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パズルその9(PIECE7)

今回の素朴な疑問。眼鏡は?伊達だったのか?日帰りのつもりだったのかお決まりの重そうなトランクは今回無し?学校の授業では眼鏡してたけど職員室ではしてなんだ。先週までは学校にいるときゃしてたのにねということ。

この回は兎にも角にも風間杜夫さんありきの展開でした。落語家としての喋りも達者で尚且つ重要な人物としての謎めいた存在のお芝居と、両方兼ね備えておらるる方はそうはおりませんでしょう。私の記憶が確かなら風間さんは実際に落語での寄席ご出演をばなされておられる玄人はだしのお方。さもありなんという感じです。下手うったら自分も危ないという緊張感があって、しかも人が死んだのに落語を続ける異様さも腹に一物の覚悟が見えたりして。

ネタバレもへったくれも無いですけど、犯行を為すにおいて芸で人を操ることが出来なくてはならぬことになっており、観てる方が確かにと相槌打てるくらいに一席ぶってもらわないと非常に嘘くさいお話しになってしまいますから。今回の重要なポイントで饅頭食べたくなる・お茶をすすりたくなるという落語のテクニック、風間さん本気で上手いなあとぞ思いけり。あえて不満を述べればもうちょっと落語をみたかったなあと。

「パズル」基本は密室というか限られたエリアで知恵比べ。携帯はNG。私なんかなんとも思わないのですが、携帯当然で生活してる世代からすればどう思えるんでしょうかねえ気になるところです。でも良く練られた展開で頭が爆ぜそうなくらい上手い具合に入り乱れていて何度か見直さないと感想書けませんでした。勘違いというか見事に騙されて観てたものですから、それぞれの思惑を知った上でここで騙されたのかぁとかチェックしとかないと訳わからない文章になりそうで。そう思って観てみると色々と矛盾にならぬような配慮が垣間見られてすげえなあと感じましたです。一之助兄さんがなんかあると高座に座って喋るとことか。

お話しを整理してみると、立場の異なるもの約4種類。ひとつは復讐せんがためのもの。ひとつは目的を達成せんがためのもの。ひとつは落語を聴きに来たもの。ひとつは証人にされんとするもの。

師匠を殺してまで欲しかった宝であるがいざ手に入れたら分配しようがない使えるものはただ一人と言う代物。必然的に使用を巡って争いが起きてしまう。そんな時に聴けば死人が出ると言う呪いのこもった落語を披露すると言う話しが湧いて出てくる。これ幸いにとライバルの殺害を謀るサバイバルという事件。これは目的を達成せんがためのもののお話し。

師匠の死は自殺ではなく殺されたのだとて、師匠の無念を晴らさんがために立ち上がらんと仇討ち相手をこの場にと呼び込んで一世一代の仕掛け落語を返り血を浴びようとも放つ覚悟にてこの場に臨み見事本懐を遂げると言うお話し。

犯人というか殺人者が幾人も存在してるからややこしい話しで、展開としては面白かったのですが、鮎川達は為す術なく単なる現場にいた証人という位置で若干かすんだ存在の内容に思えましたです。

結局誰が犯人かと言ったら自業自得のお宝泥棒だったというオチでおあとがよろしいかと。

疑問

今村と神崎を誰が何故襲い幽閉したのか。毒草を知られたからといってどうなるわけでもあるまいに。っていうかあそこだけなんで鉄格子されてなかったのか。強引に考えれば毒草を摘みにいかなくてはならなかったから?だけど潰して乾燥させて粉状にするのに時間掛かる筈だから一日でどうなるわけでもないだろうにねえと思っちゃうわけですよ。いずれにせよ殺されなかったとこみると一人殺すも二人殺すもおんなじの一之助さんじゃあなさそうな気はしてますけど、ドラマの展開的に二人が忽然と消えなければならない効果と理由が理解できていない私でありますです。

それにしてもゲスト毎回豪華です。今回は鮎川達は振り回される一方の役でしたがその分お馬鹿なシーンが印象に残ってこういうのもアリで楽しめなくもないなと思いましたです。最後いつもは無駄に貴重な休みを費やしてしまったと生徒追いまくるシーンも天に向かって咆哮するってのも今回なんにも出来なかったってのを表現してるみたいで。この回は特別だったんでしょうか。冷静に考えれば「石原さとみ」に親爺ギャグや小噺させたり、階段昇ってあ~しんどと腰叩いたりの演出してるんだからこのパズルというドラマは「石原さとみ史」の中で異彩を放つ珍品かもしれませんですな。それともこれが評価されてコメディエンヌとしての道が開けるのでしょうか。私テレビドラマのDVDを買うなんてマネはトリックと優しい時間とかほんの少々で滅多に買わないんですが、「パズル」は買いそうな感じはしてますです。そん時は映像特典豪華よりもディレクターズカットみたいなので長めの作品にして出してくれるとありがたいんですけどね。1時間という制約がドラマの面白さを削ってるんじゃないかと思ってるんで。

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*ひんしょったい

貧しょったい。貧乏臭い・みすぼらしいと言う意味。「ぶしょったい」(不精ったい)とよく似た使い方の言葉。それだけに「ひんしょったい上にどぶしょったい」(貧乏臭い上に格好悪い)となるとどんびき状態このうえないということになる。

例文

「あんたがそれ着るとなんかひんしょったいやあ。なんでかねえ。」

「悪かったねえひんしょったくてぇ。」

「いつもど派手なもんばっか着てるもんだで、そーゆう地味なのらしくない風に見えるだかいやあ。」

「悪かったねえ派手好きでえ。」

「それとも顔ん派手だもんでえ、服ん地味だとおかしくなるだかいやあ。」

「失礼こいちゃうやあ。あんたねえ、喧嘩売ってるだか?しまいにゃ怒るにい。」

あくまで親子のような関係性での会話。知人隣人に向かってこんな事言えば人間関係が崩れるのは言うまでも無い。

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ラスト・フレンズその16(第8話)

来週の予告編は見たけれどここは見なかったこととして。っていうかその時間宇多田さんの歌とかきちんと流すエンディングにすればいいのにと思えなくも無いし、余韻を感じさせてくれよと言う感じです。予告見てるとなにか追いまくられてるみたいで。まるで映画館で余韻に浸りたいのにエンドクレジット流れてるのに無粋にも出てく奴らの騒々しさについ怒れるような感覚ですわいな。いつから予告編は不変になったんでしょうか。なくてもいいドラマもあると思うんですが。

展開が目まぐるしく動いたように思えた回でありました。ターミネーター宗佑はやはり不死身でしかも不変。切々と絶対の愛を自らに言い聞かせるかのように延々と書き綴った手紙が不気味でもありました。それを託したのがエリというのもドラマじゃないかというくらいでした。ま、ドラマですけどね。不倫と言う絶対の対極の愛にさいなまれている人間に託せば、羨望の念にかられても無理からぬ事なのかなと思いましたです。瑠可が読んだ時の反応が普通でしょう冷静に鑑みれば。そんなものに心が揺り動かされるエリはボディーブローのようにしんどさが増していて傍目で見ている以上に精神が疲れてるのかなと思えましたです。しかもタケルとの一件で女性としての魅力というものにも不安を抱くというカウンターもどきも食らっているようで。しかも友である瑠可までもが去ろうとしている。今まで生きてきた自信というものが侵食していくかのようなエリに見えましたでした。直接的な対外からの抑圧が襲い掛からなくとも自身が変わることなくとも外堀を徐々に埋められて侵食されてるような感じでした。こういう時に優しい言葉かけられたらくらっときちゃうんだろうなあと思えるんですが残念ながら観てるだけの私には声掛ける術がないのがホント残念無念。

タケルは相変わらずヤッベーと想いつつも前向きに物事を改善しようとしてるようでしたが、流石に瑠可が出てくという報に接した時は「俺のせいか?」と思ったことでしょう。それでも素直に認めない自分がいたようで美知留が「どうして?」と問うた時「わからない。」と答えてました。嘘つけと思いましたが弱みは人に見せないのが信条なんだろうなあと推察いたしましたです。その後の行動として茫然自失とする様から直に瑠可に自分のせいと言う引け目からか強い押しで言い切れず、モトクロス練習場に向かう搦め手の行動に出てましたけど、なにしに行ったのかいまいち理解しにくい部分がありましたです。なんちゃって恋人さんに何とかして貰おうかと願いに行ったのか、なんちゃって恋人さんの意向によるものか確かめに行ったのか。ホントにそういう環境が必要なのか調べに行ったのか。いくらなんでもそこで瑠可を掴まえてなんとか説得しようと思った訳じゃあなさそうですが私には目的が良く分からない行動でありましたです。まあそこで中傷ビラを発掘し、その前にエリのパソコン覗いちゃった一件からの推測とが重なったことが、置手紙を読む前の心の準備が出来た突然の告白にならずに済んだという結果に結びついた訳で無駄な行動ということではなかったのですけど。ドラマみたいと思ったのは置手紙読んでから猛然と飛び出して瑠可を探しに行くとこでよくあんなタイミングで掴まえられたよなあっていうか良く場所が分かったなあと。まあドラマですけど。お約束の展開でしたけど、でもやっぱよかったですわ。こういう時は意外性よりも絶対的な方程式の方が屁理屈抜きで安心できますです。

先週の行動が迷走としか映らなかった瑠可でしたが、その答えらしきものが映っていたようでした。タケルを避けるがあまりの行動と判断してたんですが、「欲が出た。ホントの自分を表わして嫌われたくない。」という言葉から読み取れるものはタケルからの離脱という趣旨ではなかったということ。もしかしたら理解してくれるかもと思った最後の綱を失いたくないゆえに選んだ道がオールリセットということなんでしょうか。でも、肝心の最愛の美知留との共存を放棄しての行動としての説得力には欠ける感じがしますです。「一生面倒見てられない。」発言は望みの裏返しなんでしょうから未練たらたらでしょうに。海外渡って男として出直して再び美知留の前に今度こそ正々堂々と現われようという野望があるのかもしれませんけど、はたしてそこまで考えての行動なんでしょうかねえ。あれだけ慌ただしく出て行く様からは逃避にしか見えませんです。お医者さんも言わしゃってたように「性同一性障害ではなく性別違和症候群と判断される」状態であるならばタケルへの想いに女性としての部分が含まれているんじゃないかと勘繰る次第であります。前にも書きましたけど「私の美知留にさわんな!」のシーン野郎だったら宗佑に向かうのが自然ですけど美知留を庇いに入りましたからやはり100%男ではないと想像されますです。余計なお世話ですが性転換手術をしたら不幸になるような気が私はしますですハイ。いずれにせよ今回の最後のシーンは泣き顔ですけど安堵した瑠可の表情に観えて良かったねと素直に思えましたです。

それにしてもなんでも現実を受け入れてしまう美知留は観てて歯がゆいところがありますです。だからこそ宗佑につけこまれるんでしょうけど。兎にも角にも誰かが傍にいてくれないと生きていけない美知留というのはよく表われてますです。こういう人が海辺の静かな町で一人で暮らそうと決意する強い人間にこれからどうやって変わっていくのかが興味のあるところです。脱線しますが「あたしも一緒に行きたい」と言ったら瑠可はどう応えたんでしょうか。やっぱ拒否したんでしょうかねえ。話し戻して、最後にタケルと瑠可が分かり合える関係を構築した初めての瞬間というものを美知留が目撃しなければならなかった必要性が今後の展開の綾なんでしょうね多分。この二人の為に何かしようと云う考えに至るのでしょうか。それともう過去の知り合いかと思われた美容室の先輩との関わりもどう繋がっていくんでしょうか。意味もなく登場する筈もなし。ドラマの当初の助けてと願うと飛んできてくれた瑠可のパワーも最近薄くなってきていて自分の道は自分で切り開いていかないといけない状態に近づきつつあるのは確かなようですけど。

これで瑠可はシェアハウスに戻るのか初志貫徹でやっぱり一人暮らし始めるのか。宗佑は病院抜け出してなにやらかすのか。タケルは瑠可に自分の心の傷を打ち明けるのか。迫ってきたエリにも言わないことを美知留に言う訳無いですよねえ普通は。案外先が読めない展開で引っ張るドラマのようでもありますです。テーマが重いのどうのと言う向きもあるようですが、何でこんな時にというタイミングの綾とかが複雑に入り組んでる部分と今回のような直球勝負の部分とが上手く合わさってて引きずられるドラマだと思いますです。宗佑の狂気も不気味でホラー的要素もあるのかしらむ。ま、これは役者力によるものでしょうけど。

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ぽんぽんとばたばたの違い

遠州弁では両方ともバイクのことを指すと云う事になっている。では、その違いについては?

これについては個人差というか解釈が人それぞれであるので、私の感覚を説明することとする。

ぽんぽん。基本音のまんまであり、小型のエンジンが回る音からついた呼び名。したがって小排気量の車両のことを指す。カブとかスクーターをそう呼んでいた。余談だがぽんぽん菓子というのが昔巡回で売りに来てた業者とかが存在していてその機械の音がぽんぽんという音でもあった。

ばたばた。聞こえてくる音が軽快なものではなく、力がありそうな印象を受ける。したがって重量のある車両を動かせるための大型エンジンを搭載したものを指す。陸王とかハーレーみたいな車両。実はバイクに限らず、自動車のビートルの水平対抗エンジンも同様な音がするので小さい頃はカブトムシもばたばたと呼んでいた記憶がある。

今の高回転で回るエンジンとは異なるので今のバイクの音を聴いて当時を偲ぶことは無理である。なにしろ信号待ちとか低速になるとよー止まる(エンストする)くらいの危なっかしい回転数だった頃の話なのだから。

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いまいちわからん言葉その2「1カ国と1ヶ国」

1箇所を1ヶ所と書くのが普通と思ってた。1ヶ月とかね。それと同様で国の場合も1ヶ国と表記するものと思っていたのだけれど今日テレビの情報番組では1カ国と表記してあった。

こういうのって好みの問題なのか。それともなんか決まりごととかあるのだろうか。学校で勉強サボってたツケが未だに出てくる。こういう時だけちゃんと勉強しとけば良かったと思う。

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*いたった?

「あれえ、いたった?」(おやいたの?)「いたった?」とは「いたのかい」と言うニュアンス。語尾は上がる。語尾を上げずに「いたったあ」と疑問符つきでない場合の意味は「いたんだあ」と感嘆的なニュアンスになる。「いたった」だと「いたのかい」。どちらも挨拶として用いられる表現として使われることもある。

挨拶の言葉としては日常で良く使われるので憶えていて損は無い筈。

例文

「あれえ、今日いたった?」

  (あれ?今日仕事してたの?)

「ずうっと営業で外回っとっただよお。今やっとこさ帰れた。」

  (一日中営業で外回りしてたんだ。で、今ようやっと帰ってこれた。)

「そりゃご苦労なこって。」

  (それはご苦労さん。)

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おせん(第六話)

私は「蒼井優」ウォッチャーではねえでげす。ねえでげすがこのドラマ「蒼井優」観てるだけで成立してしまう勢いのドラマでやんす。なんで?と問われてもあれなんですが観ててそう思えるんだからしょうがないことですわいな。ホントか嘘かはご自身の眼で観てごろうじろ。特にこの六話でのおせんさんは魅入ってしまいましたです。原作本プレゼントされてるようですけんど、全然違う気がするので原作を好きな人には違和感があるのかもしれません。けど私はよければどうでもいいというか絵として成立してれば別に原作と心中しなくてもと言う方なので苦にならないのでありんす。むしろこの回は江戸っ子風味のきっぷの良さよりもはんなりしたおせんの方がらしい展開のように思えましたです。

で、今回はそれに加えてストーリーも面白く展開も意外でより愉しかったでたんす。今一度反芻するに、

おせんさんのもとににお見合いババアがやって来る。仲人として記念すべきキリ善い回数をおせんさんで正に成就せんとすべく見合いをば勧める。おせんさん自分の見合い話しとは気づかず(お見合い場所を壱升庵でという依頼と勘違いする)きっぷ良くまかしょとばかりに承諾す。後で自分のことだと知らされ困惑するも女将としてだけでない普通の自分も楽しむべきだというアドバイスを受け見合いを受けんとす。出会いしおのこは「はっきりいいましょう」好青年で壱升庵からおせんを奪いさるものではなく尊敬の念を持ちしなんの申し分もない人物。おせんにとりても周りから見ても文句のつけようもなく話しは順調に進む。「はっきりいいましょう」おせんもまんざらでもなくこの話し成就するかと思いきや、おせんの壱升庵での女将として完璧なお迎えの心に見事に一本取られたとばかりに「我未だ未熟者なり。貴方に相応しい男になりて戻りしや。」と言い放ち修行して出直して参りますと退散相成り候。落胆せしも傍目には失恋の落胆を見せねどもよっちゃんさんだけは気づいたのか励まさんとしてその優しさにほろりとくるおせんであったとさ。

それと平行してのよっちゃんさんの急須のお話しが相まって綺麗に詰まった回でありんした。

壱升庵の女将でいることの覚悟というのが良く出ていて、しかもそのために何かを犠牲にしてるんだという寂しさも滲み出ていて。言葉ではなんにも心情を表わしていないのにきちんとそういう感情が観る者に伝わってきてホント上手い方だと改めて思いましたです。お見合いババアとの会話のボケかましから始まって人見知り?から好意へと移り変わる様。女将としてのプロの表情と夢が萎(しぼ)んだ侘びしさ。だけど人前では見せない気丈さ。そして励まされて明るさを取り戻すという感情の移り具合がセリフも態度も無く表情ひとつで見て取れましたです。

お見合いというテーマも良かったですね。壱升庵からおせんさんを獲られるとやきもきする人。女性として奪われるとやきもきする人。素直に応援する人というのがはっきり映し出されて普段どういう感情でそれぞれがおせんさんを見ているのかが分かり易かったです。それにしてもよっちゃんさんはおせんさんに対して特に恋愛感情がないというのは面白かったです。素直に応援する姿は清々しかったです。

23歳という年齢も同級生が登場して、それなりに無理というか抑制しているものがおせんさんにのしかかってるんだろうなあというのも分かったような気がしましたです。流石に23であの遊び女(め)は強調しすぎだろうというツッコミはありますけど。

恋の終わりは予想外でした。ありゃあどうみても「はっきりいいましょう」自爆というか思索自演でげすな。あれよあれよという間に自己完結で終わってしまいました。ああいう男じゃ疲れるよなあと私でも思いましたです。モテナイと自己申告してた理由も確かにと納得しましたですがお互い嫌いじゃない雰囲気からどうやってご破算になるのかと予想してたんですがこうくるかという感じでした。てっきり女将として承諾できないことを千堂が言ったことにより不同意となってこの話しは無かった事にとかなるのかと予想してたんで。

ほんわかするいい感じで時間が流れる感じのするドラマです。それぞれがそれぞれに支え合って生きてるんだなあと優しい心持になれますです。

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*ったった

「おったった」・「ほっぽったった」・「やったった」・「食ったった」

まあ書いてたらキリがないが「ったった」という使い方は結構多いが、微妙に言葉ごとにニュアンスが変わる訳すのにやっかいな表現である。

「おったった」の場合、いたんだけど(いまはいない)・いてやったなど。尚、織ったった・おっ立ったはこれには含まれないのであしからず。

「やったった」の場合、やり終えた・やってしまった(やらかした)・やってやったなど

「ほっぽったった」だと放り投げてしまった・放り投げてやった

例文

「あれえ?あいつどこさいったっただ?」

  (あれ?あいつどこに行っちゃったんだ?)

「さっきまでそこんさあでやっとったけどやあ。今いんねえ。どこいっただかいやあ。で、なに用よ。」

  (さっきまでそこでやっていたけど今いないねえどこいったんだろう。ところで何用?)

「あいつにお使い頼ますかと思っとっただにい。」

  (あいつにお使い行かせようと思ってたのに。)

「きづかれただらあ。だでちゃっと逃げたじゃないの?。こりゃ当分帰ってこんにい。」

  (気づかれたんじゃないの?だから速攻で逃げたんじゃないの?こりゃあ当分帰ってこないかもね。)

「あんにゃろー勘付きゃあがったな。ちっくそー戻って来たら説教だ。」

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CHANGEその2(第3話)

風邪引いたみたいで頭が痛いっす。なんで非常にぼやけた印象でしか興せませんです。

とりあえず啓太先生の溜めた間の喋り口調がとても印象に残りましたです。政治のプロでなく庶民の代表と言う目線を強調するための演出としてのものでしょうし、自信無さげの表現ということでもあるのでしょうか。もし躊躇なしの立て板に水みたいだったらどう映るんでしょうかねえ。こいつも所詮いつか政治家になるんだろうなあと思えちゃうんでしょうかねえ。チェンジというのは啓太がではなくて周りがと言う意味だと思っているのでそういう意味での進化は無しで進んで欲しい感じはしてますです。

それにしても2回で早くも総理の座につかれて。これからは具体的な政策をドラマの中で展開されていくのでしょうか。そうなると現実の政治に対するあてつけみたいな物も出てくるのでしょうか。それとも思いっ切り理想論ぶち上げて現実と被らないようにするんでしょうか。

リーダー論という人間で詰めてくのか施策と言う情景の対応で詰めてくのか。まあおそらくはリーダーとはかくあらんという視点になるような気がしてますけど。

その前に来週は組閣が売りなんでしょうね多分。もう選挙は暫くはなさそうなので阿部さんの出番はどうなるんでしょうねえ。次の総選挙まで暫しのお休みは嫌ですなあ。毎週深津さん達とトリオ組んでて欲しいところです。

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*パーマをあてる

共通語だと「パーマをかける」だが、「あてる」の方がなんかしっくりくる表現。全国的な表現で標準語ではないというだけの話しではあろうが。一応遠州でもこう使うということで。

あてる(当てる)の意味は「あてがう」ものさしをあてがう(物差しで計る)とかいった意味かと思われる。カーラーを巻くというかカーラーをあてがうということで「あてる」という言葉を使ってるような気がする。もちろん熱をあてると言う意味も考えられる。

例文

「おお!随分にこざっぱりしちゃったじゃん。」

「だらあ。気合入れてパーマあててきただよお。」

「入れ過ぎだらあ。知らん衆だと恐い人にしか見えんにい。」

「ちりちりにしてもらい過ぎただかいやあ。まあええらあ。」

「知らんにい。ガンつけられても。そんときゃわし知らん振りするでねえ。」

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*いじくる・いじくりまわす

弄る(いじる)・弄り倒す又はいじりまくると言う意味。「いぜくる・いぜくりまわす」という表現もあるが意味は同じ。

いじくるはいじるの強調形として辞書等にも記載されている共通語であるが、遠州では「くる」の使用頻度が高い。遠州での強調する言葉として「ばか」や「ど」があるが、「ばかいじる・どいじる」と言う表現より「いじくる」を使うことの方が多い。

「いじる・いぜる」は「取り扱う・操作する」みたいな意味使いもしたりするが「いじくる・いぜくる」となると用もないのに(不用意に・無駄に・余計なことに)さわるというニュアンスとなり共通語と同じである。もちろん「いじる」の上級で「使いこなす・見事に操る」といった熟練という意味合いでも使うことはたまあにある。

例文

「や~。遅刻だよお。なんでめざまし鳴らんだだ?」

  (も~遅刻しちゃうよ。どうしてめざまし鳴らなかったんだ?)

「○クンがいじくりまわいてこわいちゃったみたい。」

  (○クンが触りまくって壊しちゃったみたい。)

「なんだよーそれ。ずいぶんじゃん。直らんだ?」

  (なんだよそりゃあ。ひでーなあ。直らないのか?)

「わしじゃあ直らんで見といて。」

  (私じゃあ直せないから診て頂戴よ。)

「帰ったらでええらあ?なんしょ遅刻しちゃうではあ行くでえ。」

  (帰ってきてからでいいだろ?とにかく遅刻しそうだから直ぐ行かなくちゃ。)

「たのむにい。忘れんでよ。」

  (お願いね。忘れないでよ。)

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いまいちわからん言葉その1「おきゃあせん」

「おきゃあせん」

名古屋っぽい言葉で、多分不同意というか納得いってないんだろなあというニュアンスらしいのだがホントのところどういう意味なのか理解出来てない。

遠州弁で「おきゃあせん」だと置きやしない(置こうとしない)という意味になる。少なくとも名古屋っぽいこの言葉の意味とは異なる。

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もう自分でも把握でけん

記事数が1000を越えとったやぁなのでした。どの記事がちょっきり1.000なのかまで把握してないのだけれど下書き数引き算したら超えていた。

流石にもう自分でも何書いたか記憶にありゃあせんわあ。おそらくは重複ネタもあるやもしれぬ。整理すればそういうのぼろぼろ出そうでまとめれるかもしれないが面倒くさいのでそのまんまのままで茶も濁さず放置とす。

ついでながらアクセス数も40.000件突破しとられました。ココログのカウンターとは食い違いますですがインフォシークのほうで越えてたんで。とりあえずの目標(越えたい)としているブログさんをここんとこ凌駕する一日のアクセス数(アル○ナ様様か?いやいや○島大明神様のお陰)で徐々に近づきつつあり、あなうれしやとばかりに密かににやけ笑いを浮かべる今日この頃。目標であって目的ではございませんです。張り合いって書いても撥は当たらんかな。実がない分張りぼてでも膨らましとかないとねやっぱ。お越し戴いた方に心より感謝申し上げますです。

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ラスト・フレンズその15(第7話)

瑛太さん上手かったですよねえ。遊園地でクラクラっと目眩がするとこなんざ観てるこっちまで気分悪くなっちゃいましたもの。自分が男だという事もあって感情移入が一番しやすいということもあるのでしょうが、ドラマの前半部分は樹里ちゃんの男前が引っ張ってましたが、中盤の今は瑛太さんがドラマを引っ張ってる勢いを感じますです。

瑠可がなんちゃって恋人連れて来た時のタケルの複雑な心境が滲み出てて切なかったですとても。瑠可の企みを真に受けたのか、ひと芝居打ったと知った上で瑠可はそこまでするのかという思いとどっちの感情だったのかまでは流石に読み取れませんでしたが、明らかに瑠可に避けられていることを察知してるのは分かりましたです。それでも瑠可のことを見つめていられるのは諦めが悪いのか唯一無二と悟っているからなのでしょうか。普通ここまで気まずいと相当しんどいですからねえ。なにを支えに瑠可を見てるんでしょうか。

長澤さんに関してはいつも誰かが傍にいないと駄目な人間を揺れうごめく環境と状況の中での不安定さを表現されてるわけですが、最後は一人で子供を生んで育てようとする様に至るまでの人としての変化をどう表現されるのかが今後の一番の見所なのでしょう。そりゃもちろん誰の子だ?という展開上の興味ももちろんありまするが、それより成長と表現していいのかは疑問ですが逞しくなった過程に説得力があるかどうかと言うことの方が重要でしょう多分。ドラマの前半部が樹里ちゃんで中盤が瑛太さんであるとしたら後半は順番からいくと長澤さんが映える番なのかなと白けた予想も出来なくはないですね。観るだけの気楽な側からいえば一番変わらなくちゃいけないのが美知留なのですからそれをどう表現されるのかが見所と勝手に期待しているところです。

樹里ちゃんは5月25日お誕生日ということでおめでとうございます。瑠可にのめり込む様な役作りに敬意を表するとともにラスト・フレンズ終えられましたら一度リセットする時間がありますことをお祈り申し上げます。とにかくのだめの樹里ちゃんと誰も言わなくなったのはSGから注視してた者としては今頃気づいたかハハハハと笑いが止まりませんです。

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*しまいにしまい

終わりにしようと言う意味。共通語であるが一応記載。「終わり」の「しまい」と「しよう」の「しまい」が連なって「しまいにしまい」となった。強引にもっと連ねて「しようよ」の「しまいに」とすると「しまいにしまいに」となる。

物を片付けることを「しまう」(終う)というがその「終い」。

「しまいには怒るぞ」(我慢の限界にもほどがあるぞ)というような最後にはと言う意味もある。

例文

「やあ、はあ暗くなったでしまいにしまい。」

「はあそんなだけえ。どんばえーなあ。もうちっとやらすかあ。」

「やなこってえ。明日やらすでえ。」

語呂遊び以外での別の言い方では

「やあ、はあ暗くなったでしまいにせまい。」・「しまいにせすかあ」・「しまいにしよまい」・「しまわすかあ」・「しまいまい」・「しまいまいか」・「しまうにい」・「しまうでねえ」

などバリエーションは結構豊富。

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