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コンケルドのテーマ歌詞を勝手に改

 あくまで冗談です。ただ単に頭に浮かんだんで書き留めただけで何の意図もございませんです。

 ダダ!コンケルド

 いわゆる闇をとんまして

 でえふくほかいて解決でえ

 快調落胆空をきれ

 ど消沈は膿を吐け

 失恋変身恋駆けろ

 やぼったいの飛んでけ いやったいの飛んでけ

 しめぼったいの飛んでけ くらぼったいの飛んでけえ

 コンケルド~♪

なんか途中でバベルの塔が見えてきてしまうのは私だけなんでしょうかと不安になるコンケルドのテーマソング。なんで少し合体さしてみました。もちろん超字余りで唄には乗れない。

しぞーか限定のコマーシャルならだあだあの方言にすればいいのにと思わないでもない。でもまあだいぶ方言違うからなあ伊豆と遠州じゃあ。やっぱ無理か。

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湯けむりスナイパー 第一話

 金曜の夜はオールナイトだわ。駄目元で録っておいたテレビ愛知での「湯けむりスナイパー」の第一話。天候の具合が良かったのかなんとか見れる範囲で映ってましてがっついて観ましたです。で、夜更かしもいいとこになってしまいましたが本望ですわ。期待通りに面白いっす。オイッス。

殺し屋としての潮時を感じつつ所用で訪れた喫茶店にて運命に吸い寄せられるように旅館の道を見つけ踏ん切りをつけた後、時間が飛んで働き出してから一週間が経った所から物語が回り始めた訳ですが、欲を言えば面接とか旅館の従業員さん達に紹介されるとかの初めて出会う辺りの「始まり」というか「第一印象」の反応を見たかったなあ。宿で働くおかみさんも番頭さんも数多くの人を見続けてきた人を見る目の肥えたお方でありましょうからどういう印象を持ったのか知りたかったなあ。興味本位ですけど。

 第一話での逸話そのものはふたつあって。最初は、たかりくるダニの駆除。

前世を隠して生まれ変わらんと源さん彼の地に訪れしものと思いしが、正道の鉄槌を周囲の眼を気にせず行なうは。当人も「まだ引き摺ってる」みたいに申しおれどさながら用心棒を新たに雇いし様子に映りたり。まあ訳ありでここに働きに来たんだろうという雇う側の配慮もあったんだろうけれど、三流とはいえ身も心も庶民とは違う人種をコテンパンにしてしまう様を見てこいつ大丈夫か?我が身にも火の粉がかかりゃしないだろうか?とかいう意識が湧き出でたりしてきやしないのかなという一般ピーポの防衛本能が働かないんだろうかという気になりました。しかしながらそんな危惧はどこへやら普段通りに接するは「このことは御内密に」と口止めはなされておりしが内実知りたるおかみさんと番頭さんは源さんをどう思っていたんでしょうか。一応無事ダニの駆除が出来てよかったよかったと喜んでおられたけれどそんな能天気な玉には思えない海千山千の筈なのにねと感じました。「知っているのに知らんふり」っていう大人の対応なんでしょうか。おかみさんも番頭さんも大人だぁと。

 そして今ひとつは、倍胡坐と思しき錠剤飲みて活力増進。老いを座して待ち枯れを迎えんとするに抗う様のお客三人組。二人は嬉々とし一人は粛々とす。それを目撃せし源さんの心境や如何に。

秘境のと冠が被せられてはおれど、此処に誘われし人々は多種多様な想いを抱いてやって来る。それに対応すべくささやかなシステムが存在しそれを知りなんだかなあと感じる源さん。ストイックというか我が身を律して今までを生きてきたようで決して今まで刹那的に生きてきたんじゃないんだなというのがよく分かる景色でした。「恥じのかき捨て場」。それをサポートする側に立った源さんの素朴な疑問をぶつける相手のおじいちゃんとの会話の図式。答えがあったようでなかったみたいなすんごい漠然とした感じがなんか知らんですけど良かったです。そんなポンポン答えが出てくる人生なんて非現実的になっちゃいますからね。ここは余韻を味わって反芻してこそのものなんでしょうね。根無し草のように生きてきた源さんが大地に根をおろして逞しく清濁併せ持って生きてく庶民を視てどう感じてくのかが愉しみであります。染まるかどうかはともかくとして。

 どちらの逸話に関しても関わってくる相手は役者さん?エキストラさんじゃないのと思えてくるような豪華ゲストではないお方。それと遠藤憲一さんやでんでんさんがお相手いたすって構図はメリハリが増してていいですな。最近ゲストが豪華すぎて喰われてると感じる作品が多々見受けられますのでいい感じです。

なにはともあれとにもかくにも刷り込みさせたいのかと思える程Cm明けとかオープニング・エンディング映像で殺し屋当時の姿がこらしょと映し出されるのは食傷気味な感じがしました。それとも毎回過去を引き摺らざるをえない切った張ったの模様がくりひろげられるということなんでしょうか。それはちょっとでありまして。やっぱ普通に生きる良さの再発見を提示して欲しい感じです。源さんの武器は昔取った杵柄ではなく凡てが新しいと思えるフレッシュさでありましょうから。

音楽との相性が良さそうでした。それとエンディングのスタッフロールが縦書きってのもよかったです。後はもう電波の入りが毎週金曜日の夜だけでもいい事をと願うばかりであります。

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就活のムスメ

 しぞーか県は東京よりか何週か遅れての放映でありまして。ふんだだもんで4/3に観れただよを。面白かったです。観れてよかった。

最初テレビ欄でタイトルをパッと見た時「就活のススメ」かと貫地谷がい(勘違いの苦しい駄洒落です)してしまひました。学問のススメに遠目になにげなく掛けてるんでせうかね。もちろん当たり前のこんだがしほりん出とらすもんで観る気い出ただよ。

 ってなおふざけ気味の感じで観始めたんですけどい~ですわ。いいですわとにかく。面白くやがて儚きものなれど目覚めし乙女前を向くって感じで。お笑いだけでなく努力と葛藤の果てに働く理由の答えを導き出すというまでの流れがとても良かったです。

もう貫地谷ワールド全開と言うかしほりんでなければ成り立たない勢いで、もししほりんじゃなく他の役者さんだったらどういう雰囲気のドラマになっただろうかな?とかいう邪念の入る余地のない唯一無二のしほりん世界で満喫しました。あくの強い役者さんに対しても臆することなく渡り合い、シビアな核心の部分では眼力が冴え渡り凛とした空気感を醸し出す。まさに硬軟併せ持つしほりんの魅力全開といた感じでありました。無理も無茶も現実もおちゃらけもきっちりこなす幅の広さはさすがしほりんといったところでしょうか。大変満々にこの世界を漫遊満足満喫しました。欲は果てしなくあるんで満点とは言いませんが。

 お話しの流れも凝っていて、傍目から見ればまだ就職活動中であってなんら始まりと状況が変わってはいないという落ちなのにとても爽やかな後味の余韻が湧いて来ますです。最終面接に間に合うのかというハラハラ感もあってスピーディでした。

「警官の血」では、年齢さば読みの大役を担ったともいえる訳でありまして。ガールズの中において真っ先に実年齢より大分上までを演じられておられました。樹里ちゃんにしてもユイカやひらっちにしても実年齢近辺に沿った役柄をきちんとこなすいわゆるリアルな自分と役とが始めからある程度リンクしている部分を有している上での役作りに勤しんでおられる中で一番手として実体験が存在しない役を作り上げておられていたのですが。

この作品ではきっちりと自身とリンクしてるかのような等身大の役を演じられておられてました。どっちもええぞという感じでホント幅広いです。各シーンでの顔の表情も豊富でコップの水飲むのにコップを持つのではなく顔を持ってくとこが個人的には一番の壷でした。1時間の枠の中での成長記でありますので多少変化のつけ方が急だなとは思いましたがそれはしょうがないところでしょう。欲を言うなら2時間枠で観たかったなあと。

 いいセリフもたくさんあってうんうん得心でした。

「馬鹿ってのは人の気持ちの分からない奴のことを言うんだ。」というラーメン屋の主人の言葉は確かにっ。ホントそうですわ。最近、江戸時代の庶民をマンガにした漫画雑誌とかが出ているのも「人情」の有り難味にみんな気づき始めてるのかもしれないなと。

働く理由を見つけた時の鈴木さんのセリフも良かったですなあ。でも鈴木さんって何者?ま、謎のままでもいいんですけどね。でもとても気になります。このシーンでの会話のやりとりは大変充実していて大魚を逃してまだ就職できない状態に逆戻りだけれど逆にとても明るい未来が開けていそうな予感がふつふつと湧いてくる感じでありました。どういうことが話されたのかは観た人だけが受け取るべき果実でしょうからここで書くことはしませんが、世代に関わらず響いてくる働くことの意義を述べた含蓄のあるいいシーンでありました。

多少おいおいなのは火事場の髪の毛でしょうか。でもせっかく苦心して取って来たのが暖簾じゃなくて法被というのは意外な展開で笑えましたけど。意外といえば、もしかしてなんか奇跡が起きてあの会社に就職するのかなと思ってたんですがそんな世の中甘くない展開であったのも意外でした。ハッピーエンドの持って行き方が結構シビアでしたがそれでも明るいというか勇気を貰えた終わり方でありました。まあ研修中の仕事の頑張りという下地が見えてたからやればできる人だと思えますんでそういうとこからも安心感が湧いているのかもしれませんが。

今のところ今年観たテレビドラマの中で一番印象深いドラマです。良かったですわ。

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*つったってねえ

そんな事言ってもねえという意味。

突っ立ってないでとかいう意味ではない。

反論をする際に使われる。より強く反対するような場合には「なにゆってるよを」・「あんたなに寝言こいてるよを」とかを使う。弱めにする場合は「ほんでもねえ」・「つうかやあ」。

例文

「はあ、たいがい済んだらあ。結構早く済んだなぁや。あたぁちゃっと片して帰らまいか。」

  (もうだいたい終わっただろ。思ったより早く済んだね。後はそそくさと片づけして帰ろうよ。)

「つったってねえ。時間までおらんとかんらあ。」

  (そういうけどねえ。時間まではいないとまずいだろ。)

「いいじゃん別にい。固いこと言うなやあ。」

  (いいだろ別に。固いこと言うなよ。)

「なんか忘れちゃいんだか?こんな早くに終わる訳ぁねえら。」

  (なんか忘れてるだろ。こんな早く終われる訳ないって。)

「ふんだだこたああらすけえ。腕んよかっただあれ。心配しくさらんでもいいって。」

  (そんなことはないよ。腕がよかったの。心配しなくてもいいって。)

「そをゆう問題か?」

  (そういう事で済むのか?)

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娯楽仮面コンケルドはコンコルドになれるのか?

 というタイトルがぶってあるものを見ましたが、あれ?です。シーズンⅡの⑦から繋がるにしては若干繋がらないような。番号も⑥とも⑧とも打ってないしシーズンⅡの表記もないし。もし⑥だとしても繋がらないもんな⑦には。それに腕組んで歩いてたのミドリさんのようでもあり違うようでもあり。でもOLのお姉ちゃん二人が踊ってたものにはシーズンⅡ表記なく番外編という扱いしてる訳だし。これも番外扱いなのかしらむ。

コンケルドの装束から判断するともしかしたらこれって去年見落としたシーズンⅠ?の⑥なのかな。だとしたらこの展開はやはりあそこに行きつくのかしらむ。

⑦で終わりってこたあないとは踏んでいたけどこういう風にもし繋がるのなら歓迎すべきことなのかな。あまり好きな幕引きではなかったけど演じられた役者さんの意思を想うと世に出すべきだと願っているのでやっぱこれでいいんだよな。

もしそうであるならばよくぞという思いで声援を送りますです。

それともただ単に去年見落とした不運を哀れんだコンコルドが神のお告げとして再び見るチャンスを与えてくれて放映してくれたのか。まさかタイムスリップした訳じゃないだろうな。そう考えると確かに何も進歩してないもんな自分。一年リセットしたんだろか。でも戻ってやり直したいことはあまりないしなあ。

株が大暴落する前に売っ払っときゃよかったかなって・・・株元から持ってないし。意味無いじゃん。

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なんだかなあ21 美味しそうじゃないですか

 「これ凄く美味しそうじゃないですか」

別に間違った言い方ではないんでしょう。でも「ない」と否定する表現があると「美味しそう」を打ち消してるみたいに感じられてなんだかなあな気分になります。

 「これ凄く美味しそうじゃありませんか」

って言い方の方が無難のような気がするのは気のせいでしょうか。もっとも「~そうじゃない」(~みたいですね)という言い方でひとつの形を成しているのだとしたら「~そうじゃあり」という言い方に違和感はありますですな。

でも、「じゃ」(じゃあ)という言い方は砕けた言い方であって「では」が本来なのではと考えれば

 「これは大層美味しそうではないですか」と言うより「これは大層美味しそうではありませんか」という方が無理なく聞こえます。もちろん感覚的にそう思えただけで国語として正しいのかは知りませんが。

もっとも「美味しそうじゃない」の方が想像してた以上に美味しそうというニュアンスには聞こえますですな。「美味しそうじゃありませんか」だと見た通りという感じには聞こえますからインパクト勝負なら「~じゃない」という方が惹きつけられるのかもしれません。

テレビで食べ物歩きをしてのコメントでかく使われていたのが気になった次第で。

因みに遠州弁だと「これどうまそおじゃんかあ」・「やあこれ馬鹿美味そうだなあやあ」・「美味そうやしい」とかの言い回しになり「ない」的な表現にはならないです。だもんでひっかかるだかいやあ。ホントこの言い方で間違っちゃいんだろうけどなんかね。

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*うそだらあ

「嘘でしょ」という意味で別に方言という訳ではないであろう。な訳ないか。

多分このイントネーションを理解・発音できるのは、正真正銘の遠州人しかいないであろう。ある意味クイズみたいな文章になるやもしれぬが勘弁してくんなまし。

*ホントの話し?という意味。マジ?と同じ意味。「うそっ!」と省略しても可

「う」と「そ」にアクセント。びっくりしたというドッキリにかかった感じで言う。

「あれ!ともちゃんは?」

「先行くって。」

「うそだらあ。随分じゃん。」

*冗談はやめてと言う意味。共通語だと「嘘でしょ」。「うっそだあ」と省略しても可「馬鹿こいちゃかん」という表現もある。

「だら」にアクセント。勘弁してくれよという感じ。

「あれ?あんたはあ帰ったじゃないの?」

「「うそだらあ。ここにいるじゃん。」

*本当かよと言う意味。「うっそお」と省略しても可

「そ」にアクセント。間違いじゃないのかと確かめる感じ。

「はい今日のお手当て。ただし昼飯分は抜かしてもらったでねえ。」

「うそだらあ。勘弁してやあ。」

って書いてるこちらもこんがらがってきた。

*嘘だろ多分とかいう感じの場合には

「うそだら」となって語尾は伸びない。

「先行くって。」

「うそだら。んな訳ないじゃん。」

*ひどいなあという否定する場合には「うそだらあ」は使われない。

「うそこけ」・「馬鹿こいちゃかん」

「あれ?あんたはあ帰ったじゃないの?」

「馬鹿こいちゃかん。ずっといたわ。」

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湯けむりスナイパー観てえなあ

 静岡県ではテレビ東京は映らない。だもんで「湯けむりスナイパー」が観れやせん。ふんでも電波の入りが悪くてどんぎたないけど無理こきゃあテレビ愛知だったらなんとか見れる。だけど殆ど防犯モニターチェックみたいな程度で「観る」とかいうレベルの画質ではない。

「オススメ・見どころ」と銘打った番宣番組を試しに見てみた。ほいたらやっぱ観たくなった。

観てえなあ。

原作はマンガというか劇画。読んだ事はないのでまっさらな気持ちで観れるんだけど。その設定と登場人物のキャラが動く様を想像すると益々観たくなる。

なにが面白そうかと言ったらそりゃ役者さんも粒ぞろいだしというのもあるけれど、普通でない人生を生きてきた人(元殺し屋)がごくごく普通?の世界(温泉旅館で働く)に舞い降りて普通だったらあまりにも普通過ぎて無感動に通り過ぎるようなことにも新鮮に感動していくといった、ある意味初めて出会うかのようなピュアさゆえに気にも留めない普通であることの感動を発見する様を通して見てるこちらも再発見するとかが出来そうな気が。

それに、ちょっとした健全なお色気もありそうだし。とにかく眼に映りにくいであろう穏やかとはなにかとか平和?とかが見えてきそう。なんて妄想が膨らんできてしまう。

あ~あ観てえなあ。きちんと。

ところで話し変わるけど、どえらい久し振りにテレビ愛知見たけど深夜帯ということもあってかすんごい名古屋のコマーシャルばっかでクラクラした。全部がそうだとは言わないけれど、味噌煮込み並に味が濃い。土着性がつおいと書いたら怒られるんだろうかな。「たあけえ!おみゃーさん遠州の田舎ごときの分際でえ名古屋馬鹿にするたあエエ根性しとるだがね。」とか言われかねない。ま、なんしょ県民性ががんこ違うのは確かだでねえ。否定する気はさらさらないけど、なんしょ馴れるに時間要りそうだわ。

ほんでも、いざキャバクラへとか楽しいめに会おうとかもそうだけど、森永の大樹の小枝なんてのも初めて見た。全国展開してる企業のCmでも地域によって変えてるのかしらむ。なんか名古屋っぽかった。あ~、でも森永のCmって静岡県じゃあんまし見ないなあ深夜帯でなんかでは特に。たいてい金ちゃんかコーワだもんなあ。

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なんだかなあ18

 基準がよく分からないもの。つまり本当は違うんだろうけど現実は言ったもん勝ちみたいな価値のもの。

芸能人(といっても限りなくアダルトの方だけど)

 アダルトなDVDの類で最近頻繁に使われる表現。ところが正直聞いたこともない方ばかり。もちろんアイドルとかバラエティとかグラビアとかに造詣はなく私の無知によるせいでありましょうが。それにしてもなんだかなあという勢いを感じます。

一体全体何を以って芸能人と為すか。芸能事務所に所属すればとか確定申告で職業「芸能人」と書けばそうなるのかしらむ。大昔は天地○理さんとか伊○咲子さんとかといった誰もが知る歌手の方が変身されてロマンポルノシリーズに参戦されたこととかあって、そういうのに「あの○○がついに・・・」とかいう形容詞がつくのは納得してたんだけど。最近は「あの」という「あの」が知らないことばかり。コマーシャルに生ける書き割りで出た程度で「あの」と付いたりバラエティのアシスタントとかでチラリ映ってられたくらいで「あの」と冠がついてたりはなしだと思うんですけどねえ。もっとも清純派という種族(作為的なものであっても)が絶滅した今ではどなたが転進されても大層な驚きはないですけど。

まあ自分を芸能人だといちいち称す事自体自覚というよりも整形や年齢詐称と同種のような理想を追うあまりの誇大な表現かもでしょうけど。どちらかというと付加価値に弱い私なのでつい気をとられてしまうのですが。看護婦やスッチャーデス・素人とかのなんちゃってモノ(本物だったら自爆行為だから嘘と知りつつ合点がいく部分)とは異なる感覚がありましてこれだけは看板に偽りなしにして欲しいものです。

アダルトな世界から年齢制限の存在しない世界で有名になる道を否定するものではありませんし、又その逆を都落ちだという気も毛頭ございませんですがなんだかなあです。今は何事にも多様化が進んでいてそれこそ大昔の「スター」といわれる人は唄も芝居もバラエティもといった八面六臂を求められてかつ棲息個体数も限られていたのですが、最近はそれぞれのスペシャリストが軒を重ねる専門店が増えて生存できる数もエリアも多いのですが。決して粒が小さくなったとかいうつもりはないんですけどそれにしても知らないなあと。

女優(こちらは多少まともなお話し)

 ベタなセリフでよく使われる「私は女優よ」とプライドと誇りを虚しいことにかけてる儚さを表するセリフがあるけれど。役者とどう違うんだろ。女優の対の表現として男優というかと言ったらは普通言わない。

その人が出るならと映画や舞台とかを筋書きは二の次でとにかく観に行こうという気にさせる。そういう牽引力を持つ人が「女優」だと以前はそう思ってたんですけど。それだとファン心理とどう違うんだということになってその考えはご破算にしました。別にタイプの容姿されてなくとも(つまりファンじゃない)惹き込まれるお芝居を観たいと思うことがあるんで万人に好かれる好き嫌いというのとは違うなと。前はホントそうだと思ってたんですがなんか違うみたいです。

自らの存在そのものがインパクトというのなら自らを消す憑依型の方は該当しなくなる訳だし、技術云々なんぞ素人に分かる筈もなし。作品に対して誠実というのがそうなのかなとも思えなくもない。でもそれだけじゃない。彩を添える華だというのならアイドルとどう違うんだということになる。正直女性から男である私が作品を通して生き様を教わったみたいなことになることはなく。男女の思考回路の違いから感情移入して観るようなこともまずない。

ますますど壷にはまっていってしまっているのだけれどもやっぱ役者と女優の違いが分からない。分からないけど私みたいなド素人からしてもあんな上手くもなんともない人が自らのことを「女優」と呼称するような時には抵抗感を感じることがあるのは確かでありまして。上手い役者さんは「名優」と称されるけど女性だったら全て「女優」と言うのはなんだかなあですわ。まあ「大女優」はうすらほのかに理解出来ますけど。

ホント女優と呼ばれる基準ってなに?自らを女優と称する根拠はなに?そしてそう周囲から言われて許容する(否定しない)理由はなに?商売上の都合というのではなんだかなあですわ。

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*つーこたあなにっ~って言いたい訳?

共通語にすれば、と言うことはなんですか~と言いたい訳ですか?

よく日常会話の中で使われる言い回し。「って言いたい訳」の部分を省略しても意味が通じる場合もある。

例文

エレベーターで警告音が室内に鳴り響く

C「やあ、重いってよ。誰か降りよやあ。」

  (ねえ、エレベーターが重いって言ってるよ。誰か降りなさいよ。)

B「そりゃいっちゃん重量増に貢献してる人のこんだらねえ。」

  (そりゃあ一番重量増に貢献してる人ということになるんだろうねえ。)

A「なによを、みんなしてわしの顔見てえ。つーこたあなにっ?わしんいっちゃん重いで降りろって?失礼しちゃうやあ。」

  (なんで皆私の方を見る?ということは私が一番重いから降りろって言いたい訳?失敬だなあ。)

B「冗談だって。誰もそんなこんおんしゃだってひとっこともゆってもしんにい。」

  (冗談だよ。だれもそれは君だなんて一言もいってないだろ。)

A「ゆっちゃいんくたって眼でこいてるじゃんかあ。」

  (言ってなくたって眼で訴えてるじゃないか。)

C「なんで見てるかっつったら、おんしゃいっちゃん最後に乗っただで降りよやあっつうこんでえ。」

  (なんで見てるのかっていったら。君が一番最後に乗ったんだから降りるべきじゃないのかってことだよ。)

A「ほんだったら最初っからそをゆやあ済むこんじゃん。体重がどうたらこうたらゆうもんでえ怒れるだよ。降りすけどあったあきたで屁えこいってってやる。」

  (それなら最初っからそういえば済むことだろうに。体重がどうのこうの言うから気分悪いんだよ。降りるけど頭に来たからおならしてってやる。)

一同「やあ、馬鹿っつらホントにしてきゃがった。くっせえ~。」

ドアが閉まりエレベーター内の悶絶悲鳴が室外にまで聞こえ来る阿鼻叫喚であった。

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頑張れって難しい

 「頑張れ」という言葉は基本自分に言い聞かせる言葉なんだろうかな。

辞書を引くと「頑張る」とは、「我に張る」の変化したもので、途中に起こる様々な障害に堪えてしなければならない事を最後までやり通す。ということらしい。

つまり「頑張れ」と言われると上から目線で強要(最後までやり通せ)されてる印象を受けることになるのかな。

だから師が言うべき言葉であって、能天気な他人からそう言われるとなんかずけずけと心に入り込まれるようで厭な気になるのはそういう理由なのかな。

「頑張る」だと他人に述べる自らの決意表明みたいになっちゃうもんな。自分が自分に言い聞かせる言葉なんだろうな「頑張れ」ってのは。だからむやみやたらに「頑張れ」なんて他人に言っちゃいけないんだろうな。

 でもマラソンとかで沿道の声援が力になるってよく聞くけど。自分が自分に言い聞かせてるところを「そうだそうだそれで間違ってないぞ」と後押しすることなのかな沿道の声援ってのは。

でも場合によっては頑張ってる人が頑張れって言われるとこれ以上どうせいって言うんじゃと不快に思われる時だってある訳だし頑張ってもいないおめえになんか言われたくないよと思う時だってあるだろうし。

その逆で心が折れそうな人にだとどうかな。お約束のベタだけど山で遭難して「寝るな死ぬぞ。頑張れ」って勇気を奮い起こすことだってある訳だし。

とにかく使いどころが難しいのは確かではある「がんばれ」という言葉は。やたらと無闇に使うとかえって逆効果になる言葉なんだろうな。大抵のことに使える万能な言葉だけどその割には毒があるような。用法要領を守って使用上の注意をよく読んでって使用上の注意はどこにあるんだ?ってな具合の劇薬なのかしらむ案外に。

 差し障りのない表現ってないのかな。ないんだなこれがってなんか山下清調になってしまった。

「それでいいんだ」とか「間違っちゃいないぞ」とか「もうひとふんばり」とかがストライクゾーンに決まればナイスなんだろうけどタイミングが悪いとざけんじゃねえよと打ち返されちゃうからビミョーだよな。

結構会った事もない人からの「頑張れ」と言われるよりも、よく知る人からの「馬鹿だなあお前」の方が余程元気の元になることだってあるんだからよりビミョーだよな。

「応援してます」が一番無難なのかしらむ。別な応援の仕方でプレッシャー与えるというのも声援のひとつなら「やって貰わなきゃ困る」ってのとか「逃げるのか?」みたいなのは直ぐ浮かぶんですけどねえ。それじゃあまりにも酷というもので声援の領域ではなかろうて。憎まれてまで声援送るのは身内や親しい人の領域でしょうから。

つまるところは「頑張って」が無難なのかな。とはいっても「頑張って」だけじゃ言葉足らずだろうから「頑張ってくれると嬉しいです」とか「頑張ってられる姿に勇気を貰えます」とか。

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*ばんげしま

夕方という意味。日が暮れる前なのか後になっても言うのかは不明。つまり何時から何時までを指すのかは私は知らないということ。

何故か私は「ばんげした」と憶えてしまっている。で、字も「晩餉下」だと勝手に誤って思い込んでいた。晩の食事の前かと。

しかしどうも色々とネットとかで調べてみると「ばんげしま」であって字についてもこうであると明確に記載されてるところがない。

「夕餉の支度」(ゆうげのしたく)という表現はよく使われていたのでそれと混同してしまっているのかもしれない。蛇足だけれど朝餉夕餉があって昼餉がないのは昔は一日2食という習慣によるものであろうか。

ちなみに「餉」(け)の意味するところは「食事」という意味だそうである。

「ばんげ」で夕方という表現は古い日本語であるらしく各地方でもまだ生き残ってる言葉で遠州だけに残っている訳ではなさそうである。漢字で書くと「晩げ」となるらしい。ただそれに「しま」が何故くっつくのか「しま」ってどういう意味?とかいう疑問は残るが「ばんげしま」となると遠州や駿河独特の方言ということになるらしい。

接尾語で「しま」様子(さま)の意。というのがあったので「夕餉の様」という意味なのかしらん。

例文については夕方をばんげしまと言い換えるだけなので特に使い方の説明が必要とも思えないので省略いたします。つうかもう普段使ってないほぼ死語だし。

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千里の道も一歩から

あくまで言葉遊びです。冗句です。

「千里の道も五十歩百歩」

一里を行くも千里を行くも踏み出す想いは変わらぬものだ。

「千里の道も一方通行」

行くしかない。後戻りできないということ。

「千里の道も一歩空」

すべての一歩に深い意味はなく振り返って始めて判るものである。気負うことなく平常心で行けばいい。

「千里の道より何千里」

母を訪ねてって凄い距離を歩んだもんだとただ感心するのみ。あれに比べりゃ大した事ないさということを言いたい。

「千里の道も一歩から」

正しい意味は大業を為すにあたり、大きさにすくむことなく小さなことからコツコツと。

大を為すも小を行うも始まりはまず一歩目を踏み出すということ。大だからという気負いも特別な意識も始まりにおいてはそれほど重要なことではないということ。

出自は老子からだそうな。まあ気楽に行こうよということであろうか。

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*こ

共通語でも使われる「小粋・小奇麗・小生意気」とかの「こ」

「小馬鹿にする」とか「こきたない」(以前記事にもした)とか遠州でもよく使われる表現。

ただ、粋が小粋に綺麗が小奇麗という言い方に変わると、「さりげなく」とか「なにげなく」とかいった印象が加味される共通語の使い方であるが。辞書をひくとたいした程度ではない意を表すとある。つまり「ささいな」みたいなものであろうか。

これが遠州弁での「こきたない」とかだとささいな汚なさというニュアンスになるかというとそういう気にならない。私の個人的感覚で受けるイメージでいうと

汚い<こぎたない<こきたない<どぎたない<どんぎたない=ばかきたない

という感じ。この感覚が正当なのかどうかは自信はないがとにかくこういう感覚で自分は使っている。(こぎたないとこきたないはどっこいどっこいではあるが)

この中間の表現で「ばかこぎたない」という言い方はあるが「どこぎたない」というのは聞いたことがない。

余談だが「気味がいい」に「こ」をつけて「小気味がいい」になると意味合いが全く替わるのはなんでだろう。

「こじんまり」はあるが「じんまり」はあるのか。

色々と奥の深い「こ」という表現である。

例文

「やだやあ。馬鹿こっぱづかしいだで人にゆっちゃかんに。」

  (なんだかなあ。恥ずかしいから人に言わないでよ。)

「いいじゃん別に。どうせどっかで知れるだで。噂でなるよかええらあ。」

  (いいじゃないか別に。どうせいつか知れるんだから。噂から伝わるよりはいいだろうに。)

「ほんなら、こむつかしい言い様かなんかでけむんまいといてよ。」

  (それなら訳の分からないこと言って煙に巻いといてよ。)

「そんなのどうゆやあけむんまけるでえ。」

  (そんなのどう言えば煙に巻けるんだ?)

「だもんで野良猫かなんか勝手に入ってきて小便とかしくさってしょんないとかさあ。」

  (だからさあ。野良猫かなんかが勝手に上がってきて小便したりして仕方ないとかさあ。)

「おめえがこきたなくしてるもんでだらあ。畳ん腐ったなんて聞いたこんないだにい。人のせいにしちゃかんて。」

  (あんたが物凄く汚くしてるからだろうが。畳が腐ったなんて聞いたことないんだからね。人のせいにするんじゃないよ。)

「いんや。猫だで人じゃないだよ。」

  (いや。猫だから人じゃないよ。)

「馬鹿かあ。そういう問題じゃありもしんに。」

  (何言ってるんだそういう問題じゃないだろ。)

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へっぽこ

 最近使わないよなあと思える言葉。下手くそという意味であるがこれを使う効能はやはりおちゃらけに聞こえるから多少和みの要素を含むことになる点であろうか。

「へっぽこ侍」とか「へっぽこ医者」とか言う風に職種の技量が伴わないことを指すのであって人格否定にまでは及ばないとこがいい感じなのであろうか。どこかしら憎めない印象も加味される。

書き文字としてはまだ自虐的表現として生きてるだろうけど日常会話においてはもう死語なんだろうなと思える。今の会話でそういう表現だと「へぼ」・「へたくそ」・「くそ」が主流なんだろかな。直球過ぎて角が立ちそう。多少崩して「あの」とか「例の」がいいところかしらむ。

自分が小さい頃は缶けりとかのチームワークを要するような遊びで要領の悪い奴に向かって「このへっぽこ」とか吐き合っていたような記憶がある。直に「へぼ」とか「へたくそ」とか言われたらとげとげしいよなと感じてしまう。

今は直接過ぎる言葉だらけだからこうした和らぐ表現は死語化しつつあるような気がしてくる。それに追い討ちをかけるように禁じ手というか差別用語とかの指定ががんこ増えて表現の幅が狭まってきていては世話がないように思える。だからそこから抜け出したくて若い人は訳分からん短命な言葉を量産するのかな。それとも関西弁のような一見柔らかい言葉が繁栄してきて共通語の利用度合いが少なくなってきたのかな。

少なくとも「ものはいいよう」なんだから安易に「しね」などというのは言葉足らずもいいとこなんだろう。言葉は死語だけど「へっぽこ発言者」は増殖してるのではなかろうかとへっぽこな私は思う次第で。

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*おだやかじゃねーのっ

ただ事ではないねと言う意味。直訳すれば(穏やかじゃないね)となる。別に特に変わった言い回しではないのだが、相槌打つ時に良く使われる表現なので憶えといて損はない。得もないけど。

まあ、広い範囲での遠州弁ということではなくうちらの集落での言い草であろうが。

精神というか心持ちが穏やかじゃないねというニュアンスもあるので、特にとんでもない出来事に遭遇したとか一触即発の状態ということでなくても使う。

例文

「聞いた?○○の奴。馬鹿どんじかられたっつう話しい。」

  (聞いた?○○の奴。物凄い怒られたっていう話しだよ。)

「なによを。聞いちゃいんにい。誰にい。」

  (何それ?聞いてないよ。誰にだよ。)

「あいつんさあ。客から頼まんさったもん忘れかあってほっぽらかいとっただって。ふんで客からどうなっただあっつわれて思い出いただけどはあうっちゃっちゃってて物んなくいちゃってただよ。」

  (あいつさあ。お客から頼まれてた物忘れかえって放置してたんだって。それでお客からどうなった?って言われて思い出したんだけどもう捨てていて物を失くしちゃったんだって。)

「そりゃあ穏やかじゃねえのっ。で、どうなったよを。」

  (そりゃ大事だねえ。それでどうなったの?)

「どうにもならすかあ。えらいさんと行ってひたすら頭下げたっつう話しは聞いちゃいるけどその後どうなったかは知らんだあ。」

  (どうにもならないだろ。偉いさんと行ってひたすら頭下げたっていう話しは聞いてるけどその後どうなったかまでは分からない。)

「ほいじゃあ両方からどんじかられただあ。」

  (それじゃあ両方からきつく怒られたのか。)

「みたいだよ。」

「弁償かあ。首にゃあならんだ?」

  (弁償になるんだろうなあ。首にはならないんだろ?)

「知らんだあ。今言えるのはあいつの机に本人おらんくてクマさん座ってるだけでえ。」

  (分かんない。今確かなのはあいつの机に本人が居なくてクマのぬいぐるみが座ってるって事。)

「それも穏やかじゃねえのっ。クマなだけにプーさん確定ってか。」

  (それも随分だなあ。クマなだけにプーさんになるってか。)

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禁じ手らしい 頻繁なチャンネル操作

 珍しく番組の話しではなくテレビ本体のお話し。プラズマテレビに買い換えて早や1年とちょっとが経過しているのだが。

ここへ来てトラブルが出始めた。テレビが点かないのである。主電源のランプは点いているのであるがリモコンが反応しないのである。まず最初に困ったのはテレビの方に問題があるのかリモコンの方に問題があるのか判断出来ないこと。もちろんリモコンの方の電池は交換してみたけど回復効果なし。部屋を真っ暗にしてリモコンをいじってみるとかすかに赤く光る。これはリモコンじゃないな悪いのはと判断する。

取扱説明書を引っ張り出して「故障かな?と思ったら」頁をめくり同じ症状の対応処置が記載されているかどうか調べてみた。それによると主電源を落とし数分後に再電源投入して下さいと対応が書かれていた。幾度か繰り返すも反応なし。

如何ともしがたく無念の内に時間となり直らぬまま仕事場に向かいて、職場の連中に惨事を訴える。すると結構同様な症状に遭遇している仲間がいたことを知った。で、どう対処したの?と問うたところ「ぶっ叩けばいいんじゃないの?」という案と「コンセントぶっこ抜いて暫し待つ」という案を聞いた。

溺れるものは藁をも掴む。んな訳ぁないと思ったが一応ぶっ叩いてみた。やはり駄目だった。真空管の時代じゃないんだから接触不良とかないんだからやっぱりな。

で、もう一案の「コンセントぶっこ抜く」を試したところ数度目に成功復活した。

電源スイッチひとつとってもテレビに内蔵されているソフトウェアで管理されてるんだということを知る。もうテレビは道具ではなく精密機械になってるんだなと改めて思い知る次第で。それにしてもテレビが映らないのは深刻な問題である。今は見れなくともとりあえず録画しといて直ってから見ようとしたところで録画予約しようにもレコーダーは無事でも画面を見ながら出ないと操作できないのだから他の機械も全て機能しなくなるからである。まさにお先真っ暗。いや懲りた懲りた。

こういう状態に陥った原因を考えてみる。

今頃なんで?という疑問

 ブラウン管テレビからプラズマに買い換えてから「ながら見」をしなくなって決め打ちというか観たいものだけを見るようになったのだけれど。最近になって見たい番組がめっきり減った。でもすることが特にないと元に戻るというか「ぼんやり見」をすることが多くなった。見たいかどうか探り探りだから当然集中していないから身が入っていない。虚ろ気で他にもっと面白い番組があるやもとついつい頻繁にチャンネルを変える。ばんばん変える。それが負担となってソフトウェアの方が対応しきれなくなるのかな。

反省点

チャンネルはむやみやたらと変えてはならぬということか。押した分だけメモリとして蓄積されていってしまって溜まるというか詰まるんだろか。用量を越えてしまうとフリーズしてしまうということなんだろうか。

主電源は点けっ放しを推奨するとあったけど主電源落としてクリア(リフレッシュ)できるなら毎日寝る時主電源落としたほうがいいのかとさえ思えてしまう。

地デジに完全移行したら大丈夫か?

私らガキの頃にはチャンネル争いに参加したダイアル式で鍛えられた世代なので頻繁にチャンネル変えするのに違和感を感じないのである。そんなの番組表表示して選べば済むことだろうという意見であろうがじかに見て決めるという長年の癖は直るものではないし二股三股でころころ変えて複数の番組を同時に見たおいしいとこだけ見してる気になることもあった。もっともこれは男子の癖で女子にあてはまることではないらしいのだが。

そういう人種に或る日突然これは精密機械でデリケートなんですと説明されてもそうそうあっそうと感覚が修正できるものではない。じいじやばあばのお宅だとこういうことに対応できなくて右往左往するトラブルががんこ発生しそうな予感がしてくる。

一時期画面分割して複数の番組を警備のモニター画面のようにしてチェックする機能が備わっていたりしたが、あまり懐かなかった。やはりばかばかチャンネルいじくりが馴染んでいた。

そう考えるとせめて電源スイッチについては緻密繊細にしない方がいいよなと思える機能の気がする。テレビのスイッチは単純な道具であった方が良いような気がするのは気のせいか。

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帰ってこさせられた33分探偵 その1

 #10と打ってあったので特に心機一転という訳ではなくあくまでなんやかんやの世界を貫かれるお積もりのようであります。ええですわ。

久方振りに出会う鞍馬六郎は相も変わらずで愉しいです。それにしてもパロディ満載というかオマージュではないようですがとにもかくにもこらしょと投入されてました。全部挙げたみたいな書き方したら自分の無知がばれますのでそういうことはしないであくまで面白かったものを列記したいと思いますです。

占いの館ってドコモのCmで使われる家みたいだったなあ。しょっぱなからこれかよという勢いでした。

水晶占いさんに対する六郎の傍若無人な推理の回想シーンにおいて、言うことなすこと的外れな当たらない占いの模様は樹里ちゃんのオリックス生命のCmまんまだし自分で作ったデスノートも笑えたなあ。パロディじゃないけど呪いの祈祷してるうちに素振りに変わるってのも変な踊りってのもナイスでした。

六郎が考え込んでた様子は「キイナ」そのものだし。他にも色々あるんだろうな多分。じっくり探せばごろごろ出てくるんでしょうねきっと。

ほんとてんこ盛りで休養した甲斐があったというものでしょうか。しかもそれに加えてお約束ネタもしっかりあって密度が濃かったです。もっともどこがどうたらで面白かったとこあげつらって講釈垂れてもせんないことで感覚としてツボにはまるかどうかのドラマですので素直に楽しかったと書けば済むことなんですがそれじゃ33分持たないのでなんやかや感想書いてますけど自分。みたいな。

リカコ(水川さん)の嘆きも楽しかったな。

どこまでがアドリブなのか皆目見当がつかない様相ですがなんかで情報屋の小島よしおさんはアドリブに弱いとかいうのを聞いた事があるようなないようななんでアドリブ率が高そうだなと踏んで観てるんですけれどホントのところはどうなんでしょうねえ。この謎こそ六郎に解いて貰いたい気もしますがそれは興ざめなんでしょうかねえ。

希望としては映画館でみんなして笑いを共有したい感じです。もっとも自分がずれてる事が白日の下にさらされる悲劇を招くかもしれませんが。そんな冒険を犯してでも観てみたい気もしますです。33×3事件で一本の映画になるんじゃないかな。それと大きい画面であれば見落としてるとこに気づかないってこともなくなるだろうし。

役者さん名出すとそれだけで検索ヒットしてこられる迷子の方がこのドラマでは特に多いので書きませんでした。

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*たいがい

意味使いは二つ

「たいがいにせえよ」(いい加減にしろよ)。

「たいがいはわしんやってる」(大方は私がやっている)大体やあらかたでも意味は通る。

もっとも両方とも「大概」で辞書引けば出てくる使い方で遠州弁ということではない。しいてここに記載する理由があるとしたら共通語として古い言葉でも遠州ではまだ現役で使われているということであろうか。

例文

「はあええらあ。十分喰ったらあ。」

「なによを。さっき来たばっかじゃん。」

「おんめえなあ。たいがいにせえよ。ばかすか喰やええっつうもんでもありもしんに。」

「なにゆってるよを。バイキングだに。せっかくお金出して入ってるだで元取らんでどうするよを。」

「ざけんじゃねえよ。喰やあ喰った分きっちし太る癖して。ほんで痩せすかっつってこんだあ訳分からん健康器具買いくさって。元取るもへったくれもねえじゃんか。」

「いいじゃん。器具だって遊ばしとく訳じゃなくてわし使わんでもたいがいあんた使って運動不足の解消で便利してるらあ。」

「じゃなくてえ。元の話ししてるだあ。食い意地張るなっつってんの。」

「なんでよを。ちっとばか喰ったじゃ損じゃん。せっかく来ただで元も取らんと楽しめんじゃん。」

「がんこ喰いたいならてめえで作りゃいいじゃん。」

「たんと喰えやあええ訳じゃないだでねえ。」

「量かあ?質かあ?どっちん楽しいだあ。」

「両方に決まってるじゃん馬鹿だやあ。」

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