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なんだかなあ 最近の某国営放送は

 ただの妄想なんでしょうがね。最近の某国営放送の大虎ドラマや暦誌皮話ヒストリアなる番組とかを見ると、歴史をショーアップしてるとしか思えない。ここまで受け狙い的ないいとこ取りしたような軽薄化にしなければ歴史への興味がそそられない程視聴者は怠惰してるんだという判断なのかしらむ。

どちらかというと「講釈師見てきたような嘘を言い」がピタリとはまる勢いを感じます。嘘ではないのでしょうが具体的には書きませんけど「これは事実なのか」と詰めたら事実だと押し返せるんでしょうかってのが結構あるように思えてきます。これはフィクションですとは謳ってませんから事実だと言ってるのと同じでしょうが事実を元に話しを膨らませてるとしか思えない部分を感じます。まあ足利尊氏や源頼朝の肖像画だと教わってきたものが最近の調査でひょっとしてとかになるくらい歴史に真実なんかないんだから想像を膨らますしかなかろうと達観されておられるのかもしれませんが。

別に権威を求めている訳ではないのですが、素人からみてもホントにそうなのかそんなこと言ったのかとかいう疑問を抱く作りはなんだかなあです。始めにきちんとフィクションだと謳ってくれてればあれですけど。そりゃあ確かに重厚な作りで嘘八百というのよりかは騙された感は少なくて済みますけどね。某国営放送に求められるのは信憑性であってあたかもな華やかさでは決してないのでは。

こうした違和感を覚えてるの自分だけかしらむと不安になったのでネットで調べてみたら対某国営放送に対して同じ表現を使われてる方が結構いらっしゃったのでホッとしました。

もちろん○HKスペシャルのようにまだ健在な番組と映るものも在りますので全否定してる訳ではありませんです。例えば「後藤新平」の台湾総督府時代での一面を見たりとかで見応えがありました。国営放送なら民放とは異なる役割があるのではと。後塵を拝してまで倣う(競う)必要がどこにあるんだろう。コマーシャルばりの番組宣伝流したり。もちろん某国営放送側にしてみれば機を見るに敏なりということで時代を読んでということなのでありましょうが方向性がそれでいいんだろうかと。足並みそろえたところで経営の体型が異なるんだから孤高ながらも我が道を行く方が無理は生じないのではと思えてしまいます。

尚これは最近民放とのコラボ番組が生まれてることへの批判を含んでいるのではありません。商売上二の足を踏むようなこと(視聴率)でも某国営放送ならばこそそれに惑わされずに為しえることがある筈で、目的が異なる道を進むも否定しあうことなく双方の弱点を補う関係でたまには同席してまずは一献とかがあることは悪いことではないのですから。お祭りが得意な民族と日常を得意とする民族が出会えばそれぞれの特徴がより鮮明になるでしょうし。歩み寄る手段は本質を変えてまで右に倣えをすることではないでしょう。言い方を替えれば染まる必要があるのかということです。

 話し飛びますが、受信料なるものを年貢のように徴収しておいてまだなおデマンドとかを使用するにおいては別途金払えというのは、これはもしかして第二の漢検か?儲かるならええじゃないかという風にも思えてきてしまいます。そんなに集めてどこへ行く。

もっともテレビが家にあるならNHK見てる筈だから金払えという口上を失くす為に年貢制度を廃して今後視聴希望者のみが番組別に受信料を払って見れるようになる準備というか前段階だというのなら話しは別ですけど。そうなれば殆ど観てもいないのに高い金払わなくて済む出費のエコにもなるし。番組ごとの課金ということにしてくれたらいいのにな。話しが飛ぶ前の話しとは相当矛盾してますけど。

つまりが伝えることが信頼性のあるものでなければ国営放送の意味がない。それを希釈してまで面白い番組作りに励むと言うのなら課金性にて勝負して興味のない人からのお金で賄って欲しくないということです。

いまのところ出来事(ニュース)の信憑性と「共通語の見本」であることが某国営放送の最大の価値かなと私は思っているのですが。それが薄れるのは好きくないところです。

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