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アンタッチャブル その1

 橋の欄干が落ちるシーンは、ちょっとおお~!と思いました。単なるエキストラじゃなくて大勢のスタントマンさん動員されたんでしょうね。もしあれが好き者のエキストラさんだったら凄いけどさすがに安全面でそれはないだろうな。

交通標識が落下する図とかもそうだけど、喰いつきを良くする為の初回の撒餌にしては地味だけど、著名な役者さんゲストに迎える華やかさばかりよりも、こういうのに力入れて見せるってのは私好きだな。まあそうは言ってもしっかり浅野さん・篠井さん・光石さんと豪華ですけど。

やはり15分拡大で始まったことだし、気合いの入り様を感じます。

テレビ朝日+仲間さんってことで「トリック」系の奇妙な犯罪者を追い詰めてく展開なんでしょうかねえ。予言が当たるジャーナリスト。胡散臭い訳ですが浅野さんが演じると胡散臭く見えないんですけど。って思ってたらそうじゃないみたかったです。一話ごとに簡潔に完結というのではなくて半決みたいな感じで進んでいくのでしょうか。

身内に警察の人がいて本人は新聞記者ってのはどうなんでしょうねえ。上手くギブ&テイクが成立するか一切干渉なしならいいけど身内の利を生かして片方だけが美味しいことになったらいやったい構図となりますが。

まあそんな真面目な危惧はほかいといて、コメディのタッチはなんか面白そう。

会社の面子は個性派揃い。

例え良い事言ってもじゃあお前はどうなんだというツッコミに反論出来ずにギャフンとなった挙句の怨みノートは心に痛い。

チキンラーメンが目に痛い。いつかゲストで国分さんでも出てくるのだろうか。

気づかなかったけど他にもこういった類のものがあったのかな。

そんなたわけた事思って観てたら最後の方は深い闇とかいうものがあるそうな。しかもその謎は深まる様相。お気楽に観ていいドラマじゃないのか?

結構お気楽な話しではなく深く入り組んだ謎を追う展開のようです。

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相棒 その1

 今までのシリーズは映画を除いては見た程度であったんですが、このシリーズは及川さんが新たに参加するというので観ることにし申した。

なんでしょうね及川さんの空気感がなんか性に合うというか落ち着いて観れるというか。ミッチーとか呼ばれる軟弱なイメージではなく暴力的な要素を抜いた男っぽさを私は感じるのでありまして。「日本○没」では主役観ずに福田さんと及川さんばっかり追ってた感すらありますです。

それと今シリーズを観ようと思ったもうひとつの理由は、今までの相棒が体育会系と文化系という組み合わせでその役割分担がはっきししてた部分があって非常にスムーズに回転してたコンビから今度は共に文科系というイメージがあって、類は友を呼ぶみたいな同種なれど色違い故にかち合う部分とかの摩擦熱を帯びながら解決に向かうぎこちなさみたいなものを楽しみたいかなと。

シンプルに推理ゲームに勤しむというだけではない、ある意味社会の?を切り取った様相も呈する作品ですのでそういったものを愛でることが「相棒」の楽しみの王道であるとしたら私は脇道をうろつくのが楽しい寄り道好きな視聴者ということになるのでしょう。

で、第一話。丁度2話を一気にみたいな1時間48分という長さ。役者さんも豪華ですなあ。

展開も被害者と思いしがそはなんと一味たりとは真にもっていとをかし。締めも悲哀を帯びたるはいとゆかし。

今もって理解出来てないと言うか始めをよく知らないせいなんでしょうが、昼行灯ならともかく確固たる実績を積み上げていながら刑事部長のあの邪険のされようは何で?という疑問を払拭できないところでありまして。しかもそれを忸怩かどうかは定かではありませんが粛々ならぬじゅくじゅくと受け止めて反論もせず飄々としていられるところも不思議であります。

実績を上げ尚且つ官房室長の覚え目出度き事なれば、組織の中で上をば目指ざんと欲す者ならば取り込むか腫れ物に触るかのようなであろうに排除せんとするはいと不思議。おそらくは隠密が如き用向きにて秘匿なるが故のお荷物扱いということか。

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不毛地帯 その1

 初回2時間18分。見応えあったけど長いわあ。見直して感想書くにしても根気がいります。しかも重厚だし。何度も観るには心が重いところです。でも惹き込まれるんですよね。観始めると最後までぐいぐいと。主人公が壱岐なだけに観るのもイッキ。なんちゃって。

全くの空想上のお話しじゃあなくてモデルとなった実在の人物が存在してるだけに、私みたいなちゃらんぽらんな人間がああたらこうたら感想を述べるのは不謹慎なので観たということだけ書くべきだろうけど。

 抑留とは壮絶だよなあ。しかも11年。「理不尽」と「翻弄」という言葉に対して立ち向かう術がないというのは堪りませんな。私なんかじゃ駄目だこりゃって直ぐポックリ逝っちゃうでしょう多分。そういう事ににひたすら共に助け合いながら耐え忍び帰国された大人を尊敬します。なんかあるといちゃもんつけてキレる輩に爪の垢でも煎じて飲ませたいと思えるくらいです。

敗者に鞭打つというかこういう仕打ちは、忘れはらしょーでいられすかや だわい。捕虜を囚人と呼ぶ辺りはまさに物は言い様で未だに北方領土が戻って来ないというお国柄はなんと申しましょうか。自国民も囚人として混ざってましたけどこういう虐待って国民性というより呼び名が変われどいつの世にも存在し君臨する「ツァー」の思し召しによることでしょうが。それにしてもよく耐える民族なんでしょうかねえ。それと同じ感覚で日本人を扱っただけなのかしらん。まさかね。

 無事復員されてからの展開はまだ始まったばかりでほぼ人物紹介に終始した感もありますが、利権で蠢く世界に叛旗を翻す為に立ち上がったという動機付けのように見受けられたのですが警察というかそっちの方面に協力を求めるって思案は当時では範疇になかったという無法地帯だったんでしょうか。仲間を売る訳にはいかないということでもあるんでしょうか。

まあなんかあると安直に救急車や警察呼んで他人に任せるという他人に依存するのに馴れきった今の人間とは違って自分がなんとかするという精神がああいう行動になったということなんでしょうかね。

今後は清く正しく美しくだった人生が商業戦争の荒波に揉まれて世俗の垢にどれくらい染まるんだろかといった辺りが興味あるところでもあります。

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*だもんで

「だもので」とも訳せるし「だものだから」とも訳せる。ただし状況によって必ずしもそういった訳ではうまくはまらない事がある奥の深い言葉である。

頭に持ってくれば「だから・なので」という意味合いになる。

「だもんでさっきいからそをゆってるじゃん。」

  (だからさっきからそういってるでしょ。)

そうでない場合

「傘持ちなしあわくって出てくだもんでそうなるだよ。」

  (傘も持たないで慌てて出かけるもんだからそうなるんだよ。)

この文で「だもんで」を使わないと

「傘持ちなしあわくって出てくでそうなるだよ。」

  (傘も持たないで慌てて出かけるからそうなるんだよ。)

「だもんで」を使うと「だから言ったじゃないか」とか「当然そうなるだろう」みたいな説経じみたニュアンスが強めにになることが多い。無意識で「だもんで」を使うとむっとされることがあるので注意が必要ではある。

その逆に言葉の最後に持ってくると

「傘持ちなしあわくって出てくとそうなるだもんでえ。」

  (傘を持たないで慌てて出てくからそうなるんだから。)

言い切りではなくて「~なんだから」・「~だと思うけども」という感じの語気を弱める効果がある。次に続く言葉があるのかなと思われたりするキレの悪さがあるが、これで終い(言い終わった)ということが多く口に物を挟んだような言い方とはなる弱点はある。気の短い人だと「だでなんだあ?」(だからなんだよ)と言われたりしかねないくらい柔らかい言い方になる。

「だもんで」の省略形であろう「だで」を使うとそういった歯切れの悪さが解消される効能があり、「だで」を使う人が増えつつあるような気がする。後、必ずしも「だで」は「だもんで」の略とは言えない可能性もある。

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猿ロック エピソード5-3

 ドラマはこれにて仕舞いで次は映画館で。とな。

今回は解決編でありましたが、親の威を借りて悪の限りを尽くした甘えん坊坊ちゃん。今回は大人のえぐい仕打ちにビビッておりましたですが。なんか前回までと較べると豹変っぽかったですわいな。

それにしても初回の悪党さん。いつの間にかサルの協力者になっていて。こちらは豹変という趣はありませんでしたがお伽噺のようにも思えました。

殺人を快楽とするのはどうにもね。ゲーム感覚で命を遊びの道具にしているようで。これはけちょんけちょんにしても撥当たらないくらいの悪党を作り上げたとも言えるのでしょうが。に、しては後味が悪いですなあ若干。

悪党退治に重きを置くというよりも脱出のハラハラを愛でるのかという展開に思え、予想した通りあっさり悪党お縄頂戴ってことになるのなら、危機一髪の脱出の具体的な経緯の様を山場の画として観たかったなあ。

見易さからいえば意図的にというか故意に難関を作り出すのではなく事故の連鎖によってトラブルが発生する展開の方が悪党成敗を描く必要がなく脱出劇に集中できて好みだったのになと。

それにしても実に用意周到でホント容易に用意できる気がしないきっちり怠りなく準備してたんですねえ。サルが開けにくいようにと西洋の鍵を用意し、時限爆弾も用意しておいたりと。院長室で書類スパイした後サルが退院するまで何日あったのか知りませんがなんかあると直ぐ殺すというお方の割にはど派手なけれんに満ちた殺人遊戯でありました。

まあつまるところ、悪事の限りを尽くした悪党の追い詰め方やお縄頂戴も大きな盛り上がりがあったわけじゃなくあっさり風味で、漁船からの脱出劇に於いてもギャラリーがもう駄目と観念してしまうまでの具体的な奇跡の脱出の模様が見事にはしょられていて。正直山場らしきところが削られてしまったような印象を受けましてでございます。

サル達の相手にしては荷が重すぎたみたいな気もしないではないとこですな。でもそういう相手でもリツコを守るサルの図という側面を考えると友情の堅さをしっかりと示した回ということにもなるのでしょうか。

多分この回はリツコ(芦名さん)とサル(市原さん)の固い結びつきがより強まったことを謳っていたと想像される訳ですが、2話に渡って限りを尽くした悪党に因果応報のギャフンを提示しなかった余韻が面映いところです。

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*ちょんぼこいたら

「ミスしただろ」と言っている。男女共用の表現。

「ちょんぼ」という言葉は別に方言でもなんでもない全国的に通用する言葉であるが、「ちょんぼ」を「こく」という表現が遠州弁っぽいかと。

共通語なら「ちょんぼした」というのが普通であろうか。軽い遠州弁だと「ちょんぼしたらあ」になるのでこれなら多少なりとも共通語に近くなる。

「したらあ」だと囃す感じ(したでしょ)になることが多いが「こいたら」だと後ろ指指すような指摘(しただろ)という感じになることが多い。

「こく」は漢字で書くと「放く」と書くそうでネットの辞書では「言う・するなどを卑しめていう語」と説明されている。

遠州弁使いとしては「卑しめて」なぞ全くしていない濡れ衣のような説明であるがそれ故に遠州弁は汚いとか言われてしまうのだろうか。そりゃあまあ褒める時に使うことはあまりないけれど親愛の情という親しみを込めた言い方という扱いもあるといのが遠州弁の「こく」であろう。

本当に追求・糾弾するような場合には「おめえなにやってくれただあ」・「なにしてくれるだあ」とかいった言い方になる。

例文

「おっかしいなあ いごきゃへんじゃん。」

  (おかしいなあ動かないぞこれ。)

「いごかんわきゃねえらあ。きんのうはちゃんといごいてただで。」

  (動かない訳ないだろうよ。昨日はちゃんと動いてたんだから。)

「おめえなんかちょんぼこいたじゃねえらなあ。」

  (お前なんかミスしたんじゃないだろうなあ。)

「なんでわし疑うよを。随分じゃん。」

  (ひどいなあなんで俺を疑うんだよ。)

「だってきんのう最後いぜってたのおめえだら。」

  (昨日最後にこの機械操作したのお前だろ?)

「いぜくっちゃいんて。掃除当番だもんで拭いたりとかしてけっこくしただけだもん。」

  (操作なんかしてないって。掃除当番だから拭いたりなんかして掃除しただけなの。)

「いちおお聞くけどもとのコンセントわあ。」

  (一応聞くけどもとのコンセントはどうした?)

「抜いたよを危ないで外さんとかんじゃん。」

  (そりゃ勿論抜いたさあ。でないと危ないじゃないか。)

「で、もどいただ?」

  (それでちゃんと戻したか?)

「・・・・・いんやあ。」

  (そういや差してないな。)

「やあばかっつら。やっぱてめえちょんぼこいてけつかるじゃねえかあ。」

  (おい。やっぱお前の間抜けのせいじゃねえか。)

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遠州弁に直してみる

無断転載・引用を禁ずと謳われてるにも関わらず無礼を承知で一筆啓上。注意されたら即消しますが何卒お目こぼしの御慈悲をくだせえ。

宇多田ヒカルさんのブログ記事「きーっ!」を読んで。

今自分も喰われて往生しとるとこだいね。と共感しつつ。この方の文章ホント面白い。

ブログ内では最近「しぞーか」っぽい表現が垣間見られて近くにしぞーか県人でもおらすだかいやあと想像したりなんかして。多分駿河の衆だらあなあ。

で、まあこのしぞーか弁も混じったこの記事をまるさら遠州弁にしたらどうなるか(文字のみ)

やあー!

かいいーーにっ!

蚊ーーーっ!

涼しくなっただにまだ飛んでるだいね、蚊ぁ!!

足ばっかやたらくしゃ小一時間の余でななとこも喰われただよを。

ばっかおこれるう 

一匹ばか だで はあ じきん腹もふくれるで 喰わんくなるらあと思って蚊取り線香焚かんでいただに あんたどんだけ喰うよを 随分じゃん

仕事してるだに馬鹿っつら 明日までにおえんとかんだっつうに

ほんでも いくらなんでも はあ 腹ふくれたらあ 

そうだっつっておくれでない蚊い・・・痒い蚊い

 ってな感じで正直スパンスパンはまる。嘘みたいにちゃちゃっと遠州弁に直せる。近いのかなもしかして。んなわきゃないかあ。でもホント直し易かったなあ。やっぱねっこでしぞーか弁を意識して書かれていたからなのかしらん。

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ギネ・産婦人科のおんなたち その1

 15分拡大で始まりましたこのドラマ。非常にスピーディで見応えありますなあ。想像してた以上に面白そうです。

目線的には玉木(上地さん)の目線で展開を追っていたので私みたいな野郎でも居場所というか立ち位置が在って居心地悪くなく観ることが出来ました。

それにしても柊先生(藤原さん)は無愛想にも程がありますなあ。玉木の感情の流れに思わず共感してしまいますわ。育てようという親獅子の如く愛の鞭で放置プレーしてる訳じゃなく一プレイヤーとして最善を尽くすことのみに徹してると映りまして、このままじゃ潰されると思うのも当然だよなあと。

いいように使われるってのもこれまたいい気持ちはしませんが将来一本立ちすることを考えると我慢の質が違いますからまだこき使われる方がましでしょう。

まあ逆に能天気に過ごすんだったらなにもしなくて後ろについてりゃいいだけなんだから極楽極楽と考えるって手もあろうかと向上心が失せた中年としてはラッキーじゃないかと思えなくもないけれど。

医療を題材にするドラマを最近よく見かけますけど、イメージが強く残ったのはこのドラマは人が沢山蠢いていてとてもリアル感がありますな。この勢いでいけば最終回に至っても名前覚えられない先生や看護師が居そうな感じでいいですわ。

この回を観る限り「崩壊寸前の産婦人科を医師の日常を通して描く」と謳われているのと違って一人の新人医師の成長奮闘記と観れたんですけど。もっと露骨に感想書けば新人医師潰しに遭って玉木先生崩壊記かと思えました。あれで立ち直ったとしたら凄いよなと。

だって来週以降はどうなるかは知りませんが、この回の最大の問題点は医療のシステムとかの問題ではなく柊先生の態度という個人の資質の問題でしたから。

でもまあ医療訴訟というのが大きな足枷になっているとは伝わってきたのですが、別のドラマですけど江戸にタイムスリップした際の患者さんの「これも運命」という受け入れる気持ちが失せて訴訟を起こすというのは誰がいつ頃始めて広まったんでしょうか。知識がないのでそこいら辺を指し示して貰うとありがたいんですけど。

気になったのは、「お産の時は救急車呼ばないで」というセリフ。実際そういうのがマナーなんですか?

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*どべたくそ

へた→へったあ→どへた→どべた→どんべた→どべたくそ

個人差はあるが遠州弁における下手くその最上位の表現か。

普通遠州弁で凄く・物凄くという場合「ど」・「ばか」・「がんこ」が使われ、大抵はどの表現でも均等に使うのだが「へたくそ」だけは「がんこ」・「ばか」の使用は少なく多くは「ど」が使われる。

そういう意味では珍しい固有の表現ともいえるのではないか。

感覚的には「どべ」(ビリっけつ)+「へたくそ」の合体系のように聞こえ、とにかくこれ以下は見た事もないようなへたくそという印象を受ける。

ただし必ずしも中傷を目的とする表現ではなく時と場合にもよるが、大方は「見てられない」というニュアンスではある。したがって言われた方は陰口であろうとそれほどトラウマになるほどショックということに陥らない場合が多い。

例文

「やあどべたくそ。かしてみい。」

  (も~下手くそだなあ。俺と替われ。)

「いいよわしんやるでえ。」

  (大丈夫だよ俺がやりきるから。)

「みちゃおれんもんでゆってるじゃん。」

  (見てられないから言ってるんだよ。)

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オトメン・秋 その1

 なんか全4話だと朝の番組が伝えていた。なにそれ?聞き間違いじゃなかったとしたらえらく短いもんだなと。ホントのところはどうなんでしょ。

「夏」での視聴率が芳しくなかったせいでこうなったとしたらそれはそれはいやったいもんですな。まあそうでなく始めからの決まりだったと信じていざ楽しまん。でも21時台はリアルタイムじゃ観れなくて録画視聴なんでそれがちょっとなあ。

 10分延長の秋編の初回。出会いの回想があっていざ本編へって、いきなし「ぱっちぎ」のぱくりからかい!しょっぱなからかましてくれて嬉しいじゃああ~りませんか。

お約束ともいえる磯野の自虐ボケと都塚父(高田さん)の壊滅的ツッコミに続いて、てっぺん盗ったるの「くろーずぜろ」ネタへと続く。これ(闘争)とお笑いの大会との繋がりにはがんこ無理があるぞと思いつつも漫画の餌食にされてることに気づかない能天気な連中だから至極納得してる姿見てもこいつらならありえるなと変に納得する次第でありまして。

そして横領発覚の後の捕縛シーン。あれはなんかのパロディか?まだまだ修行が足らぬようで奥が深い。

とはいえコネタばかりで中身はピーマン(想いを伝えられないもどかしいさばかり)かと思いきや、弱いながらも磯野がしっかりと男を見せる辺りはちゃんとしてるぞと。単なるネタかと思えた「ぱっちぎ」もどきも実はきちんと連なっていたということでこう繋がるのかあと。

この回で二人は告白したってことになるんでしょうか。飛鳥(岡田さん)はカレー食う直前でりょう(夏帆さん)はお社で格闘中の最中に。

これでまたりょうの天然ボケが炸裂して飛鳥がっくしなんてことにならなければいいんですが。

いざ成敗ってとこでこの回終わったんですが、この続きは次週描かれるんでしょうか。結末はふたりの強さを考えれば多勢でも無勢で見事成敗致しそうらえども、覚えてろよこの野郎とか捨て台詞残して後々姑息に青春を賭けた剣道の道を妨害したりしないんだろうかと思えもするので。

まあこのドラマ重たいものではありませんのであえて結果は提示するほどのこともなしとてこの一件これにて一件落着で次週何事もなかったかのように次のお話しが始まるなんていう事もありえそうなんですが、臭い匂いは元から断たなきゃ駄目という格言もあるくらいですからそういう憂いを引き摺らないよう一応その後どうなったのかを提示して欲しいなと思えます。

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*飲むで色々な言い方

「遠州弁」→「共通語」(例文)補足説明という表記順で。

「のままい」→「飲もうよ」(たまにゃ一緒にのままい) この場合「のもまい」という言い方もあるが若干違和感を感じる。「のまざあ」という言い方も意味はほぼ同じ。

「のますか」→「飲もうじゃないか」(徹夜でのますか)

「のますか」→「(誰が)飲むか」(誰がてめえとのますか) と二通り存在して、非常にどっちか分かりにくい。イントネーションが違うので遠州人にとっては区別はつくのだが。

「のみえん」→「飲めない」(ど熱くてのみえん)

「のみいん」→「飲めない」(炭酸わし嫌いだでのみいん) 今度は訳が一緒になるややこしさ。実際はどちらも違いはないのだが無理矢理使い分けをこじつければ、下戸で飲めない場合とかは飲めないから「のみいん」で運転しなくちゃいけないのでという場合とかは飲みたいけど「のみえん」。

「のんだらか」→「飲んであげようか」(のまんならわしのんだらか)

「のんだら」→「飲んだろ」(わしののんだら)

「のんだだ」→「飲んだのだ」・「飲んじゃったの?」(不味いけど無理してのんだだ)・(え~!これのんだだ?)

「のんだにい」→「飲んだよ」(それはわしがのんだにい)

「のんだでね」→「飲んだからね」(悪いがそこにあったののんだでね)

「のむだか」→「飲むのかよ」(これをのむだか)

「のむだら」→「飲むでしょ?」・「飲むでしょう」(あんたものむだら)・(多分のむだら)

「のむだらあ」→「飲むんでしょ?」・「飲むと思うけどな」

「のむだらか」→「飲むだろか」(果たしてじいちゃんのむだらか) とまあ、「む」と「ん」では意味合いが変わってくることが多い。

「のまっか」→「飲もうか」(のまんならわしのまっか)

「のまさすか」→「飲ませようか」・「飲ませるか」(たまにゃあいつにものまさすか)・(絶対あいつにはのまさすか)

「のまさすかあ」→「飲ませようかな」・「飲ませる訳ないだろ」

「のませすか」→「飲まそうか」(どうしっかのませすかなあ)

「のましっか」→「飲まそうか」(どうしっかのましっか) ほぼ「のませすか」と同じ。

「のまさせすか」→「飲まさせない」(今日は大事な日だで絶対のまさせすか) 「のまさせすかや」と「や」が入るとより強力な意思が感じられる。

「のませすかあ」→「飲まそうかな」・「飲ませないよ」 「のまさすか」と「のませすか」の違いについては微妙で尚且つ同じ言葉でも意味が逆転するのでややこしい。ただ「さ」より「せ」を使ったほうが上から目線っぽいのでえらそうな物言いにしたいような場合には「さ」を使うほうが効果的かと。

「のましい」→「飲ませなよ」(欲しそうにしてるでのましい)

「のましたりい」→「飲ませてあげなよ」

「のましいん」→「飲ませられない」(まだこの時間じゃのましいん)

「のましょ」→「飲ませろ」(やあ、のましょうやあ)

「のみくさる」→「飲みやがる」(こんな時間にのみくさる)

「のんでけつかる」→「飲んでいやがる」(仕事さぼってのんでけつかる)

「のむにい」→「飲むよー。」(悪いが先にのむにい)

「のむらあ」→「飲むでしょ」・「飲むだろう」(あんたものむらあ)・(あいつもきっとのむらあ)

「のますけえ」→「飲まないよ」(のまんと決めただでのますけえ)

「のまんとを」→「飲まないと」(苦くても効くだでのまんとを)

「のむだに」→「飲むのに」(まだのむだに片さんでもいいじゃん)

「のむにい」→「飲むよ」(まだのむにい)

「のみない」→「飲みなよ」(ちゃっとのみない)

「のみすけ」→「飲兵衛」(こののみすけ)

「のんだらかんだか」→「飲んじゃいけないのか」(ここじゃのんだらかんだか)

まだまだあろうが、きりがないのでこの辺で。

例文

A「やあ今日帰りのんでかまい。」

  (お~い今日は帰りに飲もうぜ。)

B「おおいいぜ。おんしのおごりでのますか。」

  (おおいいよ。お前のおごりで飲もうじゃないか。)

A「馬鹿こいちゃかん。ワリカンに決まってるじゃん。で、Cわあ。」

  (冗談いうなよ。ワリカンに決まってるだろ。ところでCは?)

C「わし車だで のみえんで帰るわ。」

  (俺は車だから。飲めないから帰るわ。)

A「Fはのみいんかったけか。」

  (Fは下戸だったっけ。)

B「Dわぁ。あいつぁは誘わんだ?」

  (Dはどうよ。あいつは誘わないのかい。)

A「あんな奴となんか誰がのますか。はあ勘弁でえ。」

  (誰があいつとなんか飲むか。もうこりごりだよ。)

C「なんでえどうしたでえ。」

  (なんかあったのか?)

B「まああいつぁがんこ飲むでの。」

  (まあ量飲むからなあいつは。)

A「ふんでいっつも酒癖悪くて始末に負えんくてやあ。」

  (しかもいつも酒癖悪くて始末に負えないしね。)

C「酒さえ入らにゃ普段大人しいだんな。」

  (酒さえ飲まなきゃ普段は大人しいんだけどな。)

B「自分に素直でいいことじゃん。」

  (まあとことん自分に正直なんだろうな。)

A「ついてけんわあ。馬鹿ひょんきんだらあ。」

  (普通じゃないだろ。あの変わり様にはついていけないよ。)

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2009笑っていいとも!秋の祭典スペシャル

 こういった長時間のドラマの一括番宣ってフジとTBSだけかと思ってたけど、この秋は各局(ドラマだけに限らなかったけど)で長丁場の番組をやっていた。

幸か不幸か今の時期観るものもないので一通り見たような気がする。流石にいちいち録画してる訳ではないので記憶だけで感想を述べてる次第でありますが。

まあ不平不満的な能書き書くのは無料視聴であることも含め控えるところでありますが、役者さんを迎えてのゲームを愉しんで貰って気分転換みたいな慰労会という趣があるとことかミニマラソンやレスリングもどきを主体としたバラエティの添え物扱いしてるとことかあります中で、フジテレビの笑っていいともはやっぱり老舗というか見てて一番愉しかったです。

特によかったのは「再現ドラマ」。どこまでご本人が関与されてるのか分かりませんがやはり餅は餅屋でありまして。なんか貴重なものを観た気がしましたです。録画しとけばよかったなあ。

東京DOGSチームの仲の良さというか結束力を感じましたし、小栗さんホントうめえわと関心しきり。ああいう短い時間で多くを確実に伝えるには誇張を怖れず表現することが大切で、そういう意味では舞台で鍛えられる表現力が役者さんには大事なのかなと思えました。もちろん110分近くの映画でずうっとああいうテンションじゃ観てて疲れるんでそれ一辺倒はご勘弁をとなりますが。伝家の宝刀じゃないけどここぞという時にああいう表現されたらしびれるだろうなきっと。

そういうことだから、小栗さん勝地さん阿部さんとかの動きに惹きずり込まれるのかなあと。

こうした映像を作るという企画は以前にも在った様な記憶があって、その時はそれぞれのドラマのスタッフが企画して番宣フィルムを出し合ってたような記憶があります勝敗抜きで。その時も面白かったんだけどそんな暇がないとこも出てこようからでしょうか、いつの間にかなくなっていたけれど。こうして再び観れるのは嬉しいなと。

今回もオーダーだけで企画演出はスタッフさんが作ったものかもしれませんが、役者さんの意思の下にやりたいように演じる映像ってのがあればそれは新鮮でいいとも観たいとも。小栗さんなんかは監督業もやられているからそれこそ小栗さんに丸投げで作ってとか依頼されたら願ったり叶ったりなんじゃないのかなと思えたりもして。他にもこういう場で作り手としての経験値を積まれたい役者さんもおられるかもしれないから例え学芸会に毛の生えたみたいな実験的なものでも構わないからそういうの観てみたいな。

まあとにかく小栗さんがとても印象に残ったこの秋のいいともでありました。

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*まいとまいかの使い分け

「やめる」を例にすると

「はあ じき ばんげしたん なるで ここんさあで やめまい。」

  (もうじき日が暮れるからここいら辺でやめにしよう。)

「そうだの やめまいか。」

  (そうだね、やめにしようか。)

と、言った風にやめよう→分かったという決断→同意という流れとして「まい」→「まいか」が使われる。では最初に「まいか」を使うとどうなるか。

「はあ じき ばんげしたん なるで ここんさあで やめまいか。」

  (もうじき日が暮れるからここいら辺でやめにしないか。)

「そうだの やめまい。」

  (そうだね、やめにしよう。)

と、言った風に同意を求める→承諾するという流れになる。

共に「まいか」を使うと

「略 やめまいか。」

  (略 やめにしないか。)

「そうだの やめまいか。」

  (そうだね やめにしたいね。)

同意を求める→同調するという流れになる。

やめると言い切ってはいないので「どっちなんだはっきしせよやあ」(続けるのかやめるのかはっきりしろ)とつっこみいれたくなる感じのお互いどうしようと迷ってるうじうじとした感じ、もしくはなし崩し的にやめるみたいな感じになる。

逆にどちらも「まい」を使うと、決定→賛同といった趣きとなり、体育会系のような「やめよう」・「その通りだやめよう」みたいなきっぱり感が湧く。

立場が対等でない場合、目上に「やめまいか」というのは馴れなれし過ぎるので「やめるかあ」とかを使うことになる。「まい」に関しては個人差はあるが使ってもムッとはされない事が多い。

目上はどちらを使ってもとんじゃかない。しかしながら「まいか」を連発すると決断力のない人の声をやけに気にする奴と思われがちになる。

強引にまとめると

「まい」は決意・「まいか」は伺いというニュアンスになる。

ちなみに古語辞典で「まい」は載っていないが「まいか」は「婉曲に希望し、勧誘する意を表わす」として載っている。意味はその通りなので想像ではあるが、「まいか」が本来あってそれの強調形として「強く希望し誘導する」みたいな使い方で「まい」が発生したんじゃないのかなと。勝手な想像ですけどね。

ちなみのちなみで古語辞典に載っている「まい」(打消しの推量を表わす)と遠州弁の「まい」はその意味が全く異なる。

この系統では他に「まいや」(しようじゃないか)と煽る・提案するみたいな表現とか「まいに」(現在うまく説明できない)とかもあるのだが「まいか」にニュアンスが近くて説明するにこんがらがってくるのでまた別の機会があれば。

後、同じ意味使いである「ざあ」・「ざあや」については本家はしぞーか弁らしいのでそちらを勉強してから述べることにします。ちなみに遠州人というか自分が受ける感覚でいうと、「ざあ」って「さあ」(いざ)って感じみたいに受け取れるのでなんか直ぐやれみたいな印象を受ける。なので「まい・まいか」の方が緩やかで「ざあ・ざあや」だと早急にというイメージを持っている。合ってるかどうかは定かではないけれど。

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JIN・仁 その1

 えらいワクワクするドラマですなあ。自ええ隊にタイムスリップが出来て医者が出来ない訳はないという精神論をもってすればうそ臭さは消せるのでありますが。

そんな細かいことごちゃごちゃぬかさんでも仁(大沢さん)の懸命さにぐいぐい引っ張られてしまいますな。医者の本能ともいうべき後先考えずまず救う事をば一義とする行動の数々にほんと惹き込まれてしまいます。

この回はふたつの手術のシーンがやはり印象的でした。特に子を思う母の気持ちと母を思うこの気持ちとがリンクした「言葉の麻酔」は良かったなあ。

興味として、一に現代の知識を持って江戸の人を救うことのその葛藤(知識があっても道具がない等)にハラハラする。補充のない器具や薬剤の中で今後燃え尽きてしまうのかとかいう先の不安とか。

二に歴史を変えてしまうのかという時空を越えるお話しでは定番の葛藤と踏ん切り。

三に仁は最後どうなるんだということ。生きてるうちに戻れるのか土になって帰るのか。

四に女性関係はどうなるんだということ。あの花魁さん(中谷さん)がんこ曰くがありそうで。咲(綾瀬さん)はもう仁先生にほの字の兆候ありなんであれですけど。まあ今後の行方が愉しみですわ。

五には、現代とどう随時繋がっていくんだろう。あの運ばれてきた謎の患者は龍馬(内野さん)っぽかったし。

なにせ原作読んでないんで先を知らないんでドラマと共にハラハラしそうですわいな。これは思ってた以上に面白いドラマだという予感がしてきました。

なんでしょうかね、なんか大きなうねりをそこはかとなく感じさせる勢いがあって。一個人がタイムスリップしたとかいうこじんまりとしたものではないスケールの大きさを感じさせますな。

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*ら抜き 上等

あくまで個人的意見です。

日本語の乱れのひとつと言われている「ら」抜き言葉。最近のニュースでも伝えられていた。

しかしながら遠州弁は「ら」抜き上等どころか「てにをは」すら省くことが可能なものは省く方言なのである。そういう意味では時代は遠州弁に近づいたということにもなる訳であるが。憂いてる人達から見れば遠州弁は悪の根源ということになるのだろうか。

例えば

「昨日はとても楽しかったです。お父さんとお母さんと妹とぼくの家族4人皆で動物園に行ってきました。妹は虎やライオンを怖がってたけどぼくは色んな動物が見られて本当に楽しい一日でした。」

これを遠州弁に近づける第一歩として先ず抜けるものを抜く。

「昨日とても楽しかったです。お父さんお母さん妹ボク4人家族皆で動物園行ってきました。妹は虎やライオン怖がったけどボクは色んな動物見れて本当楽しい一日でした。」

次に言葉を変える

「きんのうがんこ楽しかったやあ。おっとさおっかさ妹わし4人うちん衆みなして動物園行っただよを。妹虎ぁライオンときゃひゃあひゃあゆっとたけがわし色んなのたんと見れてがんこ楽しかっただにい。」

そして順序を入れ替えしさらに言葉を変えて全体を整える

「がんこきんのう楽しかったやあ。うちん衆らと動物園行ってさあ おっとさおっかさ妹らとみなしてえ。妹虎ぁライオンだかにゃあひゃあひゃあこうるさかったけが、なんしょこらしょと色んなの見たもんでホントがんこ楽しかっただにい。」

最後に自分が話すとしたらという形に変えてみる

「や、きんのうがんこ楽しかったやあ。動物園うちん衆らと行ってさあ。いもうたぁ虎とかライオンでひゃあひゃあこいとっただん、わしい馬鹿一杯色んなの見れたもんでホント楽しかっただよを。」

(あくまで作為的な一例であり使い手によって形態は異なるのであるが)

というようにまるさら失くすというのは無理にしてもかなり省くと共に入れ替えもかなりする。こうなるから日本語ぶち壊しといわれるのかな。でも

「昨日真にもって快なる日たり。父母妹自分4人家族うち揃いて動物園観覧す。妹虎及び獅子に驚愕するも我れ多種の動物見物致し至極満喫したり。」

とかの言葉堅くしたもの(知識がないので滅茶苦茶だけど)には近いんだから別にいいじゃんという気になるのは言い訳か?

 話しは変わるが、文法やらなんやらの小難しい事は知らんし書き言葉を話し言葉に変える事自体ふざけた事だが、なんしょ違うだよ。だもんでいっちゃあなんだが方言だっつってそういう単語ばっか羅列して説明したってしゃべれやせんだいねホントは。

まあとにかく、根っ子の部分からして共通語の言い回しと遠州弁の言い回しは違うということですわ。それにイントネーションも当然違ってこれは聞かないと分からないから、いつか音声つけて説明するブログにしてみたいところでありますがなにせ知識がないんで夢のまた夢でありますが。

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チーム・バチスタ第2弾 ナイチンゲールの沈黙

 電化製品が動かないぞっていうことでなまじ修理の知識があるからって自分で色々部品分解したりして細かく調べたら結局は故障の原因は鼠にコード食いちぎられてたなんていう趣がある事件でありました。ま、それだけ意外性があったということなんですがね。

そういう意味において犯人は誰という点につきましては最後の方まで分からずじまいでいいように騙された感があるのですがその割には爽快感が控えめに思えました。

その理由として植物人間にさせなければならない動機というものが疑惑を抱かせる人々から強く感じられなかったということと。誰が得をするんだろうと考えると誰もいないじゃないかと思えたこと。

社会的責任を負わせるにしては幼すぎる犯人であることと欲得を目的としない動機によるものであり、しかも未来予想図がこの先も暗雲の中で低空飛行してる風にしか想像できないからということ。

タイトルにもある「ナイチンゲールの沈黙」というのも、有能な看護師が最後去るというのもおいおいで虚しいし、それと対比して事件が解決してのぐっちーの終わったと言う開放感が飛びぬけて見えて悼む気持ちという思い遣りが欲しかった部分もあったこと。

全体を通した色味ということなら泣き出しそうな天気の中のほんの僅かな晴れ間を愛でたって感じでしょうか。

警察に捕んまさった第一助手(袴田さん)にしたって、決して悪党という訳ではないですし、西園寺(遠藤さん)以外は皆誰かの為に懸命であるという善人ですし。こいつがいかにも怪しいと思わせる見てる者を惑わせる人物が居なかった印象でした。

殺意というものは悪意がなくても湧き上がるもので、今回は本人から頼まれたいわば切腹の介添え人を依頼されたというようなもので、勘違いによるものだったとはいえする方もされる方も了承済みという決意に大人達が振り回されたみたいな。

つまり被害者だらけで事件が解決しようとしまいと報われた人が極めて少ない印象を持ちました。もちろん放置していい話しではないので解決は重要ですけど。

サスペンスタッチで面白かったけれど繰り返し観て余韻を増幅したいという気にはなりにくいドラマのような気がしました。

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*なんかおかしい秋祭り

神無月(10月)ともなるとちらりほらりと各町内でそれぞれ秋のお祭りが催されている。

どうにもついていけないのが「たこ」のらっぱをこの時期吹いて「練り」してるであろうことである。そんな音が聞こえてくる。

旧市内だけで「たこ」やってた時分には考えられないことではなかったかと思える。秋の祭りの目的は町内によって異なるのかもしれないが大方は収穫を祝うものであろう。

五月の「たこ」の祭りは子供の節句を祝うものでその趣旨が異なるものであり「練り」も節句の祝いに付随したものだと思って育ってきた。

したがって旧市内に住んでた時の記憶でいけば秋の祭りに「練り」などしない。

にも拘らずこの10月に「らっぱ」や「太鼓」の音が遠くから聞こえてくるのである。勘違いかもしれないが聞こえてくるのは近年「たこ」に参加するようになった町内辺りから。それとも全てどの町内でもやるようになったのだろうか。

最近は選挙なんかでも「激練り」とかいう新種の「練り」をしてたりもする。

こういうことが良いとか悪いとかいうことを断じるほどの人間では私はないのでただ理解に苦しむという感想を述べるのみである。

「練り」とはなんの為にいつするものぞ。そこいら辺を明確にして欲しいすな。

現実としてほんの一部のアホなんでしょうけど法被着てさえすれば我が物顔で道を闊歩できると錯覚する輩がいるのだから。夜運転してて怖いすわ。という体験をたった一度きりですが経験したってのもあるんですけど。夜中に提灯持たずに法被だけじゃ暗くて見えないんですけど。

鬱積した感情の発散という目的の為に「激練り」というものが考案されたのならぎゃーつく言う筋合いはないのですが「練り」の趣旨から外れてやしないかと思うのはおかしいんでしょうかねえ。

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*にすい

動きが「とろくさい」・「遅い」・「間が悪い」・「のろい」とかいうニュアンスか。要は「どんくさい」ということか。

私は使わないが、言われたことがある。なので多分上記のような意味であろうと推測される。言った人は舞阪方面の人だったのでそっちの言葉なんだろうか。私は使わないので男女共用かどうかは不明。

「にぶい」(鈍い)が変化したみたいな感じがするのだがどうなんだろうか。

あくまで感覚としてだが「こすい」(狡い)にも掛かってるみたいでそこはかとなく「ずるしてのろくしてる」と言われてるような感覚もある。

この表現は遠州弁独特ということではなく、愛知県や三重・岐阜・伊那地方の一部でも使われているらしい。とネットでそう書かれてあったところを見た。

例文

「やあ おんしゃ にすい。まあちっとちゃちゃっとやれんだか。」

  (おいお前のろいぞ。もう少しささっとやれないのか?)

「しょんないじゃん。今日初めてやる作業だもんだで。」

  (仕方ないだろ。今日初めてやる作業なんだから。)

「なにょこいとるだあ。素人じゃあるまいに給料貰ってるだで給料分働けや。」

  (なに言い訳してんだ。素人じゃあるまいし給料貰ってるんだから給料に見合う仕事しろよ。)

「わあっとるわあ。いちいちうっさいなあ。」

  (言われなくてもそんな事分かってるよ。ごちゃごちゃぬかすな。)

「なら、しょろしょろしとるじゃねえわ。ちゃっちゃとやれやあ。」

  (そんならトロトロしてんじゃねえよ。パパッとやれよ。)

「やったらあ。みとれ。」

  (やってやろうじゃないか。見とけ。)

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