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幸せの贈り物

 今時珍しいくらいのシンプルな展開に映りました。面白かったですし、普遍性を感じるドラマで何年か経ってから見直しても古くならないドラマだろうなと。悪い意味じゃなく、なんかの啓蒙用に作られたみたいで、似たような感じだと差別問題の啓発用映画とか交通安全のとかみたいなものを見終わったような後味がしました。つまり例えば「命の尊さ」とかみたいなテーマがはっきり明確で分かりやすく。

こういった作品って展開上必要最小限な人物のみの配置で複雑にとか、かき混ぜといった余分なことをする人の存在がなく、行く末(結末)がドラマが始まって直ぐくらいに分かるのですが。それだけにそこに至るまでどうやって観る側を惹き込んで行くのかが善し悪しを決めるポイントなんでしょうね。ストーリーを追わないで済む分登場人物の一挙手一投足を丁寧に観れるから集中できます。もっとも劇的な展開で末広がりなハッピーエンドではない憐れさがありましたけど。それでもなお一歩を踏み出す勇気を貰える明るい未来を予感させる展開でありました。

私みたいなおちゃらけな人間がなんかテーマに関わるような主題的なことに対して感想を書くと作品の質を落とすことになるので、シンプルに余韻を味わったとだけ記し後は浅く見たまんまの印象を書きます。もっとも男の出る幕じゃない世界が描かれてるというのもありますけど。

榮倉奈々さんも良かったんですが、やはり桜井幸子さんの我が子を慈しむ健気さが良かったなあ。

子供は手が掛かるというのもよく小憎らしさが表わされていてこんな手間ヒマだらけ(自分の時間を奪われる事)という苦難の道に進もうとする女性の根性には改めて畏れ入ります。

よく分からないというか解せないのは深夜帯に放映するのはなんで?

こういう不変なテーマはゴールデンタイムとかに流してこそと思うのは考え方が古いんでしょうかねえ。幅広い層に伝わるものなだけに深夜族に対してのみ伝えるメッセージという気にならないのは気のせいなんでしょうか。

夏うたという挿入歌が主題だからそういう歌を好む年代をターゲットにするとこの時間になるということなんでしょうか。なんか受け狙いのバラエティに押されてこの時間になったと映ってしまう私はおかしいんでしょうねきっと。

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*やらまいか

 なんか遠州弁の代名詞みたいな扱いになってる言葉。全国的に紹介されてるのは躊躇するならまずやってみようみたいなぶつくさ言わずにとにかくやろうよといったニュアンスの言葉として紹介されているのでであるが、地元民が実際に使ってるニュアンスとしてはオレもやるからお前もやれよという時に使われる言葉。ニュアンスで訳せば「お~いやるよー」ってな感じか。

ではその他はどうかというと(あくまで一例)

シンプルにやるよ・始めるよという時には

「やらまい」・「やるにい」・「やらざあ」(ただし駿河ではニュアンスが異なる)

お前に替わってオレがやるという時には

「やらしょ」(やらせろ)・「やらしょやあ」(やらせてくれ)

オレはやらんけどお前やれという時には

「やりない」(やんなよ)・「まかいた」(任せた)・「やりい」(やれよ)

お前やってくれないかという時には

「やらんかねえ」(やらないかなあ)・「やらんだかねえ」(やらないのかねえ)・「頼まれてくれんかねえ」(頼みがあるんだけど)・「あのやあ」(言いにくいんだけど)

おねだり調の時には

「やらまいやあ」(やろうよう)・「やらまいにい」・「やるかあ」

「やらまい」と「やらまいか」の違いは微妙で殆ど使い方に違いがある訳ではないが「か」を足した分「やるぞ」と「やろうよ」といった言い方みたいな差が生じる感じである。

「やらまい」と言われると「嫌だよ」と言い返せるが「やらまいか」と言われて「嫌だよ」というのは若干気が引けるのは確かであろう。だからといって、「やらまいか」といわれて「NO」とは言えない訳では決してない。

例文1

「やあおめえ、荷物の搬入がんこ遅かったじゃんかあ。こんなじゃ今日中に終わらんでえ。」

  (お~い。荷物の搬入がえらく遅かったじゃないか。こんな状況じゃあ今日中になんか終わらないぞ。)

「まあ、そをゆわすとを。やらにゃ始まらんだでなんしょやらまいかあ。」

  (まあまあそんな事言わないで。とにかく始めないとどうしようもないんだからやろうよ。)

この例文のように具体的な解決策が見出せない場合とかにとりあえず始めようというある種の根性論を説くといった使い方をすることがある。

例文2

「おーいそろそろ時間だでやらまい。」

  (おーいそろそろ時間になるからやるぞう。)

「なにょこくだあ。そろそろってまだ時間前じゃんかあ。」

  (なに言ってんだ。そろそろってまだ時間前じゃないかあ。)

「んなことゆわすとを、ちゃちゃっとやってちゃっちゃと終わらまいかあ。そうすりゃあ早く戻れるにい。」

  (そんな事言わないでさあ。パパッとやってとっとと終わらせようよ。そうすれば早く戻れるんだから。)

「しょんねえなや。ちゃっと戻っていいことあるだあ。」

  (しょうがないなあ。ところで早く戻っていいことがあるのか?)

「いやまだ他にも仕事あるでやあ。」

  (いや。まだ他にも仕事があるからさ。)

「なら休ましょうやあ。ばかっつら。」

  (それなら休ませろよ。この野郎。)

ここでは「やらまい」を使ったので反論された。もし「やらまいか」を使っていたら「どうして?」というとこに飛ぶ会話となる。

共通語の「まい」という表現の使い方だと

「二度とやるまいと誓う」みたいな意思の表れであり、辞書によると「何かをしないという主体の意思を表わす・そうではないと推量想像することを表わす」といった打消しの表現だそうな。これと遠州弁の「まい」は異なる。

遠州弁での「まい」は打消しではなくシンプルに意思の表れという使い方で、むしろ古語辞典に記載されている「まいか」まいに終助詞「か」のついたもの。意味は「婉曲に希望し、勧誘する意を表わす・強く命令する意を表わす」と記載されており、ニュアンスが近いので多分古語の生き残りであろう可能性が高い気がする「やらまいか」という言葉である。

それでいて「やるまいか」なると「やらないぞ」という言い方になるのはご愛嬌。もっともこんな言い方普段する人はいないが。

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猿ロック その1

 この状況設定はなんか理由もなくとにかくいいと感じてきますです。どのシーンにも伊吹を感じて生きてる感があるようです。期待してた以上の空気感が漂っています。

「青春群像活劇」と謳ってありますが、まさにそんな感じで初回からその親密度の半端なさが凄く羨ましいという勢いです。寸時に仲間に入りてえと思わせます。こいつらといたら絶対生きてて楽しいだろうなと。

町内というコミュニティの中においても若者(ばか者)にありがちなはぐれとかつまはじきされてる訳ではなくしっかりと町内の一員として根付いてるところもあって、やることをきちんとやった上でのアホは観ていて安心できます。

そう思わせる冒頭の紹介シーンでありました。で、本編に突入と相成る次第でありましたが。

忍び込む→鍵開かん→ヤバイ帰ってきた!って展開になったのでこれはハラハラドキドキの脱出劇かと読んだらなんと逃げんとファイト!

意外でありました。そりゃあ騎士道精神で困ってるお姉ちゃんを助ける為というのは理解できますが、それにしたってあちゃらさんはどうみてもその筋のお方系。方や此方は下町で商いをしてる真っ当な素人さん。どうみても無理があるだろうと。若気の至りの領域を越えてやしないかとつい思えてきました。

そりゃあ、逃げる事よりも鍵を開けられないというプライドを傷つけられた事の方が重要というサル(市原さん)の気質を如実に示す顕著なシーンでありましたが、ああいった筋の人をコミカルに描いてしまうと迫力が削れてしまうような印象を受けるのでパンツマンに変身するってえのは私的にはちといただけなかったとこではありました。まあ飛び降りて布団に着地というオチはナイスで帳消しでしたけど。

ああいった輩はしつこいのもお仕事。ライトバンにででんと山本とお店の名前がドアのところに書かれてあったけど見られてたらヤバクねえ?と思ったりもなんかして。ホント別なところで綱渡りでヒヤヒヤします。お話しの感想はこれで無念の涙に暮れて己を知るというものではなくまだ再チャレンジしてくみたいなのでこれくらいにして。

それにしても山本役の渡部さんは光ってられましたです。プロポーズ大作戦でのご出演が印象に深い役者さんでありますがあちらでは浮きまくっていましたがこのドラマでは市原さんの相棒としてタメ張る勢いで相応しい感じがします。

ナイスな相棒を得たのでしょうから市原さんはもう全開で大抵の馬鹿やっても浮いた感じにならなくて思う存分感情表現出来るんでしょうね。今回は大人しめだった高岡さんも控えてらっしゃるんでこれで本格参戦ともなれば益々以って気合の入ったお芝居が観れそうでワクワクしてきます。

この二人に女性にも拘らずよく付き合ってるよなあというリツコ(芦名さん)ですが下町っ子らしい気風のよさが目立ちます。幼馴染みの腐れ縁でなければ絶対こういった関係性は築けないだろうなと心底思えてきます。この回は無防備でしたがいつか誰かを意識するようになってくるんでしょうか。私としてはこのままがいいんですけどね。

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*いる

「入る」ということであるが使いどころが方言チックなので記載。

共通語の「ひびが入ってる」(ひびがはいってる)を遠州弁にすると

「いみりんいってる」と言う。

「茶碗に茶ぁ淹れて飲ますかと思ったらいみんいっててあれまあだや。」

  (お茶碗にお茶淹れて飲もうとしたらひびが入っててあららだよ。)

こうした「入る」を「いる」という言い方をするのは限られていて思いつく限りでは「念の入った」とかぐらいしか直ぐには浮かばない。「年期の入った商売」とかを「いった」というかは人それぞれなので一概に決め付けられない。

しかしこうした表現は方言という訳ではなさそうで、辞書で調べてみたら載ってた。

「いる」(入る)「はいる」の雅語的表現で、「ひびが入る」・「実が入る」・「身が入る」・「念の入った」・「堂に入る」・「気に入る」とかが「いる」の使い方として書かれてあった。例文としては「夜に入って寒さが加わる」なんか文学チックだな。

それが遠州弁になると品のかけらも感じられないのは気のせいか。

いずれにせよ未だ使われてるものもあり使われていないものもあり。そういった古い日本語が遠州でまだ生きてたということか。

感覚的にいくと「いみんいる」の「いる」は「逝る」の字が入っても可笑しくない感じで「いみりがいっててもう使い物にならない」(いみりで逝る)というニュアンスにとれたりもするのは気のせいか。

ちなみに「ひび」のことを遠州弁では「いみり」・「いみ」と二通りの言い方があり状況(文章の流れ)に応じて使い分けている。

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赤鼻のセンセイ その3

 けなすという意図は毛頭ないのですが、それにしても主人公はうっとおしいですなあ。他人の都合なぞお構いなしで勝手にどんどん話しを進めていく強引さは常軌を逸しています。一体全体この切羽詰ったような厚かましさの源はどこから起因しているのでしょうか。

それが説明されていない限り、超浮いた存在でしかなくキャラとして愛すべき人間として映ってこないような気がしますです。こういう役やらせたら文句のつけようのない役者さん「大泉洋」を配してですらそう思えるのですからこれは役者さんのせいとかではなく展開を操る制作側の提示の仕方にざらつき感を覚える次第であります。

こういう行動に走らせる納得出来る理由を知らなければホントついていけないです。それを明かすのがこのドラマの柱なんでしょうか。個人的には早めに今までの行動をしなければならない石原三太朗側の理由を説明して、そうかあだから常軌を逸してもこういう行動するのかと納得した上で観ていきたいところです。

石頭堅吉役の七瀬先生(香椎さん)の頭がほぐれて段々とケアの面においてもいい医者になっていく成長記というテーマだとしたら石原(大泉さん)がひたすらな掻き回し役というのも納得出来なくもないとこですが。

石原が一所懸命事に当たったとしても生徒達の病気の治癒にそれぞれ奇跡が舞い降りるであろう筈もなく。近いことが出来るとしたら「病は気から」ということで病気に対して明るく立ち向かえる心を養うくらいでしょうから。それは第一話で述べられてましたんで前回と今回は別のテーマみたいでしたし。何したいんでしょうか。笑わせさえすればいいんでしょうか。

ちなみに前回は「病人だからと言って卑屈になるな」。今回は「素直に自分らしく(子供は子供らしく)生きよ。」だと解釈しましたけど。今回のはまあ母親にやんわりと説経って勢いでありましたが。

いづれにせよ主人公の行動理由が「笑い」の追及というだけでは説得力が薄くなんでそんなことするのという同調できないまま展開が進んでいってるようで共感しづらいまま観ています。この場に至る経過は初回で説明されてましたがこうした行動に至る信念というのが理解出来てない状態でありまして。無手勝流が周りの大人に助けられて形を為して行くというのは病院という空間では洒落になってないような気がしますです。唯一の救いは自分の為ではなく相手の為に懸命になってるという姿勢と言い訳をせず過ちを改むるに躊躇いなしの潔さが見られる所でありましょうか。

まあこの人は革命家なんだと。革命家に常識は存在しないというのは正論かもしれませんが。私は革命を望む方じゃないのでちょっと厳しいかなついてくのに。

とまあなんやかんや書いてますが役者さんを観てるだけで愉しいので好きなドラマの部類には違いありません。最終的な終わり方は「しぇーンカムバック」みたいになるのかなと思うとりますがはてさて如何。

 この回の印象に残ったのは院長先生(上川さん)が放った言葉「最高のスパイス。」いいことゆうなあと。

ほんで、「神木隆之介」・「須賀健太」に続いて新たに登場至せし「八木優希」。言わずと知れた「薔薇のない花屋」で印象に残るお方であります。贅沢だがや。彼ら観てるだけで満足してしまう私はおかしいのかもしれませんが歳は若いがお二人いついてはもう子役ではありませんからシンプルにその技量を愉しんでおります。

子役は共演の大人の役者を写す鏡だと思っている私としては八木さんが登場してきたことで周りの大人衆の力量を測れるかなと密かに愉しみにしております。

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*ゆったらかあ

「言ってあげようか」という意味。

「ゆったらあ」だと「言ってやる」となる。

「言う」に限らず、例えば「やる」でも「やったらかあ」・「持つ」だと「もったらかあ」という使い方をする。

これと同じ使い方では「ゆっちゃるにい」。関西風だと「ゆうちゃるでえ」とかであろうか。

例文

「おんしゃ よを ゆいえん なら わしん ゆったらかあ。」

  (君が言いにくいのだったら私が言ってあげようか。)

「いや。いい。遠慮しとく。」

「なんでぇ。遠慮しんだっていいだにい。わしとんじゃかないにい。ゆったらあ。」

  (どうして?遠慮しなくたって私は気にしないよ。言ってあげる。)

「だでじゃん。無頓着にゆわれたじゃ余計こんがらがるわあ。」

  (だからだろ。無神経に言われたんじゃあ余計にこんがらがるだろ。)

「随分なことゆうやあ。それじゃわしまるで無神経みたいじゃん。」

  (ひどい事いうなあ。それじゃあまるでオレが無神経みたいじゃないか。)

「違うだ?」

  (そうじゃないのか?)

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娯楽惑星 コンケルド サンバーン

 夏の背景(書き割り)をバックにしてOL三人組が踊られコンコルド元老院のお三方がぎくしゃく動いてる(踊りか?)という初見のCmが流れていました。相変わらずインパクトありますなあ。ホント日差しがきつくてひづるしそう。

「3人がサンバーン!!」・「コンコルドは太陽サンサン サンバーン!!」

水着のシーンはお色気か?

そもそも「サンバーン」ってなんだ?穿たずに「日焼け」と読めばいいのかしらむ。んなわきゃないよな。

なんか違和感があるなと思ったんですが、そうコンケルドの登場がない。どこいっちゃったんだ?妹も探してるぞ。

それにこれどうみても日焼け止めの化粧品かなにかのCmに思えるんだけど。それを避ける為の元老院の登場か?

「暑い~」とうだってる感が非常に漂ってくる夏らしいCmだけれどあまりの暑さにミドリさんのOLのお友達さん痩せられたんでしょうか。

相変わらず意味不明(深)なCmで、好きか嫌いかといえば好きです。

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緊急SP救命病棟24時~救命医者小島楓 その2

 密室のエレベーターでの処置シーンは大分短くなってたけどそれでも改めて観てもスリリングで迫力ありましたなあ。リアルタイムで観てた時、この患者さん助かるんだろうかと一喜一憂してのめり込んで一心不乱に観てたのを想い出しました。密室で誰の助けの手を得られない小島先生(松嶋さん)の心の揺れにハラハラしながら見事無事成功した時には観てるだけなのに緊張から解放されたみたいに肩の力が一気に抜けたような気になったのも想い出しました。

必ず助かる助けると言う安易な設定のドラマではないのでどうなるんだろうというハラハラ感緊張感が醸し出されていたんでしょうね。

安心したのは、私が印象深かったシーンがいづれも在ったって事。へそは曲がってるけど壷は外れていなかったと安堵しました。一例として屋台でゆきちゃん(須藤さん)と呑んで管巻くとこ。あそこでの松嶋さんは変顔とまではいかないけれど見たことない「松嶋菜々子」の表情を観たなといった印象深かったんです。それとも飲み屋の昔話し(自分達のルーツ)に花が咲く展開とリンクする為にただ単に必要なだけだったでしょうかねえ。

ちなみに当時のNG大賞で松嶋さんがシーンにあのおいてNG出してたのを見た記憶があります。非常に可笑しかったインパクトが残っていてそのせいで印象深いシーンと刷り込まれてるのかもしれません私には。

 新しく判ったことは小嶋先生あの当時付き合ってた彼氏とは結婚に至らなかったんだという事。まさか進藤先生(江口さん)を慕ってるとかいう陳腐な設定の犠牲になってるなんてことはないでしょうけど、独身でなければならない理由とかあるんでしょうかねえ。

 前回を観た職場の人は松嶋さんに年輪を感じたと感想を述べてましたが、歳を見せないという手も在りますが歳相応という手もありだと思えます。私の感覚では今の方が絶対いい顔してるよなと思えます。昔は若かったというのは誰にでも生じることですが、いつもいつまでも「今が一番いい顔してる」と思わせるのは誰にでも出来ることではござんせん。しかしながら松嶋さんは間違いなく今の方がいい顔してると思います。

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*でんぶう

「デブ」のこと。「ぶう」が鳴き声とリンクしてそうでより一層丸み感が増す感じである。男女兼用だがまあ基本女子は使わないのが淑女の条件ではある。

「でんぶ」だと当たり前に「臀部」と紛らわしいので普通はこういう言い方はしないが存在しても不思議ではない。

自身を指して言う言葉では決してなく直に言う言葉でもない。あくまで陰口として本人の居ない場所とかで使われる表現であろう。「愛嬌のある」ニュアンスであり悪意でもって発することより会話の話題の中に出てくるその人物を身体的特徴で表現してることが多い。もちろん共通語の「デブ」もそうだが言われた本人はいたく傷つく表現なので使わないに越したことはない。

同様な言葉で「チビ」を「ちんびい」という。「でんぶう」は男女共用表現だが「ちんびい」は男言葉。

例文

A「うちのおっかさ でんぶう だもんで信号黄いなくなって慌てにゃかん時息ハアハア汗だあだあでえ。」

  (オレの女房太ってるから信号の変わり際に走ったりなんかするとすぐ息がハアハアで汗だくになる。)

B「うちんのなんかけったぁ乗らすとタイヤ爆ぜつしそうだにい。」

  (おれの女房なんか自転車乗るとタイヤがパンクしそうだぜ。)

C「なんつう おっかさ自慢してるでえ。嗤える話しじゃねえらあ。」

  (どういう女房自慢なんだ?とてもじゃないけど嗤えないけど。)

B「病気自慢するようになっちゃお終いだら。その手前でとどまってるだでいいこんじゃん。」

  (病気を自慢するようになったらお終いだろう。その一歩手前で踏みとどまってるんだからいいの。)

C「そをゆうもんか?洒落に聞こえんけど。」

  (そういうものなの?洒落には聞こえないけど。)

A「いいだよを。自虐ネタにゃ違いないだで。」

  (いいんだよ。自虐ネタには変わりないんだから。)

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ブザー・ビート その2

 直輝(山下さん)が弱気を打破するきっかけの一連の流れのシチュエーションにはついていけませんでしたが、「バ~カ」のセリフの言い方が悦な装いでした。長々朗々と説法を説かずこの一言で全てを表せてたら記憶に残るシーンになってただろうなあと。全体的な流れのペースは遅すぎずはしょらず過ぎずでいいテンポ感を感じます。展開は王道でいかれるのでしょうから素直に穿った見方をせずに「もどかしさ」を愉しみたいところです。

私的な見所はしほりんと相武さんかな。この回は誰にも見せない裏の部分が多めに描かれていた菜月(相武さん)でしたが、影なのか闇なのかそれがまだ見えていないようにも思えてくるのですが、下世話な表現で言えば直輝本命と淑女の側面では確信しているのに魔性の側面で代々木(金子さん)に対して本能的に馬が合う予感を感じているということなんでしょうか。揺れ動く心でどちらかを選ぶという二者選択ということであれば単なる影だけど本命は本命として維持に努力し、それと平行して浮気も楽しむということであれば闇となるのでしょうか。今のところは前者のイメージで闇に引き摺り込まれることに抵抗してる印象なので「おぬしもワルよのう」という人ではないように推察されます。

そういった心の揺れの表現が今までの「相武紗希」らしくなくて愉しいです。またそれをより煽るように微塵も疑うことをしない「知らぬが仏」を山下さんがきちんと提示されていて相乗効果が増すところです。興味としてはやはり菜月の選択肢のバリエーションは今のところ二股・二者択一の二つですがこれに素の部分が直輝に知られたらどうなるかとか二兎を追うもの一兎も得ずとかいった可能性が増えていったらより興味が増すなと。又は見せるのか隠し通すのか。見せるとしたらそのタイミングは?

いちばん賢く生きてる人に見えるだけにその理性と本能のギャップの差があればあるほど菜月という人物に引き込まれそうです。誰にも相談できない孤独感というのも結局は損な生き方してるんだという教訓めいた不幸な末路になったら楽しめるかどうかでしょうけど。それともそうじゃなくて迷路を彷徨った経験から相手をより大事に想うようになるという雨降って地固まるが如く元の鞘に収まるというのもアリだよなあと。その場合は直輝の許容力の大きさが鍵でしょうけど。

片やのしほりん・麻衣ですが、露骨というか嘘の欠けらもない感情のまんまという姿が快であります。まあ素直と書けばいい話しですが。よそいきとうちづらの起伏の差が菜月と同じように在っても軽快さと深淵さの違いみたいなものがあって可愛げに映っていて観ていて気楽に観れて善いです。

この回で印象が強かったしほりんのシーンは、ダブルデートでの「はじめましてぇ」という言い方が前後の会話してた雰囲気とのギャップが面白かったなあと。笑顔で警戒心を隠しつつ多少の他人行儀という防衛線を引いてる勢いで。猫の被り方が上手いよなあと。

しほりん以外のシーンでは小学生にバスケ教えてるシーンかな。バスケ教室最後での挨拶はとても自然でリアルに映りました。セリフを喋ってるとはとても思えない感じでありました。山下さんもだけど青木さんがホントマジで挨拶してるみたいでうめ~なあと。

こういった脱線気味なことを愉しめるのも、主役とヒロインが大黒柱として揺るぎないからこそであり山下さんと北川さんが責務をきちんと果たしておられるからでありましょう。莉子のキスした帰りの、にやけっぱなしで相好を崩した満面の笑顔はいい顔してるなあ、ああいう顔して生きていけたらさぞかし毎日楽しいだろうな羨ましいなと思わせるものでした。

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*やんぶく

「破く」という意味。「ん」が混ざっただけのお話しで意味的に特にどうということはないが。

「デブ」を「でんぶう」・「甘い」を「あんまい」・「うまい」を「うんまい」とかいう癖のようなものである。さすがに「たまり醤油」を「たんまり醤油」とかは言わないが。

遠州独特かは定かではない。

例文

「聞いてる?大事なもんだで、あっちの部屋入ってって やんぶいたり したら承知しんでねえ。判ったぁ?」

  (ちゃんと聞いてよ。大事なものなんだからあっちの部屋に入り込んで破いたりなんかしたら許さないからね。分かった?)

「猫にゆったって判るわきゃあねえらあ。」

  (そんなこと猫に言きかせても無理だろ。)

「あんたあにいってるだよ。要はこっちの部屋に入れるじゃないっつってんの。」

  (あんたに言ってるの。とにかくこっちの部屋には入れるなって。)

「わしそんなこんしもせんにい。猫ん勝手で行くだでねえ。」

  (おれはそんなことしないよ。猫が勝手に行くんだからおれのせいじゃない。)

「なにゆってるよを。開いてるもんで入るじゃん。そこらじゅう開けたら開けっ放しにせすもんでやっきりこくだよ。開けたら締めよっつってんの。」

  (いい訳するんじゃないの。開いてるから入れるんでしょ。そこいらじゅう開けたら開けっ放しにするから怒れるの。開けたら締めなさいって言ってるの。)

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官僚たちの夏 その3

 見応えありました。今回も熱かったですな。池田隼人じゃなかった池内大臣(北大路さん)大立ち回りの巻きであるかのようでした。西洋かぶれの現場(最前線)を一切振り返らない片山(高橋さん)は今後も悪役に徹するんでしょうか。風越(佐藤さん)のライバル玉木(船越さん)は当初片山と共に風越の前に立ちはだかる障害という役柄かと思っていたんですがどうも板ばさみにあって貧乏くじを引いた悲壮な人に見えてきました。「苦汁」とはまさしくこういうことを言うんだという見本みたいでした。

因みに、「苦渋」は苦悩、物事が思いどおりに行かず、苦しくつらい思いをすること。「苦汁」は辛い経験。交渉の流れからして抗い様の無い状況でしたから思い通りに行くも行かないもないですからね。

ドラマでは繊維業界でありましたが、全体的にみてもこの時代の日本って今の中国みたいだなあとつい思えてきてしまいました。「安かろう悪かろう」・「西洋のコピー」みたいなとこが。まあだからといって中国製品締め出しするようなことは日本はしてませんけど当時の米国はしようとしてたみたいです。将来の中国も日本と同じような道を歩んでいてそのうちに高品質な製品を生み出してくるんでしょうか。でも今のところまだ信頼性は薄いですけどね。

まだ「もはや戦後ではない」時代に至っていませんから、日本は米国におんぶにだっこでいたけれど庇護の下にぐんぐん成長して重くなって米国にしてみれば手に余り始めたということなんでしょうけど育ての親なら最後まで面倒見ろよといいたくもなりますけど。そこまでの義理はないんでしょうね。

地方の若者集団就職で都会に来て工員として働くの図が描かれていましたが、浜松にも以前大きな紡績会社とかがあって会社が作った寮に住まってる人をぎょうさん見た記憶がありますです。ドラマで描かれているよりもずうっと後の世代の私でもこういう記憶があるのですからこの当時の危機もなんとか乗り越えられたんでしょうかねえ。

この回の見せ場はワイシャツの頑健さを証明したシーンでした。これからという時にという崩れ落ちる姿の悲哀が切なかったです。社長さんも切なかったですけど玉木も切なかったです。

なんで八王子の会社の社長さんが関西弁なんだろうかという疑問は残りますがこのドラマの特徴として企業の社長さんは善い人と決まってるようです。社員の為に懸命に明るく振舞う社員想いの善人を官庁が弄ぶの構図でしょうか。作り手の意図としては官庁というより政治がということなんでしょうね。それ(政治的配慮)に反抗する企業の味方官僚奮闘の図式として観るべきなんでしょうかねえ。

今とは時代がなんか大分違うなあと思えるのは新聞記者西丸(佐野さん)の武士の情けでしょうか。なんでもかんでもスクープだご注進という重箱の隅をほじくって為るべきものも為らなくするようなことはせず自ら国家大計のことを考えて取材活動するってえ風に映って見えて意気だよなあと。

 それにしてもこれだけの少人数の登場人物で国家の息遣いを描き語るというのは、描き方を一歩間違えたら国をこんな小人数で動かしてるのかと思われかねないのですがどうなんでしょうねえ。なんかある毎にそこの重要な部署に鮎川(高橋さん)や庭野(堺さん)が逐次配置されていくと、この三人で省を廻してるみたいで。これってリアルも本当にそういう人事で動いていってるんでしょうか。

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*ひどいことゆう

「きついこと言うなあ」というニュアンスの物言い。多少むっとしている状態であることが多い。

「ひどい」は漢字で書くと「酷い」・「「非道い」と二通り辞書に記載されてるが此処での場合は「非道い」という意味での使い方であろう。残酷な事言うということでも使われたりもするが、人の道を外れてるみたいな思いやりのなさを指すつかいかたの方が多い。

「ひどいことゆうやあ」の記事でも書いたが「やあ」がつくと「勘弁してよと」いう感じになる事が多いが「やあ」がつかないと「そんな言い方しなくてもいいでしょ」みたいな勢いになることが多い。

より強く反論する場合は男言葉なら「なんちゅうことぬかすだあ」女言葉なら「なんちゅうことゆうよを」とかになる。こちらは「ふざけんなよ」並みの怒った状態に近い。

もちろんいずれも物は言い様なので言い方のニュアンスによりけりで変化はあるが。

例文

「こんだけバーが高くなるとなかなか跳べる奴いんなあ。だけん次のあいつなら跳べそうだなあやあ。」

「あいつじゃ跳べんよ。」

  (あいつには跳べないよ。)

「なんで?中学の時分高飛びやってたって言ってたにい。」

  (どうして?中学で高飛びやってたって言ってたよ。)

「だってこないだ彼女に振られたばっかだもんで心が沈んでる分重たくなってて高く飛べんだもん。」

  (なにしろこの間彼女に振られたばっかだから心が沈んでる分重くなってて高く飛べれないからね。)

「ひっでえことゆう。本人にいったらすかぁ。」

  (随分な事言うなあ。それ本人に伝えてやろうか。)

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華麗なるスパイ その1

 どえらく拡大された第1話でありました。多分2話いっしょくたあ(ひとまとめ)ということでありましょうか。

破天荒な物語でありまして、しかもコメディ。最近のドラマの風潮である初回豪華で後尻すぼみといった流れであろうとも人力で押し切れそうです。

設定もなかなかでホントつかみはOッKーという感じでありましょうか。足枷というか個人目標が「13のミッションをこなす」という目的があるのがキッパリ感があってメリハリというか主人公の張り合いを維持することに繋がっていきそうで、これでどんなアホなことでも頑張らざるを得ないといった主人公に対する無茶振りが期待出来そうです。マジも出来るし、こういう役なら長瀬さんは適役でしょうな硬軟取り混ぜての乱打戦が繰り広げられるのでしょうか。

とにかくギャグ満載で楽しいです。展開読むような頭は使わず無の境地で漠然と観てればギャグが来たりて殖える福ってな勢いでしょうか。なので物語の展開の感想とかは無視していきます。

「海が見えるスウィート」は最高ですな。もう一発で此処で暮らしてみてえ~と思っちゃいました。まあ隠しカメラ満載なのはご遠慮願いたいですけど。

深田さんがいいですねえ。深田さん眺めてるだけで得した感じになるのは何故でしょか。人間離れしたお人形さんみたいな感覚ですそれも着せ替えの。ただ設定上は元男なんでしょうか。個人的には新聞記者に変装されてたお姿が壷でした。

悪の組織のドンの「匠」が柄本さん。ショッカーみたいになんかしらんが存在してるという背景感ゼロというのが明るく見える理由でしょうか。正義陣営にも悪党陣営においても悲壮感とかいったドロドロ感が生じないところがクリアな勢いでどんだけアホなことしても笑いに変えられそうで良いです。

片やの総理陣営はなんと渡さん。アンビリーバボーなキャスティングです。でも意外なだけに柄本VS渡という想像もつかないような対決構図の決着の行方に興味が湧きます。まあ当然最後は正義が勝つんでしょうけど。

紛らわしい携帯間違いの繰り返しギャグには参りました。オウムさんを眠らせるのはシンプルに笑えましたが運転手さんをあの緊迫した場面で眠らせるというのにはびっくりすべきところですがその前に笑ってしまいました。ここで笑わすかあと。

 いずれにしても正体を明かしてはならぬ正義の味方で唯一その正体を新聞記者さんに感づかれてしまってどうたらこうたらで。主人公の武器は「変身」でサポートする仲間達はマンガから飛び出たようなキャラばかり。しかも対峙する悪の組織が存在するってなると。これはもう新種の変身ヒーローモノでしょうな。仮面雷打亜みたいに。それとも戦隊モノか?

非現実の抜け具合がポイントのような気がしてきました。いい塩梅ではまればこれは記憶に残るドラマになるやも。今回は後半マジモードに偏りすぎた印象を受けました。個人的にはギャグでなくともありえないことをしでかしつつミッションコンプリートしていくライトスタッフを観たいなあと。

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いいのか?のバリエーション

1「やっちゃっていいだかいねえ。」

  (始めちゃうのはいいのかなあ。)

 「ええらあ。」

  (いいんじゃないの?)

2「やっちゃっていいだかねえ。」

  (始めちゃっていいのかなあ。)

 「ええじゃないの?」

  (いいんじゃないかな。)

3「やっちゃっていいかいねえ。」

  (始めていいの?)

 「ええよを。」

  (もちろん。)

1と2はOKの断を下すのは別の人で会話の相手に許可の権限がないことが多く、3は「いい」と言った人が権限を有していてOKを出してることが多い使い方。

「だ」と断定してるような表現が含まれていてもそうでもないところが味噌か。

4「やっちゃっていいだ?」

  (始めていいのか?)

 「ええだ。」

  (いいさ。)

この場合両者共にどちらとも取れる。つまり了承を得ているのか同調を求めてるのか。答えた方も同様に了承してるのか同調してるのかどっちにも取れる。

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