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フルスイング第二話

大分昔に観た中学生日記の先生版のような印象を受けました。

もちろん記憶にかすかに残る程度なので、お話しのテーマとか取り上げる題材なんかに共通性なぞないのでしょうけど。なんとなくそういうイメージを感じつつ観てました。

里見さん演じる教師はある種の完成されたひとつの教師像であり、その口から発する一言一句には重みを感じます。授業を受ける意義において「授業の内容が将来生徒たちにどんな意味があるのか」という問いに対して「意味など無い。」と言い切ること。そして「6時限集中してひとつの事を為すことに意義がある。」というのは、確かに社会に実際出てみれば痛切に理解出来る教えです。

仕事にのめりこめない奴に「仕事が出来る奴」という称号は決して与えられるものではありません。どの世界に進んだとしても才能とか好きだと言うだけで評価されるほど単純でも簡単でも無い筈です。むしろ厭な事のみぞ多かりき世界といえるかもしれません現実は。それを乗り越えていくためには集中することがまず不可欠なことだと思います。

しかし、そうは分かっていても、じゃあ生徒たちに「真実はこうだ。」なんて言える筈もなし。でも進学率又は成績を上げるための目先の手助けに留まることなくその先のことまで達観した上で生徒と接するというのは大きな違いのような気がしてきました。でも生徒達には理解されがたい愛情のような気がして損な役回りだなとも思います。

「親みたいな教師じゃだめですかねえ。」という問いに対し「理想ではありますな。」という応えもなんかよく分かってないですけど納得しました。さすがにここまで来ると教える者の極意の領域みたいでふ~んとしか言い様が無いですけど。

とにもかくにも先生として成長する中学生日記ならぬ先生日記みたいとマジで今回はそう思えました。他業種で実績を挙げた人が学校教育にその積み重ねたノウハウを以って突き進むという感じの回という第一回の時とは異なる印象でした。唯一にさすがと思ったのはノートに書かれてあった「才能とは逃げ出さないこと」というフレーズですか。

私的には「ア痛ッ!」な言葉でした。今言われてももう遅いやって感じです。

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4姉妹探偵団第二話

本当に素直に思った感想を述べるのなら、児童文学というか絵本を観てる感覚でした。

夢があるとかそういうことじゃなく、とてもお話しが面白いように都合よく廻って行くという感覚です。だから非常にテンポ良く重苦しくなくサクサクっと読み解いていける訳で悪い事じゃないです。ただ読む年齢を区切られてる感じがしないでもないです。

お話の流れは非常に無駄が無くて、全てが終焉にむけて繋がっていく緻密さと言うのを感じるのですが、それをいっちゃあお終いよっていうとこがやけに気になるお年頃です。

一例を挙げれば、意識を失って放って置けないというのは正論です。だからと言って家に連れてこなくても救急車を呼ばずとも普通は医者に連れてくだろうに。みたいな感覚です。お話しとして家に来てもらわなければ話が繋がらない訳だからとった行動は理解は出来るのですが目的の為に手段を選ばないみたいな感じでなんだかなあ。ってな具合です。

あちらを立てればこちらが立たずなんでしょうけど、私はこちらを立てればあちらが立たない方が好みなんでしょうね。

そんなこと書いてても観てるのは、役者さん目当てなんでしょうねえ。室井さんと生瀬さんですよ。吉沢さんも働きマンで堪った鬱積みたいなもんが一気に弾けてる位メリハリがついてるし(冗談ですよ勿論)。しかも今回は予想外にも前田亜季さんまで出てらっしゃって(髪が長いが地毛なのかなあ)、今回はおられなかったけどこれで竹中さんが絡んだらどんなになるんだろうという怖いもの見たさがあるんですよね。

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エジソンの母第三話

未来が読める人がいる筈も無く、天才の可能性を持つものとイレギュラーで社会性を持ち得ないものとの違いを見極めることなんて果たしてできるのだろうかという疑問を投げかけてるのかなとも感じるドラマの印象です。

学校の同級生とか近所、あわよくば親戚の中から「天才」でなくとも「有名人」が出現してくれたら私の人生楽しいだろうにと思うことがありましたわ。自分じゃなれないってことくらい早くに気付いていたから、せめてそういう人間を知ってる。しかも向こうもこっちの事を知ってるなんてことになれば、自慢げに言いふらして意味も無い優越感を味わえるんじゃないかということですよ。

今のところそんな人はいないんで「類は友を呼ぶ」という真実の言葉の説得力を痛いほど噛み締めているわけですが、そんな私ですので「天才」の可能性のある未完成な人間というのは見たことありません。なのでテレビで見るしかなく、これがそうだという設定になっているからこの子のやることなすことを、それなりに理解しようとして観てるわけですが。

もし、そういう将来の姿が見えていないとしたら私には松下さん演じる先生のやることなすこと全てに共感すると思います。杉田さん演じるお母さんも決して悪役としてでなく子の将来を憂う必死な母親と映る事でしょう。

今のところこの「天才の卵」を「将来の天才」と認識しているのは母親と美浦(谷原さん)の二人(もしかしてBOBA校長も)だけです。美浦には立場上の説得力があるから規子(伊東さん)も引っ張られてそう思っているのかもしれませんが、現実的にそういう「天才の卵」というのがもしかしたらたくさん存在してるけど、周りの不認識で孵化する前に割ってしまっているとしても、そうそう美浦のような発見者(お墨付きを与えてくれる人)は世の中に多く出回ってる訳ではないでしょう。

そういう意味で、受動的にではなく普通の人の代表ともいえる規子自らがこの子の特異性を発見し守り育むという姿勢でないといまいち現実の社会にフィードバックできる要素が見当たらないような気がします。なのであまり美浦を便利使いし過ぎてしまうとこれは特異なケースであって現実社会へのメッセージであるというパワーが失われてしまわないかと余計なお世話を感じてしまいました。

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未来講師めぐる第二話

面白いとなればとりあえずなんでもやろうかねえという貪欲さを感じております。お爺ちゃんが太極拳のおばあちゃんに声掛ける辺りなんざ、ドラマというより何かのレポート番組のレポーターみたいな感じでした。思わず地井さん芝居するの忘れてますよって突っ込みそうになりました。

塾の教員室でのやり取りはドラマの筋書きとはなんの関係性も見出せない、ひたすら受けてナンボの世界ですし。相変わらず勝地さんと田口さんの入れ替わりにはタイミングドンピシャで笑えるし。お父さんは貧乏なのか金持ちなのかよく分からない。その癖ストーカーまがいの暇人で余計なお世話を陰日なたでのべつまくなしやってひたすらかき回してるだけでなんの実にもなってない余計なおせっかいだし。しかも悲壮感が全く無い。影響力も無い。

深田さんはホントアイドル的笑顔作らせたらクラクラっときてしまうほど絵になる人です。もちろん全編通してそんなんだったらアイドルのプロの方にまかしてもいいんでしょうけど、食い意地と色男にはそういう顔を見せて、ドラマのお話しの流れの時にはきちんと役者さんの顔でと使い分けが出来ているから、単なる浮かれたお笑いを追求したドラマではなく、今回で言うと挑戦することの大事さとか目的を持つことの大事さをそこはかとなくメッセージとして伝わるドラマとして成立してると思えるんですよね。深田さんには妙な説得感を与える印象を受けます。「こうしなくちゃ駄目でしょ。」と言われたらなんとなく無条件で「はい。」って言っちゃいそうな説得力です。

確かにこの役深田さんだからこそ成立するんだと思わないでもないほどのはまり具合です。

以前の勝地さんイメージ的に三浦友和さんを若くした感じに見えてたんですけど(三浦さんが若かった頃じゃないですよ)、痩せられてそのイメージが消えた感じです。おおらかで包容なイメージから爽やかな好青年になったって感じです。良いか悪いかは観る人ごとの好みでしょうからどっちがって言う気はないですけど。私的にはその全部兼ね備えて見えればいいなあと欲深い事考えてます。でも田口さんとの違いを強調するためにもこのドラマではこれで正解だろうなとは思ってますけんど。

構えて観るドラマが今月多い中で、能天気に世界に入り込めるこのドラマは私にとってはホット一息なココア的な美味しさです。出来ればだらだらとなにも変わらなく楽しいこの世界が続いてくれると嬉しいなと。明日も明後日も塾でのやり取りが同じように続いてくれるのが最高のハッピーエンドです。

しかし立ち退きさせるための嫌がらせのように「地デジ」への切り替えを促すテロップは勘弁して欲しいものです。

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*なにょ

「おんしゃなにょこくだあ。」(君は何を言っているんだ。)

「なにょ」・「なにょう」とは「なにおう」(何を)が訛ったもの。

効能としては呆れてるというニュアンスを含ませつつ喧嘩腰という空気感を醸し出すところであろうか。

例文綴り

「なにょう寝言こいとるだあ。」(何をとんちんかんなこといってるんだ。)

「なにょうこいとるって正論こいてるに決まってるじゃんか。」

  (何を言ってるって、正しい事を言っているに決まってるじゃないか。)

「おめえ一体なにょうわしに喰わさす気でおるだあ。」

  (あんた一体全体私に何を食べさせようとしているんだ。)

「なにょうやらすとしてるだあ。」

  (何をやろうとしてるんだ。)

共通語での「なにをっ!この野郎」というのを「なにょっ!この野郎」とは普通は言わない。言ったところで迫力がない。

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ばかさぶい

ここんとこは物凄く寒い。「どさぶい」を通り越いて「ばかさぶい」。

浜松は雪は舞い散るものであって降るものでも積もるものでもない。朝っぱらはさすがに氷は張るけど。物凄い昔には積もった記憶があるが、ここ何十年かはぽんぽんでも車でも滑っておーじょーこいたこたあない。だけど今日なんか曇ってたら落ちてくるのは雨じゃなく雪になってもおかしかない。

いつもなら乾燥注意報が出まくりの季節なのに何故かここんとこ雨の日が多い。地球温暖化のせいにしてしまうのは簡単だけれど、今日は幸いにして曇っちゃいん。

だけど「ばかさぶい」。これで夜んなったら日い当たらんくなる分「くそさぶく」なるだらなあ。

「煙草辞めますか人間辞めますか」と健康診断で問われた時「人間辞めます。」と宣言した身ではあるけれど、今日もし煙草が切れたとしても夜買い行くには人間として寒さの方を優先しそうである。

そんだけ「ばかさぶい」。しかも煙草が切れそう。どうせすかなあと思案に暮れるし日も暮れる。途方にくれても恵んでくれる人も無し。悲嘆にくれても仕方無くどうしてくれると悩みつつ、しょうがねえなと買いいかすかなあ。でも「ばかさぶいよー」

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鹿男あをによし第二話

ストーリー展開に絶対的な自信があるのか、サービスショットというか観る者をとりあえず繋ぎとめようなんていう感じのシーンがなくて、非常に真っ直ぐ進んでる感じです。ホント余程お話しに自信があるんでしょうねえ。と、第一話を観た時そう思いました。

そんで第二話になって徐々にではありますがストーリーが動き始めてきて、別に玉木さんがスーパーヒーローとなって日本を救うとかいう超奇想天外なお話ではなく、使命を帯びた使いとして壮大な展開を手助けする感じのように感じました。それも昨日今日訪れた危機ではなく古代より受け継ぎし災難というものを封じるというお話しみたいで。そうなると日本の歴史というものに多少なりとも興味があるとしたならばより深く愉しめそうだなという予測が出来ます。はたして古代の巫女(?)卑弥呼(?)が託した「お前たち」とは鹿なのか狐と鼠も含むのかそれとも全く別のものなのか。歴史に興味があれば楽しめますよとアドバイスを戴きましたが、確かにそんな感じがしてきました。

過去から連綿と繋がる謎という他に、学校創立時における謎。運び番は一人ではないのか。玉木さんは何を持ってこれなかったのかそしていつ奪われたのか。などなどわからない事ばかりです。

幸いにして原作とかを基本読まない私としては、この先どうなると言うはらほれひれはれな感覚で展開を追っているので一喜一憂しながら観る事が出来る醍醐味というものを味わえるんですわ。

それにしてもキャラクター設定が面白いですよね。綾瀬さんは、らしいというかなんの違和感もないキャラですけど歴史だけはやけに詳しいというので、観てる側に親切なガイド的役割を担っていて助かります。それに能天気なので観ていて心が和らぎますから。脱線話しですが飲み食いしてるときのお芝居はホント素直で上手だなあと。マジで食べることが好きそうに見えてきます。

玉木さんはもう主役ですから良いとか悪いとか言っても詮無いことなのであをによし。

意外なのが児玉さんのキャラですよねえ、下宿での噂話を信じるならば見た目の紳士とは裏腹な人でこの先色々とありそうな不気味な存在です。しかも多少ひょうきんだし。

柴本さんがお狐様の使いというのは何故か納得です。別にお顔が狐に似てるとか言ってる訳じゃあないですよ(でもちょっと似てるかも)。あくまで雰囲気がということです。もしかしてその雰囲気に惑わされて勝手に使い番だと思い込んでるんでしょうか。

それよりもなによりも山寺さんの声がいいですよねえ。鹿に迫力が付け加えられた感じがします。

判らない事だらけですがなんか面白そうです。空気感を味わうと言うよりもお話しの展開を愛でる印象なので、謎との対決に目線を合わせたほうがいいのかしらむ。

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*やっしょう・おいっしょう

浜松祭の「錬り」での掛け声として発せられる酔っ払いの言葉。

ここで言う酔っ払いとは、酒で酔う奴もいるが、雰囲気というか一種の興奮状態で精神が酔ってる奴のことを指す。

意味を判って発してる者はおそらくいないだろうし、書いてる私も知らない。単なる掛け声だといえばそれきりではある。

「しょう」という言葉は、「さしょう」(させろ)・「かしょう」(貸せ)・「やらしょう」(やらせろ)・「まかしょう」(まかせろ)という使い方がある。

どこぞの唄の合いの手で「やっしょうまかしょう」というのがあるがそういう使い方と同じなのであろうか。しかしいづれにせよ「やっしょう」を共通語に訳せといわれても知らんとしか言いようがないことには変わりはない。

超強引に「やっとさせろ」・「おいっとさせろ」としたとしても「やっ・おいっ」ってなんだあと言う説明にはなっていない。

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とくダネインタビューの岡田准一さん

非常に引き込まれるこれぞ「おのこ」ここにありって印象のとくダネのインタビューでした。岡田さんはとてもストイックな人だというのが伝わる好感の持てるインタビューでした。こういう真面目な人好きです。自分にだけでなく周りに対しても真面目な人という意味です。自分に正直なことと自分に真面目ということはやはり律するものがあるかないかで違うものだなとホントそう思えてきます。

もともとチャラチャラした感じのしない媚びない印象の方だなというイメージは持っていたんですが、観てくれる人達に喜んでいただけるにはどう自分をその方向に持っていくかと言うよりも自分が思い描く世界を具象化してそれを観て感じてもらえるかという考えに重心を置いておられる「創造者」の人なんだなあと。

若かりし頃はなにもかもが不足して単なる「想像者」でしかなかったそうですけれど、年齢・経験・実績が徐々に積み重ねられてきて、今からさあ翔ぶぞという意欲に満ち溢れてて「今後の岡田准一作品要チェック」と感じました。10代の頃からなんとなくでしょうけれども作り上げたい「世界」を持っていてしかも忘れることなく今それを現実にしようと思考しているというのは凄いなあと。普通は想うだけの「妄想」で終わってしまうものなのですから。

「創る」というのはエンターテイメントの世界では、今はもうただそこらに転がっているパーツを拾い集めて組み立てて「作る」だけではもう誰も楽しめない二番煎じになっている。だから冒険を犯してでも命懸けでも探しにいかなければ「創る」という行為は成しえないのだと。

そしてそれを形として組み上げてく上で、単に役者としてではなく作り手の一員として参加していきたいという表現者だけに留まらない創造者への道を模索されてるようでもあります。脚本家さんとのSPを創り上げてくというくだりは特にそう感じました。

役者さんという表現よりも俳優という表現の方がしっくりくるという感覚です。

10分程度のインタビューでありましたがもう少し見たかったなと思いました。

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*ちったあ

少しくらいはと言う意味。「ちょっとは」が「ちっとは」にそして「ちったあ」に変化したものと推察される。

例文

B「あんたこれどうしたよー。」

  (ちょっとお、これどうしたの。)

A「買っちったい。」

  (ついつい買っちゃった。)

B「なんでよ。安くなるまで待つって言ってんかったっけ。」

  (どうして?安くなるまで待つって言ってなかったっけ。)

A「あのな、どうせいつかは買わすかと思ってただけど金んないもんでえ店屋で、ちったああれだら?まかるだら?って半分洒落で言ったらあ。」

  (えーとねえ。いつか買おうかなとは思ってたんだけど買うお金がないから、お店の人に半分冷やかしで、少しはまけてくれるんでしょ?って聞いたの。)

店の衆「勘弁してやあ。うちだってきつきつだもんでえ、つらいだよおそう言われると。」

  (お客さん勘弁してくださいよ。当店ではこれが精一杯の勉強させていただいた価格なので。これ以上というのはどうか・・・。)

A「つうもんでまあやっぱ止めすかたあ思っとっただけどさあ。」

  (なんて言うから予定通り買わずに帰ろうと思ったんだけど。)

店の衆「ほんじゃこれサービスでつけるでさあ。買ってやあ。」

  (それでしたら、サービスとしてこれをつけますので如何でしょうか。)

A「なんつうもんでそりゃ得したと思って買っただよ。」

  (なんて言われておおそりゃ得だと思って買ってしまった。)

B「ふんでおまけがこれけえ。」

  (それで?おまけがこれ?)

A「ええらあ?」

  (いいだろう?)

B「使い道あるだけえ。」

  (使う用なんかあるの?)

A「そういわれると困るだけえが。なんしょ得したでえ。」

  (そういわれちゃうと困るけど。とにかく得したの!)

例文からは外れるが、安ければとかタダのおまけが付けば得したと思えるのは「安物買いの銭失い」の鉄則か。「猫に小判」的な使わなければどんな高価なものでもゴミでしかないともいえる。めんどくさがり屋のゴミと共存する部屋と使いもしないものに囲まれて居場所が狭い部屋と対して違わないと言えなくも無いか。

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斉藤さん第三話

なんかのニュース情報で視聴率が第一回よりも第二回が良いと言う右肩上がりで話題になった「斉藤さん」です。漫画での原作があったんですね。今日の最後の原作本プレゼントのお知らせを見て知りました。

原作にどのくらい忠実なのかは知りませんが、キャラが濃い分観月さん役作りに苦労されてるんじゃないのかと余計なお世話を感じてしまいます。サイボーグのように強く逞しく、群れない逃げない見過ごさないってだけのキャラならいざ知らず。子を持つ母としての優しさや包容力と言った人間的な魅力も混ぜ合わせなくちゃいけないわけですから、ホントどないせいっちゅう感じでしょうね。しかも怖いもの知らずで立ち向かうわけではなく、怯えながらも勇気を振り絞る弱い部分も表現として味付けしなくちゃいけないんですから。

やはり女性は結婚した方が柔らかく見えるもんだとミムラさんを見てつくづく思います。力の抜けた自然体かどうかは断言できるほどではないですけど、何かに媚びていない印象を受けます。でもなんでしょうねえ。真野若菜目線で斉藤さんを描くという設定とは言え3分しか出れないウルトラマンじゃないんだからもう少し斉藤さんを描く時間があった方が私的には好きかなと思います。若しくは、高島ドン(首領)目線からも斉藤さんを描くとか。もう少し色んな視点から斉藤さんという存在を見てみたいです。浮世離れしてる人だから人によって見方捉え方がどう違って映って見えるのかなと。

それにしても高島さんへの表現、大奥だ極妻だと毎回変わってません?憶えたり書くのにめんどくさいなとも思ったんですけど、こうなったらどこまでころころ変わるのか開き直って愉しむことにします。さあどんくらい呼び名が変わるんだ濱田さん。

で、今回の展開ですけど、あの高校生のオイタは充分犯罪じゃないですか。常識で図ると警察沙汰だと推察される訳ですが、何故か警察は登場してこない。余程信用されてないのかと勘繰れなくもないお話しです。いくら市会議員の息子という権力が介在しているとはいえ斉藤さん以外は皆泣き寝入りして堪えるといのはえらく切ないお話しですなあ。まあ荒れてる本人たちを救いたいという大乗的な慈悲の心から敢えて犯罪としない斉藤さんの広い御心に関心するばかりですけど。

孤高の闘いから意外なところからの支援者が現れるのは、やはり人徳がものを言う。正義は勝つって勢いでそれはそれで「ええ話しやあ」とは思うんですけどとても唐突過ぎなくも無い印象を受けました。マンガみたいと思ってたところに原作本プレゼントのお知らせで、マンガかあと思った次第です。マンガを人が演ずると出てくる矛盾と言うものが垣間見られたのか、多少はしょりが多くてついていけなかったのかは判りませんが、なんかページを飛ばし読みしちゃったような感覚を憶えました。

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ボンビーメン

録画ではありますが、日にち遅れでもありますが、とにかく観ました。

漫画みたいなお話しですけど、人が演じるからこそ面白いって感じでテレビドラマならではの善良性を感じます。最初からぶっ飛んでる感じなので何やってもアリみたいな勢いで各自のキャラクターに親しみが感じるようになれば面白いだろうなという予感がしてきました。

借金まみれという負の財産を抱えながらも明るく生きていこうという多少のメッセージ性をもつドラマなのかなと勘繰れなくもない印象でした。額から言って余程の一発逆転を狙わないと返せない設定になってるので、借金漬けで、美味しく発酵するか単に腐るか。腐ったらお話しにならないので発酵するという展開なんでしょうねおそらく。ちゃちゃちゃっと取り急ぎ観たもんでこれであってるのか自信はないですけどなんとなくそう感じました。

明るく正しく生きようが、心の病によるものであろうが、自分以外の周りの環境によるものであろうが、とにもかくにも生きてりゃ誰しも負の財産を背負ってる現実。

桁の違う生活をしている人だって回転している資金の流れからつまみ食いして謳歌してるだけのことで全てが自分の金だなんて思ってないでしょうし、そういう回転や流れが止まってしまったら一気に流されて貧乏というこちら側の世界にやってくる不安とも日夜戦っても入る筈でしょうから。

まあ、とにかく金がなければなんにも出来ない訳ですけれども、少なくとも金に極力頼らない生活スタイルというものを見つけたもの勝ちっていう考えはあります。そういう意味では主人公(小栗さん)には借金返済はやっつけ仕事でお金を求めることよりも他に成すべき事があるという姿勢が見えるようでそういう意味では未来は明るいのかなと。

それにしても山田さんの買い物依存症という設定には何故かリアルを感じてしまいます。お芝居がお上手ということもありますが、それよりも実際モデルという華やかな世界にもおられる方なので、派手な生活(?)というものに違和感を感じさせないものを感じます。「プルコギ」などで当たり前にフツーのおねえちゃん役もさりげなく演じてられてたし、「アキハバラ@・・・・」では格闘系だったしとホント幅広さを感じるのですが、画的に女性の中にいるよりも野郎の中に収まってるほうが光る感じがするのは私だけでしょうか。

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あしたの、喜多善男第三日

しかし緩みの無いドラマです。緊張感を持続しっぱなしでCMになると何故かホッと一息つける感じです。CM見て英気を養いCM明ければさあいくぞって勢いでみないとドヨヨンとしてしまいそうです。この作品観るのにはCMタイムは貴重な回復の時間です。CMあってホントに良かったと思える不思議なドラマです。普通重苦しいだけだったりどろどろだけだったりだと観るの放棄するんですけど引っ張り込まれちゃうんですよね訳わかんないですけど。

私は原作を読んでから臨むタイプではないので、この作品の原作は当然知らないのですが、多分文字で追うと喜多善男には空虚な匂いが漂っているんじゃないかなと勝手に想像してしまいます。それを役者さんが呼吸してる喜多善男を演ずる事によって背中に背負うものが匂ってきてイメージがやはり変わるんじゃないのかなと。字で読めばもっと淡々とした醒めた人間像を想像するんじゃないかなと。

私は妄想力が強いのか本として読んだ物を映画化ドラマ化されても、自分が作り上げたイメージが崩れ去って行くのが厭であまり愉しくない場合が多いのです。音楽でも最初聞いたものが正当で例え本人が演奏したものであってもライブバージョンとかだと興が醒めるタイプなのです。

そういう意味では原作を読まれてからドラマに挑まれてる方には動く喜多善男というのはイメージ通りなんでしょうか。私は小日向さんの喜多善男しか知らないのでどうもこうもないんですが、いい感じです。やっぱりこういう善い人が人生の敗者になって追い込まれていくのかという洒落にならないリアル感を感じます。周りの人もホント胡散臭いし。妄想力はあっても何かを付加する創造力に欠ける私としては各人物の肉付けがしっかりしてる分ドラマでいいって感じです。

最初もう一人の喜多善男が出てきたときはなんじゃこりゃと思いましたが、三回目ともなると出てくるのに馴れました。というかなんか色んなことに流されてしまって居場所がわからない迷子になってしまってるときに、自問自答のこのシーンで振り出しに戻る感覚がしてほっとする訳じゃあないけど落ち着く感じです。

今のところ謎というかよくわかんないのはなんでみずほは喜多善男と結婚したのか、三波さんは何者なのか。タイトルにある奇跡とはなにか。ですかねえ。気になるところです。みずほと会って「なんで?」と聞いてみずほがなにか答えてましたけどよくわかんなかったです。なにかと先が読めないのでお気楽主義の私には忍耐のいるドラマですが謎が分かるまで(どうせ最後まででしょうけど)緊張を強いられながらも観ようかなと思うちょります。

正直いいだか悪いだか判断のしようがないです。役者さんのパワーがなかったら多分観てないと思います。いまのところお話の落ちどころも読めないお先真っ暗な展開に光明がなにも指さない状態なので、ラストが良いと思えるかどうかで判断するしかない勢いです。少なくとも私は湯水のように使うあの金銭の出ようはもったいないとしか思えない小市民だし自身死ぬ気も今のところないのでドラマに感情移入する場はないです。でもなんか怖いもの見たさで観てるのかもしれません。

それにしても制作が関西テレビ。上川さんのスワンに続いての小日向さんの登場と。本格というか本物志向に突き進んでくれてるようで、私としては嬉しい傾向であります。発掘無い無いなんとかの反動でこういう方向性を選択してくれているとしたら雨降って地固まるって感じでいいんじゃないですか?

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*だあだあ その1

大量に・物凄くに・収拾がつかない・制御できない・際限なくなどの状態を表わす。ごく稀に支離滅裂な状態を示す場合もある。

「雨ん多いと屋根ん雨漏りだあだあでえ。」

 (雨が多いと雨漏りが凄いんだ。)

「もうね欲の皮んつっぱった衆ばっかだもんでえ、セールなんかやったらはあ売り場だあだあんなるだにい。」

  (業突く張りばかりだから、安売りなんかしたらもう売り場無法状態になっちゃうんだよ。)

英語とかを流暢に操れるようなことは「ペラペラと」表現するが、方言を出さないようにとしても共通語になりえてないことは「方言だあだあ」と言う風な表現になる。

「だあだあに広い」を共通語で表現すると「だだっぴろい」が近いので、共通語の「だだ」が「だあだあ」に変化したと考えられる。

「だあだあに洩れる」=「駄々洩れ」

しかし「だだ」は単独で使われないが「だあだあ」はそれだけで意味が通じてしまうところがあるので必ずしも同じだとは言い切れないところがある。「だあだあでえ」と言うが「だだだよ」とは言わないということ。

例文

「明日行くだって?」

  (明日行くんだって?)

「なんで知ってるよを。」

  (どうして知ってるんだ?)

「○○そうゆっとったにい。」

  (○○がそう言ってたよ。)

「もー。あいつに物ゆうとだあだあに洩れるで嫌い。」

  (もう。あいつに喋ると駄々洩れになるから嫌なんだよな。)

「土産期待してるでねえ。頼むにい。」

  (お土産期待してるからね。よろしく。)

「しょんねえなあやあ。」

  (もーまったくう。)

注、「だあだあに洩れるで」は普通「だあだあんなるで」という言い方の方が多い。

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死んで花実が咲くものか

あくまで言葉遊びです。冗句です。

「死んで花見がさくものか」

耳から入った(記憶した)言葉なので「はなみ」という単語は「花見」だとばかり思ってた。だから花見ってさくものか?っていうか「さく」って漢字でどう書くんだと悩んだ。

意味としては「死んでしまったら楽しい花見も出来なくなるんだから今辛くても楽しいことを思い起こして頑張ろう」だと勝手に解釈・消化してた。

でもなんのこたあない

「死んで花実が咲くものか」

死んでしまったら花も咲かなきゃ実も生らぬ。苦労の成果は必ず未来にあるのだから自らの意思で未来を放棄するのは駄目だということらしい。

まあ誤解釈でも意味的には頑張ろうってことで当たらずといえども遠からずだった訳で、人に知ったかぶりさえしなければ恥にならずには済んでたので良かったんですけどね。

語源とか由来とかは未だに良くは知らないんですよ。

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薔薇のない花屋その2

子役は大人を映す鏡。周りの空気を読み取る感受性は自我が未発達故に与えられた生きる能力(知恵)。それだけに、ドラマの子役の人が上手いと観えるのは、演じている大人の役者さんが上手いからと言う風にいえなくもないのではないかと思うんですよね、なんとなく。

何がよい演技で何が駄目かなんていうジャッジはしてないというか出来ないと考えるんですよ自分がガキの頃と照らし合わせてつらつら考えるに。だから周りと如何に同化するかに神経がいってるんじゃないのかなと。坂本竜馬の西郷隆盛を評して言った「鼓(つづみ)のようなもの」みたいな感じで、大人の世界に合わせて子役がはねるってことなんでしょうかねえ。勿論たまあにとんでもない早熟の天才とかが出てくる世界なんでしょうけど、そうそう出る筈もなし。それでも最近上手いなあと思える人が多いと感じるのはこういう理由からなんじゃないのかなと、ふとねそう思ったわけですよ。

そう思わせる香取さん竹内さん松田さんの演技だと思います。香取さんは「なまか」の後だけにそのギャップが激しいのですが、ガリレオのゲスト役を挟んでのこの役と言うのにはその幅の広さというものを感ぜずにはおれません。

竹内さんの多面的な表情は、前回観た時ひょっとして看護士の人と白い杖ついた人とは別人じゃないのかと思ったくらいでした。そういう顔だけではなく喜怒哀楽の表情のつけ方もさりげなく自然で、ホントうめえなと感心するしかありませんわ。ところで握られてる弱みって、お父さんがってなんなんですかねえ。

そうは簡単には脚本家の方は教えてくれないんでしょうかねえ。って思ってたらさらっと手術の見返りだと説明されちゃいました。お話しの展開といいセリフ回しが絶妙で軽妙なのは直感的に作られたという印象ではなくよく練られてる感じがします。もちろん無理矢理感のない役者さんの力量によるものでもあるのでしょうけれども。特に寺島さんのセリフは凝ってる感じが強いです。しかも私好きですこういうのは。

松田さんの役どころは今回晴天の霹靂でしたわな。潜入者とはねえ。そこまでやるか三浦さんって感じです。でもそう驚いたと思わせるストーリー展開は見事だと言うことなんでしょうねえ。今後は松田さんの二面性の演技が愉しみと言うことになるわけですな。

今のところの謎としては本人すらも知らないという盲目の役を演じなければいけない理由と、薄々は予想できる栄治に対する恨みつらみの理由ってとこですか。それともまだまだ次から次へと提示されてくるんでしょうか。展開が読めないけどなんとなく明るい方向へ進んでくれそうな感じでついていけそうです。

しかし声のトーンを抑えたイメージだなあと全体的にそう感じるので、音声さん大変なんだろうなと思えるような穏やかな印象を受けるドラマです。こういうほうが感情の起伏を表現するのにじわじわっときていいのかなとも思えるなんか目新しい感じがしました。

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*かぶさる

共通語として「覆い被さる」という表現が存在しているので、特に遠州弁ということでもないのだろうけど「かぶさる」だけで色々と使うというところが方言チックかと思い記載。

当然意味は「被る」と言う意味。被せるの変化したものかどうかは定かではない。被せるだと意思が感じられるが「かぶさる」は意思の範疇ではなく状態を示す感じである。

「覆いを被せる」という共通語を遠州弁に変換するときには「覆いをかぶさる」とはならないということである。「覆いがかぶさる」(覆いが被っている)であり「覆いを」と言う場合は、「覆いをかぶす・かぶさす」となる。

もう少しわかりづらく説明しようと思ったのだが書いててこんがらがってきたのでこの辺で。とにかくニュアンスを説明しにくい言葉であるということである。

というのも「さる」という言い回しが丁寧に言う際の「おいでなさる」の「さる」(しゃる・助動詞・せらるの変化・せられる)とごっちゃになっているからである。ここで紹介している「さる」はその状態になっているという様を表すための言い回しであるのだが、その境界線がよく見えないのである。例えば「とんまさる」はどっちなんだとなると「お捕まりになられた」とも考えられるし「捕まる」とも考えられるのである。

被っているは「かぶさってる」

被せるはそのまま「被せる」若しくは、「かぶす・かぶさす」

こういう「さる」表現の言い回しは他には「おぶさる」・「とんまさる」とかがある。

例文

「あの山のてんこちょに雲んかぶさると明日は雨だで。」

  (あの山のてっぺんに雲が被ると明日は雨になるから。)

「だでなによを。」

  (だからなに?)

「だで明日あ雨だで外行く時傘忘れんでっつうこん。」

  (だから明日は雨降るから外出するなら傘忘れずにってこと。)

「すけなくとも一歩もいごけん入院患者同士の世間話じゃないわなあ。」

  (少なくとも一歩も動けない入院患者同士の世間話しじゃないよな。)

「まあそりゃそうだん。」

  (まあそりゃそうだけど。)

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松子のまどかめらが

なんかおかしなコメントの書き込みや訳のわからん気持ち悪いトラックバックが「まどかめら」を襲っています。

正直なところコメントもトラックバックも承認制にすればいいのにと余計なお世話かもしれないがついそう思わないではいられないのです。

松子の真っ直ぐな性格からして、統制してしまうのはせっかく送ってくれた人に対して申し訳ないという考えがあるのではなかろうかと想像してしまいます。しかしブログとは我が家も同然。土足で入ってくるような人にはその行為をたしなめるということは決して独善的なことではないように考えられなくはないでしょうか。

ココログセレブという立ち位置で、明るく楽しい空間作りをということなら、やって来る者が不快に思えるようなものを残していくのについては管理人として排除すべきであろうし。

松田まどかさんという個人という位置ならば、友達知人は選ぶ権利がある筈。透明な窓ガラス越しに部屋を除く人を見るなというのは当然公開ブログだから無理な話しではありますが、書き込みをするということは部屋の中に入ってくるということですから、ルールにそぐわなければ注意(削除)しても理屈に合うような気はするのですが。

そういう書き込みに対して打たれ強いとか弱いとかの問題ではなく管理人自体が居心地のいい空間であることがなにより大事なことだと考えます。言葉は暴力になりうるものですし、書き手の意図が読み取れないつたないものほど凶器になりやすいものです。何気になく言うものほど人を傷つけたりもするものです。

読み手が何を期待しているのかを考えることよりも、書き手が楽しそうにしている雰囲気が読み取れる方が見ていて楽しいものです。色んなブログにお邪魔させていただいてつくづくそう思いました。

まず管理人が愉しむ。これが一番大事じゃないのでしょうか。「まどかめら」はお気に入りのひとつです。いい方向に向かって欲しいと切に願います。

追記

1/24 訳のわからんトラックバックとかが消えていた。まずは良かった良かった。コメントを試しと言うわけでもないけど書き込ませて貰わしただけど、すんなり掲載されてて規制はしてないんだなと。でも、話しは飛ぶが自分のブログに読んでいただいた方からコメントが入って返信しなくちゃと書いて送ろうとしたら、「画像の文字を入力してください」と言う項目がついていた。?何時変わったのかなと不思議に思ったのだが1/25に自分のブログで再トライしたところそういうことはなくなっていた。ココログさんの方で色々と試行されてるのかなと思った次第でござそうろう。

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*よい

易いと言う意味。まあ方言だとは全く思っていないが。

「書きよい」(書き易い)・「やりよい」(やり易い)・「着よい」(着易い)・「買いよい」(買い易い)

「このボールペン書きよいやあ。」(このボールペンは書きやすいなあ。)

これに遠州弁独特の凄く・やけにと言う意味の「馬鹿」と「ど」を付けて言う場合には、「馬鹿」のみを使う。(ここ重要。遠州弁のテストがあったら必ず出る)

「ど書きよい」とか「どやりよい」とは言わない。

「馬鹿書きよい」・「馬鹿着よい」という使い方をする。

逆は共通語と同じで「にくい」。どうしても方言ちっくにしたい場合は「よかあない」。

例文

「どうやらすかなあ。」

  (どういう風にやろうかなあ。)

「あんたのやりよいよーにすりゃええじゃん。誰も文句いわんらあ。」

  (あなたのやりやすいようにやればいいんじゃないの。誰も文句いわないでしょう。)

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ハチミツとクローバー

テレビでもやってる今、敢えて映画の「ハチミツとクローバー」の話題を振るのは、まあそういうことです。原作は知らないので映画の中の彼らが多くの人からみてイメージ通りなのかは分かりませんが、私は映画で満足です。

映画で受けた全体的な印象は、切ない故の息苦しさみたいなものが画面を通して伝わってきたというところでしょうか。決して重苦しいものではなく「若者」というよりも芸術畑にいる人間独特の「馬鹿者」の雰囲気で、全体に流れがちな心の闇に吸い込まれそうな薄暗さと言うものを吹き飛ばしてる感じがします。

伊勢谷さんがそんな「馬鹿者」を説得力のある存在感で表現されているので、私みたいな鈍感なものでも、ここは美大の世界の物語なんだということが判ります。それに引っ張られるように他の役者さんたちもその世界の住人として違和感なく見ることができます。

その中でも、はぐみのいとこ花本先生役の堺雅人さんの研究室で森田からお土産貰うあたりのシーンのお芝居が実は私がんこツボです。というか「おおー!」と思わず感嘆してしまいました。滅茶苦茶ノーマルでなんのけれんもない自然な演技でこんなの見たこと無いと思える程リアルで本当にいそうな存在感がありました。オーディオコメンタリーで蒼井さんがマネージャーさんと二人で「上手いよねえ」とプロの方が何気に洩らされていたくらいですから私だけの感覚ではないと思いますがどうでしょう。

決して観終わって清々しい心持ちになるようなものではありませんが、苦いチョコレートを噛みもせずに口の中でとろけさせて余韻をずっと引きずるような味わいを感じます。片想いの切なさを描いた切ない話しと書いてしまえば実も蓋もない話しですが。見た目はチョコだからイメージとして甘い筈だけど食べてる当人にとっては苦いだけってことで。でも確かに青春という期間限定チョコを食らってるという。まあそんなイメージですよ私としては。

ハッピーエンドを好物とする私であっても、この終わり方でいいんだよなあと納得させられる雰囲気を持ちます。他人には心の内を知られたくない出来事というものを(どう言う立場でかはともかく)それを覗き見してる感覚で、まあ見てるものとしてはがんばれよと思うしかない感じになりますです。誰しもが大なり小なりこういう経験がある訳で、自分のことを振り返ってみると実とはなってるけど決していい想い出ではないという奴ですわな。もちろん年齢によって解釈は異なるんでしょうけど。世の中そんなに甘くないと言う奴ですよ。

あと、音楽が菅野よう子さんということで、興味のない方にはどうということもないんでしょうけれども、この菅野さんの独特な世界観を味わえると言うことでも魅力でもあります。スピッツも主題歌だし。

いづれにせよ、いい映画ですわ。時間的には116分で長い訳ではないのですが幾分まったり感がある(劇的な出来事が無い)ので感覚的には長く感じられる世界です。要はこれくらいでいいんじゃないのかなと。これ以上長いとちとダレそうです。役者力も世界観(時間の流れ方とか音楽や画の色調)も空気感距離感も愉しめてよく出来てると思います。

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4姉妹探偵団第一話

いきなり家一件まるまる燃やしてしまう太っ腹な映像で始まる気合の入り方。なんか映画っぽく見えてしまうのは贅沢なシチュエーションだからでしょうか。ホントに燃やしてたようなで。

火事の翌日の家の前の通りの坂道の映像は一瞬「マークスの山」のデジャブーかと思うくらいよく似た景色でした。錯覚でしょうけど思い込みと言うのは恐ろしいものです。いい加減なことをあたかも真実と思ってしまうのは見てるようで見ていないのと同じで危ないことです。

四女の国語が苦手という設定で、それを茶化す刑事とのやり取りが私ツボです。言葉遊びの要素も含んでいて、これを売りにして毎回遊んでもらいたいところですが、脚本書かれる方、頭を振り絞るのに苦労されそうです。その割りにテンポ優先でさくさくっといってしまうのは致し方なく苦労の割には縁の下の力持ちみたくて、メインの売りにならないのですが私は愉しみにしてると応援します。願わくば今回限りのお約束ギャグでないことを祈る次第です。

周囲を固める役者さんはアドリブを丁々発止で悦とする方で固められてるように思われて、夏帆さんはじめ四姉妹の方々は鍛えられそうな感じです。っていっても中越さんサラリーマンNEOで鍛錬されてたっけ。加藤さんはココリコなんとかでコメディ挑戦されてたけどあれは作り込みの愉しさであって状況反応の悦じゃないもんなあ。夏帆さんは山下監督に鍛えられたことによって(勝手にそう判断してますけど)安心してお芝居観てれるけどアドリブって方向性には見えないけど、むしろ合わせることよりも周りに捉われないでしっかりしたお芝居でいって欲しいなと。機転を利かした俊敏性というよりも、なんかしっかり作り込んでいく方がいいんじゃないかと勝手に想像するわけです。決してキレイカワイイという役者さんではないような方だと笑顔で明るく華がありゃあいいというような方ではないと思っとりますです。

雰囲気を愛でる作品であって謎解きに知恵を巡らす快ではないような。推理にツッコミいれてたらキリがない感じなのでここはやはり各自の際立ったキャラクター達が巻き起こす空気感を愉しむドラマなんでしょうね。犯人が判ってからのドタバタした雰囲気はサスペンス劇場とかでよく見る絵づらなので私的には探偵なんだから逮捕は警察に任せりゃいいじゃんかあ確定に至るまでを濃密に描いて欲しいと。まあ濃密と言っても紆余曲折を愉しみたいんですけどね。

それにしても新二さん。建築会社辞めて刑事さんになってたんですねえ。まだ松方弘子とお付き合いしてるんでしょうか。でも相変わらず女性の方々にいいように振り回されて。これも運命なんでしょうか。なんて冗談言いたくなるくらい吉沢悠さんいい人お人好しキャラ安定してます。一人くらい普通の人がいないと収まらないですもんね。もちろん吉沢さんの名誉の為にいっときますが、強引に繋げて言ってるだけできちんと違う役を演じてられておられます。けっしてワンパターンではありません。

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SP第10回

なんか幻覚と現実が入り混じってて追っかけるのにちかれたび~。

緊迫感を煽る映像なだけに余計神経おやしそうでホント頭爆ぜそうだわ。

なんかおいてけぼり食らったような感覚で誰の生き死にに対しても感情が麻痺してしまいました。ボールが幾つにも見える魔球に手を出した空虚感を味わってる感覚です。こういうの好きかと言うと疲れるとしか言いようがないです。オズマみたいにブンブン数を振り回さないと愉しいツボにヒットしそうもないって感じです。

短文ではありますが、以上、感想とさせていただきます。

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*ひーこらいわす

遠州弁かどうかは確信がないのだが、使い方は下記の通りがうちの集落での使い方となる。

自身の状況を言う「ひいこらだよ。」(大変・一杯一杯)の場合

とにかくしんどいとかえらいとかを伝える表現となる。あまり自分に対しては使わない言葉ではあるのでこういう使い方はほとんどないが。

他人に言われる「ひいこらいわすぞこの野郎。」(しんどい目に遭わせるぞ・痛い目に遭わせるぞこの野郎)の場合。

泣かす・痛い目に合わす・とっちめるといった懲らしめるような表現で使う。分解すれば「ひー」(叫び声)と「言わせる」となる。「こら」はどこ行ったのかと言うツッコミには沈黙。

つうか「よっこら(しょ)」・「よいしょこら」・「えんやあこら」・「こらさ」と「ひいこら」の「こら」は同一種もしくは親戚と言う風にもとれなくもない(推量だが)。共通語での「こら」は「こりゃ」と同じで、「こりゃまたどうしたことか」というような使い方で意外だという感情を表現する言葉として使われるとなっている。この同一ではないかという考えの弱点は「ひーこりゃいわす」とは言わないという点である。なので説得力にはイマイチ欠ける。

どちらかといえば重労働を課すぞみたいなニュアンスだという説明の方がしっくりくるような気がする。

実際の使い方はマジ喧嘩の場で言うような戦闘的な言葉ではなく軽いジョーク的に使われることが多い。言われた方にとっては洒落にはならないが。たまに怒りの感情で言う人もいるが、聞いてる周りの衆は失笑してしまうことが多いので本気で怒るようなときには使わないほうがいいような気がする。

注意点としては、男子が女子に対して使うとお下劣な下ネタ表現になるので不用意に使わないほうがいい言葉である。したがって誤解を招いてもいけないので例文はいいとこまんじゅうということであえて書かない。

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