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湯けむりスナイパー その12

 最終話は過去のけじめでありました。禊(みそぎ)じゃないよね。椿屋のおかみさん達にしてみれば雨降って地固まる。これでけじめがついたんでしょうけど源さんにしてみれば組織が崩壊しない限り永遠に過去を引き摺っていかなければならない訳でありまして栄枯盛衰の理(ことわり)というものが裏社会にも存在していて組織が廃れてしまうまでがんばんべえやということなんでしょうね。

エージェントをQさん(長門さん)が始末してられましたがエージェントも末端であるので一時しのぎなんでしょうかね。それでもあえてそういうことをしてまで源さんを守ろうとするQさんの心意気の源を知りたいところであります。

とにかくこれで椿屋の源さんフォーエバーといことでまずは良かった良かったということでありましょう。

 それにしても最終話をこういう話しで締めるってのはどうも湿っぽくていけませんわな。私的にはこのドラマの悦は異常な人生を送ってきた人間だから見える普通に生きていては普通の事の有り難味や面白さに気づかないものを指し示してくれるものだと思って観ていたのでこういう話しは全体の真ん中くらいで消化しといて欲しかったところです。

などと多少の愚痴も出ますがいざ終わるとなると寂しいところです。こういうまったりした物は長めに浸かっていないと湯冷めしかねないですからもうちっと続いて欲しい気がしますです。原作読んでないんで空気感の違いなぞは知りませんがドラマの空気感は好きですたい。ただそれぞれのキャラクターが味わいがあるのに十分描かれてないというか観たりないのが残念です。

個人的な都合でいえば愛知からの電波で観てたのであまりけっこくなくきちんとした画像で観たかったな。

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スマイル その11

 ドラマ全体の後半部はもう一馬(中井さん)の弩迫力に押されっぱなしでありましたが、それに加えてビト(松本さん)の表情の変化がスゲエぞなと思いし最終回でありました。沈鬱と破顔の変貌の様は、決して髪形だけの問題ではなく上っ面の演技ではない証を見たような勢いでありまして。この人上手いと素直に役者パワーを感じました。ファンの方からお叱りを受けるでしょうが、アイドルさんにしとくのは勿体無いというか役者稼業に専念された方がええんでないかい?と思えてしまいますですな。それも舞台とかで。セリフがはっきり聞こえ感情の乗り具合も情感豊かでありますで。まあ余計なお世話ですけど。ホント舞台で映えそうなお方だよなと思いました。

終焉に向かう展開は観たまんまというか、これしか向かう道はないだろうという展開でありまして特に述べたいことも浮かばないのでありますが。

面会の奇跡と執行直前の待ったは流石に劇的でこんなんありかしらむと思わないでもない気はしましたです。

あれで証人に立った林のお父さんが失うもののないぷ~さんだからあれですけどどこぞで天下りしていて護身の為に立たなかったら洒落になってなかったですなあ。意図は分かりますがその転進の様は嘘みたいというか作りすぎなのではと思わないでもないところでした。

それにしても最後の映像は何を表していたんでしょうかねえ。まさかビトと花は子沢山とかいうのを象徴する訳でもないんでしょうに。よく分かりませんでした。

いずれにせよこのドラマは今時珍しい耐え忍ぶ主人公のお話しでしかもそれが延々と10話まで続いて最終話で一気に堪えた成果が吹き出たという展開でありました。途中何度かちょっと好転しそうかなと思うと直ぐに負が襲い掛かってきてしんどい気がしました。もう少し一時の安らぎと悪夢の循環が交互に描かれてくれたら好みだったのになあと思わないでもない試練の連鎖でありました。安らぎは花とビトとの深まりだったんでしょうけど花は突貫だったけどビトは探り探りのままだった風に映ってお互いの至福の時間には映らなかったんで。まあ終わり良ければ全て善しですから不満というほどではないですけど。

とにかく中井貴一さんが良かったなあ。

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みんなしていぢめるだにい ひどいらあ

皆が私をいじめるんだよ。ひどいでしょう?と直訳するとこうなるのだが実際はそういう意味ではないことが多い。

本当にいじめにあっての訴えかける場合に使われるのではなく、「ねえねえ聞いてよひどいんだからあ」とか「もう勘弁して欲しいよ。」と言う風な漫才で言う所の「いじられてる」状態だと訴えているような使われ方が多い。

「随分じゃん」もほぼ近いニュアンス。

本人は告げ口という意識はないことが多いのだが状況によっては言われた方は告げ口しやがってという誤解を招く場合もあるので注意を払った方がいいのは当然ではあるが。

告げ口と思われても本人覚悟の上の場合には

「ねえ、聞いてやあ」・「ひどいだにい」

とかがある。

例文

女子「んー、もー先生!男子みんなして女子のこといぢめるだにいひどいらあ。」

先生「おめえらなにしたでえ。言ってみい。」

男子「えー!なにもしちゃいんよお。みんなでせまいっつったら、わしら女子だでそんなこんせんっつうもんでほいじゃいてもしょんないで帰れっつっただけじゃんかあ。」

  (え~!何もしてないよ。皆でやろうって言ったら、私は女子だからそんなことはしないって言うもんだから。それなら居ても仕方ないから帰りなって言っただけだもの。)

先生「そりゃなにや?女の子だで無理せんでええよっつった意味か?」

男子「当然じゃんなにいってるよお。」

女子「うっそだあ。邪魔だで帰れっつう風な感じだったにい。」

先生「だいたいなにせるつもりだっただあ。」

男子「相撲。」

先生「ん~微妙だの。」

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BOSS CASE11

 あ~面白かった。ということで。

前回の時点で野立(竹野内さん)は悪党ではない。そうでなければ、まんまで面白くない。という前提で観てたんですが。ちいとばかし苦しいとこが見え隠れしていましたがまあおおよそ期待通りの結末に至ってよかったよかったです。

途中悪党さん(反町さん)から貰った拳銃で警視総監撃ったんであれ?やっぱ野立は悪党か?と迷いもしましたが。野立の行動を整理してみると。

警視総監誘拐事件が起こる前に裏金事件を追っていたが確証が掴めず。

そこで警視総監と協議の上汚職撲滅の旗手を務める警視総監を餌にしておびき出す作戦をとるとこにした。

しかしおびき出されたのは一筋縄ではいかない高倉で肝心の狸までは姿を拝めなかった。

此処までで疑問が生じるのはおびき出す相手が違っていたのか。そして誘拐されたのは完全に誤算だったのか。

推察するに、警察内部の悪党と「黒い月」が癒着していると言う事実は前回提示されていて双方警視総監を抹殺したいということで意見が一致していたということなので実行犯は「黒い月」のメンバーであって警察内部の悪党は裏で口利きと誘導だけで表に出てくるとは考えにくいのに何故火中の栗を拾う行動に出たのか。とにかく「黒い月」のメンバーを捕まえて泥縄的に吐かせる算段だったんでしょうか。その割にはいいようにやられるばかりで誘拐されて逆転してなかったらやられ損にしかならなかったんじゃないのかなと思えまして、こりゃ結果オーライの綱渡りな無手勝流な成功だったんかなと。

どの時点で屋田参事官(相島さん)が悪党だと確信したのか。

相当早くに予想はしてたみたいでありましたが、先に尻尾を掴んだのは大澤(天海さん)の方で野立にしてみれば木元(戸田さん)から芝居をしてくれという時点で確信したんでしょうか。それにしても大澤が機転を利かせて野立悪党説で誘導していなければ野立は不要として廃棄処分されてた訳でありまして。災い転じて福と為すとはこの事なのでしょうか。綱渡りもいいとこにしか映りませんでしたが。

で、元に戻ってなんとか利用価値を見出されて警視総監を殺す代わりに命だけはと命乞いしてそれからなんちゃって凶事に及ぶ訳でありましたが危なねえなあおいと思いました。

その後は見ての通りで改めて書かずともという流れでありましたが、本来の野立と警視総監の筋書きはどのようなものだったんでしょうか。いまいちその絵に描いた餅が思い浮かびませんでした。とにかく野立を悪党に見せようとする結果こういう展開に及んだのでしょうけど若干無理があったようにも思えるのは私がアホだからでしょうか。最後の廃工場での種明かしがなければなにがなんだか上手く整理出来ない状況でありました。あのシーンはまるでサスペンス劇場での崖の上での名シーンみたいだなという勢いは感じましたがあれがなかったらちんぷんかんぷんでした。あの場をお白洲として一件落着としなくとも後日の野立会もしくは送別会で盛り上がりつつあの時はと経過を振り返るって説明の仕方の趣向でもよかったかもと思うのですけど。

 そうは悪態ついてもこのドラマは面白かったです。

この腐った国で何故革命が起きないのだと疑問を投げ掛けていましたけど、そりゃ金があって喰うになんら困らないからでしょう。欲望が満ち溢れ快楽に溺れ現実逃避できる場所もある訳ですし。他所の国からみたらこれでもかというくらい贅沢を享受している国で革命が起きるのは考えにくいよなとツッコミながら見てましたけど反町さんの冷静な狂気振りは画になってたなあ。

純粋に笑えたのは「間宮貴子」ネタ。ここで出すかぁと。悪乗りついでに弁護士事務所に実際相談に行って大澤と間宮の一人二役の天海さんを観たかったなあ。玉山さんも居ることだし。そういやあ津川さんも居られたじゃないですか。

それと岩井(ケンドーさん)が惚れた相手が最後大澤になったってのは。てっきり高倉(反町さん)への叶わぬ恋に走ったのかと思ってたんでそうきたかあと。

最後のキャストスタッフロールが流れてる時の彼氏と電話してる天海さんはほんにお綺麗どしたなあ。

続編あらば悦んで応援しますよ。映画だとよっぽど辻褄が合う展開にしてくれないと厳しいですけど。テレビであったならホント楽しく観れて好きですわ。

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終わろうよ

「終わろうよ・きりあげようよ」という表現を遠州弁では

A「仕舞いにしまい」・「仕舞いにしまいか」・「仕舞いまい」・「終わりにしまい」

B「しまわまい」・「しまわまいか」・「しまわすか」・「終わらまい」

という二通りの言い方がある。

この使い分けは人それぞれだが自分の場合、Aが先輩・上司とかいった上位者が下の者に言うことが多く。Bの場合には同僚・部下とかいった横並び的立場の人に言う言葉であることが多い。先輩・上司とかがBを使うと優しい感じにはなるのでそういう事を意識して使われる場合もある。

従って平が課長に「仕舞いにしまい」とか言うとぶっさぐられるかムッとされる。

平が意見具申するような場合には「しまわすかあ」・「終わらすかあ」とかいった言い方をすることが多い。

例文1

「やあ5時回ったで仕舞いにしまいか。」

  (ねえ5時回ったから終わりにしようよ。)

「おんしゃなにょえらそうに指示だしとるだあ。」

  (お前なあ。なに偉そうに指示出してるんだ?)

「なにゆってるよを。残業さすんなら命令きちんとしとくりょを。なあなあで手当てつかんじゃ馬鹿みたいだで。」

  (なに言ってるんだ。残業させるのなら命令きちんとして貰わないと。流されて手当てがつかないんじゃ馬鹿みたいじゃないか。)

「そをゆうこたあぺーぺー同士ゆったって埒ぁあかんだで偉いさんに直にゆっとくりょ。」

  (そう言う事はペーペー同士が言っても始まらないんだから偉いさんに直接言ってくれよ。)

「ゆえたら苦労いらんじゃんねえ。」

  (それが言えたら苦労しないよ。)

例文2

「はあ5時回ったでしまわすかあ。」

  (もう5時回ったから終わろうよ。)

「まだ終わっちゃいんじゃん。ここで止めすと課長なんかゆってくるにい。」

  (まだ終わってないじゃないか。ここで止めると課長なんか言ってくるよ。)

「しらすけえ。はあ時間だもんでとっとと帰りゃいいじゃん。」

  (知ったこっちゃないよ。もう時間なんだからとっとと帰ればいいんだよ。)

「確かに!でもでけるだか?」

  (そうだね。でも出来るの?)

「でけたら苦労しんわなあ。」

  (それが出来たら苦労しないわなあ。)

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言ったら洒落になるかな

あくまで創作上の冗句です。

バージョン1

付き添いの人「先生うちの亭主の病気はどのくらい悪いんでしょうか。」

医師「ご主人の性格くらいかと。」

付き添いの人「それじゃあもう救いようがないんですね。」

医師「そう来ますかぁ。」

バージョン2

患者「先生はっきりおっしゃって下さい。私はどのくらい悪いんですか。」

医師「はっきりいっていいんですか?」

患者「はいお願いします。覚悟は出来てます。」

医師「実は・・・貴方の性格ぐらい悪いです。」

患者「?」

医師「今日一日自分を振り返ってみてください。ではまた明日検診で来ます。」

~翌日~

患者「先生昨日言われてからずうっと考えたんですけど・・・そんなに悪いとは思わないんですけどね自分では。」

医師「でしょう?病気もそんな程度ですって。心配するほどのものじゃありませんから。」

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あんばい

 「塩梅」が遠州弁ということではないのだが使い方について。(按配・案配・按排と書くこともあるそうだがそれについては触れていません。)

関西で使われる表現「あんじょうよろしく頼んますわ」。

遠州では「なんしょあんばいよを頼むでねえ」とかになる。

だからといって「あんじょう」=「塩梅」と言い切れるかどうかは疑わしいところに思える。

意味的には「何卒よしなに」ということではほぼ似たり寄ったりであるが、「いい塩梅」とは言うが「いいあんじょう」とは言わないから使い方が必ずしも同じ場所で使われるものではなかろうて。

そもそも「あんじょう」は漢字でどのように書くのか。辞書によると「味良くの変化」と書かれている。

塩梅はバランスというか加減をきちんとしてくれだから良くも悪くもある訳で、あんじょうは良くしてくれと言うことだから良いはあっても悪いはないと思える。

言えることは遠州では「あんじょう」という言い方はそう言われれば意味は理解出来るが使うことは殆どしない。

例文

「湯う沸いてるけえ。」

  (お風呂沸いてるかい。)

「はあ火い点けてからだいぶ経ってるで沸いてるらあ。」

  (もう焚いてから大分経ってるから沸いてると思うよ。)

「水じゃねえらなあ。」

  (水じゃないだろうねえ。)

「んなこたねえらあ。あんばいいいかちんちんかどっちかじゃないの?」

  (そんなことはないでしょう。丁度いいか沸き過ぎかどっちかだと思うよ。)

「そんなどいい加減なあ。勘弁してくりょ。」

  (そんな大雑把なあ。勘弁してくれよ。)

「熱かったらうめりゃ済むこんじゃんひゃあひゃあゆわんの。」

  (熱けりゃうめれば済むことでしょうに。ぶつくさ言わない。)

「面倒じゃん。」

  (面倒臭いなあ。)

「甘えちゃかん。」

  (甘えるでない。)

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刑事一代・平塚八兵衛の昭和事件史

 物凄く見応えがありましたです。一度目の時にはその迫力に圧倒されてただただ「お~」でありました。大抵のドラマはCmが張りつめた精神を解きほぐす効果を感じるのでありますが、このドラマに於いてはもどかしい気にすらなる惹き込まれようでありました。なにせ長丁場の一気の作品なので感想書くにしても結構気合と時間が掛かりますが見直しするのは苦にならないです。

年を経る毎に刑事さんが小粒に見えてくるのは「おやや」ではありましたが、プライドを賭けてのぶつかり合いは清々しくも映りました。八兵衛だけでなく皆が場の空気を読むもへったくれもなく何かに向かってぶち当たってでも突き進む姿は感動的であり勇気を貰いました。仕事に命とまではいかずとも人生を賭けてる勇ましさが格好いいです。余力を残さず全てを仕事に使い切る姿は男の憧れでもありましょうな。

架空のお話しではなく実在の事件・人物であり、まさに小説よりも奇なりという趣のハラハラ感がありました。リアルタイムで知ってた事件とかではないんですが有名な事件ばかりですので知識としてはもっていて先が読めてる筈なのに、それでもどうなるんだろうというドキドキ感がありました。保(萩原聖人さん)との丁々発止は圧巻でした。まさにこれぞ劇的。当初あざとい顔をしてた保が自白した後こころなしかすっきりとした顔になったのがせめてもの幸いと思えました。

鶏が先か卵が先かのような話でありましょうが、犯人を憎むという意識ではなく事件に遭った被害者やその家族の為にという姿勢はどの刑事さんからも伝わってきて、よくある刑事ドラマとそこいら辺が大きな違いかなとも感じました。それだけに重いというか。

とにかく渡辺謙さんに吸い寄せられました。あれだけの数の群像劇でしかも名だたる役者さん達ばかりでありますが埋もれ褪せる事無く映えておられてたのは凄いことだなと。

しかしながら、一番特にじーんときたのは石崎(高橋克実さん)の表彰状?授与のシーンでありました。人生の苦労が報われた瞬間と命尽きんとする時間とが交叉して満足していいのやら道半ばの無念を嘆くべきやら。定年まで勤め上げることが美徳の時代ですから。あの感極まった涙は複雑でいい方(満足)にも悪い方(次はない)にもどちらとも取れるもので切なかったです。その姿を涙を見せずただ俯く八兵衛の気持ちはいかばかりだったんでしょうか。単なる仲間相棒というのではなく最早刑事としての自分の一部をもがれるような気持ちだったんでしょうか。

 八兵衛は異端児であったと位置づけておられましたが、組織としてイエスマンばかり配置していては順調に機能し成り立ちはしても飛躍には結びつかず、こういう人材をも養える度量が組織として必要なんだろうなとも思えてきました。

ここに登場する上司はエリートさんは別として腹と胆の据わった方ばかりで、組織として充実してたんだろうなと思えてきますし、やっぱそういうところで働いてみたいものです。まあへたれの私じゃついてけませんけど。そんなへたれの私でさえそう思わせる魅力がありました。

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七月はなに観よか

4~6月はいつもより観たドラマが少なく時間を持て余し気味でしたが七月期はどうでしょう。

とりあえず今のところ食指が動いてるのは

ブザー・ビート 月曜21時

 しほりんが出るから。ただそれだけの理由。

救命病棟24時 火曜21時

 これは鉄板でしょう。テレビ局の看板ともいえるシリーズですから。しかも某局のように変化や進化を放棄して伝統芸の継承にのみ細心の注意を払う看板とは異なり、恒になにがしかの現実へのフィードバックを与えてくれる時代を映す鏡であり警鐘を鳴らすものでもあり。同じ「けいしょう」でもえらい違いですから。

赤鼻の先生 水曜22時

 ストーリーがどうたらこうたらではなく、上川さんが出るから。他にも大泉さん・香椎さん・小林聡美さんでしょ。それに「神木・須賀」という名のある元&現子役さんが揃うのも凄いよなと。欲を言えば出てられないけどこれで福田○由子さんとか女性陣の元&現名子役さんが打ち揃えばそれだけで見応えが増すのになと思わないでもないところですがそうじゃなくとも十分豪華ですから逆に収拾がつかなくなるか。

猿ロック 木曜24時?

 田舎に電波が来るかどうかが問題ですがしぞーか県でも流れるということなら観ます。市原さんが観たいんで。鍵屋さんといったら渡辺さんをイメージする私ですが果たしてそれと張り合えるかどうか楽しみなんですけど。如何せん映るかどうかが問題なんで。

映るかどうかといえば、イケ麺そば屋探偵は結局前のシリーズもしぞーか県では放映されませんでしたので今回も駄目でしょう多分。なので観たくても視れない。

華麗なるスパイ(仮ってついてた)

大雑把なストーリーを読むとこれがギャグ満載なら面白そうだけど役者さんの名が長瀬さんと深田さんしか載っていないのでなともいえない。

後は視れたら見て良かったら観ますけど、それにしても今年に入ってどうしちゃったんでしょうかねえ。視聴ターゲットに中年オヤジは視野に入れないようにされてるんでしょうか。見事なくらい食指の動かないドラマばかりです。そう思えてくるテーマが多いとぞおもひけり。

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*ばっかとばかは違う

「ばっか」はばかり・ばかし言う意味。「ばっかじゃないの」という馬鹿と言う意味とは異なる。しかしながら近い言葉で「ばか」と言う言い方もあるにはある。ただしこちらは「~くらい」というニュアンスになるので「くらい」と「ばかり」の違いはある。「ちっとばか」(少しくらい・ちょっとは)、「ちっとばっか」(少しばかり・それっぽっちというように。おんなじじゃねえかといわれればそれまでだが。

「ばか」(BAKA)の変形で「ぱか」(PAKA)というのがあり意味は同じだが言い易いように変形したと想像される。「これくらい」を「これっぱか」というように。ちなみに「これっぱっか」という言い方はあまりしないが意味としては「これっぽっち」となる。なるにはなるが普段は「これっぱか」で通用するし共通語でも「こればかし」なんて言わないので解釈としては苦しい。ちなみのちなみで「こればか」(KORE BAKA)という言い方はない。ちなみのちなみのちなみで、「こればっか」(こればかり)と言う表現はある。

例文1

「そんなねえちっとばかのこんでひゃあひゃあゆう奴は嫌われるにい。」

  (そんなねえ少しのことで大袈裟に言うような人は嫌われるよ。)

「なんか言やあ、いつも、そればっか。はあ聞き飽きたわあ。」

  (何か喋るといつもそう言う。もう聞き飽きたよ。)

「いくらゆってもきかんでゆうたってしょんないだけどね。」

  (何度言っても聞かないんだから言うだけ無駄だけどね。)

「なんでうちらばっかにそんな厭味ゆうよを。」

  (どうしてうちらばかりにそんな厭味を言うの?)

「厭味じゃあらすかあ。本音だにい。」

  (厭味じゃないよ本音だよ。)

「余計悪いじゃん。」

例文2

「よし。これであたあ、やるばっかしでえ。」

  (よっしゃ、これで後はやるだけだ。)

「あんたあなによー。これっぱかしか用意しとらんの?」

  (あんた何?これっぽっちしか用意してないの?)

「なにがぁ。全部で三人だらあ。これで十分じゃん。」

  (いいだろ。全部で三人だろ?これで十分じゃないか。)

「なにゆってるよを。三組!三人じゃないにい。」

  (なに言ってるの三組!3人じゃないよ。)

「はははははは・・・。」

「なに笑ってるよを。」

「はあ嗤うしかありもしん。」

  (嗤うしかないだろもう。)

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女性のタメ口

女性は付き合ってる男性の年齢に応じて普段の物言いも違ってくるのでは。

以前からなんとはなしにそう思っていたのだけれど、最近とみに歳の差結婚とか言うのが身近でも芸能界のニュースとかでも賑わしていてそれで確信的に思えてきた。もちろんあってるかどうかは知りませんが。

若い小娘が舐めた口の利き方をするのにはおおよそ二種類の理由がある。ひとつは本当の世間知らずで言葉を知らないからということ。いまひとつは冒頭に述べたような理由であること。

20代の小娘に中年オヤジ(自分)がタメ口で話されると言うのはホントなんだかなあな感覚に陥るのですが旦那の年齢聞いて変に納得してしまいましたわ。相手によっての使い分けとか無意識のうちにはしないみたいです。女性同士の会話ではどうなるのかは知りませんが。

いくら歳が離れようが目線は相手と横並びなんですねきっと。夫婦であろうと恋人であろうとそういう意識になるのか女性はと。だから旦那がそれなりの歳の奥さんはいくら若かろうとも旦那と同じ世代意識でいるから他人に対してもそういう感覚で話すみたい。じゃあ野郎はどうかというと、決してそうはならないような気がするんですけど。なのでそういう意識に向かうという理屈が理解出来ないのですが現実としてそうなのは確かじゃないのかと思える訳ですよ。

ただこの意見の弱点というか絶対そうだと言い切れないのは、姉さん女房の場合どうなるんだろうかということ。身近にいないんで。

 それにしても歳の離れた夫婦なんてシャーロックホームズが闊歩してた頃の昔の英国の富裕階級の話しで日本では皆無ではないだろうが非現実的な組み合わせだと思っていたのだが。いつの間にか違和感を感じなくなりつつある。まあ他人事だからということもあろうが。

とにかく女性は実年齢に関わりなく状況に応じて自分の立ち位置を変える能力があることだけは疑いようのないことであろうて。決して虎の威を借るなんとやらということではないんですが、野郎にはあまりない傾向かな?いや金持ちのボンボンとかもそうだよな。でもそれって子供の頃からの積み重ねによるもので大人になって急に臨機応変には変わらないよなあ多分。それに別に女性のタメ口は不遜なものではないから別種だろうな親のすねかじりとは。年の差婚した旦那の方の物言いが変わった(若い女房貰ったら若者言葉になった)とかいうことは殆ど聞かないし女性特有かなと思えてきてしまいます。

 つまりなんだなにを言いたいんだといわれたら、女性が今どんな人と付き合ってるのか想像する目安になるのかもということ。・・・かも。

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*なにやぁ・なによを

「そうすっとなにやぁこれっぱかしかまからんっつーこんけえ。」

  (そうするとなんだよ、これっぽっちしかまけられないってことかい。)

「じゃなによを一緒には行かんてこん?」

  (それじゃあなんだあ、一緒には行かないってことかい?)

まあ訳せば「なにかい?」って時代劇に出てきそうな意味になる。「するってえとなにかい」とほぼ似たり寄ったりかな。もう少し現代風にだと「なんだって」であろうか。

特に怒りの要素がある訳ではないのだが、他地域の人にとっては喧嘩を売ってるかのような粗野な表現に聞こえるらしい。決してつっけんどんな物言いではない。

他の言い方では「なにい」とかがある。

「なにやぁ」は基本野郎言葉で、「なによを」は男女兼用だが女性がよく使う表現ではある。

例文

「ほい、なにしてるよを。鳴ってるにい。」

  (ちょっとをなにぼーっとしてるんだ。鳴ってるぞ。)

「え~!なによを。わしん行けってか?」

  (え~?私に行けって言うんですか。)

「他にいもしんに。誰居るだあ。」

  (他に誰もいないだろう。)

「だからっつってわしにやらすっつうのはどうかと思うやあ。自分やらんととか思わんだけ?」

  (だからって私に押し付けるのはどうかと。自分でやろうとは思わないんですか。)

「なにやぁ?女子便所で緊急呼び出しブザー鳴っとって女子行かんと男のわしん行けってか?」

  (なんだと?女子便所の緊急呼び出しブザーが鳴っているんだから女性が行くのが当然だろう。)

「ぶっ倒れてたらわしじゃ手えおえんにい。」

  (倒れられてたら私じゃ手に負えません。)

「そんときゃ呼ぶだあれ。」

  (そうしたら呼べばいいじゃないか。)

「誰をお。」

  (誰をですか。)

「わしでええわ。」

  (私でいいよ。)

「じゃ最初っから自分いきゃいいじゃん。」

  (それなら最初っからご自分で行かれればいいじゃないですかあ。)

「なら警察でも救急車でも自衛隊でも好きに呼べや。」

  (なら警察でも救急車でも自衛隊でも好きに呼びなさい。)

「ホントに呼ばりゃあ怒る癖に。」

  (ホントに呼んだら怒る癖に。)

「ぶつくさこいとらんで、はよを行けやあ。」

  (ごちゃごちゃ言ってないで早く行きなさい。)

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ぼくの妹 その10

 人の生き死にを提示されるとやはり気になるものでありまして、もしかしたらいい奴なのかもしれないけどお友達にはなれそうにもないと思える九鬼(千原さん)であろうと命の行く末に興味が湧くところであります。

生きたれば颯(長澤さん)の未来(将来)の予想図が遠い先まで思い描けますし、努力の甲斐もなくということあらば颯の目的地探しが再び始まることに相成る訳で。

そしたら手術の結果は無事成功。ということは前者のパターンであってこれで颯については凱風快晴ということになるのかあ。後は盟(オダギリさん)の行く末だよな。やっぱ田舎に向かうんかな押しかけ女房1号からのお誘いは蹴ったみたいだし。週2回通うということで始めちょろちょろ中ぱっぱと徐々に移行していくのだろうかなと。

でもそれじゃ終わらないところがややこしいところでありました。一所懸命がむしゃらに考える暇すらなく動いてたのが、死というものと会話することによって自分はなにしてるんだろうと深く考える余裕(静止時間)を与えられて、結果「リセット」という名の修正を図らずも図った九鬼。盟や颯からしてみれば謀られたことになる訳でそれで颯が怒ってしまってあららという展開でありました。一筋縄ではいかないものですな。颯の言い分である盟が余計な抑圧を弱ってる時に与えたせいだというのは言いがかりのような気はしてますけど。

目的(女房子供の為にとか)があれば馬車馬のように働くことは悪いことではないし本当に自分のしたいことを生業と出来る人なんざ殆ど存在しない当世において何を贅沢こいてるんでしょという気持ちにはなりますな。考えられる事は色々在りますが、覚悟を決める前の助走期間ということであって暫くしたら颯の元に戻ってくるだろうという予想案A。「地上」という言葉を使っていたので「地下」こそが終(つい)の潜む棲家と信じていてそこに颯を置いて戻っていったという予想案B。まあ帰ってこなかったら大人のする事じゃないよなとも思えてきますですな。いくらホントは優しい人だとかいっても優しければいい人ということとイコールではないということに繋がるのでありますが。はてさてどうなるんでしょうね。流石にA案でないと非道でしょうこれは。

来週が最終回なんで全ての疑問は来週「とべてすけた」ことになるのでしょうが、おさらいしとくと、盟は大学病院と田舎医者のどちらを選択するのか。&押しかけ女房2号とはどうなるのか。颯は無事九鬼とよりが戻るのか。戻らなかったらどうなるのか。九鬼についてはまあいいかあ。しかしながら改めてタイトルを確認すると「ぼくと妹」ではなく「ぼくの妹」なのだから兄からみて妹が納得安心出来る人生を歩むことが出来るかどうかが趣旨なんでしょうから九鬼の動向も気にすべきなのかしらむ。

いずれにせよ観る方としては大いなるどんでん返しとかは希望していないので、このまま予想できる範囲内で収まって欲しいところではありますな。

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*あんめえとないじゃん

「あんめえ」は以前紹介した「あるまい」の訛った表現であるが、基本野郎言葉で婦女子が使う表現ではない。

婦女子が使うとしたら「ないじゃん」が一般的である。ただしこれは男女兼用なので野郎も使う。

「あんめえ」は「あるまい」の変化したものなので「あるまいて」・「あるまいに」・「あるまいや」といった古い表現っぽいのと同様「あんめえて」・「あんめえに」・「あんめえや」という使い方も可能というか対応できる。

「ないじゃん」は「ないじゃんに」・「ないじゃんや」などといった使い方はない。

「しょうがない」は「しゃああんめえ」・「しょんないじゃん」。ちなみに「しょうもあんめえ」という言い方はない。「しょうがあんめえ」はあるが。

「~じゃあるまいし」は「~じゃああんめえし」はあるが「~じゃないじゃん」と言うよりも「「~じゃありもしん」という言い方を使うことが多い。

話しがずれるが「ありもしん」は「ありもせぬ」が訛った言い方と想像される。したがって頭でっかちに考えると「ありもしん」の方が「ないじゃん」よりも「あんめえ」の対として合ってそうに思えるが、実際には繰り返しになるが野郎が「あんめえ」を使うところでは婦女子は「ないじゃん」を使うことの方が多いような気がする。

例文

「あれえ。行き止まりじゃんかあ。もう着けんで帰らすか。」

「駄目だよを。今日行くっつってあるだで。行かにゃかんだよ。」

「行き方分からんだもん帰るしかありもしん。しゃああんめえ?」

「しょんないじゃないだよ。分からんだったら道歩くっとる衆とかに聞きゃいいだで。行くにい。」

「ほんなことゆったって歩いてる衆なんか見たか?見ちゃいんらあ。」

「家んあるだで誰ぞおるらあ。」

「家って工場ばっかじゃん。日曜に人おるかあ。」

「ホント工場街って道ん碁盤の目えみたいでどれも一緒にめえるでいやだやあ。」

「西も東も分からんくなってるだで家に帰れるかどうかも怪しいだでなあ。」

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MR.BRAIN その5

 先週の予告編で仲間さんが出とらしてしかもまだ事件解決せずに終わったんで、今の事件がどう転がって仲間さんへと繋がるんだろという想像を催してしまったんですが、それは空振りで別の関連性のない事件だったんですね。

 パンドラの箱を開けてしまったなんていうセリフのたまわれるものだからそこいら辺まではどんどん事件が大事になっていくんだとばかり思っていました。

でもまあ謎を引き摺って次週に続くと言う展開は秘境でもじゃないや卑怯でもなんでもない手法ですので特に随分じゃんとかは思うことはないのですが肩透かし感が湧いたのは正直否めませんでした。

白骨化したしゃれこうべとこの兄弟を襲った出来事とどう繋がるんだろうという疑問は見事に晴れた訳で辻褄は確かに合うなあとは思うのですが、犯そうとして逆に反撃を喰らって死んだという輩が凶悪犯だったという理由はなんだったんでしょうか。指紋や顔写真が今もって資料として残っているための所業なんでしょうけど別に凶悪犯にまでする必要まであったんかしらむと思わないでもない感じでした。

ところでこのドラマのルールとして最後の決め手は自白に追い詰めるを悦とするということなんでしょうかね。推理ものの探偵の見せ場としては必然的な定番ではあらっしゃりますが九十九(木村さん)は探偵でも刑事さんでもないですから落としの役どころは刑事である香川さんにやって欲しいよなと分業を希望するものでもあります。

私の考え方が古いんでしょうけど、研究者は研究室で推理をして刑事が情報と謎を持ってくるという依頼者兼猟犬という作業分担が見慣れてるものですから。最近はその「実におもしろい」勢いで部屋を飛び出すオールラウンドプレイヤー(現場主義者)が多くテレビで観られる訳でありますがこの傾向はいつまで続くんでしょうか。

後半の仲間さんの一件については謎だらけなので感想の漏らしようがないんですが、芯が強そうなだけに闇を背負っても似合うお人だなという感じがしました。

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湯けむりスナイパー その11

 第二の人生を歩むための試練というか清算というか。まあ元が殺し屋さんですので凄惨な清算となるやもしれませんがこの回ではそれはなかったです。

引退に関してはあくまで宣言というか自己申告みたいなもので会社勤めが辞表出して受理されるのとは明らかに異なるものですのでそうは簡単に事が済むということではないのでしょうね。円満退社という訳でなく姿を消して(隠して)の第二の人生なので見つかってしまったら無事には済まないのでしょうか。つまりいづれは通らなければならない道だということなのでしょうか。

じゃあなんでそっとしておかないのか?その腕が惜しまれる(まだまだ使える便利な奴という使用者側の判断)から。表に出たら洒落にならないので万が一ということを考えて口を封じなければならない。と、思ったんですけど突破口は殺し屋稼業の掟(プライド)によるものらしい。もっともエージェントさんが源さん(遠藤さん)の覚悟の程を知って組織(上層部)には伝えていなかったとも考えられますが。だからエージェントが知った時点で万事休すという事態になったということなんでしょうかね。

組織の規模とかが分からないので忍者の抜け忍への掟並みに永遠に続くものなのか一の矢程度で収まるのか。全12回で来週最終回ということを考えれば後者でないと源さんが椿屋に戻れることはないのでハッピーエンド?を望むお気楽主義者としてはそうであって欲しいなと。でないと逃亡者ってタイトル変えないと続編作れませんでしょうから。(作るかどうかは知りませんが)

いづれにせよ穏やかな雰囲気が感じられなかった今回でありまして、こういう波乱な展開というのはよく見かける普通のドラマのような展開に思えてきてしまいます。けじめはちゃちゃっと済ませて早く穏やかな「オイッス」を聞きたいところであります。凡人では当たり前過ぎて気づきもせずに通り過ぎていく事でも源さんの目を通すと深いもんだという再確認を愛でるドラマだと思っているんで。

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剱岳 点の記

 初日に観に行きました。混むだろうなとは思ったんですがいてもたっても居られなくて観に行きました。田舎の映画館ではありますがそれでもやっぱり混んでました。でも何故か真ん中のいい席に座れました。これで運を使い切ったかも。でも感動したので本望かも。

とりあえず、私の観る前の立ち位置(事前知識)を説明すると、立山信仰は持ち合わせていない。山はハイキング程度で南アルプス及びその近辺を悦としてた(過去形)、漆黒の鉄兜塩見岳を敬愛するなんちゃって山登ラー。装備に地図は必ず携帯するが見方が良く分からんという知識レベルなので主人公達の行の崇高さや偉大さがピンときていない。原作は読んでいない。一応日本映画が好き。香川照之さんは役者として好き。木村キャメラマンの写真は思いつく限りでは、ぽっぽや・八甲田山・憑神。陽はまた昇るを観ている。ネットで調べたら日本沈没・小説吉田学校とかも木村キャメラマンということでそれなら観てるってことになる。番宣のテレビ番組は見ていて撮影中の洒落にならない笑い話(逸話)を知識として持って映画に臨んだ。・・・くらいでしょうか。

とか前置きしても意味無い程のストーリーがどうたらとか役者さんがこうたらと過去の作品からの影響とかの御託を並べる必要なぞないという余計な賛辞は返って惨事となるやもで、とにかく観た!スゲエ!というしか言わない方がいいなと思える印象でありました。(でも余韻ががんこ残ってるんで蛇足を書きますけど)

 これはもう映画ではなく活動写真でありまするな。活きる動く真を写すという奴でさあね。映画には映画の嘘というのが存在してそれが調味料として味を調えたりするものだけど、これは活動写真だから観たまんま継ぎ足しも間引きもしていない(実際はしてるだろうけど)生の素材で~んという感じでありました。何が活きてるか。山も人も風も雨もですわ。なにせ実景も本物歩くる人も吹き替えなしの役者さんご本人らしい。けれんがない分存外淡々に映るやもしれませぬが山に登った経験を持つ人ならもう十分過ぎる起伏(贅沢芳醇)を感じました。明治の人は頑健だったんですかねえ今の貧弱とは違ってとは思いましたけど。

全部の画が綺麗過ぎて、「このCGは凄いですねえ」と試写かなにかで感嘆した観覧者が居たなんていうおとぼけの人の気持ちが分からんでもない勢いでした。そうは多くは登ってないなんちゃって山登ラーの経験としてはあれだけのけっこい景色一回の山登りで一度でもお目に掛かれるかどうかのレベルですがな。贅沢すぎてその有り難味が登る趣味のない人には判んないんだろうなと思えないでもない。金の茶室みたいなもんでメリハリというのがあった方が後光の映え方も違って見えるだろうにと思わないでもなかったです。

客としてははとにもかくにも下手な考え休むに似たり(正しくは下手の考えですがあえて)。ただ黙々と観るのみで十分でありまして、たるむ部分がなくて139分と長いにも拘らず一気に観れました。120分超えると普段は内容追うよりも煙草が恋しくなってくる私にしては大変珍しいことでありました。

映っていたのは役者さんではなく苦行験者。演技というより明治の時代をまさしく追体験してる様を提示している再現者と映ります。そう考えるともっと観たかったな短かったかなと。でも120分超えてるんですから人の時間の感覚って愉しいと思えたらいくらでも数字を凌駕するもんですな。

音楽が良かったです。心象にリンクしてたというか画と見事に融合してたみたいです。なんかとのタイアップみたいな浮いた楽曲とかがなかったのがやはりいいのかしらむ。

詰めて言えばエンドロールの表示の仕方が示すように役者さんがどうのとか監督がどうのとかいう個の煌めきというより塊の魂魄が心打つと表現すればいいんでしょうかね。いい活動写真でありました。又近いうちに観にいかう。

でもパンフのいい方の値が結構して躊躇して買わなかったけど今度行く時また買うかどうか悩むだろうな多分。

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