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コールセンターの恋人 その1

 21時開始というのはリアルタイムでは観れない時間帯なので必然的に録画したものを観てる訳ですが。昨日はやはり「ゑヴぁ」の序に引っ張られたんで一日ずれ込んで今日の観賞と相成りました。元々それほど期待してた訳じゃないせいもあったんですけど。

 でも観たら結構面白いのでいきなりの拾い物見っけ!って感じです。

左遷されてく過程がこれでもかという勢いに先ず笑えて、しかも登場してくるキャラクターがユニークそうで弾け具合がどの程度なのかまだよく分からないんですけど楽しめそうだなと思えてきました。まさに掴みはOKって感じでしょうか。

 小泉さんの東京から千葉への移動(というより島流し)の様が面白かったです。「水」を求める姿がえらくリアルに映りましたし自販機の前で大の字に横たわる姿には道のりの困難さがよく現れていてホント気持ち良さそうだなと思いました。ちゃらんぽらんそうなこのキャラが成長して行く過程が描かれていくんでしょうか。まあ答えはいきなりの冒頭の「徹子の部屋」で語られてましたけど。

ミムラさんの電話応対の口調がやけに説得力があって実際に対応してる様を覗いてるみたいな印象になりました。機械的とまではいかずとも感情を極力抑えて冷静に受け答えする様はプロっぽいよなあと。それと普段の物言いとのギャップがリアルだなと。後半部はちと芝居がかった電話応対だったけど。

こういう会話ってのは主導権を握ったものの方が有利であってクレーム言いっ放しだけで満足する相手なんてまず居ませんし言いなりになる訳にもいかず、責任者を出せといわれたら負けの世界であり、折れれば済むということではなくこちらの言い分をはっきり言える事が肝要なのでありますが。実際のところどうしても感情論に走ってしまって話しがすり替わってややこしくなることが多いんでそのテクニックが垣間見えたらいいなあと。

今回は基本中の基本なのでしょうか「彼を知り己を知れば」というまず相手を知ることにその打破する道を求めておいででした。ドラマですからそこまでやるかという展開ではありましたが。電話の会話から相手を読み取るって凄すぎないかいとも思えるのですがまあ一理ありますですな。とても真似できないから参考にはならないけど。

 登場人物達のドタバタで軽いテイストに仕上げられていますけど、クレームの処理という現代の負の要素を扱うところを描いている訳で、まさに火中の栗を拾う人達の心根を探るという側面がある筈で、結構奥が深いのかなという気にもなります。自分だったら後先考えず絶対辞めてやる宣言してしまうであろう境遇と感じる所で意欲を持って日夜働けるこのスタッフのヤル気の源というものを知ってみたい気になります。好きで(天職と思って)やってる訳ではなく仕事のないこの地で会社がここで職を与えてくれたことに感謝して必死で頑張っているとおっしゃられてましたけどそういう理由だけで頑張れるもんなんですかねえ。少なくとも主人公のように流罪として飛ばされてきた訳じゃなく、なんか皆さん何がしかの誇りを持っておられそうですけど。それが徐々に分かっていくんでしょうか。

私用電話での内容を愚痴と呼ばずクレームと言うのは得心がいきませんけどまあご愛嬌ということで。

 お話しの流れはタイトルにあるように朴念仁青山(ミムラさん)とそれに触発されて成長する都倉(小泉さん)の恋に発展する展開なのかもしれませんが、クレームの実情とそれの奮闘を面白おかしくの中でコミカル風味に描いてくれれば楽しそうなドラマであります。

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2009・6月のコマーシャル

 ガツンとインパクトのあったのは、しぞ~か県人にしか分からない事でありま駿河、お弁当どんどんのあの不変のコマーシャルを今月よを見たなあということか。もういつから始まったのかすら大まかな記憶すらない程に昔っから寸分違わぬ内容で放映されている。まあ流石に白黒の時代ではやってなかっただろうけど。最初見た時ぶっ飛んだCmだと思ったけど今見てもぶっ飛んでるって感じるのは時代を映す鏡でもなく流行に流されるものでもない普遍性があるということか。いや多分刷り込みのせいだろう。だって今話題のハッピーグルメ弁当って何十年前の話題だよって話しですわ。

逆にコンケルドは姿を潜めて空気清浄強調の広告がその分多く流れているぞと。

「鶴弥」のエコ瓦とかいうCmで江口のりこさんが出とらしておお!と思った。これって地方Cmじゃないよね。

タワーヒルズハママツとかのバサラのCm。CGの女性が動いてるのかと思ったら実際の人間が舞っていたというある種の驚きがありました。人がCGに近づいてなんとしょうという意味で。

 とかで、今月は何故かしぞーか県限定のコマーシャルがえらく印象に多く残った月でありました。

そういえば、先月日産の「低燃費少女ハイジ」のCmががんこインパクトがでかかったと書いたけどそのショートムービーがブログに貼れるよう提供されてることを知りさっそく貼ってみました。本当はあのスピード感が魅力のCmそのものがいいんですけど、こういう企画は大歓迎でこういうのが増えて欲しいので応援する意味で貼りました。著作権とかを気にしないで提示できるのは気になったCmを記事にしてる私としてはホントありがたいです。でもできたらCmそのものを貼りたいんですけど。変ですかねえ。

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遠州弁を説明するにおいて

A「やあ おんしゃ なにょう こいて けつかる だあ」

  (おいおいなにを言ってるんだ)

全て遠州弁という表現を考えるとこれが頭に浮かぶ。

だからとゆうてこれが遠州弁を代表する言い回しと言うのは切なかろうて。

誤った事を言っているのだが

B「つって やっぱ なっぱ はっぱ だった じゃんかあ」

  (だからやはり菜っ葉は葉っぱじゃないか)

というのも遠州弁っぽい言い回しである。

色んなところでよく使われてる遠州弁っぽい言い回しとしては

C「ぽんぽんで ちゃっと とんできゃ どんばやくに つくにい。」

  (オートバイで急いで行けば物凄く早くに着くよ。)

とかいった類をよく見る。しかしながらAとCはどちらかというと野郎言葉で女子が使う表現ではない。

因みにAを女子表現にすると「ほい、あんたぁ何寝言ゆってるよを。」

Cの場合には「ぽんぽんでちゃっといかしゃがんこ早くに着くにい。」

とかになる。(あくまで一例だが)と、言う風に遠州弁には野郎言葉と婦女子言葉それに男女兼用表現とが存在しており、正しいかどうかはともかくとして実際使ってる言い回しに沿った説明をするとなるとこれらをはっきりとしておかなければならない。色んなところで紹介されてる遠州弁の説明はそういう点に若干開拓の余地があるだろうと踏んでいる。

Bのように男女兼用の表現だけを選別して紹介すると言う手もあるがいまのところとりあえず思いついたものを記事にあげつらってるだけでひーこら言ってる現状である。

そのうち出し尽くしたかなと思えてきたら以前の記事を修正・補足していきたいと考えておりますので前読んだ時と内容が少し変わってると言うことがあるやもしれませぬのでご承知置き下さい。

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TOHOシネマズ

 しぞーか県内で3番目のTOHOシネマズが磐田に2009・7・23オープンの運びだそうな。しぞーか県内で3番目っていうけど、はまーつの街中ZAZAに一丁。サンストリート浜北に一丁。ほんでこんだぁ ららぽーと磐田に一丁と。西部地域ばっかじゃんかと。

それって喰い合いにならないんかいと余計なお世話してしまうくらい車を移動手段として考えると相互が距離的に近いよなと思わないでもないのですが。まあ映画文化が遠州で盛んになってくれれば喜ばしい限りでありまして。

で、気になる事をいくつか。

*Cmはぶたないのかな。

ZAZAの時は記憶にございませんが、浜北の時には地元の雄たる「長澤まさみ」さんがCmぶんぶんでラジオCmをもこなしてられましたが今度はどうなんでせう。浜北は川を挟んでの磐田のお隣だったけど今度のららぽーとはまさしく磐田で長澤さんの地元。に、しては音無しだなあと。

話しずれますけど、「長澤まさみ」といえば最新作の「群青」はま~つじゃ上映してないみたいす。三木聡監督の作品は以前に監督が来浜された縁もあってかZAZAで観ることが出来たけど、地元出身の役者監督さんとかには無反応なんでしょうかねえ。

*上映は割り振るのかな。

ZAZAと浜北では露骨な大作はドル箱(円箱ではない)だから同じように上映してるけどそうでないような作品については振り分けられてるような気がしないでもなく、それについては選択の自由が広がって有り難いことでありますが、今後は3つが協議するかなんかして割り振るのかしらむ。

個人的には浜北と磐田で大作をメインにして貰ってZAZAは通好みに寄ってくれると嬉しいのにな。

自分が興味が湧く企画を考えるとしたら、監督ウィークもしくは監督デーとかで監督さんが来浜されて解説とか質問とかができればなあと。それだったら朝から晩まで最低3本観れて飯付けて呉れたら万札出しても惜しくないな。こうなると江戸の頃の歌舞伎見物するようなものか。

あとは地元出身者を応援すると言う意味で毎日どれかのスクリーンで地元出身者が参加されてる作品を上映するとか。そういう差別化を図ってもええんでないかいと思えますです。

*形態はサンストリートに似てるけど複合商業施設の中に入るのは今後の指標なのかしらむ。まあZAZAも複合ではあるけど。

ほんとかどうか確かめに行った訳じゃないのであれだけど、サンストリートは集客的には当初と較べて落ち着いてきてる(そんな混んでないよ)ということを聞いた。単純に商売として成り立つのかな。

結局映画は上映開始時間が決まっている観る側の都合に合わせてくれない煩わしさがあるのだけれど待ち時間を解消するためにネットで確認して時間を合わせて行くか映画館近辺で時間を潰すことになるので。他の娯楽施設が傍にあるのは後者の時間つぶしには最適なパートナーということになるのだろうなあ。

ちなみに私がよく利用するZAZAでは下の階はゲームコーナー?みたいで、おやじにはいづようのない場所で存外早めに映画館に着いても時間を潰せない。

私が時間潰せるものといったらなんだろ。展示物とか掲示物を後ろ手に組んで眺めることかなあ。単なるデカイポスターの羅列で30分以上間を持たせといわれても無理だけどある程度の情報量を備えたものをケース越しに美術鑑賞するみたいなスペースがあればなあと。テレビで流れる情報ってのは人の流れがこどんで長くはいづらいものだし。

*もぎりの場所(ZAZAのお話し)

以前と違変わって一箇所で上映の何分か前にチケットをもぎってる最近。どういう理由で変わったのかは知らないけれど混む時はそれぞれ違う映画を待つ人達のひといきれでやるせない。もぎった後の各スクリーンに向かう際の空間の物静かさとの対照を思うと今のシステムが一時的なものだと願いたいものである。早めに席に座れればパンフとか読み込めるんだけど。

あれだけ人がわんさかいる場所でチケットの販売してる人は大変だろうなと思える。結構大き目の声で案内をしてくれてるとはたしてこっちのぼそぼそ言う声が聞こえてられるのかなと心配になってくるくらい。まあ混んでなければ問題はないのだろうけど。昔みたいに「大人一枚」で済む訳じゃなく映画名・席の決定・シネマイレージ等の有無・上映開始時間及びスクリーンの説明等々色々会話をしなければいけない割には騒々しい所で売っているもので。

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*ずるっこい

共通語のニュアンスだと「きったねえの」(汚いの)とかいった風であろうか。

まあ「随分じゃないか」みたいなものである。

例文

「遅かったじゃん。はあ先に整理券貰っちゃったにい。」

「わしん分も貰ってくれただ?」

「余分になんかくれすかあ。自分のだけだよを。」

「ほいじゃわしも今から貰ってくるで待ってて。」

「それがのっ。はあちっと前に定員打ち止めだって。」

「うそ!随分じゃん。なんで?開始からまだそう経ってないじゃん。どばや過ぎやへん?」

「それがの人ががんこ並んで近所からクレーム出たみたいでそんで予定よりかずっか早くに整理券配り始めただあれ。」

「なに?それ。馬鹿ずるっこいじゃんかあ。」

「まあ、早起きは三文の得。っつうこんだいね。」

「う~、なんか怒れるう。」

「文句言いたいならあそこんさあの衆らさっきいからあだけまくってるで多分あんたあと同じだで行ってまざってきない。」

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馬鹿の大足

 これだけだと「大男総身に知恵が廻り兼ね」みたいな大足の人を中傷しているだけになってしまうのだが。

私の知ってる限りでは

「馬鹿の大足間抜けの小足。丁度いいのはあんぽんたん」(地域によっては中途半端のろくでなし)

つまり「目こそ鼻くそを嗤う」ようなもので所詮皆完璧じゃないんだから人のことを悪くとか見下したりなんかしちゃ駄目だよという戒めの言葉と私は解釈している。

死語と言うより、こんな解釈してるのは私だけなんだろかと不安になったのでちょいと記載。

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*おおど

地域によっては「庭・土間・庭先」と訳されているところもあるが、うちの集落では「おおど」は土間の事を指した。まあ庭があるほど裕福な家並群ではなかったせいであろうが。したがって以下は遠州弁と言っても非常に限られた集落での使い方を述べているのかもしれない。なのでほぼ私見(感想)ということでご了承願いたい。

始めから住居のみとして建てられる家には土足の脱ぎ履き出来るスペースしかないのであろうが。自宅で商売も兼ねてとなるとそれなりの土間敷きの空間が家の前に広がっていたものである。

土間の用途はもちろん商売屋が商品陳列するお店のスペース。例えで言うと駄菓子屋のお菓子置いてあるところが土間敷き八百屋さん魚屋さんの店先もそうか。又は搬入する荷の置かれた場所。本来はそういう用途であったろうが私がガキの頃には商売は廃業して、けったー(自転車)・ポンポン(オートバイ)・乳母車とかの置き場と化していた家とかが多かった。コンクリートで固めているところもあればそうでないとこもあった。赤土なのに「おうど」(黄土)とはこれ如何にと子供心に思ったりもしたっけ。

農村部の家とかにある炊事場とか藁編んだりするような作業場を「おおど」というかは定かではない。家の中であるが「にわ」とも呼んでいたらしいのでもしかしたらそうなのかもしれない。というか本来そこを指すんだろうなきっと。

うちの集落は外の庭を「おおど」とは言わず庭は「にわ」であった。別の言い方をすれば屋敷内の下の地べた(コンクリート敷きを含む)を「おおど」屋外の自分の敷地を「にわ」と言うといった分け方ではなかったかと。

「おおど」を漢字で書くとなんだろね。辞書にある「大戸」(商店などの表口の大きな引き戸)から来ているとしたら繋がりはありそう。「大きい土間」が略されて「大土」(おおど)となったとも想像できる。

先にもちょっと書いたけど「黄土」というのでは私の記憶では殆ど赤土のような色していてあれが黄色には見えなかったから無理がありそうな気がする。

語呂が近いからと言って「大吐」でないことだけは確かである。

このおおどはぺったん(メンコ)をするに非常にやりよい場所であった。まずコンクリートがざらざらしてなくほどよく滑る。家の中なので雨が降っても影響が少ない。風の影響を受けない。音が通るのでその音で反則したかどうか判断できる。

白墨使ってお絵かきも出来たが水で流さないといけなくなるので迷惑がられた。

例文

「やあ。雨ん降ってきたで丸かき止めてぺったんにしまい。」

「いいよ。ほいじゃ一旦家戻って持ってくるわ。どこに集合?」

「ひろちゃのとこでやるかあ。」

「うち今日日曜だでおやじのポンポン置いてあるで場所取れんよを。」

「ひろちゃのとこしかおおどある家ないじゃん。なんとかならんけえ。」

「聞いてみる。」

「じゃ、いちおー ひろちゃん家集合な。」

「やっぱ駄目だったらどうする?」

「そんときゃそんとき考えまい。」

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カイドク・都市伝説の暗号ミステリー

 こういうのって純然たる宝探しの展開の方がいいなと。人殺しはどうもねと思ってしまう私です。

そうはいっても邪道な楽しみではありますが、どこぞで見た背景がぼこぼこ出てきてという探検が面白かったです。

ざっと直感的に思ったのは、(合ってるかどうか定かではございませんが)

羽柴(国仲さん)が撃たれた屋上のヘリポートは映画「アンフェア」のラストシーンで観たような。

別の飛び降り(落とされた)が起きた屋上はドラマの「チームバチスタの栄光」の麻酔医さんが落とされた場所に似てたなあ。

そして警察の屋上は「BOSS」で。

最初の狂信者が逮捕された家の一室は映画「ラフ」のお兄ちゃんの部屋とドラマ「モンスターペアレント」での弁護士事務所のボスの部屋。

で、見直せばまだ出てくるやも知れぬし私の浅知恵では読み取れないものもあるだろうですが、それはまた後日暇な時に。

怪しきが善で善かろうが悪でという逆転劇はナイスだと思いますが、キャラクターの見せ方が観る者をはめようとしてるあざとさが垣間見えてどうもなあという意識が働きました。

でも沢村さん・池内さん・西村さんのお芝居が愉しかったです。池内さんは最近刑事づいてるなあと密かに思ったりなんかして。スマイルでしょ刑事一代でしょ。で、これでしょ。ハズレなしですな。

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*ほんだったら

「ほんだったら本人取りこさすでいいわあ」

共通語に訳すと「それなら本人に取りにこさせますから結構です」となる。

別に共通語訳にせずともおそらくは意味が通ぜると思ってるのが遠州人。ホントのところはどうなんでしょうかねえ。関西風の表現なので

「それなら」と訳すが自然であろうか。「そんだったら」という言い方も存在しほぼ意味とか使い方が同じである。

関西風の「ほいたら」も使う。関西で言うのかどうか不明だが「ほいじゃ」というのもある。

「そうしたら」の変形の「ほしたら」・「ほぉしたら」というのも使う。

例文

「いごかんなぁや。」

  (動かないねえ。)

「ほんだったらこうしまい。」

  (それならこうしよう。)

「なにがあ。なにしたいでえ。」

  (なんだよ。何をする気?)

「なにしたいでえって。直すに決まってんじゃんかあ。」

  (何するって直したいに決まってるだろ。)

「無理無理。余計おやすだけだでやめない。」

  (無理無理。余計に壊すだけだからやめときな。)

「ほんじゃどうせるでえ。」

  (それじゃあどうすんだよ。)

「ほかいてきまい。」

  (捨て置いて行こう。)

「随分じゃん。」

  (おい。)

「わしんじゃないでとんじゃかないわ。」

  (オレのじゃないからどうでもいいもん。)

「やあ馬鹿っつらわしのだっつうの。」

  (おい!ふざけてんのかオレのだって。)

「はあ暗くなってきただでくろの方よけときゃ盗る人なんかおらんよ。明日にいさに来て見てもらわすかあ。」

  (もう暗くなってきたから端の方に除けておけば盗られやしないよ。明日兄さんに来てもらって診てもらおうよ。)  

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とてもとても2009・4月~6月

 期を重ねる毎に観るドラマの本数が減ってきてる感じです。別に飽いたとかいうことはない筈なんですが自分の嗜好と流行の方向が一致しないはぐれ者状態なんでしょうかねえ。

シンプルに楽しめたのはBOSS。空気感が心地よかったのは湯けむりスナイパー。役者さんがすげえなと思ったのがスマイルの中井さん。はまり役という印象はひらっちのテル先生と渡部さんの院長先生、天海さんの大澤かしらむ。玉山さんの片桐と竹野内さんの野立もよかったな。

ゴッドハンド輝

面白かったです。ひらっちの「どじテル」がはまっていてこいつに名医の資質なんて存在するのか?と思わせておいてそれでいてやるときゃやるというギャップがくっきりしていて観易かったです。ある意味衣装の変わらない変身モノとも言える訳でありまして変な方向に行ったら二重人格に映りかねないところをうまくすり抜けてざらつき感のない変身をされておられたんじゃないのかと思えました。こういう役のひらっちはやっぱ好きですわ。

水川さんとのコンビも良かったですね。勝手な印象ですけどこのふたりなら絶対恋には発展しないだろうな、純粋に医者としてのライバル関係として観れる感じがしっかり出てるんだなという距離感を感じて観てました。

渡部さんもよかったなあ。

物語はほぼ原作に忠実と思われましたので漫画を読んでた身としましては展開上意外性とかは感ぜず観てましたんで役者さんばかり観てたような気がします。

理想の医療と現実の経営との誇張された戦いという点に集中していったところが分かりやすかったです。でも短かったなあ。

名探偵の掟

 感想は飛び飛びでしか書いてませんが全話観てました。壷にはまる回と外れる回の振幅が凄くて面白いのか詰まんないのか良く分からない感じでありました。推理ドラマの様々な約束事を提示し、それを茶化していくというスタンスはナイスだなと思うのですが。それをぶち壊していくのが探偵さんで守ろうとするのが刑事さんの丁々発止というのなら面白いと思うのですが、それに則ってあくまで遵守しようと縛りにこだわるのが探偵さんというのがそもそも私の壷から外れてたのかもしれません。

とは申せ、役者さん的には松田翔太さんと香椎由宇さんを観てるのが楽しくて見応えはありました。

白い春

 感想は書きませんでしたが見てました。おっかない系は好きじゃないので観てたと言う表現までガン見してないので見たということで。阿部さんと遠藤さんががんこ良かったなあ。白石さんも印象に残ります。役者さんを愉しんだドラマでありんした。

BOSS

 問答無用でこの期で一番楽しめたドラマでした。軽妙洒脱な丁々発止のやりとりと謎解きの意外性のバランスが楽しく、ゲストの犯人さんがこれまた壮観。天海さんにこういう仕事は出来るが普段はすっとこどっこいというキャラ演じさせたら右に出ない勢いで安心して観てられました。

このクールにおいて最終回15分拡大のご褒美つきはこのドラマだけというのは寂しい限りですが。

スマイル

 中井さんに惹かれました。お話しの流れは11話中苦難が10話と半で実りが半話という圧倒的にどよよんとした空気が支配していましたが挫折することなく全話観れたのは中井さんの迫力でありました。

おおまかな印象でとしては、最後そつなく終わったなあという感想です。

湯けむりスナイパー

 BOSSが一番楽しめたドラマならこちらは一番愉しめたドラマでした。空気感がまさしく温泉に浸ってるような気分でした。平穏の中にこそ幸せがあるという暗黙のメッセージも好感触でありました。

ぼくの妹

 最初事件に巻き込まれた濡れ衣を晴らすサスペンスかと思ったのですが終ってみれば女版寅さんたる颯。それをはらはらしながら見守る(言いように振り回される)兄貴というお話しでした。正直観方を勘違いしていたので中途半端な印象になってしまいました。もっと明確に突貫娘と付き合わされる兄貴のお話しと銘打ってくれてたら楽しめたやもしれません。

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*そんなことあらすけえ ある訳ないじゃん

遠州弁で否定する上でよく使われる表現。

直に訳せば「そんなことないよある訳ないだろ」ということになる。

想像話しだが、古い日本語の「~であろうかいやそうではなかろう」とかいった言い回しが変形して残っていると想像される。この理屈でいえば「そんなことあるだけえ?ある訳ないらあ」であるがあまりこういう言い方はしないので説得力はないが。

こう言われた側は「そうかあ?」と自分の意見を引っ込めるか「ふんだだことあらすけえ」と対決姿勢を示すかの選択を迫られることになる。黙っていると「なんか言え」と大抵言われる。この時点では自分の意見を引っ込めても何事もなく事が進むので自信がない場合には引き下がった方が身の為ではある。自説を曲げず「ふんだだことあらすけえ」を選択した場合言った後にもし自説が誤っていたら「ほれみっせえ」・「「ほれみい」と言われるので覚悟が必要である。逆に自説通りだったらこっちが「ほれみっせえ」と高らかに言えるのではあるが。

別の続きの言い方で「そんなことゆうけどやあ」と自分の立場を述べるという言い方もある。それでも否定されたら「冷たいじゃん」と言い逃れはできるがいい加減な奴というレッテルが付加される場合がある。

ちなみに「そんなことしんよを する訳ないじゃん」とかで「そんなことしんよを」だけだと言い切りが強調されて冷たい印象が強くなる。

例文1

「こかあおんめえ先んこっちだらあ。」

  (ここはあんた。こっちが先だろうに。)

「んなこたあねえよ。これ先でええだって。」

  (そんなことはないよ。これが先でいいの。)

「そんなことあらすけえ いい訳ないじゃん。」

  (そりゃ違うだろ。おかしいって。)

「そんなことゆうけどやあ。こっちん方がこうるさいもんで先やらんとひゃあひゃあゆわれるだよ。」

  (そうは言うけどねえ。こっちの方がなにかと五月蝿いから先にやらないときついこと言われるんだよ。)

「受け付け順っつうのが基本だらあ。順番飛ばされた方ん身いなってみい敵増やすだけじゃん。先やったってこうるさいならどっちみちうるさくゆわれるだで同じじゃん。」

  (受け付け順が基本だろうに。順番飛ばされた方の身になってみなよ。敵を増やすだけじゃないか。先にやったところでどのみちなんか言われるなら先でも順番どおりでも一緒だろ。)

「冷たいじゃん。」

  (そりゃ正論だけどさあ。)

「当然だらあ。」

  (当たり前じゃないか。)

例文2

「こかあおんめえ先んこっちだらあ。」

  (ここはあんた。こっちが先だろうに。)

「んなこたあねえよ。これ先でええだって。」

  (そんなことはないよ。これが先でいいの。)

「そんなことあらすけえ いい訳ないじゃん。」

  (そりゃ違うだろ。おかしいって。)

「ほをけえ。」

  (そうなの?)

「そをだよを。ちいと頭働かしゃ分かるこんじゃん。」

  (そうだよー。少し考えれば分かるだろうに。)

「だってえ、こっちんがんこうるさいもんで先済まいた方が角立たんで済むじゃん。」

  (だってさあ、こっちの方はがんこにうるさいものだから先に済ませた方が波風立たずに済むじゃないか。)

「飛ばされた方の身にもなってみい。怒れるでえ。ちゃんとやってもひゃあひゃあゆわれるなら間違っちゃいんだでえらいさん呼んでくりゃいいだよ。」

  (順番飛ばされた方の身にもなってみなよ。不愉快だから。決められた通りやってなんか言われるなら間違ったことはしてないんだから上司呼べばいいんだよ。)

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ぼくの妹 その11

 結論。

兄曰く「ぼくの妹はどうしょーもなく世話の焼ける奴。だけどこれがまた可愛いんだなあ。」

ということでせうか。

随分言い過ぎな表現でありますが、家庭を持つことこそ最良の幸福という信念を抱いていながら、本人の性格の善し悪しの如何を問わず、男を見る目のない女性は不幸なのかと。しかも自分が描く未来予想図はその都度相手によって色々と変化して行く抜群の順応性を有していて大抵の事に幸せを見い出せてしまうという超前向きな才能の持ち主であり。それが決して高ビー女性でなく小さな幸せで満足できるというのが話しをよりややこしくしてる訳で。言い方を変えれば刹那的とでも申しましょうか。

タイトルが「ぼくの妹」でなかったら「兄はつらいよ」になってても不思議じゃないよなと思ってしまいました。

詰まるところこの兄弟のある期間のよくある日常を丹念に描いていたということで、なにも特別な事が起きていた訳ではないというのは理解できました。長年に渡ってこういうことの繰り返しがずうっと続いていたんだなと。

勿論普段の日常にしては殺人犯と間違われるような事件に遭遇したり根も葉もない逆恨みされたり知人が癌だったとかいった部分はドラマ故のイベントではありますが盟(オダギリさん)の妹に対するまたかよという嘆きの意味が初回の頃に比べてよく分かるようになりました。

こういう終わり方は予想してませんでしたが、終ってみればこういうのもアリだなと納得の最終回でありました。タイトルが「ぼくと妹」ではなく「ぼくの妹」というのが確かにと思えるドラマでした。

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*はあ かまわすけえ とんじゃかねえわ

「はあ構わすけえ とんじゃかないわ」

直訳すれば「もう構わない頓着しない」。

基本野郎言葉で、女言葉だと多少使い処が異なるが

「もをどうなっても知らんでねえ」

で、あろうか。

ニュアンス的には聞く耳は持たないぞ自分の勝手でやるぞといった宣言のようなもの。ここまで言って翻ったり(撤回)すると言った手前や面目などが潰れる最終決意の表現。

「とんじゃかない」が「頓着しない」の訛ったものかどうかは定かではないが辞書で引く「頓着」の意味と非常に近いのでもしかしたらそうなのかもしれない。

例文

「遅いやあ。忘れかあってるだかいねえ。」

  (遅いなあ。忘れてるのかねえ。)

「間に合わんくなるだでおいてかまい。」

  (間に合わなくなるからもうおいて行こうよ。)

「それでもまあちっと待ってみるかあ。おいてくと後でひゃあひゃあゆわれかねんでえ。」

  (そうは言ってももう少し待とうよ。おいてったら後でぐちぐち言われかねないから。)

「こん方悪いだで行かざあやあ。はあかまわすけえぶーたれようがとんじゃかねえら。」

  (来ない方が悪いんだよ。後でなんか言われても構うことないから行こうよ。)

例文

「あれ?ここどっちだったっけ。砂糖?塩?」

「あれえ、わしも自信ないやあ。」

  (う~ん私も自信ないなあどっちなのか。)

「とりあえず砂糖入れてみすか。」

  (とりあえず砂糖入れてみようか。)

「大丈夫けえ?」

  (合ってるの?)

「わからん。」

「ひょんきんじゃん。」

  (そんないい加減なあ。)

「はあ煮立ってきただでちゃっとしんとかんで砂糖いれるでねえ。」

  (煮立ってきたから急がないと。もう砂糖入れちゃうよ。)

「ええだ?」

  (いいの?)

「知らんよを。はあもを知らんわぁどうなってもを。」

  (知らないよもうどうなってもいいやあ。)

「投げやりやしい。」

  (投げやりだなあ。)

「どうせ喰うなあ あんたあ だでいいらあ。」

  (どうせ食べるのはあなたなんだから構わないでしょ?)

「随分じゃん。」

  (勘弁してよ。)

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MR..BRAIN その6

 これは推理とかいうジャンルじゃない気がしました。なのでお話しの流れはもうただ観るしかなく。で、面白かったです。BOSSも役者さんのチームワークから生まれ出でしアドリブなのか演出通りなのかの判断がつかないくらいなとこが悦でありましたが、このドラマもそういった雰囲気が漂ってきて悦です。香川さんが相変わらずいいですなあ。水嶋さんが効いてるんでしょうか。やっぱ木村さんが引っ張ってられてるんでしょうかねえ。

 綾瀬さんの多重人格化した怒りの姿が面白かったです。そのお声はなんかアニメに出てくる男の子みたいな声のようでありましていつもと違った初めての面を見たみたいで面白かったです。展開の中で閉じ込めてなにが分かったんだ?と骨折り損のようにも思えましたがまあそこはご愛嬌ということでしょうか。ご愛嬌と言えば余計な事言うなと口を九十九(木村さん)に手で押さえられた後、手を払いのけるシーンもどこまで芝居なのか分からない部分が垣間見られたようなんですがあれは素だったんでしょうか。あれも演技であるならこれもまた初めて見た様な表情でありました。

 違った面といえば仲間さんの四重人格の演じ分けも面白かったです。車のCmでもころっと性格変わるみたいなのありましたけど、あれはどうもいけずでついていけなかったんですがこちらは役者さんとしての演じ分けが見事だったよなあと。「こくせん」なさってるだけあって俊介には違和感なかったというか手馴れてた印象を持ちました。それにしても病室で九十九に危害を与えるシーンで割って入った水島さんと香川さんが結構本気で止めに入ってたみたいに感じられて目一杯なさるお方なんだろうなという印象を受けました。一応女子相手なので胸を触る訳にもいかず香川さんがどこに手を掛けるべきなのか一瞬迷われた風にも見えましたが。

大喰らいのショウコという人格はトリックでの貧乳さんを目一杯ご陽気にした感じなんでしょうか。いやそんなこたあないな。でも初めてという印象はないし。どこでこういったキャラクターなされてたの見たんだろ。曖昧で思い出せません。

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剱岳 点の記 その2

 先週点の記を観てからというもの毎週楽しみに観ているテレビドラマがどうもうそ臭く見えてきてしまって、その感想がマイナスというか渋い評価になってしまって困っている今日この頃、またもや映画館に行ってリピーターと化してしまいました。色んな意味で「本物」はやはり違うよなあと改めて感じ入る次第で。

そういやあ「ハッピーフライト」に惹き付けられる要因のひとつとして「本物」を使っているということもあるんでしょうか。矢口作品はSGもWBも実際役者さんが泳いで吹いてとしてる「本物」なんでそういうとこが好きなのかなとも思えてきますです。自分がちゃらんぽらんなバッタものなだけに本物に対する憧れというのがあるんでしょうねきっと。

以下はシーンとかに関する感想を含みますので、ネタバレというものに抵触してしまうかもしれませんのでご了承の程を。もちろんそうならないように配慮してますが、ざるかもしれませんので。

 最初観た時にはその絶景さにばかり目が奪われていましたが、二度目に観るとあんな場所をよく歩くよなあと感嘆するばかりでしたです。足踏み外したらまっさかさまでしょうにってところにいるのがきっちり映っていて。映っているってことは写してる人がいるってことで。突風吹いたらいちころでしょと。

富士山がでかいなあと。自分の経験値として中央アルプスに登った時に見えた富士山よりも遥かにでかいものでした。南アルプスから見た富士山くらい大きかったなあ。

雷鳥が重要な存在として描かれていましたが、私の山仲間曰く、「雷鳥が見えるってことは天気がくだる証」ということでできれば遭遇したくないと言ってましたがところ変われば品変わるって具合なんでしょうかねえ。

日本山岳会の登山靴の足音と草鞋に足袋の足音の違いも良かったなあ。今でも草鞋やかんじきとかは雪歩きとかに最強と聞きますけどそんなに歩き心地がいいんでしょうか。履いてみたくなりました。でも寒さというものを考えると足だけでなくあの装備であの時期の山に登りしかも何ヶ月もずうっとなんて昔の日本人ってどういう頑健な体してたんでしょうかねえ。行者様もお偉いけどみんな凄いぞなと思わずにおれません。私が山歩きしてた頃でも夏山登山で地下足袋登山される人もおりましたけど雪の上は歩きませんからねえ。

それにしてもやっぱ髭がみんな似合いますなあ。山男らしいっす。頂に登りつめた時の黙々粛々という様が特にリアルでした。実体験として往生して辿り着いた頂での想いというものははしゃぐでも握手して労をねぎらい合うものでもなく声無き感無量というものですから実感としてうんうんという気持ちでありました。

音といえば音楽がしびれます。勇壮感をそそるというかなんというか。山の荘厳さも加味されてるようで。パンフ売り場でサントラCD売ってないかなと思って探したんですがなかったです。

山での楽しみと言ったら食べることくらいしかないんでありますが山岳会の携行食のビスケットは美味そうに思えないですな。田んぼの畦道んとこで頬張ってたおにぎりの方ががんこ美味しそうでした。山の中での焚き火は今じゃ考えられないことですがあれでこさえた料理がどんなのかそれをどう楽しそうに食べるのか観たかったなあ。

 勘違いしてたのに気がついたことは、人足の依頼を村の長?にお願いして断られてたのですがその理由は、長次郎の下に付くを潔しとせずということだったみたいです。私はてっきり時代の流れには逆らえないから手を貸しますよ。ただしやるならわしらで全部お手伝いしますよと言って道案内は長次郎を選ぶかわしらを選ぶか二者択一を迫られた上で長次郎を選んだのだと思ったんですよね一回目に観た時には。

そうではなくて村の人間にとって長次郎(香川さん)の行動は、立山信仰を抱く村の人からみたらやはり許されざる行為であってそういう人間の下で働くのは勘弁ということみたいです。長次郎の立場ってのが理解できていなかったようでその謙虚なのに揺るがない決意の固さの源がどこからでてくるのかもう一度考え直してみます。

ところで、富士山は浅間大社が管理してるように剱岳は当時どこかが管理してたんでしょうかねえ。色々挨拶に回ってたみたいですけど。単に営林署の管轄だとしたら信仰の山という神秘性がちと薄れていやったいですな。まあ活動写真とは関係ないどうでもいい話ですけど。

 それと話し飛びますがやはりこの行程というか足取りが私のような剱岳に行った事のない人間には分かりづらいであります。下調べで言わっしゃってた三つの登頂の為のルートの説明が口頭のみでありまして地図等で道程を視覚的に理解出来るようにして欲しかったなと。お恥ずかしい話し山頂に辿り着いたそのルートは最初言ってた三つのうちのひとつなのかそれとは違う全く別のルートだったのか理解できてません。

勝手な夢想ですけど、陸軍の方に逐一経過状況報告をして東京にいる素人の軍人さんにも理解出来る図面?のおこぼれを観る側にも提示してくれたらなあと。その報告に軍人さんが一喜一憂もしくは催促(早く登れ)とかしててくれれば日本山岳会との競り合いだけでなく焦って多少無茶をした理由がより強調されるのだろうになと。

 まあとにかくなんなんでしょうねえこの満足感は。うまく言葉で表現できない何かが映ってるみたいでそれが観てて充足感を与えるようなんですが。よく分かりませんです。

好きなシーンという野暮なことは言うべきではないのでしょうが奇をてらって述べるとするなら長次郎が来年に備えて草鞋作りの為に藁で縄を結っているところかな。山登りで結局何が一番楽しい時かといったら準備してる時でしょう。登ってる最中や降りてから暫くはしんどい限りで二度と行くものかといつも思うくらいで決して楽しいものじゃない。でもまたそのうち行きたくなるという循環でありまして。行くと決めた時が一番嬉し楽しなんで。そのシーンがまさに縄を結ってるシーンでありまして長次郎の嬉しそうな表情が好きなんですわあ。

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