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なんだかなあ20

 ネットの芸能ニュースとかの見出しをみると、有名人さんが発進したブログの内容を面白おかしく脚色して御注進御注進してる記事が多く見られる感じがします。気のせいか?

 さすがに紙として記事にされるものにはあまりないお話しでありまするが、地道な取材という印象は受け難い。そりゃあ一日中パソコン画面の前に張り付いて(ブログの張り込み)ネタ(裏づけ)を掴む地道な作業ではあり、じゃあお前やってみろよと言われたらご遠慮申し上げることではありますが。にしたってブログ記事を抜粋抽出しニュースの書き手の表現のアレンジを付け加えてというのは趣旨が変わっちゃっていることが多い感じがしますです。

書き手が伝えたいことの部分を削除して面白おかしい出来事のところを抜粋してニュースにするというのは「揚げ足を取る」こととどう違うんだろうかという気分になります。

 具体例を挙げていいのか躊躇してしまう部分はありますが、以前しほりんが部屋を片付けして捨てるものが物凄く出たという記事をブログに載せた際のお話し。ご本人は心機一転とかいった普段の生活にも前向きなったということを伝えたくて片づけをしたと書いたものと私には読めたのですが、これが芸能ニュースとなるとその内容はゴミが沢山部屋から出たとかいった清潔とは言い難いプライベートを送っているかのような意図に読めました。ご本人はゴミだとは一言も書いてなく片付け下手と述べられているだけですが随分と印象がブログと芸能ニュースでは異なるものです。しほりんに落ち度があったとしたらその量の多さをあらわすのにゴミ袋でいくつということで表わしたことになるのでしょうが。

もっとも「ゴミ」という基準が問題ではありますが。衛生上どうのこうのは別格として、使わなくなればそれは「ゴミ」というのであれば身の回りにある物は殆ど全て「ゴミ」でしょうし、思い出というか自分の記憶の残り香(愛着)があるものを自分の過去の証であるとするならとうに卒業した学校の教科書とかインクのなくなったボールペンとかでさえ「ゴミ」ではありえない。

 脱線しましたが元に戻して、結婚発表とかいう宣言・広報の類のものであればニュースになるも致し方なしという気にはなるけれど、最近の日常の「ふ~」と一息ついたような出来事を綴った内容のものであっても御注進するのはなんだかなあという気になります。しかも脚色してるし。伝言ゲームだとしても二人目でいきなりこうも変わるか内容がという勢いです。ネタに(ニュースと)する選択基準が受け(インパクト)狙いの傾向に見受けられるのがなんだかなあです。

人の話しは「話半分」。鵜呑みにするほど無防備なものはなく真に受けるほうがどうにかしてる世間の世知辛さという教訓を与えてくれてるとも思われますが。にしても「信頼」というものはそれを得るのは難しいものですな。こういう記事が並んでしまうともうそこのニュース全てがうそ臭く思えてきますです。記事にする対象に愛情を持たないからとかいう事は言いませんが、まるで猫がなにかを殺すでもなく食べるでもなくひたすら息絶える(動かなくなる)までいたぶる様のようで。本人(記者)はじゃれてるつもりでもいたぶられる方にとっては堪らないことでしょう。

もしこういうこと(脚色で意図が捻じ曲げられる事)が我が身に降りかかったらと思うとぞっとすることであり報道されるというのは不気味なものだと思う次第で。「口先三寸」ならぬ「筆先三寸」の恐ろしさを感ずる勢いでした。まあ私なんざ報道されることは悪さしない限りないでしょうから妄想的な我が身に置き換えてという話しですけど。

それよりも可能性が高いのは、自分も無意識のうちに同じようにこういう事してる(捻じ曲げて感想書いてる)のかなとも思えてきて不安にもなって参りました。悪意が無くともなにかを貶めることは有り得るんだなという教訓を見たようでありまして、こうならないよう注意しようと。でも私普段周りから口が悪いとお墨付き貰ってますから注意じゃなく肝に銘じないとヤバイかもなあ。

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ラブシャッフル その8

 かような華も荒しも踏み越えて往くぞ見事なエンディング・・・、と、納得する展開にこの後持っていく為のなんやかやなのでしょうけど。

にしたってこんだけしっちゃかめっちゃかに入り乱れっつうか迷走が重なると、はあ、ついてけんわあ。という回でありました。この先どうなっちゃうんだろうというハラハラ感よりこいつらどうなっちゃうんだろうというドロドロ感の風味の方が強く感じられたんで。どうも人類皆兄弟という考えは私は持ち合わせていないようで「4分の1の父親」という共有感はまあいいかあのレベルを越えているような。

こんだけなにかと堕としといてのエンディングでしょうから最終回はさぞかし盛り上がったハッピーエンドが待っているんでしょうねえ。でなきゃ人に顔向けできずにせつなかろうて。期待しとります。

海里(吉高さん)は菊田(谷原さん)の旺次郎(松田さん)奪取計画の駒としていいように使われた体ですし。諭吉(DAIGOさん)は芽衣(しほりん)にちょっかい(真剣でしたけど)出してるし。宇佐(玉木さん)はなにやってんだか。

これにて一件落着とばかりに目的を達したのは玲子(小島さん)くらいなものか。

宇佐と芽衣の色々あるけど最後は復縁という物語だと思って観ていたので、この軸がずれると私としては面白くない展開であります。というか本末転倒に映る勢いです。そう思わせる程の宇佐と愛瑠(香理奈さん)の距離感の近さが印象に残りました。それに動物の話しの一件で弱い物のことを思うと駄目なんだと言わせてるのが前フリだとしたら弱りきった諭吉を見かねて芽衣を譲るなんてことしでかしそうな雰囲気もありそうですし。

因果応報で菊田に何かが下されるのか。海里は生きてるのか。なんて考えても罰が描かれたり死人が出るのは愚という感じがしますのでそこいら辺の塩梅はどう描いていかれるんでしょうか気になるところであります。

それにしてもパンダの語呂合わせ会話につきましては、あれでは座布団持ってかれる勢いの冬(寒っ!)を感じたのですがあれは粋なんでしょうか。

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*損こいた

損したと言う意味。味付けで「失敗した」というニュアンスも含まれることが多い。

似たような言い回しでは「馬鹿みた」というのもよく使われる。

「こいた」・「こく」は「言った」だけではなく「した」という意味でも使われると言うこと。ただし「損して得取れ」を「損こいて得取れ」とは言わない。

「得した」を「得こいた」とはいわないので「やってもうた」みたいな「あちゃー」なニュアンスが含まれるのであろうか。それか「損」を納得した上でのとか言う場合には使わないということか。

「損こいた」の反対(損しない)は「損しん」・「損せん」であろうか。

「損させた」は「損こかせた」が多く使われる。

例文

「最近さあ。新聞のチラシようけ入ってるじゃん日曜なんか特にい。」

  (最近新聞のチラシ一杯入ってるよね。特に日曜なんか。)

「おおそうだのえ。」

  (うんそうだね。)

「ふんで暇してるもんで見るじゃん。買う気ゃあなくても。」

  (それで暇なもんだから買う気とかなくても暇つぶしで見る訳だよ。)

「まあの。」

  (そうだね。)

「ほいたらやあ こないだ買った電化製品。はあ馬鹿安く売ってんの。」

  (そうしたらこの間買った電化製品。もう物凄く安く売ってるんだよ。)

「そりゃ損こいたの。怒れるらあ。」

  (そりゃ残念だったね。不愉快だろ。)

「しかもあれだにい。おんなし店っつうんでやがんの。」

  (しかもだよ。同じ店がってことなんだぜ。)

「最悪じゃん。」

  (最悪だね。)

「ホントだよを。やっきりこいちゃう。」

  (まったくだ。ほんとむかつく。)

「なんでまたそんな焦って買ったよを。まあちっと待ちゃよかったじゃん。」

  (どうしてまたそんな焦って買ったんだ?もう少し様子見てからにすれば良かったんじゃないの?)

「だってしょんないじゃん。金ある内ん買わんとパチンコ貯金しちゃうもんで。それに無いと困るだよを。おっかさひゃあひゃあゆうもんだしやあ。」

  (だって仕方ないだろ。お金のある内に買わないとパチンコ貯金しちゃうから。それに女房にもないと困るってしつこく言われたしね。)

「ん~微妙な理由だの。」

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ありふれた奇跡 その9

 将来ばかりを気に病んでなくてもっと今をという説法は、考えようによっては刹那的ともいえる訳で。燃え上がる感情に逆らうなというのは理性と感情のせめぎ合いで感情を解放し理性の方は押さえ込めということなんでしょうか。

過去に感情の異様な湧き上がりに任せて自殺を試みた(みようとした)者同士だから、お互い今何かを乗り越えて生きているのは感情(衝動)を抑えて飛び出ないよう理性で蓋をしていられるからということなんでしょうかねえ。確かに気持ちを伝えるのがとてもぎこちなく映ってますんでなんかありふれたカップルには思えない部分が多いのですけど。

その癖、感が鋭く研ぎ澄まされているらしく加奈(仲間さん)の思惑を翔太(加瀬さん)は感じ取っていました。ホテル予約してあるということで下衆の勘繰り展開予測としましては、まあそういう関係性を結んで、そんでなななんと無理と言われた子宝が奇跡が起きて授かり周囲も態度一変して祝福の側に回りこれにて一件落着とかいう風に進むのかなと想像したんですが。どうもそんな甘い展開ではなく翔太の拒否にてより迷路にと進んでしまったような感がありました。

それでいてこれで分裂という風でもなく、二人ともお互いを引き摺っていて。特に翔太の方は藤本(陣内さん)に月見蕎麦奢りながらの会話で益々加奈LOVEという確信を強めていったようでありました。それに輪をかけておとうちゃん(風間さん)に呼ばれて?おかあちゃんの働いている飲食店で夫婦のあり方を教わったようで、周りがなんのかんの言っても二人にしか分かり得ない結びつきはあるんだと。例えおじいちゃんが猛反対したとしてもという新たな決意なんでしょうか。肝心の加奈の方に対してもどこを根拠にしてるのかよく分かりませんが自分のことを好きでいてくれると確信してるようです。赤い糸でも見えたんでしょうかねえ。

 一方の加奈につきましては私何を考えてるのか想像予想するのはとうに止めてますので、何するにしても「あっそう」という感じで観てるだけです。ただ殆どイメージがなかったスカート姿の加奈がこの最後と位置づけたデートにおいて観れたのはへ~という感じでした。「添え膳食わぬは男の恥」じゃないですけどあの状態で失敬するのはホント女性に失敬だよな大丈夫か女性に恥じかかせてと思わないでもない流れではありました。もちろん分かれるの厭だという方の怒りが優先した行動とは申せ次に逢う時翔太はどういう顔して逢うというんでしょうかねえ。

でもまあこの一件で翔太の方が優位に立った感はありますので今後は翔太が主導権を握って加奈は待つ人になるんでしょうか。そういうインパクトがあるように感じられたおデートの景色でありました。

 おじいちゃん(井川さん)。「戦災孤児」という言葉とても久し振りに聞く言葉です。裸一貫とはまさにこの事という見本のような苦難を想像させる言葉です。なんでしょうねえこの登場人物の中で一番幸せになって欲しいなと思えるキャラクターのような気がしてきました。こういう演出なんでしょうけど、おばあさま(八千草さん)とおじいちゃん以外の登場人物の物の言い様がとてもぎこちない感じがしてしまうんですが、そんな中でお二人は物凄く流暢な感情表現をされてるように映ってほっとしてしまうのであります。最良のエンディングはおじいちゃんも祝福するふたりってことなんでしょうか。子供が出来る出来ないに関わらず。でも「ありふれた奇跡」って具体的になんなんでしょうね。最初の出会い?

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意味が通じなかった その2

「すぐん ありんやら はえんやら きて たかるだで そこんさあとかに うっちゃらかいといちゃ かんて。ちゃっと かたさんとかんにい。」

共通語訳

「直ぐに蟻とか蝿が来てたかるんだからそんな所とかに置きっ放しにしちゃ駄目だって。直ぐ仕舞いなわないと。」

直ぐ・蟻・蝿・たかる・という言葉は方言ではないだろうから他所の人でも意味は通じるだろうと思っていたのだが。

結果意思が通じたのは「かんて」(駄目じゃないか)だけという有様だった。

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キイナ・不可能犯罪捜査官 その7

 使い方間違ってますけど「信じるものこそ救われる」及び「日頃の行いがものを言う」ことでありました。こらしょと溢れる証拠と供述が山と在る中でそれらを見事にひっくり返して真実に至ると言うミラクルな展開でありました。犯人候補の方(荻野目さん)が登場するまではどうみてもひっくり返せないだろうこれはと思って観てました。

 今回はなんと申しましょうか、結末と捜査の展開については楽しませていただきましたが動機がどうも息切れしてるというか求心が足りないというか。詐欺にあったんなら殺すこと考えるより先に被害届け出すだろうに(お金の回収に頭が回るだろうに)という疑問を拭い去ることができません。

殺人にまで及ぼうとする憎悪に至るのが不思議であると共に善良な他人を使って襲わせたというのであれば襲撃場所を特定出来ていた(居住地を知っていた)ってことでありましょうから。殺してしまったら被害金額絶対返ってこないでしょうしそれより訴訟を起こして金が戻る努力をした方がいいんじゃないかと。

 まあ、どうにかして潜伏先を突き止めて「金返せ。」と言ったけどけんもほろろで相手にされなくて怒り倍増もしくはプライドいたく傷つけられてお金の問題じゃなくなったとかいうシーンがドラマの一話内の枠では収まり切らなくてはしょられたと考えれば動機らしい勢いにはなりますですが。

以下はゲーム感覚という意味でのお話しですけど、今回の犯人さんの落ち度はいかにも柄の悪そうな人間を選ばず極めて善良で殺人するなど有り得ない人物を殺人代行者に仕立て上げたということでしょうか。防犯カメラにででんと映っていたり現行犯で捕まってるんだから言い逃れしようがないくらい証拠が存在してるんですから後はこいつならやりかねないという情状酌量という気にはなりそうにもないようないかにもな悪党を殺人代行者に選ぶべきだったのではと。まあここまで催眠に掛かりやすい人がいなかったから誰を選ぶかとか選別出来る余裕はなかったということなんでしょうけど。

もしくはドラマでは実際起きていたリアルな被害状況を刷り込ませていましたですが、不倫とかでの痴話のもつれとかみたいな全く存在せずかつ自分が容疑者として決して疑われない内容のの作り話しを刷り込ませておけば良かったんじゃないのかと。

なんでこんな犯人の肩ばかり持つのかというと、キイナ(菅野さん)の相手としては役不足に思えたんで少しでもハードル高くしてキイナと尊(ひらっち)に相応しい対峙相手になって貰いたいなと思ったもんですから。それくらい今回のキイナの追い込み方は迷走感が無くまっしぐらという感じでした。

 話し変わりますがキイナが逮捕しに来た時点で知らぬ存ぜぬと押し通したら警察はこの人犯人として捕まえることが出来たんでしょうか。罪状は「殺人教唆」だとキイナは申されてましたけど終始一貫すっとぼけられたら明確な物証もなさそうだし果たして立件出来るんでしょうか。

 それにしても主題である推理の展開とは少し横道に逸れたような何気ないシーンとかが見応えありますです。各自馬があってきたと言うかキャラクターと関係性が固まってきたと言うか。会話とかのキャッチボールや受け答えの反応の表情や仕草を愛でるのが愉しいです。

最後の「お菓子が・・・」というシーンは好きですな。沢村さんのなんともいえぬ目付きでお菓子ほおばる姿が悦でこっちまでにやけてきてしまいました。絶対笑い堪えてるよなこのハードボイルドのお方はと。

真一郎さん(塚地さん)がギプスした足にケース落とすところから尊に催眠術かけようとするシーンも良かったですわ。真一郎さんの口癖であろう「大丈夫です。」が出る時はやはり面白いです。ただ「伝えときましょうか。」と言った後の尊の笑いのニュアンスがもうちっと男女の関係覗いたみたいないやらしさがあった方が好みだったんすけどシンプルに面白いもの見た感じでありました。

それにしても白い煙みたいなのが立ち込めてるような印象がするドラマです。今回に限ってのことではなくずうっと。警察の建物の内部でのシーンがそう思えるのでどういう意図があってのものなのでしょうか。

 全9話でいよいよ残すところ後2話。係長が抱え続けているという事件の解決に向けていよいよ動き出すんでしょうか。

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*なによをそれ

直訳すれば、なんだよそれ。

ニュアンス的にはその話に食いついたという意思表示みたいなものであろうか。

「詳しく聞かせろ」という意味として訳した方が判り易いか。

共通語的なそれは何?という質問の意味の場合は遠州弁だと「それなによお」・「なんでえそれ」とかになる。

「なんだよそれ気味悪い。」とかいう表現の場合遠州弁だと「なにいそれえ気味ん悪いい。」もしくは「なにそれ気味悪い」(なにい・それえという風に伸びずに言い切る)と言った風になることが多い。もちろん「なによをそれ気色悪い。」という使い方もするので「食いついた」意思表示専用の表現ではない。

この表現における味噌は「よを」ということになる。

例文

「やあ。うちんとこの部長が食堂であだけてるってや。」

  (ねえねえ。うちのとこの部長が食堂でわめいてるってさ。)

「なによをそれ。」

  (なにがあったんだ?)

「よくは知らんが食券買っただけえが売り切れでごめんなさいだに、それんなんか知らんが気に入らんかったらしくてサービス悪いとかこいて頭きたで絶対出せって無理ゆってるだって。食堂のおばちゃんも相手ん部長さまだもんでおうじょうこいてるらしいよ。」

  (詳しくは知らないんだけど。食券買ったけど売り切れだったんだって。それがどういう訳か気に障ったらしくてサービス悪いとかいってわめきちらして出すまで納得しないって言ってるんだって。おばちゃんも相手が部長さまだから困り果ててるらしい。)

「まさしく部長の食券乱用ってとこか。」

「あんまりうまかねえなあ。」

「なにい、元々美味くありもしんにあそこ。だで丁度ええだって。」

  (え~?元々あそこ美味くないんだからこれくらいの洒落くらいで丁度いいだろ。)

「・・・はあええ。」

  (・・・もういいよ。)

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メイちゃんの執事 その8

 喧嘩するのは止めて、私の為になど争わないで云々といったどこぞのお歌にも歌われるようなシチュエーションは女子の憧れなんでせうか。男の視点からしたらなんだかなあと言った風情がありますけど。ドラマの最初の方で剣を持っての決闘に続きなにかを賭けての争いごとが描かれてましたが目的は違いますけど今回も描かれていました。

なんてことを想いがてら「榮倉奈々」さんのブログを読まさせていただいてた中に、ご自身がこの回について同じような表現をされておられました。やっぱ女性という種族は修羅場が好物なんでしょうかねえ。「たおやか」に生きてる風に映るメイですが年齢重ねたら昼ドラとかを観るのが楽しみになっていくんでしょうか。別に批判的なつもりなぞはなくて単にああそうなのかと思えたまでの話しですしあくまでメイのことであって榮倉さんがということではございません。

で、その榮倉さんへの感想でありますが、上手い下手とかの印象ということではなく陰の部分ともいえる苦悩と余韻と挫折と葛藤の部分が特に多く表現されてる前回と今回と思われるのですが。悩む姿という絵柄はそこはかとなく似つかわしくないというかなんというか。役者さんとしての「榮倉奈々」さんの印象はやはり明朗快活で裏なくという陽が映える役者さんだなあと思う次第でありまして。だからといって能天気にいつもご陽気な役ばかりとか何事にもすべからく全力でとかを専門に演じられるというのもどうかと思うのでこういう煮え切らないといった部分や高揚・平常・沈鬱の切り替えにおいてもそれぞれ絵になる表現に磨きがかかったらいいのになと。もっともどんな状況に置かれても健気に生きてる人物を表現されるには最適とも解釈できる訳でありましてそれはそれで貴重だよなと思えなくもないところです。

別の言い方をすれば放出型(自分で何かする)の表現がお得意で守備型(何かに翻弄される)には不得手な部分があるんでしょうかと思えたということです。ま、要は聞き役というか人の話しとかの受けの反応がおお!と思えたら益々以っていいなあということです。とにかく明るくはしゃいでも厭味な印象を与えない役者さんはそうはおられないのでより一層のご活躍を期待したいものであります。

 この回のあっと驚く光景(さすがコメディ)と思えたのはあの一般ピーポの庶民のお宅にあれだけ詰め込むかのように人が入って右往左往してたシーンが印象的でした。憩いというか安住の地だったところが一瞬にして喧騒の渦に巻き込まれていく騒々しさは観てて面白かったです。

 ツッコミどころとしてはあの学校。豆柴もメイも退学とかしてるのにホイホイ出入り出来てしまうと言うのは全寮制なのにセキュリティとか甘いんじゃないの?と思えたところでしょうか。まあ関係者扱いということで特別なんでしょうけど。ヘリも又乗っ取られてたし。自由闊達な校風にしても常識超えてるよなあと。

いずれにせよ、あくまで個人的な感想ですけど、前から想ってたんですけどこのドラマ、執事という設定よりもタレントとマネージャーみたいな設定の方が見やすいんじゃないかというのが増した感じです。学校と言う縛りではなんかそぐわない勢いに思えてきてるので。

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トライアングル その9

 郷田(江口さん)と黒木のおとうたま(北大路さん)との直接対峙という緊迫したシーンからから始まる今回でありました。この出会いはは黒木のおとうたまの郷田へのエールか挑戦状か。どちらが善でどちらが悪なのか。ってな勢いでありました。

黒木のおとうたまは郷田の両親と長兄が亡くなった火事のことに関して注視しているようで、唯衣(相武さん)に逢ったのもそのことについて聞いていたとのこと。これはなんぞやとなると考え方として思い浮かんだことは、とりあえず郷田だってなにか曰く付きの黒かもしれないと視聴者に思わせることと、郷田の古傷とかを突いてこの事件から手を引かさせようと画策していること。

あってるかどうかは知りませんがそう思えました。その波に乗って黒すけ(稲垣さん)は長野に向かったみたいでありました。何が出てくるんでせう。どっちみち子供のなせる犯行ではないと言うことは確定事項だと思っているので郷田は犯人じゃないと思って観てます。

 最後だ決着だとのたまう言葉が飛び交った割には全然なんのこっちゃういという展開でありました。サチが最後(逢うのが)という表現を使った意図もよく理解出来ませんですし郷田が丸さん(小日向さん)への電話でも最後という言葉を使ってましたし葛城のおとうさんも黒木のおとうたまに電話してた際にもほぼ似たような表現されてましたが銃声という横槍入ってちゃちゃ入れられた勢いでそれどころじゃなくなったみたいだし。そういえば葛城のおかあさん(風吹さん)も郷田に身勝手な母として(最初で)最後のお願いとかいったおられました。今日のテーマは「最後」なんでしょうかねえ。にしてはまだ全て続きがありそうですけど。

サチ(広末さん)が最後撃たれて崩れ落ちておられましたが、撃った?(傷を負わせた)のは誰?・凶器がてっぱうだとしたらそれは無くなったと慌てた丸さんの拳銃なのか。それにしても葛城のおとうさん(大杉さん)も郷田もいかにもなにか持ってそうな画づらで視聴者を煽っておられました。当てずっぽうですけど多分両者共そんな凶器を隠し持っていた訳ではないのではと。なにしろあそこまでこれ見よがしだったら逆に違うだろうという天邪鬼的な考えに至ってしまう自分ですから。

 この会見に向かう時点で郷田は葛城のおとうさん犯行説に大分傾いているようでありましたが、成り行きの流れが作為的だと気に病んでいましたからそんな単純なものではないのでしょうねきっと。そのお膳立ての流れをみると丸さんがえらく怪しいんですけど。愛人の部屋の鍵準備万端だったこと考えると郷田達と来る前に一度先に来ていて洋服や薬物仕込んどくこともできそうですしそもそもの中国でのパスポート疑惑もありますし拳銃盗難もそうですし。郷田と共に何かに踊らされてる丸さんであって欲しいところではありますが丸さんやばいス怪しいス。

それにしてもサチが倒れた際の動揺した様は元お医者さんとは思えないものでありました。このまま死んじゃうのかなと思ってサチは幸薄い人生でなんて可哀想な人だったんだという想いで今回終わりを迎えたんですが次週予告でベッドで横になって会話してました。興醒めですたい。生きてて良かったは来週知りたかったところです。

 ところで懐かしの同級生に頭はたかれてた秋元(佐々木さん)なにかその後急に真剣な顔つきに豹変してましたけど忘れ物魔の面目躍如でなにか思い出したんでしょうかそれとも何手か先を読むような策士なんでしょうか。

今回起きた出来事は壮絶でありましたが解けた謎は黒木のおとうたまの行動してた(調べてた)のが何かということと・・・ってことくらいですかねえ。後は謎のまんまって感じでしょうか。今回で郷田の命が狙われていることは確かになったので志摩野の死も郷田狙いの誤爆ということでしょうか。今のところの殺人行為は全て同一犯人もしくは同一グループの仕業という展開でひとつボロがでればあとは一気に核心へと雪崩れ込んで行くんでしょうかねえ。全く別の事件が混ざってそれで話しがややこしくなる感じはしてこないです。でも此処まできても尻尾も掴ませない犯人は一体誰なんでしょね。

 

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えらそうに

「馬鹿えらそうにしてたもんで医者連れてった。」

(物凄くつらそうにしてたから医者に連れて行った。)

偉ぶるとかの「えらそうに」というのももちろん使うが、遠州弁では体調がすぐれない状態に見えることを指す場合も多い。「えらい」を「しんどい」というかどうかで上記の例文の解釈が大きく変わるところであろうか。一応辞書では「階段の上り下りがえらい」という文例を載せているので「えらい」=「しんどい」が遠州だけという訳ではないのであるが使いどころが独特のような気がする。

例えば、共通語での「えらそう」(偉そう)の使い方で上記例文を解釈すると

「大変偉い方のような振る舞いしてたので医者に連れて行った。」

これでは頭がいかれてるから医者(精神科)に連れてったということになる。

もしくは「えらい」が「大変に」という訳で解釈すると

「物凄く大変にしていたから医者に連れて行った。」

これだと救急車呼んだほうがよさそうで医者に連れてくことがはたしていいことなのかどうか。ちなみに救急車呼ぶくらいの緊急性があるような場合は「えらい・えらそう」は使わないことが多く「死んでる」「死にそう」

またもしくは「えらそう」を「生意気」という訳で解釈すると

「物凄く生意気にしていたから医者に連れて行った。」

性格を直してくれる医者はいないだろうから行くとこが違うだろとなる。

以上もちろん冗句だがそう取られ兼ねない可能性もあるということで。

例文

「○○の奴なんかえらそうにしてたなあ。」

「なにやっ!きんのうあんだけ説教しただにしょんねえなあやあ。連れて来いやあ。」

「んじゃなくて気分がえらそうっつうの。」

「あっそ。ちっと説教し過ぎただかいやあ。」

「きんのう酒がんこおそまで呑んどったらしくてさあ。」

「懲りちゃいんじゃんかあ。やっぱ説教だ。」

「やめない。説教喰らって落ち込んだのの気分転換かもしれんじゃん。」

「ちゃうだあ。二日酔いこいて仕事すんじゃねえっつって説教こいたの。」

という風に現地人でも聞き間違えはある。これを防ぐため「しんどそう」の「えらそう」は「にしてる。にしてた」を使い「生意気」の「えらそう」には「してる・してた」又は「こく・こいてる」とかを使って分けてる人が多い。もちろんこの使い分けでもどっちにでも取れるややこしさが完全に解消される訳ではないのだが。

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ヴォイス・命なき者の声 その8

 今話題の納棺師さんが「お○りびと」ならば法医学は声の「ひろいびと」ということでせうか。今回のお題は法医学に挑む決意と覚悟とは。もうひとつは火事でなくなられた方の声を拾うこと。という豪華二本立てでありました。が、ふたつでひとつというテーマで繋がっていました。先週は泣ける話しでしたが今回はプロフェッショナルの覚悟というものに頭が下がる展開でありました。

感染症のリスクを背負う。ドラマの中でも礼賛していたCS Iは静岡県でも深夜帯にやっていますから観れる時には見てますけど。そのドラマでの解剖シーンは結構グロく匂い立つ様な生(なま)という印象を受けるんですが。あんなぞんざいに密着して感染とか大丈夫なのかしらむと思って見てたのを思い出しました。病気じゃなく犯罪を扱うんだからそうなのかなと勝手に判断してたんですけど、今回のように病気が隠れていたりする可能性はある訳ですから治療においてはもちろん犯罪でも事故でも危険性は変わらないんだなあというのを思い知らされましたです。

「覚悟」という表現は納得です。そんじょそこらの仕事に対する決意とは異なる領域の心得でありましょう。

 今回の成長期は哲平(遠藤さん)の巻ということで、不注意から感染の怖れ有りということに遭遇し、心が折れて感染してもしなくていても法医学を去ると決意する訳ですが最後は佐川教授(時任さん)の前で感染していてもしていなくとも続けると宣言するに至る訳でありました。大己(瑛太さん)達に辞めるといった時法医学と向き合ってく自信がないと言っておられましたが甘く見ていたの間違いじゃないのかと一瞬思えたのですがまああまり大差ないかと思い直しました。

哲平が翻意したのは引き止めてくれる友達の熱さにもう一度頑張ってみようという勢いではなく亡くなられた今村(平田さん)のプロとしての生き様に打たれたからでありましょうか。

それにしてもCS Iというドラマ。えらく持ち上げておられましたねえ。最近コマーシャルでも今なら創刊号○○円とか宣伝されてますしタッグでも組んでられるんでしょうか。今回の二つの出来事を繋ぐキーワードとして重要なものでありました。

この回のヴォイスは遺族にではなく哲平に伝えられたという初めての形でありました。多少業務上知り得た知識を第三者に?という気もしますがまあ関係者内の話しなんだからいいんでしょうね。描かれてませんでしたが機会を探って遺族のご両親に告げるんでしょうかねえ大己は。あんな取り乱した母親には何言っても伝わらないような勢いがありましたですな。「子供はもう帰ってこない」って。

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*どしょーもない

 「どうしようもない」と間違いやすいのだが、「ど+しょうもない」物凄くくだらんとかつまらないとか全く意味がないとかいう意味である。

「どしょんない」という言い方もあるがこちらはとてもどうしようもないと物凄くくだらないと両方の意味を持つ汎用タイプの表現である。

「どしょーもない」と同じような表現では「ど馬鹿」・「馬鹿やあ」などというものがある。馬鹿の表現だとつまらないというニュアンスはなくなり純粋にお間抜け的くだらん系ニュアンスになる。

「どうしようもない」と言いたい場合には「しょんない」(どは付かない)・「やりようない」・「せずようない」・「しようありもしん」とか色々ある。

例文

「今日はあいつぁこんだけえ。」

  (今日はあいつは来ないの?)

「あいつぁ家でどしょーもないこんせるでこんてさ。」

  (あいつは家で他愛の無い事するから来ないってさ。)

「なによをどしょーもないこんて。」

  (なんだいその他愛の無い事って。)

「知らんだあ。なにやってるだか。なんしょ行かれんだって。」

  (知らない。なにしてんだかねえ。とにかく行けないって。)

「まあ本人がそうゆうだで恥ずかしくてゆえんような相当どしょーもないこんだらなあ。」

  (まあ本人がそう言うんだから恥ずかしくて人に言えないような相当くだらんことなんだろうな。)

「嫌々家のてんだいやらされてるかも。」

  (嫌々家の手伝いさせられてるのかもね。)

「それもはどしょーもないなあ確かに。」

  (それはつまんないよなあ確かに。)

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言葉は近いだけえが

昔は、三河は参河の国・遠州は遠江(とおとうみ)の国・静岡は駿河の国だった。地続きの国同士だから当然言葉の行き来も盛んだったのである程度似通った言語を話す。だが違うだよ。

浜松の人が静岡に会議にいって、終了後懇談会(要は飲み会)があるので出ませんかと誘われた際、「いやあうちの舎っ弟んとこ寄らんとかんもんで遠慮するわ。」と言ったらその筋の人かと勘違いされて思いっきり引かれたと言う逸話を聞いたことがある。ちなみにその発言を翻訳すると「う~ん。弟の所に寄る事になってるものだから遠慮させてもらいますわ。」ということになる。

以前にも書いたが、県民性はおだやかというのは駿河の人に当てはまる言葉であって、伊豆とか東部の衆らとは付き合いんないもんでよー知らんだけど、遠州の衆にははまらん言葉だでねー。

もっとも焼津とかは独特らしく、その言葉使いは漁師言葉が多い影響で荒々しく駿河っぽくないらしいが。

駿河の言葉で遠州では意味が通じないのは結構あり、ネット等で調べると例えばを「静岡弁」(遠州弁){共通語}と表記。

「みるい」(やわい){やわらかい}

「ぶそくりかある」(ちんぷりかある){むくれる}

「かんだりい」(かいだるい){気だるい}

「しゃばく」(やんぶく){破く}

「おんまける」(ぶんまく・ぶんまかす){ぶちまける}

「さぼる」(ほかる){投げる}

挙げたらきりがない。

有名な聞いた事ないような言葉ならまあ聞けば分かるのだが

「かじくる」は遠州では「かじる・引っ掻く」という意味だが駿河では「掘る」だそうな。

「せせくる」は遠州では「触る・触れる」駿河では「ちょっかいを出す」。

などのように意味がまったく違う言葉があるのがやっかいではある。

「ちゃっきり節」で有名な「ちゃっきり」って遠州人からすれば何?どういう意味?とかいうこともある。

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本日も晴れ。異常なし その6(第7話)

 風雲急を告げると言うか、デカ長(遠藤さん)登場で雲行きがおかしくなって参りました。駐在さん(坂口さん)がここに永住するなどとは露ほどにも思って観てはおりませんが、先週までの時点で組織の人間として命令で有無をもなく東京に戻ったら志半ばどころか殆ど島の人達にとっては食い逃げ状態みたいなものでありましょうに。

電話で会話してるそのデカ長の姿はいつも刑事の現場みたいなとこから通話してるようで休まる暇もないのでしょうに。にも拘らず迎えに来たってのは余程可愛がられているようです。単なる有能だからということではなく親身になって心配しているようです。多少は無理やりにという勢いもありますが組織の権力なぞは奮わない優しさはあるようです。

そんなデカ長の愛情を振り切ってこの島で事を為さんとする駐在さんは如何にしてデカ長に納得して貰えるのか。今回はそういう展開だったでありましょうか。

 今回になってなんか突然松下奈緒さん表情の表現が豊かになったみたいに映りました。あくまでなんとなくなんで上手いよなと思えた理由が説明できなくて眼の錯覚かもしれませんが。今回の最後辺りのセリフでうらら先生も暑苦しくなってきたんじゃないのという心境の変化の表現として感情を解放するお芝居に移行したからでしょうか。今まで猫被ってた役どころでしたから。

 ところでこのドラマ前にも書いたんですけど、警察のあるべき姿はかくあるべきと謳っているのかしらむという気になりますです。事件という芽が出る前に守るべき人々と深く接してそれを早めに摘むを善とする駐在さんと、芽が出たどころの騒ぎではなく警察の目の届かないところですでに成長して一杯種を撒き散らせている状態で喘いでいる東京を見捨てるのかと説くデカ長。

どちらも正論であるようで水掛け論の平行線状態でありました。でも鬼の居ぬ間になんとやらではなく駐在さんの居ぬ間になんとやらで「本日も晴れ。異常なし」。島民の人達の姿を見てこの言葉を連なるための努力というものをデカ長が納得してこんなとこで埋もれてくということではなくここで燃えているんだという事に気づいて連れ戻しを断念したという展開でありました。

 それにしてもこの島の子供たちは過激です。先週は船奪って遁走するし今週はガラスかち割るし。プラスチックと薄っぺらい金属板貼った程度のハーモニカでガラス割るなんて凄いよなと。まあ当たり所が悪かったということなんでしょうね。ガラスの急所でも突いたんでしょうか。腹痛えとひと悶着あった後、無事落着したとはいえ、だからといって心入れ替えてハーモニカ又やろうという気になったのは不思議な子ちゃんのようでもありました。駐在さんが夜なべをしてハーモニカ直してくれた~と唄に出来ちゃうような温情を子供心に汲み取ってということでありましょうがそれで楽しく吹けるようになるのかなと。誰かと担当楽器変えたら逃げたとトラウマになるからしない方がいいとは思いますが努力して出来たとしても所詮苦も無く出来る奴に敵わないから楽しめないんじゃないかという考えに至っちゃうのはオヤジになってしまったひがみ根性のなせる技なんでしょうか。

育てる側でなく自分が子供だったらというガキ視点ですけど、子供には可能性があるというけれど万能な可能性があるとは思わないので早く自分の得手を見つけ出すことに気づきそこに重点的に力を注いだ方がいいのではと思ってしまいます。もちろん可能性の挑戦というか可能な限りいろんなものに挑戦して選択の自由の幅を広げることは重要ですけど。校長先生(近藤さん)だったら出来ないならやらなくてもいいよと言われたかもしれませんですね。才を伸ばすを善とされる先生ですから。

とにかくみんなしてやりきることに価値を見出すということで想い出作りの努力に勤しむことになったようです。我を押し殺して。それも社会の中で生きていくためには必需である厭な事でもやりぬく忍耐力というものの育成で重要ではありますからこれはこれで納得の展開ではありました。

好きこそものの上手なれ。苦労を苦労と思わない(努力や障害の排除が苦労だと思わない)熱中こそが活力ということはひとまず置いての一件落着話しでありました。こんな小さいのに大人だよなあ。

それと共に、優しくなれる方法をハーモニカを練習することで覚えようという駐在さんの投げかけは「病気をした人でなければ人の痛みを共有できない」というのと同じなんでしょうかねえ。風が吹けば桶屋が儲かるみたいなもうちょっと優しくなるための段階の種類がありましたけどそういうことなんでしょうか。

 で、元校長(前田さん)の駐在さんに対して批判的な眼を持っていた理由が今回明かされました。それは駐在さんと同じように自分も島の子供を預かろうとしたということ。それってもしかして駐在さんが此処に来た原因になったあの人かしらむと。

 駐在さんのやろうとしてる大志はなんとなく分かるんですけど、島に湧き出てくる数々の出来事の解決顛末への感想がどうも毎回ドラマの趣旨と外れてることは気づいているんですが、それでもどういう訳か素っ頓狂なツッコミ入れてしまいますです。が、なんやかや言っても毎週楽しく観てますです。

目的が一朝一夕で出来る様な大志ではありませんから、どうやってエンディングを締めるんでしょうか。

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*すまう

住まう。多少丁寧にということであれば「住まわう」か。「わ」ってのが入るとそれらしく聞こえてくる。

辞書とかにも載っているので「住まう」は別に方言ということではないのだがそれの変形が遠州弁っぽいかなと思って記載。

辞書だと長いこと居ついているようなニュアンスの住んでいることと説明されているが、遠州弁だと単純に住んでる・住もうとするとかいう使い方もしている。まあ大きく意味に変化がある訳ではないのだが。とにかく「住まう」という表現には住む(暮らす)にせよこれから住もうにせよ「そこで落ち着く」(安住の地)かどうかという意味が含まれてはいるであろう。

「住もうとする」という場合には「住まわす」という言い方になる。

「住んでみたい」だと「住まってみたい」。

「住んでられる」だと「住まわさってる」・「住まわんさってる」とかであろうか。

例文

「あそこみてみい。なんかどえらい斜面に家建ってるじゃんかあ。」

  (あそこ見てみなよ。凄い斜面のとこに家が建ってるよ。)

「すげえなあやあ。よを建っとるしい。」

  (凄いなあ。よく建ってられるよなあ。)

「新しい感じはせるよね。建売かいねえ。まだだんれも住まっちゃいんみたいだけえが。」

  (新築っぽい感じはするよね。建売かなあ。まだ誰も住んでいないみたいだけど。)

「あそこんさあに住まうなんちゅう人なんかおるだかいやあ。」

  (あんなとこに住もうなんて人いるのかねえ。)

「あそこんさあも一応山の手だでの。おだいさまにめえるだで根性で見栄張って住まわすだらあ。」

  (一応あそこも山の手になるからね。いいとこの人には見えるから根性で住むんじゃないの?)

「見栄も命がけだなあやあ。」

  (見栄張るのも命がけだね。)

「背伸び見栄見栄だけどね。ほんたのおだいさまならあんなとこ住まわさるこたあねえでや。」

  (背伸びしてるの見栄見栄だけどね。ホントのいいとこの人ならあんなとこに住まわれることはないからね。)

「近所付き合いでけるだでええだらあ。」

  (ご近所付き合いできるんだからそれがいいんじゃないの?)

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難癖といちゃもんどっちが始末におえん?

「難癖」非難すべき点

「難癖をつける」少しの欠点をほじくって悪く言う。

「いちゃもん」(言いがかり)理由も無しにでっち上げて相手にくってかかること。

辞書だとそう書いてある。(丸写しはどうかと思ったので表現は多少変えてあります)

だとしたら難癖には多少なりとも理由が存在していちゃもんには存在しないという違いがあることになる。そうか、じゃあより始末に終えんのは難癖<いちゃもんということかと。難癖つけられての対応は辟易するけどせにゃならぬがいちゃもんについては断固譲らないということなのかな。

ただしこれは自分がいつも使ってる昭和40年代の辞書の訳での話し。

で、ネットで調べてる辞書の方だと

「難癖」非難すべき点・欠点。

「難癖をつける」些細な欠点を見つけて意地悪く非難する。

「いちゃもん」難癖・文句。

となって難癖=いちゃもんということになるようだ。いちゃもん=言いがかりというのが崩れたのかどうかは分からなかった。

これってやっぱり時代が映ってるんでしょうかねえ。理由があろうとなかろうと世の中言ったもん勝ちみたいな。自分が子供の時分には客商売といえども理にかなわなければ売る方であっても決然としてたみたいな印象がある。今は利にかなうなら理があろうとなかろうと(難癖だろうといちゃもんだろうと同じ)損しなけりゃ構わない(とにかく低姿勢)みたいな風潮で、クレーマーなんぞと言う種族が味を占めてうしょうしょと湧いて来るんだろうなと思える。

世の中ぶーたれる奴がこの世から消えてなくなる事は絶対無いだろうけど。損得抜きにしてでも絶対譲れない「理」というものを「利」よりも優先するということはどうも無くなりつつあるようだ。

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*肥えた

「こえた」。シンプルに「太った」と問う時に使う言葉。

「あれえ。あんた暫く見ん間に太った?」と聞くには差し障りがあるような時に

「あれなによを。あんた前より肥えた?」と聞いた方がどんぐりの背比べではあるが柔らかくなる。気がする。「肥えた農地」とか「眼が肥える」・「口が肥える」とかいう豊かになるという好印象が「肥える」にはあるからだろうか。単に「太る」だとあまりいいことではない印象を与えるからでもあろうか。

「非常に太った」というような場合には「馬鹿肥えた」という言い方をすることもある。

辞書ではこの「肥える」を人に対して使うのは関西風味であって共通語としては動物とかに対して使う言葉となっている。なので遠州独特というものではなく関西的表現を遠州でも使っているということであろう。ところで関東ではどう差し障りのない表現をするんだろうか。「恰幅がよくなった」とでも言うのかな。まさか女性には使わないだろうから違うんだろうな。

謙遜ということもあろうか自らのことを「肥えた」とは言わないことが多い。

「太らされた」を「肥やされた」ということは流石にない。肥えることは悪いことではないからであろうか。

「太る」を「肥える」とは言う。「小太り」を「小肥えり」とは言わない。

例文

「お~やっとかぶりじゃんかあ。なにしてたよを。」

  (お~久し振り。元気?)

「お~。でもやあ なんか知らんが前より肥えた?」

  (お~久し振り。しかしなんだなあ前より太った?)

「やっとかぶりに遭ってそれかい。」

  (久し振りに遭ってそれかよ。)

「しょんないじゃん。そうめえるだで。気になるだよ。」

  (しょうがないだろ。眼に映って気になるんだから。)

「ちいとな。ほんのちいっと太った。」

  (ちょっとね。ほんのちょっと太った。)

「ほんとにけぇ?ちっとばかにめえんにい。」

  (ホント?少しには見えんけどなあ。)

「悪かったの。がんこだよがんこ。」

  (悪かったね。随分太ったよ。)

「だらなあ。なにすりゃそんだけ肥えるよを。」

  (だよねえ。どうすればそれだけ太るんだ。)

「おっかさの料理旨いもんでね。」

「そりゃごっつ様なこって。」

  (そりゃご馳走様。)

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