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「チャイ飲む?」を読んで

長澤まさみ著「チャイ飲む?」を読んでの感想です。インドでの出来事やそこで想ったことを綴っているだけでなく普段からの心がけみたいなことも書かれていたように感じました。

帯びにも謳われてますけど「紀行写真エッセイ」で、写真撮影は山本絢子さんと記載されてます。普段から写真集とかは買う趣味がないので写真に関してなんか感想述べる知恵がないのでそれについては省くとして。しいて述べるなら芝居してる時よりもいい顔してるなあと。

文章のほうは長澤まさみさんらしい文章と思えます。ゴーストライター若しくは人気商売ゆえのチェック検閲という名の推敲を重ねての差し障りのないものになってるかというとそうでもなく結構原液のまま文字になってる雰囲気があります。なので公人「長澤まさみ」というよりも一個人(私人)長澤まさみさんの文章という勢いがあります。

別にカミングアウト的なことなぞ書いてある訳ではないのですがそこはかとなく人となりが読み取れそうな内容であると共に、これは個人的な感想なんですが文章の構成とか言い回しとかいったものがとても普段っぽく感じるのです。ある意味普段使いの遠州弁的表現に、お外に出ても恥ずかしくないようけっこい服着せておしゃまな表現に着せ替えたみたいな。なのでこの書かれている文章を遠州弁に変換するのに苦労せずに変換できるかもという気がしてくる程身近な表現に思えるのです。

もちろんだからといって遠州弁に変えるみたいなおちゃらけこいたらぶっさぐられるでしょうから止めときますけど。とにかく読みやすく伝わりやすかったことは確かです。で、印象に残ったことを以下に。ただし元が長文ではありませんので列記すると内容写すようなことになってしまうのでどこがどうという書き方ではなく漠然とした書き方をします。(まあ私の漠然独善は今日に限ったことではないですが)なので本を読んだ方しか分からないのであしからず。

「女優」という表現。女優の定義とかがあるのなら是非とも知りたいところですが私はあまりこの言葉が好きではありませんです。なのでいつも役者さんという表現を使うのですけれど長澤さんの女優という言葉のこの解釈は新鮮でしたなあ。でもインドの途中で改心されたとはいえ思ってることとやってることに矛盾があるよなあと。ご本人はそれを成長という言葉でまだ未完成だからと述べてられましたが。そう考えるとまだ「女優」を名乗るには早くないかい?と思ってしまいますです。別に悪口を言ってるつもりはなく、じゃあ何を以って優しいと言うかをもう少しはっきりして欲しかったなあと。

直接表現されてるわけではないのですが、多分出不精。しかも仕事じゃない時は、誰かに合わせる付き合うのを得意としないタイプ。しかも外に出るにはよいやさと自分に勢いつけないと出れないタイプのお人のように映ります。充足の時間を「平凡」と表現されてますが平穏とか安穏とかいった心が穏やかという表現の方が私的にはピンとくるんですけど違うんでしょうかねえ。なにしろ自分が平凡だなんて想ってる人なんかまずいないでしょうから。職業柄ご自身が平凡ではないと言う自覚がおありのようですけれど普通の職業に就いていたところでみんなそれぞれ何かと闘って生きてる訳ですから。役者さんをされる上でどんなものと闘っていてそれに打ち勝とうとしているのか。それをしなくて済むことが平凡ということなんでしょうけれどそれがなんなのか私は読み取れなかったです。

いつも最悪を想定して事に望むそうな。そうすれば現実ではそこまで悲観するようなことは起こらないから乗り越えられるものだと。私もA型人間ですから物事をまず悲観的に見るのですが、経験が蓄積されていくと下手に先が読めてきて悲観(予想)したとおりに物事が進んでいってしまって明日がしんどくなってきてしまいます。役者さんは現場から現場を渡り歩く稼業ですから毎日が恒に新鮮なのでしょうから私みたいな繰り返しの毎日とは違って正論なんでしょうか。

母上に人前とかでゆうちゃかん(言うな)とどんじかられた(強く叱られた)夢があるということで締められてます。その夢の中身を語られることはありませんでしたがいまも持ち続けているそうな。どういう夢かと詮索してもせんなきことゆえしませんが。「頑固」というワードははまりそうですな。

さすがに歳相応の文章という印象というか、結論を急いで出すことなく素直に今の心の持って行きようを表現されてるように思えました。あまりにも正直すぎてもっと大人になって生き様が固まってきたら将来と今が合致しない心持ちとかが生じそうですけど決して嘘じゃないから変わった(大人になった)で許されることなんでしょう。

とにかくインタビューを通してでなく自分の言葉で表わされている印象なので心情は伝わってきますです。価格は1.400円+税という事を考えると「ガンバタ」及び「長澤まさみ」のいづれかに興味を持たれた人でないと「高!」と感じるやもしれません。私は両方興味ありますんでOKでしたけど。

そういえばこの本の出版において大々的な宣伝活動されなかったらしいのですけれども。滅多にないイベント(インド紀行)だから記念と宣伝も兼ねて商売として本を出したという感じではなく思いの丈を素直に書いた心情を残そうといったメモリアル的な感じがします。多くの人に読んで欲しいというよりも自身の為に作られたみたいな印象で、だから出版記念のイベントとか行なわずこじんまりと発売されたのかなと勘繰ってしまいました。

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ラブシャッフル その2

意外性が売りなんでしょうかねえ。さえない逆玉の輿が実は万能ヒーローだったとかいう。前半はボケの連続で今回は徹するのかしらむと思っていたらああですもんね。格好いいとこあるんだあと。逆玉に乗れる素養は確かにあるなと。芽衣(しほりん)の人を見る目も間違っちゃいないんだなと。でもそれ(今は輝いていないという事)を本人に指摘することが出来ないのはなんででしょうかねえ。自分といると彼の本来の姿がかき消されて小さく縮こまってしまうという怖れがあるのでしょうか。

意外性といえば豪勢なマンションで通路にテーブル置いてくつろぐって光景も意外でしたなあしかも意外と和みの温かい印象を憶えます。いきなりなんで急にこんなにお互いの距離が縮まるんだ?はしょり過ぎだろうというツッコミしたくなりますが、穿った見方をすればそれだけみんな渡りに船でそれなりに淋しかったのかなとも思えますですな。結構予想を覆してくれますです。もっともラブシャッフルとかいうことそのものがぶっ飛んでますからそれに比べたらという勢いではありますが。

逆に予想してた通りなことといえば男女間のえぐさですか。確かに相手が変われば自分の見せる部分も変わるという側面はありますから様々な角度からそれぞれの登場人物達の人となりが伺えてくる訳ではありますが。それにしても初めて会ったその日からみたいな性急な男女の距離の縮まり方はゲームなんでしょうけれども違和感を覚えますです。まるでレトルトの恋とでも評しましょうかレンジでチンしてもうほっかほかになってるみたいな。期間限定だからじっくりごとごと煮詰めてくような間は確かにないでしょうけどね。

下手すれば快楽の追求ともとれてしまう危うさがある領域スレスレを飛行してるようなもんで脚本家さんの操縦技術が問われるんでしょうね。そう思ってしまうのも人妻が参加しているからなんでしょうか。背徳の匂いがともすれば漂ってきそうな危うさを伴っている風に映ります。すっきりメンバー構成をオール独身にされなかった意図はどういうところにあるんですかねえ。恋愛の種類は幅広いということを謳う為なんでせうか。行き着くところは恋愛の成就ということではないのかも。

自分探しというか見えなかった自分発見ということと相手のことをより深く知り合うというのがこのドラマのテーマなのかなと薄ぼんやり思ってたんですけど。それぞれのキャラが映えてるものだから、単純に啓(玉木さん)と芽衣(しほりん)の復縁を周りが形は歪なれど応援するといったものではないように思えてきました。存外それぞれ平等に描いていかれるんでしょうねおそらくは。まあ結論に至るまで艱難辛苦の様を愛でてもしんどいだけですのでお気楽主義の私としましては毎回それなりにほんわかする展開であってくれたら楽しいかなと思いますです。

それと謎解きばかりで頭使わないとついてけないドラマが多いこのクールの中において謎らしい謎もなくシンプルに今起きている事象を愛でていくってのも他との比較ではありますがホッと一息できる感じのドラマです。対象年齢が低く設定されてる訳でもでもなく洒脱が効いててそれでいてそれぞれに悩みを抱えている多面性も捉えていて。気の利いた会話もまだ続いてるし。なんか粋を感じますです。

それにしても役者力それぞれ皆さんありまんなあ。特にお気に入りはやっぱ諭吉(DAIGOさん)ですわ。海里(吉高さん)と居た時の身の置き場のなさ加減と啓と出合った時のほっとした安堵のにやけ加減のメリハリが今回は印象に残りましたです。愛瑠(香理奈さん)と旺次郎(松田さん)との撮影のやりとりとかも心の刃がせめぎ合ってるような緊迫感が徐々に膨らんでいく様が迫力ありましたなあ。旺次郎のアフターフォローの仕方もいなせでした。それに香理奈さんモデルもやられてるだけあって絵になってたし。あの写真松田さんがホントに撮られたんでしょうかねえ。正人(谷原さん)も朗読という声の良さを発揮していたし。それぞれの役者さん本人が持つ特徴を使えるものはなんでも使っちゃえって勢いでしょうかねえおいしいです。役ありきではなく役者さんありきで人物設定されてるかのようにすら映ります。

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*ぶっさぐられる

直訳すれば、ぶん殴られると言う意味。

「ぶっさぐる」が「ぶっ叩く」という意味でそのやられる側の表現。

喧嘩とかでの殴った殴られたで使う場合もあるが、どちらかというとお仕置き系な怒られるというニュアンスが強い場合で使われることが多い。

なので「注意される」と訳した方が意味的には合ってる事が多い。

以下は憶測であるが、ぶっ飛ぶ・ぶっ放すみたいな使い方の「ぶっ」と「さぐ」又は「さぐる」で構成された言葉であろうかそれとも「ぶつ」(叩く)と「さぐ」の合体なのか。「さぐ」が古語辞典にある「下ぐ」であるとするならば「強い剣幕で(又は叩いてでも)下げる・退かせる」という意味であろうか。つまり強制的却下・是正みたいな。

ただし「ぶっ」無しで「さぐる・さぐられる」という使い方はしていないので多分にうそ臭い憶測ではある。(追記09/03/16 「もうっぶつにい」という記事で別の解釈案を出しました。もちろん憶測であることに変わりありませんが。)

例文

「まあたそんなしょろしょろしとると班長にぶっさぐられるにい。」

「来たらそん時気合い入れりゃあ済むこんだあれ。年がら年中気合入れ捲くりじゃあ疲れちまわあ。」

「視野ん狭いだか?後ろに班長おるにい。しかも腕組んでこっち睨んでるにい。」

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ありふれた奇跡 その3

この二人の光景は誠(陣内さん)やお父さん(風間さん)じゃなくともそう思うよなあ。こういうのをデートとは呼べないにしてもお付き合いと呼ばずしてなんというのだろうか。そうだと認めないのは心のどこかでブレーキがかかっていて認めたくないという理由があるのでしょうか。そしてそれは加奈(仲間さん)の自殺しようとした理由なんでしょうかねえ。

翔太(加瀬さん)の方はというと、営業の悪夢。これはホント切実で他人事の話し(苦悩)ではありませんです。営業成績の為に人格否定をも迫るのが正しいことなのか。発破をかけるという言葉の取り違えをしていないか。

様々な職種で専門化や特化していくには道具や環境に人の方が合わせるとかみたいに人間の方が変化していかなければならないものでありますが、営業の世界については行き過ぎてないかという疑問がありますです。営業成績というものに対して。

上手くいってない時、本当に必要としてもいない人にさえもその気にさせてといった営業をかけてでもとにかく実績伸ばそうとする強迫観念に追いまくられることは正しいのかということが疑問です。そこからはやはり爽快感や達成感は得にくいのでは。そりゃもちろんありもしないもので金を掠め取る詐欺や恐喝なんぞよりは至極全うな行いでありましょう。後ろ指差されることでもないでしょう。

武家商法という古い表現みたいな客は来るもので売ってやらんかなみたいな横柄がいいとはもちろん言いませんけど、合法の範囲内で押し売りするようなところまで今の営業って追い込まれていなくはないか。そう思える程のノルマという名の重圧に潰されて相手を思い遣る余裕すらもなくただ売ろうとしてはいないか。真心とか誠意ってなんなんですかねえ。買ってくれるまで諦めないというのが誠意なんでしょうか。優遇措置を講じるのが真心なんでしょうか。

普段から営業にはそういう思いはあるのですが、それ以外にも人の能力には得手不得手というものがありそういう能力を引き出し適材適所で使うのが会社の発展に繋がる筈なのにそういう見極めをしないでとにかく部署に配属させて見極めることなく改造に着手するという会社側の手抜きという人を育てる気がないという側面もあるのではと思います。せっかく育てても転職しくさるから即戦力を求めて何が悪いという両者共の泥仕合なんでしょうけど。

そんな風に普段からなにかと矛盾感を抱いていることに加え、翔太の自分が情けなくてという思いに駆られる気持ちが理解できてホント我が事の様に身につまされます。上手く転嫁というか、自分がまだ可愛く相手が憎く思えてそれをなんか全うな手段で鬱積した気持ちを晴らせていければいいのでしょうけど自分自身に直接全て被ってしまうと確かになかなか絶望とかから抜け出せないものであります。居場所がないから切なくて負の方向に全てが転がっていく気分になるのも分かるような気がします。

それに輪をかけて加瀬さんのお芝居がまた切実でえらくリアルでホントに自分にもその想いが乗り移ってきたようでどよよんな気分です。前回自殺を試みた人達ばかりでどこが「ありふれた」なんだとツッコミいれましたが翔太に関しては確かに普通の人が抱える苦悩を経験したんだという誰にでも起こり得そうな「ありふれた」切実さを感じました。でも加奈にあそこまで自分をさらけ出す勇気ってのはどこから湧いてきたんでしょうかねえ。やっぱ「愛」ですか?深くにも。

そもそものこの回の前半部分で、陣内さんの狂気じみた演技が迫真過ぎたので観ていてチャンネル変えたくなりましたです。直視することなくやり過ごそうかと。

でもまあなんとかその難関をかろうじてクリアしたと思ったら翔太の訳ですもん。今日はなんか観てるこちらも救われない気分になりました。翔太はいいですよ加奈がいますもん。翔太はこれで心が晴れたんでしょうか。というかふっきれたのかどうか。お母ちゃんとは明るくしてましたから一面クリアなんでしょうかねえ。

私が以前勤めてた職場でも「鬱」と診断された人がいました。暫く休んだ後復帰してきたんですが、誰に言われたかはっきり記憶してないんですが「大丈夫?」と声をかけてはいけないと。ふ~ん分かったって返事だけしてどうして?って聞かなかったので正解の理由は知らないんですが。そう言われた事がプレッシャーになって自分は大丈夫じゃないと思われてるのかと不安になるからなのかなと勝手に解釈しました。

翔太を見てるとそういやあそうだったなあ「鬱」を患った人と接するのには配慮という気を使ったなあと思い出しました。そういえばのそういえばで、翔太のじいちゃんもお父ちゃんも翔太に対する気遣いの仕方にそれに近いものがあったっけと。種を明かしてくれてなかった前回まではよそよそしい家族だなと感じてたんですがそうじゃなくて家族としての気遣いから労わりではなく励ます配慮をしてたんだなと気づきました。深いです。あったかいです。

しっかり見直せばいくらでもそういった深さを見つけることが出来そうですがなんかこの回は私どよよん感から抜け出せてないのでどうも見る気が湧いてこずでありました。なので大分とんちんかんな感想になってるやもしれませんが勘弁してつかあされ。

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*ずるっけえ

ずるい(狡い)なあという意味。普通は「ずっけえ」という場合の方が多いのだがこういう表現をする場合もある。

狡賢い(ずるがしこい)というニュアンスの方が強く意図的にずるいことをしてる感じになる。

「ずっけえ」は偶然とかたまたま運の違いを嘆くみたいな偶発的なものにブーたれる感じで根に持つことも無い明るい印象であるが、「ずるっけえ」は後引く陰湿さが残る印象になる。

したがって共通語に訳すと「ずっけえ」は「なんだよーそれ」、「ずるっけえ」は「きったねーなあ」という表現が近くなる。

「狡い」(こすい)との違いは「ずるっけえ」の方が多少明るく「こすい」の方がマジという感じである。

したがってずるいと本気で思ってる度でいうと

「ずっけえ」<「ずるっけえ」<「こすい」

ということになる。これに「きったね~」とか「ひどいじゃん」・「なんだよそれ」とかいった表現を含めると収拾がつかなくなるのであるがこの手の表現にはことかかないのは確かである。

「ずっこい」と「ずっけえ」とは微妙に違うのだがどう違うのかは検討中。

例文

「あれえなんで焼きそばパン食えてるよお。」

  (あれ?なんで焼きそばパン食べれてるの?)

「4時限目の体育早く終わってくれたもんで着替えんとちゃっと食堂飛んでってチャイムと共に買っただよ。」

  (4時限目の体育が早く終わってくれたもんだから着替えなしにそのまま急いで食堂に行ってチャイム鳴るのと同時に入って買った。)

「う~ずっけえ。フライングだらあ。」

「きっちし時間守ったもん。わしなんか可愛いもんだにい。○○なんか用具仕舞い行くっつって仕舞い行く前に食堂行って鳴る前にチョコとクリームのコロネ両方と焼きそばパン買ってえ、ほんでから用具仕舞い行っただもん。」

「どずるっけえらあ。なんだよそれ。あり?」

「ありじゃねえだよそれが。めっかったもんで今職員室で正座こいてる。」

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堤監督が来静されとらした

そういえば昨日(1/21)の話しではありま駿河、静岡○ごとワイドに堤監督が出とらした。(ま、録画したのを見てるんですけどね。)

日本一忙しい監督と評されるお方が「20世紀少年第2章」のプロモーションでこないな地方局を巡られるというのは驚きと言う他ないような気がします。正直そこまでせんでもお客さん来るだろうにと思うのですが、手を緩めないプロの凄みなのかこの映画に関わっていたいという作品に対する愛情なのかそこいら辺はよく分かんないんですがとにかく伝えたいと言う覇気は伝わって参りました。

驚いてばかりもなんですのであれなんですが。午前中から静岡にお越し為されてたと言うことでなんかイベントとかがあったんでしょうか。ずうっと様々なインタビュー漬けでしゃべりっぱなしとのこと。

「壮大な学園祭。」集まったエキストラの数総勢16.000人。スタッフもキャストもエキストラも20世紀少年大好きが集ってこの世界観を作り上げたという表現でありますが、そのさりげない言葉が印象的でした。エキストラだと時には役者さん目当てとかいう邪まな動機で集まるというよりたかるような集団とかもあったりして、そういう集団が実際に画になると不自然で作品自体げんなりしたりする時があるのですが、この映画は作品のためにということで邪心がなさそうで期待出来そうだなと思えました。

今回は非常に小気味いいテンポ感を意識されたと言うことでありますが原作10巻分が詰め込まれていると言う濃密な内容だそうであります。

原作とも少し違うオリジナルな部分も存在してるとのこと。

最後に監督から謎めいたメッセージ、「声に注目。」。なんなんでしょうね。

大体11分程のご出演でしたがまだまだ伝え足りないかのような熱意が感じられて作品を作り上げた手ごたえというものが伝わってきましたです。

平愛梨さんも共に出演されておられました。

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*こんぞう

愚息という意味。自分の息子の謙称の表現。娘の場合は「むっすー」ということが多い。

他の言い方では「がき」・「がきんちょ」という男女兼用の言い方がある。

基本自分の子供を指すのだが、他人の子供に対しても使う場合がある。その際の意味は馬鹿にする場合とか、けなす・不満を述べる等いい使い方にはならないので注意が必要である。

例文

「日曜ゴルフ行かん?」

  (日曜日ゴルフに行かない?)

「いやあ日曜はうちのこんぞうのサッカーの試合あるもんで送り迎えしんとかんもんで駄目でえ。」

  (う~ん。日曜は息子のサッカーの試合があってね。その送迎しなくちゃいけないんで駄目なんだ。)

「うちんとこのむっすーもなんかあるらしいけどわしとんじゃかないにい。」

  (うちの娘もなんかあるらしいけど気にした事ないよ。)

「あとでもめんだけえ。」

  (後でひと悶着起きないの?)

「うざいでこんでええっつわれてるもんだで。」

  (うっとおしいから来ないでって言われてるからね。)

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キイナ・不可能犯罪捜査官 その1

15分拡大で始まりましたキイナ。真のタイトルは長いので以後「キイナ」と称させていただきます。とにかく面白そうです。

で、まあ凄いキャラですねえキイナ、こういうの好きですわ。漂う茫洋感が逆に頭脳明晰を象徴するかのようで頭の中が回転しまくってるぞという迫力がありました。確かにあれなら糖分補給に励むのも分かるような気さえしてきました。周りを気にしないということではなく自分自身のこととか自分が他人にどう思われてるのかとかは判らないという灯台下暗し的性格でもあるようです。

そしてもっと強烈なインパクトがあったのがあの面食い度合い。明らかに人とは違う視点を備えているというのがよく伝わる気がします。でもなんとなく納得ではありますな。あんだけ目に入ってくる情報が頭の中を駆け抜けていたら家では癒しを求めたくなりますものね。絶対喧嘩とかには発展しそうもない二人に見えるので、食べ物と一緒で本当に必要なものがおいしいと感じるということと同じなんでしょうな彼氏の好みも。もしイケメン好きだったらうわっついた感じになりますもんね。ホントに心底癒しを求めてるんだろうなというのが伝わります。

そんなこんなでキイナというキャラはぶっ飛んでいて見てるだけでも面白そうです。それを演じる菅野さんですがともすれば働きマンと見比べてしまいがちになる目線が私にはありますので、そう見せないためにも脱力系のキャラで推し進めていって欲しいものです。それにしても頭脳に溜め込む知識量の半端ないこと。容量オーバーで頭が爆ぜつしてしまわないのかと心配になる勢いです。

んで、周りなんですが、小池栄子さんが若いけど組織のお袋さん(理解者)的存在でどしっと安心させる役どころなんでしょうけどキイナとの関係が上手く機能してそうに映っていますです。しかもきゃんきゃん噛み付くバリバリの他の刑事にも一目置かれてそうな雰囲気もあって草刈さんとは別な種類の大黒柱という感じがしてきますです。

沢村さんはキイナに対してどういう心持ちなのかまだよくわかんない部分がありますです。ライバル視なのか頼りにしてる存在なのかうざいのかとか。一瞬働きマンを彷彿してしまうのではという危惧も観る前はあったんですが、そこはねえ、まあもう少し馴染まないとなんとも。

ひらっちはすかされる役がやはり上手いです。今回もキャリア(優秀)でありながら意気揚々と現場に来るという大志を抱いて赴任してみれば配置された場所はなんだそりゃ?ですから。初回で早くも白旗揚げ兼ねない雰囲気でしたがまだまだ俺は出来る人なんだというプライドを崩さず無謀にもキイナと丁々発止して貰いたいところです。理解者にはもう小池さんと草刈さんがおられますからそういう役どころはもういらないでしょう。かといって小間使いのように動き回る刑事達のようにキイナを小馬鹿にするような反キイナ色というのでは困りますんで表は批判中身は理解といった矛盾を抱えそれが整理できなくてあたふたするような迷走キャラになって欲しいなと。

刑事ものということで事件の謎を解くという点につきましてはこの回はコロンボ風に犯人が分かっていて追い詰めていくという展開でありましたがこういう展開で以後も進んでいくのでしょうか。質問の仕方もコロンボぽかったせいもあるんでしょうけど。まあ、不可解な現象とかトリックとかそういう類につきましては私は疎いのでただ黙して愉しむのみですのでどうのこうのはありませんけど。

何故刑事をということについては、罪を憎み犯人をのさばらせないという想いよりも被害者の側の心に応えるという姿勢のように映りましたがはてさてどうでしょう。案外珍しい刑事としての心掛けのように思えます。刑事になった理由とかはいつか語られるんでしょうか。至った経緯に興味が湧きます。

まだ各キャラの紹介的要素も大分ありましたんでえらくスムーズに物事が進んでいったようにも思えましたが来週辺りから腰が据わったらこのテンポ感がどう変わってくるのでしょうか。今回はちょっと駆け足っぽく感じたんですが。

よく分かんないのは他の刑事さんがキイナを小馬鹿にしてたようなんですがどういう理由でそう言う態度を取っているのかが判りませんでした。犯人検挙の手柄をいともあっさりさらわれるとかいう嫉妬心からなんでしょうかねえ。

とにかく演出意図として働きマンっぽく見せるおつもりなのかそうでないのか。周りのキイナに対する視線が両方に共通してる感じがするのが気になるところです。キイナの立ち位置も周囲に能力は認められてはいても理解しないという感じが似てるかなと。まあそれに反発も憤慨もしないおおらかさがキイナにはあるので松方弘子との同一性は感じられないんでまあいいんですけどね。

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メイちゃんの執事 その2

お嬢様を目指す。それが分かる仕組みとしてベルにつく宝石の色と数で表わされるということらしい。明快な経験値積み上げて勇者を目指すロールプレイングゲームのようでもありますが、冒険の旅に出るのではなく学校という名の奥深き暗いダンジョンにて試練が繰り広げられるかのようであります。

執事の衣服が使える主のレベルに応じて替わるのもゲーム的に映ります。でも執事そのものにもランク付けがなされており主人公の執事が上級クラスなのに最下層からプレイが始まるというのはなんだかなあです。でももし上限レベルが100とするとレベル90くらいなら装備がいくら素手でも雑魚キャラ倒すに苦労はなさそうですが。

効果はないにせよ、あくまで精神的ダメージをあの手この手で与えあわよくば追い出しを謀らんとするクラスメイトの陰湿さが強調されてくるようで湿気た感じがましますです。もっと体育会系の快活でかつおおらかさが欲しいなとついぞ思ってしまうのでありました。

榮倉さんと水嶋さんのキャラが立ってますです。結構このお二人眺めてるだけでもこのドラマ楽しめますです。それにしても榮倉さんの「庶民」は画になりますなあ。気の弛み加減がよく伝わってきます。対する水嶋さんの生活感が皆無に思える空気感も滅私奉公の雰囲気を炙り出している様でその対比のバランスが漫画チックで楽しいです。これで佐藤さんのキャラに馴れてきたらもっと楽しさが増しそうだなと。

メイに対抗するお嬢様達がらしく見えない(見せない)のは何故でしょう。まるでメイの視線と同じみたいに下がっていて品がいまいち(要はお下品)で、お嬢様としての高みから見下す視線パワーが削がれている感じがするのはどういう演出意図なんでしょう。所詮お嬢様ゆうたかて大して変わらんということを謳ってるんでしょうか。

それにしても「飼う」という表現はいやらしい感じがしますです。お嬢様になるのにそういった傲慢さが必要であるならば苦労を背負っても庶民でいる方がいいんじゃないかと思えてきます。人に向かって吐く言葉ではないでしょうに。

一心同体、又は忠義の証ということで決闘というものが描かれていたのでしょうけど、そもそもの始まりが売り言葉に買い言葉みたいなことから始まったみたいに思えてきて。それで真剣で命を懸けると言う様はまるで貴族が闘技場での奴隷たちが争うイベントを楽しむが如きようでえぐいなと思えました。お子ちゃまお嬢様を此処から先は駄目と言って連れ出す執事は人としてナイスでしたけど。それと主以外のお嬢様候補生に対しての礼を失した物言いは執事というよりやはりマネージャーに映ります。痩せても枯れても未熟でも態度や物言いには品格が備わって欲しいですな。もっとも、そんなだから執事の格付けランクが上がってないという説得力はありますけど。

前回は本人同士の対決で今回は従者が主に成り代わっての対決ということでしたが。人の為に忠誠を尽くすとはというテーマであろうと推察されますが、こうなる前に人としてまず「たしなめる」というのも忠義と思えるんですけどどうなんでしょうかねえ。「仕える」ということはどういうことなのかもっと誠実な形で表現してもらえれば有難いなと思いました。完璧に絵としての漫画であるならこういう違和感感じないんでしょうけど人が実際に動くと道理がついてこないと違和感を感じるのかなとも思いました。

最後に種明かしが用意されていましたが、こんな早くに正体明かすのかと。まあ視界クリアでいいんですけどね。さながらお館の乱の勃発か。いずれが景勝影虎なりや。さしずめ理人は兼続か。局を跨いでの色々な跡目争いを観賞する事になろうとはいやはや奇遇ですなあ。

単なるレベルアップを愛でるという展開でないことだけは確かなようです。ラスボスキャラなんでしょうかねえ。それとも第1ステージクリアの条件のボスキャラなのか。上に行くには相当の宝石粒集めないと駄目そうですけどこのドラマ全何話なんでしょうかねえ。なにしろ執事が命を賭しても獲得数は1個ですから。

この回は人物表現がごった煮風味でなく絞った感じで見やすかったです。教室とかのあの狭い空間にあれだけの人数がひしめき合っていてそれらをひとつづつ拾ってたら思惑のるつぼで疲れますから。

この世界感に馴れるのにはまだ時間要りそうですけど面白そうなドラマだなと思えます。

一度書いたけどアップしようとしたらエラーが出てデータが消えちゃったんでがっくりきながらも書き直ししてアップしました。もうちょっと色々書いてた筈なんですが戦意喪失も手伝って思い出せません。勘弁してくださいなホントお願いしますよココログ様。

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トライアングル その3

今回もあっという間に終わってしまったという印象で、引き込まれる感がとてもあり早かったです。

広末さんのどアップの多用がなんか印象的でありました。そのご尊顔は見事に最早アイドルかと見まごうた時の様なキャピキャピ感なぞなく、きっちり大人の苦悩するサチそのものに映りました。風吹さんの脆く危うい心の演技の凄さも覆いかぶさって観てて切なくなるくらい翻弄されまくってますです。この不安を癒してくれる場がサチにはなさそうなんですが心の方は大丈夫なんでしょうかねえ。郷田には自分らしく生きろと言われたかと思うと次に会った時には早智絵として生きてくことを応援するとかで朝令暮改されるし、お母さんはあんなだし。気丈なお方のようです。それだけ幼い頃の経験が辛いものだったんでしょうかねえ。今の方がまだ守るべき物があるというだけ幸せという風にも映ります。可哀想に見えてきました郷田いじめるなよと。

サチは自分で誰の手も借りず探すと郷田に言い放ちましたがどうやって調べるつもりなんでしょうか。あれはその場の状況から思わず出た売り言葉に買い言葉なんでしょうかねえ。頼りにしたいのにさせてくれない苛立ちのビンタだったんでしょうか。

ところで此処へ来て突如黒すけのおとうたまが疑わしくなって参りました。なにしろあのとんちんかんな手紙を臆することなく提示してくるんですから。とは言っても腕(実績)で今の地位にのし上がったというお方らしいので、事実を隠匿する見返りにご出世なさったという訳ではなく差し替えられたことに気づかなかったということなんでしょうねきっと。隠匿してたらすげえややこしくでかい話しに発展していきそうですが(希望ですが)そうことはないでしょうね多分。なので繰り返しになりますが、おそらくはすり替えを郷田に見せたのではなく始めからすり替えられていたものを見せられて本物と思っていたってことなんでしょうね隠匿ではなく。では誰が?

不思議なのは差し替えしたままにしとけば今頃になってサチに読まれてしまうような失態?が起きなかった筈なのに。なんで元に戻したんでしょうかねえ。それとも他にトリックがあったのでしょうか。そして差し替えをしたのであるとするならば差し替えが出来ると言うことは学校内で蠢くことが出来る人物が関与していたってことになる訳でしょうか。しかも郷田はあざのある男については記憶がない風に見えたのであざのある男は学校に出入りしてないとも読めます。そうなるとあざのある男以外にも事件に関与した人物がいるということになるのでしょうか。

手紙は最早志摩野(堺さん)の手で焼かれてしまったのでその中に書かれていた内容はサチしか分からないということになったのですが、一度差し替えられたって考えるとまだ他に誰かがその書かれている内容を知っているということでしょうか。誰なんでしょうかねえ。

ところであざのある男というのが提示されましたが彼がズバリ犯人なんでしょうか。んなわきゃないかあいくらなんでもねえ。芋づる式に事件の真相が巨大な悪に繋がっていくとかになるんですかねえ。

で、引き継いでる疑問集。

1での?・まずもって郷田はなにをしようとしているのか。ずうっと追い続けているらしいのだが何を。

3での答え・郷田は守ると子供心に誓ってそれを果たそうとしている。これが多分答えなんでしょう。なのでこれは解決かな。でも時効になった犯人見つけてどうするつもりなんでしょうという疑問はまだあるか。

1での?・あの事件のことを掘り起こそうと黒木刑事(稲垣さん)に電話してきたのは誰で目的はなにか。

3での答え・進展なし。今も疑問のまま。

1での?・富岡(谷原さん)が本にしようとしたその内容とはなにか。郷田は何故それを読みたかったのか。

3での答え・前回では存在を疑ってみたけど黒木(稲垣さん)ことを綿密に調べ上げていたことから確かに資料等相当調べ上げていたらしく存在してそうな気になってきた。ただし頭の中か原稿用紙の中かは不明。

1での?・タイトルのトライアングルって何を意味してるのか。

3での答え・まったくの進展なし。

2からの?・志摩野って何者?

3での答え・全く以って不明。しかも早智絵のおとうさんともつるんでるし。何したいんでしょうかねえ一体。

2からの?・殺そうとした理由は?そして誰が?何のために?

3での答え・犯人は捕まったが雇われで解決に至っておらず依頼主不明。目的は手紙の(メッセージ)の消去か。

2からの?・あのメッセージには何が書かれていた?

3での答え・犯人とおぼしき人物のヒントが書かれていた可能性大コピーはニセモノ。顔にあざのある男のことが記されているらしい。

2からの?・サチの養母(風吹さん)の心の病はあの事件があって以降?それとも事件が起こる前から?

3での答え・不明。どうでもいい話しなのか?

新たな疑問は富岡(谷原さん)はどこまで真実を知っているのか。

この回で分かったことは郷田(江口さん)は犯人じゃないってこと。丸山(小日向さん)は善い人そうだということ。誰にも心の内を明かさない郷田でしたがここへきて黒木と丸山には心を開きつつあるようです。

ところで小日向さんの刑事は存在感ありますですなあ。飴と鞭を兼ね備えてそうでなおかつ猟犬のような目を持っていそうでホントに居そうな刑事さんでリアルでした。

眞島さんからもさりげなく印象植え付けられます。主君(志摩野)に忠実なあまり悪さすらやりかねないといった汚れ仕事を厭わない雰囲気漂っていて、そういう人物を秘書(懐刀)にしている志摩野がより怪しく映ってきますです。

とにかく役者力が凄いんでそれ愛でるだけでも愉しいのに加えてなにがなにやら先が読めない展開で面白いですわ。これで佐々木蔵之介さんとかが出張ってきたらどうなるんでしょう。ワクワクでんがな。でも不思議と何度も見直そうと言う気にならないのは何故でしょう。それだけ色々とシビアだからかな。

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*~みたくして

~のようにして・~みたいにしてと言う意味。

例文

「なんで物干しの棒ん転がってるだあ。」

  (どうして物干し竿がこんなとこに転がってるんだ?)

「○○が高跳びの棒みたくして遊んでた。」

  (○○が棒高跳びの棒みたいにして遊んでた。)

「やあ、危ねえなあ。どこ飛んでたよを。」

  (危ないことするなあ。それでどこ飛んでたの?)

「隣んちの生垣。飛ぼうとしてたみたい。」

  (隣の家の垣根を飛ぼうとしたみたい。)

「みたい?」

「うん。飛ぶとかの前に棒の先が地面にひっかからんくて飛べれんかったらしい。」

「ああそれで地べた線引いたみたくなってるだか。」

  (成程それで地面線引いたみたいになってるのか。)

「うん、ずっただけ。」

  (そう結局引き摺っただけみたい。)

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出とらす

出ておられるといった多少敬語めいた表現。

名古屋方面だと「出とりゃあす」とかになるんだろうか。それとは違うから「出とらす」は遠州弁なのかなと想像。

個人的に使い勝手がいいので記事とかでよく使っている。が、実際の日常会話ではかしこまるとかいう人もそうはいないので左程頻繁に出てくる言葉ではない。なのでこの表現が遠州弁と言い切れる程のものでなし。

例文

「こないだのテレビ見た?」

「なんでそんなの見てるよお。」

「いんやあ○○さんが出とらしたもんで見んとなあと思って。」

  (いやあね。○○さんが出ておられたから見ないといけないなあと思ってさあ。)

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ヴォイス その2

大己(瑛太さん)のキャラが立ってますね。子供がそのまま大人になったような純粋さを残しつつ粘り強く根気よく納得するまで突き進むという勢いでしょうか。しかも訳の分からないこだわりを持っている頑固さをも併せ持つという。こんなややこしい人物と友達という石末(生田さん)もさぞかし大変なことでしょう。

それを取り囲む仲間もそれぞれ特徴があって。主人公がスーパーマンが如き才能を煌めかせそれを周りが喝采するということではなくそれぞれが得意な分野を駆使して解決へと導くという展開のようで好感が持てますです。

今のところ一番実用的なのは族上がり?の羽井(佐藤さん)でしょうか。色々なことやったバイトから得た半端ない知識は現場検証とかで有効に使われているようです。腕っ節だけでなく料理の腕でもその才を発揮してられてましてなにかと頼りになるお方のようです。牛乳を導き出した久保秋(石原さん)が次に続く感じでしょうか。

もっと5人がそれぞれに観てて判り易い手柄・成果を見せて活躍してくれたら楽しくなる気がしてきます。それらをひとつに纏め上げて結論を導くのが大己の役割とか。いまのところ一人奮闘気味で周りが単に大己につきあってるっていう勢いに思える時があるのでそれぞれが持つ得意分野で協力してと言う風になっていって欲しいなと。

キャラ的になんとなくそれぞれの個性が掴めつつあるのですが久保秋のキャラだけがいまいち掴めないのでなるたけ早めに見切りたいところであります。学年の中でもトップクラスの才を持ちそれなりに苦労して育ったというエリート(プライド)と苦労人(人情の機微)という心のバランスの具合がよく分からない人です。もう少し砕いて言えば情に厚いのか理に忠実なのか。勉強は理で生活は情なのかとかいう混合比の割合がどうも分かりませんです。石原さんは感情表現はお得意と見えますが背景表現はまだこれから成長されるという過程なのでしょうか。それともあえて謎多き女性として伏せておられるのでしょうか。

いまのところといえば、2話とも善人の声を拾い上げてる訳ですが今後は悪党の声や事件性のある声とかも拾ったりしていくんでしょうか。今のところ遺族の人に感謝される探偵さんという趣に感じられます。謎解きの部分もヒントがきっちり提示されていて推理する楽しみというものもありそうです。ただ洋画殆ど観ない私としてはクレーマークレーマーもスティングも知らないのでそのオチ?については多少ちんぷんかんぷんではありましたが。

それとこれをいっちゃあお終いよかもしれませんが、亡くなった人の誠意を伝えたところで最後の会話が奥さんからしてみればもう取り消すことができない悔やみきれない事に変わりなく、だからなに?という無事犯人逮捕之にて一件落着ハッハッハアとかいったすっきり感が薄いとは思えます。第一話でもそうですけど助けられた少年からしてみれば申し訳ない想いで一杯でありましょうし。スカッと爽やかという勢いではありません。変な表現ですが悪党退治しないと晴れないんでしょうかねえ。

走馬灯のように駆け抜け飛び交う記憶の映像群が全てたったひとつの方向を向いた時、失われた声が甦るという様はガリレオでの所構わず書き殴る数式のような画づらに思えます。メリハリがついていて分かりやすそうです。逆に言えばその映像が出る前に結論に至らなければ分からないまま答え合わせに突入すると言うことになる訳で今回は映画の訳が分からなかった分分からないまま答え合わせに突入しました。で、なるほどなと。いや、へ~そうなのか?かな。

ほんで、しょーもないことに食いつきますが一応遠州人なんで。静岡のおみやげ、ずばり「うなぎパイ」でしたなあ。パッケージ見てすぐ分かりましたけど本物使ってるんでせうか、多分撮影用に本物に似せたものなんでしょうけどそれにしても本物との違いが見分けられませんでした。春華堂さんもさりげなくご機嫌なことでしょう。静岡土産といえば「こっこ」とかではなく「うなぎパイ」だったんですから。ちなみに私はうなぎパイよりあげ潮の方が好きですけど。

あと、肉じゃが論争。決着はどうなったんでしょうかねえ気になります。久保秋が作れるとはもちろん思ってませんが罰?として何がくだったのかが気になります。あとチケットは取れたのかとか。こういうしょうもない?学園モノというか青春の無駄とかも存在してるとこがなんかいいですよね。挫折とかがあっても許されるというか。

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なんだかなあ14

「死して屍拾う者無し」このフレーズは時代劇ドラマ大江戸捜査網の決め台詞。

それを検索ワードで「ことわざ 死して屍拾う者無し」として当ブログにお越しいただいた方がおられました。

ツッコミ入れる訳じゃないですけど、ドラマのセリフでんがなこれは。ことわざじゃあありませんです。職務に就く覚悟を伝える言葉ではありますがとりあえずは教訓とかは含まれてない筈です。

もう時代を感じるです。時代劇に掛けた冗句ではなくニュータイプ日本人は知らないのかとちょっと年の経つスピードを感じた次第で。

この手の話しはよくあることなのでしょうか。この間も「顔が割れてる」という表現を目にしました。意味は通じるので困ることは無いのですけど「面が割れてる」の間違いじゃないのかと。この表現って一般的に浸透してるんでしょうか。それとも「顔がばれてる」の言い違いなんでしょうかねえ。冷静に考えると面が割れて顔が見えるところを顔が割れたら即病院行きですからねえ。

「においを嗅ぐな」という表現を「におうな」とテレビで使われてたのはなんだかなあと以前記事にもしたんですけど、死語となる言葉もあれば生まれ変わる言葉とかもあるんですかねえ。

そういえば「死なばもろとも」(共に最後まで頑張リ抜こう)を道連れにしてやるみたいな意味に捉えてる方もおられるようで、言葉は時代と共に変わるんだからその変化の速度を止めようとしてもせんなきことですが、そろそろ私の頭ではついていけなくないくらい早いです。

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本日も晴れ。異常なし その0(番外な感想)

とりあえずは初回観とこうと思ったのですがドラマ始まる前に睡魔に襲われやむなく布団に避難してしまい不覚にも気づいたら終わってました。決してドラマ観たら眠くなった訳ではありませんのでそこんとこはお間違いなく。

一応録画しておいたのでそれ観ました。

そしたらいきなしあれ?「長澤まさみ」出てたっけ?とつい思ってしまいました。しかも若干若返って。そしたら夏未エレナさんとおっしゃるんでしょうか。しげしげ見るとそっくりさんと言う訳ではないんですけど雰囲気とか表情とかに時折はっとするくらい似てる気がしてきますです。こんな風に感じてるの私だけなんでしょうか。

まあ南国の地で心閉ざしたお嬢さんってな事に加えきび刈ってる背景があったりとかで「深呼吸の必要」のイメージという先入観から髪長くして背丈ありってことで同化して見てしまうってことかもしれませんが。なんかそっちに気がいってしまってドラマの筋追うどころじゃなくなってエレナチェックに勤しんでしまいました。

で、見直してみて思ったんですがやっぱ世間は広い。いるんですねえ。似ている人ってのは。とはいっても調子こいてネットで画像とか調べてみたんですがそうしたらそんな似てるという印象はないんでご本人の資質とかではなくそういう撮り方されてるんだろかという気にはなりましたけど。

校舎から運動場の様子を眺める辺りは特に。

眉間に皺寄せるシーンの連続で笑顔のシーンとかはなかったのですが笑顔は異なっていそうかなと。どうでもいい予測感想でしたね。いやこりゃ失敬。

まあそんなこんなでまともにドラマの筋追っておらず、それ以外のこと書きようがないんできちんとした感想は次観る時にまとめて書きますけど、当初観る予定というつもりではなかったですけど、上辺上は何にも起こらないといわれる平和な島での駐在さんの生活が落ち着いてからどういうお話しが繰り広げられるのか見ようかなと思うてますです。落ち着きことなくこのまま熱いままだったら?それはそれで楽しいかな。島に染まるのか島が染まるのか。果たしてどっちだ駐在さん。両者歩み寄りだったりして。

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*だで

以前にも書いたが「だもんで」(だから)の略形として遠州では使われる。

これが三河の方だと「焼き物焼いとるだで。」(焼き物を焼いているんだ。)とかいった言い切りの使い方になるらしいが遠州では「焼き物を焼いているもんだから・・・」とかいった後に結論がくっつく言い方になる。

したがって三河と遠州では同じ言葉でも意味合いが異なると言うややこしい話しであるということ。全然言葉が通じなければ共通語にして会話しようと思うのだが何気に近いとそんな気が起こらず返って意思の疎通が難しいということになる。

お互いがお互いの言葉を汚いとか荒いとかいってけなしあうのもこういう口実があるのやもしれない。

ちなみに三河の「だで」は遠州では「だよ」という表現になると思われる。もしくは「だて」・「だに」・「だわ」。

「そういうこんはいわないもんだで」(そういうことは言わないものなの)という使い方もあるがこれは「だから言うな」という表現が省略されてる皆まで言わせるな察しろという使い方であろう。

例文

「だでさあ。」

  (だからさあ。)

「だでなにい。」

  (だからなんだよ。)

「・・・いやなんでもない。」

「そうやってきちんと物言わんもんだでやっきりこくだよな。」

  (そうやってちゃんと言わないからイライラするんだよな。)

「そんなこたあねえよ。ゆうときゃゆうだで。」

  (そんなことはないよ言うときは言うんだから。)

「だでなによお。」

  (だから何?)

と言った風に「だで」で終わると遠州では次があると思うのである。

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映画の番宣に奔走される役者さん

このところの志田未来さんのテレビ番組の出演が半端ない。見た(見てないのもありますが)及びこれから見る(見るつもりないのもありますが)順不同でではありますが「さんまのまんま」・「新堂本兄弟」・「未来創造堂」・「ごきげんよう」・「みなさんのおかげでした」・「うちくる」などなど。まだ他にもご出演あるんでしょうねおそらくは。。出れるものはこの際制覇しちゃおうかという勢いすらに映ります。

そして映画の宣伝というよりもストレートにバラエティに出演されるという勢いで番組の終わりとかにさらっと映画の紹介をという映画の宣伝というよりもキャラクター(役者さんご本人)の宣伝みたいな趣旨替わりな感じがしますです。

ご本人も自らを「人見知り」と表現されてますけど、あのお歳では大抵の人がそういう時期でしょうから、はたしてそういう時期に本業とは別の世界の大人の真剣勝負の世界の中に放り込んでええのんかいという気すらしてきますです。

きっかけは映画という限りで、見る側からすれば「志田未来」の人となりを伺うことになる訳でありますが。ここで一般論としての疑問。

役者さんの演技されていない状態(ニュートラル状態)を知るメリットは観客にとってあるのかどうか。

一応私にもえこ贔屓してる役者さんとかはいます。ですが人として出会いたいとか振り向いて欲しいなどと思ってはいないのでもしかしたらただ観るだけのえせ贔屓かもしれません。なので贔屓の役者さんであろうともニュートラルな状態の役者さんに興味はありませんです。しいて願望を述べるなら作品とかが良かったと伝える術(すべ)・疑問に思った事に答えてもらえるとかのパイプがあったらなあとは思いますけど。

そして役者を目指してる訳でも憧れてる訳でもないので、素の状態から演技される時にテンションとかをどう変化とさせてくるのかといった技術的なものに興味がなくただ作品の中で映えたかどうかにしか興味がないのです。

どちらも若い頃にはあわよくばお近づきになってお友達とかにとかいう妄想めいた邪まな感覚もありましたんで逢ってみたいとか普段はどんな人なんだろうかとか興味はありました。それに贔屓の引き倒しとかして曇っためがね掛けてたような全て礼賛といったところも昔はけっこうありましたです。

だから別に役者さんがバラエティに出捲くることに対して視聴者の要望が多いからなんだろうなとは理解できるので批判するつもりはないんですが、だからといって映画の宣伝という役を担う手段としてバラエティの世界に船出するのはどうなんだろうなと。

好きでやられておられるのなら別に問題ないのでしょうけれど、仕事として割り切らなくちゃどうもって思われてる役者さんとかには負担以外の何者でもないんだろうなと。もちろん今は究極の空気読みショーとまで進化してるバラエティでありましょうからゲストでお出になられてもプロのみなさんの手配り気配りで嫌な想いに捉われることはないでしょうけど。いくら人気商売という側面があるとは申せ演技していない状態での認知度を上げてどういうメリットがあるんでしょうかねえ。

とにかく役者さんにとっての映画に関わる際の負担にならなきゃいいけどと思ってしまいますです。映画は監督のモノという想いが私にはあるので宣伝にまで役者さんがその任を負うのは超過勤務扱いみたいでホントご苦労様ですという気になってしまいますです。作品に対する愛着とかからヒット(成功)して欲しい為に一肌脱ぐって心意気ならもちろんその意気を買いますけど。

とにかく奔走ならいいですけど翻弄だとしたら切ないなと思えた次第であります。役者=芸能人という図式がどうも理解出来なくなってる私にはそう思えてきますです。

で、まあ話し戻しますけど、志田さん。「うちくる!?」は見たんですけど、山田優さん(ゲスト出演)と佐野史郎さん(映像出演)もお出になられていてこの組み合わせは、おお「正義の味方」だあと。あのドラマ面白かったのでこの組み合わせが見られるとなんか心が和みますです。続編期待したいところですな。原作知らないんですけどまだドラマでは描かれなかった話しはあるそうなのでどうかひとつ。

泣かせるだけが役者さんの仕事じゃなく笑わせる(笑顔にさせる)ことも役者さんの仕事でしょうからそのバランスが取れる役者さんになって欲しいなと。

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*ちょんちょん

柏木とかを続けて打つ音、「ちょん」とほぼ同じ?これは共通語での意味。辞書に記載されてる意味だが遠州ではこういう意味合いでは使われていない。

遠州弁だとイーブンイーブンという意味。プラマイゼロ・どっちも同じ・どっこいどっこいということであろうか。

ただし「どっこいどっこい」のように「どっちでも同じだから(変わらない)から」というニュアンスは比較的薄く、「なんとか帳面合わせた」みたいな印象が強くなる。

「あいこ」という意味でもあるので、共通語だと「とんとん」ということになると思われる。なんで「と」が「ちょ」になるのかは定かではないが、別の考えとしては遠州弁の「ちょん」というのが「きりのいい」とか「ちょうどのところ」とかいう意味を持つ使い方もあるのでそれが互いに「ちょん」になるということで「ちょんちょん」=「同じにした」という表現になったとも考えられるが説得力に乏しいのが無念。

それでも「とんとん」だと結果そうなったみたいな勢いになるが「ちょんちょん」だとそうなるようにしたみたいな勢いの違いは存在する。

他の意味使い(ちょんちょん歩きとか)もあるらしいのだが、私的にはこういう使い方しかしていない。

例文

「きんのうの休みなにしてたよー。」

  (昨日の休みは何してたの?)

「パッチーいっとった。」

  (パチンコに行ってた。)

「どうだったでえ。」

「結局ちょんちょんだの。くたびれ損だあれ。」

  (まあ結局は勝ち負けとんとんかな。くたびれ損だったよ。)

「ほんたあけちょんけちょんじゃなかっただけえ?」

  (ホントは負けっぱなしなんじゃなかったの?)

「そんなとこ見栄張るかあ普通。張らんらあ。」

「わからんよを。おっかさに損こいたとかいったらもう行っちゃかんつわれるもんでかもしれんじゃん。」

  (いやあどうかな?嫁さんに損したとかいったらもう行くなって言われるかもしれないから黙ってんじゃないの?)

「ホントだってえ嘘じゃないって。勘弁してやあ。」

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