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とてもとても2008・4月~6月

たまあに仲間内でとかも含めて、このクールのテレビドラマなにが良かった?どれが一番?とかいう総評じみた無駄口叩くことがありますです。なので全くそんなこと考えない訳ではない一般ピーポの私ですが、ブログというある種のお外での発言においては順位付けも含めて比較でものを言うことはしませんです。同系統のものを例に挙げるとかの表現はしますがたまたま同じ時期に放映されただけのことでそれだけでひとくくりとして優先順位つけることに意味があるとは思わないですし、全てのドラマとか見て講釈たれるならともかくそうは見てないし、殆ど決め打ちで選択してるので主観に走り過ぎて共感性を得れるとも思えないので。

そして、愉しむ為に観るものを批判めいた表現で書くことは避けよう避けようと努力しているのですがなんのことはない読み返すと結構書いてるという口と文が不一致な私です。ですがここは心を多少入れ替えて印象に残ったものを列記しようかと。これくらいなら罰は当たらないだろうと。もちろんいいとか悪いとかじゃなくただ印象とかを。

*パズルの石原さとみさん

これはもう以前のそれこそ「清純派」という表現が近いという印象を石原さんには持っていて、それゆえNGというか自主規制が多くてどうしても同一要素のキャラしか演じてこられなかったイメージがあったんですけど、「個性派」な部分もあるぞと知らしめた鮎川というキャラクターでした。容姿とは裏腹の中年親爺にしかみえない言動と行動のギャップが愉しかったです。これで一生懸命さを出さないというか肩の力が抜けたような風に映ればもっと幅が物凄く広がるんだろうなと思わせた作品でした。また続編が出て欲しいと願う感じです。

*パズルの永山絢斗さん

気負いの無い自然な感じがやけに印象に残りましたです。石原さんの弾け具合のテンションの高さの受けとしてとても良くマッチしてていいコンビだと思いましたです。とにかく誰かのリアクションに反応する受け手のお芝居の間が私のつぼにはまっていて観ていて心地よかったです。

*おせんの蒼井優さん

当初というか観る前は江戸弁という言葉の表現は如何にという構えで臨んだのですが、実際ドラマが始まったら和服の装いに魅入ってしまってどうでもよくなってしまったくらい絵になってまして、存在そのものでドラマが成立するもんだということを初めて知ったみたいな勢いのお姿でした。

*おせんの由紀さおりさん

絶滅危惧種のような江戸前風味を出せるお方がそうそういなくなった中できっちり江戸っ子の気風のよさを観たようでよかったです。

*ラスト・フレンズの樹里ちゃん

問答無用の男前で全てでしょう。御託並べる必要はございませんです。

*ラスト・フレンズの長澤さん

茶髪と印象の薄い眉は私好きくないということを改めて感じたということで。

*まだ番組終わってないですけどルーキーズの佐藤隆太さんと市原隼人さん

市原さんは予想通りとして意外といっては大変失礼なんですけど佐藤さんの熱さが観ていて気持ちいいです。

*キミ犯人じゃないよねの要潤さん

宇田川と言うキャラクターにゃ未練はないが、「やべえもってかれた」という名台詞は拾い物でした。癖になりそうです。

*キミ犯人じゃないよねの画

全てがと言う訳じゃないんですけど、海辺の蒼とか日本家屋の庭屋敷での苔むす空間と緑は印象に強く残りましたです。

*アラ40の天海祐希さん

女性の中にいると大変目立つというか映えるお方ですが、男が混ざると一歩引いたような印象を受けました。男っぽい方なのかなと思ってたんですが、古風な女性の印象に感じました。(あくまでお芝居での話しです。ご本人がそうみたいと言ってる訳ではありません。)

*トップセールスの蟹江敬三さん

こういう上司に巡り会えたかったなあというのが素直な印象でした。そう思わせてくれた蟹江さんに脱帽であります。奢らず等身大に生きて目的がぶれない信念を持つ。地上の星と言う言葉がとても似合う感じでした。

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*しいらんぞっ

「知いらんぞっ」知らないよと言う意味であるが、含みとして「俺は関係ないからね」というニュアンスが強くなる。

はやし言葉で「しいらんぞ しいらんぞ せーんせい(先生)にゆってやろ」みたいなのがあると思うがそんな感じのニュアンス。実際にするしないは別として告発してやるみたいな。もちろん本気ではなくあくまで冗談の域として使われる。

「知らんやあ」と言う表現との違いは、どっちも見捨てた風の言われた方は傷つく言葉ではあるが、「しいらんぞっ」の方があんたが悪いといってるようなもんで性質が悪いと言えなくも無い。もちろん脅かすつもりの悪ふざけとしても使うので一概に全て忌みた言葉と言う訳ではない。

「知らんにい」だと責任持てないよという意味になるので知らぬ振りとはまた意味が異なる。

例文

「やあいかまい。」

「おおいかざあ。」

「軍資金は持ってるだらねえ。」

「ちいと足らんかもと思っておっかさのへそくり拝借してきたでええよ。」

「しいらんぞっ。おっかさ帰ってきてめっかってもわし知らんでねえ。」

「まあまあそういわすとお。倍にして返すだでええって。でももしもん時きゃあ助け舟だいてやあ。」

「しらすけえ。夫婦のこんだで首突っ込むの遠慮しとくわ。」

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ラスト・フレンズその25(特別編)

本編で伝え切れなかった分の補完計画なのかなと観る前は良い方に勝手にそう想定してたんですけどゼーレからの介入はなかったようで至極全うな美知留を柱としたダイジェストのようでした。なので特に新たに書くこたあありましぇんです。

なので、1年後の追加部分だけ編集してDVDに焼こうかなと思ってたら録画ものの見事に失敗してまして見直しすらできませんです。でも、まあいいかあと思いましたです何故か。なので一回しか観てないので大分不確かな感想になってるやもしれませんのであしからず。

唯一未放送の部分は美知留に瑠可の秘密を知られてしまって、美知留の動揺を思うとここにいてはいけないと再びシェアハウスを瑠可が出ようとしたシーンでしょうか。結局は美知留が機先を制して朝駆けで出てったから意味無い会話になったってことなんでしょうか。美知留の為なら身を引くという悲愴もこれはこれで瑠可の思いの深さを表わすシーンとして良い話しだと思うんですけどねえ私は。もうほんとこれくらいしか特にということはないです。

それでもしいて野次馬根性見せるならば、長澤さん回を追うごとにお顔のふくよかさが失せて多少おこけになられたように感じましたです。役作りのうえで計算されてのことか撮影が大変で必然的になのかは知りませんがストーリを考えると結果効果アリということには間違いないとこでしょう。

ドラマのではなく私の感想の締めがこんなじゃなんだかなあなんですけど。長澤さんの茶髪は私あまり好物では無いと言うことだけは改めて想いましたです。

まあ冗句はともかく、この回(特別編)のテーマは「許す」ということなんでしょうか。タケルは姉を許し美知留は宗佑を許し(前回でもう許してるでしょうけど改めてということで)というのは分かったですけど、瑠可は?殆ど出てこなかったからあれなんですけど、自分を受け入れない社会をということだと勝手に解釈することにしました。もしかしたら相変わらず世間と闘ってるのかもしれませんが、普通どおり練習に行ってるてことで社会に適応するためにあえて無理して自分を変革しようとしてなくて開き直って自分のままに生きることを実践してるんだろうと。などと勝手に補完しました。

瑠可と美知留の会話がないので(子供をあやしてばかりで)その関係性が今どうなってるのか憶測しようがなかったんですけど子はかすがいって奴なんでしょうかねえ。ラストのタケルのナレーションでも言ってましたけどなんかとても脆くいつか離れ離れになる未来の予測のほうが頭の中では多くを占める勢いを感じますけどこの子が大きくなった時までこの関係が続いていたとしたら。その時美知留はこの子にどう説明するんでしょうかこの関係を。まあなんとなくタケルか瑠可が上手く言ってくれそうではありますけど。私だったらよう説明できませんわな。

最後っ屁になりますが、しかも穿った見方ではありますが、本編の方は瑠可がメインで特別編では美知留がメインとして描かれていたように映ってなんか諸々のパワーバランスが発生してる勢いを感じましたです。私は「長澤まさみ」ファンでもありますが、この作品は「上野樹里」作品であって長澤さんは瑛太さんや錦戸さん水川さんらと共にバックアッパーとして存分に力を発揮されたということでいいんじゃないのでしょうか。そう思える特別編での追加分における瑠可の登場シーンの量でした。

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*~してよこす

「連絡してよこす」を例にすると「連絡してくる」という意味になる。まあ分解して「よこす」が「くる」という意味だといってしまえばそれきりではあるが「やってくる」を「やってよこす」とはいわないので「してよこす」でひとつの言葉としたほうがこんがらなくて済む。

共通語でいうと「便りをよこす」という表現があるので「~してよこす」というのが遠州弁かといえばそうではないのだが、「電話してよこす」ではなく「電話をよこす」若しくは「電話してくる」が共通語であろうからこういう言い回しは遠州独特かもしれない。(名古屋あたりでも言うかもしれないが)

例文

「あいつう。着いたら電話してよこすっつった癖にしてこやがらん。」

  (もう、着いたら電話するって言ってた癖にかけてこないよ。)

「迷っただなんかしてまだ着いちゃいんじゃない?」

  (迷ったのかなんかでまだ着いてないんじゃないの?)

「それならそれで電話してよこすらあ普通。」

  (それならそれで普通電話してくるだろう。)

「あいつ普通じゃありもしんに。」

  (あいつ普通じゃないだろう。)

「ま、そりゃそう(方向音痴)だけどさー。だで心配してるじゃん。」

  (そりゃあそうだけど。だからこそ心配してるんじゃないか。)

「付き添いいるだらあ。心配しんでも大丈夫だにきっとお。」

  (付き添いの人も一緒なんだから心配しなくてもきっと大丈夫だよ。)

「あいつが心配じゃあらすけえ。持ってかせた荷物が心配なのっ。なんしょ痛むに早いだで。」

  (あいつが心配じゃなくて持って行かせた荷物の方を心配してるんだって。とにかく痛みやすいものだから。)

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ハッピーフライトに江口のりこさん

江口さんの所属されてる「ノックアウト」のサイトにお伺いして江口さんの出演作品覧を見たら「ハッピーフライト」出演と記載されていた。何故か嬉しい。矢口作品に江口さんが出られたのはスウィングガールズからであるが、歌謡曲だよ人生はにもお出になられていてそれで今度の作品もということで。

パッチギや闇打つ心臓とかの加減を知らない役者魂の塊みたいな江口さんも好きだけど、矢口監督と組んだ時の飄々とした掴みどころの無い自然体な存在感が私好物なんです。ジョゼ虎は飄々感はあってもどこか構えた雰囲気だったし、月とチェリーとか時効警察の時のような掴みどころの無さはあっても飄々感が薄味だったりということで江口さんが映えるのはやっぱ矢口作品だと言う思いがあるんでこれは嬉しい。ワンピースには参加されていないので「お友達俳優」さんではないのかもしれないけれど監督と役者さんと言う関係における相思相愛は見ていてその信頼関係がフィルムには焼きつくものだと信じてるので、そういう関係であってくれたらホント嬉しいなと。

性別に関わらずの話しで、矢口監督との相思相愛関係でいったら徳井優さんとかBoBAさんとかおられる訳でその仲間入りして欲しいと言うことです江口さんも。ところで徳井さんとBoBAさん今回も出られるんでしょうねえ。なにも情報がないので気になりますです。欲をかいて言えばガールズの中からも矢口組御用達がでてくれれば尚嬉しなんですけどね。

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*馬鹿こいてんで

どうでもいい話ししてないでと言う意味。無駄口叩いてないでということ。

バリエーションとしては、「馬鹿こいとらんで」・「馬鹿いっとらんで」

「馬鹿こいてる」だと「どうでもいい話をして(盛り上がって)いる」となる。

例文

「まあた、よってたかって馬鹿こいてるだらあ。わしもまぜてくりょーやあ。」

  (また皆集まってどうでもいい話ししてるんだろ?自分もまぜてよ。)

「失礼こいちゃうやあ。真剣な話ししてんの。馬鹿なんかこいちゃいんわ。」

  (失礼なこと言うなあ。真剣な話しを今してるの。冗談なんかじゃないよ。)

「この面子で真面目な話しんなる訳無いじゃんか。どうせ遊びの話しだら?」

  (この顔ぶれで真面目な話しになる筈がないだろ。どうせ遊びの話しなんだろ?)

「まるで自分仕事真剣にしてるみたいな口ぶりじゃんかあ。」

  (まるで自分だけは仕事真剣にしてるみたいな口ぶりだねえ。)

「すけなくても遊びに命かけちゃいんなあ。家族おるもんで。」

  (少なくても遊びに命は懸けてないなあ。家族もいることだし。)

「こっちだって稼がにゃ遊べんだもんで仕事の話しはまじにするだあれ。」

  (俺たちだって稼がなきゃ遊べないんだから仕事の話しは真面目にするさ。)

「正論だの。で、なんの話しでえ。」

  (確かにそうだね。それでなんの話し?)

「いやの。主任が人使い荒くてやんなるっつう話し。」

  (いやね、主任の人使いの荒さに辟易してるって話し。)

「悪口じゃん。しかも主任ってわしじゃん。」

  (悪口じゃないか。しかも主任って俺のことかよ。)

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ラスト・フレンズその24(私の勝手な憶測)

はじめにお断りしときますけど以下の文章は全て私の私見ですので、そうに違いないそう思うでしょと問うているつもりはさらさらございませんです。こんなひねた考えする奴もいるんだと思っていただければ幸いです。書いていることに対する根拠とか資料は一切ございません。全て今までの出演作品とかとこのドラマから受けたイメージからの感想です。

私ははなから(観る前から)瑠可がメインと踏んでそういう目線でドラマを観ていました。だからその読みが正解でこれだけはまれたのだと思うのですが、長澤さんのファンの方からは何がいいのか理解を超えているという感想もちらほらと耳にしたりもしますです。確かに美知留からの目線でドラマ観ていたら私も同じ感想に至るだろうなという気がしてきます。

実家でも職場でも夢を持てる筈の新生活すらも悪夢の連続で唯一退避と思えたシェアハウスも自分が居る事で周りが怯えおののきしかも頼みとした親友が実は噛み合わない視点でお互いを見ていたという驚愕の動顚で、全く居場所が存在しないという状態が第10回まで続いたんですから光明が見えない息苦しさをずうっと抱いて観ていたとしたらそりゃ確かにそう思いますです。美知留目線でドラマ観ていたらしんどいだけの感想だったかもしれません。そういう意味ではDVに遭われてそこから抜け出せないでいる方とかから見たら感情移入できたのかもしれませんが我が身の明日の未来に置きかえれないもどかしさがあったやもしれませんです。美知留目線で観ていたとしたら解決策が見出せない疑問符のつくお話しだったかもしれませんです。

いづれにせよ観る視点によって感想が大きく左右されるドラマだと思いますし、そういう色んな視点を発生させる懐の深さは凄いなと思いますです。普通そんなたくさんはないですからねえ。でもこういう作品こそ共同執筆での脚本で観たかったという欲がでますです。一人で全てをまかなわれるとどうしても強引な部分があったり、はしょりの部分とかで矛盾を感じさせる(みんな分かってるだろうという過度の信頼感)部分とかが見え隠れしたりして粗さが出てしまうような気がしてますです。もちろんそんな悠長な仕事観たければ映画観ろと言われて「確かに!」としかいいようがない欲ですけど。

話しががんこ飛びますけど、各個人ごとの印象をば

*太陽の如く瑠可が曇ればドラマも迷走する芯となった樹里ちゃん

視聴率という魔物の変動の幅が中盤鈍ったのはおそらく瑠可が迷走してた回辺りでしょうおそらくは。ドラマ全体が煮え切らない印象になって重さだけが残って観ていてしんどかっただけに、後半再び上がったのはその迷いが吹っ切れたのと一致する印象がありましたです。どちらかと言えば性同一性障害というよりも性別違和症候群よりに思えた瑠可でありました。本人の悩みの重さから考えて悪い方悪い方へと思考回路が働くということで納得ではありますが。負けてたまるかの塊みたいな人が悪い方悪い方に思考が行くってのもリアルな感じがしますです。直ぐ逃げちゃう人って実は何も考えてない楽観主義というタイプの人結構いますもんね。(もちろん逃げずに臨機応変に対応できる楽観主義の人もおられますけど)

おかまさんという男を放棄した人が認知されて世を席巻してる時代、逆があっても不思議じゃないのに何故か瑠可みたいな人は表の世界では少ないのはなんででしょうか。もちろんおかまさんの深刻な決断に至った様を茶化すつもりは毛頭無くてさぞかし大変な気苦労をされたんだろうなというのはありますが。職業として従事できる場がまだないから表に出せず潜伏せざるをえない状況の世の中かもしれません今は。

ま、脱線話しはともかくとして瑠可のオトコマエが冴えたからこそのこのドラマの評価には疑いの無いところです。泣いてたまるかじゃないですけど人には弱みをみせないこんな男に守られたいって思う人が多いのでしょうね。樹里ちゃんだからこそ出来えた役のような気がしてくるほど樹里ちゃん=瑠可になってましたです。他人に振り回されない我が道を行くという芯の強さを持ちながらもいえないもどかしさをも併せ持つキャラやらせたらもうとても安心して見てられますです。固定化されたらもちろん厭ですけど。シリアスもできるコメディエンヌさんが理想なんで。

*その太陽と大地の間で暗雲を以ってさえぎろうとした宗佑の錦戸さん

仕事しろよといつもそう思ってた宗佑でありましたです。仕事侵食忘れるほどしていれば良く出来た人に違いないだろうにと思ってました。とにかくその圧倒的な影の存在感は見事でした。役者さんとして男を上げたとはこういうことをいうんでしょうねえ。大絶賛ですよ錦戸さん。

*各個人の孤独を繋ぎとめるかすがい役的なタケルの瑛太さん

ぜったいこんないい奴いないよなあと思える程美化されてる勢いはありますがひたすら重たい世界で和らぎの灯りを絶やさぬ守人のような感じでした。セリフがなくても表現として伝わる役者さんなんでとても安心してみていられるんですが、今回のなんちゅう格好だと思わず言いたくなった服装や髪形に騙されましたです。軟弱系と見せといてその実言い訳はしない、相手を思いやる・手間を惜しまないという男の鑑っぽさを隠し持ったいい意味での食わせ者でした。こういうのも歌舞いてる奴というんでしょうか。

*一番普通の人として異常な世界を眺める視点を持つエリの水川さん

最初は影が薄く、ご陽気担当の雰囲気作りのキャラかと思ってたんですけど、展開がどんどん深まるにつれて瑠可目線でドラマがしんどくて観れなくなってきた中盤辺りからはエリ目線で景色を観てた感じになりました。宗佑にビビる感覚とか瑠可の迷走と決意というエリ目線でドラマを観てる感覚になりましたです。特別何をしたというキャラではないのにシャーロックホームズの世界のワトソンじゃないですけれどその存在の必要性を感じましたです。

*見ているものをイライラさせるくらいのもどかしさを提示した長澤さん

おかしな見方かもしれませんが、このドラマのヒール(悪役・元凶)を演じたのは宗佑ではなく美知留である長澤さんなんだろうなと思いますです。「あんたがしっかりしてればこんなことにはならないんだから。」と観てる側誰しもがそう思えるように魅せたということで、ある意味宗佑も瑠可も美知留の被害者であるとも勘繰れなくも無い気がしますです。行き過ぎて「あんたさえいなければ」なんて観ている側に思わせたら失敗ということですが、私には美知留に安穏が訪れることを願う気持ちが湧きましたから良かったんじゃないですか。他の方の反応とか読むと演技がワンパターンとか書いてる人もいるようですけど、言わずにはおれないような性格の役が今まで殆どでこのような逆の後ろ向きで短絡な性格の役をやったのは初めてで、むしろどこがワンパターンなのか教えて欲しいくらいです。

暴行だあ出産だあと行動そのものも未経験な出来事だらけなら、内面的にも言わなくてもいいにのに言わずにはおれない直ぐ顔に出る性格であろう長澤さんからしてみればめんどくさがり以外ほとんどが自身に蓄積の無いデータから美知留を構築していかなければならなかった役作りは手探り状態が続いたんでしょうねおそらくは。本来「長澤まさみ」から受ける姿(積極型)が裏に見えてしまうから耐え忍んだ後にいつか爆発するだろうと観る側が思ってしまったとしたらもう少し煮詰めた方が良かったのかもしれませんけど。

私のブログにも「長澤演技下手」とかいう検索ワードでこられるお方が若干おられムッとしましたけど、ヒールは難癖つけられてナンボという賞賛とも読めなくもないなと思うようになりましたです。ただご本人がそれを快く賛辞と感じておられるかと言ったら疑問ですけど。なにしろ私の偏った目線からの印象ですから。

強いてこうして欲しかったと思えた点としましては、違うんじゃないのかと思えたのは美知留は生き方が下手というよりアホ(理性的でない)に映ったということでしょうか。分かっちゃいるけど止められないといった理性ではおかしいことだと気づいてはいても湧き出る感情を抑えられないズルズル感が薄味だったところです。なんでこんな人がと思わせて欲しいところであって、こういう人だからやっぱそういうとこに戻っちゃうんだなんていう説得力は不要な感じでした。宗佑と瑠可が命懸けてでもと思わせる女性がアホではなんだかなあという勢いがついてしまうので。怯えるという仕草を優先しすぎたことによる副作用でしょうが味付けの分量をもう少しメリハリつけた方が私の好みではありました。

画的にいうと、女性陣の眉毛の薄さが気になりましたです。あるだかないだか。場面によっては照明の明るさで飛んでしまって眉なしにさえ見えてしまうとこもあってどうもいまいち好きくなかったです。全体的なトーンとして青味が濃い感じなのは若さの青をイメージしたんでしょうか。落ち着いた茶系の色味が少なく、特に宗佑の部屋からの無機質な冷えた感覚に陥った色使いには辟易いたしました。このドラマに限ったことじゃないんですけどシェアハウス木造なのに何故か木が発する温もりとかいうのが希薄に感じましたです。ハイビジョンよりもフィルムの方が和めるように映ると感じるのは私だけなんでしょうか。帰りたいと思わせるシェアハウスの説得力を魅せて欲しかったんですけど。

このドラマのご出演のメンバーを始めて耳にした時、正直ありえないと思いましたです。「上野樹里」と「長澤まさみ」が同じ画面の中に存在するなんて絶対無いだろうなと勝手に思っていたので。そう思った根拠というものを自分なりに思い返してみたんですけど(まあ結果から遡って後の祭りを眺めたということで)、まず感覚的に現場に対する姿勢が異なるんじゃないかと。徹底的に突き詰める態度であろう樹里ちゃんには対立・孤立をも辞さないストイックさを想像させますし、よりよい演技をするために現場の空気に居心地の良さを必要とするであろうと想像される長澤さんには協調と和を最優先する融和さがイメージされます(あくまでイメージです)。どちらかが一歩引いた(誰かのペースに合わせる)感じにならないとバランスが悪くなるだろうなと思えたからです。スタンスが異なるから同じ現場に二人が存在してるイメージが湧かなかったんです。

これを現実に実行されるとなると樹里ちゃんには盟友の瑛太さんがいる分非常に入りやすく長澤さんも瑛太さんを介してその空気感が許容するんだろうなと勘繰りますです。なので、おそらくは樹里ちゃんペースになるんだろうなと予想しましたです。

次に人として受ける印象(あくまで勝手な推測ですが)として、樹里ちゃんは芝居してる時以外は外にいても家に帰ってもまんま変わらないんだろうなという内面(うちづら)と外面(そとづら)が変わらない人に思えるんですが、長澤さんは外で陽気にハイになる分、家とかでは逆に沈み込むタイプだろうと予測してますです。だからどうしたって話しでこれが理由で共にお芝居構築できないという訳ではもちろんないのですが、こんな感じでおおよそ真逆なら問題ないんでしょうけどお芝居に対してはなんか微妙にズレながらも似通った点が多く、具体的にどこがとか上手く表現できないんですけどキャメラの前に立つ時に相互意思の微調整とかがかえってやりづらいんじゃないかと。私もそうですけど自分自身が嫌いというタイプの人って自分と良く似た人にはどうも厭だなあとか言いにくいとか思う調子が狂う部分があるじゃあないですか。それにこのお二人が当てはまるんじゃないかと。もちろんあってるかどうかは知りませんよ。あくまで私の勝手な思い込みですから。そう見えたというだけで根拠はありませんです。もしかしたら真逆過ぎるのかもしれないし。

とにもかくにも、「長澤まさみ」・「上野樹里」の共演なんてこれが最初で最後じゃないかと勝手に想像してるんでそういう意味で非常に貴重な作品だと思ってますです。「上野樹里」作品であって「長澤まさみ」はサポートに回ったという趣を感じる贅沢な作品だというのが素直な印象でこれでいいじゃないかと思っている私です。まだ特別編なるものがありますですが一応最終回と銘打たれたのでなんとなしの感想を。この印象が特別編観て変形するかどうかはお楽しみではありますが。

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こんなのないかなその1

ココログのもぐナビと言うものが出来て、商品の画像が使えるようになって(しかもプロが作った画像)ブログ的にも幅が出来ました。

この勢いで映画もテレビドラマもブログ記事に貼り付けることのできる画像をサービスとして提供してくれないかなという欲がありますです。(ココログがということではなく各HPが)無断使用は当然よからぬことであり、見つかって注意されたらどうしようなどと戦々恐々となるのも厭だし、全く意に介さない無神経になるのももっと厭。正々堂々と使えるものを提供してくれればホントありがたいんですけどね。口コミが意外とパワーを持ってるとかが本当のことならば、多くの人が記事書くための呼び込み水として提供するのは結構有効な気がするんですけど。実際アクセス数の多い映画やドラマの感想を扱ったブログをみると画像の使い方が見易いものが殆どですから。

でもこういう画像って無断使用との境界線が分からなくて私には真似できないんですわ。なので公認画像の提供は理想であります。もぐナビみたいにサイズ大中小選べれればもっといいんですけど。壁紙とかのサービスされてるとこもたまにありますけどブログ貼り付け用画像提供サービスもどこぞでやってくれないかと切に夢見る次第です。

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*いれえいく

入れに行くと言う意味。「~に」が「え」に変化しているということ。替えるを例にすると「替ええいく」(替えに行く)。食べるだと「食べえ帰る」(食べに帰る)・「かまいい」(かまいに)となる。

「~に」の変化としては他に「い」があるが前の言葉がえ行だと「え」になりい行だと「い」になる事が多いがあくまで傾向であって必ずという訳ではない。「なにしい」(なにしに)・「なにせい」。「なにせえ」・「壊しい」(壊しに)・「こわせえ」。「こわせい」といった風に。したがって長音化と言い切る勇気はない。

例文

「あれえ、いやへんじゃん。ねえ、あんちゃあどこ行ったか知らん?」

  (あれ?お兄さんいないけどどこ行ったのか知らない?)

「ガソリンいれえいくっつって出てったにい。」

  (ガソリン入れに行くって言って出てったよ。)

「ホントけえ?そこんさあにある財布あんちゃあんじゃないだけえ。」

  (ほんとなの?そこにある財布ってお兄さんのじゃないの?)

「あ、そうだ。」

「金どうせるだかいねえ。」

  (財布がなくても支払いできるのかなあ。)

「忘れたっつって携帯かけてよこすじゃない?」

  (携帯で忘れたって連絡してくるんじゃないの?)

「携帯も横にあるじゃん。」

「ホントだ。あわっくいでホントしょんないなあやあ。」

  (ホントだあ。しょうがないなあ慌て者で。)

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おせん(第九・十話)

終わり方がえらく玉虫色のぼかし満載でしたけど、前回とのセットとして観たら見所がたんとありましたです。おせんさんが光ったというよりも周りが映えて観えた印象です。

手間隙ばかりかかって儲けが少ない。だけど味は何物にも変えがたい。全ての人がその味を認識していれば消え行くはずの無い話しではありますが、味覚そのものが退化している現代では詮無い事なのでしょう。それに追い討ちをかけるようなケチャップ王子の登場はトドメのようで、二つの異なる買収計画を跨いでのとても良く繋がった展開でした。不完全なものなら無くしてしまったしまったほうが良いと言う考えも極端ではありましたが、本枯れ節にまつわる様は迫力ありましたです。ここはもう役者力満載でただ堪能するのみでありました。

方言についてのたあけた話しはせっかく感銘を受けたのに水を差す野暮になるのでなにも言うことはありません。が、少年時代の記憶シーンに登場されてた少年の発音が普段聞いてるイントネーションに近いものでありました。遠州弁のイントネーションからすれば異なるのですが本物の静岡県人なのか子供固有の吸収力の賜物なのかは分かりませんがおお~近いと思いましたです。

それにしても内藤さんの敵役も、敵役はこうじゃなきゃというお手本みたいな天晴れ具合でありました。情に流されない。物言いが横柄で不遜。しかしボロを出すような驕りを見せない。どうすりゃ潰せるんだと思いもつかないような鉄壁な堅牢さを感じましたです。この時点で予想した解決案としましては、1・壱升庵の馴染み客で金池(内藤さん)よりも上位の力を持ったものがホワイトナイトとして壱升庵の窮地を救う。2・先代女将がホワイトナイトとして登場して一発逆転の秘策を授ける。3・町内会で団結してみんなの力で対抗する。4・最早これまでとばかりに最後っ屁を放って意地を見せ美しく散らんと心意気を魅せる。5・相手が自爆する。6・建物自体が価値を持つ。つまり文化財指定されるとか。

結果的に、5案の内部告発はよっちゃんさんが企むも粋じゃないとばかりに却下でした。どうせ系列だから切捨てというトカゲの尻尾きりで社長までは届かない話しでしたでしょうけど。1案と3案・6案は影すらなく却下どころか存在しなかったです。松方さんやでえくさんの登場無しでした。で、2案の先代女将が登場してきた時はああやっぱりこうなるんだと思いました。思いましたけど先代女将がおせんさんに授けたものは私の考えたその場しのぎの延命措置というものではなくこいつぁ一本綺麗に取られた心意気でした。発想の転換というよりも「つなぐ」ということの真髄は人にあり、決して現状の姿形を維持することにあらず。いやあ建物に火をつけようとした時は一体全体何考えてるのか皆目見当がつきませんでした。江戸っ子らしさ全開でした。こんなもんにとらわれるくらいならいっそ燃やしちまえってのは格好よかったです。その後のすっきり決意が固まったおせんさんも良かったですけど、先代女将ひたすら格好良かったです。でも肝心の強大な敵の対処についての解答にしては泣き寝入りみたいで解決にはなっていなくて、しかも私の考えた案は全て却下されたってことになる訳で。はてさてじゃあどうすんだという疑問を持ちつつ見てました。

子供の登場で、迷子の時点の自然への無知加減からこれが糸口なのかなとも思っていたのですが、意外と意外な展開でした。私は子供がこれは美味しいこんなの初めて食べたみたいな子供の喜ぶ姿を見てというのと、おせんさんのさりげない啖呵もあって社長が心打たれて我が子への愛に目覚め改心して引くのかと思ってたんですが。まさか料理を否定してケチャップかけるとは。観ているこちらも唖然とする光景でした。おせんさんまたかつぶし持ってきてなんちゅうガキだ許せんとばかりに鉄槌食らわすのかと思ったくらいでした。その光景があまりに唖然過ぎてその余韻引きずったままいつの間にか終わっていたって感じでしたです。

最近の子供の料理を一品づつ食べきるというのも変だと思ってたんですけど、なんでもかんでもケチャップ・マヨネーズってのは見ていて気持ち悪くなりました。九話の始めで味覚は幼いころに確立されてその味を終生追い求めると謳ってましたけど、その言が真実ならばもうこの子は救い様の無い状態になっているとも勘繰れる訳でありまして。ま、確かにあんな光景みたらビジネスオンリーのライフスタイルの完全無欠の敵役であろうとも親と言う立場で見れば我が子の不気味さには気づきますわなあ。でもそれが壱升庵の存続とどういう繋がりがあるのかと言うのが説得力薄味インスタント味って感じでコクも旨味もあったもんじゃない印象でしたけど。終わりのよっちゃんさんの再スタート(壱升庵に戻らなず心を別なところで繋げる)ってのはとてもドライでよっちゃんさんらしいといえばらしいですけどこんなんでいいのかしらむとも思えましたです。

脱線しますが、白熊さんのお話し。おせんさんがあれから考えてと言う反論ですけど、私は明日は我が身とは思わないのか。白熊がいなくなるということは環境が棲むに適してないから滅ぶのだから当然人間にも影響が及んでくるんだから白熊の次は自分たちだという風には思わないのかと言うかと思ったんですが違いました。

次に繋がる余韻を感じさせる日常の連続性を表わしてのエンディングでしたけど続編とかの予定がおありなんでしょうかねえ。私は歓迎ですけど。ってそうか!繋げるがテーマなんだからこういう繋がり(続編)あると思わせての終わり方かあ。凝ってるなあと思い直しましたです。

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七月はなに観よか

四月にも書いたんで、図に乗って今回も。というかそろそろ減らさないと映画の感想残しに集中できない。もう下書きばかり溜まって実になってないのでそろそろ整理しないと。なのでいつも以上に決め打ちでいこうかなと。

流れ的に言うと、四月は尻すぼみというか最初面白いと思えたけど中盤以降私のツボからはずれていってしまった作品が多くいかに私が平均的な視聴者ではないのかということを改めて思い知った訳ですが。冷静に考えてみれば視聴率を支えているのは女性であり、番組の観覧希望とかも含めて女性を視野に入れた作品つくりに精を出されていたということで、私は、はじかれ者だったということなのでしょう。さて七月以降もそういう傾向なのでしょうか。冷房要らずの冷え加減です。

*SG連なりで

モンスターペアレント・ひらっちが出るから。

あんどーなつ・しほりんが出てるから。

ゴンゾウ・伝説の刑事・ユイカが出てるから。ちなみに高橋一生さんと菅原大吉さんもSGに出ておられました。

以上は見る。観れる・感想残すかはなんともいえないけど見ますです。

*ストーリーが面白そうということで

シバトラ・仲間の愉しさが映ってたら面白そう。この面子でリアルかぶっとびありえねえ展開どっちが好きかと問われたらぶっとびの方が好きそうです。見てるものを笑わせようと舞台の上のお芝居みたいに大袈裟だと引くけれど小池さんならそういう芝居されないだろうと踏んでますです。仲間の大切さが伝われば愉しそうなドラマに思えます。

コード・ブルー・フジテレビが追い続けている医療テーマの作品だから。基本フジテレビドラマが一番性に合ってるせいもあるんですけど、継続は力なり。切り口や視点の斬新さ云々ではなくその流れを断ち切らないという姿勢が好きなので。それに寺島進さん、山下さんも出とられるし。

*役者さんを観たいからということで

Tomorrow・竹之内さんと菅野さんと岸部さんの三人が出とらすで。でもTBSのドラマってメリハリが少ないど直球勝負を得意とするから、現代医療への問題提起に真一文字に突っ走られるとしんどいかもしれないという気がしないでもないです。人間は多面体なんだから気が張ったり緩んだりとかの脇道とかもないとなんだかなあと思ってしまう私なのでそういうメリハリが薄味で尚且つこれでもかという本筋濃い目だったら白旗あげるかもというところであります。

まあ、役者さん観たいって言えば殆どの作品ごとに分散されていてほぼ均等に出とらすで、挙げてたらキリがないのですけど、四つの嘘だけは役者さんすげえ人ばっかじゃんチョー豪華でそそるとは思うのですがテーマ的についてける気がまったくしませんし、時間帯も見れませんですのでこれは女性向けと思って諦めますです。

あとはとりあえず初回見れるものは見て、予想外な良い作品が見つかったら嬉しいなというか得した気分を味わいたいですな。この時期視聴率が落ち気味になる時期だそうで、夏休みとかでお出かけしてしまうやらで展開が繋がらないと理解できない連続ドラマが不利ということになってるらしいんですが、やっぱ一話完結が主流を占めるんでしょうかねえ。そんなんだったら毎週きっちりやらなくても、隔週でも月一の放送ペースになってもいいから一話二時間半くらいのスペシャル各番組交代持ち回りで一日一ドラマって感じで毎日夏の花火のようにぶちかまして一夜の快楽に深くはまるってくらいのほうがいいんですけどね私としては。

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*せえ

単体だとなんのこっちゃということになるのだが

「おんしゃあなにせえ来ただあ。」となると判り易いと思われる「せえ」。

文章を訳すと「君はなにをしに来たんだ。」となる。関西でも使われる表現であろうから遠州独特と言う訳ではない。

女性言葉だと「なによーあんたあなにせえ来たよー。」

他には「しい」・「せい」という表現もあり意味的な違いはない。若干「せい」は老人語っぽいので年長が使うイメージがあり若い衆は「しい」を使う傾向があると思われる。

例文

「ほいじゃ、始めっか。」

  (じゃあ始めようか。)

「そうだの、始めまいか。」

  (そうですね、始めましょう。)

「軍手しんでええだか?」

  (軍手しなくてもいいのかい?)

「忘れた。」

  (忘れました。)

「(自分の分の)材料わあ?持ってきただか?」

  (材料はどこ?持って来たの?)

「持ってこんかった。」

  (持って来ませんでした。)

「やあ、おんしゃあなにせえ来ただあ。ヤル気あんだか?」

  (おいちょっとぉ。君何をしに来たんだい?ヤル気あるの?)

「ん~。よー知らんだよぉ。行けっつわれたもんで来ただけだもんで。」

  (えーとですね。それが良く分かってないんです。行けと言われたので来ただけなので。)

「馬鹿っつらあ。てんだう気ぃないんならいんくてもいいわ。」

  (おいおい、手伝う気がないのならいなくてもいいぞ。

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浜松ついこないだの昔話13

「映画週報」確かこんな名前だったと記憶してる浜松での映画上映情報専門の新聞。そういうものが昔あった。

テレビは情報を得るものであり、観賞に値するのは映画館で観るものという棲み分けが存在してた時代。結構沢山の映画館があった頃、これをとっていればどの映画館で今何を上映してるか、どう云う作品なのかのあらすじの概要や寸評とかが記載されていて、しかも割引券というか新聞のある部分を切り抜いて持っていくと割り引いて観れた。

だから今映画館で何が上映されてるかはその新聞とっている家ならば、今より詳しい感じだった。購読率がどのくらいあったのかは知る由も無いが、少なくとも我が家はとっていた。浜松で上映されてる映画ならなんでも記事として載っていたからお子ちゃまには絶対入れないような作品でも寸評というかあらすじが書かれていて余計な知識として入ってきたりもしてた。

日曜の朝とかに新聞に目を通して、観に行く映画を決める感覚であった。映画館の前の看板に魅かれてどれにするか迷うようなことはしていなかった。

いまでもタウン情報誌とかに情報として映画記事があるけど、なんとはなしに感覚が違う。記憶だけで書いているので事実(新聞本来の用途や内容)とは異なるかもしれないが、私はこういう使い方をしていた。

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スウィングガールズその1

映画そのものとは関係ないカミングアウト的な内容ですが、私にとってこの作品が特別だという理由の言い訳です。尚、役名はめんどくさいので役者さんの愛称等で表記させていただきます。

映画が封切られた時分、丁度交通事故を喰らってしまっていたのと仕事の変則勤務をこなすのに必要とされる体力が私の限界を超えつつあって、徐々に精神的にも侵食されるようにしんどくなって来た時期でした。面と向かってSOSを発するような自覚症状がある訳ではなくただ日を重ねるごとになにか重いものが蓄積されていく日々でした。そんな時にこの映画に出会って(一時的にではありますが)とても心が救われました。

ノルマだ改善だなんだのと周りを見渡せば競争と経験の蓄積の放棄ばかりでささくれ立った毎日の日常の中で、映画館の中において勝ち負けの原理の存在しないただ一所懸命なことが気持ちいいという世界を垣間見たのではなくど~んと提示されたあの時の感激が今でも残っていますです。

ビッグバンドジャズという古き物のよさの再確認は、技術の過度な進歩や効率重視などで長年培ってきた物(者)の放棄を余儀なくされる現実の逆を行くものでこうありたい(人々にスタンディングされるくらい評価されたい)を具現した姿で爽快でした。決してコンテストや大会で順位を競い勝った負けたの評価基準のために努力するのではなく演奏したい上手くなりたい聴いて欲しいというごくごく自然な想いのままに進化していく様は始めに目標ありきでスタートする努力とはかけ離れた「好きこそ物の上手なれ」を再確認できたことでもありました。(DVDでの映像特典のメイキングでは「やってやれないことはない」という別の感慨がありました。)

女子高生ですからガールズ達に感情移入は難しいんですが、的を得たように一人感情移入できるキャラクターがいたことも大きかったです。見守る立場の先生(竹中さん)がこれまた私みたいに聴くだけで実演はさっぱり。だけど彼女たちを応援することによって自分も参加できたという喜びを感じる。という展開はまさに私のようだと確信するくらいでした。オーラスの「あれ俺が教えたの!」とはしゃぐ姿がとても好きでした。

最初観た時。序盤のガールズには本気でその傲慢無礼な傍若無人さに怒れましたです。(映画の中で唯一ひらっちが彼女達を脅して演奏させようとした廊下ででのやり取りのシーンはだから快感でした。)本気で席立とうかと思ったくらいでまんまと矢口監督の策にモロはまりでした。そんな彼女達にも夏休み終わって一時気持ちも行動もしぼんでしまって学校の廊下で再会した時のしほりんの振り返りの後ろ髪を引かれる想いの涙を見て彼女たちに対する想いが一変して、応援する気分に変化しました。ますます矢口監督のなすがまま状態です。

それからの怒涛の進撃は気持ちよくて幾度かの挫折も絶対乗り越えるに違いないという確信が何故かあって(挫折というよりも寄り道という感覚に近かったのかも)不安にかられることもなく最後まで一気の勢いは堪りませんでした。この作品において不安に陥る状況提示が一切なく、完全に無防備で心をオープンにして観れ、流れにまかせっきりに出来る安心感があって。大抵の映画にはどこかしら自分と対峙する距離感を持つんですが、この作品では輪の中に自分も入っている融和性すら味わえました。

それからDVDの発売日に、夜行性な私は普通なら絶対しない早起きをして朝お店が開くと同時に速攻で買いました。もちろん映像特典満載のプレミアム・エディションです。ちなみに封入されていた切り出しフィルムは冬の雪合戦でひらっちと樹里っぺ(後ろ向き)がおっかっけっこし始める直前辺りのシーンでした。

それから半年くらいは毎日飽きることなく観続けて(さすがに今はたまにしか観ていませんが)、現実逃避してた訳ではないのですが明日を迎える気力というか肥料としてましたです。映画そのものだけでなく映像特典でのキャンペーンの模様とかオーディオコメンタリーとかからも映画に対する一生懸命さと愛情が伝わってきてこのSGワールドに飽くことなくひたすらはまりっぱなしでした。ホントのこの空間を与えてくれたことに感謝しましたです。

だから私を救ってくれた作品に出会えて、今でもこうして仕事続けていられると締めれば格好いいんでしょうけど現実は心は癒せても体は正直でありました。仕事を過酷と感じる蓄積が許容量を越えてしまい具体的に病名がついた訳でもないのですが体調不良でついていけずリタイアしてしまいました。ま、結局は仕事降りたという形にはなったんですが、この作品にもし出会っていなかったら心身ともに疲れ果てた状態でのリタイアになっていたことでしょう。おかげさまで鬱にもならず頭はアホのままでいられています。

その後の役者さん達の活躍も皆さん目覚しく、その人達の出演作品を観ることが嬉しいのであります。樹里ちゃんSGに出てたんだ。しほりんもユイカも。ああひらっちも。江口のりこさんも眞島秀和さんも。かつをも松子も罪子も水月さんも。その他諸々と・・・。へえ凄いんだこの映画。ってことになって「スウィングガールズ」という作品が永遠に輝き続けてくれたらなあというのが理想なのです。矢口監督の才能からすればまだまだもっと凄い作品が今後たくさん作られるでしょうからいつまでも監督にとっての代表作と言う訳にはいかなくなるでしょうから。役者さんの側から輝いて欲しいなと思っている次第で。

スウィングガールズに関してはいくらでも想いがあるので、今回はその1と言うことでまだ続き書きますです。以降はもちろん私の都合の話ではありません。ただ想いが強すぎてまとまらないので次いつになるかは自分でも分かりませんが。私にとっては人生の転機となったとかではないのですが内容の素晴らしさと自身の想いが連なって一生ものの映画なのです。だからそれを作り上げた役者さん達にも一生ものとしてえこひいきして観続けて行きたいのです。ま、こんだけ活躍されてる方が多いと漏れが多いのでエラそうなことは言えれないんですけどね。

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*さす

させると言う意味。「やらさす」だと「やらせる・やらさせようと」・「買わさす」だと「買わせる・買わさせようと」・「行かさす」だと「行かせる・行かせようと」といったような具合。

特に遠州独特ということではないが、共通語ではないことは確かなので記載。

ちなみに「やらす」だと「やらせる・やらせられる」と「やろう(と思った)」・「買わす」だと「買わせる・買わさせられる」と「買おう」・「行かす」だと「行かせる」と「行こう(と思った)」というように。

言いにくい表現では、「させる」が「ささす」・「させさす」。指すも「ささす」指させるだと「さささす」。

早口言葉を作れば「直ぐに笹に刺させる」を「ささっとささんさささす」。

例文

「こんだあなにさすつもりだあ。」

  (今度はなにをさせるつもりなんだ?)

「なにさすたあ随分じゃん。もの頼むだけじゃんかあ。」

  (させるなんてとんでもない。頼みごとがあるだけだよ。)

「おめえの頼みなんかひょんきんなのしかありもしんに。」

  (君の頼みなんていつもとんでもないことばかりじゃないか。)

「んなことあらすけえ。いつだってまともばっかだに。」

  (そんなことないよ。いつも当たり前のことばかりだよ。)

「感覚おかしいぞお。おんしゃ自分やれるか胸に手え当ててからいえやあ。」

  (その感覚おかしいよ。君、自分が出来るかどうか自問してから言ってっくれよ。)

「なにい、わしじゃでけんもんで頼むじゃんかあ。なにゆってるよお。」

  (何を言ってるんだ。自分じゃ出来ないから頼むんじゃないか。)

「なんだかなあ。」

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眞島さんのジョージアのCM第2弾

第2弾が出たと言うことは、第1弾が好評であったという激烈なCM業界のサバイバル戦に打ち勝ったということなんでしょう。そりゃあんな小さな幸せで街で大パレードなんか敢行された日にゃあ(妄想でしたけど)目立ちますよな。インパクト抜群でしたし超ロングバージョンは斬新でした。

第2弾はその逆というか、大きな勇気とほのかな幸せというギャップを愛でる構成でありましたが、実はまだ15秒バージョンしか観ていなくて少なくとも30秒バージョン観てから記事書こうと思っていたんですが全然出会えなくて今日に至るってな感じになってるんですわ。

30秒バージョン観てからきちんと書くつもりですので今のところ仮ということで。

基本良い人で小心者というキャラクター設定になっていて、普段そんな思った事も言えないような人が勇気を振り絞って部下を庇うことにより、ご褒美として天国にいるおばあちゃんに出会える(勿論妄想)という展開。

売りは夢から醒めた時の「はい?」というセリフのタイミングとイントネーションの妙。それを増幅させるための天国のシーンでの夢心地状態での最高の破顔。尚且つその前の庇ういつもと違う空気感を滲ませた一世一代の勇気を振り絞り感。15秒だとおそらく前半部分をはしょってるように想像されるので30秒でそこらへんをじっくり見たいとこです。もし夢で逢えたらの部分が膨らんでるだけだったら、私おばあちゃん子と呼べるほどではなかったのでいまいち引くかなという感じです。今回は超ロングバージョンはなさそうな感じです。

いつになったら観れるやら。HPで観ようと思えば見れるんですが何故かテレビで観たいんですCMは。

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*馬鹿やった

失敗しでかした・へましたと言う意味。「馬鹿見た」がエライ目にあったみたいな自分は被害者的な状況にたいし、「馬鹿やった」は明らかに自分が実行者の立場にいる状態となる。「馬鹿こいた」も同じ意味。特に遠州弁ということではないが一応記載。

馬鹿をくれてあげたとか馬鹿をうつしたとか言う意味ではない。関西弁風「ばかやった」のような「馬鹿だった」という意味使いとは似てるけど違う。(イントネーションも違うけど)

「へまやった」と言う表現はあるが「失敗やった」という表現はない。これが「やった」ではなく「こいた」を使うと「へまこいた」も「失敗こいた」も存在する。

「へました」・「失敗した」はあるが「馬鹿した」という表現はなくはないがあまり使わない。

例文

「えらいがんこ時間掛かったじゃんか。なにしてたよー。」

  (物凄く時間掛かってたねえ。何してたの?)

「しょんないじゃん。別にどっかよそ行ってた訳じゃなくまっつぐ来てこうだもん。」

  (仕方が無いだろ。特に寄り道してた訳じゃなくて直行で来てこうなんだから。)

「うそだあ!まっすぐ来てこの時間はありえんらあ普通。」

  (本当かい。まっすぐ来てこの時間はありえないだろう。)

「うそじゃあらすけえ。ほいたら○○一緒だっただで聞いてみい。」

  (本当だって。嘘だと思うなら○○に聞いてみて一緒に来たんだから。)

「どの道来りゃあこうなるよ。」

  (どの道使えばこうなるの?)

「え~?旧国ずうっとだよ。」

  (え?旧国道1号線をずっと使って。)

「馬鹿かあおんしゃあ。あんなだだ混み使やあそりゃ遅いわあ。普通六間か柳通り使うにい。」

  (そりゃいかんわ。あれほどいつも渋滞してるところ使ってればそりゃ確かに遅くなるよ。普通は六間道路か柳通りを使うよ。)

「え~?そうなの?つうこたあなに?わし馬鹿やってたっつうこん?」

  (え?そうなの?ということは、俺アホなことしてたの?)

「だの。」

  (そういうことになるねえ。)

「冷たいじゃん教えてくれてもよかったじゃんかあ」

  (つれないなあ、教えてくれればよかったのに。)

「知らんよお。常識だらぁ知らん方んどうかしてるわあ。」

  (知らないよ。常識だろこれくらい。知らない方がおかしいよ。)

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