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木枯らし紋次郎

 「木枯らし紋次郎」は股旅物の最高峰と勝手に思っているのです。(当時は知る由も無かった)映像美の市川崑監督作品だったという画の美しさということもあるけれど、リアルタイムで観ていた頃の印象は、ちゃんばらひとつとっても生臭い生きてる人間の仕草という勢いが強く、形式美ばかり見てきた眼に息してる者同志の命のやりとりの見苦しいもがきから醸し出される切迫感が観ていて突き刺さってきた記憶ががんこ残っているのです。そしてあのような境遇の中でも生きてる人々のスゲエなとも思える人の逞しさとかも凄く感じ取れたし。もう音楽聴くだけで身震いしてきてしまいます。

そもそも股旅と放浪はどう違うか。股旅とはばくち打ちが旅をして歩くこと。放浪とは気任せ足任せに各地を旅すること。どう違うんだというと良く分からないんですが、少なくとも逃げ回っている訳ではなくそういう性分なんだということ。大分昔の話しですので紋次郎が股旅に身を置いた理由とかは全く分からないんですけどおそらくそういう性分なんだろうな。逃亡者ではないんだろうなと。

定住安定こそが幸せの第一歩と考える農耕種族たる自分達から見て鎖でつながれたくはないと感じる野生種のような人間を見るのはとても新鮮だったんでしょうかね。

 とか昔を思い出しつつ平成の紋次郎をば観ました。

面白かったです。渡辺いっけいさんがよかったです。鶴田忍さんがああいう役を演じられると観てる方は騙されちゃいますな。配役がナイスという感じです。

尚、結構長文になったのでこの記事で初めて「続きを読む」を試してみました。

人別帳(戸籍のようなもの)に名前が載ってないという住所不定で全うな職に就けない身の上とは申せやむなく風来に身を置く事に嘆いてる訳でもなく生を全うしてる紋次郎というのは健在のようでした。辿り着くべき目的地を持たないが故にその日その日を精一杯生きる空気感がピンと張り詰めた感じがやはり新鮮でありました。大分丸くなったなのか正義感に満ちあふれているようにも見受けられアウトロー的な空気感よりもこの顛末の関係者の一人という風に映りました。お話しの流れからすれば巻き込まれてる筈なんですけど自らも進んで関与してる風にも映りました。

紋次郎の特徴と言ったら喧嘩(長ドス)の腕もそうですけどその丁寧な物言いが最たる特徴でありましょうか。凄く他人行儀な感じを漂わせているからこそ「あっしには係わり合いのねえこって」という名台詞が映える訳でありまして。そこいら辺は健在だなと。渡世の義理に縛られて動く様はアウトローとて同じことなんでしょうかしがらみからはどんな世界にいても抜けられないもののようです。しがらみだけでなく礼儀もなくてはならなさそうで礼儀が重荷と感じるような私には無理だなと。多くを語らない印象があったけど生い立ちを語るシーンとかもあり存外雄弁な感じも見受けられました。分かりは易いけど侠も安いかなとちと思えたりなんかして。今風なんでしょうかねえ言葉足らずは損というのが。

物語の展開はその人間関係の綾の絡み合いがよく練りこまれていたなあと。救いようの無い完全なる悪党がこの世の春を謳歌している様の描き方も徹底していましたしその悪党に踏みにじられる悲哀もありましたし、その裏を往く真の悪党?の出現もあるというどんでん返しもあり。狂犬と女狐の化かし合いと女狐に描いたもちを見せ付けられ安住を願う渡世人が片棒担いでのそれぞれの思惑が織り成されているところに紋次郎が巻き込まれたという体でありましたが、そう単純に言い切れるようなものではないそれぞれの生き様も織り込まれていて引き込まれました。

ちゃんばらのシーンにつきましては、おまんたちの家での代貸し(渡辺さん)との雨中での一戦では、手下が気を張り巡らせて外に出、辺りを見回してみれば人影なし。紋次郎は何処と思わせといて屋根から飛び降り一撃を食らわす。観てる方はハラハラ出来ますけどあんなボロ屋の屋根に乗ったら絶対抜けそうなくらいぎしぎし音するんじゃないかと。

画の印象としましては市川作風を意識されてたんだろうなと思えました。こうでなくちゃという物を守る姿勢は好きです。他には陰影が薄いところとかがあったかなと思える部分を感じました。きちんと夜に撮影されてるんでしょうけど昼を強引に夜にしてるみたいとも思って見える部分とかありましたがそれはテレビそのものの性能によるものなんでしょうかねえ。見えない見づらい物があっても夜は仕方なかんべやという気はするんですけど。それに見えない分何が潜んでるのか想像してしまって不気味さが増すんですけど、このくっきりさだと闇に潜む邪まさまで影を潜めてしまったようであれよあれよでした。綺麗過ぎるのもあやかしさが消えて痛し痒しなのかなと。

でも小道具とかも含めて背景は気合入ってるよなとつくづく思えます。長ドスなんかもいかにも鈍く武士が持つ刀とは明らかに違うものという感じがしました。これで切っても鈍痛でざっくりとはいかなさそうで。斬るもんじゃなく刺すかたたっ切るものだというのが分かるようです。ドスだからこそトドメとなりえず生きながらえて最後のような出来事がありうるんだなという説得力がありました。あんな状態で戻ってきてお市(若村さん)を屠ったり夜が開けて末期の水をというシーンとかでの人間の生命力の凄さを感じましたけど。最後お市と源之助が添うようにして果てる様は結局源之助の横恋慕だったんでしょうか。なにかとちょっかいだしてたのも。そんな気になる最後で余韻がありました。

ところで音楽ぶったぎってCmにいくのは勘弁願いたいところではありました。なにせ音楽に浸りたいんで。キリのいいところが無理ならばせめてフェードアウトとかにして欲しかったな。ホント勘弁しておくんなせえですわ。

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