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大丈夫なのか?日本人が日本語を疎かにして

 世間では加速的に英語を早い時期から教える方向に向いているそうな。それよりもっとちゃんとした日本語教育を重要視した方がいいんじゃないかと思えるのは気のせいだろうか。

自分の感情を表現するのに「死ね」・「うざい」・「ムカツク」・「ヤバイ」・「カワイイ」などとしか表現出来ない日本語能力の低下は問題ではないのか、口できちんとした感情表現が出来ないから暴力とかに方向が向いているのではないかと思える。口で言えば済むことなのに上手く言えなくて余計な軋轢が増すということもあろう。

 話しは飛ぶが、私は以前下宿先で隣の家が火事になった様を目撃したことがある。

それは朝の事だった。古い家なので洗面台の前は鏡ではなく外を見渡せる窓という造り。そこでぼけっと外を眺めるでもなく窓の外を見ながら歯を磨いていた。するとボスン!という何かが爆ぜたような、でも轟音ではない音が一瞬弾けたような気がした。そして口をゆすぎつつ顔を洗う為に下を向いた。洗い終わって顔を上げたら向かいの家は赤い炎に包まれていた。あっという間の出来事だった。

家の人(奥さん)は無事逃げおおせたようで私の住んでる家に駆け込んで来た。消防署への連絡と家族に報せる為に電話を借りにきたのである。119は勿論押せた。だが場所を聞かれた瞬間パニックになってる人の動顚とはこういうものかというのを目の当たりにした。住所が出てこないのである自分の家の。一刻も早く消防車に来て欲しい焦りが重なってそれはもう見ていられないくらいの有様だった。そこで受話器を奪うようにして(きつく握り締めていた)電話を替わり町名番地を伝え電話を切った。

少し落ち着いたのかどうかは分からないが今度はご主人に伝えたいと奥さんが言う。代わることなく電話番号を言ってくれこっちで押すからと伝えた。焦りのあまり間違い電話になってはと思ったからだ。すると今度は勤め先の電話番号が思い出せない。自分を責めているのかヒステリックに頭を掻き毟ったりして懸命に思い出そうとしている。

見かねた大家さんが電話帳で調べて見つけてくれた。ダイアルをして要件を伝

えご主人を呼んで貰ってから受話器を奥さんに渡した。しかしなにをどう伝えていいのか言葉が浮かんでこないようでまたパニックに陥ってしまった。今度は大家さんが替わり家が火事になったが家族は無事という旨を伝えてた。

話しの始まりからだと数十分の話しであるが、電話での出来事はほんの数分の話しである。人はパニックに陥ると思った事を言葉に伝えることが出来なくなるというのを知った。

 別の話しでこれは聞いた話しだが、浜松には南米から職を求めて多くの海外で育った人達が住んでいる。家族で来てたり浜松で子供が生まれたりとかで子供を伴ってて長期滞在されている方が多い。学校は日本の学校で就学となることが多い。当然授業は日本語クラスメイトと話す時も日本語。家に帰れば今度は家族とは母国語で生活することになる。

一見二つの言葉を幼少時から実践で勉強出来て万々歳。とおもいきや、思いがけない落とし穴があるそうである。それは例えば熱湯を被ったとかいう危機に陥った際言葉が瞬時に出てこないそうである。母国語と日本語どちらを選択してよいのか判断する時間が必要となるそうな。熱いと言うのかアウチと言うのかみたいな。

この二つの脱線話しを通して言いたいことは火事場の話しは交通事故とかでもそうだけれどそういう状況に誰しも陥る可能性が存在してるということで平和ボケからいつだって今の世の中平静で居られる筈だというのは過信であろうということ。二つ目の話しはそういった状況に陥った場合ただでさえ上手く伝えられない精神状態になっているのに加えて言葉の選別(判定)が鈍くなるというのはどうかと思うということ。

これが例えば病院に行って自分の症状を的確に説明できなくなるくらい表現力が低下したら完全に赤信号だろうけど、今はまだそこまでではない黄色信号だとしたら、直せるうちに早めに戻した方がいいのではと。それは社会に出て会社が教育してくのでは遅いのであって子供のうちからが効果的であろう筈。

 それとはっきりとした表現が出来なくなった原因のひとつでもあろう言葉狩りの狂気というのも良し悪しかと。人間の感情というものには負の要素もあり、それらもきちんと言葉に出来ない限り「ムカツク」・「居なくなれ」とかいう曖昧な表現で茶を濁していては言われた方にしてみれば理由も分からないまま排除(いじめ)をされてどう直すべきか見当もつかぬまま辛い目に遭ってしまうのではなかろうか。自分の意識をはっきりとよくも悪くも伝える能力を身につけることが足りないんじゃないかとその言葉足らずを感じる今日この頃。「お前なんか嫌いだ」だけではどうしようもない。何故嫌いと感じるのかきちんと伝えれば相手もなんらかのリアクションを取れるであろうに。もちろん言われた時点ではひどく落ち込んだりもするだろうが改善すべき理由がはっきりすれば具体的に直そうと努力することができる筈。

子供は正直な分残酷なものだ。臭いものは臭いというし邪魔なら邪魔という。そういうものを親は「言っちゃ駄目。見ちゃ駄目。」などと叱る様をよく見かけたりする。つまり言う事に蓋をしていることになる。言うとどういうことが起きるのか。言われた相手が傷つくからだとか自分が言われたら嫌でしょうとかいったことまで教えているのであろうか。「あやまんなさい。」みたいな言ったことに責任を持たせることをしなくなってるようにも思える。責任を負いたくない頭を下げたくないから蓋をする。内側に感情は鬱積されていく。

美辞麗句だけで社会が循環するほどこの世は綺麗な清流ではない。だからといってもちろん率先して使おうなんぞといった事を言いたい訳ではない。悪い表現が蔓延して殺伐な世の中になっても致し方ないとも決して思わない。

誤解の生じない意思の伝達がまず第一であってその為に存在悪のような表現というものでも使うにやぶさかでないのではと思えるのだ。なんでもかんでも蓋をしてその結果言葉が痩せて表現力が乏しくなっているのではないかと言いたいのだけれど。ただ「むしゃくしゃする」だけでは何に対して行き詰まりを感じていたのか分からない。

今の世の中言わなきゃ損だという風潮があるのだが、本当に正しく伝わっているのだろうかと思えることが多いのは気のせいか?自分以外はみんな馬鹿と思って行動してる人が随分と殖えてきているけれどそういう人は他人の何が馬鹿と説明できるのだろうか。

私自身も言葉足らずで人の事を言えた義理ではないのだが、だからこそ次世代を担う人々には私みたいにならぬよう言葉で繋がる社会を築いて貰いたいものだと。

もっとも全世界で英語を統一言語として世界をひとつとせんとかいう遠大な計画に基づくのであらば日本語を大切にとかいう旧人類は消え去るのみであろうが。

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