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ブラッディ・マンデイその3

それにしても犯行グループは見えてる範囲では若いですなあ。結局若造が大人を馬鹿にする風潮が顕著になっているのは、技術の革新が早すぎて過去の経験なんて意味のない物に成り果ててしまって若造の方が仕事(機械操作)を知ってるということによるものなんだろうなと思えてきます。その傲慢さには「愚図」という感情が見え隠れしてくるかのようでもあるのであろうかしらむ。

運動性能において40を越えれば間違いなく衰えて若造と互角に渡り合うことは難しくなる。それを補って余りあるものが経験でありましょう。しかし機械が変わり手段も変わり蓄積してきた経験が何の役にも立っていなくなって勝ち目がなくなっているのではないか。そんな無能な連中がそれでも天下を取っていることに我慢ならず。

そんな勢いに思えてきて参りましたブラッディマンデイ。もちろん真の動機とかは計れないし首謀者と思しきお方は超のつく頭脳明晰なお方のようですけど。かようにお若いと心のどこかにそういう想いを持つ者が仲間を集め有志を集ってこういう組織が生まれていったんだろうなと想像してしまいますです。でもホントの動機はなんなでしょうかねえ。毒ガステロといえばオウムなんたらかんたら教を思い出すんですがそれとはどう違う行動目的なんでしょうか。

昔から若造が今ある社会を転覆せんとする構図は存在するのでしょうが、不満や絶望とかいうものとは別の次元での動機のような雰囲気が漂ってくるようです。まあマンガの世界では超人的な天才が世界征服にその才を道を外れて使ってしまう又は利用されるという構図はよく見ましたけど。動機よりも実際起きてる事柄の方に重点があるのでしょうけど決着の暁にはなんでこんなことするの?の回答を提示して欲しい気はします。

それにしても全体の空気感が疑心暗鬼で覆われていて落ち着かない印象はあります。そんな中で観ていて見事にたばかられたことが二つ。

ひとつは先生(吉瀬さん)の部屋での脱出手段の機転。てっきり電話したのは同級生にしたものと思っていただけに、尾行されてたのかあ。それにしちゃあ万が一に備えて狙撃兵まで用意してえらい準備万端だなあやあ。とツッコミいれてたんですが見事に一本決められましたですわ。電話一本で即参上。ピザ屋さんよりも素早くが売りなんでしょうかこの組織は。

もうひとつはどっちがスパイだ?という心理戦。どう見たって加納(松重さん)不利と見せといてこうくるかと。揺さぶりに弱く感情に走る藤丸(三浦さん)だと思ってたんですが見事な推理でありましたが、なんでスタッフの電話番号藤丸が知ってるんだろうと言う疑問とあの暗号あの状況で霧島(吉沢さん)よく解けたというか判断できたというか。それと、こういう時だけ少人数での行動するのはどうして?という疑問があるうえに松重さん撃たれちゃったみたいであ~あでした。

嘆願書出すみたいなほど某隣国のネットに書き込むファンみたいな野暮はしないですけど松重さんもしこれで出番終了だったら淋しいな最終回まで出ていて欲しいなと。だって唯一のアナログっぽい人でその存在がこういうのに強くない者にとっては親近感が湧いて安心するもんですから。

でもこれも誰かをたばかる偽装(芝居)だったりなんかして。と勘繰りすらも覚えてくるらい誰がどう言う立場なのか暗鬼ですわ。いつ安気になれるんでしょうか。

魑魅魍魎が闊歩するファンタジー(曖昧模糊)な空想世界ならいざ知らず、現実社会に近い世界の中でのこの状況は、とても心の落ち着く先がなく取り調べの担当者ですら怪しく見えてきます。ずうっとヒヤヒヤのしどうしでいささか疲れますです。Cm入るとホッとする感じですたい。観ている方でさえそうなんだから当事者特に藤丸の疲れ具合を察するにあの死んだように眠るシーンはとても納得でした。

展開とは関係ない余計な感想ですけど、女性陣をけっこく撮られていて魅入っちゃいますわ。Sっ気はないつもりですがいたぶられてる吉瀬さん妖艶で艶っぽかったですし、芦名さんもよかったですわ。

このドラマ、回の最後は危機が訪れてさあどうなる。続きは来週という展開らしいです。期待持たせて次回まで引っ張る作戦は徹底しててうまく乗せられてます。頼みの綱(唯一の味方)の加納が撃たれて地面に倒れ残るはスパイだけの2対1の構図。とても勝ち目の無い藤丸。奮闘虚しく捕獲されるのかそれとも前回同様窮地を無事脱するのか。

藤丸の持つ才は諸刃の刃と霧島が例えてましたけどテロの側にとってどういう必要性(使い道)があるんでしょうか。お父さん(田中さん)がテロの側の人間だとしたらお父さんの希望で家族だけは守ってくれと言う条件なのか人質としてお父さんを動かす要因になってるのかファルコンとしての能力なのか。未成年だから殺生せずというだけなのか。まさかね。

希望としては時間経過というかどれくらい時間が始まりから動いているのか表示か説明シーンいれてくれるとありがたいなと。戦場の最前線にいるような緊張感の中で物語が進んでいるみたいなのでとても濃密な日々が繰り返されているし、それぞれがまだ凡て繋がっていなくてそれぞれのことを同時にやっているようにも思えるのでそういうものが分かり易いもので欲しいなと。

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相棒 劇場版

テレビドラマの方は観てないんですが映画は観ました。DVDも発売になって改めて見直してこれ書いてます。とても映画らしい映画だなと感じますです。普通だと空気感を作り出すのが至難なのが恒ですがテレビドラマですでに構築されてる分いきなり本番って感じで得だよなあと感じます。テレビとの連動のメリットが凄く生かされてるんでしょうねおそらくは。

また、テレビシリーズ観てなくてもこれでもかという位の番宣をされておられましたので色んなお約束事知らなくても特に困ることなく作品を観れました。ユイカが出とらすもんで観ようというのが最大の動機でありましたが、よくよく考えてみれば鈴木砂羽さんも高樹沙耶さんもメイドイン浜松なので地元を応援するとこいてる割にはドラマを観てなかったという後ろめたさはあるんですが全く観ないよりかはいいだろうと開き直って堪能しましたです。

スケールがデカイなあというのが第一印象です。群集のシーンは、さすが日本人。いっせーのせってな感じで同じ行動をとる様が見事でした。雑踏という雰囲気ではなくひとつのことを皆でなしとげようとする統一性が感じられました。これだけ一斉に同じ方向を向く国民性だから人質に対する一斉のバッシングに人々が一気に乗っかるんだという納得感が確かにしてきました。ただ群集がリアルに見えたかどうかと言うとエキストラ(桜)に映って見えた印象の方が強いんで痛し痒しでしょうけど桜は日本の美ゆえらしいといえばらしいですけど。あまり洋画は見ない私ですが少なくとも群集の画に関しては洋画の方がリアルに見えてしまう私です。いづれにせよ芝居をするということが如何に難しいことなのかを改めて思い知る感じでありました。日本ではゲリラ(抜き打ち)撮影みたいなことしなければ勝手気ままな活き活きとした群集は撮れないんでしょうか。

犯人が誰かとか書いてしまうとネタバレ以外の何者でも無いのでそういうことはしませんが、凄くよく練れてる展開なだけにこれ書かないとなると筋道について書くことができない感じがするほど緻密な感じがします。見直してみればヒントというか伏線?がしっかり張られていて最初観た時の惑わされ加減はまるで右京さんのうしろにくっついて右往左往してるような立ち位置感覚でありました。結末を知った上で観ても答え合わせ的な目線で楽しめるしストーリーを追わなくて言い分役者さんじっくり愛でれるという事も出来て。やっぱよく出来た映画なんだろうなあと思えます。犯人の動機・具体的行動・結果ともに矛盾がなくしかも観ていておおそうなるのかという驚きもあってホント練れてるよなあと感じ入ります。やっぱ水谷豊さんええですわ問答無用で。

遊びが無いと言うか寄り道をしないというか。それでいて疲れることなく最後まで観ているものを引っ張る力は凄いなあと思いました。それが役者力によるものであり耳が痛い提起的内容でありと単なるスリリングな知的鬼ごっこに留まらない余韻を感じます。最後玉虫色になんだかなあという決着ではなくこんなデカイ話しでもそれなりにけじめをつけて終わろうとしたところが親切であろうかと思いますです。

個人的に愉しい映画であったかと問うと、楽しかったと答えます。なぜかというと自分の居場所が見つからなかったこと。感情移入できるキャラが見当たらず右京さんの後ろくっついていただけでありまして。愉しい作品って自分がもしその場にいたらと思わせる参加感を味わえるんですわ。追う方にも狩られる方にも傍観って感じでしたから。ひとつの事に全員が向かっていてしかもその役割を皆が担っていて余分に混ざる隙がないという言い方も出来ますわな。

それと、一番の悪党は情報に踊らされる愚民にありそれを扇動した者には撥が当たったとしても実際踊って焼き討ちした輩(やから)が野放しというのは現実的でありますが本当に解決したんだろうかというもやもやがどうしても残りますです。そういうものを取り上げ警告というか問題提起としただけでも十分なメッセージですが、もう少し踏み込んで欲しい欲がありますです。具体的にどういうシーンが観たかったんだといわれても答えに窮しますけど無い知恵絞るなら、メディアが過去の報道姿勢に対して謝罪するとか(犯人がおっ死んでたら)多くの人からの献花がなされてるとか。貧困なアイデアで説得力無いですけどとにかく、空港で人知れず心は晴れたけどどこか侘しげに去るというよりも出会えてよかったと心から満足して分かれるシーンであって欲しかったなと。あくまで個人的な意見ですのでそう思わなくとも気にしないで下さい。私はハッピーエンドにすぐもって行きたがる能天気な人間ですので甘くなろうとそっちの方が好みな軟弱者ですので。

どうしてこんなのがという人気倒れな思いは全くせず、人気の理由が納得の映画に思えました。続編作ってもいけてそう。人気と内容のバランスが非常にいい空気感を感じますです。テレビ観てないので当てずっぽうですけど映画だから特別なことしようとかではなくテレビでやってきた方向性を変えず背景を豪華にしたという普段着的(失礼な表現ですいません)な気取らない姿勢がよかったんじゃないのでしょうか。

もっとも逆に、知的に攻める右京さんVSなんも考えてない野趣たっぷりの無手勝流との噛み合わない対決ってのも観てみたい気はしますが。犯人がやること非論理的で理解出来ず悩める右京さんってのも面白そうかなと。でもそういうのだと薫ちゃんが得意かあ。でも一例として多重人格者だったら凡ての行動に整合性がないというのもありえそうで心理学(学問)の領域を越えててもおかしくないんじゃないのかなと。とにかくそう言う輩がミスを犯さずメーセージも残さず犯行犯してくのと対決するってのも観てみたいなあとふと思いました。妄想ですけどね。

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流星の絆その1(1話と2話)

原作のパワーと脚本のパワーのせめぎ合いに主役の兄弟3人の役者さんの丁々発止と主役以外にも豪華な出演陣が続々参戦と、まさに完全無欠のような勢いを実際に観る前には感じていたのですが。その一方で混ざり合うのか?かち合うだけじゃないのかという気もしないでもなかったです。

そんな世の中上手く行くはずもなかろうてという穿った視点で初回観てしまった部分もあって非常にひねた目であったのでこれはいかんと反省して1話では感想書かなかったんでありますが。キャラクターの活き活きした様が魅力的で2話も面白く観れたのでそういうひねくれた感情は失せました。素直に観てて面白いと思いますです。

因みに街頭でなにか配るシーンのところからネットカフェ?で聞き耳立てて一言一句に反応してるオタク衆の右往左往辺りまでのシーンが1話での私のお気に入りでした。逆に詐欺に勤しむシーンはいくら目には目をであろうとも悪事を行なうシーンはなんだかなあでありました。つまり宮藤ワールドの匂い立つシーンが良くもあり悪くもありという体でした。

東野ワールドの部分は重みというか重力を感じでなにかがのしかかってくるような感覚がありました。このギャップの差がとても激しい感じがしましたです。こちらの世界は三浦友和さんが担っているみたいです。

その両方の世界を往復してるのが長男の(二宮さん)なんですが、兄弟でいる時と三浦さん扮する刑事と相対す時の往復のバランスが大変そうだなと思えてきます。

会話のシーンはテンポ感といい間といいぶっ飛んだ内容といいスゲエなと素直に思えます。活き活きとしていてホントリアルに生きてるなあこの人達という気になります。このドラマの一番の魅力だなあと思えます。

結局印象に残ってるシーン思い返すと宮藤ワールドらしいとこばかりに今のところなりますし、それが観ていて愉しいのですからどちらの世界も共存して貰えれば一番いいのでしょうがどっちの味方だと問われれば宮藤ワールドの肩を持つかな私は。もっとも原作読んでないんで説得力全然ありませんけど。

でも彼らがこれからやろうとしていることが凡ての過去を忘れて新しく生きるというのならあれですけど。犯人見つけてって過去の清算に未来を費やすと決意している以上冗談半分みたいにさえ映る快活さで物語が進んでもし本懐を遂げたとしたら。そんな軽く人を殺めてよいものかとやっぱ思いますんで、どこかで変わっていくんでしょうね刹那的な真剣モードに。

なんか謎めいた行動している人物も多く見られるんですけど、なんとなく犯人(復讐の対象)が見えていそうで謎の探索というより行動を愛でる勢いを感じますです。3人が今やってることはその為の予行練習というか腕を磨いているような状況なんでしょうか。

いづれにせよよくもまあこんだけ役者さん集めたもんだなあと感心してしまうほどなんでも出来そうで無理に見えないというか安心して観てられます。2話のお気に入りのシーンはお店で厚化粧したままの妹に気づかなかった兄貴のボケが冴えたシーンでした。それとノートの想い出の回想で両親が説教してる時の会話のシーンですかね。

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ちゃうらー

違うだろう(それは)という意味。ツッコミの言葉としても使える関西風の言葉。もろ関西だと「ちゃうわ」になるのだろうか。「ちゃうやん」だと「ちゃうにい」の方が近いのかしらむ。

例文

「ここんさあはこうなるもんでえ。だでここはこれが入るだよきっと。」

  (ここのところはこうなる訳だから。だからここにはこれが入るのさ。)

「ちゃうらー。」

  (違うだろう。)

「なんでよー。」

「そこんさあははまるけど、後のんはまらんらあ。」

  (そこははまるだろうけど、後に残ったのがはまらないだろう。)

「わからんよー。やってみにゃあ。上手くいくかもしれへんじゃん。」

  (やってみなければ分からないだろ。上手く行くかもしれないんだから。)

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なんだかなあ13

帰りがけにスーパーに寄ろうと思っていたんですわ。そんでま~たいきなしブレーキかましてからウィンカー出しくさるたわけに遭遇してしまってムッときたんですよ。前にも書きましたけど曲がるんならウィンカー出してからブレーキ踏めよと。さもなくばノーブレーキで曲がれと。

自分だけでもそういう真似はすまいと心を新たにしてスーパーの前にさしかかろうとしてたんでウィンカー出してブレーキ踏んで駐車場に入ろうとしたんですわ。

そしたら通行人が駐車場への入り口の前の歩道にたちっぱで脇目も振らず携帯してけつかるんでさあ。おかげで駐車場に入れやしなくてムッ×2。どこでも会話できるからっていったって迷惑ならないような場所選べよと言いたくなりました。

クラクション鳴らす野暮も嫌だし得意技がプッツンっぽい今時の若造だしと気づくまで車道に待機で後続車に迷惑掛けてしまって心苦しい。

されど気づきもせずちんたらフラフラしくさって。まあとにかく車が通れるとこまでどいたので駐車場に入る。もうじき閉店時間で調理されたおかずの割引を狙って駆け込みが多いらしく結構車が停まってる。それともそれだけ皆遅くまで働いているという別の理由があるせいかもしれない。

入り口に近くて空いてるとこを探したら運よくひとつだけ空いてるスペースがあった。入れようとしたらそこに空き缶が駐車スペースの真ん中に放置されていていた。だからここだけ空いていたのかと変に納得し別のところを探して入り口から遠目の空いてる場所に車を停める。降りて他にもあんな迷惑なことする奴一杯いるんだろうかと気になって辺りを見てみる。そしたら空き缶はなかったけど吸殻が盛り塩のように積まれている箇所もあるのが見えた。多分自分の車の灰皿が一杯になったんでドア開けてそこから捨てたんだろうなと推察できる。

自分がやられたらムカつく癖にどうしてこんな真似をするんだろうと思えてならない。そりゃてめえの敷地内でやる分にゃ文句は言わないけど共同で使うところでやるのは恥を知れと思う。そんなこんなでムッ×3。

こう言う状態で店に入ると何買いにきたのかすら忘れてしまうくらい目的とは別のことで頭が占領されてしまう。で、やっぱ忘れてしまいましたわ。

別に結論めいた要はねえとか言うことは特にない話しですけど、人間は誰かや何かに迷惑(負担)を掛けなければ生きていけない生物だから、悪意を持たずにする迷惑行為というのは大勢の人間が行き交う限りはなくなるものでは無いけれど、もう少しなんとか減らせないものかと思いますわ。

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夢をかなえるゾウその5(第4話)

今回は面白かったです。ひたすら笑っ観てました。あの嘘つくと反応する腕時計が嘘を感知するたびに阿鼻叫喚になってのたうつあすか(水川さん)に大受けでした。前回までガネーシャの課題に対する感想に終始してましたが今回は単純にコメディドラマとして堪能しましたです。

リアルな苦痛に喘ぐ(大丈夫かと思わせる)のではなくコメディとして笑える範囲で悶える様がナイスかなと。まともに考えればガネーシャと出逢って以来波乱万丈な人生を送ってるようにしか見えず幸せの階段を昇っていくための試練ともとれそうな境遇なのに、それでもカラッとした陽気さが滲み出てくるところが見ていて明るく笑える要素になってるのかなと思えてきます。嘘に反応してそのあとの開き直りで今度は嘘偽りの無い事を言い直すんですがそれがまたぶっ飛んでて笑えました。角が立つとはまさにこのことなでしょうね。

水川さんホント適役だと思います。土佐の女(ひと)という設定なんでしょうか、怒り心頭になるとボロボロ出てくる言葉が心地いいです。

「嘘をつくな」という課題が主であるように見えましたが、嫌いな男とデートせいという課題の意義は笑い転げててよく観てませんでなんか効能がわからなかったんですが藪から出て来た棒につつかれて人間関係がややこしくなってきてるのだけは判りました。でもこれがどういう効能に繋がるんでしょうかねえ。

で、「嘘つくな」は例の腕時計ギャグでホント十分笑かしていただいたのでありますが

そういえばスピッツの曲で

「隠し事の凡てに声を与えたら ざらついた優しさに気づく筈だよ」

という歌詞の一節を想い出しました。もちろん隠し事と嘘は違うものでしょうけど何故か頭の中に浮かびました。

あかん嘘とはこの場合自分をよく見せたいためのしょぼい嘘。しかも嘘をついてる自覚さえ無い。その場しのぎの嘘ばかりついてるから迷子になってるのではないか。とガネーシャは言ってました。

つまり自分を飾ろうとする嘘。自己弁護・場の空気・(表面上の)円滑な人間関係のためとかの嘘(おべんちゃら)はどうも駄目みたいです。

嘘は雪だるま式に増えるもの。借金と同じなんでしょうねきっと。返済する為の痛みを伴う自己改革ということでしょうか。その痛みの発生(手助け)させる道具があの時計ということでしょうか。意義ある行為でありましょうがやってる様相としてはとても笑えました。

ついていい嘘もあるようで、直接的には述べられてませんでしたけど相手を思いやる嘘とか我が身を犠牲にする嘘とかはいいんでしょうかねえ。

自分の意思をはっきりさせるってのは言うは易く行なうは難しという奴で、結構波風が立って大変なものです。口に出すとそれに対して責任というものが生じますから。まあ上に行く者はそういう嵐にもへこたれない精神力を持っているものなのでしょうけど素敵な結婚をしたいと願うあすかにもそういうことが必要なのかなと思ったりもしますです。

いづれにせよ嘘を封じ込められたら自己嫌悪から空虚になってしまったあすかでありましたが近藤(柏原さん)からメールが来たりとかするとすぐ復活する逞しさが羨ましい限りです。いつまでも負を引き摺らないというのも大事な要素なんでしょうねきっと。その豹変ぶりがまた笑えるんですけど。

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*はやびけ

早退のこと。地域によっては「早引き」というらしいが遠州では「早引け」と言う。もちろん個人差があるので決めつけはできないが。全国的な表現であろうから遠州弁というほどのものではないが遠州はこれを使うエリアに属するのではと思って一応記載。

普通に生活してて「はやびき」と聞くとギターとかの「早弾き」をイメージしてしまうので早退と言いたい時はやはり「はやびけ」を使うほうがしっくりくる。

辞書で引く限り「早引き」で記載されているので「はやびき」が共通語なんだろなと思う。

例文

「悪いやあ。今日頭痛いもんで早引けさして貰いたいだよお。」

  (申し訳ないけど今日頭痛がするので早退させて欲しいんですが。)

「おんめえおとつい腹ん痛いっつって帰ったじゃんかあ。きんのうは喉で。で今日は頭かや。病名なによー風邪け?で、いつんなったら治るでえ。」

  (君、一昨日腹痛だと言って帰ったじゃないか。昨日は喉でそれで今日は頭かい。何の病気?風邪?いつになったら治るんだよ。)

「風邪だたあ思うだけど痛いの順に上がって来てるでやあ。頭ん上ははあないで明日はええと思うだけえが。」

  (風邪だとは思うんですが痛いのが上に上がって来てまして、頭の上はもうないから明日は大丈夫だと思いますけど。)

「理屈んよお通らんけどしょんねえなあやあ養生してはよ治せやあ。頼むにい。」

  (根拠が理解出来ないけどしょうがない。養生して早く治して。頼むよ。)

もちろんこんな呑気な職場なぞ現実に存在はしない。

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ねんごろ

もう普通の会話では使われることもなく、時代劇とかでしか耳にしない言葉。

「懇ろ」と書く。「年頃」では決して無い。いつ頃から使われ始めていつ頃から使われなくなったのかは勉強不足にて不明。

辞書を引くと意味は二種類あって言葉そのものは「ねもころ」が変化したものとある。

1・心をこめて扱う様子

2・(男女が)打ち解けて付き合う様子

1は辞書引いて初めてそういう使い方があったのかと知ったのだが、やはり2の使い方が圧倒的に多いのではなかろうか。って言ってももう死語だろうけど。

個人的な感覚としては、どちらかといえば祝福というよりやっかみ・冷やかしで使う感じがして、言われた方はいい気分じゃあないような言葉という感覚がある。庶民的表現なのでただ単に口が悪いだけで内心は祝福してるのかもしれないがあまり綺麗な表現というイメージが私には浮かんでこないです。

例文

「あいつどうやってあんな綺麗なかみさん貰えたんだ?」

「なんかねえ、どこぞで長く同じとこで宿泊してたらねんごろになったんだって。」

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なんだかなあ12

朝日新聞と知事さんの応酬のニュース記事を読みました。そしてその中で宮崎県知事さんが知事は公人、記事を掲載するのも公共性の高いいわば公人。自分の書いた記事に対して様々な意見や感想がぶつけられることは当然であり、真摯に甘受しなければならない。そして、それに対しての説明責任も当然ついて回るべきものだという類の発言をなされておられた。

つまり主張を一方的に書いておいてそれに反論して何故悪いということであろうか。記者は知事を批判してもよいが知事が記者(記事)を批判して何故悪いというもの。

至極正論だと思います。直接的にではないですが随分前ですが私の職場においても朝日ではなかったですけど批判的な論旨が新聞記事(地方の些細なものですが)になった(された)ことがあり、あまりにも一方的な視点からの内容記事で憤りを感じた経験がありますです。私はペーペーなので直接的に影響を受けた訳じゃないのですが、以降新聞を含めた報道は真実の一部にしかすぎず必ずしも全ての真実を語っているとは限らないと思うようになりました。書いているのは個人であり感じ思うことには問題なくとも記事として掲載される場所は公共性の強いものですから。まさしく書けば官軍・書いたもの勝ちそんなもんだろうという感じです。事象の見方が違えば事実も違う。世の中そんなものだと。

で、まあ我が身の教訓と置き換えてみるならば、公人VS公人という観点からは外れて公人を匿名の私人が記事にすると言うことになる訳ですが。このブログは自らの創作物を発信してる訳でもプライベートでの出来事を報告してる訳でも無いいわば他人の創作物に対して反応してる人のふんどしですもうを取ってるようなものである訳でありまして。なんもして無い奴が第一線で頑張ってる人を餌食にしてるようなものでさね。しかも匿名性に大変重宝してるのは確かでありまする。

なのでテーマとしてあげたものに対し上記のような仕儀に相成るのだけは避けなければならないと思って批判有りきでは決してなくお気に入りの作品のみを記事にしている様心掛けているつもりですが。自分の嗜好とかを述べたりすると必然的にその作品の様相に批判めいたことにも繋がってしまうことになる訳でありまして。そのままで是とする人にとっては私は批判者となってしまう。十人十色で人皆それぞれ意見が違うと割り切っていただければ良いのでしょうが。そうは問屋が卸さないのが世の常で。ご意見いただくと汗がたら~りと頬伝うこともあり。

そんな時に重宝なのが匿名性。私が責めれてるわけじゃないと思い込める。もっともハンドルネームも自分の一部という考えを持ったとしたら悪態つけば当然我が身に火の粉が降りかかるものという勢いなれば抑制も効くであろうけど。なかなか調子こくと踏み外す時多し注意報発令中でもある。さりとて礼賛ばかりじゃどこぞのよいしょの回し者と勘繰られてもいやったい。

どうせいっちゅうんじゃとあだけてみても解決は捲くったケツにあざとなって浮き出てくる訳でも無し。つまるところ無の状態何もしないのが達観の境地なのだろうけど煩悩の塊にはその境地には程遠い。

書いてすっきり言われてがっくり。間違いなく世の為人の為にはなってないという自負はありますから所詮私も某記者さんと同じで自分の感情を発信して相手の事を思いやっていない事してるのかなあと思えてくる今日この頃でおます。つまり明日は我が身ということでしょうか。まあそんな大層なこと書いてないという自負も併せ持ってますから私の明日は遥か先でしょうけど。なにに気をつけていいのかよく分からないけれどとりあえずは気をつけよう決め付けだけは。

なんとなく星新一作「おーいでてこい」をイメージしてしまいます。都合がいいからとなんでも吐き出す場として便利使いして最後にとんでもなしっぺ返しを喰らうみたいな。

なんにせよ書いて自己満足読んで暇が潰せる。そういう両者にとって人畜無害かつ無意味だけど不快にならないエンターテイメント性があるのが理想なんだろな多分。筆力が伴わないのがつらい。人間小心か。いや精進か。

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*つおい

強いと言う意味。アラレちゃんがよく使う言葉として認知度も高く、名古屋発信の日本全域で使われる言葉であろう。幼児言葉なのだろうけど大人が言っても違和感を感じないのが遠州である。

これを方言しかも遠州弁として挙げていいものか疑問が残るがアラレちゃんがもし言っていなくとも使っていたことは確かなので一応記載。ただしやはり名古屋から流れてきた言葉のような気はする。マンガ発信の造語ではないということ。

例文

A・「ちゃっとやらすかと思ってがんこ火ぃつおくしたもんでお湯ぅちんちんになっちゃった。」

  (急いでやろうと思って強火にしたらお湯が沸騰しちゃったよ。)

B・「まあええよ、ちゃっと茶ぁ入れて客んとこ持っていきない。」

  (構わないでしょ。直ぐお茶入れてお客さんのところに持っていきなよ。)

C・「あんたねえちんちんじゃ茶ぁまずくなるにい。客にゃあ出せんらあ。」

  (あのねえ沸騰したお湯だとお茶が不味くなるでしょ。そんなのお客さんにだせないよ。)

A・「ほいじゃ水で薄めるか?」

  (それじゃあ水で薄めようか。)

B・「そんでええらあ。ほんでちゃっと茶ぁ入れて客んとこ持ってきない。」

  (それでいいんじゃないの。早速それでお茶入れてお客さんのところに持っていきなよ。)

C・「あんたらねえ。」

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セレブと貧乏太郎その2

格差の壁なぞなんのその。花も嵐も踏み越えて障害を根気強くひとつまたひとつと解いて最後二人は無事に結ばれ・・・・って展開なのかなと。若しくはお互いの想いのすれ違いでなかなか距離を縮めれないもどかしさとかみたいなパターンも古典的であったよな。そのどっちか系かと思っていたのですが。

初回の最後の台詞はセレブの冗句と思っていたのですが。第2回にしてもうくっつくかという予想を裏切る展開ではありました。もちろんなんらかの意図があっての偽装カップルなんでしょうけどその真意が義理の母との確執にあるのでしょうが、突如現われた男への対応策と勘繰れなくもなし。短絡的な展開かと思いきや肝心のアリス(上戸さん)の心情がダークに曇っていてよく見えないので先の読めない展開のようにも映ります。

もしこれが一目ぼれのビビっとという展開なら見事な肩透かしになりますが、結構使い古しの身分違いの無謀な恋の描き方とは異なった作風やもしれぬと思わぬでもない気になってきました。といっても打算からホントの愛情に変わるという変遷もありうるか。でもそれって身分違いでなくても別にいいじゃんという気もしないでもなし。

目新しいのは積極的なのは女性の方で男は固辞するという展開でしょうか。まあこの回の後半は固辞が誇示に変わって周りの人からひんしゅくを買う展開へと移行してましたが。でもそれは誰にも言わないという約束を守るための言葉のいい間違いから生じたものであって太郎が変わった訳ではないんでいい奴なんだなと思えることに変化はないんですけど。

いづれにしても金で解決できる金持ちだから人の機微に疎く、使用人を道具のように扱う様に対して嫌悪感を感じてしまうようでは観ていてしんどいし逆に貧乏人がのぼせ上がる様にやっかみたくなるようではどうかと思うのでそういうバランスが大切なんだろうなと思えます。いまのところ上戸さんからもそういう感じはしませんので面白く観れてるのでしょうが今後どうなるんでしょうか。

おもちゃの着せ替え人形のように姿を変えていく様は男が女にという定番を見慣れてるせいなのか男が男の変身ぶり見て楽しいのか?と思うせいなのか分かりませんが、アリスの職業とこれから逢うであろうお方を予測すれば取り繕うと言う気になるのも致し方なしの展開だったんでしょうかねえ。

無理して取り繕ってもお里が知れるというか付け焼刃じゃ無理というか、どうせすぐばれる嘘をなんでつこうとするのかちと疑問系ではあります。逆にいっそのことまんまで対面して体面を繕わず唖然とさせたほうが衝撃的になるんじゃないのかと思えたりもしました。

嘘をついてる太郎が痛々しかったです。嘘が嘘を呼んで雪だるま式に膨らんで窮していくパーティでの様は特にしんどかったですたい。あれを楽しかったといえる心持ちはすげえ大物だなと思えました。電話一本で即参上って契約は免停期間の間だけの話しなのか未来永劫続く契約なのか。なんかのちのち重大なアイテムになりそうな予感さえしますです。静止画像でよく観るととても読みづらい字でありまして「けいやくしょ」とは読める気がしませんでした。あれをなんか別の読み方でひねってなんかのオチに使うんでしょうか。

画としてはろうそくの明かりに温もりと言うか暖か味が感じられなかったのがなんだかなあでしたけど。これから冬に向かうわけですから居酒屋に湯気が湧いている暖かい画もみたい感じです。太郎の家ではどうやって寒さを凌いでいくのかも興味のあるとこではあります。

大抵アリスは太郎を除いて会社内と自宅以外は一人で行動してるみたいなんですけどこういう地位にいるなら秘書というかマネージメントする人が恒に傍にいないのはホントに自分が切り盛りしてる社長さん?お飾り(広告塔)なんじゃないのかとも思えてしまってそういうキャラを執事さんとは別にはべらせてた方がらしく思えるのは私だけなんでしょうか。感情も意思もみせないただいるだけの黒子が傍にいたらマンガみたいなバランスになっちゃうからやはり変か。

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チーム・バチスタの栄光その2

仲村トオルさんの跳ね飛び加減が絶好調でなんか爽快です。普段言いたいこと言えたらどんなにかすっきりするんだろうと思っても、後先考えると突っ張ることを継続する根気や自信を持ち得ないから単なる妄想で終わってしまう現実なだけに。

こういうことできる人間観てるとすっきりするんですわ。敵に回すとうっとおしいを越えた憂鬱になりますが、ドラマの中で観てる方にはその火の粉は降り注ぐことの無い安全地帯からの高見なんですんげえ気が楽にそこまで言うかと楽しんじゃえます。めげない懲りない媚びない折れない空気読まない。羨ましいお人です。

ただあまり跳ね過ぎてこの人ホントに高級官僚?というそうは見えない感じにさえなるところがビミョーではありますが、やり手らしい匂いはプンプンしてきますです。今回のお気に入りは彼女いない歴を問いただすアクティブフェイズの見本のシーンが好みでした。

オープニングの音楽はやけに軽妙で重厚な医療ドラマが始まるという感じがしませんで、あくまでミステリーという装いを印象付けるかのように感じます。山場の部分とかで使われてる音楽はなんか三国無双とかやってるような感覚に陥りました。重厚な医療ドラマと言う視点ではなく密室という閉ざされた空間での殺人トリックを暴けというテーマに特化してる印象を受けますです。

ストーリー展開の話しをするとどうしても映画と比較してしまいがちなんですが、そこはぐっと押し留めて、ドラマだけと考えて追ってみると。

個別調査においての今回のターゲットは看護師の直美(釈さん)のように見えました。前回でどこか謎を抱えて怪しげでありましたがその理由はなにか。隠し事をしている雰囲気のせい?それは何?どうやってそれを突き止める?という展開のようでした。

その手段において白鳥(仲村さん)はアクティブフェーズ調査、田口(伊藤さん)はパッシブフェイズと言う手法を用いる。まるで北風と太陽のような方法でありました。ナイスコンビと白鳥自ら言っていた通り両方合わさって初めて上手くいく感じでありました。別な表現で言えば飴と鞭でしょうかねえ。取調室の机バンバンとカツ丼の妙とも考えられる感じでした。

いづれにせよ北風と太陽に根気負けしたのか、素直に吐露する直美。吐露したものは人を蹴落としてまでも椅子取りゲームに挑み勝利したこと。人知れずといきたいところであったが噂話しという存外真実に尾ひれがついたものが流出していたということ。信頼してくれる桐生先生のために頑張れと励ます田口であったが見事に肩透かしされた真実に開いた口が塞がらない。白鳥は逆にもっとやれとけしかける。なんか励ます相手がタッチして選手交代したみたいな連携プレーに映りました。

とりあえずこれで直美の疑いは晴れたと言うことなんでしょうかねえ。自分を売り込むためにチームに入っているのだから失敗は本意では無い訳ですから動機が見当たらない訳になりますから。

他の人にも尋問されてましたけど、毒殺ではないかと疑いを掛けた白鳥に対してのいなしで血液検査してるから無理のくだりは初めて観た感じでした。ふ~ん無理なんだと。

もうひとつの展開は世間が見守っていて失敗が許されない状況に於いての手術。果たして成功するや否や。結果は見事に成功し胸をなでおろす田口。しかしこれで自分の疑問(これは殺人か)に確信を強くした白鳥。

心を開かない患者さん。その心の扉を開ける田口。医者としての力量を前回に引き続き遺憾なく発揮する訳ですが、田口が単なる白鳥に振り回されるあたふた役ではないということを印象付ける効果を感じます。有能な心のお医者さんでなければこのドラマは進まないのでしょうか。場を和ますゆるキャラなだけではなさそうなことは確かです。

犯人のヒントが予告でと謳われてましたが予告見る限りあれだと映画に近くなるんですかねえやっぱ。引っ掛けであって欲しいなと願う次第で。

ところで白鳥の不遜な態度。どこまでその肩書きが通用するのでしょうか。黒崎教授にはあまり厚労省の後光が通用してた風には見えなかったんですけど。

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*ちゃうだ

語尾を上げて疑問符系にすると「ちゃうだ?」(違うのか?)

語尾を上げずにだと「ちゃうだ。」(違うんだ。)一人ボケツッコミで使う(違うわ)という場合もある。

「あ」を追加して「ちゃうだあ。」だと(違うんだよ・違うって)といった強調したニュアンスになる。

「ちゃう」と言う表現は関西系なので関東風だと「ちがうだ?・ちがうだあ」となる。どちらも使うのであるが、記事にするには関東風より関西風の方がより方言らしく聞こえるのでこちらを記載。それと違いとしては厳密ではないが「ちがう」を使うと相手に問い詰める勢いになるので自問自答するような場合には「ちゃう」を使うという使い分けの傾向がある。ただし実は「ちゃう」という言い回しは完全な外来種の言い回しであって遠州弁の要素はない。遠州での基本的な表現ということであれば「ちがう」の方であろうと思われる。そういう意味では「ちゃう」は特異な言葉なのかもしれない。

「違ってるのか?合ってるだろ。」と言う場合は「ちがってるだ?あってるら?」と「ちゃうだか?ええだら?・ちゃうのけ?いいらあ?」と言った風な種類がある。

イントネーションについては関西とは異なる。そして「ちゃうだあ」と長音化することが多い。音が近いからといって決して「チャウダー」という料理のことを言ってる訳ではない。

「ちゃうらあ」(違うだろうそれは)という言い方もあるがここまで話し広げるとキリが無いのでこれは又別の記事で。

例文

「ここ寄ってそんで次ここ寄って・・・ってちゃうだあ。さきんここ寄らんとかんだあ。」

  (ここへ寄ってそれでここ寄って・・・って違うわ!先にここへ寄らないといけないんだ。)

「なにょう独りでぶつくさこいとるだあ。遠くで見てると、きもいにい。」

  (何を独り言ぶつぶつ言ってるんだ。遠くから見てると気持ち悪いぞ。)

「営業回る順番組んでただよお。はあとても今日中に全部行きおせんて。」

  (営業に回る順番組んでいたんだけどとても今日中に行ききれないんだ。)

「商売繁盛でええこんじゃんか。ちがわん?」

  (商売繁盛でいい事じゃないか。そうだろ?)

「だって殆ど、やあ!ばかっつらちゃっと来いやあって説教ばっかだにい。」

  (だって殆どおい直ぐ来いっていうクレーム処理だよ。)

「おおそうけえ・・・まあ・・あれでえ、なんしょ頑張ってやあ。」

  (ああ・・そうなの・・・まあ・・その・・とにかく頑張ってね。)

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*やいやい

やれやれと言う意味。共通語だと「やいやい耳の穴かっぽじってよく聞け。」とかいう使われ方であるが、遠州弁ではあ~あとかいうニュアンスになる。

もちろん共通語のニュアンスとしても使われる両刀使いではあるが。近い共通語を探すと「やれやれ」になるのか。

例文

「やいやい、へぼこいた。」

  (あ~あ、失敗しちゃったよ。)

「なにしたでえ。」

  (どうしたの?一体。)

「それがの聞いてやあ。シャンプー切れたもんで買い行ったら、トイレットペーパー安売りしとったもんでこりゃ買わんとと思って、買えたら安気んなっちゃって。シャンプー買うの忘れかあって帰ってきちゃった。」

  (それがさー聞いてよ。シャンプーが切れたもんだから買いに行ったんだ。そうしたらトイレットペーパーが大安売りでこりゃ買わなきゃってなって無事買えたら安心しちゃってシャンプー買うの忘れて帰って来ちゃった。)

「そりゃやいやいだの。」

  (そりゃやれやれだね。)

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*しまいまい

「しまいにしまい」(終わりにしよう)と言う記事を以前に書いたが別バージョンということで。

「しまいまい」。訳すと「しまおうよ」とか「しまおうか」といったニュアンスになる。

同じような表現では「しまうかあ」というのがある。

「しまう」というのは共通語と同じで終うという終わりにすると言う意味と片付ける・後片付けするという意味で使われる。

「~してしまう」という意味ももちろんあるが「そうしてしまう」を「そうしまいまい」とは言わないのでこういう使い方では「~してしまう」という意味は成さない。

例文

「やあまじしまいまい。」

  (ねえホントに終わろうよ。)

「なんでよー、1時間も経っちゃいんじゃん。やり始めたばっかじゃんか。」

  (なんでだよ、1時間も経ってないだろ。やり始めたばかりじゃないか。)

「だってやあ、雲行き怪しいにい。雨ん来るって。」

  (だってさあ雲行き怪しいよ。雨降ってくるって。)

「そん時しまやあいいじゃん。ちっとばか濡れたってとんじゃかないにい。」

  (その時になったら終えばいいだろ。少しくらい濡れても関係ないって。)

「そんなこといわすとしまうかあ。」

  (そんなこと言わないで終わろうよ。)

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チャンビーって遠州じゃ禁句だにい

のんべんだらりんと休日の夜にテレビ眺めていたら、サキヨミという情報番組で米国から渡来するという新しきおもちゃ?をどこよりも先駆けて紹介されておられました。

で、その名前が「チャンビー」。もうぶっ飛びですよ。

イントネーションは違うけど遠州弁でこれを公然と言ったら問題発言でんがな。

卑猥な隠語ではないのですけど、華の十代以下の乙女に対する(強烈ではありませんが)侮辱的な表現なんですわ遠州では。具体的意味については別記事書いてますんで参照していただければということでここでは書きませんが。善い言葉では無いことは確かです。

その言葉をテレビで連呼されてたもんで、もうねヒヤヒヤもんでしたわ。ホントまだ「チャ」で良かったです。これが「ツ」だったら遠州だと、もんの凄いことになりますからもうホントに。

その玩具?自体これからということで広く普及するのかどうかは知りませんが、少なくとも静岡県の西部地域でこの名前だと幾ばくかの抵抗を感じることは確かでしょう。英語なんだから意図したものではない偶然だとしても果たして馴染めるかどうかビミョーです。

それともこれを境に元の言葉が遠州から消えるというほどの影響力を与えるのでしょうか。

もちろん商売の邪魔をする意図は毛頭ございません。ただ素直に言葉に反応しただけで商品の成功を祈っていますです。これを契機に遠州弁での使われ方が過去の死語となればいいのかなと思ってます。だって私の歳ではもう使うこと無いですから消滅しても別に困らないし。

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パズル DVD その5

相変わらず秋になっても飽きもこずパズル観賞に勤しんでいる休日でありますが。何度も繰り返し観てると味付けを変えてみたくもなるものでありまして、オーディオコメンタリーONにして観ている今日でありました。

視点がやはり演ずる側と観る側は異なるものらしく、衣服や小物のシーンごとの繋がりとかそれらしく見えるとかいう冷静なプロ目線と、その時の記憶が映像を観て甦えってこられてるみたいでした。あの時こうだったとかいう共有の想い出話しとかで盛り上がっているオーディオコメンタリーでありました。聞こえてくる限り先生と生徒という印象はなくほぼタメに近い勢いに聞こえました。もちろんキャリアの序列とかもありますんで馴れ馴れしさとかいうものはなく、聞いててイラつく事も無い明るく爽やかな会話で聞いてるほうも気持ちいい感じがしてきます。

撮影時の模様とかも映像特典の中に収められていましたが、石原さとみさんは、第四話に登場した女優栗原のような女優顔して他を寄せ付けず一人お姫様状態でおられる気位の高いお方ではないようで、随分と3人組と共有の話題をお持ちのオープンな性格の持ち主のようなお方らしいと推察されるくらい皆と一体感を感じました。

楽しんで撮影に望んでおられたんだろうなというのがよく伝わるオーディオコメンタリーです。ただ全話にコメンタリーがついてないのは残念でありまして、役者さんでなくとも監督さんや脚本家さんのコメンタリーでもよかったのにと。とにかくどうせやるなら全話つけて欲しかったです。ディレクターズカットも。

ちなみにコメンタリーは1・10話。ディレクターズカットは1・5・6・7話についていました。

できれば補足的に役を作り上げる上においてキャラクター設定とかこのあと皆はどうなるのかとかを予想しあうとことか聞きたかったのですがあまり監督さんが出張る感じではなかったのでそういう点では物足りなかった部分はあります。

前にも書きましたが追加も含めて

*鮎川は何故お金がないのだ?何にお金を費やしているのか?強欲の理由が金はあるが性根として欲するのか、それとも生活が困窮してるから否が応にも強欲に走らざるを得ないのかで随分印象違いますから。前者の強欲ならばお宝にありつけずとも因果応報と思えますし後者の強欲ならば次頑張れと思えたりもしますから。

*あの3人組あれだけ鮎川に連れまわされて大学受験は大丈夫だったのか。

*家庭・家族が4人共一度も出てこないがどういう環境の中で育てばこういう人間に育つのか。特に鮎川。

*制服とジャージ姿(剣道着もあったけど)しか見て無いがなんで宝探し(桜女の連中といちゃつきたい)に行くのに制服着ていくんだ。鮎川の厳命によるものなのか。では何故?

まあ他にもどうでもいいこと色々聞きたかったことあるんですがどうでもいいことだからって勝手に妄想膨らますのもなんかいやったい気もするので、結局は続編作ってそういう部分を見せてくれたらいいのになあという期待に代えているのであります。

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鬼平犯科帳と裸の大将

ハ○ワンとか33○探偵みたいな実験的みたことないものも許容性があり、かような伝え続くものもありとフジテレビは極端の両端を抑えていてこういう心持ちが私好みでありますわ。(以下は無茶苦茶な言葉使いですが勘弁しておくんなまし。)

鬼平にては、役者力ここに極まれりでその迫力たるや画面より満ち溢れんばかりの勢いなりて画面が詰まりし感を与えせしむる空気感をば感じ致し候。それにても料理の描き方たるや益々持ってその描写力に磨きかかりし様相にて至極美味そうに見えしはいたく吟味致したく相成り候。江戸の世は全て人力なれば人と人の距離近くしてその会話妙たるは間、機転共に絶品にて中でも女中衆の会話格別生を感じたり。学を修めし知識あらずとも生くる知恵豊富なるが様誠に逞しきかな。人情の機敏わきまえし平蔵の差配、お元(余貴美子さん)の憐れ、彦十(長門裕之さん)お茶目いとをかし。

裸の大将はあれなんだな。最後ハハアーってなって黄門様みたいだったんだな。でも先代の当たり役で唯一無二だったけどこれはこれでいいんだなきっと。なんかで聞いたことあるけど今度の清は若いからたくさん弾んで貰うみたいな事スタッフさんがテレビで言ってるの聞いたけどその通り色々動いてるんだな走ったり飛んだりして。そこんとこは大きく違うとこなのかなと思ったんだな。

かたやスタッフともども次世代人と入れ替わりしも決して現代に迎合することなくより先鋭化してついてこれずとも致し方なしといった様の気迫すら感じる本格的嗜好。とは申せ舟の進むが様を新しき手法にて描きたるは新鮮にて判り易きものなれど之なる評価分かれるやもと思い候。

こなた当時のスタッフがご健在のうえで新しいキャストを駆使して決して古いものを守るだけでなく今に合わせた作りなんだな。人力ばかりでなくCGとかも使ってるみたいなんだな。弾け具合が増してこれはこれでいいのかな。

どちらもエンディングが始まり時分から思い浮べられて決して捻って観る側に意外性の驚きを与えてくれるものでは決してないけれど、終わりが読めるだけに中盤の飛び跳ね具合がというか終わりに至るまでの寄り道や道草の様が悦のポイントでもありまして俗に言う過程が大事と言うやつですな。それをこれでもかというくらいスペシャルならではの豪華な出演陣の方々が様々にそれぞれのパーツを色とりどりに織り成していて贅沢だよなあと思わずにおれませんです。

もちろん勝手気ままにと言うことではなく、かたやおのが役目を出張ることなく全うされ、こなた自由に舞い踊ってるみたいでその差配の加減が心地よくもあるんだなこれが。もちろん主役の方はその役を演じることによって何を視聴者は観たいのかを熟知した上での誠実さが求められる訳でその芯がぶれないご苦労がおありなのでしょうけど、そういうものを露ほどにも見せないところがまた奥ゆかし。

物語の筋に関しましては突っ込みいれたら粋じゃないって無粋をたしなめられそうなんで特に述べることはありません。空気感を味わうが最良かと存ずる。というか頭使わず能天気に観るのが一番なんだろうなとボクはそう思うんだな。

個人的には方言や言い回しが気になるほうなんですが、森本レオさんは名古屋のご出身でおらすだでうみゃーでかんわぁやっぱし。岸本加世子さんは静岡県出身で山梨とは言葉が近いからでしょうか「らしい言葉はよりらしくそうじゃない言葉はそれなりに」って感じでしょうか。方言は会話で成立するものだと思っているので一人じゃなかなか成立しにくいものですがそういう意味での森本さんの孤軍奮闘振りは見事だなと感心いたします。あの名古屋弁で人物の胡散臭さを表現するアイテムの手段としての方言であるなら確かに効果は抜群でしたけど。

何か新しいものに挑戦する精神であればたとえ不完全であったとしてもそういう作風が好みな私でありますが。健康に良いものばかり食べてると無性にカップ焼きそばみたいなこてこてなものを食べたくなるのとおんなじようなもので(この場合逆ですが)、継がれていく完成品を堪能したくなることがあります。それは代が替わろうとも不変な芯を受け継いでいればOKでありましょうな。

役者さんであろうとも寿命というものは必ず訪れるものでありまして。でもどれほど時代世代が移り変わろうとも支持を受ける不変のヒーローは存在するものです。つまり演じている役者さん、キャメラを向けて作り上げている人がたとえ代替わりしようともたとえ見た目や些細なことに違いを感じたとしても存在がまず優先されるということです。とにもかくにも安心して観れるというのもありがたいものだと再確認できるわけでありまして。私みたいなのでもこういう作品を欲するものなのだなと改めて思いました。

もちろん作られるお方のマンネリとの闘いは私のような観てるだけのど素人では計り知れない苦労がおありなのでしょうけど。ワンパターンの美学とマンネリの惰性は違いますからホント大変なんでしょうね。どちらも視聴者のイメージが固まっている作品なだけに無茶できない部分もあるんでしょうから。でも年に数回は観たくなる欲が湧くドラマ二作であります。

ひとつ思ったことは、こういう作品の裏というか出演者さんの生の声とかメイキングとかは思い描いていたものが崩れてしまいそうで見たくないもんだなと思いましたです。

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*しまいにゃおこるにい

漢字で書くと「終いには怒るにい」。まあ、いい加減にしないと怒るぞという最終通告宣言なのだが、実際はこういう発言してる時点でもう怒っている場合が多い。

この表現が遠州独特かというとそうでもなさそうであるが、日常的に仏の顔も三度までみたいな使い方としてよく使われるので記載。

例文はいつもは会話調にしているが、こういわれると二の句が告げないことが多いので。

例文

「あんたねえ。いつまでとろとろやってるよを。早くしんとしまいにゃおこるにい。」

  (あなたねえ、いつまでとろとろやってるの。早く終わらせないといい加減怒るよ。)

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