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コールセンターの恋人 その3

 この回のクレーマー(電話相談者)はついに出たか?「上の者を出せ」。或る意味一番始末に負えない部類に属するレベルですな。業種によりけりかもしれませんが一般的に「お客さま第一」とかいう呪文を唱えさせてるところでは担当者(応対者)がたとえ正論吐いて弾き返しても客は今度は態度が気に入らないとかの付加価値を付け足した上でえらいさんを出せと言って来る。そしたら上司は手のひら返してお客の言い分の側について。それで担当者ははしごを下ろされて往生した上に叱責されることが多々あるという奴ですな。

ヤル気がなくなりアホらしくて就労意欲が翳るという奴ですわ。少なくとも私が新入社員の頃とかは客と対等であり是々非々のやりとりが繰り広げられ上司も部下を信頼してつっぱねてくれてもしてたような気がします。

こういうのをどうやって裁くんだろというのが今回の目玉商品か?と思ったらそうじゃなかったですな。ただの捨て台詞でした。

それにしても卵割りのシーンはいい音響かせてましたなあ。効果音の成果か生音かどうかは定かではありませんがあの気合の入り方は愉しいです。

小泉さんの発する無意味に爽やかな空気感とミムラさんの放つ不必要に無感情なオーラのバランスがいいんでしょうかねえ。

とかなんとか笑ってる間に物語りは認知症の人をレスキューするという思いもよらぬ展開へと進んでいきましてあれれでありました。それを救う手立ては大昔に売った懐中電灯が使えるかどうかに掛かっているという流れ。本社にも説明書はなし保管されてるであろう倉庫も鍵がなくて開かない状態。さてどうするんだ。

この時点での予想としては南極アイス(名取さん)が思い入れがあるだけにきちんと覚えていて正しく伝え教え見事救うと云う「ええ話やあ」という展開か?と。醒めた考えで行けば販売元になくとも製造元に問い合わせればいいんじゃないのか?と。

で、実際の展開に話を戻すと、鍵が開かなきゃ壊せば良いとえいやあとお。漢を見せます都倉(小泉さん)でありましたとさ。見事入室して取扱説明書を発見。その説明書を元に見事誘導して窮地を救うという流れでありまして、南極アイスの出る幕はなし。すかされました。

 電話一本で一喜一憂してく様は理想形なんでしょうけどここまで親身に応対できるのは個人商店のレベルじゃないかと思えなくもないところですな。仕事してて上がアホだとやってられないというのも仕事が嫌になるひとつの要因でありますがここでは南極アイスにそういった全てのアホ的要素が盛り込まれているようです。

それでいてなんか憎めないキャラになってるとこは名取さんの力なんでしょうかねえ。まあえげつなくやりたい放題でホントしょーもないお方ですが愛嬌があるとこが味噌なんでしょうか。最後はギャフンと懲らしめられるとかじゃなくなんとなく改心して無茶しなくなるというオチがついてるところもいいんでしょうかねえ。

センター長の行動といいアイスの発言といい、全く本筋の流れに関わっていない訳ではないのですが終ってみれば展開上のひっかけ(紛らわし)だったという見せ方で、その肩すかされ具合が軽妙でもあります。

こういう色んな話しが平行して流れていって全てが繋がっていく。もしくは繋がらないけどどれが本線となってくのか展開が読めない意外性。とかいう展開はどちらも脚本家さんの腕にかかっているだけにその腕の見せ所なんでしょう。

結構好きですわ。

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生中継の遠州人

 静岡○ごとワイドでとあるお店のはま~つ志都呂店からの中継の模様が流れているのをテレビで見てました。ゆうときますがテレビ局サイドにはなんの落ち度もなく、問題にしたいのははま~つ人の馬鹿っつら共についてです。俗に言う恥さらしですな。自虐的な偏見でしょうしかつ私もはま~つ人でありますがあんなのがはま~つ人の特質かと思うと嫌になってきます。

お店の商品等の説明をしてる中、後ろでテレビに映らんと蠢く連中のアホさ加減に辟易しました。

ガキを見せびらかすように持ち上げたり突き出したりとぞんざいに扱う男親。

映ってると知るや携帯でどこぞに連絡しがつら周りをうろうろする学生野郎。

同じように纏わり付く様に寄ってたかってくるガキ。

ホントうっとおしい限りったらありゃしない。しぞーかとか他の地域での中継とかもよくやられるこの番組でありますがこんな卑下た連中湧いて出るとこなんか県内でははま~つくらいなもんでしょう。

 では、なんで見ていて苛立つかというとその根拠はふたつ。

ひとつめは、中継の趣旨(意図)を破壊する行為をしていること。相手(この場合テレビスタッフ)を思い遣らない自分さえ良ければという気遣いのなさにムッときます。

ふたつめは、いつも思ってる事なんですがテレビに出たけりゃ己の力で出ろと。たまたま通りかかったら遭遇した居合わせただけの偶然においてはしゃぐのはお門違いも甚だしい。中身もないのにそんなに自分を誇示したいのかと。

そりゃあ火事とかの災害現場で屯する野次馬の如く人の不幸があった場においての不謹慎な行動とかではありませんし、平凡な日常に刺激を与えてくれるチャンスなのかもしれませんが。

だからといって多くの人にとって公共の(商売繁盛祈願の映像ではありましたが)電波の中に放映側の意図しない邪まな邪念が映っている画面を見ることは不快に感じるもの。要は目立てばいいというのはただ単なる恥さらしなだけで、子供(ガキ)なら許さざるを得ないにしても分別のある大人のすることではないということでしょうに。

 では何故これをはま~つ人の悪しき気質といってるかというとそれははま~つ祭りを見れば分かること。全ての人がという訳ではないが、自分さえ楽しめればいいという感覚を悪いことだとは思っていないこと。しかも人に迷惑がかかっていなければいいんだと御託を並べていながら実は迷惑をかけてる事に気づかない無神経さを兼ね備えていること。それが祭りだと全部許されると思っていて、自分が凧場でなくともこれは「祭り」のシチュエーションだと勝手に判断した場合には傍若無人に走る拠り所となるのであろう。ほんの一時の自慢?の為に空気を読まない輩が多いのはそういう訓練を重ねていることに起因してる風にも思える。

浜松祭りの本来の目的はそんな自己陶酔を促すものではない。祭りに於いて組の役員の人達はそういことをする事はないのだが、祭りを運営する衆らの心祭り馬鹿知らずということなのであろう。

 そういう嫌な気質を垣間見たようなうんざりする光景がテレビに映し出されていました。浜松からの中継がそう多くない理由が分かる気がしますです。ホント自分もそういう気質を内面に抱えているのかもと思うとぞんぐりしてしまいますわ。

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順番が逆だろうに

 この間のニュースだけれど、大人のバスツアーとやらで猥褻な行為をした人達が捕んまさったそうな。

猥褻で捕んまさるなら、それよりか猥雑を捕んましてくりょを。

そりゃ運よく栗鼠虎とか覇権切りから免れたっつうても

辞めさせられた人の分まで残った人はやりゃにゃあ負えんだもんで

心の病とかにでもならなきゃホント逃げるとこがないですよ。

ホント酔っ払いが迷惑を撒き散らすならいざ知らず

被害者も出んと納得づくの鼻の下が伸びとる好き者同士でやってることすら捕んまされるなら

選択肢もなく納得いかんまま脅迫観念のもとにやらされてる衆を先に助けてくりょう。

快楽は罪で

使役は詰みじゃないというだか

まだまだこき使えるってか。

そりゃあお門違いでお奉行所の出る幕じゃないってのは分かるんすけどね。

じゃあ誰が捕んましてくれるだっつう話しでもあらあさね。

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*なにがあ(すっ呆け調)

あ?という言い方ではなく、なにがあという遠州弁の言い方のお話し。

意味的には「なんだよ」といった感じで近い表現では「ああ?」・「はあ?」

注意点は「が」が鼻濁音(鼻に抜けた音)であること。

この表現の味噌は「あ」が入るのと入らないのとではニュアンスが大分変わるということである。

「何が?」だと冷たい響き、「何があ」だとそれが何か?という突き放した感じといった違いであろうか。

「何を?」と「何をを」の違いみたいなものか。

ただし使い方によってはこれが逆転する場合もある。

例文

「ほい忘れてるにい。これあんたのだらあ」

  (ほらあ忘れてるよ。これあなたのでしょ。)

「なにがあ、あんたなにゆってるよをあんたのじゃん」

  (はあ?何言ってるのあなたのでしょう。)

「あれ、そうだっけか?」

  (あれえ?そうだったっけ。)

「ボケてちゃかんにい。こないだ一緒に買い行ったばっかじゃん。」

  (ボケないでよ。この間一緒に買いに行ったばかりでしょ。)

「ああそうか。わしあんたに買わす気でいただに。なんだかしらんが自分買う羽目んなったんでどうも自分のだって気にならんだいね。」

  (ああそうか。私あなたに買わせようと思ってたのにそれが何故か自分が買うはめになっちゃったんで、どうも自分のっていう気になられないんだよね。)

「んじゃ買っちゃるよ。そんなら気い収まるだら?半値でええ?」

  (それじゃそれで気がおさまるなら買い取ってあげるよ。半値でいい?)

「馬鹿こいちゃかん。そんなん大損こいちゃうじゃんかあ。わしん使った分箔がついてるだで倍値だね。」

  (冗談言わないでよ。それじゃ大損でしょう。私が使った分値打ちが上がるんだから倍値だね。)

「自分有名人になってからいいなよそうゆうこたあ。」

  (そういうのは自分が有名人になってから言いなよ。)

「あんたのだら」を「あんたあのだらあ」というときつい言い方に取られる。訳すと「貴方のでしょ」と「貴方が管理してるものでしょ」といった違いか。

「あんたあなにゆってるよを」を「あんたなにゆってるよを」にする方がきつい感じになる。強引に訳すと「あなたねえ何言ってるの」と「あなたは何言ってるの」といった違いか。

といったように使い方によって強くなったり(荒げたり)も和らげたりもするというのが「あ」をつける効能である。

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赤鼻のセンセイ その2

 人の恋路をいじくる奴は馬に蹴られてなんとやら。そう言われるくらいの余計なお節介でありまして観ていてちょいとキビシー!限りでありました。この正義の欠けらもない行為をどう正当化していくのかというのがこの回の味噌だったんでしょうか。

まあ確かに他人にあそこまで踏み込んでいく心意気と思い遣りという精神が大事な事ではありますが。それに自分が病気だからという引け目を抱いてる消極性を打ち破らんとする心持ちを持つことは大切だと説いている風にも解釈できなくもないのでありますが。

それにしても二人を引き逢わせる為の時間稼ぎの展開と石原(大泉さん)の悪戦苦闘の様は遮二無二過ぎて、これって視聴者ターゲット何歳に設定しておられるんだろうという疑問が沸いて来ます。もしかしたら私みたいなおっさんは想定外なのかなと。

仄かな恋心を人に悟られるほど恥ずかしいものはなく、それを指でも指されて図星だろなんて囃されでもしたらもう深いトラウマになって一生ものの汚点になってしまいますわ私だったら。たまたま女子の方も多少なりとも受け入れてくれてるから結果オーライで決着がいい方向を向いたけど世の中そんな甘くないんで、夢見るような最善の展開という気がしないでもないところです。

人生飲み込む事の方ぞ多かりきとせっかく自己完結で納得しようと構築してたのにそれを余計なお世話で想定外のゾーンに飛び込ませるのはやはりどうかと思いました。

とりあえずは立ち向かう勇気を持てという教えでありましたが。

 まあ見所はそういった展開の妙ではなく、やっぱ役者力だよなこのドラマはと。そういう面で観ればこれは見応えありますわ。

今回の主役は和田(須貝さん)でありましたが、言葉を何も発せずともその考えてることが読み取れる神木さんがやっぱよかったなあ。須貝さんの表にダイレクトに飛び出る感情表現に対して神木さんの滲み出てくるというか染み出てくるような感情表現という写真と水墨画の違いみたいな異なる表現力を眺めれるのはこれは愉しいです。

もちろん悪びれずひたすら陽気(空元気)な石原というキャラも大泉さんだから許せるみたいな感じで、飄々の太川(小林さん)といい、なりきりというより役者さんのイメージに合わせたかのような役柄で安定感を感じます。ご両人共に私が普段抱いてる「大泉洋」・「小林聡美」像のままで安心感がありますです。

普通こういうぶっとびキャラが主人公の場合大抵は理解者としての大人の人を配置するのが恒だと思うんですが、その役割を上川さんが演じてられるというのは意外ではありますが。悪くはないなと。

いつもプリプリしてる七瀬役の香椎さんですが、正論をバシッとで取り付く島がなさそうに見えて、「ごめんなさい」とか謝れば許してくれそうな許容性がありそうなところがいいですね。もう引導を渡すくらいの逃げ場のない追い込み方されたら渡る世間は鬼ばっかみたいで局が違うぞと突っ込むところでした。

とにかくそんなこんなで役者さんを観るにはホント悦なドラマです。これで光石さんと平岩さんが本格参戦してきたら益々以って見応えが増すなあと思えます。

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*しょーもなっ

言い切るところが味噌。打ち止めというかそれくらいでこの話しはやめといったところであろうか。ほぼ関西系の言葉で別に方言でもないのだが。

個人差は勿論あるが、しぞーか県民は基本ツッコミのある笑わせ方を得意としない。ただしプロの芸人さんとかの話ではなく普段の会話とかでのお話しである。

あくまで勝手な想像だが、ひとつのボケに対してその都度ツッコミをいれて話しの流れを切るものよりもいくつボケを積み重ねることが出来るかということに快を感じることの方が受ける体質なのではないのかと。どちらかといえばつっこまなずに呆れる・呆れられるのを楽しむ傾向にあるといえようか。つまりボケたらボケたおせということであろうと考えている。

これが「しょんねえやっちゃなあ」だと後で言って聞かせるみたいな呆れた感じになるのだが「しょーもなっ」であれば一応は受けたと言うことになる。

近い用途の言葉では「馬鹿じゃん」・「はいはい」が使われるか。もちろん意味はそれぞれ異なる。

例文に関しては私は固いことしかいえずボケのアイデアがないので略します。

「笑かしてくれるじゃんかあ。いっつもくだらんことばっかゆっとってよをゆうわ。」

ふんだだことぬかすな。いっつも真面目じゃあ。

「余計悪いわ。しょーもなっ」

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緊急SP救命病棟24時 その1

 タイトルが「緊急SP救命病棟24時~救命医者小島楓~(1)」と非常に長くしかも急遽の過去のいいとこ取りにしては見応えがあり、改めて魅入ってしまいました。一応このシリーズは全て観てる筈なんですがまたもや惹き込まれました。

如何に以前の作品のパワーが色褪せることなく燃え続けてるかを知らしめてるともいえるのでしょうか。それにしても人としての痛みの本質の部分を突いているんでしょうか小島目線で観るとしんどい限りの修羅場の連続に見えましたです。

或る意味リアルタイムで観てた時には進藤目線でドラマを追っていたのでこういう提示で小島目線で観ると新鮮でもありますし、よを続けていられるよなあと感心するばかりであります。患者(病気や怪我)との対峙のみならずその周りの家族・友人からの願いが真正面からぶつけられるプレッシャーというのはまこと医者というのは技術知識のみならず因果を含めることを要求される職業だなあと思わずにはおれませんて。

でも進藤先生って今見るとあの頃は結構悩み多き迷いながらだったんですねえ。

医者と看護師さんの「大丈夫ですよ」は信用ならんですが言われた方は確実に勇気を貰えますので必要な嘘だという考えを体験上抱いてる私でありますが、小島の嘘は進藤には納得いかなくて子供に詰め寄られたりもしてましたが。そこんとこはどうなんでしょうかねえ。どこまでが嘘も方便なんでしょうか。その答えはシリーズ1で語られてましたっけ?記憶がないや。

刑事さんの怒りは迫力ありましたねえ。あの後の大事に至るまでの心の持ちようが凄いなと。自分なら絶対逃げ出してますけどね。やり直しという逃避してますわ。ドラマで「一度逃げたら癖になる」というのはホント真理だとは思いますが私なら無理です。殴られたことを争って痛み分けに持ち込むとか言う大人の手立てすらも出来ないでしょう。

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うっちゃらかいて

「うっちゃって」(捨ててとか放って)という意味なのであるが、詳しいニュアンスで訳せと言われるとはたと困る言い回しである。とにかく「~かす」という表現は故意にとかいった意思を示す感じになる。

「仕事うっちゃらかいてどこほっつき歩いてたよを。」だと「仕事もしないでどこうろうろしてたんだ?」という訳になる。

似たような表現で「ほかし投げる」・「ほうらかす」というのがあるのだが

「仕事ほかし投げてどこほっつき歩いてたよを。」を訳すと「仕事途中でやめて・・・」ということになる。

「仕事うっちゃってどこ・・・」になると「仕事打ち捨てて・・・」みたいな。つまり中断と放棄というニュアンスの違いがある。

まあどのみち「仕事もしないでなにしてけつかる」と言ってることには変わりはないのだが言い返す側としてはいい訳の内容が変わるものである。

例文1

「あんたねえ。どこ仕事うっちゃらかいて遊びいってたよを。」

「うっちゃらかいてなんかしちゃいんわ。人聞き悪いぃ。サイレン鳴っとったもんで心配でめえいっただよ。」

「野次馬しい行っただけじゃん。なんしょ口実作って仕事やりたかないだらあ。」

例文2

「あんたねえ仕事ほうらかいてどこ遊びいったよを。」

「随分じゃん。サイレンの音したもんでなにあっただぁっつって見い行っただけじゃん。」

「遠くのサイレンまで反応してちゃ仕事進みもしんにい。時間余分に掛かったって残業代なんか出んだでねえ。ちゃっちゃとしちゃいない。」

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ブザー・ビート その1

 初回30分も拡大しての始まり始まり。流石「月9」という看板復活に燃える意欲の凄まじさを感じさせるスタートでありました。もっとも私、時間的にリアルタイムでは観れませんので録画視聴ということで、帰ってきてまだやってても途中からは観たくないので早く終わんないかなと22時以降待ちの姿勢だったので、痛し痒しのゴージャスと思わないでもないところでした。

なんでこんな愚痴を書いたかというと、こういうのは地デジで大き目の画面で観た方が映えるよなと思ったもので。オープニングのバスケットの試合会場の熱気感やそれとは対照的なコンサートホールの冷め切り感とかはしっかりと作られているよなあと。日常の部分も丁寧に描かれていて。この丁寧さが30分拡大という恩恵のせいではなく毎回続くものであれば「月9」復活という感じがします。

始まりの出会いも王道ともいえる第一印象の模様を丁寧に描いていて、これは奇をてらわない王道を目指すのかなといった予感がしますです。それを裏付けるように、かするというか出会ってそうで奇遇にならない期待もたせのいけずなすれ違いシーンとかもあって。意外な展開に向くのかどうかは一話観ただけじゃ分かりませんが、真っ当な先が読める展開であったとしてもこのドラマには魅力を感じます。これは予想してた以上に面白いドラマなのかもしれません。が、最近流行の第2話以降突如地味になるとなるとこの評価は定かではありませんが。

 しっかし携帯忘れてバス追っかける一連のシーン。上手く編集されて繋いだのでなければ山下さん気合い入れて走ってられましたなあ。本気度を感じます。バスケのシーンもきちんとらしく映ってましたんで本物志向なんでしょうかねえ傾向としては。大歓迎ですわ。

 登場人物としては七海(相武さん)のキャラクターが面白いな。裏の顔を持ち決してそれを将来を約束する相手にすら見せない。ちょっと考えるとどんな打算が働いてるんだろうと勘繰りたくもなるけど、こういう女性が打算抜きで本気で恋をする様というのを観てみたい気がしてきますです。上手くいくかどうかは定かではありませんが紆余曲折(裏の顔が彼氏にばれるとか)があっても最後は上手く成就していくのを観てみたいなと。

もっとも今の流れから予想するに上矢(山下さん)と白河(北川さん)が最後繋がるんじゃないかという方向を向いていそうなので無駄な願望にはなりそうですが。ドラマでは同じ匂いを感じた代々木(金子さん)に喰われてましたけど。なんでしょう自分にだけは優しい人ってのに惹かれるじゃないですか一般論として。その逆で自分以外には本性を見せないってのにももしかしたら惹かれるやもと。その為の相棒に相応しいのには自分と同じ匂いの人間なのか違うタイプの人間なのか。興味が湧きます。

相武さんそのものもチアの格好でおへそ出したり煙草ふかされたりと今までにない面を提示されていて新鮮というか目新しいというか。もちろん煙草飲みの目からしたらくゆらせてるだけで吸ってはいない風に見えますけど。

それにしてもやり手の社員・華やかなチアリーダーというギャップは不思議です。

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レジ袋

 はま~つでは去年(2008年)の10月に「レジ袋有料化」の施策が始まった。その趣旨とかについては特に思う事はないけれど、半年以上経って自分の生活にどう変化があったのかを書き残しておこうかなと。

とはいっても実は詰まるところなんにも変わっていない。何故か。それは足並みが揃っていないからである。はま~つに本拠地を置く店屋とかは行政からの要望に応えて一枚5円で販売しているが、全国展開している店屋についてはお上(市如き)のお達しには反応しておらず未だにサービスとしているからである。市というものの行政の権限の度合いというのが垣間見られるのは興味深くもあるが、原付の二段階右折みたいなもんで有名無実というか骨抜きになって最後有耶無耶になっていくんだろうか。

まあそんなこんなで自分がよく利用する頻度の高いコンビニとかは後者であり従って前と変わらずレジ袋に重宝しているのである。たまあに遠鉄ストアとかに入ると賢い主婦の皆様方は袋持参で5円不要なのであるが私は持参してないので5円払うことになる。なんだかなあという気分になったりもする。

どちらが時代なんだろうと考えると理に適った事をしているのはちょっと考えれば分かる事であるが現実的にはこの差は何?片方はタダなのにと逆恨みして随分じゃんと思えてきたりもする。まさに自分は勝手で我儘な消費者の一人だと自覚する訳でありまして。

 レジ袋は使い勝手が結構ある。ペット特に犬の散歩においての糞の始末には重宝するし、乾電池や空き缶等通常サイズのゴミ袋に入れるには重くなり過ぎるゴミのミニゴミ袋としても使っている。他にももっと賢い消費者なら色んな使い方をしているであろう。

つまり、いま即座に無くなると存外生活が不便になるということである。完全にエコバッグ持参になってレジ袋がこの世から姿が消えるとなったらを想像してみる。それは昔に戻ってあのころはどうしてたかを考えてみるという便利過ぎでは決してなかった時代に回帰するということになるのだろうか。そうとも言えないかな。

ちなみに昔は大抵が新聞紙がそういった役割を果たしていたような気がする。魚屋さんで魚買えば包装は新聞紙だったし、くるんで捨てるゴミなんかを包むのも新聞紙だったような記憶が。

つまりいきなり今までなかった便利なもの(レジ袋)が出て来たのではなく、品は変われど役割を担う必需品が存在してたということか。だとしたらレジ袋が去った後一体全体なにがその役割を担うようになるんだろ。新聞紙に時代が巻き戻った訳でもないし。今のところ未来の事など見当もつかないな。

 どのみち有料化になってから家庭を預かる主婦の皆さんはレジ袋とはある程度の縁を切った生活を始めていることであろうが、繰り返しになるが現実にはレジ袋有料化の足並みが揃っていないから言うほど世間は動いていないから変化はしていないんだろうな。

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官僚たちの夏 その2

 この回も面白かったですね。一話の中に苦労の果ての実の生る展開が用意されていて観易いです。仕事が熱いだけじゃなく人(情)に厚い、施に篤いとなるかどうか。企業じゃないから営利を目的とするのではなく勢力を拡張するためでもないのではありますがその縄張り意識との丁々発止というのも見ものであります。

それと共に保護貿易(日本独自路線派)と自由貿易(世界協調派)との椅子取りゲームという側面も官僚らしいよなあと。何かをするなら偉くなれとあの和久井(いかりやさん)も青島に説いてた位ですから、ある意味青島達の世界より上の室井の世界みたいな話しでありまして、偉くなったらすべきことの答えみたいな最高位でのパワーゲームという側面もあるんでしょうかね。

今回はテレビの産業。乱立による共倒れを防ぎ、より普及を広めるため参入希望の絞込みという規制にまつわるやりとりが今回も熱く語られてました。

今じゃ確かにパソコンの威力は凄まじいものがありますが私が就職した昭和の最後の頃の時代でさえこうなるなんて夢にも思えなかったのにそれよりもずうっと前にテレビからパソコンへ転換を図るという決断を下す社長の心中は相当な苦悩だったんでしょうね。なんの保証もない雲を掴むような話しを呑むというのは大英断で、それを支えると口約束する官僚との絆の深さが印象的でした。しょっちゅう異動する官僚さんが超長い視野で見守れるものなのかという疑問はありましたが観てて感動したのは確かです。

しかしながら産業保護の為新規参入を抑制すると言うのは、同じような事が自動車業界にもあってそれを本田んとこの宗一郎さんが納得しんであたけまくって抵抗したという逸話をその自伝かなんかの本で読んでまして。つまりお上(通産省)のお達しに従わなかったということなんですが。で、結局今のホンダにまで成長した訳でありますから、なにが正しいことかなんて一概に立場が変われば正義も変わる訳でありまして官僚さん方の正義を鵜呑みに可とする気にはちとなれなかったですわいな。

ドラマの中でも指導(自分達のやってること)が本当に正しいのだろうかと疑心に捉われるシーンがありましたが正解の見えないものに全力で突き進むその気力の源がよくわかりませんです。もうみんな始めっから当然のように有しているみたいで。

それにしても偉いさん同士の恫喝や捨て台詞。貸し借りのやりとりとかは私の苦手な分野であるや○ざ屋さんの物語の世界によく似てますなあ。

会議室での一斉に声が飛び交う様はまさに喧々諤々というに相応しく、最近の大人しい眠気を誘うような会議とはえらい違いだよなあとその時代性を感じました。考えてみればここに登場してくる大人達は皆戦争を体験してきた人達ばかりだからそういう気骨みたいなのが荒くれて映るのでせうか。いい意味でも悪い意味でも人間臭い感じがしました。

ところで私には現代は世界協調の自由貿易と映るのですが主人公達が目指した日本独自の道というのが今も通っているんでしょうか。それは最終回になってみないと出ない答えなんでしょうかね。

 いづれにせよ池田という名前を池内とかにしょこしょこ変えてたりされてますがおよそは史実の通りに進んで行くだけに説得力があります。後は時代のうねりの迫力が人物を介して伝わってくればホント愉しいです。もっとも私はまだ生まれてませんので聞きかじりでしかない世界ですが。

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*ようけとたんと

どちらも、たくさんと言う意味で使われている。別に遠州弁ではないが普段よく使っているので一応記載。遠州弁っぽくいうとすれば「がんこ」がらしいのかもしれない。

「ようけ」はなんとなく関西っぽい感じがする。「たんと」は関東っぽい感じがする。どちらも使うのが遠州である。

殆ど意味に違いはないのだが、聞こえる感覚でいうと、「ようけ」は余分・過剰に、「たんと」は過分に(身に余る)といった違いに聞こえることがある。

まあ実際のところは「ようけお食べ。」・「たんとお食べ。」・「がんこ食いない。」と並べてみればそんな違いはないのだが、「たんと」はあげる(贈呈・進呈)に便利な表現で「ようけ食ったしい」・「がんこ喰われた」みたいに単純に量を表現するのに適した表現のような気も個人的にはする。

尚、いづれの解釈も遠州での話しであって地域によって感覚は当然異なると思われる。

車の名前で「タント」というのがあるが「タント一台」とか言われると「一台でたんとかい。」とつっこみたくなる衝動に駆られなくもない。

それと「ようけ」には「よくぞ」・「遠路遥遥」みたいな「ようけ来たなや」(よく来たなあ)とかいう使い方が別にある。こういう使い方は「がんこ」も同様にあるが「たんと」にはこういった意味使いはない。

例文

「開店30分前だけど、どう?お客さん。来てくれてるだかいやあ。」

  (開店30分前だけどお客さんの来具合はどう?来てくれてるかなあ。)

「見てみっせー。」

  (見てみなよ)

「うわ~がんこ並んでるしい。」

  (うわ~一杯に人が並んでるなあ。)

「おお、ようけ並んどるらあ。整理ん大変だにい。」

  (そうだろ?よくぞ並んでくれたよ。こりゃ整理誘導が大変だぞ。)

「こんだけたんと来てくれただでなんか粗品かなんか付けんとかんかな。」

  (これだけ大勢来てくれたならなんか粗品出した方がいいかな。)

「ふんだだこんよりちゃちゃっと捌く方が喜ばれるって。」

  (そんなことより迅速な対応した方が喜ばれるって。)

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MR.BRAIN その8

 デジタルの時間が刻一刻という様は「24」なる米国番組にようけ似とるしい。しかも「CSI」もどきの様相もちらほらと付加されていて。

米国で受けた品が日本に於いても通用するかどうかの試行とも勘繰れる次第でありましたが事件の決着は日本的でありまして。和洋折衷の味加減は如何程かという趣でありましょうか。

市川海老蔵さんの役が摩訶不思議な怨霊のままに終わってしまったのでこれが最終回という気にさせないのは如何なる作り手の魂胆があるのでしょうか。続編が作られるとしても個人的には西洋かぶれの傾向が薄まらないと見ようと言う気も薄れるやもしれませぬ。少なくとも日の本一のスターさんが主役を張るのに本家が存在する風味のドラマというのは如何なものかと。

 しかしながらなにはともあれ、上川さんががんこよかったなあ。作品が締まるというか。ホント業を背負う姿演じれば右に出る者なしという勢いであります。でも私はひねくれてるんでしょうか平々凡々な人物を演じる上川さんが好きなんですけどね。

ところでビルから避難せんと欲す人が女性女性女性。女性だらけという画ズラはなんだかなあでありんした。まあ、逆方向に向かう野郎を際立たせる為の手立てということなんでせうけど。

しかしてその協力者の二人組。誰?という疑問が拭い去れぬまま終わってしまいました。

15分拡大で繰り広げられた最終回。長くなった分は惜別に充てられたのでしょうか。終ってみれば顔をがんこ近く寄せ合うドラマだったなあという印象が一番強く残りました。

それにしても木村さんという役者さんは何をやってもアドリブに見えてしまうくらい自然なお芝居をされるお方だよなあと改めて思いますです。

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*一個っつ

「いっこっつ」。一個ずつという意味。要は「ずつ」(宛)を「っつ」と言うということ。

この表現が遠州独特ではないのは重々承知してるが全国津々浦々使われているのかどうかとなると疑わしいので記載。まあこういう言い方をしないとこの方が少ないのであろうが。

「一個ずつという事になってる」というのだと「いっこっつっつこんになってる」又は「いっこっつっちゅうこんになってる」という風になる。もっと崩せば「いっこっつっつうこんだでねえ」。

じゃあ数が増えて「ふたつっつ。にこっつ」・「みっつっつ」~「ここのつっつ」とかいう言い方は存在するかというと、存在する。しかも10でも「じゅうっつ」100でも「ひゃくっつ」と言う風にたとえ億でも使うであろうという勢いである。

例文

「あんたなにぞんざいに並べてるよを。」

  (あんた何ぶっきらぼうに並べてるの。)

「いいじゃん別にい。並んでりゃいいだらあ要は。」

  (構わないでしょ。要するに並んでればいいんだから。)

「みばよくありもしん。きちんといっこっつ揃えてかんと駄目じゃん。」

  (見た目が悪いでしょうに。ちゃんと一個ずつ揃えていかないと駄目でしょ。)

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