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ルーキーズ第六話

巨人の星より長いインターバルの間を開けての久し振りのドラマの始まり始まり。暫しの冷却期間があったにもかかわらず、相変わらず熱いです。全然冷めてないです。

しょっぱなから男のけじめと引き際の美学を追い求めん。ってこれってどうみても普通エンディングに持って来る様な良い話しじゃあないですか。そういう点では物凄く贅沢このうえないのですけんど、やっぱ第1章から第2章に至るまでの間が開きすぎて熱が醒めたんじゃないかという作る側の不安からあえていきなりヤマ場をもって来たんでしょうか。それとも熱が入りすぎて本来これが第1章のエンディングだったのが入りきらなくて持ち越されてここへ持って来たのか。王様のブランチで生出演で番宣再びされてましたからつかみはOK作戦だったんでしょうかねえ。斬新でありました。

アクションだけでなくセリフひとつひとつが熱くて高揚する気分になりますがクサくない説得力を感じますです。セリフを決める佐藤さんももちろん上手いんですがセリフなぞなくとも存在感と感情の伝わりを感じられる聞く側の役者さん達の聞き入るお芝居がいいんでしょうねおそらくは。

それにしても今度の新任の校長先生。立ちはだかる障害としての登場ですがこれまたエライ巨大な壁を配置されるもんですなあ。最後で不安がひとつあるなんて理解者の教頭と川藤が話してましたけど本当かい。観てるといくらでもありそうなハラハラ感があるんですけどしこたま。大丈夫なんでしょうかねえ。って思ってる間に江夏登場。飽きさせない怒涛の展開ですこと。若さが無きゃついてけませんですわ。それにしても上地さん役者さんだったんですねえしかも上手い。役者さんが嘘つきだとまではいいませんが正直者じゃあ決してないだろうと思ってる私としては上地さんってバラエティとか見てると正直者に映るんで意外ではありましたがこの江夏役違和感ありませんです。別に誠実じゃないと言ってる訳じゃありません念のため。嘘を上手に突き通して自身も含めて騙す(それらしく魅せる)のが役者さんの務めかと思ってるだけです。

こういう野郎の熱苦しいドラマでの女子の役割って後方支援の一服の清涼になっちゃうんでしょうかねえ。見事にはまるんですがこういう役割意外にも登場する役回りがあるのかなと思ってたところにソフトボール部が登場しましたです。しかも松子じゃありませんか。星井さんとつるんでの喫煙ガールズでしたがこれ一回で終わりなんでしょうか。ソフトボール部となにかしらの交流からルーキーズが成長するって手もあるのかなと、原作憶えてない私としては想像してしまいましたです。でもやっぱ野郎ばかりの展開になるんでしょうねえ。南ちゃんは一人いればいいってか。こういう熱い野郎のドラマに女子が参画するキャラとかを新たに発明・発見して欲しいと思ったまでですけど。決して松子をもっと出せと贔屓目線でいってるわけではありませんです。

これでホントにドラマ上の甲子園に行ったら凄い話しです。過去は清算できるものであってやり直せるんだというテーマを貫くことになる訳ですから。やはり現実社会っぽく行けなくてもそれはそれで人の出会いに感謝するというテーマにはなりそうですけど。

ただこの熱いドラマ。比較の対象がマンガではありますが「すらむだんく」みたく何度も読み返して感動を味わいたいという感情にならなくて、即効的に熱く感じるのが悦と言う感じで繰り返し観たいと思えないのはなぜでしょうか。

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キミ犯人じゃないよね?その8

ドラマからは脱線した話しから。役者さんのせいというのではないのですが、いつもの如く「持ってかれた」宇田川の鼻の下を伸ばした様を見て呆れて思わず発した言葉(セリフ)が気になりましたです。

「死ね」と言う表現。実際にこの表現を浴びて悩んでおられる方が沢山いる現実を想うと愛情表現の裏返しとして劇中では発せられていて問題ないとは言え、テレビで使うにはその影響力を考えると時期的にどうかなという疑問は生じますです。

「キミ犯」の前にやっていた「未来講師」では「地獄さ堕ちろ」と言う表現にざらつき感を憶えたんですが、今にして想えば「死ね」という表現にたいするアンチテーゼだったのかなとその言葉の深さを感じたりもしますです。ちなみに私だったら「ばちがあたれ」という表現が好みですけど。存在を否定するのではなく悔い改めよという感情的表現が勢力を拡大してもらえば少しは生きてても気が楽になると思うんですけど。

いずれにせよ排除を意味するこの言葉は今はテレビで氾濫して不用意に使って欲しくない自重を期待したい表現です。

とまあ脱線はここまでで本編の感想ですけんど、犯人は判ってる。だけど犯行の手口が判らない。最後の決め台詞こいてから犯人を追い詰める講釈聞くまで判りませんでした。謎解きと言う意味では私の知能では犯人を追い詰めることが出来ずじまいでした。なので謎解きについては面白かったのですが他の事に注意が行ってしまい迷走して見てた感じです。

それは、天才女流棋士という設定。ホントかいなと疑ってましたです。だってとても強そうに見えなかったですもの。絶対なんかインチキして今の地位にのし上がったに違いないなんて思えてしまってそのインチキの裏を被害者に知られたために殺害したに違いないと思い込んで見てたんです。才もないのに親が偉大すぎたゆえの比較され続けられた不幸から嘘に嘘を積み重ねた分無理しなければならなくてそれが堰を切るように破綻というか破滅したんじゃないのかと。結果として大きく外れてはいないんですが、ドラマでは過去(スランプの時)だけインチキで今は天賦の才が花開いていることになっていましたです。

ホントの逸材で先の先をホントに読んでる性格だと思って見てるのと、そう装って行動してると思って見るのとでは随分と違いますから。そういう意味でずっと勘違いしたまま見てました。具体的にどこがどう見えなかったのかとはいえないんですがひとつの事に邁進する求道者の雰囲気が感じられなかったせいなんでしょうか。生活する上でも先の先を読む性格という設定は提示されてたんですけど極めてる空気感が漂ってはこなかったです。

完璧なアリバイ崩しを妙とした回ではなから犯人決めうちでしたけど私はどこで犯人の別の意味の嘘が破綻するんだろうと結果誤った観点で見てしまいました。ま、これはこれでひっかかったってことで見事たばかられたということではありますが。あえてこういう騙され方にはまる奴がいると想定しての天才棋士のお芝居だとしたらすげえなと。

今回も画がキレイなとこありましたですねえ。圧倒的な富士山は見事でした。将棋指してたお部屋もマジ格式ありそうな雰囲気ありましたです。格式ありすぎてロケで汚さないようになんか黄金色の敷物ひいてるのかと勘繰るほどでした。

展開とは離れるんですけど妹が出てくるシーンはなんかほんわかしますです。家にいるんだというかくつろいだ空気感が心地いいです。そういうTPOに合わせた芝居の変化がつけれるしほりんはさりげなくやっぱうまいなあと。これが妹じゃなくシェアハウスじゃないけど田舎から一緒に上京してきた仲良しの友達ン家に居候してる設定でその友人役がユイカだったらもっとおもしろそうなのになあと妄想したりもしますです。

第一話の頃から引っ張っている小さい頃の断片化した記憶。すこしづつ解き明かされて来てますがこれがどう関わってくるのでしょうか。どこか廃屋のような工場のようなところで椅子に座らされて縛られている。目の前にはおもちゃがあり遠くの方では大人がなにか護身用の凶器を手にしている。なにか揉み合っていて争っているのであろうか。少なくとも犯罪っぽい匂いはするのですがこれがどう今と繋がるんでしょうかねえ。あまりにもギャグに走ってる警察を見てるとそんな深刻な展開にいくとはとても思えませんですが、もしそうなったら「おお~!」ですな。

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パズルその9(PIECE8)

なんか今回はいつもと少し違ってサスペンス劇場の一時間の短縮バージョンを見てる雰囲気でした。中山忍さんががんこお美しかったのでこれはこれで満足しましたけど。

なんていうんでしょうねえ、遊びが少なくて本格ミステリーっぽい感じがしましたです。文字の謎解き連発攻撃は見てて考える間もなくオートで謎の扉が次々に開いて言っちゃうような感じでした。ボケかましを費やした時間が削られてるわけじゃなく冒頭の寿司奪取のせこい事する(桶はちゃんと返したのか?)鮎川とか金儲けの匂いを嗅ぎつけるハイエナ鮎川とかコーヒー(紅茶?)をカップで飲んでる辺りの3人のボケだとか決して減ってる訳じゃないんですがなんとはなしにシリアスっぽい展開に感じてしまいました。やっぱ中山さんに眼が行っちゃってたせいなんでしょうねきっと。かようなサスペンス系のによく出とらしてる中山忍さんですが、こんだけ惹きつける役者力と絵になる容姿の持ち主なのに何故か主役をされてるイメージがないのはこれはこれで謎ではありまする。映画の「短歌」に出てらして、野郎が聞いちゃっていいのかしらんと思えるような素の女性を演じてられてたのが印象に残っとります。映画でもテレビでも主役作品があるなら見てみたいと言い切れますです。

見終わってみればの話しなんですけど、復讐劇ならわざわざ余分(鮎川達)な連中呼び込んで犯行の邪魔になる可能性増やさんでもいいじゃんって思いましたです。多少は犯人さんも予定外の我が身の危険を感じたため目的遂行の為にもしもの時に身を守ってくれるかもという人物を必要としたと考えられはしますけど。「呼ぶんじゃなかった」というセリフは別の意味でそう思えましたです。

引っ掛けが二つあってそれにもたばかられました。ひとつは襲われたと勘違いしたこと。もうひとつは存在していない密室のトリック。効いてましたです。

言葉のトリック連発でしたけど、犯人が仇を集める算段として宝探しを餌に撒いて呼び寄せてる訳なんですが、これが鮎川達が捜し求めていた原稿を具現化したものだったというオチなのですが、三人及び鮎川に文才を有するものはいないんでしょうかねえ。起こった事を文章化すれば話題性も加味されてホントにお宝になるような気がするんですけど。ここまでくるとワザと無駄骨にしてるみたいで、むしろ無駄骨を愉しんでるとしか思えませんです。

石原さんの喚き叫ぶ姿は、さすが「うめ~なあ」と思いましたです。なんと表現すればいいんでしょうか実が入ってるというか上っ面の叫びじゃないというか。単にインパクトがあったというのではなく内面から恐怖感が飛び出てくるようなパニック(壊れる)寸前の迫力がありましたです。それにしてもおめかし服よりも紺色のアディダス白3本線にジーパンという捜査用の制服が一番見慣れて落ち着く今日この頃です。

エンジンが掛かってきた感じですが早や8話終了。全10話ということで残すところ後2話というのはこれからなのにと言う想いはありますです。続編期待するには世論が盛り上がらないと向こうも商売ですから難しいのでしょうが、叶うならばパート2今度は深夜帯か映画でまったりとこの空気感味わいたいところです。私は愉しいですこのドラマ。

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*です

遠州人が改まったような場所で話しをしなくてはならない時、よく付け足す言葉。

基本遠州弁はタメ言葉で敬語らしき目上の人に言うような表現は少ないので、ですます調になればとりあえずはそういうつもりではいるという意思表示にはなる。が、なんかおかしい。

例文

「今日は雨降るですよぉ。」

  (今日は雨が降ると思います。)

遠州弁で普通に言うと「今日は雨振るにい。」又は「今日雨だらあ。」

「私買い行くですよ。」

  (私が買いに行きますから。)

普段だと「わし買い行くでえ。」又は「わしん買いいかすでええって。」

「そうするですとぉなんですわぁ・・」

  (そうしますとですねえあのう・・)

普通だと「そうせっとなんしょやあ」又は「だであれでえ」

言ってて「しまった!丁寧に直さないと」と方向転換するような感じである。こういう感じがなんとなく好きなので自分のブログではこの表現を多用してますです。

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ラスト・フレンズその18(第9話)

恐怖の大魔王宗佑の復活により激動の展開に雪崩れ込んで参りました。最後の方の瑠可VS宗佑の闘いは特に圧巻でした。このことについてああたらこうたぬかすのは野暮というものでしょう。ただひたすら「すげえ!」と感嘆するのみです。思わずゾクゾクっときましたです。

なのでそこ以外の脇道的な感想をば。

*やっぱそうでなくちゃ。

予告編不要論を唱えたんですけど、今回は自分が考えていた意の通りに時間一杯まで本編づくしで堪能できました。次回以降のスケジュールをみると(追記6/8・根拠となったサイトから19・26日の予定が削除されてましたので現在は確証のあるものではなくなりました。ご注意ください。6/10・削除されてたのが復活されてましたので正当と判断されますに変更となります。)

6/12(木) 22:20~23:14 (スタート時間が20分繰り下がります。)※スポーツ番組延長のため

6/19(木) 22:00~23:09 最終話 (15分拡大)

6/26(木) 22:00~23:24 特別編 (30分拡大)

となっておりこれだけ時間を延ばしているということは、じっくり描ききるべきものがあるということなのでしょう。一分でも無駄な時間がもったいないということでしょうから形式的な来週の予告なぞぶっ飛ばしてくれて拍手喝采を送りたい心境です。それに先週の予告でタケルに降りかかるアクシデントを見てしまった興ざめとかがあって、もしあれ見てなかったらもっとあのシーンドキっとしただろうと残念でなりませんでしたし。

引きの画になる度に宗佑の影を感じて宗佑が聞き耳立ててるんじゃないかとドキドキ妄想してしまっていて、まあ今まで取り越し苦労だった訳ですが今回はマジで居まして不意打ちをくらった感がありました。ホラみいやっぱ居たじゃんって。でもこれってホラーじゃないですよねえ確か。十分要素はありますけど。

*それを言っちゃあお終いよ。

なんで警察呼ばないんだという疑問。瀕死の状態のタケル見ればどうみてもありゃあれっきとした傷害じゃないですか。民事じゃなく刑事的要素が強いのではと。これを放置しておけば、これから宗佑の影に怯えて暮らさなきゃいけないのかという憂鬱は至極全うな精神だと思いますです。小倉さんの感情は決して弱虫ではなく普通だと同調しますわ。まあ漫然と耐え忍んでる訳じゃなく警察のお世話になったところでシャバに舞い戻ればまたやらかしそうだからきちんと引導渡しといた方がいいという選択なんでしょうけど。とりあえずは弁護士とかに相談とか警察に被害届とかは出しといた方がいいと思うんですけど。いくらみんな触れられたくない悩みを抱えてるとは言ってもこれはこれそれはそれだと思うのですけんど。それじゃドラマにならない?ごもっとも。こりゃ無粋というもんでした。でも警察とか裁判所とかの公然で正々堂々となんの後ろめたくも無くDVしたことを宗佑がどう他人が納得できる根拠でのたまうのかどうかは見てみたい気はしますです。

*印象に残ったこと

このドラマってどんな時も間が悪いと言うか、なんでそんなタイミングでこんな話し持ち出すんだと見てて思える特徴を感じるんですが、今回はタケルのお姉さんの行動。まあストレートにタケルを含む回りに直接的な影響は与えず中途半端な余韻を残して過ぎ去って行ったのですが。法事の誘いなのにお菓子焼いて(買って?)持ってきたり、美知留の抑止振り払ってシェアハウスの中に入り込むもタケルを起こすことなく帰って行く。しかも玄関のドアを閉めもしないで行ってしまう動揺(興奮?)した有様の不可思議な心理状態。この人も宗佑系の不気味さを漂わせているみたいです。ホント一体全体タケルになにやらかしたんでしょうかねえこの姉さんは。トラウマになるくらい過激な逆お医者さんごっこでもしたんでしょうか。それともチラリと美知留に漏らした冗談の心臓が小さいという冗句。チキンと言う意味の洒落じゃなくマジ話しだったりなんかして。なんかいくらでも詮索できてしまう謎ではあります。これがいつ明かされるんでしょうか。

瑠可は結局タケルの意思の投げ掛けにも拘らずシェアハウスを後にしたようでした。説得は効いたんでしょうが、予定通りアメリカに向かうつもりなんでしょうかねえ。だけれど宗佑復活で計画を一時中断して戻ったってことなんでしょうか。でも瑠可の吹っ切れた印象の快活さが強く感じられましたです。タケルに向かっての表情は美知留も近寄れないくらいの暗雲が吹き飛んだ清々しさを感じさせましたが、それもつかの間タケルが魔の手にかかり美知留にも再び悪夢が襲い掛からんという状態に陥り、眦(まなじり)を決してあの場に向かったわけですが、先週のまでの瑠可の迷走停滞にもどかしさを感じていただけに決して良い方向に向かってる状態という訳ではないのですが祝復活という感じでした。流石にこの後どうなるという状態で終わったのでよかったよかったと単純に喜んで良い話ではないですけど瑠可らしさが戻ってきた感じは見てて気持ちいいのは確かです。

美知留は次のステップ(脱宗佑)に進んでいるのですが、あまり変わってはいない風にとれました。宗佑本体に出会ってもその手を振りほどいて逃げることができたのは次のステップ(呪縛からの解放)になっているのでしょうけど宗佑の足が完治してたらはたしてどうなっていたことやら。あいかわらず非常にやごい(弱い)美知留であります。でもどんな環境でも馴れてしまう順応性は抜群な逞しくもあり、野望の実現などということをせずとも、ほんの小さく微かな幸せすらからも大事に大切と思えることのできる人でもある訳で一番幸せのゴールに近い人なのかもしれません。逆に一番遠いのが瑠可ということになるのでしょうか。

喉元過ぎれば熱さ忘れる。宗佑が病院抜け出したことを知っても特になにもしなかったエリの心情はまさにこんな感じだったのでしょうか。もっとも瑠可がいなくなったことにより相談する相手がいなくなってしまったということもあるんでしょうけど。油断してたって言ってましたけど、ズルズルと不倫しててもいつか日の目が当たると考えてしまう希望的観測で生きてるエリの性格らしい感じがしましたです。今回みたいなとんでもない化け物と対峙するみたいな状況じゃなかったら一番なんにでも朗らかに生きていけそうな人のような気がしましたです。

タケルはあんだけ痛めつけられてせっかく入った映画の仕事どうなっちゃうんでしょうか。なんか気になりましたです。こんなんでペシャったら宗佑に怨みというか禍根が別の意味で生まれる悪循環に陥りそうで。こういう形の不幸の循環は好きくないですわな。非常に現実的ではありますが。美知留のDVで受けた傷が魔法のように跡形も無く忽ち回復してるようにタケルの体も無事仕事に支障がなく復帰できることを願うばかりです。なにやらせても優しくてかっこいいから神様(脚本家)が嫉妬から撥を当てたなんてことはないでしょうなあ。って女神様でしたっけ筋書き作ってたの。女性にだけ厳しいのかと思ったら男子にも容赦ないんですね。

ところで美容室の先輩。先週DVの本漁って(あさって)ましたけど今回は眼おやいて病院にいましたです。しかも加害者であろう男と二人で。美知留との違いはえらく謝り倒してた弱っちい印象の男でした。これが今後どう関わってくるのか。なんも想像がつきませんです。いくらなんでも人の振り見て我が振りなおせではないでしょうに。もうその段階(DVからの脱却)は美知留は越えてる筈ですから。なんなんでしょう。謎です。

それにしても最後のシーンはやっぱ凄いっす。見直しても伝わるパワーが落ちないっす。こりゃ暫く語り草になりそうっす。来週の冒頭どう始まるんでしょうか。パーッと楽しい宴会を省略してしまうくらいのはしょり方するので続き(この場の決着)のシーンもはしょってシェアハウスに傷ついて戻るってのもありなんでしょうか。そう思えるのはタケルのシーンの感覚がこびりついてるからと瑠可には力の暴力では負けても信念では負けて欲しくはないから敗北したとこなど見たくない想いなのかしらむ。でもこんなん(瑠可と宗佑のタイマン)で決着つくはずも無くあくまで正式な宣戦布告でしょうからこれからでしょうに。宣戦布告でこうですからこのあとどうなっちゃうんでしょうねえ。私ザ・テレビジョン買ってるんですけど面白いドラマの場合「あらすじ」は見ないようにする興ざめになるから事前に知っていたくない性質なのでホント来週の木曜日が待ち遠しいです。

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*めめず

みみずのこと。めんめーという言い方もある。

例文1

「たんと釣るにゃあ餌ん何食うでえ。いそめけ?めんめーけ?」

  (沢山釣るには餌は何がいいの?いそめ?それともみみず?)

「食いつきゃなんでもええらあ。」

  (食うならなんでもいいんじゃないの?)

「んなええ頃加減で釣れるだかやあ。」

  (そんないい加減なあ。そんなんで釣れるの?)

「釣れるってえ。嘘だと思うなら試しいやってみいって。」

例文2

「生ゴミうっちゃらんでなんかの箱でめめずがんこ住まわしといたとこに入れときゃええ肥やしんなるって聞いたにい。」

  (生ゴミは捨てないで何かの容器にミミズを住まわしておいて、その中に生ゴミ入れればいい肥料ができるって話しを聞いたよ。)

「あ~聞いたこんあるわあ。なんてったっけか、めめずコンポジット?」

「めめずコンポスト!」

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*どの口でそーゆーだあ

どの口でそう云う事を言うんだ。要は「嘘をつくな」と言う意味であるがそう言い切れるほど狭い意味のものではない

このお調子者!と言う優柔不断をなじる使い方もあるし、自分の都合のいい事ばかり言ってるんじゃないよという意味もある。

例文

「ねえ、お小遣いちょうだい。」

「こないだあげたばっかじゃん。なにゆってるよー。」

「もらったのわしじゃないもん。だでもらっちゃいんでちょうだい。

「あんたねえ。どの口でそーゆーよー。いけしゃあしゃあとよーゆうわあ。じゃあお母さん誰にあげたっつうよお?」

「知らん人。」

「あ~そうゆうこんゆうだあ。じゃあお母さんもあんたなんか知らんやあ。」

「そんなこといわんで。ねえちょうだいやあ。」

「知らん知らん。知らん人にお金せがまれてもやたらくしゃくれちゃかんっつってお母さんばあばに小さい頃から教わってきたもん。」

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いまいちわからん言葉その3「ガスという言葉が輸入される前」

「ガスってる。」といえば「もやがかかっている。」と変換できるけれど。

「有毒ガスが発生してる。」となると「有毒気体が発生してる。」とでも言ったのだろうか。なんか口語っぽくない。瓦斯は明治以降の輸入品だからもう100年以上経過しているので日本語でいいじゃないかという理屈は正論であろうけど。

しかしそれ以前の日本人はなんて呼んでたのかなと。今日も今日とて自分の無知をひけらかし。

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*いもせんに

いないじゃないかと言う意味。

「ない」が「ん」に変わるという遠州弁の変形ルールによって「いもしないに」→「いもしんに」=「いもせんに」という変形とか

「おりもせぬに」とかが変形したとか色々想像できるが定かではない。

実際の発音で「いもぉせんに」と「も」が伸びると言う場合は強調した言い方となる。「(まったく)もう」という憤慨の言葉をかけた感じである。

他の表現としては「いもしんに」・「おりもしんに」・「いんじゃんか」・「おりゃせんじゃん」・「いやへんにい」・「いんじゃねえか」などがある。

「いる」と「おる」の違いは多分共通語と同じだと思われる。

例文

「あそこにいるっつうもんで行っただに、いもせんに。嘘教えちゃかん。」

「あれえいんかったあ?変だやあ。さっきまでおったにい。どこいっちゃっただいやあ。」

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おせん(第七話)

大泉洋さんが出とらしたしょっぱな辺りで「珍品堂」を「返品堂」とボケて渡辺いっけいさんに突っ込まれてたのはアドリブの応酬かそれとも台本どおりの展開なのかが未だに気になる私です。

第七回は、どちらかというとおせんさんがバックアップっぽい感じがしたように思えた回でありました。馴染みかどうかはさておき、板さんが休んでてんてこ舞いのお店を見て見ぬ振りするのもどうかということで手伝ったはいいが「壱升庵」の名が出たことによって意地が立たずとばかりに見栄に火がついて結果自分の尻に火がついたというお話し。

立場が違えば見る眼も違う。

留吉目線。職場における鬱憤があったとはいえ、酔っ払いの「なんだあ」という挑発に若気のいたりでプライドに火がついてならば喰わせて見せやしょうとばかりに腕振るい「どうだ見たか」といわんばかりの勝ち誇り。困ってる人を助けて何が悪いという感覚は理解できますな。料理は食べる人への想いが籠められなくてはならないということを悟ったということで一段上がったかと思いきやオチで直ぐ元に戻ってしまって雨降って地固まるとまではいかなかった様ですが。

清さん目線。腕もないのに壱升庵の看板出して名を貶めるな。ま、当然ですわな。反論の余地ない正論です。ところで清さんのいうけじめとはどういうものだったのでしょうか。腕をあげろということなんでしょうか。いくらなんでもただ単に巨人のユニフォーム着た奴が六大学野球に出るなみたいな出るならユニフォーム脱いでからにしろと言う訳でもなかろうにと。最後許すとこはおせんさんに持ってかれちゃったみたいな格好でしたんでその真意がなんだったのかわかりませんでした。留吉がけじめとして辞めると言い放ったことを聞き「辞めたあ?」と意外に感じてたようですので辞すことがけじめではなさそうでしたけど。謎です。

おせんさん目線。来る者拒まず去るもの追わず。よっちゃんさんの時と同様な態度を取る有言実行のお方でした。珍品堂さんのご注進を承った際清さんが聞いていなければどうしたんでしょう。もみ消しというか不問に臥したのかそれともあとでこっそりなにか告げるのか。いづれにせよ意思は尊重しときながら呼び戻しに行った訳だから、私なんぞは最初っから引きとめりゃ話しややしくならんだろうにと思ったりもするのですが、人間関係も料理と同じで手間かけることを苦にされないようではあります。とろろが看板料理となったのも発案者の板長さんの形見みたいなものであり、今度の未来の看板料理も去り行く留吉の置いてき物なのかとも瞬間思いましたがさすがにそれは冷たかろうてという展開にはなりませんでした。それにしても今回のおせんさんはしゃきしゃきしてました。お化けさんが出るかもとひゃあひゃあ大声立てるとこは役者さんだなあとつくづく思いましたし、留さんを最後許すよう清さんに訴えかける辺りはきびきびされてまして、いつものふにゃ感が影をひそめられてる印象でやんした、へい。

よっちゃんさん目線。抜け駆け出し抜けお手の物要はのし上がった者の勝ちという思想かと思いきや、案外と正々堂々を美徳とする男のようです。しかしホント留さんのいない調理場はえらくくそ忙しそうでした。よっちゃんさんが押しかけてくる前もこうだったんでしょうかねえ。ふと気になりましたです。

結局何がいけない事なのかいまいち曖昧に思えましたです。看板の重みと腕もないのに名をひけらかすなという戒めと、料理人としての心がけを取り違えていることへの反省を促すとかいうのが渾然一体になってるのでしょうけど奥が深すぎて私の知能では具体的に今後何に注意すべきかというのがわかりませんでしたです。ま、小料理屋手伝った時に酔っ払いを適当にあしらっておけば済んだ話なんでしょうけど。この事件をきっかけに成長したかに思えた包丁の技術も元の木阿弥で大笑いという顛末からは結局なんだったんだという気持ちになりますです。

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ラスト・フレンズその17(第8話)

6/3は長澤さんの誕生日。樹里ちゃんの誕生日の時にも触れたのでここでも書かずばなるまいて。ってなことで今回は脱線話しオンリー。

お誕生日おめでとうございますです。鍛錬を重ね内面の充実を図り深みのあるオーラが滲み出てくるような役者さんになられんことをお祈り申し上げます。

有名人さんの誕生日ってもう確実にイベントしてるんだろうなあと思いますです。ましてや作品を作ってる最中ともなればお祝いやお返しでまめったい人でなきゃ勤まらないんだろうなあとぞ想いけり。どこぞでラジオとかのトークなどで清純派のイメージが崩れたみたいな書き方されてましたけど「長澤まさみ」が清純派と称されているのには驚きです。庶民派だとばっか思ってたんで。どこにでもいそうな身近な空気感を醸し出すタイプかと決め込んでたのは私だけだったんでしょうかねえ不安になってきました。もちろん容姿が普通じゃないから観賞に堪えうる訳で実際的には普通の人ではないですけどね。あくまで頭の中がということで。

何を以って庶民派とみなすかなんぞという線引きがある訳でもないのですが、キレイキレイな部分ばかりじゃないものを見せても引いてしまうことが無いということなんでしょかねえ。モデルの世界みたいなアートの空間だと美の追求のために見せてはいけない部分が多いと思うんですけど。「ガンジス河でバタフライ」とかで野外で用を足したりとか「ハタチの恋人」とかで思いっ切り厭ぁな(怒り)顔したりとか決して絵として美しいとはお世辞にもいえないものを提示してもスルーできるところが庶民派っぽいんじゃないのかなと。清純派って思えるのは下手な事言ったらスゲエ怒りそうな感じがするので不用意に男の女性に対する下手な発言とかを受け付けない雰囲気が漂ってるから近づきにくいせいじゃないんでしょうか。人という範疇ではオープンなんでしょうけど。

演ずる上では、樹里ちゃんと比べると明らかに違いが見えてくるんですけど。まず原作マンガのキャラクターを演じた際に、樹里ちゃんはマンガの世界にまずダイブしてそれを生身の人間が動けるようにしてく感じですが。長澤さんはマンガであろうと小説であろうと自分の中で消化して「長澤まさみ」として動いている不動性を感じますです。比率でいけばいい加減ではありますが樹里ちゃんは役90%「上野樹里」10%ってな感じで長澤さんはその逆みたいに感じますです。いい悪いのはなしではなくてそう言うスタイルじゃないのかなと勝手に解釈してるだけです。大変さは同じでしょうから。樹里ちゃんは「上野樹里」の意識を如何に消すかという無我の境地に達するみたいな一気に無心で走る短距離ランナー的な難しさ。長澤さんは「長澤まさみ」を表に出す以上御本人そのものが人として深い存在でありえるかと言う自己研鑽の積み重ねと言う意味で長距離ランナー的な心技体のバランスが。どっちにしてもお二人とも20代前半。役者さんのピークは30代だと私は思ってるので、まだまだ時間はありますから未完成さがあるのでしょう今は。それを長い眼で見て行きたいものです。

他には、このドラマに関してという条件の中ですけど、樹里ちゃんは周りに影響されることが少なく自身の役にのめりこんで突っ走る走破感が魅力ですが、長澤さんの場合は全体の空気雰囲気を読んで自分をアジャスト(調整)してく妙を感じますです。樹里ちゃんは時には破壊者となってでも展開を変えてしまう力強さがあり、長澤さんは逆に守り育む包容力があるんじゃないかと。したがって樹里ちゃんが動くことによって展開が動くときは見ていて爽快感があり、長澤さんが動くことによって展開が破綻せずに安定に向かう落ち着き感が生じますです。そういう意味では樹里ちゃんが悩み苦しみ停滞してたドラマの中盤には爽快感はあまり感じられませんでした。長澤さんに関してはこのドラマでは今のところ皆に守られる最弱キャラ設定ですので(最後には変身されるやもしれませぬが)、抑えてる部分の方が多く今のところ「長澤まさみ」はかくあらんなどと講釈たれる状況にないのですが、暴走列車の如き樹里ちゃんにどうアジャストしていってるのかが興味を持って観てる感じです。猛獣使いということでは瑛太さんという絶好のお手本がおられるのですからそれを吸収されてるのでしょうか。いづれにせよ「長澤は何をやっても長澤」という褒め言葉に邁進するためには、演じていない自身の内面の蓄積が「長澤まさみ」を輝かせる要素なのでしょうから周りに振り回されず色んなものを吸収して生きるということが大切なことでありましょう。そういう意味では形や研鑽の場所・手法は違えど樹里ちゃんと一緒ということでしょうか。樹里ちゃんは現場が勝負。長澤さんは現場に至るまでが勝負。合うか合わないかは知らねど。

結構恒に緊張感のある雰囲気を醸し出して重量感を感じるイメージのドラマですが8話ともなるとこの空間に馴れてきましたです。もっとも私があの場に放り込まれたら息が詰まって居れたもんじゃないですけど。

エンディングの予想。外して恥ずしてもてめえの庭での酔狂ゆえまあいいか。

誰かが美知留を迎えにくるんじゃないのかなと。それが瑠可かタケルか宗佑かは不明だけど。なんかそれががんこなハッピイエンドに思えてきましたです。

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*やあ、おめえなにやってるだあこんなとこでえ。

「おお!意外なところで会ったなあ随分と久し振りじゃないか。」という久し振りとか意外なところでであったときに発する挨拶言葉。

この後に続く言葉は「今なにやってるよー。」(今なに〔仕事とか〕してるの?)とかがある。言い合ってる同士は挨拶として発しているのだが、遠州弁を知らない人だといきなり口喧嘩が始まったみたいにとれるらしい。

随分前だが東京駅で高校の時の同級生に何年か振りに出くわしてこの挨拶をしたら周りの都会人に何故か警戒された経験がある。

直訳すると確かに「お前は何してるんだ!」と言うような言葉であるがれっきとした挨拶の言葉である。「お前は何してるんだ」と言う場合には「やあおめえ、なにしてるだあ馬鹿っつら。」とかになる。

尚、女性言葉の場合には「うっそーあんたあなにやってるよーこんなとこでえ。」とかいう風になる。

例文

「やあおめえなにやってるだあこんなとこでえ。」

  (おお久し振り。)

「おおそっちこそなにやってるだあ。」

  (いやあホント久し振りだねえ。)

「今日コンサート観い行くもんで来ただよお。そっちわあ。」

  (今日はコンサートを観に行くところなんだ。そっちは?)

「わし、通勤の帰りでえ。こっち就職したもんでえ。」

  (私は会社終わって帰るとこ。こっちに就職したんだ。)

「ほんとにい。随分やあっとかぶりじゃんかあ。変わりもせんでえ。」

  (あ、そうなんだ。随分と久し振りでだねえ。変わりなく元気そうで。)

「そっちも変わらんなあ。」

注、共通語訳は直訳ではなくニュアンスを訳したものであるのであしからず。

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*浜松ついこないだの昔話14

昭和の最後辺りのお話し。その時分私は街中(まちなか)のとある所を職場としていてしかも土日すらも交代で仕事に来ていた決して普通とは呼べない曜日感覚の生き方をしていた。

詳しい記憶は時間の経過という藪の中なので分け入りながらのお話しなので曖昧模糊とした事実と離れた記述になるやもしれぬが創作のつもりではありませんあくまで実際の体験の思い起しですのであしからず。

日曜日。新川公園という公園とは名ばかりの小さなスペースがあった。極めて昭和的な護岸工事によってコンクリートに囲われて用水路にしか見えない新川という川の上にコンクリートの蓋をして広場としてた。そこには大東亜戦争時の苛烈な空襲や艦砲射撃にも耐え抜き逞しく生き抜いた「市民の木」と呼ばれた見事な枝ぶりのプラタナスの木が植わってた。川の上に木が生える筈もなくどこぞから立ち退きを喰らってここに移り住んだのであろう。新川は自然の川であるが街中を流れる時はどぶと化し幾ばくかの異臭を放ちて馬込川へと合流して行く。

川に生き物が棲めることが奇跡ながらも、下流から迷い込んだ亀が苦しそうに頭をもたげて息をしてる姿を橋の袂(たもと)から見かけたことがある。その身の不幸を哀れに思う気持ちとそれでも生きてる逞しさとが入り混じって生臭い匂いに包まれながらも暫く見やっていた。無神経な大人でさえ見つけれたのだから好奇心の欲に取り付かれてる子供に気づかれない訳がなく、私が立ち去ろうとした時分にはそれを捕んまそうとしてるガキ共が獲物を見つけたかのようにコンクリートに覆われた川辺に下りていって行く様が見えた。彼らがその被害者をどうするのか多少興味が無い訳ではなかったが自分の小さい頃獲物をどうしてたか思い出して悪いようにはしないだろうと勝手に想像してその興味を打ち消し夏の暑い日差しを避けて市民の木の木陰でハンケチで汗を拭いながら一休みしてる人を横目に立ち去った。

休日になると新川公園でフォークギター抱えて聞いた事もない多分オリジナルであろう曲を音割れ寸前くらいのスピーカーの音量で演奏してた集団をよく見かけた。別に良いと思ったらおあし頂戴という生活の糧を得んが為の作業ではなく、ただただ自分達の作った世界を聞いて欲しい、あわよくば感動協調して欲しいというパフォーマンス集団だったような記憶。プロとは程遠い話術と演奏。たまあにそれに便乗してなのか場所取りに先越されたのか宗教のビラ巻き集団がやって来たりもしてた。どういう曲かはキレイさっぱり忘却の彼方の飛んで行ってしまってるが多分「平和」がキーワードっぽかったようなイメージが残ってる。その後この輪が大きく膨らんだという話しは聞いた事はないのでそう言う感じのレベル(あくまで楽曲が)ということで想像して貰えばほぼ間違いない。数人が足を止めていたりもしてここは生活の場ではなく街(消費の場)だというインパクトづけは確かにあった。それでも最初から最後まで聞く熱心な人はそうはおらず行き交う人の中で行われてた。多分全て我慢強く聞いてたのは市民の木くらいなものだったであろうか。

歩行者天国という都会のイベントに触発されて、松菱から西武までの大通りを歩行者に開放するとかしてた頃。ブラスバンド(マーチングバンド)の行進パレードが行われてた時期もあったっけ。ヤマハとか吹奏楽ということなら浜商とかが有名で、他にも色んなチームが存在してる。それらのチームがパレードするのだがこの迫力は結構なお手前できちんと感動出来た。陽気なアメリカ人がパレードが好きというのもわかる気がするくらい気分が高揚するものである。西武前からスタートし松菱か郵便局前辺りまでをパレードして新川公園で道具を終って解散という段取りが多かった記憶がある。演奏し終わって歓談する上気した輪を市民の木は眺めていたんだろうなと思う。イベントとしては華があって私は好きなのだがいつの間にか執り行われなくなった。

アクトができてからは、風に乗ってエレキギターの掻き鳴らすリズムが流れてきて人の流れは駅周辺からアクト辺りと東に移動し始めた。追い討ちをかけるように松菱がこけて西武も引いて流れが変わった。ザザができる辺りからは職場の異動で街を徘徊することもなくなり傍観者たりえなくなってしまったが今街はどうなっているんだろうか。平日のお昼辺りだと板屋町付近には学生らしき若者が湧いて出てきたみたいに溢れてるけど、少なくとも彼らは消費の為に街を闊歩してはいない。日常の生活から離れた「街」というイメージはもうスクリーンやゲームの画面の中にしか存在しないのだろうか。そこを歩くだけで普段から離脱できるような環境は煙草の吸殻すら見かけない綺麗さが備わったとしても浜松の街には私では見つけられなくなってきている。無論歳食って憧れに対して鈍くなったせいではあろうが。少なくとも目的もなくともとにかく街にいれば遊びとして楽しいという暇人は少なくなり目的地に向かってせっせと歩いてる人が大勢になってることは確かであろう。

新川公園にあった市民の木は赤電の高架によって又再びの立ち退きを喰らって今はひっそりと郊外で余生を暮らしているそうな。街で育った市民の木に聞けばそれぞれの時代、人々がなにしに行き来したのか教えてくれそうな気がする。人そのものが変わったのかそれとも箱が対応できていないだけで人そのものはなんにも変わっていないものなのか。もっともしょっちゅう立ち退き喰らってるからちんぷりかあって口きいてくれんかもしんないけど。今が安住の地にならんことを祈るばかりです。

因みに「浜松 市民の木」で検索すればどういう木なのか写真付で解説されてるサイトがありますです。

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*バカバカとだかだか

いずれも「どんどん」というニュアンスを表現する言葉。他には「だあだあ」・「うしょうしょ」・「ずばずば」・「うはうは」など挙げたらキリがないくらい存在している。もちろん方言というのではないが遠州弁はこういう表現を非常に多用するということで。

こういう景気のいい言葉はいくらあっても困るものではなくむしろ喜ばしい言葉ではあろうて。まあ「だあだあ」は漏れるイメージがあるので嬉しかないけど。

例文

「やあ最近馬鹿調子ええやあ。」

「なんでえウショウショけえ。」

「こないだまでダアダアだったけど。最近よーやっとウハウハでえ。」

「読みがバカバカ当たるだけえ。」

「やることみなさらスパスパええ方向くだよ。」

「勘冴えまくりってか。」

「ツキじゃあらすけえ。理論でズバズバよー。」

「じゃ財布パンパンだか。」

「それがそうでもないだわ。要り用多くてダカダカ出てくわ。右から左でえの。」

「悪銭身につかずってか。」

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JALのcm

昨日の怒涛の録画をせっせと整理してる中に、相武さんが出とらしたJALの先得キャンペーンcmがあった。丸で地引網やってるような意外なものが獲れたという感じではあるがとにもかくにもゲットした次第。

近くに空港がある地域にお住まいの方にとっては当たり前のcmやもしれねど静岡県で航空会社のcm見たのは初めてでびつくりの領域に属するくらいなのです。まあ私のテレビ依存率の少なさから来る勉強不足のせいかもしれませんけど。空港は自衛隊基地があるくらいなんでcm流してもメリットがないんでしょうね。

こういうcmがあるのは、cm雑誌とか愛知県のテレビcmで流れてるのは確認して存在は知っていたのですが静岡県でも流すと言うのは、やはり今度空港が出来ると言う絡みなんでしょうねおそらくは。

そういう意味ではcm好きな者としては空港が出来るメリットがある訳ですが、未だに空港建設については賛否両論ありでうかつに礼賛したり不要論ぶったりすれば火のつく話しです。現実的には開港に向けて進んでますが、遠出に興味も都合もない私としては「儲かるんですかねえ?」といぶかる程度で環境破壊を危惧はしながらも「なるようにしかならんらあ」感情もちらほらともある見学者的立場であります。無論浜松の市の中心部のドーナッツ化現象を解消できない行政とかを間近で見てますから県(行政)のやることが全て正しいなぞとは思いませんですけど。

難しい話しはともかく、とにかく今後完全地デジになれば愛知のテレビが見れなくなるのですから、実質チャンネル数が減る形になりcmゲット率が下がることが予想されますので愛知のテレビに頼らずとも見れるcmが増えて欲しいところではあります。その為には色んな企業が静岡県に眼を向けて欲しいものですが、さすがにNTT東日本とかガス・パッ・チョ!とかは無理なんだろうなあ。

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道楽で忙しかった一日

昨日はもうホント大変なんすからってな勢いで一日中テレビ道楽三昧でおました。で、今日はそのツケというかDVD焼いたり編集したりと整理の合間に記事書いてる次第で。普段はテレビドラマとニュースくらいで2時間ほどでしょうかねえ平均すると。でも昨日は録画したの全うに全部見ると12時間越しちゃう勢いで。

とにかく朝から(午前中から)録画しっぱなしでもう観てる暇なく次から次と追いまくられる感じでした。大体が人間いくら休日で一日中テレビ桟敷と謳ったところで集中できるのはせいぜい2~3時間が関の山じゃないですか。あとは惰性というか見てるだけ~でしょうに。それにハードディスクの残量一杯一杯でDVDに焼くか削除にせるかの決断もしていかなくちゃいけないという普段不精のツケもあるしっとな。

ってなことで真剣に観たのとまだ観てないのと流して見たのとかがゴチャとあり、翌日たる今日もその余韻ならぬ余波を受けつつ今に至るという感じ。何を録画したかは以下の通り。

06:00・めざましどようび

 起きてない。後でとりあえずニュースと映画情報とかのチェックで殆ど早回し状態で見ました。

09:30~08:30・王様のブランチ

  本(及び作家さん)の紹介と映画情報のチェックで。そこはちゃんと観ましたがそれ以外はほぼスキップしました。因みに静岡県のブランチは11:45で終了してますです。午後の部はBSなら見れますがそこまで見ることはしてません。

10:30~11:30・私と家族と湖と

  日本一と称される(水質汚染度で)佐鳴湖にまつわる内容と言うことで、これはきちんと観ようと思ってまだ観てませんです。

11:45~12:00・倶楽部クマキリ

  くまきりあさ美さんがかましてくれる15分で、静岡県内を色んなとこでロケしながらハマカーンさん達と繰り広げられる珍道中という趣の番組です。綿密な打ち合わせをして作りこまれたものではなくロケ地にポンと放り投げで素材を愉しむ感じの作りなので、当たり外れというか面白い時とそうでない時の振幅が大きいのですが、当たった時は得した気分になるし、わずか15分だからはずれても時間損したと感じないので昼飯前の腹ごなし的な感覚でいつも見てますです。ただし腹ごなしといっても料理見てということではなく笑って目と腹を覚ますみたいなことです。ちなみに最近では桜海老の回で「ご主人様~」と、のたまった辺りが当たりでした私的には。まあ基本はいつもまったりですけど。

11:59~12:55・テレ静通りパロパロ

 地方の情報番組です。普段は見ないんですけど映画情報を求めて。これは録画せず飯食いながら見てました。生出演ではなく録画出演でしたけど、徳一の恋、1000円。どうなるんでしょうか。両国国技館でイベントしたりこんな地方局にまでサービス(マッサージ)付のインタビューに応じたりの献身的なプロモーション活動が功を奏するのでしょうか。僕の彼女はサイボーグで綾瀬さんも出とらした。この方もまめです。最近テレビ出ずっぱりじゃないですか。思うんですけど、各地に廻るなら、単純に集客という話しなら初日以降に各地方の映画館を廻って舞台挨拶したほうがイベントとして成立すると思うのですが、いざ蓋が開いたら映画は内容でのみ勝負すべきものと言う意地があるんでしょうか、初日挨拶でピタリと止まるシステムが良く分かりませんことです。

昼は流石にあれやこれやとハードディスクの整理やらでテレビ桟敷にはおりませんでした。

19:00~19:57・IQサプリ

 飯食いながらで録画せず見とりました。三谷幸喜さんが出とらしたんで。これもマジックアワーに合わせてのプロモーション活動でしょうけど。役者さんよりも多くテレビで宣伝される監督さんって特異ですよねえ。

19:30~20:00・オトコマエ!

 先週辺りからドラマの感想書いてないんですけど見放した訳ではありませんで、一応観とりますです。

19:57~20:54・めちゃイケ

 オトコマエ!が終わってからなので20:00から録画機回しましたが一応見てました。普段絶対観ないんですがマジックアワーの番宣で佐藤さんと妻夫木さんが出るみたいということでチェック入れることにしましたです。そしたら禁煙を茶化したようなお話しが面白くてつい見てました。もう完全に自虐ネタですよね。それに高島アナさんがやけに精気がないような白っぽいお顔されてて大丈夫?この人働き過ぎなんじゃない?と不健康に思いを馳せながらながら見てましたです。

21:00~21:00・トップセールス

 トップセールスは所長さんが亡くなられてから気が抜けてしまって見てるだけ状態です。最後あたりで大きな壁に突き当たった時に所長さんの言葉を思い出して初心忘るべからずの精神で気持ちを奮い立たせる辺りが印象的でした。このドラマのもうひとつの売りである高校の時からの変わらぬ友情というのもあるんですけど卒業とほぼ同時にぷっつりと切れた私には、社長まで登りつめておきながら一営業マンに戻るというのと同じくらい幻想的なお話しでした。

21:00~23:30・県庁の星

 県庁の星はまあ映画館でも観てるんで録画だけしとこうと言う意識で、見直して新たな面が見えたらば感想書こうかなあという領域です。

23:30~00:15・ハチワンダイバー

 結局今日ガン見したのはトップセールスとこのドラマと後につづく映画。残りはチェック程度ということで。ところでこのドラマ弾けるような開放感がなくとても閉鎖的な籠もる印象を受けるドラマなんですが、終わりが見えないのと内面の葛藤に終始してるせいなのでしょうか。出てくる登場人物マンガから飛び出てきたような超個性的な面々ばかりできちんと弾けてるし、最近にしては珍しく汗と涙を効果的に使う作品で暑苦しい筈なんですが。何故か登場人物とともに自分も熱くなると言うことの無い不思議なテイストを感じますです。斬新な映像を愛でると言う手もあって見所はたんとあるんですけど若干突き放されてる感を抱きますです。あまり将棋に興味が無い私のせいなんでしょうけどおいてけぼりを食らってる気がしますです。まあもっと突き抜けてしまえば(主人公みたいにダイブしちゃえば)色々と読めてきて快感を得られるのかもしれませんが。

00:30~01:25・ZARD坂井泉水の永遠の今

 ZARDの曲は好きです。音楽趣味で実際にやってる知人に言わせると「歌謡曲」と言い切って歯牙にもかけない人もいますけど、生理的に声が好きで楽曲云々じゃない理由なので「ハハハハ、キツイねえ」くらいしか反論しないのですがとにかく良く聴いてますですハイ。の、番組なのでチェックしとこうと思い立ったんですが録画だけでまだ見てないです。オープニングでコンサートの模様が写されていて見る気が若干失せたもんで。なんでしょうねえコンサートとかつるんでというか大勢で聴くイメージがないんですわ。静かに聴きたいと言うか一対一で対面する感覚なんで。自分の擁護になりますけど別に坂井さんに惹かれる訳ではないんです、ただ声に惹かれるのです。なんで不遜かもしれませんが生き死にに関わらずCDが残ってる限りいつでも聴けるのでそういう意味じゃ不滅なんで嘆き惜しむ気持ちは強く持ちませんです。悼む心はありますですよもちろん。色んな主題歌でタイアップされて時代の寵児みたいな扱われ方もされますが、詩の内容は不変な色あせない部分があり、カーペンターズみたいなものでリアルな時にはやれ古いだのとけちょんと言われても結局は時代を経ても生き残っているのと同じようにZARDの曲も生き残っていくんじゃないかと思うとりますです。個人的には「心を開いて」と「息もできない」と「目覚めた朝は」をよー聴いとりますです。

01:55~03:56・鮫肌男と桃尻女

これはいい!初めて観るのですがもう引き込まれっぱなしでぐいぐいですわ。4時近くまで一気でしたです。また新たに感想書くとして、日本の映画はこうでなくちゃと思えた作品でした。寝るつもりで最初だけ見るつもりでいたんですが結局最後まで観ちゃいました。しかも深夜なのに音量上げて。

時間不明・死者の学園祭

なんかスポーツ番組の時間延長の余波を受けてずれ込みが激しいのと鮫肌ワールドにのめり込んでてでもうどうでもよくなっちゃってとりあえず録画子一時間多めに回しとけという仕儀に相成り申した。無事最後まで録れてるのかまだ確認すらしてませんが裏番組がバケモノだったということで。けっしてこの映画を軽く見てるつもりはなくて、もうハードな1日でがんこ疲れたんで。

日曜というのに映画館にも行かず引き篭もる理由は今日のところはかくなる理由でありますが「鮫肌~」ががんこ良かったです。

     

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*めえん

見えん(見えない)と言う意味。

見えたは「めえた」。見たを「めた」とは言わない。見えなくてもは「めえすとも・めえんでも」。見なくてもは「みんでも」が普通であるが「めんでも」とも言う人もいる。

例文

「わしそれ目がちょんだでよーめえん。」

  (自分その字眼が悪いから良く見えない。)

「眼鏡すりゃあええじゃん。はあ若かあないだで。」

  (眼鏡かければいいじゃないか。もう若くないんだから。)

「老眼鏡って勇気いるだにい。」

  (老眼鏡かけるのって勇気がいるんだよ。)

「傍目気にせる柄じゃありもしんに。なにこいてるよー。」

  (周りの目を気にする柄じゃないだろうに。なにいってんだか。)

「まあええよ。ちっとばかめえんでもなんとかなるでえ。」

  (まあいいさ。少しくらい見えなくてもなんとかなるから。)

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