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末は博士か大臣か

「末は博士か大臣か」意味としてはいづれは博士か大臣にまで登りつめるやもしれぬ逸材かもと言う意味合い。

立身出世が美徳とされた頃の出来のいい子供に対しての期待を込めた誉れ言葉。本人が言うと野望となる。が、そんなこと思っていたとしても普通口に出すことはない。あくまで口に出して言うのは周りのおべんちゃらか親の過大な期待が籠もった贔屓目から。

話しは大分ずれますけど、塾や専門学校、果ては大学まで生徒募集のCmが打たれる今の時代。売りはどこそこの学校や資格取得率の合格率と云うものが多いような気がする。他にはキャンパスの環境設備とか。悪いわけじゃあないけれど幕末の松下村塾ほどのインパクト無し。塾はともかくとしても学び舎はどういういかなる人材を世に送り出したかが問われるべきで如何に善き師に巡り合えるかで人生大きく転ぶものであろうに。銘柄に希望が集中するのはブランド好きな国民性の賜物か。

数字に現われる説得力だけでなく、映画じゃないけど口コミというか多くの人の評価というものもインパクトがあるもののような気がいたします。近くの町医者においても近所の評判は馬鹿にならない。有名人を輩出したと言うだけで名が上がることが望ましいとは思わないし、出汁に使われる側も堪ったもんじゃないのは当然だとしても実績を強調するのに数字しか方法がないというのはちと寒い。

今何を基準にして選択をするのであろうか、入りにくさの狭き門ほど優遇されるのかしらむ。学校は入ってしまえばそこがゴールなのであろうか。目的を達成してしまった抜け殻では社会に出ることに夢はないのかもしれない。

「大学は出たけれど」という古~いフレーズがあるけれど、そういう意味では今だって違う意味で十分通用するのかもしれない言葉である。就職に於いて、そもそも学校を選択する時点で多くの流れはなにをしたいがためにそこに進学したのかというような明確な意思が昔ほどある訳じゃない。だから社会人として採用するほうもされるほうもどこの出身かなんて(医療や技術とかの専門職は別として)肩書きとして以外には重要じゃないのかもしれない。会社も本人の希望とする部署に必ず入れる訳でもなし、当の本人だって目的がないから条件がいいからとりあえず入ってやってみて、自分に合うか合わないかで仕事の良し悪しを判断する両者の化かしあい。自分の道を早く決めた者勝ちということに案外気づかない人が多いのだろうか。

小学生に将来の夢を書かせたところでその通りになることが殆どない現実。昔は意思に関わらず親の跡を継ぐ制約で、今は理想だらけすぎて具体的な努力の矛先がみつからない。夢も希望もあったもんじゃないのは昔も今も同じと言うことか。

「末は博士か大臣か」これにしたところで今憧れの職業というわけでもなさそうだし。今なら本人的には「末はアーティストか一生自宅待機か」で、親御さん的だと「末は同居で面倒見」が憧れか。

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