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まどかめら9/13の記事を読んで

なにはともあれ舞台無事終了にておめでとうございます。大きな経験値を積まれた様で今後の益々のご活躍を期待いたしますです。

ところで

「恥じにさらされることを恐れ」というフレーズにやけに引き付けられました。そういうものなのかと。

普段では決して他人には見えないもの見にくいもの見せないような人間が持つ内面とかのものを観てる側に明確に示すためにそれを隠そうとする防衛本能みたいな意識をとっぱらわなくてはならないのだという意図するところはそこはかとなく自分なりに解釈するのですが、「恥を知ること」が何事に於いても社会の中で根幹となるたしなみだと思って生きてきたつもりの私にとって、役者さんに必要とされる術(すべ)にそういう条件があるというのはやはり非日常的なものなのでしょうかお芝居(役者さん)というものは。

もちろん劇場と言う暗く閉ざされた空間で実際生きてる日常の世界から観衆は劇という異世界へトリップする訳ですから、日常から脱却することは不可欠な要素なのかもしれませんが、少なくとも物を演じるならいざ知らず人間を演ずるのですから根幹となる部分は存在していなければ人と認識できない(感情移入できない)んじゃないのかと思ってしまいますです。まあその加減の塩梅の問題なのでしょうけど。

舞台とか芝居でなくとも人前に出ると言う行為そのものが勇気のいることではありますが、だけれどその時に起こる鼓動の高鳴りは失敗への恐れとかで恥じに対する恐れとは異なるものだと。私は芝居なぞしたことがない(やろうという気も無い)ので体験上において理解するということが出来ないのですがそれはよくやるよなああんなことと思われることに限ったことなんでしょうか。

恥と知った上でそれをさらせというのか恥と思う概念を放棄せよというのか

そして恥をさらしてでも得たいものとはなんぞや。観てるだけ~の人間には理解できないことなのだなと。知る必要もないことなのかもしれませんがえらく惹かれ答えを知りたくなった言葉でありました。

そしてその感覚は舞台のみに限ったことなのか映画テレビにも共通するものなのか。問うてもせんなきことなのやもしれませぬが好奇心から知りたい気分になりましたであります。

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なんだかなあ9

浜松東映が10/3を持って閉館となるとな。

田舎に住む者としては都会で観れるものの半分も観れてないのだけれど、東映作品だけは確実に観ることが出来てたのに。

商売繁盛の作品しか観れなくなることに拠り一層拍車がかかってきたことになる。そういうものにしか飛びつかない客の質の側にも責任はあるのだろうけれどなんだかなあではある。

確かに浜松東映は装備というか音響においても改善をついお願いしたくなるような決して文句のつけようが無い映画館と言う訳ではなかったですけど。

シネコンの功罪を問うつもりは毛頭ないけれど選択肢が狭まれることは嬉しくはないことは確かである。

根付くことの無い流行だけが生き残り、根を張らすべく土壌を耕す人がいなくなって痩せていくのみであるかのような。かくして浜松の文化過疎化計画は粛々と進んでいくのであった。

そういえばパチンコ屋も街と呼ばれるエリアから姿を消しているそうで。昔は「街に出る」という表現を使う日常から離れたエリアだったけど、今は「街に行く」で用がある時に行くリアルな場所に変わったんだろうな駅の周りは。

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越境捜査

この色調はテレビ朝日独特なのでしょうか。陰鬱というか影(登場人物の背景)がやたらと映りこんで見えますです。最近でもゴンゾウとかも同じ匂いを感じます。

テーマというかモチーフも組織の腐敗とかを得意とされてるようで、それに個人で孤立無援ながらも立ち向かう感じですが、米国作品のように勇壮感の欠けらも無い勢いです。むしろ義務感と言う悲壮感漂う感じです。これが日本人のヒーロー像なのでしょうか。

物語は警察内部にはびこる強大な組織の中に潜む獅子身中の虫を追い出さんと正義の鉄槌を果敢にも振り上げるお話し。いい意味のドンキホーテとも読める訳ですが、信頼していた人までがもしやもしやの疑心暗鬼という展開は昼ドラの野郎バージョンみたいでどろどろです。予想外の展開と裏切りの展開は違うものであってこの展開はじとじとした日本の気候のままに湿気てる感じがしますです。最後は晴れるんでまあいいんですけど、こういう展開を好む人はいるかしらんと思えたりもしますです。壮大な物語が多いアニメやマンガでは友情と信頼が第一のテーマであって裏切りを描くことは嫌われるような気がしているのでそういう感覚はドラマにも当てはまるんじゃないのかなとふと思いました。

唯一予想外だったのはこういう場面で終わりかよということでした。確かに事件の全貌は明白になったのでありますが、しかしながら誰も捕まってはいない。捕り物帳としての見せ所を廃棄したとも映る訳でありまして。とても不思議な印象でありました。好きか嫌いかと問われたら、まだ続きがある風にしか見えないんで微妙~と答えるしかない感じです。

組織で何か事を起こったことに対し「責任者出て来い!」と叫んでもみんな「俺じゃない」と思っていて「言われたことをやっただけ。」という答えが返ってくるから始末に負えない「赤信号みんなで渡れば怖くない」なのでしょうけど、最後は何故か人手が足りなくて警察の超お偉いさん自らが実行犯となるという展開は「責任者はお前だな」と決め付けるために必要なことだったんでしょうけどなんか安っぽい権力に映りました。

なんか悪口雑言垂れてるみたいになりましたけど医療はフジ・教師はTBSとかいう看板でいったらテレビ朝日は刑事モノを得意とするんだろうなという印象を受けまして、少なくともゲーム感覚では事件を扱わない造りをされるんだなという感じがしました。各登場人物の背景と言うものがものいう感じで役者さんの力量を問われることにもなる訳で、役者さんを観るにはいいのかもと。

私はお気楽系を得意とするので、この手のものはあまり食指が動かないのですが寺島進さんと夏八木勲さんを観たくて観ておりました。やっぱ存在感あってよかったですわ。夏八木さんが悪党やるのは似合わないイメージを勝手に持ってるので主人公と娘さんが一時期疑う辺りは新境地開拓されたんかと思ったんですが、そうならなくて良かったというのが素直な感想です。

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*じぶん

漢字で書くと「時分」。古い表現が遠州では現役として使われてるということであろう。遠州弁での使われ方を訳すと「頃」が適切か。

例文1

「あれえ、はあやってるだけえ。」

  (あれ?もう始まってるの?)

「今時分来て何ゆってるよおあんた。」

  (今頃来て何言ってるんだよ。)

例文2

「この時期はなに美味しい?」

「今時分だとさんまかなやっぱ。」

例文3

「もう着いただかいやあ。」

  (もう着いたのかなあ。)

「いくらなんでもはあ着いた時分だらあ。とうに着いちゃいんとおかしいにい。」

  (もうとっくに着いてる頃でしょう。着いてないのはおかしい時間だと思うよ。)

「それにしちゃあ電話して寄こさんねえ。」

  (それにしては着いたって連絡来ないねえ。)

「どっかよそ行ってるじゃないの。」

  (どこか寄り道してるんじゃないの。)

注、「よそいってる」を「寄り道」と訳したが、厳密に言うと「他の所に行っている」という意味である。

因みに共通語の「時分」を辞書で引くと適当な頃合・よい時期となってるので、頃合と言う意味が強調された形になってるのが遠州での使い方であろう。

「時分ご自愛下さい」という言葉なのだが、「十分ご自愛下さい」の聞き違いとか「自分はご自愛して欲しいと願ってる」とかだと思っていたのだが「今の状況を鑑みてご自愛下さい」という意味であったことを最近知った。あれまぁという想い。

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コード・ブルーその11(第11話)

「医療ドラマはフジテレビ」の看板を背負って、見事無事に大役を果たした感じのコード・ブルーでした。きちんと継承されてるだけでなく恒に新しい視点を探して描きだすところが凄いなとその取材力(リサーチ力)構成力に感心いたします。

まあ、ドラマの本筋的感想を述べても他でもっと懇切丁寧に述べられてることと思いますので、私としては私らしく枝葉の感想に終始したいと思いますです。

*ドラマに登場した運ばれてくる人達のことですけれど、こんだけ得々と自身のことを医者に語る患者さんが多いものなんでしょうかと思いましたです。そんなこと聞いてしまったら情が移るだけで聞いてる方は心が痛むだけじゃないのかと。助けられればいいけど全部が全部救える訳じゃない。医療は全能ではないという類のセリフも第四話にありましたし三井先生(りょうさん)なんかはそういう情に流されて辛い目に遭われていたんですから。

直すという行為は人間に対しても物に対しても人は行ないますが、物に対する修理のように人に対しても同じような心持ちで修繕が出来るのなら、お医者さんはその持てる力量をより一層遺憾なく発揮できるだろうにと。ただ単に痛がるとか苦しむ姿を見てられないとかいうことで冷静沈着な判断や行動が起こせないということではなくその人の人生まで背負ってしまうことの恐怖心というものがお医者さんの腕を鈍らせたりするのでしょうか。駄目でしたごめんなさいという失望感を味わい責められる恐怖が増すだけなんだろうなと思ってしまいました。

人間が物と違い物より尊く替え難いのは、生きてきた分だけ箔(生き様)が付いているからで、お宝と呼ばれる品にはただ単に美しいだけではなく大抵いわれや作者とかが付加として付くものですが、人間は物よりも遥かに多くのいわれや希望とか家族を背負ってきたことによる替えがたいかけがえの無い唯一無二の存在だからでしょう。そういう存在を対象に修繕しようというのですからそりゃびびりますわな。まだ完成されていないフェローと呼ばれるお医者さんを登場させたことでそのプレッシャーの凄さが分かった気になりました。

おそらくそういう意図があってのことで、そうやすやすと心を開く患者さんばかりじゃないでしょうにとは思いました。まあ、こうすることで分かり易く劇的になるので観てるだけのお気楽者にはありがたい配慮でありました。バランス的には緋山(戸田さん)にそういう患者がよく当たってた印象で次は白石(新垣さん)くらいでしたでしょうか。4人の中で一番突き放すように話し喧嘩腰に物言う緋山なのにと不思議には思えました。藤川(浅利さん)が一手に引き受けそうに見えるんですけどそうでもなかった印象です。

*最後の重傷者を救うシーンで危ない時は退避するという決め事を破る辺りは観ていてそうでなくちゃとは思ったんですが、組織の側の立場からすると命令違反はたとえ正義であっても重罪な事で、一度それを犯してくじけそうになってた白石が真っ先に「待ってください」と告げたのは興味を惹きました。どういう思いが駆け抜けたんだろうと。「熱さ」を感じたというのがキーワードであり別の視点(名医とは)からその答えを求めていた藍沢(山下さん)が同じように感じてという順番が面白くもあり不思議でもありという感じでした。私はあの時残って救命活動続けるんだろうなとは思ってましたが、先に言い出すのは緋山かなと想像していたんで。奥さんと旦那さんを絶対逢わせるんだという情に脆い緋山が強迫観念にも近い決意を抱いていた筈なので。

*後日談での三井先生に緋山が「大切な記念日なんだからその日くらい早く帰ったほうがいいですよ。」といって宿直替わるシーンなんですが、やっぱ私には「記念日」が大切だというのは理解出来ません。女性の方ってなでこうも記念日と言うのにこだわるのでしょうか。

*それらしい人間味の溢れた会話は屋上でというシチュエーション。どの作品から定番化したんでしょうか。医龍でもトゥモローでも確かそうだったよなあというイメージがありますです。

*一番しょうもない感想ですけど、設定の舞台は千葉県。千葉の上空から富士山見えるんだと言う驚きと、高速道路の景色茶畑が広がっていて千葉もお茶の栽培盛んなのかしらんと。

*まあしょうもないことごちゃごちゃと書きましたけど、愉しかったです。若者5人が主人公ということで色んな迷路を迷いながら成長してくドラマかなと観る前は想像してたんですけど、迷いながらの成長記ではありましたが場所は迷路などではなく真っ直ぐ伸びた本線道路を行く感じの直球勝負で骨太さを感じました。決して脇道に逸れず病院と現場の中で全てを描ききったところによるものでしょうか。

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*東名

高速道路のことを言う。単純に浜松には東名高速道路しか通っていないからであるが、なんでもかんでも高速道路を「東名」と言う訳ではないが「とうめい」だけで会話が成立するのは確かである。ひょんきんな人は名阪も「といめい」という人もいるくらい高速道路は「とうめい」なのである。

厳密な発音は「とおめえ」なのだが表記だけだと分かりづらいので「とうめい」とした。

場所を示す時とかでも、「東名越えるだけ?」・「いや越す手前」とか言う風に境界線的役割もある。

例文

「こないだ東名で馬鹿やっきりこいちゃって、東で降りにゃかんとこ西まで行っちゃったよ。」

「どうしたでえ。」

「バイクで走っててやあ。インターの降り際っちゅうこんもあって多少ちんたら走ってたら。どこぞの馬鹿ぐるま いきなしかぶせてきやがってやあ。こっちバイクじゃん。東名なんかで近く寄られてみい風圧で堪らんじゃん。振られてさあ危なくこけそうになっただよお。だもんで怒れて怒れてインター無視しておもいっきし後ろ張り付いてパッシングしまくったった。馬鹿っつらっつって。」

「ほお。で?」

「で、西で降りた。」

「浜名湖のパーキングとかで停めさして説教したじゃない?」

「そこまで根性なかった。わし暴力は嫌いだもん。」

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正義の味方第10話

笑った笑った。終わり頃になってようやく槇子(山田さん)に笑えた。で、最後はほろりと来たと書くのも癪なので決まった決まった。

対比の画づらが効果的な印象を強く持ちましたです。

それにしても外国に行かないのも子供が授かったことも誰にも何も言わない人でおました。普通言うだろうと思うんですが、まあそれで話しがややこしくなって面白おかしくはなったのですけど。やはり謎多きお方ですお姉ちゃんは。もっとも演じておられる山田優さんご本人が厭味の無いあっけらかんとしたイメージなお方なのでそのオーラに助けられた部分が多分にあるのですが不思議な人間です良川槇子と言う人は。ホント理解不能でありました。唯一私でも分かることは家族が好き直樹(向井さん)が好きということくらいでしょうか。損得勘定でないところが救いです。直樹が槇子の本性を知っても好きだというのは驚きですけどまあ蓼食う虫も好き好きということなのでしょうおそらく。

虐げられてばかりの妹も、志田未来さんの苦労を屁とも思わない逞しさのイメージがあるからこそ笑って見れたのですが、結果ブログ本が売れて良かった良かったということなのでしょう。陸との出来事はひと夏の淡い記憶なんでしょうかね。さすがにあそこまでは万事目出度しとは行かなかったように見えましたけどそう言う解釈であってるんでしょうかねえ。志田さんには他にも艱難辛苦の果ての幸薄いという側面のイメージもこびりついてるものですから恋が成就するのはなんとはなしにイメージになかったのでそう思えたんでしょうか。あまり恋する乙女の周りが見えなくなるような演技は得意とされないのでしょうかなんて書いたら絶対怒られますよね。すいません。実のところは甘酸っぱ過ぎて見ておれんかったので注視してませんでしたです。

嫁姑戦争の決着(表面上?)はあまりにもあっけなく、ここまであっけないと返って平和な人達だとさえ思えるくらいの能天気さを醸し出す勢いでありましたが、一時休戦なんだろうなとやっぱり思わずにはおれません。日に日に良川家のご両親がより軽薄になってくように見えたのはご愛嬌なんでしょうか。

いつもは泰然自若としてでんと構えているお母さん(田中さん)が良川家ご一行が離縁の話しに来た時はお父さん(佐野さん)がなだめ役に回るような勢いでありまして、いつもと違う景色でありました。これはただ事ならぬことというのが伝わってきました。ああそうですか可愛い我が子をそうまで悪く言われてまで添い遂げて欲しいとは思いませんとか言うのかと思いましたんで、なにを言うかと激しく口論に至ったのは予想外でした。予想外と言うか意味不明なのがお姉ちゃんの涙の真意も予想外ではありました。あの涙のシーンは大分意外なことの連続でした。

子はかすがいとは正にこのことを言うのだという展開で全て一件落着となったのですが

それにしても全て決着つけて終る様はお見事でありました。まさしく終りよければ全てよしという展開でした。ここまであっけらかんとしているのは好物です。続編への色気なんか見せて中途半端に余韻を残す残尿感を味わうよりも綺麗さっぱりこれでお開きという方がすっきりです。もちろんもし続編があればこの家族好きですので嬉々として観ますけど。

ドラマにおける最後の正義の執行は電波に乗って日本国民に伝わった訳ですが影の功労者という扱いでしょうね。メイドイン槇子と銘打ってた訳じゃなかったので。これだけ国を見事活性化させたんだからあれは誰?とかいうことはなかったんでしょうか。ちょっと気になりました。

気になったといえば、両家和解の後お姉ちゃんが熊子に「早く行きなさい」といったのは最終回だけにたまにはいい事言うんだというとこ見せとかないとねという配慮なんだろうなと感心したんですが、金銀銅弁当買って来いということだったんですね。さすがだと笑ってしまいましたです。大雑把ですけど9話10話と山田さんの槇子ぶりが板についてきてホント笑えましたです。山田さんってもしかしてエンジン掛かるの遅いタイプなんでしょうか。なんか急に加速してきたみたいなはまりっぷりでした。でもいつもは姉の方を恒に向いている妹がこのときばかりは「早く行きなさい」といわれて陸の下に走ったというのは初めて優先順位が変動したってことでそこまで陸のことを想ってたってことですよね。でも二人が妹の部屋で一緒にいる時ホントの姉妹みたいに見えた感じもして、役作りここに極まれりでしょうかどこか似てる風に映って見えました。

とにかくこの家族を観てるのがホント愉しかったです。志田未来さんは普通の女の子演じさせたら無敵じゃないかと思えるほどでした。変顔もどきの大きめな反応とかも現実離れしてそうですけどありえそうな印象さえ受けるほどでした。観ていて若干お顔の色に精気が見えないような時もありましたけど体調にお気をつけ頂いて長く役者さんとして活躍して欲しいものだと思いましたです。

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ゴンゾウ・伝説の刑事その10(第10話)

前回の終わりでついに本当の犯人がその姿を現したのですが、過去に少なくとも三人は人を殺めているのにこの期に及んでなのか未だになのかはよく分かりませんが幼い頃のトラウマの呪縛に苛まれている犯人だった。というのが意外でした。なにせあまりにも巧妙な計算された手口から推測して自信に満ち溢れた愉快犯(他人事に思ってるくらいの)なのかなと前回思っていたんで。

この分じゃおそらく三人じゃ済んでないだろうと。そしたら廃屋での決闘サバイバル的シーンの後でのサスペンス劇場でお馴染みの犯人の懐古話しの中で実は親を殺したのは自分と暴露して、最後の最後にきてまでまだ意外な展開を導き出すとは。その前のオウムの巣から出てきた証拠品?から同じ精神の病から同じ精神科医にお世話になっていて、オウムの前の持ち主が本星(乙部)だったというのは。どこまで見てる側の予想を裏切れば気が済むんだという勢いでした。

犯人役の方(内田朝陽さん)の狂気に裏付けられた上での人をなめきったような物言いが不気味でした。こいつなら確かにやってもおかしかないという雰囲気ぷんぷんでした。狂気の皮を被った小心者などではなく善人の皮を被った狂人という冷静な匂いプンプンでありましたが、ゴンゾウが血しぶきを上げて仕留めたと思われた後、邪魔者は消えたはずなのに何ゆえ理沙(大塚さん)を当初の予定通り殺害しなかったのか。どうせ自分も死ぬつもりだからととろとろしてたら他の猟犬達が雪崩れ込んでくるであろうことは分かっていた筈であろうに何故即行動しなかったんでしょうか。明確な答えが私には読み取れなかったので勝手に解釈しますけど、もしかしたらもやもやっとした答えがありそうだけどそれを見つけられないまま死を迎えるのに躊躇したんでしょうかねえ。そしてその求めていた答えを意外にも復活したゴンゾウが言って納得できたってことなんでしょうか。なんか変に晴れやかになった時点でゴンゾウに撃たれたような気がしましたです。犯人の側なりにすっきりしたんでしょうかこの顛末は。引導渡したってことでそう思いたいところです。

「この世界に愛はあるの?」にあると答えたゴンゾウ(内野さん)の答えの中にホームレスのおっちゃんも出てきて、これで1話から全て登場してきた逸話が再度出てきたことになりました。何もかもが繋がっているすげえよく練られた世界でした。回り道(誤認逮捕・捜査)と観る側に思わせといてのこの連なりはあっけらかんと圧巻でした。それにオウムまでもが含まれるとは。

観る前はシンプルにゴンゾウという一度挫折した人の再生記かと踏んでいたドラマでしたがとんでもとんでもという展開で。やけに汗臭い血にまみれた野郎臭い猟犬達のお話しでした。それぞれの持つ複雑な想いを抱えてそれでも犯人を追い詰めていくと言う人間ドラマとしても愉しめましたし、役者さん観てるのも愉しめたしといいもの観たという気分は最終回まで息切れすることなくありました。

佐久間(筒井さん)とゴンゾウの関係も怨みつらみじゃなくて乗り越えるや否やの向上心からくるものであって良かったです。内輪もめほど見苦しいものはありませんから。

もし繰り返し観て愉しいかいと聞かれたら、観る側を見事に騙しまくった脚本と演出の天晴れな妙をチェックするような感じで観れば興味深く見れそうですけど、能天気に楽しんで観れるかと言うとそれはちょっときついかな一期一会の世界かなと。

あとどうでもいい感想ですけど、せっかくユイカのメイドコスプレ。もっとアップで映せよと。スーツ姿のパンツルックだって珍しいですけどそれはまだ幾らでも見るチャンスありますけどああいうコスプレしかもピンクなんざこれが最初で最後でしょうから。

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*おもいきっさ

思いっきりと言う意味。他には「おもいきし・おもいきさ」という言い方もある。

これを使う効能は勢いよくというニュアンスが付加されるところであろうか。

例文

「やあ、たんすのくろおもいきっさけっからかいてどいてえやあ。はあたまらん。」

  (くっそー。たんすの角に思いっきりけっつまづいて痛いのなんのって。もうたまらん。)

「血い死んだ?」

  (青あざになったの?)

「わからん。爪はいいみたいだけど。ど怒れるやあ。」

  (分からない。爪の方は大丈夫みたいだけど。なんかむかつく。)

「怒らん怒らん。ちいとたちゃあ治まるで辛抱しない。」

  (怒らない怒らない。もう少しすれば痛みも治まるから我慢しなよ。)

「う~おめえにも分けてやらすか。ちみくったる。」

  (う~んお前にもこの痛み共有させてやろうか。つねってやるわ。)

「やあ馬鹿っつらなにしてけつかるだあ。」

  (おいこらちょっと待てよ。なにしやがんだ。)

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好きくない言葉

「青春」と言う言葉は昔っから好きじゃない

真っ只中にいる時はそんな言葉で括られて欲しくなかったし

歳を重ねてみれば高見から物言うようでいやらしいし

いつまでも「いつでも青春」だなんて若ぶるのも見苦しい

まあ今は死語になりつつあって過ごし易いからいいけど

昔は確かになにかと熱かった

こんなことしれっと言えてた時代が過ぎたのは

別に冷えた社会がいいとは思わないけれども

多少なりとも温暖化の抑止に繋がれば儲けものか

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モンスター・ペアレントその12(第11話)

実は今回上手く書けたと思ったんですが、昨日に続いて保存しようとしたらエラーになって記事が消えてしまいまして、それで泣く泣く書き直していまして、ガクッと肩が落ちた状態ですので、いつも以上に乱文ご容赦願いますです。なんかウィルスとか飼ってるんでしょうか私、知らぬ間に。

気を取り直して、ひねくれた感想を言うならば、最初は現実に起きている学校の現場でのほぼ実在のモンスターペアレントをドラマで提示してみんなでこの歪んだ世界を考えて見ようじゃないかという趣旨のお話しなのかと思っていたんですが、どうもそうではなくて、高村樹季という人の成長記という内容のドラマだったんだと。

当初はモンスターペアレントの迫力に押され気味で観ていてなんだかなあ状態でしたけど後半に近づくにつれて徐々に倒すべき敵として白黒つけるのではなく理解して行くという様だともっと早くに気づいていれば違う観方で愉しめたのかなという気分がありましたです。

でも、ラスボスを倒すべく教育委員会の窮地を救うための舞台に上がっての演説がとても良かったのでこれもアリなのかもと素直に思えました。このセリフを言わんが為に10話を費やして積み上げてきたんだろうなと思える程言い尽くした感がありましたです。演説の要旨についてはドラマを観た人が味わうべきものと考えますのでここでは書きませんが、裏でこそこそなどではなく公衆の面前で駆け引きなしのど直球勝負のような様は、爽快感があって溜飲が下がると言うかホントよかったですよ。

もちろん現実の教員採用における贈収賄とかが出来うるくらいの権力を有している教育委員会とこのドラマにおける権威も権力も持たない弱い立場にさえも映る善意のみが武器の教育委員会とを混同してしまうようなお人好しではありませんけど。

モンスターと学校との「歩み寄り」が解決の糸口であるというのは、勝ち負けのみで生きてきた人にとっては人としての人生の階段を一段高見に昇ったってことになるんでしょうかねえ。確かにノルマ達成至上命題とか敗者を生んで落とすというような世界からすればより人として正解のような気がしますです。勝者と敗者の境がお金とかで判断される社会は本当は貧しいというのは一理ありますから。でも法律では捌く(裁くではなく)事が出来ないことが幾らでもあるというのは如何に道徳というか善意(相手を思いやる)によって世の中が成り立ってるんだとは改めて思い起こされます。言ったもの勝ちみたいな世界というのはそういう隙間をついてくるということなんでしょうかねえ。もちろん我慢を忘れたことによる弊害によるものの方が大でしょうけど。

で、脱線話しに入りますけど、城山先生(草刈さん)って高村先生(米倉さん)の味方?理解者?言うこと聞かないやんちゃだけど可愛い我が子同然?一体全体どういう存在だったんですかねえ。終わってしまった今もなんかよく理解できておりませんです。敵とか障害とかじゃないことだけは分かるんですけど、いつも言ってたセリフ「期待してますよ」というのは何を期待されてたんでしょうか。この結末は城山先生にとってどうだったのか。謎のままのさよならでした。

それと、ラスボスの言い分(成績上げろ)はなにか王侯貴族が支配してた頃の論理みたいでしたけど、よくよく今を見回してみれば政治家さんはほぼ世襲に近いしタレントさんも親の七光りで2世さんがうしょうしょおられるしという風に、色んな世界に於いて生まれながらの差というのは、あながちとんちんかんな過去の論理ではないのかなと思ってしまいました。別にそういう境遇の子供たちが帝王学のような凡人がやらなくて済むような義務を学んだりした上での話しなら聞く耳あっても不思議じゃないですけど、親の金と権力だけで本人は凡人と同じことだけやっててその上で差別しろというのは納得出来ることではないですわな。

でもまあ、エンディングは明日が続く晴れやかな爽やかさに満ちていてタイプですた。もし万がいつパート2があるのだとしたら今度こそモンスター対峙を爽快かつ壮快に和睦が無事成るとこまでと術後観察の部分まで描いて欲しいところであります。なにせ「歩み寄り」ですから退治と言う文字は使えないので。

役者さんのお芝居についての感想とかはあるんですが、この記事がまたエラーで消えてしまうとショックなので、分割して気が向いたらその13で書こうかと思うちょります。

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*ごっつぉ

ご馳走と言う意味。特に遠州弁だとは思わないが一応記載。

ごっつぉさん・ごっつぉになると言った風に使う。

感覚的には「ぉ」ではなく「を」の小文字のほうが発音としては近いのだが字がないのでこれを使用した。

余談だが「ごつい」と言う言葉を「ごっつう」とかでは遠州では言わない。こういう表現をしたらこの人関西の人?と判断される。遠州では「ごつい」は「いかつい」とか「ごつごつした」とかいうニュアンスで解釈されるが関西的な意味の「ごっつう」は遠州弁だと「がんこ」が近いニュアンスとなる。

例文

「はよ終わらまいやあ。」

  (早く終わろうよ。)

「なにょせいてるだあ。」

  (なにそんな急いでるんだ?)

「ちゃっと帰らんとごっつぉにありつけんで。」

  (直ぐ帰らないとご馳走がなくなっちゃうから。)

「どうせいつもうまいもん食ってるだらあ?別に今日が特別っちゅう訳じゃないらあ。」

  (いつも美味しい物食べてるんだろ?特に今日が特別って訳でもないだろうが。)

「今日姉さんらん来くさるもんでやあ。寿司ん取るっちゅうこんなってるだあ。で、ほんと遅れると食うもんないだよ。がきんちょたんと連れて来すもんで。」

  (今日は姉達が来やがるものだから寿司を取ることになってるんだ。それで姉の家族子供が多いものだから遅れようなものなら本当になにも残ってないんだ。)

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あんどーなつその10

今回はお店がお休みの日の普段何気の休息を描いた感じでした。メインはおとうちゃんが息子と妻のために回り道した分を取り返そうと人知れず奮闘するさまを応援?するなつという構図でありました。もちろん隠し事がばれてひと騒動の悶着があったのはいうまでもないことでしたが。それと平行して親方の母親がやってきてのお話し。お菓子は宇宙という竹蔵(尾美さん)の話しは深すぎてふ~んでしたからこれはおいといて。

メインにおいてその姿を見たなつがどう職人として成長したかということなんでしょうけど、その前になんで内緒にしないといけないんだろうという疑問が解消できない私です。別に悪いことでも後ろめたいことでもないのに、今頃になって改心して努力してるのがこっぱずかしいってんでしょうけど。こういう肩寄せ合ってる世界でなにが良くないことかと言ったら内緒事をするってことなんじゃないのかと思えるのであります。

にしてもおとうちゃん糾弾するのに喫茶店呼び出すんですけんど、身内はともかくなつやおかみさんまで、それにあんな小さい子までが神妙にあの場所に日がどっぷり暮れるまで重たい空気の中で座らされていたというのは驚きです。さぞかし忍耐強いお子さんなんでしょうね。せめて疲れて眠っちゃってるくらいにして欲しかったところではあります。盛大な家族喧嘩済んでからお開きと言うことでおかみさんとなつが退席するのも江戸風情なんでしょうか、私らの常識だとまだ居たこと自体不思議なんですけどね。もしおとうちゃんが来る前にわたしたちはこの辺でって言ったらおじいちゃんおばあちゃんはまだいてよって引き止めたんでしょうか。もっともおかみさんも結構こういう話に口出しするの嫌いなほうじゃなさそうですけど。言葉を変えれば面倒見がいいという奴ですけど。なのでおかみさんはともかくなつはなにも答えそうもないのだから拘束しとかなくともええじゃないかと思える次第で。おかみさんの帰りをなつが待つってほうがそれらしい感じに思っちゃいました。

おじいちゃんの喧嘩止める啖呵はかっこよかったですけど。見直したえらいってちやほやされるのがよっぽど厭だったんですかねえこのおとうちゃんは。まあ分からんでもないですけど。誤解を受けたら自分の名誉のために直ぐ言っちゃいますけどね私なら自分可愛いですから。

この騒動からなつは何を学んだんでしょうかよく分かりませんでした。最終回に向けての休題閑話なんでしょうかねえこの回は。家族の為に頑張る姿ぞ美しや見よや人々ということなんでしょうか。まさかね。

親方の方は自分を今一度見つめ直したってことなのでせうか。次に来る大きな出来事に対しての準備的なことだったんでしょうかねえ。次がなにかは知りませんけど。

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太陽と海の教室第8回

怪我を負うもなんとか自殺を思い止まらせることに成功する櫻井先生(織田さん)。そして重荷から解放された八朗(濱田さん)が灯里(吉高さん)と雨降って地固まり人生最良の日を迎えてこの世の花の充足感を満喫する。そしてなにかと落ち着いたところで櫻井先生は雪乃(大政さん)になにを告げようとするのかという事後処理的な展開になるのだと思ってて、でもなかなか言うチャンスがなくていつ告げれるんだろうというタイミングが味噌なんだろうなと思って観ていたんですが。

なななんと、悪魔が来たりて善人を屠る。今まで生きてきた中で最良・絶頂といわんばかりの日を迎えた八朗にとんでもない結末が待っておりました。

6話からそれらしいナレーションが語られてましたから全く予期していなかった訳ではなかったのですが、それにしてもという展開でありました。

ここまでくると、ひと夏のとか青春のとか高校生活の想い出とかいうのを飛び越えた一生重い十字架を背負っていかなければならないほどの衝撃でしょう。雪乃もそうですけど特に灯里などは。

なんか悪い事した?と問うても答えが導き出せない、ありえない事としか言い様の無い出来事でした。

全ての元凶の雪乃をどう扱うのかが次週の見所なんでしょうけど、完全に心が病んでる人間をどうするのかということでしょうか。どこをどうみても雪乃に正義はなく擁護すべき点は見当たらない風に私には見えるんですけど。だからといって自分の生徒を見捨てることは決してしないであろう櫻井先生はどう養護するんでしょうか。私には全くアイデアが浮かびませんです。親じゃないけどとりあえず忌まわしい場所から引き離すくらいのことしか出てきませんです。残った連中には八朗の分まで生きろくらいなことしか粋な言葉思いつきませんです。

まあ、善悪で片付けられる話しではないのですが八朗が善い人過ぎて灯里(吉高さん)が不憫すぎてどうしても雪乃擁護する視線になれないせいもあるんでしょうけどそれにしても劇的です。死は身近なものではないし必ず訪れるものですが時期と言うものはある筈でそれをどう生徒達に納得(乗り越え)させるんでしょうか。

ドラマに出てくる生徒達が十把ひとからげの同じような無個性の集団ならいざしらず、これだけ個を表現できる役者さんこらしょと集めてるだけに余程のことを言わない(やらない)限りクラス全員を得心させるのは困難に映ります。

櫻井先生が書き送った伝えたいことが細かく裁断されて送り返されていたのですが、その書かれていた内容がかえってここに至った状態に追い込んでしまったのでしょうか。ナレーションで語られていたことがおそらくその内容でしょうけれど。もしそうだとしたら櫻井先生もそのことで自分を責めたりするんでしょうか。もっともあの言の葉を聞く限り、これで導火線に火が点いたなんて思えないんですけど。

まあ、とにもかくにもインパクト大であれよあれよという展開で疑問ばかりで来週へと続く訳ですからこの回は驚きを味わうという回だったんでしょうか。

ココログの調子が悪くて、「保存」すると接続できなくて記事が消えちゃうアクシデントに二度ほどあったので、さすがに嫌気がさしながらの再再度書き直ししての文章なので要用のみでいつもの脱線な部分がなくなりましたがヤル気復活もししたらその2でも書きますんで今宵はこの辺にいたしとうござります。

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*そんななあ

そんなのはと言う意味。と、そんなねえと言う意味の二種類ある。イントネーションが違うので聞き違うことはまずない。もちろん字に起こすと一緒なだけで言葉そのものは全く異なる。

例文

「そんななあ夢見たいなことゆうてちゃかん。」

   (そんなねえ夢みたいなこと言ってちゃ駄目だよ。)

「そんななあほかいといて先んこれやれやあ。」

  (そんなのは放って置いてこっちを先にやってくれよ。)

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太陽と海の教室第7回その2

まずは迅速なる再放送の放映に感謝いたします。8話の前に観れるのとそうじゃないのとでは大違いですので。

で、7話なんですが、これはもうほとんど「濱田岳」を愛でる回の様相を呈しておりました。「綺麗な死なんてないんだ。」というテーマが主題ではありましたが、一人で何とかできると思った甘さ(無茶)が引き起こした苦悩というものが色濃くて八朗(濱田さん)ばかり観てた勢いでありました。

濱田岳さんは独特の間と語りかける対象が一人に対しての時の包み込むような誠実さが窺い知れる話法が秀でておられる感じです。言葉以外のなにかが伝わって来るような感じです。

物語は誰にも愛されていないと思っている雪乃(大政さん)が八朗にSOSを発してそれに応えようとするも力不足で右往左往してしまう八朗。ついにはどうにもできなくなって櫻井(織田さん)に救いを求めるというものでした。

誰にも愛されていないと自らが判断した理由が、家族との不協和、恋人の裏切り、親友と思い込んでいた事への裏切り。見事にオンパレードな境遇でありまして、死で解放されてお星様になりたいと真に願う動機付けとしては孤独の深さが滲み出てたんですけど、何ゆえ八朗を巻き添えにせんと欲したのか。もちろん自殺はブラフ(餌)で、孤独からの解放を願ったのでありましょうが八朗でなければならない理由がよー分かりませんでした。そりゃ誠実なのは読めますけど同じクラスにいたのなら灯里(吉高さん)との関係性に気づかない筈がなく、一種の略奪行為であることを自覚した上での所業といわざるを得ないわけで。

雪乃の行為総てが追い詰められて常軌を逸している状態にあるとはいえ理解し難いのであります。上から目線や横並びが厭で召使いが欲しかったんでしょうか。よく分からない謎だらけのお方です。故にどうすりゃええんじゃいという解決案も浮かんではこず、八朗と同じ目線でドラマを追ってた感じもありますです。こういう描き方は引き込まれますです。親切丁寧に総てを分かり易く描くよりも多少のことは自分で推し量れと頭の体操を要求するくらいのほうがボケ抑止にもなるってか。

そういう未確認物体を得心させようとするのですから櫻井先生は凄いお方です。この回はまだ途中で次週(今晩)に続くですからその手立てが如何なるものか得と拝見であります。

それにしても若さゆえの残酷さが出ていて、遠慮会釈なしに傷つけあう痛々しさが自分にとってはもう何10年も前のことなのに、その悩んでた頃の精神状態(明日が見えない)を思い起されるようでパワーありますわ。おっさんとしてひとつ言えることは社会に出れば仕事と個人は全くの別物となって、個人に興味を持つ人なんて誰もいなくなるということ。そういう意味では逃げ場が作れるので10代よりかは気が楽にはなる。仕事さえ出来ればいやな奴とも付き合わなければならないしいい奴であっても仕事が出来なきゃお荷物でしかない。相性だけで人が動くことはないのだということ。だから全力で付き合うわけではないのだから気は楽になる。もちろん辛抱というものを憶えなければならないんですけど、我慢とは微妙に異なるんですけどね。

話し飛びますが、後、よくわかんなかったのが、自殺をほのめかす掲示板への書き込み。それが数あるであろう3年生のクラスの中でどうしてうちのクラスだと判断したんでしょうか。

八朗の行動で、誰にも言うなよを真に受けてしまうのも理解不能な部分ではあります。櫻井先生に対してだと「ちくる」ことに繋がるのでNGでしょうけど、灯里に対してはこれから自分が起こす行動についての理由説明(きちんとした言い訳)をするのが普通なのになぜしなかったのか。もう召使いとして新たに生きるんだと言う覚悟を決めた割には未練たらたらでその中途半端さがよくわかんなかったです。大人じゃないから若さゆえの無知でなんでも済まされるといえば通るんですけど、釈然としない行動意思ですた。

次回に答えが導き出されるんでしょうけども。

それと理事長。言うこと聞かないからといって櫻井先生を橋の下で拾ってきたようないらん子扱いするんならなんで首にしないんでしょうか。カリキュラムから逸脱した授業とかやってるしって、これはいっちゃあお終いか。

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*にしゃにしゃ

これが方言かというとそうではないであろう。ではどういう意味かと辞書には無いので遠州で使われてる経験値で量るしかない。だから全国的にこの使い方が同じかどうかは分からない。

ニタニタ・ニヤニヤ・デレデレ・ウハウハ・ヘラヘラ・ゲラゲラ・ガハガハ・クスクス・デヘデヘ・カラカラ・エヘエヘ・くしゃくしゃ

笑いの様を表わす表現は数多くあり、雨の種類とか並に豊かである。

「にしゃにしゃ」は当然にやけた笑いの表現であろうが、照れ笑いでもスケベ笑いでもなくなんとなく小さな幸せ噛み締めてる雰囲気が漂う気がするのは私だけであろうか。

つまり「にしゃにしゃ」を訳すと何かいい事があった時の抑えきれてない笑いと解釈している。地域によって感覚が異なるやもしれぬがそんななあとんじゃかない。

「へらへら」のような不快感を与えるものではなく「にたにた」程独自の世界に入りきってるほどでもないし「でれでれ」程骨抜き状態でもないので共通語に訳すとしたらなんになるんだろう。「えへらえへら」辺りだろうか。

例文

「なんだあおんめえ。にしゃにしゃしてえ。」

  (なに?どうしたの。なんかいいことあったのか?)

「いやあ。なんでもねえよ。」

「なにいい事あっただか知らんが、にしゃにしゃしとらんで仕事戻るにい。」

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Tomorrowその10

最終回。前回は病院という場であろうとも貧乏人の悲哀というものは存在して、それにつけ込まれて所詮この世は金次第という儚い現実で一気に閉鎖まで進んだ訳でありました。

ドラマが始まった当初は航平(竹野内さん)の再起のお話しで、その航平を立ち直らせてくれた愛子(菅野さん)であり、愛子にとっても最高の理解者は航平というお互いがお互いを必要とする存在でありながら、実は母を死に追いやった張本人(誤解であったけど)だったなんていう赤のシリーズの再来かと思わせる愛子(菅野さん)との丁々発止がメインだったのですが。

それが収束を迎えてからは、再建への険しい道のりが描かれてきていました。その顛末がこの回で描かれてる訳ですけど。人としての再生と病院という組織の再生を描ききるには10回では足りなかったんじゃないかと思えなくもなかったであります。決して寄り道してるような休題閑話みたいな回はなかったし、描ききっていないものとかもあるように思えて。

総てをはしょって大団円を迎える強引さがない方がもちろんいいのですけど、でもなんでしょうね初回の祭りの回の豪華さと最終回の出演者総出演のような人の出入りの華やかさが同じに見えて、始めから終わりが先に作られてその後に中を膨らませていったのかしらんと思えなくもない印象がありましたです。もちろん穿った考えで誤った印象でしょうけど。

素人なんで勝手に思うんですけど、それくらい副市長に提案した策は「グー!」という展開でしたんで、余計にもっと早くに気づけよと思ってしまいましたです。

ま、そういうお話しの展開はさておき、最終回は竹野内さんと陣内さんの啖呵が一番の見せ所という役者力での押しの一手という印象が強かったです。もちろん我が身の負傷を後回しにして他の傷ついている人を救わんとした菅野さんの姿が総ての人に懸命さと勇気(金に巻かれない)を与えたという説得力が効いてのことですけど。

で、すごい脱線した邪まな感想なんですけど、弱ってる姿の菅野さんが画になるというか惹かれてしまいましたです。ご本人が自身をドSと公言されていたように記憶してるんですが、お芝居が性格と逆転するとつい引き込まれてしまうんですかねえ。それとも単純にSの性格の人が弱ってるのが物珍しく映るだけなんでしょうか。ドラマと関係ないところでゾクゾクしちゃいました。申し訳ない。

最後の朝陽の中での握手というシーン。何故に左手?という疑問。愛子の右手が使えなくなっちゃったのか画づらの都合でこの方が画になったのか。という脱線話しはともかくとして、当初愛子が離婚歴アリという設定がなんじゃらほい。どういう意味があるんだろうかと思ってたんですが、二人の関係が恋愛関係にある風に映ってしまってはいけないという配慮だったんですかねえ。確かに最後の握手のシーンを観ると、恋に発展したなんてことに取れちゃうと安っぽくなりますわな。やっぱここは最高のパートナーとしての二人というのが相応しい訳で。

そういう意味ではよく練られてたんだなあと思えますです。

最終回観終えての率直な感想は、あれよあれよという感じでした。怒涛の展開と言い換えても言いのですが、にしてもよくもまあ身内というかみんな怪我したり病気したりなものよと言う感覚もありました。

愛子(菅野さん)・航平(竹野内さん)・師長(エドさん)・遠藤先生(緒川さん)・七海(黒川さん)・仙道(岸部さん)の奥さん・副市長(陣内さん)の娘さんなど。いくら都会ではないので人が少ないからといってこうも周りの人が病院の関係者にも関わらず普通に病院のお世話になるっていう奇遇を設定したものだなあという印象です。だからそれがなに?といわれても特になんだということじゃないんですけど。

正直10回は短いという感じがしますです。でも「竹野内豊」が観れたので得した感じです。前に前にという迫力勝負のフォワードみたいな役者さんが多い中で、一歩下がることを厭わないような穏やかなお芝居されて、でも決して埋没しないインパクトがあるって方はそうはいないので、貴重なもの観た感じですたい。ただ我も我もと押し出しの強い方と共演されたら多少印象が薄くなるやもしれませんのでそういう意味では菅野さんの内助の功が何気にあるのかも知れませんが。

それと今までとは微妙に違う「菅野美穂」というのも観れましたしね。どこがといいますと、強くくじけない前進あるのみくよくようじうじしないがモットーと言った風に映るのはいつもと一緒なのですが、肩に力が入っていないというか自然体な雰囲気がそこはかとなく滲んできてるようで。正しいと思えることははっきり言う・自分に正直に生きるために衝突を厭わない・目的の為の努力は怠らない・自らの痛みより他人の痛みを優先するといったような決して能天気な役ではなくいつも以上によいしょと気合い入れなきゃ生きていけないような愛子という役にも関わらず気負いの少ない雰囲気を醸し出してたのがいつもとは違ったという印象を受けましたです。以前にも書きましたが、このドラマの番宣でスタジオでのインタビューとかを受けてる時と愛子でいるドラマの中の時での菅野さんが同じに見えたせいかもしれませんが。

とにかく「竹野内・菅野コンビ」は抜群だったということなのでしょう多分。私みたいな諦めの早い人間が最終回まで欠かさず観たというのですから、強く惹き込まれたほどではないにせよ引き付けられたよく出来たドラマだという思いです。ただ繰り返しになりますが展開と回数のバランスがどうもという想いはあります。

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パズルその12見直し中

もうじきDVDが発売(9/26)されるのではありますが、何気にダラダラ観するのに最適なこともあり「パズル」見直しているのですが、放映中に気づかなかったり改めて思ったりの感想をば。

*字が綺麗

書というか古文書もどきとかもよく出てくる訳ですが、いずれも字が綺麗。機械的な美しさではない人が書いたなんともいえない味わいが感じられます。どなたが書かれておられるものかは分かりませんが人としての温もりをドラマの隠し味として担ってるようでなんかいいです。あくまで実用的な雰囲気で芸術ばって無い所が好みですわ。

*携帯はご法度

これについては放映中でも感じたことではありましたが、改めて見直して観るとこれは縛りというかルールとなってると。この効能は密室というか閉ざされた空間(での思考)を表現するために必然なんでしょうねおそらく。だけど使わないのは今の生活では無理があるので、ここは開き直って始めにお断り書きとかして無い物として告知しといた方がいいような気がしましたです。

もしくはもう開き直って時代設定昭和にしてしまうとか。幸いなことに石原さん時代の最先端をいくファッションリーダーというイメージより幾分古風な印象の方が強いですから。

*効果音とかの使い方が「トリック」を継承してる

蒔田光治さんが両方の作品の脚本を手がけられているからして、同じ系統であると判断しても撥は当たらないでありましょう。ただそれを隠すか隠さないかというのがポイントで、私としてはおおっぴらに後継ドラマとして継承して欲しいところです。音楽の使われ方がその中で一番「トリック」っぽい感じが強いかなと見直してみてそう思えました。

で、まあ、「トリック」も見直して比較してもみたんですけんど、やっぱ異様な空間と閉ざされた密閉的な世界感は「トリック」には敵わないなと思えたりもして。

謎解きと言う好奇心と現実とはどこかずれた摩訶不思議な空間にトリップしたような旅行感とみんなで雑魚寝とかして林間学校とかの仲間の楽しい?思い出作り的な要素があると思えるのですが、女子3人組の活躍が殆どなかったと思えたくらい楽しい思いで作りの要素が薄かったのが残念ではあります。

しかしながら、「トリック」も放映で観たよりもDVDとして一気観したほうが遥かに愉しいと感じたので、「パズル」もそうなのかなという期待があります。ただ「トリック」は一話完結ではありませんでしたからその点の深みが「パズル」とは違うところではありますが。

*解消されていない疑問

何故鮎川は貧乏なのか。お金に貪欲でひたすら溜め込んでる感じではなかったのでなんで?何に使ってるんだという疑問。服だってお前幾つだよという突っ込みしたくなるようないつもアディダス3本線ですから。

3人組は志望校に見事受かったのか。鮎川と出逢ったことによって人生ボロボロになったんじゃ洒落になりませんからそこはハッピーエンドを願う者としては結果を提示して落ち着いてアホな所業を愉しみたいところであります。

同じく3人組は剣道の大会でいいとこいくと先生に励まされてましたがその大会の結果はどうなったんでしょうか。

若干厭味なひねくれた言い方になりますが、石原さとみさんがこのドラマの放映前も中もこの作品に関われたことの嬉しさをいたるところで口に出されておられました。もうすぐDVDが発売となりますが、何事もなく(プロモーション活動せず)過ぎていってしまったら社交辞令だったのかなと穿ったりなんかしそうです。出来ればパート2をという勢いだったし、私もこの作品繰り返し愉しめるので是非ともDVDが売れてパート2への足がかりになって欲しいものであります。

最近よくバラエティで石原さんが出演されておられますが、他の映画作品とかで「パズル」に関しての告知ではありません。はてさて9/26まで3週間を切りましたが如何なことに相成りますやら、注視したいところであります。

私は当然以前宣言したとおり買います。19.000円(税抜き)は厳しいですけどその分映画のDVD(多分テレビでやるだろうと言う作品)を減らしてでも。

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誰がために

2005年に制作された映画です。それを深夜帯のテレビで観ました。監督は日向寺太郎さん。

テーマが少年犯罪にたいする矛盾と私には受け取れて、非常に社会性のある重厚なテーマで描かれた作品ですので、私のようなお気楽な人間が感想を述べるのはとてもおこがましい気がしてきます。

子供のすることなら人殺しさえも赦しかねないような、まるでざるのような現実を殺された被害者の家族の側からえぐりきったみたいなお話しでした。

そもそも少年という基準がほんまかいなという疑問が拭えないのは確かで、時代が異なり、元服というシステムがあった頃は12~16歳で成人とされもしたのですから。いくら寿命が延びたからといっても成長がその分遅れるようになったわけではないのですから20歳という区切りに縛られるのもどうかという気は私でもします。

おかしな意味で、法が裁けないのなら自らが復讐しなければ泣き寝入りになってしまう。不条理ではありますが主人公の選択した行動はやむなしという心持ちになりますです。その後おそらく罪に服することになるのでしょうけど。すると今度は又新たな被害者の家族が発生して復讐の連鎖が起こってしまうからこういう事を容認していい訳が無い。

そういう論法もあるんでしょうけど、成人が殺人を犯すのと少年(未成年)が殺人を犯すのとでは、その刑罰が極端に違うことの矛盾(心の整理ができない)を論破得心させるのは難しいでしょう。

そういう問題提起を投げ掛けた作品でもあるので、いつもの脇道な感想を書きにくいんですけど。

浅野忠信さん・池脇千鶴さん・眞島秀和さん・香川照之さんといった私のタイプの役者さんが豪華に出とらすのはおいしい限りです。しかも小池徹平さん・菊池凛子さんとか将来が楽しみなお方もおられて役者さん的にはこの作品めちゃタイプですたい。テーマが重厚で息苦しくなるときすらあるんですけど役者力でぐいぐいでした。ハッピーエンドとは程遠いエンディングだけれど何故か溜飲を下げたみたいな感覚にもなりました。

視点で言うと青少年にむけた啓蒙(こんなことすんじゃねえぞという警告)ではなくこんな不条理が現実社会に存在してるんだぞ。だから早くなんとかしろという社会の作り手の側に向かっての叫びという感じでした。

映画はワンダーランド。ひたすらお気楽なファンタジーもあればこのようなひたすら重たい心の叫びもありと同じ空間なのに全く異なるワールドに硬軟入り交ざってワープ・トリップできるのは映画と言うものの懐の深さを感じるものであり、売れればいい映画だと決め付けるのは正しい訳じゃないのだと思えます。

ただ豪華3本立てみたいな上映でのお話であって、1800円払っても一回観て総入れ替えではいさようならというシステムじゃあ説得力無いですけどね。

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33分探偵その5(第6話)

森下さんの新聞の勧誘での水川さんの掛け合いと移動の車中で突如高橋さんの髪の毛がという前半の出だしギャグが面白かったす。それとまあコーヒーでものお約束。何故か不覚にも今回は凝ってるなと思えてしまいました。本をレール代わりに使うアイデアは斬新でありました。

でもなんでしょうかねえ、横溝ワールドのパロディっぽくもあり雰囲気はあるんですけど期待持たせな装いでだまくらかしといて、その実事件ではないという落ち(分かってるお約束ですけど)はやっぱすっきりしないとこはありますですな。

せっかく田舎の林間学校来たみたいな雑魚寝とかの郷愁を誘うようなシーンとかあったのに。結局「なんやかんや」と言うフレーズが象徴してるように何事にも突き詰めないという印象を受けてしまうんでしょうか。

見たことも無い破天荒なドラマですから荒探せば幾らでも出てくる訳で、それをいちいちあげつらっていたらなにも始まらない(前に進まない)のですが遊ぶなら遊ぶ、茶化すなら茶化す、推理するなら人物を観察(描く)するとかメリハリとかじゃなくて芯が一本通っていた方がくっきりするんですけどね私的には。なんか全部追っかけてるようで欲張りな勢いを感じます。

嫌いじゃないだけにもったない印象が強くて、もうちっとなんとかならんのかいなと水川さんがあんだけ弾けまくって頑張ってられるのにもったない感覚であります。

後退するような意見ですけど、いくらとんちんかんであろうとも犯人に辿り着く過程は真犯人現るであって欲しいところです。

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*はずからしい

恥ずかしいと言う意味で恥ずかしいらしい(~のようだ)とかいう意味ではない。

「いやらしい」とか「きたならしい」のと同じ言い回し。

方言ではないと思う。でもここいら辺でこういう言い方は存在している。しかも全国的に通用する表現ではないであろう。おそらくは「はずい」みたいなもんで造語というか歪んだ日本語なのであろうが意思は伝わっている。

例文

「はずからしいまねするじゃねえよ。まったくぅ。」

「なにがよー。」

「落ちたもん拾って食うじゃないの。汚ならしい。」

「あれえ、3秒ルールっちゅうの知らんだけえ。」

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