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ブラッディ・マンデイその4

先週は、加納(松重さん)がおっ死んでしまってなんだかなあという勢いでありました。これでなんか時代の先端についてイケテル人ばかりになってしまったようで。時代遅れの人間の部類に入る私としましては居場所(後ろをついていく人)がなくなってしまったようでどこで傍観すればいいのやらと立ち退き喰らったような感覚です。

映画の交渉人真下云々でも寺島さん扮する浪花節的な登場人物がいたからこそ映えた感じがしたのにと。

時代性よりも経験を大事にしてきた人間も必要なんだというメッセージが欲しい感じですたい。

ぬわんて思ってたらゴム弾?ショック弾?にて命に別状なく無事生還。まずは良かった良かった。

正義の数なんて星の数ほどあるもので、所詮世間はそれらの凌ぎあいで勝ったもん勝ちまたは狩ったもん勝ちの要素に満ち溢れている。だから一概に正義と悪党の境目なんてよほどの他人でない限り判断なぞ出来ないもんじゃないのでしょうか。

復讐こそ正義というフレーズはイマイチよく理解出来ない理屈ですけど、悪党=悪人という構図ではない装いでありました。ここまでくると正義がどうのこうので敵味方を判別してると頭が爆ぜつしそうになるだけでよした方が良さそうです。

兄が妹を守るというフレーズのとおり立場とか関係無しに誰が主人公を守ろうとしてるのか誰が主人公を利用しようとしているのか誰が主人公に興味がないのか。そういう目線で観た方がいいのかも。でもしょっちゅう誰か裏切るからなあ。今回の宝生(片瀬さん)なんかその典型でしたものね。

ところでその宝生。復讐するは官僚にありじゃないんですかねえ。兄に濡れ衣を着せた張本人にではなく隠れ蓑とはいえ同僚仲間達がいる本部に対してガス撒く理屈がよく分かりませんでした。この中にその人物でもいるということだったんですかねえ。

宝生と折原(吉瀬さん)の銃向け合う様はとても仲間には思えませんでした。まるで別の組織がバッティングしてファルコン捕獲の取り合いしてるのかとさえ思えました。実際はファルコンに構わず逃げてたので取り合いじゃあなかったですけど。勝手な想像ですけど、ただ単なるテロではなく坂本龍馬の如き「今一度日本を洗濯致し申し候」ということらしいですから今動いて見えてるのは氷山の一角の連中で、戦後処理の実務穏健派もいれば戦闘部隊の過激派とかもいて宝生と折原はそれぞれ別の派閥でそりが合わないんでしょうか。それともただ単にこいつ嫌いという問題なのか。確かに男を誘惑するタイプの女性は同性には好かれないみたいですから。

いづれにしても一枚岩には思えない組織に映りました。

あとその存在理由が未だに分からない神島(嶋田さん)ですが、希望通り殺してやったんだから次はお前が殺す番だ。さもなくば次に死ぬのはお前だ。というお話し。人の生死を左右できる能力があるのなら自分で全部殺ればいいじゃんと思うのは私だけなんでしょうか。全うに考えれば外と連絡し合うなんらかの手段を有してその手下?に殺害を命じるることは出来ても刑務所?の中には手下は入れないから看守に殺せと威嚇するって考えたくはなりますわな。

ところで彼はこのドラマの展開といつ誰と繋がるんでしょうかねえ。

たわけた考えですけど毒をもって毒を制す。組織の繰り出す攻撃に万策尽きたサードアイが最後の手段で神島と組織を戦わせる。つまり怪獣にゴジラぶつける感じで。あわよくば相打ちで両者共倒れになればなんてね。冗談です。ホントのところどう繋がるんでしょうか。どっちにつくのかはたまた第三勢力となるのか。

ファルコンを組織が欲しがる理由は今の国が間違ってると言うお墨付き。つまり錦の御旗ともいえる証拠の情報を得たいということなんでしょうか。それを公表すれば国が転覆するであろう情報を。確かに毒ガス撒くだけで国の行く末が変わろう筈はないでしょうからありえそうな理屈に思えます。もちろんそう思うだけでドラマがそのように進むのかは知りません。

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そういえば

なんか訳のわからないメールが来てました。まあ内容は最近よくあるお約束のエロ心をくすぐってうひょうひょとそのサイトに行ったら金払えとかいう類のものなんでしょうけど。万が一釣られていったら絶対その日一日が嫌な気分で落ち込むに決まってるようないやあな匂いぷんぷんの奴。

普通は即迷惑メールとしてニフティに連絡削除依頼してるんですけど、なんか変なんで暫しメールを見てたんですが。

そうなんですよ川崎さん。宛先が私のアドレスじゃないんですよ。どうして宛先違いのメールが私んとこに来るの?ということですなこれが。

迷惑メールでもあり迷子メールでもあり処分に迷うメールでもあります。郵便だったら電話とかして誤配だと言えるんですけど、こういう時どうするんですかねえ。

私にとっては全く心当たりのない迷惑メールなんですが、もしかしたら本当の受取人さんにとってはエロの秘密結社のマジなメールかもしれないし。もうちっとまっとうな勧誘内容ならば正当な宛先に転送とかした方がいいんでしょうけど向こうにとっても迷惑なものだったら今度は私が迷惑メールの発信者になってしまう訳でありまして。

はてさてどうすんべ。とんじゃかなく削除しちゃわまいかかなやっぱし。

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流星の絆その2(第3話)

聖人君主であれとか劇中でも言ってたけれど被害者のままでいろとかいう訳ではないんですが、やはり正義の詐欺なんて存在しない筈で。犯罪者が犯罪者に罰を下す構図というのは詐欺は可で殺人は不可もしくは軽い方が重い方を悪と罵るようで、目くそ鼻くそを嗤う勢いに感じます。古い奴だとお思いでしょうが主人公には正義か正論のマントを覆っていて欲しいものであります。俺たちでぶっ殺そうなという合言葉に道理がついて貰わないとしんどい限りです。

前回も書きましたけど報復の為の準備とか手段なら多少はそういうもんなのかと思わないでも無いですけれどどうなんでしょうね今までふたつこなしてきたこの詐欺行為は。なんか関連性がつくんでしょうか。これ観て詐欺を是だと勘違いするようなアホはさすがに現われないとは思いますが、犯罪でなくとも報復や仕返しで人を騙すことを肯定するような画ヅラだけは勘弁です。

クロサギも同様な行為を繰り返す主人公でしたけどあの人はストイックに自分を追い込んでいたけどこの3人は今のところごくごく普通に生きてるだけに止めた方がいいんじゃない?と思えますです。3人を活き活きと描けば描くほどそう思えてきますです。

うすらほのかにハヤシライスの味が重要な鍵を握ってそうな予感が御曹司の存在が明らかになって感じられてきました。

今回は必ずしも満点パパさんじゃなかったお父ちゃんと淑女ではなかったお母ちゃんの過去が明かされました。個人的に興味があるのは夜の世界でそれなりに成功されたお人がなんでかような男子と結婚するに至ったのかその心の動きというものを知りたいなと思いました。生活臭のあるなしで言ったら真逆の世界に飛び込んだ心境をということです。それこそ幸せってなんだっけという奴ですな。

それと妹に血の繋がりについていつ知らせるかというお話し。犯人の影を掴まえる前なのか後なのか気になるところです。なんか事前の番宣で妹が恋をした相手が云々というのをキーワードにされてた記憶があるので。知った上での恋なのか知らずの絶望が待つ恋なのか。でも幾つ違いの恋なんでしょうかねえ。もちろん番宣で述べるくらいですからクライマックスに関わる重大なものではないのでしょうけどあのフレーズを鵜呑みにしたならばがんこ気になるところです。

回想シーンがやけに子供であったり今の年齢であったりと複雑でしたけどなにが混濁してああいう風景に至ったんでしょうか。多分兄貴の意識の世界だと思われるんですけどその効果の程は次回以降に効いてくるんでしょうか。

前の回に比べて軽妙な台詞のやり取りは少なめでしたがこの後もこんな雰囲気で進むんでしょうか。個人的には詐欺なんぞからは手を洗って快活に生きていって欲しい三人に思えますがそうは絶対ならないんでしょうねきっと。

そういえば前回の予告。今回そんなシーンあったっけ?という感じでした。単純に次週の予告ということではないのでしょうか。

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*いれかして

いれさせてと言う意味。自分が言えばお願いで他人に向けていえば態度が上から目線の依頼となる。

「かして」で項目作ると「やらかしてくれたなあ」というのや「貸して」とかが混ざってややこしくなるので。

お願いという事では、~させてと言う表現だから多少丁寧にいってることになる。「いれさせろ」という表現だと「いれさしょう」とかになる。

入れる以外では混ぜるの「まぜかして」とか行くの「いかして」やるの「やらかして」とかまあ色々あるので入れるにしか使わない表現ではない。

例文

「がんこ楽しみにしてきただで頼むでいれかして。」

  (物凄くこれを楽しみにしてきたんだから頼むから入れさせてくれ。)

「ふんだだこんこいたって定員一杯だで無理だって。」

  (そんあことおっしゃられましてもお客さま定員ですのでご入場は無理です。)

「わざわざ来てやっただに追い返すだか?」

  (わざわざ来たのに追い返すのか?)

「またくりゃいいじゃん。」

  (又のお越しをお待ち申し上げます。)

「ここまで来るにいくらしたと思ってるだ。また来いっつうなら交通費弁償しろやあ。」

  (ここにくるまでに幾ら掛かったと思ってるんだ。又来いってのなら無駄足踏んだ分の交通費払ってくれ。)

「いくら客だってやあ、あんたの都合なんか知らんわあ。」

  (それはこちらでは対応いたしかねます。)

「お前その言い方はなんだあ。責任者呼んでこい。」

  (お前の対応が気に入らん。責任者呼んで来い。)

かように問題をすり替えてくる奴がなんと多いことか。執拗さに面倒くさくなって言うこと聞けば言わなきゃ損で今後もつけあがるだろうし趣旨を変えて論点がずれてくるような輩をまともに相手するのはどうかと思う今日この頃です。下手にでてりゃあいい気になりやがってってのはおっかない系のお人の専門用語ではない筈かと。

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最近また芸能人さんが出るわ

ホリプロスカウトキャラバンで見出されたまた新たな芸能人さんの卵が静岡県から出現したとな。(以下遠州弁で)

だけえが静岡県のどこんさあかまでは公表されとらんもんで駿河衆なんか遠州の衆はたまた伊豆の衆だかもわからんだよ。もちろん今も住んどられるだでプライバシーの保護っちゅう側面重視で?当然だっちゅやあ当然なこんだけど。それたあ別に一般論としてこういう出身地の公表っつうのは基準とかあるだかいやあ。

おなしホリプロで砂羽さんおらるるけどやっぱプロフィール静岡県出身だもんなあ。やらまいか大使に任ぜられててご自身のブログでもようけ浜松のネタかましてくれてるだけど。最近でもさりげなく源氏パイかましとったしー。

そうかと思やあ、おんなしようにコンテストっつう形で夢を掴まんさった長澤さんなんざ磐田市、ほんでもって町名まで知るとこだっちゅうのにのえ。こういうほうが郷土愛がありそうでいいわあ。

まあなんしょあれでえの。芸能人っつったら蝿の様にたかるんはどこでもおんなしだもんで根掘り葉掘りはまずいだかもしんないが、上京してパーペキに居住地から出身地になったら紹介してくれると嬉しいだいね。ただ静岡県出身じゃあ味気ないってホントそう思うだよ。

だからつってやたらくしゃ好奇心からご注進とばかりに得意げにどこぞのブロガーとかがすっぱ抜くような真似して知れ渡るうざったいのだけは厭ったらしいこんだで勘弁しとくりょーだけどやあ。

共通語に戻して、要は静岡県のどこかまでは公式プロフィールではおそらく今後も分からないだろうということ。だからといって得意げにご注進するブロガーやゴシップ系から漏れる様な情報では知りたくない。今は当然現住所であり出身地ではないので公表すべきではないと思うが芸能人として本格始動されるようになったら地元民としてはせせこましいことですが知りたい情報なんだよねという事です。

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おみやさん第2回

普段観ておりません。にも拘らずこの回だけ観たのは言わずと知れたしほりん(貫地谷しほりさん)が出とらすもんで。ただそれだけでおます。

おみやさん。名古屋に近いせいか「おみゃーさん」に聞こえてしまう地域性の性(さが)を感じながら観ましたです。

しほりんと渡瀬さんはちりとてで師匠と弟子の間柄。そのイメージを逆手にとってかやけにB子っぽい感じの雰囲気を醸し出してるしほりんでありんした。東京から来た設定な分やけに下町っぽい表現が馴れ馴れしさをそそります。それが最後の頃はしんなりとして山の手っぽいしおらしさが滲んでおられました。

以上非常に穿ちがちな感想です。当たり前に上手いお方なので特にここがスゲエなあとか言う一発必中芸な部分がなくさりげなく魅せてくれるお方なのでひねて観ないと当たり前に通り過ぎてしまう感じです。それが凄いことなんでしょうけど。

で、実際のところは、結婚?を機に自分(家族とは)を見つめなおすべきととの母の親心から父親を探しに京都にくるも改まっての気恥ずかしさとおみやさんの優しさにどこか心許す甘えが生じてさばさばとした態度ではにかむ出会い。それも次第に父の人となりが浮かび上がってくるにつれ作っていた壁が徐々に崩壊しここに来たこと父への誤解が氷解したことに感謝し明日に向かう気力を新たにするという役どころでありました。

この回だけ観て言うのもずうずうしいのでしょうが、切れ者は閑職で燻ぶる。これ警察の鉄則。なんでしょうか。パトレイバーのかみそり後藤、相○の右京さん。そしてこのおみやさん。挫折した人間または挫折(リタイア)に憧憬する人間にとっては理想的な人物像なのかもしれません。

上からは期待されていないけど周りからは一目置かれる。もちろんやっかみ半分で邪険にする輩もいるでしょうが、興味を持ったことに集中できる。しかも仕事として。羨ましい存在ではありますな。

なんでこのポジションにおられるのかは知らないんですが、女性受けがすこぶるいいところが卓越した特徴なのでしょうか。

その他に印象が残ったのが靴の足音。ここまで印象に残る感じは珍しく感じました。馴れて無いのでどういう効果が生じるのか分かりませんが特異に感じましたです。

この時間帯って世のサラリーマンには帰宅セーフなんでしょうかねえ。私みたいなのでも羨ましいと思えるキャラですんでおみやさんを支持するのは雑用の山と宮仕えの寂に四苦八苦してる人かとも思えるんですが。どうなんでしょうねえ。

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*でばる

出張る。辞書にもあり「出張する」という意味の方言形と記載されてる。

それ以外にも遠州というかうちらのごく近辺では「でしゃばる」の短縮形というニュアンスの使い方もされていて二通りの意味合いを兼ね備えている。この使い方はあまり綺麗な使い方で無い(感謝されていない)ことは確かであろうて。(ごく一部であろうからこの使い方を方言とするには非常に無理があるかもしれないが一応記載した。)

例文1

「さっきぃがんこ客ん大声だいてたけど。なによーあれ。」

  (さっきお客が物凄く大きな声出してたけど。あれなにがあったの。)

「あれねえ。まからんもんであだけただよ。」

  (あれはねえ。まけないもんだからごね捲くってたんだ。)

「で、どうしたよー。」

  (それでどうやって決着ついたの?)

「課長でばってくれて文句はねかやいてくれた。」

  (課長が出てくれて文句はねのけてくれた。)

例文2

「こないだの催しどうだったよお。」

  (この間の催しはどうだった?)

「部長でばって仕切り捲くってた。」

  (部長が出てきて仕切り捲くってたよ。)

「そりゃそりゃご苦労なこって。さぞやりづらかったらあ。」

  (それは大変だったねえ。さぞややりづらかっただろう。)

「当然じゃん。やりいい訳ないらあ。でも○○君が『部長準備にもでんと今日に限って来るなんてどうしたよー』って社長のいるまんまえでゆったもんで痛快だったにい。」

  (当然だろ。やり易い訳ないだろ。でもね、○○君がさ『部長準備には出ないで今日に限って来るなんてどうしたんですか?』って社長のいる前で言ったから痛快だったよ。)

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スウィングガールズのブルーレイ買ったど~

今日2度目の正直で無事買えたんですが、1度目は発売初日行ったらもう売り切れてた。日を間違えたかと思い店員さんに問うてみる。「今日ですよおかしいですねえ。ある筈なんですけど・・。」といいつつ探し始める。あれえ?この光景デジャブーか?前にもあったような・・・ってそうだ「パズル」のDVD買った時だ。あの時はひたすら店員さんが二人掛かりで探しててそれなりに待たされたっけ。あの時は見本品ばらして売って貰えたけど、結局なかった。

確かその前にも・・・・ってそうだ堺正章さんの「忘れもの」のCDの時も発売日に行って売り切れだったんだ。

とかいう思いを巡らしながら店に行って、そして無事発見購入税込み4935円なり。ついでに本屋にも寄って小説ハッピーフライトを買う税込み1050円なり。

いそいそで家に着きそそくさとパッケージを開ける。ビニールが粘着部分で開け閉めするタイプで好きでない。パッケージは紙製。これもエコの影響か?おお!ディスクはDVD版と同じレコード盤のような印刷されてる。懐かしい。

なんていうんだ?たすきか?帯か?とにかくそういうのにジャズやるべの御馴染みのポスターと同じのものが印刷されていてその裏はハッピーフライトをあざとく告知されてる。

アウターケースは初回限定だそうで私が手にしているのは初回版ということか。特典は16ページのブックレット・ハッピーフライトにまつわる関連商品の告知のミニチラシ・ドルビーなんたらの簡単な説明書とそれに添付されてるジャズやるべポスターと同じの写真?

字幕に日本語音声字幕(山形弁)と書いてあるけどどういうのなんでしょうかねえ。フジテレビの武田アナさんに(方言が)少し違うとツッコミ入れられて確かあちゃーってなってたはずなんですけど。まあ観れば分かるかあ。

でもここで問題が。

そうお約束のオチともいえるまだブルーレイ対応機買って無い。なので観れない。無念。

買うとしたらパイオニアのある機種と決めてるけどまだどうも決断出来かねている。これ買えば必然的に買わずばなるまいてとなるだろうという購入の為の起爆剤・誘発剤として買った側面もあるのであるがとりあえずは観れない。無念。

やけで小説ハッピーフライト読んで気を紛らわそうかとも思ったがそれで映画観る愉しみが減ったら大損なのでこれもおあずけ。

なんだかなあという心持ち。でもなんで映画の封切り前に小説出すんだろう。SGの時は後だったよな確か。

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めざましテレビでのハンサム★スーツの番宣

2分強の短い時間での宣伝告知でありましたが、とてもインパクトがある内容の告知に思えました。

この映画11月1日公開でありますが、3月24日から現在に至るまでプローモーション活動が行なわれているそうで。そういやあCmともタイアップしたりで随分と前から見聞きしてたなあと思い返せますわ。

谷原章介さんは2005年から15本連続でドラマに出演されておられたのを、この映画初主演作品の為に9月からドラマ出演のオファーを断ってプロモーション活動をされているとな。そのことを知ってマジで驚愕する北川景子さんも見ものだったけれど、谷原さんの心意気が男だねえ~と感嘆いたしますです。

これを売りにされちゃあえげつないとこなんですが、懐に心意気を隠してプロモーションに勤しまれていたとこがいなせな感じです。北川さんの初めて知ったみたいな驚きがそれを裏付けているようで谷原さんて見た目だけじゃなくて中身も良い男なんだなあと改めて思いました。もちろん私は男ですから惚れる様な事はありませんが。好漢として好感できますわ。

あと北川さんの兵庫県人ぶりもお茶目で面白かったです。それは多分塚地さんが導き出してるんだろうなと窺えます。塚地さんってもてる訳じゃなくとも女性に好かれるタイプなんだろうなと北川さんの素の様らしきお姿を見るとそう思えます。

谷原さんと北川さんは「モップガール」で共演されていて、そのおおらかな空気感が心地よかった印象があります。それに塚地さんが加わりこのお三人が紡ぎ出す空気感がなんとなく想像できるあったかい感じの2分強の映画宣伝告知でありました。

裏話とか共演者の和気あいあいの姿をみせるのが映画告知として良いとは思っていませんが、谷原さんの心意気は伝わってきていい告知だなあと感じました。やはり映画に懸ける想いの強さが伝わってくるのが私の好みです。

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トンスラその2

第3話を見てのお話し。観てを使わず見てを使用してるのは太っ腹日テレさんのHPから見てるからでありまして。それもこれも静岡県では放送されていないからの悲哀によるものであります。小さい画面で見てるのでその理由からも観てと言う表現はできましぇん。

まあそんな嘆き節はともかくとして「トンスラ」結構いけてます。部屋の色味が赤なのでどうも苦手なところが私的に玉に傷でありますが吉高由里子さんの弾け具合と萎み具合の幅が半端なくて凄いです。このお方に中途半端というものはなさそうです。

見てると疲れるんですが、それは役の彼女の生き様がということで舞台がかったお芝居がという訳ではございません。なんなんでしょうねスイッチがオンとオフの2種類しかないような激な勢いでありまして。対する温水さんの大雑把にいってしまえば起伏の少ないまったり具合との対照のバランスがマッチしてる感じです。

誤解があるといけないので補足しますが、温水さんが決してワンパターンかつ同じ温度で芝居をされてるといってるのではありません。スイッチでいうと吉高さんがオンオフのみに対して温水さんのは音量のスイッチみたいな微調整が出来るスイッチと表現すればいいんでしょうかねえ。穏やかに音量調節してるみたいに思えますです。

お話しの流れは新進気鋭の女流作家の元へ原稿を貰いに行った会社内でお荷物扱いされてる編集者が監禁されてるという状況の展開です。

なんで監禁?

それはアイデアの枯渇によるもの。

だから出来て無いなら出直せばいいじゃんなんで監禁?

そんなの俺だって知るか!とにかく自分(作家)を笑わせるまで監禁するぞということになったの!

男女で部屋を同じゅうするのか?危険な方向に向かわないのか?

温水さんが演じてるんですよあなた!大丈夫でしょう普通。これで愛が芽生えるとは到底思えない二人でんがな。

普通って普通なのかその二人は?

そう言われると確かに変で普通じゃないけど、少なくとも理性も好みもきっちりありそうでお互い趣味じゃないことは窺える。なにしろ今回あんな美人をストーカーと罵りブスと呼ぶ美意識のひっくり返った男だからパッと見美人な作家さんを美人と認識してそうにない。作家さんがゲテモノ好きなら話しは変わってくるが今のところそうではなさそうだ。

監禁しての成果はあったのか?

笑わせるという本題には到達できなかったようだけど、人は見かけによらないというか人の何を観てたのかという観察眼の浅さを知った作家さんではあった。

とまあこんな感じですかねえ今回は。前回も書きましたけど吉高さんを愛でるには最適なドラマですたい。温水さんのボケに対するツッコミがマンガチックだなあとイメージとして思えました。温水さんが一生懸命だから不思議とダラダラ感とかまったり感がない締まった空気感を感じます。だからといって緊張感はないぬるめの弛緩さです。こいつらぶっ飛んでるけど平和だよなあというふにゃふにゃ感が何故かそこはかとなく湧いてきます。

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*くえすと

食えすと。食べられると・食べれるかととか言う意味。

「これくえすと思ったら食品見本だった。」(これ食べれるかと思ったら食品見本だった。)

「これくわすと思ったら食品見本だった。」(これ食べようかと思ったら食品見本だった。)

「これくれすと思ったら食品見本だった。」(これくれてあげようかと思ったら食品見本だった。)

「~すと」という表現が味噌な訳であるがそれだけじゃなんのこっちゃいとなるのでそれなりに。基本は「~しようかと」・「~するつもりで」とかいう意味合いになる。がそれだけでもないのが説明するに面倒で奥深い。なんか「~せんと欲す」みたいな感じがするのは私だけだろうか。多分古い日本語の名残なんだろうなと思えてくる。

「そんなこん言わすと」だ「そんなこと言わないで」となる。

上記のような使い方もあるが、大抵は「~すと思ったら」と言う風に「~しようと思ったら」・「~するつもりでいたら」とかいう使い方をすることが多い。

冗談だが、「ドラゴンクエスト」だと遠州弁では「龍食べれるかと」と翻訳できる。

例文1

「これくえすと思う?」

  (これ食べれると思う?)

「匂いがなあ。ちっとやばかない?」

  (匂いがさあ、なんかやばくないかい。)

「だらねえ。じゃあほかすかあ。」

  (そうだよねえ。それじゃあ捨てるか。)

「そうしないその方いいって。」

  (そうしなよ。それがいいよ。)

注、「食えると思う?」でもいいじゃないかという指摘もあろう。確かにその通りではあるが勘弁してくりょう。

例文2

「犬に餌くれすと思ったら鎖はずいて逃げとった。」

  (犬に餌あげようとしたら鎖を外して逃げてた。)

「駄目じゃんちゃっと探さにゃあ。」

  (駄目じゃないのすぐ探さないと。)

「今やらすと思っただよ。知らんじゃ困ると思って言っただよ。」

  (今からやろうと思ってたの。知らないじゃ困るだろうから言ったの。)

「いついんくなったよお。」

  (いついなくなったの?)

「知らんだわ。」

  (わからない。)

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セレブと貧乏太郎その3

私は二人がくっつくもんだという思い込みが強すぎてなんか勘違いして観てたようなのでここで方向修正をば。

第一話では劇的な出会いとそれぞれの境遇の説明。

第二話ではアリスにも苦手な存在があり、そこ(結婚しろ)から逃れたいがために太郎に恋人の振りを依頼い回避しようと一計を講じる。そんなことはお見通しで簡単には引き下がらない勢いの元彼。

卵掛けご飯の一件やらでアリスが好奇心だかなんだか知らないが太郎に好意(興味)を持った。それを後押しするかのように見合いの話しが持ち上がりお尻に火がついて恋愛感情が熟成しないまま感性(なんとなく合いそう)だけで恋人(の振り)を依頼(発進)した。

そう思ってたんですけど、どうもアリスには今のところ太郎に対して恋愛感情の欠けらもなさそうです。道具(おもちゃ)のひとつなんでしょうかねえ。アリスの側近も多分そんな感じで見てるんじゃないのでしょうか。だから必死こいて止めさせようとはしないのかもしれないのかなと。

そもそも太郎の方にそんな気がさらさらないってのは一貫してますからアリスの方に万が一でも好意があったとしてもプライドの高さから意地でも自分の方からはという想いもアリスにはあるのでしょうけど。

メディアに載る結果(写真)や言動だけで推察すれば確かに町内会の連中がああいう祝福をするのも無理からぬ感じです。

お見合い破談作戦上手く行くかと思いきや、それを打ち砕くように義理の母との間で売り言葉に買い言葉。勢い余って貧乏生活(共同生活)をすることになったという展開。果てさて如何相成ります事やらという展開でありました。

お金を介さない物のやり取りって身の丈を忘れるんでしょうね。分不相応に気づけない不幸が伴うのでしょうか。そんなことはともかく会社休んでまでアリスの社会見学実践編の始まり始まりい。

水道水を飲むことがアンビリーバボー、電気が湯水の如きではないことがアンビリーバボー、風呂も寝所(しんじょ)も共同がアンビリーバボー。買い物は現金でカード厳禁でアンビリーバボー。泣きつこうにも凡て止められ現時点ではホントの貧乏人。耐えかねて家中漁り手をつけてはならないお金に手を出してしまう。

どうしてくれるという挙句でお店の手伝い行く先々で問題起こしっぱなし。アイデアの閃きと実行力は大したもので伊達に会社切り盛りしてた訳ではなさそうでした。ただなんら有効な手立てではありませんでしたけど。売り上げ倍増してみせるとでも啖呵切ったんでしょうかねえ。

でも有名人いるぞと宣伝こませばこらしょと他所の衆らが押し寄せてきそうなもんなのに。有名人には有名人としての使い道があるだろうにそれを使わず普通に扱おうと言う町内会の心意気は買えますがとても切羽詰った勢いに見受けられません。それだと貧乏社会見学にならないんでそれをいっちゃあお終いなんでしょうねきっと。

現実的に言えば、私の周りのリアルな話し、中田島砂丘に向かうバイパス道路を通るとごく稀ですが出待ちっていうんでしょうかねえ、中にいる役者?さんを見ようと店を取り囲むようにたむろしてるみーちゃんはーちゃんを見かけたりとかします。どこぞでそんな情報仕入れてくるんだと不思議でしょうがないくらいの不特定多数の集団をたまあに見かけることがありますです。普通に撮影の合間とかで食事しに来ているだけなのに芸能人扱いされてる様を見ると本人の意思とは係わり合いのないところでもう世の中は動いているんだろうなあと思えます。

ま、そんな脱線話しはおいといてドラマに戻れば、アリスに貧乏生活は無理ということでありましたが、結果としてやっぱり餅は餅屋。有名人に群がる群衆をメディアの力で呼び込んでこの貧乏商店街に活気を与える光景が描かれていました。あのキャメラマンはアリスの味方なんでしょうか?でも私が考えてた解決結果になってびっくりでした。

それにしても後追いの群集は浅ましく写ってます。もう稲を食い荒らすイナゴの集団のような様でした。イナゴからすれば天使が地上に舞い降りたってことなんでしょうかねえ。なんとかとハサミは使いよう。結果祭りが出来ても、これでいいのだとはなんか思えない感じではありました。

2時から登ったお陽様が3時に沈む(はえ~よ)

貧乏神と言っといて直ぐころりと崇める辺りはご愛嬌というところでしょうか。

でも有名人が恒に徘徊してるとなれば狂騒曲は続く筈で、すっかり観光地化して祭りだけは地元衆で心置きなくというのは曖昧模糊(ファンタジー)だよなあと思いました。まあアリスへのイナゴの想いはそんなもんで

流行(はやり)の命は短くて熱狂短し急げよイナゴということなんでしょうか。

特別扱いもなんもしない(余裕がなくて出来ないんでしょうけど)でアリスに普通をさせようとする太郎も太っ腹だとなあと思いました。そして今回は惚れた腫れたの展開ではなかったようで結構面白くシンプルに生活環境の違いから来るコメディーとして楽しめました。洗濯はどうしたんだろうという疑問はありますが家族じゃないんだから絶対一緒に洗うなんてことは拒否したんでしょうね多分。停電でろうそくの灯かりに癒されるアリスってのも観たかった感じはありますです。アリスに貧乏もそう悪く無いぞと思える日がくるのでしょうか。今回はあまり見受けられない風に見えましたけど。

そもそもこの二人がいつか一緒になることすらありえないだろうとも思えますです。とある夏の合宿みたいな過酷だけどいい思い出としてその後の人生の支えになってちゃんちゃんなのかなともさえ思えちゃいます。これをカップルにするとしたら脚本家さんはどういう強引な荒業を使うんでしょうか。その奇策に興味がありますです。アリスが降臨するのか太郎が登りつめるのか。

若村麻由美さんが印象に残りましたです。紅いドレスに金髪と扇子に厭味とか無理感がなく観ていて楽しゅうおます。

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星新一かあ

本読みの変遷と言えば、小学生の時にはシャーロックホームズにがんこはまって。中学で芥川龍之介に染まり宮澤賢治に憧憬して、そんで高校時分には星新一にはまってたなあ。そのあとは司馬遼太郎ワールドを丸鵜呑みしたり寄り道して柴田練三郎とかの江戸噺に向かったなあ。

そんなこんなを懐かしむ理由は最近某局で星新一ワールドを色んなクリエーターさんが紡いでるのを知ったから。因みに観てません。だって「アナログ」という表示が邪魔でしょうがないから。でもまた読みたくなってきたのでテレビでの効果というか影響があったことは事実。

とりあえず家の本棚にあって今すぐに読もうと思えば読める本を眺めてみると、順番(発行年数)は順不同だけど列記すれば

きまぐれ博物誌・進化した猿たち・ほら男爵 現代の冒険・殿さまの日・おかしな先祖・祖父 小金井良精の記・ごたごた気流・未来いそっぷ・妄想銀行・おみそれ社会・ようこそ地球さん・エヌ氏の遊園地・ノックの音が・ひとにぎりの未来・盗賊会社・かぼちゃの馬車・だれかさんの悪夢・なりそこない王子・妖精配給会社・おせっかいな神々・さまざまな迷路・マイ国家・ボンボンと悪夢

よくもまあ少ない小遣いの中からこんだけ買ってたもんだと感心してしまう。物置漁ればまだ他にもあるかもしれないがもう腐って腐葉土化してるかもしれないな。本棚に並べてあるのだってぞんざいに扱ってきたからシミだらけでとても売れれるものじゃないのだから。

そもそものきっかけというか出会いは学校の国語の教科書に載っていた「おーいでてこい」だった。SFという枠組み(背景)にしては出てくる登場人物たちがやけに現代っぽいアンバランスさが不思議でありんした。あんまり人間は変わんないものなのかしらむと思えたりなんかして。

で、谷島屋通っては新刊出る毎に飛びついてたなあ。

講釈垂れるほど読み込んでいる訳じゃないんで熱く語ることは出来ないのだけれど芥川龍之介の隙が無い息さえつけないような緊張感を感じたり、宮澤賢治の言葉の力強さに押し捲られた後に読んだ星新一は、肩肘張らず寝転がって読めて楽だったなあ。それでいて風刺という表現が適切かどうかはあれだけどピリリとあ痛!なものがあって。そしてオチというかあっと言わせる展開が必ず待っている。このアイデアは凄いなと。その証拠に今も色褪せることなくテレビでオマージュのように登場している。たしかあの頃よく思わないお人と絶賛するお人に分かれて評価が随分揺れ動いていたよなあ。まったく新しいことするとこういうことになるのかと思いましたわ。

これがもしSFと言う形をとらなかったとしたらどう評価が変わっていたんだろう。オチの見事さが読んでて最も愉しい部分だったけど、物語の始まりからしてよくよく考えてみたら奇想天外でこういうこと思いつくだけでもすんごい事だったっけ。未来と言う架空の世界だからこそなんでもありだったのかなあとも思えてきますです。

どこで読んだか忘れたけれど、作品の作り方としてはとても短いものを伸ばし膨らませていくという作業だという事を読んだ事があります。つまり長大なものを要約して削り凝縮していくのではないということ。自分でも出来そうに思えてアイデア捻ったけどな~んも浮かばなかったなあ。

とりあえず読み返してみよう。

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*くいながし

「食やあ食ったで食いながし食ってる」

これを訳すと

「食べれば食べたでひたすら食べてる」となる。

意味的には何かをしっぱなしにするとかひたすらということになろうか。

「垂れ流し」という言葉も共通語としてあるようにそう変わった表現ではないと思われるのだが何故か「~しながし」という用途の範囲が遠州では他地域よりも多いと言うのが特長であろうか。

例文1

「ダイエットだっつって食わんとなら全然だけど、食やあ食ったで食いながしで馬鹿がんこ。」

  (ダイエットするって時は本当全然食べないくせに、食べだしたらもう食べっぱなしでもの凄い極端。)

「で痩せただって?」

  (それで痩せたの?)

「そりゃ無理だらあ。」

  (それは無理でしょう。)

例文2

「あん人の買い物依存症馬鹿がんこだにい。ホント買いながし買って見てて気持ち悪くなる時あるもん。」

「そんなにい。」

「高価なもんばっかなら金持ちだやあっつって呆れてモノも言えんだけだけど、スーパーなんか一緒に行ってみい。安いっつうだけで信じれんくらいカゴにあれやこれや詰め込むだにい。使いおせる量にゃとても思えんもん。」

「おすそ分けとかするじゃない?」

「知らんやあ。もの貰ったなんて誰からも聞いたこんないにい。自分で病気たあゆうとったけど直らんだかいねえ。ホント凄いって。」

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チーム・バチスタの栄光その3

なんか新鮮です。比べてみるのは失礼とは存ずるが、映画ではチームの面々と心を通わす光景なぞなかったあくまで調べる側と調べられる側の距離を保っていた風に感じたんですけど、ドラマでは田口先生がひとりまたひとりと協力者を獲得して行く感じです。

麻酔医の氷室先生(城田さん)を自宅に招いて暖かいもてなしをする辺りといい、会議での旗色悪しとなればすわ駆けつけて援護せんとするチームのメンバー。初回で桐生先生(伊原さん)を、前回では器械出しの大友さん(釈さん)を。今回は先の氷室先生と会議で田口先生(伊藤さん)を見直した臨床工学士の羽場(戸田さん)と言う具合に少しづつ味方が増えていく構図のようにも思えます。

氷室先生は桐生先生を信頼尊敬している。それが分かった回でもありました。そういう精神状態で桐生先生を陥れるような術死(殺人)を引き起こすとはとても考えられませんでした。

前回の大友は自分のキャリアアップの為にライバルを蹴落としてでもという勢いでこの位置にいるのだからそれに傷がつくことをするとはとても思えないです。

この状態で田口先生をよしとしていないチームバチスタのメンバーは病理医の鳴海(宮川さん)と第一助手の垣谷先生(鶴見さん)と第二助手の酒井先生(鈴木さん)ということになる。

現時点でこの残りの三人のうちいずれかが犯人なら心痛む事も無いけど、田口先生に理解を示した誰かが犯人じゃあ、なんか情が移ってやりきれない感じになりますですな。

一発逆転でなにかと潰したがる黒崎教授(榎木さん)が桐生先生へのやっかみで犯行を犯したっていう手も浮かぶけどいくらなんでもそれはないでしょうね。院長の手先とうことで田口先生のやることなすこと否定するだけなんでしょうかそれとも本当に知られて困るようなことを隠匿してるのでしょうか。

とても目新しい勢いで別物として観れてます。グッチーはとても芯があって意外と男っぽいです。

録画されたうちひとつの手術の模様を収めたビデオが盗難(紛失)するという展開からして観たこと無いぞこういうのはですわ。なんでそれを?誰がそれを?どうすんだそれを?という謎ばかり。かく乱の為なのかそれとも核心だからか。

とにかく黒崎悪代官?の圧力を乗り越え、院長の助さんも聞きなさい角さんも聞きなさい的な裁量で権限を得る田口先生。これで晴れて隠密行動せずとも大手を振って調査するお墨付きを得たわけですからこれからより本格的に調査活動が活発化してくるんでしょうか。白鳥は今回控えめに感じられ田口先生のかっこよさが目立った回でありました。

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11月は観たい映画が多そうだがや

口コミとかの尖兵の片棒担げる筆力もないし、一回観ただけで能書きたれると大抵あんたの観方おかしいよと突っ込まれるのでDVDとかが出て見直ししてから感想書く後出しをモットーとしているのですが、11月はあまりにも盛況なのでびっくりということで書いてしまいました。もちろんどれもまだ観ていません。

*「レッドクリフ」  11/1からとな

洋画はほとんど観ない私ですが、三国志は別腹。これだけはとても観たい。ゲームやマンガとかでその知名度は半端ないこの世界。それだけにタイトルを「レッドクリフ」とせずに正々堂々と「赤壁」とした方が食いつきがいいと思えるのは私だけなのだろうか。

*「ICHI」  もう上映中とな

歴代の座頭市の空気感がなんか今にも一雨来そうな曇り空のように感じられてお気楽主義の私としては得意ではない世界感なんで、今回も幾ら綾瀬さんが演じられようとも食指が動くことはないだろうなと思うておりました。たとえ監督が曽利監督であっても。

でも番宣番組を見たら、がんこ綺麗な画でドキっとしてしまいました。滅茶苦茶私の好みの緑でありまして。とてもほげ~と観ていたくなりました。もちろん展開上まったりとなんてさせて貰えないでしょうけど。

*ハッピーフライト  11/15からとな

いわずと知れた矢口史靖(やぐち しのぶ)作品。これを観ずしてなんとするという勢いなんですわ。

この三本がとりあえず気になりますです。同じ月に三本も観たいのがあるなんて滅多にないですからつい興奮してしまいました。

一時期邦画とくればもう片っ端から(と言っても田舎で観れるものだけですから都会の3分の1くらいの量でしょうけど)観捲くっていたんですが、最近は決め打ちするようになりました。無理して観た所で好き嫌いの多い私には勉強にもならず。映画は娯楽の筈が趣味になりつつあってなんか変という違和感を感じ出したせいでもあります。

で、今のところの心持ちは、映画は探すものでなく感性で呼び止められるものじゃないのか。

無論情報は極力集めてます。深夜帯とかでよくやる番宣は適う限り見る様にしてますしニュース番組の芸能コーナーとかで紹介される数分の情報でもチェックするようにしてるつもりです。見せ方にもよる場合もありますが、あ!これ面白そうと思えて観た時の方が期待してなかったけど観たら面白かったというものよりやっぱダントツに愉しかったことが多い訳でありまして。

昔レコード買う時にジャケット買いっていうのをしょっちゅうやってたのを思い出しました。それと一緒だとは思わないですけど感性で決めるってのは同じかなと。全部観て自分の嗜好や判断基準が分かんなくなるよりおいしそうなものだけ観て自分の好みを尖らせた方がいいと思えるようになりましたわ。

そんなこんなでこの三本。なんかおいしそうなんですわ。

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*よこす

「遣す」又は「寄越す」と書く。「寄こす」と書くのと同じかどうかは勉強不足で不明。

辞書にも記載されている言葉であるが、古い表現で他の地域では廃れている言葉であろうか。遠州では現役の言葉である。

意味は渡すと言う意味になる。

「送ってよこす」とか「投げてよこす」とかいった風に使う。聞いてる方は多少ぞんざいな感じを受ける。送ってくれたというより送って来たという感じであろうか。あまり丁寧な表現としては使われていない。ただし身内とかの仲が親密な場合で使われると親しげな表現となって、そういう関係性が存在しない場合に使った場合えらそうな感じになるものである。

辞書とかの例文では「電話をよこす」というのが多いが遠州弁だと「電話掛けてよこす・電話してよこす」又は「よ」を省いて「電話掛けてこす・電話してこす」と言った風に「掛けて」とか「して」が入ることが多い。

無論「電話よこす」と言う表現もするのでプチ情報ではあるが、しかし最近は電話は「する」もので「よこす」ものではなくなっている可能性もあるのではないかと。便りはよこすものだが電話はするものになってるんだろうなと。

遠州弁での「よこす」(渡す)と「くれる」(もらう)の使い分けは勉強不足でよく分からない。少なくとも対象によりけりであろうが

「電話掛けてよこしたらあ」(電話してきたでしょ)と「電話くれたらあ」(電話くれたでしょ)では印象は違うことは確かであろう。

例文1

「こないだ、のぶさあが送ってよこした梨まだあるけえ。」

  (この間のぶさんが送って来た梨まだあるかねえ。)

「はあとうに喰っちまったわ。」

  (もうとっくに食べちゃったよ。)

「あんだけくれただにか?」

  (あんな沢山くれたのにもうないの?)

「梨んはあないで、バナナあるでバナナで我慢しない。」

  (梨はもうないから代わりにバナナで我慢しなよ。)

「ってやあ食いもん投げてよこすなやあ。そんなこんしてたら撥ん当たるにい。」

  (おいおい食べ物放り投げる奴がどこにいるんだ。そんなことしてたら撥が当たるよ。)

例文2

「あんたなによー急にい。電話よこさんでいきなり帰って来てえ。どーしたよぉ。」

  (え?なに?電話してこないで突然帰って来て。どうかしたの?)

「忘れもんしただよ。」

  (忘れ物しちゃったの。)

「なにおぉ。」

「携帯。」

注、「電話しなしいきなり・・・」という表現が普通だけど大分強引に例文つくりました。

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日本とアメリカ 日本アニメVSハリウッド

面白いというか色々と考えさせられる番組でした。

米国アニメのキャラクターは閉塞状態にあり、日本のアニメに死活を見出そうと目が注がれている。これは米国側の都合。

国内での受注が減り国外に活路を見出そうとする。世界に進出し日本のアニメをより広めたい。これは日本側の都合。

その現在進行している方法がいくつか取り上げられていた。

1・米国のプロデューサーが来て権利を買い実写化という異なる表現方法でメイドイン米国として作る。まあ一種のリメイクと呼ぶものになるんでしょうか。

2・同じく米国で制作されるがこちらはフルCGとは言え同じアニメ。その際日本で使用権を持つところがチェックを入れつつ原作及び作者の意向を保持する。これは以前都合のいいように変更されて痛い目に逢った教訓によるものだそうな。

3・日本で評価された作品を米国向けにアレンジして持っていくのではなくて全く新しく日本の技術を使って米国用アニメを日本のスタッフで作り送り出す。

4・米国が持つキャラクターを使って日本のスタッフがストーリー等を含めオリジナルとして作る。つまりまるまる日本に発注するということ。

1及び2については、米国側のスタッフにはキャラクターに対する愛情というか感情移入はせず、マーケティング調査を行なってそのデータに基づきより多くの人に愛されるキャラを作ろうとする。よく言えば万人の為に。悪く言えば名前だけ借りて別キャラにしてしまうみたいな感じ。

ハリウッド版ゴジラは日本じゃ話題にも上がらない。あそこまで替えられたらもう別物としか言いようが無い。あれをゴジラと呼ぶこと自体無理がある。守るべき物はあるのだと言う教訓のような話しだから、目を光らせる(チェックを厳重に)というのは納得でありました。コンセプトというかストーリーだけ欲しいのなら全く別物(原作)として出した方がよほどすっきりする感じはしますですな。

3については、浮世絵は明治の世になってその勢いを一気に失くした。国粋主義者ではないつもりだけれど鎖国に近い感じで国内だけで深められ成熟していった今の基準を国際基準にあわせるようになったらアニメはどうなるのかしらむ。

マンガとアニメは違うのかもしれないけれど、マンガはその国の言葉に代えてるだけで流通していて絶大な人気を博しているのに、なんでアニメはそれじゃいけないのか。

自分達の世界感に合わせようとするから変更したくなるのかもしれないけれど異文化が新鮮という側面もあるだろうから無理して郷に入れば郷に従えでなくてもいいんじゃないかと。トヨタがカンバン方式を世界に押し通したようにアニメも日本式を押し通せないものなのでしょうか。

4については逆郷に入れば郷に従えということで凄く自然な感じがしますです。ただし発注側の度量が試されることになるのですから大変なことは確かでしょうけど。それだけ日本のアニメが優れているということになる訳で気持ちはいいですよね。

いづれにしても、日本が直に米国に討って出れば済む話でそれをハリウッドが作ろうと介在するからややこしい話しになってることは間違いないんだろうなと思えましたです。資金力や市場の確保とかでそれを持つのがハリウッドで持たないのが日本という現状によるものでしょうけど。少なくとも原作(オリジナル)に対してファンが米国でもついているのだからハリウッドを経由する意義は薄いよなと無知で能天気なオヤジにはそう思えますです。

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*えーが

映画のこと。発音が違うと言うことで記載。二種類の発音を使い分けてるが、ひとつはほぼ平坦なアクセントであるが強いてあげれば最後の「が」がやや強めになる。もうひとつは頭の「え」が強めになる共通語に近いアクセント。

使い分けには明確な決まりがある訳ではないし個人差があるので一概には言えないが、話しの頭に来る時は「え」が強め、話しの中とかに来る時は「が」が強めになることが多い感覚がある。

「ええが」か「えーが」どちらが近いか悩んだが「えーが」かなと思ってこちらを採用したが個人差があるのでどっちでもとんじゃかない(構わない)。映写機とかも「ええしゃき」(アクセントは共通語と同じ)と言うし映像も「えーぞお」(これも共通語と同じ)と言う。

共通語のアクセントで「えいが」と言うと「栄華」の方をイメージする遠州人は多い。

例文

「えーがみいいかまい。」

  (映画観に行こうよ。)

「なにみいいく?」

  (何観に行く?)

「行って決めまい。」

  (映画館行って決めようよ。)

「そんなこんゆったら混んでいんのになっちゃわへん?」

  (そんなこと言ったら混んでないのにならないかい。)

「じゃどーゆうえーが観たいよお。」

  (ならどういう映画をを観たいの?)

「特に無い。」

「じゃいいじゃんなんしょいかまい。」

  (ならいいじゃんとにかく行こうよ。)

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我はゴッホになる!愛を彫った男・棟方志功とその妻

実在の人物を描いた半生記であり、過去においても幾度かドラマ化されたものでありますし、まだご存命だったご本人をテレビで拝見した記憶もありということで。結末顛末がうろ覚えながらも読めるので、どうしても新鮮味を求めるのではなくその完成度に期待してしまう私であります。

物語はゴッホのような画家になると上京してきた若者の苦闘の末見事実を結ぶまでを描いたもので殆どが混迷を描くものであり快は深いけれども決して多くは描かれていないものです。もちろん名を成す者の恒として当の本人は苦労などとは露ほどにも思わずひたすら邁進に勤しむ成長記ではありますが。凡人が見たらその心模様なぞ推し量れる筈もなく呆れて見守るしか術が無いのでありますが、周囲の人々からの視点なのか天才からの視点からなのかによって随分印象の変わる物語のような気がします。

そういう意味ではこのドラマでの切り口は周囲それぞれの人々から見た視点を繋ぎ合わせると主人公の全貌が見えてくるというものだと思えました。

劇団ひとりさん渾身の一撃という勢いでした。天才ゆえのその精神構造が良く分かんない謎めいた部分がきちんとあって、それぞれの人に見せる顔(甘えや敬意)の振り分けができていてなにより憎めない純粋さが滲み出ていて芸術家らしい芸術家に映りました。慣れるのに時間掛かりましたけど一心不乱という言葉が適切に思えました。ひとつの事に集中して複数のことを同時に出来ない不器用さというのもなんとなく伝わってきました。だから最後のシーンに繋がるんでしょうけど一度に同時に愛せないけど同じように愛してるんだろうなと思えました。多分主人公には優先順位なぞ存在していないだろうと。

主人公の迷える苦悩が境地に達するまでの葛藤なのか認められない苛立ちなのか慟哭の表現につかれましては上手いなあとは存じますがそこから光明を見出す瞬間の見えない光りが放たれるかのような閃きのシーンとかよく見えなかったなという感じはしました。それはそういう作りによるものでしょうけど。激昂の生き様と創作模様。それと比べて出来上がる穏やかな作品のギャップというものが不思議でもあり魅力でもありますです。仏師や刀鍛冶のお方だと身を清め聖なる領域にて作品を作るというイメージが私にはあるだけにそれとは正反対のような創作シーンはいつ見てもミラクルです。

それを支える香椎由宇さんが見事でおました。香椎さんはご結婚されたのかこれからなのかよく知りませんが、とにかくなんと形容すればいいのか言葉が上手く見つかりませんが腰が据わったというか芯が出来たというか、ぶれない力強さが感じられますです。ふわふわした感じがしない大地に根ざしたしっかり感とも言えるかもしれません。

ご容姿だけ窺うとその端整さからとても昭和の苦労を背負って立てる風には見えないのですが、最後の堪忍袋の緒が切れる様が見事であったように耐え忍ぶ姿が画になってました。癇が高ぶるのではなく耐えに耐え抜いた末のあのシーンはホント見事でした。怒るとかの浅い感情の起伏表現でなく心の奥底から湧き出てきたような感情の発露のほとばしりという勢いを感じました。

貧乏もなんとか様になってられますしそういう境遇でも錆びない凛としたものを感じもしました。以前はちょっと世界を斜めから見てる様な徒党を組まない一匹狼のような孤高さを感じさせるような役が多かったイメージがあったのですが、結婚を転機に役柄の幅がとても広がられたように思えます。年齢の化かし具合も見事で三人の子持ちにも無理感はなかったように見えました。

家が狭いので客人が来ると子供連れて外で待つって光景なんか久し振りに観てそういやあそういう光景昔の映画やドラマとかでよく見たよなあと思いだしたりもしました。この作品では女房子供を隠匿してたというせいでしたけど。昔観たということでは記憶が間違っていなければ渥美清さんが演じられてたような記憶がありますです。それと比較しようにももう殆ど憶えてませんのでこの作品は案外と新鮮に観れました。ただ夫唱婦随という言葉はこういう夫婦のことを言うんだろうなと思ったのは記憶してます。それからすると今回は付き従うというイメージよりも協力というイメージの方が幾分強めに見えましたけど。

藤木さんは正直あの髪形なんとかならんかったのかという想いがありますです。でもあれですよね才能のある人間と競うのも羨ましい限りですけど才能のある人間のそばにいられるってのも羨ましい限りですよホント。支えるというのはなにも援助や支援だけではなく切磋琢磨して競い合い刺激し合うことも含まれる筈で。孤高なんてものは言葉のあやで人である限り誰かと繋がりあってるものだと思うんですわ。決して彼らは敗者で棟方志功が勝者などではなく棟方志功を作り上げた要因として誇れる人生を送ってると思えます。周りに誰もそんな人物がいない人間からしてみればホントそう思えます。

こういう苦労の末の達成感を味わうドラマって連続ドラマで割ってしまうと結婚と最後くらいしか開花がなくてあとは苦悩や苦節を丹念に描かざるを得なくて全体としてはどよよんとした空気感に包まれやすいので一気に最後まで見切れるこういうスペシャルで正解だと思います。もちろん随分とはしょってるなあと思える部分もありますけどそれは役者力でカバーしてもらうとして。ひとつのシーンで幾つもの情報を与えてくれる役者さんが重要なんでしょうねおそらく。

お気に入りのシーンは、最後のあだけ具合と姉さんの死にまつわるシーンでした。ひたすら優しいお姉さんの鶴田真由さんがよかったです。

褒めて甘やかすからこういう夢追う人が育つんだと思いますけど才能を伸ばすにはこういう人が欠かせないでしょうね。才能が開花したからいいようなものの花開かず朽ちていったらお兄さんともどもこれでよかったんだろうかと思われるんでしょうかそれとも一片の悔いも無しなんでしょうか。保障がないだけにどういうお気持ちでおられたんでしょうかねえ。なんか気になりもしました。ドラマとは関係の無いことですけど。

いまこういう人物が登場できる環境が日本にあるのかどうかは知りませんが、誰かのために身を犠牲にしてでも尽くす兄さんや妻のような「献身」が存在してるのは多少疑問であり懐古でもあるのでしょうか。なにせ今と違って全うに生きてても食べていくのにさえも精一杯な時代に支えていったのですからそういう行いは半端じゃない頃のお話しですから。

あと強烈な郷土愛もなんかよかったです。

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*だてで

「伊達や酔狂で」(形だけやものずきで)の省略形と思われる。

「伊達」だけだと共通語では「派手や人目につくような行動や様子」とか「外見を飾ろうとする様子」とか言う意味合いでありこの場合で使われる「形ばかりの」という意味使いとは若干離れている。もちろん上辺のということでは同じ意味ではあるが。

これを遠州弁とするには随分と無理があるが、はしょってこういう言い方を全国的にしてるか疑問なのと、遠州では普通に使って錆びていない現役として残ってるということで一応記載。

例文

「あんたねえ。だてできたじゃないだで。頼み事あるなら言いなよぉ。でけるもんだったらやってあげるで。」

  (あのねえ、形だけ取り繕うために来たんじゃないんだから、頼みたいことがあるなら言って頂戴よ。出来ることなら協力するから。)

「すまんねえ。急な入院で動けんくて。悪いだけど入院の保証人。名前貸して貰えんかねえ。」

急に入院なんかしたりして、近くに親戚とかが居ないと入院の際の保証人になってくれる人を探すのに大変な時があったりする。治療費踏み倒しをはじめとしたトラブルの際に必要なものであろうが、こういうことを頼める人というのは存外居ないものである。普通に社会生活していてさえそう感じるくらいだから引き篭もりとかで社会で他人と接していないと困るようなこういうことは結構あるものである。

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