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夢をかなえるゾウその2(スペシャル)

小栗さんが主役ののスペシャルのお話し。「課題」と「教え」がごっちゃ混ぜになってて整理できない私ですがまあそこら辺はよしなに。

同級生の出世栄達と自分を比較して酔った勢いでガネーシャ(古田さん)を図らずも呼び出す耕平(小栗さん)。酔わなきゃ本心が出ないなんていささか古風なお人のようにもお見受けしてしまいます。人生悲観するほど懸命に生きてる風にはマンガ喫茶でお休みしてる様を見る限り思えないのに俺もと願う性根は確かに伸びる余地はありそうですけど、一般ピーポなんて皆そうでしょうにねえ。それなりに成功を願う本とかを読んで妄想は膨らませていたみたいですけど。

でまあ信じる信じないでなんやかやありましたが、とにもかくにも契約成立ということで早速の教えが「靴磨け。」その心は「自分を支えてくれるものを大事に出来ない奴が成功できるか!」確かに。

なんでそんなことしなきゃいけないんだ?といぶかしがる耕平にガネーシャは「人の言うことを聞かない・自分の考えにしがみつく。これが成功しない重要な要素。」渋々従う耕平。されどなんの即効的な効果なし。

次なる教えは「腹八分目に収めよ。」・「一切の疾病は宿食を本とする。」(お釈迦様の言葉で食べ過ぎが病気の元となる。)つまり健康第一。確かに。

それって健康指南で成功指南じゃないのでは?と耕平。「八分目で止めることは自分で自分をコントロールする事につながるのである。」確かに。

でもそういってるガネーシャは反面教師だとのたまってこうなったらいけない見本を示しているといって大食いに走る訳で、見事に説得力ね~。

しかるに2日ほど経ってもいづれも成果なし。そこで即効性のある教えを垂れるガネーシャ。その教えとは「人を笑わせる。」その心は「空気を変えて明るくすることで色々なアイデアが生まれたりもする。そういう明るくしてくれる人に人々は集まってくるものだ。」ふ~んです。いまいちピンときませんでした。さすがにこれは各人の持つ個性によるものでしょうがと。坂本龍馬には当てはまっても西郷隆盛や大久保利通には当てはまらんだろうと思ったりなんかして。ドラマに於いてはまあ取引先との打ち合わせの場でオヤジギャグかまして失意のうちに翌日を迎えてみればあんな空気の中でかますとは度胸あるといわれる訳で。度胸をつけるととれば納得ではありましたけど。

でまあ新たなる即効性を示さんと出したる次なる教え「真っ直ぐ家に帰る。」その心は「会社終わってからの時間は自分が成功して行くために使える自由な時間。一番大事な時間。」つまり立身出世は会社にないと告げてる訳で。なんだかなあと思わないでもないですが、とにかくその課題を破る耕平でありました。そうしたら報いの撥があたるはめに陥るのですが撥が当たったのはガネーシャだったという展開。そりゃ耕平も痛手を負いはしましたがガネーシャのへこみぶりは半端では在りませんでした。怒りも失せて慰めに回る耕平。

その後の何気ない会話でお「自分を褒めることが大事。一日の終わり方はガンバレなかった自分を責めて終わるのではなくよくやったと自分を褒めて終わることが大事。」。けだし名言ですが、毎日そうやってハードルあげてくといつか無理が来るんじゃないかと思うのは夢を持たない(疲れてしまった)人間のぼやきなんでしょうかねえ。なんか共感しづらい感覚はありますですがそれは歳のせいなんでしょうね多分。

そして矢継ぎ早に「人の長所を盗む。」・「人が欲しがってるものを先取りする。」・「毎朝全身鏡を見て身なりを整える。」・「コンビニでおつりを募金する。」・「トイレ掃除をする。」・「一日なにかをやめてみる。」・「夢を楽しく想像する。」・「ただでもらう。」・「サービスとして夢を語る。」と課題を提示実践結果順調満足と。でもちょっと待ったですわね「ただでもらう」ってなんやねん。「おつりを募金」ってなんじゃらほい。あとはまあほぼ自分を律する行動だろうなとうすらほのかに理解してるんですけど。この二つは全く分かりません。答えを知りたきゃ本(原作)読めってことですかいねえ。

そしてついにその成果がプロジェクトメンバーに選ばれると言うことで開き始めるのですが、選んでくれた理由を主任(瀬戸さん)に聞くと「楽しそうに仕事してるから。」と言う答え。やっぱそうですよね。仕事だから辛いのや恥を捨てプライドを捨てが当たり前とかで自分を抑圧して毎日が過ぎていくのでは、普通に仕事こなすのと組織的に振り込め詐欺を仕事としてするのとは法律の範囲内かどうかしか違わないのと同じになっちゃいますもんね。

で、焼肉食いながら次のステップなのか「運がよいと口に出して言う。いわゆるポジティブシンキング。」という教えを授ける。そんで即重苦しい会議の場で実践。ゆーだけじゃダメで機転が必要。そりゃそうだ単なる能天気になっちゃいますもんね。でもなんざんしょ、まるでその内なんとかなるだろうとか言うすちゃらか社員の再来みたいでした。なるほど理想のサラリーマンって植木等さんのことだったんですね。ああいう人達が戦後の高度経済成長を造ったんですねってこたあないか。あれは現実の真逆のパロディだった訳ですが奇しくもあれこそが理想の姿だったんですね。成程です

「予想を裏切る(越えろ)。」というドッキリをかまして次の課題「サプライズをする。」これは最後の方で実践と相成る訳ですが。

順風満帆に仕事が順調に推移してる旨をガネーシャに嬉しげに伝える耕平。すると水を差すように「期待していたら自分は変わらない。」と言ってこのままじゃダメだというガネーシャ。そして再度耕平に変わりたいかと確認して、それならば最も重要だと言う課題を告げる。

「まず、その課題を実行すること。これからの人生においてこの課題を実行し続けること。」・「人間が変われるのは立ってなにかした時だけ。」どっちだ?っておもったら前段だったんですね。その前になるたけ多くの課題を与えようと言ってまずは「やらずに後悔してる事を今日から始める。」イベントが近いから今日からは無理と言う耕平。今、一歩踏み出さなければ明日やればいいという想いならば永遠に踏み出すことは出来ないと諭すガネーシャ。真夜中カメラを取り出す耕平。

その翌日お偉いさんに楯突いてしっぺ返しされてへこむ耕平。食事ものどを通らない状態で今日の事をガネーシャに話すとガネーシャがこういう時こそ言わんかいと促す。泣く泣く「メンバーから外されて運がよかったなあ。」と言ってカレーを掻き込む耕平。おもむろに「成功の近道は人の成功を助けること。次なる課題は人の成功をサポートする。」というガネーシャ。

でまあ子供ファッションショーのイベント成功のサポートをする訳ですがその光景はさすがにサプライズというより嘘だろうと思ってしまいました。そこに至る準備の状況を想像するにあまりにも不可解な象さんの登場でおましたから。マンガでもやらんだろうと思いました。種を明かせばガネーシャこき使ったというオチでしたんでドラマの展開的にはありえるんですけど。ま、とんでもない実行力と機転(応用力)が成功の秘密の典型なんでしょうねきっと。

そして「応募してみる。」自分を人に評価判断して貰うということなんですけど「売り込み」とどう違うんですかねえ。

ガネーシャの教えをとりあえずここまでストーリーの展開と共に長々と列記したんですけど、全体的な流れと言う感じでは「口(表)に出すことが大事。」ってことのように思えました。「男は黙って云々」とは一線を画す教訓集のように取れました。皆が皆夢を追いかけていたら果たしてこの国はどうなっちゃうんでしょうか。社会に出たら社会の歯車となってお互いを支え合いなさいと学校で教わった世代の私としては滅私奉公こそが成人の社会における義務だと解釈して生きてきましたです。それがあってるのかどうかはともかくとして夢と仕事は同じものがよいことだという感覚はあまり共感が湧かない感じです。夢は趣味で追い仕事は仕事という感覚ですから。

主任の言った「夢を持つってとっても素敵だと思う。でもそれを仕事にしようと思ったら沢山の事を犠牲にしなくちゃならない。それはお金だったり生活だったり愛する人だったり君にとって夢と同じ大事なものを犠牲にするってことなのよ。」私もそう思います。

でも最後の教え「おおきに。」他人に感謝すること。お金も名声も地位も名誉も全部自分で手に入れるものと思うのは大間違い。むしろ逆である全部他人がお前に与えてくれるもの。だからありがとうと言う感謝の気持ちを忘れてはいけないというのは、確かにであります。メモしとかなきゃね。

でも見届けずに別れがくるのはどういう基準でサヨナラになるんでしょうかねえ。有給で来たとか言ってましたけど期間限定(決まってる)ってことなんでしょうか。それとももう大丈夫という判断からなんでしょうか。それについては連続ドラマのほうで明らかになるんでしょうか。それにしてもよーこんだけの教えぶち込んで話しをこの時間内に収めれるものよと感心する次第で。一歩間違えたら説教じみた辛気臭い展開になるところをガネーシャのすちゃらかなキャラクターで和ませていくところは観やすかったです。仕事に対する価値観が違うので共鳴とまではいかないですけど愉しめたドラマでした。

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夢をかなえるゾウその1

スペシャルで2時間ドドーンと大きな打ち上げ花火を上げておいてから、ほぼ深夜0時からヨーイスタートのドラマ。本来の順番からしたらその流れなんでしょうけど如何せん21時台は間に合わない(帰って来れない)ので順序逆で観ましたです。ちなみに面白かったです。

それでも書くとなるとやはりスペシャルから順でないと変なのでスペシャルから順繰りにというか混ぜ込めて一括に。尚無学を自慢することになりますが原作は読んでません。

ドラマにしても映画にしても要は如何に上手く嘘を突き通されて騙されてることに快感(別世界感)を憶えるかの勝負だと思うんですよ。そういう点からいくと「ガネーシャ」の存在そのものが非常に嘘くさいんですが胡散臭くないとこがこういう世界もありだと騙されてしまいますです。もちろんリアルにいて欲しいかと言うと、ん~どうでしょうですけんど。作品にはまる形は色々あるんでしょうが、ストーリーに引きずり込まれるもの、別世界に誘われるもの、自分もその世界にいたくなるようなもの、役者さんを観賞したいもの、ええセリフを聞くもの、我が身に置き換えて教訓とするか明日への糧となすかなどなどあるのでしょうが、この作品はどれに属するんでせうか。もちろん重複とかもするのでこれと決め付けることはできませんが。とりあえずは古田さんのガネーシャを観るのは愉しいことは確かでしょう。

それにしてもこういう役の古田新太さんはその傍若無人ぶりがとにかく映えます。もう吹っ切れてるというか迷いの無いぶっ飛び加減が堪らない魅力です。「ギャルサー」の時のインディアンを彷彿とさせる異次元ぶりで気持ちいいです。神様とはいえ人間じゃない役と言うのは有り得ないキャラを構築することなのですが、具体的な見本が存在しないだけにそのキャラ作りは無人の荒野を行くが如き自由さがある反面観てる側がついていけなければ話にならないのですけれど屁理屈云々じゃなく「ガネーシャ」なんだとその存在に納得してしまいました。

原作もそうらしいんですが、何で日本語(しかも関西)しゃべくりたおせるのかとか神様の癖してなんでこんな世俗的な欲望に素直なんだとかガキンチョ並になぜなぜ攻撃かませば五月蝿いと言われかねない位あるんですけど不思議と疑問に思わず納得なんですわ。色々人生渡り歩いてきたんだろなあで済んじゃうと言うか。ファンタジーの基本なんでしょうねこういうありえないものをあると思わせる強引な説得力は。

幸運を呼ぶ神なのか人を導き変える神なのか。風体と言動からして信じろと言う方が無理っぽい神様ですが霊験あらたかなことは確かなようです。

教え諭す側に異論は感じられないとして、次は諭され変わる側はどうかとうことでありまするが、スペシャルでは小栗さんが本編?では水川さんとなられていますです。

耕平(小栗さん)の動機は知人の成功と我が身を鑑み自分もと奮起してガネーシャとの契約を交わすというものでした。出世欲も功名心も気薄なこの時代に珍しいお方とも思えます。

小栗さんは目が死んでるかのような無気力の時と輝いている気合いある眼力を放つ時とがあって目だけで表現を、しかもその振幅の大きさを感じるお方だなあと思っているのですが。こういうサクセスストーリーを演ずる上に於いては外面だけでなく内面からも変化してく様が分かり易く観れる訳で有難いところです。しかもある意味我を捨てていいなりになる訳ですからそういう人の話を聞く耳と従う素直さが見え隠れしなくてはならないのですがボンビーメンでより強力な疑うことを知らない好青年の印象に引き続いてのイメージもあって違和感なかったです。

ただ自分のやりたいことを見つけた結果が転職というのは時代を感じますよね。その才を職場に活かすという選択肢がないところが終身雇用崩壊させたツケの結果なんでしょうかねえ。企業の側も社員の才を活かし事業の新たな展開かますほどバブルの時代のような雰囲気の企業は確かにないみたいですけど。

で、水川さんはどちらかというとブーたれて従わなさそうなイメージがあるんですがその従おうとする意欲(貪欲)とざけんじゃねえぞという反抗の葛藤が生じる様を愛でるべきなんでしょうかねえ。契約者のタイプが異なるところが面白いのかもしれないですけど。

どちらにも使われていた「自分」というフレーズがやけに印象に残りますです。なんか影響されそうで怖いです。

有難い教えは、即効性のあるものを望む星野あすか(水川さん)でありますがじわじわと効いてくる効果の教えのようであります。にしちゃあ今日の占いみたいな理解不能のことやらそうとしてますけど単なるきっかけを与えているのかそれとも真実の枝葉を示そうとしているのか。二人三脚で変貌して行く人生をどう描くんでしょうか。劇的にかそれとも徐々に気づいたらいつの間にかなのか。

長くなりそうなので、散漫ではありますが一旦締めてその2へ続く。

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*さっきいからそをゆってるじゃんかあ

「じゃん」の使い方ということでし行に区分。

「さっきいからそをゆってるじゃんかあ。なにいってるよお。」

  (さっきからそう言ってるじゃないの。なに聞いてるんだ。)

「じゃん」は神奈川発祥の言葉として定着しつつあり、特に説明は要らないのだろうが、「じゃんかあ」・「じゃんねえ」・「じゃあん」・「じゃんらあ」とかは三河・遠州近辺でしか使わないらしい。

脱線するが、上記の文章を別の言い方にすると

「さっきいからゆってるらあ?なにょこいとるだあ。」

いちゃもんをつけるなと言っている。共通語だと聞いてとんちんかんなこと言ってるということで聞き方を咎める表現のところを遠州では誤った解釈で言う内容を咎めるという違いがある。

これの語気を強める表現は「あんたなに聞いてたよお」となることが多く、ここでようやくなに聞いていたのかと問うことになる。

整理すると、第一段階は聞いたことは理解してるだろうけど表現としておかしかないか。第二段階で聞いたことすら理解してないんじゃないかと分かれているということ。

例文

「えーと、そうするとさいにゃこの道まっつぐいきゃあええだね?」

  (そうするとこの道を真っ直ぐ行けばいいんだね。)

「ずうっとさっきいからそをゆってるじゃんかあ。なに聞いてたでえホント呆けただか。」

  (ずっとさっきからそう言ってるだろうに。なに聞いてたんだよ?物忘れがひどくなったのか?)

「ひどい物言いだやあ。違っちゃかんと思って確認しただけじゃん。」

  (随分な言い様だなあ。間違えちゃいけないと思って確認しただけだろうに。)

「きんのうから何回聞きゃあ気い済むだ。」

  (昨日から何回同じ事聞けば気が済むんだ?)

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なんだかなあ11

なんかですね、ここんとこココログの管理画面が夜繋がりにくいんですわ。テレビドラマ観て感想残しが記事の活力な私なのですが、ドラマ観てほんで見直しつつ記事書くとどうしても0時近くになる訳ですよ。

そうすると、その時間に保存や投稿しようとするとエラーとかになってしまってせっかく書いたのがパーってなことが最近頻繁でおましてもう投降状態ですわ。昨日も夢をかなえるゾウの感想記事がぽしゃってしまいまして失意のずんどこなんですわ。ガネーシャと契約しないと書きたい時間に書けないんでしょうか。

気を取り直して再度書き直してる最中なんですが、今日の投稿は厳しいので土日にゆっくりととなりそうです。

今後改善が見込まれないようならば、投稿時間(自分のペース)を変えずばなるまいて。だけど朝起きれんしなあ。昼だと遊んでるんかと思われるし。いつがよかんべ?

それにしてもブログアクションデイナイトって大きく横にででんと鎮座増しましてるけどちょっちうっとおしいです。自分のブログ内なのに変なとこ誤ってクリックするとすぐそっちに飛んでしまって。ホント勘弁してくだせえお代官様。

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*すけんはいる

助けに入る。つまり応援(手助け)に入るという意味。

例文

「おお!整理しとけっつったけど随分片付いてるじゃんかあ。」

「おお!すけんはいってくれたもんで。」

「誰ん。」

  (誰が?)

「誰んて、知らん衆だけど見ちゃおれんつって。」

  (誰がって知らない人だけど見てられないって言って。)

「こんな時間にだんれもいんにい。お化けじゃないだけえ。」

「やめてくりょーきしょい。」

「しゃれんならんかあ。でもホント誰よお。ホントに知らんだか。」

「帽子かぶって懐中電灯持ってて・・・」

「って警備のおじさんじゃねえかばかっつら。帰りん礼ゆっとけよ。」

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迫真に迫る

宇多田ヒカルさんのHPで宇多田さんが「迫真に迫る」っておかしかないか?馬から落馬と一緒で。と、疑問を投げ掛けられておられました。つまり同じこと二度言って重複してるだろうと。

「核心に迫る」の間違いじゃないのか?と思いつつ、別に違和感を感じない私です。

その理由として、これが演技の話しと仮定した場合。迫真の演技と迫真に迫る演技は異なり両者共存在するのではと。

つまり、迫真の演技が一流の役者さんのなせる技だとする。でまだ一流ではない役者さんがそれに近い演技をした時に迫真に迫る演技という使い分けという屁理屈。一流が迫真、二流の評価でも優れていれば迫真(一流)に迫る。

もうひとつ屁理屈をこね繰り出すならば、まるでそのものと言う憑依したかのような演技が迫真の演技。役者さんのイメージを残しつつその役柄を表現してるのを迫真に迫る演技だと。(ちょっとこじつけが過ぎるか?)

ちなみに「迫真」を辞書で調べると、演技であることを忘れさせるほど、訴える力が強いこと・真に迫ること。となっている。

真に迫るが報道とかの取材のことであるならば迫真に迫っても核心をついてる(核心に辿り着いてる)訳じゃないので確かにおかしい感覚はあるけれど、「迫真」そのものが演技に関する言葉から生まれたものだとしたら私のようなええ頃加減な解釈してもええじゃないか。と。

追記

これはあくまで私が「迫真に迫る」という言葉に対して感じたことであって揚げ足を取っている訳ではありません。ていうかこれがあってると胸を張って言えることではなくあくまで私はそう捉えられるということです。むしろ宇多田さんの言葉に対する敏感さはすげえなと感心している次第でありましてそれに自分なりに反応したのであります。反論ととられるのは私の拙い文章力のせいで誤解であります。

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*あん衆ら

あの人達と言う意味。

「あの」が「あん」に「人達」が「衆ら」

「あの」が「あん」に変わるのは共通語でも「あの時」が「あん時」に変わるのと一緒でこの変形が方言だということではないのだが、遠州弁知らない人にしてみれば「あん衆ら」と言われて意味が理解できるか疑問だったので一応記載。

使い方としては自分及び話す相手とは距離をおくような集団に対して使う。分かり易く強引に言えば自分を含まない集団。

例文

「あん衆らどうせるだって?一緒に行くって?」

  (あの人達どうするって?一緒に行くみたいなこと言ってた?)

「帰る時間あるもんで途中でご無礼せるって。」

  (帰りの時間が決まってるらしいから途中で失礼するって言ってたよ。)

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いいのかしらむ

ちょっと以前のことだけど、ココログの話題のブログ記事を紹介するところで、テレビドラマの感想を内容としたブログが紹介されていた。

自分もそういう記事(内容は遥かにチンケだが)を書いているので参考になるものはないかと思ってその紹介されていたブログにお邪魔させていただいた。

とても読みやすく尚且つ劇中のキャプチャー画像が要所要所に配されていて見易かったです。

でもここで疑問。こういう画像って承諾なしにブログに貼っていいのかと。批判してる訳ではなく、やることが可であるなら自分もそうしたいと。ココログで紹介されてるくらいだからいいのかなと。だけどこういうのって具体的に基準を指し示してくれるところが分からない。

何がよくて何がダメなのか。ドラマの口コミという側面から考えれば番組支援をしているということになる訳で一方的に無断使用悪しと言わなくてもいいだろうと思えるし。だからといってブログにアフィリエイト貼ってたら商売上のインパクトの借用とも取れるわけだし(私は貼ってないけど)。

すくなくとも画像貼付に対する良い悪いの基準をココログのヘルプというかルールの中において説明とかしてくれると有難いんですけどね。もちろん所有者の権利の問題なのだからプロバイダさんが規約決めれる筈もなく厳密堅苦しいことになれば無断使用は全てご法度に決まってるでしょうが。

でも現実として画像を活用して見やすくいい記事を書かれている人がいる。そして芸能人さんを出汁にして何かを企む人もいる。自由と無法は異なるもので制約とマナーも異なるものの筈。実施には多くの困難があるのでしょうがなんとか私でも判る様な規範をば示して欲しいものであります。

なにしろこのシーンが良かったって言葉で説明するより画像貼ってこのシーンって述べるほうが楽ですもん。判り易いし。

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厚顔無恥

あくまで言葉遊びです。冗句です。

*「紅顔無知」

意味

見た目はかっこいいが頭の中はアホ

*「童顔無視」

意味

ロリコンではないということ

*下ネタではありますが

「睾丸鞭」

意味

鞭のようにしなる睾丸(なんじゃそれ)

*本当の「厚顔無恥」とは

厚かましく恥知らずとか言うとにもかくにもずうずうしいと言う事。

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記者発表

9/29、「ハッピーフライト」完成報告会見の記者発表がモノホンの旅客機を使って実際の格納庫にて豪華に執り行われた模様が芸能ニュースで流れていました。ANAとタイアップされてますのでそんながんこかかってはおられずの知恵の勝利による豪華さでありましょうが。

SGでは生演奏を披露したりとただ普通にやるんじゃ目立たないとばかりに結構ど派手に執り行われる行事らしいのですが、如何せん観るしか能の無い人間からするとなにやってんだろうという疑問が湧きますです。(以下はハッピーフライトに限らずの予算(広告費)が潤沢?な作品一般論ですけど。)

もちろん記者さんが大勢お越しいただければその分メディアに映画の情報が流れて宣伝効果が大幅アップするという算段なのでしょうが、具体的にその模様をフルを見れる事は無い訳で。一般ピーポが垣間見れるのはもう取材に来られた記者の方の腕と判断にかかっている訳で。最近はけなすことが評論であるかのような取り扱いと、テレビ局が出資に参加してることもあってその系列かそうでないかでえらく扱い方が異なるものでもありと。なかなか主催側の思惑通りにことが進まないのではと想像したりもします。

むしろ一般ピーポが目にするチャンスは、ストーリーなぞ映画館で観ずともCmだけで余は満足じゃというくらいバンバン流されるテレビCmでありまして。直接的な効果ということではその重要度はCmの下なんじゃとさえ勘繰ってしまいますです。もしかしたら口コミよりも。

予算をかけずに尚且つ奇抜なアイデアで記者さんの注意を引き歪むことなく映画の宣伝が多くなされることが最も万々歳なことなのでありましょうが。

いずれにしても初日舞台挨拶と共に風習として残っている行事のような気がしますです。なくてもいいのではなんて露ほどにも思ってなぞおりませんが、地方に棲む限り縁の無い行事でありまして。あくまで素人の勘繰りですが、一時間ほどその行事が執り行われたそうでありますが出演者さんや監督・準備された方々の苦労程にその成果が観るだけのものに伝わるのかに対して疑問が湧きますです。

矢口監督は初日以降も精力的に舞台挨拶とか行なう方ですので、単なる風習では決してないのは存じておるつもりではありますが、色んな映画で度派手なイベント見かけるごとに一体いくら費やしてるんだろうとけち臭いこと考えてしまう私です。あんだけのお金あるなら映画館作れんじゃないのかと。仮設でもなんでも1ヶ月ほどサーカスのテントみたいな設備でもその映画だけ一日中やってる箱作りとかに予算回せないのかなと。映画館が近くにない地域とかだとどこぞの市民会館とかを上映期間借り切って臨時映画館にしちゃうとか。

あくまで私が述べてるのはCmバンバンのスケールのデカイ作品に関してのお話しでありまして予算逼迫した資金力の乏しい作品をメディアに取り上げて貰うために執り行う意義とは異なるものであります。

でも存外監督が来たとか、映画が近くに来た、これで大きな町まで行かずに済むとかなれば興味半分でもせっかくだからと客足が増えるんじゃないのかなあとついつい思ってしまいます。

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*誰んゆったよをそんなこと

直訳すれば誰がそんなことを言ってるのか教えてくれ。意味的にはその発言には不同意であって納得いかないから根拠を示せというニュアンス。具体的な氏名を述べよと言う場合もあるが法律で決まってるとかといった明確なものを示せというニュアンスの方が強い場合が多い。

そう言われて明快な返答が出来ない場合、いい加減なこと言うなとなじられるケースが多い。

もちろん上記のような使い方ばかりではないが多いのは確かであろう。

また、言った相手が存在していた場合、そういわれて馬鹿正直に誰から言われたと答えたりすると、後で名前出された人とかから口が軽いと陰口叩かれる事も起こり得るので言われた方は対処が難しい場合が多い。

因みに単純に誰から聞いたの?と聞く時は「誰から聞いたよー」と言う使い方をする。この場合不同意も同意もなくただ知りたいだけというニュアンスとなり険悪な雰囲気にはならない。

例文

「そかあ入っちゃかんだにい。」

  (そこは立ち入り禁止だよ。)

「しいらんやあ。だれんゆったよをそんなことお。どこにも書いちゃありもしんに。」

  (聞いてないよ。誰がそんなこといってるの?どこにも書かれてないじゃないか。)

「誰だっていいじゃん。なんしょあんたのせるこんおかしいだで。」

  (誰だっていいじゃないか。とにかくあんたがやってる事はおかしいって。)

「失礼こいちゃうやあ。あんたなんかにちゃちゃ入れられる筋合いないだでねえ。」

  (失礼しちゃうわあ。あんたなんかに邪魔される理由なんかないわ。)

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*ひる

漢字で書くと「放る」。辞書にも載っているので方言ということではないが、使われなくなりつつある言葉であろう。遠州ではいまだ現役で使われているということで。

もっとも世代的には大分年齢は上での話しではあろうが。

意味は辞書等によると

(勢いをつけて)体外へ押し出す。屁・大便・鼻水等

とある。意味的にひねり出す的な使い方ということでは同じなので特に方言として変形している訳ではない。イントネーションも多分共通語と同じであろう。

鼻水については「洟を擤む」(はなをかむ)を使うので「鼻水をひる」というのはあまり聞いた事が無いが、屁と大便に関しては「屁をひる」・「糞ひってきた」とか使うし、それ以外にも遠州では小便に関しても「小便ひる」と使う。

用途としてはあけっぴろげとか豪快さを表現するための場合が多く。女性が使う言葉ではない。

似たような表現では一発噛ますとか屁を噛ますという使い方の「かます」(噛ます)というのがあるがこちらはどちらかというと見せつけるみたいな印象を受けるので似て異なるものであろうか。

例文

「暫く居んかったじゃん。どこ行ってたよー。」

「糞ひってきた。」

「きったねえなあやあ。ちゃんと手え洗っただらなあ。」

「おうよ!当然じゃん。ついでに顔も洗ってきたわい。」

「にしちゃあ、鼻毛出てんぞ。鏡見るらあ普通。」

「見んでも洗えるわあ。嘘じゃないでねえ。失礼しちゃうやあ。」

「わかったで鼻毛しまいない。ぶしょったい。」

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柳生一族の陰謀

いやあ困るんですよね、F1と時間がかぶるのは。

いやあ困るんですよね、途中まで見てF1始まったら後半は録画でと思ったのに存外面白いのは。えらく後ろ髪ひかれちゃいました。でも結局初志貫徹でF1見ましたけど。ところでライコネン、去年で運を使い果たしちゃったんでしょうかねえ。なんかやることなすこと裏目って感じです。

いやあ困るんですよね、真の影なのに将軍という燦然たる光りと直にちょくちょく会うのは。なんかね薄っぺらに見えて権威の荘厳さがかき消されちゃうというか暗躍と言う文字が踊らない感じで。こういうのって死して屍拾うもの無しって勢いが身に染み込んでるもんで。

いやあ困るんですよね、跡目争いなんて結構な嘘こかれちゃ。そりゃまあ謀反ということじゃあ結果は一緒ですけど。役者さんのガチンコが映えてるだけに嘘つくならもっとぶっ飛んだ大嘘こいて欲しいとこであります。

いやあ困るんですよね。柳生十兵衛登場の雨のシーン。思わず映画「梟の城」想い出しちゃいました。上川さんだし、また釜ゆでの刑になっちゃうのかと思ってしまいました。

いやあ困るんですよね。どっちが悪党なのか意味不明なのは。ご乱行といい毒殺謀る側近といいこりゃ忠長側の方が正義っぽいじゃんか。悪に従うヒーローなんて日本で馴染むのかしらむ。

などときちんと観ずに思った感想(感情)でしたが以下はちゃんと観ての感想ですので前と言ってることが違うのはそういうことですので。

それにしてもオープニングの音楽とタイトルバック良かったですね。久方振りに「時代劇が始まる~」ってぞくぞくしてきちゃいました。何を持って日本らしいかと詰められると答えに窮しますが、日本(時代劇)らしい血沸き肉踊る気がしてきます。

根来衆の一族再興の為に献身的に働きその他大勢の如く倒れていく様が観ていて痛々しくなりました。地べたに這いつくばって懸命に生きてる様に涙してしまいますです。決してたくさん映ってる訳ではないんですが、何故か強く想いが伝ってきましたです。

十兵衛が眼をやられたくらい鬼のように強い化け物みたいなお公家さん登場させるなんて、もうこれは妖怪退治の側面もあるかのようでした。なにせ公家=弱っちいを覆す気持ち悪さですから。白塗りお歯黒で強いなんていったら権謀武術兼備の最強キャラじゃないですか。もう人間の領域越えてますってマジで。こんなすんげえキャラ倒すんだなと思うとそれだけでなんかワクワクしてしまいます。

それにしても松方弘樹さんすんごい迫力でおました。家光に「戦に討ち死にはつきもの云々」という説教は観ているこっちの方までビビリがきましたです。

最初家督争いかと思わせといてこの気に乗じて公家が天下を取らんと蠢く展開に騒動が発展して行くのですが、ここまでくればもう安心して大嘘に乗っかれて楽しめます。そしてとんでもない陰謀でた忠長をはめる但馬の守。卑劣といわずしてなんとするというホントにどっちが正義なのか不安になってきますです。

でもてっぱうの発射音がなんか違わねえかと思わんでもなかったです。ちょっと興醒め。あんな乱戦でてっぱう撃ったらお味方にも当たりゃしないかとも思いしが。せっかく今日まで時代劇を支えてこられた役者さん方がたくさん出ておられたのに手抜きのような画の中に収まるのはなんだかなあでした。もっときちんとした見せ場にして欲しかったであります。

でまあお家騒動はこれにて一件落着と相成り名君の器たる忠長は自刃なさりそれを見届ける十兵衛でありました。後は勝者の誇りで後始末と妖怪退治でエンディングかなと。

「何が善で何が悪か誰が決められよう。」そういって奥義を駆使して妖怪退治を無事果たし・・・ってここに来て根来衆が・・・・

こりゃ怒れるわな。誰が見ても悪事に加担してたって思えて怒りの鉄拳が江戸城に舞うんだろうなと思えましたよ。城中あんな格好で歩き回れるのかよという突っ込みはありますがさすがにここまでこけにされりゃあ立つよなと納得でありました。ある意味痛快。

でも最後の「夢だ」のシーン映画でも確か観たよなあと薄ら覚えながら思い出しました。もしかすると大まかなストーリーって映画と変わらなかったっけ?と。映画も観たんですけど終わりごろ以外は何故か思い出せないんですけど。でもですよ今日観てて十分ハラハラドキドキしましたから新鮮な気がしたことだけは間違い感想です。物忘れがひどくなったのかしらむ。でもやっぱいい時代劇でありました。それは確かです。

役者さんとしても仕事人っていうイメージがある上川隆也さんですので、苦悶を抱えても使命を守る姿は画として無理なく観てられます。それで今までは苦渋を舐める役というのが多かったイメージがあるので最後の堪忍袋の緒が切れる上川さんは初めて観たような感覚がありますです。それだけ虫けらのように扱われた根来衆に感情移入できたことが最後の痛快に結びついたとも言える訳ですが。そういう意味ではなんか悲しいドラマでもありました。

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*だか?その2

共通語だと「買うだか買わんだか」という「~するらやしないやら」みたいな使い方が一般的であるが

遠州弁の場合「~するのか?」という問い詰める使い方がある。省略系になるのかはしらないが「だ?」という表現もある。東に寄れば「だけ?・だけえ」とかいう言い方もある。

以前「だか」と言う記事書いたが例文書き忘れたので改めて説明の追加と例文を。

例文

「あんたねえ。いつまでいりゃ気い済むよお。はあ行くにい。」

  (もう~いつまで居れば気が済むの?もう行くよ。)

「そんなこといわすとお。どうせすか悩んでるだでえ。」

  (そんなこと言わないでちょっと待ってよ。どうしようか迷ってるんだから。)

「どうせるよお。買うだか?」

  (どうするの買うの?)

「買うにゃ買うだん、どっちにせすかと思っててえ。」

  (買うのは買うんだけれど、どちらにしようかなと。)

「ふんなもんどっち選んだってわしん言わせりゃ用ないだで。無駄だでやめない。」

  (そんなもの私に言わせればどっち選んでも不要なんだから。買わなくてもいいでしょう。)

「随分なこと言ってくれるじゃん。すけない自分の小遣いから出すだで文句言われる筋合いわねーわ。」

  (ひどいこと言うなあ。少ない自分の小遣いから出すんだから文句言わないで。)

「なら勝手にしない。わしはあ先行くでねえ。小遣い足らんくなってせびっても絶対やらんでねえ。」

  (あっそう。じゃ勝手にしなさい。もう置いてくよ。今月お小遣い無くなってせがんでも絶対あげないからね。)

「またすぐそーゆーこという。そんな怒らんだっていいじゃん。」

  (もう勘弁してよ。怒らなくてもいいじゃない。)

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パズル DVD その3

この作品はpieceという数え方をしてるけどめんどっちいので(鮎川と一緒で横文字が苦手なので)以下は第何話という表記で通しますのであとはよしなに。尚テレビ放映時に書いた感想と重複する部分も多々ありますが、やっぱそう思えるよなということを言いたくてあえてかぶる内容にもなっております。

*それにしてもというか観終わってみれば毎回ゲスト出演される方々の豪華なことったらありゃしない。セット組む予算とかまで出演料に回してしまって財政的にしょうがないから浜松くんだりまでロケに来て予算の帳尻あわせたんじゃないのかと思える程豪華でおました。

まあ、冗談はともかく近場の話しで言えばこの作品で使われた地は最近浜松市になったばかりで以前は引佐郡と周智郡といった場所でした。以前小國神社という場所で映画「雨あがる」の撮影が行なわれましたが、そのDVDのオーディオコメンタリーで関東に近くてこれだけのロケ地があるのは驚いた旨のことを話されておられました。よくよく考えてみれば市町村合併する前の浜松は山を持たない市でしたが合併することによってそれを有するようになり、山あり河あり湖ありダムあり砂丘あり多少の街中もありということになったのであります(島はない・金持ちがいないのか大層なお屋敷とかもない)。豊かな自然を有していてもその窓口がなく今まで手付かずであったのが、浜松市という大きな窓口を通せばそのパイプが上手く流れるんじゃないかと思ってもしまいます。以前浜松ロケといえば奥浜名湖と中田島砂丘を往復するくらいのワンパターンでありましたがご当地という冠を外せば関東からの距離を考慮した時その可能性は広がるのではないのでしょうか。

まあ芸能人とみると蝿のようにたかる田舎者ばかりの浜松人ですから人的障害で撮影には向かない土地柄かもしれませんが少なくとも物言わぬ自然は豊富であり、今後はそれを生かしてたくさんの撮影がされるようになればいいのではと夢見てしまいます。

*テレビではあまり気づかなかったけど塩見さんがDVDでは映えて見えました。ドラマ全体でいうと後半に向かうにつれ徐々にコメディの分野に流れていく様はありますが、渋さがなんとも言えず味がありました。

*やっぱ三人娘の存在は必要なのか何度見ても分かりません。男3人組がいちゃつきたいがために冒険の旅に出ようとする動機付けとしては不可欠ですが毎回死体発見してキャーと報告するのと使えない奴と罵るうちにいつの間にかその存在感がフェードアウトしていくように薄れていく。とても中途半端であり正直あの裏表の使い分けは反感すら覚えかねない印象です。せめてお上品な口調と態度は終始裏返ることなく言う内容だけお下品という感じの方がまだ許せる感じに映りました。それとは別にお互いいちゃつきたい可愛げのある者同士を強欲鮎川が邪魔をする構図の方であったならどういう印象になってたんでしょうかねえ。

*テレビで観た限りでは第1話が一番出来がいいかと思っていたんですが、DVDで改めて観直してみると第7話を再認識しましたです。すべて(どの回でも)において密室・閉ざされた空間という縛りがあって、その為に携帯電話等現代生活上においては矛盾のがある部分が存在するのですが時代性を無視してしまえばとてもよくできたトリックでありました。劇中では寒いと扱われた鮎川の小噺でしたが私は笑ってしまいましたし。それになにより風間杜夫さんががんこ良かったです。清水さんもいぶかしげな雰囲気プンプンでしたし。確かに言葉は悪いですけど悪党そうな雰囲気ありましたです。そういう重たい空気を鮎川達のお気楽さで帳消しにして観易い印象を与える絶妙なバランスに感じました。唯、敷地内で毒草から毒物煎じなければならない必然性がなんだかなあと言う気分は残ります。覚悟の上での行いならそれぞれあらかじめ用意してるでしょうにと。でも殺人のトリックは見事でおました。お芝居とトリックがレベル高くて見応えあります。

*思い込みだった。「トリック」とどうしても同列扱いして観てたせいと、一応地元(遠いけど)でのロケで何話か撮影されたというインパクトで、全てロケでの撮影だと思っていたのです。ですが、コメンタリーでスタジオでも撮ったと発言されていて思い込みと知りました。別になーんだがっくりということを言いたいのではなく、その差異が分からない程見事だったという感嘆ということです。こういうたばかられ方は作り手の腕によるものですので大歓迎したいところです。そして案外予算掛けてたんですなあと。そう思えるほどきっちりとしたセット作られたんでしょうね。

*決め台詞・お約束台詞の決定版が欲しかった。ヤマ場になれば毎回必ず出なくても意味不明であったとしてもインパクトの残るセリフが欲しかったです。後で必ず話題になるドラマだとかだとひとつのセリフで嗚呼あのドラマねはいはいと話しが続くものです。このドラマで印象残ってるのは「お前ら」ですが、鮎川だけでなく大道先生も刑事さんも使ってましたから。そういう部分は欠落してたのかなと思わないでもなかったです。

*殆どの回において犯人に「ばれちゃしょうがない」とばかりにあだけられる展開なのですが、これについては必要あるのかしらむと疑問を感じていたのですが。まあ普段生徒達に傲慢な分のしっぺ返し的な因果応報的な要素の現われの表現なのかと自分なりに考えていたんですけど。コメンタリーとかによると石原さんが「アクションに挑戦したい」という意向がありその要望に沿ってという側面も第1話においてはあったらしく、必ずしも以降もその意向に沿ったものかは定かではありませんが、剣道部という設定を光らせる意味もあるのかもしれませんが、やっぱてんやわんやする必然性のある回とない回があってケースバイケースにしとけば良かったんじゃないのかと思ったりもしますです。もっとも立ち向かうというより逃げ回るということでこれを立ち回りと表現するのかどうかは疑問ではありますが。

で、その分はしょって何を観たかったのかというと、例えばフェードアウトしてしまっていた三人娘のダメだし「やっぱ使えん。」とそんなこと言わないでと何とか取り繕う三人組のドタバタとかを。なにしろ毎回懲りずに儲け話し持ち込んでくるんだからそれなりの取り繕いが存在してなきゃ普通頼みには来ないだろうという突っ込みをしたくなるんですわ。

他には最終回にのみ貧乏ゆえに金に固執する鮎川が描かれていたんですが、それを毎週あ~あ今週もと財布とか見て嘆息するシーンを盛り込んで欲しかったです。道楽というか性根が強欲なのではなく生活上強欲でなければならない鮎川と言うほうが観ていて厭味がなくなるというかその行動群に納得できるんじゃないのかと。それにしても何にお金使って貧乏してるんでしょうかねえこの人は。

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*んじゃねえ・んじゃさあ

それじゃあね・それじゃあさあと言う意味。方言かどうかは疑わしいが一応記載。「そうじゃない」という場合も「んじゃねえ」とは言うがこれは発音が違う別物。

全国的にはおそらく子供が使う言葉であろうが、遠州はええ歳こいた衆らも当たり前に使っている。

「それじゃあ又明日ね」だと「んじゃまた明日ねえ。」

「それじゃあこうしようよ」だと「んじゃさあこうするかあ」・「んじゃねえこうせすかあ」

あまり話としては広がらないんで例文もなくこの辺で んじゃね。

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33分探偵その8(第9話)

ありえないくらいなんやかんやの推理でありましたが、人を殺める資格というえらい深い倫理を説いていて、良い出来なのか悪い出来なのか訳がわからない最終回でありました。でも面白かったからやはり良い出来と言うべきでしょうか。

もう有り得ない超強引なこじつけはもうここまでくるとSFの空想世界の領域までぶっ飛んだ感じです。ついてけないというかそれを聞き入る容疑者さん達が可哀想なくらいでした。これはもう今までの中で最悪の推理と言っても過言ではないのだ。とつい呟きたくなる勢いでした。しんどい瞬間でした。

ですが、それ以外はホント面白くて、リカコのMAXなはしゃぎ具合とかついに言ってしまった「じっちゃんの名に懸けて」のパロディ。しかも何それ?と言われて知らんのかいというオチ。笑うしかありません。パロディと言えばSPの本物の役者さん(神尾さん)登場したり(しかもチョイ)と、など他にも探せばボロボロ出てきそうな勢いでした。岡田義徳さんの出演はTHE3名様繋がりということでの友情出演なのでしょうか。そういやあ志賀さんもTHE3名様出てらっしゃったっけ。

情報屋との駆け引きはアドリブだよな絶対って思わせ、しかもそれで終わりかと思いきや志賀廣太郎さんが出てきて意味不明な状況に陥ってるし。もうホントに推理さえしなけりゃホントに馬鹿ばかりやってて楽しいカーニバルにいるみたいでした。他のお約束でコーヒー飲むのと玄関でのやり取りがなかったのは残念でしたが、有力情報の海人は痛快でした。

ここまでくると、他のシーンが冴えてるのにと思えば思うほど肝心の推理があれで、こりゃ絶対作り手さんは意識してわざと推理をくだらない方よりくだらない方へと作り上げてる確信犯だなと思えてきますです。その効能は私には分かりませんですけど。

それでもむしゃくしゃしたから人を殺めるというのは現実を映す鏡としてきっちり問題提起して誰が見たってそんなことする奴が悪いと思わせるのは今までのええじゃないか的なおちゃらけがなんだったんだと言う気にもなるくらいの真面目に戻った瞬間でもありました。

死んだと思わせての展開も、周りがあんだけ別れを悼んでいる(こいつ死ぬなと思って)状況で実はリカコ君のヒールで命拾いしたとも言い出せず参ったなあという六郎(堂本さん)の辛そうな表情がユニークでした。

ここまでくると完全に作り手さんの手の内で良いように観てる方が転がされている気になってきました。

ちなみに最後の停止状態からボーリングのポーズに変わるのがこの回の一番のお気に入りのシーンでした。なんか知らんがよかったですわ。

最終回を終えて振り返ってみればあっという間でした。こういう世界感他ではまずお目にかかれないですから貴重な空間といえなくもなし。今度見る時は殺人事件ではなくお宝探しをして欲しいところです。あるかどうかは知りませんが。

とにかく発想と妄想だけでドラマ作ってもいいんだと思わせてくれたのはそれだけが得意の世代の人間に勇気と希望を与えて俺でももしかしたら作れるかもと思わせるパワーを伝道したことは確かでしょう。最後の「またね」と言う言葉に期待したいところであります。

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