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ゴッドハンド輝 その3

 なんかどんどん回を重ねる毎にマンガのテルに近づいているように映ります。散弾銃の球の摘出手術っを終えた後に「負けられねえ」とか呟きながら歩くシーンなんかはまさにマンガから飛び出したような感じでした。このシーンは嫌いじゃないです。むしろ好み。

さらに飛び出てたのがあのとんでもない理屈のやれたおやじ(悪い人じゃないんですけど良くはない)。こちらの方はちょっとね。一般常識でいったら確実に強度のクレーマーで警察沙汰になりまんがな。それが無罪お咎めなしなんてのはまさにマンガだよなあと。そりゃああの存在がなければ確かに話しとしては劇的に繋がらないのだろうけれど実写化するのならもうちっと人らしく改造したうえで提示して欲しかったところです。もっともドラマの対象ターゲットが18以上禁という夢を失くした奴はお断りということであるのならば私はその禁を犯して観てるのですから言う資格なんぞないんですがね。

 決して不平たらたらしてる訳じゃあなくてもっと愉しくなる可能性があるような気がしてるだけです。テル(ひらっち)と四宮梢(水川さん)とのやりとりは観ていて面白かったです。院長(渡部さん)と北見先生(別所さん)といった大人としての見解に拠ると両方共に「危ない存在」らしいんですがテルは能天気ですけど梢のほうは露にも思っていないってとこが味噌なんでしょうかねえ。どっかで大きな挫折を味わうのか。それともテルの行動に遭遇していつのまにか好い方へ導かれていくのか。ライバルでウマが合わない同士でしょうけど悪党でも障害でもないので双方共にいい目をみて欲しい気になります。とにかく猫と鼠で仲良く喧嘩しなって展開であったら愉しいです。

そういえばのもうひとつの潜伏進行中の展開ともいえる四宮一族の陰謀(野望)についてはいつ頃噴き出るんでしょうか。多少なりとも原作かじってたんでそんな6話で語りつくせるとも思えないんですけど。

或る意味医療のスーパーマンなんですから無理を可能にすることが快感ともいえる訳であり、悪を倒す訳でもないのですから憎たらしい悪党を出す必要もないんで途中ハラハラ最後明るく観れる要素に満ち溢れてるんですけどねえ。負の要素を要しない超人物語という鉱脈なんですからもっとじっくり長い眼で観たいんですけどねえ。とにかくひらっちいい味出してますんでそれが楽しいドラマです。水川さんもいいですし。

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湯けむりスナイパー その4

 悩みというか迷いを恒に背中に背負っている空気感がいいですたい。哀愁と書けば済む話しですがそれじゃ味気ないので。それと湯上りな気分というか余韻が心地いいかな。きっちりと世界感が構築されていて自分(視聴者)が居られる場所は決してないけれど無理矢理こじつければ長く逗留している宿の客といったポジションかしらむ。カラスじゃ闇夜は愛でれないから逗留客かなやっぱし。

 今回は昔取った杵柄で借金取りの片棒担ぎ。それとささやかな幸せを満喫するという二本立て。もちろん嵐の後の穏やかさという比較としてのふたつの出来事でありますので放らかしてもせんないことでありますが、それにしても回収の手際のよさにはびびりますですな。うつろな遠くを見てるようなちょっと危ない人っぽくて決して脅しというか恐怖を与える勢いではない危うさが腰が座った上に眼も座ってるって感じで関わりあいたくなく済ませれるものならとっととという気になりますな。

でも旅館の為ならこれ一回こっきりでと重い腰を上げたけど、実は番頭さん(でんでんさん)の個人的なツケによるものと源さん(遠藤さん)がはっきりと知れたら源さんどうするんでしょうかねえ。そこはかとなくこれは旅館のもちつもたれつの話しではないと気づいていそうでしたが。だから確認できないようにおかみさん(伊藤さん)が居ない間を見計らっての行いなんでしょうかね。もし自分だったら使われるのは御免だとケツ捲くっちゃいそうですけど。人付き合い上避けて通れないことと割り切れるもんなんでしょうかこういうことは。こういうことが重なると自分だったら嫌気がさしてしまうんですけど源さんは大丈夫なんでしょうか。

ささやかな楽しみ。それは旨いもんは誰がなんと言おうとも旨いんだと言いつつこそこそ食べること。大人になってもガキのように秘密基地でなんかしてるということなんでしょうかねえ。その番頭さんの秘密基地に入ることを許された事が嬉しいんでしょうか源さんは。

 とにかく凡ても多くも語らず登場人物の心の内は観る側の感性でどうにでも取れるようでいてそうでもなく落ち着くとこに収まるという感じがいいですね。凡々になりたくてもまだなり切れないあすなろの木状態の源さんを観てるのは愉しいです。ところで基本生き様が自分を律するストイックな源さんですがなんで女性に対してあそこまでストイックなんでしょうか。疑問です。不思議です。まあもし女好きだったら確かに引きますけどね。

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スマイル その2

 濡れ衣着せた小悪党が捕んまさって法廷でしゅんとしてましたです。冤罪を晴らすには真犯人をとっ捕まえる以外にないという展開の成果の表れでありましたが。名探偵花さん(新垣さん)の活躍が目立った今回でありました。

前回の感想でこういう小悪党は都合よく生き抜くもんに違いないんだろうなと予想したんですが、あにはからんや見事退治されてました。

それにしても後味の悪い裁判でありました。検事も警察も出し抜かれた格好でしかも汚点失点だらけが出てきて「あの野郎」とか逆恨みされそうで「今度遭ったらタダじゃ済ませないぞ」みたいな禍根怨恨を感じました。

真犯人発見で一件落着とはとても思えないもうひとつの理由は、捕まった奴にしても駒のひとつにしか過ぎずましてやその組織の中に過去においたしてた時に知らぬ仲でもないという因縁を持つ輩がいる以上、なんらかの報復が今後ビト(松本さん)に向けられそうな悪寒が走りますです。それにしても過去のイメージ映像前回のやんちゃしてた人物がすり替わっていてなんだかなあでありました。初回が真実なんでしょけれども今回の社会通念上(警察側の判断)かく思われているというギャップはなんなんでしょうねえ。

 ところで名探偵花さんはどうしてあそこまでビトを助けようとあれだけ頑張れたんでしょうか。本屋さんで万引きと間違えられてたのを助けてくれた花の恩返しということでもないでしょうにねえ。富士山をバックにした過去の想い出し映像の中で踏み切りの遮断機の竿にランドセルが引っ掛かってたのをビトが取ってあげてたんですがその女の子が花だったりして。ま、そんな妄想話しはおいといて伊東一馬(中井さん)も三島花もこの回も過去の出来事については深く語られてませんでした。とりあえずの疑問としましては花に関してはその素性と声が出なくなった理由とどうしてあそこまでビトに対して誠意を尽くすのか。一馬については過去になにがあったのかの一点でしょうか。

次週辺りはビトには暫くの平穏が訪れて花か一馬の事が描かれるのかなと思っていたら今度は食中毒とな。材料の搬入でいぶかしげな雰囲気ありましたから予想はしてましたけど休めないビトでありますな。でも唯一の安住の地にどたばたが起こるというのは一体どこまで観てる側を不安に陥れるつもりなんでしょうか。安らかに眠れるところくらいは平穏であるべきだろうにと考えるのは甘ちゃんなんでしょうかねえ私は。後光が差しているべきとは申しませんが刑務所で明るく話してるだけでは明るい未来と感じられはしないので明暗のバランスが暗にこれ以上傾くと私挫折するかもしれません。甘ちゃんなんで。

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*どうせすかいやあ

「どうせすでえ」(どうするよ)と言う記事も書いたがその系統で「どうせすかいやあ」。「い」を省いて「どうせすかやあ」という表現もある。

意味はどうしようかな・どうやろうかなと言う意味。

深刻・真剣に思案してるような場合にはあまり使われず、共通語に訳すと「う~ん」というニュアンスの方が近い。

「どうしまいかやあ・どうしまいかねえ」(どうしたらいいんだろう)は他人にどうしたらいい?と尋ねてる雰囲気も含むことがあり、「どうせすかいやあ」は自問自答であくまで自身で決着判断つけるつもりの時に吐く言葉というニュアンスが強い。

そういう意味では「如何にしてくれようぞ」という言葉に近いと言えば近いのかも。

「どうせすか」はどうしようか。なあという思惑の表現が削れたニュアンスになる。

「どうせすだかいやあ」となると「どうするつもりなんだろう」となる。

近い表現で「どうしっか」・「どうせっか」というのがあるが、これとの違いは深刻度合いであろうか。「どうしっか」と言う方が深刻に悩んでる印象を受ける。

例文

「ん~。どうせすかやあ。」

  (う~んどうしようかなあ。)

「なにょう珍しく頭使ってるでえ。」

  (何珍しく考え事してるんだ?)

「失礼しちゃうやあ。人んど真面目に考えてるっつうだに。」

  (失礼な。人が真剣に考えてるっていうのに。)

「で、なによー。」

  (それでなに考えてるんだ?)

「今日の昼AランチにするかBランチにせすか悩んでるだよお。」

呆れて「はいはい好きにしてくりょー。でもあれだにい、どっちかっつうと昼休み入ってからにして欲しいだけどやあ。」

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BOSS CASE2

 今回も面白かったですねえ。事件の様相が二転三転してく様は弛みがないと言うか飽きさせないで結構ハラハラして観てました。

 事故と処理されたものを覆す展開なのかなと思いきや、お調子者のわるさに端を発したおいただった。しかしあらまあと思えたそのおいたが曲がった方向に膨らんでいって、それを無責任に煽る輩達の要望に応えて混沌とした世界の中から神を名乗る悪魔が生まれその世界を乗っ取ってしまうという流れは新鮮でした。犯人を追い詰める追跡格闘のシーンはその荒い息遣いが聞こえてくるようで迫力ありました。結構体張られてそうです。爆破の時点ではネット社会の闇の部分への警告的なよい子は真似しちゃだめよみたいなねじれた社会の風刺なんだと思ってそれでちゃんちゃん(一件落着)かあと思ったんですけど。

それでも十分面白い展開であったけどその後また一捻りあってあわや危機一髪という展開が待っていたのにはおお!(神じゃなく王)でありました。マンションでのシーンはサイコスリラーっぽい感じで運命や如何にって感じで間に合うのか部下達はとか思って観てました。

ま流石に警官の服装から神と称する悪魔もどきに変身するのは儀式がかってていてドラマだよなあと思いましたし、ネットで名前を晒したら第二第三のたわけが生まれ出でて一生もんでターゲットにされやしないかと心配にもなりましたが。とにかく展開が予想を裏切る形で進んでいっていい意味で騙されて気持ちよかったです。

 それ以外にもキャラが愉しいです。書き方に語弊があるかもですが大澤(天海さん)を観てると「すっとこどっこい」が似合う江戸っ子チックなお人だなと。仕事バリバリで気風がよくてあまり深く干渉はせず個人の自主性の芽を摘まないいい上司なんですけど仕事から離れての状況はなかなかに生き方が下手らしい。気風のよさはまさに江戸っ子風味で小気味よくドラマのテンポと上手く同調してる感じです。この回の囮になるってのも粋がって志願したはいいが少し動揺が現れてたりといった人間っぽさもあり喜怒哀楽もはっきりしていて裏がなく観ていて愉しい存在です。天海さんにこういう役やらせたら右に出る人いないですね。ドンピシャです。

較べるのは失礼かとは存じますが「離婚弁護士」と比較して大きく違うのは野立(竹野内さん)の存在に思えます。ともすれば縦横無尽な勢いのある大澤というキャラに首輪をつけることが出来る唯一の存在みたいというのが野立の存在なのかなと。勿論理解者でもあり。ユニークなのは女ったらしという設定。竹野内さんがやるとなんか新鮮です。天海さん=大澤絵里子と思えるけど竹野内さん=野立信次郎とはとても思えないんですけど不思議とこういう竹野内さんも画として成立するなあと。観ててこのふたりの会話シーンは愉しみです。

現場に行く時大澤は大抵木元(戸田さん)を連れてくみたいですけど科捜研がどういうことを主にやってるのか鑑識とどう違うのかとかがよく分からないんでそこいらあたりを素人にも分かるようなシーンを提示してくれると科捜研から来たんだという有り難味が増してくるんですけどね。ところでてっぱうはもしもの時には発砲したんでしょうか木元は。最後練習しに行ったとこみると必要性を自覚したように見えましたけど。

大澤の定時でという制約つきの片腕片桐(玉山さん)もなんらかのトラウマがあって発砲を控えたようですけどなにがあったんでしょうねえ。ドラマが終わる頃には払拭できるんでしょうかそのトラウマを。でもまあそういうなにかを背負っていてもチームとしてならやっていけるという方向で特に人として成長とか立ち直るとかでなくてもいいんじゃないのかなとも思えてきます。

花形(溝端さん)は離婚弁護士での玉山さんの役どころっぽく映ります。そう思うと玉山さん随分と渋くなられたなあと。逆にあの頃と変わんない天海さんも凄いなあと。

 ところでこのドラマも犯人さん豪華な役者さん揃えてこられますなあ。最近の流行なんでしょうか。もちろん歓迎してます。ただ露骨に推理推測からじゃなく名のある役者さんだからこの人が犯人に違いないと興ざめしてしまう展開だけは避けて欲しいですな。今回のような展開はタイプです。

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ええがあ

いいわあ・いいだろうがとかいうニュアンスでしょうか。これがもろ名古屋だと「ええがや」関西なら「ええわあ」とかになるんでしょうけど。

これが遠州弁かといったら大分疑問符がつくわけですが、多分に「ええがや」の変形とも感じられる「ええがあ」という表現でありまして。に、してはなんか普段耳にするよりテレビや映画とかで入ってくるようなイメージもなきにしもあらず。ホントのところはどこの言葉なんでしょうかねえ。

オヤジギャグかますなら「この映画ええがあ」(この映画ホントいいよ)

例文作ろうと思い巡らすも、会話として浮かばないってことは普段使ってないのかな。でも自信ないけどまあ強引に作ってみすか。

例文

「こっちん方よかあっちん方んがええがあ。」

  (これよりあっちの方がいいんだけど。)

「なんでえ一緒じゃん。これでいいじゃん別に。」

  (どうして?同じでしょ。別にこれでもいいでしょう。)

「ふんだこたあねえよを。あっちん方がええだもん。」

  (そんなことないもん。あっちの方がいいもん。)

「一緒だっつてるらあ。ホント聞いちゃいんだで。これんせるでねえ。」

  (同じだって言ってるでしょ。もう聞いてないんだから。これにするからね。)

「嘘こいちゃかん。値段みてみい違うにい。」

  (嘘つき。見てよ値段が違うじゃん。)

「なにいやらしいとこ見てるよを。」

  (なにえげつないとこ見てるのよ。)

「どっちんいやらしいよを。子供だまくらかいちゃかん。」

  (どっちがえげつないよ。子供だと思って騙すのはやめて。)

やっぱこれは遠州弁じゃないな。遠州弁だったら「ええよを」になるもんな普通。じゃあどこの言葉なんだろ。

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なんだかなあ22

 頭のいい奴には敵わない。これ鉄則です。

しかしなにも学校のお勉強が出来るから頭がいいとは限らない。これ社会に出ると分かります。

要は実行力というか推進力が伴わなければお話しにならない。つまり知恵だけじゃ所詮妄想の範囲でしかなく思ったら即実行することが重要だということなのでしょう。

輪をかけて言えば、考えていようと何も考えてなくても(アホでも)とにかく動いたもんの方が強いということでしょう。

頭が回りすぎて無理だろうと躊躇してしまうことでもそういう人はやってみなけりゃ分からないんだからと躊躇しないから行動に移せる分人として優位に立てるともいえる訳で。

頭のいい奴には叶わない。つまり下手に知恵が回るのはろくでもない。そういうこともあるもんです。つまり「頭がいい=賢い」訳ではなく「上手く立ち回れる(決断できる)=賢い」ということなのでしょう。

私みたいな知恵も行動力も共に下から数えた方が早いレベルの根性知恵なしのへたれ人種から見れば、どっちを羨ましく想いどっちのようになりたいかといったら。そりゃもう決まってますよね。

超理想を言えば馬鹿になれる利口者なんでしょう。上手くやり抜く賢さというものは点数で表せるものではありません。二兎を追うのが欲張りというのなら馬鹿者を選択したいところです。

でも馬鹿になるのは天然の持って生まれた才ではないでしょう。もちろん生まれついて有している太っ腹な人もいますけど殆どの人は努力をしなければ馬鹿の境地に到達できないものでしょう。

一般論として、恥をかけとよく言われたりもします。それはその壁を乗り越えた先に馬鹿の境地が存在しているからなのでしょうか。やりすぎはもちろん嫌われますがそれは社会のルールや常識に照らし合わせての非難であってなにか新しいことをするならばなにがしかはみでなければ為し得ないことでありましょう。

あたらしい命も母親の痛みを伴ってでなければ生まれてこないのですからなにがしかを生み出す側は何らかの障害(痛み)と対峙しなければならないのでしょう。それは社会においては非難中傷妨害といったものでありそれと対峙しなければならないのです。

そういうのに立ち向かう際に想いを張り巡らしてあれやこれや思い悩んで躊躇してしまう知恵を振り払うことが大切なんでしょうか。

 たとえ一歩踏み出せたとしても途中で逃げだしたくなる衝動に駆られることも有り得ます。その衝動に立ち向かう勇気はどこから生み出せばよいのでしょうか。それが分かっていたらへたれ人種とは呼ばれてませんがな。

言えることは逃げ癖がついたらお終いだということでしょうかね。悪いことさえしていなければ命まで取られることはない。そう信じて逃げないことを続けることが大事なんでしょう。

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*あたりまなこ

「あたりまなこ」漢字で書くと「当たり眼」だそうな。

意味は目につき次第・当り散らす目つきということだそうな。要は「がんをつける」ことなんだろうかな。

遠州弁と組み合わせると「あたりまなこであたけまくる」(片っ端からつっかかりまくる)

あたけるも古語辞典に載っていたがこれはまだ現役で遠州弁として残っている。

では、あたりまなこも現役かというと流石にそれはなかろうて。でも遠州弁の中に入っても違和感はない。

ところで「ちまなこにあたりまなこで眼を凝らす」とかいう使い方はあるんだろうか。

例文

「なんかしらんが さっきいから ちんぷりかあって あたりまなこんなって そこらじゅう どたけってて 始末におえん だよ。なんとかしてやあ。」

  (なんでか分からないけどさっきからすねてて片っ端から当り散らしていて始末に負えないんだ。なんとかしてくれ。)

「わしにゆっても知らんよを。はあおえんなら警察呼ぶとかすりゃあいいじゃん。」

  (私に言ってもどうしようもないよ。手に負えないんなら警察呼んだらどうなのよ。)

「馬鹿こいちゃかんて。身内110番してどうするよを。薄情だやあ。」

  (なに言ってるの。身内を警察沙汰にしてどうするよ。薄情だなあ。)

なんか違和感ないな。でもこんな使い方はないから実際には「なにゆってるよを」とか言われて通じないけど。

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3年目に

 このブログが3年目に突入しました。することが出来たのか。いつの間にかなのか。やっとここまでなのか。気がついたらなのか。なんとか辿り着けたのか。感慨深いのか。よくぞここまでなのか。見事になのか。無事になのか。へろへろながらもなのか。達成感もないままなのか。楽々となのか。なにも考えずになのか。ただの通過点なのか。とりあえずなのか。艱難辛苦の末なのか。平々凡々になのか。尋常ならざる結果なのか。垂れ流しの末になのか。いけいけドンドンだったのか。五里霧中だったのか。ふと我に返ったらなのか。よくもまあなのか。なんの因果かなのか。なにはともあれなのか。盛り上がることもなくなのか。ついになのか。あれよという間になのか。あれまなのか。振り返ったらなのか。訳の分からないうちになのか。粛々となのか。まがりなりにもなのか。下手の横好きでなのか。充実感のないままなのか。どうしてこうなってしまったかなのか。一応なのか。こじんまりとなのか。意気揚々となのか。苦節2年の末になのか。なんやかんやでなのか。無意識のうちになのか。紆余曲折の末になのか。へぼなりになのか。格闘しつつもなのか。平気の平左でなのか。不安を抱えつつもなのか。能天気になのか。希望に満ち溢れつつもなのか。想定外にもなのか。皆様のお陰でなのか。

と、きりがなく書いてどれくらい続けれるのだろうかとだらだら書いたけど知恵が尽きたのでこの辺で。

テーマが一貫してる訳でもなく、長く続けることが目標でもなにか伝えたいものがある訳でもないので、こういったくだらないだらだら感こそこのブログの特徴だよなと思ってブログらしさを表現するということで羅列してみました。殆ど記念日というものに反応しない人間なんですがたまには区切りとかつけないとねと思って。

どちらかといえばアクセス数の増加よりお馴染みさんが増える方が有り難いと思うタイプなので、ホントいつもお越し下さる方の暇つぶしになれば幸いです。

一年目はそれでも映画と遠州弁ネタに統一してという意気込みは多少あったんですが、映画は書く以上は使ったお金分元取らないとというケチ根性が災いしてなのか書くに当たって何度かじっくり観直ししてたら迂闊な事が言えなくなってしまいました。ホント緻密に作られてますわな日本映画は。なのでいつのまにかテレビドラマネタの方が気楽に書けるので多くなってしまいました。でも映画の方がやっぱり好きです。

遠州弁ネタは一日一記事を目標にしてきました。日本語なんだから他の地域ともかぶるのは当然で遠州独自の表現なんて限られてますからそういうものに固執してしまうと直ぐネタ切れになってしまいますから普段使いでよく聞く表現とかまで幅を広げてネタを探してなんとか2年続けてこれました。

それ以外では言葉遊びとこの記事のようなブログを続ける上でのメモ書きを公開しているんですが、目下の悩みは記事が詰まらないとかくだらないとかいう根本的な問題ではなくて、下書きががんこ溜まってしまっているということ。思いつくことには事欠かないんでとりあえず書くんですが落ちというか文章としてのまとまりがつかないまま放置してしまっているのを処理していかないと溜まる一方なんですわ。

貧乏性から消す(削除)にはもったいない気がして溜まる一方でなんとかしないとというのが目下の悩みですわいな。中には非公開にと決めてるものもあるんですけどそれは自分はこう感じたと率直に書いたけど公の場で言うべきじゃないよなというのもあるんですわ。例えば子供は見ちゃ駄目よみたいな作品を観ての感想とか。そういう記事は新たに別のブログ作って別人28号であるかのように載せるってことも考えたりしてしまうんですけどそれは別の意味でいやらしいので今のところ下書きのまま肥やしとなって溜まっています。

時々思うんですけど一方では万人に向けての映画・ドラマの感想を書き。同じ場所で成人男性にしか向けられていないアダルト作品の感想を書いたら人格疑われるかなと。人が他人を思い描く際のイメージってのは結構狭いもので別の一面とかを垣間見たりとかすると引くって事結構ありますからね。

他の有名どころのブログとかを参考にすると確実にひとつのテーマに絞られています。では自分のブログはどうかというと遠州弁を含む言葉遊びと映画・テレビの感想という二兎を追っている訳でもうはなから散漫で多くの人に評価される要件を為していない訳であり、すでに別の面を提示して引かれてるとも言える訳でありまして。それだったら開き直ってもう一面も提示しちゃっても構わないんじゃないかとも思ってしまいます。まあ今はそうはいってもやはりそれは駄目だろうと制御してますので公開して後悔しないようにしてますけど。

とりあえずファイアーショーがここで始まらないことを心掛けて3年目もひっそりと過ごして往きたいと思うておりますです。いづれにせよブログの平均寿命は2~3年と述べられてるとこもありますんで多少平均より長生きしたいですな。

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なんだかなあ 最近の某国営放送は

 ただの妄想なんでしょうがね。最近の某国営放送の大虎ドラマや暦誌皮話ヒストリアなる番組とかを見ると、歴史をショーアップしてるとしか思えない。ここまで受け狙い的ないいとこ取りしたような軽薄化にしなければ歴史への興味がそそられない程視聴者は怠惰してるんだという判断なのかしらむ。

どちらかというと「講釈師見てきたような嘘を言い」がピタリとはまる勢いを感じます。嘘ではないのでしょうが具体的には書きませんけど「これは事実なのか」と詰めたら事実だと押し返せるんでしょうかってのが結構あるように思えてきます。これはフィクションですとは謳ってませんから事実だと言ってるのと同じでしょうが事実を元に話しを膨らませてるとしか思えない部分を感じます。まあ足利尊氏や源頼朝の肖像画だと教わってきたものが最近の調査でひょっとしてとかになるくらい歴史に真実なんかないんだから想像を膨らますしかなかろうと達観されておられるのかもしれませんが。

別に権威を求めている訳ではないのですが、素人からみてもホントにそうなのかそんなこと言ったのかとかいう疑問を抱く作りはなんだかなあです。始めにきちんとフィクションだと謳ってくれてればあれですけど。そりゃあ確かに重厚な作りで嘘八百というのよりかは騙された感は少なくて済みますけどね。某国営放送に求められるのは信憑性であってあたかもな華やかさでは決してないのでは。

こうした違和感を覚えてるの自分だけかしらむと不安になったのでネットで調べてみたら対某国営放送に対して同じ表現を使われてる方が結構いらっしゃったのでホッとしました。

もちろん○HKスペシャルのようにまだ健在な番組と映るものも在りますので全否定してる訳ではありませんです。例えば「後藤新平」の台湾総督府時代での一面を見たりとかで見応えがありました。国営放送なら民放とは異なる役割があるのではと。後塵を拝してまで倣う(競う)必要がどこにあるんだろう。コマーシャルばりの番組宣伝流したり。もちろん某国営放送側にしてみれば機を見るに敏なりということで時代を読んでということなのでありましょうが方向性がそれでいいんだろうかと。足並みそろえたところで経営の体型が異なるんだから孤高ながらも我が道を行く方が無理は生じないのではと思えてしまいます。

尚これは最近民放とのコラボ番組が生まれてることへの批判を含んでいるのではありません。商売上二の足を踏むようなこと(視聴率)でも某国営放送ならばこそそれに惑わされずに為しえることがある筈で、目的が異なる道を進むも否定しあうことなく双方の弱点を補う関係でたまには同席してまずは一献とかがあることは悪いことではないのですから。お祭りが得意な民族と日常を得意とする民族が出会えばそれぞれの特徴がより鮮明になるでしょうし。歩み寄る手段は本質を変えてまで右に倣えをすることではないでしょう。言い方を替えれば染まる必要があるのかということです。

 話し飛びますが、受信料なるものを年貢のように徴収しておいてまだなおデマンドとかを使用するにおいては別途金払えというのは、これはもしかして第二の漢検か?儲かるならええじゃないかという風にも思えてきてしまいます。そんなに集めてどこへ行く。

もっともテレビが家にあるならNHK見てる筈だから金払えという口上を失くす為に年貢制度を廃して今後視聴希望者のみが番組別に受信料を払って見れるようになる準備というか前段階だというのなら話しは別ですけど。そうなれば殆ど観てもいないのに高い金払わなくて済む出費のエコにもなるし。番組ごとの課金ということにしてくれたらいいのにな。話しが飛ぶ前の話しとは相当矛盾してますけど。

つまりが伝えることが信頼性のあるものでなければ国営放送の意味がない。それを希釈してまで面白い番組作りに励むと言うのなら課金性にて勝負して興味のない人からのお金で賄って欲しくないということです。

いまのところ出来事(ニュース)の信憑性と「共通語の見本」であることが某国営放送の最大の価値かなと私は思っているのですが。それが薄れるのは好きくないところです。

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*まぶさす・まぶさる

「まぶす」・「まぶせる」は共通語だが「まぶさす・まぶさる」は方言だろうという事で記載。

「まぶさる」はまぶされているとでも訳せばいいのだろうか。まぶしてあるでもいいか。「まぶす」は「塗す」と漢字で書く共通語であるが、「まぶさる」という表現はさすがになかんべえやということで記載。「~さる」という表現では「とんまさる」(捕まる)・「かぶさる」(これは標準語か)とかと同じ使い方で、「しくさる」(やりゃぁがる)・いいくさる(言やあがる)とかとは異なるものである。

「さる」がすでにまぶしてある状態を指すのに対して「さす」はこれからまぶすという状態を表わす。

例文

「こないだ喰った饅頭旨かったにい。」

  (こないだ食べた饅頭美味しかったよ。)

「どんな感じよ。」

  (どんな味?)

「黄な粉まぶさってて、甘過ぎずでえ。あんこまぶさしゃあともっと美味いかもしれんにい。」

  (黄な粉がまぶしてあって甘すぎない感じかな。あんこをまぶせばもっと美味しいかもしれないよ。)

「いんやあ今で十分甘そうでえの。わしだったらあんこじゃなくて醤油まざした方が旨そうだやあ。」

  (ん~それだけで十分甘そうだなあ。俺だったらあんこじゃなくて醤油まぜた方が旨そうだけど。)

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暦(こよみ)を追加

 2009/4/20。きちんとした名称は「日めくりカレンダー」。追加した。その代わりに標準装備のカレンダーを外してみた。

アルカナで対戦すべく色んなブログにお邪魔しているうちにこれを貼っておられたブログを見て即「欲しい」と一目ぼれ。どこで作られたブログパーツかよく調べもせずに貼り付けた。色味は少しグリーン基調のブログとはバランスが合わないけどまあしょうがないか。

貼り付けた後にどこのだろうと思って確認で再度そこのサイトにいったら「Casio」という文字があった。

貼ってあったブログの管理人さんになにかひとこと伝えたほうが良かったと後になって気づいたがすでに遅し。わかんなくなった。なんでここに書いても伝わらないだろうけどとにかく御礼申し上げます。

「ありがとうございました。粋なブログパーツ私も欲しくなり即使わせていただきました。」

 反省点。今後こういう挨拶すら出来ない(しない)無礼な真似はせぬよう慎まなければ。

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*きよる

あいつが持ってきよる・電話してきよる。

使い方としてはこうであるが、じゃあ「きよる」ってどういうニュアンスなんだと聞かれるとはたと説明に窮す。

「きてくれる」ほど丁寧(感謝)でもないし「きやがる」ほど横柄(余計な)でもなし、単に「きた」では味気ない。少なくとも上から目線と取られるので知らない人とかに使うと偉そうにと思われるので使い方には注意が必要な言葉ではある。

「来て寄る(寄こす)・拠る・因る」の短縮で「きよる」とも勘繰れるが根拠は非常に薄い与太話し。

じじばばの「この忙しいだに孫が電話してきよる。」といった表迷惑内心嬉しいみたいな使い方が多いのであろうか。

他の言い方だと「持ってこす」・「電話してこす」(~くる)・「持ってきてよこす」・「電話してよこす」(~してくる)・「持ってくらっしゃる」・「電話してくらっしゃる」(~してくれる~して頂いた)・「持ってくりゃがる」・「電話してくりゃがる」・「持ってきてけつかる」・「電話してけつかる」(~しやがって)・「持ってきてけつかりゃあがる」・「電話してけつかりゃがる」(~してきやがる)などなどがある。

ちなみに「きよる」だけだと「着よる」と「来よる」のどちらとも聞こえるのであるが今話しているのは「来よる」の方。

例文

「なんでうさぎさんあっちばっか行ってこっちこんの?」

「餌とかくれてるもんであっちい行きよるだらあ。」

「なんかくれるもんないだけ。」

「ねえの。」

「そうだ。おべんとに人参入ってたでそれくれりゃこっちきよるらあ。」

「やあばかっつらあ自分嫌いで食いたくないだけじゃんか。そんな言い訳通用しんでねえ。」

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ぼくの妹 その1

 15分拡大の第一話。なかなか先の読めない展開のようです。妹の窮地を兄が救い兄の窮地は妹が救うお互いがお互いを助け合ってといったお話しなのかなと思いきやそんな能天気なお話しではなさそうでした。これは愉しめそうです。

 実況中継的な感想で書くと(もちろん観た人でないとなんのことか分からない書き方してます)

きったねえ部屋だなあやあ。食いもんくらいは清潔でないとかんら。でもらしいっちゃあありえそう。清潔感より逞しさ優先ってキャラに長澤さんは違和感ないぞな。褒め言葉になってないけど。で彼氏を紹介される訳ですけど選ぶ基準が面食いじゃあないんだろうなとは分かりましたがホント超現実主義なんかなと。

おにいちゃん(オダギリさん)と里子(ともさかさん)との出会いは痛い出会いだなあ。で、成り行き上弁償って。いくらだろ高いのかな。ん百万とか吹っかけられてんのかな。45万?ん~ビミョー。出しますと決意するおにいちゃん。でも残高・・足りない・・これまたビミョー。医者=金持ちっていうイメージは改めないといけないんだろうけど24時間戦えますか的職業で金使ってる暇すらないんだろうから普通以上にはあるだろうと思うのはまだ修行中の身というのを自分が考慮にいれてないせいなんでしょうね。

でも行っちゃった。受け取らず。なんかいい人なんかしら里子は。

その後兄弟が出会うとこで、なけなしのお金が入ってる封筒がポケットからはみ出ていていまにも落ちそうで。おいおい落とすんじゃないだろうなとハラハラ。妹(長澤さん)にかっさらわれたとはいえ落とさず済んでよかったと。

おにいちゃんが瀬川のところに会いに行くとそこには奥さん(砂羽さん)と子供が。おお!遠州人がふたり出てるのかこのドラマ。不倫相手と本妻という設定だから同じシーンってのは殆どないんだろうけど撮影中の待ち時間とかで遭ってたら遠州弁だあだあで話したりするんかな。

瀬川(田中さん)の事務所を出て外でお話しをというシーン。あの背景って「流星のきずな」の「ありあけ」によう似てたなあ。いくらなんでもそりゃないかな。気のせいだろな。

そのあとおっかないさん達と談判しに会いに行く訳ですが、その落としどころが奇遇というファンタジーでけりつけるのは。まあその道のお方に食いつかれたら死ぬまで尻の毛まで抜かれそうなんでこういうエピソードを長引かせられるのは好きくないのでOKなんですけど。いづれにせよ金に絡む話しだと大抵そういう職種の方が出張ってこられる状況が多いんでそいうのは見たくないから厭だな。

夜桜が見れる橋の上でのシーン。「長澤まさみ」は昼と夜でがんこ顔が変わるなと。もしかして眼がよかあないもんで昼はひづるしいんで眼えぱっちりできんもんでかなあ。夜の方が映えるとなると夜の女性を演じるのが主になっちゃうんかな。

これで今回は仕舞いかと思いきやまだあった。しかも合体シーンまでついて。隣の陽気な声が聞こえる中で合体に勤しむのって乙なんでしょうかねえ。「ラ・マン」を一瞬イメージしてしまいました全然関係ないけど。それにしても出遭って直ぐにという印象ではえ~なあ。赤い糸でも見えたんでしょうか。

その後の流れはミステリアスでした。たんなる感情の行き違いというより事件性すら感じる不可思議さでした。「300万貸して」という辺りからサスペンスタッチとも呼べそうで45万の一件での誠実そうな印象から一変してなんでこんな嘘を?というのは頭爆ぜそうです。しかもおっちんじゃうし。次回に進まないと訳分かりません。私に分かることはこれはコメディじゃあないなと。

ってな感じでしょうか実況すると。

最後はどういうエンディングが待っているのかというか何をしようとしてるのかさっぱり先が読めません。単純に考えれば兄は父のように田舎の町医者としての人生に憧憬があり、妹はお金を貯めて家を建てる。というそれぞれの夢の実現がということなんでしょうが。そうは問屋は絶対卸さない勢いを感じます。

それにしてもこれは面白そう。何が釣れるのかさっぱり分からないけどとにかく竿から伝わるピクピク感(あたり感)を感じます。目線的にはナレーションもおにいちゃんだからどうしてもおにいちゃん目線で観ることになりそうなのでなにかに巻き込まれて往生する展開なんでしょうか。

田中さんと長澤さんのコンビもなんか相性良さそうに映るし、兄弟ふたりだけの心のやりとりといった狭い領域での物語ではない広さを感じてどう膨らんでいくんだろうこの物語はという期待が湧きますです。それと「長澤まさみ」を応援する身としましては久し振りに身が入る内容のようでもあります。

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*あんたさあ

「あんたねえ」は親しい人とかに遠慮なしにいう表現であるが「あんたさあ」の場合それ以外にも若干言いにくいことをいう時と頼み事とかを言うような場合にも使われる表現。二つの違いは共通語の「あのねえ」と「あのさあ」の違いみたいなものか。

これと同様の野郎言葉は特になく男女兼用言葉であろう。何故「あの」を「あんた」にした方が言い易いのかはよく分からないが「あのう」とか言ってるみたいでなんか恐る恐るみたいな伺ってる印象になるのが厭なんだろうかなという気がしないでもない。

個人に言うだけでなく多人数に対し言う時もありその場合は「あんたらさあ」となる。

*「頼みがあるんだけど」

「あんたさあ。悪いだけど行ってきてくんない?」

  (あのねえ悪いんだけど行って来てくれないかな。)

「さあ」の「あ」(語尾)を強く言うことが多い。

*「はっきり言うけど」

「あんたさあ。ここんなにせいきたよお。」

  (あのなあここに何しに来たんだ?)

「さあ」の「さ」を強く言うことが多い。

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帰ってこさせられた33分探偵 その4

 もう仕舞いかい。あ~あってな感じですな。ゴッドハンド輝での水川さんと33分探偵での水川さんのギャップが愉しい土曜日というのも僅か2週でちょんとは。

まあ根拠がある訳じゃないけどまた観れると信じてますけど。

とりあえずは、愉しまないと損だよねっ!って、みんな知ってるってか。

ああ眞島さんだあ。岩松さんも出とらす。ふせえりさんは?って流石にそれはないか。絶対音感ネタは最高でしたね。もう嗤いっぱなしでしたわ。なんでもかんでも絶対音感のせいにする強引さが岩をも通せば無理も通る勢いでありました。

それにしても岩松さんが容疑者やるとホントいかがわしい、いやさ、疑わしく見えてくるからあら不思議。結構根が優しくて穏やかでいい人って設定の役をよく見るんですが、でもなんか人癖というか一物もってそうに見えてしまうのであります。

 それにしてもいつにも増して役者さんにお任せって感じのシーンが多かったように感じました。個人的好みの問題ですけど、どちらかというとアドリブ(即興)メインよりきちっと練り上げた芸としてのコメディであって欲しいです。アドリブはあくまでアクセントであって欲しいなと。お約束のギャグは繰り返す以上腕がなければ飽きてしまいますから即効性のアドリブよりもジワジワと沁みてくる技術で磨いて欲しいなと。

 ところで次はいつなんでしょうね。

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*葬式饅頭

 葬式饅頭そのものは別に遠州独特の風習ではないのだが。しかしながらその姿かたちは地域によって異なるものらしい。ちなみに葬式饅頭はうちの集落では葬式で隣保の人達にお手伝い頂きご苦労様でしたと配るもので、香典返しとかで貰うものではないような気がする定かではないが。

体験談としての話しなので遠州じゃこうだと断定する訳ではないが私の知る葬式饅頭はどこが饅頭なんだと思えるものである。

というのも、その実態は小判をでかく膨らましたカステラにしか見えない。それも配られて直ぐはそうでもないが日にちが経つとかっちかちのパッサパサになるもの。上表面中央部に大雑把に砂糖液をどろりと垂らして固めてありそれで甘さを感じろといわんばかりで中身は非常な薄味というものである。砂糖ではなく昆布?がかかってるというところもあるらしい。

しかしながら味覚的に私のヒットするところであり非常に好んで食べてた。美味しいのではなく飽きが来ないもので人にお勧めできるものではないが自分は好きだ。ちなみに私のお気に入りの食べ方は何日か暫く常温でほっぽらかいといてよりかちかちになったところで歯で引きちぎりがつら下にカスがぼろぼろ落ちようともとんじゃかなく噛まずに口の中に含んだまま牛乳を含み飲みして口の中でふやかしてから咀嚼するのが悦というもの。

正式名称はなんて言うんだろう。「カステラ饅頭」かなと想像したがそれは「松菱饅頭」のことであるらしく違うみたいだ。「かたパン」というところもあるらしい。イメージは確かに!である(全国的にいうところの堅パンではない)。でもあれパンか?やっぱカステラじゃないのか?謎の多い食べ物である。どこで作ってるんだろ。それさえ分からない。ネットではま~つで売られてる「かたパン」なるものの画像が載ってるブログを検索して見たらやや三角のものでほぼ私が言っている「葬式饅頭」に近いものであったがあれじゃない。近いけど。

試しに職場の連中に聞きまわって尋ねたらはま~つ全域での風習ではなく普通にお饅頭が配られるとこもあった。もちろんそんながんこの人数に聞いたわけじゃないので信憑性は薄いが。

なんか説明記事というより情報求む記事になってしまったが、きちんとした説明できるサイトとかどなたか教えてつかあされや。

知りたいのは

この葬式饅頭は、はま~つだけなのか。

いつ頃からこれが出されるようになったのか。

どこで作っているのか、買えるのか。

正式名称はなんなのか。

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