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湯けむりスナイパー その10

 なんか風邪を引いたのかどこか変なので昨日はそそくさと就寝とした。金曜の夜は「すまいる・迷探偵の起きて・タモリ倶○部・湯けむりスナイパー」とオールナイトも辞さずという華の曜日なのに笑顔だけ観て就寝してしまった。

で、翌日の今日録画したものを観ているのですけれども「最高の馬」って「人間万事塞翁が馬」だろと思いつつほげ~と漠然と観てしまいました。そうはいっても感想記事書くにこれじゃ駄目だと気合い入れ直して再度見直しなしてでございます。ただしどっか頭ふらふらしてますんで文章もふらふらしてるはご容赦願い奉る次第で。

 最高の馬の段ではやはり源さんの前任者のインパクトでしょうか。やってやるという不遜を絵に描いたような誇張された唯我独尊自画自賛なえらそうな男でありました。単にふざけた野郎だと嗤う前に何かの啓示かと勘繰ると、それはやはり仕事に対する自分との距離感なんだろうなと。欲や夢を一義とし仕事を二義と位置づける男はやはり嗤われ者だよな。仕事を一所懸命やらない男はふざけた野郎に違いない。あ痛っ。

まあドラマでは夢においても仕事においても努力もしないで必要とされてると大きな勘違いしてる大たわけでありましたが我が身に置き換えてみると自分もおかみさん(伊藤さん)にぶん殴られる側やもと思ってしまいました。気をつけないとな。

あんな輩の後だから源さんにいぶかしげな面があっても採用されたと繋がるのではちと寂しいところではありますけど。正反対な男という対比としてはインパクトありましたです。

ところで尻相撲は一体なんだったんでしょうか。おかみさんは大学出で、尻相撲が上手く字が下手。従業員募集の浮かぶフレーズは夢見がち。生まれて初めて人に手を上げて失神した。これらの事から読み取れることは?いやあ、なんもいえねえ。少なくとも現状に不満を持ってる訳ではないということは理解できます。

 後半の段の一夜限りの契りというのは、女性が何かの踏ん切りをつける際の儀式なんでしょうか。なにがしかの想いを断ち切る為に大胆な行動に出るというのは昔からドラマではよく観る光景でしたが。今後始まる結婚生活が決して薔薇色に染まったものではないという覚悟の意識が沸々としてきますですな。

こういう時こそ男としては「添え膳食わぬは男の恥」という奴でありまして、ここまで露骨ではないにしても自分もこういう場面に幾度か遭遇した経験がございまして臆して逃げてしまったという痛い記憶がございまして、今思えば恥かかせたなあと後悔の念に駆られる次第で観ていてしんどかったです。食おうが食わまいがどっちみち視線を合わせてくることは二度とないんですから。

そういえば女性を久し振りに抱いて神経が研ぎ澄まされたみたいな事申されておられましたがゴルゴ十三さんもようけ往きずりの情事されてましたが、まぐわいとはそういう効能があるんでしょうかねえ。凡庸に生きてる身には計り知れない領域でありました。

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3度目に正解はアルカナ

 6/13。さあ転生だ。三度目の正直となるか。二度あることは三度あるとなるか。同じ過ちを二度も三度も繰り返すとなるか。後光が差すか嫌気が差すか。後悔舞うか二の舞三の舞い。まあ後もう一回転生できるんだからもうちっと試していこう。ともかくレベル130になったのでそそくさと転生す。

反省点としては

賢さをアップしても魔法防御が劇的に堅くなった訳じゃなかった。次回は少し削ろう。大抵決着がついてもMP使い切らずで終わるしやはり削ろう。

いけたかもとしては命中率下げても対して問題ない印象が強い。ただし牛突入とかは外れが多くなるのでカードはなんでもござれという訳にはいかなくなった。

要は「きんりょく」だよな。筋力であるし金力でもあるし。それにしても買うに高く売るに安い。装備的にはもう買い足していかなくても済むように一通り揃えたので後は強化費に回すのみだけどこれもまた高い。

最終理想目標形はこちらから攻めてもあちらから攻めてこられても恒に勝率100。しかもそのいでたちは落語家もどき。無理だろうな。扇子ないし紋付袴強化できないし。まあ忍者を目標とするかあ。でも打たれ弱いし。

星ひとつ折り返しでの115最終振り分け数値は

筋力112 忍耐力111 敏捷性16 器用さ56 賢さ57

微糖ショコラに一度も勝てず。ケルベロスに勝ったり負けたり。

星二つ折り返しのレベル130での数値は

筋力141 忍耐力125 敏捷性17 器用さ24 賢さ100

微糖ショコラに初めて勝てたがアイスゴーレムの真空斬々波に完敗中。

転生してのボーナスポイント30は俊敏性に17器用さに13使った。

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スマイル その9

 一馬(中井さん)が物凄く頼りになる大人に映りました。肝が据わってるよなあと男として憧れると言うより羨ましいなあと。こういう人と知り合いになれるのはある意味ビト(松本さん)は幸せ(幸運)な人だなあとも思えます。

いしださんの凛と姿には泣けてきました。権力や腕力がなくとも人は清々と生きれるんだという光明に映りました。もっとも母の抱き寄せるパワーであって野郎では到達できない領域なのかもしれませんが。

花ちゃん(新垣さん)は声が出てよかったね。でも逆に心証が悪くなったようでどうなるんでしょ。

裁判はその決着が描かれていないのでここでどうのこうの言ってもそれこそ結果が全ての世界でしょうから感想は決着ついてからということで。

しかしどう転ぶのか先が読めない展開で有利になったり不利になったりでハラハラしました。結構スリリング感がありました。でも決着がついていない。

全てが次週ということでしょうね。

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*懲りちゃうにい

参っちゃうよーという意味であるがこの言葉の味噌は意味ではなくイントネーション。「冗談じゃないよ」とか「やってられないよ」というニュアンスとしても使われる。

肩こりの「こり」+関西弁それちゃうわぁの「ちゃう」+沖縄言葉のにいにいの「にい」

って分かりづらいか。とにかく独特である。

似たような言い回しとしては「懲り果てる」・「やんなる」。

例文

「どうよ順調けえ。」

  (どう?順調にいってる?)

「それがさあ。全然進まんだよ。ホント懲りちゃうにい。」

  (それがねえ。全然進まないんだ。もう参っちゃうんだから。)

「なんでえどうしたでえ。」

「きんのうおそまでゲームはまってやあ。んで寝不足なんだわ。」

  (昨日遅くまでゲームにはまってしまってそれで寝不足なんだ。)

「そりゃ てめえん わりいん じゃねえか。」

  (それはお前が悪いんじゃないか。)

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BOSS CASE9

 これでもかと繰り出される予告Cmを否応なく視てるとなんか生瀬さんが犯人っぽいよなと思えてきて。ほんでもって本編を観て今週の犯人は想像通り生瀬さんだったなんて展開たとしたら興ざめというかネタばらし自分でするのかしらむって思ってたんですよ。

 そんなこんなでいざドラマが始まるとしょっぱなの犯行現場で生瀬さんが映っていたのであれまという気がしました。でも弟が犯人で兄である生瀬さんが止めようとしつつ兄弟愛から隠匿しようとする苦悩として映っていましたんで、この状況からどうやって生瀬さんを犯人に仕立ててくんだろうという点が興味になりました。

観てて不思議だったのは弟が教授の部屋で忽然と消えていなくなったのと監視カメラでエレベーター内に生瀬さん一人しか映像に映っていなかったことでした。

当初複数犯という線を追っていたのから西名(生瀬さん)が関与してるかもと浮かび上がる過程がえらいあっという間に思えました。解く鍵のキーワードが「虐待」に結びつけるに至るまでがあっという間だった風に映ったということなですけど。まあ小野田班も同時に動いているということで別のルートを選んだということなんでしょうけれど。

決着がついてみれば多重人格という一人二役だから納得でありましたが、正直私は兄が弟になんらかの洗脳みたいなことをして実際手を血に染めたのは弟であるけれども仕組んだのが兄だからあなたが犯人だと断定するのかなと思って観ていたんで意外な結末に思えました。

そしてその決着は単に推理トリックを暴くという快というだけのものではありませんで非常に人間のドラマでありとても見応えがありました。余韻嫋嫋というかある意味攻撃的ながらも不幸な被害者という情状酌量の余地満載というか。虐待は本当に深刻なものだというのが伝わってきて考えさせられました。

叶うことならどうすればいいのかチームの皆が感想として語り合うとかして色んな意見を提案してくれてたらもっと自分はこう思うんだけどなとその会話に参加してるみたいな気分で観れたのになと思いました。キャバ嬢のメイク落とした顔とかいう冗句で茶を濁したり呑みに行くかで気分変えようというオチはちょっとでありました。

実体験として虐待に遭った人間とは学校でも仕事場においても出遭ったことがなく、我が身の事としてそういう人とどういう風に接すればいいのかとかのヒントとかまで掘り下げて欲しかったなあと。まあ、実際虐待されてても口外せずに暮らしてるから凡庸に生きてる私のような無神経な人間は身近にいても気づいていないだけかもしれませんが。そういう人へ神経を逆撫でするようなことをしないための決まりごととかをちらりとでも提示して欲しかったところです。

とにもかくにも捕まえて済むと言う話しではなく虐待の被害者でもある犯人をどう処すべきかその裁きの果てまで観たかったところでもあります。

 いづれにせよ今回は生瀬さんで決まりでありました。ホント惹き付けられました。穏やかな狂気も破滅したもがきの狂気も出し入れ自由という感じで苦悩と平常とかもきちんと観てとれてBOSS(天海さん)及びご一行様には申し訳ないですが今回の主役は間違いなく生瀬さんだと映りました。こういのもアリだなと思いました。

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*けっ

「けっからかす」(蹴り上げる)・「けっぱらう」(払いのける)・「けっつまづく」(勢いよく躓く)・「けっ散らかす」・「けっ倒す」

遠州弁ではこういう言い回しがよく使われまた良く似合う。意味合い的には「馬鹿」と「ど」と同じように度合いを強調したいがためのものである。

「蹴る」が縮んで「けっ」になったのだろうか。思いっきりというニュアンスがこもって聞こえる表現である。

「けったくそ悪い」(胸糞悪い)とか「けっこい」(綺麗)とか「けったー」(自転車)がこれに当てはまるかどうかはうそ臭いがとにかく「けっ」という言い回しは多い。

例文

「けったーけっこくしてるじゃん。不精がどうしたで?」

  (自転車綺麗にしてるじゃないか。無精者が珍しいねえ。)

「ハンドルなんか曲がってたもんでけっからかいて戻そうとして足振り上げたら、石かなんかにけっつまいづいていらんとこけっからかいてけったー飛んでっちゃって土手っぺりから転がりおっこってジャボンよ。」

  (ハンドルがなんとなく曲がってたもんだから足で蹴って元戻そうと勢いつけて足上げたら何かに躓いたみたいでとんでもないとこ蹴っ飛ばしちゃって。勢いで自転車が土手べりから転がり落ちて川にジャボンさ。)

「それでけっこくなっただ?おかげで水洗いでけたってか?よかったじゃん。」

「どこがよ。」

  (どこがだよ。)

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末は博士か大臣か

「末は博士か大臣か」意味としてはいづれは博士か大臣にまで登りつめるやもしれぬ逸材かもと言う意味合い。

立身出世が美徳とされた頃の出来のいい子供に対しての期待を込めた誉れ言葉。本人が言うと野望となる。が、そんなこと思っていたとしても普通口に出すことはない。あくまで口に出して言うのは周りのおべんちゃらか親の過大な期待が籠もった贔屓目から。

話しは大分ずれますけど、塾や専門学校、果ては大学まで生徒募集のCmが打たれる今の時代。売りはどこそこの学校や資格取得率の合格率と云うものが多いような気がする。他にはキャンパスの環境設備とか。悪いわけじゃあないけれど幕末の松下村塾ほどのインパクト無し。塾はともかくとしても学び舎はどういういかなる人材を世に送り出したかが問われるべきで如何に善き師に巡り合えるかで人生大きく転ぶものであろうに。銘柄に希望が集中するのはブランド好きな国民性の賜物か。

数字に現われる説得力だけでなく、映画じゃないけど口コミというか多くの人の評価というものもインパクトがあるもののような気がいたします。近くの町医者においても近所の評判は馬鹿にならない。有名人を輩出したと言うだけで名が上がることが望ましいとは思わないし、出汁に使われる側も堪ったもんじゃないのは当然だとしても実績を強調するのに数字しか方法がないというのはちと寒い。

今何を基準にして選択をするのであろうか、入りにくさの狭き門ほど優遇されるのかしらむ。学校は入ってしまえばそこがゴールなのであろうか。目的を達成してしまった抜け殻では社会に出ることに夢はないのかもしれない。

「大学は出たけれど」という古~いフレーズがあるけれど、そういう意味では今だって違う意味で十分通用するのかもしれない言葉である。就職に於いて、そもそも学校を選択する時点で多くの流れはなにをしたいがためにそこに進学したのかというような明確な意思が昔ほどある訳じゃない。だから社会人として採用するほうもされるほうもどこの出身かなんて(医療や技術とかの専門職は別として)肩書きとして以外には重要じゃないのかもしれない。会社も本人の希望とする部署に必ず入れる訳でもなし、当の本人だって目的がないから条件がいいからとりあえず入ってやってみて、自分に合うか合わないかで仕事の良し悪しを判断する両者の化かしあい。自分の道を早く決めた者勝ちということに案外気づかない人が多いのだろうか。

小学生に将来の夢を書かせたところでその通りになることが殆どない現実。昔は意思に関わらず親の跡を継ぐ制約で、今は理想だらけすぎて具体的な努力の矛先がみつからない。夢も希望もあったもんじゃないのは昔も今も同じと言うことか。

「末は博士か大臣か」これにしたところで今憧れの職業というわけでもなさそうだし。今なら本人的には「末はアーティストか一生自宅待機か」で、親御さん的だと「末は同居で面倒見」が憧れか。

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*しらんと

「そんなこともしらんとやってただか。」

  (そんな事も知らないでやっていたのか。)

「しらんと」を直訳すると「知らないと」であるが訳す際には「知らないで」・「知らずに」とかいう意味とした方がスムーズな場合が多い。

「しらんで」という言い回しもあるがこっちの方がより広範囲で使われる言い回しであろう。ニュアンス的な違いは多分ないと思われる。

「しらないと」の「ない」が「ん」に化けた訳であろうが、共通語では「しらないと」だと「知らないと損する」とか「知らないと恥」とかいう使い方で用法が遠州弁とは異なっている。

遠州弁での「しらんと」には呆れたニュアンスが含まれることが多い。

この表現の味噌は「~んと」。知るにだけ使われる表現ではない。

「言わないと」だと「言わんと」(ゆわんと)となる。

「そうゆうこたあちゃっとゆわんとを。」

  (そう言う事は早めに言わないと。)

漢文調な「言わんと欲す」みたいだが流石にそれとは違うであろう。

例文

「なによをおんしゃあそんなこともしらんとずうっとやってきただか。」

  (なんだよおめえ、そんな事も知らずに今までやってきたのかよ。)

「別に不自由したこたねえに。しらんとかんだか。」

  (別に不自由に思った事はないけど。知ってないと駄目なの?)

「そりゃそうだらあ。じゃ、今まで積み違えした時どうしてたでえ。」

  (そりゃあそうだろう。それじゃあ今まで積み違いをした時どうしてたんだ?)

「一旦降ろいてやり直いとった。」

  (一度降ろしてやり直してた。)

「まるさらけえ。アホだなあ。・・・こうすりゃあまるさら降ろさんでも途中からやり直しでけるじゃん。」

  (全部?要領悪いなあ。・・・こうすれば全部降ろさなくても途中からやり直せるじゃないか。)

「そうゆやあそうだの。勉強になったわ。」

  (そういえばそうだね。勉強になったよ。)

「頼むにい、おい。」

  (おいおいそんな呑気で大丈夫なのか?)

「まあそをゆわすとを。面倒みてやあ。」

  (そんな事言わないで見捨てないでくれよ。)

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白い春  ~第9話

 物語が親子という切っても切れない堅い絆を軸に描くものだとしたらちょっと苦手だなと思っていても、阿部さんと遠藤憲一さん観たさで毎週チェックしてましたが。まあ録画してないんで非常に浅はかな感想ですけど。

徐々に展開が男同士の友情に変わってきたみたいで興味が増してて愉しくなってきました。この相容れない二人をとりもつのが天真爛漫で無垢な子供という構図なら好物なんですが。

白石さんの存在も大きいですねえ。義理のお兄さん(遠藤さん)の事が好きだけどなんか徐々に姉が愛した春男(阿部さん)に心が向いてるような(流石血を分けた姉妹)。どうなるんでしょうか。ここはひとつ初志貫徹がいいのではと野次馬の余計なお世話な想いですけどそう思います。

後は手術代の工面でお店が苦境に陥ったりしてしまったり春男(阿部さん)が元に戻ってしまわない展開を祈るのみです。

全何話かよく知りませんが普通に11話だとしたら後2話。ラストがどういう形で終わるのかと想像する前に色々思い描くことが多くてどう収束してくんでしょうねえ。

刑務所に入ってまで工面した筈の春男の金の行方は?

春男と栞(吉高さん)&勇樹(遠藤さん)との関係はどうなる?

手術の結果は?

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*せる

「せる」は方言などでは決してないのだがその使用頻度が他の地域とは違うのが特徴かもと思って記載。それにちょっと受けるニュアンスも共通語とは異なるかも。

これが「させる」とか「やらせる」とかだとモロ共通語であるが、「貸せる」や「着せる」・「寄せる」だと遠州弁っぽくなるような気がする。

共通語の「せる」はどことなく命令というか上から目線な印象が強いが遠州弁だと上の者が下の者にといったような点では同じであるがそんな偉そうぶった印象を感じない。

「貸す」を例にすると「貸せる」は「貸す」・「貸してやる」の中間的な感覚であろうか。

話し変わるが「する」を「せる」というパターンもある。

「そうせよっつうんならそうせるけど、どうせるよを、せるだけえ。せんだけ?」

  (そうしろって言うのならそうするけどどうするんだやるのかやらないのか?)

この文章「せ」を「し」に変えても成立するかというと、「せる」は「しる」にはならないので成立しない。以下のようになる。

「そうしよっつうならそうしっけど、どうせるだあ。するだ?しんだ?」

で、「せる」を共通語に訳せとなると「する」になるんかな。そんな単純でもないような気がするけど。

話しを戻してたとえば「貸せる」。「貸す」という意味であるがそのニュアンスは微妙に貸してやるみたいな恩着せがましい(上から目線)感じが含まれる気がする。

おそらくは方言などではなく古い日本語なんだろうかな。「貸す」ではなく「貸する」という表現にした方が「貸せる」・「貸さる」に変化するのが納得いく気がする。そうすれば命令っぽい「貸せよを」という言い方も理屈は合う。

もっともサ行変格活用とかには当てはまらないんででどういう理屈だというツッコミに応酬できないが。

例文1

「財布忘れたで貸して。」

「貸せてもええけどたんとは嫌だにい。」

「がんこ貸してっつったって貸せる甲斐性ないなあ分かってるって。」

「あ。はあ貸せる気なくいた。」

「嘘嘘冗談だって。」

例文2

「なに着せる気でえ。」

「いいじゃん別にい。何着せようが勝手でしょ。」

「着せられる方ん身いなってみい。堪らんにい。」

「んなこたあねえらあ。カワイイだでいいじゃんかあ。」

「犬嫌がってるじゃん。飼い主の趣味ばっかし押し付けるなあどうかと思うやあ。」

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なんだかなあ 皆でするから壊れてく

 小さな親切大きな目障り。そんな風潮に今なっていないだろうか。それはマナーという暗黙のものでもルールという明文のものに於いてもであろう。

ルールは守る為にあるものである。ある意味守ったところで気持ちのいいものでは無い事の方が多い。しかしごく稀に清々しい自己満足を得られる時も在る。それは破ることに対して罪悪感が希薄であり、破るに簡単守らなくても平気なものであればあるものほどそれを守ることに満足感が得られるものである。見つかったらどうしようとか罰への恐怖から破っては割りに合わないからという意識からのものではそうした感覚は得られないものである。

そうした自己満足的な行為を偽善だとかかっこつけんじゃねえよとかうざいとかいって非難する世間というものがあって、そうしようとする事に対して邪魔をしていて芽が育たないんだろなと思える時がある。清々しい気持ちになれるのは何も自然に触れ合った時だけでなく人に優しくなれた時にもなれるものである。ルールとはマナーと共に人に対しての気遣いという側面もあるのではないか。そしてそれはある意味自己犠牲を伴うものでもあり、それを善しとしない風潮になっているのであろうか。それをすることに勇気が必要というのは寂しい気もする。

ルールを守るに限ったことではなく、これだけ飽食の時代と言われているのに誰よりも早くとか限定とかいうフレーズに吸い寄せられてなんとしてでもという思考に走るのは、なんでも手に入れられる時代だからこそ手に入らないことが許せないという感覚なんだろうか。それとも我慢する諦めるという概念が乏しいのかな。アニメでもマンガでも努力したものだけが夢を掴むという方向性に真一文字なのが影響しているかしらむ。たとえ達せられなくともその汗と努力は美しいというのは嘘じゃないけれど本当のことだとも思えない。

私がガキの頃は大東亜戦争の影を引き摺っている大人の方が多く。映画やテレビドラマとかは、どうにもならないことや無常・無情といったものに如何に打ち勝つ又は噛み含めて生きていけるかというテーマが多かったような気がする。耐える事の美学みたいな。

子供心にしみったれてて嫌だなという想いがあって馴染めるものではなかったけれど生きてく上で一理あるという気が今思うとしてくる。

欲望の趣くままに素直に生きるということと夢を追い求めて生きることが同じということであれば確実に人は進化してるということになるけれど。とてもそうとは思えない。今が幸せだと思えてる人はどれくらいいるのだろうか。

 話しは変わるが、運転しながら携帯してる奴が後を絶たない。以前信号待ちで携帯のメールに夢中で車のブレーキの踏みが緩くなり車が交差点にトロトロと進入していってしまって右から青で進入してきた車が急ブレーキで避けたという状況を目撃したことがある。対向車が携帯通話しながら片手運転で笑いながら車線からはみ出てきて、すわ正面衝突かとドキっとすることもあった。事故に遭わなきゃ直らないんだろうか。高い勉強料を支払うのは勝手だけれどもらい事故だけは嫌だなあと。もし事故が起きた時、取り締まる側は携帯の通話記録を調べて携帯しながら運転していなかったかチェックしてもらいたいと思う程不注意運転しているんじゃないかと映る。

そういう事を平気でやる奴の頭の中は、携帯が鳴ったら直ぐに出なければマナーに反すると思っているからだろうか。この意識は先に述べたルールを破る理由とは異なる守るべきことの優先順位の感覚の違いによるものであろうか。だから罪の意識なぞなく警察に見つかったら己の不幸を嘆いて終わりにしてしまうんだろうな。

そうなのかと納得するつもりはなく、運転しながら携帯してる内は大丈夫だと思い込んでいるのだろうが、携帯しながら運転するようになったらそれはもう飲酒運転並みに危ない行為であるような気がする。見ているのと見えているのでは何かあった時の反応速度に差があるのではないだろうか。

いつでもどこでも電話に出れるのが携帯のメリットであろうが電話に直ぐ出るマナーより安全に運転するルールが優先だろう常識として。電話に直ぐでなければ許さない社会というのもがそもそも悪いんだろうけど。

 繰り返しになるけれど、ルールを守るということはお仕置きが怖いからお上のご意向に従うという理由からではなく守ることの気持ちよさからという事があってもいいのじゃないかと思う。「かっこつけてんじゃないよ」とかいう目障りだと思う心を平気で口にする社会はどうも美しくない。そのためにはやせ我慢の美徳というものがもっと浸透していなくてはならない。なにかにつけ自分さえという性根と損だ得だという基準でしか物事を見れない視野しかないから荒れる世界が幅を効かすように思えてくるのかな。

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*違うだ?違わん?

共通語だと「違うか?」・「違わない?」といった感じになるのであろうか。セットで使うと人を口で追い込む時の常套句としての効能がある。

念を押す感じの「そうだろ?」という意味。違うと言うのなら反論してみろという勢いの言葉。

「違うか?違わないだろ?」の略形と想像されるが略さず通しで言うとなると「違うだ?違わんらあ?」となることが多い。

関東系では「違うか?」関西系だと「ちゃうかあ?」とかになるのであろうか、「か」の部分が遠州では「だ」になっているのが特徴であろう。

例文

「さっきいから聞いてりゃおめえ自分の勝手ばっかいってるらあ。違うだ?」

  (さっきから聞いてりゃお前自分の都合ばかり言ってるじゃないか。そうじゃないのか?)

「自分だってそうじゃん。人のことゆえるだけ?」

  (自分だってそうじゃないか。人のこと言えるのか。)

「馬鹿こいちゃかんて。これわしんのだけどおんしゃ人んのじゃんかあ。借りもんぞんざいに使ってええと思ってるだか。違うだ?違わんらあ。」

  (何言ってんだ。これはオレのだけどお前のは人のものじゃないか。借り物を粗末に扱っていいと思ってるのか。俺の言ってることおかしいか?おかしくないだろ?)

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ぼくの妹 その8

 言うなれば、仕事一筋で誠実な男が美人局に掛かった代償はかくたるものという風にも見て見れなくもない訳でありまして。幸いな事にはその相手も誠実であった。えげつない表現で書くとこうなるんでしょうか。

リアルな話しで行けば援助交際にしても最近よく送って寄こす迷惑メールにしてもあの手この手で引っ掛けようとしてくる側は引っ掛けた相手の事などどうなろうが知ったこっちゃなく、ぼれるとなれば骨までしゃぶろうとするものでありましょう。それが長く延々と続き精神が病んでいくものであるのが現実ではなかろうかと。

そういった意味からすれば7話までの一連の出来事は盟(オダギリさん)にしてみれば長いトンネルでありましたでしょうがこれくらいで済んで運がいい人だとつい思ってしまいました。

ってのは一段落ついたからこそ言える事であって振り返って見たらこの出会いというものはなんだったのかという余裕が生まれたからこその感想なのでしょう。

まあこの出会いは颯(長澤さん)にとっては運命の出逢いということであり盟からしてみれば何もかもが忘れてしまいたい事としてしまう訳にはいかなくなって今のところはむりやり納得しようとしてるんでしょうけど。しゃにむに仕事したのは有給休暇とったツケでとナレーションではおっしゃられておられましたが、考えたくない為に寝る間も惜しんで仕事に打ち込んだとも勘繰れる訳であります。厭な事はとにかく仕事して忘れる(頭に浮かばせない)というのは社会人の知恵ですから。

それにしても盟の家を出て行く時の颯の表情は永遠の別離みたいな悲愴とも映って観えました。そういう不退転の覚悟の表れということなんでしょうけど、今度こそと思って毎回こういう状況が繰り返されてきたんでしょうか。それとも今回はいつもと違うぞと盟は思ったんでしょうか。なんか気になりました。

再会した時の吹っ切れたような颯の表情は逞しい「おっかさ」みたいでした良い意味で。でも機美(西原さん)を見る目は品定めしてるみたいでそこは兄弟ならではの視線だよなあと思いました。

「おっかさ」といえばこの回、盟に「押しかけ女房」もどきが1号・2号と現れました。

その「押しかけ女房もどき1号」が喫茶店で貸した100万の返済として食事をして食事しながら将来の事を話し合いましょうと言った時の盟の表情は露骨に唖然としてましたけど、いくら鈍な感の性な人でも好きな相手の顔色すら読めない人はいないでしょうからあれはやりすぎなのじゃと思わないでもなかったです。しかしながらその2ヵ月後平然と何事もなく食事してて盟が眠そうで乗っていないのにも気づかずにいるんですから。だとしたらこれはもう選択肢はふたつ。完全に打算で付き合う気でいるか超天然な自己中か。

そして「押しかけ女房もどき2号」の出現。逞しいを飛び越え無神経の領域に入ってるんじゃないかと思える程のおばさん度が非常に高いお方でありました。基本悪い人じゃないんで邪険に出来ないという武器をひっさげヘッドハンティングに来た訳ですが。以降の可能性は。

1・体よく追い払う

2・押しに根負けしてというのと、いつかそうなりたいと思っていた世界への誘惑というダブルパンチに見舞われてラブコールに応える。ただし恋愛感情はなし。

3・颯にとっての九鬼の存在であるかのような運命の出逢いであった。

4・九鬼の病気でそれどころじゃなくなりとにかく帰ってくれと追い返す。

5・「押しかけ女房1号」の方を選択し断念させる。

6・1号と2号が対決する

7・嫌気が差して夜逃げする。(ありえんなこれはさすがに)

8・自分では決められず妹にどっちか選んでもらう。

はてさてどうなることやら。どのみち盟は女性にもてる人だというのは分かりました。

まあとにかく、このまま徐々に幸せが膨らんでいくのかなと思ったら九鬼(千原さん)のレントゲンに暗い影が映っていた。まだまだ安寧への道は険しいみたいです。

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*そんだだこん

そういうことという意味。

「ふんだだこん」という言い方とどう違うかというと意味的には大きな違いはなく使い分けも個人差があるので一概にこうだとは決め付けられないところがあるが「ふんだだ」の方がより遠州弁っぽくなることは確かであろう。私的には「ふんだだ」の方がより感情的っぽさが増す感じに聞こえるのだが。言えることは「そんだ」=「ふんだ」ではないであろうということ。上手く説明できないけど。

言い方で「そういうことはない」という場合は「そんだだこたああらすか」ということが多く、「ふんだだ」を使う場合には「ふんだだこたあねえらあ」とかになることが多い。もちろん「ふんだだこたああらすかあ」とか「そんだだこたねえら」とかいう表現は存在するので厳密な使い分けではない。

男女兼用の言葉である。

例文

「そんだだもん誰が信じるか。」

  (そんなこと誰が信じるかよ。)

「まあまあそをいわすとを。論より証拠っつうじゃん。」

  (まあまあ落ち着いて。論より証拠って言うだろ。)

「屁理屈すらおんしゃこいてもしんに。」

  (お前屁理屈すら言ってないだろ。)

「ほいたら鰯の頭も信心から。」

  (それじゃあ鰯の頭も信心から。)

「信じんわあそんなあ。」

「信じるものこそ救われる。」

「だで信じちゃいんて。」

  (だから信じてないって。)

「いいじゃんなんしょやらまい。」

  (いいじゃないの。とにかくやろうよ。)

「やなこってえ。」

  (御免だね。)

「冷たいじゃん。どをしたよを。」

  (つれないなあ。どうしたんだ一体。)

「どをもこをもねえわあ。なにょう根拠に絶対だって決め付けれるよを。」

  (冗談じゃないよ。何を根拠に間違いないって言い切れるんだ?)

「この道ン十年の勘を信ぜやええだあ。」

「そんだだもん誰が信じるか。」

「まあまあそをいわすとを。」

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MR.BRAIN その3

 こうゆってはなんですが、私やはり四方ガラス張りの棲家というのは落ち着かなくてあそこでくつろいだ素振りを見せる二人の神経がよく理解出来ませんです。今回はそうはくつろいで居られませんでしたけど。それにしても今回もゲストが豪華でありました。

ところで、今回は推理物としては大変面白く拝見させて頂きましたが、和久井の動機に関しては口止めしたい相手が自分のこんにゃく者だというのなら「話し合えば済む事じゃないのか」という疑問を断ち切れませんでした。

最初の殺人を目撃者である和久井(亀梨さん)が情報を秘匿しようと図ったのは裏金にまつわる事をほじくられたくなかったからというのは理解出来ます。にも関わらずこんにゃく者の後藤(相武さん)が和久井の意に背いて何事かを警察に言わんとしたのを阻止しようとしたというのも理解出来るのですが。では何故方向転換をして犯人は「ちはら」(小市さん)だと言わしめるよう操ったのか。濡れ衣を着せようというのは分かりますけどそれじゃあ最初の犯行のことも警察は犯人にまで辿り着いてしまい隠匿しようとした意味がなくなるでしょうに。それに死人にくちなしと申しますがそこまでいかずとも病人でくちなしの状態に至っているのだから回復しないままでいればいいじゃないかと。

でもまあ、やはり回復して欲しいと願う心があったということなんでしょうかね。どのみちお金で手を汚したことは丹原(香川さん)の聞き込み等の調べでばれていくのですから殺そうとしてまでも口止めする必然性は気薄に感じられました。もし話し合いで納得しなけりゃさんざっぱら大喧嘩したあげくについカッとなってという経過が描かれていれば納得なんですけどね。それか「ちはら」が犯人である(若しくは居なくなる)と困る理由があって阻止したけどその理由が消滅したので今度は言わせようとしたのか。それだったら自分で「ちはら」怪しいですと証言してしまえば済む話しだし。よく分かりません。詰まるところ「ちはら」の堪忍袋の緒が切れた時点で野望はついえたにも関わらずもがいた結果最愛のこんにゃく者をも傷つけてしまった悲劇ということなでしょうか。

推理の方につきましては「透明人間」という言い方をされてまして、怪奇現象を捜査するキイナの別バージョンなのかなとも思える展開ではありますが。その謎の解明に至る過程の描き方がうまいよなあと。見直して観ると丹原をはじめとして一同が監視カメラは絶対だという刷り込みがしっかりなされているのと林田(水嶋さん)の「透明人間」連呼でそうとしか思えないよう視聴者を誘導する辺りとかがよく計算されてるよなあと。一度観て結論を知ってしまってから再度見直しするとそういう部分の印象が強く感じられます。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ならぬ「透明の正体見たり隠れ死角」といった感じでありますが、それでも最後で引導を渡す決め手があなたが透明人間だから(映っていなかった)というのは捻られてたなあと感心しましたです。

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*ゆうたった・ゆったった

言ってやった・言ってしまった・言っていたという複数の意味を持つ表現であるがこのふたつの表現の違いは微妙でどうその違いを表現すればいいのか噛み砕けない。

関西系の表現であろうから特に遠州弁ということでもないのだろうがよく使うので一応記載。

名古屋の方だと「いってまった」とかになるのであろうか。

例文

「あいつえらそうこいてるもんでゆったった。」

  (あいつ生意気だから言ってやった。)

「なんてえ。」

  (なんて言ったの?)

「お前なんかいらん子だで帰れって。」

  (お前なんかいても仕方ないから帰れって。)

「説得力ねえなあやあ。家じゃないだで。会社だにいこかあ。」

  (説得力無いなあ。家じゃあるまいし。ここは会社だよ。)

「だってえ、そうゆうたったらしょげてたにい。効果ちったああったら。」

  (だってそう言ったらしょげてたよ。少しは効果あったんじゃないかな。)

「なんの効果でえ。アホには近づかんようにって思われただけだらあ。」

  (どういう効果だよ。アホには近づかないようにって気味悪がれただけだろ。)

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