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日楽と楽器

「にちがく」と「がっき」どちらも地元浜松ではヤマハ(旧社名は日本楽器製造)のことを指す。浜松をヤマハの城下町と呼称されても当たらずといえども遠からずのパワーを有している。ただしスズキなどもあるので断言は出来ないが。脱線するがスズキは旧浜名郡可美村高塚に本社があって可美村が浜松と合併(1991年)するまでは浜松の企業と言うイメージが薄かった。それでも世界的企業に住所が村ではイメージに関わるのかパンフレットの申し込み先住所は浜松市外高塚となっていたような記憶がある。

楽器(がっき)のイントネーションについては芸能人の新垣さんの愛称「ガッキー」の「ー」を抜いた感じの「ガッキ」と同じイントネーションとなる。共通語と同じイントネーションの場合はもちろん演奏道具としての楽器を意味することになる。

楽器製造については浜松には河合・東海楽器・ボス・鈴木楽器等数社あるが「楽器」と言えばヤマハのことを指す。余談だが最近ではローランドも浜松に来られて楽器製造の街であることは事実。だがミュージシャン輩出というか音楽発信の街かというと左程でもないのが実情か。上原ひろみさんと鈴木重子さんが浜松出身としては有名ではあるがアクターズスクールみたいな量産するようなシステムはなく、必然ではなく偶然輩出した逸材という印象が強い。余談の余談だがお二人とも高校は北高出身である。浜松で北高となればエリート派閥であり、これだけでなにかと見る眼と扱いが違う程頭が良い証(ステータス)である。

日楽浜松といえば鍛冶町にある店舗のことを指すことになる。最近リニューアルされて景色が変わった。まだ行った事は無いので外見しか知らない。以前(大分昔)だとイケヤは小生意気なガキが闊歩できる庶民的なレコード屋さんで、日楽浜松は音楽そのものの教養がないとちと恥ずかしいと感じる敷居の高さがあった。これは上の階とかで音楽教室とかがあって聞くだけのど素人では闊歩しづらかったのである。聞いた話しで確証はないがピンクレディになる前のお二人がこの音楽教室に通っていたらしいということを耳にしたことがある。くどいようだが噂で聞いた話し。

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ハッピーフライトの主題歌

主題歌がフランク・シナトラの「カム・フライ・ウィズ。ミー」で決定したという報道を見ました。この曲かどうか覚えてはいないのですが、以前(1990年)ANAのCmでフランク・シナトラの楽曲を使ったものを見た記憶がありまして、なんかえらい豪華なイメージが湧いたのを憶えていますです。

矢口作品は恒にエンディング曲に監督のこだわりがあるのですが、今回もそれを踏襲されておられます。過去の作品のDVDでのオーディオコメンタリーなどでも限られた予算の中で「結構な」と言う表現などで多くを割いている発言がよくありますです。アドレナリンドライブでは「真夏の出来事」・SGでは「LOVE」などが印象的です。個人的好みではワンピース・パルコフィクションでの金澤信一億さんの楽曲も好みではありますが。

好みはともかく、こうなるとエンディングはゴージャスでハッピーエンドで終わることが約束されたようなもので益々愉しみであります。イメージ的には優雅に飛び立つ飛行機を白鳥と見立てるならばそれを優雅に飛ばす為に水面で支える足かきの人々の悲喜こもごもをコメディタッチで描くとかになるんでしょうか。

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*ん その1

「に」(格助詞)を訛らすと「ん」に遠州ではなる。場合がある。やたらくしゃ(なんでもかんでも)ということではない。どういう場合が「ん」に変わるかという法則を知ってればいいのだろうがアホがばれるのでそういう屁理屈は追わないのが私の主旨。

「やけに重い」は「やけん重い」

「がんこに重い」は「がんこんおんもい」

「京都に行こう」は「京都ん行かまい」

「そこにある金槌とって」は「そこんさあん金槌くりょ」

「に」だけでなく「は」(副助詞)も「ん」になることもある。

「今日は晴れるだろう」は「今日ん晴れるらあ」

「聞くは一時の恥」は「聞くん一時ばかの恥」

「の」(格助詞)も「ん」になる時がある。

「あの子の家に行く」は「あの子ん家ん行く」

「が」(格助詞)も「ん」になる時がある。

「台風がもうすぐやってくる」は「台風んはあちっとしたら来るに」

「今日が締め切り」は「今日ん締め切り」

まあ挙げたらキリがないのでこのへんで。因みに発音的にいうと「ん」というよりも「ぅん」と言うほうが近い。こんだけ色んな格助詞を「ん」にしてしまうので聞き取りは素人には難しいものがあるやもしれぬ。

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コード・ブルーその7(第7話)

すっきりしないというか、心が晴れやかになる展開では決してありませんでしたが、見応えのある回でありました。

三井先生(りょうさん)のお話しはあまりにも劇的なドラマじゃないかと思えるくらいの展開(公判中に倒れ命を救われる)でありましたが、確かにあれ(立場を危うくしてでも嘘偽りなく伝える)で心が動かなければ人じゃないと思わせるくらいの訴えるものを感じましたです。しかもそれでちゃんちゃんでなくそれでも失った命への未練断ち切りがたく「他の患者や同僚の先生方にとってはいい先生なんだろうなあ。だけど・・・」と飛び行くヘリを仰ぎ見ながらぼつんと呟くという人間の感情なんて急ブレーキも急な進路変更もできない辺りが描かれていてリアルさを感じましたです。

田所部長が三井先生に手術後声を掛けた際の励ましの言葉で、20年離島での医療をされていたと言うお話し。趣旨は逃げたことがあるというカミングアウト的な内容で結論としては「貴方にあえてよかったと思う患者さんは必ずいる。」。だからその人の為に頑張りましょう若しくはそういう人がいてくれることを心の支えにして頑張りましょうということ。励ましというか慰めの言葉というか優しい言葉でした。「人は誰かに必要とされなければ生きていけない」という言葉はどこかのドラマでも謳っていたけどまさしく真理なのでしょう。で、ちょっと脱線しますですが、20年も地方医療(診療所)をされいて今は救急医療の最前線で部長という地位におられるなんてのは組織という視点からいうとそんあことありえるのかしらんとつい思ってしまいました。

医者の心得は必ずしも人としての仏心を必要としないというものなのでしょうか。仏心を持ったがゆえに冷静な判断を欠いたということで罪の意識を抱いた訳ですが。まあえらく頭が爆ぜるくらい深い話しでありました。

藍沢(山下さん)と冴島(比嘉さん)の出来事は切ない限りでしかもしんどい話しでした。そうとしか言いようがなく他に言う事もなく。だからといってこんな時に頑張れなんて使い方はかえって絶対に失礼でしょうから梶(寺島さん)じゃないけど見て見ぬ振りするのが一番の励ましかと。なのでここはスルーということで。でも、俺に構うな俺の屍越えていけといわれたら少しは心が軽くなるものですけど言ってくれる筈もなくそんな世の中甘くはないですなやっぱり。

白石(新垣さん)のところには異様に癖のある患者さんばかりが訪れるものです。自らを傷つけてまで優しくされたい人。家族の生きていて欲しいという望みと言うより自分達の生活の為に生かされようとする人。大切な想い出を失くしたくないから脳に関する手術を受けようとしない人。DV被害と見せかけといて実は醜形恐怖症だったと言う人。などなどそれこそマニュアルに載ってない患者さんばかりです。それでもポケットがパンパンになる位のマニュアルを手放せない白石。

藤川と緋山は今回大人しめで特に印象には残らなかった感じです。訴訟起こされてる人間を救ったことによって、なんの為にという疑問を抱いた訳ですがその答え(納得する動機)は提示されてませんでしたので。

それにしても心に傷持つ方ばかりのように見受けられますです。田所部長は「偽善」にさいなまれ、黒田先生は家庭不和。三井先生は判断の甘さに。藍沢と冴島は形は違えど親族と仕事の板ばさみ。藤川と緋山は現実と力量のギャップにと。ある意味なにが愉しゅうて医療に関わっているんだろうという気がしてきます。最終回までには私でも分かるような答えを出してくれるんでしょうか。使命感とかいう大雑把なものじゃない見てるこちらにもフィードバックできるような仕事をする上での指針(心の拠り所)みたいなものを期待したいところであります。

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ゴンゾウ・伝説の刑事その7(第7話)

7話にしてついにというかようやく事件が解決したみたいです多分。そして精神性(心理戦)の部分へと描くものが移行してきた訳ですけど、刑事としての全盛期の頃の過去とそうでない現在のゴンゾウとのギャップのメリハリをどう演じ分けられるのかが見所という面も感じられた回でもありました。しかし殆ど過去だったので比較は出来ませんでしたけど。でも面白かったですこの回は役者力バリバリで。

にしても池脇さん何か業を背負って切なく生きてる様を演じられるとホント引きずり込まれますです。もういきなり現在(今起こっている事件)をほっぽり投げて過去の展開が始まると言う、しかも前回の終わり方が猟銃構えられてまさに危機一髪どうなるゴンゾウってとこで次週に続くだっただけに、繋がりというか観てる側の興味が事件解決に向かっていた筈なのに。そんなこと忘れるくらいの勢いでありました。セリフの行間とか細かいこと感心しまくってたらきりが無いんで書きませんですが、内野さんのデカイ芝居に気後れすることなく渡り合える池脇さんの器の大きさを堪能できましたです。

あまりゴンゾウじゃないけど池脇さんに引っ張られてもドラマの流れから外れてしまうので元に戻しますけど、確かにこういう経験があれば(要は最愛の人を見捨ててしまった)罪の意識にさいなまれるのもむべなるかなですよね。しかも一度ならずも二度までも。「人生ってのはなあ。辛い事があったらその分必ずいいことがある。」。そうのたまったゴンゾウを信じて二度も愛を求めても結局は得られなかった彼女の最後の言葉「この世界に愛はあるの?」。二の句も告げれず亡霊(自責の念)に導かれるように飛び降りたというのもなるほどと思いました。

そして今に至る訳ですが、警察辞めずに杏子(池脇さん)の願いを叶えるかのように備品係になる。下僕のように扱われた佐久間が黒木に復讐心を抱くようになる根深さもよく分かるように描かれていました。よく飛び降りて死ななかったなあとか心はともかく体は元に戻ったのかとかなんで辞めなかったんだろうとか佐久間がどうして係長になれたのかなど提示されてないことが多いのですけどとにかくそうなのかと。

で、肝心のバイオリニスト殺人事件の解決。完全にゴンゾウ視点で展開しているのでなにがなにやら全く理解も整理も出来ないまま捜査本部が解散してるという展開になってました。予告編見る限り来週詳しく描かれるようですけどこれで佐久間の復讐は実を結んだんでしょうかねえ。

自分勝手で傲慢でとゴンゾウを擁護しようなんて気が全く起きない位どうしようもない人間として描かれている訳ですがこのドラマの終着点はどこに置くんでしょうか。猟犬として復活するなんて言う明日に向かって再生するとかいう単純な世界では決してなさそうです。っていうかどこにいてもうっとおしいお荷物にすら見える黒木というキャラを最後どう扱うんでしょうかねえ。仕事(成果)さえ出来れば有能というくくりを否定するんでしょうか。

ま、この回は「池脇千鶴」を愛でる回ということに尽きる訳でありましてそういう意味では番外編とも読める展開でしたのでおかしな表現ですけど安気で観れた回でありました。個人的には映画「きょうのできごと」のようななにも背負ってない普通の女性演じてる「池脇千鶴」の方が好きなんですけど「ジョゼ虎」も捨てがたいんでまあとにかく観れればなんでもOKなんですけどね。。

池脇さん・前田亜季さん高橋一生さんと山本勘助繋がりがあるのならあとはしほりんと風吹ジュンさんと柴本幸さんが出てきそうではありますが、しほりんと風吹さんはあんどーなつに出てられる最中なので無理っぽい。柴本さんは今蓮ドラ出てられないのであるのかしらんとしょーもない興味があったりして。別の事件の犯人で市川亀治郎さんという手もあるか。そしたら違った意味で話題にはなりますわな。

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正義の味方第6話

今まではそれなりに一方的に妹(志田さん)が虐げられていた風には映っていなかったのですが、この回は何故か姉(山田さん)が悪魔と妹がそう呼ぶ意図が理解できたような感じがしましたです。そう見えることがいいことかどうかと言われればん~どうでしょうですけど。

岡本(本郷さん)が「信頼されてるんだねえ。」とか言ってましたけどとてもそうには思えずひたすら使役されて下僕のような様相にしか見えませんでした。前回までは白鳥の水掻きの陰の努力の手助けをしている印象でしたけど。ただ単に受け取れるお芝居の印象の違いだけなのかそういう展開上の設定によるものかは分かりませんが、もう少し頼りにしてる的イメージが欲しかったのが素直な感想です。まあ、妹が夏休みということでいつも以上に行動できる時間が多いというのもあるんでしょうけど。随分と酷使してたのは確かです。命令の仕方も口裏巧みに誘導してしょうがないなあやってやるかと思わせると言うレベルでなく超強制という口調でした。もっともそういう口調でないと議員のお偉いさんがヤル気が違うと勘違いしてしまう勢いに達しませんから山田さんの加減がどうのこうのと言うことではなく展開上によるものなんだろかとは思いますが。

とはいえ、ストーリーの展開としては今までの中で一番無駄が無いと言うか全て繋がった上で正義のヒーローと姉がなっていく感じでした。違法DVD・カレーの為の奔走・姑と嫁との綱引き。まあテレビ局のお祭りみたいな光景はめちゃくちゃ体のいい宣伝でしたけど。結構終わり頃までどういう正義の味方するのか読めませんでしたから。

姉は妹以外の人づきあいにはそつなくこなす機転と賢さがあるのですが、良川家の人々には非常に計算高く自分を押し殺してるように感じられます。姉は本当に直紀(向井さん)を愛しているのかどうかが気になるところであります。

なんで料理が出来るのに妹こき使ったのか不思議でもありました。一時帰国してくると分かった時点で、持ち前の負けず嫌いの性分からやると決めたらひたすら努力する姿勢で猛勉強して料理が出来るようになったのでしょうか。だとしたらそこらへんはさりげなく示してくれないと妹にやらせた理由が理解できません。直紀の趣味に合わせるために猛勉強してた様を一度描いているから省いたとしたら省きすぎだろうと思うし、そうではなくて元々料理できるのに妹こき使っただけだとしたらなんだかなあこの人はって感じになりますしホントのところはどうだったんでしょうか不思議と言うか疑問でした。

不思議に思ってるついでに多少脱線しますけど、なんでキャリア官僚辞めて主婦業に専念しなかったのでしょうか。っていうか辞めてなかったんですね仕事。ということははなから別居と決めてたってことで、前回の空港での涙のセレモニーへのギャグオチとして家族の誰にも伝えなかった設定になってたんでしょうか。普通だったら言うでしょうに知らぬは家族ばかりなり。劇的でしたけど強引な感じがしました。けど姉が度が過ぎるドッキリ仕掛けたということなんでしょうかねえ。

そして新たに姉に敵(障害)が登場したわけで。それは姑。本性を暴いてやるとのたまわれたようにお見受けしたのですが、そうなると姉の本性を知ってる妹とは同調するということなんでしょうか。立場的にはどちらも追い出したいで一致するんでしょうけど追い出す先が一致しない(むしろ逆)以上共同戦線張ることはなさそうですけど気は合いそうな気がしますです。職場での山下(滝沢さん)についでの敵ということですが必ず敵を作る人なんでしょうか。

この回好きな画がありまして、それは母と姉妹3人でスイカ食べてる光景でした。姉妹の後姿がやけに平和で家庭でくつろいでる無防備感が漂っていてほんわかしてきました。それでいて亭主操縦術とか姑との綱引きに勝つ手段の心得とかいうすんげえ生臭い話ししてるとこのギャップがとてもアットホームでした。

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*しずようんない

やりようがない・やる手立てが無いとかいうニュアンスの言葉。

「せずようない」という表現もほぼ同じ意味。「ず」か「づ」かは不明。「ん」が省略されて「しづようない」という言い方もある。

仮想ではあるが「するべきことがない」の古い言い回しが「せす用がない」とすると、「せるようんない」から「せずようんない」に替わり言いやすくより変化して「しずようんない」になったのではと勘繰れなくも無い。

似た言葉としては「いづようない」(いづらい・肩身が狭い)とかがある。

例文

「はあもうやれるこたあ大概やっただでもうしずようんないわ。」

  (もうやれそうな事は殆どやってそれでも駄目なんだから。打つ手がもうない。)

「なんでえ。見捨てるだか?」

  (なんだよー。見捨てるのか?)

「しょんないじゃんか。なんかあるだ?他にい。」

  (仕方がないだろう。他の手立てとかあるのかい?)

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お名前の呼び方

映画やドラマの感想残しをブログのひとつの柱としている私としましては、必然的に役者さんのお名前を表記して話しを進めることになる訳ですが。その呼び方をどうすればいいのか相変わらず模索中であります。

呼び捨てだとあんた何様?となるし。なにごとも自分の身になって考えろと申しますが、私が世間の俎上の上に載ることなどまったく想像できないのでこれはもう無い知恵を絞る他ないのです。

今のところ注意している点は、普通に使う場合は、さんづけとし、フルネーム書かない。固有名詞として使う場合は省略せずフルネームで「 」でくくり敬称はつけない。と言う点であります。フルネームなるべく書かないようにしているのは名前で検索ヒットして来られてもメインが作品についてなのでその方のことについてではなく無駄足となるからで。

これで万全かというとそういうわけでもないらしく、呼び捨ても厭だけど見も知らぬ一般人からさんづけされるいわれは無いと番組内でおっしゃられてた芸能人もおられました。たしかにそうだと納得モノです。

たしかに呼び捨てほどではないにせよ馴れ馴れしい印象を受ける場合もあるのだけれども、だからといって様をつけたらファンでもないのに尊敬の念ばかりを浮き立たせても褒め殺しみたいなえげつなさを感じる。それになにより役者さんに伝えたい訳でも呼んで欲しい訳でもないただの感想残しなんだから親しみを感じつつ粗相の無い言い方であるさんづけが無難だと思えるのでこれを継続して行こうかなと。

それと故人の方についても、作品の中で永遠に生き続けておられるという判断で基本的にさんづけとしております。

参考にと他の方のブログを勉強させて貰ってるのですが、いまのところ固有名詞としてのフルネーム敬称なしが多いように感じられます。愛称はファンの方が使うべきもので俗称として使われてる(内容から判断して愛情を感じられない)文はなんか好きになれませんです。私みたいに苗字のみとさんづけは殆ど見受けられないという印象です。少数派ですし言いか悪いかは分かりませんが当分この形でいこうかなと。

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モンスター・ペアレントその8(第Ⅶ話)

毎回思うことは、モンスターがやたらと強力で、しかも輪をかけてすんごい役者さんをキャスティングしてる分凄さ倍増で、とても教育委員会と学校側が勝てそうに見えないのです。でもまあそもそも解決に当たっては対決でなく融和を目指しているのだから勝ち負けなぞ存在しない。そういう姿勢と視点だから、白黒つける弁護士さんのイメージからは随分と外れるイメージがあります。

しかも米倉さんには、決着はイエスノーであって妥協は好きくないという対決のイメージがあるので、らしくないという印象を受けますです。

この二つの誤ったイメージがこびりついているから、モンスターを退治することなく和解して行く展開には少なからずのストレスが観ていて生じていたのかもしれませんです。

でももう大分馴れてまいりました。

今回のモンスターは未来が見えるという信念を持ちそれを拠り所としての危険回避を第一とし、その為には周りのことなど構ってられないという親。ここまでくると精神科医のお医者さんの出番じゃないのかとさえ思えてくる展開です。本当に予知能力があったのかはともかくとして、理不尽というよりも常識の範囲で生きてる人間からすればあまりにも根拠のない理由で改善を求めるという光景はとても異常です。自分を離れて見れない狭い視野になってしまってる人の目を覚まさせると言うことに尽きるんでしょうけど、それをどうやってというのが見所でありました。

生まれついてのという生来の才によるものではなく、過去に起きた娘の手に傷が残ってしまうような事故を防げなかった後悔の念が繁殖増幅してしまって、二度と起こさぬようにと危険性の排除が強迫観念のようになり。挙句に負の要素が頭をよぎるようになったということ。離婚等により「守る」は我のみという強い孤独心が余計加速させたらしいのですけど。

「守る」なんて一生ものじゃないすから。どこかで切り替えるべきかと存じますです。「自分の身は自分で守れ」と。子離れできない親が悪いのか親離れできない子が悪いのかは知りませんがその変遷の過程が「独り立ち」つまり独立というものなのでしょう。それが中学なのか高校なのか小学生の時期なのかは知りませんが夫婦と同じで蜜月・倦怠・そして安定へたすりゃ破局へと変遷するような関係が親と子にもあるということなんでしょう。

話しが今回ややこしくなったのは、子供がひたすら我慢していたこと。お母さんのやっていることが正しいとは思えないが自分が怪我してしまったことによって家庭が崩壊し母親の心が病んでしまったと思い込んでしまったことが可哀想な状況を増幅させてしまったようでした。まあ今回に限らず親のしている迷惑を子供が知らないか否定しないシチュエーションばかりなんですけど、「お願いだから恥ずかしいからやめて」と子供が言えば済むんじゃないかと思うのは甘いんでしょうかねえ。

結果としては今回も臭い匂いは元から断たなきゃ駄目とばかりに、何故こうなったのかという原因まで遡って修正したように映りました。結果としての要求にいちいち振り回されていたら防衛一方できりがないということなんでしょうね。まさしく彼を知り己を知れば百戦危うからずといったところなんでしょうか。タイムマシンが必要なようです。

それにしてもよく出てくる言葉が「責任」。もしなにかあったら誰が責任とってくれるんだと常套文句で脅されて、「私が取ります」と安易にいえないのがもどかしいとこではあります。昔だったら「そこまでおっしゃるならお任せします。」で一件落着という感じだったんですけど、今は「ならお手並み拝見。」で、もし失態でも起ころうものなら揚げ足取るなんてもんじゃない「だからいっただろう。」と徹底的に追求されてどつぼにはまるんでしょうな。今回は望月(ひらっち)が美人先生の前でええかっこしたくて「責任とりましょう。」といって物事が進行していったのですけど、現実的にはとりにくい世界になってるのは事実です。なにしろ他人がどうなろうと知ったことじゃないと平気で思う人ばかりですから。自分がもしその立場だったらという気遣いなど毛頭なく、「あんたの仕事だろう」という突き放した思考しかない人ばかりですから。それでいて芸能人とかには自分がもしそうなれたらなんて考えてるというそれはそれこれはこれという都合のいい区別はもってるくせしてね。自分が出来ないようなことを人に押し付けるなと言いたくなるなんか怒れるモンスターではあります。

自分ならできることをあなたは出来ないと無能呼ばわりするモンスターも過去に登場しましたけど、こういうモンスターは別種で私も苦手で対処のイメージが湧きません。

予言とか占いとか曖昧なこと言えばたいていこじ付けでそう思えてくるもんですからこういう理屈で社会を動かそうなんて無理だと思うんですけどねえ。他人にたいする予言はそんな感じでも我が子のことに関しては予言どおりにも見えてまさしく気合だ気合だ気合だあって一念岩をも通すって感じでした。正直バケモノ封じよくできたもんだと思いましたです。退治ではなく封じですから陰陽師の世界みたいでした。

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*かいだるい

だるいと言う意味だが、ニュアンス的にはそこはかとなくだるいという感じである。遠州独特の表現ではないらしいのだが地域によってはこのニュアンスが異なるようである。共通語的には「けだるい」が一番意味として近いのではなかろうか。

「かったるい」に近い感じで使われることもあり、きちんとした意味づけが難しいのであるが、「かったるい」は気が弛むとか疲れるとかしんどい、しんどいからめんどくさいとかいう意味であろうと思われる。もちろん「たるい」と「だるい」は違う言葉であるが。「かいだるい」は肉体的になんとなくだるいと言う軽い症状の感じか。

辞書を引いてみたら{かいなだるひ}の転じた言葉で「かったるい」は「かいだるい」が転じた言葉。とあった。

つまり言葉そのものは方言ではない共通語であるということか。ただし遠州弁においては「かったるい」(気持ちの問題)と「かいだるい」(心身の状態)という使い分けをしていて別の言葉なっているところが地域性なのであろうか。

例文

「ここんとこ寝不足でさあ。昼かいだるいだよ。」

  (最近寝不足でねえ。日中はなんとなくだるいんだ。)

「昼寝できりゃあ最高だんな。」

  (昼寝できたら最高に気持ちいいんだけどな。)

「でもやあ、営業で外出で車ん中でちいと横んなったらつい寝えっちゃった時あってさあ。熱中症んなりかかってどひどいめにあっただよ。」

  (でもさあ。営業で外回りしてた時、車中でほんのちょっと横になったらつい寝てしまってね。熱中症になりかかっちゃってエライ目にあったことがあるよ。)

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あんどーなつその6

テーマソングと言うんでしょうかモンキーマジックさんの「ただ、ありがとう」という曲が良いです。心がホッとするというか和むというか。和とは遠いんですが下町人情と連なるような穏やかな柔らかさがありますです。

今回の展開は、この人間模様は永遠に続くものではなく人生流転のなかの一過程の仮の形だといわんばかりの在り様でした。もちろん生き死にの別れは避けがたいものではありますが、今回のテーマはそれぞれの人が背負っている因果によるもの。そのターゲットは竹蔵(尾美さん)でありました。

いづれ故郷の店を継ぐために修行にやってきた竹蔵も15年という月日の経過によって浅草に根が張り人々の輪の中に溶け込んで一体化した、居て当然という住人になってしまっている。それが父親のよる年波の流れからここに来た本来の目的との葛藤になっているという様。と言う風に観てる方は満月堂中心で見てるので親方の後を継ぐのは竹蔵だとばかり思っていた訳だし。竹蔵がいつか故郷に戻るなんて考えてもいなかった居るのが当たり前の人だとばかりとも思っていたし。

妹さんとその旦那さんのどぎついキャラは一見すると悪党にも映るけど、詳しく話しを聞けば全てが間違ったことを言ってるわけではない風に見えます。おかみさんも親方も「帰る」という選択肢を提示してみたりもしているのだから。でもなんでしょうかねえ妹さんのキャラがあまりにも悪役っぽくて、それによって妹ギャフンと改心させるという展開に流れを傾けたかったのでしょうけど。そうなるとなんか陳腐な展開に話しがいってしまうような気がしました。主流は竹蔵の心意気であって妹改心じゃないでしょうにねえ

なつ(しほりん)が妹さんに会って懇願するのですけど、あれで妹が改心するとはとても思えない感じがしました。なにをなつは伝えたかったんでしょうか。妹からすれば兄を引き止めている側の人間なのだから現状を説明されたって壁をつくって聞く耳もってない訳だし。ま、どっちにしても妹を平穏をぶち壊す独りよがりな悪役キャラとして見せて(登場させて)いる設定が私にはどうも肌が合わなくて、いくらおかみさんや親方が泣かせるような良い事おっしゃられてもいいお菓子作ってそもそもを想い出させてもなんか説得力に欠けましたでございます。もう建て替えはさも決定事項で父親も了承しているという事後報告みたいな兄と妹の対決という設定を覆すには不十分だったように思えます。これが最善策と判断してそう行動してきた妹だけれど、心のどこかでこれでいいんだろうかという疑問を抱えたうえで兄の元を訪れるという始まりで、だけど言葉の掛け違いから感情的になってこじれてしまうがひとつのお菓子で共に冷静になり、兄の強い決意をお菓子から悟ってもう少し待つことにして心がほっとしたという展開の方が好みです。しかもこんがらがらせるのは余計なお世話ななつだったらもっと面白かったんですけど。

余計なお世話ついでにいうと、竹蔵が修行を終えて満月堂を離れたら満月堂のほうは誰が親方の跡つぐんでしょうか。っていうか親方には一応なつがいるみたいですけどおかみさんの跡になりそうな人全く見当たらないとこみるとこの代で満月堂終えるということなんでしょうかねえ。もっとも20年くらい先の心配事ですけんど。なんか見ていて落ち着かないのは後継者がいないからなんでしょうか。若女将が登場してきてなつと共に修行はつらいよと嘆きながらもお互い切磋琢磨して頑張るっていう構図もあると未来へも繋がるようで落ち着くんですけどねえ。

ところで相変わらずセットの光りの色味(TBSカラー)は何とかならないんでしょうか。白っぽい日の光という画は私には非現実的に映ります。好き嫌いの問題でしょうからどうにもならないんでしょうけど。なんか温もりが感じられないんですわ。

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*ぬくとめる

温い(ぬくい)と言う表現は共通語であるが「ぬくとい」となると方言になるらしい。

従って「ぬくとめる」も当然方言ということになる。

意味は温める(あたためる)という意味。でも共通語で「ぬくめる」なんて言い方あるのかは疑問ではある。

ニュアンス的には人肌程度と受け取れ、決して沸騰させるほどの程度ではない。

遠州弁では人肌で暖められたようなものが「ぬくとい」で火をくべたりして温めたもたのが「暖かい」で熱過ぎると感じるのが「ちんちん」という使い分けであろうか。

日差しを指す場合は「ぽかぽか陽気」・「小春日和」辺りが「今日はぬくとい」ということになろうか。

食べ物に「ぬくとめる」を使うと「温め直し」みたいな印象を受けるのは私だけだろうか。

例文

「大昔に給食に出とった脱脂粉乳なあ。あれぬくとめとかんと飲めたもんじゃないだにい。」

「なんで?」

「ちっとでも冷めると膜張って。それん飲むと白いヒゲみたく上唇につくだよ。」

「それって美味かっただけえ?」

「あれん美味いなんちゅう奴聞いたこんないやあ。」

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太陽と海の教室第4回

唐突にビーチボール大会への参加を募る。これはまあこの先生なら十分ありうる能天気とも見える提案なのですけど、それに手を挙げる生徒がぶっ飛んでるというか想定外(指大事な音楽家の卵)の生徒であったことから始まる騒動かと最初思いまして。しかも予想通りというかお約束の展開で手に怪我を負うということになる。さあどうしてくれるんだ櫻井先生(織田さん)諸々という王道というか熱血先生ものではありふれた展開かと。

ところが、気分転換のつもりで手を挙げたのかと思いきや、手の怪我は口実であって、その行動の真意は周りの大人からの期待という抑圧に押しつぶされての負の退避行動であったという展開。本人からすれば渡りに舟の格好の口実であったというのはいいように利用された櫻井先生ということでありまして。人のせいにして自分の尊厳と建前を守るという逃げるにしても囮を犠牲にしてというとても後ろめたい逃げ方ではあります。

それを彼女?に見透かされて解説までされて、観念するかと普通思うところをまだ往生際悪くガラスに拳をぶつけ、何事かと駆けつけたら「こいつらに突き飛ばされました。」と嘘の申告かまして、心の根腐れ様は半端じゃなさそうです。しかもそれを真に受けて物事を複雑にする輩の存在もあって恋と逃避と抑圧の解放と自尊心とが複雑に絡み合ったややこしい展開になってました。

この時点でどうやって解きほぐすんだろうかと想定してみたんですが、そんな厭なら芸大いくの辞めりゃいいじゃんくらいしか思いつきませんでした。そしたら櫻井先生のお裁きは「逃げればいい」。やっぱ芸大やんぴでええじゃないかと言うことかと。そしたら「でも逃げちゃいけない時もある。」とな。その講釈はなんかよく分かりませんでしたけど、画は綺麗でしたねえとても。朝焼けが映ってなかったのは残念でしたけど。

まあそれにしてもこんだけ手練(てだれ)の役者さんこらしょと揃えるともう彼らをそれぞれ描くだけで、たとえその回のテーマと関係ないことしていても群像劇として奥行きが増すようですな。どこを切っても金太郎じゃないですけどどこの切り口からでも物語が紡げそうな贅沢さを感じますです。「恋」というワードで色んな二人の関係を描いてみたりと成長の度合いを周りと比べてしまうお年頃とか。

下手こくとそれぞれの上っ面だけか又はストーリーの展開上において便利なキャラをその都度使いまわしして終わりかねない惧れもある訳ですが、それは脚本家さんの腕によるものであって役者さんのせいではないのでしょうからこれからも元気にはしゃぎまくって欲しいとこではありますです。

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Tomorrowその6

とりあえずなのか晴れてなのか心の奥までは推し量れませんですが、森山(竹野内さん)と愛子(菅野さん)の関係は修復されたようです。反対に妹(黒川さん)の方は奥歯に物が挟まったような状況に事態が転落したようです。

で、今回は医療ミスという一大事。しかも相手が社会的に穏便に済まない地位のある物書きの人(杉田さん)でおまけで看護師をメイド扱いする厄介者。もちろん愛子や森山は厄介者なんて思っていないのですけど。

それと共に色々と迷惑患者の姿も描かれていて、正にこの病院は沈み行く風前の灯のような人手不足。私だったあ厭(仕事行きたくない)になる条件全て満たしてます。こんな状況でも明日はあるのかという展開のお話しでした。

この回でお気に入りのセリフは森山の言った「小さい頃は世の中はもっとちゃんとしてるものだと思ってた。どんなことでもその道の専門家がちゃんと物事にあたって解決してるんだって思ってた。でも今こうして自分がなにかをしなくちゃいけない立場になってるけど、全然未熟で手探りなことばかり。だけどバタバタ走り回ってやっていくしかないと思うよ。」というセリフ。ホントそう思いますです。思うだけで実行に移せないですけど。竹野内さんの遠くを見ながら話すような言い方がお仕着せでなく心に沁みましたです。

杉田さんホントにごねる役やらせたら説得力ありますです。この人を納得させることなんてどうやったら出来るんだろうと思わずにはおれません。従ってなるほどと観てて思わせるのは至難の技と言うかよっぽど脚本がいいものでないと嘘くさく映りますです。ある意味脚本の質を推し量る格好のバロメーターと言えなくも無いところでしょうか。今回はどうかというと作家という観察力とか含めて賢い人だったから観ていて納得できたようなもののそうじゃなかったら、病院の現状をさりげなく仙道(岸部さん)が案内したり愛子が手間かけて探し出した本を貰ったところで、大事ななにかを思い出したり喚起されたりなんか出来ませんて。感情と理性のやじろべえで普通だったら感情に傾くもんですから。まあ売り言葉に買い言葉で状況が悪化するもんですが森山も愛子も売ってませんから悪化しないで済むのでしょうけど誠実とはしんどいものだと思わずにおれませんです。

「ありがとう」と言われる事が仕事をする上での最高の励み。それは職業に関わりなく最高のものであると謳ってましたけど「溜飲を下げる」はやっぱ仕事の励みにはならないんでしょうね。だとしたらストレスどうやって解消してるんでしょうか。「ありがとう」だけで頑張れるなんてちょっと理想かしらんと思わなくもない部分ではありました。空元気も毎日続ければ元気に映るという根性論みたいでもあります。

そういえば出るとこ出てもいいんだぜと応接室で偉そうこいてた編集の人の対応はどうなったんでしょうかねえ。まあおそらくは志保が止めたんでしょうけど。

遠藤(緒川さん)のこの病院にやってきた理由がうすらほのかに政治家がらみで描かれてましたけどどういう交換条件(ギブ&テイク)なんでしょうか。政治家さんの部屋には地域医療がどうたらこうたらとスローガンが貼りだされてましたけど謎であります。ま、少なくとも森山達の味方ではなさそうですけど。

世間の口ですけど、噂の口は塞げたんでしょうかねえ。医療ミスした外科医がいてそして又新たに警察に連れてかれる医者と看護師。しかも正門から正々堂々と連行されてて。口コミどうみても悪い方向に転がってるとしか状況判断できないんですけど。作家先生の乾坤の一筆でチャラになったんでしょうかねえ。だとしたら「ペンは強し」で一件落着となったってことでしょうか。

菅野さん今回はエラク輝いて映ってたみたく見えました。具体的にどのシーンがということはないんですけど、しいて挙げれば志保を最後に説得するシーンの穏やかで晴れやかなお顔とかですかねえ。場面的には謝罪と感謝を表現するとこだと思えるんですけど何故か優しい感じに映りました。

走る(ナースコールで)シーンとか一回目と二回目でやれやれ感を増していったり、チオビタのCmでも働きマンの時もユーキャンのCmでも走ってられてますが、それぞれのシチュエーションに合わせて走る姿や映って見える心持ちとかが異なって見えるのはすげえなと思いますです。笑い方も今回はけらけら笑うキャラで働きマンはからから笑ってたし八犬伝ではかんらからと豪快に悪党笑いしてたしと一体幾つのバリエーションを誇るんでしょうかねえ。

それと比べて泣くのはそんなに数多くのパターンがあるとは思わないので、そこはなんかほっとしますです。シンプルに役者さんとしていいなあと思っていて、べつに菅野美穂さんという実在の人物に興味を持ってる訳ではないのですけど嘘泣きが上手いのは人として考えるとなんか引いてしまうので。そういう意味で素直なお方なんだろうなと思えてくるんで。

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*おっそろしく

物凄くに・頑固に・随分とと言う意味。まあ遠州弁ではないけれど怖ろしいが変化した割には意味が全く異なるのは不思議である。「おっとろしい」と言う表現もあるが微妙にニュアンスが違う感じがする印象がある。ただし私は使わないので正確な意味は判らない。が、おそらく「おっとろしい」は怖いと言う意味のおそろしいの変化形と想像している。間違ってたらごめんなんしょ。

因みに共通語の「おそろしく」には「怖ろしく」と言う意味のほかに「ひどく(大層)」と言う意味もあり、共通語では使い分けの区別はされてないが、遠州弁は怖ろしいとの区別をよりつけるために「おっそろしく」との使い分けをしているのかもしれない。

例文

「またこりゃおっそろしく固いなやあ。どこん馬鹿力で締めただやあ。」

  (これはまたがんこ固いなあ。どんな馬鹿力で締めたんだ?)

「無理こいてネジなめちゃかんにい。」

  (無理矢理やってネジ切っちゃだめだよ。)

「わかってるわあそんなこん。しっかしホントどがてえや。」

  (わかってるよそんなことは。だけど本当に固いなあ。)

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オリンピックの中継

あんまし興味ないとぶつぶつこいてた割には出歩く程の体力も気力もなく、結局だらだらとテレビのチャンネルこまめにころころ変えながら一日が過ぎていく。

ふんでぇ、まあ気がついたどうでもいい話をその都度加筆しがつら書いてお茶でも濁そうかと。なんとはなしに思うのはこの期間夢と一体感を与えてくれるのは芸能界よりもオリンピックだと言うことであろうか。ドラマとか内容に関わらず視聴率が下がるだろうし、それゆえ評価も下がるんだろうけど質は変わんないだろうにね。

*水泳

男子でもわき毛の処理するようになったんですね。いつからこういう風潮になったんでしょうか。

女子400mリレーの中継で足が震えてる(痙攣か?)どアップのシーンが印象にとても残りましたです。とてつもない重圧の中に自分を追い込んでなにが楽しいのかと能天気に生きてる私などからすれば理解できないことですが。おそらくその後に訪れる開放感と結果が伴えば最高の感激が待っているからなんでしょうね。風呂上りのビールみたいなもんでしょうか。私は酒飲まないのでそういう我慢の後の庶民的な快感すら味わうことはないので感心するほかありませんです。でもこの映像はインパクトありました。司会の松岡修三さんがきっちり見ててそこを述べられておられてナイス!と思いました。ああいうのを武者震いというんでしょうか。

*柔道

日本のお家芸とかで勝つのが当たり前みたいな勢いが見る側も解説する側もやる側もある。それだけに日本選手が敗れるとどっとむなしい。だけど実際の試合を見てるとこれはもう武道としての柔道ではなくスポーツの「JUDO」(スペルあってるか?)だと思えますです。ルールをいかに味方にしてプレイするかであって別種に相違ない勢いです。そろそろ考え方変えた方が疲れなくて済むような気がしますです。柔道じゃないんだから服装もすぐはだけてしまって待てをして整える手間の時間がうっとおしくみえたりもして、もう柔道着という形式に捉われない新しい着衣にした方がいいように思えます。

もちろん回帰して「柔道」をするというのであれば、制限時間だ待てだの注意だ警告だのとかなくしてとにかく一本決まるまで徹底的に両者が闘うくらいにしないと、ポイント貯めて優勢勝ちが主流の「JUDO」を打破できない感じがしますです。見事な一本決まってこその美ですから。

見事金を獲得された内柴さんの「仕事」というフレーズ。メディアの読み手は父親として成すべき事を姿勢を息子に示すことと解釈されていたようだけれども、柔道家としての責務ともとれなくはないか。プロなど存在しない世界だけれども柔道漬けの毎日を過ごしておられる筈で周囲の援護支援あってこそ立っていられることからその期待に応えることが仕事(業務)ともとれなくもない。美談とすれば父親の仕事だろうけれども生き様としたら柔道家の仕事という方が綺麗な気がしますです。

*やっぱりスポーツは残酷だな

敗者の悲哀をこれでもかと衆知の面前で見せ付ける辺りは、ドラマのような手加減がない分救い様がなく哀れを感じる。その分勝ち得た勝利に対しての感動は作り事では決して味わえない感動がある。明と暗のメリハリが半端なく事実は小説よりも奇なりという言葉を使っても間違いじゃないような気もしてくる。

そういう中でも破れてもなお清しと思える光景にも出会える。これは清々しくて爽快感がある。

単純に筋書きの無いドラマという推理小説も真っ青な先が読めない一喜一憂を愛でるというだけでなく毒を喰らわば皿までみたいな徹底的なところが魅力なんだろうか。

*女子レスリング

不満げに金以外のメダルを受け取るより金でなくとも心の底から嬉しげに表彰式で笑顔を見せてくれるほうがやっぱしいいなと。人々に勇気を与えると言うならばたとえ顔で笑って心で泣いてたとしても、笑顔に勝る勇気はないと思う次第で。人前に立つというのはこういうことを言うのだろうなと。

もちろん勢いだけでやってきたような苦労知らずの若造がはしゃがれたら生意気にしか感じないけど、女子レスリングの面々は前回に続いての苦労人揃いだから見ていて重みが伝わる分感動するんだろうなと思いますです。

*引退報道

晩節を汚すのを嫌う国民性なのか長期的な視野からの観測が苦手な国民といわれてる割には人の進路に口うるさいものである。祝福で盛り上がりそれを長く楽しむことをしないのはもったいないというか変な話しのような気がしてくる。どこかの国のように敗者を棒でなぶるような真似こそしないが、進退に関しては強いプレイヤーに対してほど抑圧をかけて潰そうとしてるかのようでもある。

まあ結果だけ評価する時代からそこに至るまでを大切にするようになっただけ進んできたのはいいことだろうけど。それは報道する側の進歩であって見る側の進歩ではないような。でも引退などが紙面を踊るのはニーズがあるからだろうけど、それは報道がそう導いているのか読者が求めているのかは微妙ではあるような。

*やっぱスポーツチャンネルの増設だよな

メジャーな競技はともかくとして、マイナーだけど卓球とかソフトボールとかにせよ見ていて面白い競技があるもだと思う次第で。国としてスポーツの向上を図るには強化費を潤沢にするという方法が一番なんだろうけど別の方法として関心を集めるということも必要なんじゃないかと思えましたです。オグシオとか愛ちゃんとかの広告塔によって興味を惹くとしたらプレイ以外でのタレント性のあるなしで食いつきが変わってしまう。でも実際プレーしている時の表情はやはりみんないい顔をしているわけで。

普段それが見れる機会があったほうがいいように思えますです。商売としてそれは成り立たないだろうから採算は受信料で賄っている国営放送がスポーツ振興の為に動き出すが一番かと。実際放映されてるのはメジャーなスポーツばかりで草の根活動とは程遠い印象を受けるのです。国体とか地域振興をというのではなくて、各競技の最高レベルの世界を魅せて欲しいものだと。

個人的にはバトミントンと卓球の試合を見ていたい感じです。乗馬とか射撃も面白かったですけど、とりあえずはバトミントンと卓球かな。

*中国

卓球が面白かったんですけど。面白かったんですけど出場されてるトップクラスの選手の方々殆ど現と元あわせて中国のお方なんですね。別に非難してるんじゃなくてどうすりゃこうなれるんだという驚きを持っていますです。人口が多いんだからというならインド辺りからでもボコボコ凄い逸材が世界を席巻しても良さそうなくらいなのにそうでもない。

*オリンピックという場

競技者の方にとっては、自身の夢への挑戦・野望の達成という個人目標があるのだろうけれども、こまごまとお金を出して貰ってる分色んなしがらみと義務もあることになる。

つまりは競技への伝道師として、積み重ねてきたものの披露という求道師という二つの側面を併せ持っていた訳で。一概に勝てば官軍負ければ賊軍というだけでなく美しさや感動をも求められるというのはしんどい話しではあるが。

実際それを具現化してる人物が存在してるんだからすんごいなあと思うし、この日の為に何年も土の中で暮らす準備鍛錬期間が必要となるのかと思うと夏のひとときの瞬間を駆け抜けて生きる虫たちのようにも思えてくる。

金を量産しまくれば商品化(養殖)に成功したみたいだしそれを売買(商売として成り立つ)するってのも悪いことではないけれど。

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33分探偵その1(第1・2話)

このテイストはあまりに突飛すぎて、水川あさみさんの芝居だかアドリブだか区別つかないような関西風のテイストと、奇抜な映像というものがなければ絶対ついていけない世界でして、まだというか馴れる気がしないです。でもなんか可能性を感じますです。でも面白いの?と聞かれたら今の時点では返答に窮しますけど今後化けたら面白いのではと思いますです。

なんなんでしょうねえ、これでたなぼた式に真実が明かされるという展開とかであるのなら感想も変わってくるんでしょうけど2話とも33分が無駄なことして遊んでるとしか思えない感じでなんだかなあという感じです。

じじくさい考えでいけば、そもそも探偵さんが関与する必然性が理解出来ない訳で、もっとなるほどねと納得出来るような必然性を示して欲しいというのがなんだかなあと思えてしまう理由なのですが。遊び心満載というか全てがギャグと考えれば必然性なんか不必要なのですが、まだその遊び心が全開という風には見えず探り探りのような感じでしょうか。

1話より2話の方が面白いと感じてきているので、見慣れてくればこの遊び心が愉しめてくるのかもしれません。探偵役の堂本剛さんは胴元さんで、自分が自分がと前に出るのではなく支える側みたいな姿勢でドラマ全体の空気感を作り上げていて、その中で映像や水川さん・高橋さん達芸達者さんが飛び跳ねてる構図なんでしょうか。役者さんとは異質な印象を受ける存在感です。

とにかく現時点においては水川さんの跳ね具合がインパクトありますんで、これで高橋克実さんの立ち位置が安心してくれば型ができてくるんでしょうか。突飛ですが佐藤二朗が面白いす。

それと映像が新しいものに挑戦してるようで、こういうの好きです。犬神家の軽いギャグとかある種の知恵というか知識も必要とされる「わかるかなあ?」というお気楽では済まない好奇心をくすぐる部分もありまして。ついてこれる奴だけついてこいやという突き放しに特化すればもっと弾けれて楽しくなるやもしれません。

ただちんちくりんなズボンのセンスだけは最後まで私ついていけそうにはないですけど。

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*ちんちくりん

服などのサイズが合わず小さいことを言う。つんつるてんもほぼ同じと思われる。

共通語の「ちんちくりん」も同様な意味で、それ以外に背の低い人を指す場合にも使われるようであるが、少なくともうちの集落で背のことを指す使い方は聞いたことが無い。なので遠州では決して差別的意味はない。

たまに、「妙な」という意味で使う場合もある。体と衣服のバランスが悪い様が「妙」ということと、「みょうちくりん」とこんがらがって使っていることが混ざっていると思われる。

特に遠州弁という訳ではないのだが、使い方が共通語と若干異なるので記載。

「ちんちくりん」の逆だと「だぼだぼ」と言ってるような気がする。「丈が合わん」だと短くても長くてもどっちでも使うしなあ。

例文1

「あいつなにちんちくりんなこんこいてるだあ。」

  (あいつは何を妙なこと言っているんだ?)

例文2

「この服どう?」

「なんかちんちくりんにめえるやあ。」

「そういう服なの。」

「あっそう。そのセンスにゃついてけんわあ。」

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