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コールセンターの恋人 その10

 南極アイスに足向けて寝られない。それじゃあ北枕だろうというのは一瞬何の事か分かりませんでしたが暫くしてああなるほどなと。しっかしコールセンターの人達は即反応してるってのは皆頭の回転が速いということで。やっぱアホじゃこの職業には向いてないんだろうなと。そういう意味でも私には勤まらないと言うことでまずは一安心。

相手がなにを言ってくるのかどういう論法で責めてくるのか。千差万別で予測不可能な電話に即反応しなくてはならないのでしょうから経験値だけでは対応しきれないということなんですかね。

 最終回は頭から青響(ミムラさん)失踪という展開から始まっていまして、前回の終わり方からすればひと悶着すらなくで、なんか置き去りにされたみたいな印象をば受けました。とにかく青響のいないコールセンターでのぽっかりと穴の開いた空気感が一面に覆っておりましたとさ。

で、ブログを勧められて始めて、今までをかいつまんでの前回までのあらすじをじっくり長々と説明してるようなもんだなと思いながら観ていたんですけど、それ以降の展開は締めに向かって突き進んでいって怒涛のハッピーエンドに邁進されてました。

 ドラマ全体のストレートな印象を言えば「もう終わりかい」という感想です。主人公がコールセンターに飛ばされるまでが結構劇的でその後の日常が案外淡々という勢いに感じられたんで。頭を巡らしてじっくり考えれば毎回登場するお客さまにしたって商品に纏わる出来事にしたって刺激的なものばかりなんですけど、だけどなんか淡々と馴れていくというか染まっていく主人公の変遷を愛でていたみたいな。元から出来た人というイメージも都倉にはあるんで成長というよりやれば出来る人という意識改革なんでしょうけど不思議と心底困り果てたっていう印象が都倉にはない印象でした。

ある意味ヤマだらけで起伏が乏しく感じられたということなんでしょうか。

 クレームという凶事を解決するためには胸襟を開くが肝要で。そのためには自らも矜持を棄てて相手を警戒せずに心を開く。さすれば分かり合える瞬間が訪れる。という論法は理にかなっていましたが守るものがある人にその教えは言うは易く行うは難しであってその配分が良く分かりませんことよ。青響や都倉のように24時間戦える後顧の憂いのない人には可能でしょうが凡人にはなかなかね。

もう少しプロの技術を伝授して欲しかった感じがしますです。 

 このドラマの目新しさは、トヨタが子供店長を起用してドラマのシチュエーションの中で広告をぶってる見事なタイアップなところですが、最終回ではホンモノのテレフォンショッピングのCmが流れていまして「やるなあ」と。残念ながらナビゲーターの人の口上のものではなくて南極アイスとの比較とまでは行かなかったのですが刺激的というか食いついてしまいました。残念ながら自分では使い道がない商品でしたので電話することはなかったですけど。

これ最初っから(第一話から)色んなホンモノのテレフォンショッピングのCmで溢れていたら痛快だったよなあと思えます。まあそうなると世の中広いですから現実とドラマを混同してアイスの商品を注文してしまう人が現れるやもしれませんですが。

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ジェネラルルージュの凱旋

 第一印象は映画らしい映画だったなあと漠然と思えました。冒頭からこれはでかいスクリーンと音で観聴きしてこそだよなあというのがこうして改めてDVDで観直してみるとよく分かります。映像だけでなく音も凝ってると思えるので良い再生機と大きなテレビで観た方がより満喫出来るんだろうな。うちのはごくごく普通なので映画館で観た方が良かったですがホント音は凝りたいところだなあと。この映画では特にそう思えました。役者は「声」も大事な要素だという事を改めて感じたみたいな。

チョイ役と言っていいのか分かりませんがほんの少しの登場でもインパクトがあると言うか登場する必然性がある人ばかりだったなあという緻密さを感じました。それでいて全体的に無駄がないスピード感がある中にクスリと笑える部分を織り交ぜてともすれば沈みがちな景色の世界をエンターテイメントに変えている欲張りな部分もあるよなあと。

推理ものということにおいては殺人犯を追い詰めるというよりも癒着の真偽を問うという方に神経がいっていたように思えて観てました。

それと共に救命救急の現状を知らしめるというテーマも訴えかけているようでもありまして単純に痛快という娯楽映画ではなかったような後味がありました。

これだけ欲張っていながら起承転結が見事かつ大きなスケールで。普通続編ってなると興ざめしてしまうことが多いのですがこの作品に関してはパワーアップしてる勢いを感じます。

観る前から興味が湧いていたし裏切られた感(失望感)もないしこの面々を再び観れるというのも愉しいし。観終わった後の嵐が去った後のちょっとした虚脱感のような余韻が何度観ても失われず。不足ない映画でありました。面白かったです。

 以下はネタ晴れを含むやも知れませぬ故観てない方はスルーが妥当かと。それにどうでもいい話しばかりですしね。

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ぴったし・きっちし・やっぱし

「り」を「し」にしたがるのが遠州弁か?んなわきゃないか。でもまあ多いということは地域性かもということで記載。

「がっちり」であろうが「がっくり」であろうが「がっかり」であろうが「どっきり」であろうが「まったり」であろうがすべて「り」が「し」に変わっても違和感を感じない。なんてことはさすがになく「まったり」は「まったし」とは言わないなあ。「もっさり」も「もっさし」にはならないし。

ケースバイケースなのだがなんか規則性でもあるんだろうか。

タイトルに載せた「ぴったし」は男女共用、「きっちし」はほぼ男言葉(女性はきっちりということが多い)、「やっぱし」は基本男女共用だが女性は「やっぱ」という言い方をする人が多い・・・かも。

例文

「ぴったしんなんないと気が済まんだいね。」

  (ぴったりにならないと気が済まないんだよね。)

「そんなきっちしやらんくても誰も文句ゆやへんて。」

  (そんなきっちりやらなくても誰も文句言わないって。)

「そうゆう問題じゃないだよ。やっぱし性分かのっ。」

  (そういう問題じゃあないんだ。やっぱり性分なんだろうな。)

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三ツ矢サイダー オールゼロ

わさび醤油がありならば炭酸醤油もありかしらん

その前にそうめん・そばつゆから始めるべきか

上手い不味いはつゆ知らず

昔コーラとの違いを見分ける手段が振って泡が出るかどうか

いまこそそれをも打ち砕く時ではなかろうか

というか炭酸麦茶とかいうのがあれば

ビールもどきで子供のおもちゃ

カルピスに炭酸入って問題なしなんだから

なんでもかんでも入れて味噌

なんぞとひねた想いが浮かぶほど「純」な清らかさを演出している三ツ矢サイダー「オールゼロ」のコマーシャル。炭酸飲料にはある意味天然というイメージはなく工場で造られた飲み物というイメージがあっただけに。それを打ち砕く天然嗜好にマッチした飲み物というイメージを与えたことは大きいよなあと。

見事にイメージの転換に成功したなと思えるのですが、こうなると次は「サイダー」=「夏の飲み物」というイメージをどう壊すかでしょうか。

ビールだって昔は夏の飲み物だったのが今じゃコマーシャルの効果によるものかは知りませんが年がら年中美味しい飲み物になっているんですから可能性が皆無という訳でもないでしょうし。

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猿ロック エピソード3-3

 実際可能な事なのかどうかはさておき、犯行の手口という種明かしにおいてはそのトリックが意表を突いて面白かったです。

容疑者の絞込みを消去法で行けば本人の自作自演というのはサル(市原さん)が殴られて気絶させられたシーンですでに本人は縛られて臥していたので実は双子だったとかいうことでなければ狂言説はなし。7年前にも同じような事件が起きたということから関連性があるならば超曖昧な七不思議でしか当時を知らない現役の生徒ではなかろうてということでこれもなし。残るは先生。ここまできて外からの侵入者だとかぬかしたら座布団放り投げるところですが流石にそれはなかろうて。それと同じで紹介されていないその他大勢の教師だったら侵入者と同じで裏切りと感じるのでこれもなし。

つまり人物紹介のあった三人の先生のうち誰かなんだろうなと思って観ていました。美術の先生はただのストーカーだったということを真に受ければ残りは二人。そのどっちなのか分からないまま観ていました。そしたらいつもなにがしかの楽器をこれ見よがしに持っている音楽教師がという展開でありまして、犯行に至った動機というものもこのドラマにしては珍しく無理繰りがなくて推理ドラマとしても楽しめました。

 気になった点を述べると、

 一番気になったのは、体育館の地下倉庫からの脱出の際、頑張れ頑張ればパンツ見せてやると励ましてたリツコと励まされてたサルでしたが。約束通りパンツ見せろやとかいったシーンが一切なかったところですかな。約束守ったのか気にも留められていなかったのかいつもの冗句と解釈したのか。その顛末が気になるところです。

 最後あや(石橋さん)がサルに身を任そうとしたという意外な展開をリツコがカバン一杯のエロをぶちまけてサルの本性を見せ付け「不潔!」と言って逃げていってあえなくおじゃん。で、見事サルの魔の手からいたいけな少女を救ったという形でしたが。あのような狂気の犯行に及ぶような相手と付き合っていて清いお付き合いしてたとはとても思えず、そんなカマトトじゃねえだろとつい突っ込んでしまいました。

 だだっ広い江戸川の河川敷きでは砂男が寝てるんで注意してくれということだそうだけど、居たか?

 とまあこんな感じでありましたが女性にとってあんな危険な野獣の如き二人が学園内を何日も徘徊してよくぞ何事も粗相が起きなかったのは奇跡だったなと思う次第でありました。

山本(渡部さん)のキャラは面白いです。ナイフ突きつけられてるという洒落にならない真剣な修羅場の中で押収したカメラで遊んでる姿が笑っていいものかどうか分かりませんがサルの懸命さとのギャップがあってついエヘラとしてしまいました。サル一人だとひたすら暑苦しいだけなんですけど山本の存在でそれをクールダウンさせる効能があるようでナイスな存在だなあと思いました。

こいつらだったらへらへらしながら凄い事を成し遂げちゃいそうな気がします。本人達は懸命なんだろうけど観てる印象はなんか脱力系で平和を感じます。

3-1から3-3までとりあえず一気に見直してみます。それでまた新たな感想浮かんだら追記として書きますが、そう思わせるエピソードでした。ただ七不思議の顛末が性質の悪い置き去り冗句みたいなのはどうかとは思いますが。

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*たるい

「たるい」。「かったるい」とかと同じな「たるい」。広い地域で使われる方言的俗語か。地域によってニュアンスのばらつきがあるようで、遠州においては心情(人)を表わす場合は気合いが入らないとかいう意味で、状況(物)を表わす場合には緩い・ぶかぶかとかいう意味で使われることが多い。「弛む」(たるむ)の変化したものか?と想像できるが定かではない。

「たるい」と「かったるい」ではどちらがより「たるく」感じられるか。個人的には「かったるい」は(軽くたるい)と聞こえるので「たるい」の方がたるい感が強く感じられる。強調する場合は遠州では当然のごとく「ど・馬鹿」のいづれかを付ける。

「だるい」とどう違うのか。使いどころはどちらでも同じな場合もあるのだが、「けだるい」・「かいだるい」だと体が重く感じられるくらいの疲労感を感じるのだが、「たるい」だとめんどくさいとかやる気がないみたいな倦怠感を感じる。

つまり要は乗り気でない様を訴えている訳だが、「だるい」は肉体面の理由で「たるい」は精神的な理由で意欲に欠けるという使い分けをしているみたいだ。

「たるい」の使い方は行うことへの「愚痴」であって出来ない・しない「理由」や「いい訳」ではない。「だるい」はその点理由やいい訳になりうる。

もうひとつ近い言葉で「なるい」というのがあるが、これは「生温い」(なまぬるい)という意味に近く意欲はあるが全力を尽くすに足らないような場合で使われることが多い。

対しての「たるい」は意欲に欠けて全力を尽くせないような場合にということであろう。

「たりい」という言い方もあり、意味は同じでこちらは男言葉で「たるい」は男女共用の言葉である。

例文

「さあ今日も元気にやらまいか。」

  (さあ今日も元気にやろうぜ。)

「なんかなあ。ど暑くて仕事やるにたりいだいやあ。」

  (なんだかなあ。滅茶苦茶暑くて仕事するのがかったるいよぉ。)

「心配しんでもそんなじゃ絶対ミスこいて冷や汗ん止まらんくてさぶくなるにい。」

  (大丈夫だよそんな様子じゃ絶対ミスして冷や汗が止まらなくなって涼しくなるからさあ。)

「冷たいじゃん。」

「こんだけでも冷えたか?」

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赤鼻のセンセイ その10

 院内学級が存続するなら続編を作って何年か経って新しい生徒との対話を描いて欲しいと思っても、視聴率が芳しからずやとてそは叶わぬ夢まほろばか。

和田(須賀さん)は諦めない心を糧として病気と闘い九死に一生を得て無事復活。院内学級は院長先生(上川さん)の一念発起で存続と八方丸く収まる終焉で。終ってみればそれぞれの、心の内の成長記という在り様でありました。

真面目な展開でありましたので私みたいなおちゃらけを悦とするような者がふざけた感想書いたら撥が当たりますので、いつもの的な感想はありません。

このドラマを観ての大雑把な印象としましては、「院内学級」というものの存在を知ったという事。それは普通の学校とは必ずしも連携していないものなんだと。じゃあなんで存在するのかというと入院という閉塞感を打ち破るものであり、好奇心を持ち明日という希望を感じさせるところなんだろなと想像しました。

香椎由宇さんの整った顔はきりりとした役が似合うなと思った事。思いっきり言い合うシーンが印象に残りました。キンキン氷のような冷酷な矢を放つみたいな突き放しつつ追い込むタイプかと思いきや存外聞く耳がありつつ優しさが垣間見られて温い感じがしました。

上川さんの小心者という役も違和感なく、とんでもなく幅が広く色んな役を演じられるんだなあと改めて感じ入ったこと。個人的には医者の時にはピシっと、普段は優しすぎるのが災いして優柔不断になるという二面性を魅せて欲しかったところではありました。

大泉洋さんって「水○どうでしょう」とかの一番下っ端(やんちゃな弟分)というイメージがあったんですけど今回はいい兄貴分というか大人と子供の橋渡しみたいなポジションに映り、こういう役もありだなと思いました。多少無責任なくらいに映るくらいが似合ってそうに思えました。

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*おどける

「おどかす」(びっくりさせる)

「おどける」(驚く・びっくりする)

「おどけた」(驚いた・びっくりした)

といった使い方を遠州ではする。男女共に使う。

共通語の「おどける」道化師のようなことをして笑わせようとする意味とは異なる。もちろんそういう意味での使い方もするが、共通語の「おどける」という場合は遠州弁では「ちょうける」が使われるが最近は日常会話からは失われつつあり「わらかす・ふざける・馬鹿する」などという言い方が増えている。

驚き・びっくりの程度としてはワーキャー喚くようなものではなく一瞬息を呑む程度のびっくり感で使われることが多い。

人それぞれであるが威嚇するニュアンスの「脅かす」と混同しがちなのでそういう場合には「おどかす」ではなく「「おどす・おどさす」を使うことが多い。

例文

「やあ。おどけたやあ。ねえもうホントおどけるでやめて。」

  (うわあ。びっくりしたあ。あのさあもう本当にびっくりするからなんとかしてよ。)

「なにがあ。」

  (何を?)

「玄関開けたらいきなし犬飛び掛ってくるのわどうかと思うやあ。」

  (玄関開けたらいきなり犬が飛び掛ってくるのはどうかと思うけど。)

「おどかいてる訳じゃありもしん。愛情表現じゃん。可愛いもんだらあ。」

  (驚かしてる訳じゃないだろ。愛情表現じゃないか。可愛いもんだろ?)

「知らん人来たら堪らんにい。」

  (知らない人には迷惑だと思うけど。)

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救命病棟24時 エピソード5

 冒頭の患者は今はやりの車中置き去りの子供の熱中症とな。それに対してどう鉄槌を食らわすのかと思いきや逆切れされて困り果てる小島先生(松嶋さん)という図。みんなの目は育児ノイローゼという診断?らしいんですがそれが正当化されるはずもなく、入院に掛かる時間と費用と心労を考えたら馬鹿を見てるのは母親自身じゃないかと。後悔するくらいのしおらしさがないとなんか同情する気にはどうもなれないところでありました。運の良い悪いだけで、あまりこういう事してはいけないよという抑止力には映りませんでした。

不幸に見舞われるのは医者と看護師ばかりなりという物語は「お客様第一」という観点から患者周りに負わすことが出来ず致し方ないのでありましょうがなんかねえ。病気や事故を未然に防ぐ知恵というのも織り交ぜて展開すれば多少なりとも患者数の減少に繋がるのではと思えるくらいこのドラマは影響力あると思うんですがね。そのためにはなんちゅう奴だと思えるような患者も登場すべきなんじゃないのかなと思えたりもします。仕方ないでしょで転がっていく世界の将来には明るい展望が開けないのではと思わないでもないところでもありますな。そういう風に転がって今まで生きてきたへたれの私が言うんだから間違いないでしょう。

 そういった不幸の現象が今回は山城さん(木村さん)に訪れた訳ですが。その解決の仕方は母親の懸命に働く姿を見て自分が見捨てられた(優先順位が病気の人より低い)と思い込んでた考えが間違ってたと気づくとかいう展開なのかなと踏んで観ていたんですが、親の後姿見て子は育つという流れではなく澤井医局長(ユースケさんの説得によるもので何がどう心に響いたのかいまいち分からぬまま得心してたって勢いでありました。

 もうひとつの柏木?さん。その生き様は美しい限りでありましたな。その末路は天涯孤独で淋しいものと他人には映るけど、その実態は精一杯職務を全うし老いては静かに退き死したる後は全ての報いが教え子たちから与えられる。こういう逝き方が出来たらいいよなあと。どれにもあてはまらない私には叶えられない生き様なだけに憧れでしかありませんでひたすら羨ましがるのみですが、小島先生なら同じ生き方が出来るんでしょうね。

観てて心が温む感動シーンでありました。それにしても大家さん善い人でしたなあ。ああいう人を大切にしなきゃ罰が当たるよなあと本気で思えました。

 ところで最後の「進藤先生の処遇」ってなんかしでかしてたんでしたっけ進藤先生は。記憶にございませんが。はてさて。

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*だらだにだもんでほいほれやあ

まあ何度も書いている「だらだにだもんでほいほれやあ」

遠州弁の特徴を現したものであるといわれている。大雑把に訳すと以下となるがこれが全てではないのでただ闇雲に発言の最後に「だら・だに」をつければ遠州弁になるというものではない。

誤った使い方を例に挙げれれば分かりよいのであろうが慣れ親しみすぎて思いつかないものである。

だら=だろ

「よどんだらだらだら」(よだれがだらだらだろ)

だに=だよ

「そりゃ蚊ぁじゃななくてだにだに」(それは蚊じゃなくてダニだよ)

だもんで=だから・したがって

「だもんでさっきいからゆってるらあ」(だからさっきからそういってるでしょ)

ほい=ちょっと・ちょい

「ほいほいほいほかいちゃかんにい」(ちょっとほいほい捨てちゃ駄目だよ))

ほれ=ほら・それ

「ほれみっせえ」(ほらみたことか)

やあ=おい・ねえ

「やあ勘弁しとくりょを」(おい勘弁してよ)

「づら」は駆逐されて遠州では死語となっているが、「だら」と「だに」の両方の使い方をしていてとても汎用な言葉であった。強引ではあるが最後に「づら」をつければそれらしく聞こえたのであるが、今は細分化しているのでやたらくしゃ「だら」・「だに」を使ってもらしくは聞こえない。

ただし正しくは「づら」=「だら」・「づらに」=「だに」であろうが。まあ「づら」でもなんとかね。

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とあるニュースを見て

インフルにはタミフルが効くそうな

エンザには別売のオプションつけないと効かないのかな

インフルにはタミフルが効くそうな

キンフルにはタムシフルとかがきくのかな

なんかね。ニュースでインフルエンザとフルで言わずインフルと呼称してた。

分かればいいんだからというのはアリなのかもしれないけど

幾ら流行りモノとはいえなんでもかんでも短縮した言葉にしなくてもいいんじゃないのかと思う次第でありまして。

そのうち本当に、正しい日本語を使うことが芸(商売)として成り立つ時代がやってくるのかな。随分昔はアナウンサーとか司会の人は正しい日本語を使う生きた教材として普通に無料視聴できたけど、いつの間にかお水を買うようになったみたいにこの教材も買わないと視聴できなくなるのかな。全く以って世知辛いお話しで。

そういやあイントネーションとかも人それぞれでバランバランだよなあ最近。

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ブザー・ビート その9

 あんだけ雨に打たれたらそりゃ風邪も引きますわな。どうかお体お大事にと思ってしまう直輝(山下さん)の図でありました。陰降る縁挫からの早期の復活まずは良かった良かった。

それにしてもなんと申しましょうか。

太平の眠りを覚ます赤い糸 たった一話で破局の気配

いくら菜月(相武さん)の作戦が効果的とはいえ、もうちっと安定した蜜月の世界が存在してもいいんでないかい?と思わないでもない展開に映りました。

大雑把なバランスからいってぐずってる時間が7話に亘って描かれた割にはこれでいいのだという時間がなんか少なすぎるわいなという感じでんがな。

これで次回辺り断腸の想いで縁を断ち切るとかになったらこの二人友達でも別にいいんじゃないのと穿ってしまいかねませんところです。

 まあそんなぐだぐだはともかく展開を追うと、莉子(北川さん)は雨の中不安を抱きながら待っていた心の内は他の誰かのことを好きになったんじゃないのかとか自分が思うほど思われてないのかといった負の意識だったようでありますが。これって嫉妬?疑念?自信のなさ?どれが比重が重かったんでしょうか。

それにしても部屋に上がった時の直輝の表情がとても穏やかで印象的でした。いつもどこか(家に居てさえ)愁いを帯びて見えるのに莉子と二人だとひたすらに明るいなあと。

菜月は凄いな。嘘はひとつもついていないのに着実に真綿で締めてく追い込み方はめちゃんこおそぎゃーこんだがね。もう蛇に睨まれた蛙状態で莉子はいいように振り回されてる。というか催眠術にかけられて誘導されてるかのよう。

ここまではまあ想像出来てたんですけんど意外だったのは川崎(伊藤さん)の態度。もっとファイトして争奪戦繰り広げるのかと思ってたんで直輝ならいいんでないかいというのは拍子抜けでありました。

菜月とは決別したみたいだし川崎は引いてくれたんだからこれで残っている障害らしい障害はそれぞれの夢の実現ということだけと思えるんですけど。意外と莉子が菜月にかけられた魔法が解けていないみたいでありまして。魔法を説く術がブザー・ビートなのかなと思えてきました。

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せせこましい

「せせこましい」(度量が狭くて余裕がない・狭苦しい)は共通語である。遠州ではどちらかというと狭いという意味で使われることが多い。

心持ちが「余裕がない」という使い方に関しては「きぜわしない」(落ち着きがない・急かされてうっとおしい)という表現が遠州では使われている。共通語では「せわしない」にあたる言葉であろうか。

従って「せせこましい」と「きぜわしない」は似たり寄ったりの言葉ではあるが同一では当然ない。

似たような言葉といえば全国的に使われてる方言「せせくる」(遠州では触る・弄るという意)があるが当然意味からして異なる全くの別物である。

まとめると遠州弁からみたニュアンスだと「せせこましい」は了見などが狭いという部分がメインな感じで、「きぜわしない」はあたふた・ちょこまか感がメインという感じで使い分けている。

例文

「どうよこの部屋。」

  (どうだいこの部屋は。)

「なんかせせこましいなあやあ。家賃いくらしたよを。」

  (なんか狭苦しい感じがするなあ。家賃いくらなの?)

「月○○万。」

「ん~高いだか安いだかなんとも言えんの。」

  (う~ん高いのか安いのか微妙だね。)

「なにがあ。」

  (どうしてだよ。)

「だってやあこれで荷物入れりゃあもっとせせこましくなるし、窓開けりゃ直ぐ横居酒屋じゃん。きぜわしくて落ち着かんらあ。」

  (だってさあ。これで荷物搬入すればもっと狭くなるだろうし、窓開けると隣は居酒屋だろ。騒音ありそうで落ち着かないだろ。)

「荷物なんか元からありもしん。それんなんしょ寝えれりゃええだで窓閉めときゃ聞こえやへんでとんじゃかないわ。」

  (元から荷物なんてないし、それにとにかく寝れればいいんだから窓閉めとけば聞こえないんだから気にしないよ。)

「まあ本人いいっちゅうならあれだけど。わしだったら躊躇するかもな。」

  (まあ本人納得してるんなら言うとこはないけど俺だったら考えるな。)

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官僚たちの夏 その8

 晩節を汚さぬことこそいと潔よき男子なりかな。代替わりへのそれぞれの想いを描いた回と映りまして総理は池内総理(北大路さん)から須藤(長塚さん)へ。通産省は玉木(船越さん)から風越(佐藤さん)へ。

総理は達成感を抱いて。玉木は自戒の念を持って。それにしても北大路さんと船越さんの覇気が抜けた穏やかな表情が印象的でありました。次から次へとするべきことが生まれてくる終わりも正解も存在しない世界でしょうから区切りと踏ん切りが大切なんでしょうねきっと。もっとも官僚さんは天下りがありますんでまだまだこれからなんでしょうけど。

一方の風越はというと、腐らぬことこそ肝要という訓えでもありましょうか。どこにいようとも覇気を破棄しないとこが傑物の証なんでしょうね。

それにしても人は人で動き。事を為すに熱意こそ重要という感じで決して理では動かずという描かれ方に映りましたが。利は何処という気がしないでもなかったところですがそういうのはモロ今の考え方なんでしょうかねえ。予告編の一番歪ませてしまったものは日本人の精神なんじゃないのかというセリフから想像するにそれは「儲けりゃ勝ち」という利を最優先に追い求めているということなんでしょうか。

 もうちょっとしたら自分の記憶のある時代に進んでいきますんでもしかしたら来週辺りからはドラマの見方が変わってくるやもしれませぬが、池内総理の生き様は見事だったんだなと映りました。これがリアルな池田総理と重なるのかは私は知りません。

見事といえば官僚ってこれでもかという人事を断行するもんなんですね。「権力がなければ仕事が出来ないのか」と正論吐いても負け犬の遠吠えなんでしょうかね。ドラマではふてくされず持ち場に懸命でしたけど公務員だから首はないから拗ねてヤル気が失せたりなんかされたら非効率なお荷物になっちゃうんじゃないのかという気がしないでもないところですが。出世レース以外にもヤル気の源とかはあるんでしょうかねえ。多分自分の力で日本をよくするんだという使命感なんでしょうけど。

一般社会において日本という国の為にという発想が失せている現代ではいまいちよく理解出来ないところでありましょう。

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*すりゃあいい話しじゃん

「そうすれば済む事だろう」と言っている。遠州独特かどうかは定かではないが。別の言い回しでは「済むこんじゃん」というのもある。

「一旦家に帰って出直ししてくりゃいい話じゃん。」

  (一度家に戻って出直ししてくれば済むことじゃないか。)

より強めというか追い込むような場合には後に男言葉なら「違うだ?違わんら。」女言葉なら「違うう?違わんらあ。」を付け足す形になる。

「一旦家に帰って出直ししてくりゃいい話じゃん。違うだ?違わんら。」

無論「あんたにとってもやれりゃあいい話じゃん」(あんたにとってもやれるなら悪い話しじゃないでしょ)とかいうごく普通の使い方もする。

例文

「なんでえ いごかんじゃん。修理しんだ?」

  (なんだよ動かないじゃないか。修理しないのか?)

「どうせすかなあ。新品に替えすかな。」

  (どうしようかな。新品に替えようかな。)

「なんでえ まだ使えるらあ。そこんさあの部品 とって よこいて 直しゃあ いいはなしじゃん。でけんなら わしん直いちゃるにい。」

  (どうしてだよまだ使えるだろう。そこにある部品をこっちもってきて直せば済む事じゃないか。出来ないなら俺が直してあげるけど。)

「直しいんじゃなくてはあ飽いたもんで替えすかなって思ってるだよ。」

  (直せないんじゃなくてもう飽きたから買い換えようかなって思ってるんだ。)

「金持ちゃ違うのっ。うっちゃるだったらわしにくりょ。直いて家で使うで。」

  (金持ちは違うねえ~。棄てるんだったら頂戴。直して家で使うから。)

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オトメン・夏 その5

 この面子でクローズゼロやるとこうなるよという冒頭の妄想ネタはタイプです。

続いての妄想は命短し恋せよオトメンなんつって、にしちゃあ空想の中では男らしい飛鳥(岡田さん)と女性らしいりょう(夏帆さん)という設定で妄想されてまして。

どちらも性格ひっくりかえってましたけど妄想ってそういうもんなですかね普通は。自分は変わってないつもりでも理想を模索すると理想に近づかない障害は自分自身ということで無意識に自分を作り変えてるのかしらむ。

まあリアルな妄想なら登場人物自分以外は本物でしょうから全て自分の周りの連中が出てくるなんていうことはありませんがね。

 そんなこんなで話しは進みバイト先の昔ながらの海の家が新進気鋭の海の家におびやかされてる現状が描かれていくのですが。その手法は真っ昼間からホスト。詰まるところ若い女性をターゲットにすればそれで勝ち組になれるという方向性はこういうところにまで訪れてきているのでありましょうか。公開放送の観覧だって全て女性という流れですし。なんでもかんでも女性をターゲットにしさえすれば商売上手く行くってのは弾き出される男という立場からしたらなんだかなあではありますな。

てっぺんはどっちだというゲーム三昧なんですが、彼らは他所から来た馬鹿者じゃなく地元で育って地元を活性化させようとしてる若者だというのが分かって。そうなるとそれはそれで正義というものが存在しなくもない徹底した悪党という気にはならなくなって参りました。

努力した物は報われるのか。有明(瀬戸さん)の姿を通してそれが語られていくのでありますが。それを手助けせんとする飛鳥達でありましたがそこまで甘くなく目的は自身では達成できない有明。それでも頑張ったなと言う飛鳥の図というのは、結果が全ての社会とは少し離れている部分はありますがそれだけに学生時代だけの特権であって清々しいものでありました。どこの世界であろうとも誰かが自分の事を見ていて結果に関わらずその努力を知っていてくれるというのは勇気の湧くことでありましょうな。大昔はお天道様が見ていて悪いことはしてもばれるし苦労はいつか報われるとかいう迷信があって心が捻じ曲がらずに済んでいたのでしょうが今はそれが廃れて誰も見ていないからという理由で悪さに罪悪感をもたなかったり無駄な努力を惜しむようになっているんでしょうかね。

 これで海の家での出来事は落着という運びになったんでしょうか。海の家存続か悩んでいたおじさんに再び情熱を吹き込んだ飛鳥達という締めなんでしょうかね。能天気に観るとやりたい放題の連中に天誅加えていないじゃないかという気もするのですが、前にも書いたように彼らは地元活性に勤しんでるという側面もあるだけにこてんぱんにならずともまあ納得です。

それともまだなんらかの決着をつけようと来週も続くんでしょうか。

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華麗なるスパイ その7

 ミスター匠と総理。どっちの言ってる事が正しいのか。元が一緒でその後袂を分かった間柄だけに余計分かりづらい選択でしかも同調者まで現れる始末。さあどうする京介(長瀬さん)という図にて次回に続く。

尻馬に乗ってそうだそうだと相槌を打ってる三九(杏さん)は多分東京のど真ん中で射殺されたのと同じ替え玉っぽい流れの気がしますが

とりあえず確認しときたいのはこの回がまだ第7話で全何話なのかということ。流れ的には敵のアジトに潜入してラスボスと対決すってんだから普通に考えるとこれは最終的な展開に映るのでありますがまだ7話。

テレビ雑誌には全10話と謳ってありますし、次回の予告もラストミッションなどではなくネクストミッションとなっていましたんで次週最終回という訳ではなさそうなんですけど。

 ドラマの内容に戻って、街中で三九が撃ち殺されるのと京介を探すというのがどう繋がるんだろうと思ってたんですが、成程そういうことかと。

 来栖(ナベアツさん)のスナイパーシーンが全く見られず後方支援ばかりしてるのは何故という疑問も今回解き明かされて成程そういうことかと。ちゃんと履歴調べろよと思わないでもなかったですが。

 当たり前と言う表現が正しいのかはあれですけど、柄本さんが出ると画が締まるというか何しでかすんだろうと言う蛇に睨まれた蛙状態で観てしまいますですな。

 ドロシー(深田さん)は相変わらずお人形さんみたいでありまして元男というのが信じられないところであります。この役に関しては泣いたり笑ったりという豊かな表情よりも総理と話してる時のようなほぼ無感情の時の表情が一番印象が深いところであります。

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~だじゃかん

「一日3杯までだで4杯も飲んだじゃかんて。」

  (一日3杯までなんだから4杯も飲んではだめだって。)

訳せば「~ではいけない」ということになる「~だじゃかん」。

「だじゃ」+「かん」ではなく「「だ」(で)+「じゃ」(は)+「かん」(いけない)。

もちろん「てはいけない」で「たじゃかん」という言い方もある。

普通だったら「飲んじゃ駄目」というのであろうが、「だ」が入るのが遠州弁らしい表現であろうか。「のんじゃかん」も普通に使われる表現だがこれだと命令度が強い感じになるので訳すと「のむんじゃないよ」とかになる。

例文

「あんた勝手にそれ飲んだじゃよかあないらあ。」

  (ちょっと。勝手にそれ飲むのはどうかと思うけど。)

「勝手にって誰に断りゃいいっつうよを。」

  (勝手にって、誰に断ればいいっていうの。)

「誰んのとかそういう意味じゃなくて。検査するで飲み食いしたじゃかんっつわれてんかった?」

  (誰のものをとかいう意味じゃなくて、検査するから飲み食いはしないようにって言われてなかった?)

「やいやいそうゆやあそうだった。わすれかあってたやあ。」

  (あ、しまったそういやあそうだった。忘れてたよ。)

「知らんにい。どんじかられても。」

  (怒られても知らないよ。)

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