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古畑中学生・古畑任三郎生涯最初の事件

いやあ、面白かったです。中学の時分にはまりまくったシャーロックホームズの世界を想い出す未知の謎に挑む扉を初めて開けた時のようなワクワクした感覚になりましたです。

全ての事象が繋ぎ合わさるとそこに真実が見えてくるなんて正にホームズの世界そのものでした。それを臆面もなく全面に押し出して真っ向勝負してくるところは凄いです。オトコマエ!を犠牲にしてまでも観た価値があろうってなもんです。

本格的な推理ドラマという格を感じますです。人殺しなぞ起こらなくても謎と事件は存在するし十分惹きつけるパワーは落ちること無いというのを具現化したかのような印象でした。もう諸手を挙げて堪能したという表現を使わせて貰いますです。とにかくどのシーンにも無駄(間延び)が無くぎゅーっと凝縮されたような濃厚な感じがしてあっという間の2時間でした。

推理ものは特に深く興味がある方ではないので謎解きに関することの感想は述べませんですが他のどうでもいい脇道的な感想を以下に書きますです。

めざましテレビかめざましどようびかどっちかでの三谷さんへのインタビューで、古畑と向島とが同級生と言う設定について監督さんはなんとかセーフではとおっしゃられてたそうですが、今日のドラマ観た限りではいくら短い間での付き合いだったとは言え、あれだけ濃密な関係にあったならば、大人になって再会して古畑がすぐ名前忘れ毎回聞くという設定と矛盾しないかい?という突っ込みはやはりありますです。でもこの設定の方が確かに余韻が増すのでアリだよなと思いますです。

撮影が甲斐の国で繰り広げらて、チラリと甲斐駒やら北岳が望める景色が出てきた時点でこれは景色の映像的には美しいものが観れると確信しました。もちろん合成かなにかの嘘くさい月を隠す為の山はなんだかなあでしたけど。なんだかなあついでで言えば、夜の帳(とばり)の中で眠りにつく学校がエライ明るくて興醒めしましたですけど。それ以外はけっこかったです。特に福田麻由子さんが自転車で駆け抜ける林からの画は幻想的でけっこかったです。

福田さんといえば、きゅうりが嫌いという同志ですので親近感が湧くお方なのですが、最近では大河の風林火山とかリトルDJという映画とかでも拝見してるんですけどこのドラマと雰囲気が違うホント根っからの役者さんなんだなとつくづく思いますです。この若さでと思うと将来が末恐ろしい方で役者さんではなく女優さんという域にまで達せられるんでしょうか。しいて注文を出すならば好き嫌い(きゅうりが嫌い)ということでか細い(健康体に見えない)ということなくもう少しふっくらされた方がいいような気はしますです。案外幸薄い役が多いように思えるのは外見からくるイメージがあるからかもしれないので、きゅうりなんぞ食わなくても何の問題も無いと云う事を証明して欲しいものです。現代風というかイマドキの娘さんに見えないのはそういう役のイメージが多いからか、芸能人っぽくならぬよう周りの大人衆が配慮して普通の人として接する努力をされておられるのかは分かりませんが地に足がついたような年相応さを感じますです。背伸びして得することよりその年齢でしか表現しえないことの方が遥かに多いし後戻りできませんから着実に成長されるんだろうなと思えます。

田舎の中学らしさも良く出ててやっぱ坊主でしょう中坊は。学校も木造で郷愁をそそりますです。ワトソン役のタモト清嵐さんも味出てました。古風な感じがしますです。

大人衆で印象に残ったのは、お母さん役の石田ゆり子さんですかねえ。どぎつい化粧で生活感溢れる雰囲気醸し出す化け具合はすげえなあと。女房酔わせてどうすんの?という貞淑な面も演じられ今回のように生活の匂いが染み付いたような役までと幅の広さを感じますです。でも中学生の子供がいるにはとても見えませんでした。もちろんその方が良いに決まってますけど。温水さん巡っての女の争いは迫力ありましたです。

古畑シリーズがコロンボ系の犯人との化かしあいを愛でるものならばこの作品はホームズ系の不可思議な事象の化けの皮を剥がすのを愛でる作品で全く異なる作風ですが、どちらがタイプかといえばホームズ系が私は好きです。でも古畑シリーズやってた頃は速攻で家帰ってテレビの前にかじりつきでしたんでどっちでもいいんで又やってくれないかなと心底思う次第です。次のラスト・ダンス見ないでこれ書いてる奴がいっても説得力ないですけど。言い訳するならばもう何度も拝見してるんでということで。

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パズルその10(PIECE9)

今回のお宝探し(又空悔しですけど)は込み入ってましたです。村の長老に八名信夫さんを起用されてなんかあるんじゃないかとえらい惑わされました。数え歌という縛りに則って遂行された犯行をどうやってというトリック暴きが言われてみるまで分からなかったアホな私です。突っ込みを入れるなら蜜柑の山をいくら元気はつらつの高校生だとはいえあんなひょこいと持つなよ重いんだぞあれはという点はありますし、蜜柑の皮を物凄く綺麗に剥いて築きあげた山の労力が凄い手間だったろうなあとかはありますが。とにかく目立つとこ手を抜いてどうでもいいとこにえらく神経を注いでる遊び心なのかあえて私みたいなこういうぐちぐち言う奴のほざきを「言ってるよー。」と愉しんでるのかは分かりませんですがまともではないとこは嫌いじゃないです。勿論殺す動機とかが信じられないようなアンビリーバボーなもので、人間ドラマとしてみたら納得できないとこだらけなんでしょうけど。ドタバタ陽気に知恵の輪解くドラマだと考えれば別に苦にもならないところです。

どんどん安心してみていられるようになってると言うか、回を重ねるごとにあざとさが定着してきて練れてきてるようで観るのが愉しいです。犯人探しや動機がどうたらこうたらを醍醐味とするならばな~んだって言う表現をされる方もおられるでしょうが、手品の種明かし的なものとキャラクターのおかしさを愉しむものだとするならばこういう空気感ははまります。

ほぼお約束のオンパレード状態で息を呑むとか詰まるとか呼吸が乱れるような緊張感が張り詰めてる訳でなし、腹を抱えてアホだこいつらと思える弛緩感がある訳でもなし。要はなにごとにもやり過ぎないそこそこな部分のまったり感を愉しむものだと思っておりますです。なので、今やってるテレビドラマの中で一番繰り返し飽きもせずまったりと観れるドラマです私には。

これと似た空気感といえば「トリック」をつい連想してしまうのでどうしても比較してしまうのですが、まあスタッフさんとか同一ではないにしてもそんな大きく違いはなかろうてとか強引に考えて比べてみることにいたします。「トリック」も「パズル」もはまったことない人には意味不明でどうでもいい話しですけど。はまった人にとってもどうでもいい話しでもありますが。

主に因習とか祟りとかいった先祖がえりのような世界・空気感の中で人々が蠢いてお話しが綴られていく。これは双方に共通する点でしょう。都会での展開ということでなく「人里」という表現がピタリとはまるような情景の中で繰り広げられていくのですが、共に田舎が似合う感じがして馴染んでる感があります。パズルでは対比するように女子高3人娘がえげつなく浮かせているのが仕掛けなんでしょうか。

頭のいい奴を基本無能扱いする。学生という予備軍と教授という実際に功なり名を上げたという違いはあり、それがどう影響してるのか(いぢめがいがあるのか)。権威と面子を潰すというか茶化してる分トリックのほうがギャフン度合いは高くて爽快感はありますけど。

多少なりとも恋愛感情が生じているのと全くそういう感情ではない。パズルの鮎川の命令口調が段々と板についてきてはまってきた感じがしますです。

仲間さんも石原さんもそれまでのイメージを覆すキャラクター。どこぞの感想(個人の方の)で、石原さんの猫被った時の声や仕草があざといという感想述べられてるのを拝見したことありますが、逆に常日頃人を小馬鹿にしたような物言いばかりしてたら愛すべきキャラになりえない気がするのは私だけでしょうか。必要悪のような気がしてるのですが。

活動する時はほとんどお決まりの装い。ほぼ制服状態。アディダスの3本線は過去の遺物でありこれがブームになる筈もない格好ですが、懐かしくはありますです。ちいと年代的にづれてないかいと30代の服装には思えないのですがインパクトあるのは確かです。あれだけ一世を風靡した代物ですから自分も押入れの肥やしになって残ってないか調べたんですけどさすがにありませんでした。もし残ってたら着て試しに街でも繰り出してみようと思ったんですが2ストバイクのオイルがべったりだったんでしょうか記憶にないんですがどうも放棄したようで残念です。

それと、トリックってテレビで見た時よりもDVDで「やむ落ち」含めて長めに時間の尺の制限なしで観たほうが確実に面白かったので、パズルも期待してますです。もしかしたら以前にも書きましたがサスペンス劇場じゃないけどだらだらと長めの2時間枠のほうが相性いいのかもしれませんです。

しいて欲を言えば三人娘のキャラがもう少し安定してくれると嬉しいんですけど。やる事と言ってる事とか存在がどうのこうのということじゃあなくて、鮎川にならって裏表を露骨にギャップをつけて表現しなくてもいいんじゃないかということです。表の声のトーンと表情で裏も演じてくれたら面白いのにと思ってますです。

ついに来週最終回。DVDになって評価があがり、それじゃあとパート2が作られんことを願う次第であります。

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ラスト・フレンズその21(第10話)

エリの宗佑に放った「引くことも憶えなさいよ!」というセリフを未だ根に持って拘る私です。それ以前からエリの行動が不思議な部分をば感じてはいましたです。尚、大分偏ってますので話し半分で読んでいただければこれ幸い。

宗佑の入院先に行って、持ち帰ってはならない宗佑の美知留への想いを迷い無く切々と綴った手紙の山を持ち帰ってしまう時点で違和感をば感じはしましたです。渡すべきではない物をもし万が一渡ってしまっては匿う努力が水泡に帰すやもしれず。宗佑の懇願にびびったのかもしれませんですが、直ぐに処分せず検閲(盗み読み)して自分宛でもないのになにがしかの感銘を受け、自分の今までを振り返ったりもする始末。

その後再び病院に行って宗佑エスケープを知るも皆とほうれんそう(報告連絡相談)することもなく放置する。病院に再度行った目的も不明。宗佑に対して気を幾分かは許した故の慢心かと想像してしまいました。もっともあの時点でタケルに襲い掛かった悪夢を回避できたとは思いませんから展開の流れからはどうでもいいことなのでしょうけど。

それで今回の公園での啖呵でしたが、あの言い方で「そんなんじゃ嫌われる・・」て言い回し。丸で応援というか後押しのアドバイスをしてるようにも聞こえました。後でおぐりんに「家帰んなよ。」と三行半(みくだりはん)を突きつけたと解釈するならば、ひょっとしてエリの心理って宗佑に対して悪魔という判断から徐々に氷解してきてる心境の変化が生じてるんじゃないのかとも勘繰ってしまいましたです。

もちろんエリが宗佑のことを気になりだした(好きになった)とか云う世迷言を言ってるつもりはないですけど。なんか瑠可の先鋭化とは逆の宗佑に対する行動だなと思いましたです。ま、ただそれだけのことなんですが。あえてそういう視点をエリに与えたと言うのは、宗佑がシンプルに悪ではないということの表現アピールなんでしょうか。でも死んじまったらおしめえよって感じで説得力薄めに思えました。

話しは大きく跳びますけど、私は不幸にも来週の予告を見てしまいました。一話完結なら屁とも思わないんですがこういうしんどい話しを根気強く観た果ての結末の筋書きが醍醐味たるべきもの。それをちらりでも見てしまうと余計な詮索をしてしまうので好きくないです。変に予想やら希望的願望なぞという先入観に捉われてしまうし自分の思い通りの展開でなかったら納得できなくなってしまって興ざめになるからです。あるがままを観てそれに反応すべきだと思っているので予告編は邪魔者以外のなにものでもありませんです。

そうはいってもあのウェディングドレス見せられてしまったら誰が誰とというのが気になりますです。なんか期待持たせで掴みはOKみたいな作り手の策略にいいように乗せられてるようでホントいけずと言う奴ですこれは。ですがここは開き直って可能性をあげつらっておこうかと。ちなみに録画再生したのを穴が開くまでガン見して誰だろうかと探ったなぞということではありません。機嫌損ねたんで即編集で予告編部分消してしまってもう見れてません。

*瑠可とタケル  なんかイメージないですね。瑠可が女子に戻る根拠が薄すぎる。

*美知留と宗佑  宗佑の淡い夢(願望)の追憶(幻想)シーンとして挿入される。これはありそう。もしお亡くなりになられてたら遺書の中でそういう絵空事が綴られていたやも知れぬし、鮮血に染まっていたのは毛布ではなくてウェディングドレスみたいだったから。

*美知留とタケル リアルにありそうだけどドラマとしてあの漁村の美知留が独りのシーンとどう繋がるのか不明。

*美知留と瑠可  なんか感情的に厭。これだと引くなあ。

*エリとおぐりん  これはこれでハッピーエンドとして成立するだろうなと。

*エリとタケル   始めにタケルが引いてるから無理でしょう。

*宗佑とエリ    宗佑が死んでなければの話しですが、意外性ということでは抜群ですな。頭に書いた私のエリの宗佑に対する心情が変形したならばあっても無理感は薄いです。もちろんDVの一件は棚上げでという甘さはありますですが。びっくりさせるだけなら効果抜群でしょう。

*宗佑と瑠可   テレビ局に苦情の嵐が吹き荒れるでしょうなおそらく。

まだ他にも組み合わせがあるかもですが多分このうちどれかか全然関係ない人の結婚式かの風景的挿入ショットでしょう。まあこれがエンディング主題結末じゃあないでしょうから、たあけたこと書いてもええじゃないかということで。

ほかの予告編で見てしまった事に関しては言わ猿聞か猿観る蚤ということで。さてもさてもでいざや当日のお愉しみとせん。

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*けんかもんか

喧嘩しそうな勢いでというニュアンスの言葉。物凄い喧騒という場合で使う時もあるる

集落によっては喧嘩そのものを指すところもあるらしい。うちの集落では会議とか言い合いとかが白熱して掴みかからんばかりの状況などを指す場合などで使われている。

例文1

「あいつどえらい剣幕でつっかかってたにい。」

  (あいつ物凄い剣幕でつっかかってたよ。)

「けんかもんかの騒ぎだった?」

  (喧嘩ふっかけんばかりの雰囲気だった?)

「うん、そおゆう勢いだった。」

「で、どーなったよお。」

「ほいたら、相手んにやけた笑いしたもんでそれ見てあたー来たらしくてホントにぶっさぐっただよお。」

  (そしたらさ。相手がにやけたような笑い浮かべたもんだから、それでカチンときたらしくて本当にぶん殴ったんだ。)

「しゃれんなんないじゃん。」

  (そりゃ笑い話じゃ済まされないねえ。)

「だらあ?」

  (そうだろ?)

例文2

「バーゲン行って来ただか?」

  (バーゲン行って来たの?)

「行ったよぉ。馬鹿大変だったにい。もうけんかもんかで奪い合いでぇ。」

  (行ったんだあ。もう奪い合いの大騒ぎで頑固大変だった。)

「そんな品数すけなかっただ?」

  (奪い合いになるほど品数が少なかったの?)

「知らんよお。周り見れる余裕なんかあらすかぁ。眼ん前のもんいぜるしかできひんかっただもん。」

  (無理だって。周り見渡す余裕なんかないんだもの。もう視界に入る物しか選びようがなかったんだもん。)

「欲しいもん買えただ?」

  (欲しいものは買えたの?)

「買える訳ないじゃん。疲れただけで行って馬鹿みた。」

  (買える訳ないでしょう。疲れただけで行くんじゃなかった。)

「でもなんか買っただらあ?」

「当たり前じゃん。手ぶらで帰れすけえ。それこそ馬鹿じゃん。」

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ラスト・フレンズその20(第10話)

この回は宗佑の絶望と瑠可の決断の予兆。それに美知留の迷走を観た感じでした。

生き死にはともかくとして、こういう展開になるのなら美知留と宗佑の出会いと始まりを見せて欲しいものだと思いました。宗佑の勘違いか夢想かはともかく、美知留になら自分の願いをぶつけることが出来ると確信した根拠を示して欲しいものだと。

でなきゃ何度もいいように騙されてく美知留にはついてけませんです正直言って。そしてこうまでして取り戻そうともがく宗佑の唯一無二かの如き美知留への絶対的確信がどこから生まれるのかも理解を越えてますです。言葉はえげつないですが腐れ縁の根っこを知りたいと思うのはゴシップ記事に馴れ過ぎのせいでしょうか。

結果的に心が離れたと悟ったことによるあの鮮血に染めた行動なのでしょうけれど、意外な宗佑の行動ではありましたです。直接的な要因は美知留の心によるものでしょうがエリのあの「引くってこと覚えなさいよ!・・」というセリフがどこまで響いたんでしょうかねえ。単なる美知留をおびき出す手口というものじゃあなかったような結構深い感じがしましたです。もうひとつのボディーブローは母親が帰ってきて子供が宗佑を頼らなくなったことも影響してるのでしょうか。こうなると一概に悪と呼べなくなる悲哀を感じる展開ですが、切なくなるものですね。

多少脱線しますが、エリのあんだけはっきりしないぐずぐずした男が嫌いそうな癖してずるずるとはっきりしない典型のおぐりんと不倫してるっていう現実はえらい皮肉のようでもありましたが、私はこういう人嫌いじゃあありませんです。ついでにもっと脱線しますが、水川さん「青」が似合ってらしたです。あれだけ明るい青着て浮ついた感じがしないのはいいなあと。

で、元に戻りますが、それにしても美知留の他人依存度の底深さにはホント私の尺度では測れない感じでした。金もないだろうにという現実的なこともあるのでしょうが母親の元か宗佑のとこかシェアハウスしか行くとこのあてがないってのはねえ。都会に住んでいるんだから田舎じゃあないんだから一時的ならばマンガ喫茶とか幾らでも待避所の選択肢は存在すると思うんですけど。それでいてなにかあると逃げ出してしまう逃げ癖がついてしまっているみたいに見えて大丈夫かいなと心配してしまうくらいです。晩御飯食べれないほど彷徨としての至った結論がここを出てくというものでした。一晩中ほっつき歩いていったい何に考えを巡らしてたんでしょうかねえ。呆然としてたということなら宗佑のDVから逃げ出して公園のベンチでびしょぬれになっていた時とどっちがより深刻だったんでしょうか。あの時は瑠可が迎えに来てくれたけど今回は誰も来てくれなかったから今回の方が深刻だったんでしょうかねえ。いずれにせよ考えがまとまらなかったようには思えましたです。瑠可が考えぬいた上でのシェアハウス出ようとしたのとは異なって感情的な結論での翌日の行動だったのでしょうおそらくは。

それにしても長澤さんストレス溜まってるだろうなあと思えます。タケルと瑠可の会話を聞いてしまった時、普通ならドアを開け「なにそれ?」って問うと思えるんですよ。自分に対してもタケルや瑠可に対しても問いかけた上で出てく出てかないって話しになると言う展開が普通っぽいんですけど。それを気持ちの整理すら出来ずに右往左往迷走するって役なんですからそういう意味では宗佑の暴力に耐える美知留のように言いたいことも言えないなんてこと決してなさそうな、むしろどちらかと言えばたとえ言って馬鹿見たとしても言わずにはおれんタイプであろう長澤さんご本人には役とはいえ自身とはあまりにもかけ離れていそうでさぞかし役になりきるのにしんどいんだろうなあと下衆の勘繰りしてしまいますです。

シェアハウスに居る時は瑠可にどんな顔して会えばいいのか分からないと言って飛び出て、宗佑のとこではみんなの所に帰ると言い出す。もちろん宗佑の口から瑠可の決意と行動を知ることによっての心変わりではあろうけど、瑠可にどんな顔して会ったらいいのかと言う答えにはなってはいないような(答えが見つかっていない)気がしたのは私だけなんでしょうか。学生の時分から心の支えになっていた瑠可の思い描いていた姿が瓦解して気が動転してるんでしょうけど。なんで直接瑠可と美知留が話し合わないのか不思議な展開ではありました。美知留が出てく時今度は瑠可は聞き耳を立てていてタケルが説得してたんですが、そこで話すチャンスはあったと思えるんですけど、二人は似たもの同士なんでしょうか瑠可も美知留と同じでトビラを開けることはありませんでした。無理に引き止めたら宗佑と同じになってしまうと言う自戒の念が足枷として効いているのでしょうけれどなんか違うぞという感じがしましたです。命がけで守る決意ならば去るものは追わずなんて悠長な心境になる筈がない。やっぱこれって好きな人の前では思った事言えないって奴ですかねえ。

瑠可は気丈で健気で、そういう意味じゃあ女性的にも映りましたです。別に宗佑から逃げて途中洋服屋の更衣室で人知れず涙を流した様がということばかりではなくてですね、美知留にたいする接し方がなんか母親的な愛情に映るんです私には。それと、泣いてたま瑠可じゃないですけれど、野郎が泣いて、よし気分転回!すっきり後引かないぞ、なんてことはあんまりないような気がするんですけど。その後何事も無かったように振舞う気丈さとかみると男だったら絶対女々しくもっと引きずるよなあと思ってしまいますです。母は強しという印象に近い感じを受けましたです。そんだけ美知留がやごいせいなんでしょうけど。

もちろんあのシーンはよかったですよ。とても複雑な悔しさと悲しみと頑張んなきゃという決意とかが入り混じった深い涙のシーンでジーンときましたですけど。迷いのない瑠可はやはり観ていて気持ちいいですし。このシーンだけでも樹里ちゃんうめ~よなあと感嘆しましたです。

でも実は私、この回で一番ハラハラして観てたのがお父さんでした。もし最愛の理解者であるお父さんが性同一性障害を知って瑠可を見放すようなことがあったら宗佑の中傷どころの騒ぎではないほどの痛手を瑠可がこうむるだろうからそう言う展開にだけはなって欲しくないなと以前の記事で書いたんですが、それがはたしてどうなるんだろうというのが非常に気がかりでした。で、複雑で未整理な心持ながらも瑠可を見守る姿を見て感動してしまいました。深夜の公園の池べりでタケルと話すくだりはホント良かったです。その後のレース当日でお母さんの手を握るシーンではお父さんきちんとお母さんにも伝えてるんだろうなあ知った上で応援しようよと言ってるんだろうなあと。こういう親なら真っ直ぐな瑠可みたいな子が育つってのも納得しましたです。

これで終わって余韻愉しみたかったのに不幸なことに来週の予告編見ちゃいました。あ~あって感じです。

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*さっかけ

釣りは私やらないのだが、大分昔近所に釣りが道楽の人がおって。たまに家で喰いおせんくらい釣果があると、おすそわけっつって魚をくれたりしてた。

その人の釣り方が「さっかけ」と言って、餌もつけずに泳いでる魚をでかい針で引っ掛けて獲るという方法だというのを小耳にはさんだ記憶がいくばくかあり。

今切れ口という遠州灘と浜名湖の境みたいなとこの突堤あたりで釣ってたらしい。

今もそういう方法があるのかみんなそういう言い方をしていたのかは不明だが、天竜川の鮎釣りでは「ごろびき」という針のサイズは小さいが同じように餌なしで引っ掛ける方法があるらしいのでもしかしたらポピュラーなものかもしれない。

でも、薄ら記憶なんですが、なんかやっちゃいかんかったらしい。「めっかるとがんこ怒られるで内緒でやらんとかんもんで気い使うだよ。」なんつー会話も憶えてるのでもしかしたら違法に近いものなのかもしんない。禁止区域だからか免許制だからか漁法そのものがからかは知りませんけど。確かに針見して貰った時こんなの人に刺さったら肉んえぐれるなあと子供心に怖い感覚を持った想い出があります。あそこまでいくと釣りではなく狩猟の領域ですわ。

この言葉が遠州独特なのかは知りませんけど一応記載。

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水野晴郎さんのご逝去

映画の悪口を言わないというよりも個人の感情で映画を語るのではなく、誰しもが共感できる視点で判り易くかつ奥深いところまで映画の愉しみに導いてくれるお方がまた一人世を去られました。

感想をブログに書いてるものとしては理想のようなお方でありました。郵便局員されてた経歴をお持ちで、随分前に「ぴったしかんかん」かなにかのバラエティ番組で葉書をプロっぽく数えてる姿が何故か印象に強く残っていますです。

つまり、映画の専門学校とかで早くから鍛錬を重ねられた生え抜きではなく、精進の上での転進によって見事花開いたお方ということがとても印象的だということです。

映画のことを書くに於いて、かくなりたいなどという野望は決してありませんが、かく姿勢でありたいという理想形を指し示してくれた方でしたです。

ご冥福をお祈り申し上げます。

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*うそばっかし

全部嘘だろうと云う意味。まあ「嘘ばっかり」の訛ったものではあるが。

「うそばっかあ」よりも否定度が強い。感情的にも「許さん」気合がこもる。

「し」を省いて「うそばっか」という表現もあるがそうなると多少緩めの追及のニュアンスになる。

嘘に決まってると思っている度合いで比較すると

「うそっ!」<「うそだら」<「うそこけ」<「うそばっか」<「うそばっかし」

例文

「こないだどんばやく帰ったけど、なんかあっただけえ。」

  (この間早々に帰ったけど、なんかあったの?)

「いやあなんもないよ。」

  (いや特に理由なんかなかったよ。)

「うそばっかし。ちゃっと飛んでった後んだいぶしてから家から何度も電話あってまだこんで変だ変だっつってたにい。」

  (とぼけるなよ。えらい勢いで出て行った後に大分たってから家の人が何度も電話してきてまだ帰ってこないからおかしいって言ってたよ。)

「あっそうけえ?じつぁーの、おっかさの在所行くっつうもんで気い重くてやあ。だでちいと寄り道しとっただあ。」

  (あっそうなの?実はさあ嫁の実家に行くってことで気が重くてね。だから少し寄り道してたんだ。)

「勘弁してくれやあ。おめえんとこのおっかさまるで会社ん早く返さんみたいな言い方こいて悪もんにされただにい。」

  (勘弁してくれよ。お前の奥さん会社が早く返さないせいみたいなこと言ってこっちが悪者扱いされたんだぞ。)

「悪妻で済まんの。」

  (悪妻で迷惑掛けてごめんね。)

「お互い様だけどやあ。ホント頼むにいそこいらは。」

  (お互い様なんだけどさあ。ちゃんとしてくれよそこら辺は。)

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おせん(第八話)

神輿は神の乗り物。ゆえに人が乗り物にあらず。人が乗らば不遜なり。ということと、変えてはならないものと譲れないものは頑固と呼ばれるくらいの強い意志がなくては守れないという二点セットの展開のお話しでした。それとちくりとブログの功罪なんかも織り交ぜて結構いつもよりかは慌しい感じがいたしましたです。これはまあこれで面白いんですけどね。

神輿のお話しは超現実的なもので実際に東京のお祭りでは問題となっていること。幸いなことに浜松は神輿という文化はないので、かような被害に遭遇する問題は発生しないし、そもそも神事ではないので質が違うのですが神輿の意味を聞けばそりゃ乗るほうがなあという気はしますです傍観者としては。だけどアドレナリン出まくりの高揚した精神状態は一種の押さえの利かない興奮状態でもある訳で、珍品堂さんの「言えない」という空気感もようく分かる気がしましたです。もっとも経験がないので何故神輿に乗ろうとするのかという神経が理解は出来てないんで一概に正論ぶったところで説得力はないですけど。

それをおせんさん如何にしてこの難問を回避するかというのが味噌でしたが、啖呵切って「ざけんじゃねえよ神輿をなんだと思ってるんでえ。」といくのかと思いきやその前の一勝負でぎゃふんと言わせて気を削いでこの話しはなかったことにと相成りや。やっぱどちらにも利があるのでしょうか是か否かまではきっちりけりはつけることはありませんでした。上手くすり抜けたと言うかあしらったと言うかなんか大人の世界のなあなあ感が滲み出ててそれなりに深いものを感じましたです。

そしてもうひとつの主題。題材は「藁」。ことの始まりはブログに掲載されたことにより予想外の注文を多く抱えてしま。それにより保管していた藁の異常消費に補充が間に合わなくなりその確保に追われるも策尽きる。それによる決断として薪で代用する・注文を断るといういずれかの選択を迫られることになるおせんさん。その決断は後者。何故と理解に苦しむ周りの人々。その理由は最善をお出しすることが壱升庵。だから時代が過去よりも今が良い物をもたらすなら取り入れ、時代がそれを許さなくなっても過去のままが良いのならそれを維持する。それが出来なくなったら壱升庵ではなくなるということ

ドラマでは楽をしたらその流れの歯止めが利かなくなるから(料理屋が手間を惜しんでどうするという戒め)みたいな表現で表わされてましたがそう的外れではないとは思うちょります。それにしても発端がブログにおける口コミパワーによるもの。悪意なぞなくても相手(対象)が存在する以上良くも悪くも影響が及ぶ。もちろんそんな世の中動かすほどの影響力を持つブログであるからこその痛みなんですけど、知らないうちに人を傷つける怖さを垣間見たような想いが湧きましたです。

この回はおせんさんの回というよりもテル子(鈴木蘭々さん)の回のようでした。登場人物の中で一番言葉が生きてる勢いでテル子の存在は当初から気持ちよかったんで愉しめましたです。それにしても、おせんさんが突如居なくなって珍品堂さん迎えに行って無事解決ってくだりは意外だったです。中止すると決断したのに時代遅れと非難されて中止の意思を翻しての行動というのは分かります。上手く行くかどうかの一か八かだからみんなにおおっぴらに言えなかったってのも分かります。困った時はお互い様という下町根性で祭りの担ぎ手が一肌脱ぐいなせさも分かります。でも誰にも告げずに行くかぁ普通?とな。そりゃ残された方は誰だって心配するでしょうし他の材料の手配の準備とかもあるでしょうに。私はてっきり高木ブーさんがなんとかすると踏んでたんですが、そこはやっぱりブーさんでした。

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*どいややあ

物凄く嫌だよおと言う意味。

「どいや」は「馬鹿いや」とどう違うかというと、解釈は各集落によって又は個人差によって異なるが

「どいや」は嫌だけどなんとか感情を抑えて対応できる範囲

「馬鹿いや」は嫌と言う感覚が感情的に抑えられない状態

つっけんどんさは「馬鹿いや」の方がある。

行くのに気が重いような場合

「どいややあ。」だと嫌だけどいかなくちゃというニュアンス。ただし行かなくて済むなら躊躇なく行かない。

「馬鹿いややあ。」だと行かなくて済むなら回避したい度合いが強いニュアンス。

例文

「あ~あがっこ行きたあない。」

  (あ~あ学校いきたくないよお。)

「なんでえ、風邪ひいただか?」

  (どうして?風邪でもひいたの?)

「こないだのテスト返ってくるじゃんかあ。はあぼろぼろで見たあない。」

  (この間やったテスト返ってくるだろ。もう眼も当てられなくて見たくない。)

「そりゃこっちもでえ。家帰って見せるのわしもどいややあ。」

  (そりゃ俺もだよ。家に帰って結果見せるの気が重い。)

「わし馬鹿いや。だでこのままがっこ行かずふけまいか。」

  (俺本当に嫌。だからさあこのまま学校行かずに逃げようよ。)

「そんな訳にゃいかんらあ。ほれ、行くにい。」

  (そういう訳にはいかないだろう。ほら行くよ。)

注、あくまで地域差があるのでこれが確定ニュアンスではない。

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あせりましたです

久方振りに掃除でもせすかと思い立ち、ディスクのクリーンアップやってからエラーチェックで滅多にやらない「ファイルシステムエラーを自動的に修復する」と「不良セクタをスキャンし、回復する」を指定し再起動したらですよ。全然画面が立ち上がらなくてあせりましたです。ハードディスクは動いてる風なので暫く待てばと思って様子見しても画面は真っ黒けのけのまんま。三菱のボールペンじゃないんだから洒落んなんないとまだその時はボケかます余裕あったんですけど、電源オフして再度チャレンジすること数度。しょっぱなの画面は出るんですけどそのあとの背景が黒のXPのロゴ画面に進まずやっぱ真っ黒けのけ。モニターのせいとは思えないが一応真横から見てると若干の汚いっぽい紫色してるとこ見るとモニターは生きてるようだ。

こりゃぶっ壊れたかぁ!と思わずがっくりと感慨に耽ってしまいました。いざパソコンのない生活というのを目の前に提示されるとそれはやばいことしか浮かんでこない心理状態に陥るものです。まず録画が出来なくなる。リアルタイムで見れる生活パターンではないのでイコールテレビドラマが見れないということと、今入ってるデータ(番組)が・・・・。で、ブログも更新どころか管理することも出来なくなるわけで。貴重なデータがある訳じゃあないので惜しい気はないのですがもったいない思いは強かったです。

で、どうなったかというと、壊れていないならそれなりに丁寧に触るんですけど壊れたとなると大分開き直る悪い癖が出てきまして、古い奴だとお思いでしょうがとりあえず叩いてみました。基本でしょうこの家電製品に対する行動は昭和から生きてる人間としては。でも当然動きませんでした。

次にスイッチでオフせずコンセント引っこ抜きました。そして又さし直しました。これも基本ですよね昭和人としては。もうお約束はきっちりやらないと気が済まないんですわ。

そういう無駄な抵抗してたら、奇跡的に動きましたです。通常画面と異なるエラーの原因を言い訳してる画面が出てきまして、それによりますと、最近アップデートとか更新したデータだファイルだかなんかよー分からんもんが原因だと言い訳ぬかしよる。いや、(ここはご機嫌とっとかないと又へそ曲げれても困るから)おっしゃられた。なんのこっちゃかちんぷんかんぷんであるがはいはいと殆ど聞いた振りして(要は知識が無い)画面の色々書いてある文字を追っていたらそのうち通常の画面に戻った。

で、いまこうして記事書いてるに至るという一部始終な訳ですが、最近壊れた私の身の回りの物といえば、テレビ・バイク・頭なんですけど。頭はしょうがないとしてもテレビもバイクも年代物でそういう意味では昔ながらの壊れ方というか徐々にと言う感じですが、パソコンっていきなりくるんですねえ。今使ってるパソコン4代目なんですけど壊れて買い換えたことがないので初めて身をもって知ったという感じです。いろんな方のブログとかみてもそうみたいで私だけの症状ではないようで。青天霹靂的な壊れ方は生活に密着している機械なだけになんとか心の準備が出来るよう改善改良して欲しいと拙に思いましたです。まあ壊れてなかったんでそのうちこんな事思った事忘れちゃうかもしれませんが。

結局なにが悪かったのか分からないままなのですが、いつ爆発するかわからないような爆弾を抱えてる気分ではありますです。気を楽にする方法は、パソコン依存から脱却する・もうちっと勉強する・もう一台増やす。いずれも無理な空想話しですが何故かバックアップするというイメージに辿り着かない私です。

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*~にいと言う表現の複雑性

「にい」と言う言葉そのものを直訳すると「~するよ」というニュアンスであるが、イントネーションでその意味が微妙に変わる。もっとも共通語もそうなんだけど遠州弁の方がその差が大きいのかなと思って記載。

「行くにい」を例にとると

*「もう(先に)行っちゃうよ。」という早くしなさいと言う意味。もうひとつは待てないと言う意味。

例文

「なにしてるよー。はあ行くにい。」

  (何のそのそしてるの。もう行っちゃうからね。)

*「(私が)行きますから(そのままで)いいですよ。」というお構いなく・ご心配なく風な意味。

例文

「そんなのわし行くにい。だで座ってりゃええって。」

  (それくらい私が行きますから。ここで座って待っててくださればいいです。)

発音については文字では表現しづらいので、近くの遠州人にでも聞いてくだされや。

余談だが「行くだにい」なぞという言葉はないので「にい」の使い方は「だら・だに・らあ」とは違うのでなんでもかんでもケツにつければ遠州弁になるとは決して思わないように。どこぞの作品かは忘れたが、語尾になんでもかんでも「だにい」とつけてた「えせ遠州弁」を使ってて怒れた(憤慨した)記憶がある。

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CHANGEその3(第4・5話)

なんかとても安心して見ていられるドラマです。どちらかというと○戸黄門とか○くせん見てるみたいな。キャラクターの役割が非常に明確で含みはあれど見てる側を裏切らない分かりやすさからそう思えるのでしょうか。ヤマ場もきちんと設定されていてそこできちんと大見得切れるのは流石の説得力を感じますです。こういう部分が群像劇とは異なる大黒柱たる主役がでんと鎮座ましますドラマの醍醐味なんでしょうやはり。映画の「バカヤロー」シリーズではないですが、こんなこと言ってみたいやと思えることをはっきり述べる口上もスカッとする要因に感じられます。少なくとも人を殺(あや)めない必殺仕事人的な悪を成敗いたすという負の切捨て的な方向ではなく恒に前向きな未来への展開が心地よいのでしょう。

それにしても「人は同じじゃないみんな違うことをまず認識せよ。」というセリフはなるほどと思いましたです。出来ればラスト・フレンズの宗佑にも総理の口からこう言って欲しいものだと。

現実的とは離れた一歩間違えればマンガみたいな人間性の集合体がうごめく様ですが、各人なにやってもその行動がアリかなと思えてくるその強引さが快感ですらあるかのようです。主役の器が広いから何気にその周りを自由度を羽ばたかせて思いっ切り弾けても主役が拾い上げてくれる度量の大きさをも感じますです。

元気があれば何でも出来るを地で行くようで、健康でなければ始まらないのはやはり基本なんでしょうねえ。はぶせにされても寝る間も惜しんで勉強(?)してその労をひけらかさない辺りは人格者だろうなと感心するところですが。休みの日くらい寝かせてよなどと思う奴では無理な世界のようです。

シンデレラストーリーが1~3話までとしたら4話以降は孤立無援からの脱却(一人づつ総理の器を知る)という流れのようです。そしてこの流れはストーリーテラーからして見れば実に不愉快なシナリオにない展開で出るくいは打たれる的な要素も含んでいそうです。一難さって又一難という修羅場を潜り抜けるサバイバル要素ではなく仲間集め的な要素が愉しみの主な味なんでしょうか。そうすると来週は誰が?という興味があるところではあります。

初登場した頃は現実的な人なのに総理に感化されてくと多少マンガチックにぶっとび始めるとこが気がかり(大丈夫かこの国は?)に思えなくもないですが、それはみんな夢見てるからなんでしょうかねえ。と、いうか総理に夢を乗せてるって感じ?

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佐鳴湖のお話し

「私と家族と湖と」という番組を見ましたです。淡々と情景を映し無言で見えにくい事実を浮かび上がらせるものではなくストレートに強いメッセージ性を感じさせるドキュメンタリーに思えました。この番組は偏見と闘う人の活動を描いた作品でした。どういう偏見かというと

浜松が日本一を誇るものは数あれど、水質汚染度は琵琶湖の比じゃない佐鳴湖は紛れも無く負の日本一。

元々浜松は佐鳴湖だけが汚なかった訳じゃなく、私がガキの頃はむしろまともに魚棲むところだった。染色業が盛んだった頃は河川や用水路沿いに様々な工場が立ち並び藍や茶色のカラー豊かな水が泡を吹いて流れていた記憶がある。そんな河川に生き物が生息できる筈もなかったがその時分の佐鳴湖は釣りができた。

それがいつのまにか公害問題が世論となり改善されるようになっても、佐鳴湖は改善から取り残されたように回復しないまま今を迎えている。汚れているから釣ったところで食用になる筈も無く次第に野放図に生態系が出来ていてなにが潜んでいるのか誰も判らなくなっていった。随分前にはボートの練習中に大きな魚と艇が激突して船体を傷つけ、おそらくは藻にからんでのことであろうが溺れるという惨事があった。その時にも魚の正体は不明のまま。最近ではワニがいるとかで騒動になったりと、手付かずの自然があるといえば聞こえは良いが要は手に負えない状態でのミステリーゾーンともなっている。

という私が持つような偏見。

実際には魚が棲めないような汚染などなく、数種類の魚達を育んでいる豊かな湖であるということ。天然鰻の漁も行われている。それでも佐鳴湖がワースト1に6年連続全国1位に輝いているのは植物性プランクトンが異常に発生しているために水中の酸素濃度が低くなりそのデータのみで汚染と判断されている。工場排水による薬物とかの物質的な汚染ではない。

では何故他よりも多くプランクトンが発生するのかというと、平坦な地に存在する佐鳴湖は上流より流入する水量よりも下流から押し戻されて流入する水量の方が多く、そのため同じ水の留まる時間が長くなるという特徴があるからだと述べられている。そして農地や家庭等から排出される栄養価の高い生活排水を植物性プランクトンが養分とすることが出来ることと合わせて豊かにプランクトンが暮らせる環境にあるということがその理由であるらしい。

この特異性により通常の湖では問題とはならない排水量・質のものであっても佐鳴湖には十分配慮しなければならない繊細さを要求されるということと述べられている。

浄化にむけて様々な試作、例えば放流(鯉やしじみ)などを地道に重ねているが、その光景を見た市民が「こんな汚いところに放流して可哀想。」と言う。朝方湖を巡回すると違法にゴミが投棄されたりもしているという。違法にゴミを捨てる奴は二種類居る。ひとつはいけないことと知った上でばれなきゃいいと思ってる奴。もうひとつは皆やってるから自分も捨ててもいいんだといういけないことをしてる自覚のない奴。後者を発生させないために即座に回収するといういたちごっこが切ない。佐鳴湖で漁を生業とする方から見ての視線で具体的な無報酬の活動の様を描かれると私のような偏見では太刀打ちできない正論と意志の強さを感じますです。

そんな印象を持ちつつのこの番組を見る。最初「さなるこ」のイントネーションの違いに違和感を憶えるも全国に向けてのことだからこれが共通語かという感慨を持つ。

これが人権に関するものならば全国各地から有志や協力者も大勢集まるのであろうが、湖権なだけに沽券に関わるとばかりにすわ一大事と馳せ参じる同士も少なく孤軍奮闘を強いられている。などというへらず口は差し挟む余地なぞない非常に真面目に作られた番組。具体的に何が出来るかと問われれば私のような偏見を持つ者に「違う」と伝えるくらいしかできないのだけれど説得力を感じましたです浜松市民としましては。これが他山の石たる全国から見てどれだけのインパクトがあるのかは分かりませんが、浜松市民にはインパクトのあるお話しでした。それにしても天然鰻デカかったなあ。

大昔は水遊びが出来たとのこと。だとしたら泳げるような安心感を得られることが最終的な復活ということなんでしょうか。人が何も介在しないことが自然ということだけではなく里山のように人が分け入り手入れしてこその自然もある。それが佐鳴湖にもあてはまるのでしょう。

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ジオターゲティングを設置

見た目が綺麗だったのと国盗りがレベルも含めて行くとこまで行ってしまって伸びしろがないので、ジオターゲティングを設置というか変更。それと共に少しでも軽量化を図ろうと2・3やんぴにした。人の振り見て我が振りなおせ。最近この言葉を自分良く使ってるけど、アルカナで色んなブログ巡りしてとにかく重いブログに遭遇した際の苛立ち感がやるせない。

自分とこもそうだったら厭だなあと真剣に思う。私の回線は光りではござんせん。じゃによって当然最先端を行く方達とは違います。出来ることは光りに替えることではなく節約あるのみ。削れるものは削っておこうと。無駄というならブログそのものという世知辛い世の中を象徴するようなご意見もございましょうが、それをいっちゃあお終いですんで勘弁してつかあされや。のえ。

ま、そんな愚痴めいた話しは置いといて、他の方の国盗りカウンターを拝見するに、私の傾向とほぼ同じだったのは不思議でありました。中部関東で色残しになるのはたいてい山梨で、中国四国は鳥取か島根。九州は宮崎と、だいたい同じなのであった。だからどうしたと言う話しではあるけど北海道と東京は真っ先に赤く染まるに早い地域だというのも私の時と一緒なところが多かった。

今度のカウンターもそういう風に推移してくのかなとその経緯を愉しみたいですな。それと蒼と緑は大好物の色なのでこの深い紺に近い色味はけっこくてとてもそそるです。

追記

6/15、自分だけが自身の分析データを見れるのかと思ってたんですが、試しに他の方のブログで貼り付けておられるところで詳細データみたらその方のデータが私にでも見れるんですねえ。もちろんこれが悪いとはいってないですよ。見られて困るような分析データではありませんから。ただ単に見れるんだと思ったまでです。ふ~んて感じで。特に他意はありません。

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*へっぷり

遠州では屁(おなら)を指す。「へっぴり」を「へっぷり」つまりへっぴり腰をへっぷり腰などとはうちの集落では言わない。それだと遠州では腹に力入れると屁えばかりする屁コキ虫と解釈されてしまいかねない。他の地方では「へっぷり虫」と呼ばれる(多分カメ虫?)虫がいるそうだが遠州(うちの集落)では聞いた事のない虫の名である。

おならオンリーで使われてる印象が強い。屁と言う表現も遠州では「屁え」と言うことが多い。

例文

「やあ、屁えん出た。」

  (いやあおならが出ちゃったぁ。)

「馬鹿っつらあ。なにおんしゃあへっぷりこいとるだあ。臭くてならん。」

  (お~い勘弁してくれよお。こんなとこでおならするなよ。臭くて堪らないわ。)

「別に好きで屁えひってるわけじゃないでねえ。自然と出ちゃうだもんでしょんないじゃん。」

  (意識しておならしてるんじゃないよ。自然に出ちゃうんだからしょうがないだろう。)

「ちったあ我慢っつうこと知れやあ。」

  (少しは我慢するってことを憶えろよ。)

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ファイブミニのCmを遠州弁で

樹里ちゃんが出てるコマーシャル「ファイブミニ」。東北系の言語を操っているが、これを遠州弁に変換するとこうなる。( )はオリジナル「 」は軽度『 』は重度。意識はしたけど多少野郎言葉で女性言葉になリ得ててない不完全だけど。彼氏の言葉は変換しておりません。

「なんなのこれ?」

(レタモン畑だべさ。)

「レタモン畑じゃんかあ。」

『レタモン畑。知らんのお?』

「だべさって・・・」

(これからは自給自足の時代だべさ。お前も手伝えっぺさ。)

「これからあ自給自足だにい。だであんたも手伝ってやあ。」

『これからあ自給自足。だもんであんたも手え貸してっ。頼むにい。』

「レモン15個分のビタミンCとレタス1.8個分の食物繊維がはいってるのかあ。」

(美容にいいんだべさ。)

「美容にいいだって。」

『けっこくもなるだって。』

「しっかしこれ大変だったでしょう。」

(そうさぁ、朝は早ぇし、肥料さやんねばなんねぇし、大変だ。)

「そうだよお。朝どんばええし肥料くれんとかんし大変だよお。」

『当然じゃんかあ。朝起きんとかんし肥料くれんとかんだもんでしんどいだにい。』

カマキリ飛翔

(うわぁ~。いったぁい。)

「うわ~なにい?随分じゃん。ど痛い。」

『やあばかっつらぁ。怒れるぅ。馬鹿いったい。』

「ファイブミ二飲んだ方早くね?」

(それ気づくの遅くね?)

「まあちっとはよ気づいてやあ。」

『とうに気づけやあ馬鹿っつら。まっと早くに気づけるらあ普通。』

(早い話がこれ一本。ファイバードリンクファイブミニ。)

「要はあれ。なんしょこの一本ファイバードリンクファイブミニ」

『なんしょかんしょこの一本飲んどきゃあ間違いないだでねえファイバードリンクファイブミニ。』

実際変換してみるとやっぱとても表現が汚い。ポイントはとりあえず攻撃的な表現という点に注意してみました。ひとついえることは可愛くもなんともないということ。

ついでにこのcmをはじめて見た時の感想としましては、SGで山形言葉(正確には造語)を見事に操っていたが流石にもう忘れたみたいだなと率直に想いました。オーディオコメンタリーでいつでも鈴木友子に戻れると豪語してたのはもう遠い昔の過去なんだなあと時の移ろいを感じましたです。もっとも髪形から推察するに瑠可モードにもう入っているからではあろうと思われますが。

ファイブミニと言えば松子も小さい頃から好きだったと公式ブログ「まどかめら」で記事として載せてありましたが、量がもっとボリュームをと願う心は私も同感でした。で、デカサイズめっけたと述べられてますがメーカー違うじゃん!と思わずつっこんでしまいましたのを思い出しましたです。

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ラスト・フレンズその19(第9話)

前の記事(その18)でドラマの放送予定時間スケジュールを記載したんですが、根拠としたサイトがその予定の部分を削除されてましたので不確定なものとなりましたのでご了承下さい。フライングだったのか変更になったのかはわかりませんです。(追記6/10・削除部分が復活されてましたので確定と変更しますです。)

以下はドラマの直接的な感想ではありませんのであしからずです。

もう殆ど18禁的な話しですし、なんてゆーことを書くんだという謗り(そしり)を受けるやもしれませんが、今回のオーラスでの宗佑が馬乗りになって瑠可の上着を剥ぐシーン。色んなとこの感想を拝見させていただいてあれで宗佑が雄として雌の瑠可を襲うと判断された方もおられたみたいな印象を受けました。でも私の感覚がおかしいのか、あの状態で性的興奮に至る雄っての存在するんかいなと。確かにひん剥く行為は野郎同士の喧嘩では有り得ないし、かといって偶発的にそうなった訳でもなさそうではあります。。宗佑は瑠可の悩みの基を掴んでいる。だからこそ屈辱感を与えんとする行動ということなら冷静な陰湿さが滲み出てておっかない話しですけど。

夫婦やカップルとかが喧嘩しつつもいつもと雰囲気違う相手にムラムラっときてその後合体というようなケダモノ的なギャグがよくありますが、前提として両者に愛情の共有が存在しての話しであって瑠可にそんな意識があろう筈もなく。まあ宗佑が性格的だけじゃなく性癖的にも変質者であるなら一方通行ってことも考えられなくはないですけどね。それにしても本気で抵抗してる人を「いてこます」なんて(体験したことないんであくまで想像ですけど)無理でしょうし、ましてや足の骨治ってない体力じゃ不可能でしょう。おそらくはブラフ(はったり)か脅し(警告)で止まるであろうと。これでどなたかが危惧してるように性的屈辱を宗佑が瑠可にしでかしてそれが導火線となってなにかの「死」を招くという展開だとしたら話しの本題から著しくずれる単なる宗佑一人が完全悪と言う怨念復讐劇になってしまうことでしょう。ドラマの中の出来事は今の社会のひずみの鏡であって個人の資質で善悪が定まるというテーマではないでしょうに。

なんしょ(要は)なに言いたいのかと言うと、宗佑は感情に任せての行動ではなく冷静に精神的なものも含めて相手に打撃を与えるべく頭を巡らしている不気味さがおっかないというてるつもりですがな。だもんで(ですので)瑠可が性的暴行を受けるとは考えにくいのではないかと。ま、合ってるかどうかは来週のお楽しみですけど。

それとどこぞの褒め言葉で、「錦戸亮さんおっかねえ」と表現されてる方のも読みましたけどいくらなんでもはしょりすぎでしょうに。それをいうなら「宗佑おっかねえ。それを見事に演技してる錦戸さんすげえ。」でしょうに。とにかくこのドラマ久々に現われた物凄い敵が登場するものだという気がしてます。ここへ来て当初の「○ャニーズなのに・・」という錦戸さんの発言、益々真に真実味を帯びてますです。100%役者さんでもなかなかここまで全うできそうにもないのにアイドルさんと掛け持ちしながらもここまで全力投球されるのは凄い根性だと思わずにはおれませんです。男を上げたと言う表現が適切な仕事師という感じです。

話しは飛びますが、拙なる当ブログにお越しくださる方の検索ワードで「長澤まさみ演技下手」とか「影が薄い」だの限りなく悪口・中傷じみたもので来られる方が極稀にいますが、私は「地元の雄たる長澤まさみ」のファンを宣言しております。したがって口が裂けてもそんな文字が躍ることはありません。個人の感性ですからどういう風に思われようと個人の自由ですがそういう負のようなものは他人との共感を確認するのではなく自らの胸だけにしまっておくべきかと存じます。楽しくなるために見るものであってけなす為のものではないでしょうドラマや映画というものは。

もちろん芝居と言うテクニックだけでまだ実が入ってない未完成の器だからこそ張りぼてのような言われ方をされる隙があるのでしょうけど、まだ僅か21歳になったばかりの人間に器の大きさを問うこと自体長い眼で見れない短絡さを感じますです。流行(はやり)とか旬という枠でしか「長澤まさみ」を見ていないんだろうなとも思えますが、私は実がなるのは30代という考えがありますので今がピークみたいな評価とすることの無意味を感じてますしそういう人をも取り込んで「長澤まさみ」をより大きな役者さんの評価にしようとかいうだいそれた啓蒙思想も持ち合わせておりません。もちろんある意味「嫌い」は「好き」の裏返しと言うアンチ感情を持たせることも有名人の勲章でもあるのでしょうが。

いずれにしても、何らかの形で記憶に残る作品ですし何年か経っても話しとして出てくる作品でしょう。私が将来を期待している樹里ちゃんと長澤さんふたりの共演はおそらくもしかしたら多分余程のことがない限り、演技に対する取り組む姿勢の違いから勝手に想像するに長澤さんが自分の放つ空気感が現場を制圧するようになったらと言うもしもの仮定の将来での話しですが、これが見納めかもしれませんです。なのでシンプルに愉しんで観ましょうやと言いたい感じです。どっちが上手いだ目立つだ主役だなんて詮索するのは無意味に思えるんですけど。

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*いれもん

入れ物の訛った表現。遠州だけでなく広い範囲で使われるのではあるがまあ一応記載。

例文

「これ持ってきない。」

  (これ持ってきなよ。)

「ありがと。なんかいれてくもんあるかいねえ。」

  (ありがとう。なにか入れていけるものないかなあ。)

「そこんさあの棚ん上になんかいれもんあるらあ。それんいれてきゃええらあ。」

  (あそこの棚の上にどれか入れ物あるでしょう。それに入れていきなよ。)

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