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ゴッドハンド輝 その5

 もうヴァルハラの危機が訪れるんですかあ。という愚痴をゆうても始まりませんので後残すところの今日を含めての二話を愉しまないとね。

医は仁術か、はたまた医は算術か。それのせめぎ合いという構図の対決でありました。非常に劇的でとても分かり易く描かれていまして、ドラマの視聴者対象を若年層に向けた感が強く出てますけど、私のようなおっさんでも愉しく観れました。これだけ分かり易いのにおもちゃに映らずしっかりと食いつける面白さがあるのに商売上(視聴率的に)芳しくないというのは不思議というかもったいないというか。

今回は今までの中で一番面白かったですね。あっという間に終わってしまったって感じです。特に手術のシーンはハラハラドキドキでどうなっちゃうんだろうと。こんな時に限ってなのかこういう状況だからこうなったのかはともかく、ここで岩永先生(長谷川さん)倒れちゃうのかよといたく来週が気になります。

栄華を誇ったヴァルハラが崩壊してくって理由が奢れる平家的構図ならまだしもそうではなくてその医療の聖地たる凄さがまだ十分に現されていないうちにお金という外圧に食いつぶされていく光景というのは、勧善懲悪の図式がはっきりしてますですが、ヴァルハラの凄さをもっと描いた上ででないとこれが崩れる悲劇としての重みが違いますからやっぱ6話じゃ足りないよなあと思います。

そうはいってもこういう負の騒動はねちねち描かれてもいやったいだけですのでこれくらいのスピード感で描いてくれるのは観ていて愉しいです。そこから這い上がるのをじっくり描いてくれるといい人なんですけど後1話じゃそこまでは望めないですけど。

でもなんでしょうね「ヴァルハラ」と呼称するより権力や派閥に属さず理想を求める集団ってことなら「梁山泊」って言い方の方がすっきりするんですけど。もちろん水滸伝の方のですよ。

でもこの回一番喝采というか溜飲が下がったというかすっきりしたのが院長(渡部さん)のなんちゃって土下座のシーンでありました。院長室でのあと3億足んねえも好かったんですけどね。北見(別所さん)以下ヴァルハラのメンバーを守らんがため我が身のプライドを犠牲にして屈辱を甘んじて受けてしまうのか。それはそれで美徳だろうけど食い荒らされたあげくの敗北宣言みたいで屈服は画にならないだろうと思っていたらのなんちゃってでありまして。未だ将来に向けて何の解決にも至っていないけれどもえらく観ていてすっきりしました。こういうけれん味はやっぱり大好物です私。きっちり見栄切ってその挙句に路頭に迷おうともそれがサムライの生きる道だよなあと思える私は日本人なんだと改めて思えてきます。

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あけない夜はアルカナ

明けない夜は無いけれど

あっけない夜もあるものよ

それを言うのなら

味気ない夜もあらあさね

飽かない夜もあるけどね

なにを言うかだ

更けない夜もないぞよえ

そりゃあなにかい

明けない夜とはどう違う

夜は夜でも露知らず

苛まれえと祭生ええの違いとな

熱のこもりが半端ねえ

 まあアルカナ三昧で夜も日も明けぬということなんですけど。張り付いて眼を凝らしではなくブログ記事整理しながらとか片手間で出来る気軽さがいいですな。しかしながらレベル100越えてから旅立つといっつもおんなじところにお邪魔してしまい、結構ご迷惑なんじゃないのかなと思いつつ、そんなことより苦行の脱出。経験値に腹はかえられないんでありますが。とにもかくにも一方通行だったんですよ。

それまでは今までずうっと自分のブログにアルカナ用事でお越し下さる方は日に2~3人でありまして。ひたすら押しかける一方だったんですが、それが何故か黄金週間終了後にアルカナのご用件にてお越し下さる方が急増したんでびっくりですわ。

理由はともかく来て頂けるとはこういうことかという事を味わえました。アフィリエイトとかはしてないんで訪問人数にはこだわってないんですがやっぱ気持ちがいいですな。それにこれでおあいこというか持ちつ持たれつ武士は相身互いというか。金はないけどカナはアル。エアクラッシャーは秀逸で、キャラを最終的に落語家か忍者にしたい私は扇子と霊刀雫が欲しいです。今煙草装備でで我慢してるけど扇子でないとセンスがない。

 いまのところバンデミックは長々とアメーバーみたいなのがうようよし続けてて時間がかかるので繰り出されるのは嫌だなというのが不満な私です。

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湯けむりスナイパー その5

 なんかほんわかします。大人のメルヘンというべきでしょうか。おっぱいが出て来ても日常のひと光景であり欲情とは縁のない普段にさえ映ります。こういう生活感を伴うおっぱいってロマンポルノ見てるような感じがしてきます。

主人公は過激な過去ではありますがそれを除いて閉塞した日常からの脱出と考えればやはり会社勤めとかしてたら憧れというか一度はやってみたい欲に駆られる夢想話しでしょうからこのドラマは野郎のメルヘンなんだろうなと。

多くを語らず結論を出さずただ時間が流れていく感じの余韻がほんわかしてくる要因なんでしょうか。

今回は幽霊の正体見たり過去の影といった風情と情けは人の為ならずという勢いの二本立てでありました。

どちらも悦なんですがやっぱ後の社長さんが清くてよかったですわ。プロの鏡たるトモヨさんもあねさんとしてかっこよかったです。捻りも無く大変シンプルなお話しですけどシンプルイズベスト。直球が壷にど真ん中って勢いでした。お辞儀はやはり感謝の気持ちを伝えるものだと改めてそれが美しいことだと思いました。

多くをぐだぐだ書くのは野暮に感じてくるくらいシンプルですけど心に沁みてきますです。

ホント質素ですけど奥が深いというか感慨が深いというかとにかくこの余韻が魅力です。原作のネタがどれくらいあるのか知らないんですが長く続いてくれると嬉しいドラマです。

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スマイル その4

 よくまあ次から次と気が滅入る様な事を重ねるものだと。ここまでくると開き直って逆に爽快だあ。なんてことは決してなく。いくらなんでも出来すぎなくらい不幸のデパートだろうと。形態がデパートさながらだとしたら今粛々と行われている閉鎖の憂き目に遭っているデパート業界の如きこのドラマも同様にお客(視聴者離れ)が進むんじゃないのかとさえ思えるくらいです。大丈夫かしらむ。かろうじて挫折することなく観ようという気になるのは役者力が凄いからですけど愉しくはないですね今のところ。これからどう転がっていくんでしょうか。

唯一の光明は闘う姿勢を強く見せてくれている一馬(中井さん)の存在くらいでしょうか。ひまわりの如き花(新垣さん)にしても不幸な生い立ちのデジャブーに今苛まれて体の不調を起こしてるくらいですしマイホームたる町村フーズはかく有様にてマスコミと世間と検察の餌食となって食い荒らされている始末で心の拠り所がない状態。

肝心のビト(松本さん)は偏見から生まれた拒絶感と宝物を命の危機に陥れられて怒り心頭の母親に絡まれて往生してる挙句に悪魔が来たりて固まるという状態でホント散々な状態。とりあえず今まででよかったことと言えば花の彼氏?と誤解してた事が解消されて守るべき者を見つけた事と人種に対する偏見を持っていそうな一馬と打ち解けることができた。くらいでしょうか。なんかいいことがあるとその倍返しでよくないことが降りかかってくる倍々ゲームのような印象です。あちら立てればこちら立たずとかいう人生の岐路でどっちを選ぶとかいう選択で運の悪い方を自らが選んでるならまだしも自らの意思とは関係のないところで巻き込まれてドンドン負の方向へ転がり堕ちてくようで。

どちらかといえばビト目線でドラマを追っているだけにしんどい限りです。他の登場人物目線で観ればいいじゃないかとも思うのですがビト役を演じる松本さんの吸引力からかどうやってもビト目線に引っぱり込まれてしまいます。

これでもし唯一の光明の一馬にも負の影が訪れたらとかいう展開になってしかも誰も苦難から逃げ出せていけないような状態が暫く続くのなら甘ちゃんの私はこのドラマリタイアしかねないです。ビトに凡ての壮絶が集中してそれをそれなりに平穏に暮らしてる人達が支えるという構図ならよくあるドラマのパターンかもしれませんがついていけるんですけどね。皆打ち揃って転がり落ちてくのは藁をも掴む藁すらないみたいでただ懸命にもがきつつも沈み往く人々を能天気に観てる趣味は私にはないんで。

後はもう女性陣に観ていて安らぎを与えてくれる癒しや気力を期待するしかないですな。安らぎは皆の我が家の構築ということでみどり(いしださん)さんに癒しは花(新垣さん)から気力はしおり(小池さん)から吸収させて貰わないとついてけません。ところで花の謎はこれで凡て解けたんでしょうか。なんでビトをという疑問がまだありますか。いくらなんでも赤い糸が見えてとかでちゃんちゃんにすることはないでしょうね。

こんだけ苦労を重ねた末にどういうエンディングが用意されてるんでしょうかねえ。確約に近い光明が提示または予感させてくれないとへこたれそうです。だってホント小栗さん悪魔が不幸背負ってやってきたっぽいですもの。今でも十分めげてるのにですよ。こんなんじゃまだ足りないとか思って観てる人いるんでしょうかねえ。聖人になる道はかくも険しいという教えなんでしょうか。ドラマとして何を伝えたいのか私の頭ではよく分かりません。差別と偏見の悲劇を提示してこういうことはやめようと言うキャンペーンなんでしょうか。凡ての負を我が身に背負い込むビトは聖人に昇華するということなんでしょうかねえ。

今の時点で夢想できる最良のエンディングは幸せの黄いない手拭いみたく無事出所したら花達が待ってて念願のお店が開くか開いてるかでしょうか。まずいじめてきた人達が悔い改めるとは到底思えない展開であります。こういうひねりもなんにもないような展開にはおそらくならないでしょうけどだからといって刑務所で悟りを開いたかのような穏やかさを得たというだけでは収まりがつかない感じがしますです。

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*せっつける

せっつく(催促する)の変形バージョン。私もあまり使わない言葉なので細かいニュアンスは理解出来てないが、周りの衆が時々使っている。辞書にも載っているので方言ではなさそうだが古い言葉であるような気はしてる。

辞書によると「せっつく」は「せつく」の強調的表現で「せっつける」はその可能動詞形であると記載されている。意味がよーわからんが「押し付ける」と同じ使い方と言うことなのであろうか。しかしながら「押し付ける」だと「さっつける」という表現を思い浮かぶのは気のせいか無知のせいか。

例文に関しては私は使わない言葉なのでアイデアが浮かばない。「せっつかせる」と言う意味の遠州弁「せっつけさす・せっつかさす・せっつかす」なら理解できるのだが。共通語なら「せっついて」とかになるのかな。

冗談だが、攝津の国勤務を蹴るというところからせっつけるという言葉が生まれたとかいうことでは無い事だけは確かであろう。

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BOSS CASE4

 今回は結末は次回に続くと言うことで展開につきましてはどうのこうのと言える訳ではありませんが、この回に関しては今までの意外性の妙というものではなくえらくストレートな対決のお話しの流れのように思えました。

まあ、そうはいっても殺された三人と木元(戸田さん)に対する扱いの違いが気になる訳でありまして。なんで数いる警察関係者の中で木元を標的にしたのか。他の三人のようにまず銃弾お見舞いしてから儀式をという形式にせず連れまわした挙句にいたぶってそれを見せ付けているのか。そもそもの犯人の動機は?とか色々不思議があるのでモロ直球のガチンコ対決という訳ではないんですけどね。次週が楽しみです。

でもやはり警察と犯人の対決(挑発)という趣が核のように見えました。

それだけに犯人さんの迫力存在感勝負といった趣が必要とされると思われるんですけど。そこはほれ、山田孝之さんを配して万端怠りなしといったところでしょうか。締まりますです。理由なんてどうだっていいとか言われてもそうかと納得しちゃいそうなくらいはまってられました。

オープニングのおちゃらけはある程度想像がつくお約束な呑気な人々という構図でありましたが事件の一報が入った時に呑気を打ち砕くスイッチ切り替えのメリハリが観たかったなと。どんな事件でも飄々とこなすプロ集団という図式もいいんでしょうけど日本人的じゃないような気になるんで。

でもまあ子供相手という設定ではあっても、舞台の上のお芝居もどきを観れたのは面白かったです。温水さんはさすが根っこは板の上の役者さんだなあと画になる気がしました。もちろん天海さんも。どこがとは上手くいえないんですけど大きく見せる術をご存知というか。

でも私は映画の役者さんが舞台俳優さんよりも好きな人間ですので餅は餅屋だよなと思ったくらいであとは特に。両方こなせるのが一番いいんでしょうけどその道一筋というタイプが好きですし、どうしても大仰になりがちに映るのでこうゆう術は観る側からしてみれば必須だろうとは思ってはいないですけどね。

 で、話し戻しますが、後手後手に回る大澤達。それを叱咤する上層部のお二人。作り手の罠に見事はまっていることになりますがあまりにも敵愾心丸出し過ぎて楽しくないです。叱咤をばねにして奮起を喚起するというより憤慨を起こさせる勢いでありまして。エリートさんってこんな感じなんですかねえ。事件の時以外はご陽気なドラマですのでここまでリアル?に足ひっぱらなくてもと思ってしまいます。

木元が出社拒否と思われていたら実は拉致されていた。これは結構面白い展開でありましたが、そうと知れたのは道に落ちていたキャンディーと車のタイヤ痕。拉致されてどれくらい日が経っての事なんでしょうか。最初の犠牲者が出てから二人目の犠牲者が出るまでに少なくとも一日は経過してる筈で拉致されたのが最初の犠牲者が出た時だとしたら少なくとも丸一日以上道路にキャンディ清掃もされず落ちてて車も他には通らないようなとこだったんでしょうかねえ。

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侵食されてる言葉 その1

遠州は名古屋に近い。大昔は東とは暴れ天竜・越すに越されぬ大井川といった大きな河で仕切られ西とは湖西連峰と浜名湖で区切られ北は南アルプスの峰々と、ある意味立地的に人の行き来が東海道の街道沿い以外では盛んでないことから独自の方言や古い言葉が絶えることなく使われていた。

しかし現在は交通が発達して人の往来がより盛んになり各地から仕事などで人が来るようになった。とくに名古屋とは「東海」という枠の中に含まれることが多く名古屋人との接触がより多くなってきている。したがって大分混血というか名古屋からの外来方言が入ってきている。

「~だがね」とかが有名なとこであろうか。「~だがや」となると流石にモロ名古屋になるが。ちなみに遠州弁っぽい表現は「~だあね」であろうか。

他にも「いいから」を「え~で」「いいから来なよ」が「え~できない」とか。

などなどいくらでもホイホイ出てくる訳であるが知らぬ間にという言葉も結構同化しているんだろうなと思える。

しかしながら定着しない言葉も当然ある訳で、以前書いた「たあけ」などがそうである。

「おきゃあせん」関東では「置きやがれ」ということになるのであろうか。やめなさいとかいい加減にしろよとかいう意味であろうか。遠州ではどちらも使われていない表現である。強いて近い表現を探すと「馬鹿こいちゃかん」であろうか。

不思議なのは関東と名古屋の間で近い言葉があるがその狭間に位置する遠州では使われていない飛び地ということである。

例えば他には「おそがい」。これは名古屋の言葉であるが駿河でも方言として使われているらしいが遠州ではほとんど使わない外来種扱い(うちの集落だけかもしれないが)。

そんなこんなでハーフが増えてどれが純血種の遠州弁なのかは確信が持てない。持てないけれどとんじゃかなく遠州で今使われてる共通語ではない表現をこれからも気づいた限り記事として載せていきたいであります。

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*うどん屋かそば屋か

関東はそば屋関西はうどん屋。

それぞれの専門店は別としてラーメン含めて諸々な麺類を注文出来るお店をどう呼ぶかというお話し。つまりお店の看板はどっちが多いかということより普通の人間(地元民)が道を教える時に「角のそば屋を右に曲がって」というか「角のうどん屋を右に曲がって」なのかどっちを言うかということ。

随分前にその境界線はどこかということを調査すると言う企画のテレビ番組を見た。

それによると太平洋側の境界線は浜名湖だという結論に達していた。つまり浜松では普通「そば屋さん」であり湖西になると「うどん屋さん」と呼ぶのだということ。いわゆる情報バラエティ番組での結論なので間違いないと決めつけるだけの確たる根拠がある訳ではないが。

自身も経験と照らし合わせても「そば屋さん」と呼ぶのであって「うどん屋さん」にはいまいちぴんとこないのでそうなのであろうなと納得した記憶がある。

仕事先での昼食は大抵そば屋さんでそばとかラーメンとかカツ丼とか品を換えてほとんど毎日通っていた頃もあった。そのお店で出される蕎麦は茶蕎麦であった。田舎蕎麦より更科系を好む私としてはこの茶蕎麦は色の割にはあっさりなので食べ飽きるということはなかった。

蕎麦は「ざる」でこそあってつゆの中で温まってるそばは好みではないが、唯一あっためたものではにしん蕎麦は好きだった。しかしながら浜松で此処は旨いとか思わずお店を紹介したくなるような美味たるお店を私は知らない。

泊り込みで信州に研修で行った際地元の人に案内されて人里離れたようなこじんまりとしたお店に連れて行って貰ったことがある。そこは浜松のうなぎ屋のように注文を受けてからうなぎを捌く(蕎麦を打つ)みたいなとこで凄く待たされた記憶がある。夏だと言うのに信州の宵の口の冷え込みは浜松人には堪えていたところにざる蕎麦が出てきて内心勘弁してよという想いであったが、いざ食べてみたらこれがまたがんこ旨かった。食べてる間は寒さを忘れるくらいであった。今でも自分が食べた中で一番旨いと感じた蕎麦である。

一期一会の蕎麦と毎日食べても飽きない蕎麦は似てあらざるような気がする。

浜松では好きものが高じて修行を経た後店屋を構えた風の店舗を見かけると、大抵は蕎麦屋であってうどん屋を開業するという比率は非常に低いという印象がある。浜松人は蕎麦喰いの種族なのかもしれない。でも長続きせず店をたたむ光景をよく見かけたりして蕎麦だけでは客が入らないというなんちゃって蕎麦食い人種なのかもしれない。大抵はオールラウンドに丼物もうどんも出す店でないと長続きしないみたいである。

ちなみにラーメンは餃子とセットというのがごくごく普通の関係なのでラーメン店とそば屋さんとは競合しない領域ではある。そば屋で出されるものは中華そばという方がなんかすっきりする勢いはある。もちろんそんな取り決めはないのだから千差万別な呼び方ではあろうが流石に支那そばシナチクとかいう呼び名を使うところはもうないであろう。

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カワイイ

 「カワイイ」という表現。深夜の某国営放送を何気に見てたら海外に伝播している用語として紹介されていた。訳については私の感性では上手く説明も表現も出来ないのだが、その使い方については子供やペットに向けて発する「可愛い」とは異なるものだというのは分かったつもりになった。

 服装の形態でいえば凡てがそうではないのだろうが実用性とはかけ離れたもののようであるらしい。ゴスロリとかメイドみたいなのが有名らしい。元はマンガという想像の産物から生まれいでし所から発生してるようで。源流が非現実から生まれたものであるならば納得ではある。

マンガが現実(リアル)に近づこうとするのと人がマンガ(憧憬)に近づこうとするその距離感が今、遠過ぎも無く近づき過ぎでも無いという人がそれを着る事に勇気が必要な冒険心と夢を追うのに丁度良いのであろうかしらむ。恥ずかしくも無く浮き捲くる訳でもないという。でも普段着のようには無意識では着て歩けないというドキドキ感。

まあ他にも携帯電話や爪のデコレーションとかも紹介されてたけどどれも共通するのは機能性実用性を追い求めておらずむしろ逆に犠牲にしているということ。不思議なもんで基の携帯電話は機能性実用性を追い求めた末の商品でそれをあえて捨ててるということ。じゃあデコレーションされる本体もどうせそう使われるんならと同じ方向性に向かったら絶対見向きもされないんだろうな。大量生産の優位性の限界とかういうものなんでしょうかねえ。

とにかく文化(番組ではカルチャーと言ってた)として「カワイイ」という美意識が存在していてそれは新しいものだということは分かりました。それが日本ならではの概念で海外に影響を及ぼし始めているということでありました。

 でもだからといって人に対して「カワイイ」を使うのはやはり抵抗あるというかおかしいと思えてならない。あくまで「カワイイ」は物(作品)に対してのみ使うべき言葉なんじゃないのかと。

よくテレビで一般の観覧者をスタジオに招いての番組で、出てこられる芸能人さんに向かってこの「カワイイ」を発する番組を最近当たり前のように見かける。成人した大人に向かって「カワイイ」はないだろうと。しかもどうみても年上の人にむかって連発する様は異様に感じてならなかった。人気商売だからどなたも笑顔で対応されているが内心は自分より年下から「カワイイ」と言われて嬉しいものだろうか。少なくとも人には自負や誇りというものを持っている訳で「カワイイ」はそれを打ち砕く要素を秘めているのではなかろうか。言ってる本人は美の表現として発しているつもりでも受け取る側はタメ口(もしくは上から目線)のようにしか聞こえないこともあるのではないのだろうか。

この番組を見て「可愛い」ではなく「カワイイ」と言っているのだという意識は理解できたけどやはり人に向けて言っていい言葉とは思えない。人そのものは物でも作品でもないからだ。完全に間違ってはいないけどあってるとは到底思えない。「美しい・綺麗」がこっぱずかしくて言えない時代なら新しい表現を生み出してくれてもいいから「カワイイ」は人に向けて欲しくない表現だなと改めて思いますわ。

「ヤバイ」は理解できるけど「カワイイ」はどうもその使い道がまだ定まっていないみたいに感じる。これが海外のほうでは決まっているようであるが。発祥の地である日本でも使い道を逆輸入して明確にすべきではとつい思ってしまいました。なんでもかんでも「カワイイ」はなんだかなあです。

とにかくエロおやじが使う「可愛い」と若者言葉の「カワイイ」は別物ということを知ったってことで勉強になりました。私としては理解はしたけどそういう感性がないんでおそらく使うことはないでしょうけど。少なくとも「カワイイ」=「「粋」というよりも「カワイイ」=「伊達」又は「かぶいてる」という感覚の方が近いんだろうかな。

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*死にゃあせんでいいよ

言葉の意味に説明は不要と思われるが、遠州では普段よく使われる表現ということで記載。

特に命の危険があるような事に限らず、びびりこいてる(躊躇してる)奴に向かって「いいからやれよ」とか「早くやれよ」と背中を押すような時とかで使われている。「死ぬ」という表現には「失敗する」とか「怒られる」とかいう意味を持たせているということである。

ただし必ずしも絶対大丈夫と言い切れ無い事でもこう言ってやらせようとする時もあるし失敗しても怒られないと約束されてる訳でもないので鵜呑みに信用してはならない。「大丈夫だよ」とか「心配しなくてもいいよ」とかいう表現とは違う他人事だと思っていい加減なこと言うな的表現であることが多い。

「死にゃせんでいいよ」と「死にゃあせんでいいよ」という言い方が存在するがあまり意味的には大差ないように思われる。

例文

「これ、なんか正味期限やばいんだけど。」

「死にゃあせんでいいよ。ちっとばか切れてたって便所近くなるだけだで。」

「ひょんきんじゃん。他に喰うもんないだけえ。」

「ほいじゃ正露丸つけるでこれで大丈夫だら。」

「お~い勘弁してやあ。」

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遠州弁かるた 思案12 三考

「いろはかるた」は前の記事の思案14で一応完成としたけど、「いろはかるた」とは別の試作として、今のところ自分で気に入ったものを列記してみすかな。これを100ヶ貯めればいいだかいやあ。そうすりゃ一人百首ってか。この記事内で随時更新。

001*「これ何よ これはなによって 聞いてるじゃん

              しいらんやあとか いわしゃへんでね」

モロ会話を取り込めたみたいで気持ちよかった。

002*「かっさらい 物はさらわず 草を刈る

             鎌と呼ぶじゃあ 物騒でかんて」

「かっさらい」の説明文だけど判り易いかなと。

003*「げえげぼを お好み焼きと ゆうど馬鹿

             見ると必ず ゆってけつかる」

言われた方の実体験。

004*「ごっつをと 思って喰ったら サンプル品

             ぺっぺでちゃいして 元戻すガキ」

005*「そらつかう 粗相の後の うちの猫

             可愛い顔して ないことにせん」

006*「なまかあは なんしょかんしょで やりゃしなし

             いきなししなし あとでもしなし」

しなし三連発が気持ちいい。

007*「ひづるしい 夏の日差しは 肌おやす

             日傘さいても 軒下いても」

008*「わしわしと 和紙に噛み付く わしの犬

             やめよをゆうても 聞きゃあせんだよ」

009*「んとこしょ みなで持たすと 声上げる

              ゆってる割りには いごきゃせんくて

010*「からだだきゃあ おやさんように しんとだに

             無理していいこと そうはないだで」

011*「いやだやあ つんぶしたじゃなく つんぶれた 

             人聞き悪い ことゆうちゃかん」

012*「あわっくい たんすのくろに 小指ぶつけす

             やっきりこいても 当たるとこなし」

予備

「そんなさあ まるさらみなきし くれんでも

             しこたまこらしょで はあ喰いおおせんに」

「人当たり よさげにめえるが ああみえて

             スイッチ入ると 怒らしゃがんこ」

「ぶすくれて ちんぷりかあるを とりなすも 

             あたけまくりで あんま聞いてん」

おまけ

名古屋風

「くそたあけ おみゃーさんなにょを しとるがや

             ゆうとらすほど してもいんがね」

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行き来

 「いきき」と言うか「ゆきき」と言うか。どっちだろ。

ネットの辞書ではどちらも同じみたいな書き方になっている。

「往き来」と書けば「ゆきき」でないと締まらないが「行き来」だとどっちでもいいということなんだろか。使い分けとかはないのかな。

根拠の無い勝手な印象からすると、「国境を挿んだ橋を人々が」という文章なら「往来」(おうらい)という意味から「ゆきき」が相応しそうだし。

「あの人とは仲がいいからしょうっちゅうお互いの家を」という文章なら行ったり来たりで「行き来」(いきき)が似合いそうだし。

話し言葉は能天気で躊躇はない(どっちでも気にしない)が書き言葉となると迷うことだらけの猫はいだらけ。

 そういえば、国会でのニュースかなんかで政治家さんが「行う」を「おこのう」と発せられておられて思わず「美しいな」と想いました。格調があるというか。こういう言葉を聴くと「行なう」と問答無用な書き文字でなく「行う」と記して人によっては「おこのう」と読んだり「おこなう」と読んだりする読み手の裁量にある程度任せる書き方もいいなと思えてきます。

遊びで言葉遊びに耽っているとはいえ、それなりに無い知恵を働かせて言葉と接してみると世に残る言葉は凄いと納得できる。そういうのに出くわしたりすると言葉をおもちゃにすることはど素人の怖いもの知らずな行為だというのが分かってくる。

けどやめられないんだなこれが。

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*ホントしょんない

「どうしようもない」という意味。「どうしようもないやっちゃあいつは。」とかいう意味の「どうしようもない」。「どうにもしようがない」(打つ手が無い)という使い方もするが大抵は「あの馬鹿野郎は」という意味使いの方が多く使われる。

「しょんない」だけだと「しょうがない」という諦めのニュアンスが強くなるが「ホントしょんない」だと呆れてるというニュアンスが強くなる。

例文

A「懲りもしんでまた行っちゃったよ。」

B「あんだけ痛い目にあってるだにか?ホントしょんないなや。」

C「なによを。どうしたでえ。なんの話し?」

B「○○の話し。あいつきんのうけちょんけちょんにやられた癖にまあた今日も懲りんと行きくさっただって。」

C「行ったってどこええ。」

B「集会所。将棋の。」

C「なんでまたそんなじじむさいとこなんか行くでえ。大体があいつ将棋なんかやってたっけか。」

A「将棋はどうだっていいだよを。そんこんさあで手伝ってるおねえちゃんにちょっかいだし行ったでえ。」

B「きんのうはっきし嫌われたっつうだに懲りもしんとまた今日も行きくさってるだって。」

C「そりゃあホントしょんないのっ。」

B「だらあ。そう思うらあ。」

C「おっかさに知れたらただじゃ済まんらあ。」

A「つうか病気だらあ、ありゃ。」

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ぼくの妹 その3

 いいですなあ。ずしずし来ますわ。盟(オダギリさん)と九鬼(千原さん)のやりとりの一部始終は迫力ありましたです。

 生き様って言うんですかねえ。地下から這い上がってきて見えた景色を見回して何かを悟るってのはなんか感じますわ。もちろんそれは間違ってるという盟の理屈の方が正しく、皆それぞれに何かを抱えて生きていて地下から這い上がって見えた世界の眩しさはいいとこ取りというか眩しい部分しか見ていないだけの事であって。それで人生を悟ったかのように自分を卑下するのは間違っているんだと。間違っているけれど盟にもその景色は見えたというのはドラマ観てる側にも伝わってきました。ホント一瞬でもそうなのかあ、なんか判るよなと思っちゃいましたもの。

そんな九鬼の唯一の救いは里子(ともさかさん)の存在だけだっただけにそれを失って理性まで失ってしまって暴走しているというのは在りうる話しだよなと。でもあれだけ凝り固まった被害者意識を抱いていたらお医者さんでも草津の湯でもそうは容易く解きほぐせやしないだろなと思えてきます。

こうなると異様なストーカーとも呼べそうな勢いで、盟を文字通り滅ぼすまでなんかエスカレートしそうに思えてきます。盟の白髪が増えてくのも頷けます。勤め先の病院にまでその魔の手を伸ばす九鬼は失うものの無い者の強みというか凄みを感じます。

自分が落ち着く先はここじゃなくいつか田舎で暮らすのだと思っている盟であってもこういう誤解から逃避したかのような理由で終の棲家に往く事は望んではおらないようで闘う男の意思を感じます。そんなふたりの丁々発止は迫力ありましたです。とどめを刺さない蛇の生殺しみたいでした。私だったらこんなことがずうっと続いたら堪えられなくて気がふれてしまいますから警察なり弁護士なりに相談に行っちゃいそうですけど盟はどうするんでしょうねえ。親身になってくれそうな弁護士さんは近くにお一人おられますけど頼れる状況じゃないというのもまたややこしい話しです。

それにしても事件の真相は妹の颯(長澤さん)が握っているようで、「おにいちゃんにうそついたことなんか一度も無い。」という大嘘をついているところからして妹が絶対一番怪しいと言うかいかがわしいと言うか。兄弟なのにもしかしたら一番遠い存在なのかしらむと思えたりもしてきます。甲斐性も無いのに兄貴の母親代わりを買って出る身の程知らずというか己を知らない妹。それをいとおしく思えるおにいちゃんというのはなんか男はつらいよなのかまんざらでもないのかどっちなんでしょうねえ。私にも兄弟いまして、確かに一番近くて一番遠い存在という感覚は理解出来ますんでこの曖昧さは薄らほのかに「しょうがないなあ」という言葉で集約できるのは判らないでもないですが。こういうなにも相談せずにどんどんことを進めてしまう辺りは兄弟ならではの関係だよなあと。

でも判らないのは、なんで今まで同居してこなかったのか。そりゃあ確かにあれだけ自分の生活のペースを乱されたら堪ったもんじゃないのは分かりますけど妹の首に鎖をつけるのならもっと早くから同居という選択もあったんじゃないのかなと思わないでもないところです。

まあそう思えるくらいこのふたりは兄弟に映ります。遠慮会釈なしのこの空気感が上手いよなあと。

 お話しの展開はサスペンス調になってきており、オープニングタイトルでのほのぼのとした田舎の景色の絵づらと短いけれどほんわかする音楽とは全然違う方向に進んでるようでありまして心理戦の様相を呈して参りました。なんのかんのあっても最後はハッピーエンドとかいう甘い展開ではないのかもしれないです。もちろん能天気な私はハッピーエンドを望みますけど。

 で、どうでもいい感想をば。容姿のことを言うのはあれですが「長澤まさみ」のおみ足について。か細いというより痛々しいくらい細い。モデルさんじゃあないんだから画になるようにもう少し健康的なおみ足を披露して頂きたいと個人的に不遜ながらも思う次第であります。

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*くれまわすという表現

「まわす」という表現の「隅々まで行き渡らせる」という意味を使った言葉を遠州弁にすると「くれまわす・くりまわす」という表現になることが多い。こういった表現は別に遠州独特という訳ではないのだろうが。

こねまわす・こねくりまわす

こづきたおす・こぜくりまわす

かき混ぜる(かき回す)・混ぜくりまわす

つれまわす・つれくれまわす

ふりまわす・ぶんまわす(これはくれはつかないか)ふれくれまわす

なんで?と言われても説明する知恵がないのだけれど意味が変わることはないことが多い。まあ多少執拗(又はうんざり)な印象は加算されるが。

例文

「あれ?おかしいなあ。迷っただかいやあ。」

  (あれ?おかしいなあ。迷ったのかなあ。)

「おめえなあ。さんざっぱらつれくれまわいといてそれかよ。」

  (あのねえ、散々連れまわしておいてそれかよ。)

「人聞き悪いぃ。ちっとばか間違えたくらいでひゃあひゃあゆっちゃかん。」

  (人聞きが悪いなあ。少しくらい間違えたからって言ってごちゅあごちゃ言うもんじゃないの。)

「いちおぉ聞くけどどこら辺から迷ったっぽいだあ。」

  (一応聞くけどどこら辺から迷ったという自覚があるんだ?)

「そんなの分かりゃ迷わすけえ。」

  (それが分かってたら迷うわけないだろ。)

「ばかっつら。あってたとこからやり直さにゃ着きも帰れもしんじゃんか。」

  (何言ってるんだ正しいとこまで戻らないと着くことも帰ることも出来ないだろうに。)

「そんなことゆったら家まで戻らんとかんじゃん。」

「・・???おんしゃあそこ行くの何度目だ。」

「う~んと・・・2度目かな。」

「帰れ!」

「道分からんで帰れんわ。」

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*あっためる

些細なことではあるが、共通語は「あたためる」というところを「あっためる」と言う事が遠州では多い。

「あたため」という場合も「あっため」ということが多い。

より遠州弁的にグレードアップする場合は「ぬくとめる」・「ぬくとめ」と言う。ただしイコールではなく温度差で比較すると個人差はあるが私の感覚だと

ぬくとい<あったかい<あつい<どあつい<馬鹿あつい<ちんちん<殺す気か=死ぬに

という風になる。又、あたためるということなら

ぬくとめる<あっためる<あつくする<ちんちんにする<燃す・煮る

という感じであろうか。

コンビニなんかで流石に「ぬくとめますか?」と尋ねる店員さんはいないが「あっためますか?」と尋ねる店員さんはいる。共通語では「あたためますか」なんだろうけど他人行儀な感じがする。

余談だがコンビニであっためて貰うと熱過ぎで容器が変形する時もありここは「ぬくとめる」程度にして欲しいという願望はある。

例文

「はあしんどいで料理(買い物)するのめんどっちいでなんか残りもんあっためてよしにするかあ。」

「遊び過ぎたでの。まあしょんねえかあ。いまさら外出すんのもなあ。」

「あ、やばい。冷蔵庫になんも残っちゃいんわあ。」

「え~随分じゃんどうせすよお。腹減ってるだにい。おにぎりでいいわ。米わあ?」

「米も炊いちゃいんもん。キャベツかじるけ?」

「勘弁しろやあ。」

「ほいじゃなんか頼ますかあ。」

「そうせるか。」

「なに頼むよを。」

「ちゃっと喰えりゃなんでもええわあ。」

「あんた幾ら持ってる?」

「なんで?わし今日スコンクだったじゃん。おけらだでだいといて。」

「いやなにい随分じゃん。わしも今日一緒だったじゃんかあ。」

「なによをふたりしてすっからかんけえ。ホントなんもないだけ。」

「冒険せる気あるなら賞味期限の切れたのあるけど。」

「しょんねえなあやあ。はあええわ。もをふてくされて寝るで。」

「そんなちんぷりかあらんでもいいじゃん。」

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