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赤鼻のセンセイ その4

 若くして発病しその病気と一生付き合っていかなくてはならない苦悩を背負った人間の屈折せざるを得なくなったその心を正しく導かんと奔走する主人公とよき?理解者の奮闘の物語。にしては過激にひょうきん者。

今回の軋轢は、病気になる前と決別(リセット)し新たに病気と共に付き合って生きていく(過去を捨てる)べきという意見とそれはもったいないという意見。その成否はどっちだという展開のように思えました。

こういうキャラの主人公って最終回掻き回すだけ掻き回しといて最後去っていくってのがほぼお約束というかよく見るパターンなんですけどどうなるんでしょうかねえ。

この回面白かったのは香椎さんの怒る姿とその言葉での追い詰め方。それを受けて恐縮する大泉さんという図式。どちらも様になっていって観ていて不謹慎ながらも面白かったです。

最後請求書を眺めての院長先生(上川さん)の誰か褒めてくれみたいな嘆息ともつかぬ空気の抜けた言い方も悦でしたなあ。

ユニフォームを打ち捨てた光景を目撃してたシーンでの神木さんの目の動きがなんか印象に残りました。

どうでもいい感想としましては田中役の高良さんってヘルメット被った姿は堀○真希さんにどことなく似てるよなあと。

 タイトルの「センセイ」が片仮名なのは「先生」というまんまの意味もあれば「専制」という独断で処理しようとする厄介者。「宣誓」といった大言壮語の割には失敗をやらかし最後は周囲(特にシルクちゃん)に助けを乞い求める迷惑者。「先制」という思い立ったが吉日を地で行くうっかりお調子者。とかいった色んな意味がこもっているんでしょうかね。

そういうキャラをどう愛でよと言わっしゃるのか。大泉さんのキャラでいったれやという勢い押しなんでせうか。水曜どう○しょうフリークである私にとって大泉洋がなにしようがついていけるので別に嫌いじゃないですけど、おんぶにだっこにしても寄りかかり過ぎじゃないかと思えたりもします。

 言わんとしているテーマというか主題の深さと、その存在が画になる役者さんが適宜な場所に満遍なく配されているのにも関わらず、どういう訳か散漫かつ強引に映って見えるのは何故でしょうか。決して余分というかテーマに添った行動しかしていないにも拘らず。

そう思えるひとつの要因として、観る側からすれば生徒それぞれが持つ影の部分がよく理解できてないままに、そのやっつけ方が一話完結でけりが付いてしまうというあっけなさに思えてくるからなのでしょうか。まあそれは主人公が受け持つ生徒は3人ですからそんなことではなさそうでまだまだ一波乱もふた波乱もありそうですが。でも今のところそう映って観えてることは確かです。

若くして病気と闘わざるを得ない者と普通に暮らしている者との思い悩む事の質の違いがどうも明確に判りやすく説明されてないので、彼らの悩みや苦しみが理解できていないせいなのかもしれないですね。大人の病人とどんな可能性も否定されない中学生の病人とでも心情は違う筈ですから。その特異性ゆえの心の葛藤の根源を判りやすく提示してくれたらなあと。

どっちみち主人公の笑いをとってナンボという信念や様々な行動に至る思考回路といったものは理解できませんから特に葛藤を写さず奮闘の提示だけに留めて、中心となる視点は生徒達目線で進めてくれたらいいんじゃないかと思えたりもします。

余計なお節介が功を奏しているのか、生徒達が口とは裏腹のSOSを投げ掛けているのかそういった辺りがよく分かりません私の頭では。

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