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フルスイング第五話

当たり役という呼び名がまだ存命ならば、まさしく高林先生は高橋克実さんの当たり役でしょう。高林という人の説得力は実在の方をモデルにされてるとは言え抜群の存在感と説得力を感じます。こういう人なら周りが変わるのも理解できるというものです。

そして、先生のセンセイ。そのセンセイの先生は教え子というめぐり巡って人は成長しあう生き物なのだということなのでしょうか。天童先生(里見さん)が教師道を極めた指標となるべき人物だという説得力に打ち負かされました。揺るぎない信念を持ち、されど胃の痛みと恒に闘い続ける人間としての弱さを隠し持ちながらも成すべき事を成す様は頭が下がる以外の何者でもありませんでした。怒る叱るということに責任が伴うというのは重い言葉でした。結局今の世の中責任からみんなして逃れたいからこうなっちゃっているのかもしれないのかなとも我に置き換えて考えてみたりもします。

そういう人ですら教わるものが存在し続けるというのは深いです。お山のてっぺんに立つ事なんて一生出来ないのかなと不安になったりもしますが、それでもそんなことは本人だけの内面の問題であって、周りの人から見れば間違いなく頂上に位置することになるのでしょうね。

歳をとると1年や2年の挫折や遠回りなんて些細なものだと分かるものですけど、高校生くらいだと日々や年数の問題ではなく挫折が経験ない分恐ろしさのあまり我や先を忘れるものなのですね。ましてや遠回りなんて思いもつかない考えなのかもしれません。そういうとても脆い人間を見守り育てる「先生」という職業は特異な職種なんだとつくづく思わされるドラマでもあります。

職業に就けば出来る奴と出来ない奴はもっと露骨に区別されます。共同作業であるならば足を引っ張るくらいの言われようにもなるものです。学校という職場よりももっと千差万別な集団に等しく接するというのは大変な労力と忍耐が必要なのだと感心するばかりです。

受験合格や就職内定といった成果は眼に見えても、巣立つ生徒に対していい教師であったかのかという正解は見えないのですから教師のやりがいってなんなのでしょうねえ。

それにしても来週最終回。もう終わりかいって気分です。

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エジソンの母第六話

夢破れて逃避あり。規子(伊東さん)の夢がなんなのか知る由もありませんが、育児放棄ならぬ指導放棄で逃避してしまおうと思うとこから今回は始まりましたが、確かにしんどそうですな。規格を壊す(越える)のが天才に宿命であるならば、規格の中で生きんとする人にとっては理解しろというのは酷な気もしてきます。

それをどう切り抜けていくかが今回の見所だったんでしょうけど、しょっぱなで早くも現実逃避に失敗してました。大分ドン臭い人です。まあそこまで追い込まれていたんじゃないという事でしょうけれども。で、どう収めるのかなと思ったら「好きこそものの上手なれ」ということなんでしょうか。なんでもそうですけど好きでなきゃやってられないってことなんでしょうね多分。この悩みがまだ引きずる感じでこれが最終結論ではないのかもしれませんが、至極普通の理想論的信念による解決でした。

今回のナゼナゼ攻撃は「太陽の死」でしたが、「死」をこの年齢で意識するなんてさすが天才ですわ。普通は中学生くらいで発病して、しかも自分の「死」から発病してドンドン広い世界へと膨張してくのが普通なのに。いきなり全人類どころか太陽系の死から入るんですからたいしたもんだと言うべきか訳分からんというべきか。それにしてもいたいけな同級生を巻き込むのはいただけない話しでした。ホント疲れるドラマです。BoBA校長の大人としての包容力がなければとてもじゃないけど救われない夢想話しでした。

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最近気をつけていること

ドラマや映画を肴に記事を書くときに最近注意するようにしていること。

それは役者さんの名前をフルネームで書かないようにすること。喩えとしてお名前を出させて頂いて記事にすると、それに検索ヒットしてその方の内容の記事だとお間違いになられて当ブログに来られる方が多いということに気づいたため。

鈴木さんや佐藤さんといった表記だとどっちの?誰?といった混同してしまうような場合にはフルネームで書かせて頂いているけれども、極力その方がメインの内容でない限りは苗字や愛称で表記するようにさせてもらっているのです。

お蔭様で大分迷いて来たるお方ぞ減りにけりとあいなりました。

逆に考えれば、有名著名な方のお名前をバンバン使いまくりたれば内容に関わらずアクセス数が増加するのかしらむとぞ思いしが、いつかばちがあたるぞとも思いもこれあり。

じゃによって、かくも「誰じゃそれ?」たる意味不明なる記事が増えるはやむなしや。だけどどんどん暗号めいた文章になっていくのはちと反省すべき点ではある。

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4姉妹探偵団第五話

竹中さんが満を持しての登場で、さすがに家族全員の図では締まった感じがします。もっと生瀬さんと室井さんとの掛け合いを期待してたんですが最後の新しい家族の紹介あたりの(おそらく)アドリブ展開くらいでちょっと物足りないかなという勢いです。

考古学のパパなんだからお宝探しの冒険とかしないのかな。そんなしょっちゅう殺人事件に巻き込まれるのは現実離れしすぎている気がしないでもないし、相変わらず警察からは邪魔者扱いされてるポジションだし。人殺しだけが推理を愛でる方法だけではあるまいにねえ。警察から協力要請とかがあってそれで姉妹が決定的な証拠を探すみたいなお宝探しに知恵使うとかいうもう少し大事にされてたほうが見易いのは確かでしょうね。

言葉遊びのお馬鹿も少なくなってきて全体的にコメディーの色味が薄れてきているような雰囲気がしてきました。その割にはキャラクターの個性がコメディータッチのままで見ていてバランスがとりにくいです。推理ネタとしてどうのこうの言うつもりはないのですが少なくとも犯人が誰だとかトリックはなんだとかいう謎解きを愛でる作品ではないと思ってみてるんですけど違うんでしょうかねえこういう考え方は。

夏帆さんひとりに背負わせるのじゃなくて、それぞれの得意分野というか特徴を活かして各セクションの問題クリアしながら和気あいあいと無事解決を目指すという設定にすれば、キャラが出来上がってて見ていて決してつまらなくはないと想像するんでおます。ですから、なんとか面白いと思えるような出来事に遭遇してもらいたいと願うばかりです。

でも夏帆さん「天コケ」で自然な演技を求められて今度はこの作品ではけれんを求められてる訳ですから大変でしょうねえ。これからの方ですから勉強勉強ということでしょうか。頑張ってもいない私なんかが「頑張れ」なんていっても無意味な事なので、「成長に期待します」という表現でこのドラマ観とりますですハイ。

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*やごい

ちゃちな・ちんけな・脆い・壊れそうなと言ったつくりが弱そうな様を示す言葉。決して緋鯉真鯉とかいう「こいのぼり」の一種ではない。共通語で近い言葉といえば「やわい」(柔い)であろうか。あくまで近いのであって同じ(やごい=やわい)ではないのだが。

基本骨組みとかの本来がっしりしたものとかがそうじゃない場合を指すので、

「体がやごい」(病気がち)・「骨がやごい」(骨が弱い)という使い方をするので、「頭(脳みそ)がやごい」とか「性根がやごい」みたいな使い方は珍しい使い方になる。というかあまり言わない。「頭がかたい」の反対は普通「頭がふにゃふにゃ」という場合が多い。

何故か「馬鹿やごい・がんこやごい」はよく使われるが「どやごい」は言わないことが多い。

例文

「なんかさあこの家、馬鹿やごい気するだけど、気のせえかいねえ。」

「そんなことはありませんよお客様。」

「だってさあ、廊下歩くとギシギシいうし、階段ど狭くてこれじゃ荷物出し入れ大変そうじゃん。」

「やごそうではありますが、壊れる事はありませんから馬鹿やごくはありません。お客さまの提示なされた予算を考えるとこんなもんでしょう。」

「ぶっさぐる。ケチで悪かったのっ。」

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白いなっちゃん

「白いなっちゃん」を飲んでます。Cmでの堀北真希さんの鼻の頭赤くした涙の演技にほだされてついつい不憫に想い「長澤まさみ」のカルピスを差し置いて買って飲んでしまったという訳ではないんですけどねえ。

最近は「小岩井の純粋ぶどう」というのにはまってるんですけど、売り切れだったので代用として買ってみましたのでございます。

で、肝心のお味の方はと申しますと。当然ですが同じと思われる乳酸飲料のカルピスとの差別化が図られたものとなっておりまする。何故か大分昔に飲んだことのあるようなお味でござそうろう。はてさて何処での記憶なりしやと想ひ巡らすも結論としては「記憶にございません。」なり。(白いなっちゃんは乳性と書いてあった)

味覚の感覚だけ体感として残ってるけれど、記憶の感覚に残っていないとはこれいかに。無理矢理頭ひねって答えを出すならば、一番近いのがフルーツカルピスのオレンジかなと。で、なっちゃんのラベルみるとほのかにオレンジ果汁が含まれていると書いてある。それにしては色白なお姿で。

ラベルに記されているのは「ほんのりオレンジ果汁を加えた、さわやかな甘さとすっきりとした後味、初めてのおいしさの、白いなっちゃんです。」

つっこみいれさせてもらうと、爽やかですわ甘さを感じますわそれもすっきりと。オレンジ加減は薄らほのかであるだかないだかのちょっとだけよで絶妙ですわ。

ここまでは偽りなしですが、初めてという感覚じゃないような。もしかして私のこの感覚というのは物凄い昔の感覚の記憶で、開発研究されておられる方の時代にはもう無くなっていたのかしらむ。ってことは昭和40~50年代における記憶かあ?。まさかみかん水ってことはないよなあ。コアップガラナなわきゃないし。森永コーラス薄くした感じ?う~ん、よーわからん。

思い出そうとさっきからちびちび試飲してるんですけど、腹がタプタプ言い出したので深く考えるのは挫折しました。結構飲みやすいんでグビグビいけちゃうんですよね。後味もくどくないし。

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*みかん水

とある清涼(?)飲料水の名前なのだが、これってもしかして地方独特の飲み物なのかと心配になってきた今日この頃です。

随分前に存在してた俗に言うジュースで、名前から連想するとミカン汁を砂糖水で薄めた印象を受けるかもしれないがそうではない。感覚として表現すると、炭酸の入っていないサイダーであった。聞くところによると昭和の始め頃にはもう存在していたらしい。

ガキの頃は駄菓子屋でみかん水にするかミルクセーキにするかでいつも悩んでいた記憶がある。ミルクセーキは手にかかるとべとべとになるくらいひたすら甘い飲み物で今のミルクセーキと呼ばれるものとは全然つながらない単なる同姓同名みたいなものであった。それにくらべればみかん水は甘いとは感じなかったのだが。ちょっと前に懐かしの味復刻とかいってコンビニとかに出回ったときに物凄く久し振りに飲んだらがんこ甘かった。お誕生会とかのイベントで、生クリームがまだ世に出回っていない頃のケーキとセットでよくぞ飲んでたものだと感心しきりの甘ったるさである。やはり年相応。子供の頃に飲むものであった。

今も同じ名前で発売されているらしいが、私の子供の頃の人工甘味料の使用基準とはことなるので、おそらくは同一の味ではなく現代に即した飲み物であろうと思われる。その商品については飲んでいないので分かりません。くれぐれもこの記事見て敬遠されないよう願います。

今の清涼飲料水と飲み方が異なって、その頃の飲み物はちびちび飲むものであった。ぐびぐび飲む様になったのはコーラやファンタが幅を利かせ始めるようになってからくらいではなかろうか。なにせそれ以前のファンタとかと同じ炭酸飲料のラムネからして、ビー玉がすぐ蓋してぐびぐび飲める筈がない。

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鹿男あをによし第五話

「うそだろう!」ってそりゃ観てるこっちのせりふですよ小川先生。

この回は全編通して青春根性スポーツストーリー。古い表現だとスポ根ものでおました。ゆけゆけ堀田どんとゆけ~と思わず口ずさみたくなるような分かっちゃいるけど頑張れと応援したくなる展開でした。画の色味が青みがかっていてさすがタイトル通りであをによしってか?冗談はともかくとても空気が澄み切った印象がして清々しい気分になる映像に感じられました。それにしても何処となくエヴァを彷彿とさせる音楽に聞こえてきました今日この頃。

で、苦労した挙句に勝ち得たサンカクを鹿の元に持って行けば「なんだそれ?」ってホント洒落にならないオチでした。ま、薄々は感づいてはいたんですけどね。

考えてみれば鹿のかたちでいるものにあの大きさのアイテムが持てる筈もなく。もっとちっちゃい物なんじゃないかと想像は出来ますもんね。でもあのサンカクもどきはなにかのいわくがありそうでまったくの的外れということではないのでしょう多分。

これで話しが進んでる(日本の未来を救う)ということなら、教頭が小川先生がサンカクに執着してる事を知った・堀田と小川の信頼関係が築き上げられた・サンカクと思われたものがとりあえずは手に入った。それくらいですかねえ。

とにかく全10回で五話が終了して今の状況ということはサンカクを渡して終わりということで、そのサンカクを得るために様々なアイテム(または人間関係)を集めていくという展開なのでしょうか。まあ来週は狐の使い番を探す回みたいですので小川先生と同じ境遇の同士が誰か分かる回になるんでしょうね。一体誰なんでしょうか。それと堀田の叶えて欲しい事とはなんなのでしょうか。相変わらずの不思議少女ちゃんのままです。

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市川菎監督訃報のニュース

訃報の報道を見たのが昨日。一夜明けて今日の情報番組は市川監督の業績と関わられてこられた方のお悔やみの言葉の紹介。

正直、こんなに驚愕・落胆したのはジョンレノンのニュース以来かもしれない。代わる者なしの世界を構築される人が生を閉ざすということは、ご存命な限りはその世界は無限に続くものだと水や空気のようなものと勝手に思っていたのだけれど。最早70数作の中でのみでしか市川ワールドの空気を吸えないのか。喫煙ルームでしか煙草を吸えない押し込められた感じになるのかなと。

もちろん私は全ての作品を観ているほど熱心な愛煙家ではないからこれからも楽しみはいくらでも残されてはいるんだけれど。

電源を突然切られたテレビのように話しがぶち切られた感覚がする。世の中は代わりは必ずいるからこそ続いていくシステムになっている。総理大臣でも将軍様でも社長でも。だから自分ひとりで頑張らなくてもという心の支えが作れる訳だけれども。

世の中には唯一無二というものもある。そういうことを思い知らされる出来事でもあるような気がするのです。

それにしても伝える側の明るいニュースと悼むニュースを交互に伝えなくちゃいけないというご苦労がなんとなくわかったような気になる今日でした。私的にはそんなはしゃいでる場合じゃないだろうと喪に服せよ皆の衆みたいな感覚に陥る今日でもありました。

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ボンビーメンその2

第五話まで突入しての(その2)なのですが

前にも書きましたが、ホントに山田優さんは男子の中に混ざると映えるお方です。それでいて二人っきりになると無意識に敬語使わなくちゃいけないような気分にさせる女性らしさが見えて。ただの男っぽい女子というのではなく「紅一点」が見事なくらい違和感なくはまるという印象です。

正直なところユースケさんと八嶋さんという舞台からそのまま飛び出たようなお芝居のごとき大仰なお芝居をされる方はタイプではないのと、それに触発されて血が騒ぎ舞台俳優「小栗旬」の血がふつふつと覚醒するんじゃないのかなと思ったりなんかして、で選択肢として喜多善男のほうを選んだのですが。

何週か遅れの感想ではありますが、こうしてみると面白いですわ。ユースケさんも八嶋さんも抑えた演技ですし、小栗さんの悲壮感のかけらもない前向きなキャラクターというのも観ていてどよよんとならないところがドラマとして安心して見ていられる理由なのでしょうか。なにより仲のよさそうなオーラが漂ってるところが落ち着きますよね。家族じゃないけどアットホームっぽくて。

私的な下衆の勘繰り的発想で言わしてもらうなら、多分山田さんが効いてるんでしょうな。皆さん姫に基準を合わせてるというか色調を整えてるというか。それが観ていてとてもいい塩梅に映っているんだろうなと思えるのですわ。

でもほんとに貧乏が洒落にならないレベルなのに全然暗く見せない小栗旬さんのお芝居はすげえなあと感心するばかりです。

この愉しい仲間(ユースケさん達も含む)で貧乏とは全然関係ないミッションを遂行する(まあ宝探しでも秘境探検でも謎解きでもいいんですが)脱線話を見てみたくなりました。

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*とっつき

さきっちょと言う意味で使われることが多い。特に遠州弁ということではない。

辞書では一番手前とか物事に着手するときの初め・てがかりとなっている。たいして違いはないが微妙にニュアンスが違うといえば違う。

共通語の「とっつきにくい」(てがかりが掴みにくい)は普段使いで当然生きてるが、「~のとっつき」(~の先のほう)というような使い方は全国的には消滅しかかっているが遠州ではまだ生きてるという事であろう。

「堤防のとっつき」といえば、普通は堤防の一番先という意味になる。

例文

「えらいでかいの釣ってきたじゃんか。どこで釣ったよ。」

「今切れ口の堤防でえ。」

「どっち向きよお。西けえ東けえ。」

「堤防のとっつきだもんでどっちとも言えんの。」

(釣りはやらないので想像で書いてます。実際の地理的に正しい事書いてるかどうかは定かではありませんのであしからず。)

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ご冥福をお祈り申し上げます

平成20年2月13日、市川昆監督の死去のニュースを知りました。

創作意欲の衰えなど微塵も感じることなくまだまだ次回作があるものと思っておりました。金田一シリーズは私の宝物です。有り難うございました。

ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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斉藤さん第六話

斉藤さんは悪と闘うことではなく不条理と闘う人のお話しなのででありました。

不条理とは普通は犯人というか倒すべき相手が不確かな分、誰が原因の創造者で誰が味方で誰が傍観者で誰が妨害者なのかターゲットが分からないことが多いのですが、斉藤さんは独特の嗅覚があるのでしょうか的確かつ確実に根本的な部分に突撃を敢行されておられます。

そこいら辺が非常にマンガ的で、こんだけ役者力がある方々揃えておられるのになんかもったないような気がしてきました。特に高島さんはいいですよねえ。迫力・存在感・重厚感があって。観月さんとの太陽と月の違いみたいな対比とその間で右往左往(多少斉藤さん寄りだけど)するミムラさんとのコンビネーションがはまっていて観ていて非常に判り易い感じをあたえてくれます。話しずれますけど、高島さんは濃い青とか紫が映える人だなあと思いました。

結果的にこの三人が考え方は異なれど同じ不条理に対して意見を出し合って解決していくという構図にも見えてきて、そういうところが目新しくもあり、スーパーマンでなくとも不条理に抗える事ができるんだと言う教えにも感じられます。

なので一人の奥様のご意見ひとつで不条理を作り出すというような安易な現実から離れた設定などではなく、もっと実際に起こりうる不条理と闘って欲しいものだと思えてきました。具体的にというとアイデアはすぐには思いつかないですけど。例えば第一話の頃のような自転車の勝手な駐車で歩行の邪魔になるとかいった誰が犯人なんだと決め付けられないようなもぐらたたきのような不条理なんかどうでせう。こういう皆が被害者と加害者を兼ねてる案件というやつでさあね。

ドラマの内容に戻りますけど、とりあえず一件落着を見たとはいえ「でもこのままじゃ済まないわよ」という暗示的なセリフ。まだまだ柳川夫人のご活躍はあるのでしょうか。あんまり傍若無人に不条理提示されるともう斉藤さんじゃ手に負えなくて水戸のご老公の出番になっちゃいそうな悪行の範疇に思えてきますわ。はてさてどうなりますやら。来週の予告編見る限るじゃそんなことはなさそうですけどね。

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浜松は「濱松」か「濵松」か

か②かという他愛のない水掛け論である。もちろんお遊びなので真面目な話しではありません。

普通は旧字を使う場合①を使うところが殆どである。

ごくまれに②を使うところもある。今は改名してるけど以前の「浜松信用金庫」の浜は旧字で②を使っていた記憶がある(間違ってたらすいません)。

東海道五十三次での浜松の宿では②となっている。

なんとなく②っぽくも感じられるが、漢和辞典を埃を払った後開いてみると、②は俗字(生体ではないが普通に世間で用いられる字体)となっている。意味はどちらを使っても変わる訳ではない。

したがってちゃんとして書くと①で庶民は②を使っていたという想像となる。あくまで勝手な憶測なので正解かどうかは定かではない。(昔の古文書や文献みてるわけじゃないので)

ゆえに私は庶民なので、②を使うことを好しとすることにしやう。そうせまい。

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あしたの、喜多善男第六日

全ての鍵は三波さんにあり。喜多善男の存在も三波さんに操られていたということなんでしょうか。それにしても誘拐騒動の落としどころは上手いなあと感心いたしました。可哀想なのは殺し屋さん(温水さん)ですけど、まあ職業が職業なだけに致し方ないのかなと思わせる決着(?)でした。(まだ誰も殺してないみたいだけど)2000万支払った人物がみずほ(小西さん)とも接点があるってことでまだ宵町しのぶ(吉高さん)の出番の展開はありそうですけど。無駄な登場人物は存在しないってことで考えても良さそうな気になりました。全部疑えと。なにか隠し持ってるぞと。

いづれにしても三波さんの全貌が見えなければこの世界の全体も見えてこないということでしょうけど、生きてるんでしょうか死んでるんでしょうか。死んでる人に踊らされてたってのも面白いお話しかなと想像したりも出来ます。

「想い出は美しいものにしておけ」聞きようによっては美しい言葉ですが、愉しいことや幸福感を味わったことなんて直ぐ消えてしまって、残ってるものなんていえば、恥をかいた事厭な事二度と繰り返したくない事とかの負の記憶ばかりです。私には非現実的な絵空事のような言葉でした。

それにしてもネガティブ善男の死ぬ前に良い事をする手段というものが、「あったこともない人を救うために身近な人を窮地に陥れる」というのは、こりゃはめられた以外のなにものでもない悪意でしたね。「これって世の中にいいことなのか?」という問いの答えは「とてもそうは思えない」ですよね。ホントにひどい奴です。中途半端に真実言うから余計始末に負えないんでしょうね。

脱線話しになりますけど保険調査員役の生瀬さん、喜多善男の世界に馴れてきて余裕が出てきたんでしょうか私。部下を毎回どついていじってるシーン見てそういやあトリックの最初の部下も金髪でよーいじられてたよなあ。これで廣島弁しゃべればそっくりだよなあ。笑っていいとこなのかなと思うようになってきました。そう考えると死ぬかと思ったシリーズといい結構可笑しな部分が存在してるのかもという気になってきました。

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10億PVって

新ブログの女王と呼称される方のブログアクセス数が10億を越えたというニュースを拝見。

凄いとしかいいようの思いつかない私から見れば、とても非現実的なピンとこない数字ですが実際の話しなんだろうなとただただ驚愕するばかり。もし生まれ変わって来世にブログを引き継げたとしても何代輪廻転生しなくちゃいけないんだろうと我が身に置き換えようもないお空の上でのお話しであります。

私はこのお方のブログお伺いした事ないので内容がどうたらこうたらというのはないのですけど、少なくとも流行り言葉を開発されてるくらいのインパクトと影響力があるんだろうなという想像はつきます。ここまでくると誰がとかどういう人が見てるんだろうとかいう感覚はなく発信オンリーの一方通行に思考方向が向いてるんだろうなあという気がします。それでも自己中の世界に陥ることなく訪れる人を魅了・満足させておられるのですからきちんとしたエンターテイメントなのでしょうね。

自己発信な訳ですからひょっとして身を削る部分とかもあるのかな、有名人ゆえのご苦労があるのかなとか考えたりもしますが、余計なお世話なんでしょうね多分。

それにしてもニュースタイトルの10億PV。PVってなに?というレベルの私であります。

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*くっちゃべる

ぺちゃくちゃしゃべる・無駄口をたたくとかいう意味。しょうもない事を話していやがるというニュアンスを含む。したがって自身の言い様を「くっちゃべる」とは普通言わない。

似たような表現で「をたこく」というのもあり、こちらは「ぺちゃくちゃ」という意はなく「無駄口」・「ほら話」という意で使われている。

例文

「やあなにょうしょーもないこんさっきからくっちゃべってるだあ。仕事しろやあ。」

  (おい何どうでもいい事さっきから話してるんだ。ちゃんと仕事をしろよ。)

「いいじゃん別にい。手え止まってる訳じゃないだで。仕事してるらあ。」

  (いいじゃないの別に。手は動いてるんだから。仕事してるでしょうに。)

効率だけを考えれば無言の行を行いながらの方が確かに正解ではある。しかし働いていて楽しいと思える環境はイレギュラーの対応や逆境に強い場合が多い。

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薔薇のない花屋その5

記事書くため西遊記観て直ぐに薔薇のない花屋第五話に突入したので、なんか変な感覚で観てしまいました。それだけ役者さんは凄いという証を改めて実感した次第ですが、作品愉しむにはあまり得なことではないようです。

なんで、英治のことは控えめに。英治はもし騙されたと知ったらどうするんでしょうかねえ。

相変わらず工藤ちゃんは謎だらけの人です。追っかけられてぼこぼこにされるのは又なにかの為の作戦なんでしょうか。なにせ前科(同じ手)を見てるだけに疑わしい限りです。なにかの弱みがあるから院長先生に金銭収入目的で加担してるんでしょうか。将来小説家希望というのも疑わしくなってきました。

美桜はついてない人なんですねつくづくと。一度決心したことが予想外の出来事で脆くも崩れ去る様はさすがに見ていて痛々しいものがありました。それでもこの手術を奇跡のレベルから現実に引き戻せるのが日本に一人しかいないという設定はドラマだよなあと思えるんですけど、心を鬼にして英治に向かうというのは見ていてしょうがないよと感じなくもない印象でした。でも院長先生のあの一言は嘘から出た真なんでしょうか。

院長先生の強要もお父さんの手術しちゃえば否も応もないと思うんですけどそうしないのは何故なんでしょうかねえ。

次から次へと色々と様々に目新しい謎が湧いてくるのですが、今回も「眼の手術を受けなさい。」とか前述の工藤が襲われた理由とか繰り出されてきて眼が離せません。が、番組の評判良いからと途中から見ようと思った人がはたしてついていけるのか余計なお世話的心配をしてしまうほど入り組んでるようで大丈夫なんでしょうか。

考えてみればまだ五話。あと6話ある訳で、そう考えるとえらくテンポの早いドラマなんだなと思えてきました。ドラマ観てるとじっくりって印象があるんで。いいように気持ちよく騙されるってことですよねえ。

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西遊記

この映画は映画館では観ておりません。さすがにおっさんが独りで観に行くには勇気がいるので結局根性なしは行きませんでした。高校生くらいの中に混ざってなら何とか範囲内ですが、小中親子連れの中に混ざってというのは勇気がいります。

「なまか」で一躍有名になったテレビドラマの映画化ということで大層な気合の入りようというのは分かっていました。分かっていましたが、テレビ見る限りおっさんの入る余地が無い風に感じてたので諦めました。

ふんで、DVD買って観たんですが、こりゃすげえと驚きました。なんか米国洋画見てるみたいな迫力と臨場感の包まれた壮大なスケールの作品でした。

絵空事(CG)と実写の組み合わせが絶妙でした。実写も豪華だしさりげないを通り越したしょうもないとこまで映像処理されていて、無駄に金かけてないなという感じです。殺陣の映像もしっかり体はって肉弾戦かましてますし、冒険につきものの秘境探検もあって至れり尽くせりの超娯楽大作の看板に偽りなしです。

特に印象に残ったのは空中戦のシーンでした。個人的な感性ですが、ギンカクの乗り物の「バタバタ」音は快感でした。

ストーリー展開もお約束を全部つぎ込んで、なおかつ先を読ませぬ展開はとても凝ったものでした。画の色目も暖かかめで好みですし、全体的に優しい感覚で観れました。

ただやはり孫悟空そのものの設定が(この映画だけに限らず)ほぼ最強設定過ぎて、困難に立ち向かう困難のアイデアを考えることよりも、逆に七難八苦を与えて制約を設けることの方に注意がいってるのかなという気はしました。だって空をひとっ飛びできちゃうし、分身はできるしということで皆でなにかしようとしなくても孫悟空に命令した方がよっぽど楽に履行できますもんね。

勝手な妄想ですけど、形ある武力に優れた妖怪と武力を競う展開よりも、もうこうなると宇宙人と闘って近代兵器を凌ぐ武力と戦うか、スライムみたいな力技じゃあ倒せないような知恵と勇気とチームワークを要求される敵と戦った方がかえって物語作るのには楽なんじゃないのかと考えちゃいました。お師匠さんを人質にという足手まといというかハンデというのはもう結構ですという感じです。将棋の駒じゃないけどお師匠さんが棋士で悟空達が駒(実働部隊)として各面をそれぞれクリアーしてく展開が好みかなと。

壮大に感じるのは中国でのロケということもあるんでしょうかねえ。国内ではこういうものが作れないとしたら少し淋しい気もしてくるスケールの大きさを感じました。でもこういうものを観るとつくづく日本映画の真髄って箱庭の世界にあるんだなと感じます。縮小・単純化された空間の中に深遠を求めるのが日本人らしいのかなと。観てるだけの人間としては両方観たい欲があるんでそこんとこは上手い具合に枝分かれしてくれると嬉しいです。

キャラクターがたってるし興行的にも成功してる作品だし、これだけ極上のエンターテイメントとして優れているんだから、まだまだ次を観たい気になります。深津さんのお師匠さんと内村さんの悟浄をまだ観たいです。

に、してもDVDの発売日1/1元旦ってどこまで目出度いお話なんでしょうか。

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アヒルと鴨のコインロッカー

面白いですわ。展開上のトリックであっと思わせる変化といい、役者さんのはまり方といい。全体的に斜に構えた空気感の世界の中で普通の人代表とも見える椎名(濱田さん)目線で追っかけると、ごくごくありふれた生活の中で映画みたいな出来事が起きているんだという気にさせてくれます。(映画ですけど)

お話しを愛でる作品なのでネタバレ厳禁は徹底しなくちゃいけないでしょうから、じゃそういうことでということにしますけど、結構見方を変えて観ると何度も観れる奥深さがあるような気がします。難解な印象ではありません。驚いてそして納得しました。

彼(瑛太さん)は何故自身の役を椎名にしようと決めたのか。どこに過去の自分と重なるものを感じたのか。椎名が現われていなかったらどうなってたんだろうか。最初は素直に椎名目線で観てたものでなんか変な奴と感じてたんでそこら辺きちんと観てなかったんですよね。なので再度挑戦時には彼を注視してました。

とにかくやたらと余韻の残る映画っぽい映画だと感じました。

で、いつもの脱線話しですけど、眞島さんバスの運ちゃんで出ておられてましたねえ。極めて普通の小市民役でした。あれだけかい?って一人ツッコミしてました。猫田直さん一回目観た時エンドクレジットで初めて出てたんだあと本編では気づかなくて再挑戦時に探してしまいました。

濱田岳さんは凄いですね、当たり前に普通で目立つ訳でもないのに観るものを惹きつけるという矛盾を両立させてるという不思議な引力ってものを感じます。さすがに10代なのに白髪の爺に化けるのには無理を感じましたけど。技術が云々とかではなく存在感が特異だということなんでしょうかねえ。代わりがいないというかあまり見たことないタイプの方に思えます。

松田龍平さんがまた決まってます。こういう人になろうとするという彼(瑛太さん)の気持ちが分かる説得力。それを決して多い出番ではない中で表現しなくちゃならないんですから。瞬発力のインパクト勝負となるわけですが、説得力ありましたわ。

瑛太さんがこの作品の中で一番ややこしい部分を要求されたんだろうなとメイキング見て思ったんですが、本編みてる限りじゃそんなご苦労微塵も感じさせない気がしました。謎めいた人と最初観た時のインパクトがあったから多少のギザギザ気にも留めなかったせいかもしれませんけど。孤独と孤立のどちらに比重が置かれてるかというと孤独なんでしょうね。そんなイメージに見えました。孤高かと言われるとなんと申しましょうかですけど孤軍であることは間違いないところでしょう。

主人公二人の空気感の違いがどことなく緊張感を与える感じがして、なんでそんな空気感が違う二人がつるむんだろうかという疑問は、私の見方が甘いせいでしょうイマイチ掴めてないところがあります。ディランをもっと真剣に聞き込まないといけないのでせうか。意外と人同士が出会い深く接するようになる動機の部分があっさり必然かのように描かれておられるので想像力で補う力の弱い私にはきついのかもしれませんけれど。

話しは飛びますが、もし最初の引越しの挨拶で隣人が良い人で会話が弾んでいたらどうなってたんだろうというそれを云っちゃあお終いよということは何気に何回観ても感じました。

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ずらかづらか その1

「そうズラ」で御馴染みの「ズラ」。遠州弁ではもう絶滅種の表現ではあるが、以前使われていたことは確かであり、一応残しといたほうがいいのかなということで。

ふんで、問題は「ずら」なのか「づら」なのか。言う分にはそんなのどうでもいいことだが、書き残すとなると選択に悩むものである。共通語においても鬘(かつら)の事を略してズラと呼ぶように「づ」と「ず」の境界線なんぞ曖昧模糊で構わないのだろうけれども。

それでも現在遠州弁では、「だら」が主流であることを考えれば、同じタ行で変化してきているのではという考えもある訳で。そういう考えでいくとここは「づら」で押した方が自然かなと思えなくもなし。じゃによって私のブログにおいては出て来る事はほとんどないだろうけども「づら」でいこうかなと思う次第で。

遠州での「づら」が山梨とか静岡県東部の現役「ずら」と同じものだったのかは、多分一緒だったんだろうけども確かな事は分からない。

ちなみにあるところでは古語の「うずらむ」の変化したものと説明がなされており、正しくは「ずら」なのであろうか。推量の助動詞「うず」+推量の助動詞「らむ」の合体形であるとのことだが、それでも私は「づら」でいきたい。解釈としては完了の助動詞「つ」+推量の助動詞「らむ」の合体形という解釈の方を取りたい。何故なら「づら」は推量としての使い方に限らないからである。例えば

「これ便利だで買ってくづら」(これは便利だから買っていこう)

といった風に。必ずしも推量の(買っていくんだろ?)ということになる訳ではないのだから。

推量+推量=主体の判断とかいう公式があるのなら「ずら」が正しいのであろうが。どうなんでしょうね。

ちなみに完了の助動詞「つ」は「石炭をば早や積みはてつ」の「つ」であろうか。この根拠でもって「づら」だと言っているのでありこれを遠州弁に変換すると「石炭はあ積み終わったづら」となる次第で。

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トラックバックと記事の引用について

最近私ごときの拙なるブログにトラックバックしていただく方が恐縮にも多くなるようになりました。私の記事を読んで自分のブログではこうですというような意見交換してくださる方には感謝の気持ちで公開させていただいてますが、鼻の下が思わず伸びてしまうような感じの私の記事とは全く関係のないものにつきましては公開をしないようにしてきました。

最近それとは異なり、私ごときの記事をご自分のブログに情報記事として載せられておられる方からのトラックバックが増えてきました。トラバしていただけるだけ挨拶をしていただいたと判断して、今までは公開させていただいておりましたが。

ご自身のご意見が全くなく、ただ色んな方の同じテーマで書かれた記事を羅列して自らの記事とされてるブログからのトラバについても今後は公開を見合わさせていただくことといたします。

勿論どなたかのファンの方で、その方に該当する記事を私が書いて、「ファンでもない人がこんな感想書いてるよ。」というようなブログでの引用でしたら喜んで公開させていただきます。私の疑問は、その時々の流行廃れに則っているだけで芯が通っていないと思われるブログが何故存在するのかということです。人の意見集約するだけで管理人さんの思惑がなにも見えないブログはなんの道しるべになっているのでしょうか。

そういう疑問が解けないのでこの際そのようなトラバを公開しないこととしました。トラバしてくれる方は挨拶していただいただけ良い人のような気がします。中には私のあずかり知らないところで引用されてるケースもあるくらいですから。中には機械的に記事の生成が行われていて管理人の介在すらないものもある感じがするものもあります。

別にリンクフリーでどう使われても構わない(たいした記事ではありませんから)のですが、私の考えるブログというものの在り方と異なるのは確かです。

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*うーおこれるう その2

重複していたが消すのもなんなのであえてその2とす。

怒っていると言ってる訳ではあるが、ニュアンス的には「プンプン」という感じの意味である。「うーむかつくう」もほぼ同じ用途である事が多い。

決して「ムカムカ」とか「イライラ」とか「カッカ」とか言うものではない。なのでこういわれたからと言って真に受けてしまうと、空気読めない奴と思われる。ポイントは「う」が入るか入らないか。「うーおこれる」と言い切られると「プンプン」の領域を越え「ムカムカ」に近くなる。

そして、これに「ど」や「馬鹿」がつくと「う」が入っていても「ムカッときた」とか「イラっときた」というニュアンスになる場合があるので注意が必要となる。

例文1

「これ喰わんなら頂戴。」

  (これ食べないなら頂戴。)

「やだね。」

「そういわすとお。」

「あ!ばかっつら。ホントに食べたあ。うーおこれるう。信じれん。後で食べようとしてただにい。」

  (あ!ちょっとお。なんで食べちゃうのよー。もー信じられない。後でゆっくり食べようとおもってたのに。)

例文2

「これ喰わんなら頂戴。」

  (これ食べないなら頂戴。)

「やだね。」

「そういわすとお。」と言って手を出す。

「うそ!なによー。うーどおこれる。ホントなにするよー。あったーくるなあ。」

  (え!なにするの?なにしてくれるよ。頭来たむかつく。)

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佐々木夫妻の仁義なき戦いその3

第四話のお話です。痴漢冤罪を取り扱ったテーマだと「それでもボクはやってない」の出来が素晴らしすぎるから、あえてこのテーマに挑むのはどうなのだろうかという様なことを前記事で書いたんですけど。無事購入できたキネ旬での周防監督のインタビュー記事を読んで、考え方を改めました。

賞を獲る事によって再びこの映画が話題になることを望まれたということなのですが、確かに社会の矛盾を見る側に投げかけた作品なだけに、一過性で終わって欲しくないという監督のお考えは正しいなと思えました。映画を作るに至った監督の想いというものは「ねえねえ奥さん聞いた?」・「あらやあだいやあねえほんとに」・「じゃあした」みたいな世間話で終わって欲しくない訳で。

なので、それに呼応して「働きマン」でもこの作品でもそれらの作品のカラーなりにテーマを継承して誤った形勝に警鐘を鳴らすことはいい傾向なことと拍手すべきだと。そして今の世がよい方向に方向転換される手助けになればいいことだなあと考えを改めました。

そんな観念的な凝り固まってから観た今回でありますが、映画の後追いと言う部分もありますが裁判後のことに比重が置かれているようで、特にやってもいないのに面倒というものを考えると示談が楽な方に流れる。しかしそういうことで進んだとしても、決してキレイさっぱりと消え去ることではない。と言う点に響くものがありました。

碇シンジの「逃げちゃ駄目だ×∞」じゃないけれど、人として貫かなくちゃあいけないことは折れて流されてはいけないことだと思い知らされた気分です。このドラマが一話一騒動というお約束らしいので、その制約で多少出来過ぎな決着だと感じはしましたが、どちらも正しいと思える佐々木夫婦の真逆な思考・行動のぶつかり合いは色々と考えさせてくれる機会を与えてくれます。そしてそれをさりげなくフォローする蝶野(西村さん)と馬場(藤田さん)が効いてます。

もうトムとジェリー状態で「仲良く喧嘩しな」でずっといって欲しいものです。でも段々小雪さん女性の格好してるけど男に見えてきております。夫婦というよりパートナーという表現の方がしっくりくる感覚です。(お綺麗ですけど)。漫才とかでもコンビ同士実は仲悪くても芸として素晴らしくそれが世間に必要とされるなら分かれる訳にはいかないというようなものでしょう。なので離婚だ離婚だと囃したてられると見ていて疲れてしまいます。

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ゲゲゲの鬼太郎

墓場の鬼太郎とまではいかずとも、ゲゲゲの鬼太郎の初期の頃でそのおどろどろした怖いもの見たさの世界に引きずり込まれた身としては、正義の味方の鬼太郎なぞ歳を取って丸くなったとしか思えない訳ですが。近年見る鬼太郎は明らかに他人の空似と思う私です。

そんなこんなで映画の鬼太郎。とりあえずはお手並み拝見といったある意味挑発的というか挑戦的な態度で臨んだ映画ではあります。

水木さんの絵の世界には、描かれていないけれど確かに何かが潜んでいてこちらの様子を伺ってるような気配を感じるのですが、そういう意味では映画の醍醐味と言うのも映っていないものをフィルムに焼き付けることが出来ると信じているので、そこんとこはどうなのかなと。

それとマンガのほうだと粘液というかねばねば・どろどろ系の匂い立つ勢いのものが闊歩するかのようなイメージも持ってるんですけど、さすがに映画では汚らしくなるからそういうニュアンスはNGでしょうなあ。

で、実際観た印象としましては。鬼太郎がウェンツさんということでそこはかとなくは想像はついたんですけど、果てしなく人間寄りの正義の味方の鬼太郎がおりましたとさ。基本全体的に日の光射す昼間の映像の世界だから暗がりの中に潜む摩訶不思議な奥行きは感じられませんでした。やはりターゲットの中に墓場の鬼太郎をイメージするような年齢層は含まれてないみたいです。

とはいっても結構見所があって面白いです。特に大泉洋さんのビビビのねずみ男は秀逸です。原作よりも好きかもしれません。機関銃のようなセリフのテンポとなんにも人の言うこと聞いてない様なすっとぼけた感じ。そしてそれでいてどこか憎めない・懲りない印象を与えるのは正にねずみ男そのまんまって感じでとても気に入りました。

根っこのテーマは、げ!げ!げげげのっげえお化けは死ねない利権もなんにもないってことで人間の身勝手で共存していた妖怪たちの居場所を浸食されることへの怒り、といものが込められていて、妖怪を自然に置き換えることによってなにと共に歩むべきか深く考えようというテーマとも読めるのですが、鬼太郎のほのかな人恋しい想いというエンディングでそれが薄れたようにも感じました。

小雪さんはがんこお美しいです。その容姿を観れただけでもこの映画観た価値があるってなもんでさあな。髪の色が瞳を引き立てているようでとても神秘的です。

西田敏行さんも印象残りました。お顔だけのご出演なんですがセリフが絶妙で印象深いです。

ところで傘化けって原作では強い妖怪で鬼太郎も手を焼いたような記憶があるんですけど記憶違いだったのかと不安にかられました。不安にかられるといえば、原作にもあった妖怪裁判は印象に残るお話ですけど鬼太郎を救うために他の妖怪仲間が活躍してたような記憶でしたが、今回は左程天狗の強大さが伝わらない展開でした。妖怪世界も今の人間社会と同じように警察権力が弱まっているということなんでしょうか。そうすると妖怪世界と人間世界はリンクしてるよともいえる深いメッセージと読むのですかねえ。厳正なる裁判において逃げ出すなんてことは「それでもボクはやってない」ということであってもルール破りもいいとこで感心出来る話しじゃないですよね。何時までに無実を示せ。さもなきゃ友を罰するってのは「走れメロス」に通じる感動的な約束の大事さを教えてくれるものではありますが、その前に「ルールを守れ」という方が大切だと思えるんですけどいかがでしょうか。

面白い部分とそうでない部分が入り混じって諸手を挙げていい映画だったとは素直にいえない感覚ですが、続編観るかといえばキャストが同じだったら観ると言い切れます。欲を言えばもう少しターゲットの平均年齢上げて欲しいなと。

アニメの鬼太郎で好きなお話しは「牛鬼」が好きです。カルラ様にお越しいただけるようみんなでお祈りするあたりが好きでした。カラーでなく白黒だった記憶があります。

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キサラギ

一室で繰り広げられる推理サスペンスという括りでいいんでしょうか。とても緻密でさりげないセリフひとつとっても後に影響してくる濃密感満載の気の抜けない展開です。

お話の内容については、評価の高い作品ですので改めてどうのこうの言っても他のプレビューなどで幾らでも良い文章がありますからはしょりますけど。確かに面白い映画ですわ。緊張感の塊でぐいぐい惹きつけられるんですが、個人的にはこんだけ魅せる役者さんが揃ってるんだから弛緩と緊張のギャップをもう少し愉しみたかったなあという欲は出ますが、そうなると長くなるからやはりこれで正解なんだろうなあと思います。

で、いつもの的外れな感想に終始したい訳ですが

「命より大事なたからもの」というくだりは好きですなあ。身内知人の応援よりも接点のない表の顔だけでついてきて来てくれる人が心の支えになると言うのは、これが現実ならば「応援」の意義が見出せるというものです。多分励まし・心の拠り所というものと応援・心の支えというものは違うものから得るものだということと判断したんですけど。考えてみれば身内だけで盛り上がってもトップに躍り出れる筈もなく、如何に不特定多数の名も知らぬ人から盛り上げてもらうかという世界ですからねえ。

自分のことに照らして考えてみれば、私は一人の役者さんを追い求めるということはしてない良い時だけのコバンザメ的応援型なので、ここまで一人の人に熱を入れる家元さんみたいな人の心持ちというのは正直理解しづらい部分があるのですが、それでも「命より大事なたからもの」なんて云われた日にゃあ思いっきり舞い上がっちゃいますわな。ホント家元さんはファン冥利に尽きる方で羨ましい限りです。羨ましいと思えるのは家元さんくらいなもんですかねえ。いちご娘さんとオダさんは洒落にならないし。安男さんには将来の責任が伴う関係だったし、スネークさんはただの顔見知りというだけで一番リアルな芸能人知ってるパターンの最低レベル段階で人に自慢できるほどではないし。とにかく一番夢を貰えたのは家元さんで間違いないとこでしょう。理想的なファンとアイドルの関係なんでしょうね。お互いが救われるという羨ましい関係です。

役者力でぐいぐいなんですが、香川さんて飛ばされる役が多いですよねえイメージ的に。これってボケとツッコミ的に言うとボケの部類を得意とされてらっしゃるてことなんでしょうか。ちくちくと厭味とかいって小憎らしくしてても最後にぎゃふんと言わされる印象が拭い去れません。小役人とか小市民とかいう権力とは縁のない役のイメージがするんですけど、こういう人にとてつもない権力握らせたらどうするんだろうと言う怖いものみたさな欲が湧いてきます。

小栗さんの喜怒哀楽の表現とそれがいつまでもぐずぐず引きずられることなく陽・陰・鬱・爽・悦などの感情の起伏を小気味良く繰り出す感じが印象的でした。まあ感情の起伏が豊かでかつ立ち直りが早いということなんですけど。ねちねちした役よりもこういう役のほうが安心して見ていられる感覚です。

で、結論としては面白いエンターテイメント作品の看板に偽りなしです。げらげら腹抱えて大笑いできる方向性ではないけれど頭の好奇心をくすぐる。そのくすぐられ加減が思わずにやけてしまうという感じです。非常に分かりやすくて私みたいな能天気に観るものにも遅れずに最後までついていけるのでお色気がなくちゃ観ないという人以外は楽しめる作品だと私もそう思います。狭い空間の中でのお芝居ですので登場人物ごとの追っかけしても楽しめるので少なくとも5回は楽しく観れるんじゃないでしょうか。

しいて欲を言えば、私でもファンに思わずなっちゃいそうな如月ミキというものを魅せて欲しかったんですが、私みたいな最後発の有名になってからファンになるようなタイプが納得するくらいだったらとっくにもっと大スターになってるわけだからそしたらこんなこじんまりした追悼会になるわけがないという矛盾は生じますけど。

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フルスイング第四話

全六話ということで折り返し地点を通過した訳ですが、正直言えばこれだけひとつのことを緻密に描いているのならもっと普通の感覚で11話くらいいけるんじゃないかといいたくなるくらい、暫く観続けていたいドラマです。

今回はコミュニケーションのルールとリタイヤ(挫折)からの復活がテーマと思える内容と判断してる訳ですが。

定年ならいざ知らず、その前に辞めようというのは病め様を晒すのと同じことで、本人も周りも「逃げる」・「逃げた」という言葉で括られることを承知するということです。もちろんはめられたり体を壊して意思に反してとか言うアクシデントとは別の話しです。「気合だ気合だ気合だー」と言う言葉は確かに真実です。一時の流行語などでは決してないでしょう。全ては心が折れることから挫折は始まるのです。明日の事を考えると堪えられなくて酒とか飲んで時間を忘れ、なにも考えなくていきなり翌日になだれ込むくらいが最後の抵抗でしょうか。それでも不安を拭い去れなくなった時残された道は「逃避」しかないのでしょうか。説き伏せる説得の言葉で「冷静に」とか「落ち着いて」とかがよくあるセリフですが、あまり効果は期待できないことの方が多いような気がします。

それを元に戻した高林先生は凄い人格者だと心から尊敬してしまいます。決して責めない追い込まない。自身の時間を割いてただ黙って寄り添う。自らの意思で復活するのを待つ根気強さ。以前の回で卒業してく連中になにも教えられれなくともそういえばあんな奴いたなあと想い出してもらえる教師になりたいようなことをおっしゃられていたと記憶してるんですが、もう絶対すでにそうなられてますわ。でもここまで何事にもフルスイングだと時間がいくらあっても足らないなと、精神論よりそっちの方のやりくりが大変な気がしてきました。

コミュニケーションのルールはキャッチボールの中にある。確かに!相手の取りやすいタマを放るということは相手の事を思いやる事でもある訳で。取れない放れないなら距離を縮めてやればいい。そこから徐々に距離を遠くしていっても意思が通じるように馴らしていけばいい。いちいちごもっともで耳が痛い話しです。相手の目をよく見てなんてわかっちゃいるけどやれないすよなかなか。自分が後ろめたい事が多すぎるからなんでしょうかねえ。

本当に器の大きい人です。押し付けがましくなくそれでいて粘り強く。こういう人を見ていたいです。6回は短いす。

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*うしろまえ

逆と言う意味。洋服などを後ろと前を逆さに着てるような場合に多く使われる。地域によって「まえうしろ」というか「うしろまえ」というか分かれると思うが遠州では「うしろまえ」が普通使われることが多い。

裏表の場合はどこでも一緒の「うらおもて」と言う。「おもてうら」と言う時には「逆さだに」・「逆じゃん」などがつくことが多い。

そして「後ろ前に着てる」とか「後ろ前に付いてる」という言い方はせずに「~がうしろまえ」という表現を使う。

例文1

「あんたあ、その服うしろまえだに。」

「あれまあ、いやだやー。どはずかしい。」

「ちゃっともこう行って直いてきない。」

チャックが開いてるのとどっちがより恥ずかしいんだろう。

例文2

「タイヤの減りが偏るだよなあ。荷物の載せ方に問題あるだかいやあ。」

「そんなもんこまめにタイヤ後ろ前にするだよ。」

注、タイヤをこまめに前後入れ替えてローテーションしろと言っている。決して裏表ひっくり返して使えと無茶を言ってるのではない。

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