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NHKに憮然

「オトコマエ!」最終回見て興ざめしてしまいました。ドラマの内容がということではなくて、画面右上に「アナログ」という表示がなされていたことによるものであります。

なんかせっかくの作品が台無しになったみたいな気分になって白けてしまいました。以前から衛星放送でもこういう表示されていてせっかくいい映画やっていても余程のものでない限り見る気がありませんでした。だってオリジナルにそんな表示はない訳ですから余分でうっとおしいだけで作り手が精魂籠めて作り上げた画に落書きしてるようなものに思えてくるからです。

なんのためにこういう表示をしなければならないのか理解に苦しみます。私にはまるで地デジに早く移行せよと立ち退き追いたて喰らってるような気分にすらなります。もちろん地デジでもこういう表示されてますから私の勝手ないちゃもん八つ当たりなのですが。

速報でテロップが流れたりするとせっかくの作品がってがっくりくることはよくあります。しかし災害等の情報を不快に思うのはは被害に遭っていない傍観者の我儘と自戒して納得するのですが、選挙速報とかだと、当確ってそんなの当選決定してからにせいやとつい思ってしまうような私です。人が真剣にその作品の世界につかってるのに現実に引き戻すなよという感覚です。民放に対しては私一銭も払ってませんからブーたれる資格なぞないのですがNHKに対しては受信料払ってます私。直接的な抗議とか受信料不払いとかは大人気ないのでしませんが不快感が尽きぬ想いは拭えませんです。

私は洋画を殆ど観ないのですがその理由のひとつとして字幕があると文字をどうしても追ってしまって画全体を観ていない傾向にあるのと字幕が画の邪魔をしてるように思えてしまうことがあるからです。それと今回の「アナログ」表示が同じだとは言いませんが近い感じがするのは確かです。作り手の意図からはずれた明らかに余分なものが差し挟まれているであろう画を見るのは好きくありませんです。

なので、一時的なものではなくずっとこの表示がされるなら、今後余程の作品でない限り反抗の意味合いも含めてNHKのドラマには憮然とすることにしますです。

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*まっつぐ

真っ直ぐが訛ったもの。特に遠州弁かといわれても別にそういう訳ではないのだが。むしろ江戸っ子風と言うほうが近いのだが遠州でも使うということで。

紹介はしてるが使い手は多くはない。女性が発することは滅多にないし若年層が発したらおちゃらけに聞こえるところである。

例文

「ここら辺の店屋で○○ってゆーの知らんかねえ。」

  (ここら辺りに○○というお店が在ると思うんですけどご存じないですか?)

「わしじゃわからんもんでえ、この道まっつぐ行ったとこにパチンコ屋あるだで、そこんさあで聞いてやあ。」

  (私では分かりかねますのでこの道を真っ直ぐ行ったところにパチンコ屋さんがありますのでそこでお聞きになられてはいかがかと。)

「そこんさあで聞きゃあわかるだかいねえ。」

  (そこで尋ねれば分かりますか?)

「わしよりかは知ってるらあ。なんしょ引越いてきたばっかだもんで、よー知らんだよまだあ。」

  (私引っ越して来たばかりで詳しくないので、私よりかは詳しいと思います。)

「ほおけえ、じゃ聞いてみすかな。まっつぐいきゃあいいだね?ありがとねー。」

  (そうですかそれでは聞いてみます。真っ直ぐ行けばいいんでしたね。どうもありがとうございました。)

「わからんかったら、ごめんだにぃ。」

  (そこでも分からなかったら余分な手間かけさせて申し訳ないけど。)

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日本語の乱れ

今日の新聞やテレビのニュースで取り上げられていた日本語の乱れ。

自慢になるやもしれませんが例題殆ど私間違った使い方の方でした。でも、言い訳するつもりじゃないですけど質問の仕方がなんかいやらしい気がしますです。意味を問うのではなくどういう使い方をしてるかを問うた方がいいような気がするのは気の迷いな言い訳なのでしょうか。

「ほんのさわりだけでも。」と言われたら普通不正解の意味(冒頭・でだし)と解釈するでしょうにねえ。掴むとか握るほど強くなく軽く触る程度というニュアンスで「さわり」使ってたんですけど。でもまあ確かにこれは誤った使い方であろうしぐうの音もでないので新しい知識として記憶しておくことにしますです。「さわり」は要点だそうです。これと同じで新たに憶えなくてはというのは「足元をすくわれる」ではなく「足をすくわれる」が正しいこと。

「檄を飛ばす」と「活を入れる」が混同してるということなんでしょうか。飛ぶと言うことで興奮して「唾が飛ぶ」にもイメージが近いのかしらむ。テレビでは同意を求めると訳されてましたけど同じ志を抱く同士を集めるという使い方のイメージのほうがしっくりくるのは私だけなんでしょうか。

「煮詰まる」も「行き詰る」と混同してるんでしょうね。「煮詰める」ってなれば話しも変わってくるんでしょうけど。

「憮然」は意見が通らなくてムッとしてるでもう固まっちゃってますです私の頭の中では。失望ということらしいんですが失望に腹を立ててるでいいような気がする私は甘いのでしょうか。失望=落胆・気落ちといったへこんだ状態よりも失望=憤懣という感覚です。遠州弁でいうところの「ちんぷりかある」と同義語です。

唯一あってたのは論戦を張るが×で論陣を張るが○。戦いは挑むもので陣は張るもの。これくらいはなんとか。

特に気になったのは「休まさせてください」。正しくは「休ませてください」。不必要なさが入る「さ入れ言葉}というそうであるがこの言葉についてはアナウンサーさんの研修で十分注意指導される表現だそうな。でも遠州弁だと「休ましてやあ」というよりも「休まさしてやあ」の方がお願いだからと言う依頼の度合いが強まる表現として普通に使い分けされている。他には「やらしゃあいいじゃん」と「やらさしゃあいいじゃん」とかのように「~さす」という表現は方言としてはある筈で。これを否定されるのはちと辛い話しで、正しい正しくないはあくまで標準語としての話しであって、凡てにおいて間違いと否定するのではなく方言だと述べて欲しかった気がしましたです。ま、私が間違っているんでしょうけど。

「雰囲気」(ふんいき)を「ふいんき」と発音してるってのは洒落なら分かりますがマジはさすがにヤバイ話しです。

総括としては「言葉は世につれ世は言葉につれ」時代とともに変遷するのだから意味が逆転してもやむなしと考える人とあくまで守るべきと考える人に分かれる訳ですが、世代によって文章の意味が通じないのは私の経験から申しますと遠州弁を随所にちりばめたりするとよく不快に思われることが多々ありますので結構深刻な話しではあります。だからといって統一(片方を排除)するのではなく使い分けすることが重要のような気がするのですが。そのためには公と私の使い分けをきちっとすることが大切なんでしょうおそらくは。

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コード・ブルーその4(第4話)

停滞と沈鬱。主人公達が成長しドクターヘリに近づく前進を描いたというよりも、負の処理の対応に苦悩する回のように映りました。

*空きベッドの確保。確かに限られたスペースである以上機能を維持管理することは医療といえども当然のことでしょうが、その加減とか説得の仕方によっては追い出されたと受け取られかねないのも人情というものでしんどい話しです。当初業務を言い渡された時の空きベッド数は3。それが外来からかまって欲しい病の人・救急車で搬送されたAMIのショックとかいう患者さん・その治療の際に一名患者発生・そしてヘリで搬送された患者が一人と減らすどころか満杯状態。はてさて藍沢(山下さん)の手腕は如何に。。映ってただけで処置した患者さんは1日目は4名2日目は1名。その内2日目の患者さんは処置後別の病院へ搬送で入院無し。1日目は4人なので1個ベッドが足りなくなる筈ですけど救急車で運ばれた患者さんは入院しなかったってことなんでしょうか。ということなんですけど結局は藤川(浅利さん)の母親に付き合わされて思うように動けなかったってことになるんでしょうか

*告知。医学は万能ではない。それはそうですけどそういう達観した思いに至る道のりはしんどそうです。普段高ビーで勝気な負けず嫌いの性格の緋山(戸田さん)なだけに医者の限界と直面して思い悩みへこむ様と告知を言い出せない躊躇感は明るい未来が想像できないだけに確かにへこむよなあと共鳴しましたです。最後は完全に自分の中で整理できないまま告知をして大人達の助けを借りることなく全うしてやはり強い人だと思いましたが馴れるしかないことなのでしょうか。吐き出す先がないとなるとストレスで潰れるのが先か場数踏んで順応するが先かというのは医者もサラリーマンも同じと言うことなんでしょうね。なににせよ家族に来いと説教したり弁護士さんと渡り合ったりといつもははっきりものをいう緋山がこのことに関してはなぜこうも思い悩んで躊躇したのか。無事を喜ぶ友人や家族の笑顔を見てしまったせいなのか理不尽なことをなす術もなく受け入れなければならないという「負けた」みたいな感情になったせいなのか。明確に本人がそのことについて言葉を発していないのでどうとでも取れるような感じに映りました。

*偽の病。心の病なのでしょうがお門違いということなのでしょう、精神科へ行けということでしょうけど。それにしても不安気な悩める表情が画になるのは新垣さん同年代の中では群を抜いてるんじゃ思える程説得力ありますです。戸田さんも今回告知で悩んでおられますが身が焦がれる勢いの切なさが勝って見てられない切実さの説得力がありますです。質が違うと言うか新垣さんの場合頑張れと応援したくなるタイプと言う表現でお茶を濁しときますですが画になるというか暫く見ていたい感じになりますです。脱線しましたがかまって貰いたいからというのは最近なんかよく聞くキーワードでおます。あちらは誰でもよかったと他人を傷つけ、こちらは自分を傷つけと結果は異なれど動機が似通ってると言う風に感じられてあのまま病院後にさせていいのかと思っちゃいました。何かの拍子で傷つける相手が自分から他人へと変化するんじゃないのかという勘繰りなんですがそんなことには絶対ならないのでしょうか。大分怖いお話しに思いました。

*家族(生い立ち)と今の自分。父兄参観でさえ厭だった私としては職場に親が来てしかも様子を見に来て周りに聞きまくるというのはどうにも好きくありません。ドラマの展開としてはこの一件で周りの見る目が多少変わったという方向になっているのですがこれに関しては息子の気持ちに同調いたします。周りから孤立無縁で四面楚歌の状態にいる中で唯一どんな時にも信じてくれる親の愛情に涙するのは頭では理解できてもこんなのアリなのかなあと思う不届き者な私です。それにしても浅利さん適役です。調子こいて浮かれてる時はぶっさぐりたく(叩きたく)なりますし落ち込んでてもから元気で陽気に振舞うも魂胆見え見えですし親の迷惑に嫌がる様も同調できますし。自分がこうなってないかもしそうだったら悔い改めなくてはと思わせるキャラを見事に無理なく表現されてます。

これは嵐の前の静けさという趣(前兆)なのでしょうか。そう感じられたお医者さんの日常を描いた回に思えました。

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*とうに

とっくにという意味。漢字で書くと「疾うに」。方言ということではなく古い言葉がまだ遠州では生き残っているということ。「とっくの昔」を「とうの昔」という表現などはまだ共通語でも使われているであろうから絶滅種ではなかろうが遠州では結構普通に使われている。

例文

「○○ちゃん迎えんきたけど、いやせんのぉ?はあ行った?」

  (○○ちゃん迎えに来たけどいないの?もう行った?)

「はあとうに行ったわ。」

  (もうとっくに行ったよ。)

「なんでえ?随分じゃん、待ち合わせの時間より前だにい?」

  (どうして?待ち合わせの時間にまだなってないのに?)

「もうとうに過ぎてるにい。」

  (もうとっくに過ぎてるよ。)

「うそお。なんで?・・・あれえ時計止まってたわあ。」

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正義の味方第3話

虐げる者(姉)と虐げられる者(者)。この関係でコメディとして私が笑える要件としては、ギブ&テイクが成立してること。搾取する者とされる者の関係では実りがなくてどんなにはしゃいでも虚しさが残りますです。だから損得のバランスが一方的でないことが愉しいと思える条件なのかなと。いくら志田さんが明るく演じられようとも。

第1話では経緯はともかく襲われた妹を救う(あくまで結果としてですけど)といういざとなったら助け合う形が存在していたから愉しめました。第2話ではそれが垣間見られたのかというと妹の側からみたら学校一のイケメンとよりお近づきになれたこと、一瞬でも姉が家を出る夢をみれたことが良かったことなのでしょうけど幾分姉が享受できたことの方が大きかったかなという印象でした。

それで今回の3話ではどうなるのだろうと思っていたのですがなんとなくそういう考え方が違ってるんじゃないのかと思い直しました。というのもこのドラマホームドラマなんじゃないのかなって。この家族のアットホームな雰囲気に染まっているとなんかまったりしてきますです。精一杯背伸びしてるお父さん(佐野さん)といかにも幸せそうに見えるお母さん(田中さん)がとてもいい感じですし、姉と妹の関係だけでなく、妹(志田さん)とお父さんの同じ匂いを持つ二人の武士は食わねど高楊枝・武士は相身互い・武士の情け的なお互いつらいねえと慰めあう関係とか家族の誰もがお母さんには一目置いてるとかそれぞれの組み合わせで色んな側面を見せる家族同士の感じが心地よくなってきました。

「姉は妹に厳しいが自分にも厳しい。」という言葉で必ずしも姉は迷惑者というだけではなく努力を惜しまない頼もしさをも兼ね備えた人間であることが分かりました。要領と悪知恵だけで生きてる訳ではないというのは好感度アップです。

妹につきましては、限定DVDの一件ではコネを伝っていますが、基本は妹も姉からの無茶難題をつきつけられても決して他人に頼ろうとせず我が身で行動するバイタリティと誠実さが定着してきて落ち着いて見れるようになってきました。やらないと後で何されるか分からない恐怖心からということはありますが出来なければ出来ないで言い訳とかもせず、たぶん将来就職したら有能な社員という評価を得られそうな落ちこぼれでもなんでもない行動力のある出来た人間です。

家族みんなそれなりにいまの生活に満足してる空気感がホントいいですね。豪華な生活を夢見て実行しようとひとり暮らししてもおかしくない姉がなんで庶民的な狭いながらも愉しい我が家にさほどの不満もなく生活してるのか最初わからなくて、同居でないと妹を顎でこき使う設定にしづらいということから内心不満たらたらながらも住んでるのかなと思ったんですが、そうでもなくて居心地がいいから家を出ないんだというのが伝わってきました。

そういう関係なだけに無茶難題妹に振られても周りが二人を評して「仲がいい。」というのは妹が気づいてないだけで本当に仲がいいんだろうなと思いますです。無論はがき500枚書かせるあたりは極悪非道な行いではありますので意味不明な努力を強要する辺りは非常に迷惑ではありましょうが。それにしても細かくハートマーク書いたりしてこまめかつ手を抜かない妹で、口から出る不満とやってる行動の丁寧さが相反していてなんか笑えます。

当初の謳い文句の「悪をもって悪を制す」というのとはなんか違うような気がして参りました。妹イジメを悪と言うより努力の共用(強要ではありますが)の方が近い印象を感じます。むろんいい迷惑でしょうけどひねくれた性格にもならずきちんと育っているのですから良く出来た妹に映る限り明るく楽しく観れそうです。姉がタレントさんで妹がそれを影で支えるマネージャーさんと考えればガテンがいく感じです。姉を観ていて不快に感じられるようだとどうしようもないのですけど山田優さんが過激にメリハリつけてコントの一歩手前みたいなお芝居なされてることによってギャグとして成立していて不快に感じさせない明るさがあって厭味がないので安心して観てられます。ただエリート公務員に見えるかというとスタイル・ファッション共に決まり過ぎていて疑問符はつきますけど。

妹の頼みを姉が聞くことがあるのか見てみたい欲はありますけどはたしてそう言う展開になることがあるんでしょうか。とにかく深刻にならずドタバタギャグとして能天気に観れるドラマであることは納得しました。だから何?とかいう結論とか考えずに済むお気楽コメディとして愉しめそうです。

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ゴンゾウ・伝説の刑事その4(第4話)

こういうの本格的な刑事ドラマっていうんでしょうね。非常に骨太な印象を受けますです。

被害者をも暴くかの如き徹底した事実確認の炙り出しの光景は、加害者や加害者の親族はもちろん被害者の側まで根掘り葉掘り暴き立てる訳で、得する奴なんて誰も存在せず事件なんて本当の野次馬以外は一生ものの出来事だということが伝わってきます。ご両親役の秋野太作さんと浅利香津代さんの被害者振りが印象に残りました。こういう光景見せつけられると、まかり間違っても犯罪に関わる面倒くさいことはしたくないと思いますです。

猟犬という表現が適切かと映る因果な商売です刑事さんという職業は。鶴(ユイカ)がぼそっと呟いた「刑事は人を救うことができる職業なのかなあ。」という問いかけはこのドラマの核となるものなのでしょうか。答えはまだ見えてません。

とりあえずドラマでは「天使」と称され穢れなき存在だった被害者を貶めるかの行為を猟犬が嗅ぎ回るも「天使」はやはり「天使」だったという今回の展開でしたが、羽振りのよさそうな衣服や装飾品の購入費の出所は説明なされていませんでしたのでまだ曖昧な部分は残されています。したがって考えられるのは娼婦の一人ではなく旦那の一人だったやはり「堕天使」・柿沼(遠藤さん)が羽振りの良かった頃に買い与えてくれたものを後生大事にしていた。男性関係からではなくもなみ(前田さん)自らがなんらかの事を成してそれなりの金額を得ていた。など考えられますが4回になっても犯人ともなみの関係性・姿・形が見えてきてません。いくらなんでも今はやりの「誰でもよかった」無差別殺人なんてオチではないでしょうにねえ。

ひとつの事件をここまで細部まで描くドラマなんて珍しいです。感情の赴くままの判断で両親に接したり柿沼を殺傷した無抵抗に投降しようとしている加害者をぶん殴ったりとドラマならではの行動とかはありますけど。柿沼の妹さんの疲れきった表情や精神状態とか佐久間(筒井さん)がいってた刑事は皆なにかしら傷持つものばかり、それでもみんな必死で逃げずにやっているそれなのに一人だけのうのうとしてるのは許せないという発言とか。生身の人間がぶつかり合ってる体温を感じるドラマです。

最後佐久間が家に戻って見目麗しき奥様が出迎えるかと思いきや介護を要する老いた母親が出現して「薄情息子」と罵倒されるのはなんだかなあという思いはありますが、デカ長の身の処し方とかがんこ心が揺さぶられましたし皆それぞれが背負うものをみせつけられたりと単なる推理刑事物語ではない重量感が回を増すごとに重くなってくる様でもあります。野郎が観て愉しいと思える作風ですので視聴率は女性がキャスティングボードを握ってる現状からすれば高くなることはないでしょうけどこのまま突っ走ってくれるとありがたいドラマです。

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*だわあ

語尾につく「~と思う」という意味合いの言葉。しかしながら「~なんですよ」とも訳せる。なので訳すと色んな言葉に化けるので使うには便利であるが解釈がどうとも取れる曖昧さが存在する表現の言葉でもある。「わあ」だけだと「よーやるわあ」(良くやるねえ感心するよ)といった感嘆の表現にもなる。アクセントは「わ」が強めになる。

「そうなんですよ川崎さん」を遠州弁にせると「そうなんだわあ川崎さん」となる。

「わしそれ買うだわあ。」私それ買うつもりなんだ・私(今から)それ買うんだ。

名古屋でよく使われる「だわ」・「だわぁ」とは別種のものであろうかイントネーションや使いどころが異なる気がする。

例文

「この書類計算おかしかねえか?」

「あれえホントだあ。ばっかじゃねえの。」

「誰んやったよー。」

「○○だと思うよ。こんなちょんぼせる奴ぁ。」

「大抵そうけえ?」

「あいつこういうミスよーやらかすだわあ。」

  (あいつしょっちゅうこういうミスやらかすんだよ。)

「よー首んならんなあ。」

「つうかよー会社入れたよなあ。そっちん方感心せるわあ。」

  (ってゆうかよく会社入れたよな。そっちの方が感心しちゃうよ。)

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モンスター・ペアレントその5(第Ⅳ話)

このドラマ、ひらっちが効いてます。今回は少し趣が異なりましたが、高木(米倉さん)と三浦(佐々木さん)の二人の両極の間に挟まって右往左往するも両者を繋ぎとめる役回りがとても印象に残りますです。

今回が今まで(といってもまだ四話ですけど)の中で一番良かったです。学校はなんの為にあるのか。親や教師はなにをすべきなのかなど色々と深いとこまで私のような無い頭でも考えてしまいました。それと平行して弁護士事務所においても高木の心持ちの変化が生じていたりして無駄の無いよく出来た話だなあと思いました。もちろんモンスターがあんなあっさり矛を収めるなんてのはドラマならではの展開かもしれませんですけど、私は満足でおました。

息子に医者を継がせる為に努力する親江藤(哀川さん)。その目的達成(医者の資格を得る)の為に障害となりうるものを改善・排除せんとする。それは担任教師の能力への追求のみならず試験と関係ない教科不要論をも唱えるほどとなる。ほぼ同じ頃高木の弁護士チームにおいてメンバーに遅れがちなスタッフを叱咤する高木。その根拠は奇しくも自分の持てる力を最大限に使ってあたらないといけない。江藤は教師を高木はスタッフをほぼ同じ理由で叱咤する。しかもこれは批判ではなく努力を喚起する注意という思いからくるもので排除ではない。

しかし言われた側からすればそれは無能の烙印を押されたに等しいことと受け取り、言われた方は思い悩む。追い込ん出るつもりのない者と追い込まれてると信じ込む者の葛藤。

しかもその発端は人の痛みに気づかない高木と長男の親離れによる失望から学校不信を抱く江藤と理由は異なるものの、視野が馬車馬の如く狭いがゆえによるもの。

そんな二人が出会った時、当初は共感を得るも次第に教育委員会での出来事を見て視野が開けてきて別の側面から物事を見れるようになって考え方が変わる高木。はてさてどうやってこのふたつの案件を処理するのかというのが今回の見所。

このドラマ問題提起が強烈でそれと比較して解決策が曖昧模糊な見てて消化不良に陥る傾向にありまして、今回もそうなのかな?でも学校で大人達がしてやれることってなに?という問いかけに私も考えさせられたので、まあいいかあと思っていたんですけど。きちんと決着つけられてなんか儲けたような気になりましたです。ホントは毎回こうであって欲しいとこですけど。

つまるところ教育長の言われた「正解なんて無い」ってのが本当の答えなんでしょうけれども。子に親の職業を継がせたいってのも間違いじゃないですからね。歌舞伎の御曹司だったらもし別の道進みたいなんて子ども自身がのたまってもそれを応援する教師は絶対非難されますでしょうに。医者や社長さんのような勉強だけ出来ても腕が伴わねば話しにならない世界だとしたら親の努力でそれに就かせたとしても才がなければ迷惑こうむるのは患者さんや社員ですから。

本人のやりたいことを見つける手助けや応援してやるってのは昨日始まった織田先生に共通することなんでしょうか。奇しくもこちらでは小山(温水さん)がそうしたことで窮地に陥ってしまってるんですけど。

人それぞれで正解は無いのだとしたらそれぞれが持つ人と異なる能力を伸ばせばいいのだろうけど、それを発見するためには皆が同じことやらなくちゃ比較しようが無い訳で、やっぱ団体行動が一番重要なんじゃないかと思う訳ですよ。可能な限り色んな事を見聞きした中で自分に合うものを探す環境作りということなのでしょうか。失敗ややり直しが許されるのは学生や見習いだけの特権ですからそういう失敗や挫折から救うのが学校の使命だったら格好いいですよね。勉強なんぞは塾にでも任せちゃって。ありえない話しでしょうけど。

とにかくだんだんと高木(米倉さん)が頼もしく見えてきました。頼もしいおっかさみたいって書くと怒られそうですけどそんな感じで徐々に冷血さが薄まって血が通ってきた温かい勢いです。高木弁護士の成長記としては納得の変化であります。これでモンスターペアレントの紹介展示だけでなく退治までやってくれれば鬼に金棒なんですけど現実に近い設定なので無謀なドラマならではの爽快さは期待してはいけないのでしょうか。

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鈴木はくさるけに居るが望月はそういん

鈴木と言う姓は全国的に多いと思っていたのであるが、そんな中でも遠州での鈴木占有率はダントツだそうな。

確かに鈴木という同級生はどの学年でも職場でも必ず複数はいた。なので当然混同しないように名前で呼ぶのが至極当たり前である。

これが駿河のほうにいくと望月・渡辺が飛躍的に数が拡大するそうであるが、私の経験値からすると遠州では望月・渡辺は普通で多くも少なくもない印象がある。

浜松特有の姓というのは、昔、「飯尾」と「門奈」が独特だと聞いた事があるがホントかどうか知らない。「飯尾」姓は曳馬に密集しているが「門奈」姓は元がどこだかよく知らない。

田舎の集落で親類一族が固まって暮らしてるようなとこでは姓が皆同じなので屋号を姓代わりに使ったりもするそうであるが、これだけ全域的に多いと鈴木だからとて親戚か?と考える人はさすがに居ない。聞いた話しだと和歌山辺りが発祥らしいが、それがなんで遠州にどさっといるのか説明らしい説明を聞いた事が無い。

鈴木の次に多い印象を持つのは伊藤・佐藤が多いような気がする。あくまで私の経験上の印象であって根拠はない。

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太陽と海の教室第1回

それにしてもすんごい配役でおますこと。生徒役の面々、主要仲良しグループ以外にも見聞きした役者さん結構おらして、目移りしそうでクラクラしますです。こんな集めて一話ひとりづつ感化されていく展開なのかと思ったけど11話じゃ納まらなくないかいってな勢いです。ぱっと見た感じだと、まんず東宝シンデレラの黒瀬真奈美さんでしょスワンの馬鹿に出とらした前田敦子さんでしょ教師に結婚申し込んでたのはパズルに出てた山本裕典さんでしょ。私みたいな若い役者さんにあまり興味がない人間でもこれくらい知ってるくらいですから私が知らないだけでもっとおられるのかもしれませんがこんなも集めてどうすんじゃという勢いを感じることは確かです。

親が偉けりゃ子も偉いってか?虎の尾を借るなんとやらそれともこれが理不尽かって?最近のドラマでよく見る本人の資質に関わりのない所で優劣が生じる矛盾という展開の学園モノですが、これだけ話しとしていろんなドラマで出てくるってのはホントにこんなことあるのかなと想像てしまいますです。まあ大昔から存在するテーマでしたけど今みたいな劇的なものじゃなかったような気がしないでもないです。でももし本当にそうだったら長い眼で見れば天下は今だけで、社会に出ればどんな世界にも上には上が存在してそのうち自分も同じように土下座に近い屈辱感を味わう時が必ずやってくるものですから。しかも本人に才がなければ維持なぞ夢のまた夢転落しか残された道はありませんでしょう。一代目で財を成しても二代目で元の木阿弥なんて古き時代から相場が決まってるくらい甘えてる奴に良い夢見させてくれるほど世間は甘くないでしょう。長い眼で見れば人に迷惑かけたり本人に力量や器がなければ七光りの上であぐらかいて生きてる輩に明るい将来を保障するほど世間は裕福でも平和でもない弱肉強食なのですから。長期的な復讐を考えるなら今徹底的に天狗にさせといて改心更生させる暇を与えず社会に出てすぐ社会の荒波にいきなり飲み込まれて逃げるしかない弱腰を愛でるって感じですかねえ。コバンザメみたいな取り巻き連中はこれが駄目になったら次へ次へと乗り替わりしてくから始末に負えないんで私の知恵ではギャフンと言わす術は頭に浮かびませんけど。

織田さん。相変わらず若いです。織田さんというと「振り返れば奴がいる」が印象に強いのですがその時のライバル役石黒賢さんとほぼ同世代。石黒さんは最近観た映画で中学生の子を持つお父さん役を好演されてました。時の流れを感じる訳ですが、織田さんは一貫して自ら青春してる役にこだわっておられるようで歳に人は左右されないことを立証する意味でもこういう生き様も「歳相応」であることを見せ付けて欲しいものです。

それにしても櫻井と言う男、設定上どういう修羅場を潜り抜けてここに到達されたんでしょうかねえ。半端ない揺るぎない精神というか信念腹に抱えてるみたいです。その行動は目的遂行の為には常識にとらわれない孤高を恐れない強さがあるようです。怒ると恐そうではあります。色々と謎の多そうな人で、校長との関係性や過去の生き様とかこれから明かされていくんでしょうけど単純な教師熱血生徒成長というドラマではなさそうな気がいたします。

北川景子さんはいい意味でモップガールのキャラクター性を踏襲してる感じで安心できる感じです。東大卒に見えるかと言われると言われにゃ分からん部分はありますが多少おしとやかになって特殊能力が今度は勉強が出来るに変わった長谷川桃子が帰ってきたって感じで私としては好きです。

小日向文世さんは「それでもボクはやってない」の時の裁判官さんみたいな社会的には正義(正しい)でも人情として悪役という感じなのでしょうか。こういう役になると冷酷な感じになるものです。あくまで主人公と対峙する側なのかそれとも主人公に感化されるんでしょうか。それがこの後の展開のミソなんでしょうね生徒達の変身と共に。

生徒の豪華さと比較して先生方の陣容は理事長の腰巾着的要素のお方ばかり集めたような印象があり不思議な構成バランスみたいです。優れた教師として有名大学へ進学させる有能な教師に見えないのが難点か。ま生徒連中もそんな頭良さそうに見えない感じもしないでもないですけど。あくまで櫻井の孤軍奮闘ということなんでしょうかねえ。あれくらいじゃないとたった一人で世界を変えられないってことなんでしょうか。それにしてもぶっ飛んだキャラでした。セリフはすげえ良い事吐きますけど。

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あんどーなつその3

江戸の下町風情が描かれていて心地いいです。お客さんがお帰りになる時になつが暖簾を捲り上げてお送りするちょっとした気遣いとか。男やもめが腰痛めれば隣近所が世話を焼く。

まあ他人様(よそさま)がいつ来ても恥ずかしくないような部屋の片付け心がけとかの小奇麗さが必要となるなんでずぼらな私では棲めない場所ではありますが。ホント肩寄せ合って生きてる空気感が眩しいです。眩しすぎてお天道様の光まで真っ白に見えまさあれ。

あといいなあと思えたのは子供を周りの大人が老若男女関わらずきちんと見てるってとこでしょうかねえ。しかもその距離感が親でも兄弟でもない近過ぎない距離感で言えない事でも言ってしまえる様な絶妙な間を感じます。歳相応の判断から受け答えをしてくれる大人達の存在は悪さしてもばれるし不満の捌け口でもあるし、日本古来の子供は皆で守り育てる文化がまだ息づいてるんだと思うと、息苦しい時もあるだろうけどいいなあと思いますです。

劇中のナレーションで「いつだって誰かが見ていてくれるんです。ここでは。」という言葉に凝縮されてる肩寄せ合う事のありがたさが沁みますです。

お猿の一件は、嘘から出た真?いやいや信じるものは救われる?まあ、知らぬが仏という手もあるか。

お菓子作り成長記のドラマというよりも江戸風情を慈しむ方向のようで。良いお菓子を作るには食してくれる人達の心を知るが優先と言う展開かもしれませんですがこの方が私の好みではあります。ただ私こしあんの均等な甘さよりつぶあんの不均等な荒さの方が好きなんで今回みたく子供の想い、職人の苦悩、お茶の世界への誘いとか色んな事が同時期に起こるそれぞれの味わいを見せて欲しいです。ひとつのことについてみんなが同じ方向向いて動くシンプルさはどうも苦手なので。理想はてんでばらばらなことを各自想い動いていても最後無事丸く収まるみたいなのがいいんですけどね。そういう意味では猿のお話しは乙でした。

尾美さんが髪を短くされたせいか幾分お痩せになられた風に見えてお仕事大変なのかなとも余計な勘繰りで気になったりもしますが、観甲斐のあるドラマです。拾ったものは無闇に口にするなと言われますが左程期待してなかったこの拾い物は「甘くない」けど味が深そうで美味しいです。

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*かたっぽ・かたいっぽ

片一方・片方とか言う意味。方言だとは思っていないが標準語でもないので一応記載。辞書とかでは「かたっぽう」という表現は載ってた。

例文

「やあ。靴かたっぽ脱げちってえ。」

  (ちょっと待って、靴片方脱げちゃったよ。)

「慌てくさるもんで。紐ちゃんと締めんかっただらあ。」

  (慌てるからだよ。靴紐きちんと結ばなかったんでしょ。)

「違うわ。どっかの馬鹿っつらあ後ろからつっかけやがって。そんで脱げただあ。」

  (違うって。後ろから誰かが自分の靴踏んづけていってそれで脱げたの。)

「相手わあ?」

  (誰が?)

「分からんかっただよ誰だか。踏んだ奴も気づかなんだだか知らんが後ろ向いてもみんな知らんぷりしてけつかりゃあがった。ふんとやっきりこく。」

  (分かんない。踏んだ奴も気がつかなかったのか後ろ振り向いても皆俺じゃないみたいな顔してとぼけてんの。ホントむかつく。)

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東京オリンピック

小さい頃衝撃を受けて今もその感覚が記憶に残っている作品というものは誰しもがおありでしょう。私のそれは市川菎作品が多いです。スポーツが美しいと初めて思った東京五輪。からっ風がやけに印象に残り肉片を切るのではなく心をぶった切るようなリアルかと思えた美しさのかけらも無いような無様なちゃんばらシーン、息してる人間が蠢いてるとまさに思った木枯らし紋次郎。映画館で観ていまだに後引く衝撃の犬神家の一族。もちろんガキが観てるんだから描かれている内容とか深いテーマとかやっていることとかは知る知恵もなく文字通り「あっしには係わり合いのないこって」なのだったのですが、感覚として初めて見た世界という印象が鮮烈に残っています。

この映画オリジナルは174分という尺だからガキのむずがゆさから我慢出来る訳がなく映画館で観た筈はない。ない筈だけどデジャブーではなく間違いなくなにかで観た記憶がある。もし見ていたのだとしたらその凄い映像に引き込まれて時間を忘れていたのでしょうか子供の癖に。もしそうだとしたら時間と言うものは捉え方(集中さえすれば)によって流れる速度が違うんだと初めて思い知らされたということになりますです。ま、定かではないんですが。

音楽は当時五輪音頭とかもあったりしたけど、天才服部秀才古関努力の古賀と謳われた昭和の三傑のうちの一人「古関裕而」の手による会心の一撃もの。音楽の才を戦争に利用された時代の不幸というものを背負いつつ平和のもとに日本国民が一致団結して平和の祭典を成功に導かんが為その経験と才能の全てを過去の呪縛からの解放の意も込めたであろうこの曲。今でもこれを聴くといつも不覚にも訳などなく感激してしまう自分がいるのです。

とにかく自分にリアルな想い出も重なってるせいもあろうか、やけに感傷に耽ってしまってまともなことが書けないので随分と時間が懸かってしまった。のでというか、もういいやということで思ったままに羅列してそれでええじゃないかとすることにしまいた。だって名作かつ大作に偉そうな講釈たれる腕なんか私にはないということをはっきりと自覚したから。尚、以下はオリジナル版ではなくディレクターズカット版からの想ったことであります。

*映画の中に収まっているのは今とは全く違う「日本」と言う国と国民の顔。もうすでに滅んでしまったのだろうか。生生しく生きている人達が闊歩している街並や景色。これだけ今と何もかも違うと現代人が遡って歴史ドラマとか映画作るのに支障が出るんだろうなと思いますです。姿はともかく顔や目つきの違いは別人種と呼んでもおかしくない感じでした。アメリカやヨーロッパの歴史を巻き戻したようなリアルな映画は日本じゃ無理だなと。もう観れば一目瞭然分かりますです。特に女性の顔立ちの変貌といったら完全に別種じゃないかと錯覚してしまうほどです。今の人って生活臭がない人ばかりで子供にすら好奇心の欲望が見えない感じです。生活感に満ち溢れるバイタリティみたいなものを映像から感じました。それがいいかどうかは別問題ですけど。

*画としてはもうこれはスポーツの祭典を記録する為に作られたものではなく人をひたすら描いた北斎漫画みたいな印象を受けますです。選手だけに限らず観衆も含めて人物画のオンパレードみたいです。選手の極限に置かれた緊張感から逃れんとするとんでもない仕草とかも面白いのですが、名も無き旧日本人を愛でるのもこれまたおもしろいです。陸上競技とかの超人を観る観客としての視線と柔道競技における日本人の誇りを懸けた厳しいまなざし。当時の日本では競技の存在すら理解されていないであろう自転車ロードレースでの沿道の市民の傍観視線。皆それぞれ趣があって見入ってしまいます。華やかな部分ばかりでなく市井の無防備な一市民の好奇に満ちた表情までも見逃さないハンターのような映像の連続で、被写体をこれでもかという位に接写した映像は人物の内面の様までをも切り取らんとする外科医のようでもありました。

*冒頭の街並の近代化のために古いビル壊す映像を入れたり、映画にはありませんでしたが当時東京の下町なんかで夏とかは男は上半身裸若しくはシャツ一枚で沿道で夕涼みがてら縁台将棋したり近所話しに花が咲いたりしていたのを美観を損ねるということで禁止されたとか。どことなく今のオリンピックに向けての中国の対応と同じ匂いがしますです。報道で北京のそういう模様を扱ったりする様をみると、昔の日本もそうだったじゃんと言いたくなりますです。

*印象的だったのは、国立競技場に翻る旗から発せられる音。普通のイメージだと風にはためくバタバタという音をイメージするものですけど、ここでは紐がポールに打ち付ける金属音で表わされていました。なんか物凄く新鮮です。高揚感というよりも静寂感を感じました。無い頭で考えるにこの効能は選手の緊張感と共鳴するような別世界の誘いのような印象を与えるのでしょうか。

*とにもかくにも映画監督と言う芸術家兼職人が国民的事業を切り取るとこうなるという見本みたいな勢いを感じます。記録映画として正しいあり方かというと俯瞰で見てない分大まかな流れは読み取れませんのでこうあるべきと書いたら撥が当たりそうですけど、人間の感情が顔に表れた際の展覧会みたいな観方するなら撥当たらないと思いますので役者さんとか人物画家とか目指されるような方には必見かもしれないですね。だってもう絶滅したであろう旧日本人の表情集ですもの。

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3日寝たろう

ピーカンの真夏日がこらしょと続く連休で、暑さにやられて3日寝太郎。

ここぞとばかりに、細々(こまごま)としたものを整理せんと思いしが、起きずに半畳寝て一畳こそ極楽至極では如何ともし難し。

此処までくると生ける屍。何をするにも面倒で何もせずとも悔いもなし。

かくなる様を無欲というならば息する理由があるのかしらむ。

なんてほざけば格好もつくけど、なんのこたあないテレビをほげ~と眺めてるだけ。しかも欲に任せて買ったDVDとかじゃなくてリモコン片手にホイホイとチャンネル変えつつ渡り歩く。つくづく映画って作り手の想いが籠もってるから観る側にもその熱さに堪えうる気力がいるものだと感じる次第で。観る気力が湧かない。

だとしたら、落ち込んだりふさぎがちな時に勇気や感動を貰うために映画観るってことはそれなりに脱出したいという気力が根底にあるから観れるんだろうなと思えてくる。

気力が無い今。落ち込むようなことが起きたら我が身を守る防衛本能が働いてそういう気力が湧いてくるのだろうか。っていうかどこにもいかないんだから外圧の危険性が生じないのだから防衛本能のスイッチが入るそういう状況にならないか。落ち込む理由は100%対人に拠るものなのだし人恋しい部分はテレビの箱の中の人とおぼしき物で紛らわすことも出来る訳だし。

普段バラエティとかは見ないのだけれど、上記の理由で目が覚めてるうちはテレビをつけてたので必然的に見てたけど、プロ(上手い人)は違うなあとそれなりに感じましたです。手を抜く抜かないとかいう余裕の問題ではなく、皆一所懸命なんだけどその違いはやはり観客を意識してるかどうかによって出てくるみたい。すげえはっちゃけてても自分のことで精一杯か、もしくは観客を意識してたとしててもどこか全力でない部分が伺える人には見ていて上手いという感情は起きない。これは多分自身の力量・容量の中で一所懸命8割客の目線伺い2割といった分配がなされてる(割り振りは大雑把ですけど)感じがして手抜きじゃないけど余裕が無い感じに映るって感じです。

上手い人って容量の10割を一所懸命(出力)に使ったうえで、反応とかの入力は体の他の所からアンテナが出ていてそこから伺ってるんじゃないかと思えたりなんかして。それが経験の蓄積か感受性の研ぎ澄ましによるものかは知りませんが、手や口・頭以外のところも使ってる感じがしますです。もちろんそれがどこかなんて私には分かりませんけど。判り易い喩えかどうか分かりませんがミニコンポみたく入力も出力もひとつの機械でフル回転してるのとセパレートコンポでそれぞれのパーツが起動してるような違いでしょうか。

何書いてるのか自分でもわかんなくなって参りましたがこれも熱さにやられたせいでして、今欲しいのは涼しい風が欲しいス。

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*しんしん・せんせん

これだけだとなんのこっちゃいという話しであるが

「そんなこんしんしん」となればご理解いただけるかと。

しないしない・してないしてないと言う意味。

心身とか深々とかいったものではない。

せんせんは関西方面から影響された表現と思われる。意味使いは同じ。

例文

「あんたまだしちゃあいんらねえ。」

  (あなたまだしてるんじゃないでしょうねえ。)

「なにがあ。」

  (何を?)

「会社帰りにパチンコ。」

  (会社帰りにパチンコ。)

「そんなんしんしん。小遣いありもしんにい。」

  (してないしてない。やるような小遣いないだろ。)

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Tomorrowその3

今回は迷惑な(イレギュラーな行動を取る)患者さんのお話し。ただし社会や他人に甘えきった自分を王様と思い込んでるような輩ではなくむしろ人に頼らない大人過ぎる頑固者が病院のルールや要望を受け入れずに困らせるお人の話し。困らせることでは同じかもしれませんが、こういう人なら許すべきと思わせる困った人が描かれてました。

劇だ!ドラマの醍醐味だ!といった人情劇のお手本みたいな展開でした。「よっ!ご両人!!」と掛け声かけたくなる勢いでした。好みかどうかは別として。

私が棲む浜松は文化はど田舎ですが、人口81万という政令指定都市です。したがって無医村というような体験をしたことがなく、浜松医大が設立された頃からはより医療に関しては例えば浜松方式と呼ばれる救急医療システムを持ちドクターヘリも兼ね備えるなどという医療の方々の努力により恵まれた環境の中で暮らしておりますです。床屋さんよりクリニックさんの方が下手したら多いかもというくらいの勢いの町とかもあるやもしれませぬ。

そういう環境で生きてきたうえで今回の人情劇を観ると、現実とは離れてるかなと思いますです。というのも、こんな患者さんの家族の事情にまで深く関わるお医者さんや看護師さんなんか存在するかいや?ということです。経営不振や後継者無しとかで店をたたむとこや統廃合で消える病院とかも見てます(通うことはなかったけど)けど、患者の側からするとあそこまで身内の内情や愚痴を先生や看護師さんに言う雰囲気なんて個人医院にすらありませんですよ。言ったからとて親身になって動いてくれるやら甚だ疑問を感ずる展開でした。もちろん「市民病院」の存続の理由の重要な柱が地域とのより深い密着ということを描かれてるんでしょうけど。いささか絵空事を見てるような出来すぎな印象をば受けましたです。自分がもし現実にカミングアウトして助けを求めたとして果たしてドラマのようにいくのかしらむと想像するとやっぱドラマだよねと思ってしまいます。それとも地域性の違いで他はこういうものなのでしょうか。とにかく透析予定通りに来なかったからといって医師がわざわざ様子見に行くのも凄い話しだと思いましたです。

ハウツーものとしての効能を求めるならば、一例として携帯電話の有り様を指し示して欲しい気がしますです。病院関係者の方は大概の場所で携帯掛け捲りに映るけど、患者側がそれを真似していいのかルールを破るとどんな悪い結果が生じるのかとか。病院通い慣れてる方なら今更な話しでしょうけど、悪くならなきゃ仕事を優先するタイプにとっては知らないことだらけのルールなのです。病院における一般世間と異なるルールを挿んで欲しいものです。第一話では未払いの患者の末路を提示してくれたのだから今後もそういう面を映してくれるとためになりますです。

それと引っかかりの医療ミスという航平(竹野内さん)の過去の闇。最後に提示されましたが、こうなると観る方は厭だなあと思った死なせた相手が愛子達の母親だったという設定。世の中狭いを正に絵に描いたような展開でえげつないなと思うのですが、次週愛子達がそれを知るのかどうかは分かりませんけど長くネックとして引っ張らず早めに白黒つけるという流れはまあ唯一救いでしょうか。患者の遺族とのしこりが取れて晴れて清々しい理想に向かって努力邁進せんとする航平という展開の方がすっきりすることは確かなので禊(みそぎ)を受けることとして早めに通過するのはいいタイミングなのでしょうか。にしてもなんで医者の道に戻した人間は実は遺族として本来怨むべき相手だったでなくちゃいけないんでしょうかねえ。まあ菅野さんの感謝と憎悪の入り混じった心の葛藤の妙と竹野内さんの逃げない誠実さのお芝居観れるから役者さん愛でる分には愉しみではあるんですけど。

ところで院長先生全然出てこないけど問題ないんでしょうかねえ。あまり情熱劇に舵が傾いてしまうと菅野さんのお芝居は愉しめるけど竹野内さんのお芝居愉しめないんで方向性は現実劇に近寄って欲しいとこであります。別に航平と愛子の恋愛物語に話しがいってもそれは苦にはならないですけんど。

前回の愛子の崩れた共通語がお気に入りだったんですが今回はごくごく普通の共通語でそこは残念な部分でおました。

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ハチワンダイバーその7

最終回までのお話し。結局最終回まで欠けることなく全話観たんですけど、なんか観たという荒行を乗り越えた気はするけど不思議と達成感のないドラマでした。既定を壊して新しいものを追い求める装いを感じたのでめげることなく観ようと思ったんですが、壊してはならないとこまで逝ってしまったのか肝心なものが存在しなかったのかよくわからないんですが、なんか核というか芯がよく見えなかった風に映りましたです。言うときますが、詰まらんと思ったものには感想書かないことにしてますんで以下は批判のように読めるやもしれませんが、そうではありませんあしからず。

男女の不思議な恋物語の要素と将棋指しとしての成長記と個性豊かなキャラクターの設定とユニークな映像を駆使ししての対局の映像とボスキャラ攻略ゲーム的要素と努力すれば報われるというテーマを謳ってと、ホント色んな事てんこ盛りな展開でした。冷静に振り返ってみればストーリーの設定・展開も全て斬新でしかもどんでん返しの筋書きも用意されていてとても今まで見たこと無い(と言ってもライアーゲームがあるけど)嘘もここまで突き通すと別な視点から見た真実に近づくのではと思えなくもないのですが。でも何故か、だから何?って想いが浮かびますです。展開に翻弄される主人公の精一杯自分を超えようともがく様を劇的に描いていると大雑把にまとめてしまえばそう言えなくも無いのですが、最後再び夢をの実現のチャンスを取り戻したハッピーエンドですが、主人公の心の優柔不断さが招いた寄り道と言う印象で成長記というより迷走記に映ってしまったように感じられました。いろんな人との出会いが実となって成長してる筈なんですけど。一段上ってはまた下がりの繰り返しみたいな印象でした。

昨日の敵は今日の友。逆も真なりで昨日の友は今日の敵。最後はこの連鎖が続いていささかしんどかったという部分も晴れやかに見終えることができなかった要因かもしれませんです。

登場人物達を記号化しすぎて人らしくなっていない分ドロドロ感が無く軽やかではありますがワンパターンに徹しすぎて人間らしく映えてるお方は大杉漣さんや小日向文世さんとか京本正樹さん石橋蓮司さんといった大人衆ばかりで若い衆にはおられなかった感がありますです。原作がマンガということで若い衆方は眼に見える部分を原作に忠実に演技に反映されたからでありましょうが、実写化する意義は人がリアルに動くことであり、そのためには生きてきた生き様(背景)が行動や容姿に反映されなければ人らしい厚みが見えないということなのでしょうか。たとえオリジナルから離れていこうとも。マンガという絵の世界だったらこういう空白感を感じないでみれる曖昧さが許容されるんでしょうけど実際に人が動くとなると染み出る部分が必要なんだと思ってしまいますです。

それと将棋を描いている割には、勝負そのもの(盤上の流れ)を画として提示していなくてなにしてるのか分かりづらかったのは確かです。ボウリングの試合を投げてるポーズや落胆・歓喜といったプレイヤーの描写だけでピンは一切画としていないのと同じようなものでしょうか。

いづれにせよ、面白かったかと問われたら人にとても薦められる想いにはなりませんですが、なにか新しいことをやろうという心持ちは私の好物なので否定するつもりはありませんです。ただ欲をかくと大味すぎて美味しくなくなるのは確かなようです。

結局何を観たかったというか何に期待していたのかというと、「将棋」なんでしょうかねえ。具体的な一手ごとに一喜一憂する様を観たかったってことなんでしょうか行き着くところ。例え早送りであってでも後で録画したのをスローにすれば一局の流れが見えるみたいな、まあ具体的な手法のアイデアは私思い浮かばないんですけど。

それとそよは最初から最後まで謎のままでなんだかなあでしたんで、もう少し分かりやすくして欲しかったッス。

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*はさげる

挿む(はさむ)と言う意味。全国的な方言らしいがニュアンスは地方によって異なるらしい。挟む(はさむ)という紹介をされておられるとこもあるが、つまむとか~と~の間に位置すると言うニュアンスを含む挟むよりも挿入するというニュアンスの方が近いのでこちら(挿む)を使用としました。間違いということではなく決して異議を唱えてる訳ではありませんです。

洗濯物を洗濯ばさみで挟む時には「洗濯ばさみではさげといて。」とは言わない。この場合には「洗濯ばさみで止めといて。」という言い方をする。したがって「はさげる」は~と~の間にある状態とか差し込むような後付のような場合に使われることがうちの集落では多い。

岩と岩の間にはさまるのは「岩のあいさにはさがる」という表現をする。

例文1

「あんたあ、これ忘れてるにい。」

「ああほんとだ。よこいて。」

「よこいてってあんた両手ふさがってるじゃん。」

「どっかにはさげてくで。適当なとこにつっこんでやあ。」

「ほいじゃ右の本と本のあいさんとこにはさげとくでねえ。落としても知らんにい。」

例文2

「ここ はさげとくでねえ。どこやったってひゃあひゃあゆわんようにしてよー。」

  (ここに挿んでおくからね。どこにやったんだって探さないようにしてよ。)

「はいね。」

  (分かった。)

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ルーキーズ第10話まで

主人公達同様途中二度も中断(スポーツ中継による)期間があるなど夢に向かっての道は限りなく険しいこのドラマです。

鉄は熱いうちに打てじゃないですけど、間を空けるのには適さない熱とスピード感のドラマだと思うので、この仕打ちはドラマ作られてる皆さんにはホント気の毒だなあと思わずにおれませんです。こんだけすんげえ役者さん達こらしょと集めといてこの仕打ちは贅沢を超えてなんと表現すれば良いのでしょうか言葉を知りません。

そんな弱音はともかくとして全11回後一話を残すのみという状況になって参りました。野球に夢を懸けた熱血ドラマにしては、毎日の日常の努力とか試合の描写があっさり風味で、物は言い様考え様という精神論を唱える方に主軸が置かれてた印象です。

でまあ、お約束の悪役「こうやれん」の登場と相成る訳ですが、さすが権威を笠に着てやりたい放題いいたい放題で悪の巣窟ぶりが様になっていますです。古谷さんがセリフで言われたことはなんたら野球憲章なるものに謳われるてることから逸脱されてない内容かと思われます。個人的な意見ですが現実問題野球だけ何故他の部活と一線を画してかくも規律制約に口うるさくなにかというと全体責任に追い込むのか理解に苦しむ所であります。こういうドラマだけでない現実問題でもある妖怪「みなしょばつ」を、あの鬼太郎ですら退治できない物の怪をルーキーズの面々にぶつけるのは酷と言うものでしょう。

それはともかく、新聞記者さんとのからみといい、一話で語るには短すぎないかい?と思える展開でした。なまじっか原作かじってるからそう思えてしまうかもしれないのですけどいくら役者さん方に力量があって短い与えられた中で絶妙に表現過不足なく出来たとしても足りなかったんじゃないのかと思わずにはおれませんでした。なんかもったない気がしてますです。

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