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フルスイング最終話

何も云う事はありません。

何も云う事が出来ません。

完全に生徒目線で下から見上げるように注視しておりました。

面白いと云う表現はあまりにも不遜で使えませんが、一所懸命生きる気力を教わりました。

教わった通りに生きれる自信はありませんがこういう人も同じ人間として存在するんだということを知ったことは幸いです。

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4姉妹探偵団第六話

何を書けばいいのやらとふと思案に暮れる日も暮れる。なぞといいながら一日遅れの理由をばひとくさり。

今回は温泉宿でのお話し。温泉といえば露天風呂がお約束のイベント。確かに在れど、21時のドラマ故当然入浴シーンが将来のお宝映像になる筈もなくだからどうしたという勢い。豪華な料理に箸をつけるでもなし。

事件に関しても警察官が関与せしむるという禁じ手まで使いての予想外(?)の展開を構築するも虚を衝かれることもなし。一体全体誰をターゲットにしてこのドラマは発信されているのであろうか。間違っても私の世代じゃないことは確かであろう。犯人を追い詰め告白させるシーンはサスペンス劇場とかに任せて純粋に推理を追求してくれた方が(ガリレオみたいに)いいような気がするんですけどね。女の子が「待て~」なんて叫んで追い回すのはどうみても不自然でおます。

周りの大人衆が豪華な面子なのに殆ど添え物になってるのはホントもったないお話しです。まあ、それこそが「豪華・贅沢」なことなんだと云われればそれまでなんですけど。役者衆に異存これなく流れにのみ疑問ありや。

されど冬の温泉宿は風情がありて羨ましき限り。

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未来講師めぐる第六話

お母さんの登場。こういうトッポイ感じって郁恵さんはまりますよねえ。これだけひょうきんでも全然不自然さが感じられなくてこの方だったら有り得るなという存在感を感じます。それでいて実は一族の中で抜きん出て「自慢」の力が強いというのはとても面白いです。

本当の力自慢は無暗に力を鼓舞したりはしない。至極一理あるお話しです。はたしてその「自慢」はどれほどのものなのでしょうか。興味深々です。

それにしても深田さん何時にも増してと云うよりも回を重ねるごとにお人形さんみたいに可愛く見えてきています。声がそれをより増幅させる感じでしょうかとても独特な気がします。脚本が深田さんに充てて書かれたからなのか、深田さんが役に近づいてきたからなのかは分かりませんが、いづれにしても違和感というか引っかかるとこがなくすんなりと「めぐる」だと思えてきます。

さりげなく黒川さんも回を重ねるごとに垢抜けてきて(言葉は変わらないけど)次第にお美しく見えてきて最終回にはどうなるのかなと容姿の行く末が気になるくらいであります。

男衆は相変わらずで、地井さんは生命保険のCMパロディまでやる始末だし、船越さんは涙で溢れるどころか噴出して金魚まで飼える量垂れ流ししてるし、、もう下ネタ以外はなんでもありみたいでアイデア勝負の数撃ちゃ当たる方式のようです。それに振り回されないで我が芝居を行く深田さんはある意味凄い人だと思ったりもなんかして。噴出してNG多いんじゃないのかなと想像してしまいます。でもNGシーン見たいとは思わない作り込んだ役者力のお笑いだと思います。

で、ドラマのお話しの方に戻るとですねえ。めぐるの手錠の真相は今回謎解きなしでおいといて、死に逝く教え子の未来を変えんが為奮闘努力するという内容でおました。「自慢」の使い勝手に苦しみながらも人生を変えていく訳ですがいつの間にか人の未来を変えることの倫理感・罪悪感といったものが吹き飛んでいってるようです。使わにゃ損損って勢いですが幾らでも変えてしまえれるとも云える訳でなんかサイコロの目が希望の目になるまで転がし続けるいかさまのような気もしないではないです。普通は一回こっきりですから後出しじゃんけん位なんだかなあという思いです。

それほどだいそれた事ではなく普段の日常の行動の選択で未来が変わっていくのですから、いいとこでやめようという潮時というものがないような気がします。そういう意味ではとんでもない能力なんですね本当は。初回観た時20年後が見えて愉しいのか?と欲しい能力じゃないようなこと書きましたが、人の未来を操作できるということなら欲しくなってきました。ただこんな能力持ってるって知られたら人生を謳歌してる権力者から消されそうで厄介そうですけど。

お爺ちゃんは最初使うなと苦言を呈したのにめぐるはその忠告を無視した状態で6回までお話しが進んできました。もしかしたらその報いがあの手錠に繋がるのでしょうか。ギャグの嵐のおかげで視界不良で見通せないんですが、結構シビアな展開が水面下で進んでいるのかもしれない侮れないドラマなのでしょうか。

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*えがむ

歪む(ゆがむ)という意味。シンプルに訛ったものであろうが、「えごえご」という表現に繋がるので遠州弁の訛り方を表わす意味では重要な言葉であろう。

ただしもっと変化した(訛った)みたいな「えごむ」という表現は無い。「いがむ」という表現はあるけど。「いがんだりしたらどうせるよー」(歪んだりしたらどうするんだよ)というように使う。「いがむ」と「えがむ」はあまり意味的な違いはないのでどっちを使うかは人それぞれ。

蛇足だが「えごえご」はあっても「いごいご」という言葉はない。

例文

「まっつぐな道で寂しい。」

「ふんだだこたあねえらあ。多少はえがんでるにい。」

  (そんなことはないだろう。多少は歪んでるよ。)

例文2

「おめえが載るとなんかここんさあえがむだけどやあ。どうしてだかいねー。」

「うー、ど酷いこんゆーやー。そんな重かないでねー。」

「だって見てみい、ほれ!きしんどるらあ。」

「失礼しちゃうやー。見た感じで物言っちゃかん。あんたの方が重いだでねえ。」

「なんしょこれ以上いがんだらおえんで降りろやあ。」

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*いやらしい

えげつないという意味で使われる。「やらしい」という言い方もあり意味使いは同じ。男女共用の表現。

辞書には不自然とか卑怯。そしてどすけべという意味で載っている。まあ、共通語のわざとらしいとか狡いと意味が近いので厳密な方言的な意味合いと云う訳ではないのではあるが。

えげつない以外にも下心見え見えとか露骨なとか自分の都合ばかりとかいった意味で使う場合もある。はしたないと言う意味はなさそうである。

「いかにも買ってみたいでいやらしいにい」

他には共通語で「口幅ったい言い方だが」というところを遠州では「いやらしい言い方だけえが」とかいう風に使うこともする。

訳せば色々な言い方になるのだが要は「お下品」ということであろうか。

例文

「あの人自分ばっかみこ良くしたいだか知らんが、しょっちゅうなんかあると○○さんに届けもんしてるだって。」

  (あの人自分がよく思われたいのかどうか知らないけど。なんかあるごとに○○さんに付け届けしてるんだって。)

「いやらしいやあ。魂胆見え見えじゃん。」

  (えげつないわねえ。魂胆見え見えじゃないの。)

「だらあ?いやらしいらあ?」

  (そうでしょ!そうおもうでしょ?)

「なんでそんなことするだかいねえ。」

「さー。なんかあるだら。」

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鹿男あをによし第六話

延ばしますよねえ、引っ張りますよねえ狐の使い番が誰なのか。今回のお話しでなんか進展あったんでしょうか。

「目」を「サンカク」と言い換えて鹿の使い番をだまくらかいたということだから、多分それが重大なヒントなんでしょうね。これが解ければ全てが解決なんでしょうけれども私の知能では解けません。なので最終回まで引っ張られることになりそうですわ。

他には小川先生が長岡先生に嫌われたということくらいでしょうか。それと時間が無意味に過ぎているくらいですかねえ。藤原先生に聞いてもらえばもっとあっさりケリがつくのにと他力本願でいいじゃないのと思いながら見てました。

こんなところでしょうか今回の印象は。とりあえず堀田の行動を第一回から見直して来週に臨むことにします。

正直全体的な展開には思わず引き込まれて面白いんですけど、個々の回には回り道とか迷子な展開の回とかが何回かある様に感じられてしまって。これが全てエンディングへの伏線なら見事にたぶらかされてると云う事で「スゲー!」となるんですけど。単純に期待持たせのフェイントばかりだったらなんだかなあという勢いです。

で、まあ第一回から見直してるんですけんど、堀田の行動(黒板の落書き)は全て鹿が持ち得る情報ばかりですから、堀田は鹿と情報交換をしていると読めるのですけんど。使い番以外とは会話しないという鹿の話しを真に受けるとすると謎が深まるばかりです。狐は動物園の檻の中で暮らしているのだから小川先生を監視できる状況にはいない訳だし。

そうすっと考えられるのは鹿が嘘ついて堀田も使い番とまではいかずとも鹿の使いと言う考え。もうひとつは鼠が神出鬼没の存在ならば鼠も小川先生を注視していてそれを鼠の使い番である堀田に伝えていたという考え。考えにくいのは堀田が狐の使い番であるということ。

そしてもし堀田が鼠の使い番なら狐の使い番はやはり長岡先生ということになる可能性が大きい。では長岡先生が渡そうとして鼠に捕られたサンカクはいつ何処で?ドラマの中で?それともドラマが始まる前?ドラマの中の京都で渡された可能性が一番高いとしたらやはりあの八ッ橋の詰め合わせが怪しい様な。そして料亭で福原先生のお宅に下宿してる事を長岡先生は知っていた旨の発言をしてる。もしかしたら鼠の使い番って福原先生なのか?。邪魔をしたのは福原先生?と勘繰れなくもない。でもそうなっと堀田って何者って話しになってくる。それに大阪の方の人物は全然話しの中に入ってこない。やはり妄想予想でしかないよな気がしてきたりなんかして。

で、いまんところの結論としては、サンカク(目)って何?ってのと、堀田が何者か分からないと全然話しが分からないということ。来週こそなんとかして欲しいものですわもったいぶらずに。

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お茶犬時計を追加

時計もないとあれだろうなあと思い立ち。ブログパーツの中から一番落ち着いた感じのお茶犬を選択。レイアウト的に下じゃおかしいだろうと先頭に配置。

ついでに他のもいじりてひとつやんぴ。停止した旨関連記事に書き残そうと思いしが、記事がめっからない。間違いなく書いたはずなのにどのカテゴリーの中にも入っていない。さんざっぱら探しまくったが未だ発見できずとりあえず先にとこの記事を書く。ホントどこいっちゃったんでしょうね。

・・・あったあ。で、終了と書いて、こんだこっちでえ。

緑の色味がレスキュー情報と同色なので具合良し。時計に災害情報と並ぶとなんか渋い。その以前がドラクエ風に国盗とご陽気だったのでちと変わりすぎかなとも思わないでもなし。それにしてもブログパーツ変えるだけで随分と趣が変わるものだと改めて思う次第。

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斉藤さん第七話

今回は病院内を舞台にした共同生活におけるマナーとお互い様の精神の欠如に鉄槌を食らわす斉藤さんのお話しで、それを今回はメインで懲らしめるのかなと思いきや、真のターゲットは別にあり。今度は柳川さん。しかも旦那でホントの権力者。

こんだけ誇張された善悪を振り分けた状況設定だと私でも分かるくらいの勧善懲悪の病室の空気でした。病室内のお話しは、要は公共性の問題であり、権利を主張する事よりも公共の場にいることを自覚して思い遣りを忘れないようにする事が大事。そのためには自己犠牲(不快や不自由)を享受すべきであるということでしょうか。正しく正論でぐうの音も出ない発言でした。説得力ありましたなあ。ホント言える勇気がすんばらしいです。

ただその後の柳川さんの個室問題でお婆ちゃんの娘さんのありがた迷惑という話しを聞いてしまうと切ない話しでこれもまたぐうの音も出ない言葉でした。正義は必ずしも歓迎されるわけじゃないというのでは鉄槌を振り上げる手も鈍ると云うものです。ドラマ的に素直に感謝されたほうがすっきりするんですけどそんな世の中単純じゃない。斉藤さん見て感激したからといってこんな奴が増殖したらいい迷惑だよと云わんばかりの様にもとれてしまいます。

それにしても柳川の旦那。秘書とはうって変わって正論には素直に頭を下げる気風のよさを見せつけたんですけど、はたしてそれなりの賢人なんでしょうかそれとも人前では猫を被る妖怪狸なんでしょうか。傾き加減はワルの方に傾いていそうな気がしますが、展覧会中止とかこいてるとこ見ると最終ボスキャラなんでしょうか。逆に良い人だったりなんかして。んなわきゃないかあ。まだまだ登場しそうなキャラクターのような予感がしてきます。

子供の画の一件に関しては、絵は良いものを善とする。観てより感動するものを善しとする。至極当然なことであり、決定が覆ることになろうともそれは正しいことだと思います。たとえぬか喜びで子供が泣き叫び嫌な記憶として残ろうともです。と、私は思います。芸術は残酷なものだということでしょう。なのでドラマでの一件落着の仕方はなんだかなあという思いです。

話しはがんこ飛びますが園長先生の一卵性双生児の院長先生。古田さんの本領発揮って勢いでお気に入りです。お母さんばかりの世界でぱあっと一輪の明るい花が咲いてるようなアクセントで好きですわ。普通は野郎ばかりでその中に咲く一輪の花は女優さんのお仕事ですが、女性ばかりばかりだから逆なんでしょうね。しかも色男ならぬ色物男でインパクト大。それでいてドラマの雰囲気壊すことなく変な空気振りまいてる様が堪りません。

観月さんはもう斉藤さんばっちりです。決して我儘に聞こえない誠実さがよく映えるお方です。一所懸命で実直(裏が無い)さが滲み出ていてホント厭味がなくて観ていて気持ちいいです。

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いとしいといとおしい

いとしい。かわいいという雅語的表現。

いとおしい。かわいい・かわいそうだの雅語的表現。

雅語(がご)。口頭語では使わないが、詩歌・俳句や古文などで良く使う価値の高いとされることば。

(新明解国語辞典より参照)

愛しいと愛おしい。辞書で引くよりイメージ的には異なる印象を持つのは私だけなのだろうか。

「いと惜しむ」とこんがらがって「いと惜しい」と解釈しているのだろうか。んなこたあないよな。

「いとおしむ」と「いつくしむ」(慈しむ)を混同してしまっているのだろうか。しかし、いつくしむを変換すると慈しむと愛しむの二つが出てくる。辞書には愛しむは載っていない。

因みに慈しむの意味は、かわいがる・あわれむの雅語的表現となっている。

私的には「いとおしい」の方が「いとしい」よりもより深い愛情がこもる感覚があるのだけれど間違っているのだろうか。なんか心配になってきた。

「いとしくて恋焦がれる」というより「いとおしくて恋焦がれる」とか「いとしい我が子」よりも「いとおしい我が子」とかのほうが強い愛情表現に感じるのだけれど。言葉のアヤとはいえ自分の感覚が辞書から離れていることがとても不安でおま。

イメージ的には、「いとしい」には憧憬がだぶり「いとおしい」には触れるぬくもりを感じてしまうものであります。それと「いとしく」て気が狂いそう人はいないけど「いとおしく」て気が狂いそうな人はいそうだし。

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*ちょこっと・ちびっと・ちいっと

いづれも「少し」・「ちょっと」とかいう意味。

「ちっと」という表現もあるが「ちいっと」と同類といたしました。他には「ちょい」と言う表現もある。

例文1

「悪いだけどやー。ちいっとこれ分けてくれん?」

  (恐縮ですが、これを少し分けていただけないでしょうか。)

「ええよ。持ってきない。」

  (いいですよ。持ってってください。)

「ありがとねー助かるやあ。ほんじゃちっと道具取って来るでねー。」

  (有り難うございます本当に助かります、それではちょっと道具を取りに行って来ます。)

例文2

「ほんのちょこっとでええで時間作ってくんない?」

  (ほんの少しで良いですからお時間いただけませんでしょうか。)

「やなこったい。忙しいだよー。」

  (お断りします。今忙しいんですから。)

「まあそーいわすとー。たのむわーちっとでいいで。」

  (そんなこといわないでお願いします。少しでいいですから。)

「おめーのちっとはあてんならん。ほんと忙しいだで。わし。」

  (貴方の少しはあてになりません。本当に今忙しいんだから無理です。)

例文3

「あんのヤローほんのちびっとくれっつった癖にほとんどまるさら持ってきゃあがって。ホント怒れるう。」

  (あのヤローほんのちょっと下さいって言った癖にほとんど全部持っていきやがって。なんかむかつく。)

「あ、ホントだ。しょんねえやっちゃなあ。今度あったらゆっとくわ。」

  (あ本当だ。しょうがない奴だなあ。今度あった時に注意しとくよ。)

「頼むにい。ホントこれじゃたまらんて。」

  (頼むよ。これじゃあ堪らんよ。)

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共有と継続と永続と所有

ブルーレイとHDDVDに決着がついたそうな。これで人のと規格の違いで貸し借りができなくなることはなくなった訳だけど。共有で使いまわし見せびらかしかあとふと考えてしまいました。

小さい頃は本の回し読みとか秘密基地にあるものとかは共有のものだった。みんなで使う物だから大事にしなさいというかしないと子供の持つ残酷性で邪険にされた。だから嫌でも大切に扱う事が生活の知恵として叩き込まれたものでしたわ。

そういう自分がいつのまにか過去の記憶になったのはいつ頃からだろうかとふと思案。共有(貸し借り)なんてしなくなったよなということ。

芽としては小遣いで漫画のコミック本を買える様になってからであろうか。人に自慢げに貸してもお菓子の食べかすとかページが折れ曲げられることに腹が立つようになってからであろうか。

決定的になったのはビデオの時代に入ってからのことかな。ベータを選択したことによって人との貸し借りが皆無になってからだろうな。別に性能重視でベータを選択した訳ではなくて知り合いが東芝に近い人でその人との関係性から買ったビデオがベータだっただけのこと。じきに東芝そのものがVHSに転換してSONYが唯一残された砦となっても録画しまくったせいで転換できず。今もビデオはベータで。しこしことDVDに移し変えてる今日この頃なんですが。

継続性とか永遠性なんて夢幻の世界なんだろうなとつくづく想う訳ですわ。耐久性のみが大切であるんだと。8mmでせっせと撮ってたとしても映写できない。ベータでしかもベータⅡで録画しても再生デッキが壊れちゃ修理も部品なしで断られる。レーザーディスクはどこへやら。DVDが暫く続くと思いきや早やブルーレイへと移行する。

レコードプレーヤーの如く細々ながらも連綿と続いているものならありがたいけど、映像を記録すると言うことに関しては猫の目状態。

浮世絵や根付けとかの江戸文化などは一朝にして成った物ではない筈。現代の文化は所詮テレビ局とかの専門家でなければ維持できないものなのだろうかと卑屈にもなりそうな感覚。そういうとこから小出しで出されたものに貴重だ貴重だと踊らされているだけのええじゃないかの輪の中にいるみたい。

最終的には本の世界に行き着くのかなと考えないでもないけれど、それでも明日を見ずにせっせとハードディスクが一杯だからとDVD焼いてる今日の自分がいる。踊り疲れないのが不思議。そろそろ一人の人間が死ぬまで変わることのない不変なものに出会いたい気分ですねん。

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同HN重複

暇つぶしと云うほどではないが、「浜松の田舎っさー」で検索したらなんかポコポコHITした。下手な鉄砲数撃ちゃ当たるようなものかとそれなりに想うところあり。

だけんど、「浜松の田舎っさー」でライブチャットやら有名人の極秘映像とかで無料自宅でお小遣い稼ぎとか云う紹介のブログにこのHNが出てきているのにびつくり。私のブログではそういう類のトラックバックは削除しているのでどうみても別の方で同じ名前を使っているということは確かでしょう。

こんなHNダサいから誰とも被らないだろうと考えてつけたのだが、いるんですよねえ他にも。ホントびつくりしましたわ。お金はそりゃ欲しいけど今のところブログで稼ごうなんて気はないし、極力エロは排除しようかという縛りの方向性で進めてるんで、あちらの方の方が明らかにブログ上の通り名として浸透してるようなら替えなくちゃいけないのかなと思う今日この頃です。

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*よせる

打ち寄せる波のようにみたいな使い方の共通語ではなく(勿論そういう使い方もするが)お寄せ戴いた葉書やお手紙という使い方でもない(勿論そういう使い方もするが)

集めるとか取り込むと言う意味で使われる。お取り寄せのよせと言う意味は近い。

別に方言でもなんでもない筈だが「取り込む」という意味使いは遠州独特らしい。

例文1

「あ!ほいっ。雨ん降って来ただでちゃっと洗濯もんよせてやあ。」 

  (あ雨が降って来た。ねえ洗濯物直ぐ取り込んで頂戴。)

「はいね。」

  (分かったよ。)

「よせたついでにたたんどいてくれるとうれしいやあ。」

  (取り込んだついでに畳んでくれると嬉しいんだけど。)

「そこまで使うう。ずいぶんじゃん。」

  (そこまでコキ使うの。ひどいなあ。)

例文2

「これ嫌いなんだよなあ。」

「ほいじゃはじんよせて他のを喰やいいじゃん。」

  (それなら隅に集めて他のだけ食べればいいんじゃないの?)

「味んしみてるで嫌。」

  (味がついちゃってるから嫌なんだよ。)

「なによー。ほんじゃまるさら喰えんだけえ。」

  (えーなに?それじゃあ全部駄目だってこと?)

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あしたの、喜多善男第七日

今回は目頭が熱くなってしまいました。お腹(お金)を空かした狼(平太)が純真な羊(喜多善男)に襲い掛からんとして躊躇する様に意味もなく心がうごめきました。

もう役者力全開でこれぞドラマの醍醐味といったところでしょうか。狼の心が揺れ動く葛藤の様とそれに何も気づかない羊の対比は見ていて迫力ありました。さすがにとどめの黄な粉もちは出来すぎかなとは存ずるが。

ところでネガティブ善男。物語上面白く分かり易くするための創作生物かと思ってたんですが、もしかしたら実は三波さんの研究実験の成果の産物なんでしょうか。生前(?)の映像で聴衆から机上の空論だと散々こけにされてた発表内容そのまんまの存在じゃあないですかネガティブ善男ってのは。当時会社が上手く行ってなくて生命保険がらみでのみずほとの結婚だった可能性も高いとはいえ、まだ喜多善男は生きているのだから、実験を兼ねて喜多善男を救おうとしたとも考えられなくもないわけですわな。過去を知る女性は悪党と言い切ったけれども本当のところはどうなんでしょうか。善意なのか悪なのか。全ての鍵は三波さんにありってことなんでしょうね。三波さんはほんとに生きてるんでしょうか。なんか死人に踊らされてるようにも思えるんですけど。

いずれにせよ、第7回が一番見ごたえがありました。それまでそれぞれの登場人物がまだ底を見せていなかったというか何考えてるのか謎の方が多かったのがここに来てなんとなく見通せたような感じで、それれぞれが何をやろうとしているのか掴めたような気になった回でした。みずほも喜多善男も間違いなく三波さんによって操られてたマリオネットで、その操り手の三波さんが消滅したことによって迷走している状態なのかもしれません。

敵と障害物とが入り乱れての格闘戦ですので四方丸く収まる訳がないですから11日目には余韻の残るエンディングが待っていそうです。けど、悪党らしい悪党がいない分、水戸のご老公が成敗するような出番はなさそうです。出番があるとしたら良い悪いじゃなく勝ちか負けをジャッジするレフェリーでしょうかねえ。それは保険調査員の役割なのでしょうか。

とにもかくにも俄然面白くなってきました。早く続きを観たいです。

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パッチギ!LOVE&PEACE

違う意味で感動しました。毒をもって毒を制すとはこう云う事を指すのでしょうか。出てくるセリフ全てに毒がある勢いです。当然口からでまかせの空虚な思いつきの言葉ではなく、信念に基づいての心のつぶやきだから、聞いてるほうからすればキツイセリフばかりです。まさしくこれぞ映画と呼べる感覚です。金を払って観に行くということは観る側にも責任を共有する権利が生じるということでしょうか。テレビなぞでただ見した奴がこの作品見てなんか講釈垂れるのは無責任なような感じがしてきます。

井筒監督が「映画館でみなくちゃ・・・」という類の発言をされていたのは、この映画に関しては確かにもっともだと納得しました。観た以上は自分にキックバックしなければ意味がない。ただそれが毒に中ったままの不愉快な残像として残るのか、自身も兼ね備えてる毒を吐いて中和して逞しく生きる清涼剤とするのかは観た人次第なんでしょうけれども。

最初観た時は毒気に中てられっぱなしできつかったんですけんど、繰り返し観てなんとか盛り返してきました。まあ、まだ受ける毒の方が強い状態なんですけど。なにせ民族紛争な訳ですから。諸外国の他人事ではない身近な話しですので色々と被ることがあるんですわ。

何度か見慣れれば薄まるのかなと思っていたんですが、むしろより強まる感じでとても良く練られたんだろうなあという印象です。それだけに「そんなこと言ったってねーあんた」みたいな反論する理屈が捻り出せなくて形勢不利なんですけど、最初と最後のパッチギかますシーンで、詰まるところそうなるんだよなあと同調する感じです。最初観た時こんな乱闘シーン必要あんのかと感じたんですけど何回か観るうちにこれがないと切ないだけじゃんと思うようになりました。

幕末のええじゃないかみたく踊る阿呆に観る阿呆という鬱積した感情のはけ口程ではないにせよワーっと騒いでとりあえず落ち着くって感覚でした。これがないと「泣いて、笑って、生きる勇気が湧いてくる、極上の群像エンタテイメント大作!」ってのになりませんからねえ。

前作はじっくり濃密な感じだったのですが、今作はオムニバスみたいに激動な展開だという印象です。こんな豪華に作られてるのに映画でなきゃ描き出されない観る人を選ぶ内容の映画って珍しい印象です。知らずに観てびっくり箱かと思ったらパンドラの箱だったと感じるかもしれません。私は前作観てたからそんなことなくて済みましたけど。それとこのストーリーなら出演者の入れ替えするってのもなんとなく納得ではあります。とにもかくにも登場人物確かに生きてる生活感というものが伝わる地に足のついた丁寧な映画だと思います。それだけに手強いですわ。

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*呼ばって

例文(単文)

*「ご飯出来たで、呼ばってきて。」

  (ご飯の支度が出来たから呼んで来て。)

*「○○さん何度も呼ばっただに声んないもんで順番後にしたでねえ。」

  (○○さん。何度かお呼びしたのに返事がなかったから、順番後回しにしましたので。)

基本は「呼ばる」であろうか。意味は単に「呼ぶ」という意味。

呼ぶと呼ばるとどう違うのかと言うと、多少呼ばるの方が柔らかい感じに聞こえる。

「呼ばる」と「呼ばるる」(呼ばれる)が連なっているようにも感じられるので単純に古い日本語ということなのかもしれない。

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薔薇のない花屋その6

喩えはえげつないですけど、心に偽りなく満面の笑みで微笑んでいるその顔だけど、鼻毛が出てて何気に引いちゃうような感じですかねえ。

美桜の気持ちが伝わってくるのが分かってはいるけど、何故か自分に正直になれなくて、どうしたらいいんだろうと思い悩む感じのお花屋さんでありました。

リアルに考えれば家族を守るため、騙された云々ということよりも金銭を取り戻すことを優先に考える方が自然だと思うのですが、そこは何故か優先順位が逆さになっています。そこまで(家族を捨ててまで)愛情を抱いたのかそれとも大爆発する前の嵐の前の静けさなのでしょうか。こたつでミカンほおばりながら他人を信じるその人にだけは嘘をつかないなんて云う思いっきり深い人生論ぶった手前、それを実践しているということなのでしょうか。

巻き上げられたお金に関しては工藤がお金に困ってるようなのでそれで一波乱ありそうな雰囲気がプンプンしてますけど、美桜はこれで今までの嘘が帳消しになったと安心しているのでしょうか。テレビの視聴者から見てもお花屋さんの美桜に対する態度は以前と違うって分かるくらいなんですから気づかない筈ないですよねえ。それでも遭いたいものだと院長先生が解説するままに行動している二人が儚くも見えてきます。

院長先生の英治の心情を言い当てる様は、手の中で人を転がして愉しんでる風にも捉えられるし、頭の中で計算した通りに事が運び人が動く様に充足している様にも見えました。院長先生の野望はお爺ちゃんとしてのものなのか、娘を想う父親としてのものなのか。雫を家に招きいれた事によって訳わかんなくなってきました。

それにしても雫役の八木優希さんという子役の方はがんこ自然ですわな。まじ役者やのーと感心するばかりであります。

ただ質問と言うか疑問なんですけど、あの病院の院長が雫のお爺ちゃんだと英治が知ってるのか知らないのかと云う事です。一度も会った事ないのか(父ですと彼女から紹介された事がなかったのか)、彼女が死んだ時雫は誰が面倒見るのかで話し合ったこともないのかなどなど同じ街に住んでいるのに知らないというのは不思議に思えるとこです。知っていれば、そこの病院で働いている看護士さんだということでピンとこない筈ないですからねえ。何故自分がターゲットとして騙されなきゃいけないんだ?そうかお父さん(院長先生)の差し金かって。それとも他にもうらまれるような心当たりが英治にはあるんでしょうか。考えすぎでせうか。

ほんでもうひとつ分からないのは何故ユイカの役名が「彼女」なんでせうか。もしかして英治とも院長先生とも違う苗字なんですかねえ。そうすっと雫のお父ちゃんは誰なんだって世迷言想像したりもしたりなんかして。少なくとも苗字はともかく名前くらいは呼んだっていいと思うんですけど。もしくはクレジットを雫のお母ちゃんとするとか。謎です。

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*こんだ

今度はと言う意味。いまひとつは「(~という)ことだ」という意味。もちろん読みが同じなだけで言葉はまったくの別物。

例文1

「こないだの一発芸笑かしてくれたじゃん。ふんでこんだなにやるでえ。」

  (この間の一発芸笑っちゃったよ。それで今度はなにやるの。)

「こんだあれでえって言ったら詰まらんらあ。」

  (今度はねえって言っちゃったらつまらないでしょうに。)

「ま、そりゃそうだ。」

例文2(あくまで強引な作り話です)

「やあどうゆうこんだあ。説明しとくりょお。」

  (おいどういうことなんだ。説明してくれ。)

「だでさっきからゆってるじゃんかあなんべんいわしゃあ気い済むだあ。」

  (だからさっきから言ってるでしょうに。何度言えば分かるんだよ。)

「なにや?こんだ逆切れか?」

  (なんだ今度は逆切れかあ?)

「だもんでえ。うちは確かにぃ○○でここは上島。だけどぉおたくが言ってるは◎◎でえ浜北のほうの上島。」

「そういうこんか。」

「そういうこんだ。」

「でも同じ商売屋だら?やってくれたっていいじゃんか。」

「だからあ。うちでやると金とるにい。そんでもええのっつってるじゃん。」

「なんでだあ、まだ保障期間中だぞお。」

「はあもう何度言わしゃあ気い済むよお。店屋ん違うっつってるじゃん。」

「なんでだ、おんなしもん売ってるだら?元んおなしなら一緒だら?」

「ほいじゃなにかあんた。服ん穴あいてたっつって近くの別の店で文句ゆうだか?」

「服じゃありもしんに。」

「製造元おなしの売ってるからっつって一緒じゃないの。服と一緒。」

「どうせメーカーに修理だすだらあ。ここからやったっていいじゃんかあ。」

「電化製品じゃないだでこういうのは自分とこで普通直すの。保障してるのは◎◎っちゅう店。だもんでえそっち行ってってゆってるじゃんさっきからあ。」

「たらいまわしする気か。めんどうな客にはよー。」

「たらいまわしって、おなし店じゃないっつってるじゃんさっきから。ホント何度ゆやあ分かるよお。」

「いいでやれやあ。」

「なにがいいで。うちで直すと金とるにい。それでええなら預かるけど。」

「なんでだあ、まだ保障期間中だぞお。」

「だからあ!・・・・・・

かくして半日潰れる作業が延々と続くのであった。例文の作り手としては妥協することなく追い返して欲しいと願うものである。たとえ捨て台詞を吐かれようとも。でもサービス業の発達してるとこだと明日に繋がる潜在的客として利便を図ることを善しとするんだろうなあ多分。

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佐々木夫妻の仁義なき戦いその4

第五話。今回はやけにギャグ満載のような気がするのは気のせいでしょうか。

小雪さんのだらしない女と物凄い早口な稲垣さんがやけにはまります。に、しては二人が抱える案件はしごく糞真面目な人間の感情がうごめくシリアスな展開でした。こういう硬軟取り揃えたバランスのいいのは私好物です。

佐々木夫妻はギャグで離婚だあと騒いでるのがお笑いであってくれれば愉しい限りであります。

とにもかくにも仕事熱心で仕事第一であることがこのドラマの大前提ですよね。お互いを必要としてるのかはともかく(それが論点なんでしょうけど)自らを癒すというか自分らしくとなると、その方法が全く異なる二人であることが問題なんでしょうね。結婚するまで猫被ってて気づかなかったと云う事なのかも知れませんが、少なくとも旦那さんのほうは猫被ってた訳じゃないから、奥さんとしては騙されたなんて思っていないんでしょうな。

だとしたら騙されたと被害者意識持ってるのは旦那さんの方だけで、奥さんからしてみれば馴れて欲しいという想いなんでしょうか。離婚を言い出すのはいつも旦那さんの方で奥さんは売り言葉に買い言葉なだけでそんな気はさらさらないという解釈でいいんですよねえ。

でも回を追うごとに、今回は最後に助け合えるのは家族なんだとか、毎回夫婦でいることの大切さを知っていってたりとかして変わりつつあるのは奥さんの方なのですからこれで離婚になんてなったら一方的に旦那さん悪役になりますよねえ間違いなく。昔の彼女の出現で益々都合が悪くなってくのも旦那さんだし。あんだけお玉で昨日の夕食美味しそうに食べてるくらいずぼらさが堪らんとはいえいくら正論を吐いたところで説得力が薄くなる旦那さんの印象でした。

それにしても前回痴漢冤罪の際に会話レコーダーで痛い目に遭ってる筈なのにまたしても怒りをあらわにマイクに向かって録音してる旦那さんは懲りない人なんだとつくづく頑固なんだろうなと思えてきます。リアルに考えると敵にはもちろん味方にも友達にも知り合いにもなりたくないタイプの正義の人です。でもドラマとして観てる分には興味の湧くキャラクターです。多分誰と結婚しても満足する事が出来ないんじゃないのかなと余計なお世話みたいな思いにさせる人です。それを厭味なく演じてられる稲垣さんと不潔に見せない小雪さんの清潔感がいいですよねえ。それにお芝居も誇張的な力が入ってなくて自然っぽい感じも気持ちいいですわ。ホント安心して見ていられるドラマです。

子は鎹。これで赤ちゃんでも授かれば万事丸く(?)収まり良かった良かったってことになるんじゃないのかと思ってるんですけどどう決着を見るんでしょうか。

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そのときは彼によろしくその3

この映画に関しては、映画館で観て直ぐにその1その2を書いたので、非常に独断的な解釈と思われたらしく、これ以降きちんと何度か納得いくまで見直した上で感想を書くことの大切さを知った訳です。記憶力が良い方ではないので、うろ覚えだった部分もあり曖昧模糊とした表現は読む人を惑わす(意図から外れる)ことになるのだと。

そういう反省点を踏まえDVDで見直した後、今回改めて書き興す訳でありますが、あまり感想というかイメージに変化はありませんでした。再確認できたといえば、やはり秘密基地やお店の水槽の存在感といったセットや背景のきめ細かさが改めていいよなあと感じた事です。

お話しの展開はやはりファンタジーの領域ですし、小学校の頃の思い出が最後の別れを告げる拠り所というのもそんなんありかなのかなあと無理っぽくも感じるし。(原作を読んでいる訳ではないのですけど)原作では中学生という設定らしくそれならなんとなく分かるような気がするんですけどね。

二人が覚醒する様は正にファンタジーの醍醐味というタイミングなのですが、それは物語の根源ですからそれに対してああだこうだ云うつもりはありませんし、これでいいんだと思っております。

ただ花梨の決意と想いというものが、或る日突然智史の前に現われることから始まるというのがなんだかなあという気持ちになります。HPでサイドストーリーが綴られていますが、やはり花梨の強い決意と覚悟と云うものをきっちり描いた上で智史の許へ現われるというほうが説得力があるような気がします。花梨が謎多きままで終わってしまった印象でした。この映画の主人公が智史であったとしてもそこのところははしょらず描いて欲しかったところです。

ここから先はオヤジの意見になるのかもしれませんけど、仮にもトップモデルだったくらいの美女がひとつ同じ家で階を違えども寝泊りするわけですから、そういうときの心の動揺とか心理戦とかを素直に描いて欲しかったとこです。聖人君主過ぎて人間らしさが薄れて見えて。まあそういうとこも含めてのファンタジーなんだよと云われてしまえばそれまでなんですけんど。そこらへんが綺麗過ぎて魚棲まずって感じで感情移入がしづらいのかなとも思えるんですわ。別に寝込みを襲えとか覗けとか云ってるんじゃないですよ。なんで素直に現状を肯定してしまうんだということです。智史は最初花梨だと気づいてない訳だし、見ず知らずの女性が自分のエリアにいるぎこちなさといったものをもっと表現して欲しかったということです。

全体的な流れで言うと、導入部分から智史の許へ向かうまでは花梨の一人称で、智史と出会ってからは智史目線中心で物語が流れていってくれると嬉しいなということですよ。

結論としては私には現実世界の中で発生しているファンタジーが向いてないということなのかもしれません。ありえない世界なら徹底した方が好きなんでしょう多分。こういう世界をタイプとされる方にとっては私のような考え方は確かに夢がない邪道だということでしょう。納得しました。

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ちべたい

お買い物お買い物

おんもはどちべたいけどお買い物

かじかむお手手で荷物持ち

ほうほうの体で家に着く

ちべたいお手手を顔につけ

冷たさよりもあったかさを感じてる

ということは?

同時に感じるこたあない?

冷感暖感比ぶれば

優先順位があるならば

熱い方が先ってことなのかい?

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*つっかけ

方言ではないが、サンダルとかちょっとそこまでチョイ用に出かけるときに履くもの。

つっかける(突っ掛ける)、履物を無造作に履くという意味からきたと思われる。

突っ掛け、足の先で突っ掛けて履く手軽な履物という辞書にも載ってる言葉。

なので全国どこでも通用するものと思われるが、もう廃れた地域もあるやも知れず。遠州ではまだ当たり前に使われている。

履物のことを「つっかけ」と呼んでいるということなので、遠州では単純に「つっかける」だと「突然勢いよくぶつける」・「物事に噛み付く」・「つっかからせる」とかいう意味にとられる場合が多い。したがって履物を無造作に履いていくとか言う場合は「つっかけてく」とか言う風になる。

むろん「そんな大層な靴だにいつっかけるう!」(そんな良い靴なのに無造作に履くんかい。)とかいう使い方も存在はする。

例文

「あんたどこまで行くよお。」

  (どこに行くの?)

「ちょっと街まで買い物いかすと思って。」

  (ちょっと街まで買い物に行こうかと。)

「そんな格好してくだ?」

  (そんな格好して行くの?)

「なんか変けえ?」

  (なんかおかしい?)

「つっかけ履いてはないらあ。」

  (その服装でその靴はおかしいでしょう。)

「や!ど馬鹿こいた。」

  (あれ?間違えた。)

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