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舞妓Haaaan!!!

劇という言葉に最近感心するようになりました。動きや台詞回しなどこんな奴いねえよと想いながらも愉しく見れてしまうお芝居。劇薬・劇的とかに使われるのと同じ字なだけに強烈な感じを受けます。

感覚的に劇と言うものは舞台という閉ざされた空間の中で構築されるものであり、外に出て現実の空間でありえない人間を表現するのは違和感を感じるのであるけれど。まあ異質であるなら徹底して浮いた方がそれはそれで突き抜けてしまっていいのかなと思わないでもないです。後はそのテンションが生理的に受け付けるかどうかの問題なんでしょうね多分。

と言う訳で、「舞妓Haaaan!!!」逝っちゃってます限りなくどこまでも。しかも誰も主人公を引き止めません。容認しちゃっててます。皆して突き進んじゃって誰か突っ込めよと思わず言いたくなる感じです。ジェットコースターでどこまで行くんだという感じです。これが宮藤ワールドかあ。悪党も暴力も敵(かたき)もいない世界でこれだけ劇的なストーリーを描き出すなんてそれだけでも凄いです。私ならこうだなとかいう我が身に置き換えようもないキャラと展開で引きずり込まれます。

ついてけない部分も多々あるんですけどそれも最初の方だけで、観る側のエンジンが掛かってくればその感覚が麻痺してくる感じです。とにかくストーリー展開が滅茶早くて余韻に耽る間を与えてくれなくて一気に終盤まで引っ張られる感じです。体内時計が麻痺するようで140分という時間が普通に過ぎる感覚じゃないです。

笑えて弾けて泣けてしみじみと。終わりよければ無駄が無しって勢いで。娯楽映画の要素を全部兼ね備えている印象をモロに受けました。こういうのって結構あとからじわじわ湧いてくるんですよねえ。

さりげなく凄い配役で(これ見よがしと言う意味ではないということ)映画ならではの贅沢さがそこかしこに満載で、確かに一見さんお断りという感じです。何度も足を運ばないと愉し尽くせないですな。って言うほどまだ数こなしてないですけど。

音も映画らしい感じで楽しいんですけどDVDで観てもその感覚は損なうことなく味わえました。

しかしこの弾け具合は新鮮ですわ。「野球拳がしたい」という番宣というかコマーシャルでこれでもかとこのフレーズが流された時、受けた印象は舞妓遊びといえば成功者のステータスみたいな感覚を持っていたので、成り上がりとかのサクセスストーリーなのかなと思ったんですけど。

実際観てみたら、人情劇と言う部分の方が強い感じで宣伝とは違う印象でした。ネタばらししないと言う思惑があったのでしょうか。宣伝のイメージだと若い人向けに舵を取っていたようだけれど、むしろ私みたいな中年組に向けたというか判り易い作品のような気もしてきます。

だけど繰り返しにはなりますが、こんな奴いねえよ絶対に。ひとつとしてリアルな人間としての行動力ではありません。「眠った才能」なんてそう幾つもねえよ絶対にですわ。そういうキャラをしれっと演じる阿部サダヲさんは凄いんだなと。対となる堤さんもなんだかなあって感じでバランスがよくて好きですわ。役者力あってこそのハチャメチャな展開なんでしょうね。後日談がなかったら絶対ついていけない世界でした。喰い散らかして嵐のように去って行くいっときのお話しだったら洒落になりませんもんね。こういうものでも飲み込んでしまう舞妓文化は大きいんだと謳ってるようにも感じますです。

難しい事は殆ど無い観る側に優しい作品ですが、ただ堤さんの役どころが、舞妓の世界へのデストロイヤーみたいな部分があってなんでそんな愛情の裏返しみたいなSっぽい行動に走るのかいまいち私の頭では理解できませんでした。我が子と呼べぬのはこの世界のせいだけではない筈なのにと。

ごちゃごちゃぬかしとりますが愉しい映画です。エンディング観ると基本というか根っこはミュージカルかと感じちゃいましたけど映画ですよね確か。

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なんだかなあ5

基本自分の命と生活は自分が守るべきものであって、それが出来なくなった時白旗を上げて病院や警察に救いを求めるのでは?委ねる以上は助けてくれる側のルールに則るべきのような気がする。

だのに助けを求めておきながら自分の意にそぐわないからといってあだけるのはどうかと思う。自分の意を通したいのなら助けを求めずに自分で何とかすべきではないのだろうか。

公共の事に限らず、金銭の授受が行われれば全て「私は客。お金を払っているのだから奉仕するのは当然。」という感覚があるのだろうか。もう感謝の念を持とうなどという倫理では済まされない領域に世の中が入り込んでいるみたいだ。まあもっとも最近ではその金銭すら支払おうとしない甘えた奴が多いらしいけど。親に甘え社会に甘え我儘放題に生きてるようでもある。

とある国で大規模災害が起こって、救援物資が不足の状態でヘリコプターから群がる人々にむかって食料などを投げ落とす光景がテレビで映し出されていた。当然生きるために人々は群がり我先にと奪い合いが始まっていた。映像は乳飲み子を抱えた母親がなにも取れず悲嘆にくれている様をアップで捉えて締めくくっていた。

日本だって戦後の混乱期はかくの如くであったようであるが、明らかに今の物が溢れている日本人同士の無法者とは別物なのではないだろうか。被災地での彼らはなりたくもないだろうが生きるために動物化しているのであって、自分の思い通りにならないとか損だ得だで思考する我欲とは結果は同じだとしても精神は違うものだと思うのです。

自分の意見を言う。相手の立場を思いやる。今の世の中この相矛盾した行為で優先されるのは自分の意見を言うことが優先のような気がする。こういう考え方ってひょっとして、欧米かっ!

以前は公衆の場で揉め事起こしたり大声だしたりすれば家族や知人などが「恥ずかしいから止めて・恥ずかしい真似するなよ」とかでたしなめられる光景が多々あったもんだが、最近はよってたかって事を荒立ててる光景すらあるほど「恥」という精神が失われつつあるのであろう。何を「恥」とするのかその抑止力が影をひそめてしまって見えなくなっている。

結論としては、甘える事が当たり前という自立心のない輩が増えたんだろうな。もうひとつは相手への思い遣りで成り立ってきた社会が自己表現の巧みさで成立する社会に変わりつつあるということだろうなと。どちらにも乗り遅れてる私は搾取される側で人生終わりそうだ。でも甘える方は出来なくもないか。

そんなこんなで、罰(ばつ)を与える世の中よりも罰(ばち)が当たる世の中の方がいいかなと最近思うようになりました。自分が臆病なのでどうしようも出来なくて誰かにどうにかして欲しいという甘えではありますが。

罰を与える・鉄槌を食らわすといった人が人を裁かなければ抑止力にならない世の中よりも。

因果応報。悪しき行いをすれば誰にもばれなくても法律で裁かれなくとも必ずその報いが巡ってくるんだという畏怖心による抑止力の方がいいかなと。

良くもあり悪くもある「迷信」という名の倫理感が失われて「教え」というものがなくなりつつあることの是非はともかくとして、誰かがいつも見てるんだぞ。だから悪い事なぞしてはいけないんだぞという畏怖する心はあっても良いんじゃないのかなとつらつら思うわけです。それを人がやると監視と言うことになるわけで決して良いことじゃあないけれど。人じゃあなければいいのかなと。

人ではなく見えないなにかにジャッジを委ねる曖昧模糊とした倫理感だけれども、八百万の神々や背後霊・守護霊・先祖霊・精霊などなどありとあらゆる天空に住まう人ではないものに手伝って貰えばなんとかなるんじゃないのかとふとね。

まあ体の良い神頼みってことになるんでしょうかねえ。でもそれくらい首に縄つけとかなきゃ直ぐ噛み付く凶暴なのがうろうろしてる今日この頃ですわ。もし噛み付かれたら出てくるセリフは「死ね」ではなく「ばち当たれ」といきたいところです。

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物は言い様

あくまで言葉遊びです。冗句です。

「物は良いよー」

意味

お客に他所より高いと言われた店員の答え。

本来の「物は言い様」は、

物事は言い方によってどうにでもとれるもの・違った切り口で評すれば良いほうに解釈できる・ああいえばこういう的な言い訳っぽいのだが納得せざるを得ないなど解釈も取り放題なんてことはないか。

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*さら

「まるさら」(まるごと)・「はこさら」(箱ごと)・「いえさら」(家ごと)・「皮さら」(皮ごと)

共通語だと思っていたぐらい素直な表現なのでこれが方言だとは意外。辞書とかにも載ってないのでそうなのかなと。

今更(いまさら)とか、まっさらとかの「さら」と意味は全然共通性はないけれど親戚筋なのか他人の空似なのかは不明。

例文

「ここんさあのまるさらもってって。」

  (ここにあるもの全部持っていって。)

もし万が一丸い皿があったとしたら、遠州弁を知らない人だと丸い皿だけ持っていけと判断するのであろうか。そうなると「あんたなにやってるよー。人の話し聞いちゃいんだか?」と当然言われるわなぁそりゃ。

例文2

「そのお菓子頂戴。」

「・・・・ほれ。」

「うんまい!これ、どうまいじゃんかあ。もっと頂戴。箱さらくりょう。」

「虫歯んなるし太るにぃ。ええだか。」

「かまわすけえ。はあ太いし歯医者にも通ってるでとんじゃかないわあ。」

「おお!強気だの。」

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コンケルド

静岡県だけのCmらしいので、他の地域の人にはなんのこっちゃか全然分からない話しですけどパチンコ屋さんのCmなんです。

CM NOWと言う雑誌からの情報によりますと、毎年同じスタッフさん達が集まって作っておられるとか。なので非常にマイペースでこれでもかという位のメッセージを詰め込むこともなくまったりとした味わいのものを毎年見れるわけです。クライアントさんも太っ腹なんでしょうね多分。

遊んでるというと語弊がありますが、力の入らない革新と申しましょうか今までCmではみたこともないようなストーリー性のある作品群です。一昨年はCmなのによろめきドラマやってたり去年は家からパチンコ屋まで行く道すがらで出会う人達だけで家族の人生語ったり、大分前には記憶をなくした男の物語などなどとある意味やりたい放題やってる感じでもあります。普通そういうのは連ドラでやるようなネタだろうというものをCmにぶち込んできます。

私的には「コンコル道を行く」が一番のお気に入りなのですが、今年の「コンケルド」もなんかそれに近い感じで面白そうな予感がしてます。

あんなよわっちー青年が大福投げて変な衣装に身を包み、明るい明日を目指す姿は、一生懸命なだけになんか笑えてきてしまいます。失笑なんでしょうか能天気さに思えるからなんでしょうかはたまた逝っちゃってるからなんでしょうか。まだ一話だけなのでよくわからないんですけどなんか愉しいです。

毎年色味が冷たい感じがするんですけれど意図的なんでしょうかただ単に撮影時期が冬だからなんでしょうか。いづれにしても独特です。好きか嫌いかはともかくとして。

はたして彼は見事コンコルドになれるんでしょうかって、なってどうするという身も蓋もない突っ込みには蓋をして彼の活躍に今年は期待しましょうか。

それにしても静岡県ってパチンコ屋さんのCm結構面白いのが多いです。

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珈琲時光

「小津安二郎生誕100年記念作品」と銘打ってある2004年公開の映画です。

出演は一青窈さん・浅野忠信さん・荻原聖人さん・余貴美子さん・小林稔侍さん

ストーリーの解説は省くとして

全体を一言で言うと、なんかふんにゃりした映画って印象です。京都のはんなりに対抗して東京だからと言うわけでもないんですが、ふんわかと柔らかさの表現としてにゃり(なり)を合体させて「ふんにゃり」ってことで。もっさりではありません念のため。好きか嫌いかと問われればわかんないと答える。人に勧めるか否かだと薦めることはない。でも何回も観てるのは確か。

この映画においては、一青さんてオーラというか気を発する発信機ではなくて受信機なんだなと言う感じに見えます。色んなものからの微細な電波すらも受信して感性で増幅するってイメージですか?あくまで役の上でのことなんでしょうけど、プロの役者さんが持つ発信機は備えていない風に見えます。ま、全てを唄で放出してるからバランスが保たれておられるのでしょうけど、映画の中では歌われてませんから入力専門って感じです。そんなこんなで非常に異質です。上手いだか下手だかという範疇ではない感じです。そもそもお芝居してるのかも微妙な感覚を受けますです。

又輪を掛けて浅野忠信さんのお芝居がセリフのあるドキュメンタリーみたいで、なにも放たない癖に存在感が確かにあると言う説明不明なので、頭が爆ぜるようで正直眠くなってきます。これがコタツでテレビのように居心地が良過ぎてなのか学校の授業中なのかは人それぞれでしょうけど、眠くなることは事実です。多少の褒め言葉で飾れば、無防備な気持ちにさせてくれるということでしょうか。危険を何も発しないひたすら安寧な世界観で綴られているということでしょう。小津作品も確かに私眠くなるんですけど、でもあくまで私の印象ですけど、眠くなる理由は違う気がしてきます。

DVDの裏面におおまかな展開が記載されていますが、あまりそうには見えない墨淡な世界です。淡々でも間違いじゃあないかな。陽子(一青さん)のストーカーでもない限り「だから何?」と問われたら答えに窮する感じです。人が持つ内面をほとんど見せない世界で、喜怒哀楽は読み取れても何考えてるとかの思考行動回路とかはヒントすらもない。リアルですわそういう意味じゃえらく現実的です。背景にあれだけ人が動き回ってるのに密林を孤独に歩く探険家みたいな雰囲気を醸し出してるのが変に怖くもあり。

監督さんが海外の方なので小津作品から受ける根本的な感覚が異なっているのかもしれませんが、慣れたら見方が変わるのかなと思って結構挑戦してるんですけど、ん~どうでしょう。メイクミラクルの道は見つかりません今のところ。

でもなんか引っかかるんですよねえ。103分と短いのに執拗なせいなのでしょうか時の長さみたいなものを感じます。でも眠くなる(キャメラワークのせいでしょうか)。学校の授業で一度も睡魔に襲われた事のない人にはわからない感覚かもしれませんが。秒単位の眠りの筈ですけどやけに深いというやつですわ。これって褒めてるのかけなしてるのか自分でも分からなくなってきました。奥が深いのか裏が無いのか見えたまんまなのか。まだまだ私は修行が足らぬということなんでしょうかねえ。

昔ポールマッカットニーのアルバム「ラム」についてとあるミュージシャンの方が「あれはいいアルバムだよ100回聴けばね。」とコメントしたそうな。その故事に倣って100回に挑戦でもしてみますか。何10年先になるかわからないけど。

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*うそばっかあ

間違ったことや知識不足でいい加減なことを言うなよと言う意味。

「うそばっかし」という言い方よりかは否定度は弱め。

悪意のあるなしに関わりなく、騙してるんじゃないのかと言った場合には「だまくらかいちゃいんらなあ」を使うので、単純に「違うだろう」というツッコミとしても使う場合もある。

他の言い方としては「うそこいちゃかんて」などがある。

例文

「正月休みはずーっと家でぼけーってしてた。」

「うそばっかあ。しげちゃ街でおめえ見たっていってたにい。」

「あれはよく似た双子の弟の方。」

「おめえ兄弟いもしんに。誰に向かって言い訳してるだ。」

「ほいじゃあ幽体離脱。体は家で精神は街にいってた。」

「だれんそんなの信じるよー。誰となにしい街いってただ?」

「知らんやあ。」

「そこまですっとぼけるならええよ。はあノート見してやらんでねえ。」

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*だで言ってるじゃん

だからいってるでしょうという意味。

「だで」は「だもんで」の省略された形で、「だもんで」を共通語にすると「そうだもので」。分かりづらいので「だから」と訳すことにした。

使い方としては、以前に書いた「だでなんだあ」と同様、これでひとつのパターンとなっており、「だから言ったでしょ」・「何回もさっきから言ってるだろうに」というようなニュアンスで使われる。言い訳ではなく説明または注意を喚起したようなことを言った場合に使われる。

実際によく使われるのは「だで言ってるじゃんさっきからあ」という表現が多い。実際に聞くと結構きつめに聞こえるのだが、多くの場合、別に怒りがこもっているわけではないので言われた方は特に慌てる必要はない。

怒りがこもる表現だと「やー馬鹿っつらあ何回いわしゃあ気が済むだ。」・「ほいあんたあ何度言わすよー。」などがあり、こう言われた場合はなんらかの対応に迫られることになる。

例文

「ねえお母ちゃん。」

「なにい?今忙しい。」

「あのさあ」

「なにぃっ!忙しいっつってるでしょうに。」

「・・・・・ねえ。」

「もーうっさいなあ。ふんとにもーなによー。」

「あっちのお部屋こげた匂いするだけど。」

「!?」

慌ててアイロンかたしにいく。(片付けに行く)

「もーなんで早く言わんよー。」

「だで言ってたじゃん。」

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斉藤さん第一話

見事なくらいシンプルなタイトルだこと。「江川る」と同じくらいの固有名詞的な特別なことということなんでしょうか。

問題はこういう人が実際身近にいたとしたら、ありがたいのかありがた迷惑なのかということなんでしょうけれども。

そんなこんなでいざ観てみれば、正直お母さんワールドのフィールドのようで、野郎としては若干居場所がないというか肩身が狭いというか。遠州弁だと「いづようない」って奴でさあね。

ミムラさんとの対比で斉藤さんを強調するという風にも見えるのですが、お母さん同士の空気感は私にはホントよーわかりませんです。でも、ミムラさん久し振りに見た印象なんですけど、なんか以前と変わられて余計な力が抜けたような感じがしました。確か結婚されてると記憶してるんですけど角がとれて滑らかになった感じです。表現が汚くて申し訳ないんですけど、もういい子いい子しなくてもよくなって表情の制約が取れた分豊かになられたような気がします。見ていて落ち着いて見ていれるって感じですかねえ。結婚されて華を捨てた分真っ直ぐな穏やかさを手に入れたって勢いということで。私的には今の方がいいと思いますけんど。

佐々木蔵之介さんとの夫婦の空気感もリアルで生活感がありまして良かったですよお。高島礼子さんのボス役もはまりすぎてる位だし、今回は比較的大人しめに見えた古田新太もおられるし今後愉しみではあります。

背筋がピンと立った厭味のない高ビーな役やらせたら右に出る者なしの観月さんではありますが一回見ただけじゃまだよー分からない感じです。今回は老中高島さんの勝ちって感じでしたわ。でも斉藤さんの子供役の人が良かったですよねえ。あんだけ周りに理解されなくても是々非々を貫く母親を「お母さん恥ずかしいから止めて」とか「いぢめられるから止めて」などどは決して言わず、頑張るお母さんを尊敬し応援し従う態度が斉藤さんの原動力なんだなと分かります。

「子はカスがいい」という洒落にならない現実もありますが、子が立派だと親も頑張らなくちゃと思いますもんねやっぱし。いいキャラクターです。

観月さんだから許せる印象を与えるってのもあるだろうし、キャラがはっきりわかってきたら面白そうではありますが、ただ如何せん奥様ワールドエリアでのお話しの展開が中心だと私的にはホントいづようないス。

お話しの展開が、壮大に世の中を震撼させる終わりがあろう筈もなさそうだし。周りが変わるのか地域が変わるのかなんにも変わんないのか。少なくともミムラのお母さんは変わりそうだなと。斉藤さんが変わったりなんかしちゃったり。まあ、そんなこんなで要観察って感じです。

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鹿鳴館

私的にはのだめの影に隠れてしまった感のある鹿鳴館でなおかつ録画ではありますが観ました。よかったすよー。大変不遜な物言いではありますが、田村正和さんががんこ良かったッス。

原作が文学なだけにマンガ原作が今の主流という中においてかえって新鮮に思える部分がありました。信念という言葉が頭をよぎる感覚を受けました。洋画は行動性、マンガ原作は世界観の独自性といったそれぞれの特徴を感じるのですが、文学よりいでしドラマには精神性というものを感じます。特にエンディングは文学だなあと。どうしてこうなるんだという余韻が残りまくりのそれでいて清い終わり方なのは、三島文学だから特別なんでしょうかねえ。もののあわれ・はかなさ・たくましさとかがじわじわと見終わってから滲んでくるようです。

柴田恭兵さんとの対比と光と影の存在の橋爪功さんも迫力満点でしたし、とにもかくにも田村正和さんの放つ光(存在感)を愛でる感じでした。黒木瞳さんは磐石だし、若さゆえにいいように使われた役の石原さとみさんと松田翔太さんもそれなりに時代性を感じる事ができたし。時代背景(生きてた訳じゃないからイメージですけど)が嘘くさく感じられないのはさすが記念番組と銘打つだけの事はある手抜きの無さでした。

顕子(石原さん)の恋愛観やそれに伴う行動というものが、今の時代では理解できるのか不安になるくらいの過去の時代のものですが、違和感なく演じてられてましたし、黒木さんの所作は自然で美しいし。奥様連中は服は違えど今も昔も変わりなしって感じもおつなもの。

男衆は豪胆を絵に描いたような田村さんでしょ。策士・手を汚すことを厭わない狡猾さがリアルな橋爪さんでしょ。理想というか夢を喰って生きてる雰囲気に溢れてる柴田さんでしょ。いいですわあ。でも私の世界が狭いせいでしょうけど現代に生き残ってるタイプの人は一人もいなさそうです。明治は遠くなりにけりたあよー言ったもんだ。

欲を言えば舞台で直に役者さんのパワーというかオーラを味わいたい感じです。そういう迫力を感じました。田舎者ゆえ舞台なぞほとんど観たことが無い私ですら生で芝居を観てみたいなと。

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きゅうりが嫌い

私はきゅうりが大嫌いです。したがって親戚筋である西瓜もメロンも好きくないのです。冬瓜(とうがん)はかろうじてぐつぐつ煮込んであれば食べれる領域です。そんな私を変人扱いする人のなんと多い事か。学校給食は地獄でした。味覚・食感・歯ごたえ・青臭い匂い全て駄目です。除けて食べることも嫌でそのおかずは全残しです。

なので、きゅうりが嫌いな人は辛い経験を経た同志です。というか親近感が湧きます。

そもそも人間の体ってのは体が必要と欲しているものを食べたとき美味しいと感じるものです。疲れたときの甘いもの。山歩きとかしたときのしょっぱいもの。雰囲気で食べるお祭の焼きそばやとうもろこし。

私はどんな状況のときでもどの雰囲気においてもきゅうりは不変に嫌いです。そして食べなくても生きて来れてます。

きゅうりが嫌いという有名人

市原隼人さん(ご自身のブログでそう述べられていた)

IMALUさん(堂本兄弟のインタビューで述べられていた)

玉木宏さん(5LDKという番組で紹介されていた瓜全般が苦手とのこと)

関根勤さん(テレビでご本人が言ってた)

広田玲於奈さん(テレビでご本人が言ってた)

福田麻由子さん(Wikipedia見て)

大澤亜季子さん(めざまし土曜日のお天気キャスター)(杉崎さんのめざにゅ~のHPでの記事見て)

伊藤英明さん(喰わず嫌い王決定戦で、もろきゅうがアウトだったらしい)

くりいむしちゅうの有田哲平さん(喰わず嫌い王座決定戦でご自身が述べられてた)

フジテレビアナウンサーの大島由香里さん(プロフィールにかく書からるるを拝見)

有吉弘行さん(スマスマの番組内でご自身が述べられていた)

可能性がありそうな有名人

夏帆さん(スイカが駄目だとおっしゃっていたのでスイカが駄目ならきゅうりもだろうと想像した)・松本幸四郎さん(喰わず嫌い王決定戦できゅうりの酢の物がアウトだった)

逆にきゅうり好きと公言してる有名人

芦田愛菜(リアルスコープなるバラエティにて好きな食べ物と紹介されていた)

一青窈さん(HPで公言してた)

もし間違っていたならご注意ください。他にもおらるるよというならばご教授ください。

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*だにの「に」

別の理由で古語辞典と言うのを捲っていたら、「に」という項目で面白いものにでくわした。

「に」(終助)①他に対して願望する意を表わす。・・・してほしい。・・・してもらいたい。「ね」に同じ  by「旺文社 古語辞典昭和48年重版発行」

なんと、まんま遠州弁の「だに」の「に」と同じ意味じゃあないですかあ。共通語だと「だね」ってなるんですかなあ。なんのこたあない遠州では古い日本語が後生大事に今も使われてるって話であって、方言とかじゃあないんだと。

ツッコミどころがあるとしたら遠州弁で「だね」だと、確認する・念押しするというような表現になるので間違いないと宣言するほど言い切れないのがちと弱し。

「あんたいかんだね。」(貴方は行かないんだね。)

「あんたいかんね。」(貴方は行かないのかい)という表現は遠州ではしない。

どっちにせよ、古いもんだでこりゃちいと大事にしんとかんだに。

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あしたの、喜多善男第一日

「臆病な奴がしねるのかよ」タイトルからして意味深っ!

セリフも軽快な割には濃くて深い。いやあホント引き込まれますわぁ。役者力でぐいぐいですなあ。喜多さんお幸せにって祈るばかりです。

平太が危険度プンプンで匂う匂う。一日目見る限り裏があるとしか思えない。本当に喜多さん平太を信用してるんでしょうか。私だったら利用悪用されるんだろうなと間違いなく思いますけどね。それにしても松田さんインパクト大ですわ。下手すりゃ主役食っちまうんじゃないかという勢いに感じます。

でも感情移入するとしたら喜多善男の方にだし、小日向さんに吸い寄せられていく感じがして、とにかくバッターじゃなくスゲエ球放るエース級がゴロゴロいる野球チームみたいな感じです。攻撃的なものじゃなくテレビ見てるバッターに直球あり変化球ありの多彩な球を投げられてるみたいで。さしずめ松田さんが剛速球で小日向さんが針の穴を通すようなコントロールピッチャーで変化球でかわしまくるのが生瀬さん演じる杉本って感じですかねえ。

起こりうる出来事(投手の投げる球)を乗り越える(バットで打ち返す)という攻撃的なドラマという感じよりも、生への執着や未練と言うもの(ヒットやホームラン)を抑えこんで死(要は自殺)という無(失点0)に近づいていくのが理想というドラマって感じでしょうかね。

それにしてもこの世の中は自分を必要としていないし自分もこの世界を必要としないというのは、誰でも思うことなのではないのでしょうか。それでもみんな死ぬことなく生きてるのは死ぬのが怖いからであって、自ら死を求める時は死んで楽になりたいとひたすら逃避するためだけのときなんじゃないのかなとも思うんですが。死んだことないのでいい加減なこと書いてるのかもしれませんが、喜多善男のように絶望感はあっても切迫感が突き抜けてしまった(ある意味悟った)人って普通死を選択しないと考えるんでけどどうなんでしょうそこんとこ。それだけに今後の展開が平太はじめ周りに振り回されていくのか、それともそうじゃないのかというのも含めて先が楽しみです。

というか、全然先が読めませんわ私の頭じゃ。喜多善男以外はまだみんな隠し球を握ってるみたいで全貌どころか取っ掛かりすらなくていきなり二軍から上がってきて一軍の大事な試合にデータもなく出場させられたバッターみたいな感覚です。パンダの箱を正しく開けてしまった感じですな。配球がわかんない。なにを投げて来るんだか。渡辺謙太郎さんと牧野茂さんの解説か野村スコープが欲しいところです。くれぐれもビーンボール(悲劇)だけは勘弁して欲しいところではあります。

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鹿男あをによし

「鹿男あをによし」なんか語呂が好きくないです。私的には「鹿とおのこぞあをによし」って感じの方がタイプです。意味があってるか使い方が正しいかはともかくとして。鹿と男で奈良っぽいということで。

「あをによし」(青丹よし)。「青丹」とは青色の一種の呼び名で「岩緑青」という染料の古い名前だそうである。それに「よし」がつくと枕詞となるのだそうである。なんでかはよー知らんけど。

装飾言葉だから意味はないといえばそれまでなのだですが、なんか響きは心地よいですなあ。

奈良で撮影もされてるとかで、京都的イメージほどではないにせよはんなりしたお話しなんでしょうかねえ。役者さんの顔ぶれ拝見する限りだと・・・・よくわかんない。原作があるらしいけど読んでない。ファンタジーと謳ってあるし言葉の響きも情緒的。

ま、見てのお楽しみということで深く詮索するのは止めるが無難?でもストーリー展開を愉しむのか世界の空気感を味わうのか役者力を愛でるのかとかは知りたいとこですなあ。全部満たすなんて経験上ありえないんで方向性だけでも。

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もうほんとこれだできらい

うんざりだ・やってられないと言っている。何度注意しても言う事を聞かない自分の子に対して若干育児疲れも重なってヒステリックに言うことが多い言葉。

この発言に対する対処の仕方としては嵐の去るのをひたすら待つしかない場合が多い。下手に言い訳なんかしたら次はキレる。謝ったところで「分かってるならなんでやるんだ?」と追求される。沈黙のみが有効な手段と推察される。

大人になってから夫婦とか恋人でのこういう会話は結構子供の頃のトラウマと重なってカウンターパンチのように効くのでずしりと重い。

思春期の娘に「洗濯物を一緒にするな」とか言われる時などにも使われたりもする。

基本女性が放つ表現なので男女共有の表現としては

「もうほんとド怒れる。」や「もうほんとド嫌」などがある。

例文

「もーあんたわーなに手に持ってるよー。なんでもかんでも拾っちゃかんっつてるでしょ。」

「・・・・・・」

「あ~あこんな服汚してえ!もうほんとこれだできらい!」

「・・・・・」

「何回言わしゃあ気が済むよー?あんたわざとやってんでしょ。」

「・・・・」

「汚い手でさわっちゃかん!もう。泣きゃいいってもんじゃないだでねー。」

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ブログパーツ勇者を育成を追加

新しいブログパーツを追加。以前からのRPGもどきとお揃いかと思いきや、ちっちゃー!・でっけー!ってな感じで幾分バランスが両極端過ぎないかい?

ま、それは暫く様子見していくとして、勇者を育成って何を根拠に経験値が上がったりそれぞれのステータス値が振り分けられていくのか面白いほど全く分からない。

このええころ加減さが堪らない魅力なのであろうか、ガリレオ先生みたいに分からないことを解明するのが快感という人種と違って、いい加減こそが快楽なほうなのでお気楽にレベルアップを図っていこうかなと。レベル上がったからと言ってどうなるもんでもないんですけど。でもレベルアップはRPGの鉄則ですから上げないと次に進まないという脅迫観念がもう意識の中に刷り込まれてるんで目指しますよ。

ただブログに来てくれた人が見て愉しめるものかと言うと、やっぱ自分の成長が愉しいだけのような気がするので、並び順は下にしといたほうがいいのかなと思案中ではあります。

追記

1/15、うちのヘタレ勇者はステータス上がったり下がったりと一定しない。どっか設定でミスでもしたかなあ。それとも飼い主に似るっていうか私の鏡だからだろうか。

1/16、経験値が0のままで動いてなかった。なので再度(実は3回程)登録し直したところ経験値がついた。これだで素人はかんだよな。ど反省。失礼こきました。

1/23、順調にレベルが上がってきてまずは良かった。しかしステータスのこの上がり方はどういう基準なんでしょうか、運がよくて賢さがなかなか上がらないってえらく洒落にならないマジな話しです。

2/7、レベルが20になった。各ステータスが徐々に成長して行く日々を眺めていると、なんか盆栽やってるような気分になってきた。電気の無いj時代に長期にわたり手間をかけた分変化していく様を愛でることを愉しむとしたら鉢植えの花ではなく盆栽なんだろうな。動物ほどのこまめな手間を必要とする訳じゃなし。勇者が盆栽と違う事といったら見た目の姿かたちが数値になってることくらいで、ひょっとしたら電脳の時代の電気盆栽を私はやっているのだろうか。中学生のころ小宇宙というものに憧れがあって、ジオラマとか小さな箱庭に興味があった頃どういう経緯か忘れたが盆栽を貰ったことがある。でも強要的な「こうなれ」という意識が強すぎて結局盆栽はついていけないとばかりに枯れて逝っててしまった。今度の電気盆栽は丈夫だから気が楽だ。

2/19、レベルが30になった。そしたら見た目が変わった。装備がグレードアップしたらしい。勇者から覇王(?)に名前が変わった。

2/25、レベルが35。順位がトップの人ってどのくらいなんだろうとサイトでチェック。すんげえとしか云い様がない。私だって平均すれば一日2つは記事を書いてるけどなんか離される一方のような気がしてきた。しかもみんな賢さのなんと高いこと。賢くないなんてよー観てるわと不思議と納得。

3/17、レベル51。ついに上位50位のランキングにブログ名が載った。「たいりょく」で50位。他のステータスは「ちから」がなんとか頑張ればというレベルだが後はもう絶対無理。特に離れてるのが「かしこさ」と「うんのよさ」。ブログは管理人に似るということか。変に納得。ちなみに私の記事数は一日2~3です。このぺースで毎日欠かさず更新して現状に至っております。このことから云える事は記事数頑張れば「たいりょく・ちから」は嘘つかないということです。

3/19、ランキングは一日で圏外へと落ちてゆきました。私のペースでは太刀打ちできませんのでもう夢は幻と想うて考えないようにします。

4/5、暫くほっぽってたらいつの間にか「たいりょく」と「すばやさ」のステータス二つがランキング入りしていた。

6/3、一瞬ではあろうがなんと賢さと運のよさ以外のステータスが上位50ランキングにのぼった。それにしてもホント飼い主に似るというかアホと運がないのは洒落にならない話しではある。

12/23、どうも最近レベルアップの成長度が落ちた。内容はともかく記事数に関しては変わることなくアップしているのだが。それ以前は1日2記事アップのペースで毎日レベルアップしてきてたんだけど。きっかけはニフティのメンテナンスが12/3に行われてから成長度が下がるようになった。ときどきアップしてもEXの数値が変わらない時もある。

2009/1/15、試しにというか記事アップするごとにチェックしてみたところ、一日に一度しか経験値が上がらなくなってきている。日によっては0という日もある。遠州弁の記事とドラマ等の記事と一日2つは記事を出してるのでそりゃないだろうという想いにはなる。何でそうなるのって感じです。

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*蚊にくわれる

全国的にみると使う地方とそうでない地方があるらしいが、遠州は使う地域である。

蚊はさして吸うのであって、かじりついてくるものではないのだが、当たり前に使っていて違和感は全くない。ちなみに蚤にもくわれるを使う。

例文

「蚊にくわれたよー。痒くてしょんない。」

「線香焚いとかんもんでえ。めんどくさがるもんでそうなるだよ。」

「だってえ蚊取り線香けぶいだもん。」

注、「けぶい」は煙い(けむい)

虫に刺される表現としては、蜂にはさされる・ヒルには吸われる・ムカデにはかまれる・カブト虫にははさまれる・カマキリには切られるなどなど。さてこれらは当然共通語だと思って使っているのだが、はたして真相は如何に?

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となりのクレーマー

日曜日の16時。いつもだったらゴルフ中継のお時間タイム。私はゴルフしないのでテレビを見る習慣のない時間。

今日はドラマだということで食いついきました。期待してた訳じゃないけど観たらはまってしまいました。見終わってなんか勇気と言うか元気をもらえた感じがしましたよ。

現実の中におけるHIROがそこにいました。「仕事」と言うものに関わる限りどんな職業においても光と影はある。クレーム処理なんてそのもっとも忌み嫌われる影の部分じゃないですか。それを真正面からぶつかっていける精神力を有する主人公は正しく私から見れば偉大なHIROですよ。

様々なクレームを描いていて、我が身にもし置き換えてなんかしたらもうドヨヨンとなってしまって見るに堪えないんですが、筧さんのお芝居がある意味感情表現をしない(ロボットの一歩手前)演技で傍観者的な立場で見ることができたので助かりました。「こんなのいちゃもんだろう。」とか「そりゃ店員が悪いよ。」とかなんか野球の中継とかで勝手に監督やってるようなのと同じ感覚でした。

なんでもかんでも謝らない。是々否々を明確にすることによって立場態度が恒に変化しない。出来そうで出来ないことですよねえ。最初強気、もつれるほどに弱気若しくはどうでもいい。それが現実じゃないですか言うほうも言われる方も。つまり根気比べみたいなもんなんですけど、主人公みたく「恐いさん」に対しても一貫した姿勢というのはドラマの中でも言ってたけれど「覚悟」というのが必要なんでしょうね。ちょっと私には無理っぽいです。雪降る夜のブランコは見なかったことにしてあんたはスゲエと。

でも「人間だから分かり合える。」というセリフはそうだよねーと感じます。クレームを直ぐというかその場で済ませたいが故に立場からしかものを言わないということは人間らしくない行為なんだなあと。突き詰めれば人を好きじゃないとなにも解決しないということなんでしょうね。買いたい客と売りたい店員という立場でしか会話をしないから、酔っ払いさんの「昔はよかった」ってセリフに繋がるんでしょうか。満足しに来た人と満足させたい人が会話をすればお互いの利害も繋がるってことなんでしょうね多分。満足なんて人それぞれで千差万別なんですから、それを知るには多くの人と出会うという経験が必要となるんでしょうね。

時間というか長い眼というものが大切なんだろうけれど、短期に結果を出すためのノルマやマニュアルとかで縛られてがんじがらめになってるのが現実のような気がします。そう思うとやはり今の世の中間違ってるような気がしますんですけど気の迷いでしょうか。

奥さんへの保育園でのクレームにしたって「任せる・委ねる・信頼する」といったことが出来ない「自分しか信じない世の中」というのも切実に身につまされます。結局奥さんは辞めざるを得なくて挫折してしまった訳ですが、そこらへんがやけにリアルで、なんかの研修ビデオとかと違ってなんでもかんでも無事解決するほど世の中は正しくないといってるようにも勘繰れてリアル感が増します。

石橋蓮司さんが主役じゃないかと思える程インパクトがあったんですけど、他のクレーマーさんも上手い役者さんばかり配置して、こんないい作品、この時間帯じゃあ勿体ないんじゃないかと思いました。東海テレビさん制作のドラマだからなんでしょうか。「ガンジス河で・・・・」もメーテレさんであんな深夜と呼べる時間帯だったし、地方局の悲哀なんでしょうかねえ。いいものに対してはもっと優遇しろ!責任者出てこい!って見てるそばからクレーマーになってどうする。

そういえばエンディングで奥さんが「貴方もクレーマーにならないでね」ってみたいなこと言ってたっけ。ま、自分だけはならないように努力することが肝心かあ。

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のだめカンタービレ・第二夜

ホントに「上野樹里」という役者さんは陰と陽を、同一のキャラクターで矛盾なくしかも振り幅を大きくしても破綻しない表現力を持った役者さんだと改めて感心しました。表情豊かといってしまえばそれまでなんですけど、ピアノに向かう芸術家の顔や千秋に接する時の顔など様々な多面体の表情(まあコスプレもありましたけど)を魅せて、もし数えたら一体幾つあるんだろうかと。

芸術家(創造者)とアーティスト(表現者)の境なんてよく分かりませんが、一途な狂気が垣間見えて芸術家らしくにきちんと見えました。

先生が「君は何をしにここに来たんだ」と言う問いに答えられなくて先生が出て行った後、悲しみを飲み込むような喉の動きが印象的でした。眼(顔)なぞ映っていなくとも感情が伝わる表現に感じて、うめ~なーと素直に感じましたわマヂで。目的を見失って迷走が始まった時はどこまで落ち込むんだとはらはらさせてくれましたけど決して死のうとか逃げようとかしない強さがのだめにはあるんですねえ。今頃気づきました。強い人です。昔の歌で

「妻を娶らば才長けて みめ麗しく情けあり」というのがありましたけど、才能は確かにあるし顔だって「上野樹里似」ですから悪くない。でも情けがあるとは言えなさそうなので千秋も悩むとこでしょうね。むしろ

「友を選らばば書を読みて 六分の侠気四分の熱」って感じで、六分の狂気と若干字は違いますが音楽に対する情熱といい学校で猛勉強する姿といい良き友という方が良好な関係を築けるような気がするんですけど、どうでしょうというかどうなるんでしょうこの後は。気になります。(原作読まないんで分からないんです)

第二夜は音楽家が玉木さんと樹里ちゃんだけだったので(山田さんの演奏シーンは以前からよく観る手法の表現だったので除く)、第一夜の時に感じたようなざらついた違和感はなくきっちり構築された音楽とのコラボの世界にのめりこむ事ができました。

ギャグは今回少なめに感じたのですが、エッフェル塔から落ちる音はナイスでした。他には紹介番組でもやってた「ありえない風」って解釈、ドラマではリアルに枯葉・雨・新聞紙でしたけど、コントだったら人とか家までありえないものまで風に飛ばされてますけど、流石にそこまではいかなかったですねえ。ま、細かいこと言ったらキリがないし不満ではなくただの勝手な欲ですから。

ベッキーさんて得な人ですよねえ。ど派手な服でも化粧でも堪えうるんですから絶対日本人顔より得してますわ。「終わった」と言った後の脱力感はツボでした。役者さんとして上手いとかじゃなく、この世界の住人としてのキャラとして一番輝いていた感じに見えました。

余韻の残るエンディングでしたし新たなライバルも出てきたことだしまだ続きは当然あるんでしょうねえ。豪華に作り過ぎて次回作に回す予算がないなんてことだけは避けて欲しいと願う次第であります。

お話もよーでけとるし、役者力も堪能出来たし、いい音楽も聴けたし画も美しかったしと、一杯言ってるけど言うこと無しですな。こいつぁ春から縁起(演技)がいいということで。

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*どうしてくれるー?

意味はまんま。強引に説明すれば、私は被害者あんたはどう責任とってくれるんだ、とかいう意味であろうか。他の言い回しとしては「どうしてくれるよー」・「あんたどうせすよー」・「どうしてくれるだ?」などがある。

「~してくれるだらあ」という表現だと要求する言い方になる。

どのように事後処理をするんだというニュアンスなので、こう言われたらゴメンと謝るだけでは言った相手は納得しないし繰り返し謝るとかえって怒りを増幅させてしまう危険性がある。それでも策が無くひたすら謝り続けるかひたすら黙り込んだりすれば「しょーがねーなー」と見捨てられてその場の決着はけりがつく。ただ無能という評価は当然付加されるが。

他の地域で仕事をした人に言わせると遠州は、善後策を具体的に伝えれば比較的相手は納得してくれる部族だそうである。以前にも書いたことがあるが、起こってしまった結果について謝罪しろと言うことのほうが他の地域では重要なポイントになるらしい。善後策はやって当たり前という発想らしい。

「なんしょやらまい」の言葉があるように見切り発車的行動でも許す風土があり、多少のミスは仕方ないという許容性が遠州には存在するのかもしれない。その分「善処します」なんて曖昧な表現を使うとキレる人は多いかもしれないが。

もっとも最近はキレやすい輩が増えて過去の特徴となりつつあるようであるが。

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