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エジソンの母第四話

人は何故平等ではないのだろう。そもそも生まれたときからにしてイコールではない。だけど理想として追い求めるべきもの。えらく深いテーマですわな。私ごときの頭では破裂しそうな疑問の投げかけです。

問題はいつどのように教え導き諭すのかということでしょう。ドラマのように幼い頃には理想をまず教えることが始まりで歳を重ねるごとに訪れる矛盾につまずくときに横道にそれぬよう導き、生き様の方向性を定める就職という時分にはいかに生きるべきか諭すというのが現実なのでしょう。

ドラマに置いては飛び級ならぬいきなりの結論で「天才の卵」は自身の吸収力を満足させている訳ですが、普通の社会の歯車になるべく凡人にこういきなり教え諭していいものかという教師の側の苦悩は当然だと納得できますわな。かといって凡人に向かっての教えでは「天才の卵」が満足する訳もなく。

世の中はまだ未成熟であまねく平等のシステムを完成するに至ってないのは事実ですけど、だから君たちが大きくなってそれを完成させて欲しいと謳ったところではたして普通の子供が言葉通りに受け止めてくれるのかは疑問ですよね。完成されてないんだったら自分の都合のいいように生きてもいいじゃんかといった感じで。

救いは平等は共に等しいという共等という字ではないということなんでしょうか。お金があればなんでも有利ということであっても、お金とは関係のない世界で幸福感を得るものがあれば人として幸せだというのが私ら凡人の精一杯の良心的な解釈なんでしょうね。イコールと平等は違うということと平等は幸せを追求するためのルールであって最終目標ではないってのが言い訳としてはよく出来ててこれが最上なんじゃないのかなと。

・・・・もう頭が爆ぜたのでもうここら辺で。

で、話しをそらすんですけど、子供って凄い純粋な分大人なんかよりずっと残酷で感受性が強いと思うんですよ。だから人と違うということに物凄く反応すると思うんですけど、それが負としていじめとかの排除する意識に傾いてしまうのじゃないのかなと想像してるんですけど、このドラマでは「天才の卵」はそういう負の意識をもたれないってのは現実にいじめられるような子供とどう違うのかなという疑問はあります。何故排除する意識に周りが捉われないのか。いじめにあうことはないのかなと。大人の目の届かない子供同士の世界の中でその素養というものが潰されることはないのかなということです。

それにしても学校の先生って大変ですね。普段言うことが分からない聞かない連中を相手にしてると直ぐイラっとくる私なんかではとてもできるものではありません。ご苦労をお察しすると共に尊敬いたします。

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4姉妹探偵団第三話

第三話と銘打ってますが三話の内容には一切触れてません。あらかじめのお断り。

評価と言うか「観てるの?どうだった?」と感想を問われると、禅問答しそうに難しい感じです。

陽の印象では、キャラクターはそれぞれ個性的にたってるしいずれも善人で見ていて嫌悪感を感じる登場人物はいない明るいイメージだし、潜入捜査で着せ替えじゃ失礼かコスプレで色んな衣装に身を包み七変化で愉しませてくれてる訳だし、事件の現場も薄暗いものでなく華やかな場所で辛くなくシンプルに謎解きゲームとして見れる感覚だし。観ていてストレス溜まる様な陰鬱さがある訳じゃなし。なにより4姉妹を助ける周りの大人キャラがご機嫌でこれで竹中さんが本格参戦してきたら面白いだろうなあと思うし。

負の印象だと、事件に関わるとっかかりがちゃっちい。解決の才に恵まれそれを生かさんがため活躍というのなら、その割には警察からは迷惑がられるお邪魔虫という存在だし。まあそのうちコナンくらいに頼りにされるようになるのかな。それだといいんだけど。他にもそれをいっちゃあお終いよ大人気ないなあと言われるようなどうしてそういう行動になるんだというツッコミとかが多々あるように思えて。そういうの気にしない若者の世界だからその世界観を守るために年齢制限が設けてあって私みたいな中年といえる人間はOUTなのかなとも思えなくもない。

一話完結の事件簿帳ではなくてひとつの事件で2・3話じっくり迷走しながらワイワイ取り組んでというほうがキャラクターの楽しさが味わえて私的には好みなんですけどね。一話の冒頭でいきなり家燃やしちゃった気合で豪華にそしてはしょらず登場人物を描いてくれると殺人事件なぞ起きずとも愉しめるのにと思わないでもないです。

なんで話しは最初に戻りますけど、「印象は?」と聞かれたら「そのうちおもしろくなりそう」とあすなろの木みたいな答えをすると思います。でもこの4姉妹お父さんのゆうこと素直に聞くタマには思えないですけどどうなんでしょうねえ。とにかく竹中さんがどう絡んでくるのかが楽しみで待ってる感じです。このまま出なかったら、そりゃ切なかろうて。

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SOY JOY

2月に入って新作がでたソイジョイのCM。

真面目に会議やってるのをしょーもないアフレコ勝手につけて笑わせてくれるという内容の奴ですけど。私ツボですこういうの。しかも前フリというかその前の何作かで二人の関係が説明されてるから厭味でも嫌がらせでもなく、シンプルに茶化してるってのが分かってるから愉しいんですよね。

しかし「っていう会議じゃないよね」ってオチをつける必要があるのかなって思いはあります。もっと言っちゃえ逝っちゃえって勢いのほうが、もうシリーズでどういう関係性かわかっているんだから決して悪意には取られないと思うので

「だから(商品名)なんだよ!なんてね。」ってくらいぶっ飛んでくれたらなを嬉し。

でも今回のが一番好きです。

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水橋研二さん

最近水橋研二さんが出演されるCMを良く見かけます。暮れ頃のCMではお鍋の具になって森下能幸さんと「閉じこもってちゃ駄目だよ。」なんてしょーもないギャグやって笑かしていただいたし、リクルートの「ここで働きたい」みたいなフレーズの就職情報誌のCMにおいては、シリーズでストーリーが紡がれていって、それぞれの出来事に心が和む人情の温かみを愉しませていただきました。

そんで、今日はTSUTAYAのCMを拝見。内容は言ってる事とやってる事が全然違うというもの。セリフはひたすらコマーシャルメッセージ。しかして演じているのは男女の別れ話?もつれ?みたいな結構深刻なお芝居。

以前別の何かのCM(アマデウス?)で見たようなアフレコで違うセリフを当てはめるものではなくて、同時進行でお芝居をされてるという形のもの。以前著名な某俳優さんが笑いながら怒る人という技を披露されておられたが、結構真逆だとおかしな笑える感じになるものです。

このCMではお芝居がシリアスということでそれに引っ張られる感じでセリフの方も真剣だったんですけど。どう言う設定になってるんでしょうかねえ。

女性の方は小奇麗な装いで、男性の方は髪はボサボサ服はヨレヨレ。どうみてもアンバランスな二人が痴話げんかをしてるという様子。まさか借金返してくれ、いやまだ返せない、このうそつきってことはないだろうし。男性の未練タラタラに後姿に向かって見せる視線は結構遠くをみてるし、女性が信じてたのに、言い訳しようとして、もういいって去るって感じが近いのかな。

あれやこれやでしょーもないこと思い巡らせるいけずなお話ですけど、私的には芝居は深刻セリフは軽妙というアンバランスの方が趣味かなと思うとりますです。でもインパクトあるんでこれでOKでしょうねおそらくは。

水橋さんは基本善良感が漂う感じの方なのでいぢめられる役が多いのかなと余計な詮索をしてしまうのですが、普通の人がとんでもない事するって設定だと妙にはまるイメージがあるんですよねえ。作品的に「くりいむレモン」とか「月光の囁き」の印象が強すぎて目が曇ってるんですかねえ私は。

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法螺吹き何所何処その1

そういえば、少し前公募で一般(?)から資金を集めて利益が上がったらそれを出資者に分配するって方法で作られた映画があったよな。

確かお隣の国では、投資の目的で資金を出資するシステムが一般的に行われていたというのをニュースかなにかで見たような記憶がある。それが映画の発展に繋がっているという締めくくりであったような内容だったけど。

そのシステムを日本でも導入しようとしたのであったのか。その後どうなったのかに興味があるのだけれど、あまり耳に入ってこないし次に続く同じ方法をとった作品というものがないような雰囲気からすると、日本では馴染まないものだったのかなと想像してしまう。

日本で映画を作るということは、「映画馬鹿」というか好きで好きで飯や睡眠よりも映画に関わりたいって人ばかりの世界だから、第一優先順位がお金が目的と言う人が関わる事を善しとしない空気感があるかしらむ。

今はテレビ局が巨大なスポンサーだけれど、出資を決めてる人はおそらく「映画馬鹿」か「映像馬鹿」のご親戚衆の方々であろうし、「○○推薦」とクレジットされてる官公庁からの援護は実際どのくらいの制約が求められるのかは知らないけれども、作り手の自由度が高くそれでいて当たればいいなとかあたるぞーと夢見ていて許される現状が今の日本映画を支えてるんだろうなと考える。

テレビドラマのように視聴率と言う名の興行収入の確保のために右往左往することを考えれば、最邦画は好調なんだから特に変わる必要なんてものはないのかもしれない。

でも、才能も大金もないけど映画が好きと言う輩は日本全国どこにでもいる筈。よく地方の撮影で参加するボランティアと呼ばれる人達の中にそういう輩が潜んでいる筈。そういう連中が恒に自分の選択肢で何がしか参加してると思わせて巻き込む方法はないものかと頭をひねりたいのですわ。運よく自分の好きな監督さんや役者さんが自分の住むとこにロケにきてくれるというような奇跡に近い偶然をひたすら待つのではなく、積極的に参加してる気になれる術というやつでさあ。

馬券を買うことによってその馬をより深く応援するように、これぞと想う作品に出資する術というものがあればもっといいんじゃないのかなと。

映画館に来る観客としての「金返せ」よりシビアでゼネラルプロデューサーのようにコケたら真っ青というほど深刻でもない。できればそういう参加型の映画つくりの資金集めという手段があったらいいなと思った次第で。

ま、実際には手間に追いまくられて面倒臭いだけで殆ど骨折り損のくたびれ儲けなことで余計な仕事増やすんじゃないよというお話しなんですけど。馬券買うぐりぐり親爺だってJRAや競馬関係から放置プレーされてるような境遇で、それでもしこしこせっせと馬券貢いでても暴動はとりあえず起きないんだから、それに近い関係が構築できれば、「今度作る映画○○監督かあ、じゃちいと投資してみよかな。」とか「いやあ当たらんかったあ配当なしだよ。読みが甘かったな。」みたいなしょーもないヲタ話しで職場が盛り上がりそうな気がしないでもない。馬を知らなきゃ馬券は買えぬ。映画を知らなきゃ投機は出来ぬって感じにならないかなあと妄想的に考えるわけですよ。

全然現実的でないとこが非常に説得力の無い妄想話したる由縁ですけどね。でも「SHINOBI」の話し聞いたときは期待したのは確かです。まああの時は「ファンド」とかいう呼び名で株みたいで馬券って印象じゃなかったから敷居が高い感じでしたけど。映画館とかで気軽に買えるくらいで丁度いいって感じです。

映画館とかで登録をして会員番号を貰い、会員の出資や配当金の受け取りとかはJRAのIPATみたいな形で管理できれば馬券で馴れてるから楽なんだけどな。ついでに映画のチケット予約も同じとこでやれたら手が抜ける。安くしてくれるならDVD予約購入とかも。

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幸福のスイッチ

最近映画ネタの記事が皆無な理由は、気に入った映画(DVD)を見つけるとそればかり飽きるまで見続けてしまうから次に進まないのであります。

そうはいっても何がしかは書かないと、タイトルに偽りありとなってしまうので、以前観た作品の感想を書く事にします。観ながら書いてる訳じゃないので多少実際とのブレ・勝手な解釈はいつも以上にあるやもしれませんがそこはまあ勘弁してつかあさい。

「幸福のスイッチ」幸福と書いてしあわせと読むスイッチ。そのスイッチを押したのだあれというお話しです。

2006年の作品で安田真奈さん脚本・監督

出演は上野樹里さん・本上まなみさん・沢田研二さん・中村静香さん・他の皆さん方

お話の主な登場人物は、和歌山にある稲田電気商会(通称イナデンさん)を営む店主(沢田さん)。妻を早くに亡くされて店主一人で昔ながらの地域密着型の商売で店を切り盛りしている。3人の娘さんがおり、穏やかで面倒見が良い長女(本上さん)はみかん農家に嫁いでいて妊娠中であるが実家のことも気にする優しい人。なにかとあだけやすい次女(上野さん)は東京で働く社会人一年生。電器屋の素養を受け継いだ工業高校の3年生三女(中村さん)は天真爛漫に育った明るい子。

或る日父の骨折により、半分以上騙されて帰郷した次女が、父の代わりとして店を不本意ながらも手伝ううちに、家を出る前や東京にいるときに感じていたもやもやが取り払われて人として大きくなるべくスイッチが入ったという流れです。

監督の安田さんは「OL映画監督」として会社務めと映像制作を同時にこなされてこられた方で、今回が初劇場映画作品という事だそうですけど、作品がよければ何作品目かどうかなんてどうでもいいことです。男だとよく陥りがちな強引とか奇想天外な展開というものはなく、日常をじっくり観察することで見えてくるものを女性らしくすくい上げるとこういうお話が紡ぎ出されるのかと思える作品です。見落としてしまいがちな小さな(本人にとっては大)出来事が積み重なることによって発見し得うる幸福のスイッチですから、具体的にどのシーンでとかいう劇的なことはないんですが、観終わってみればなるほどなと自分でもそう思えてくるのかなあという気にはなりました。お仕着せでなくほのかにってイメージでしょうかねえ。

ただしなんでも賞賛するつもりはなく、女性からの目線だからか女性はありのままであって決してキレイに見せようなんてないところなんか、野郎目線からするともう少しなあ~という想いはあるんですが、まあお三人とも基がいいから別に良いんですけどね。けっして美しくないとはいってるつもりはございません。

しかしイナデンさん昔ながらの商売してはりますなあ。自分の子供の頃町内に一軒はあった電器屋さんがタイムスリップして蘇った感じがします。まだ寝る時以外は家に鍵をかけるなんていう風習がなかったとはいえ、電器屋さんはどの家においても絶対的な信頼感で家に入いれて電化製品の備わってるとこならどこにでも入ることが出来た時代。イナデンさんのやってることは台風以外は実際にあった話しであってもおかしくない決して作り事ではない説得力を感じます。

成長とか変化とかいうことではなく、タイトル通り「スイッチが入った」ということであって、だからなんだと問うたところでそれは無駄。人生を深くえぐるような作品ではないと解釈してますので、愉しみどころは日々の営みの中にこそ、その先が見えるってとこでいかがでしょう。

で、余分なはなしですけど、次女怜(上野さん)。この人を好きになる男ってどういうタイプなのか見てみたいです。設定だと父はO型・姉はA型・で次女がB型。三女もB型という家族構成。お母さんはAB型だったと予想されるわけですが、確かにB型だわこの次女は。

それとやっぱし方言はいいですねえ。なんか田舎に来たって感じで落ち着きますわ。地元じゃないけど。

深く探ればもっと奥が深い作品だという予感はするのですが、浅い部分でふわふわと味わいたい想いの方が強いのでうわべだけの感想に終始したのでありまする。

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未来講師めぐる第三話

第三話にしてついに未来が変わってしまった。と、いう話はおいといて今回印象に残ったのは、「頑張れガンバレってお前ががんばれ!」という真理。

有無をも言わせぬこの説得力。もう脱帽ですわ。

上のものが下のものに向かって言う分にはなんの違和感も感じないのだけれど。

自分も含めて、有名人の方のBBSやブログにコメントを書くときに書いていいのか悩むのが「がんばってください」。そうはいっても書くほうの心理としては一番無難な言葉も「がんばってください」。だから事実多く書き込まれている筈。

そもそもその分野のトップを邁進されておらるる方に対して言う側の方がそれ以上にがんばってるのか?と問えば、間違いなくそんなことは無い。間違いなく自分よりも遥かにがんばっている人に「がんばれ」なんて言葉は「これ以上がんばれるか!」ってかえって反感を買うんじゃないのかなと考えたりもする。「お前こそがんばれ!」ってもしかしたら言われてたりして。

やはりここは、「元気づけられました」とか「ありがとう」とか「感動しました」ぐらいがいいのではないかとは、無い知恵絞るとそういう言葉が適切だと絞られるのだけれども。いかんせん、照れくさいし恥ずからしいったらありゃしない。

じゃあ「がんばれ」は上から下へと限定される言葉かというとそうでもない。

マラソンとかで「沿道の人の声援に勇気付けられました。」という話しも聞いた事があるので全てが否定すべきことではないのだろうけれども、一体全体どういう時に誰に向かって「がんばれ」と言うのが言うほうも聞くほうも勇気付けられるんだろうか。

決して不要なことばではない筈で、だけれどもどんなときにというような使い道がよく分かってない言葉であります私にとっては。

ところで今回の影の主役高尾山先生役の正名僕蔵さん、スゲエ上手い方で見応えありましたなあ。目の動きが特に目に残ります。セリフもきっちりで歯切れよく。「まさなぼくぞう」さんとお読みするそうで。そしてあの役者さんのガラパゴス(特異に進化した)と呼ばれる「大人計画」ご出身の俳優さんってことでこのインパクトは納得でもある訳ですが、最近では「それでもボクはやっていない」と「歌謡曲だよ、人生は」のご出演が印象に残ってます。「HERO」にも出てられてましたっけ。そういやあ「踊る大捜査線」にも確か出てたような。

見た目というか雰囲気が独特でそっちの方にインパクトがいっちゃってる感じですけど、お芝居に説得力がある方だと思いました。回想シーンでの学校での授業での講義シーンは「ええ先生やあ」と本気で思いましたもの。

最後にチロリと、来週未来を変えてしまったことの顛末が続きとして描かれるのかなと思ったんですが、次回予告みるとなんかそれは置き去りにされて「次いってみよう!」みたいな感じになってる風に見えました。テンポがしっちゃかめっちゃか早いのかおいおいと解消されることなのか、なにかと予想をさせてくれないドラマです。でも愉しい。

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*やんめ・やんぴ

やめ(辞め・止め)と言う意味。

若干幼児性のある表現ではあるが、大人でも使う。したがってご愛嬌というニュアンスを含む印象となる。

例文1

「やあ、サーフィンやり行かまい。」

「あれえこないだまでけったーで遠出だっつってんかったっけ。」

「あれはやんぴ。」

「なんでえ?」

「こけてえらいめに遭ったしチャリぶっこわした。」

*注「けったー・チャリ」とは両方とも自転車のこと。

例文2

「はあやめやめ、やんめ。」

「こらえ利かんやっちゃなあ。始めたばっかじゃん。」

「はあ飽いた。わしこおゆうの駄目。むいてん。」

注、「むいてん」は向いていないという意味。

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鹿男あをによし第三話

綾瀬さんてホント食べるシーン上手いですよねえ改めて感心します。普通と言うかよく見かけるお芝居だと、しゃべる方に気がいっていて食べるほうに神経が行き届いていないという風に見えることが多いんですけど、綾瀬さんを見てると食べるほうが主で話すことが従に見えるという至極当たり前な普段の人間の行動に見えるんですよね。しかも上手そうに食べるし。玉木さんがいつも食欲なくてまずそうにお芝居してるからよけい映えるんでしょうか。

ただあまりそんなこんなで食べるシーンばかりだと、ご本人の体重管理維持というものが大変かと推察されますので一杯見たいと言う欲は持たないようにしないとなと。ところで今回大阪のお店でみせた涙は、出てきた料理を美味しく食べるタイミングを逃したせいなんでしょうか。それとも小川の告白に可哀想と涙したのか。どっちとも取れるとこで微妙です。どっちなのかか正解を知りたい気持ちです。

そんな脱線話しはともかく、いくら日本を救う使命の為とは言え、盗みをするってえのはいただけませんな。そんだけ切羽詰まったってことを表現されたいんでしょうけど。だって鼠の代理なんぞという嘘を言わずとも、各部の優勝トロフィーを奈良で今一同に集めているわけなんですから、奈良から来たといって鼠の承諾を受けるか、もし持ち帰れなくとも修理状況を確認したいといえば見ることはできるじゃあないですかあ。ってこれいちゃもんでしょうか。

壮大なお話しがテーマの物語においてこんなちまちましたギャグマンガみたいな出来事で一話の半分近く費やすのはなんだかなあという気分です。

それにしてもなまずの尻尾を押さえるのに数年に一度ネジ(?)を締め直すというのは、なるほどなあと違和感なく納得してしまいました。なまずぅ?と言ったって、別に人間から見ればなまずに見えるだけのことで我々が普段目にするなまずという生き物ではないということなんでしょうから。鹿男が周りからは普通の人間に映るようなもんでしょうに。八百万の神は存在するという前提ですけどね。ナレーションでは「はっぴゃくまん」と言ってますがなんで素直に「やおろず」といわないのかそれは謎ではあります。

そして不思議少女堀田(多部さん)の存在は相変わらず不思議なままです。もしかして狐の使いって堀田じゃないのかと思ったりもしますし、(狐からサンカクを受け取れとは剣道で優勝した堀田から受け取るということ)。又は小川(玉木さん)以前にシルシをつけられた元鹿の使い番で小川の味方ということも考えられるしと。少なくとも小川のやろうとしていることを知っているのは確かなんじゃないのかしらむ。邪魔するのか味方するのか。とりあえずは剣道やるって言ってるから味方だと思ってるんですけど裏切らないですよね。

サンカクを無事(?)鹿に渡せば一件落着というのならまだまだサンカク争奪戦が繰り広げられるんでしょうけれども、そんな単純なお話しではないのでしょうね多分。やはり最後は鹿に「ありがとう」とか「世話になったな」くらいのセリフを吐かせたいものです。小川の活躍というものを見てみたいものです。

手っ取り早く原作読んじゃおうかという誘惑に駆られるくらい猜疑心を含む謎が多いお話しですわ。終わりと言うかどうやって日本を救うのかという結論はなんとなく分かった回ですが、じゃあそのためになにをするのかというのが相変わらず謎だらけのお話しです。くれぐれも切羽詰まってるといえどもかっぱらいみたいな超法規的な手段で日本を救うことなく正々堂々と救って欲しいと願う次第です。

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*だでなんだあ その2

だからそれがどうした・だからなんだよというような意味合いの言葉。

開き直りの表現としてよく使われる。

「だで」はもちろん「だもんで」(だから)の略形。

例文

「なによーあんたあそんなどぶしょったいかっこして行くだか?」

  (ちょっと、あんたそんなおかしな格好して行く気なの?)

「だでなんだあ。ちょっとコンビニ寄るだけじゃんかあ悪いだか。」

  (だからなんだよ。ちょっとコンビニに行くだけだろ悪いのか。)

「あんたねー、人目っつーもんがあるだで、きちんとしてってやあ。」

  (あなたねえ、人目というものがあるんだからちゃんとしてちょうだいよ。)

街の中に住んでいる人は着てる服にあまり周りの目に対するこだわりというものが薄い。たまあにおめかしして街に出かける人は非常に周りからどう見られるかを気にするものである。だが少なくとも本人が意識してるほど周りは気にしないものである。

ところが閑静なとこに行くと逆に本人が想像してる以上に周りは見ているのだから不思議なものである。もちろん面と向かって言われる事はないが尾ひれがついて自分のとこに巡り巡って戻ってくる感想と言うものになることが多い。

「壁に耳あり障子に目あり」独りになりたければ人ごみの中に行けということか。

だでなんだあといわれても、そう思ったまでですハイ。

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あくまで言葉遊びですわいな

別に辞典にしようとかじゃなく、ただの言葉遊び残しです。

なので動詞だ名詞だ形容詞だのと文法的な講釈垂れて書くことは避けるという方向です。もちろん講釈垂れるほどの学がある訳じゃないし、第一そんなこと書いて楽しいか?読んで笑えるか?・無知がばれたら恥ずかしいじゃないか。という考えです。

なので学のある方からなってないと矛盾を指摘されても「あ、そうですか」で素直に訂正して終いにしたいです。こうした方が笑えるというご指摘でしたら拝聴させていただいて盛り上がりたいんですけど。もちろん架空ではなく限りなく現実の言葉として生きていなくてはアレですけど。

と、あらかじめ(今頃になって)おことわりしておきます。

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今週の映画興行収入1位作品

最初に書いときますが私は観てません。「スウィーニー・トッド」。

私は洋画は殆ど観ない人です。理由としましては邦画とテレビで精一杯で手が回らないという優先順位の低さと、外人の方の感性や感情の発露や行動理由が日本人的ではないこと(当たり前ですけど)からくる同調や共振というものをしないことが多いからです。

ま、要は感情移入しづらいからなんですけど。自分の居場所がないというか。

そんな中でティム・バートン監督と俳優ジョニイ・ディップとの関係をテレビとかのメディアで通して見ると、ある種の理想の形と思ってる姿がそこにあって、作品に対して興味を惹かれます。

ファンタジーありミュージカルあり人形劇ありと次から次へとよくもアイデアが枯渇することなく溢れ出てしかも妄想に終わらせないで作品として完成されてるものだと。そしてその世界に役者力の全てを「信頼」という約束手形を貰って費やす実行者たる才気ある俳優さんがいつもいる。

これを良好といわずしてどうするという話しですよね。日本にも以前は黒澤組や小津組とかに代表されるようにそういう強い信頼関係を持ったタッグというものが見られたわけですが。昔に比べてそういう組み合わせはあまり見られなくなってきたような気がしてます。(私の無知によるものかもしれませんけど)

こういう作品が興行的に結果が出てるってことは、多少しんどくなるようなお話しであったとしても、活動写真の中にはきちんとそういう信頼関係という暖かいものが底流として映っていて心が安らいで観られるのかもしれないんだなと思うし、そう感じる人がたくさんいるんだなとも思えた次第で。嫌いじゃないですこういうの。

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*どうせすでえ

女性言葉だと「どうするよぉ」

意味はどうするんだという至極普通の意味。特にひねりは無いのではあるが、「せす」という使い方が判らないといけないので一応記載。

使い方は、言ってる人間に対処のアイデアとか権限がなく言われた人間が何とかしなければいけない状態の場合に多く使われる。つまり助け舟が出せないような場合と言う事である。

例文

「ほいあんたあ。はあ時間ないにい。遅れたらどうせすでえ。」

「なんとかなるらあ。」

「なに能天気な事ぬかしてるだ。あとで泣きみたって知らんでねえ。」

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斉藤さん第四話

スカッと爽快と言うわけにはなかなか行かない現実的な正義のお話です。「お母ちゃん恥ずかしいから止めて。」ともし万が一子供に言われたら悩みこんでしまいそうな感じがします。もちろんドラマの中の息子は良く出来た子で決してそんなこと口にしたりはしませんが。

拙者ならば、家族のしがらみがないよう天涯孤独の「斉藤くん」にして、強きをくじき弱きを助ける是々非々を押し通す野郎のお話しにして、何か事あるごとに正義を貫く様を描きます。そして、強きものよりの報復として刑に処されようとても自分の正義を信じ抜き、決して前科が次々と増えようともくじけることなく終生押し通す様を描きます。周りは長いものに巻かれない「斉藤くん」を内心拍手しても現実的には和を乱す迷惑者として扱う。そして最後は誰に感謝されるでもなく孤独死していくも最後の表情は穏やかな極楽往生であった。って感じで。

正義はただじゃ出来ないと言うテーマでいかがでしょう。

ま、こんなヲタ話しはおいといて、今回のお題は「謝る」ということで。以下はドラマから逸脱した内容となっております。

幼稚園と言う世界だから明日に繋がるわけですが、社会においてはその前に「許す」世界を構築しなければいけないんじゃないのかなと思わないでもないです。平気で土下座を強要したり、過ちを徹底的に追及することで溜飲を下げて満足し、相手がその後どうなろうとも知ったこっちゃない。

会社とかを舞台にしたドラマなんかだと、ミスやトラブルというものが必ず描かれる事が多いのですが。人間がやる以上必ず発生するそれらですが、「何かをやろうとして起きた前向きなミス」と「なにもしないから起きた後ろ向きなミス」という風に良く分けられています。「前向きなミス」はしょうがないというむしろ良くやったという位の評価として描かれることが多いのですけど、社内で明日に繋がると評価されたとしても社会が評価しないのが現実なのではないのでしょうか。

そんな現実だから謝るのが馬鹿らしい、謝ろうが開き直ろうが徹底的に叩かれてしまうことに変わりはないんだ。だからばれない限りは隠せるものなら隠した方が楽だ。ばれたらどうせ終わりなんだから。

正義は叩く事にあり、過ちは正すのではなく追い出すものだと。二度と再びのチャンスは与えない、潰す。潰される。もう武士の世ではないのだから武士の情けは過去のもの。

世の中やはり「許す」べきものと「許さざる」べきものとの区別をきちんと判断できる社会にしたほうがいいんじゃないのかなと。なにもかもヒステリックに糾弾するのはいかがなものかと。そう思えました。社会がまだ集落単位で成り立っていた頃は「村八分」的な過ちでない限り「許す」世界だったんじゃなかったのかなと想像してしまいます。今は世界が広すぎて野次馬の数がそれに直接関わるものを凌駕してるともいえるのではないでしょうか。

もっとも泣き寝入りする事がいいことだとは到底思ってもいませんけど。やり過ぎなことが多いんじゃないのかなとふと思えたまでです。

それにしても観月さんが高校生からおばちゃんと呼ばれて、しかも違和感がないのかあ。などと歳月を感じる今日この頃です。

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ヤマハのブログパーツ・こんなのでないかな

今のところ、ウクレレとピアニカを入れている。パーカションのものもあるけどなんか気分的な理由で入れてない。

出来ればエレキギターバージョンというのが出ないかなと密かに期待しているのだが。

ウクレレは何回か弾いてるとキーが変わるけどこちらの意思でと言うわけにはいかない。なのでエレキギターバージョンでメロディ弾きたいなと。それもSGとか色んな種類のギターの音がするのを選択できる奴がいいな。コードを押さえるのは当然無理だとしてもネックの該当部分にカーソル合わせてクリックすると希望の音がでる(ピアニカみたく)みたいな感じで。でもそうすると大分でかくなっちゃうのかな。ボディはいらんネックだけでって言ったら宣伝にならんかあ。

それともコード表でそこ押すとギターの音でコードの音が出るとかね。

私は買わないけど、もしかして音のサンプルで音色が気に入って本物のギター買う人もいるかもしれないし。ってまあ、そんなこたあないか。

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*かまわすけえ

構う事はないと言う意味。同様の表現に「とんじゃかない」というのもある。

「かまわすけえ」の場合は自分は差し支えないという自身に降りかかる障害等を気にしないというニュアンスで使うことが多く。

「とんじゃかない」の場合は自分の行動が他に与える影響とかを気にしないというニュアンスで使うことが多い。

もちろん必ずしも上記の法則がある訳ではないのであくまで「多い」ということでどのように使おうが相手に意思が伝われば言い様はなんでもかまわすけえ。

近い表現で「いいよいいよ」と言うものがあるが、「かまわすけえ」はノープロブレム・なんの支障もないみたいな言い切りの表現だが、「いいよいいよ」だとしょうがないけど許してあげるみたいな妥協的感情が入った表現となる。

いろいろぐちぐちと書いてるが、実際は

「かまわすけえ、とんじゃかないわ。」とセットで言うことが多く、あまり違いは無い。

他の表現としては「かまわんよを」(構う事ないって・気にしないで)

女性言葉でもあるが野郎も使う。「かまわすけえ」との使い分けについては、どうしようかとか承諾を求められたりした際は「かまわんよを」。相手の意思に関わらずやろうとする際は「かますけえ」。

例文1

「これ勝手に持ってっちゃってええだかいやあ。」

「かまわすけえ。ええらあ。」

「後でぶつくさ言われたらどうする?」

「そんときゃそんときだあれ。」

例文2

「これ勝手に持ってっちゃってええだかいやあ。」

「かまわんよを。ええで持ってきない。」

「後でぶつくさ言われんか心配だやー。」

「うちのもんだでひゃあひゃあゆう奴ぁおらんでええって。」

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あしたの、喜多善男第四日

四日目にして「死ぬかと思った。」というギャグについていけました。それにしてもネガティブ善男って何者なんでしょう。えらく話しをややこしくしてくれてます。まあ観てる方はハラハラしてきましたけど。

前回まで馬鹿丁寧なくらい時間をじっくり描いている感じだったんですけど、今回はおっ駆けっこしたり、誘拐犯なんて冒険したりで結構どころか物凄い波乱万丈な転がり方でした。ネガティブ善男は一体全体どうオチをつける提案をどのような成果を求めて言ったんでしょうか。右往左往する平太が何故か今回はいい人に見えてしまうほどでした。

死のうとしている人ですから命の危険を顧みず危ない橋を渡ってでも何かしでかそうというのは別にそうかあと納得出来なくもないんですけど、それにしても危ないマネするもんです。ビビりながらの「福沢諭吉」は喜多善男らしかったですけど。世にも不幸な平凡人がとんでもない「パンダの箱」をホントに開けようとしてるんですねえ。

それにしてもやっぱどの世界でも女性はつおいんですね覚悟を決めると。

なんか世界が内向的な己との葛藤の世界から何かを発信する世界へと動き始めてるようで、来週がなんか愉しみになってきました。

そうはいっても、最近私冗談めいた文章が書けていないことに気付きました。つらつら理由を考うるに、喜多善男の影を無意識に引きずってるのかなと。考えてるわけじゃないんですけど、この世界はお気楽主義の私ですら真面目な心持に引っ張り込む引力があるのかなと。それが前回まで陰の方に引っ張られてたような感じだったんですけど、これからは陽へと導いてくれるんでしょうか。だとすると滅茶苦茶いい意味で騙されてたわけで、なんかいいように作り手の術中にはまってるようでくやしいです。

もうここまでくると小日向さんだからこその作品のような気がしてきました。ものすごく自然に存在してる感じが凄いです。

なんていうんですかねえ。善良で小心(冒険をしない)で吐き出すことなく心に溜め込み続けながら、それでいて暴走狂気に走らずあくまでどこかしらの理性と闘いながら、結果とんでもないことしているっていう矛盾だらけの行動と心理を破綻することなくクレイジーでもスーパーマンでもなく、あくまで一人の普通の人間として違和感がなく見えるってのはもう訳がわかりません。

だからこそ死ぬかと思ったというセリフとシーンなんか笑えてきましたやっと。洒落には最初はとてもならなかったんですけど段々と笑えて来るようになりました。来週はマジで「死ぬかと思った」になるんでしょうかねえ温水さん。

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おあややおやにおあやまり

早口言葉である。八百屋の方ではなく親の方を使用した。

共通語だと「おアヤや親にお謝り」(おアヤよ、いいですか。親にお謝りなさい)

この意味の方を遠州弁にすると「アヤちゃあやあ。あれでえ親に頭下げんとかんらあ」となる。

ちなみに早口言葉のほうを遠州弁的表現にすると

「あや?や、やあ。親にい、大誤り」

意味は「あれ?おいちょっとお。親に言って、すげえ間違ってるって。」

意味的に凄い強引で苦しいのだが

「あや?や、やあ。親だにい大誤り」とすれば

「あれ?おいちょっとお。親の癖してすげえ間違ってるぞ。」

となるので意味はスムーズになる。したがって

「あやややあおやだにいおおあやまり」

にすると遠州弁の早口言葉として成立する。ただし実際言ってみるとあまり早口言葉として成立してない机上の空論ではあった。発音は説明しようがないので近くの遠州人に聞いてくりょう。(結構発音はむつかしいかも)

蛇足だが「大誤り」は遠州弁だと普通「馬鹿違う」と言っている。

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*ちゃちゃっとちゃっちゃと

「ちゃちゃっと」そそくさと・敏速に・直ぐにという意味。

「ちゃっちゃと」ぐずぐずしないで・とっとと・早くと言う意味。

「ちゃちゃっと」と言われても気分を害する事はまず無いが

「ちゃっちゃと」と言われるとこのノロマと言われてるようであまりいい気はしない。

迷わせるかも知れないが他にも「ちゃちゃちゃっと」と言うのもあるし「ちゃっと」といのもある。いずれも大まかな意味は早くということである。

勿論遠州弁独特の意味合いではないと思われるが、よく使う言葉なので載せました。

例文1

「いつまで寝てるだあ。ちゃっちゃと起きんかあ。」

「休みだでええじゃんかあ寝てたってえ。」

「馬鹿こいちゃかん。あんたのぐうたらうつったらどうしてくれるよー。」

ぐうたらをなまかにしようかとも思ったのだが意味が通じにくくなるのでぐうたらにしました。

例文2

「時間ないにい。ちゃちゃっと飯食って早く出んとー遅刻するにい。」

「ええよ飯食わんで行くでえ。」

「馬鹿こいちゃかん。貧血で倒れられちゃあ家ん衆なにやってるだあって言われるだで。」

昔、「おもちゃのマーチ」とかいう歌で「おもちゃのちゃちゃちゃ」という歌詞があったが、それを「おもちゃをちゃちゃちゃっと」と歌って「おもちゃをはよう」(早く)と意味を改変して歌ったアホな記憶がある。

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薔薇のない花屋その3

「空気なんて吸うもんだ。」空気は読むものなんかじゃないというフレーズは気持ちいい大岡裁きみたいです。読んでばかりじゃ息詰まる。確かに。

でも悪用すれば自分勝手を助長しかねない劇薬みたいです。用法用量使用上の注意をお確かめの上ってことでしょうけど、息苦しくて苦しんでる人にだけ与える処方箋が無きゃ使っちゃいけない言葉のような感じがしました。

香取さんの異常に感じるくらいの抑えた感じが印象的に思えてきましたです。

もしかしたら内面にあるとんでもない何かが噴出さないよう必死で抑えてるようでもあり、ただ単なるいい人なんじゃないのじゃないかとも思えてきてしまいます。今回パープー共に囲まれてぼこぼこにされてたシーンでの英治から放たれたかすかな野性味というものが垣間見られたようで、英治はホントは一筋縄ではいかない闇を抱えた人間なのかなと思えてきました。

前回で謎かと踏んで、お話しを深める意味として引っ張るんだろうなあと思いきや、そそくさとあっさりばらしちゃうんで、かえってもっと深い謎があるんだろうと逆に考えちゃうんですよね。それぞれの人物像の奥と言うかまだ底が見えない感じです。でも目の嘘がばれたら美桜こっぱずかしいだろうなあ。絶対いつかばれるに決まってるだろうけど、どうやって落とし前つけるんだろうかと余計な心配してしまいます。

あのチョコ拝借ガキんちょといい院長先生といい舎弟といい。特に謎だらけなのが彼女(ユイカ)ですよねえ。院長先生に言わせるとなんで英治とくっついたのか理解に苦しむとのこと。それは私も言いたい。

そんな中でマスターが裏がなくていい人だというのだけは分かるので今のところ寺島さんがシーンで出てくるとホッとします。あそうそう池内さんもね。

それにしても娘役の八木優希さんですかめちゃくちゃ自然で将来が空恐ろしい感じです。子役は大人の役者さんを写す鏡だと思ってる私としては、ご本人の才と言うものも勿論おありなんでしょうけども、周りの大人の役者さんがホントに上手い方ばかりなんでしょうねえ。

そういえば舎弟(松田さん)の役名工藤なんですねえ。探偵といえば工藤ちゃんですかやっぱし。そうすると成田三樹夫さんの役回りが寺島さんってことになるのかな。まさかね。考えすぎか。

10年以上も一人の人を好きで居続けると言うところに本当は感動しなくちゃいけないんでしょうけれども、何故か普通にふーんと思う私でした。

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*ど

「ど安い」・「ど馬鹿」・「どとろい」・「どいや」・「どぬるい」など物凄くと言う意味で使われる。

関西とかでも、「ドアホ」と表現するので遠州弁というほどではないが、「馬鹿」とともに非常に日常会話で多用される言葉である点は、遠州独特と言える。

「ど」は「度を越えて」や「度をはずれて」などの「度」があてられると思われるが、とても大きい様を言う「弩」をあてはめても意味的にははずれないのではないかと想像される。なので当ブログにおいてはめんどくさいので「ど」という表記にしている。

因みに、「弩」の由来は、昔日本の年号でいえば明治の頃、えげれすにおいてドレッドノートという戦艦が作られた際、その大きさが当時のどの船よりも大きかった為、大型戦艦を表わす際の表現としてドレッドノート級と言われるようになり、それが日本ではドレッドの頭のドを弩と当て字で書いたことから弩級と称されるようになったと聞いている。(ただしドレッドノート全て当て字にしてたのかは不明)弩級・超弩級という表現。大和・武蔵は当然超弩級。

したがって程度を表わす場合には「度」、サイズとかを表わす場合には「弩」をはめるのが自然ではなかろうか。

どM・どSとかは共通語であろうが、遠州弁的解釈で言えば「度の過ぎるM・S」ということでサイズではないので度S・度Mとするのがしっくりくると思える。

例文

「いやあどさぶいもんで風呂んちゃっと入らすかと思って湯加減見もしんで入ったら、もうどぬるくてど馬鹿こいた。」

  (あ~あ。凄く寒いからお風呂で直ぐ温まろうとして湯加減確かめもせずに入ったらぬる過ぎて大失敗。)

「馬鹿じゃん。あんた横着するもんでえ。風邪引いたらみんなに笑われるにい。」

「おめえが言いふらさにゃあ済むこんじゃんかあ。言うなよそんなこん絶対にい。」

「ど」とつながる言葉で色々と進化した言葉もあるのでそれはおいおい別途記事にということで。

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佐々木夫妻の仁義なき戦いその1

一話と二話観た限りの感じですけど、番宣で鼻血出したりとかなんか過激なファイトシーンの印象を与えられていたのですけど、実際観てみるとオーソドックスで奇をてらうような感じのしないストレートな夫婦愛のお話しのような感じがしました。タイトルとは裏腹な印象です。それともこれからタイトル通りの道へ邁進して行かれるのでしょうか。正反対の性格と言う設定ですけど、水と油みたいなものなのかプラスとマイナスの関係なのかどっちなんでしょう。似たもの同士ということはまさかないでしょうねえ。

弁護士を柱としたドラマは今までに幾つかは観てきたのですが、「離婚弁護士」になんか近い印象を受けました。明るくて観やすい感覚が近いかなと。スタッフの仲のよさが浮き上がって見えてこないと殺伐とした空間で見ていて辛くなりますから願わくば明るい事務所であって欲しいなと思うのですが、肝心のご夫婦があれですから今後どうなるんでしょう。

裁判や調停なんて出来れば避けて生きていたい人が殆どだと信じてるので、全体の雰囲気がドヨヨンだと観ててきついものがあるのでそこいら辺はせめて事務所の雰囲気はアットホームの感覚であって欲しいです。人の不幸は蜜の味、他人事だから別に構わないよとは思わないタイプではないんで。

今のところ出演されてる皆さんの役者力できっちりとした空気観が構築されていて浮ついた感じがないじっくり観れる雰囲気を感じます。稲垣さんがこういう空気感を構築してるんでしょうか。金田一シリーズでもどことなく近いものを感じたんで多分そうじゃないのかなとは勝手に思ってるんですけどね。そういう意味じゃ藤田まことさんオーラの出し入れが可能な人でしかも発色を替える事が出来るということにもなるわけで凄いなと改めて思う次第であります。

今回のゲストで朝加真由美さんが出ておられましたけど、ドラマのテンポがサクサク過ぎるんでしょうか、ドクターコトーみたいなジワジワじっくりの方が朝加さんの旨味が染み出るような気がしました。そういやあ泉谷さんもコトー出てられたなあ。明らかに流れてる時間の早さがこっちの方が早いですからね。

あと、こんな感想書いていいものかというか書いてどうなるというお話しなんですが、小雪さんてホント見える角度ごとに違った顔に映るお人だなあと。そういうのが損か得かという問題ではないんですけどふとそう思いました。何着ても大丈夫って感じで死角の無い人なのかなとも思いました。

一話が結構ゲストとかCGとかで豪華な門出の打ち上げ花火みたいな印象だったんですけど、二話に入って腰が落ち着いた感じでこれから腰を据えていざ本題ってとこなんでしょうか。三話観ないとどんな雰囲気で何を観ればいいのか分からないって感じに思えました。でも、深刻なお話しではなさそうで、出来れば夫婦喧嘩は犬も食わないお気楽ドラマであってくれるといいなあと思うちょります。

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遠州ってなに?

静岡県の西部地域を指して遠州と一般的に呼ばれる。

そもそも昔は国名で言うと「遠江」(とおとうみ)の国である。遠州という国名はない。他の地域が大体は国名で呼ばれる事が多いのに、遠江というよりも遠州と呼ばれるほうが地元民も含めて多いのは何故か。実はよく知らない。知ってる人がいたら教えていただきたい。ひとつ確かな事は遠江を普段使う人はいないということである。

遠江と呼ばれるようになったのは浜名湖を遠淡海と表記されたものが変形したものらしいが、遠州と呼ばれる理由はこれまた知らん。中田島砂丘を遠州浜の海岸と呼ぶ事もあるので砂丘がらみでの理由かもしれないがあくまで予測推測憶測の域。

今は浜松が栄えているが古くは磐田に国府があって磐田がこの地域の中心であったらしい。ま、家康さんのご活躍によるものであろう浜松が栄えたのは。

隣接するのは参河(今の三河)と「駿河」(静岡)・飯田を中心とした南信地方(長野県)

昔は長野とも今よりもっと交流が深かったらしいが秋葉街道という道路が青崩峠あたりで寸断され塩の道が閉ざされたままの状態になっていていて、以前ほどは人の行き来は盛んではないらしい。汽車で飯田線が繋がっているが、浜松では佐久間・水窪地区が通過駅で基本三河と飯田との連絡線であろう。言葉についてはあまり交流がある訳ではないので似てるのか異なるのかは不明だら。

水窪(みさくぼ)の衆らは長野側の遠山郷の衆らと毎年綱引きやって県境界線のぶん捕り合戦をしているくらい仲がいいだか悪いだか。(もちろんイベントであって本気で地所取りしてる訳ではない)ただ水窪が浜松市になってから綱引きがまだ継続して行われてるかは不明。

基本三河と遠州はタメ口同士の関係と表現しても違和感がない感覚がある。言葉が近いせいでもあろうかと。それに三河はトヨタで遠州はヤマハ・スズキの城下町という共通性も見受けられる。主君が違うから仲がいいと言うわけではなく、立場が似てるねということである。

駿河との境は大井川を境とされているが、昔と今では川の流れが異なるのである意味厳密ではない可能性があるとかどこぞで読んだ記憶がある。

三河(豊橋とか)や駿河から遠州に仕事などで通勤してる人は大変ではあるが結構おられるが、長野から通ってる人はほとんどいないのではないか。そういう人的交流のエリアである。

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*びちびちとしゃあしゃー

腹の下り具合を表現する際の使い分けの言葉。ま、全国共通だとは思うが一応記載。

軟便の場合「びちびち」。液状の場合「しゃあしゃー」と言う表現をする。

くれぐれも「びちゃびちゃ」とか「びしゃびしゃ」を使ってはいけない。何故ならこれらは食べ物に対しても使われる言葉なのであるから。「しゃびしゃび」などはもってのほかである。

「しゃあしゃー」と表記した理由は、「いけしゃあしゃあ」の「しゃあしゃあ」(抜け抜けと)と混ざらないようにしたため。発音は極めて近い。

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SP第11回

劇的だあと思ったらそりゃそうだホントに舞台の上での大クライマックス劇だもんなあ。

しかしいくらSPという訓練を重ねた強靭な精神と体力の持ち主とはいえ、鉛玉食らっても救急車にも乗らず暫しの意識不明の後に復活して舞台を見守る観客になるとは。もう人間を越えているんですねSPって。

5人も撃たれて倒れているのにまだ犯人の移動を阻止するのに「止まれ!」と言って逆に撃たれるなんて、ホントにSPは発砲してはいけない職種なんですね初めて知りました。普通の警察官だったら撃つだろうなと凡人には映る状況でしたし見事にあっという間に逃げ遅れたり野次馬とかが一人もいない空間になるとこは、天晴れと一声掛けたくなるような見事さでした。

皮肉に聞こえたらごめんなさいです。

ところでどこが最終回なんだろう。ってスペシャルがあるのかあ。この勢いで映画にも突入するのでしょうか。観念・情念的でさえなければ映画館で観てみたいです。

とりあえず最終回。終わってみれば、病院占拠とその後の清掃屋さんとの攻防がとても面白かったです。ところで警護終了したあとあの人は無事家族の元に帰れたのでしょうかそれとも奮闘努力の甲斐も無くお風呂でお亡くなりになられたのでしょうか。何故か気になるところではありました。

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