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ゴッドハンド輝 その4

 そういえば院長先生。原作のマンガではつるっぱげの飄々としたキャラだったなあと思い出し。リアルに人が演じるとこうなるのかという感慨あり。渡部さんの存在力+αの忠実性というか模写力に感服いたす所存であります。

 いやあとにかくぐいぐい惹き込まれましたです。テンポがよくってしかもぺらぺらじゃなくしっかりと患者側の生き様とヴァルハラ側の葛藤も描きこまれていて中身が濃かったですねえ。困難を極める手術という設定でありましたが、助ける(助かる)に決まってると思っていながらそれでもハラハラする勢いであっという間でありました。赤ちゃんの手が出てきたシーンにはホント感動しましたです。

テル(ひらっち)の仕草も堂にいってきたと言うか、マンガキャラとは異なるテルが出来つつあるみたいです。手術終了後の頭をペコっと下げる時の少し斜めに傾げてエヘっとにやけるような表情や仕草がテルらしいよなと思えてきます。ひらっちのこういう真面目なドラマでこういうことしてもおちゃらけ(受け狙い)に映らないとっぽい感じは自然でありまして、もうお家芸の領域に入りつつあるかのようです。ひたすら世間のイケメンへの需要が多くその需要に応えようと多くの役者さんが努力するなか唯一無二の路線を歩むひらっちはいいよなあと応援する甲斐があります。やっぱ樹里ちゃんかしほりんとの共演を観てみたい欲に駆られますな。

小さな事からコツコツとじゃないですけれど、些細なものでも見逃さないテルが巨大な難問にぶち当たると言う時には普段は変身してスーパードクターになるのですが、今回はそういう感じではなくてひとりの人として手術に立ち向かった印象がありました。成長したということなんでしょうか。まあこの回の主役は院長先生でテルはサポートでありましたけど。

手術中のシーンの音楽にクラシック調ではなくジャズっぽい音楽が使用されていたのは目新しいことなんでしょうか。命という尊さと手術の格調とかを表現する荘厳さではなくスピード感の表現を選択されたということなでしょうか。ロック調とは又違った種類の緊張感(緊迫感?)も感じられたんで存外違和感が無いもんなんですねジャズっぽくても。

唯一イマイチ分からなかったのは必ず死産で生まれるというのがなんで?ということでした。そういうもんだと相場が決まってるみたいでなんでどうにもならないのかというのがちょっと。それともその説明の部分見落としたのかな私。

 なんかようやっと油が回ってきた風にも感じられるのに全6話で残すところ後2話というのはやっぱ少ない感じがしますです。もっと観たいけどもうすでに番宣の告知してた次に控えしドラマがそりゃもうの名前勝ちみたいな勢いなんで如何ともし難い要望なんでしょうかね。

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名探偵の掟 その2

 第2話はスルーして第3話のお話し。だってですよ名探偵って10割バッターってのが掟じゃないんですかねえ。外したら洒落になりませんわな。それが許されるのは鞍馬六郎くらいなもんでしょうが。

 ということで第3話。テーマはダイイングメッセージを解き明かせ。探偵さんの四文字熟語の知識はさすが名探偵の素養ありということで聞いた事ない熟語がオンパレードでためになりました。容疑者の顔ぶれも豪華でありました。いきなり見たこと無いような奴が犯人として登場かいっていうツッコミにプレイバックしてこことここに出てたでしょという解説するのは笑えましたが今までの中で一番推理物らしい感じがした回でありました。

大分観てる方も慣れてきましたが、心のどこかで推理物の掟を破るのは探偵本人の方がいいよなと思う気持ちがありますです。段取り通りにことを進めんとする警察側に対して横紙破りなことをしでかすハチャメチャな探偵って感じが。登場人物の中で一番形式にこだわっているのが探偵さんというのは廃れ往く伝統芸能を守らんと張り切る図式に映りまして。時代の最先端をいく勢いが感じられないんで。

別の見方としては新米刑事藤井(香椎さん)の成長記とも読める訳でありましてその変貌振りを愛でるべきか変わらず掟破りに邁進していくのか。凛としたイメージがある香椎さんがなんか余分なこと言ったりやったりしたのをつっこまれる際に立ち向かわずあれ~ご無体なとばかりに身を守る姿勢が結構意外で乙なんで生涯掟破りに徹して欲しい感じではありますが。3話の冒頭で前回までのあらすじの中でもあった2話での「あ~あ~そうですかあ」というセリフは私も悦です。

そういえば大河原刑事(木村さん)の取調べ室のやりとりも面白かったですね。こじつけという根拠のない取調べでまを持たせるという無茶振りは結構新鮮でした。容疑者とっかえひっかえとはいえ繰り返しギャグでしょうからセンスがものいうだけにお芝居とコントの両方を要求されるでしょうからドラマの中においては異質で新鮮です。

婦警さん役の「ちすん」さんと言われるんでしょうか。キャピキャピ感があって画そのものが華やいだ感じになると共にスピード感が感じられていいです。三人のだらだら感を打ち破ってくれるこのテンポアップを促してくれるような存在に随分救われてる気がするのは私だけでしょうか。

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スマイル その3

 この日は紋次郎命だったんで今回は録画したのを軽く炙る程度の浅い観方しか出来ていないんで勘違い見間違いなどの粗相がありましたらごめんなんしょ。

 非常に斜に構えた言い方ですけど、愚痴なしの花の・・・って花(新垣さん)は言葉を発せられないんだから文句たらたら言いようが無い訳でありまして。だからこそのその振る舞いは清く映るんでせうか。いやいや個人の資質だと思いますよそういうのはという意見も確かにですけど。

しかしながら口は災いの元と申しますので多分そういう部分も大きいと思います。情報が多く伝わりすぎると人は相手に対して思い遣る力が減少するもんなんでしょうか。うまく伝わってこない分判ろうと努力するもんなのでしょうねきっと。ビトは懸命に知ろうと努力してますから。でも積極的なお人です花さんというお人は。一途というより真一文字という勢いを感じます。何がしかの曰くがあって生き急いでいるんでせうか。

 ところで今回はなんか蛇の生殺しみたいでいやったい嵐の前の静けさ(色々騒々しいことはあったけど)というより停滞という勢いで決して愉しくはなかったですね。差別はやはり醜いし。ビト(松本さん)と花の関係性の深まりといったものが唯一の光明だった印象でありました。このふたりだけ観てると和むんですけどね。

信頼すべき官たる検察や警察が担当者の個人的感情で蠢く様はドラマという作り事とは言え「ええんかい」とつい思ってしまいがちです。これが現実なんだということであるのかもしれないですが犯罪の抑止力とか平穏な社会に繋がる画づらではなくむしろ頼るべき物の信頼を失墜させるかのようでもあります。これを観て真に受ける(現実もこんなもんさと思う)奴はいないんだからというのかこれが現実なんだよといってるのかは分かりませんが、一度でも悪さした奴には更正しようがしまいが生涯こういう目で見られるんだぞということなんでしょうかねえ。とにかく気持ちのいい画ではありませんです。暗い影を落とすのはあくまで悪党であって官は目配りが足りなくてその怠慢さから庶民は往生してるという図式の方が安穏として観れるんですけどね。タイマンで今度こそ一泡吹かせてやるというのは「たいまん」違いでしょうに。

このドラマはなにを追っているんでしょうかねえ。世の中の歪みを訴えかけてるのか人の再生なのか赤い糸で結ばれたふたりのラブストーリーなのか。まだよく分かんないです私には。なにしろ一馬(中井さん)も花も私には謎だらけの不思議ちゃんですから何をしたいがために今何をしようとしてるのかちんぷんかんぷんなんで。それが味噌じゃないかといわれればそれまでなんですけど。

とりあえず、一馬は外国人に対してなんらかの負の意識を持っているってのはこの回でわかったような気がしました。そうなった理由は分かりませんが。花も自分にとっての安住の地を有していない人間だというのも分かりました。この騒乱に巻き込まれてしまう町村フーズが皆の我が家となってくれるのを期待したいところなんですがどうも「たいまん」のターゲットにされてるようで期待通りにはいかない雲行きにも映ります。どこまで引き摺り堕とすおつもりなんでしょうか。

個人的には官という組織の腐った部分を敵に回し堪える構図というのは好きではないところです。後はもう小栗さんに頑張って貰うしかないのではと。

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木枯らし紋次郎

 「木枯らし紋次郎」は股旅物の最高峰と勝手に思っているのです。(当時は知る由も無かった)映像美の市川崑監督作品だったという画の美しさということもあるけれど、リアルタイムで観ていた頃の印象は、ちゃんばらひとつとっても生臭い生きてる人間の仕草という勢いが強く、形式美ばかり見てきた眼に息してる者同志の命のやりとりの見苦しいもがきから醸し出される切迫感が観ていて突き刺さってきた記憶ががんこ残っているのです。そしてあのような境遇の中でも生きてる人々のスゲエなとも思える人の逞しさとかも凄く感じ取れたし。もう音楽聴くだけで身震いしてきてしまいます。

そもそも股旅と放浪はどう違うか。股旅とはばくち打ちが旅をして歩くこと。放浪とは気任せ足任せに各地を旅すること。どう違うんだというと良く分からないんですが、少なくとも逃げ回っている訳ではなくそういう性分なんだということ。大分昔の話しですので紋次郎が股旅に身を置いた理由とかは全く分からないんですけどおそらくそういう性分なんだろうな。逃亡者ではないんだろうなと。

定住安定こそが幸せの第一歩と考える農耕種族たる自分達から見て鎖でつながれたくはないと感じる野生種のような人間を見るのはとても新鮮だったんでしょうかね。

 とか昔を思い出しつつ平成の紋次郎をば観ました。

面白かったです。渡辺いっけいさんがよかったです。鶴田忍さんがああいう役を演じられると観てる方は騙されちゃいますな。配役がナイスという感じです。

尚、結構長文になったのでこの記事で初めて「続きを読む」を試してみました。

続きを読む "木枯らし紋次郎"

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バイクという呼び方

 「バイク」は世界基準で言うと「自転車」のことを指すそうな。したがってニュースとかで「バイク事故」と称されてオートバイの事故と判断するのは日本語の綾らしいです。ホントですかねえ。

確かに「バイクレース」とかだと自転車の競技というイメージが湧きますけど。一時期自転車が郵便局や警官が業務として使わなくなりお買い物用・通学用のママチャリしか見かけなくなりつつあったのが、最近はロードバイクやオフロードとかが出回り始めママチャリ以外にも使われ始めてきましたんで。それらの競技用の自転車を「バイク」と呼ぶことが頻繁に使われるようになり「バイク」だけだとオートバイと自転車が混同し始めているということなのでしょう。かろうじて今までの習慣で「バイク事故」はオートバイ事故だと判断している状態なのでしょうか。

じゃあどう表現する方が無難なんだろうかというと「オート」と表現するという手段を使うところも出始めたらしい。ですがこれについてはざらつきを覚える人もいるらしく確かに聞きなれないのかもしれないですね。

私的には浜松にはオートレース場が在るので「オート」と言われてもオートバイ(ぽんぽん)のことだと判断出来て違和感を激しくは感じないですけどね。それでも「オート」と言って他に何かを想像してしまうようならこの表現は定着しないでしょうけど。どちらかといえば私の場合「自動」(オートメイションのオート)というイメージが直ぐに浮かんできますです。普通はやはりそっちの方が確かにオートバイよりイメージが強く湧きますね。「オート事故」だと自動で事故が起きたみたいな。

そうはいっても略さず「オートモービル」・「モーターサイクル」とかとなると使い慣れていないからこれについてもざらつき感はありますな。

はてさてこれからどう表現が変わっていくんでしょうか。って言ってる間にオートバイ自体廃れてスクーターに席巻されてるから「スクーター事故」とか書かれる様になるのが自然な流れかも。ポンポン乗りとしては軟弱になったものよのうと嘆きたくもなりますが。

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*ちゃあ

「それを言っちゃあおしめえよ。」の名台詞があるくらいだから特に遠州弁だと言うことは無いのだが。

「~しては」とかいう風に訳せばいいのだろうか。「~してしまっては」という使い方もあるか。

「いっちゃあ」だと「行っては」とか「言っては」とかになる。

「いっちゃ」と「いっちゃあ」は微妙に違う。「あ」が入るとおいおいというニュアンスが加味される感じになるのだろうか。

ラムちゃんでお馴染みの「~だっちゃ」ではない。

もうニュアンス勝負なので細かい例文連ねて雰囲気を掴んで貰えば

「いろんな店屋行っちゃあ買いもしんにぶーたれてるもんで出入り禁止だらけでえ。」

  (色んなお店に行ってはいつも買わないのに文句つけてたから出入り禁止だらけだよ。)

「食っちゃあ寝え食っちゃあ寝でほんとしょんない。」

  (食べては寝て、食べては寝ての繰り返しでだらしない。)

「買う気あるっちゃああるだけえが金足らんだよ。」

  (買う気があると言えばあるんだけどお金が足りないんだ。)

例えば和彦という人の愛称を「かっちゃあ」という場合の「ちゃあ」は別物。共通語だと「かっちゃん」になるのであろうか。

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アルカナ三昧だった一日

 夕暮れが薄くれないに染まりしを心に残してくれないか。愉しかろうとつらかろと、くれない宵はないけれどEXくれないブログなし。

なぞと似非風流に染まる間も惜しんで一昨日はアルカナ三昧。祝日さんよ有り難う。用事がなくて有り難う。でも疲れた。

ほんに沢山のブログにお邪魔させて頂きました。経験値も戴きました。幾分何度目だといった堂々巡り並みに同じとこばかりとかいった嘆きもありましたがそれでも一杯こらしょと色んなとこ巡れました。疲れたけど。

絶対かような事でもない限りお伺いしないであろう処にお伺いする悦を味わいつつレベルアップに勤しんでおりました。成果はありましたがホント疲れました。以前に較べれば大分楽にはなりましたがそれでもまだレベル70を越えると100に到達するまでのレベルアップは本当に苦行です私には。

そんななか面白いなと思える表現を試されてるお方とかのブログがあって楽しいと思える時もありました。そういう中で造語というんですかね。誰も使っていない言葉を模索されてる方とか居られて。まあ、多少「どんまい」次いってみようという感じで座布団一枚進呈するのはいささかではありましたが。でもこういうことを重ねていかないと十割バッターなんぞいませんから励んで欲しいなと。こういう言い方は上から目線に取られるかもしれないですけど私的には同志という意識です。

で、どういう表現かというと(転用を禁ずとは確か謳っておられませんでしたから転用させていただきますがまかりならぬなら削除します)、「人夫」という表現。人妻に対して人夫という表現。なんで「どんまい」と評するかと言いますと。いやいやこれは先約がありますよなんですわ。「人夫=特技を持たず力仕事をする労働者」という意味が。今で言えば人足の方が分かりがいいんでしょうかね。もともと人妻という表現自体いぶかしげな想像してしまいがちですからその対となるといいイメージはないですね。「にんぷ」と読むのだとしたら「妊婦」をイメージしてしまいますし。

使い方から想像するに晴れて結婚出来た。つまり人妻ならぬ人夫になれたという喜びを述べられたかったのでしょうし、おそらく言葉の響きから「ニンフ」(ギリシャ神話の妖精・精霊)を掛けたイメージとして使われておられるのでしょうが漢字にしてしまうと先に説明したようになってしまいますので。でもこういう言葉遊びは好物です。試しにこういう表現を他の人も使われてるのかと検索してみたら同じ意味使いで「ひとおっと」と読む「人夫」という使い方をされてる方他にもおられました。ふ~んです。普通こういう場合の人は他人(よその)という意味だと思うのですが妻や夫になって初めて人となれるとも勘繰れますな。穿った考えでいったら結婚して初めて一人前の人となるとも読める訳でそうなるとなるほどではありますな。

 それと言葉遊びではないのですが(これにつきましても転用を禁ずとは確か謳っておられませんでしたから転用させていただきますがまかりならぬなら削除します)、「エイプリルフールは嘘をついていい日なのではなく夢想を口に出していい日なんだ」というフレーズを発しておられた方もあって。いたくなるほどと関心しました。名言ですな。人を陥れるための嘘ではなく普段口に出せない夢を言う日というのであれば凄く前向きな感じに映ります。

 こういう出会いは心地いいですわ。繋がることは無いけれど伝わるものは確かにあります。とにかくいろんなところに探検するのならレベルは20~30が一番いいですね。次又転生したら(できたら)駆け足で通り過ぎずこのレベルをもっと味わってみよう。

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BOSS CASE3

 いやあ全く以って見事に毎回毎回犯人のどんでん返しがあってこいつぁ恐れ入り屋の鬼子母神でさあね。柔道の相手じゃないですけどタップもんでしたわ。これを面白いと言わずして何を面白いというのでしょうか。事件(展開)も人(キャラ)も面白いです。

プチ有名人女性を狙ったレイプ犯罪。最初犯人と思われた誰が見ても悪な男は死体で見つかるが腑に落ちず捜査を続ける。次に犯人とおぼしき確かにこいつならやりかねない危ない男には横紙破りの捜査方法を用いて無事逮捕。此れにて見事一件落着かと思わせといての実はあんたが犯人だったという展開。いやあころころ騙されましたわ。見せ方が上手いんでしょうね。大澤(天海さん)の目星のつけ方もそうですが、山村(温水さん)の鼻の下伸ばし放題にも騙されましたです。でも最初に「信じない物」を挙げていたので観ているものに対して嘘でも裏切りでもなかった事ですけど。それにしてもすねたン十年の人生にピリオドを打ってついに遅い春が来たんだと本気で勘違いしてるんだろうなとホントそう映りました。

写真撮影の合間を縫っての犯人は貴方でしょという会話はえ?なんでとホント不思議でした。犯人逮捕ご協力感謝致しますの会話に違いないと思ってただけにびっくりでした。話し聞くうちになるほどそうかと納得でありましたが。あっと驚く天海はじゃないや展開はただひたすら愉しく騙されて心地いいです。はなから疑っていたというその理由も明かされればなるほどこじつけじゃないよなと思えるものですしそれを気取られずしかも上に立つ者の嫌われる勇気ってのもかっこよかったですな。ただ身内をたばかる意味がどこにあったのかイマイチ理解できませんでしたけど。

 事件の展開もかくも愉しいのですが、それに輪をかけてそれぞれの会話や行動がまた愉しいです。柔道では大澤のすっとこどっこい的な部分が面白いですし野立(竹野内さん)との会話もどこまで本気なんだろと思える冗談と真剣の入り混じったそれでも以心伝心みたいな信頼関係が存在していていい関係だよなあと。もっとも今回一番のお気に入りは奈良橋(吉瀬さん)と大澤のエレベーターでの会話のシーンでしょうかまるで真剣で立会いしてるようなバチバチ感で手を頬に持ってく時の間合いがたまりません。もう笑うしかないでしょうあそこは。繰り返し観ても笑えます。

 いいリーダーとはかくあらんという理想像を現そうとしている作品ではありますがそういう講釈云々言う前に面白い。しかも肩の力が抜けて飄々とした中に使命感があってというお遊びではないプロの仕事という側面がキリリとしていてというギャップが絶妙であります。

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*よど

よだれのこと。唾(つば)のことを指すわけでなく口の中から出たものを指す。特に遠州弁ということではないが遠州でも使っていると言うことで記載。

ゲロ(嘔吐物)を「おど」とも言うのと同じ流れの表現か。(ただしおどという言い方は非常に狭いとこでしか通用しない表現であるらしく肩身が狭い。)普通の遠州人は「げろ」・「げぼ」とかを使う。

寝ていながら吐くのを寝ゲロと共通語では言うらしいのだが遠州弁風でちいといじると

「よどたらいて寝てると思ったらいきなし寝おどこきゃあがってどんぎたねえやあ。」

  (よだれ垂らして寝てると思ったら急に寝ゲロしやがって汚いなあ。)

という風になる。もちろんこんな使い方する人はいないただの言葉遊びですけど。

例文

「○○わあ。」

  (○○はどこ?)

「あそこんさあの長いすで寝てる。」

  (あそこにある長いすのところで寝てるよ。)

「・・!・・・・・」

「どおしたよを。起こさんだ?」

  (どうしたの起こさないの?)

「いやあ馬鹿気持ち良さそうに寝てるもんでやあ。起こすに気い引けた。」

  (物凄く気持ち良さそうに寝てるもんだから起こすのに気が引ける。)

「どれえ。あ~ふんとだ。よどたらいて寝てけつかるなあ。」

  (どれどれ。あ~ホントだ、よだれ垂らして寝ていやがる。)

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狂歌明日か浅ってか その3

「金生る木 持ち上げ落とすは お手の物 

             世の習いとは かくもおとまし」

「喚せんと 鳥取り上げて 豚下げる

             細菌世話しく 今日もギュウだビョー」

「勝ち組は 金が凡ての 場合のみ

             羨ましいかは 人によりけり」

難しいかなやはり。

「金生る木」は「草を薙ぎ」とどっちがいいのかましなのか。

「感染ぞ 鳥を取り上げ 豚いれぬ 最近せわしく 況もギュウだビョー」

と、なんとか合体させたかったけど知恵足らず。

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本末転倒

あくまで冗句です。言葉遊びです。

「顛末本当」

意味

実際にあった嘘みたいな出来事。

「粉末店頭」

意味

風が吹いたら飛び散ってしまうようなものを店の前面に置くなということ。店の構えを示すならちまちましたものを出すな。

「本棚転倒」

意味

特に意味なし。というか屁理屈こねれず。しいてこねれば地震等防災に備えて転倒しないようにという教え。なんつって。

「本松点燈」

意味

本当に松を燃やすといい匂いがする。

本当の「本末転倒」の意味は

重要(大切)なことと些細なことを取り違えること。

チャンネル争いでお互いが喧嘩に発展してお互い観たい番組始まってもまだ喧嘩しててどちらもテレビ観てないみたいなことであろうか。

物作りが好きで入った会社なのに営業に配属され不満だったけど仕事こなせるようになったら楽しくなったと言う風ないつのまにか目的(趣旨)が変わってしまうこととかを指すのかどうかは疑わしいというか違うであろう。こういう場合は「住めば都」か?なんかこれも違うな。

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かしがってる

傾いている。斜めになっている。

自分はあまりというかまあ使うことはないが、そういう表現の使い手が居て意味が理解できたのでこういう言葉があるのだろう。ただし殆どこういう使い方をする人は私の周りにはいない。

したがって遠州弁かどうかも定かではないが言った人間は遠州人なのでそうなのかなと思い記載。大分疑わしいが。

傾げる(かしげる)という言葉が近いのでこれが変化したものであろうか。

辞書では「かしぐ」(傾ぐ)かたむくの口語的表現となっているので「かしがう」という表現もあっても不思議じゃあない。でも普通は「かしいでる」(傾いでる)だよなあ。

例文

「お~い。そこんさあの柱ぁ。右んかしがってるらあ。直いといて。」

  (お~いそこの柱が右に傾いてるだろ。だから直しといて。)

「はいね。こっからじゃ程度分からんで見といてよ。」

  (了解。ここからじゃ傾いてる程度が分からないからチェックしてて。)

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4月のコマーシャル

 最近ビールのコマーシャルで関西風味を思い出すテーマ曲がアレンジされて使われている。かと思えばガムのコマーシャルでは狼少年○ンのテーマ曲が骨抜きにされてはにゃはにゃって感じで唄われていた。

決して否定するつもりはないんですけど、その昔に慣れ親しんだ番組のテーマ曲が転用されるというのはあれ?っと思ってつい振り向いて見てしまうインパクト。それはあるけれどなんだかなあという気分になるのは私だけなんでしょうか。確かにもう番組は当の昔に終っており再び同じ用途で使われることは決してないでありましょう。かといってお蔵入りしてしまうほどくすんだ楽曲ではない。

再利用という目でみればいいアイデアだなとは思えます。初めて耳にする世代であっても元がいいのだから下手な弄り方さえしなければ色褪せることなくインパクトはあるし、リアル世代には郷愁を与える訳だし。でも使いどころのギャップが激しいのはなんかざらつき感が出ますわな。

 最近ということでいえば、四月はがんこ沢山新しいコマーシャルが放たれてましたなあ。景気の落ち込みがどうたらこうたらというのが嘘みたいに新作の嵐でありました。いつもお気に入りのコマーシャルだけ抜粋して録画したものをDVDに焼いてるんですけど普通は一ヶ月分大体20分程度なんですが今月は30分超えてました。まあ放送量は変わるわけないので結構いいコマーシャルが一杯あったってことなんでしょうけど。

そういったコマーシャル。個人のブログとかに例えばブログパーツとして映像を貸し出しして貰えないかな。文章で説明するよりこれ見てちょの方が断然分かりがいい。15秒なり30秒なり一切編集が出来ないようにすればコマーシャルとして成立するんじゃないのかなと。自分みたいなむさい野郎のブログに煌びやかな映像が映し出されるようになったら掃き溜めに鶴でさぞかし華やぐだろうなと。もちろん宣伝効果はないですけど。

もし叶う(貸し出してくれる)としたらどのCm動画をブログ記事に貼りたいか。という妄想話しで言うと。ん~悩むなあ色々あって。

菅野美穂さんのケラケラ笑う姿が楽しい任天堂DSもいいけど今月じゃないから今月でといったらAsahiの十六茶かな。あの緑と黄色の衣装がとても華やいではいるけれど落ち着く感じで映えてる。もちろんそれを着こなしてる新垣さんもお綺麗だからでしょうけど。

味の素の海老シュウマイも捨てがたいな。香取さんと子役のお二人観てると薔薇のない花屋さんを想い出す。これに竹内さんが加われば最強なんだけどな。

サントリーの焼酎「はなうた」もいいな。とにかく画がけっこい。

記事の最初に挙げたロッテのフィッツも説明する上で載せたいな。

コンケルドも当然か。

まだあるけどこれ以上妄想しても虚しいだけなのでこれぐらいにしときますが、実現しないかなあと思わずにはおれませんですわホント。

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無知文盲

物を知らないし字も読めんということで要はこけにする表現であろう。ものを知らないのにも程があるという呆れた様を評する言葉という感じがするので、自分を卑下する表現で使われてたかというとそういう使い方は記憶にない。

馬鹿にするとかいうレベルには思えないので全否定に近い執拗さを感じる。

どういう使い方をしても侮辱的になるので今の空気読みショーを美徳とするか一切関わらないという極端な二者択一な世界では使い道がないのだろうけど、私が小さい頃はそれなりに頻繁に日常会話の中で使われてたような記憶がある。

我が国は義務教育が徹底しているのだから文字通りに字が読めないとかいう人はおらず「白髪三千丈」並みの誇張表現ということで使ってた筈。なんか少し頭働かせれば分かるだろうにみたいなホントしょーもないことをしでかした奴を指して言う表現といった使い方だったか?ある意味聞く耳を待たない的なニュアンスとしても使われてたような。

決して「無知文盲」だからあいつは出来ないとかいうとかいう使い方はしていなかったような。予測ではなく起きた結果の理由というか原因というか。まあ卑下する表現であることに相違ないので言われた方がもしそう言われた事に気づいたらいたく傷つくので所詮陰口でしか使われないだろうけど。いい意味での使い方なんてあるんだろうか。

「何であんなことあいつしたんだ?」

「しょうがねえよあいつ無知文盲だもん。悪いことだと知らずにやったんじゃないの?」

みたいな使い方であろうか。もうこういう使い方はしてないな。人のことを言えた義理じゃないのにね。

どちらかと言えば今は

「無恥聞妄」恥を知らず妄想に聞き耳をたてるみたいな。なんて当て字の誤った表現の方がアリっぽい。

それとも「無恥悶々」か?欲望のままに社会性を無視して生きている輩とか。

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*しいらんやあ誰んゆったよそんなの

遠州人がよく使う表現。

「聞いてないよ。誰がそんなこと言ってるんだ」みたいなことを言っている。非常に強気であることが窺える。

「しいらんやあ」の代わりに「知らんにい」とかを使うと否定のニュアンスが強くなるが「しいらんやあ」だと「何言ってるんだ」という憤慨のニュアンスか、すっとぼけとか自分には関係ないとかいった他人事みたいなそっけないニュアンスが強くなる。

なので「しいらんやあ」だと言われた方は「冷たいじゃん」と思うか「嘘こいてんじゃねえぞ」と思うかどっちかが多い。

より冷たく突き放す感じにする場合は「しらんよを・・・」・「しらんでねえ・・・」とすると相手は困るか怒り出すかどちらかになることが多い。

例文1

「ここにあったのどこやったか知らん?あんたあ持ってったって誰かゆってただけど。」

  (ここにあったのどこいったのか知らない?あんたが持ってったって誰かが言ってたけど。)

「しいらんやあ。誰ん言ったよそんなの。」

  (え~そんなことないよ。誰かと勘違いしてるんじゃないの。)

「あれえ聞き違いだか?ホントに知らんだ?」

  (あれ?聞き違えなの?本当に知らない?)

例文2

「ここにあったのどこやったか知らん?あんたあ持ってったって誰かゆってただけど。」

「知らんにい。誰ん言ったよをそんなの。」

  (私じゃないよ。そりゃ間違いだよ。)

「あそお?おかしいやあ。ほいじゃ誰ん持ってっただいねえ。」

  (そうなの?変だなあじゃあ誰が持ってったんだろ。)

例文3

「ここにあったのどこやったか知らん?あんたあ持ってったって誰かゆってただけど。」

「しらんよを。誰んゆったよそんなの。」

  (知らないよ。どいつがそんなこと言ってるんだ。)

「あんたじゃないだ?変だやあ。」

  (あんたじゃないの?変だなあ。)

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祭りが近い

 もうすぐ五月。夜に仕事帰りの道すがら法被来た連中が歩くってるのを見かけた。準備とかしてるんだろうな。祭りが近くなってきた。今年もまたいつもの如く法被着てさえいれば傍若無人が許されると思い込んでる輩が有象無象に湧いて出てくるんだろうな。私は引越しして今住んでるとこにきた新参者なので今居る所も前居た所でも町内での付き合いは希薄でもう祭りに参加することはなくなった。なので昔燃えたぎり今醒めた目という両面で見ることが出来る境遇にいる。粛々と進むのも変ではあるので仕方がないのではあるがとにかく騒々しい。遠州弁的に言うと「こうるさい」又は「馬鹿うるさい」もしくは「耳おやす」(これは言い過ぎか)。

中でも五月蝿いのは練りである。初練りに向かう集団が家の前を練り歩かれるとテレビの音すら聞き取れなくなる。しかも最近は練りをするのに太鼓を持ち出してドンドン叩くようになった。ラッパと警笛だけでやってきた身としてはどうも拍子抜けしてしまうのであるが。窓を閉めた家の中に居ても太鼓は結構遠くからでも聞こえてきて通り過ぎた後も暫く聞こえてくるので始末に負えないというのもある。もちろん安普請な家に住んでる方が悪いんだという理屈はごもっともではありますが。

たとえ雨が降ったとしても凧と屋台は中止になるうるが初練りだけは槍が降ろうがやる。だからあの気の抜けるドンドンをまた今年も聞かなければならないんだなこれが。

 そういえば話し随分と飛ぶけど、ドラマとかで仏壇で太鼓叩いてお経を上げる光景最近見ないなあと。なんか都合が悪いと仏壇に向かって告げ口するように遠目から非難したり誤魔化すかのように一心不乱に太鼓叩いてお経読んですっ呆けたりとかいう光景。自分の家はそういう宗派ではなかったらしいのでリアルな体験としては経験したことがないけどテレビとかでよく見た光景。そうなるとお隣さんから「うるさいよ!」と声が上がったり言わないまでも根にもたれたりとかいう色んなことに派生してく日常のひと悶着って感じで。

もちろん太鼓の種類は別物なので始まりは家にある仏壇用の太鼓を持ち出して景気づけに祭りで使ったのが起源とかいう罰当たりなものではない。ただ近所迷惑な道具としての効能は一緒だということは一致してるなと思っただけの話しで。

 今は地下足袋が当然の祭りの装束であるが私がガキの時分には練りの時いきがりたいあんちゃんとかがセッタ履いてちゃらちゃら音出しながら闊歩してたこともあった。凧でそんな格好されたんじゃ邪魔なだけだし踏んづけられて爪をやっちゃうしすぐ脱げて滑る転ぶ要因にもなるので今は影を潜めてるみたい。男女の役割もはっきり分かれていていたけど今はその境界線が曖昧だ。

そんなこんなで時代と共に変わっていることが多い祭りの様相ではあるので拍子抜けしてしまう太鼓もいつか廃れていくんだろうけど、被害者意識がある訳じゃなくもっとかっこよく(テンポいい響きで)出来ないのかと思えて仕方ないので出来れば一刻も早く廃れて欲しいなと切に願う次第で。

じゃあ他になにがあるんだよという話しになると、「そりゃあおめえ楽器の街とかこいてるだでえ、なんしょ頭働かいてやるだあれ。」としか言い様(知恵)がない。

カスタネットだったら嗤えるよなとかいうくだらない冗談は浮かぶけど。

 それにしてもさっきから前を走るクラウン様。裕福な方は平民のルールに従う義務はないのか暗い室内の中で明るく浮かび上がって映ってる携帯画面を見ながら運転されておられるご様子。後ろにも前にもつきたくないのでどっかでとっとと曲がってくれないものかとやきもき。ホントもうじきいつにも増して何様の皆様が闊歩するという危なくて仕方ない季節がやってくるから気をつけないと。平民はひたすら嵐(人生の勝利者の横柄さと祭り馬鹿)が通り過ぎるのを堪えて待つしかないんでね。

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*あたじけない

「あたじけない」けちだ。あつかましい。という意味。流石に遠州でも使われていない古語。いつ頃まで生きてたんでしょうね。

なんとかして、かるたに取り込められないかと考えたが出来なかった。

「買って帰る客はかたじけない

試食だけして帰る客はあたじけない

ごねてただじゃ帰らん客はいただけない

来もしない客は客とも呼べずあじけない」

ってどこに遠州弁とコラボしとるんじゃあ。

無理矢理こじつければ

ケチは「どけち」

あつかましいは「どずうずしい」

と深い意味もなく「ど」をつけることが遠州弁では多いのが特徴か。なんてね。

とりあえず遠州弁に直すと

「買ってく衆にゃあありがとねえでえの

試食だけして帰るっつうんはどずうずしいらあ

ごねくりくさる奴ぁホントばかっつらだにい

きもしんもんは客たあ言えんくつうらいのえ」      

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ぼくの妹 その2

 大切なことはさておいてとしておいておいおいなことをおいおい書いてこうかと。なんて言葉遊びしてる場合ではなくぼくの妹第2話のお話し。これは面白いです。

 或る時は上から目線又或る時は兄に救いを求めるか弱き天使。ホント何考えてるんだか分かんない妹ですなあ。ひとついえることは兄にとって切っても切れぬ縁(えにし)である同じ血を分けた妹だということ。行動に至る思考が不思議ちゃんでついていけないんだけど見捨てることははなから頭にないのがアニキの辛い所か。遠慮会釈なしという兄弟ならではの雰囲気が良く出てますです。自分がまいた種とは言え激動(修羅場)の一日を終えおにいちゃんとバスに乗って帰る途中気が弛んだのかついうたた寝するところはふたりの絆がそこはかとなく漂っていたように感じられました。あれでふたりでぐっすりこんだったら似たもの兄弟なんでしょうけど。性格の異なる兄弟なんでしょうかねえ。でも修羅場での固まり具合はそっくりに見えましたけど。

それにしてもオダギリさんがええなあ。この惹き込まれ具合はなんとしょう。ひねくれ傾向にある私でさえも盟目線でハラハラドキドキで観てしまいます。とにかくこの吸引力を考えるとオダギリダイソンと名乗られても異存はございません。でも詰まらないという称号は当てはまらないのでやっぱジョーか。確かに上だし情だし常だしね。なんていう減らず口叩きたくなる位いいですわオダギリさん。

お話しの流れはどうみてもこの人一人死んだ出来事がずうっと闇の尾を引く展開になりそうな感じがしてきます。九鬼(千原さん)の存在もでかいですねえ。役者さんとして好感が持てるのは関西弁を操るのではなく共通語を操っておられるところでしょうか。今のところあの死は殺人ではないのかという方向を向いていそうですけどどうなんでしょうか。階段を使って下ったということですれ違いで犯人がエレベーターで上がってこれたという可能性はありますけど。妹が非常に胡散臭いのでこれからどう展開して(かき回して)いくんでしょうか。或る意味迷惑が掛かる方であろう兄は今の地位に連綿としがみつこうなんぞといった欲望はないようなので観る側としてはこのトラブルによって今の地位からもし失脚したとしても別に兄にとっては不幸なことじゃないからいいかあという安気な気にはなってきます。平穏な生活が犯され苦悩に陥るという訳でもなさそうなんでここはなあなあに済ませずすっきりするまでこの一件の決着に励んで貰いたいところであります。

妹(長澤さん)の幸せを追い求め続けるその姿は追えば追う程視野が狭くなってくみたいでした。可能性にすがってがむしゃらに幸せを追い求めるとこうなるのかなと。やりたいことをしっかりやった後に幸せがついてくるんじゃないのかなと私的には思ったりなんかして。つまり追う物が間違ってるんじゃないんだろうかって。こういうの本末転倒って言うのかしらむ。そういった視野の狭さ(生き方の下手さ)を長澤さんよく表現されてるんじゃないのかなと思えました。さっき泣いててもう笑うみたいな家族だからこその起伏の妙も家族らしい感じもよく出てるなあと。確かに兄弟だわと思わせる説得力あります。高い所も登られてて結構アクション役者の資質もあるのかしらむ。それにしても服のたたみ方もホントぞんざいで大丈夫か?女らしさはあるのかと心配になってきますな。

蓼食う虫も好き好きと申しますが瀬川(田中さん)さんはどこに惚れてくらくらと逃避行を決意されたんでしょうか。不思議と言えば不思議です。

 で、どうでもいい感想としましては、理事長に呼び出された時の「如何でしたか父の反応は?」と聞かれ「想像を超えてました。」と答える会話は笑えました。前髪の白髪が一本生えていておられたんですが、これから起きる出来事の度に白髪が増えてくという役作りなんでしょうか。んな訳ないかあ。

鈴木砂羽さんと長澤まさみさんという共に遠州人の共演が実現してましたですなあ。不倫相手と妻の関係だから出遭うことなく話しが進むのかなと思ったら2話にしていきなしの修羅場という展開でした。待ち時間とかあ遠州弁だあだあだっただか気いなるだけえが知る由もないでかんの。はあねえだかいやあこれで共演わあ。砂羽さんのブログでは結構出演されるドラマの話しなされてること多いんですけどこのドラマに関してはあんましないですねえ。相手が東宝のお姫さまだから写真とかも含めて触れるはご法度だったんでしょうか。それとも世代が違うからとかで会話が弾まなんだっただか。まさかね。

まあとにかく可愛い子についちょっかいだしたくなるみたいに色々と減らず口叩きたくなる位なにかと愉しいドラマです。

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*ちゃんとしんとかん

「ちゃんとしないといけない」という意味。んが連発されるので言い切ってるみたいで小気味いい感じになる。

ちなみに遠州人が心地いいと感じる表現で

「ちゃっと帰って掃除しんとかんで駄目。」

という「っ」と「ん」が多発するとなんか勢いが出て心地いい。

例文

「あんたねえはあええ歳んなるだでえ、なんしょちゃんとしんとかんだにい。」

  (もういい歳になるんだからとにかくちゃんとしなさいよ。)

「いらんこんじゃん。だいたいがなにんちゃんとしてんっつうよを。」

  (余計なお世話。そもそもどこがちゃんとしてないっていうのよ。)

「そうゆうぞんざいな物言いんとかもそうだけどいつまでもひとりでおるっつうのとかだよ。」

  (そういう口の利き方を知らないってのもそうだけどいつまでもひとりでいるってところとかだよ。)

「いいじゃん別にい。迷惑かけちゃいんだでえ。」

  (いいでしょ別に迷惑掛けてるわけじゃないんだから。)

「あんたねえ親戚衆集まると『まだ片付かんだか?』って必ずゆわれる身にもなってみい。」

「いわしときゃいいじゃん関係ないだで。」

「こんどをあんたあ出てよ法事。そうすりゃわしにがんこ迷惑掛けてるっつうのわかるでえ。」

「いやだよを。なんで出にゃかんよを。自分出たかないもんでそんなことゆうだらあ。」

「あんたねえ。挨拶もでけんようじゃホントしょおもないだにい。ホントそれこそちゃんとしんとかんて。」

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修理と修繕

 最近「修繕」という表現を耳にしなくなったなあと。大抵は「修理」が使われることが多いような気がするのです。さすがに死語にはなってはいないけどカテゴリーは整理する都合上死語にしときますんで何卒よしなに。

自分が使ってる昭和の頃の辞書によると

修理 壊れた(悪くなった)ところに手を入れて再び使えるようにすること。

修繕 (身の回りの物の)壊れたり悪くなったりした状態を元通りに直すこと。

パソコンで見れる最新の辞書によると

修理 壊れたものを繕って直すこと。修繕。

修繕 (建物や品物の)悪くなったり破損した箇所を直すこと。修理。

微妙に意味使いが変化してきているみたい。今は修理も修繕も同じ意味合いなんだ。

「繕う」という言葉からイメージするのは「取り繕う」という表現からなのか自分でなんとかするというイメージが湧きますな。「繕い物」と言ったら服のほころんだ所を直したりとか。

そんなこんなで正しいのかどうかは別として、私的にはプロ(業者)が行なうのが修理で自分でなんとかするのが修繕という使い分けしてたような気がする。今はもう身の回りの物は殆どが高度過ぎてもう自分でなんともならないものばかりで取り付く島がなく修理に出すしかないので「修繕」という表現はもう廃れてきてるんだろうかなあと思えてきますです。

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*つんつるてん

短いとか丈の合わない服を着ている様。特に遠州弁ということでもなかろうが遠州でも使ってるよということで記載。

服が弾けそうなくらい突っ張ってつるつるてかってる風に聞こえる感じであろうか。似たような表現で「ちんちくりん」というのも使われているがこちらは他の地域では中傷的意味で使われているようであるが遠州地域では「つんつるてん」とほぼ同様のサイズが合わないことを意味し中傷的な要素はない。

例文

「あれえ。つんつるてんだねえ。太った?」

「馬鹿こいちゃかん。何年前の服だと思ってるよを。後生大事にたんすの肥やしにしといたのなんで今頃出して着させるよを。」

「なにゆってるよを。子供じゃあるまいしはああんた背えなんか伸びもしんに。やっぱ太っただらあ。」

「質問に答えちゃいんじゃん。話しそらいちゃかんて。」

「なんだっけか。」

「なんでこんな昔の着せるだっつうの。」

「いんやあ。なんとなくそうゆやあこんなんのあったなあと思って。なんで思い出いただかいやあ。」

「これって確か面接行くに着た服じゃなかったっけか。」

「あ~そうそう。そーだった。ほんでだわ。」

「なにがあ。」

「あんた今日大事な日だら?だで縁起のいい服の方がいいかなと思っただよ。」

「嘘こいちゃかん。わしのスーツボケこいてみなきしクリーニング出したの誤魔化したいだらあ。」

「なんで知ってるよを。」

「図星かい。」

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