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刑事一代・平塚八兵衛の昭和事件史

 物凄く見応えがありましたです。一度目の時にはその迫力に圧倒されてただただ「お~」でありました。大抵のドラマはCmが張りつめた精神を解きほぐす効果を感じるのでありますが、このドラマに於いてはもどかしい気にすらなる惹き込まれようでありました。なにせ長丁場の一気の作品なので感想書くにしても結構気合と時間が掛かりますが見直しするのは苦にならないです。

年を経る毎に刑事さんが小粒に見えてくるのは「おやや」ではありましたが、プライドを賭けてのぶつかり合いは清々しくも映りました。八兵衛だけでなく皆が場の空気を読むもへったくれもなく何かに向かってぶち当たってでも突き進む姿は感動的であり勇気を貰いました。仕事に命とまではいかずとも人生を賭けてる勇ましさが格好いいです。余力を残さず全てを仕事に使い切る姿は男の憧れでもありましょうな。

架空のお話しではなく実在の事件・人物であり、まさに小説よりも奇なりという趣のハラハラ感がありました。リアルタイムで知ってた事件とかではないんですが有名な事件ばかりですので知識としてはもっていて先が読めてる筈なのに、それでもどうなるんだろうというドキドキ感がありました。保(萩原聖人さん)との丁々発止は圧巻でした。まさにこれぞ劇的。当初あざとい顔をしてた保が自白した後こころなしかすっきりとした顔になったのがせめてもの幸いと思えました。

鶏が先か卵が先かのような話でありましょうが、犯人を憎むという意識ではなく事件に遭った被害者やその家族の為にという姿勢はどの刑事さんからも伝わってきて、よくある刑事ドラマとそこいら辺が大きな違いかなとも感じました。それだけに重いというか。

とにかく渡辺謙さんに吸い寄せられました。あれだけの数の群像劇でしかも名だたる役者さん達ばかりでありますが埋もれ褪せる事無く映えておられてたのは凄いことだなと。

しかしながら、一番特にじーんときたのは石崎(高橋克実さん)の表彰状?授与のシーンでありました。人生の苦労が報われた瞬間と命尽きんとする時間とが交叉して満足していいのやら道半ばの無念を嘆くべきやら。定年まで勤め上げることが美徳の時代ですから。あの感極まった涙は複雑でいい方(満足)にも悪い方(次はない)にもどちらとも取れるもので切なかったです。その姿を涙を見せずただ俯く八兵衛の気持ちはいかばかりだったんでしょうか。単なる仲間相棒というのではなく最早刑事としての自分の一部をもがれるような気持ちだったんでしょうか。

 八兵衛は異端児であったと位置づけておられましたが、組織としてイエスマンばかり配置していては順調に機能し成り立ちはしても飛躍には結びつかず、こういう人材をも養える度量が組織として必要なんだろうなとも思えてきました。

ここに登場する上司はエリートさんは別として腹と胆の据わった方ばかりで、組織として充実してたんだろうなと思えてきますし、やっぱそういうところで働いてみたいものです。まあへたれの私じゃついてけませんけど。そんなへたれの私でさえそう思わせる魅力がありました。

 それも三億円事件辺りを境にサムライの時代からサラリーマンの時代へと変わっていくようにも映りました。それは情(人)から絡め捕ることから形跡痕跡から掬い取ることへの変化とも映る訳で、ある意味問答無用の機械的とも感じられるのではないかと。いいとか悪いとかじゃなく犯罪も無機質になったことへの対応なんでしょうけど。機械に文句言っても始まらないけど不平不満は収まるものでは無い訳で。その吹き出し口がより過激になってるようにも思えてきます。だからといって酔っ払いの行動を擁護するつもりはありませんが忌憚の無い意見を言える場が人には必要なんだろうなと目一杯言い合って全力を尽くす姿を見てるとそう思えてきました。

 

 時代考証は私のリアル経験の記憶としては三億円事件以降なので、それ以前の事件については未体験の年代の話しなのでそこんとこは、「よを作り込んでるなあ」とかいう悦はないんですけど。

 現在劇ではもう使えない煙草を使った近代劇は、今後役者さんを含め社会全体が禁煙という方向に益々突き進んでいったらどうやって「昭和らしさ」を表現していかれるんでしょうかねえ。煙草飲みの私ですらこんなとこで吸って・・・いやそういやあ昔はそうだったなあと思うようになってきてますので。今の風潮では使いづらい表現になってるような気がします。これでもっと極端になって煙草が完全少数波になればあからさまな「昭和の姿」としての表現になるんでしょうけど。私みたいな素人でも判ることとしては

落ち着こう気分を変えようという手段。状況を変えようとか目的地に着いた時の証みたいな。

食堂等で吸い始めれば食後と分かる状況説明手段。

ただ灰皿の上で煙が立ち上がって行く。何かに没頭してる様の表現。

遠くを見てぼんやりと吸っている。考え中という様の表現。

などなど煙草を使えば表情仕草にこだわらなくともどういう状況下が読めるという大変便利なアイテムである煙草なんですが、これが未来永劫続く表現かといったら誰も吸わなくなったら理解できなくなるんだろうな。それはいつなんだろ。少なくとも今はまだ通じている表現だろうけど。

萩原聖人さんがかような役を演じられると映画「マークスの山」を想い出します。なんか切ない気になりますです。

 野郎の汗臭いドラマですけど、余貴美子さんも印象深かったです。あの聴取の際の慟哭は強く残りました。恥も外聞もなく崩れ落ちる姿は見栄を重んじる現代にはないものであそこまで懸命に生きなくても暮らしていける余裕の塊のような今というものが逆に浮かび上がってくるみたいでした。観念するってのはこういう事なんだなと。

 諸手を挙げて絶賛するには、電話のやりとりの様子でそこに居合わせる人間が何を通話してるのか察知してるとか、部屋の中でやりあってるところに入ってきてなにが原因で揉めてるのか問いただすことなく理解してるとことかのお約束が過ぎるでもないと感じる箇所もありましたんですが今年観た中で一番いいなあと思うドラマでありました。

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