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コールセンターの恋人 その7

 潜在的な購買意欲をつついてるのか、現実の流行にうまく便乗してるのかは定かではありませんが、毎週南極アイス(名取さん)のテレビショッピング観ること自体がほぼ日常に感じられてきました。勿論欲しい商品なぞ一品もないのですけど。そう思える程現実っぽいテレビショッピングの煽りであります。

実際名取さんが番組やれば商品売れそうだぞというインパクトを感じます。押しは強いけど厭味が薄味って感じでしょうか。

 ま、そんなことはさておき今回のお話しは大切な想い出の代金とはというのと想い出とはなんぞやということなんでしょうか。

大人の理屈で総額100万円で収めんとせよという命題を与えられて奮闘努力するコールセンターの面々。請求する輩の言い分とやらをもう少し詳しく聞いて「馬っ鹿じゃねえの」とあざけ嗤いたかったところですな。想い出は記憶という頭の中に焼き付けるべきものそれを他の媒体で写していたとしても劣化したり機械そのものが規格変更や故障等発生して結果永遠のものとはならない。

ドラマや映画なんかもそうだけど一期一会の覚悟で観なければ想い出として残らないものです。録画したからいつでも見れるとかいう安易さから真剣に観ようという気が失せがちにもなるものでただ安心するだけのものにしか過ぎません。

それに想い出は美化されてこそという側面もあり、事実を客観的に写したものでは「記録」にしか過ぎず「想い出」にまでは昇華しないものでしょう。

そんなこんなでびた一文払う道理はないと思って観ていたのでどうやってコールセンターの面々がそれを裁くのかもっとはっきり見たかったなあと思いました。もちろん機械不良ということであればその分の賠償はすべきでありまして幾つ売ったのかは知りませんが100万円以内で済む話しではないので言う方も言う方断る方も断る方というどっちもどっちな丁々発止ではありましょうが。

 もうひとつの想い出とはなんぞやというとある夫婦のお話し。前の話しの流れで言ってしまえばこれは想い出ではなくメッセージ(事実)を残すという「記録」である訳でありますが。こちらは流石に失敗は許されない絶対的な信頼が機械に備わっていなければならないというお話し。

正直南極アイスの口車に乗せられたとは言えそんな大事な事ならトラブルを抱えている機種に拘る理由がね。そりゃあ出産やらなんやらで出費が今後激しくなりで、もう買い替えれないし高級機種も買えないというのは分かりますが。

ホントに大丈夫ですよねえと青響(ミムラさん)に電話して確認してるくらい自信を持って売っていないツケが都倉(小泉さん)に廻って来たという切ない話しでもありましたな。餅は餅屋というのがやはり安心の礎でしょうが餅はスーパーでみたいな売りのプロが元締めで販売してるというのが安心さを薄れさせる感じです。

そんなおちゃらけの感想はともかく夫婦のお話しはちょっと感動しましたです。実質遺言ともいう面もありその思いを慮ると自分だったらどうするんだろとつい我が身を振り返ってしまいました。

手術成功してよかったねという流れでしたが、やっぱ駄目でしたであっても展開としては感動出来ただろうなと思えました。

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ココログの記事作成画面での余分な表示なんとかしてくんなまし

 以前にも記事に書いたのだけれど、ココログの管理画面。ページトップだけになら別にとやかく言う気はないのだが。

記事の作成画面右側にブログネタ・ココログニュースを表示するのはいつになったら止めてくれるのだろうか。しかも最近サポート/ヘルプという項目が追加になった気がする。状況は益々希望とかけ離れていっている。

まあそれについて具体的な要望とかはなんにもしてないんですけどね。つまり言うだけのほぼ100%の愚痴。ほぼというのは誰も読まないだろうけど此処で記事にしているから。

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猿ロック エピソード2-3

 この回はリツコ(芦名さん)が映えて観えた回という印象でした。まあそんだけサル達の狂喜乱舞振りが目立ってたってことに繋がる訳ですけど。

夏の日差しに思いっきり当たって脳みそが溶けて膿みつつ海の美人局に思いっきり中るサル達御一行。

一体どういう形(内容)でサル達をはめようとするのかが興味でありまして、まあ普通に考えれば俺の女に何してくれるという慰謝料請求なんですけど。それじゃあなんの捻りもないしそもそも鍵師の腕の見せ場が存在しないよなあと。

理由を勘繰るのはともかくおいといて、とにもかくにも美人局に失敗して憤怒した元締めがミスを犯した彼女達に制裁を加えんとするところをサル達が救出に向かうのかなと想像してたんですけど、結果は忍び込んで現金強奪する為にサル達を身代わりに仕立て上げようとしたという展開でした。しかも都合がいい事にサルは強盗の際に障害となる鍵を開けることが出来る。

もしサルにその力がなくとも蹴破るこじ開けるなり愛のパワーで突き進んで頂くという算段だったんでしょうかねえ。被害者が大金取られても警察に訴え出なかったのは表沙汰には出来ない怪しいお金だったということなんでしょうか。

結果的に見事に騙されて片棒を担いでしまったサル達でしたがその後の対応は非常に沈着で御用にまで導いていく訳でありましたが、これはもしかしてリツコが忠告した時点で薄々気づいていたということでありましょうか。それでもなお祝合体を目指す辺りは今流れに乗りつつある訳あり傷物上等という類の気は心といったものに拠るのでしょうか。単純にわかっちゃいるけど止められないという盛りのついた野獣だったってことなのでしょうか。

キョウコちゃんと山本(渡部さん)のカップルについては事件性がないのだからこれにて惜別とならんでもよかろうにと思いはすれど、友達思いの一蓮托生なのか抜け駆けはなしよという有様でした。あくまで瞬間的合体達成目的のみで、これを期にお付き合いという意思はなかったようであります。

事件落着後気を新たにして再度浜辺に突進して行く様は夏はまだまだノーサイドということか。果たして上手く行ったんでしょうか。いくわきゃないか。

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*いんくなる

「いなくなる」。関西系の表現であろうが遠州でも普段使われるということで。

決して暗くなるみたいな意味の「陰くなる」とかいうものではないし意味不明だが「インクなる」とかいうものでもない。

「いないものだから」は「いんもんで」

「いなくなれ」という「いね」という表現はまったくしない訳ではないがほとんど使われない。こういう場合方言ではないが「消えろ・けえろ」とか「もこういけ・どっかいけ」・「いらん」とかが使われることが多い。

例文

「まあたどこぞにほっつき歩きいっただか知らんがいんくなったぁ。」

  (またどこかにほっつき歩きにいっちゃっていていなくなったよ。)

「しょっちゅういんくなるでねえ。注意しんとを。」

  (気をつけないとしょっちゅういなくなるからね。)

「どう注意せすでえ。」

  (どう言えばいいのさ。)

「無理かあ。」

  (打つ手なしかあ。)

「だらあ。ホントしょんない。」

  (そうだろ。もうどうしようもないよ。)

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赤鼻のセンセイ その7

 間近で死に直面し、今までの生き様に疑問を抱く石原(大泉さん)という図。

私も10の位には達していませんがそれでも何人か仲良かった人が極楽に旅立たれてしまったという経験値を持っておりますれば、かような「ついさっきまで」という切迫な状況の経験はないにしても、想う事と言えば逝った人の分まで大切に生きようと心を新たにするものであります。しかしながら自分の生き様まで問うような事態に陥ったことはなく石原の心中を察するには私では鈍感過ぎるのかその過敏さに理解出来ない部分も多くありますです。自分のせいで死に追いやると言うのならともかく。

死と向かい合わせの生徒と接することの難しさ及び病院という環境の特異性というものが石原にはあるということにしても、本当に誤ったことをしているのなら周りの大人が間違いなく退去を命じている筈で。そういうこともなく先生業を続けていられるということを考えれば自分否定すること自体過敏すぎる思考だと自分には同意(共感)するのは難しいことでありました。

やれることをやる。人に必要とされる事を生きていく上での糧とする。

ドラマにおける結論はこういったものでありましょうか。至極真っ当な結論で違和感はないのですがこの回り道というか迷路にはまる勢いがあれまという展開でありました。なんかこの後院内学級閉鎖の危機に立ち向かうの図が用意されてるみたいなのでその大仕事の前に一皮向けて不退転の決意で行動するに相応しい石原とするために、今まででは心もとなかったところから成長したという姿を提示しておく必要があったんでしょうか。当初院内学級に疑問を呈していた七瀬先生(香椎さん)は先週で賛同派になられたみたいだし。それほど一致団結する必要のある強敵が来週現るということなんでしょうか。

 それにしても此処へきて須賀さん神木さんという役者さんを配した重みというのが本領を発揮し始めたというか見応えが増してきました感があります。片や日に日に病が進行して行き、もう一方では回復に進んで行くというあまりにも対照的なその姿と懸命さに色々と考えさせられてしまいます。

ごくごく普通に生きていればあの年齢ならば限りない未来のみで人の死(終焉)など直面するものではないのですが。このドラマの一番初めに一人仲間が旅立たれた光景が描かれていて彼らは若くしての経験者ということになっています。それだけに同じ境遇にいる仲間として八重樫(神木さん)の心境のような自分だけが快方に向かっていいのだろうかという罪悪感は理解できるところです。戦場に駆り出され自分だけが生還したみたいな仲間に対して生きていて申し訳ない気持ちみたいなものなのでしょうか。

話しをぶり返しますが、その点石原の立場は彼らとは違うものである筈にも拘らず仲間と考えていたから八重樫と同じような感覚が石原に生じたということなんでしょうかねえ。軽い気持ちで接していた。なんと言う申し訳無い事を俺はしていたんだという反省の嵐みたいな感じですけど彼は今までそういった経験を経たことがなかったということなんでしょうかねえ。

つまるところ院内学級とはなにをするところなのかというのを問うのがテーマなんでしょうか。毎日の生きる希望を見出す場所・頭のリハビリ・仲間友情作りなどなど色々想像できますがそういった意義とはなんぞやということなんでしょうか。こういう仕組みが存在してたこと自体初耳なんで存在意義がよく理解できていないというのが本音であります。

人の生き死にが描かれる以上浮ついた感想というのは失礼にあたるのですがそれにしても徐々にシビアな流れになって参りました。和田(須賀さん)はどうなっちゃうのかな。

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*ばんらばら

まあ「バラバラ」ということで特に方言とうことではないのであるが、遠州弁における使い方として、こう表現することで「もう嫌」的な呆れてる感が加味される効能を有することになる。男女共用表現。

「ばらんばらん」という表現もあるがこちらのニュアンスは第三者的とか見放したみたいな突き放し感が増す。

より冷たさを追加するには「ばらっばら」を使うことが多い。この場合怒りの感情が多少こもり気味に聞こえることがある。

ただしいずれも遠州弁におけるニュアンスの説明であり共通語のニュアンスを説明してる訳ではないのでお間違いなきよう。

例文

「運動会どうだったよを。」

  (運動会どうだった?活躍できた?)

「全然。」

「なに出たよを。」

  (なにに出場したの?)

「ムカデ競争とか。」

「勝てなんだだ。」

  (勝てなかったんだ。)

「だってさ~あ、みんなばんらばらで前 進みゃせんだもん。」

  (だって皆バラバラで前に進まないんだもの。)

「普段から仲良くしとかんもんでばらんばらんなるだにい。」

  (普段から仲良くしておかないからそうなるんでしょうに。)

「元からばらっばらだもん。こんな時に備えて仲良くしまいなんて無理に決まってるじゃん。」

  (最初っから合わないんだからこういう時に備えて仲良くしとこうなんて無理な話しなの。)

「大人んなりゃあ好き嫌いでつきあいとか選べやせんくなるだでちったあ訓練とかしといた方がいいにい。」

  (大人になったら好き嫌いで付き合いとかは選べなくなるんだから今のうちから馴れるようにしといた方がいいと思うよ。)

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救命病棟24時 エピソード2

「進藤滅却すれば激務もまた涼し」

そんな皆が皆悟りを開いてる訳でもないのでしょうから生身では辛い行でありますな。澤井医局長(ユースケさん)の身に余る激務は身を削る消耗戦であり芳しからずやという方が分かるような気がします。

リストラだ派遣切りだと打ち捨てられた悲劇ももちろん悲惨ですが運よく残ったとしても捨てられていった人の分まで残った人が背負うのが普通の企業の姿を当てはめてみれば、もう限界だとやめていったお医者さんと残ったお医者さんの関係に近いものがある風にも感じられます。やめさせられたとやめてったは大いなる違いですが制度の歪みが原因でということでは同じでしょうから。

ところでこの回はマナーCmとかでも謳ってる常識外れた相手の増加というのは述べられていなかったのですが、患者とは呼べない程度の「客」が押し寄せるから手一杯になるというのをいつかは扱うんでしょうか。一瞬バンドの連中が登場した時そういう輩登場かと思ったのですがそうではなくいい連中でした。

話し戻しますが、まさに進むも地獄戻るも地獄という有様でお医者さんに限ったことではないのかなと。大所高所から見て医療制度そのものが悪いという澤井医局長の言い分はもっともだよなあと。たとえ進藤先生といえどもそれは間違っていると非難するのは説得力はないよなあと映ります。

進藤先生の立ち位置は最前線であり澤井医局長は参謀みたいなもんでしょうかねえ。最前線にいる限り目の前で飛び交う事象が全てであり戦術がどうのこうのという場合ではないということか。

悪い流れは元から断たなきゃ駄目という考えとどんな状況でも最善を尽くすべきという考えの対峙だけでなく最善を尽くす為には最高の状態に己を持っていかなければならない。寝不足等の過労などはそれを阻むものでありそんな状況で最善を尽くすことは出来ない、いやするべきだみたいな。

まあそんな進藤先生と澤井医局長の丁々発止はこれくらいにして、今回の目玉は小島先生(松嶋さん)のお話し。救命医として復活し係争に決着がつきと劇的な流れでありました。係争はずうっと足枷となって重くのしかかっていく長期戦になるのかなと思っていたので意外な展開でありました。ホント相手の人が出来た人で運が良かったよなあと。

医局で皆にその旨を報告挨拶するシーンの松嶋さんの姿は感動的だったですなあ。「その重さに負けない様精進していきますので宜しくお願い致します。」辺りの涙堪えてには決して開放感からなどではない万感迫る想いで新たなる重荷の加減が慮れ(おもんばかれ)てよかったですわ。

その和解の道を切り開いたのが澤井医局長。存外いい人だ。部下を護る(この時点ではまだ部下じゃなかったけど)事のできる人で良き上司に違いないとぞおもひけり。それと袂を別つ(一言言いたい)進藤先生というのは今のところ進藤先生に分が悪く映ります。

話し変わりますが、進藤先生の行動を知って救命から逃げ出した丹原先生(趙さん)が再び救命に戻ってくるの図。

そうはいっても進藤とて普通の人間なんだという締め方でありましたが、あれにて丹原先生が再び救命医として奮い立つというのはちょっと物足りないという気になりました。なんかどちらかというと弘法も筆の誤りって感じであれのどこが普通の証なんだろうかなとちょっとね。いずれにせよ戻ってからは師匠と呼びかねない勢いでありましたので心酔されたんでしょうけれど。

 とにかくすこしづつ人員が集まってきつつある中で、そのどちらも進藤先生の踏ん張りによるもので。このまま卓越した人徳で崩壊したこの職場を繁栄に導くという展開であろう筈ではなかろうて。かくあらんという理想の職場作りにおいては澤井医局長の存在と行動が不可欠でありましょうからその兼ね合いが見所になっていくんでしょうか。進藤派と澤井派にわかれていがみ合う構図だけは見たくないところです。「あんたはあんたの仕事がある。」とかいってそれぞれの得意分野で未来を導く絵柄を期待したいところですな。

 エンディングの車も見えず人もなくただひたすらな大都会という図は、いままでが通勤列車とかの人の波とかが印象的なものが多いイメージがあるだけに、意味深な感じがしますです。まさかそして誰もいなくなったとか言うブラックな意図ではないのでしょうが冷ややかな印象を受けます。どういう意図なんでしょうね。

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*次男坊

言葉そのものは共通語で意味的な地方性とかは存在しないのだが。

共通語だと子供に対して使う表現で大人に対してあまり使わないが遠州では幾つになっても使うところが地域性であろうか。

自分の弟を指す場合は「舎弟」・「舎っ弟」。

よそ様の弟を指す場合に「次男坊」と言う。もちろん三男なら「三男坊」。

例文

「あそこんほんやけえ。」

  (あそこが本家なの?)

「あそかぁしんや。次男坊んちでえ。」

  (あそこは分家。次男の家だよ。)

「ほんじゃほんやはどこよを。」

  (それじゃあ本家はどこなの?)

「わしんちでえ。」

  (俺の家。)

「うっそお。おんしゃあ次男坊にめえるやあ。」

  (ホントかよ。お前の方が弟に見えるぞ。)

「つうかわし間借りの居候だもんで。ほんやはいとこでえ。」

  (というか俺間借りしてる居候。本家はいとこなんだ。)

「なんだぁ。ややこしいなあやあ」

  (ああそうなの。複雑なんだね。)

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ブザー・ビート その6

 「な~んて独りぼっちが淋しくて大声で独り言を言ってみた。」という麻衣のセリフ。笑いを取ってる訳じゃあないけど幕が転換してる間の作者のちょっと一休みみたいな雰囲気が漂って和むです。まさしく麻衣(しほりん)がストリーテラーのようで、莉子(北川さん)の行動はまるで麻衣の描くシナリオに従って進んでいくかのような錯覚すら覚えさせられます。それは強制でも強要でもなく莉子を思い遣ってのアドバイザーという意味なんですが、大抵の情報が麻衣のところに集まってくるからそう思えてくるんでしょうか。そういう意味での秀治(溝端さん)の存在は必需であります。姉と弟みたいでさりながらこの二人がもしくっつくとなったらそのタイミングというかチャンスがどこにあるのか想像つきません。

麻衣は多分聞き上手なんでしょうね天性の。当初は私に任せなさいみたいな姉御肌な側面も感じられたんですけれどここへきて背中を押すタイプの人に映ってきました。でも最後は一肌脱ぐんでしょうかね莉子の為に。そんな気がしてきました。

一週間に及ぶひたすらな恋話問答で莉子は嘘をつかないという結論に至る。この間麻衣はずうっと聞き役に徹していたんでしょうかね。

その結論に沿って素直に生きようとするとそれを遮るかのように何かと周りの人が煩わしさを運んで物事を難しくしてしまう。しかもそれが悪意のないものであるだけに始末に負えないという様相。

先週の感想というか予想で莉子(北川さん)と川崎(伊藤さん)が分かれるとしたら川崎が引くんじゃないかと思ったんですが、あにはからんやライバルが居る方が燃えるとて、引く気皆無というかむしろ歩みをより早めて走り始めた勢いすら感じる次第で。

最後の川崎の「お前を信じてる。」ってセリフからしても真に受けたらアホなんだろうな。暗にというかモロに「手を出すなっつうかお前引け」と言ってるようなもんで、さすが体育会系。じくじくしてない宣戦布告でありました。

直輝の方に目をやれば、菜月(相武さん)と分かれるわ足を負傷するわで踏んだり蹴ったり。しかも最後は川崎から今のところの唯一の心安らぐ出会いをも足を踏み入れてはならぬと警告される始末。これは踏んだり蹴ったり掬われたり。バスケにおいても代々木とは未だ心を通じ合えない状態。こうなると踏んだり蹴ったり掬われたり揉まれたり。一体全体どこで心を洗濯(リフレッシュ)すればいいんだという滅入りの極地みたいな有様。長期戦にでもなったらどこかで爆発しそうな状況ですな。もしそうなったら誰に当たるんだろう。

そんなこんなで莉子も直輝も程度の差はあれ気分は限りなく深い青の世界に沈み込んでいる状態。でも自分から動き出した結果で受身の被害者ではない。川崎は走り出したばかりで紅き情熱の赤なのか。自らを奮い立たせようとしてる空元気なのかそれとも戦士の血が甦ったのかは分かりませんが。

残った菜月だけがひたすらな受身(本意に非ずして)にてある種の被害者。もちろん自業自得の為せる業でありますがその代償は本人が想像していた以上の深い傷にようでありました。なにかに夢中になっていないと平静を保てないからと仕事をしていても家でゲームをしていても頭の中から湧いてくる悲しみというのが切ない限りでありました。菜月はなんで直輝でなけりゃ駄目なのか説明がされてないままなんですが今後代々木と出会うたびごとに直輝との違いが描かれてこういうところの直輝が好きだったという間接的な形で表現されていくんでしょうかねえ。なんかまだるっこしい感じですが。

 それにしても結構急展開な流れでしたね。莉子の心変わりというかこうも早くに直輝に想いが向くというのは急速で意外でした。麻衣との会話で我に戻ってどう取り繕って直輝と心とは裏腹の友情関係を続けるかの算段をするのかと思っていたんで。

さて次週は鬼にいぬまのなんとやらか?川崎が海外に行っているうちになんやらかんやら起きるのか。パターンとしては川崎のいない間に直輝と莉子の距離が益々縮まっていくってのがお約束ですけどはてさてどうなるんでしょうか。

最後ブザービートを放つのはそりゃ直輝でありましょうがそれは莉子にか菜月にか。どっちもありうる展開で翻弄してくれたら愉しいですな。

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*あめま

「雨間」と書いてなんと読むか。共通語では「あまあい」と読むのが一般的であるみたい。他には「あまま」・「あめま」と読むとネットで調べた辞書にはそう書かれてあった。

意味は雨と雨の間。つまりわずかな雨上がりの晴れ間。

まあ特に遠州弁でもなんでもない話しではあるが、うちの集落では「あめま」という人が多いということと「あまあい」なんて言葉普段使わないぞということが特徴かと思って記載。

他の言い方では当たり前に「雨やんでるうちに」・「また降らんうちに」とか共通語と同じ言い方をして地方ゆえの特異性はない。

「雨間の内の雲間の晴れ間」だとその読みは

「あめまんなかのくもまんはれま」となるのが遠州弁。

例文

「雨やんだかいねえ。」

  (雨やんだかなあ。)

「どうだかいやあ。みてこすか。」

  (どうかな。見て来ようか。)

「やんでるならちゃっと戻らすかな。」

  (やんでいるのなら急いで戻ろうかな。)

「天気予報じゃいちんちじゅう雨降るっつってたで雨間のんちに行った方ん正解だの。」

  (天気予報だと一日中雨が降るって言ってたから雨やんでいる内に行った方がいいかかもね。)

「確かに。そうだらあ。」

  (そうだよねえ。そう思うよね。)

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官僚たちの夏 その7

 以前本で読んだ本田んとこのおやじさんが納得いかんっつってあたけまくったってのはこの法案の事なのかな。新規参入に対しての厚い壁になる訳で剣呑剣呑な法案にしか思えてきませんですな。それにしても昭和の歴史と近接し過ぎていてしんどい限りのお話しです。ここで描かれている時代は私にとっては物心すらついてないので歴史上の話しなのでありまして。こういう法案を欲した時代背景ってのは実感はないんですけどそれにしてもドロドロしてましたですなあ。

奮励努力の甲斐もなく結局法案は廃案になった訳でありますが、政治家はいざとなれば官僚のような正攻法ばかりでなくどんな卑怯な手を使ってでも事を為すんだという底力を見せ付けたような展開でありました。政治家と官僚が喧嘩したら政治家の勝ちという構図でありましたが正しい姿というのはどういう姿なんでしょうかねえ。官僚は何をするのが本業なのかというのがよく分からないので政治家と官僚の役割分担が見えてこないというか被るというか。

「俺たちの使命は国民をこうふくにすることだぞ」というセリフがありましたがこの「こうふく」。漢字にしたら「幸福」なのか「降伏」なのかそれとも強引だけど「口腹」(言う事と心の中で思っていること)なのか。もちろん「幸福」に決まってますけど一瞬ミスター通産省に「降伏」勧告を突きつけるぞという宣言なのかと思ったもので。

なんか次回からは第2部と予告編で謳われてましたので、此処までのが第1部だとすると栄華を誇りし者が都落ちする悲哀のドラマということにまとめれちゃうような展開でありました。もっと穿ってみたら時の実力政治家に嫌われたら官僚は吹けば飛ぶような存在なんだと。

画的に言ったら片山(高橋典さん)が寝技師(又は隠密)で通産大臣古畑(佐藤Bさん)が悪役で池内総理が壁という構図で風越(佐藤浩さん)包囲網を形成していた風に映ったのでありますが必ずしも風越が正義というよりも玉木(船越さん)の方が正しい風に思えるのでややこしくて頭がこんがらがりますです。

片山といえば、当初は残業はしない余暇を楽しむというそれでいて毒を持つといった海中でフラフラ触手を揺らしてるいそぎんちゃくみたいなイメージがあったのですが最近は池内に24時間使える忍びの者みたいな腰巾着に変化したようでありまして登場人物の中で一番変わってきてる御仁ですな。

このドラマ、玉木が主人公だったらもっと判り易いドラマであっただろうなと思えます。豪腕に抗って省内において四面楚歌になりながらも信念を貫き通す男のドラマとして。

勿論第2部で風越の巻き返しかなんかが起きるのでありましょうが。

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遠州弁で言葉遊び パターン

「ちっとばかの こんだで ひゃあひゃあ ゆわんとを なんしょ あんた まるきし やりもしなし ちゃっと 飛んで戻って 来ちゃあ おえん でねえ。」

 方言で遊ぶには全く独自の言葉を繋げてなんのこっちゃいとちんぷんかんぷんにさせる手と、言葉そのものは共通語と同じだが意味が異なるために大きく誤解を招くのを楽しむ手と二通りあるような気がする。

冒頭の文章は前者の手合いの文章。

「ほんのちょっとの間のことなんだからそんな文句言わないで。にとにかく、全くやりもしないで直ぐ急いで戻って来たら駄目だからね。」

「駄目」を「許さない」にする場合には「おえん」を「ぶっさぐる」に替えればよい。

後者の手合いの文章例だと

「ばか信じれん。いっつも わざとに いれこにしてけつかるだよ。ひょんきんだらあ。」

共通語としてそのまま解釈すると

「馬鹿は信じられない。いつもわざといれこにしてけつかるんだ。笑っちゃうだろ。」

とかになるんだろうか。当然意味不明である。

実はこう言っているという訳

「もう本当に信じられない。いつもわざとあべこべに入れていきやがるんだ。随分じゃないかって思うだろ?」

「馬鹿」についてはまあイントネーションが違うので遠州人同士が勘違いすることはない。例えばアホという意味使いの馬鹿は共通語と同じ「」だが度合いを表わす場合平坦に「ばか」もしくは「ば」となる。

後者のパターンで言葉遊びが出来れば遠州人の方でなくとも楽しめるであろうとは思うのだが、なかなか例文が浮かんでこないのが辛いとこではある。

それと、いつか音声合成ソフト扱いこなせるようになれたら音声つけた記事に過去の記事も全部直してみたいものだが如何せん金も知識もないところも辛いところパート2である。

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きとくな人

 最近は「危篤」な人かいつまで経っても無くならない天下りみたいな「既得」な人ばかりで「奇特」な人というのを見聞きすることがなくなったような気がする。

言葉が死語なんじゃなくてそういう人種が死滅したのかも。

因みに奇特の意味は、志が深く常人には行い難い事を進んでする様子とある。

殊勝も近い言葉だけどこちらは立派な処があり褒めるに値する様子ということで尊敬や敬意というニュアンスは奇特より薄く賞賛や感謝という度合いの方が強いイメージが湧く。

いずれにせよ今は俺は客だぞとおかしな既得ばかり口にする人か生活が危篤な人ばかりで奇特が当てはまる人は死滅しかかってるんだろうな。

殊勝な首相と奇特な首相。どっちに投票するかといったら奇特の方なんだろうけど短命で政治生命が危篤な首相か既得を守る首相しか最近見てないからもうどういう人が奇特なのか忘れちゃったなあ。

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オトメン その3

 夏らしく怪談話し。幽霊現る。回を追うごとに面白くなってるというか観てる方も馴れてきた分この空気感が愉しめるようになってきたというか。楽しいです。

こういう展開は絶対実際に人(役者)が動くことを前提としていない絵の世界だからこそ生まれる(表現できる)発想と設定だよなあと実感させる流れでありました。

しかもとてもスムーズでドラマ化するにあたり人が動いても違和感ない風に強引に改ざんした訳でもなく漫画のテイストを残したままでありながら実に違和感なく楽しめて観れました。まあ原作読んでないので正しいかどうかは定かではありませんがそう思えました。

ざっとこういうとこが漫画らしいなと思ったとこをあげつらうと

恐怖のあまり老人化してしまう容姿。しかも子供の幽霊は一切説明無しの解決無し。にも拘らず多分来週になれば老人化はもうしてないんだろうなきっと。

幽霊は存在ししかも登場人物の中で最も幽霊なんぞは気の迷いと精神論で育てられててそうにも拘らず、実は霊感が誰よりも強いという設定のりょう(夏帆さん)。心の修行(鍛錬)が足らぬから幽霊なんぞにとり憑かれるんだという教育を受けてきたのではと思えているので。

幽霊はすでに数人に姿見られてるのになんで直に話しをしようとせずにわざわざりょうにとり憑いたのか。(まあこれはファイト挑まれかねないので封じ込める意味があったんでしょうけど)

飛鳥(岡田さん)のライバル多武峰(木村さん)が銀百合学園に転校してきたいきさつ。スカウトでもなんでもなく更正の為の監視目的という決して自慢できる話しでもないのに面堂家に伝わる謝罪の作法みたいな実に悪びれることもなく堂々とした態度。普通100%嫌な奴に映るんですけど笑える話しになってるってのはすごいよなあと。木村さんの力量による所も大なのでしょうが人間でイメージしたら絶対こんなキャラ生まれないよなと思えます。

いずれもつっこみどころ満載な筈なのに、何故かざらつき感なく納得して観れてしまうというのは作り手の技(見せ方)が冴えてるってことなんでしょうかねえ。原作を道具(題材)としてるのではなく大切にされてこその為せる技なんでしょうね。

 ところで竹刀を壊したのは誰?鉢植えを落としたのは誰?りょうに乗り移った幽霊さんと飛鳥との会話を聞いてると未練だけで怨みつらみなぞ抱いてはおらずとても幽霊さんの仕業とは思えないのですけど。

 ところでのところで夏帆さん。どこか一本心のネジが外れてそうな天然な(理想的な乙女ではない)役というのが多いイメージで、必然的にそういう役しか似合わない一芸の役者さんなのかなと思っていたんですけれど。今回霊が乗り移って大人モドキの(お姉さんっぽい)役を背伸び・無理してる感なぞなくきっちり演じられておられて結構幅広くお芝居できる方なんだというのを知った勢いでおお!でありました。この方は10代の輝ける乙女の時期を過ぎても役者さんとして十分見応えある決して旬だけの人ではないんだろうなと思えました。

ただ首を絞めるシーンはもっと喉元に食い込むように締めて欲しかったな。大分遠慮を感じてしまいます。

ところで今週のパロディネタは「ホノカワボーイ」かい。

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華麗なるスパイ その5

 トマトを潰す様には笑えました。あれがりんごだったら男気の証明なんでしょうけどトマトだから笑えるんだろうかな。なんかドリフのコントを思い出しもしたんできっちりとした芸として成立してるからなんだろうなきっと。ああいうシンプルなことからでもきちんと笑いが取れるってのは長瀬さんはコメディアンとして凄い力量なんでしょうね。白髭のお姿もようけ似あってらしたし年齢さば読みの幅も広そうです。

食べ物で遊んでるように見えて出来上がった料理を見る限りにおいては食材を無駄にすることなく全て料理にしたというところは作り手のエコの配慮が感じられましたけど、その結果「採用試験はトマトを使った料理を作れ。時間制限5分。」にしちゃあ手がこんでそうだったなあ。くだらない感想ですけど5分じゃ無理だろうと思いました。

 秘密通路の自動ドアネタはもう尽きたのかしらむ。ロッカー落下のお約束はまだバリエーションがあるのか続いてますけど。

 本題に戻れば、今回はこれ見よがしなテロリストは登場せず、可能性をひとりづつ消して絞っていくというパターンでありました。しかも今回は潜入に一度失敗するという初めての展開。

しかも三九(杏さん)の見てる店内で堂々とテロ阻止行動に討って出るという始末。隠密とは真逆でありまして、これで正体モロバレかと思ったら。能天気な編集長?さんがこれはスパイごっこの凝ったショーだと納得してしまうという展開。無論三九はそうは思ってはおらずより一層確信したに違いないでしょうけど。

家に戻っての風呂上りのくつろいだ雰囲気が印象的な杏さんでありました。気合い入れても弛んでも画になるお方ですなあ。バリエーションとして仕事してるのと家の雰囲気の提示を観たのでこのドラマの中でバリバリのモデルさんみたいな戦闘体勢に入った気合いの化粧の様というのも観てみたい気になってきました。

 総理と国際的なテロの親玉との闘いというよりもいわくつきの私怨の個人的な争いのように映って見えますが京介(長瀬さん)はどっちかと血縁関係にあるみたいですねえ。まあ露骨にミスター匠(柄本さん)は俺の子だといってましたけど。夢想するに根拠はまったくないですが匠が父親で失踪した母親は総理(渡さん)の妹だったりなんかして。まあそんなんじゃ世間にばれたら大スキャンダルで総理の座なんて吹き飛ぶでしょうから。多分妄想でしかない話しでしょうけど。実際の展開はどうなるんでしょうか。

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*ずいぶんじゃん

「酷いじゃないか」・「なんでわしばっか」・「随分じゃないか」・「おいおい勘弁しろよ」とかいった意味で使われる。

「ずいぶんじゃん」でひとつの形となっており「ずいぶん」・「ずいぶんだら」・「ずいぶんじゃんかあ」とかも使いはするが大抵は「ずいぶんじゃん」を使う場合が多い。その理由は「ずいぶんだら」などでは「まったくも~」とかいった「おいおい」感がなく単純に非難してるようなニュアンスが強くなるからであろう。

物の言い方にもよるが「ずいぶんじゃん」には和みを含んだニュアンスがこもることが多いので場の空気を壊すことが少ないためと想像される。少なくとも怒ってるイメージはない。

例文

「明日の会議での発表まかいたでねえ。」

「なによをずいぶんじゃん。自分わあ。」

「わしけえ?わし見てるだけ。なんか問題でも?」

「まあええよ別に。そんかわしあることないことぶちまけちゃるでえ。」

「屁とも思わんわあ。自分の首絞めるだけだにい。」

「むかつくう。どうすりゃあ参ったといわせれるだかいやあ。」

「あれえ簡単じゃん。伊勢神宮とかに連れてってくれりゃあ参ったっつうにい。」

「・・・・・」

「それか茂さぁんとこの息子今何年生って聞かれりゃ高3って言うに。」

「首絞めちゃろかあ。」

「そんときゃ降参なんて言わすかあ。ギブっつうわあ。」

「ギブはいいぃ。」

  (ギブは言ってもいいのかあ。)

「うっ!墓穴掘ったかあ。詰めん甘かったなあやあ。」

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