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*とっぽい

「とっぽい」って共通語じゃないか?そう思っているのだけれど、検索で「遠州弁とっぽい」というワードでこられたお方があったので。方言かどうか疑問ではあるが、ここいら辺で使われてる言葉の意味を記載。ただしあくまで一例であって必ずしもこういう使い方だけという訳ではないのであしからず。

辞書とかだと「とっぽい」はキザで不良じみた様となっているが、うちらんとこはあまりそういう使い方では確かにない。むしろアホな奴に近い感じがする。

「どんくさい」とどう違うかというと、出来ない理由がのそのそしてるとかいう動きがのろい・まだるっこい状態を指すのが「どんくさい」で、「とっぽい」は場の空気に合わないことをするとか浮いたことをするようなことを指す場合が多い。

突出っぽいと言うほうがニュアンス的には近いのであろうか。まあ、とんがった奴と括れば共通語と一緒ではあろうが。「とろくさいっぽい」の略といった趣であろうかあまり遠州では不良性は感じられないところである。

余談だが大昔、「トッポジージョ」なる鼠が主人公のテレビ番組があってその登場する鼠の様がとっぽい感じではあった。あっただけでそこから生まれた言葉という訳では決して無い。決してないのであるがそういうところからアホな印象がとっぽいという言葉の意味に加味されてきているのかもしれない。あくまで想像である。

例文

「きんのうの会議おもしろかったにい。」

「なんでえどうしたでえ。」

「○○がさ、課長の意見に楯突いて係長むっとしとった。」

「とっぽいことするじゃんかあ。あいつにそんな甲斐性あっただけえ。」

「それがさあ。後で聞いたら会議寝えとったらしくてえ。いきなし意見聞かれてその場しのぎなことこいたら課長の案と逆だったっつうこんらしいんだわあ。」

「ほいじゃあ今日あいつん席クマのぬいぐるみでも置いてあるだかいやあ。」

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ありふれた奇跡 その1

15分延長の第一話。やはり緻密性や完成度に対する期待は高い訳でありまして。それ以外にも充実感までをもつい求めてしまうのは何故でしょう。

「ドラマとはプロセスを愉しむもの」という言葉が番宣番組の脚本家の山田太一さんのインタビューで述べられてましたが。確かに全話で結末が描かれるのはほんの少し。残りは動因部分と結末に至るまでの過程が描かれている訳でありまして。真だなあと思うのですが。そうはいっても結末に感動しなければ今まで見た来たことが無駄に思えてしまうこともある訳でありまして。そこはやはり「けじめ」を欲する次第で「流れ解散」といった風情は好きくないのできちんと締めて欲しいなと。って始まったばかりに吐くような話ではないのですが。お昼頃にやった番宣がえらく最近になく深くて考えさせられる事が多かったのでつい書いてしまいました。

「当たり前の幸せを見逃している」。つまり平和ボケの現代は食べ物だけでなく心までも飽食の時代を迎えている。世界を見渡せば戦争が起きてるところもあるし飢餓に苦しむ地域もある中で、今の日本で不幸を嘆くというのは贅沢病に冒されてる。それの特効薬にこのドラマがなるとかいう大袈裟なものではないにしても気づかせてくれるドラマというのが主題なんでしょうか。これを観たら耳が痛いのかそれとも温泉につかるようなじわ~っとくる効能なんでしょうか。

ってなことを考えながら、そそくさと帰ってきて22時を待ったんですが。いざ始まるとそんな想いはどこへやら。もう無条件で惹き込まれっ放しでこりゃがんこ見応えのあるええドラマですわいな。

どこがどうとか講釈垂れるあざといことする暇があったら直視せいやって感じでした。もうね、台詞のひとつひとつがいいですわ。状況説明的口調でもないし感情解説的口調でもなくてただその人の発する断片的な言葉と体から発するオーラみたいなもんで読み取れよといった、現実の人付き合いと全く同じ不親切な接点が絶妙です。如何に普段のドラマが視聴者に懇切丁寧に分かりやすく作られているのかがわかったともいえそうです。だからリアルから程遠くなって私如きの視聴者でもツッコミいれたりすることが出来るんでしょうけど、このドラマに出てくる人々は間違いなく息して生活してるんだなあという人格と年輪を感じてツッコミようがないです。もうそう言う人なんだと納得するしかないような。とても現実的な感じです。

だから当然誰かに感情移入して観るのではなく自分が第三者としてそこに出くわしてるみたいな印象を受けます。推理ドラマではなさそうですので展開の流れとかには触れなくてもいいのかなと思ってどうでもいい感想に終始しますけど。

大人が大人にきちんと謝ることが描かれていましたが、この場では警察官さんでしたがやはり仲介者が中に入るってのがリアルでした。ちょっと前までは見合いをするのも仲人さん就職するにもコネという身元保証人。諸々の仲裁事にも仲介人がいたりして。でも今は何もかも直接的に対峙しすぎていてそれで摩擦が激しくなっているのかなとも思えてきました。

めざましテレビで陣内孝則さんが加瀬亮さんを評して「平凡を演じきれる非凡な俳優さん」と言っておられてましたがさすがに上手い事おっしゃられるなあと。ホントそう思えます。「人格がまとまるまとまらない」という表現がなぜか耳に残りましたし、駅での翔太とレストランでの翔太は確かに雰囲気違って見えました。えげつなく変えてるんじゃなくてそうだよね場の雰囲気が違うもんね自分だってそうだろなと思えますもの。家にいる時も家にいるって感じしてました。

ところで「駅で痴漢に間違われた」っていうのは映画につらなるご愛嬌なんでしょうか。笑っちゃいけないシーンかもしれないのですがついにやっとしてしまいました。

仲間由紀恵さん(加奈)は翔太よりもお姉さんに映りました。リードしてるみたいで。それはいいんですけどなんか早口じゃないですけど台詞の返しがとても俊敏で気が短い性格のキャラなのかなと思えました。加奈ってそういう結論を急ぐタイプの人なんでしょうか。

画は綺麗ですよね。仲間由紀恵さんはもともとお美しいのですけどよりお美しく映りましたし、なにより明快な映像で強調や誇張なしの役者力引き出す為の真っ向勝負みたいな感じでした。ただ若干顔のアップとかが交互にパッパッと切り替わるのには気ぜわしさを感じましたけど。最後の白黒に限りなく近づいてく辺りはスゲエ好みだなと。

自殺すると何故二人だけが分かった?それは自殺しようとした経験があるから?で固まった二人。だからお互いどこかしら気になる存在ということなんでしょうか。二人でなく三人は。たまたま恋の空白期間に出会った男女とか言う単純なものではなさそうです。宿題というか課題を残して次回へと続くいけずなところはありそうです。ってまだ始まったばかりですけど。

とにかく役者さんがみんな凄いんでほんのちょっとの登場でも伝わってくる情報量が多くそれぞれの人の今まで生きてきた年輪とかが見えてくるようで初回という感じがしないんですけど。これは面白そうではなく愉しいドラマですわいな。

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*ようきた

よく来た。特に方言として取り上げるような表現ではないのだが、その後に付く言葉が方言チックだろうと思って記載。共通語っぽい表現を省くと以下の表現が方言っぽい。

「ようきたしい」

「よをきたなや」おそらく「なあやあ」が縮まった表現と思われる。

「ようきたのえ」多分「のういぇい」が詰まった表現とも思われなくもない。

「ようきたのし」

「よくきたじゃん」じゃんを使う場合「よう」ではなく「よく」になることが多い。

意味的にはどれも「よくきたねえ」という歓迎の意ということで大した差異はないのであるが、逆で「(ぬけぬけと)よくきたなあ」と厭味っぽく言う表現に変わることもある。

「のし」という表現はほとんど使わない言葉なのでどこかしらから流入してきた方言かもしれないがたまあに聞くので記載。

別の表現で「なにせいきただあ」とかいうのもあるがこちらは素直に感情を表現せずにはにかんだ感じになる。来たことを歓迎してることには違いないが歓迎していないと誤解を招くことが多い。

例文

「帰ったにい。」

「おお、よをきたなや。」

「これ。おみやげ。」

「実家もどるに土産なんかもってこんでええって。」

「戻るなんて人聞きん悪い。遊びい来ただけだでねえ。」

「まあ、ゆっくりしてきない。」

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*ながし(食いながし記事の補足)

~しっぱなし・~し続けると言う意味である。台所にある「ながし」ではない。まあ温泉かけながしとかいう言葉があるくらいだから方言というほどのものではなかろうが一応記載。

「食いっぱなし」だと「食いながし」「やりっぱなし」だと「やりながし」と言う風になる。

さすがに「流しっぱなし」を「流しながし」とは言わない。こういう場合は「水出しながし」と言う。

古い遠州弁だと「さっきいからきながしきつら」(さっきから続々と来てるだろ)という一瞬何言ってるのか遠州人でもきょとんとする言い回しが作れる、

例文

「これさあ。水。ここんさあにかけながしでええだか?」

  (これさあ。ここに水掛けっぱなしでいいの?)

「どうだかいやあ。ちっと聞いてくんわ。」

  (どうだろねえ、ちょっと聞いてくるわ。)

暫し後

「やっぱかんだって。だで止めといて。」

  (やっぱり駄目だって。だから止めておいてよ。)

「それがさあ止め方分からんだよ。」

  (それがさあ、止め方分からないんだ。)

「わしも知らんだよ。ちっと聞きいくわ。」

  (私も知らないからちょっと聞いてくるね。)

暫し後

「そこんさあの用水路にいくようにホースほかしゃあええだって。」

  (そこの用水路に流れるようにホース置いとけばいいんだって。)

「止めんでもええだって?なんだあ。がんこ持ちながしだったではあ手ええらいわあ。」

  (止めなくてもいいだって?ああそうなの。随分長いこと持ってたんで手が疲れた。)

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トライアングル その1

まずは1月の連ドラの先陣を切っての15分延長で始まった「トライアングル」。

誰が犯人ぞえといった単純なミステリーということではなさそうですが、なんかみんな何がしか隠し持っていそう。この腹に一物持ってそうなあやかしの類だらけという様相を呈しております。出来れば十手持ち(警察)が犯人とかいう掟破りは止めて欲しいところではありますが。如何せん郷田(江口さん)が一番怪しいという始末。まあ警官の職務に就いてる間に殺人を犯した訳じゃないのだから推理物の掟破りということではないんですけんど。

とにかくこれは面白そうです。面白いと書けないのは今のところ訳が分からずしっちゃかめっちゃかだから。

とりあえず整理してみると、主人公は多分郷田亮二。今時珍しい言葉足らずで損するタイプ。小学生の頃「葛城佐智絵」なる少女が殺害されるも犯人検挙に至らず時効を迎える。その時効と時を同じくして郷田は医者を辞めフランスに行って国際警察に入る。その後日本の警察(しかも地元)に出向?し蠢く。

そのとった行動群は、資料の入手若しくは閲覧。もみ消しという疑惑もあり。

ここまでだと今までのパターンで推し量ると濡れ衣を着せられた主人公が真犯人を探すというパターンが考えられるんだけれど、そこでなんと葛城左智絵が復活とばかりに生きていて一同愕然。しかし郷田はそのことを既に知っていた。

ホントなんじゃそりゃでんがな。殺人事件として警察が犯人探ししてたんだからあの少女の倒れた姿は死体ではなく失神して生きてたなんて筈もなく。身元だって確認されてるんだろうからあれは別人だったなんてオチになろう筈もなく。一体全体なんじゃらほいでんがな。

疑問だらけですが、その疑問をあげつらうとすると

まずもって郷田はなにをしようとしているのか。ずうっと追い続けているらしいのだが何を。

あの事件のことを掘り起こそうと黒木刑事(稲垣さん)に電話してきたのは誰で目的はなにか。

堀米(マギーさん)を襲ったのは誰なのか。堀米はなぜ郷田が頼んだ時に見せようとしなかったのか。郷田にとって都合の悪いことが書かれていると普通考えますわなあ。

富岡(谷原さん)が本にしようとしたその内容とはなにか。郷田は何故それを読みたかったのか。

タイトルのトライアングルって何を意味してるのか。

個人別にいうと

展開の流れからすると殺したのはどうみても郷田に見えてくる感じですけど「逃亡者」じゃないですけど濡れ衣でも背負ってるんですかねえ。えらい寡黙なキャラで不気味さは無いんですが行動目的が謎です。こういう役の江口洋介さんは得意技(十八番)なんでしょうね、もったいぶってない(すかしてない)感じに映りますからこういう人なんだと素直に納得しました。

葛城と名乗った女性(広末さん)ですが、同窓会に姿を現したとはいえ、見た感じではとても同級生(35歳)には見えませんです。どうなんでしょうってかやっぱ名乗りを上げられても誰?って勢いで存在そのものが謎です。もっともこのありえない謎をずうっと引っ張ることもないでしょうから早いうちに種明かししてくれるでしょうけど。すくなくとも殺されてなかったという台詞は言葉の綾であって事実じゃないんだろうなと思っていますです。

多分疑わしくない数少ない人物であろう黒木刑事ですが猟犬として活躍されるのでしょうが向く先は郷田の前に立ち塞がる障害物なんでしょうかそれとも今後協力者となっていくのか。始末書慣れしてると言う設定ですが正義感の塊の堅物のように映ります。正義の為なら手段を選ばずということなんでしょうか。こういう役の稲垣さんは似合いそうです。

まあつまるところやはり謎と疑問だらけで全然すっきりしないんですけどとりあえずこの世界に引きずり込まれたことは確かです。期待してた通りこれは愉しめそうです。

で、展開とは関係のないところでの感想としましては、画がけっこかったです。変な着色は抜きでストーレート勝負してるみたいで好きです。おフランスだから映えたということではないことを期待したいところです。

役者さんとしては小日向文世さんが印象に残りました。優しいわけでもなく冷酷ということでもない職場でだけ出会う(付き合う)人間らしい距離感が感じられましたです。あとのお方はまだ顔見せ程度で良いも悪いもイメージが掴めない感じでこれからでしょうか。

一話見逃すとついていけれないかどうかですけど、いまのところ提示された事実は郷田が帰ってきたってことだけでしょうから、まだ大丈夫そうではありますな。他は全部謎ですから。

ところで午後にやってた番宣でのドラマのシーン。学校の先生の苦悩という視点で描かれてましたけど本編とは異なる画なんでしょうかねえ。歳を経た先生のお顔のしわがいかにも書いたような感じで手抜きとは申しませんがなんか本編のきっちりした画とは異なるように見えました。

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*よばれる

「およばれされる」(招待される)の「よばれる」。

普通使われる呼ばれる(コールされる)とは別の使い方。これはきちんと辞書にのっているので方言ということではないが

「よばる・よばった」(招待する・招待した)とかになると方言っぽくなるかなと思い記載。まあ古い日本語というだけのことではあろうが。共通語だと単に「よぶ・よんだ」になるのであろう。共通語は両方の意味をひとつの言葉で使い分ける訳だが、遠州では「呼ぶ」と「よばる」を区別して使っているということになるのであろうか。

招待・招くという以外にも参加・出席するかどうかの声を掛ける・呼びかけをするという意味でも使われている。ただし「街頭で募金をよばった」(街頭で募金の声掛けをした)とかいう誰に対してとかどうやってとかがはっきりしない使い方はしない。「街頭で募金を大声でよばった」とか「街頭で歩くってる衆に募金をよばった」という言い方は存在する。「金のある衆よばっときゃええだ」(金持ちを呼んでおけばいいんだ)とかいう使い方はする。では「みなきしよばっときゃええだ」(片っ端から呼んどけばいいんだ)という対象者が曖昧な表現はあるかというと、それはある。

例文

「あいつはよばった?」

  (あいつには声掛けたの?)

「よぶだけえ?」

  (招待するの?)

「よばっとかんと後で根に持ってぐちぐち言われるにい。」

  (声掛けとかないと根に持たれてぐつぐつ言われるよ。)

注、「あいつよばった?」だと「あいつ(オレのこと)呼んだ?」となる時もある。

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悪魔の手鞠唄2009年テレビ版

しかしまあなんと背景のけっこいこと。今時よう見つけてきたなあと感心しきりの景色です。家屋敷にしても見事としかいいようのない時代背景に思えます。といっても昭和30年代の隔離された村社会なぞ私の経験値にはありませんのであくまでそう見えたという事ですが。(尚以下の文章で共通語ではない表現が存在しますが出鱈目な方言で特にどこの国の言葉とかいうものではありません。)

とにかく造形的な画づらに関しては文句のつけようがないくらい綺麗で堪能いたしました。全編青味がかった色合いだと寒く感じて閉口するんですけどそうでもなかったのが好みでした。あの最後炎上する御殿の異様さはおいといて。

お話しの流れにつきましては映画の方をきっちし観ているので そがいな いかい 驚きっちゅうもんはなかったですけんど。原作が崩しようがないよくでけたお話しなので変え様がないのでしょうか。個性(オリジナリティ)を出そうとしたら事件に関しては辻褄が合わなくなるんでしょうかねえ。もちろん設定とか細かいところなんかは色々と違いましょうけどね。最近で言うところではチームバチスタみたいに犯人を変えるとかの思い切った変更は無理なんだろうなということです。それとも原作に対する敬意によるものなのでしょうか。どちらにしても映画のほうを知らない人の方がもう多いのかもしれませんが結末を知ってる私としてはそれだけに展開力より役者力と映像力が勝負の作品だと映ります。

映画と比べてなんて野暮なことはいたしませんが稲垣金田一さんに要望がありますです。もちろんこういうものも観たいと言う個人的な意見なのであって稲垣金田一さんを否定するものではありません。

稲垣金田一さんのこのシリーズも第5弾ということで、渥美さんとか古谷さんの金田一とかには違和感を感じてやはり石坂金田一さんでないとと思ってる私ですがなんか馴れてきましたです。調べたらまだ他にもたくさん金田一さんを演じられておられる役者さんがおられるようでそういえば豊川悦司さんや上川隆也さんも演じられてたそうな。稲垣金田一さんはとても理知的な印象で日本に古くから残る闇の部分の因習とかと対峙するには真逆なだけに怨念とかに引き摺られることなく推理を構築できそうな感じがしてきます。でも個人的にはそう言う類を理解した上で悩みながら進む石坂金田一さんのほうがタイプではありますが。

なので稲垣金田一さんに要望があるとしたら、推理してるというか頭の中が推理や可能性や事実とかが駆け巡っている感じがとても滲み出てるんですけど、些細なことにも耳を傾け眼を凝らすといった聞く耳を持った印象がもっと欲しいです。なにしろ事件はしがらみ・怨念・感情剥き出しのおどろおどろしたものばかりですから。クールに証拠を集めて推理を構築するといった西洋で行なわれてるようなスマートな事件が相手じゃないですからまず人(情)を分かろうとする雰囲気を強めに出して欲しいなということです。

いづれにしても継続は力なり。原作はまだまだありますからまだまだ続いて欲しいです。だって画がホント綺麗ですから。もうライフワークとしてまだどの役者さんも到達していないであろう全原作映像化制覇してください。もちろんスタッフさんもですけど。

谷原章介さんの活動弁士の様というか声の張りはよかったですなあ。確かにあの時代にいれば人気になるのも頷ける説得力ある弁士姿でした。

右往左往する様を自転車の行き来で表現されてましたけれど他になかったのかしらんと思える画でした。なんかドラマ全体の雰囲気にマッチしていないようなドタバタに感じたものですから。

村の長老のおばばが手鞠唄披露するシーンのついてた手鞠。ホントについてたのかなあと。ホントについてたとしたらとても異様な手に吸い付くような感じでなんか唄よりも手のほうに気がいってしまいました。

始めと終わりに人力車出てきたんですけど昭和の30年代にまだあったんですかあ。勉強になります。

ひらっち出とらしたなあ。存外逞しい心を持ったしっかりした青年役でありました。若干都会っぽい匂いがしてましたのでそういうのは消して欲しかったですが線の細い気弱なにいちゃんでなくてよかったです。舞台が岡山方面でしょうから山口県出身ということで多少は近いでしょうかららしい方言を期待したのですが自然過ぎて印象浅かったです。こういうのってやっぱ多少の誇張とかが必要なんでしょうかねえ。もっとも愛知や岐阜の人が・山梨・静岡の方言喋るのはむつかしいのと同じで岡山と山口ごちゃ混ぜにするなというお叱りを受けるような話しですけどね。

いずれにしても過去に活躍されたの名優の方々と比較され続けるこのシリーズ。今の役者さんのパワーの程を計るという側面もある訳でそういう愉しみも私にはあります。

ところでえらく脱線しますが、柴本幸さん。あがいな容姿であらっしゃってもお綺麗でおましたなあ。誰も嫁にしんならわしが欲しいわいと思いながら見ちょりました。おかっぱでしかも皮膚の色があの様なんですが美しさは隠せませなんだわです。脱線から話し戻しますけど物語の冒頭で里子が唄っていた手鞠唄。もう廃れたからと長老のばあばですら全部はよう思いだせんとまで言ってた手鞠唄をなんで里子が知ってたんだろう。

幻想と現実が入り混じった不思議な世界感でしたがおどろどろした部分が削ぎ落とされているのかなあと感じました。面白かったです。でもまたこれ観た後映画の方観たくなって見直してますけど。犬神家に続いて市川作品再感動の日々が続く今日この頃です。

追記、DVDに録画したの焼こうかと思ったら間違えて焼く前に消してしまいました。がちょ~んです。

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ドラマの見方

若かりし頃は役者さんの実年齢に惑わされてこの人がこの年齢を演じるのは変だとか嘘くさくさを感じてそれだけでドラマが興ざめしたりしたんですが、中年と人から呼称される齢を重ねるお年頃になると全然気にならなくなってシンプルに長丁場(半生とか)を役者さんが演じる技術に感心できるようになりました。歳を取るとそれなりにいい事もあるようです。ただ10代は全て同じに見えるようになったのは弊害ですけど。

さすがにセーラー服着てる辺りの年齢を大人が演じるのは技術でカバーできるものではないのでリアルな実年齢の役者さんでしか演じられない領域ですが成人を迎えた以降であればその力量を愛でることができるようになれましたです。主人公の半生を描くような作品は大人が愉しむものなんでしょうね多分。

ほんの数日を描く作品と長い人生を描く作品は、観てる方は単純に面白いかどうかで済む話でしょうけど、演ずる側からしてみれば違う技術を要する作業なんでしょうかね。

女性の場合だと、髪をなにかと触る・人前で椅子に座る際足を組むとかいったあざといくらいのものを駆使しないで役の年齢を表現できる役者さんがお上手と不遜ながらも申せばいいんでしょうか。まあ今は色んなメーキャップとかの技術が進歩していて様々なサポートが存在しているから昔よりかは楽になっているんでしょうけど。

でも覇気や未熟その逆の熟成とかいったものは役者さんがこめるしかないものでしょうからその両方の経験値を有している方が有利であろうことが伺えます。そうなるとやはり20代はまだ青く30代辺りが幅的にも見た目にも化けるに一番ベストな年齢粋なのかなと。

早くから活躍されて大人として扱われて、年相応の人生を歩めなかったとしたらやはりそれは役者としてはハンディでしょう。いつまでも子供だなんて人はまずいないでしょうから、大人びて見えるという表現は役者さんにとって褒め言葉かどうか疑問に感じます。役者さんにとって人生の経験値という階段は飛び越えて先により早く進めばいいというものじゃないんでしょうね。今年は某国営放送のドラマでそういう長いスパンの作品二本を観ることになろうかというつもりでいますがはてさてその役者力愉しめますでしょうか。

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*しよまい

しようよとかしてよという意味と、しなかろうがという意味とふたとおりある。もちろん言い方が同じなだけで言葉そのものは異なるものである。

A「頼むでそうしよまい」(頼むからからそうしようよ)

これは「やらまいか」でお馴染みの「まい」の使い方。普通よく使う「そうせまい」・「そうしまい」(そうするか)とかよりも「そうしよまい」(そうしようよ)の方が柔らかい懇願風の表現になる。

B「そうしようがしよまいが関係ありもしんに」(そうしようがしなかろうが関係ないだろう)

これは「二度とやるまいと誓った」と言った風な共通語の使い方と同じ。ただ使い場所が共通語では使わないところで使う又は「よ」が入るということであろうか。

この聞き分け使い分けの聞き取り方は、話の流れで判断してるとしかいいようがない。イントネーションはAの方が「まい」が強めになりBは「しよ」がやや強めになることが多い。

「しよ」(する)だとこうしてこんがらがってくるのだが、「買う」となるとAの表現は「買わまい」・「買いまい」、Bは「買わまい」・「買うまい」と異なる場合もある。「やる」だとAは「やらまい」・「やりまい」Bは「やらまい」・「やるまい」という言い方になる。

例文

「おめえちゃんといっただか?」

  (お前ちゃんと言った?)

「集合8時にしよまいっつったにい一応。」

  (8時に集合しようよって言ったよ一応。)

「じゃなんでこんだあ。」

  (じゃあ何で来ないんだ?)

「しらんよおそんなこんいわれたってえ。」

  (知らないよそんな事いわれても。)

「まああいつんこようがこよまいがとんじゃかねえけどな。」

  (まあ、あいつが来ようが来なかろうが構わないけどね。)

「じゃ、おいてっか。」

  (じゃあおいていこうか。)

「そうだのくるなら後でも直に行くらあ。」

  (そうだね来る気があるなら遅れても直接行くよな。)

「じゃあいっちゃいまい。」

  (じゃあ行っちゃおうよ。)

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2009年の楽しみ事

今年楽しみにしてること。「劒岳 点の記」を観たい。ハッピーフライトのDVDを買う。

今年とりあえず達成したいこと。ブログを続ける。

欲としては落ちた体力を戻して活動的に活きたいなと。

それにしても「劒岳 点の記」気合い入り捲くりです。公開は6月というに公式ブログやHPとかの活動の活発なこと。(いきなりの雷鳴は夜中はしんどいですからHP入る時には注意が必要です。)キネマ旬報でも香川さんの日本魅録でちょくちょく書かれておられましたし木村監督のインタビュー記事もあるしと結構頻繁に情報が手に入ってきますです。

もうとっくに過去の体験話ですが私のハイキングコースは南アルプスでありまして劒岳方面は門外漢なのですが、山好きな人種からしてみたらおそらくはストーリー云々よりもどういう画を魅せてくれるかに興味がいきますです。昔「マークスの山」という映画を観たのですがいくら画がけっこくてもいきなり頂上にカメラがいったりしかも空撮という掟破りの景色の提示だったのでシンプルなミステリー物という判断に至った記憶があります。山に登った(いる)気がしない。それは厭だなと。もちろんミステリー映画としてはよく出来てますよ。白いズック靴も鮮明でしたし。

今まで観た中で「山」をきっちり描いたといえばやはり「八甲田山」であり最高でした。きちんと準備そして出発と観てる側も一緒に山に向かう気にさせてくれたからです。残念ながらDVDまだ買っていないので映画館で観たのとテレビで放映された時の記憶だけでの曖昧さなので感想はまだ書けないんでありますが、確かにあの当時ただ雪の山歩くだけの映画なのにと言われてた癖にきちんとヒットしたし、「天は我を見放したか」の名台詞が巷で飛び交ってたくらいブームになり評価されたのが当然という作品でした。

それの再来を願う意味で期待してるんですわ。もちろん人を描いているのでしょうけど山と人を対等かもしくは自然の荘厳さを兼ね備えた感じで描かれていて欲しいなと願う次第です。征服するとかじゃなくてね。でもHPのメイキング見る限りこの衆ら人間じゃない。撮ってる人達も出てる役者さん達も。パーペキな山男集団でしかない。私の願いなんかハンと鼻で笑われるしょぼい危惧のようですたい。ホント楽しみ。

でも浜松東映なくなっちゃったんで浜松ではたして観れるのか心配ですわ。

まだ好評上映中なのでこんな話しをするのは不謹慎なのかもしれませんが、ハッピーフライトのDVDは観たい時に観たいというのと、特典映像をあればあるだけ見たい。なんで当然いっちゃん高価なタイプを買うつもりです。願わくばSGの時のような少なすぎる限定数ではなく余裕のある販売数にして欲しいです。もしそれがブルーレイであっても買いますわ。まだプレーヤー買ってないけど。

ブログに関しては春先に3年目に突入となるのだけれど、俗に言う倦怠期に突入というところであろうか。それを突破したいなということで。続けてなんになるっていわれても意味なんぞはないんですけどね。

その都度楽しみを見つけてくつもりですけど今んところはこんなところかな。

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*でねえ

文章の頭にくる。「それでねえ」の略された表現。言葉自体は特に対した意味はなく遠州弁ということでもないと思われるのだが、使用頻度がとても高いのが特徴であろうか。年齢的に上の人は「あんたあ」・「ほいでえ」とかが多くなり「でねえ」は中堅どころの年齢以下で頻繁に出てくる会話をつなげる際の調子あわせの言葉である。

「でね」だと「それでね」の他に「だからね」という意味使いをしたりもする。

基本的には親しい関係性である場合に多く使われる。馴れ馴れしい表現なのであまり親しくない場合に使われた場合言われた方は下に見られてるという印象を受ける。

他の言い回しとしては「そんでねえ」・「ほんでねえ」・「でさあ」・「ふんでねえ」とかがある。「だもんでねえ」というのもあるがこれは「だもんで」+「ねえ」なのでちょっと違う。

「でさあ」と「でねえ」の違いについては殆ど違いはなく若干「ねえ」の方が若干近しい印象を与えるくらいであろうか。

遠州弁を知らない人が駅とか人の多いところにいたら頻繁にいたるところから「でねえ」・「でねえ」と聞こえてきて「何が出ないんだ?」と不思議に一瞬思ったがそうかここの人達はいつもパチンコ話しで盛り上がってるんだと納得したという作り話を聞いたことがあるが笑えない話しである。確かに静岡県でのパチンコのCm量は多いのだろうけど。

例文

「でねえ、今日今から行かんとかんだよ。」

「ほうけえ、ほいじゃ頑張って行ってきない。」

「でねえ、やあっとかかりそうだもんで帰り遅いだよ多分。」

「分かった。」

「でねえ、もしかすると酒よばれるかもしれんでえ。」

「でなによお。」

「そんときゃ迎え来てくれん?」

「甘えちゃかん。」

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劇場版HERO

いつもの私のパターンだと映画館で観てDVD買って見直しを兼ねてじっくり観てから感想残すんですけど、この作品に関してはDVDは絶対テレビでやるだろうと確信してたので買いませんでした。で、今日しめしめとばかりにでで~んとテレビ登場でありましたのでこれもエコ?

なんて洒落にならない冗句はおいといて、こうして改めて観ても重大かつ大事(おおごと)な事件であっても飄々とした雰囲気とか小さなことからコツコツと核心に迫る勢いが色褪せていなくてよく出来たお話だなあと思いました。ただし映画は130分でテレビは大体120分。いつも映画館では漠然と観るのでどこがテレビではカットされてるのか思い出せませんので結果的に以下の感想はテレビ観ての感想ということにさせてつかあさい。

ドラマの方をきちんと観ていないと繋がんない人間関係とか事件(政治家にまつわるエピソード)とかがちんぷんかんぷんじゃないのかと心配してしまうほどドラマと一体化した作りでありました。まあ視聴率がお化け並みだったらしいのでそんな心配は無用なんでしょうけど。でも私は全話観てた訳じゃなかったのでついてけるかなと心配になったんですよ観る前は。でもスペシャルは観れていたのでラッキーにもセーフでした。この映画テレビで放送するにおいて昨日から一気にドラマを再放送するという理由もそういうところにあったんでしょうか。

それにしてものこんな奴絶対いねえよというキャラクター。服装といい言動といい行動といい私物(通販グッズ)の山の執務室といい。そういえば経歴というかそういうのもありえない設定でしたっけ。よくぞみんな目をつぶってるよなあと思えてくるのですが。そういう強引なありえないキャラを木村さんがいかにも実際存在していそうな説得力のあるお芝居パワーで人物としてリアルに息づかせているんでしょうか。皆背広でびしっとしてる中でのあの格好でも問答無用にさせてるのはなんか役者さんという領域じゃないような気がしてきます。使い古された言葉ではありますがこういうのを「スター」と呼ぶのでしょうか。

虎穴にいらずんば虎児を得ずだけど郷に入りては郷に従えという考えは持たない久利生という人は単純にいえば頑固一徹なんでしょうか。憶測するに座右の銘は「ぶれない」なんでしょうかねえ。今回のような強気をくじき弱きを助ける展開がよく似合いますです。

それにしてもこんだけドラマを上回る豪華ですんげえ役者さんそこかしこに配置されてて超贅沢だよなあと感嘆せざるを得ないのですが、タモリさんには申し訳ないのですがやはりここは役者さんが棲む領域であってタモリさんには違和感を感じました。タモリさんの放つオーラのイメージの中から巨悪というものを抽出して発せよというのは無理なんじゃないのかと素直にいうとそう思えました。だってそんなもの微塵も普段のタモリさんから感じられませんもの。

個人的には眞島秀和さんが出てらしたのがGOO!多少融通の利かない切れ者に見えました。裁判で無罪を主張した時の怪訝そうな顔が印象的でした。てっきり弁護側の手先かと思ってしまってその後の「あんた誰?」という次に検事と判明という展開は意外性があって面白かったです。

笑える部分もたくさんあるんですけど映画的なものでテレビで見かける笑いの見せ方じゃなかったですね。車探しで偶然話していたヤバイ電話を聞かれしまってあちゃ~と固まる辺りとかがそう思えます。テレビをそのまま映画に移植したのではなくてきちんと組み直して映画として練り上げられてるなあと思えます。

裁判についての描き方ですけれど、裁判劇じゃあないんだから事件は現場で解決するもんだという意気込みを買うべきで、やり手弁護士と丁々発止のやりとりを繰り広げ勝ちをおさめる必要はないと考えるとしたなら、映画の通りこの勝負みんなが足で稼いだ証拠写真提出の時点で勝負ありでいいんでしょうね。

裁判劇だとして観てしまうとどうも言い負かされてる劣性を感ぜずにはおれない雰囲気に映りましたから映画の評価としての疑問符がつくのでしょうか。正直映画館ではそう言う目で観てたんでなんだかなあという感想でしたけど、こうして改めて観ると趣旨は裁判での成果ではなく力を合わせての努力の積み重ねこそが正義のへの方程式という趣旨だと思えてきてこれでいいんだろうなと。ただ小声で政治家脅すのはルール違反だろうという想いは変わらないですけどね。

で、今観てもそう思えるのは滝田(中井さん)の存在。てっきりこの事件に花岡代議士が関わっている以上滝田の登場は久利生の対花岡の助っ人として出てきたのではと錯覚してしまうのです。もちろんどうやって花岡の鼻を明かすのかとかいうのは考え付きませんけど滝田からしてみれば人生の最後にしがらみから抜け出している今こそ聖人となるのかと。でも結局はこの事件に関しては裁判の間の久利生にとってのインターミッション(途中休息)でありました。

もちろん滝田との再会で久利生が正義に対する想いを強く奮い立たせることが出来たという精神的助力は大きなものではあり決して憩いの場ではありませんですが。でもそう見えてしまったのでしょうがないす。

画としては韓国の風景。特に階段上の家並みが新鮮でなんか休暇とかでひなびた温泉に泊まるみたくまったり逗留してみたいなあと思えるような景色でした。

音楽も印象的にはドラマの延長のようなイメージがあってドラマで培ってきた世界観を崩さない配慮を感じました。

ひとつの映画として考えるとテレビからのお約束事が多くてどうなんだろうと思ってしまうのですが、高視聴率の勢いを映画にも持っていったという一連のイベントという風に考えれば映画だけ割って評価するのは間違っているようにも思えてきます。私はドラマはそこそこしか観ていないのでこのイベントの輪に入る資格があるかどうか怪しいのですがそんな私でも面白かったのですから正解な映画なんでしょうねきっと。

ところで花岡との暗示はしてましたが具体的に決着ついていないし、韓国で逮捕されそうになった出来事の顛末も関わっていそうですし、滝田はもうこれで会えないといってましたがまだ生きてられるしと色々と完全決着したとも言い切れない余韻が見え隠れするんですけど続編とかの色気がおありなんでしょうか。

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りん

語尾に付く言葉。軽い命令形のニュアンスだそうな。遠州弁だと意味は違うが「だら・だに・だもんで」みたいなものか。遠州でも湖西地域で使われているらしくサイトによっては特異な遠州弁として紹介されているところもあった。

しかしながらそれなりに自分長く息してるが使ってる人に出会った記憶が全く無かった。

でもついに「食べりん」(食べなよ)という人に出くわした。その人は豊橋の人だった。実際聞くと異様さは感じられなかったが、これはおそらく時代劇とかで聞き覚えのある「食べりんさい」・「食べさりんしゃった」とかいう言い方に近いからなんだろうなと思えなくもない。でもやっぱ自分は使わないわ。

自分なりの結論。こりゃ三河弁だら。立地的に豊橋と湖西は地続きだもんで人の行き来で入ってきただらあ。遠州弁たあ呼べんにい。

訳すと、自論なれど「りん」なる言葉三河弁の可能性高くしてこれ遠州弁というにあたわず。

ちなみに遠州弁で「食べなよ」は「食いない」・「食わんだけえ」とかを使う。

「りん」の使い方知らないので例文は書けませんのであしからず。

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