三軒両隣。皆助け合って生きる全て人力の社会は、しがらみやひとりになれないとかいったしんどさを伴うものですがつい最近まで日本人の基本の生き方だっただけに郷愁とかいったものも感じます。

まあ個人個人それぞれは個性豊かでいい奴ばかりじゃあ勿論ないでしょうから随分な忍耐我慢というのが不可欠ではありましょうが。

来週気になるのは当然コロリの一件はどう落着するのかということ。

緒方洪庵と接触した以上どう仁は我が身の事を説明するのか。すっ呆ける訳にはいかないでしょうからねえ。

早く続きを観たいと思わせるドラマです。これは大当たり。久方振りにワクワクするドラマですなあ。

以下は相変わらずのどうでもいい感想。

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*冗談ポイにい

自分が使うわけではないのだがそう言う使い手がいて、なんか新鮮だったので。方言という範疇ではないだろうけど地方性があるかなと思って記載。

この言い回しが広まっているのかどうかは定かではないが女性の方がそうのたまわっていて面白かった。「冗談ポイ」なら全国的かもしれないが「にい」がつくとこれは遠州の表現しかあるまいて。「にい」がつくと柔らかい感じになってまろやかになる。まあつまり角が立ちにくくなるということであるが。

意味が、「冗談っぽいよそれ」というのと「冗談はポイ(棄てる)だよ」というのとどちらとも解釈出来る。

「ポイ」という言い方は幼児に向けて発する言葉なので育児の真っ最中であることもあってついいつも家で言ってる言葉が出たのかなとも思える。

厳密に言えば「冗談ポイだにい」が理屈に合う遠州弁であるが子供に対しては「ちゃいしなさいちゃい」とか「おんぶ」・「おんり」とか繰り返したりはしょって言うことが的確に伝わる第一歩なので間違いではないと思われる。

同じような言葉で「ちゃい」があるが「ポイ」との違いは「ちゃい」が「棄てなさい」で「ポイ」が「棄てようね」といったニュアンスの違いがある。

「冗談ちゃいにい」とかいう言い方は「ちゃい」(命令)と「にい」のニュアンスとが合わないのでおそらく存在しないであろう。

もうひとつの「冗談っぽい」という方は、「んっぽい」をきちんと発音しにくいので言い易くするために「っ」がはしょられて「冗談ポイ」となるというもの。こういういうのは自分だけじゃなかったということかも。意識してないけどもしかしたら自分も無意識でそう言ってる(聞こえてる)のかなあという気にもなってくる。

例文

「今日残業してってやあ。」

「冗談ポイにい。ちゃっと帰りたいだで勘弁してやあ。」

「ほんじゃあ明日は。」

「明日も無理だやあ。」

「じゃ いつならいいだあ。」

「きんのうなら。」

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