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8万アクセスもうちっと

ブログでの表示がもうすぐ8万を超えんとしている。ブログを始める際の目標数値だっただけに他の数字とはやはり感慨が異なります。とはいっても別で計測してるインフォシークのカウントでは気がついたらもうとうに過ぎていて意外とあっさりという勢いでホント感涙に咽び感無量の想いに耽る歓喜のお囃子が鳴り響くことはなかった訳でありますけれど。創業2007年4月という2年に満たないうちに到達したのだけは意外です。お越し下された方々に感謝申し上げる次第です。ありがとうございました。こいつぁ春から縁起がいいや。

ちなみにインフォシークの方ではこの記事書いてる現在83,260。ココログの管理のアクセス解析の方では79,956。ブログに表示の方では79,830という差が出てますです。これは携帯からのアクセスとロボットツールからのアクセスがカウントされるかされないかとかによる差だと認識してますが、ココログ管理とブログ表示の数字が一致しないのは不思議と言えば不思議です。

ココログではロボットツールからのアクセスはカウントされますが携帯からのアクセスはほとんど計測されてません。有料ブログなら計測されるそうですが。インフォシークの方では携帯からのアクセスが計測されロボットツールについては計測されません。

始めた当初の「1日あたりの平均」というのが20だったのが、今は128くらいにまでなってます。殆どが一見さんであらしゃってお馴染みさんはそんなには居られません。数少ないお馴染みさんにはホント感謝申し上げます。

よくブログでお小遣い稼ぎのアフィリエイトをする際目安として1日のアクセス平均が300以上の方が対象となるとかいうのを見たりもしますので私のブログはそういう対象に到達してないこじんまりとしたブログなのでしょう。そりゃお金はあるに越したことはないのですがその為にアクセス数確保に縛られるのも厭なんでそういった類のものとは縁のない道楽ブログで進めたいところです。

このブログ、アクセス数の多い少ないの波が大きく、ドラマの感想記事のアクセスが多いためドラマの評判の良し悪しで随分と違います。個人的には遠州弁が主食なんですけどそんなゲテモノ好きはそうはおられないでしょうから致し方ないのですが。

ところで何ゆえ8万かと申せばただ単に自分のネームを「はちまん」にしてる語呂合わせなだけであるというのが本音ですが。言い訳かませば、人にはそれぞれのラッキーナンバーや記憶の節々で寄寓にもよく出会う因縁の数字とかがある訳でありまして、私のその数字が「8」でもありますです。

なんやかやのカミングアウト(記述はしませんが)的な理由からも「8」は私には他と違う数字なんであります。

目標超えてさあ次なる目標はとなる訳ですが、記事数8万件を目指そうかなと。今のところ1825件(その内下書き数知れず)ですのでこの勢いが衰えなければと仮定しても1年約1,000記事だから・・・無理か。

容量については総容量2,000GBのうち現在48GB 2.4%を使用しているから、まだまだどすこい超常現象的ばんなそかな状態で無問題なのですが、この容量使い切る人なんているんだろうか。これを使い切るって目標にしても・・・無理だよな8とも縁がないし。

まあとにかく模索中ではありますが目的がずれてもなんとかなるもんですが目標がないと何事も存外意欲が失せて続かないもんですから、競争でもプレッシャーでもなく目安というかマラソンとかの給水所みたいなそこに辿り着ければホッとできるとこを早く見つけたいと思います。

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イオンモールのコマーシャル

クリスマスにはサンタが走ってたから、正月バージョンは七福神が走ってるのかなと眼を凝らしたけれど見つからなかった。

あの足が伸びることなく走る姿が何気に異様で妙に惹き付けられる映像だから、七福神が走リ回る姿見てみたかったな。西洋っぽい匂いがするから和の七福神だと画として様にならないんでしょうかねえ。

七つが面倒ならせめて布袋様お一人だけでもよかったんだけどなあ。

にしても初売りの宣伝が多いこと。地方で根を張る会社とかが正月だからと奮発して謹賀新年を一席ぶつというコマーシャルが少ないような。そういう景気なんですかね。

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相棒「ノアの箱舟」

2009年一発目のドラマ観賞はこのドラマ。無駄な登場人物が存在しないと言うかよく出来た練られたお話でした。右京さんは今回警察手帳を持った探偵さんという勢いに映るアウトロー的な印象を受けました。邪険にされず一目置かれてる雰囲気がしてきて観易かったです。

渥美清さんが寅さんと共に生涯を生きたように水谷さんも右京さんと共に生きていかれるのでしょうか。もしそうであるならなんかいいですよねそういうのって。役から役へと渡り鳥というのも役者さんの本望ならひとつの役で全うするってのもひとつの理想なんでしょうね。

このシリーズは毎回必ず観ている訳ではなく去年のスペシャルとか特別な回は観たりしている中途半端な視聴者な私です。

推理を楽しむということだけでなくそこはかとなく社会をちくりと刺したりと。役者力でぐいぐい押すだけでない欲張りな側面もあるんだなと思えてきます。政治家さんとかも出てきたりで庶民のあがきを炙るだけでなくスケールのデカいテーマの炙り出しにも対応できるとこがこのドラマの凄いとこなんでしょうね。それにしても豪華な出演陣ですなあ渡さんとか。岸部さんとの掛け合いが私のストライクゾーンではあります。

個人的には「ハッピーフライト」の余韻もあって田畑智子さん目当てで観たという理由もあるんですが、結局二人並んでたりすると水谷さんの方にばかり視線が惹きつけられていました。水谷さんの存在感の大きさを改めて感じてしまいました。話し飛びますが田畑さんが新しい相棒になった訳ではなかったんですね。女性が相棒だと右京さんのジェントルマン振りが映えていいと思えるんですけど。

飛びついでにちょっと話しはずれて別のことを思った事をば少し。

封ろうが重要な手がかりという展開でありましたが、随分前に実際何かの道楽講座で封ろうという作業をやったことがあります。ロウはかっちかちの固さでした。ろうそくの火であぶって溶かし封筒に垂らすんですが一度溶かしたものでも再度固まるとまた最初のかっちかちの固さに戻るので、ドラマのようにロッカーにろうが欠けてくっつくとしたらその場で溶かして直ぐにロッカーに貼り付けないとこびりつかないように思えるのですが。粘着性のあるものではないので、そこはちょっと引っかかりました。接着剤でもつけたんでしょうか。あれが欠けるってのはよいやさの勢いでひっぺがさないとそう簡単には欠けないですから。

テロ組織が環境保護団体という設定は、やはり「パトレイバー」を思い出さずにはおれません。あの当時過激なテロ行為をするのが環境保護団体という設定はとてもありえない嘘くさいことと思っていたのですが、今となっては現実を予言してたのかとかと思えてしまうほど捕鯨を邪魔する団体が現れたりこうしてドラマの設定として登場しても不思議に思えない訳ですから。

誤ったメモの解読で同じ時刻に同じ列車名の車両が存在していてそれを大捜索してたというのもけれんを感じました。映画でも大層なからくりされてましたけどテレビでもここまでするのかという勢いにびっくりしました。気合入ってたなあと。作り手の力の入れ方を感じました。

で、元に戻って。年の初めに観るに相応しくホント愉しめました。「踊る大捜査線」のようにお約束の台詞やシーンとかが多分満載なんでしょうね。中途半端な視聴者の目からみてもそんな雰囲気を感じます。

このドラマで他のドラマとは違うなと思えるのが「声」の音声でしょうか。大層低くて渋い感じがします。金切り声とまではいいませんがそういったトーンが高いお芝居風の声ではない所が乙で心地よいです。

「相棒」というタイトルですから二代目相棒が今後登場されるんでしょうか。それとも今回のようにゲストの方が相棒をされていかれるんでしょうか。それ以前に「相棒」はまだまだ続くんでしょうねもちろん。「お決まり」は好きじゃないですけど「お約束」は嫌いじゃない私ですので必ず観る訳ではないのですが続いていて欲しいドラマだなと思いました。映画だったらもっといいんですけどねえ。

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*らなあ

だろうな・だろうねという意味。

「買うだろうな」だと「買うらなあ」となる。

もとは「だらなあ」でそれの短縮形と思われる。

より短縮した表現で「らな」という表現もある。ただし「らな」は「だろな」という風に多少つっけんどん(おどし的)な表現になる。

例文

司会者「それではお一人づつ決意の程を述べて頂きたいと存じます。」

「なんかやばくなってきた感じしん?」

  (なんかやばくなってきた感じがしない?)

「確かにっ。」

  (そうだね。)

「気い引き締めんとかんで、ちょっと便所行ってくるわ。」

  (気を引き締めないといけないな。その前に便所行ってくるよ。)

「まさかとんずらこく気じゃないらなあ。」

  (まさか逃げる気じゃないだろうなあ。)

「んな訳ぁあらすけえ。でも大のほうだでちいっと時間いるけどな。」

  (そんな訳ないだろ。でも大の方だからちょっと時間かかるけどね。)

「やあ馬鹿っつらあ。ふんじゃ行くなやあ。漏らいてもええで。」

  (おいちょっと待てよ。それなら漏らしてもいいから行くな。)

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テレビからの正月の景色 

仮想現実館テレビより通報あり

元旦見ゆとの報に接し芸能人は直ちに出撃これを陽動せんとす

元日天気晴朗なれど風当たり強し

当然だけれど、新年の到来を告げるのはテレビで繰り広げられるど派手なカウントダウンの後の歓声から。随分昔のテレビは除夜の鐘が鳴り響く中おごそかにそしていつのまにか新年になっていたりした。三箇日の間は店屋も閉まり全てが停止してる静かで穏やかな様で子供には沈黙のような静けさすら感じられたりもした。

テレビもお能だあ詩吟だあ伝統芸能だあと普段とは違う姿を見せていて詰まんなかった記憶がある。ご陽気な番組は夜にならないと始まらなかった。娯楽という役割であるならば今の方が断然愉しい。教育という役割であるならばそれに応える番組をついぞ見た記憶がない。

正月らしい番組ってなんなんでしょうかねえ。駅伝?サッカー?休む日なんだから意味を求めちゃいかんというのは分かるんですけどそれにしては駅伝とかには人生の縮図を見るような感慨を受けるんですけどねえ。娯楽という意味では普段別の世界で活躍される有名人がテレビの箱の中の世界で休日を楽しむそしてそのくつろいだ様を見てるほうも楽しいってのが正月休みらしいとは思えるんですけど。それにしてもどれも長い。

広告の高配この一点にあり各社(やしろ)一丁奔走努力せよ

初詣はお社にとっても一大イベントなんだろうな。年の瀬辺りからコマーシャルがよく流されている。Cmの成否でそんなに違いがあるものだろうか。なんとはなしに気になりました。お賽銭の行方が気になる下世話なお年頃であります。

ワレ、ハワイに集結したる芸能人への奇襲に成功せり、捕捕捕や

「にいたかやまのぼれひとふたまるはち」これのヒネリが浮かんでこなかった。もうこういう景色を見かけることは流石になくなりましたが、最近はもう下火なんでしょうけど一時期芸能人は正月ハワイでお休みというのが定番だったらしい。そこへ芸能レポーターなる種族の人達がわんずと襲い掛かると言う光景をテレビが流してたりしてた。ドッキリカメラとかも流行ってたころ具合でとにかくプライベートをいじくってもてあそぶことを視聴者が愉快としてた頃の話である。銀幕のスターと呼ばれる人種が沢山いた頃は仕事と私生活が完全に分離されていてそれを追うレポーターも分別をわきまえて一緒にスターを作り上げていたと思われる。それが壊されなにごとにも逐一レポーターが口に出してご注進してしまって芸能人を普通の人に引き摺り下ろして憧れのスター絶滅の危機に陥れた。流石に今はその反省があったのかただ潜伏してるだけなのかは知らないけれど控えめな印象になってきた。それでもまだ個人的にはインタビューでイベントの趣旨とは全く関係ないゴシップまがいの質問を平気でかます無神経さに腹が立つ。ここでしか聞く機会がないからとか知りたい奴がいるから聞くんだという大義名分でも振りかざしているんだろうけどレポーターの質がどうもですわ。なくならない職業であるならば、きちんと場をわきまえしかも芸能人はみんなで育てるものという愛情や友情とかを併せ持つ信頼を構築しうる分別ある人がレポーターという職について欲しいですな。

尚、元の言葉を茶化す意図では決してありません。昔パチンコ屋といえば軍艦マーチが鳴り響いた頃があったように用途は違うけど死語として消え去ることの無いように応用として使ってでも語り継がれていくべき言葉であろうかと。

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*くらはい

くださいと言う意味のおちゃらけ言葉。方言でも何でもないのだが子供用語に留まらず家族とか仲間内の親愛表現としても使うこともあるので記載しても撥は当たるまいと思って。

「くらっせー」というどこぞの方言からの表現も使われる。

純に遠州弁だと「くんない」・「くりょお」・「くれやあ」とかであろうか。

「くれづら」・「くれだら」という言い方は存在しない。むしろ「くれだら」だと「くださいでしょ」という注意(訂正)するような意味になるのでむやみやたらに「づら・だら」つければ遠州弁となるとは決して思わないように。

例文

「ごはんくらはい。」

「あんたまだ5時回ったばっかじゃんかあ。」

「早めにしてくらはい。」

「買いもんも行っちゃいんだですぐでけすかあ。我慢しなさい。」

「ほいじゃつなぎでお菓子くらっせー。」

「ダメん決まってるじゃん。なにゆってるよぉもー。」

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当ブログの読扱要領

 創業2007・4・21。基本は言葉遊びを生業とするブログです。粗相の無い様心掛けているつもりですが如何せん汚いといわれる遠州弁が基本言語の人間ですのでもし表現に不快を感じられましても寛容なお心でお許し下さい。

このブログで小遣い稼ぎはしておりません。作品の画像紹介でアマゾンを使ってる場合もありますが稼ぎのためではありません。ただの道楽ブログです。

当ブログ名は遠州弁表現の「田舎っさー」です共通語的表現の「田舎っさ」ではありません。よく切った表現検索の方でお越しくださるお方がおられますが遠州弁では切らずに伸ばします。

1、遠州弁(現在新規に興したホームページ用の下書きとなっております)

 遠州地方独特の固有方言だけでなく古い日本語が残っていたりというものと、方言ではないが普段使いで頻繁に使われる地域性があると思われる表現を蒐集したいと記載。

遠州弁は綺麗な方言ではありませんのでお使いの際には使用場の空気をよく読んで用法要領を守って正しくお使い下さい。なにが正しいのかは人それぞれですが。

独自の解釈(私見)によるものであり理屈からではなく普段使っている感覚から発想しているもので学問的な根拠のある内容のものではありません。したがって動詞だ名詞だとかいうこむつかしい文法とかとは縁がありません。

記事にする目的はせっかく浜松に生まれ育ったのだから地元の産物として収穫しとこうかと。ちなみに私が遠州弁を養った集落は昭和の時代の東小~八中の校区エリアであり此処で使っていた言葉を基本としていて、遠州地域全てをカヴァーした上で紹介するものではありません。

例文につきましてはなるたけ日常会話っぽくを心掛けていますが受け狙いで濃い目の方言使いする傾向にあります。仲のいい遠州人同士の会話形式ですので他所の人には普段よそいきで喋るので他県の人相手の場合にはこういう言い方はしませんのでご安心ください。

よく文中に出てくる「辞書によると」の「辞書」は三省堂製新明解国語辞典(初版昭和47年)。「古語辞典」は旺文社製古語辞典(初版昭和40年)。「ネットで調べる」は@nifty辞書を主に使っています。ただし極力丸写しせぬよう表現等を変えていますので誤解釈してる場合もあるやもしれませんがそれは辞書のせいではなく私のアホが露呈したということです。

ブログとしては掟破りなのかもしれませんが、内容につきましてはちょくちょく変更することがあります。読みにくさの改善・勘違い誤解等による誤った表記の訂正・思いついた追加点等があった際随時書き換えているからです。ご了承下さい。

追記2010/5 最近の記事の傾向として終助詞だ助動詞だのという御託が付く事が多くなりましたが、これの言い訳としましては流石にネタ切れの状況になりつつあり徐々に重箱の隅をほじくるようなネタが多くなりその説明をする上で辞書の力をより多く借りるようになった為と同音の言葉と混同しないようにという考えから付す事が多くなりました。

もちろん書いてる本人に知恵がついて来たとかというのではなく根拠である辞書等からの丸写しであって十分に理解している訳ではありません。どうかしちゃった訳ではないのでご心配なく。アホに変わりはありません。

2、テレビ(注、2011年5月以降他のブログで書くようにしまして現在休止中)

 主にドラマの感想を書き殴っております。無料視聴なので要望という名の注文はありますが基本悪口はご法度の姿勢でいきたいと意識してるつもりです。受像機等に関する機械的な内容ではありません。

ただし受信料という名の有料放送に対しては金返せめいた発言をする場合があります。

ちなみに「評価」は何様でもないただの視聴者なので述べてないつもりでおります。そういうのはそういう地位(職業)や有識者がするものでしょうから。あくまでいち視聴者としての感想です。

現在放映中のドラマは「現クールのテレビドラマ」

放送終了したドラマは各年別の「~年のテレビドラマ」

バラエティなどの番組については「テレビ」

SGに出演された役者さんについては「スウィングガールズ関連」(注、2011年6月他のブログに移行しました)

3、映画(こちらも現在休止中、別ブログへ移動)

 映画鑑賞が道楽なので愉しかった作品の感想を残しとこうかと。観た物全てに感想を残すのではなくいいと思えたものだけを感想残ししてますので記載量は少ないです。身銭を切っての観賞なのでドラマとは異なりいい意味でも悪い意味でも素直に思った事を書いておこうかと。ただし一回観て講釈垂れる記憶力直観力はないので何度か観ての旬とは縁のない感想となります。しかも人とは大分ずれてるような感想です。

項目につきましては浜松基準で分類しています。

浜松で上映されて尚且つDVDになったものは「映画・DVD」

浜松で上映されずDVDでしか観れなかったものは「DVD」

昔の映画(浜松で上映されたかどうか憶えていない映画)をテレビで観たものは「映画・テレビ」

追記2010/5 文化の田舎をアピールするために浜松基準で分けていましたが、もうめんどくさくなったので今後は「映画・DVD」という枠一本に書いてく事とします。

4、その他色々

「その他」 ブログを続ける上での細かな変更とかの記録。

「変形改造ことわざ・慣用句」・「死語の世界」 死語やことわざを弄繰り回して遊ぶ。

「つぶやき」 応援している役者さんとかについて。生活していてふと思ったこと。

注意点

*略語をよく使うのでその説明

「SG」=映画「スウィングガールズ」

「ガールズ」=スウィングガールズに出演された役者さん

*立ち位置(贔屓目の視点)

私は矢口史靖・山下敦弘・市川崑作品が好きです。

スウィングガールズが大好きでそれに出演された役者さんをブログ内で応援してます。

映画で活躍されてる遠州出身者ということで、ブログ内で長澤まさみさん・筧利夫さん・鈴木砂羽さん・袴田吉彦さんとかを注視(応援)しております。

応援してますが、サイン欲しいとか逢ってみたいとかいう接点を求めるものではないのでファンという領域ではありません。あくまで作品の中でご活躍して欲しいと願うのみであります。

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*まある

まわる(回る)が訛ったもの。

「まあるいお月様」という共通語の表現があるが「丸い」を「まあるい」と表現することがあり遠州でもこの言い方はするのでややこしいことは事実だが実際使っているのだからしょうがない。

「眼が回る」は遠州弁では「めえまある」・「めんまある」となる。決して「メンマある」と言ってるわけではないので間違えないように。

ただし本人は「まわる」といってるつもりだが遠州人の発音の癖として「まある」と言ってしまっているという可能性もあり。

それと「巡視する」といった「見て周る」という場合には「みてまある」とは言わず「みてまわる」というのが普通なので回転といった意味合いでのみ「まある」となるのかもしれない。

例文

「お~。よう来たしい。まああがってきない。」

「どっから入りゃええで。」

「そこんさあからじゃ入れんでえ。表んまあってきてやあ。」

「そんじゃあ寄らせてもらうにい。」

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2009年始めの記事

謹賀新年

年の励みのためにとて

大荒れなきよに愛でたやな

波風立てずに何ごとも

憩う今日より愉しまん

今年も愉しみが尽きぬ年になりますように

相手を思い遣れる人間になれますように

欲に走らないように筆が走りますように

穏やかに健やかに暮らせますように

そうゆう風に今年はいきたい

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2008年の締め記事

色んなブログとか巡ると格好良く今年一年の締めの記事が踊ってる。

虚礼廃止を貫いて数十年。年賀状すら放棄してる社会性の欠如した私だが、ブログでは別人格に変身してるのであろうか、自分も追随せんと書き出したんだけれどとりとめがなくまとまらない。この方が自分らしいか。付け焼刃に意義は無いのだろうな。

ところでそんなこんなことの連続で下書きが随分と溜まったもんだ。書いては飽きて書いては結論無くて。幾つあるんだと数える気力すら失せる量。

世間はなにかと底冷えが厳しいが、夏はバテ、冬は風邪で年がら年中おうじょうこいた。健康が資本というのが身に沁みた一年だった。

年の初めに誓った願いで成就できたのは、ブログ続けた・ハッピーフライト観れた。達せられなかったことの方が多いけど最後しみったれた事書いてもせんなきこと。忘れてしまうが年忘れ。いい事だけで年またぎ。

自分は萎んでたけど世間様からは愉しさをいただきました。一番愉しんだということでいえば

読み物としてのブログでは松重豊さんの「修行が足りませぬ」が一番愉しみだったな。

映画はやっぱ矢口監督の「ハッピーフライト」だよな。

テレビドラマだと「パズル」かな。

本は物置から引き摺り出して星新一作品群を読み返したことかな。

音楽は堺正章さんの「忘れもの」よく聴いてたなあ。

Cmは「娯楽仮面コンケルド」がなんやかやあったけどインパクト一番だろうかなやっぱ。

ホント自分はなんだかなあでしたが世間からは愉しいものを享受させていただいた一年でありました。だからこそそういう頑張っておられる人の足を引っ張ることのないよう注文という名の批判ではなく応援していけるが理想かなと。生きてさえいれば愉しい事に出会えるもんですな確かに。

それでは、よいお年を。

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*しらなんだ

知らなかったと言う意味。気づかなかったというニュアンスで使う場合もある。まあ共通語の範疇であろうが以下のごとく変形すると方言らしくなる言葉と思い記載。

「知らなかったのか」は「知らなんだだ?」と表現する。

「しらんだ?」だと「知らないのか」という意味になる。

どちらも「しらなんだだけえ」・「しらんだけえ?」もしくは「しらなんだだあ」・「しらんだあ」を略した形と想像される。ただし「だあ」よりは弱めのニュアンスにはなるので「だあ」の略という考えは説得力に乏しい。どちらもあくまで想像であり根拠は無いのであしからず。

普通の使い方は「ああしらなんだ」(ああ気が付かなかった)という使い方や「あんたしらなんだじゃ済まんだにい」(あのねえ知らなかったじゃ済まされないんだよ)とかいった使い方をする。

例文

「さっきいうちんとこのがきんちょこっち歩いてこんかった?」

  (さっきうちの子供こっちに歩いてこなかったかい。)

「いやあ。しらなんだ。来ただ?」

  (いや気づかなかったなあ。来たの?)

「来た筈だけえがいやせんだよ。どこん逃げくさっただかいやあ。」

  (来た筈なんだけどね。どこへ逃げやがったのかなあ。)

「なんか悪さしたあ。」

  (なんか悪いことしたのかい。)

「いんやあ使い頼ますかと思ってえ。」

  (いやそうじゃなくてお使い頼もうかと思ってたんだけど。)

「察してとんずらこいただか。頭いいじゃん。」

  (察知して逃亡したのか。なかなか賢いじゃないか。)

「こすいだけでえ。誰に似ただか。」

  (ずるがしこいだけだよ。誰に似たやら。)

「おめえにだら。」

  (君にだろ。)

「失礼しちゃうやあ。」

  (随分じゃないか。)

「あれ知らなんだだ?みんなよー似とるっつってるにい。」

  (おや知らないの?皆よく似てるって言ってるよ。)

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犬神家の一族(2006年版)

この間、市川崑監督の遺作と銘打ってテレビで放映されてました。つっこみいれていいならユメ十夜じゃないのかい?という思いはありますがどういう基準なんでしょう。折しも同じ日に同じリメイク作品の椿三十郎もやってましたがやっぱり比べてしまうと市川崑作品を選んでしまうのでありました。どちらも初観賞と言う訳ではないのですが惹き込まれ具合を考えるとこちらに軍配が上がってしまいました。

ほんで、やっぱ思ったことは改めてオリジナルの方の凄さを思い知らされた印象を持ちました。というのも真っ向勝負のリメイクだからこそ比較出来るということと、はじめて観た時の衝撃のインパクトが強すぎて今もってその余韻を引き摺っているんだということを再確認したからなんですが。あまりいい表現ではないのですが何でリメイクしたのかしらむと不遜にもつい思ってしまいました。そういう感覚だったので感想書いても褒め言葉がでないだろなと思って記事にしてなかったんですがせっかくテレビでまたまた観る機会があったんだから大雑把に書いとこうかなと。

オリジナルが145分。リメイクが134分。それだけでも削った部分があるということで大きな違いなんだけれど実際見比べてみると結構違うものだと。もちろん台詞とか流れていくシーンとか漠然と観る限りラスト以外どこが違うんだ?と言う気にはなってきますが。私はど素人ですから具体的技法的にどうのという比較したって説得力無いですのであくまで受ける印象からの曖昧な感覚的な違いを書いておこうと。

ということでテレビ放映終わって直ぐオリジナルの方DVDで観直してみました。

身分の違いっていうんですかねえそれとも品が違うって表現の方が適切なんでしょうか。いいとこの育ちのお方(犬神家の人々)と粗野(猿蔵)と庶民と(はる)知的職業ながらも品がいいとこのお方(古館)との雰囲気の違いといった辺りのメリハリがオリジナルにはあるんですが、リメイクの方ではそれが薄れている感じがしますです。それが役者さんの違いによるものなのか演出によって変えられたものかは私如きの眼ではどうも読み取れませんですけど。この点に関してはオリジナルの方が私は好きです。特にこれぞ平民と言った感じの女中役の坂口良子さんとどこか卑屈な影がある古館役の小沢栄太郎さんが好物です。リメイクでは深田恭子さんと中村敦夫さんがそれぞれ演じられておられますが深田さんの場合悪い意味でお綺麗お行儀良過ぎます。おそらく育った時代が豊かな中で育ってこられた今の役者さんは皆さんお綺麗なだけでなく生活感が殆ど漂わない存在感をお持ちの方ばかりな感じがしてますんで深田さんが悪いと言うことではないんですけどね。中村さんは事件に対して恐れおののいてるという感じが強く犬神家の人々に対して卑屈になってる訳ではないように映りました。これについては事件への怯えを優先するか立場の格差を優先するかという好き好きでしょうから匙加減が合うか合わないかの違いだけでしょうけど。

三姉妹の仲。オリジナルの方が姉妹らしい距離を感じます。母も違うし遺産を争う仲ではありますが共に姉妹で暮らしていたという連帯感がオリジナルからはより感じられます。リメイクの方は互いに張り合っているというかどこかで袂を分かったような距離感を感じます。長女らしいしっかりさとは対照的な奔放な印象の三女役の草笛光子さんの末娘的らしい勢いが好みです。

オリジナルは猿蔵がいかにも怪しくて結構終わりの方まで猿蔵犯人じゃないかという線で引っ張られましたけどリメイクではそれほど引っ張られることなく軍隊服の男説が有力で押してるように映りました。観てるものを惑わすということではオリジナルに分がある感じでした。

画についてはリメイクの方が間違いなくけっこいものでした。クリアでしたし。でもオリジナルの白黒や宵闇の部分は黒くなっている部分とかもあり何がそこで起きてるのか良く分からない(観づらい)とことかもあるんですが、それはそれなりに頭で思い描いて勝手に補足する作業を要することが出来て奥深く感じられもするんですが。白黒の懐古シーンとかは今観ても斬新で色褪せてないインパクトを感じます。

音楽はリメイクの方が好きです。オリジナルはいかにも当時のポピュラー音楽という勢いで今ではもう古いというか情感が湧きにくくなってます。っていうか当時から疑問には思ってたんですけど。ま、実際は楽曲が替わってる訳じゃないので音の印象(乾いた印象の音だった)の違いによる錯覚なんですけどね。リメイクの方がしっとり感があってこっちの方が気にならなくていいかなと。

何を削り何で削ったかとかについてはさておいて変えてきた部分というものの意図を推察すると、分かりやすくするという印象を受けます。それによって明快さがより鮮明になってますですが、それによって日本の因習といったおどろどろしい部分が影を潜めた感じです。人間関係の陰湿さが生んだ事件というお話しだと思うんですけど明快にした分得体の知れない何かに突き動かされてという動機が薄くなった感じがしますです。オリジナルではどろどろしたものが取り払われてのエンディングという勢いだったので凄く晴れやかな気分になったことを想い出しましたが、リメイクの方ではその晴れやか感は薄かったです。

役者さんが違うと全体的に受ける印象も随分と変わるもんだなというのも面白いところでありますが慣れ親しんだ分オリジナルに愛着がある分リメイクが受け入れにくくなってるところがあります。

それだけオリジナルは私にとって「名作」であるがゆえに、ビー○ルズはオリジナルじゃなきゃ厭だと思うのと同じようなもんでいじるべかざるものになってる感じです。こういうのを偏屈というんでしょうかね。

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娯楽仮面コンケルド シーズンⅡ ①

全く新しいコンケルドのCm見ました。シーズンⅡと謳っておられるので未完の大河であったシーズンⅠを引き継いでの新作ということでしょうか。

そんなことしててあんた生活の方は大丈夫なのという危惧をしてた通り、それなりのお住まいにお住みのようで。そうまでして明るさが足りないからと日夜修行に励まないとコンコルドにはなれないのかあと。元老院の方々も普段の生活態度までチェックしてるようで公私共に頑張らないと無理なようです。パート2と呼ばずシーズンⅡと呼称するのは24時間励めという思し召しなんでしょうか

っていってもリアルに考えれば元老院は彼が作り上げた幻想なんでしょうけど、それをいっちゃあただの危ないおにいちゃんになってしまいますから言わぬが花か。

自己分析では自分の活躍で世の中随分明るくなったこれでコンケルドになる日も近いと分析して元老院のじいさまにツッコミ入れられてましたけど入れられたのが焼きじゃなくてホントよかったですね。この甘さが能天気で笑える壷なんでしょうか。洒落になってる風には受け取れませんでしたがおにいちゃんの姿をみると確かにこの人平和だわあと思えてきます。せちがらい世の中でもこういう人が暮らせる余力のある社会であればいいかなとも思えてきますです。人畜無害が絶対条件ですけど。

ところであの格好ずうとしっぱなしなんでしょうか家でくつろいでいても仮面を被ったままではさぞやつらい荒行かと推察いたします。そうまでしてなりたいコンケルド。一体全体なったらどうなるんでしょうかねえ。なにが変わるんでしょうか。

いづれにしてこうして新作が現れたということで、もうずうっと気になってたのが私だけじゃなかったっていうことでなんか安心も出来ましたです。

それにしてもえげつない表現ですがこんな面白いCm静岡県だけでしか観れないというのはなんか意味もなく優越感が湧きますです。

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戦士の資格

いやあこりゃ面白いですわ。ヒネリが効いてて途中ハラハラしちゃいました。

観終わって素直に短かねえか?と思いましたです。連ドラはどうか分かりませんが2時間いけるだろと。

なにしろダーティーに出世を狙う野郎ですから、もっとえげつない手段でこの世の花を充分謳歌してから波乗りの波の選び間違いで流されて島流しになって欲しかったですな。

その方が島流し生活の悲哀が増すでしょうし、落ち込んだ分だけ田端のおばちゃんの優しさが身に沁みるってなもんでしょうに。

まあ会社で親身になってくれる・禅問答(愚痴)に応えてくれるような人が居ること自体奇跡という非現実性はありますけど。ファンタジーと思えばどうってことない話しですから。でも会社って不思議なもんで出来る奴が必ず上にいくって訳じゃないんですよね。そういうところは多少リアルかな。おばちゃんという設定じゃなくておっさんだったらもっとそれが伝わったんじゃないのかなとも思えました。おばちゃんの世代だと女性が出世狙うのは普通考えられませんでしたから。出世話しの相談に自分の経験談語らせるならおじちゃんの方が説得力あったかなとつい思えたもんで。

立場が変われば人も変る。これ真実です。管理職になるところっと変わります。ずっと下にいる人間の眼から見た経験上知りえた事実です。だからそれはよくあることでこの人に限ったことではない。そういうとこももう少し見せて欲しかったなあです。

それはともかく島流しにあって一皮向けていくのですが、それを支えてくれた田畑のおばちゃんを人が変わった偉いさんに人身御供(早期退職候補者)に据える辺りはなんじゃこりゃと思ってしまいました。元の木阿弥じゃんって。嘘だろって。

候補がおばちゃんだと分かったのはCmの後ですが、偉いさんに候補者決定した旨の電話をして救急車のサイレンの音が遠くでしてどこかに携帯電話して、ってところでCmになったんですけど。Cmの間中誰を選出したんだ?あれで自分を選んでたらかっこいいのにな。でもそれじゃ脱落者という結果になるよなあ。どっか田舎暮らしでもして幸せに暮らしましたとさで終わるのかな。その時彼女は一緒についてくるのかなとか想像を張り巡らせてしまいました。

で、次のシーンではいきなり田端のおばちゃんが呼び出されてのシーン。しかも面接者が高木自らという残酷性。しかもしかも再び冷酷な口調で覆いかぶさるような面談。あっそう。元に戻って組織のロボットとしての経験値が上がり出世街道突き進むサラリーマンの鏡というブラックジョークの展開かい。こりゃまたシュールだねえと。そう一瞬思ったんですが、その後の説得の手際が人情劇でびっくりしました。意外性ありましたねえ。こう切り返してきたのかと。しかも情が絡んでの懇願的なものでなくきちんと数字をも塗り重ねての説得はスカッとしました。

もちろんそれで本社に返り咲くことを棒に振るのでしょうが、爽快ではありました。彼女が惚れ直すのも無理ありません。始めの頃見事にはめて追い落とした同僚(眞鍋さん)に最後再び出会い怒り狂う彼女に最初の台詞と全く同じことを言ってのけるとこも粋に感じました。

あそこでもう騙されないぞと思わせたら台無しですけど西島秀俊さんが言うと説得力ありますな。表現が汚いですけど言われた相手も仕事とか出来るけど生き様が馬鹿正直そうに映る眞鍋かをりさんっていうところもはまってるなと思いました。(ご本人がという意味ではないですよ)でも「一緒に変えていこう」というのはある程度年功序列が存在してないと説得力薄れるなと興ざめなこと一瞬思ってしまいました。あれで眞鍋さん翻意されたんでしょうか。

でももたいまさこさんが一番の重しで効いてる勢いですわな。氷の心を溶かしていく太陽の心を注入するとかの役だったら独壇場なんでしょうか。

西島秀俊さんは顔の表情を殆ど変えずに感情が伝わってくると言う不思議な役者さんです。動きというか態度とかもそうですよね。一体どこから感情表現オーラを発していてそれが観てる側に伝わってくるんでしょうか。謎です。声は確かに状況によって違うんですけどね。声だけで伝わる量じゃないですこの伝わってくる量は。

ある意味あっと言わせるというかトリックを楽しむ作品なので二度三度と噛み締めるタイプの作品ではないような気がしますがのめり込ませてくれる作品でした。軽快に進むんで30分くらいかなと思ってたんですが50分ほどありました。時間を忘れさせてくれたドラマです。

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*おんしゃなにょ寝言こいとるだ

なにとんちんかんな事言ってるんだというニュアンスの言葉。

直訳すると「お前はなにを寝言言っているんだ」となる。まあ共通語で使われる意味と大差なく言い方が方言というだけであるが。

とんでもない的外れな事を言ったりした時のつっこみの言葉として使われることが多い。

「お前正気か?本気か?」とかいった覚悟の程を確かめるような言葉ではない。ただ単に「ボケかましてんじゃねえよこのすっとこどっこい」と言っている。

喧嘩が始まる売り言葉になる場合もあるが、概して好戦的な表現ではない。好戦的に変化させたい場合は

「馬鹿かぁおんしゃあ。なに寝言こいてるだあ。ざけんじゃねえわ。」

とかを付加すれば売り言葉になる。「こいとる」が「こいてる」に変わっているがこの方がきつめな発言に感じる。何故なら「こいてる」は「こいてけつかる」の略っぽく聞こえるからである。と勝手に思ってる。

例文

「今日はええ天気だあなあやあ。」

  (今日はいい天気だね。)

「おんしゃなにょ寝言こいとるだあ。午前中雨んだあだあだったにい。」

  (何言ってるんだよ。午前中雨が凄かったぞ。)

「そうけえ。わし寝とったもんで知らんだわあ。」

  (そうなの?午前中寝てたから知らないんだ。)

「寝とったって。知らなんだだ?雷とかも凄かっただにい。」

  (寝てたって。気づかなかったのか?雷とかも凄かったのに。)

「おお。知らなんだ。」

  (うん気づかなかった。)

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*くりょ・くんりょ・くりょう・くり

「そうしてください」を遠州弁的表現で言うと

「そうしてくりょ」(そうしてくれ)

「そうしてくんりょ」(そうして欲しい)

「そうしてくりょう」(そうしてください)

「そうしちくりい」(そうしてっ)

とかのニュアンス分けして表現することが出来る。「しちくりい」についてはおふざけ言葉なので方言と呼べる範疇かどうか疑わしいが一応使ってるので記載。

他にも「つかあさい」・「やあ」とかも使う。一番丁寧?な部類に属するのは

「そうしてくれると嬉しいだけどやあ」・「~助かるだけどやあ」

とかがつくことであろうか。

例文

「腹ん減ったでなんか作っちくりい。」

「自分で湯う沸かいてカップラーメン喰やいいじゃん。」

「んなこといわんとお。作ってくんりょ。」

「今日はなんもせんって決めただもん。」

「そういわすとお。作ってやあ。」

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日米開戦と東条英機 その2

当時の国全体が戦争を行なわんとする流れに押し流されて戦争するために首相となったのではなく戦争回避の為に東條ならば陸軍を抑えられるだろうと言う願いから首相を任されたというところ辺りから物語が始まりそれに苦悩する様が描かれていました。

戦争は相手がいて始まるもの。相手たる米国の当時の状況は国民はしたくなく政府は一戦構えたい。日本は国民が煽られた効果で盛り上がり政府は避けたい。それに加えて日本には政治・国民とは切り離された統帥権という力を有する軍隊が関わっている。多数決なら米国は引き分けで結論でないけど日本は2対1で開戦。なんていう冗談はともかく圧倒的多数で日本は開戦の扉を開けることに異議なしという勢いがよく伝わってきました。「うねり」という表現で表わされていましたがよく分かりましたです。命を狙われる危険すらあっても開戦不可を唱え続けた山本五十六ですら戦争行なわばの行動を準備していたのでしょうから相当な国全体が戦争へと向かう圧だったんだろうなと。

「君臨すれども統治せず」唯一止められることができたのは天皇陛下ではという想いはこの言葉で無理だったんだと納得しましたです。しかしながら昭和天皇がご聡明であらせられただけについ越権行為をしてでもお止めいただきたかったと思ってしまうのですが国の秩序の崩壊に繋がるわけですからそれはやはり出来ないことだったんだなと。でも統帥権を振り回す軍部が陛下の御心に逆らっていたことは不遜だよなあと思えました。

東條内閣が発足してから管理統制が厳しくなったということも描かれていました。その憲兵を含めた統制・束縛の締め付けを行なう理由はテロに対する恐怖からのものと描かれていました。戦争回避を行なうと言う強い意思を通さば必ずや不満分子が現れる。その出現であっけなく積み上げてきたものが崩壊してしまうことを2・26事件で見てしまったから。なるほどなとは思うのですが実際開戦したのならテロもへったくれもないと思うのですから締め付けを緩和するだろうと考えるのですが敗戦の日に至るまで鬼と怖れられた憲兵組織が闊歩してた暗黒が続いたというのはよく理解出来ないところではありました。

「かみそり」と異名を取った人の聡明ぶりが伺えなかったのは不思議。演じておられるたけしさん御自身も数学がお得意と承っているので同じオーラとか見えるのかなと思っていたのですが意外ではありました。戦争突入するか否やの問答の際近衛文麿らとの会談で戦力比からいって勝てる見込みがないということに対し兵卒の質などで反論しやってみなければわからないと述べたという発言からは高い事務処理能力と謳われた面影が感じられませんでした。事務的・算術的な人との接し方をされるのかと勝手に思い描いていて、感覚や感情優先で物言う人には厳しいものがあるのかなと思っていたので不思議な印象でした。逆じゃないのかと。人格すらも変わるほどもう戦争戦争と追い詰められていたのかなとも思えてきます。

長い会議の後陛下に上奏したところで号泣されたとのこと。ドラマ盛り上げの為の創作ではなく事実らしいのですがまさに小説よりも奇なり。如何ばかりの心境であったんでしょうか。ドラマでは戦争回避の大御心に添えなかった不忠を恥じてという感じでありましたが。もし内閣総辞職してても先延ばしされるだけだったんでしょうかねえ。季節の天候の関係で即時開戦を要求してたということでしたがどのくらい先延ばしできたんでしょうか。シュミレーションをもう少し聞きたかったなあと思えました。

石井秋穂という人物は魅力的でした。黙して語らず。実直に行動する。現代は言わなきゃ損だとばかりの人がごった返す有様で最早廃れた日本人の美徳を表現したかのような人物のような気がしました。この人かっこいいと思えるか、なんで言いたいことあるだろうに言わないんだよと歯がゆく思えるかに分かれるところでしょうが。リアルに出会うとなると付き合いづらいですが信頼が置けるので上司でいて欲しい人種だなと私は思えます。でも部下として自分が仕えるはしんどいかな。

徳富蘇峰がポロリと言っていた「もっと早くに、しかもナチスと共同してソビエトに攻め入っていたら云々」は「歴史のもしも」ですがなるほどなと。資源が確保できる訳ではなかったでしょうけどロシアの脅威から日露戦争が行なわれて以来国の組織が変わっても大日本帝国の認識では北方の脅威は存在し続けてたのかもしれないのですから変な意味ですが名聞は立つかなと。まあどっちみち米国がソビエトに援助してましたから負けた結末だったでしょうけど。

当時の日本の状況が今の状況に近いのは北○○なんでしょうか。偽札とか麻薬とかに関わるような不義は大きく違いますけど、状況だけで言えば孤立して禁輸されて自衛の為に立ち上がらぬことも厭わぬと精神論叫んでるところとかは近いようにも思えてきます。そう考えると正義は薄いなと思えてもきます。

あの戦争はなんだったのか・誰が戦争を始めたかという主題でしたが結局「一億総懺悔」という表現が当てはまる勢いだったんでしょうか。始めた者が悪いのか止められなかった者が悪いのかとかいう話しではなく、300万人以上の死者を出したという災難を引き起こした原因がどこにあったのかという視点だったのでしょうか。独裁者なぞ存在してなかったのだから鶴の一声で戦争が始まったわけでは無い事は確かなようでドラマの締めの部分で主人公が追い続けると呟いてたけどホントの理由なんて数があり過ぎてわかんないんじゃないかと思えてきました。

それとどこからが大東亜戦争の始まりなのかというのも単純に真珠湾攻撃からという訳でもなくもっと前から始まってたんじゃないのかという気もしてきて東條内閣の時点では止めるも何もなかったんじゃないのかという気になりました。

とにかく、敗者の悲哀はそれは悲惨なものであって今年も樺太の郵便局や空襲とか色んなドラマで提示されてましたけど。負ける戦は絶対してはならないという事だけは間違いことでしょう。勝てばやっていいのかという論法に対しては支那や仏印に勝ったところでそれを不可とする米英にやられたんだから単純に紅白に分かれてといったものではなく色んな色が絡み合っている世界なのだから勝てるからやるという単純思考は短絡過ぎるのではないかと。まあつまり戦争は避けるべきものでありその為に努力することが大切なんだろうなと。

会議のシーンは迫力ありましたです。こんだけすんごい役者さんが集まっての丁々発止の勢いは観ていて惹き込まれました。感情ではなく気迫で押し通す雰囲気で圧迫されました。皆さんいいお歳なのにひたすら長い会議の席で心が折れず進もうとするところをみるとやっぱ健康と体力第一だなと思ってしまいました。最後会議が終焉を迎え精も根も尽き果て疲労困憊で椅子にしなだれかかるような様がとても印象的でありました。

どうでもいい話なんですけども電球が発する明かりはは黄色いというイメージがあるんですけど東京の電球は当時からもう白色だったんですかねえ。

結局東郷手記の内容はほんの一部しか提示されなくて残念でありました。本にでもなるのでしょうか。

黒沢年雄さんが海軍さんで出演されて居られましたが、終戦の「日本の一番長い日」では血気にはやる陸軍の青年将校を演じられておられているのを思い出して立場は違えど始めと終わりの両方を演じられてるのかぁと。いつもテレビで拝見するお姿は好々爺っぽいお方なのにねえと想いながら観てました。

「軍人は戦争したがる」という発言がやけに印象深かったです。

前半部と比べてドラマは惹き込まれて一気に観れました。

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三ちゃん農業

小学校の頃辺りだったか社会の授業で今の日本の農業の傾向を表わす言葉としてこの言葉が使われていた記憶がある。

「じいちゃん」・「ばあちゃん」・「かあちゃん」の三ちゃん。

働き手の男子は会社や工場勤めに出て残った家族で農業がなされている現状(当時の)を評した言葉。

農業が本業として生活できないということに対する言葉であった訳だけれど、今はもうもっと深刻な状況らしく静岡県では盛んに静岡の農業が危ないというコマーシャルが流れている。とにかく人手の減少傾向に歯止めがかからない状況なんだそうな。

盛んに「安ければいい」という消費者の安易な考えがこの結果の一因を招いたとも言われており、最早「安全をお金で買う時代になった」という表現も出てきていた。

短絡思考なのだろうけど派遣で工場を追い出された人(人があぶれたところ)もいるかと思えば足りなくて困っているところもある。自給率云々というのであればまず人手だろうと思えてくる。派遣という制度には疑問を感じるけれど農業や林業に人材派遣する会社って存在しないんでしょうかねえ。

以前観た映画で「深呼吸の必要」というのがありました。沖縄でサトウキビの収穫をするために募集して全国から集まった若人達が作業と共同生活の苦戦に耐えながら生きてく上でのなにかをそれぞれ掴んでひと夏を終えてそれぞれの道に戻っていくという内容のものでしたけど。その作業のリーダー格の人は全国各地で収穫の手伝いをして回るというある意味プロの人でありました。その人は「あんたそんな定職に就かないでなにやってんだ」とかいう批判を浴びたりもしてましたけど。どこへ行っても頼りにされる渡り鳥は決してちゃんとしてないことはない筈でむしろ生きがいすら感じるようにも映りました。こういう生き方だって決して恥ずかしくないと。

農業や林業を繁栄させるのならそういう派遣もあっていいよなと単純思考で思ってしまいます。ちょっと前にボランティアを募って森の整備をという話しを聞きましたけど商売として成り立たないというのが最大のネックなんでしょうかねえ。

うちの近所でも三ちゃんどころでなく一ちゃん農業で年金生活の片手間(生きがい)でやってる方ばかりですから、その方がお亡くなりになると後を引き継ぐ人も無く駐車場や宅地にいつのまにか変わってきていますから。まだ三ちゃんの頃の方が懐かしく継続できる農業状況だったようです。

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えへらえへら

要は「へらへら」なのだが浮かれてる度合いの違いによって使い分けられていると説明しても撥はあたるまいて。

「へらへら」は相手から見れば許しがたい状況での緊張感のなさに対する怒りを感じるが。

「えへらえへら」は納得いかないが多少は許せんでもない状態。

なので「へらへらしてんじゃねえよ」だと「気を緩めてるんじゃねえよ。」とか言う風になり「えへらえへらしてんじゃねえよ」だと「お楽しみはそこまでにしてそろそろ・・・」とかいったニュアンスの意味になることがある。

検索してみると「えへらえへら」おかしくもないことに締まりなく笑う様と辞書で載っていたので共通語ではあろうが遠州弁のニュアンスだと「へらへら」と「にしゃにしゃ」の中間的な使われ方をするということで記載。

同じような言葉で「にしゃにしゃ」という表現があるがこちらは満面の笑みといった勢いがあり「えへらえへら」は浮かれてる(はしゃいでる)といった趣となることが多い。ただし「えへらえへら」の後に「ちんたら」とかがついたら気を引き締めないと痛い目に逢う領域である。

例文

「相変わらずうれしそうだのえ。」

「んなことあらすかあ。いつだって平常心だにい わし。」

「いんやあ、きんのうにしゃにしゃしとったけど今日はえへらえへらしてるわあ。やあ、何いいこんあったでえ。」

「なんもねえよ。」

「うそこけえ。」

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