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今年の夏の景色の記憶

地震があった日に一応異常がないか家を見回ると

我が家の猫の額ほどの庭

正しくは物干し場

そこに真白き鉄砲百合がずかずかでんと咲いていた

植えた記憶なぞなく

本人の意思で生えて来たのだ

逞しい雑草としての本性を露にして

狭い敷地を割いている

なんか綺麗だな

綺麗事を言わない奇麗かな

花が落ちたらやっぱ雑草にしか見えないだろうけど

逞しいことも悪くない

今年一番の夏の思い出かも

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コールセンターの恋人 その8

 今週の商品、三点セットの組み合わせはよをこんなこじつけ考えるよなあと。

ゴルフのドライバーにカーナビ、それになんと指輪ときたもんだ。なんの繋がりもないこの3点を「出来る男の三点セット」と銘打って告知するなんざ逞しいを通り越して嗤っちゃう商魂だよなあと。

こんなの買う奴いるんかいと思ったら湧いて出るほどいるという始末。まさに物は言い様。ふと気になったのはテレビショッピングの利用者の男女比率ってどれくらいなんでありましょうか。

それにしてもどうせ在庫品抱き合わせ処分ミエミエの苦肉の策なんでしょうが、唯一謎に満ちているのが「少量の小麦粉」。何に使うのか?それが気になってなりませんでした。

「出来る男」というのは口実で実は「浮気支援グッズ」であるということになっているのでありますが。まさか危ない「粉」に見せかけチョイ悪ぶるとかいう洒落にならない使い道でもありますまいに。

で、結局は出来る男グッズではなく浮気支援グッズでもなくなんと浮気撲滅グッズだったというオチで小麦粉はその為のアイテムだったということで。分かりづれえ~!取扱説明書なしでその用途が分かる賢い人がいるなら見てみたいですわ。

ほんで、アイス(名取さん)の売り文句を真に受けて買った人が怒り心頭でコールセンターにまで直談判にくるというのはそりゃあそうだよなあと思う次第で。正直者は馬鹿を見ると言う世界をもろに表現していて哀愁だよなあ。信頼っていうのはなんなんでしょうねえ。

二組の壮大な夫婦喧嘩に巻き込まれるコールセンターの図という舞台の中で描こうとしたものはなんなんでしょうかねえ。雨降って地固まるという奴でしょうか浮気かもと疑って本心が見えたという流れなんでしょうか。片方は雨降って地ど壷みたいでしたけど。完全にセンター長(松重さん)いじられキャラですな。ああいうお人でも元気にやってられるなら俺だってという気になりますんでどんな時でも陽気でいて欲しい感じです。

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*わりかし

方言とかではなく俗語だそうで「比較的」とか「割合」とかいう意味であるそうな。昭和30年代あたりに上映された映画から広まったという説明書きをなんかで見た様な記憶あり。造語なのかどうかは露知らず霧の中。「割り方」の変形とも書かれてあったような。辞書では「わりかた」で載ってることが多そうだ。

それ以外の用途としては(あまり変わらないけど)「意外と」・「結構」・「まあまあ」とかいう使い方もする遠州では定着した感のある言葉である。というか「わりかた」なんて言葉使わない。

真面目な時に言いたい場合は「わりあい」を、普段の砕けた感じでは「わりかし」でという使い分けをする人が多い。男女共に使う。

例文

「わりかしいけるじゃん。そう思わん?」

  (意外といけるじゃないの。そう思わない?)

「まあの。いけんこたあないの。」

  (そうだね。まずいということはないかな。)

「なんか不満?」

  (何かご不満でも?)

「そういう訳じゃないだけえが喰い合わせがの。」

  (不満ってほどでもないんだけど、どうも喰い合わせがね。)

「別に悪くありもしん。うなぎと梅干じゃあるまいし大丈夫だよを。」

  (別におかしくないでしょうに。うなぎと梅干じゃあるまいし。大丈夫でしょう。)

「つうても揚げパンの具がプリンってなんかなあ。」

  (そうは言っても揚げパンの具がプリンってのはなあ。)

「いいじゃん別にい。コロネにアイスっつうのもありだで。」

  (構わないでしょ。コロネにアイスだってありなんだから。)

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猿ロック エピソード3-1

 誰がどうやって合鍵を?謎でありました。でもまあ30分のうちその殆どは音楽室の幽霊にブチュ~(夢中)するぞというお話しでしたけど。

学校の定番の怪談話しみたいな要素もありそうなのですが恐怖よりも欲望の方が勝ってるってんですからある意味夏の定番のぶち壊しをかましてる訳ではありますな。

夜中に忍びこむ事によって謎解きのヒントを得るとかいう展開なのかなと思って観てたんですけど本当に欲望の趣くままの燃えたぎりをリツコ(芦名さん)に蹴られて消沈しただけみたいでした。

なんで音楽室の窓に鍵が掛かっていなかったのかとかもしかしたらヒントがあるやもしれませんが分かりませんで「聖徳太子」ばかり目に焼きついてしまいました。

そんなこといったら江戸川区ってあんな奇麗に秀峰冨士が愛でれる風光明媚なとこなのかとか、廊下は禁煙の張り紙(女子高だろ?)とか放射線状に張られた消火器のシールとか目指せカンヌってバスケだろおめえらとか世界征服とか江戸川区独立ってどこから独立したいんだとか。ホント遊んでるとしか思えないとことかに散々注意がいっていましてこの回は殆どどこ見てんだよ状態で謎解きに集中できてませんでしたけど。他にも気づかなかったけどこらしょとあるんだろうなきっと。

とりあえずの謎は誰がどうやってなんの為に置き引きをするんだということ。いづれも全て謎のまま。胡散臭いのは音楽と美術の男子先生だけどそんなどストレートにはいかないだろうし、怪談じみたものも混ぜ込みたさそうな気配もあるし次週に進まないとホント判りませんですな。

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熱中症ってどっちが?

 幼児が車内で熱中症が原因で亡くなられたというニュースをまたまたまたやっていた。場所はこういう事例において全国どこでも御馴染み定番となっているパチンコ屋の駐車場。

発端が相も変わらず親はというとパチンコに夢中。で、結果放置のあげくの可哀相な出来事。

一体熱中になってたのはどっちなんだろとつい思ってしまう熱中症というネーミングは的を得てるよなと。

昔はというと子供は母親に背負われて恒に一緒に居たものだけど、今は四六時中共にということはないらしい。

それが子供のぐずる泣き喚きを嫌う社会環境のせいなのか、親が周りの目線を意識してのものなのかは知らないがこの手のニュースが絶えない事だけは確かで改善される気配が見受けられない。

最後に罪を被るのは親なんだし親が責任を問われる事になるのだろうけど、お店にしてみればとんだ被害者ということになるのであれば防衛の為にも駐車場を巡回するくらいの意識も必要なくらいで。つくづく他人によりかかって生きてる人種が増えてきてるんだろうかな。注意と文句の区別をつけれなくなってきていて、なんか言えば全て感情的な文句(表現)になるしそう受け止められてしまうという風潮もあるのかもと思ったりなんかして。だからお店の人も熱中症の客に注意できないのだろうかな。

まあ同じ店で何度もこういった出来事が発生してる訳ではないのだろうからお店の側は注意に努力を払っておられるんでしょうけど。それにしても後を絶たない出来事でありますな。

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*あたま

「あたま切る」(髪を切る)

といった風に「髪」という意味として使われ、その変化形として

「あたまやる」(散髪)

という使い方もしている遠州弁。

古語辞典を読んでたら、「あたま」(頭)・意味 ①髪 ②物事の始め と書かれてあった。

共通語でも「頭を丸める」(出家する)みたいな使い方もあり、遠州弁独特の言い回しではなく古語が生き残っていたということになる。

では、今の「頭」という意味は古語でなんというかというと「つむり」とな。

「おつむ」という言葉が未だ使われてるので死語というものではなさそうだ。

でもやっぱ遠州以外の地で「頭切る」と言うと「え?」と思われることに変わりはない。

例文

「ちょっとあたまやってくるでねえ。」

  (ちょっと床屋に行ってくるよ。)

「あんたしょっちゅうあたまやり行くだねえ。」

  (あなたしょっちゅう床屋に行くよねえ。)

「しょんねえらあ伸びたらうざったいだで。」

  (仕方ないだろ伸びると邪魔臭いんだから。)

「そんなしょっちゅう頭切らんならんなら、はあいっそのこと丸めてきない。」

  (そんな頻繁に髪切らなきゃいけないんなら、もういっそのこと坊主にしてきなよ。)

「勘弁しとくりょを。みばあ よくしんと こぶしょったいじゃん。」

  (よしてくれよ。きちんとしてないと恥ずかしいだろ。)

「基ん ねぐさってる だでとんじゃかねえらあ。」

  (基が基なんだから無駄なあがきでしょうに。)

「随分じゃねえか。」

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赤鼻のセンセイ その8

 院内学級存続や否やという交渉の展開で、何故生徒(患者)と教師ばかりで保護者が出てこないのか不可思議とは思いましたがそんなこんなでモンスターペアレントがいないだけましな世界なのかも。しかしながら子供を託す親はどう思ってるかぐらいは観たい気が致しました。

これで決着がついたとも思えない子供たちの健気さの勝ちという様相で大人のそれぞれの都合が吹き飛んだ勢いでありましたが流れ的にはやはり廃止という方向に進んでいるんでしょうか。いまいち残尿感が残る流れで、廃止までの残りを精一杯想い出とするために頑張ろうという展開なのか最後の最後で廃止が免れるのを信じその行動が描かれていくのかという今後の展開が読めないところであります。

そもそも私の無知によるものですが実体験として院内学級というもの自体見聞きしたこともない初耳の空間でありまして、その必要度というものがいまいち掴めていないままこのドラマを観続けてきたのでありまして。

そんな視点であるからしてここまで存続に熱意を注ぐ意気の源がよく分からない部分がありまして。ついついここは冷静にという気で観てしまいました。石原(大泉さん)の性格からして無理な事ではありましょうが。

もちろん病気の為に学校に通えない彼らに教育をという崇高な目的を否定するものではありませんで、あるに越したことはないという想いはありますが。

実際のお話しではなくあくまでこのドラマにおけるということでありますが、院内学級とは心のケアという部分が大きいのでありましょうか。だから石原のようなおふざけじみた授業でも意義があるんでしょうね。勉強の遅れをカバーし復帰を援けるということならば快方に向かっている八重樫((神木さん)が進学先に病気を理由に学校側が難色を示されるみたいな苦悩をすることもないのでしょうから必ずしも学校側が一枚岩でサポートしてる訳でもなさそうですし。存在意義は「気は心」で気を丈夫にする効能を期待する病院側にとっての益によるものなんでしょうかね。

そうはいってもなんでこんな時期にという刻一刻と和田(須賀さん)の病状が重くなっていくという状況でこの騒ぎ(大人の都合)は大変だよなあと思いながら観てました。

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*ずいぶん

「随分」。辞書によると

普通の程度を越える様子。「随分な」だとその意味は、相手のひどい態度を責める様子。

となっている。

遠州弁における「ずいぶん」は

「そりゃまたずいぶんじゃん」(ひどい事してくれるよな)

「ずいぶんな物言いじゃん」(なんていう事言うんだ)

「ずいぶんな事してくれるじゃん」(ひどい・余計な事をしてくれて迷惑)

「ずいぶんだやあ」(ひどいなあ)

といった「随分な」という「ひどい」という意味の使い方が殆どで、普通の程度を越える様子という共通語的使い方には「がんこ」・「どえらい」・「ど」・ばか」・「相当」とかを使うので共通語と遠州弁ではそのニュアンスが微妙に異なるような気がする。

例文

「あれ?わしのわ?」

  (あれ?俺の分はないの?)

「買っちゃいんよ。」

  (買ってないよ。)

「なんでえ随分じゃん。」

  (なんだよ冷たいなあ。)

「だって欲しいっつわんかったじゃん。」

  (だって欲しいって言わなかったじゃないか。)

「そりゃゆっちゃあいんけどそんくらい気い利かすらあ普通。」

  (そりゃあ言ってなかったけど普通は気を利かせるだろ。)

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救命病棟24時 エピソード3

 この回の主役は花輪先生(板尾さん)と山城さん(木村さん)でありまして、ふたりの救命復帰に至るまでの過程が描かれていたように思えました。

花輪先生が一時救命を離脱したのは親権かなにかの係争中でその決着つける事に専念するための一時的ものでその事は倒れた先代の医局長は知っていたもしくはアドバイスしたとかいう話しだったんでしょうかねえ。口で言うほど沈み往く船だからみたいな逃避離脱ということではなかったように勘繰れました。

そういった裁判沙汰になるくらい長期に亘って夫婦間に亀裂が生じていたにしては、ドラマ的にベストなタイミングと状況で劇的にその関係に和解が生じるというのはあれまという気がしました。きっかけは子供の作文によるものでまさに子は鎹でありましょうがそれで母親が得心したにしては薄味な説得力だなと。母親と子供の側から見た画というのも提示して貰わないと私のような想像力の欠如したような人間には突然の心変わりという風に映ってしまいます。

較べるのは作り手の方に大変失礼なことでありますが、ドクターヘリでの黒田先生も同様な理由で家庭不和に悩まされていた状況が描かれていました。あちらの方がより奥さんの悟りの境地といったものが実感できましたんでそれと較べてしまうとどうしても都合よく出来過ぎのような感が否めなかったです。

ま、こういった枝葉をとやかく言う前にこういったことが特別な事ではなく救命に関わる人の負の要素なんだ(家庭を犠牲にしてまでやっている)という根幹を知る事が重要なんでしょうけどね。でも仕事一途で家庭顧みずというのはどんな職業であっても同様の悩みが存在する訳でありまして、程度の差と言う問題はありましょうがこれはどちらかといえば国民的な問題でありましょうな。

花輪先生(板尾さん)のそれでも医者かと罵られつつも裁判所に向かおうとしてる時の苦悩に満ちた表情が印象に残りました。

 山城さんの方も無事救命復帰と言うことで徐々に陣容が整ってきた訳でありまして。今回は澤井医局長(ユースケさん)と進藤先生(江口さん)の対立もなく観やすくはありました。これからはなにが起こるんでしょうか。頑張るとまだ宣言していない先生や看護師さんの覚悟を決めるという質の向上が描かれるとかするんでしょうか。

それにしても今までの救命救急のシリーズの中ではお医者さん看護師さん共に数が最も少ない印象がありますです。お医者さんの方は徐々に揃いつつありますが看護師さんの方は増えるようなことはないんですかねえ。

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*うっちゃっちゃやいいじゃん

「捨ててしまえばいいじゃないの」と言っている。ただし「うっちゃる」には放棄と投棄と中断後回しとかいう使い方があるので必ずしも「捨てる」とは限らないが。

がんこ語呂が遠州弁的で気持ちいい言い回しである。

似たような表現で「ほかしなげる」・「ほかす」というのもあるがこちらは放すという行為のニュアンスが強く意思はあまり感じられない。「うっちゃる」には意思を強くイメージさせる。

つまり熱くて持ってられないような場合「ど熱いもんでつい鍋ほかしなげた」・「ど熱いもんでつい鍋ほかいた」とかいう言い方はするが「ど熱いもんでつい鍋うっちゃらかいた」という言い方はあまりしないということ。「つい」を外せば「うっちゃらかいた」を使っても違和感はないが。

例文

「なにこんなどぎたないの使ってるよを。はあ んなもん うっちゃっちゃやいいじゃん。」

  (なんでこんな薄汚いのを使ってるの?もうそんなもの捨てちゃえばいいのに。)

「ほ~い、うっちゃっちゃっかんでねえ。」

  (ちょっとを。捨てたら駄目だかね。)

「なんでよを。」

  (どうして?)

「うっちゃらかいたら承知せんでねえ。がんこしただで。」

  (捨てたりなんかしたら承知しないからね。高かったんだから。)

「いくらしたよを。」

  (いくらしたの?)

「ゆったらあんたちんぷりかあるでゆやせんけど。なんしょがんこしただよ。代えんないだで。」

  (言ったらあんたへそ曲げるから言わないけど。とにかく高かったの。代わりはないんだから。)

「ちゅうこたあなに?ひょんきんな話しなんかあったらわしよりこっち心配するだけ?」

  (ということは何?もしもの話しとしてなんかあったら私よりこっちを心配するってこと?)

「まあそおゆうこんだいね。」

  (まあそういうことだね。)

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TOTOネオレストハイブリッドシリーズ「波」編

 久方振りに上手い面白い可笑しいの三拍子揃いかつインパクトがあり判り易いというCmを観た様な気分。15秒でも十分楽しいけれど、出来得れば30秒バージョンをゲットしたいところ。

船越さんといえばもうこの道の代名詞(サスペンスドラマの帝王)とも呼ばらるる本物。当然上手い。

そのお方を起用してパロディ調で攻める辺りは可笑しい。

節水をかくも分かり易くアピールするアイデアが面白い。

「波」の大小の大袈裟なギャップがまた見事でなんとも間の抜けたような能天気さが醸し出されるところがまたいいですわあ。大波の音に負けまいと声を張り上げることによる此処が見せ場の盛り上がりといった緊迫した臨場感が穏やかな小波になるとほんわかした気分になるのがホント面白い。効果音のつけ方が上手いんでしょうね。

船越さんの納得顔も印象に残りました。

常々なんでいちいち崖で事件の謎解きをというお約束なんだろうという疑問を一気に解決してくれるようでためにもなるという側面を併せ持つもしものコーナーみたいな感じに思えるところも乙でんな。

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ブザー・ビート その7

 前代未聞というかなんというか初回でも最終回でもこれにて一時中断とかいうことでもないのにの15分拡大という第七話。拡大したところで録画したものでしか観れないのでありまして。けつの方だけ先に観るのもいやったらしいので個人的にはビミョー。普段は通しで観て見直ししながら感想書くんですけど、今回は観ながらの随時の感想形式で。なんで当然浅いし勘違いしてる部分もありますんで。何卒よしなに。

未練たらたらの菜月(相武さん)からの電話か?直輝は出ないだろうなと思ってたら出た。好い人過ぎるにも程があるよなあと。でもまあ話しの内容はなんじゃらほいと思ったら、いけずな感じで場面転換。

こっちはこっちで脈なしとモロ判りなのにそれでも鉄砲撃ちまくりの川崎(伊藤さん)が切なやな。これは誰かに言って心を整理せねばと麻衣(しほりん)に経過を伝える莉子(北川さん)という図。話しを聞き共に悩む事もなく発想の転換を意図せずに促す麻衣。深刻な方に頭の中が向かない大らかさを与えてくれますですな。でもまあプレゼントの中身はなんじゃらほいと気になったらこれまたいけずな感じで場面転換。

で、直輝の方に戻ってみれば、あの電話は荷物の整理という実務の連絡内容でありましてそりゃそうだと得心したしましたけど会いたくもないから郵送でという思考に至らぬのは摩訶不思議。でも終始深刻な顔してATフィールド強めに張ってる直輝の姿からは決意の程を感じ取れました。若干菜月の眼を見て問いかけてるのは友達も無理という突き放し方との矛盾を感じもしましたが。

菜月は猫被ってる風に見えたんですけどなんでですかねえ。より戻したそうでしたから精一杯の誠意ということなんでしょうか。それとも強がりか。代々木(金子さん)とは上手くいってると言ってたみたいなので誠意というよりも強がりっぽいということなんでせうかねえ。ま、とりあえずこの一件は落着か。

ほんで、またまた莉子へと場面転換。&直輝邸でのお話し。気になったプレゼントの中身が今明らかにって思ったら中々出てこない。これはギャグなのか?にしちゃあ出てきたものは指輪。洒落でもギャグでもなさそうなんですけど。川崎の趣旨が分からん。

ところで指輪の事なんぞ全く無知な私からしたらこれがなんでこんにゃく指輪だと分かるんだろうという疑問が湧かないでもなかったです。でもまあそうなんだと言ってるんでしょうからそうなんでしょうかね。川崎はそんなつもりじゃあなく勝手に莉子と麻衣が勘違いしてその後の大騒ぎに発展するって手も考えられますんで話し鵜呑みにせず観といた方がいいんですかねえ。

直輝バスケの練習してましたけど足はもう完治してるんでしょうか。それにしても画の見せ方が斬新でしたなあ。代々木との対比という表現なんでしょうか。

足はやっぱ気になってるみたいでありました。爆弾抱えてでもこのシーズンに懸けるのか長い目で見てこのシーズン棒に振るのか。なんてことが頭の中で巡っているかと思ったら莉子との事とは畏れ入りますこの太っ腹。そしたら噂の莉子現る。

どうすんのかと思ったら莉子逃げた。ということは結論出ずに今日に至ったということか。逃げたってバスケ選手を振り切れる訳でもなし。追いつかれて決めていないままの出たとこ勝負という図。直輝はもうなんか想いを断ち切ることに決めてたみたいで終始押し気味に会話が進む。で、交渉決裂。

どうすりゃいいのさこの私と言わんばかりの想いを玉葱?にぶつける直輝。それでちょんに出来るんだから流石スポーツマンといったところか。足の方は今年が勝負年ということで将来の事を考慮して棒に振るという意思はないようで。もっともおかれている立場に将来そのものが危ういという危機感によるものでありましょうが。自転車操業っぽい危うさを感じます。

しかしながらこうなるとブザー・ビートって莉子か菜月に向けてということだけでなく自分の将来に向けて一発逆転かますっていう手も見えてきました。

ところでまたまた場面変わって今度は莉子の踏んだり蹴ったりという図。バイオリンが可哀相だとさえ言われる程の心ここにあらずの落ち込みようで本業にまで影響が出る始末。終わったんだと自分に言い聞かせてもサバサバと出来ないのはアーティストの性か。それに加えて菜月と遭遇。どこまでついてないのか。それともこれが上昇への糸口か。

なんとはなしに菜月には思案がありそうで油断ならぬ勢いを感じますが莉子は無頓着でそういった気配に気づいてないみたいですし。菜月は莉子を遠ざければ直輝が戻ってくるっていう算段なんだろうな。だとしたら容赦しないのかな。小姑でもあるまいがそういう勢いでいくのかしらむ。

先週は直輝が踏んだり蹴ったりでありましたが今週は莉子が踏んだり蹴ったりということなんでしょうか。家に帰れば気を利かせて入れない。誕生日とはかくも自分の無力を悟る日か。っていつから誕生日の一日(8/24)だったんだ?お母さんは前日電話寄こしたのか?それとも0時越えたから電話したのか?ま、どうでもいい疑問でしたけど。

いづれにせよ誕生日が目出度いなんてとうの昔の話しだし祝って貰うみたいなこっぱずかしい事もしてこなかったんで私的には直輝からの電話の有り難味というのは今百ピンとこない無粋者ですが、絵柄としてはロミオとジュリエットの絵図の一丁上がりって感じで劇的でありました。

折れたのは窓から宣言した莉子の方か電話した直輝の方か。歩み寄りの精神ということでおあいこなんでしょうけど莉子の方が強めに感じられました。時代は恋愛に於いて女性上位という構図を何気に表わしてるんでしょうかね。

そのあといきなし階段駆け上がったものだから、まさかこれで足壊すんじゃないのかとハラハラしながら観てました。何事もなく無事着いてよかったねと思いました丸

直輝にああいった積極(衝動)性があるんならそれを菜月に対して示していたなら物語(月9)にはならないにしてもこうはならなかったのに。相手によってのこの違いはなんなんでしょうね一体。

 とにかくまとめてみるならば、直輝と莉子の距離が物凄く近づいたという事。秀治(溝端さん)と麻衣に何かが芽生えた。以降は大きな壁(ライバル)を如何に倒していくかということなんでしょうか。略奪であってはならない人間関係のしがらみとの調整と言う側面もあり。でも相思相愛っぽくてブザー・ビート放つというところまで追い込まれていそうに見えないのは、これからまだ何か強大な障壁が存在するってことなんでしょうかね。

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*ばれる

辞書を引くと、「ばれる」発覚する・掛かった針から魚が逃げる・気づかれるとかいう意味となっている。

遠州弁というかうちの集落ではそれ以外にも束にしておいたものが「解ける(ほどける)」とかバラバラになるような事を指す。ま、つまり「ばらける」という意味で使われることがあるということ。

「ばらす」という表現が「壊す・外す」に対しての「ばれる」は「壊れる・外れる」ということで、例えば「紐をばらす」(紐をほどく)・「紐がばれる」(紐が外れる)みたいな。

別に方言でもなんでもないだろうと思っていたけど確信はないがどうもそうじゃないみたいな気がしてきたので記載。

イントネーションは共通語での意味使いの場合「れる」と「ば」強くなるのだが

遠州弁的使い方の場合には「ばる」と「れ」を強く言う。使いどころについては「ばらける」を「ばれる」に言い換えれば済むのであるが。

例文

「あれやあ。散らばらんよう紐結んで束にしてただに、ばれただかしらんがくっちゃんくっちゃんじゃん。」

  (なんだよ。散らからないように紐で結んで束にしておいたのに、外れたのかしらないが散らかってるじゃないか。)

「ばれたじゃなくてばらいただらあ。シゲさの奴がちびっと使うっつって持ってったの見たでシゲさ ばらいてっただらあ。」

  (外れたんじゃなくて外したんだろ。シゲが少し使うからって持っていったの見たからばらしたとしたらシゲだろうな。)

「あんの野郎元戻すっちゅう言葉知らんだか?」

  (あいつは元に戻すという言葉を知らないのか。)

「みたいだの。」

  (みたいだね。)

「もしそうだったら後で説経だあ。」

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いつのまのか毒されてたなあ

 煙草は健康を害する旨の表示という軽いジャブのような第一弾の後、タスポなる遠まわしの煙草ご法度令の第二弾?が始まってからというもの、自動販売機で煙草が買えなくなってから。禁煙が節煙に変わりという根性無しの自分はどう対応してるかというと、ドラッグストアやコンビニでカートン買いするようになった。

別にそのこと自体はどうってことない話しなのであるが。賢い消費者(?あざといだろ)としてはコンビニで買うよりもドラッグストア(実質安売りスーパー)で買うことが多い。というのもカートンで買うとサービスとしてライターとかをおまけでつけてくれるのだが、コンビニだと店員さんの気まぐれで呉れたり呉れなかったりという運の勝負的な要素がありドラッグストアでは余程のこと(超新人さんかくそ忙しい時)がない限りつけてくれるので営業時間内である限りドラッグストアの方を利用するようにしている。

コンビニの中でも家族経営に近いところはそういうことはないのだが、お店の人がころころ変わる店員の定着率の低いお店ではよくこうした安定したサービスが行えないことがある。考えてみれば商品管理レジ操作扱うサービスの量の多さ等しなければならない覚えなければならないことは半端ない訳で。しかも24時間営業だからお店閉まってから後でやればいいやという事後処理とかも難しいので即応が求められるんだろうなあと。

そういう売る側の大変さを判っていながら、ライターがサービスでついてないと運もついてなかったように思えてきてこんなことならここで買うんじゃなかったという気分になってきてしまう。無料で呉れるものだからライター貰えませんか?と聞くのはずうずうしい限りでそういったあつかましい真似は自分はできない。言わなきゃ損だという社会の流れに反発してる部分もあり、おばちゃん軍団の証でもあろう厚かましさに対してああはなりたくないという思いもある。なのでとにかく呉れないなら呉れないで何も言わずそのまま店を出ることにしている。

しかしやはりなんか損した気分で不愉快になってる。でもそんな事に不快感を感じるようになったらそれは自分が忌み嫌うクレーマー予備軍への仲間入りしてるんじゃないのかとふと気づいた。「~してくれるのが当たり前」という根拠の無い甘えである。

危ない危ないいつのまにか毒されてたなあ。ライターは貯まっているのだから貰わなくても本当に困る訳ではない。そういう余裕があるのに呉れないといってふてくされるのはライターが欲しいんじゃなくて呉れなかった事に対してむかついているだけなのだ。早急に必要としないものを貰っても本来はどうってことないことなのにね。問題がすり替わっていることに気づけない愚かな感情でありんした。いやあホント危ない危ない。いつのまにか毒されてたなあ。

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みてくれ・みば・みこ よくしんと

みてくれ・みばは共通語だし特に遠州独特の意味使いをしている訳ではないのだが、遠州弁での使い方ではどう使われているかということで。

「みてくれよをせんと」という言い方は殆どしない。

「みてくれよくしんと」・「みばよくせんと」・「みこよくしんと」これらはどう違うかというと。

「みてくれ」はとりあえずな一時的な表面上の取り繕いという印象の度合いがより強い。

「みば」は「見映え」(実質に関わりなく見た目によく見えること)と似た意味使いの場合と「見場」(見た瞬間に人に与える印象)という意味使いの場合の二通り考えられるので厳密には一概にこうだとは言い切れないのだが、「みてくれ」よりは一時的な印象は薄くなる。どちらも外見を指す場合が多い。

「みこ」は気に入られる・好感度が高いとかいった本人の内面的な資質の問題なので見た目の印象だけではない部分を指す。

例文

「あんたねえ、街出るにそんななりで行くだか?ちったあみばよくしんと恥ずかしいにい。」

  (ちょっとぉ。そんな格好して街中に行くの?少しはおしゃれしてかないと恥かいちゃうよ。)

「みてくればっかよくしたってしょんないじゃん。」

  (変に気張ってもしょうがないでしょ。)

「だからっつって野良仕事のまんま みたいなじゃ かんらあ。」

  (だからって畑仕事してきたみたいな装いじゃあどうかと思うけど。)

「失礼こいちゃうやあ。よそいきだに一応。」

  (酷いこと言うなあ。これでも一応外出着なんだけど。)

「そうけえ。いつもと変わらんくめえるけどやあ。」

  (そうなの?普段と変わらないように見えるんだけど。)

「悪かったやあひんしょったくてえ。」

  (根がみすぼらしいんで紛らわしくてすいませんね。)

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オトメン・夏 その4

 面白いですねえテンポ良くて。それぞれみんな隠し玉持っているというか底知れぬ奥の深さを感じるキャラクター達ばかりで誰をイジっても物語が作れそうな勢いで単調にならないとこがいいですね。

今回の隠し玉が花火のようにババンと大きく爆ぜたのは多武峰(木村さん)でありました。思いっきり橘兄弟に当初勘違いされてましたが新たなオトメン現るというのは想像だにしていなかったので結構意外な展開でありました。自暴自棄になってた時に不良になぞならずに素を表わして筆の魔術師の道になんで走らなかったんだろうという疑問は残りますがそれをいっちゃあお終いなんでしょうかね。一応世間の眼を気にするという想いがあるんでしょうねきっと。

繊細で自分を律する男ほどオトメンの要素が強いっていうことを提示しているのでしょうか。

今回は男衆のお話しでりょう(夏帆さん)の出る幕は無しなのかなと思っていたら最後変身ショーが用意されておりました。化粧のことをどうのこうのいう知識はないのでああたらこうたらは言えないんですけど。そんな私にでも分かる罰ゲームみたいな失敗メイクとかも厭わず見せるというのは役者さんとしての根性が垣間見えるようで好感持てます。

 斬新に思えたのはバスの中でのちょっとした宴会(盛り上がり)風景をそれを直接映さずナレーションだけで見せたところでありました。多少笑い方がぎこちない印象は受けましたが想像力が膨らむ感じでこういうのもありだなと。しかもここまでに磯野(澤部さん)の人となりがしっかり提示されているのでこいつならこうだろうなというイメージが掴みやすいというのも効果的だなあと。クラスの皆の磯野弄りも陰湿でなく明るくて平和の象徴みたいですな。

 個人的にはお高くとまってる小針田(桐谷さん)の孤高さにめげない逞しさが悦です。声も甲高くなくていいですな。イメージとしてこういう役って甲高い声の人が多い多いイメージなんで新鮮に聞こえます。ほぼ放置プレーの哀愁ネタのキャラですがめげない逞しさがいいです。

 子供店長ならぬ子供監督のギャグも嗤えましたです。視聴者向けというよりうちうち業界ネタのようにも感じられますが十分ついていけました。

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華麗なるスパイ その6

 今回は結構シリアスな展開に重きを成していたかのように映りました。

影の部分につけこんでの京介(長瀬さん)に暗殺という魔の手が蜘蛛の糸のように絡みうきながら忍び寄る。全部嘘にしては迫真のお芝居でしたなあ。普段騙してる奴に限って結構騙されやすいという教訓も兼ねていたんでしょうかねえ。

騙す方が騙されると言う京介の得意技が全て封じ込まれた展開でもありました。そういう意味では今回は不調な京介という図でありました。

ナオミ(純名さん)は最後全て嘘といって去っていきましたが、京介に未練を残させない為の思いやりの嘘なのか真実全て騙すための作り話だったのか。よく分かりませんでした。にしても局長と京介の身長差を変身マスクだけで入れ替える構図というのは勇気いる映像でありましたなあ。

毎回京介の詐欺(騙し)は誰かを幸せに導くというおまけがついていたのですがこの回そんなおまけは見つけられませんでした。それがドロシー(深田さん)にとっての京介の持つ不思議な魅力でそれに惹き寄せられてどんどんと傾斜していく部分であったのですが。ドロシーフォーリンラブでもう詰んだので描く必要がなくなったんでしょうか。

三九(杏さん)も好きと口外しちゃったようですし、やっぱ憂いのある男はモテルってことなのですかねえ。

でもどうして三九は拉致されたんでしょうか。そりゃ京介に対するプレッシャーに決まってますけど京介に何をしたいんでしょうかねえミスター匠(柄本さん)は。京介の生死は問わないみたいですけど。

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*ちゃっと

「直ぐに」・「早く」とか言う急かす目的の言葉。特に遠州独特ということもないのだが普段よく使われるので記載。

「ちゃっちゃと」と「ちゃちゃっと」という表現と同類か。多少ニュアンスは変わる。

「ちゃっと買わんと売り切れるにい」(直ぐ買わないと売り切れちゃうよ)

「ちゃちゃっと買わんと売り切れるにい」(他の用は後にしてまず先に買わないと売り切れになっちゃうよ)

「ちゃっちゃと買わんと売り切れるにい」(のんびりしてると売り切れちゃうよ)

幾分誇張気味の訳ではあるがこういった違いがある。

語呂遊びでいえば以前どこかにも書いたが

「ちゃっとちゃちゃっとチャットやってちゃっちゃとチャート作らんとを、あんたちゃあしてちゃちゃいれてる場合じゃないだにい」(早くパパッとチャットやってとっととチャートを作らないと、のんびりお茶してふざけてる場合じゃないでしょ。)

とか言う風なのが思い浮かぶ。

例文

「これよさそうじゃん。買うかあ。」

  (これよさげじゃない?買おうよ。)

「テレビじゃみばとかけっこく写してるだでどうだか分からんて。実物見て買わんと往生こくにい。」

  (テレビだと見映えよく写してるんだからなんともいえないな。実物確かめて買わないと後悔するよ。)

「限定だって。ちゃっと申し込みをっつってるにい。買わまい電話するでねえ。」

  (限定なんだって。今すぐお申し込みをって言ってるよ。買おうよ電話するからね。)

「人の話し聞いてる?似たようなもん近くの店屋にもあるらあ。」

  (人の話しを聞いてる?同じようなもの近くのお店にもあるだろ。)

「あのねえ、買って後悔するのと買わずに後悔するのとどう違うと思う?」

「大して違わんらあ。」

  (大した違いなんてないだろ。)

「馬鹿こいちゃかんて。欲しいと思ったもん買って後悔したらやいやいで仕舞いだけど買わずに後悔したらあん時買っときゃあっつって一生ゆうだにい。」

  (何言ってるの。欲しいと思ったもの買って後悔したらあ~あで済むけど買わないで後悔したらあの時買っておけばって一生言うことになるんだよ。)

「欲しいじゃなくて必要なもん買えやあ。」

  (欲しいものじゃなくて必要なものを買えよな。)

「消費は美徳じゃん。なにいかんよを。」

  (消費は美徳でしょどこがいけないの?)

「いつの時代の話ししてるだあ。」

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