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ブラッディ・マンデイその2

敵に渡すな大事なリモコン。さしずめファルコンのリモコンは妹ということのようです。そうはいってもこういう展開というか動機でその力を振るうというのは本家鉄人においてもそうそうは起きてない訳でありまして、あまり続くとくどさが残ります。つまり守るべき者の為に意思に関わらず操られてその力を悪の為に使ってしまう展開ということです。

何事も程々が肝心かと思うのでありますが如何でしょうか。

せっかく「守るというのはこういうことだ。」と有り難い人としての道を訓示されたにも関わらず大事の前の小事に走る様と映る私は現代に生きる人よりも一世代古いタイプの人間なんでしょうか。なんか自信がなくなって参りました。

きちんと観直した上で書きたいところなんですがなんせ電波がもう浜松は冬のモードに突入していてアナログ放送の方はパルスノイズが舞い始めていて見づらいんで一回こっきり観ただけでの浅い感想になりますので粗相がありましたらごめんなんしょ。

それにしても相変わらず文字を入力した時のタイプライターの効果音がいいなあ。私も欲しいなと。

それとファルコンがハッキングする際の映像は分かりやすく尚且つスリリング・スピーディで見ていて気持ちいいです。

今回の流れは第一犠牲者(江口さん)の受難とスパイ大作戦並のハラハラドキドキな家宅捜査。

江口のりこさんがこれでお終いなのは至極残念ですがとにかく良かったですわ。普通過ぎるほど普通に生活感が滲み出てくる普通の人の役でありましたが、目立つが勝ちみたいな個性(インパクト)のオンパレードみたいな様相の役者さんの世界でこういう当たり前な普通をリアル(生活臭漂いながら)でありながら画(観れる)として成立させて表現できるお方はそうはおられず、逆にそれが個性とも思えてくる感じすら受けます。

普通の人が虫けらのように命を粗末に扱われる。その冷酷な運命に対して心や行動が崩壊するでもなく最後感謝の気持ちをネットを通して伝えて亡くなって逝く。しかしその心を踏み潰すような書き込みをする人・人。芦名さんの涙がよく理解できた儚き生き様でありました。

そしてもうひとつのテーマのスパイ大作戦。クリスマスのトリックは成程でしたが、意に反して早く帰宅してしまうという予定外の緊急脱出を余儀なくされたのですが。見事無事一難乗り越えて玄関前にて脱出と相成ったんですが、あれってどういう密室からの脱出方法を取ったんでしょうか。私の知恵ではそのトリックが解けませんです。是非とも来週種明かしして欲しいものです。

それにしても意図的なんでしょうけど出てくる人物みんな怪しげに映されてます。この回は吉沢悠さんと佐藤健さんを始めとした新聞部の連中を特に怪しげに映されてるように見えました。犯行グループをチラリと見せておられましたが決して老獪な年齢集団と言うわけではなくむしろ若者程の年齢層にも映ってみえましたんで、新聞部の誰かだって犯行グループの一員でありえそうな気にすらなってきました。

前のドラマでは喫煙のお断りを入れ、今度はハッキングについてのお断りを入れと、この時間帯のTBSのドラマは視聴者に対する影響というものを考えるととてもスレスレの領域を滑空している風にも思えます。そこまで劇薬使わないとスケール感が出てこないんだろうな日本って国は表面上は安全と信頼で成り立ってる国なんだなと改めて思いました。だって歪みつつはあるけれど一応まだお断り入れればセーフなんですから。洒落にならないことをドラマでやってる訳じゃないまだ絵空事だとしてドラマを解釈できているのですから。

もちろん批判なぞではなく現実と混同させない配慮をきちんとなされてるんだろうなと思っただけのことです。真似されたら堪らないですからね。

土曜日が楽しくなるくらいこのドラマ面白いですよ文句なく。希望を言えばやっぱ敵に渡すな大事なリモコンですけど。とにかく謎の全てが殆ど解明されてない状態なんで雲を掴むような未来予想はしないで起きてる事象を素直に勘繰らず観る事にしました。でもあの部屋脱出のトリックはさっぱり分からない、非常におもしろい。○川先生にでも相談して解いてもらわないと。

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そういう運転こええぞ

通勤でぽんぽん(バイク)を使っていますです。急制動にせよ瞬時の回避にせよ多少は車より敏捷に動けるし、第一生半可な車間距離なんざ空けてた日にゃああんた、バイク小さいからって馬鹿にして直ぐ割り込んで来る不届き者が多いと言うせちがらいバイクに対するこの世の中、皆様如何お過ごしでせうか。

なんぞと呑気な出だしとは裏腹にやけに腹が立ってのこの記事でさあね。

いやね、そのこと自体は大分前からムカっとは来てたんすわ実は。でもポンポンなら避けれるし乗ってること自体快感だしヘルメットの中で「バカヤロー!」と叫んでしまえばすっきりしてしまって結構忘れるに早いんで覚えてない。降りたら何にふくれてたんだっけ?と思い出せないくらいですわ。で、また同じ状況になると思い出して「バカヤロー!」と叫ぶことの繰り返しだったんですわ。

でもちいと野暮なことがあってポンポンじゃなくて車で通ったんですわやっとかぶりに。そうしたら同じ目に逢ってしまったんですなこれまた。

車は正直楽チンには違いないけど楽しくなくて。そのせいか家に帰ってもこのムカムカが収まらなくて、せっかくブログ書いてるんだからまた忘れないように書いとこうと思った次第で。

前置きが随分長くなりましたが、要は何を言いたいのかと言うとですな車・バイクに関わらず

「曲がるんならウィンカー出してからブレーキ踏め!」

ということですわ。私だって前の車両をがん見して他にはわき目も振らず運転してる訳じゃなくて前後左右は見て運転してますですよ。だからこの状況においてならブレーキ踏む状況じゃないとか判断して走ってます。そりゃ急な飛び出しとかなら文句たれませんよもちろん。でもですなあ自分が曲がりたいからって先にブレーキ踏むなってゆうの。後ろについてる方からしたらなんでこんなとこでブレーキなんかと慌てますわホント。

ウィンカー出せばあ!減速するなって分かりますから心の準備ってもんが出来ますわ。それをいきなりブレーキたあ、ホントあせりますわ。

もう一度言いますけど

「曲がるならウィンカー出してからブレーキ踏め!」

これが交通教則とかに載ってる正当な運転ルール(マナー)かどうかは知りませんが実際やられて見なさいってホント怖い思いしますから。

そんでついでに言わしてもらえば、もっと非道いのが曲がると同時にウィンカー出す奴。後ろについてても上記の通り怖い思いするんですが対向車の時も右折でそんなことやらかされたら驚きの領域ですわ。もう絶対そいつが距離感とか速度感読み違えてたらこっちがは唖然が先でそしてブレーキとなるんでどうしても遅れ気味になって踏んでも間に合いませんて。挙句の果てにこっちが急ブレーキになる訳だからおかま掘られる危険性だって出て来るんだから。しかもそういう奴って癖として身にこびりついていて反省の色なしなのが多い。休日ドライバーの慌ててしまって順番逆とかは「しょーがねーなー。」とか思ったりしますけど、エラそうなスピード出してそういうことする奴はなんとかしてよと言いたくなりますわ。スピード落とさずノーブレーキで曲がれるならとやかく言いませんがそんな技術もないのならそういうことするなと言いたくなります。

書いてすっきりする訳じゃないけれど、いつもは直ぐ忘れてしまうので憶えておこうと。そして自分はそうならないよう注意しようという教訓とするために。以上運転すると性格が変わると言われる男の愚痴でした。

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*さんざっぱら

よく使う言葉なのだが、じゃあ共通語に訳せとなるとはたと困る言葉である。そもそもこれ自体共通語だからだろうか。

「さんざっぱら使っといて」だと「使うだけ使っといて」と訳すのが妥当か。

「さんざっぱらな目に逢った」なら「散々な目に逢った」となるので、「散々」という訳で良いかと言うとそうでもない。

「さんざっぱら三方っぱらで迷った」だと「これでもかというくらい三方原で迷った」という訳になる「さんざっぱら」。

検索してみると、群馬の方言でもあるようで、「甚だしい様・量や回数が多い様」と説明されている。分布的には関東辺りの方言とされてるようであるが遠州でも使われている言葉である。意味的には大体そうなので多分同じ用法であろうと思われる。

広い地域にわたる表現であるが「~っぱら」という言い回しは非常に遠州弁っぽい感じがする。

例文

「なによーさんざっぱら売れ売れっつっといてこんだあ売るなだ?」

  (なんだよ。あれだけ売れ売れって言っておいて今度は売るなってどういうことだよ。)

「しょんないじゃん。生産追いつかんっちゅうだもん。」

  (しょうがないだろ生産が追いつかないって言うんだから。)

「えらいさんはなに考えてるよー。売る方の身にもなれっつうだよ。」

  (お偉いさんは何考えてるんだ。売る方の身にもなれっていうの。)

「まあそーいわすとお。何もまるきし売るなって訳じゃないだで。」

「おめーなあ。ひたすら頭下げてきて、こんだあ売れんじゃ信用なくすにい。」

夢見たいな話しである。例だから幾らでも書けるけど。

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最近のとくダネ!ぶっとんでないかい

私は宵っ張りなんで朝は全く不稼動な精神状態に陥っておりまして。それでもニュース(芸能ニュースも含めて)は知らなきゃと一応思っていて、録画して勝手な都合のいい時に見ると言うタイムラグのあるリアルニュースを見る毎日を送ってます。

録画してるのはめざましテレビととくダネ!なんですが

ここんとこのとくダネ!なんかぶっとんでないかい?と思えてくる今日この頃です。

というのも時間的に多くの人は会社や学校で家を空けている時間帯で視聴者の対象は主婦を含めた家事に従事されてる方だと無い頭で考えるとそう思えるんですわ。

にも拘らず、今日のゲストさんはなんとキース・エマーソンさんでんがな。エマーソンレイクアンドパーマのキースさんでんがな。全く予期してなかったんでその登場には驚愕天地でしたわ、いやホント。よくぞ朝っぱらから出てくれましたと感謝したいところです。

でもですよ、その演奏を聞き入ってる小倉さんと諸星さんの嬉しそうなというよりも嬉々とした表情が物語る通り、その以前の活躍の凄さを実感したうえで今日の演奏を聴いてる人ってこの時間帯の視聴者さんにどんだけの割合でおられるんだろうと思ってしまったりもする訳ですよ。もちろん過去の実績というだけでなく今も尚ご健在で活躍されておられる様を紹介しているのですから単なる懐古主義の懐メロという趣ではなく「今」いいものを周知しておらるるのですが。

猫に小判などとは絶対言いませんけど、今までにもとくダネ!で取り上げたものをネタにしてブログ記事にすると結構アクセス数が増えるんですよ。それだけ深く掘り下げてるから、見てない(見れない)人が興味を持っていることは確かなようです。

番組の傾向は、大きな事件とかが起こると即座に反応した上でどこよりも時間をかけて情報を報道する「ちょっと奥さん知ってる?」みたいな井戸端会話に有効な情報源のような時と、今回のようなエンターテイメントの趣味に突っ走る時とがあってそういう意味では当たり外れ(あくまで嗜好の問題ですが)の波が高く。というか情報の種類が半端ねえという幅があるので個人的には面白い時とそうでない時のギャップが激しいと感じてるのですが。個人的嗜好ついでにいうとCmの裏側と役者さんのロングインタビューははずれなしって勢いで楽しみにしてます。できれば監督さん・プロデューサーさんとかにもインタビューして欲しいくらいです。

それにしても朝からキース・エマーソンかあという感慨は深いです。今日はぶっ飛びましたとにかく。ガネーシャの教えじゃないですけど今日はついてるというか「運がいい!」。

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夢をかなえるゾウその4(第3話)

今回の教えは、先週からの「左手を使え」(違う視点でものを見よ)・「合コンで黙る」(人の話を聞け)・「合コンで全員を好きになる」(一期一会の精神)・「合コンで二次会に行かずに帰る」・「大きな声で挨拶をする」・「この世で一番興味の無い男とデートする」。最後の課題以外をなんでと理解不能ながらも実践したところなんと実を結びそうな予感ということで次週に続くという展開でした。

いわば種蒔く姿が描かれていたということなんでしょうか。それにしても強烈な種蒔きの光景でした。リアルな世界だったら彼氏どころか友達も失くしそうな危ない人にしか見えません。あれで次の日いつものように無駄話しできる彼女達の神経が不思議でもありました。恥ずかしがっていてはいけないという影の教えにでもなってるんですかねえ。最後の課題もまだ実行されてませんがどうなるんでしょうね。っていうかどういう意味があるんだ?一体。

合コンと言う合戦場における修羅の如き様と振る舞いは私には見るに耐え難い状況にて、あれをコメディとして笑える精神を私は持ち合わせておらず悲惨としか映りませんでした。従って殆ど見てられず仕舞いでありました。

なのでありがたき課題や教えも私には身に入らず今回スルーと相成りました。

でもメデューサの装いは画として成立してて、ホント水川さんって大抵のことは似合ってしまうお方なんだなと。なにかと苦手が存在しないオールラウンドプレーヤー的な強みを感じましたです。お美しいかはもちろん別のお話しですが。

とにかく今回はしんどかったです見ていて。私の不得手な部分がなにかを改めて確認させていただけたと言う意味で参考になった回ではありましたけど。

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*はああいただ?

もう飽きたの?と言う意味。?を取って語尾が下がると、もう飽きちゃったのかと言う意味になる。

例文

爺「あれえなんでここにいるよー。おんもで犬かまってたじゃないだか。」

  (おやあどうしてここにいるの。お外で犬と遊んでたんじゃないの?)

孫「はああいた。」

  (もう飽きた。)

爺「はああいただ。そんじゃトランプせるか?」

  (もう飽きたんだ。それじゃあトランプしようか。)

孫「他んのない?」

  (他に無い?)

爺「それもはああいただ?飽くに早いなあやあ。」

  (それももう飽きたのかい。飽きるのが早いなあ。)

母「じいじ。だからっつって新しいの買ってやっちゃかんにい癖んなるで。」

  (おじいちゃん言うこと聞いて新しいおもちゃなんか買わないでよ癖になるから。)

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EVER AIR@(前)を読んで

水月蓉さんのブログでとても読み応えのある記事(小説?)が発表されました。まだ前編ですので物語として言いも悪いも判断しようがないのですがとても惹き込まれるお話しが繰り広げられてます。

私は今までとんでもない卵だと知らずに応援というか見てたのかな。こういうストーリーテラーの素養を隠し持っていたなんて知らなかったですわ。贔屓の引き倒しかもしれないですけど普通(プロの作品として)にマンガとかドラマで見るようなものに近づきつつあるのではと。

恒に言葉ひとつひとつにこだわりを見せてきておられるんで、てっきり詩の世界のお方かと感じていたんですけどこんだけ展開の妙と発想の新鮮さを持ち合わせてるとは知りませんでした。表現力も短文で書いてる時と変わらぬパワーで。やっぱ若いってのは凄いなあとその持続力に感心するばかりです。

物語は前編ということで筋をどうたらこうたら言うには早過ぎるので概要とかは書きませんが、映二もまた吉崎と同じで透子には見せない裏の顔が実はあってスケッチに描かれた少女が透子になる(する)んじゃないのかという疑心暗鬼にさせる不気味さも感じました。つまり映二は連続殺人をしてるんじゃないのかと思ってしまったということです。そしてターゲットは透子なんじゃないのかと。そういうスリル感の演出が意図したものであるのならサスペンスも書けるというのかあと。(もっとも24歳が少女か?ちゃんと読めよという私に対するつっこみはありましょうが)こういうとこで殺人が行なわれるかもしれません一緒に探して防ぎましょうとか言って現場に連れ込んで今度の快楽殺人被害者はあなた(透子)って筋書きかなと私には思えたんですから。でも違ってたんですけどこういう惑わしも騙されて気持ちいい感じです。

独創的な表現を目指しておられる方で、仰々しくであろうと思われるところを行行しくと表現される意図が読めないのとか「ど○り」というそれで悩んでおられる方にとっては残酷な表現が飛んだりといった荒々しさが見え隠れするのですが、台詞が感情の発露というものでなくコミニケーションの手段としてリアルになっているし、登場人物に名前を配すなど読み手の利便を図られたプロ仕様と言う感じがしてきます。なにより画として光景が浮かんでくる感じは今までの中で一番と感じます。

映二も透子も年端も行かぬころから「死」と出会い続けている。そういう背景がきちんと描かれていて特異な能力を持ち得ても不思議に思わせない説得力が生まれてますし、同じ境遇を有する同士が疑心を抱えていたとしても相手を理解しうる素養を持ってるのも頷けますです。

ただあまり本を読まない人間の感想としましては、二人が現場の場所を探すくだりは後頭部が痛くなってきました。あそこはテンポアップというか短いセンテンスでポンポンと行くスピード感の切り替えが欲しかったです。もちろんおめえが本読みなれてないせいだと言われてしまえばそれまでのあくまで個人的な想いの話しですけど。

とにかく後編が愉しみであります。でもやっぱ縦書きで読みたいっす。

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セレブと貧乏太郎その1

パパラッチが登場する辺りは多少現実離れした御伽噺から脱却してるのかな。こう言う作品って多くは都合の良いときだけ荒らしまくるけど、ドラマの核心部分になると必ず姿を消していくっていうのが相場になってますから。このドラマではどうなるんでしょうかメディアの存在。

身分の違う男女の恋物語であるのなら、階級社会ではなくなりつつある現代では貴族と平民と言うわけには行かず。金か才能の格差によって出来る身分の違いを表わしているようです。ただ太郎はチャンスと運に恵まれていないだけで才能がないかどうかは分かりません。だからスタート時点は雌伏の時で回を重ねる毎に羽ばたいていく可能性もありうる訳ですなこれが。その引き上げてくれるのがアリスということなんでしょうか。もっともどんな状況でも明るく生きれるという才能はもう全開で発揮してそうですけど。太郎の幸せは明確で子供たちの喜ぶ顔を見たいということでしょう。

そうはいっても対のアリス(上戸さん)が至福の人生を送っているかと言うとそうでも無いらしく、必ずしも今の現状に満足してる訳でもなさそうです。不満足な理由は義理の母との不仲らしいと想像されますが、アリスが求める幸せが何なのか第1話だけではまだ見えてきませんでした。ってそういうのあるのかどうかすら不明でした。セレブと言うものは不満足を消去してけば幸福しか残らないのかもしれません。

もしこの二人が繋がるとしたら方法は二つ。太郎がのし上がってアリスに追いつく。もうひとつはアリスが全てを放棄して太郎の下に降臨する。

二人が繋がらなかったら、出会ったことで触発されてお互いのいいとこを吸収して分かれた後それぞれ元の世界に戻ってそれを活かして行く。

どう言う展開なんでしょうか。それとも他にもパターンあるんですかねえ今まで見たこと無いようなのが。

上の子どこぞで見たよなあと思い返せば、あ~天才の卵君だ。子供ってあっという間に大きくなるイメージあるけどあんまし変わってないなあ。ってエジソンの母まだ今年のドラマだった。あん時はお父さんおらんかったけど今度はおかあちゃんおらずかあ。でもこういう親が情けないと子供は聞き分けが良く立派に育つのが鉄則。

貧乏してても明るく生きるっていうとどうしても最近の「山田○○物語」とだぶるというか比較してしまうかというか、かぶってしまうのですが。こっちの方がかぶいてる感じは上地さんの跳ね方から感じます。それにだるま食堂に集う面々の明るさがより朗らかさをバックアップしているようで観ていて陽気になれますです。

観る前は、上戸さんがセレブに見えるかどうかがポイントかなと踏んでいたんですが、よくよく考えてみれば私の周りにセレブなんておりませんのでセレブらしいかどうかなんて分からないんで、アリス観てああこういうのがセレブなんだと勉強するようなもんでした。むしろ貧乏仲間の方がらしいからしくないか判断する基準が自分の中にあるのでそっちの方に嘘くさいかどうかを感知するアンテナが向いています。太郎には貧乏ゆえの卑屈さが皆無で、もう奇跡の領域のように映ります。本当にこんな奴いたらいいなと思わせるかどうかが鍵なんでしょうね。

国仲涼子さんは幼馴染みの役なんですが、設定はともかくこういう見守ると言うか自分の本当の想いを抑えてと言うか、一歩下がる(下がりそう)な役をよく見かけるイメージがあります。っていっても「そのときは彼によろしく」のイメージひきづってるだけなんですけどね。そのはかなさが早くも見え隠れするように映るのははたして眼の錯覚なんでしょうか。アリスがいなければ太郎といつか結ばれただろうなと思わせる空気感が漂います。どうなるんでしょうか。

ちと気になったのが、最初の出会いで差し伸べられた泥にまみれた作業軍手を「汚い」といってはねのけたお方が、卵掛けご飯を食べに来た際、気にせず部屋に上がり尚且つ食すことが出来たのはこの人の汚いという基準はどこにあるんだろうかと思ってしまいました。しかもあんだけがん見されて落ち着いて味わうことが出来るって。セレブってのは不可思議なものだと。私だったらあんだけ見られてたら味分かりませんて。古来女性は食べる際は手で口元を隠すのが作法だった筈。そういったものは引き継がれてはいないようです。まさにニュータイプという類なんでしょうか。それとも親は成り上がりでその2世ということなのか。いずれにせよ恒に誰かの視線を浴びて誰かが従者として付き従っているセレブという人種にとっては他人の視線なぞにいちいち構ってはいられない平民には計り知れないことのようでした。でも美味しそうに食されてましたね。食べてみたくなってしまいました。

で、この回の山というか味噌というか鶏(朝子)にまつわるお話しは、朝子を介した愛情とはと言うお話しでありました。貧乏なのにお金がとっても欲しいのに幾らでも出すから売ってくれと誘われても「家族だから。」とけんもほろろにあっさり断る太郎がさりげないけどかっこよかったです。

まあ真の見せ場はファッションショーなんでしょうけど朴念仁にはなんのこっちゃか分かりませんで。特に感想はございません。デザインの搾取と勘違いしてショーをぶち壊しに行く太郎に将来があるとは思えないと普通に考えれば後で詰問すべきでしょうに思い立ったが吉日とばかりに即公然と弾劾せしむるとはいやはや「おのこ」ですなあ馬鹿の付く。

ドラマらしい展開で華がありますが、あまり素っ頓狂が過ぎると疲れますんでそこはかとなく進んで欲しいとこでありました。まあとにかくの大団円で、これでお終いお終いでも十分成立するような展開でした。第1話ということでゴージャスなサービス展開でスペシャルであって以降はもう少し足が地に着いた感じで進んでくれたなら、下町っぽい人達も面白そうだし愉しいドラマになりそうな感じがしました。あまり期待感なかったんですが観たら結構面白そうでありました。

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*かやす その2

以前書いた記事で「かやす」を返すと訳したが、その補足。というか思いつきの根拠のない想像。(妄想ともいえなくもない。)

「かやす」は単純に「かえす」が訛った訳ではなく、遠州弁では両方を使い分けしている。

「かやす」は借りたものを返す場合に使われることが多く、「聞き返す・言い返す」を「聞きかやす・言いかやす」とは言わない。

「金返す・傘返す」は「金かやす・傘かやす」とは使う。

辞書を引くと現代国語辞典には載っていないが、古語辞典には「かやす・かへすのなまり。」とある。

(上記は事実、下記は想像)

つまり大昔から存在していた言葉であるらしいが、言い過ぎかもしれないが遠州弁での使い方は借えす(こんな字は無いが)と書いても罰が当たらない使い方に偏っている。

ただし絶対的にそうだとは言い切れず「裏だで表にかやすに」(裏だから表に戻すよ)という使い方も存在するので仮説に過ぎないのではあるが。

そういう点では「戻す」・「元の状態にする」みたいな意味を持っているのかもしれない。じゃ「むしかえす」を「むしかやす」と言うかと言うとそうでもない。

なにをいってるのか分からなくなってきた。やはりこの案は妄想なのだろうか。

例文

「これ、かやいてきて。」

  (これ、返してきて。)

「どこにい。」

  (どこへ?)

「あんた持ってきただら?どっから持ってきたよぉあんた。そこんさあにかやすだあれ。」

  (あなたが持ってきたんでしょう。どっから持って来たか憶えてるでしょ?持ってきた所に戻してきてよ。)

「なんで?」

「なんでって当然だらあ。」

  (なんでって当然でしょうに。)

「だってかっさらって来ただもんでかやしゃとんまさるわ。」

  (だって勝手に拝借して来た物だから返せば捕まっちゃうよ。)

「やっ!馬鹿っつらあ。」

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チーム・バチスタの栄光その1

映画を観てるんで、どうしてもテレビドラマと映画とを見比べてしまうので大人しく黙って観ようと思っていたのですが。随分と装いが異なるので、ここまで別物になってるのならひゃあひゃあこいても良かんべえと。ゆうときますが原作は読んでませんですハイ。

仲村トオルさんがいいですよねえ。伊藤淳史さんが誠実でくそ真面目な役柄らしく、にやっと出来るお笑い一歩手前みたいな明るさを白鳥(仲村さん)一人で背負いそうな感じですが。なんだこいつと思える手前で抑えた白鳥の馴れ馴れしさがこの回唯一の明るさでした。でもいつまでも一人だけ跳ねてると浮きまくる危険性があるようにも思えちゃうんですけどどうなんですかねえそこんとこは。じゃ二人ならいいのかという話しにもなりますけど。

そういえば売り言葉が「原作とは異なる衝撃の結末」というものでしたが、「映画とも違う」とは売ってませんでしたからそこんとこはどうなるんでしょうかね一体。

とにかく映画で観た伏線とかがありませんでしたし、映画では全体がともすれば静かで陰鬱に飲み込まれそうな全体の空気感の中において田口と白鳥が掛け合い漫才みたいに丁々発止して明の部分を醸し出していましたが、この回見る限りだとそういう役割分担さえも異なるようです。

そんなこんなでストーリー展開の話しをしちゃうと見比べの感想というか相違点の報告になってしまうのでお話しとは関係ない感想をば。

名取裕子さんが藤原という看護師の総元締めの役。いわゆる長老みたいな存在の役をおやりになられてるのが印象に残りました。そういうおきゃんじゃない落ち着いた迫力が身に付かれたんですねえ。言葉を変えれば先陣切って最前線というのではなく後方ででんと構える感じ?年齢的に私と近いのでまかり間違ってもそういう歳になったんだとは決していいたくないです。が、歳相応の役なのかなと思ってみたりもします。(役と言うのは町内会とかの役回りでいうところの青年団とは呼ばれなくなるという意味の役です。)酸いも甘いもかみ分けたと言った風の雰囲気に違和感がないです。歩き方といい立ち姿といい雰囲気出てます。地ではなくまだまだ若いけどあくまでお芝居としてこういう表現されてると信じてますけど。で、まあ、ドラマの中では明るさ(陽気さ)を表現される役どころなんでしょうか。それとも看護師ネットワークを駆使して田口を支える情報屋として活躍されるんでしょうか。

院長が調査の依頼を田口にするのですが、田口本人も口にしてましたけどなんで?という感覚が私にもありました。その理由は院長のみが知るって感じで、なんか蚊帳の外に感じました。おそらく犯人が最後判ると言う展開でしょうから田口の力量を追々思い知るがいいということなんでしょうが、なんで田口を指名したかを相棒の白鳥辺りに説明する形で提示して欲しい気がしますです。どこをどうみて田口の潜在能力を院長は知ったのかということを。

流れは今回桐生が田口に心を開いた回と言う感じの回でもあり、ひとりづつチームのメンバーの閉ざされた心を田口が氷解させていく展開なんでしょうか。残り7名。そのパターンで7話までいくんでしょうかねえ。でも白鳥が本格参戦来週からしそうですからそうはならない可能性も大きい。普通は犯人が分かるのは最終回。どのようにそこまでもっていくのか。また伏線はどのように張られているのか。もう張ってあるんでしょうかねえ見直してもよく分かりませんでした。

で、田口の家族が出て来るのはなんか新鮮でした。今後どう関わってくるんですかねえ。沈鬱になりかかる病院の暗い空気をこの家族で明るく吹き飛ばすという効能狙いなんでしょうか。

とにかく面白いです。手術の緊迫感とかは映画に分がある感じはしますがそれはいうてもせんなきことでしょうから、とにかく役者パワーを愛でたいところです。

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*そんでなによを

直訳すれば、それでなによと言うことになるが、追求と言うか突き詰めるようなニュアンスは薄く意味的にはあまり深い意味はない。どちらかといえば、話しの流れを変えたい時とかに使うことが多い。

なのでニュアンス的には、「それでね」とか「あのー」とか「とにかく」とかいう風に訳した方がいい場合が多い。

例文

「そんでなによを。ここんさあで店広げていいだって?」

  (とにかくさあ。ここを使ってもいいって?)

「芝生入るなって看板あるでまずいらあ。」

  (芝生に入るなって看板あるからまずいんじゃないの?)

「いいだか悪いだか聞いて来いっつうの。おんしゃの意見なんかきいちゃいんわ。」

  (君の意見なんか聞いてないよ。いいのか悪いのか聞いてきなって言ってるの!)

注、例文での「店広げる」(みせひろげる)は、商売を始めるということではなく、花見やキャンプとかでビニールシート広げてお弁当とか道具とかを置いていいのかという意味で使われている。

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草むしりが大変そうな

久し振りに随分と前に寄らせて頂いてたHPに行きました。そうしたらそこのBBSの書き込みが荒れ放題で足の踏み場も無いような状態だった。

なにしろ不用意に書き込み見ようとクリックなんかしようものならとんでもないサイトに引っ張られそうなタイトルばかりで。管理人さんが意欲をなくしてしまうと荒れ放題になるもんだと。まるで休耕田みたいなもんかと思ってしまいました。でも休耕田であろうと今も尚作物を作っていようとも邪まな書き込み(雑草)は所構わず生えて来るわけで、ホント管理人さんて大変だなと思わずにはおれなかったです。

そういうえば今日、情報番組でお隣の国のネット中傷の実情をリポートするというものが流れてました。あまりの誹謗中傷で役者さんの自殺者まで出てしまうと言う状況だそうです。ご本人へのものに限らず役柄に対してと言うか役とご本人が同一化された上での発言にもなってるものもあるそうな。

日本でも昔悪役専門の役者さんが、悪党の子供ということでお子さんがいじめの対象になって辛かったとかいうのをテレビでのインタビューで述べられていたのを記憶してます。そういう誤解を悪役商会さんとかが活動されて役と人は違うのだと言うことを普及に努められて、今では役のイメージを本人に被せるような人は少なくなっているように思います。

まあお隣の国はあまり草むしりをされないお国柄のようでこれを実らせるんだと言う目的意識をもって田畑を維持管理してるのではなくて、管理人は手入れせず自然のままに実が生るを待つという感じなんでしょうか。なんの実が生るかは運に任せて。様々な国で同じようなシステムの中で書き込みがなされてるにしてはその普及率が世界最高水準ということはあるにしても特筆すべき(ニュースになる)事象であるということは何を暗示してるのか。私では解けないですしテレビでも結論づけておられませんでした。とりあえず我が身はどうかと振り返るのみです。

1・悪意を持たない。もしそう思ったら書かない。怒らない怒らないという平常心が大切か。

2・相手を意識する。書かせていただいたお方の目に留まるようなことは決して無いにしてもその方が読まれても不快と感じないか考える。自意識過剰であってもそう考えた方がいいような。もし自分がそういわれたらどう思うかと仮定してみることも必要か。

3・もし匿名としてではなく実名で発言したらどう見られるのか想像してみる。批判や悪口ばかり言う奴は嫌われる。これ世間の常識ですから。

さあどうだ?

1は出来てる筈だけど2と3は出来て無いなあ自分。3は特に匿名性の仮面があるからこそ言えるありがたみを感じてるからなあ。思った事書き殴ってるもんなあ。

詰まる所自分も明日は我が身ということか。なんて奴らだといえる身分ではなさそうだ。気をつけよう。少なくとも感想・希望と非難の区別だけは意識しないと。私のような努力もなにもしていない輩(やから)が所詮影響力なんて無いのだからと都合のいいように考えて感情の赴くままに第一線で努力し頑張って活躍なさってる方を貶めるようなことになることだけは避けないと。

まあ、観光地や公園とかで皆が捨ててるんだから自分だっていいじゃないかという理屈と同じで、みんな書いてるから自分もという考えだけはひねくれてますから私してないつもりなんですけどね。文章が拙いせいで誤解を招くのはどうしようもないですけどとにもかくにも最低限悪意だけは持たないようにしないと。

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*きいちゃいんにい

「聞いてないよ」と言っている。

「きいちゃいんだ」(聞いて無いんだ)・「きいちゃいんもん」(聞いてないもの)を強めにした表現で、「そんなの聞いていないよ」といった突っぱねるニュアンスが増す。

「きいちゃへんにい」と「いん」を「へん」に替えても意味は変わらない。蛇足だが「きいちゃへんだ」だと「(あなたは)聞いていないんだ」ということになる。

どちらかというと私は悪くない(無関係)というニュアンスを含む感じになることが多い。

「聞いてへんにい・聞いてんにい」もほぼ同じ意味。

例文

「だれんそんなこんせろっつったよー。」

  (誰がそんなことやれって言ったの?)

「班長が言ったじゃん。」

  (班長が言ったでしょ。)

「きいちゃいんにい。いつう。」

  (聞いて無いよ。いつ言った?)

「きんのう。終わりのミーティングでえ。」

  (昨日。終わりのミーティングで。)

「しいらんやあ。」

  (覚えがない。)

「いたらあ。聞いてんほう悪いだで、なんしょやらんとかんだにい。」

  (居たでしょ?聞いてない方が悪いんだから。とにかくやらないと駄目なんだからね。)

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月探査機かぐやの番組10/13

今日は風邪治りかけということで外出自重?言い訳?して映画館にも行かずDVDも観ず夏バテ以降のパターンである休みの日は家でほげっとをしてました。で、見たいものも無いのでなんとなく見てましたこの番組を。そしたら面白かったです

番組内で言ってた月に水の存在云々が新発見じゃないですけど、源頼朝や足利尊氏の肖像画だと教科書で教わったことが覆る今日この頃。常識と真実は異なる訳だと思い知らされる日々でありまして、そういう屁理屈をはからずも立証するような新しい情報に溢れた番組でした。

あそこまで細部まで見れるならアポロ月面着陸の際に立てたアメリカ国旗とかも見えるのか知らむと思ってしまいました。アポロ捏造説というのは着陸船のロケット噴射痕がかぐやによって確認され捏造ではないと証明されたとかいうのをなんかで読んだような気がするのですが。さすがにもっと明確な証拠であろう旗までは映せないのかなと。

まあ、おちゃらけはともかくとして、研究されてる方々の地道と言う表現じゃ足りないくらいの根気の要る人力パワーには驚かされました。好きこそものの上手なれと言いますが、どこからああいう継続するパワーが湧いてくるんでしょうかねえ。やっぱ営業だノルマ達成だのという抑圧がないからなんでしょうか。好奇心(探究心)のパワーって凄いんだなあと改めて思いました。

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トンスラ

三木聡監督に注目しているのでトンスラ観たかったんです。ストーリーとか出演者とか詳しく知らなくても好奇心からではない興味で。

でも静岡県では放送されない運命のようでありまして。な~んだという勢いでありましたが日テレのHP漁っていたらトンスラなんと太っ腹なことに全編配信されてることに気づきました。で、観ましたです2話一遍に。

1話と2話の大まかな展開はスランプなのか才能の枯渇したかなのかのいづれかの若き時代の寵児だった(過去形)女流作家とその作家からの原稿を疑いもせずひたすらもらおう(作って貰う)と努める編集者との作品が出来るための生みの苦しみを描いたように思えました。(まだ出来て無いみたいですけど)

いきなりミカ(吉高さん)の部屋が辛苦ならぬ真紅の装いで、赤嫌いの私としては思いっきり引く感じでありまして愉しめるかどうか自信がなくなりました。自らを奮い立たせるための赤なんでしょうか。それでも書けてない様ですので効果が無いのなら出来たら落ち着いた色とかに模様替えして欲しいなと。

退廃というか日差しを嫌う陰な空間での密室二人劇。過去の記憶を呼び戻すシーンでなんかほっとして気を取り戻して密室劇に挑むという心持ちで観ました。できればもっと気分転換する意味でもCm挿んで欲しいくらいでした。

なんか舞台のお芝居観てるようで、温水さん絡みでいくとロス:タイム:ライフでの最終回とほぼ同じのような空気感に感じました。別にワンパターンと言う意味ではないですよ。近いものを探すとということです。

監督さんが持ち回りで作られているらしく、そのせいなのかあえてなのかミカの感情の激と癇と緩の使い分けを強調したのか1話と2話では大分イメージが異なって見えました。ヤブ(温水さん)には特に変化は感じられなかったので意図的に緩急つけられてるんでしょうけど吉高さんの振れ具合が半端ないす。あんだけヤブを虐げてもそういうことする傲慢不遜なミカに厭味さを感じないのは吉高さんの発する空気感によるものなんでしょうか。それとも作家と言う芸術家だから狂気を抱えていても不思議じゃないと思ってるからなんでしょうか。

とにかくやってることを落ち着いて考えれば非道な振る舞いばかりのミカながら何故か憎たらしいと思わせないとこがいいんだろうなと思えるのと、虐げられる一方のヤブが温水さんだから幸せとまではいかなくてもそれでも満足しているオーラが滲んでいて、ミカの激とヤブの和みがぶつかっておかしな空気感を醸し出してるようです。

個人的には引き出し開けたらカレー・蕎麦・シチュー・鍋だった攻撃が笑えましたし、1話で江口のりこさん出とらして得した気分にはなりました。海のいけにえはどうも好きではなかったですけど。赤の世界は模様替えして欲しいな。

吉高由里子フリークの方なら必見と言える位インパクトありますが、三木作品のぬるま湯的脱力系のゆるさは若干影を潜めてる印象を受けまして、観る前の思い描いていたイメージとは異なる感じです。慣れるのにちょっと時間がかかりそうです。ただ見せて貰って言うのもなんですけど、やっぱりパソコン画面でなくテレビサイズできちんと観たい欲が出るです。

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*きいちゃいんだ?

聞いてないの?と言う意味。?をとって語尾が上がらない「聞いちゃいんだ」だと「聞いてないんだ」という意味になる。

もちろん聞くに限らずやる・する等にも使われる言い回しである。

例文

「こないだのあれどうなっただって?」

  (このあいだのあれどうなったんだって?)

「あれってなによー。」

  (あれって何?)

「聞いちゃいんだ?」

  (聞いてないの?)

「聞いちゃいんだ。」

  (聞いてないよ。)

「あっそう聞いちゃいんだ。」

  (あっそう聞いてないんだ。)

「なに?なに?きんなるやあ、おせえて。」

  (なんだよ気になるなあ教えてくれよ。)

「いや聞いちゃいんならいいわ。」

  (いや聞いてないならいいや。)

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無料のしくみの説明が欲しいな

ニフティとスクウェア・エニックスが共同でニコッとタウンという仮想生活つきコミュニティというものを始めている。(以下はニコッとタウンとは別の一般論でのお話しです。)

こういうのを見かける度に思うことは、どうやってこういうものを運営している側が利益を得ているのかと言うのを知りたいということ。

なにしろ無料とかいいながら入ってみれば訳の分からんサイトに誘導されて金払えなどと言う画面が突然出てきたり、居るのはただだがやるのは料金要りますなんてのもその逆もある世界。ホントにただより高いものは無いを地で行く世界なのだからそれこそ油断も隙もあったもんじゃないといぶかしがるのも無理ないでしょう。

こういうなんでもござれの世界を丸々信用して無防備に回遊するほどの体力も金力もない者にとっては「安全」というものが「無料」というものより道を明るく照らしてくれる道しるべになるような気がします。

その安全とは、こうやって利益を得ていますので利用者の方は無料で出来るのだということを明確に教えてもらうことなのではと考えます。

甘い言葉に誘われてということでなくとも、魅力的な参加してみたいと思わせるものはたくさんあります。しかしつまるところ企業が運営する以上収益を上げることが目的の筈で、慈善事業として行なわれることはまずないでしょう。

現実にお店に入ってサービスを受けるには代金という対価を支払うものですし、街を歩いて配られる試供品やティッシュは広告宣伝ですし民放テレビの無料視聴もCmという広告を見て購買する際の商品の選択の基準になったり商品の存在を知るきっかけになったりしてます。自動車販売のお店に行けば来場記念とかでなにかを頂けたりもしますがそれは車を買ってもらうための印象付けによるものであったりします。それらは利用を促す方も促される方もどういうギブアンドテイクの仕組みになっているのか理解できているから成り立つものでしょう。

では、ネットで繰り広げられる無料の仕組みはどうなっているのか知った上で利用している人はどれくらいおられるのでしょうか。無料サンプル画像を提示して商品の販売につなげる広告的な「無料」は理解できます。プロバイダーが利用者を増やすために行なうサービスの差別化の「無料」や割引も理解できます。

今自分が使っているけど理解してないのは、ブログパーツ。広告目的とは思えない。「無料」という言葉の意味が「ただ」とどう違うのか知らずに漫然と享受しているのが不安になったりもする秋の夜長であります。

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F1日本グランプリ2008のテレビ中継

去年面白かった雨の中の日本グランプリ中継。モーターレースど素人が観た今年の素直な感想を述べるとCmばかり目に付く勢いでした。中嶋選手が早々と上位進出の芽が摘まれトヨタ一台リタイアした段階で作り手の盛り上げシナリオが狂ったのかしらむと勘繰りたくなるような忙しなさに思えました。ちょっと実況して直ぐCmって感じで。

後出し映像と言うか、ここぞと言う映像を決めうちして追いかけて捉えるというよりも起きたものを追っかけての事後報告みたいな印象を受けましたです。グロックのリタイアとかもどういうアクシデントによってリタイアの原因となったのかという映像がなく痒いところに手が届いたような鈴鹿の頃のイメージと違ってむしろ普通に海外の中継映像見てる感覚でありました。

そりゃそうだわな。ハミルトンもマッサも早々に後塵を拝しちゃったんだだからなにを映しゃいいんだということにはなりますわな。

それにしてもちょっとやって直ぐCmに入るって感じるのは何故なんでしょうか。あくまで感覚的な問題であって特別今回Cmの量が多いわけではないでしょうから、登場人物が多すぎておうじょうこいたんでしょうかねえ。チャンピオンシップの行方も日本人の活躍も見込めない以上主軸が対決と言う構図に持っていけなかったんでしょうか。

私は特にどこそこのチームを応援してるという事はないのですが、中嶋選手がこけると中継つまんない感じになる今シーズンの観戦目線ではありました。最後表彰台での国歌が流れてる映像でF1は国別対抗戦でもあるみたいなコメントされてたと思うのですがそう言う意味では蚊帳の外だった今回なのかもしれません。

レース前番宣やCmとかでこれでもかと言う勢いでTOYOTAと中嶋選手が母国グランプリということをPRされてましたけど、その割に当日レース映像では特に贔屓する訳でなく至極公平な国際映像と言う印象を受けました。

F1はセナ・プロ時代の頃にはビデオに録画してたんですが、見直すことなど殆ど無いので録画するの止めてしまいました。なので根拠の無い印象だけでこれ書いてるんですけど。以前はホンダ(日本)対世界という構図がより鮮明だったような感覚がありましたです。もちろん昔から日本にも赤勝てと応援する方は多くおられましたが放送する姿勢はナショナリズムが見え隠れしてたような感じが残ってますです。国際映像の他に独自のカメラを駆使してというフレーズを幾度か聞いたような記憶が残っています。

世間では、君が代を歌うか歌わないか(国歌として認めるか認めないか)という理解出来ない論争が繰り返されてますが、オリンピックやサッカーのワールドカップとかで君が代を聴く(歌う)高揚感を感じない人には説得力ありませんが、論争になれば反対でもオリンピックとかでは歌うという使い分け主義のお方にとっても斉唱の後万歳や一礼をしたくなるお方にとってもF1でも君が代を聞くことが出来るのは事実ですから、その感動を味わうためにももう少し偏っても(自国寄りに)ええんでないかい?と思えた中継に感じました。まあ偏りたくてもあてが外れてしまったんでしょうがなかったんでしょうけど。中嶋悟さんが(実況ブースで)声が出なくて申し訳ないとか言われたのが印象的でした。それくらい一喜一憂の波があってもそれはそれでいいよなと思いました。

で、肝心のレースの感想ですけど、皇帝も今日勝ったスペインの英雄もいつの間にかあれよあれよと言う間にいつの間にか勝ってるという感じで(実際は違うんでしょうけど)彼らが勝つと戦略の勝利という頭脳戦が加味されたチェスのように思えます。目に見えるバトルで相手をねじ伏せるといった力技だけでない知的さを感じます。そういう意味では皆プロストの後継者みたいとつい思ってしまいますですど素人は。(もちろん皇帝が下位からごぼう抜きで勝ち上がるレースとかも見てますけど本質は戦略家だと思っているので)私はハミルトンやライコネン古くはマンセルのようなタイプが好きなのかもしれません。

今日の結果は実力者がマシンの性能差を乗り越えて勝つと言う構図は見事でしたけどライコネンクビサ抜けよと思った結果でした。

トラブルやクラッシュはもちろん好きではありませんが、抜く時においても紳士たれとは思わない私です。オーバーテイクこそが醍醐味だと思う私です。

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*そんなもんいちいちおぼえちゃいんにい

意味的には特に説明するところはないのだが、よく使われる表現なので記載。

訳すと「そんな細かい(どうでもいい)事なんか憶えてないよ」

より強めの表現だと

「そんだだもんいちいちおぼえてすかあ」「んなもんいちいちおぼえてるかあ」

とかがある。「そんなもん」を「んなもん」と略す場合もあり、そういう場合イントネーションが変わるが意味は同じ。要は憶えてないなあというニュアンスである。

別な表現で「そんな細かい(どうでもいい)事憶えてないといけないの?」という場合は

「そんなもんわざわざおぼえてにゃかんだけえ?」

となる。この場合には「いちいち」でも「わざわざ」でも構わないのであるが、「そんなもんわざわざおぼえてちゃいんにい」という表現はあまり聞いたことがない。

「わざわざおぼえる馬鹿どこにいるよー」

も大体同じような意味で使われるが、これだと憶える必要がないだろうという開き直り的なニュアンスが強めになる。

例文

「きんのうの晩なに喰った?」

  (昨晩は何食べた?)

「そんなもんいちいちおぼえちゃいんにい。なんでえ。」

  (そんなのいちいち憶えてないよ。それがなにか?)

「いやね、ボケの始まりはこいうとこから分かるだってやっ。」

  (いやね、ボケの始まりはこういう所から分かるんだってさ。)

「なに喰ったかなんてわざわざ憶える馬鹿どこにいるよー。昔っからおぼえちゃいんわ。」

  (なに食べたかなんて憶えておこうなんて普通思わないだろう。若い時分から憶えてなんかいないよ。)

「つーこたあがんこ前からボケてたっつうこんだいね。」

  (ということは随分と前からボケが始まってたってことだね。)

「いってくれるじゃんかあ。自分わあ?」

  (言ってくれるじゃないか。そういう自分はどうなのよ。)

「心配すんな当然思いだせんのっ。だで仲間でえ。」

  (心配しないで俺も当然思い出せないよ。だから同じだね。)

「なんかむかつくだけど。」

「気のせい気のせい。」

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