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嬢王 第一話

 いきなり余談ですが実のところ私、シチュエーションをスィツエーションかシトゥエーションみたいにしか発音できないという地方人(地域のせいじゃなくおめえだけという声も聞こえますが)なのでありまして。決して口にする言葉ではないのですが文字ならば書けるので本来の使いどころでないところでも腹いせ的に気持ちよくてバカバカ使ってしまう癖があるのです。

 でまあ、本題に戻ってこのドラマ。まずもってこのフィールドは私にとって色が合わず好意的な内容の感想では綴っていないことを予めお伝えしときます。もちろんはまる人にははまるであろうもので批判するものではりません。

今後方向性が変わるやもしれませんが第一話を見た限りのシチュエーションは「女」という武器をを使った格闘サバイバル戦というものでありまして、いくらお色気満載画面に満ち溢れておりましてもこれは私には得意分野ではありませんというのが本音です。

対ともいえる「男」を売るみたいな例えば極道の成り上がりみたいなシチュエーションとかも苦手不得手分野でありまして。

つまり「性」(せい)ではなく「性」(さが)や「性」(本性)をえぐり取る手合いの物語りはご無礼させて貰いたいということであります基本。

それにそういう世界でてっぺん盗るということは郷に入れば郷に従えでそういう人種に主人公も染まっていくということでありまして。どちらかというと駆け上がるというよりも飲み込まれていく風にも見方によっては在り得る訳で。

 そういう意味ではこのドラマ、そういったものをきちんとしかもオブラートにくるむことなしに描いているのでしょう。自分さえ良ければという虎視眈々と輝くそれらの瞳は見ててしんどいことこの上ない感じでありました。もちろん最悪の環境からスタートして最後はそれらを全て引き連れてという制覇的要素によるものでしょうが。私が辟易するくらいだからくどいようですがスポ根ならぬキャバ根の勢いがきちんと描かれているドラマなのでしょう。

奇をてらわずまさにイジメ嫉妬といったよく描かれる手段の障害で主人公の夢(野望)を阻む展開はオーソドックスながら確実に主人公頑張れ負けるなという意識にさせますな。これがゲーム感覚みたいなライトなメラメラだったら主人公頑張れなんて思いませんもん。もっと真っ当に生きろよとか邪念が入りますから。とりあえずそういう邪念が頭をもたげる暇もなく主人公頑張れって感じで見てました。テンポ感がいいんでしょうねきっと。

でも、「アタックナンバーいち」や「お蝶夫人が出てくる漫画」とかのスポ根と同じ成長物語(染まってく流れ)で、もし単純にシチュエーションがバレーやテニスのコートからキャバレーに変わったくらいのディープではない展開だとしてもこういう類を夢中になって見たことない私なのでこれを愉しむのはやっぱり無理ですわ。

逆説的になりますがそういう手合いのドラマに普段ついていけない私がこのドラマにホントついていけないということはそういったものをちゃんと描いてるということで。この手のドラマが好きな方にはお色気ありテンポよし出演者さん個性的でキャラ立ってそうと揃っていて面白いでしょうね。

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*はれぼったい

一番判り易いのは「寝起きの顔」。要は「むくみがち」ということであろう。

「はれ」は勿論「腫れ」であり、「ぼったい」がなければ「腫れてる・むくんでる」ことになる。虫に刺されて腫れたような状態を「はれぼったい」というかというとこれは「腫れた」であって「はれぼったい」は使わないような気がする。打ち付けたところが「はれぼったい」とかでは使う。

この「ぼったい」という表現が味噌な訳であるが、これは果たして遠州弁か?

他の言い回しでは

野暮ったい・暗ぼったい・湿ぼったいとかがあり、野暮ったいは共通語で方言ではない。しかし暗ぼったい・湿ぼったいは全国的表現ではないらしく主にしぞーか県の方言として紹介されているところが多い。まあ野暮ったいは野暮+たいであってこれらとは別の種であろうが。

ちなみにしぞーか県全体に範囲を広げてみると

おおぼったい(うっとおしい)・いらひじぼったい(物欲しそうな)

全国に広げると

厚ぼったい(厚め気味)・古ぼったい(古臭そう)・しょぼったい(しょぼくれ気味)・眠ぼったい(眠いのでだるい)・熱ぼったい(なんとなく熱がある)・安ぼったい(安物っぽい)

意外なとこでは「口はばったい」を「口はぼったい」という地域もあるそうな。

(以上はネットで検索して発見したので正しいかどうかは定かではない)

つまるところこれは辞書には載っていないが全国的に広がっている表現ではないかということ。

もっとも「タメ」が遠州発信で全国的に認知されたようにこの「ぼったい」表現も同様に全国に広がったものということであれば話しは別だが。

でもまあ多くのところで遠州弁と紹介されているので項目としては遠州弁扱いの中に入れるけど。気持ちとしては「~っぽい・~気味」という意味の使い方に関しては全国的なもので遠州弁ではないと否定する記事ではある。

あくまで使用頻度が高い地域だということであろうか。

ただし駿河弁での使い方に関しては意味が異なるので、方言としての意味使いをする「ぼったい」についてはこれは駿河の方言であろうかと推察するのであるがどうだろか。

例文

「なあんか体んだるいだいね。風邪かなあ。」

  (なんとなく体がだるいんだよね。風邪ひいたかなあ。)

「気の弛みすぎだって。」

「ひどいことゆうやあ。一生懸命やってるっつうに。」

  (随分じゃないか。一生懸命やってるっていうのに。)

「顔腫れぼったいにい。会議寝えってただらあ。寝起きでだるいだけだらあ。」

  (顔がむくんでるぞ。会議で寝てたんだろう。寝起きでだるいだけだろうに。)

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猿ロック エピソード5-1

 ここまで徹した勧善懲悪なんてえらい久し振りに観たなあ。まだ始まったばかりで徹底的に懲らしめた訳じゃないけれど、相手にも一部の理や道があるみたいな俺は悪くないみたいな敵役が最近多い中、皆無じゃあないけどここまで徹底した悪党というのはホント久し振りな感じでありました。

そりゃあもう見事なほどの憎たらしさとねちっこさと陰湿さで、これを倒さにゃ観ていて絶対溜飲が下がらないよなあと。そう思えるくらいの悪党でしたなあ。

泣き寝入りの背景に強大な権力が存在して悪事を握り潰しそしたら今度はお礼参りならぬ報復を繰り返して黙らせる(泣き寝入り)という手段はこういう手合いの常套手段でありますが。

警察ですら躊躇してしまうってのはこれはもうなんというか西部劇でシェリフが無能で無法地帯と化して怯えてる町の情景を見てるようでありました。日本じゃねえなここは。そうか江戸川区だったんだ(もちろんドラマ内の架空の江戸川区のことですけど)。逮捕した山田(高岡さん)がお咎めなしだったと喜ぶという図を見てしまうとこんな非力な平穏を守るレベルなんかで独立なんかしたら全てのエリアが無法者の町と化してしまうんじゃないか江戸川区と思えるくらいでした。

 ま、そういう主流のお話しはまだまだ続くのでこれくらいにして、いつものどうでもいい感想を。

 以前出た登場人物が再登場することが頻繁なのは新鮮に映りますなあ。今回はエピソード1で登場したエリ(中村さん)で。その効能は町そのものの規模が窺い知れる人付き合いの濃密さが垣間見れるようであって仲の良さが際立ちますな。

 サル(市原さん)は相変わらず浮かれポンチかましてましたが、それにしてもアハンなDVD観てしごいてるサル見て普通にいつもどおりのテンションで接してるリツコ(芦名さん)というのも大いに普通じゃない気がして参りました。

 あげな我が身に降りかかった大変な(友人にさえ危害が及んでいるというエマージェンシーな)状況の中で凄く滅入っていて。だからこそサルの家に泊めて貰おうとまでしてるのにサルのあの態度を見て私がこんなに大変なのにあんたはなによと取り乱さないリツコというのは添い遂げれば妻の鏡となりうる資質なりや。つまり夫のやることにいちいち口出ししない出来た妻ということなんですけど。それとも本気でこういう奴なんだと諦めているからなのか。でも他の事でも自分の意見を押し付ける感じはしてませんからそういう人であって欲しいと言う願望も含めて多分前者なんでしょうかねえ。

 山崎真美さん出とらしたけどこの後この一件に絡んでこられるんでしょうかねえ。それともそうと見せかけて単にサルと山本(渡部さん)の欲望(妄想)の餌食にされるだけなんでしょうか。そんなこんなでお美しい容姿だけでなく展開上においても惑わす存在なんでしょうか。

 山本もあげな腕力ない平和主義者なのに逃げもせずサル達と騒乱の場に共に向かう勇気は見上げたものでホントいい奴なんでしょうね。山田も男を見せたし。ホントナイスな仲間達ですなあ。

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*店広げる

「作業や仕事を始める・するために場所を取る」・「散らかしてる」といった意味。男女共用。オールドタイプの遠州人が主に使う表現か。

辞書にも載ってるであろうという共通語だが、商売の品物を並べるとかいった商売をする・始めるという使い方に限らず何かを始める・するのにスペースを取っている場合や散らかしてる状況の際にも使われるのが遠州弁っぽいかもと思って一応記載。

「散らかしやがって」という場合には「店広げてまあ(もう・やあ・ほい)」という「店広げて呆れた」的な組み合わせの言い方をすることが多い。

邪魔なんだけど面と向かって言えないので厭味っぽく「店広げてなにやってるよを」とかいう使い方をすることもある。

例文

「あんたさあ。またおもちゃがんこ店広げてもう。はあじきご飯なんだからちゃんとかたしときなさいよを。」

  (あのねえ。またおもちゃ出しっぱなしで散らかしてえ。もうじきご飯なんだからちゃんと片付けなさいよ。)

暫くして

「なによを はあ かたしただ?」

  (え?もう片付けたの?)

「うん。」

「早かったじゃん。ほんとにけえ。」

  (早かったじゃないの。ホント?)

「あれ信用ないだねえ。」

  (え~信用ないんだ。)

「どれえ。嘘だったらぶっさぐるにい。」

  (どれ。嘘だったらぶつからね。)

見回して

「ばかっつら。机の下に押し込んだだけじゃん。なにやってるよもう。」

  (なんなの。机の下に押し込んだだけじゃないの。まったくう。)

「ちゃんとどかしたじゃん。」

  (ちゃんとどかしたじゃないの。)

「かたしなっつったらあ。誰んどかしなっつったよを。」

  (片付けろって言ったでしょ?どかせなんて言ってないでしょう。)

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私は猫ストーカー

 観終わっての率直な感想は、こういのを観てしまうとテレビドラマの軽妙さが愉しめなくなってしまうなと。こりゃ監督に責任とってもらって定期的に作品を供給して貰わないと。豪華な温泉に浸って別世界へ誘われるとかじゃく普通の風呂だけどなんかの素を入れたみたいなちょっとした手の込んだいつもと違う感じでくつろげるという奴ですかねえ。

パンフレットの監督プロフィールの中の一節で

「彼ほど待ち望まれた監督はいない。」

とありましたが分かる気がします。

猫を邪険に追い払ったり餌やりに異議を唱える一派の存在とかを具体的に提示してない片側通行の現実ファンタジーと映るやもしれませんが、敵も悪意も存在しないこの世界感は私大好きです。もっともすれ違い(伝わらない意思も理解されない行動も)が心に刺さる凶器にはなり得てせつないのえということは謳われてますけど。それが人情の妙というものか。

 前置きになりますが普通DVDで観直しした上で感想を書くんですけど(そうでないと漠然と観ているので細かいところが実際と異なりとんちんかん過ぎるので)この映画のDVDが果たして手に入るのか分からないので一回しか観ていないという曖昧な記憶の下で感想を残しときます。

この作品が監督の長編映画デビュー作となっているのですが、鈴木卓爾作品を観たのはこれが初めてという訳ではなく「パルコフィクション」や「ワンピース」をDVDで観てるんです私。原作がドラマ化された「ホミ・ロック」とかも。そういったものから監督の傾向を想像した上で観たのですが、今回は原作・脚本が別の方で尚且つ長編であり土俵がそれとは違うのですが。だからといって別人28号になった訳でもなく鈴木監督らしい息吹を感じる映画でありまして。とまあまずは軽いしったかぶり。とにかく観れて良かった。

 情緒的なのか叙情的なのか象徴的というのか符合的というのか色々合わさってて映画通でなければおそらくよく分かんないだろうってとこが「鈴木卓爾」監督作品らしい気がするだけどどうよってか。直感で物申さば画が凝ってるぞ&ハルが活き活きしてるぞとくらあ。それをばもうちっと細かく書きますがよく分かってないだけにこう思えたぞということの印象の羅列で話しを進めますんでそりゃ思い違いだぞとか話し繋がんねえぞという事もありましょうがそこんとこ何卒よしなに。

 まずもって目に焼きついたのは画。ストーカーしてる際の景色。魂がこもってるとかいうんじゃなくて対象に対しての慈しみというか想いが画に籠もっていたように観えました。それとは違って人を描く際には例えば元彼とハルの電話のシーンみたいに知恵を巡らし創意工夫に凝ったりと全部のシーン息継ぎなしで全力投球してるかのようでありました。それが監督の意欲なのかキャメラマンさんの熱意なのか原作がそうなっているから忠実たらんとしたなのかは知りませんが、かようによりよい画をと気合い満点で画を紡いでいたら長編をば作るに頭爆ぜたりしないのかと余計なお世話になるくらいでした。別に緊張感を与えるような注視せよみたいな画ではなくどこに目線をやってもまったりした息遣いと時間の流れを感じるんで観てる方は全部こんなで勿論大歓迎なんですけどね。

購入いたせし金700円也(ちと高!)のパンフレットを読むと猫を描くには猫がいる環境をも愛でるが肝要なんだろうなと思えてきて、だからここまで拘るのかとふ~んです。それに猫は人と共存している訳ですので猫を追えば必然的にそこに住んでる人達の景色を追うわけですから遠まわしに「人の景色(生活)」を映してもいるということなんでしょかねえ。一度で二度美味しいってか。

おかしな観方でしょうが猫をストーカーして追ってるシーンの方が緊張感を感じて人同士の擦れ合いのシーンになるとほっとしてたんですわ。普通逆なんですけどね。これって猫の世界が未知の世界ですから自分が居住してる人の世界に戻るとほっとしてしまうのかな。だとしたら猫ワールド探検を見事に画にしてるということになる訳で。だとしたら凄いもの観てるのかな。ってそりゃ大袈裟か。取り直しもやらせも困難な画だという撮る側の緊張感とかが映っているんでしょうかね。そりゃプロに対して失敬か。まあ多分映っているハルの目つきの真剣度合いからそう観えてくるんでしょうか。

斜めにかぶいた電柱を背景にふたりが会話するシーンなんかも印象的でありましたがこれってふたりのプチな異様性を暗示でもしてるんかなと勘繰ったりもして。

他にも「紅い」色がキーワードになっていたり何気に突如「意味が深いセリフ」とかがあったりして素人では計り知れないような緻密さがあるんでしょうけど猫は芝居してくれないでしょうから人智を超えた画作りというものと人智の限りを尽くす画作りの両方が存在している映画なんでしょうかね。無論偶然を待ってる訳じゃあなくて猫好きの人が有する道理に沿ったものに拠るアプローチなんでしょうけど。どこまでがドキュメンタリーでどこまでが演出意図に沿ったものかの境界線がわからないことは確かでした。

 エンディングは直接的な解決の提示とかいったものはされておらず。結論を急いたり答えたりしたりはせずに曖昧模糊のままにヒントだけ与えといて後は観る者任せという突き放し方のように受け取れるのですが、悦ですな。メリハリのついた起承転結ではっきりしてる明確な結論と爽快な余韻とかの作品を好む人つまり便所を我慢し続けて最後に大放出して嗚呼すっきりというのを快とするにはどうにも堪らない不完全燃焼でしょうけど、私はピークを高くみせるために谷を深く掘るようなつくりの景色より縦走でその都度軽い走破感を感じる方が好きですし、残尿感のように残る余韻だからこそ自分で想像できる(自分でオチを作れる)自由度がたまらなく心地よく感じます。映画鑑賞の達人レベルの方からすればもっと明確に描かれてるだろ見方が甘いんだよといわれそうですけど私にはヒントにしか思えませんでした。なのでチビトムは旅人となるのかハルと鈴木はどうなるんだとかその他諸々勝手に未来を想像しております。それは書きませんけど。

以前の作品は往々にしてなんのこっちゃいという観てる側がついていけない部分を有していたのですがこの作品にはそういったものは感じられませんでした。気づかず素通りしていったのかもしれませんがとにかく分かりやすかった印象があります。

 星野真理さん。勿論ご本人のことではなく役に対してのことですけど、大変失礼な話しですが私今まで演じてこられたどの役も奇麗とも可愛いとも思わなかったんですがこの映画のハルは可愛いと思いました。今まで観た役では、なんかどことなくそこはかとなく無理してる感を受けまして、その背伸び感がイタイのでありましたがハルにはそういうものがなくむしろ開放感みたいなものを感じました。(ホントは屈託感って書いた方が感情的に近いんですが意味分かんないだろうしと思って)

それにしてもしょっぱなの猫と同じ目線になるために四つん這いの姿勢でこっちにお尻向けた状態で猫に近づこうとしているシーンには正直ドキッとしました。欲情するとか言う卑猥なものじゃなく無防備だからこそ生まれ出るエロスというか間違いなく女性を観てるんだ俺はと。

 真由子(江口のりこさん)には多少オーバーな印象を受けました。といのもハルの住むアパートに写真を借りに行くシーンでの感情の爆発具合は大きかったなあと。あそこまで感情発露しなくてもという印象で。劇的な展開であらば得心のいくものですが日常のごくごく日常の中での異常な瞬間なのですからあそこまで起伏をつけなくてもという気がいたしました。慌てふためく動顚ということと尋常じゃないというのは違うような気がするのですがここでの真由子は尋常じゃない感じでした。なんでそこまで親身なのかなと思うくらいでした。

チビトムの失踪したことと主人(徳井さん)のとある出来事とがごちゃ混ぜになってあたける奥さん(坂井さん)を押さえ落ち着けさせようとする真由子との揉み合いのシーンがこの映画の中では異質と感じたんですがああいう感情のたぎり具合を表現する坂井さんと江口さんは見応えありました。

徳井優さんが良かったな。超普通の人で。煙草吸うかい?のシーンでのハルの問いに応えた返事が印象に強く残りました。別腹みたいになんでもかんでもひとつの線上に思いは連なっているもんじゃないってのはある意味矛盾やプライドとかで悩まずに済ます考えなのかもしれない。

 まとめとかはないですけどまずもっていい映画だったなあ。清々しくさも爽快感も達成感も控えめだけど何かを共有してる感じがしてきて居心地よかったです。

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十月はなに観よか

 そろそろ10月期のドラマの情報を見聞きするようになってきたので観る予定を検討。なんかフジテレビばっか盛り上がりそうな予感。

確定(必観)

*オトメン・秋

 夏でキャラを見知ってさてこれからって勢いなので。無条件で若者固有の馬鹿さ加減が愉しめるから。夏ではマンガキャラに役者さんが準じているという印象だったのですが秋になったらそれに変化が出るのだろうか。なにせマンガキャラって役割分担が明確過ぎて弄られ役は弄られっぱなしで報われることがなくても息していない分気にならないけれど、人が演じると弄られっぱなしってのは悲哀を感じてしまうこともあるんで。

*ライアーゲーム シーズン2

 前作は見ていたけど観たとまではいかなかった。しかしながらものはついでもあろうかということで。

*ギネ

 ユイカが出るそうなので。試練の積み重ねと現状の訴え(問題提起)に終始したら脱落するかも。人はパン(使命)のみにて生きるものにあらずして、毎週光明が見える一話完結的な展開でなくとも何がしかのともし火が窺い知れるものなら。

*不毛地帯

 どこが楽しみという期待を抱いてる訳ではないがこれは見とかないとなにかに乗り遅れそうな気配がするので。重量感がありそう。

確認(様子観)

*東京DOGS

 どのくらい地に足がついているかで興味も変わる感じ。天下の月9だからおそらくは泥臭くは絶対ならないだろうけど浮かれポンチ(人はそれをトレンディと呼ぶ)なご陽気一辺倒だと好みじゃないかも。

*アンタッチャブル

 重量感がどのくらいなのか全く分からないのけど適度なものなら面白そう。

*JIN

 明るい気持ちにさせてくれる物語なら。

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*なによを~まで~せえいくう

例えば「なによを。長野までスキーせえいくう。」

共通語にすると「へえ~長野へスキーをしに行くのかい。」となる。

「そりゃご苦労なことで・大層な」もしくは「呆れたもんだ」というニュアンスを含む感心と「へ~凄いなあ」という驚きを併せ持つ表現。場合によっては「なんだよそれ」という随分といったニュアンスで使われることもある。

別に厭味とか喧嘩売るための表現ではなくごくごく普通に「ふ~ん」とか「へ~」とかいう感情のこもった言い方である。もちろん繋がる言葉によってはいいほうにも悪い方にも取れることにはなるが。

うらやましいという時には(一例)「なによを~まで~せえいくう いいなあや」

皮肉っぽくいう時には(一例)「なによを~まで~せえいくう いいご身分だなあやあ」

男女共用の表現。「~まで」を略す場合もある。「~まで」を略すと「わざわざ」というニュアンスが無くなる。

「せ」と「し」の使い分けは特に無く個人の好き好きか?

する「せえいく」をやる「やりいく」・見る「みいいく」とかに変えても使える。

例文

「なによを。長野までスキーしい行くう このクソ忙しい時にい。」

  (嘘だろ。このクソ忙しい時に長野までスキーしに行くのかよ。)

「悪いだ?この日の為に休み貯めただで。いいらあ別にい。」

  (なんか問題でも?この日の為に休みを貯めといたんだから問題ないだろ?)

「そりゃサボっていく訳じゃないだであれだけど。にしたって随分だと思わん?こっちゃひいひいだっつうに。」

  (そりゃあサボって行く訳じゃないんだから駄目とは言えないけど。それにしたってひどいと思わない?こっちは目が回ってるっていうのに。)

「夏にスキーなんか出来もしんに。」

  (夏にスキーなんか出来ないだろ。)

「地球のうらっかあ行きゃやれるらあ。」

  (南半球行けばやれるだろ。)

「金ありもしんに。」

  (そんな金ないわ。)

「働いて稼ぐだあれ。」

  (働いて稼げばいいじゃないか。)

「そんなくれもしんに。」

  (大して呉れないじゃないか。)

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我がへたれ いと やばし

 観たい映画がある。しかしながら観に行けれない。行けない障壁を私は越えられないで喘いでいる。全て身から出た錆びによるもので八つに当たるところなく如何ともし難くやっきりだわあ。

まず朝、立ち上がれないんだジョー。のように燃え尽きて真っ白になるほど懸命に生きてる訳ではないのだが、夜行性のツケがたまって宵っ張りの癖がおさまらず朝早くに無理くり起きても体がへなる。

腹の下りが止まらない。夏風邪をずうっとひいていてようやくエアコンぶんぶんの季節から解放されて風邪の症状が影を潜めたというに。今度は腹が下るようになった。流石に上映中にちょいと厠へ足繁くという訳には行かず他の方に迷惑お掛けするので気が引けるところである。

 浜松にも「シネマイーラ」というミニシアター系作品と呼ばれる映画を上映してくれる映画館が出来た。曖昧で不確かな記憶だけれど以前から「~を観る会」とかいうネーミングでそういう作品を上映してくれていた記憶がある。で、今度映画館そのものが生まれ変わってそういう作品が常に観れることになったのはとにもかくにも嬉しい限りでありんす。

で、今回特に鈴木卓爾監督の「私は猫ストーカー」という作品を観たいのであります。観たい理由なんぞは子供がおもちゃを欲しがる理由と同じで、あってないようなものですんで省きますけど、とにかくどうしても観たいんですわ。それに観た後じゃないといいも悪いも言えるもんじゃないですから。

10月2日までらしいんでそれまでに腹がおさまり起床が爽やかになることに努力するしかないのですが果たしてどうなることやら。しかも平日だし。でも観れなかったら後悔するだろうなあきっと。

 ところで話し全然変わるんですけど、映画って午前中の思考で観てもいいものなのかしらむと大分前から思っているんですけどどうなんでしょうねえ。まあ朝風呂と同じだと解釈すればそりゃ贅沢この上ない訳ではありますが普通は仕事終わりのひとっ風呂ってのが乙だと思えるんですが。まあすけなくとも自分休みの日なんかで午前中時間があっても映画やドラマのDVDとかを見直したい衝動に駆られたことはないんですけど。っつうか頭起きてねえだろってのが真相なんですがね。

追記

で、結局どうなったかの顛末を申しますと。なんとかかんとか観に行けました。

映画の感想は又別に。良かったですよ。白黒を求めたがる人にはあれだろうけどそうじゃなければあの空気感はいいですわ。

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*みたくして その2

「~みたいにして」と言っている。男女共用の表現。

遠州独特かどうかは疑わしいがよく使う言い回しであることは確かであろう。

例文がすこすこ浮かんでくるのは普段使い慣れてるせいだと思う。

例文1

「どういう頭にせるだ?」

  (どういう髪形になされますか?)

「芸能人の○○みたくして。」

  (芸能人の○○みたいにして頂戴。)

「はっきしゆうけどあんたじゃ芸能人の髪形みたくしても似ても似つかんにい。」

  (失礼ですがあなたでは芸能人の髪形みたいにしてもちっとも近づかないですよ。)

「いらんこんじゃん。越すだでいいだよ。」

  (余計なお世話。越えてみせるんだからいいの。)

「おお!がんばっちくりい。」

  (そりゃそりゃ頑張ってください。)

「まかしょっ。」

  (おう!やるよ!)

例文2

「家ん中パンツいっちょで歩くじゃない!」

「いいじゃんかあ別に家ならあ。オヤジだってそうじゃん。」

「恥知らんだけ?おとうちゃんみたくしてちゃかん。」

  (恥を知りなさいよ。お父さんみたいなまねするのはやめて。)

「ちっとばかのこんでひゃあひゃあゆっちゃかん。」

  (些細な事で口うるさく言わないでよ。)

「ホント物言いまで親子だで嫌い。」

  (全く、言い方まで親子そっくりなんだから嫌になっちゃう。)

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*めえめえん

「目が見えない」を遠州弁で言う場合。

分割して遠州弁に直すと「目が」は「めえ」。「見えない」は「めえん」となる。

しかしながら実際のところは「めえめえん」とは言わず「めえみえん」というのが普通であろう。

これが間に「よを」(よく)とかが入ると「めえよをめえん」とはなる。

と、ここまでは「めえん」の記事で説明した。

「いかいいかかいいかす」(大きいイカを買いに行こうか){いかい+いか+かい+いかす}

「いかいいかかいいいかす」(大きいイカを買いに行かせる){いかい+いか+かいい+いかす}

「そんななあなあなあなあでええだあ」(そんなのはねえいい加減でいいんだ){そんななあ+なあ+なあなあで+ええだあ}

「そんななあなあなあでええだあ?」(そんなねえいい加減でいいのか?){そんな+なあ+なあなあで+ええだあ?}

と言った風に遠州弁は言葉遊びしてるんじゃないかと思える程同じ音が連なることを躊躇しない方言なのだが、不思議と「めえめえん」という言い方にはざらつきを感じる。それでいて「魂胆みえみえ」とかの「みえみえ」は「めえめえ」と言ってもスムーズに受け入れられるからこれまた不思議。

ちなみに意味不明ながら言葉遊びとして

「いかすみいかすいかいいかかいいいかすといかまいかかいまやすいかもや」

  (イカ墨がいかした大きいイカを買いに行こうじゃないか。今だと安いかもよ)

  {イカ墨 イカス いかい イカ 買いい いかすと いかまいか 今 安いかも や}

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とてもとても2009・7月~9月

 NHKでは刑○の現場とかオト○マエとか以前(前シリーズ)観て面白かったドラマの続編が放映されているようですが、最近NHKのドラマは瞬間目に入ってくる時はあっても繁々と観る事はないです。なんでかというとアナログ追い出し作戦が露骨に展開されてるから。民放も同様ではありますが民放は無料視聴ですから文句言える筋合いではありませんのでじゅくじゅくと従うのみです。でもNHKには受信料払ってますんで金徴収しといてなんでこんなことされなきゃいけないんだという想いがあるのでそんなら観ないと。周知なら映画館でのマナー注意喚起フィルムみたく番組始まる前にCmとして流せと言いたい。

ドラマのいいところは別に観なくても生活していく上で特に必需なものではなく、あくまで娯楽として心の安らぎや勇気を補うサプリメントみたいなものですから。そういったサプリメントに不純添加物混ぜてしかも金取ってるというのはホントドラマの世界感ぶち壊しだよな。

最近民放でもドラマ全体の視聴率の低下がどうたらこうたら言われてますけど、もしかしたらこの不純物が影響してるのかもしれません。職場の連中の雑談でもこの表示が邪魔だよなと気になってる人は結構居ます。私だけじゃないようです。特に夜のシーンなどでは異様に目立ちますものね。

 などという愚痴はこれくらいにしておいて、この時期のドラマも順々に終わりを告げました。途中で投げ出したドラマはなく途中から見始めたドラマもなく。猛烈に食い入ったドラマもなく穏やかに過ごせた期間でありました。

*赤鼻のセンセイ

 入院してる子供目線でドラマが展開していったならば面白いドラマだっただろうなというのが正直な感想です。石原(大泉さん)は最後まで何考えてるのかその心根のねっこが分からない不思議さんのままでしたんで移入して観れなかったというのもあるんですけど。何故院内学級が必要なのかとか「命」と「生きる」とは何かとか俺はなにしてるんだろうとかいう葛藤を愛でるなら八重樫(神木さん)視点で物語が進んでいけばそこんところとかが感じ入れたんじゃないかという気がします。言うてもせんないことでありますが。

実際のドラマでの愉しみとしては香椎由宇さんが映えてたなあ。端整な顔立ちが際立っていて役とマッチしてた気がします。マッチなだけに火が点けばカアッと燃え上がるとこが特に良かったな。上川さんは上手すぎてそのへたれ具合が際立ちすぎてたような気がします。仮にも院長先生なんだから医者としては尊敬に値する部分を見せて経営者としてはイマイチというメリハリが観たかったなと。大泉さんは「らしい役」で違和感や無理してる感はなかったんですけど前にも書いたように主役をかき混ぜる役というポジションにした方が良かった気がします。

院内学級という聞きなれない世界を描いている新鮮さはありましたが単なる背景で終始してしまったようでその意義とか置かれている状況とかいった切り口をもっと重要視た方が深みが増したような気がしました。もちろん私の見方がヘボで描かれていたのに気づかなかっただけかもしれませんが。

*コールセンターの恋人

 南極アイスの名取裕子さんが印象に残りました。ミムラさんの声と語り口は確かに本物のオペレーターみたいな感じでリアルな感じを受けました。が、恒に同じ衣装を身にまといボサボサ系の髪形というキャラは冒険といえば冒険なんでしょうけど商品変わるごとに装いも変えてそれを楽しむ人格になりきるって発想で見映えが変化するってのもありだったんじゃないのかと思えました。商品によって客層が大きく異なるのですから求道者(研究者)みたいな青響では分析に終始するだけで欲しい人の気持ちまで判ろうとしないのではとつい思ってしまったものですから。まあその方が不潔感なしに着せ替え人形みたいに楽しめたかもなと。それに間借りしてるのがあの何でも揃う「なんでも屋」なんですから。

苦情処理を通して人と人のふれあいを感じた時が快だといっていたけどそういうシーンよりも売らんかな主義の犠牲に陥った不幸な身の上というイメージが強く残った気がしますです。それをみんなで片寄せあってしのいでいくみたいな。

*官僚たちの夏

 TBSの製作意図が官僚批判というものであるなら見事にその趣旨を全うしたかのようなエンディングでありましたが、主人公達の生き様を愛でるのが普通の観方でありましょうからそういう意味ではなんじゃらほいな感想でありました。

登場人物の中でその生き様に心動かされたのは池内総理(北大路さん)くらいでしたかねえ。今回の役柄に限らずパワーゲームを表現させたら北大路さんの輝きは凄いよなあと改めて感じ入りました。

*ブザー・ビート

 15分拡大で最終回を迎えたと言う成功の評価の下に大団円で幕を引いたドラマでありました。直輝と莉子は初回から出逢っているけれど、何故だか想いのすれ違いの期間が長く、覚悟を決めた後の蜜月の期間がとても短く感じられてしかも約一年という期間でのお話しでしたのでイメージとしては燃え上がる恋という勢いに感じました。男同士のやりとりは非常に薄味で女性の描きが丁寧と推察され本来は男の私が観るべきものではなかったのかもしれませんが結構楽しめました。

やっぱしほりんがいいというのと山下さんはハズレなしというか。役選びが抜群なのか役を引き寄せる力が抜群なのかは分かりませんが。

*救命病棟24時

 今回ははしょった印象がありまして同じポンポン乗りとしては致し方ない理由によるものとはっきりしてそうですからより次に期待という感じです。

それでもドラマはこれで終わりではないという意識があるから、医療の最前線で俺たちは頑張るから後方支援を頼むと荒海に出た澤井を見送るというつまるところ問題提起で何も現状は改善されていない結末であっても次はどう変わっているのだろうという気持ちでいられるところがありますな。全11話で全てを詰め込む必要がないからこそじっくりと腰をすえて観られる安定感を感じます。

私は定番看板評判と三拍子揃ったようなドラマはへそ曲がりな性格上観ないんですけど。これだけは毎シリーズ愉しみなんですわ。

個人的には家庭を持ったうえで頑張る進藤先生と小島先生を観たいよなと。もちろん二人が夫婦にとかいう意味じゃないですよ。でないと自己犠牲の上で仕事してるというイメージがどうしてもつきまとってしまいますから。

*華麗なるスパイ

  物語は荒唐無稽で無形文化財に指定されるような感動に震えるものではありませんでしたしコメディと割り切って見るにしてはシビアな部分も付加されていてある意味中途半端かなと正直思いました。

それでも観てたのは、役者さんがよかったから。長瀬さん・深田さん・柄本さんががんこよかったなあ。こういうギャグとシビアの両方をひとつのキャラで演じて破綻しないのは長瀬さんくらいしか思いつかなく、この役は長瀬さんでしかイメージできなかったです。深田さんはもうお人形さんみたいに可愛くてホントよかったです。柄本さんの役は狂気を含んでいるからということもあり板の上のお芝居を観てるかのような気にさせる程大仰かつ大胆なお芝居であったんですが惹き込まれました。

杏さんは初めて観たといっても過言ではないのですが、そのひょうひょう加減が印象的でした。

*働くゴン!

 単発ドラマをどうたらこういたら言うのは私にしては珍しいんですが、これは面白かったんで。華麗なるスパイと同様仕事中と家庭でのギャップが半端なしなぶっとんだキャラでありましたが篠原さんが演じられ違和感なく楽しく観れました。どっちも懸命さがしっかり映ってたところが良かったな。子供が持つ憎たらしさといったものがなく観れたのも良かった理由でありましょうし。とにかく印象深いドラマでありました。

 猿ロックとオトメンはまだ続いているのでまだ振り返っての感想はなしということで。ちなみに両方とも好きです。

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*ちょっくら

最近は死語化しつつある感じのする「ちょっくら」。まあ全国的に通用する表現でこれを遠州弁の中にいれるというのは無謀なことではあるが。

大雑把に訳せば「ちょっと」という意味使いであろうか。最近は「ちっと」・「ちいと」が替わってよく使われている気がする。なので今はどちらかというとじじばばの言葉というイメージがする。年配の人はよく使ってたなあそういえば。

その他の意味として(ネットで検索してみたところでは)「少し」という意味とも説明されているところがあったけれど、「少しの間」というなら分かるけど「少々」とかいった意味はないので、地域によって違いがあるんだろうか。うちのとこではあくまで時間の経過の短さを表わすのみで「少し」という意味で使う人はちょっくら見かけんけどね。

この表現の効能は「戻ってくる」というニュアンスが多めに含まれるところであろうか。「ちょっくらいってくるでね」だと「行って戻ってくるからね」という風に聞こえる次第。それと「ちょっと」だと「すぐに」みたいな大して時間を要しない感じに聞こえるが「ちょっくら」だと「ほんの軽い気持ちで」とかいった気負っていないということを感じさせる。そして「ちょっくら」には「すぐに」という印象は薄く時間が掛かるような場合にも使われる。

よりハードにするなら「ちょっくらちょっと」

「ほんのちょっくら」とかいう使い方があったかどうかは記憶にない。

記憶にあるのは「なんしょちょっくら」とか。

例文

「なんか外んきぜわしないやあ。なにんあっただかいねえ。」

  (なんか外が騒々しいねえ。何があったんだろ。)

「わしん ちょっくら いって みて こすか。」

  (自分ちょっと行って視てこようか。)

「駄目だよあんたじゃいったっきりで戻ってきやせんくなるだで。」

  (駄目だよあんたじゃあ行きっぱなしで戻ってこないんだから。)

「失礼しちゃうやあ。戻らんかったことありもしん。」

  (随分だなあ。戻らなかったことなんかないじゃないか。)

「あんたのちょっくらって人と違いすぎるだよ。」

  (あんたのちょっとは長すぎる。)

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オトメン・夏 その8

 一応これにて「夏」は終わりを告げ実りの「秋」へと移り変わるんでしょうか。

こういう終わり方はなんかいいなあ。勝負の行方なぞ蚊帳の外で、そこに至るまでの過程を重んじるってのはなんか快でした。

もどかしさが滲み出ていてつい飛鳥(岡田さん)を応援したくなる感じで観てますが、それにしてもりょう(夏帆さん)の頭の中は思ふ心ぞひとつとも、此処まで来ると天然か?と感心するほかなく。いやはやなんとも。目出度やな。いやさまさかの宇宙人?

しかしながらりょうの誕生日は波乱に満ちたものでありました。これくらいだともう一生心の残る誕生日になったんじゃないのかな。よかったねと素直に言ってあげたくなる感じでした。まあ頓珍漢というか鈍さは特筆すべき物がありますが。

白の剣道着姿は奇麗でしたなあ。

 希望を述べるなら、この回そっくりさんが三人登場したわけですけれども、りょうのそっくりさんも登場してその娘は普通の女子高生であるけれどやっぱりょうがいいやと改めて思う飛鳥であったとかいう図柄が観たかったなあ。

この回のパロディはモロ太陽に吼えたと某映画の二本立てだったんでしょうか。教室から磯野逃亡せんと謀るの図は、引っ立てるるの有様をスローを駆使してまで綿密に描く程の話しでないだけにそういった豪華な画作りと内容のなさのギャップが堪らない魅力ではありますな。まあ強引にも程あってこの教室でお別れをするなんて想像か妄想の世界しかねえだろうとつい思うくらいありえないシチュエーションであったとこがちと辛いところではありましたが。まだ他にもパロディありそうでしたけど私の知識では追いつけません。そういう意味では結構深い作品です。そもそも磯野というキャラそのものがパロディなんだろうか。

お約束のシーン。雅(桐谷さん)の嗚呼「よろしくてよ」のシーン。雅だけの勘違い?だけでなく多武峰(木村さん)が参入したことにより益々面白さが増した勢いで楽しいです。三人ともまったく人の話を聞いていないという図式は面白いです。だからといって雅と多武峰がお下品でな表現ですが「くっつく」ってのは安易でブーイングなのでずうっとこの関係が続いて欲しいなあと。

りょうのお父さん役の高田さん。思っていたより重要というか二人の関係に大きな影響力があるから出番が多くて意外でした。しかも役者さんとして違和感を感じないというのも大変失礼ではありますが意外パート2でありました。「秋」でも引き続き登場されるんでしょうかね。磯野の出所祝いでの超強引さは迫力ありまして役者一筋ではなかなか出せない味だよなあと思いました。

 とりあえず「夏」はオトメン開花と二人の出会いが主でオトメン撲滅との格闘という構図はそれほど描かれていませんでしたが「秋」ともなればそういったものも描かれるようになるんでしょうか。

他にも漫画にされてるのがばれたらどうなるのか・飛鳥と多武峰との関係はとかりょうと雅との関係はとかアホなクラスメートとどんな学園生活特有の馬鹿をやるんだろうかなどなど色々あってどれも膨らませられそうな勢いがあって幅が広いよなと思えます。

とりあえずの一番の興味は至極当たり前ですけどりょうは飛鳥の事をどう思っているのかという点でしょうかね。飛鳥の未来予想図はなんとなく想像できるんですけど、りょうの思い浮べる未来予想図が全く想像つかないもので。まずはどのくらい距離が縮まるのかということでしょうかね。

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*けえ・けえがVSだん・だあ

「それはまあそうなんだけど」という言葉を遠州弁にすると

「そりゃまあそうだけえが」と「そりゃあまあそうだん」

次に「これをやるのか?」だと

「これやるだけえ」か「これやるだあ?」

という風になる。ニュアンス的にはほぼ大きな違いはなく使い分けとかもなくどちらの言い方を使うかはその人次第という感じであろうか。

出所は勿論確かではなく全て勝手な想像で根拠は無いが「けえが」は掛川方面っぽく、そちらの言葉のような気がしないでもない。「だん・だあ」は浜松の旧市内とかで使われていたのではと想像した場合天竜川を挿んでが境界線だったのだろうかという説が考え付くのだが、実は旧市内でも「け・けえ」は使っていたので非常に嘘臭いので分類は無理であろう。。

まあとにかく今はしのぎを削って勢力争いをしていなくもないかなと。勢力図でいったら今私の周りでは「けえ・けえが」派が攻勢中かな。

でも、「だら・だに・だで・だあ・だん・だだ・だの・だと・だて・だな・だね・だや・だよ・だわ」とかで統一性があって説明するに楽なので「だん・だあ」派が主流になって欲しい気はするだん。

例文

「明日仕事しい来た方がいいだあ?」

  (明日出勤した方がいいのかな?)

「どうだいやあ。いちおー非番じゃなかったっけえ。」

  (どうだろうね。一応非番じゃなかったっけ。)

「そりゃあまあそうだん。忙しいなら来るにい。」

  (そりゃあまあそうなってるけど、忙しいなら来てもいいよ。)

「来てくれりゃあ嬉しいだけえが。休まんと体おやいちゃかんでなあ。」

  (そりゃあ仕事してくれれば有り難いけど休まないで体壊されてもなあ。)

「まあなんしょ午前中なら電話してくれりゃあくっでね。」

  (まあとにかく午前中だったら電話してくれれば来るからね。)

「はいね。」

  (うん分かった。)

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