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未来講師めぐる第七話

今回が今までの中で一番面白かった気がしました。野郎の度スケベ逆手に取ったような哀愁が漂ったというのも重要なポイントでしたけど、なんか展開がそれなりに入り組んでいて、これくらいが私的にはピッタリはまる感じなのでしょうか。

ストーリーの内容としては、エロビデオに訪れた男の妄想的憧憬がいざ現実にならんとする葛藤と苦悩の決断と行動。不気味さを漂わせるいかにも謎という少年の登場。母親が我が子に諭す宿命と自立への訓戒。教師と教え子の禁断の愛を願うもどんどんと離れていく現実。こんな感じですかねえ。

*AVでお世話になった女性に実際に営業とかでなくて一個人として出会えるなんて、ホント羨ましい限りですわ。何度も「別腹」と連呼してましたが正しくその通りです。女性の「甘いものは別腹」と全く同じものですから。こういうときの野郎の武士の情け的仲間意識は強力です。それを冷ややかな視線を浴びせる女子二人の馬鹿じゃないのというあきれた空気感も花を添えるような印象で野郎の度スケベにかける情熱を盛り上げているようでひたすら笑えました。もちろんニヤニヤですけど。そしてその顛末は儚くて切ないでした。自分だけのことではなくそれぞれ(本人・彼女・娘)の人生を考えると重くて支えきれないから降りるというのはマジそうだよなあ諦めるべきだよなあと納得と思えます。エロだけではどうしようもないですからねえ。ついしみじみしちゃいました。

でもお部屋での理性との葛藤のシーンで天使と悪魔の囁きが普通なのに誰も止めないってのは笑えました。

*ほくろ。稼いだ2万円で整形して取っちゃった展開になってしまいましたが、そうなると前回までめぐるが見た20年後の世界では、子沢山の円満でも別の人生を歩んでいてもほくろって確かついてた筈なので、この時点で全く過去見た未はありえなくなったってことですよねえ。この二人の運命や如何にって感じで先が楽しみです。それにしても黒川さん徐々にお綺麗になられてく展開で最終回までどう美の進化されるのか。それも愉しみです。

*自分の道は自分で切り開く。色んなドラマで良く聞くお決まりの名台詞ですが、不変ですよねえ。説得力ありますわやっぱ。

*謎の少年。予告見る限り来週の為の顔見せって勢いでしたが、能天気なキャラばかり見てたのでなんか切迫感というか緊張感を軽く味わえました。一瞬でしたけど赤い雪(雪が街頭の明かりに照らされて)が画的に新鮮でした。でも少年の顔よく見ると能天気一族そうでしたけど。カメラワークで見事に騙されてるんでしょうか。

軟・弱・変・信・秘と、これらが上手く重なり合って絶妙なバランスがあったんでしょうか。ホント面白かったです。

それにしても芸達者な方達ばかりなのでどこまでがアドリブなのか境界線が掴めないドラマなんですけど、今回は最後の焼肉屋での江口先生の木村みちるに会話の合間にちょっかい出してるとこはアドリブなんだろうなと黒川さんの顔の表情から判断できました。女優さんを無闇に触るのは禁じ手だろうとは思うんですがエロビデオだからしょうがないかあと変に納得なんかしたりして。

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*どこぞ

なにやら古文にでてきそうな言葉だが、遠州では現役で生きている。そういうことなので方言ではない。「どこぞでお会いしましたかねえ?」といった「どこかで」とかが共通語での意味であろう。

遠州弁での意味は、何処?・なに?と聞いてる訳だが、見たまんまではなくいわれとか氏素性とか背景を含んだことを聞きたいようなニュアンスで使われることが多い。

なので「どこぞ」と聞かれて見たまんまの事を返すと、「見りゃ分かるわそんなこと」と脹れられるケースが生じる場合もあるので、そういうときには知ったかぶりは勿論知らなきゃ素直に分からないと応えることが望ましい場合が多い。

時代劇とかのセリフで「誰ぞおらぬか。」とか古典で「いづくんぞ」とかの「ぞ」と同じもしくは親戚筋と思われる。遠州弁現役での意味は上記の通りで辞書でひく「ぞ」の意味とは少し離れている。

例文1

「あそこでたむろしてるの、どこぞの衆らでえ。」

「知らんなあ。みたこんないわ。」

「カッコ見る限りじゃあまともには見えんよなあ。」

「あれじゃない?どっかのファンとかじゃないの。」

「眼が逝っちゃってるってか。」

「そこまではいっちゃいんにい。ひどい事ゆーやー。」

「否定はしんだら?」

「まあのー。」

例文2

「あそこでたむろしてるの、どこぞの衆らでえ。」

「ありゃあれでえ、なんとかっつう人の追っかけの衆らだらあ。」

「ほんとけえ?。にしちゃあ歳んばらんばらんじゃんか。」

「じゃ違うだかいやあ。」

「てんめえ。いい加減なこん無責任にこきゃがってえ。」

「知るかよお。あんな衆らのこんなんか。」

例文1は知らないものは素直に知らないといったときの会話。例文2は知ったかぶりしたので怒らせた会話。

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包帯クラブ

しほりん目当てで堤監督作品だしと云う欲で観ました。観たんですけど結局は柳楽優弥さんと石原さとみさん観てました。

ちょっとしたセリフの粋な感じは堤作品らしくて好きですが、それよりもこのお二人の存在感に引っ張られた感じです。

柳楽さんは(柳楽さんに限らず)このとき(年齢的にいって)丁度なんでもかんでもが代謝的にも雰囲気的にも匂いとか欲望的感情とかがギラギラ・プンプン放出しまくりの人間として暑苦しい時期じゃないですか。それでいて当人は決しておくびにも出していないつもりでいるが周りには見え見え、行動半径が広がっても内向的思考のままで周りが見えていないというバランスが悪い時期ですよね。パンツ売ってこいやのジョークなんかでもその後1万円を6000円に値切るあたりとかマジで洒落になってない感じがしないでもないくらいです。それをいい意味で逆手にとっていやらしく(不快と言う意味)なく魅せてるあたりはすごいなと思いますわ。実年齢に関わらず演じる上で精神年齢を上げた感じでやってる高校生役ってのはよく観るんですけど、あまりそういう小細工をしてる風には見えませんでした。だからありえないキャラクターの筈ですけど自然とリアルに息してる感じがしてきました。ある種のドギツイ部分を封印せずギャグとして昇華して見せてるのは上手いなあと思えました。監督さんの力量によるものなのかご本人の持つ役者力によるものかは知りませんけど。

ふんで、以前からの折り紙つきである存在感のデカさはそのままで、アップでも良し俯瞰でも良しと、ホント将来が楽しみな大きな器を感じさせる方です。二十歳間近くらいまでは雌伏の時期かな将来の大器はという考えがあったんですけどそうでもないみたかったです。いいですわ。

石原さんは、可愛いですよね。しかも死角がないというかどういう表情しても可愛く映っていて画になります。前半の内向的な性格がお話が進むにつれて積極的になっていくキャラを演じておられるのですが、そんなコロリと自分が変わるもんかなという疑問を抱きつつも、違和感のない印象でした。石原さんってこういうドラマの中で成長(変化)して行く役が多い気がするのは私の錯覚なのでありましょうか。

で、肝心の映画の感想ですけんど、結構深いですよねえ。やってることは10代でなくちゃできないことだけどその行動を起こす原点が心に受けた傷の手当ということですから、そういう意味じゃ年齢に関わりなく共通する痛みな訳ですから若気の至りとかじゃなく私なんかでも考えさせられるお話しです。

冒頭のいつのまにか断りも無く大切なものが失われていくというつぶやき。

デパートの実演販売のくだりは、自然淘汰の非情さであり、抗えない摂理に意図が介在しようとしまいと被害者と加害者になっていく。

いずれにもそれを阻む術がない切なさが伝わってきました。

そして人はみな誰でも例外なく心にキズを持ちながら生きている。その傷の手当として逃避したり放棄したり傷の上に別の傷をつけてといった後ろ向きな治療法に普段人は頼っているということなんでしょうか。

映画では包帯を巻くと言う行為を提示していますが、要は人に頼る・すがる・吐き出すことによって少しでも快方に向かうと指し示しているようです。もちろん逆上がりじゃないけど最後に治癒させるのは自分自身の勇気と努力でしょうけど、自分で抱えていられる(我慢できる傷の)量はほんのちょっとしかないということなんでしょうかね。

やっぱ人は集団のなかで生きるべき生き物であって孤高に自分だけの世界を構築して生きていくのは無理があるということでしょうか。溜め込まず外に放出すべきであり、それは自分自らでなくとも人の厚意に頼ることは恥ずかしいことではないというメッセージにもとれます。

だとしたら包帯巻いて写真撮ったら後片付けしていきなよ。社会性を考えれば当然でしょうにとか云うオヤジ的ツッコミを感じたりもするんですけど、だからそういう甘さが高校生らしいといえばらしいんですけどね。傷が癒えたら包帯は外す物ですから写真撮ったら元に戻してもいいんじゃないのかと。

いずれにせよ、生きてく以上は傷を受けないようにと避ける術なんぞ存在しない。だから共に助け合って励ましあっていこうよ。ついた傷を忘れようとするよりもきちんと向き合う勇気を持つべきだと謳ってると解釈できて、そういう意味では凄くリアルなお話しだなと感じました。まあ確かに現実問題で云うとクレームなんかでもこっちの言うこと全く聞いてないみたいな対応されると切れ易いのわかりますからね。人に理解してもらうといのが一番大切なことなのでしょう。

で、肝心の最たる肝心の当初の目的のしほりんでおますが、キャラ的に夜ピクと被ってる様に感じられて非常に安定というか安心して見てられて、というか見れ過ぎてあまり印象に残りませんでした。なにせ主演のお二人の存在感があり過ぎだったんでしょうがないとこです。

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*ちゃいする

基本幼児用語。捨てる・離すとか云う意味。じじばばや母親が子供に向かって言う表現で大人同士の会話で使うと頭の具合を心配されかねない。ペットを子供と同格と位置する感覚の人には動物に対しても使う場合がある。

他には子供同士のおままごととかでも使われる。男が言うにはいくばくかの抵抗感のある言葉ではある。

全国的に広がる表現であり、これを方言とするのは疑問だらけだが、まあ一応遠州でも使ってるよと云う事で記載。

「ちゃいしなさい」大きくなると「ほかしない」と言われる様になる。ある意味相手が自分のことを子供とみなさなくなるポイントでもあろうか。しかしじいじやばあばは案外幼児言葉で話しかけないことが多い。だから人として扱ってくれるからじじやばあばに懐くのだろうか。むろん溺愛による居心地の良さもあるのだろうが。

例文

「ほらあばっちいからちゃいしなさい。」

  (ほらー汚いから捨てなさい。)

母親がよーゆーセリフ。これがばあばだと

「あれえばばちいでほかしない。」

くらいになる。

「捨ててきた」と言う場合は「ちゃいしてきた」となる。どシンプルに「ちゃい」だけでも使われる。「ほらあ、ちゃい。」(ほら捨てて。)言い様によって諭すようにも(促すようにも)命令するようにも言える。

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鹿男あをによし第七話

運び番と使い番の二種類あったんですね。それぞれがその役目が誰かは知る必要がないとは云え、鼠に邪魔されてる非常事態ならば協力して探せくらいのこと言っても良さそうなものを。ホント鹿もめんどくさがり若しくは秘密主義な生き物なことですわ。

それにしても何故か今までの中で一番緊迫感のあった回のように思えました。一種の謎解きやってるみたいで推理小説の世界にいるような感覚でした。堀田が小川達の仲間になる際の自己紹介みたいなお話しなんですけど、何故か惹きつけられました。言われてみれば今まで全く不思議ちゃんだった堀田の行動も、こうしてみれば全ての筋道に矛盾点は無く。先週までの曇りが一転して晴れ渡ったような感じでスカッとした気分です。これで謎がドカンと解けた感じでこれから一気にお話しの展開が進んでいくんでしょうね。

ほぼ確定であろう狐の使い番は長岡先生で、今回のラストの展開といい来週の予告見る限りじゃ鼠の運び番はリチャードだということでしょうね。

でも鼠の運び番がリチャードだったとしたら、鼠の使い番というのが存在してるわけですよねえ鹿に使い番と運び番とが一人づついるように。だとしたらまだあと一人重要な鍵を握る可能性のある鼠の使い番は誰なんでしょうか。それとも堀田が図で説明した通り本来鼠の出る幕はなかったということでこのドラマでは割愛されるんでしょうか。

なんとなくの予想ですけど、リチャードが学術的好奇心から本来の用途を無視して「め」に固執してるがために隠匿したと想像するんですけど、(日本の危機より自分の研究欲が勝ると云うのはちょっと信じられないんですが)それをどうやって小川達は奪い返すかと云うのがミソなんでしょうね。はたしてこの予想当たるや否や。

叶うなら腕力やディベートなんかではなく宝探しの知恵と勇気でリチャードが見つけれるものなら見つけてみろと言わんばかりの謎解きで隠した「め」を奪い返す状況を愉しみたいですな。(あくまで予想です。)

ちなみに前の記事で堀田は鼠じゃないかと予測したように私の推測は殆ど(全く)当てになりません。ほぼ妄想の希望予想ですのであしからずご了承願います。

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金切り声を上げる

おそらくはもう死語となっているであろうと思われる。

普段使いでもドラマなどでも使っているのを最近は聞いたことが無いので。

のこぎりなどで金属を切るときに発生する甲高い音に喩えて、うわずった声の上をいくヒステリックに近いときに出す声のこと。

悲鳴もこれに含まれるかはよく知らないが、基本は女性の声となっているのでおそらくは男女平等の理念から消え逝く運命になったのだろうか。それとも工作が日常のことではなくなったことによって身近な音の表現という条件に適さなくなったのか。

それに替わる表現としてはなにがあるのだろうか。「キンキン」とか「鼓膜が破れる」とか「キャンキャン」とかであろうか。「うるさいなあ」と耳を押さえるというのが一般的かもしれない。よくわからない。

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アクセス解析データをブログに表示

こういうブログパーツが欲しいと云う願いが通じたのかはたまたたまたまだったのかはいざ知らず、アクセス解析データの有効活用術なる秘技を伝授せんとする情報がココログの中にあり申した。

んで、早速取り入れてみたのですがはてさていかなることに相成りますやら。なんて他人事の様に云っててもしょうがない。あくまでアクセス解析データによるものなので、実績が表示される訳で希望(読んでくりょー)が表示される訳ではないと云うとこは喜びも半分ってとこなんですが、まあ前に進んでるってことで段々といかまいか。

希望記事をページトップに固定って手もあるんですけど、それはまあ止めました。

検索フレーズランキングと云うのはそこをクリックすると自分のブログ内の記事を検索表示するのかなと思ったらニフティのアットサーチに繋がりました。個人的にはん~という感覚です。

今後というかこうなって欲しいのは、記事をカテゴリー別に整理できるんですけどそのカテゴリー内を細分化(ファイルとフォルダーの関係みたいに)できたらなあという事とあいうえお順に記事が整理できたらなあという欲望ですわいな。

そうそうBmailとか云うのもつけてみたんですが、これって読者数が表示されるんですねえ。0のままだと切ないから暫く様子みて数字が動かなかったら考え直します。

追記

4/1、一年になんなんとしてなにか積もり積もったものをと想いアクセスカウンターを明示することにしました。ただそれだけの理由ですけどなにか。

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*やってえへんだ

江戸っ子風味の「や!てえへんだ」ということではない。三角形の面積とかを求める際に度忘れしたのを思い出し「や!底辺だ」と言ってるわけでもない。

やっていないんだという意味。他の表現では「やっちゃいんだ」と云うのもある。

例文

「あれなによーはあ帰って来ただけ?えらい早いじゃん。」

「それがさあ。行ったら今日はやってえへんだって。行って馬鹿見た。」

「定休日ってこと?それじゃしょんないらあ。」

「違うだよ。こないだの連休仕事したもんで今日は振り替えで休むだって。」

「それでやっちゃいんだ。ついてんねー。」

「ホントだよー。」

注、「行って馬鹿見た」(行って損した)・「ついてんねー」(ついてないねえ)・「ホントだよー」(まったくだ)

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斉藤さん第八話

今回は完璧にドラマの感想というよりか、脱線話しです。

ジャングルジム。確かに人それぞれ遊び方が異なる世界でした。遊んだのは大分前のことなんですが、何故かドラマの中のセリフから大昔の記憶が蘇ってきました。

私にとってのジャングルジムは戦艦であり飛行機であり戦車だったような気がします。ガキの頃親爺が見たいがために映画館とかで戦争映画やドラマをたくさん見せられた影響からか、それともプラモデルといえば戦闘機や軍艦・戦車とほぼ相場が決まっていた時代のせいからかは曖昧ですけど、そういうとこから影響されたんだろうと思われます。ドラマとかで戦闘機に乗り込む姿がひたすら勇ましく見えたり、大きい鉄の塊である軍艦や戦車のなかで動き回る姿を描いていたのです。

当然自分だけの空想の世界の物語ですから遊ぶ際は他の奴がいようとも関わることなく自分の世界を構築してました。ジャングルジムなんて要は骨だけなんで実は想像力で補う他ありませんでしたがその頃はまだそういうのが私にもあったんですね多分。

他の奴は気にしないと書きましたが、自分でここは操縦席とか砲台だとか決めてたんでそこに別の奴が居座ったりするとムッときてた記憶がありますわ。どうやって妥協したのかは記憶の彼方なんですが少なくともそれで喧嘩になったり落ちて怪我したという思い出はありません。なんでジャングルジムが危ないなんてどうすりゃ危なくなるのか知りたいですわ。落ちるような奴ってのはジャングルジムをなにに見立てて遊んでるのか聞いてみたいもんです。

まあごくまれに集団の遊びとして障害物競走みたいに通るルートを自分達で決めて誰が早くクリアするかヨーイドンしたことはありましたけど。そんなのグループで独占できた時くらいだけですからねえ。

とまあ脱線想い出話しで燃えてしまいましたが、ここらで本編の感想に戻ります。

先生を集団で突き上げるお母さん達に対して「これはれっきとしたイジメ。」と糾弾するというテーマらしかったんですけど、むしろイジメに挫折した人(先生)を救うべく立ち上がる斉藤さんという感じでした。いわば人助けをする斉藤さんという感じでしょうか。どうみてもいじめた側に罪の意識は薄く反省したという感じではないですし、別のトラブルが生じれば再び再燃するような気がします。だから重点はイジメに疲れ果てた先生を救うという方が主題のように感じましたです。そういう意味では今回は斉藤さんらしくはなかったのかなと思わないでもない回でした。

だけど園長先生今回は真面目に見えました。三上さん(高島さん)も若かりし頃(今でもお若いですけど)はまるで斉藤さんのようだったというのも、あそうなんだ。やっぱ現実に疲れたのかなと。正義を突き通すためには物凄い労力を要するもんなんだなやっぱりと思いました。ある意味昔そうだったから斉藤さんの行動や考え方も理解できるけど、だからこそ反論するという三上さんというのも分かるような気がしてきます。三上と云うキャラクターのドラマの中での存在が私には大きいです。一番まともな人に映ります。これを越せば斉藤さんみたいに角が立つ。これ以下なら何がしかの一喝される要素を持つということで貴重な目安としての登場人物です。まあもし私がドラマの中に入り込んだら間違いなく一喝される側ですけど。

それにしても孤立無援だった斉藤さんも、回を重ねるごとに理解者や協力者が増えていってきてるんですね。小さな事からこつこつとというより眼を覚ませと張り手しまくって眠っていた善意を呼び起こしていってるようです。最終回までにどれくらいの人を目覚めさせていくんでしょうか斉藤さんは。

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原爆の火

今日のとくダネ!でドキュメンタリー映画「原爆の火」の紹介されてるのを見ました。

私は基本ドキュメンタリーは観ない人なのですが、何故かこの作品は観たいと思えました。ドキュメンタリーが苦手な理由は、もし作品の中で起きている出来事に脚色や操作と云ったものがあったとしてもそこで動いている(生きている)人は実在されておられる訳で、そういう人々に対して自分がどうのこうの云えるほどの者じゃないからです。それにある種の信念が(カメラを回す側でも映っている側でも)映し出されているようで、物凄くメッセージ性の強いものが多かったりして(だから映像にしようと思い立つのでしょうけど)、ただ観るだけではいけないような、なにか私はかく想いたりぐらいの反応をもとめられる強迫観念を感じるものもあったりしてちとしんどいんですわ根性無しには。

だけど、この作品を見て(ほんの一部だけでしたけれど)、頭でこねくり返して考えるんじゃなくて、シンプルに感覚・感性として感動できそうな予感がしました。平和への祈りというテーマでありましょうけど名もなき人々の生き様というものに素直に感動できそうな気がして是非観てみたいと感じました。宗教性は無いとはいえ、御仏に仕える身の方々故の清廉さがあるからなんでしょうか。その行を支える人達やその行を見つめる人達の姿は番組では映し出されていませんでしたからよけいそう見えたのかもしれませんけど。

田舎にこういう映画が来る時には平和への草の根運動みたいな声高のメッセージ性が雪だるま式について転がってくるかもしれませんが、純粋に感動したいがためにひっそりと観てみたいものです。こういう映画紹介はありがたいです。たとえ田舎者&めんどくさがり+根性無しゆえ結局は観れなくとも知ることができたのは正しくとくだね。

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コンケルド②

手持ちカメラのように良くブレ動くカメラが映し出す映像に明るさがない。世間の目は冷ややかだ。「大福だ」と感想を漏らしたOLさんは紙パックの飲み物を音出しながらぐびぐびで足組みながらあきれてるかのよう。王冠を被ったおっさん連中の意味がわかんない。

コンケルドがぶら下げてる筒みたいなもの。それが腰の辺りをぶらんぶらんさせていてえらく気になる。これでマントなかったら貧相極まりない。決めのポーズはなんか前回と違って見える。でもないか、増えてるんだポーズが。これ観てマネする奴いるのかな。セリフは長いから憶えて真似して自慢したがる小僧がいるかもね。(でもパチンコ屋さんのCmじゃん、子供に受けても意味ないじゃん)コンケルドは暗い闇に取り込まれた人を笑わせたら勝利。

なんか物凄くシュール。だけどシュールと読むか映画研究会の素人に毛が生えたような連中がヲタク魂ぶつけて撮ってる風と読むかヒジョーにビミョー。

だけど今までの経験からしてこのシリーズも落ちナシなんだろうな多分。毎シリーズこうですもんねコンコルドのCmって。だから面白いんだけど馴れないなあ飛び道具ばっかで。これって絶対作ってる人達遊んでますよねえ。羨ましい。

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*かやす

かえす(返す)と言う意味である。だが単に「え」が「や」に訛ったということではなく「返」+「やす」という表現のような気がしないでもない。

「やす」という表現は他に「おやす」(壊す)・「けやす」(消す)・「燃やす」(燃す)とか云うものなどがある。

例文1

「これおばちゃんちに行ってかやいてきて。」

  (これおばちゃんの家に行って返してきて。)

「自分いきゃあいいじゃん。なんであたし行かんとかんよを。」

  (自分が行けばいいじゃないの。どうしてあたしが行かなくちゃいけないのよ。)

「あそこんさあ行くと話しん長くなるだで。なんかねいやったい。」

  (あそこに行くと話しが長くなるからどうもいやなんだ。)

「そんなの知らんよを。」

  (私の知ったことじゃない。)

「ならええよ。そんかわしん晩御飯作るの遅くなったって知らんでねえ。」

  (ならいいよ。その代わり晩御飯作るの遅くなっても知らないからね。)

「わかったよ。いきゃいいだら。置いてくりゃいいだね。」

  (分かりましたよ。行けばいいんでしょ。置いてくればいいんでしょ。)

「たのむにい。」

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あしたの、喜多善男第八日

今回は栗山さんがとても印象に残りました。コンサート会場を後にする喜多さんを追う辺りの覚悟の上の厳しい表情はさすがだなと思いました。ただ包丁はあまり美しくなかったです。先週のナイフとまではいかなくても、せめて刺身包丁くらいな鋭利なものの方が美しかったです。松田さんに見咎められて断念するいじらしさと、その後なんのセリフもなく慰められるシーンにはジーンときました。

眞島さんがおっかない人としてリアルに脅すから余計リカ(栗山さん)の切羽詰った追い込まれ感が増長されて切なかったですわ。脱線しますけど英語が通じた吉田さんとして欽ちゃんから良くやったと夢想の中で祝福されて珈琲飲んでた人がねえと。ドラマに戻りますけどホント取り立て屋(眞島さん)の前だと平太(松田さん)もガキに見えてしまいました。威嚇のプロは違うんだぞという勢いです。

今回はどちらかと云うと保険調査員の生瀬さん目線でドラマ観てた感覚です。いずれにしても保険金がらみのごたごただとしたら全ての線が一本に繋がるような感じがしてきました。その流れを裏切ってなにがしかの善意が介在していたのか。それともこのまま全てがお金の為に興った喜多善男に訪れた不幸なのか。やっぱ全ての鍵は三波さんが握っておられるんでしょうねえ。

肝心の喜多さんはホントの真実でなくても自分が納得さえすれば構わないというどこまで善い人道を突き進むんだという能天気さを感じました。長いものには巻かれろを地で行く完璧な草食系の人なんだと。江戸時代に生きてたら間違いなく不作の年で年貢を納められなくてあえいでいる農民だろうなあと確信してしまいます。

ところで後残すところ3日。物語の終わり方が気になってきました。視聴者の感情的発言としては、平太とリカには幸せが訪れて欲しいところです。喜多さんは死ぬことを回避してもいい事がこの先待ってるのか今のところ微妙ですし。宵町しのぶはまだなに考えてるのかイマイチわからないけど人を見る目は確かそうですし、みずほについては三波さんが出てこないと喜多さんと共に操られていたのかどうかすら分かりませんからどうなって欲しいとかはなんとも云えないんですけどね。

甘い事云いますけど、三波さんの行為は喜多さんに対して善意からでたネガティブ善男抹殺計画であってくれたらいいのになと。逆に穿った見方をすれば、11日あるロス:タイム:ライフなお話しなのかもしれないと考えられなくもないけど。

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気が滅入ります

アクセス解析で検索ワードをチェックしていたら

「絶好の万引き場所浜松」なぞという検索ワードがありました。

思いっきりへこみますわ。そんなこと書いてある訳ないじゃないですか。まあ唯一の救いはそんな検索ワードでヒットするようなとこがないからここに来たってことでしょうか。何かの調査であるならば「万引き被害の多い場所」と被害者の立場である筈ですから、明らかに加害者の側の視点意図で検索してると判断されます。

好奇心や冒険心のおつもりかも知れませんが、犯罪である内容です万引きと云うのは。私だって全て清廉潔白に生きてきたと宣言する自信はありませんが、そういう私でも犯罪や犯罪に加担するのは否と言えますです。良い事は言いませんが止めてくれとお願いしたいです。

へこむといえば、怖いご職業の浜松関連での情報収集が目的かと推察される検索ワードにもへこみます。映画でもおっかないのが好きくない私ですので実在の方々とは一生お会いしたくないと願っておる次第です。だからドラマや映画でそのワードを用いるときでも「や○ざ」とか「チ○ピ○」とかは使わないように(検索でヒットしないように)注意してるつもりです。もうね勘弁してくださいよという気持ちでへこみます。

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*きぜわしない

気忙しい。せかされる・落ち着きがないといったバタバタした感じをたしなめる際に用いる言葉。

「気忙しい」は辞書にも載っているので方言ではないが、「きぜわしない」となると方言になるらしい。あまりにも普通に使っているので全国共通だとばかり思っていた。

解釈としては、気忙しいが無いということではなく、「気忙しいなあ」の「なあ」が「ない」に変化したもの、「気忙しいでやめない」が省略されたもの、など憶測がいくつか考えられる。なにが正解なのかは無論知らない。

おそらくは、せわしない(忙しない)という表現があるように(せわしいの強調形だそうな)昔はきぜわしないも使われていたものが使われなくなって遠州には何故か残っていたと云う考えが一番適切かもしれない。

意味合いとしては気ばかり急いていて実になることをしていない様を言うことが多い。つまり無駄にあたふたしてる様であって単に忙しく立ち回っている様に対しては使わないことが多い。もちろん普段のんびりとしたところがその日に限って忙しくしてる様に対して「いつもと違うじゃないか」と思って言う場合とかもあるので一概には決め付けられないが。

例文

「さっきから出たり入ったりきぜわしない。座って待ってりゃいいじゃん。」

「いやなんかいごいとらんと落ち着かんくてやあ。」

「時間がこにゃ始まらんだで待つしかありもしんに。」

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薔薇のない花屋その7

ここまでくるとさすがに、アットホームな恋物語のお話しではないと云うのは私でも分かります。

裁判をひたすら回避しようとした理由は今まで生きてきた過去を思い起こしたくない知られたくないからかと思いきや、雫とは血の繋がりがない(確定ではないが)からだという驚愕の事実が判明してしまう事を恐れたからという展開の回でした。それにしてもそれが分かる状況は劇的でしたねえ。美桜(竹内さん)の動顚した仕草が印象に残りました。

英治が院長先生に問い詰められて「はい」と答えた理由は、生むか否かで彼女(ユイカ)から相談を受けて「生みなよ。」くらいのアドバイスをしてしまったことに対する後悔の念からなのでしょうか。

それにしても、じゃあ男親はどうなったんだという疑問は残ります。この答えは提示してくれるんでしょうか気になるところではあります。

「全ては夢。」というセリフが未来と今の架空の家族愛に包まれた環境を言い当てている言葉なんでしょうねきっと。おばあちゃんも娘も血の繋がりのない擬似家族。いつか終わるであろうと云う漠然たる不安と確信。恋人すらも擬似だと悟ってしまっていたから近寄ってきた理由が分かったとしても夢だからと許容してしまう。

切ないという尺度を越えて大人になってからのおままごとを真剣にやってる不気味さすら感じてきました。我が子としたのは雫(友人の子供だから)のためを思ってだったのか自分の家族を求める強い欲望から発したものなのかそこいら辺りはとても気になるところです。

そうはいってもおままごとが終わる頃には母親がご飯ですよと普通は呼びに来るもんです。最終回辺りには誰かが英治を呼びに来るのでしょうね。でないと浮かばれませんて。

それとも、裏の裏をかいてやはり雫は英治と彼女との子であり、死を覚悟しても生むと決意した彼女が、もし会えなかったことを考えて生まれてくる我が子に向けたメッセージのビデオだったんでしょうか。

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失言

最近「失言」というものがキーワードになっている。(基本芸能ニュースに関してと思ってください)

全部ひっくるめて「失言」というけれど、実は色んな種類があるんじゃないのかと思えないでもない。

*つい

喩えて言えば、人前で鼻が鳴った・腹が鳴ったというような締まりが緩くてつい出てしまったもの。これはもうどうしようもないと云うか生き物ゆえしょうがない部分もあるんじゃないのかと。俗に云う「ノリでつい」といった類のものであろうか。公私の区別が曖昧だからという批判も存在するのは理解できるが、有名人に関して云えば、「裏表のない」という仕事とプライベートの境界線が曖昧な人ほど好感度が高く評価される風潮を考えればやむなしと思えるような気がする。

*知らなかった

差別発言ほどではないにせよそれを述べることが社会の中においては非難される言動だという知識がなかった。若気のいたりというべきか、社会の中において未成熟であるものをどのくらい許容するのかという尺度が問題になる。

一度の過ちで許すまじという社会であるならば刑務所はいらない訳で、更生なぞないということになる。武士の倫理ならいざしらず、今の世は出直す機会を与える社会なのだから、大目に見る度量が必要だと思う。批判が優先で更生・是正を求めるのが後になっている風潮に疑問を感じる。

*昔の感覚のまんま今に至ってる

時代とともに失言という範囲は動いている。その変化に対応できず(しないで)公共の社会の中でいることから生じる発言。結果的に「つい」と同じになる訳だが、あちらは経験値の少なさゆえ、こちらは進化を放棄したからであり、あまり許されるものではないのかもしれない。

*確信のうえ

これを言えばどうなるのかどうなるのか予見したうえでの発言。これは言動のテロともいえる場合もあり、正否は問われなけばならない。

*操作されて

発言の一部だけを抜粋操作して発言者の意図からはずれた、ある意味捏造されてしまったもの。良心的に行われる事は少なく多くは悪意または聞き手の都合に合わせる為に行われることであろう。俗に云う「はめられた」という奴でしょうか。こうなると犯罪と呼ばれてもおかしくない訳で、泣き寝入りするにはしのびない話しである。だが世間体というものが壁となって闘いづらい環境になっているのだろうなと。日本的な発想からすれば、仕掛けられた人の対応手段は「恥」・「潔い」という精神性から離れた行動だから後ろめたい想いが払拭されないんじゃないのかと。仕掛ける側は「卑怯」という概念はとっくに捨ててるのに。

おそらくはまだこれ以外にも分類できるのであろうと思われるが、雨と云っても数限りない表現がある日本語なのに「失言」という一種類でしか表現しえない現状に最大の問題があるように思えてならない。

実際使われている言葉としては、「暴言」・「失言」・「問題発言」・「爆弾発言」などなどこのほかにも色々とある。そういう意味では「失言」だけを取り上げてどうのこうの云うのはおかしいのかもしれない。政治や経済の分野では確かに使い分けられている。だけどたんなる社会ニュース(特に芸能)なんかでは現実に全て同じにされてるように思えるのですわ。新語が欲しいとは思わないですけど状況が分かる表現が欲しいなとは感じてる今日この頃です。

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*名前なんつーだ?

お名前はなんですか?と言う意味。「だ」の他に「よ」を用いる場合も多い。「よ」を使うと多少柔らかめに聞こえる。

分解して説明すると名前・なんと・いうのだ、となる。「名前」と「なん」と「だ」はそのまま変化なしで、「というの」が「つう」に変化していることになる。厳密に云うと「つうの」から「つうん」(「の」が「ん」に変化してる)という変化である。はしょらず正確に言うと「名前なんつうんだ?」となる。大方の人は「ん」を省略しているが省略せずに「つうぅんだ」と言う人もいる。ややこしい事に「ぅん」が入るとアクセントが変わる。「ぅん」がない場合は「つ」が強調になるが、「ぅん」が入ると「ん」に強調が移る。

こそこそ話しで人に「あの人名前なんつうだ?」と聞く使い方もあるが、直接本人に対してこう尋ねる場合もある。

女性言葉(野郎も使う)では「名前なんてえよ」という表現もある。

「なんてえの?」という言い方は遠州弁的ではない。

例文1

「あんた、名前なんつうよ。」

「え?あ、○○と申します。」

「ほうけえ、ほいじゃ○○さんさあ、悪いだけど用頼まれてくれんかねえ。」

といった感じで使われる。こういう部分が遠州弁が馴れ馴れしく映る要因でもある訳だが、極めて普通の感情と応対で話してるつもりでいる。

もし見下したり突き放したぶっきらぼうに言う場合には

例文2

「やぁ、名前。なんつうだ?」

「え?あ、○○と申します。」

「じゃさあ用事言うで頼まれてくりょうやあ。」

となる。

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佐々木夫妻の仁義なき戦いその5

日曜日は休みの日なので録画でなく地デジで観れるんですけど、画が綺麗ですよねえ。小雪さんは映えますわ。何着てもというかいつも違うファッションされててきちんと着こなされてるのは凄いお綺麗な方なんでしょうね多分。私的にはジャージでメガネの結婚する前のお姿が一番お気に入りなんですけど。キャバ嬢のお姿でも全然構いませんです。

で、ドラマのお話しなんですけど第6話、長年争い続けた遺産相続の揉め事を題材にした回でした。我が一族は幸運なことに借金持ちも財産持ちもおりませんのでこういう類は身近なことではないのですが、こうゆーのって一番どろどろしたえげつない話しじゃないですか。それを一話完結で済ませようというのですから凄い話です。佐々木弁護士のお手並み特と拝見という感じでした。

まあ、終わってみれば皆いい人ばかりでこじれた理由がボタンの掛け違えによるものだったというええ話しや~というものでした。終わり頃の「何が欲しいですか?」の問いに「その手紙」と答えるところはさすがドラマ。泣かせるなあとは思ったんですが、「それはそれ、これはこれと云う事でやっぱ財産半分。」って答えてたらリアルだよなあと思ったりもします。

それと平行して旦那の浮気容疑も進行するという多少複雑(このドラマは毎回そうですけど)な展開になっています。二兎を追うものは一兎をも得ずと申しますが、一時間という枠の中で色んな要素が絡み合うのは作るほうはさぞかし大変なんだろうなと余計なお世話してしまいます。

疑問なんですが、この夫婦見ててですね、職場まで一緒でなくてもとつい思ってしまうのです。旦那の弁護士活動の内容から鑑みると経済的に芳しからずとて、奥さんがサポートするという構図らしいんですが、別に元居た高額報酬貰える事務所でそのまま奥さん働けばいいのじゃないのかとつい思っちゃうんですよね。いつも一緒ってのが揉める元のような感じがしてきました。大体相手のいないところで(仲間の支えもありますが)相手の良さを見つけて行くと云う展開で。だけど面と向かうと何故か衝突してしまうのですから職場くらいは別にした方がいいんじゃないのかとこれまた余計なお世話を考えてしまうわけですよ。

コメディにそんなもん持ち出すなと云われればそれまでなんですけど、それにしてはお芝居の質も画のつくりもリアルです。まあ結論としては小雪さんが綺麗です。

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ドコモのcm「高校生の始まり」編

最初観た時、ユイカかと思って一瞬びつくりしました。よくよく見ると・・・やっぱ似てますわホント。

清水くるみさんというお名前の方ですが、昔の本仮屋ユイカさんとお顔もそうですけど雰囲気も近い印象がありますわ。昔といってもSGの時分の頃でのお話しですけどね。

内容につきましては、新生活を迎えるにあたってのドキドキ感というものがワクワクよりもビクビクが勝るかのような心象で表現されていて、つい頑張れよと思いたくなる、あどけなさをも秘めた希望が描かれていて、「若いのー」と言いたくなるものです。

それにしてもユイカに似てるイメージありますわ。声は全然違うけど姉妹役なんかやられたら凄いはまるんじゃないかと思えるくらいです。

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なんか微妙な気配

ここんとこブログがえらく重いっす。つーか読み込みががんこ時間かかるっす。で、「更新」押しまくって次の画面に進ませたりの強引(?)なことしてます。ふんで、記事を公開する際に凍っちゃって強引に更新して画面進ませるとたまあにRSSフィードされてなくてなおかつココフラッシュにも載らないときもあります。他のサイトは全然普通なんですけどね。

で、今日の午後正確に書くと22時頃なんですがニフティのスタートページすら読み込めませぬと相成りました。たまあにこういうことあるんですけど他のお気に入りから横入りして今まで何とかしてたんですけどね。今日は他のお気に入りからも接続できなかったですわいな。

で、どうやって今こうして繋げることができてるかというと、WindowsのUpdateから入りましたです。日に日に状況がビミョーになってきておりますです。

なんか私ヘマしてるんでしょうか。というなんか微妙な気配を感じておりますですハイ。

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感謝申し上げます

ニフティの話題ブログにロス:タイム:ライフを取り上げていただき感謝申し上げます。お蔭様でがんこアクセスありまして喜んでおる次第であります。いつもと同じように書いてるつもりでも、やっぱ自分が観て素直に面白かったのが伝わったのかなと思ったりもするのですが、自分じゃ分からない部分で筆がノッてたりしてたんでしょうか。

欲を云えば、上野樹里ちゃんの事を書いた記事の方にも寄って頂きたかったのが本心なんでありますが、一応「その2」と付したんですけど説明というか誘導が下手だったんでしょうかあまりお越しいただいた方が少なく反省致しております。気合的にはこっちの方が入ってたんで喜びも半分って感じです。

なんでかな?と自分も試しに同じルートを辿ってブログに入ってみたんですけど、記事の下のカテゴリー記事項目の欄には古い記事のタイトルが載っていてひとつ前とかの記事が載ってないことに気づきました。なるほどこれじゃあそんな記事あるのが気付かないよなと納得しました。

とりあえず「最新の記事項目」を上にあげて眼に留まっていただけるように変えてみたんですが余り効果はありませんでした。はてさてどんな工夫をすれば良いのやら。ブログ内のイチオシ(読んで欲しい)ランキングを表わすようなブログパーツないかなと他力本願な事を考えてブログパーツガーデンにお出かけしたんですけんど。読まれてるランキングはあっても見てちょランキングはなかったです。

正直殆ど書き殴りの無秩序ブログなんですけど、出来るならSG関連と長澤まさみさん関連はせっかくお越しいただいたなら読んでいって頂きたいと願っているのでなんとか工夫したいものです。でも知恵がない。

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ロス:タイム:ライフ「看護師編」その2

今回は延長戦。延長戦とタイムオーバーに別れるるポイントってなんなのでしょうか。少なくとも死ねてよかったと思ってロスタイムを使ってた人は今まで誰もいなかった訳で、古い表現ではありますが引導を渡すというか渡される基準が良く分からないですよね。心置きなく死地に旅立つのか悔いを残して逝くのかとかじゃなくて「死」そのものに後悔の念を抱いているかどうかの問題なんでしょうか。これが神様の気まぐれとかだったら諦めもつこうかと云うものですがそうでもないみたいで。このゲームの主催者は誰なんでしょうか。やはり神様なんでしょうかねえ。っていうかサッカーもどきの試合なら誰と対戦してるんでしょうか。ま、そんなこと言ってたらなにも始まらないことは確かですけどね。

審判団の一人が本業植木職人と言ってたけど、つーこたあなにや?この衆ら天使じゃなくて人間なのか?誰がどうやって召集かけてんだ?他の人にも姿が見えてるのか?イエローカード出てたけど、レッドカード(退場)もありなのか?そうすっとどうなるんだ?いやあ奥(謎)が深いです。

鞄がこらしょとあって片しても片してもボコボコ出て来る。しかも大部分が野郎からの貰い物ということは恋愛に関しては百戦練磨なんじゃないのかと思えなくもない。だとしたら結婚の約束に騙されたことに未来が見えなくなって自殺を図るというのはネンネじゃあるまいしって説得力にイマイチ欠ける設定のような気がしないでもないす。多分全部ふられた彼氏からの貢物なんでしょうけどそれにしちゃ指輪だけしょぼいというのはこれまた不思議。

体重計に乗ったところで生きてないんだと確認する訳ですが、最初なにが起こったのか全然理解できていないところから始まった事を考えるとどの辺で状況が理解できたんでしょうか。野郎だったら審判団を見てある程度はサッカーのロスタイムと同じ状況だと早くに納得できるんでしょうけど女性ですからね。セリフでもサッカーよく知らないと言ってたし。

見直して考えるに、おそらくは・・・やっぱわかりませんでした。夢だとははなから露ほどにも思っていそうになくて、だからまた死のうとしたり。それでいてもう明日はないからと自覚していて貯金を他人にあげたりとしてる訳でホントよーわからないす。それでも死のうとした理由が実はあまりにも馬鹿馬鹿しいことに気づいて精気(感情)を取り戻していってあの凄惨な清算へと向かうわけですがそこんとこの流れは一回観ただけじゃよー掴めませんでした。

死の現実を目撃してしまう。自分より悲惨と思える人が存在してる。真剣に好きだったのに騙されてしまったことに徐々に腹が立つ。これらが重なって死ぬのが馬鹿馬鹿しいことだと気づくという流れが掴めませんでした。一回目は指輪がニセモノだったことにキレたと単純に思っちゃったので。

凄惨な清算がドラマの中で一番の華のようだったのですが、騙されて絶望もうしてるんだからその象徴たる指輪が嘘もんであったとしてもやっぱりって位でああ云う風になるのものなのかなあと。そんなに指輪というものは女性にとって不可侵な聖域なんでしょうか。勉強になります。って一回目はホントそう思いました。

すっきりして、この仕事やってて良かったと思えた後、時間がきて現場に戻るわけですが、落ちて停まったとこからは再開しないんだ。黒子がいて手を当てようとしてたからてっきり停止したポイントのとこまで体を持ち上げるのかなと思ってたんですけどね。地面に寝っ転がった状態でゲーム再開でおました。

全体的に実況と解説聞いてると、なんかスキージャンプペアと重なってしまうんですけど気のせいなのでしょうか。

いずれにせよ、人生やり直せるんだと云うメッセージがこもってるようでこういうのもアリでよろしいんじゃないでしょうか。面白かったです。でもやっぱ延長戦というジャッジを下したのは誰でその理由はどうしてっていうのは謎のままで少しストレスが溜まるかな。

上野樹里さんの役者力でぐいぐい引っ張られた印象ですが(細かいことは前の記事で書いてます)ところどころ「のだめ」を彷彿とさせる部分とかも見えたみたいで、当たり役を持つことの功罪というものを感じたりもした作品でした。

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ロス:タイム:ライフ「看護師編」上野樹里さん

樹里ちゃんの特徴はやはり眼にあるんだなと改めて思った次第です。

虚ろな韜晦するまなざしが後半へと進むにつれて精気を取り戻していく変化は細かく分けてくと幾つに分類出来るんだろうかと分析して数えたくなるくらいでした。眼は口ほどに物を言う。まさしくそんな感じです。

その個性的な声の質と独特の間を有するが故についついそっちの方に意識が引っ張られるんですが、感情の起伏を態度や言葉で表現しなくともその眼の光の様で見る側に伝えられるのが実は最大の特徴なんじゃないのかと想像してたんですが、今回観て確信に近いものを感じました。

感覚で芝居すると言う表現であってるのかどうか知りませんが、体の動き・顔の表情・セリフの言い回しの抑揚のつけ方などといった技術的なことよりも、役の精神状態を反芻し理解納得消化した上で内面的な部分から表現しようとする感覚的な芝居をされると云う事を言いたいつもりです。

なので極端な話し突っ立ってるだけでも表現が出来るような感じがするのです。

もちろん手放しで賞賛するほどまだ完成されてるとは思わないですけど、惹きつけられる得体の知れないものがまだ潜んでいる感じがしているのは確かです。それが技術的なものが身について鬼に金棒状態になることなのか、もっと深く潜行して人の内面を表現し得る可能性なのかは定かではありませんけど。いずれにしても本来見えない・見せないものを表現するのがいい役者さんの条件なんじゃないかと勝手に考えてる私としてはその可能性を秘めておられる方だと予想してるんですけど。

改善して欲しいなと云う点は、そろそろ背筋をシャンとして欲しいなと云う事。私の好みの問題ですけど、背中で芝居する人がタイプなんですよ。そのためには後姿も美しく。

後、今までそういう役があまり無かった性なのかもしれませんが、人の言う事を(人の話を)ちゃんと聞いてる風になって欲しいです。全く聞いてない風に見えると云う事ではなくて反応はきちんとされてるんですよ。だけど聞き上手な感じがしないんですよね。つまり何が言いたいかと云うと、反応という攻撃的な部分だけじゃなく聞く(噛み締める)という守備的なものも見てみたいということです。過去の作品だと虹の女神が一番守備的な感じが強いんですが、それよりもっと母性愛的な受け入れる包容力みたいなものを見てみたいですわ。(出口のない海もありましたそういえば)

ちと長くなり過ぎたので、ドラマの内容については別の記事にします。

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*けに

~くらいにと言う意味。

「いらんけに」(いらないくらいに)

ただし、使い方は限られており、「どれくらいに」を「どんけに」とは言わないなど~くらいにを全て「けに」にして言うわけではない。

「ようけに」(一杯に・たくさんに)という表現もあるがこれは「ようけ」+「に」なので種族が異なると思われる。

例文

「お米いらん?」

「なんでえ、気前ええじゃんかあ。どうしたでえ。」

「在所寄ったら、おっかさこれでもかっちゅう位いらんけにお米こらしょとよこしたでえ。」

  (実家に寄ったらおふくろが持って帰れない位たくさんお米をくれたんだ。)

「やっぱ出来ん悪い子だけにちゃんと飯くってるだか心配してるだなあ。」

「おめえに言われたかあないわ。」

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