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ルーキーズ第四話

昔金八、今ごくせん。新星役者の登竜門的存在のドラマの代名詞。

ルーキーズはどうなのだろうかというと、これからという方も出演されておられますが、達者な役者が暴れる広場という感覚がしてますです。

全体的に実年齢よりも下を演じてられていて、高校生にしてはお歳を召されてらっしゃる方とかもおられます。これからの将来性みたいな素材を愛でるというよりも役者力を観賞すると言う感じが強いです。別に今がピークの人をという意味ではありませんです。将来性を見越して(期待して)揃えたのではなくそれぞれの役を表現出来得る最善の役者さんを掻き集めたという感じがしてますです。

それだけにどこをいじっても話しが作れて画として成立するくらいの層の厚さを感じます。だからと言って色気出してそれぞれの美味しいとこだけつまんで提示となると散漫な印象に陥る場合もありますけど。

今回は多少そんな感じがしましたです。キャプテンの苦悩、若菜の苦悩、校長の策謀、背番号10番の意味。全部繋がっている話しですから余分なものは存在しないんですけど前回まで一撃必殺的なひとつのことに的を絞った感じで進んできていたので今回は今までと違う感覚にはなりました。

マンガから興したドラマですが、上手く(損ねることなく)表現されてる部分と逆の部分を何気に感じます。川藤の「熱さ」が冷えることなく伝わって来る感じがホント上手く転用されてるなと。逆にギャグについてはマンガだと笑えるけどドラマでは笑えない感じがしてますです。桐谷さんには笑えるのでやはり絵の表現でというのと人が動いてというのとはツボが違うんでしょうか。笑って感動できる作品というイメージが強く残ってるので、ドラマは硬派過ぎる印象がありますです。

これからはいよいよ熱血野球編へと突入して行く訳ですが、間違ってもリアルさを求めることだけはしないよう観る側としては心掛けないとと思っております。あくまで絵のマンガではないとしても画の漫画であって実話でもありえる話しでもないでしょうから。夢を壊すなと言われそうですけど、彼らは才能あるメンバー達で元々素質あった者達が寄り道してただけの設定かもしれませんけど、勝ち進んだりしていけばマスコミの餌食とかに直ぐされて。そうなりゃ坊主頭が必然だと思ってるような高野連が校長と組んで潰しに懸かるのが世の常でしょうから。煙草を吸う・傷害を起こすということは現実社会においては決して軽いオイタなことではありません。

そんな世知辛いこと考えながら観たって面白くないですからあくまでマンガ。アトムやシャアと同じ世界と思って見ないと楽しめそうにありませんから。そこらへんの塩梅がどうなるのか気にはなるとこです。もう割り切ってぶっ飛んでくれると嬉しいんですけどね。野球をどう映像で表現されるのか。時間の経過と共に淡々と描くのか一分描くのにまるまる一時間かけてでも心臓の高鳴りを抑え切れない緊張感を描くのか。巨人の星並みに足上げて投げるのに一週間待たなきゃいけない展開でも待てますけどね私は。

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キミ犯人じゃないよね?その5

ウリのひとつであるコスプレ。今回のはピンクレディもどきの宇宙人。そう思えたのは私だけでしょうか。スカートとか長袖という相違点はあれどUFO唄い出しそうな雰囲気に感じました。唄ってはいませんでしたけど。ついついとはしたなくも胸に視線がいってしまった衣装ではありますが、髪形とかも結構個人的にタイプで見入ってしまいましたです。いい意味でイマドキの女子に見えない要因のなかで眉毛がしっかりしているということと髪の色が変色していないとこがあると思われます。包帯クラブの時の共演者か何方(どなた)かが語った「貫地谷しほり」像について「いつも前髪を気にしている」というのがあったと記憶してるんですが、その割にはコスプレにあわせた色んな髪形しているので、そういう癖(?)とかはもう克服されたんでしょうか。

要さんの「もってかれた。」というフレーズはいいですねえ定着してきた感じです。タイトルの「キミ犯人じゃないよね」より決まってる勢いです。こうなったら番組タイトルも「やべ~もってかれた!」とした方がいいじゃんと思えるくらいのインパクトがあります。

要さんのアドリブなのか台本どうりなのは知りませんがえらく間の抜けた細かい動きやセリフが垣間見られるような気がするのですが、しほりんのそれらの反応の捌き方が気にも留めない見捨て方に思えて、そこがまた逆に面白いんですよね。空気的には親に構って貰いたくて気を惹こうと色んな事をする子供とそれを軽く受け流す親みたいな親子の風景を見てるみたいで。

力の入り方もさくらが脱力系で宇田川が活動系ですし、動と静の組み合わせで丁度のバランスを組み立てようというならば、しほりんは不動の静ですから要さんの空気読めないような動きやセリフがより加速した方がもっと楽しくなるのかなということで要さんに期待をするところであります。

今回は知能犯に見事利用されたという展開で、意外性があって推理物としても結構愉しめた謎解きでありました。

リアルな事件の謎解きの波乱な展開というよりもありえないまったり系な感じがするので映画的な長回しみたいな間を大切にした映像だと眠くなる危険性を感じるので、細切れでポンポン展開していったほうが観やすいかなと思うとります。さくらはもうゆったりした感じが構築されてるので早い展開でも慌しい感じには映らないような感じがするのですが。

でも描き方がどうのこうの言うよりも面白い謎解きにかかっているような感じがするのでそういう事件に遭遇して欲しいとこではあります。もうお約束で犯人が誰なのか見てる側は判った上での展開でしょうから、参考というか比較となるのはコロンボか古畑ということになるのでしょうか。どなたかの感想で「もってかれた」女性が必ず犯人なんだから真の名探偵は宇田川じゃないのか?という説を読みましたがごもっともと思いました。だから「もってかれた」時点で逮捕しちゃえばいいのにという締めの言葉も益々もってもっともだとは思いましたがそれじゃあドラマになんねえべ?

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パズルその6(PIECE4)

お宝のヒントがたまたま鮎川達の高校の映画部の生徒が撮った自主映画に映ってしまったことから今回のお宝探しが始まるのですが、なんで鮎川達がいつのまにかスタッフの食事とか当たり前に慣れ親しんで食ってるのかとか言う突っ込みは置いといて、はまると言うほどではないにせよ回を重ねるごとに面白くなってきたような感じがしてきました。毎回豪華なゲストの方が登場されてこれはこれで気合が入ってる作りだなとは思えてきます。それにだんだんと色んな事がお約束化してきました。っていうか馴れてきました。

あくまで儲け話は生徒からの横取り。行動は貴重な休みの日の土日の二日間。最後は空で戻って生徒に八つ当たりのお仕置き。このドラマの警察は案外優秀で危ない時に助けに来てくれる白馬の騎士。基本謎解きに警察は関与せずあくまで鮎川一人が解く。

結構二日間ってのは重要ですよね。短期決戦での宝探しということですからサクサク進めないと月曜日に学校行けなくなっちゃいますから。だとしたらそうとう有り得ない無茶振りな展開にならざるを得ないわけで。しかも殺人まで起きてしまうのですから、こりゃもう不可思議な謎の提示と行き当たりばったりな謎の解明に終始せざるを得ないから余計なギャグが少ない訳だ。って納得してどうする!

謎の解明はそりゃ重要ですよ。だけどですねえ、鮎川やいたいけなそれでいてプライドだけは高いというお間抜けな3人組のキャラが立ってるだけにこの連中のギャグ満載にも期待したいわけですよ。なのでもう毎回書いてるに近いんですけど一話完結という縛りは取っ払った方が遊べると思うし、そういうの観てるの楽しいんですけどね。ただ毎回豪華なゲストが出られてるのが災いするのかどうかは知りませんが一話完結は外せないお約束事なんでしょうか。だとしたらだいぶ残念です。犯人が判った時点で犯人の逆襲に遭い主人公危機一髪というお約束別に設けなくてもねえ派なんです私は。ゲストに華持たせないでも素直に観念してお縄頂戴でいいじゃんか主義なんで。

あいかわらず胡散臭い雰囲気作りは「トリック」譲りでとてもいかがわしくてそそりますです。ゲストに登場する方々のキャラもホント濃くて変にナイスです。今回は勝手知ったるドラマ撮影班での出来事。監督の名前からして巨匠のおちゃらけだし挿入されるドラマ映像とか「少林少女」と「家政婦は見た」の合体おちゃらけだろうし、学生の映画は「ダンドリ」と「ごくせん」の合体パロディなんでしょうかねえ「ウォーターボーイズ」という目もあるかあ。。とにかく細かいギャグ満載でしょーもないとこで見所満載の感じです。作り手が遊べて演じる方も遊び心があってそれ観て愉しめる三方丸く収まるのが理想なんですけど、今回はそういうエッセンスが垣間見られた感じがしますです。

石原さとみさんのファンというほどではないのでこれくらい弾けても私は気にならないんですが、以前からのイメージを持ってる方にはこのキャラはついてこれないのでしょうかねえ。馴れの問題でしょうから落ち着けば愉しいと思えるんですけどねえ。なんの不満もございませんです。表情的には英語が話せなくて外人に見つからぬよう衣装の影に隠れて「なんだよ~」とかいってるようなとこの表情とか夜にロケ弁(カレーじゃない方)口いっぱいにほおばって左ほほがぷくんと膨れ上がってる能天気な表情とかが目新しくて良かったです。

男子3人組ですが、私は三人似通ってるから面白いと思ってるんですけど、人によってはそれぞれが得意分野を持っていて(サンダーバードの1~3号みたいな)状況状況ごとにエキスパートがそれぞれ輝く方がいいと言う人もいます。一理ありますが私はこのままが好きです。先週は鼻血出してたし今週は胡坐かいたりと弾けておられますがそういうとこも根性ありと評価したいです。

それにしても女子3人組相変わらずイマイチ存在理由が不明です。大抵事件の核心をつく頃には消えて(映らない)しまいます。鮎川並に裏表のあるキャラなんですが、裏表なく大人しい淑女のままで(声も砕けずに)キツイセリフ言ったら面白いのになあと思うんですけどね。笑いながら怒るみたいな感じで。ここは鮎川とキャラ被せない方がいいと思うんですけんど。

とにかく冷静になってみると今のところ人に面白いよと薦めるには勇気が入る感じですがなにか一皮剥ければ物凄くはまりそうな雰囲気のあるドラマで少し歯がゆいとこを感じます。

で、余分話しでロケ地のことですが、再び浜松。今度は春野町とかいうことで、流石に秋葉山以外の春野町はよく知らないのでこんなとこあるんだという感慨です。

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*しゃんべえ

口が軽い奴・おしゃべりとかいう意味。

「しゃべくる」(無駄口を叩く)と言う表現と共通するいい意味ではない使われ方をする。

のんべえという表現の親戚か?

言葉遊びを作れば

「もうホントあいつのんべえにしゃんべえでしょんねえ。酒入ってしゃべくりだしたらはあだあだあでえの。止まりゃせん。」

  (もう本当にあいつは飲兵衛で喋り魔でしょうがない。お酒が入って喋り出したらもう堪らないよな際限がないから。)

例文

「こないだ人違いして恥かいただって?」

「なんでそんなことあんた知ってるよお。」

「え~だって○○がそーゆってたにい。」

「あんのぉしゃんべえがあ!今度あったらただじゃおかん。」

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ラスト・フレンズその11(第5話)

あくまで私が受けたイメージですが第5回は樹里ちゃんは小休止。瑛太さんと長澤さんが主に映えた印象でした。

瑛太さんは瑠可との未来を想像したり悩みがばれて尊厳が打ち崩されたり瑠可に頼られて復活したり逆に「さわんな!」と堕とされたりと、とにかく感情の起伏の激しい表現を要求された回のようでした。しかもリアクションや言葉でなく眼でそれを見る側に伝えなきゃいけない静のタケルだけに難しいんだろうなと思いましたです。今回誰が一番可哀想に見えたかというとタケルでした。ところでこの時点で瑠可の最愛の人が美知留だということはタケルは気づいたんでしょうかねえ。あの最後のセリフは尋常じゃあなかったって私如きでも分かりましたから聞き上手のタケルが確信は持ててないにしてもひっかかりには思えたんでしょうか。

瑛太さんは事象を押し出して自ら展開を切り開く「押し」というよりも事象を一度飲み込んでそれに反応する「受け」が似合う方に思えますです。運命に翻弄される役とかだと安心して見てられる感じがしますです。その反対なのが樹里ちゃんで恒に孤高であれ集団の先頭であれ樹里ちゃんが動くと展開も動くかのような「押し」がはまる感じがしますです。そういうとこから見るとこの二人のコンビは抜群だなと感じますです。

美知留がタケルと二人きりで会話するシーンでは長澤さんには背中越しの画がありましたですが、正直言いますとまだ背中で何かを語るという感じはしませんでした。私は背中で何かを語れる、表情が思い浮べれる役者さんが好きです。顔は持って生まれた天賦の才かもしれませんが背中は生きてきた人生の証として努力と年輪で培われるものと考えていますです。それが滲み出るには20歳はまだ若いということなんでしょうか。(もうすぐ21ですけど)

樹里ちゃんはもう男にしか見えませんです。勝手な推測ですが、医者は認めてはいませんが性同一性障害ということと真剣に向き合う決意を固めた瑠可。いつかみんなに宣言するんでしょうか。そうなった時、この人の悲しむ顔は見たくないといった最大の理解者である父が、なんでも本人の意思を尊重してきた父が、もしもこれだけは拒絶反応起こしたら瑠可は精神的にどうなっちゃうんだろうという試練をまさかドラマは提示しないでしょうねという畏れをつい感じちゃいました。なんか悪い方悪い方にドラマが進行しているのでこういうよからぬ不幸も想像しちゃうんですけど、流石にもしこう言う展開になったら思いっきり引きますわな。ついてけませんですわ。そうならないことを信じたいとこです。あくまで勝手な憶測です。

唯一ご陽気なムードメーカー的な役柄かと思ってた水川さんもアイタ!なシビアな展開だったのでこの回全体息継ぎがしづらかったです。瑠可の両親が出てきた時はホッとしましたしたです。目立たないんですが居なくなる(らしくない)とその存在感がありがたいエリという存在に思えました。

対照的ともいえる宗佑。心の病を通り越して狂気に近づいて来たかのようでありました。このまま善いところは美知留以外誰も知る由もないまま悪役化してしまうのでしょうか。観てる方はそういう勧善懲悪的要素の方が楽なんで判り易くはなるのですがそれだと実際に起きているDVの現実とかけ離れる絵空事に寄ってしまう訳で。ここは宗佑にも五分の魂があるとこを示していただきたいところではあります。

視聴率に興味はないのですが、この回今までの中で最高だったとか。だとしたらここから観始めたら弱ってる宗佑を拒む美知留はなんて女性だと映る人もいるかもしれないですね。やはりドラマは最初から観るもんですなあ。とつくづく想いましたです。そういう遅れてきた人をも巻き込んでいかなければいけないテレビの宿命があるとするならば作り手の側からして見ればより深く切り込めない歯がゆさとかがあるんでしょうか。にしちゃあ骨まで達してる深い切り口に感じますけど。瑠可が自身悩みながらも挫折することなく強く前に進んでいるからこれだけダークの世界の闇が晴れなくとも唯一の希望の光りとしてドラマを見てられたんですがそういう瑠可にも今後容赦なく闇が降り注ぐのでしょうか。その時は美知留が瑠可の役割を引き継ぐんでしょうかねえ。んなわきゃないかあ。

瑠可がくじけたら周り(タケルやエリ)が支えようともこのドラマそのものが崩壊しそう(観てられない)ではありますな。いくらバトンタッチで美知留が強く成長しようとも。

少し気になるのは時々女性陣の眉毛がなくなって見える感じがしますです。光の加減のせいなのか眉そのものをあえてそういうメイクにしてるのかは判断つきませんが、そこんとこは個人的にあまり好きくないところですわ。

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報道より先に

山田優さんに関するニュースで、山田さんのブログでのコメントが芸能ニュースで引用されていた。まあ普段よくある光景で特別ということのない話しなのではありまするが。

報道でブログを紹介されてどれどれとブログに伺う完全なる後追いタイプなんですよ私は。つまり普段読者させていただいている方のブログ記事がニュースに転化するということが初めての経験だったんですわ。

山田さんは「アキハバラ・・・」と「プルコギ」の映画二本拝見させていただいて、男子の中に混ざると映える人だなあと感じていて、で、「ボンビーメン」始まる前くらいから読者しだしたんですけど、どこぞのテレビで小栗さんの呼び方の変化とかそれらしく解読されてましたけれど、私の甘い読み方ではとてもそこまで読み取れない明快に告知・近況報告的な文章を書かれるお方だなあとお見受けいたしておりました。

でも不思議なもんですよねえ、テレビとかで騒がれる前に読んだブログ記事とテレビのテロップで引用として流されるブログ記事って、なんか受け取る印象が違った感じがしましたです。あまりというよりほとんど人の恋路に興味はないからなのでしょうかプロが煽る・盛り上げるとはこういうことを言うのかと。

いずれにせよ今日のテレビとか見てると「潔い」とかで好意をもって迎えられてる印象を受けますんで今回私は発表の成功例を見たということになるのでしょうけど。ホント炎上でなくてよかったなあと素直に感じますです。

話し脱線しますけど、私が役者さんのブログとかにお邪魔する理由は、依頼された役柄についてどう取り組むかとかどう取り組んだとかのお芝居に対する心意気みたいなものを読み取りたいなという希望があって徘徊させていただいてるんですが、ネタバレになるとか芝居は技術だから無暗に教えないといったしがらみのルールや機密事項や企業秘密なんでしょうか。周知告知・現場のレポート・感覚(楽しかったか頑張ったか)的な内容のものが殆どでなかなか何と格闘したのか何を表現したかったのかというようなことを書くブログとかに出会えませんです。監督さんとかのブログだと結構そういう面を見せてくれる方がたまあにおられるんですが、役者さんは色々と制約があるんでしょうかね。そこんとこが残念といえば残念な部分です。少なくとも今のやり方が役者人生続ける限り変わらないことばかりなら書き留めることもないのでしょうが、もし自分でも気づかないうちに変わっていくとしたら時が経って読み返したらその変化に気づくこともあるやも知れぬと。役に近づくためのやり方とか精神的な持って行き様とか。衣装の選択基準とか。

舞台挨拶という限られた人に限られた時間でしかも人前でという緊張の中で語るよりも、ブログとかでじっくり語って欲しいものであります。その方が伝わるものが深いんじゃないのかなと思う次第であります。インタビューとかだと質問されなきゃ言いたくても言えないじゃないですか。

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ラスト・フレンズその10(第5話)

小倉(山崎さん)が奥さんを愛してるのに何故エリとおそろいのカップを欲しがる理由がイマイチ理解できていないのですが。そいうとこ色々と挙げると(重複しますけど)、何故瑠可は美知留でなくてはいけないのか。「暴力男ばかりが男じゃないよ。」と美知留に言ってたけど、瑠可はどうなのさというツッコミはありますな。美知留だけが女じゃないよって。唯一無二の根底にある柱を提示してくれると非常にありがたいと思ってたんですけど、知り合いに言ったら「そんなこと言ってたらドラマなんか成立しない。好きなものは好きでいいじゃんか。」と言われてしまってそうなのかなあとも思ったりもしています。

それはタケルについてもいえる訳でもあって数多(あまた)の女性は駄目で瑠可はいいのか。まあこれについては、異なる理由ではありますが(タケルは過去の忌まわしい記憶・瑠可は性同一性障害という病?)異性に対する拒絶反応を示すということでは同じ悩みを持つもの同士で、それが直感で嗅ぎ取ったってことなんでしょうけれど。

美知留は宗佑に対し暴力が怖いからとはいえ、なんでそんなに下手に出るんだろうか、今は反撃するまでのマグマを溜め込んでいる時期なんでしょうか。

なんてこと思いながら第5話に突入したのですが、この回のメインはタケルかなという印象を持ちました。メインの流れとしては美知留が今までの宗佑に対する態度とは異なって自分の意見を言う対等の立場を宗佑に投げかけたこと。それによる周りの人が見守るしかない歯がゆさからどう振り回されたかということでしょうけど。

でもやっぱこの回はタケルの回だと思えましたです。オアシスであるべくシェアハウスにおいても女性恐怖症(?)という自身の闇が仲間に知られ、頼りの瑠可には好きな人がいること知り。ホントなにかが崩れ落ちるような不安感に陥りながらも。それでも瑠可に人として頼りにされてるからまた気持ちを整理して瑠可を支えようと決意する。しかぁし、「さわんな!」と突き放されて唖然として立ちすくむしかない。まあこんだけよーも天国と地獄を一時間の枠の中で行き来するもんだと。改めて瑠可が見るタケルとはどんな存在なのか考えてしまいますです。

で、弱り目に祟り目の宗佑ですが、体が弱っているとはいえもうここまでくると断末魔状態にしか見えて来ません。やることなすこと裏目怨めで一回人生リセットしなきゃどうしようもないと考えるのも納得しそうになりました。今から死ぬと電話するのはあてつけとしか言いようのない迷惑なお話しですよね。でも体調不良ゆえの世を儚んだ思考からくる行動でしたけど、もし全快してたらどうしてたんでしょうかねえ宗佑は。美知留に言われた色んな「~しないで」の約束を体調不良だから意にそぐわなくともはからずも実行してたんですけど、ホントもし元気になってたらその約束守ったんでしょうかねえ。それともやっぱり「そんなの関係ね~。」とばかりに以前と同じことを続けるのか。それとも逆恨みで瑠可かタケルに対して恨みをはらさんとするのか。ま、ともかくこの状態で死んだら美知留は一生自分があの時こうしていればと後悔の念を抱くことになりそうで、港町で穏やかな顔になっていたあのシーンには繋がらないんで多分死ぬことはないだろうなと踏んでいるんですけどね。

瑠可はこの回で視聴者に性同一性障害という人生の重荷を開示したわけですが今回はどちらかというと美知留の人生観(自分は弱い)を際立たせるための比較対象としての羨ましい恵まれた人生を歩む人間という描き方だったように感じました。もちろんやれることは着実に進んでいる瑠可ではありますが、今回は一休み的な印象はありました。ま、エネルギーを溜め込んでいるということで。

それにしてもご両親役の平田満さんと朝加真由美さんが出てくるとほっとしますです。若いメインの方々の緊張感溢れるお芝居が如何に鋭利に研ぎ澄まされたものかというのが分かる感じです。今朝のとくダネ!での瑛太さんのインタビューで「ミリ単位の芝居」という表現をされてましたが、大袈裟な演技とは違う張り詰めた感じがするのは私みたいな素人でも伝わってきます。ただたまには変化球も投げないと観てる方は眼が慣れちゃうので緩急はつけた方がいいような気がするのですけど。

そんで、皆をはらはらやきもきさせる美知留でしたが、宗佑に対する踏ん切りがそれなりについてからは一番大人に見えましたです。母親的な包容感にも思えましたです。自分の立ち位置に夢や幻想を挿まず冷静に見ていて今出来る事を悩みはあれどしっかりやるんだという感じがしましたです。もっとも宗佑に対するズルズル感は相変わらずでよく理解できない人ではありますが。恋は盲目と言う言葉の実践者なんでしょうか。タバコ止められない私みたいなもんなんでしょうかねえこのズルズル感は。傍目から見ると見苦しい根性なしなんでしょうか。

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*ゆう

「言う」をいうと発音する人は遠州では少ないと思われる。普通は「ゆう」が多い。

「よをゆうた」(よく言った)・「よをゆうわ」(よく言うよ)・「なんちゅうことゆうよを」(なんて事を言うんだ)・「ゆったもん勝ち」(言った者勝ち)・「ゆわん方悪い」(言わない方が悪い)・「ゆっちゃかんでねえ」(言ったら駄目だからねえ)などなど

例外的な「なんちゅうこんいいくさる」(なんてことをゆうんだ。)ものもある。中にはきっちし方言を守って「なんちゅうこんゆいくさる」と言う人もいるが。そういう方向で、「言い草」を「ゆいぐさ」と言う人も当然いる。「物言い」だけは今のところ「ものゆい」と言う人に出会ったことは無い。

言うと云う表現のほかに

「こく」・「たれる」などもある。

*たれる 文句たれる・ぶーたれる・ぐちたれる

あまり前向きな言葉に対して使われる表現ではない。

*こく なにこく(なにを言うか)・ぶつくさこく・ためこく(タメ口を言う)

こいた、こきゃあは同じ

*ゆう なにょゆーだあ・なんでそんなことゆーよー・よーゆーわ・わしんゆーこん聞けんだか

例文

「あーそーゆーこんゆーだー。ふーん。」

  (嗚呼そう言う事を言うんだ。へー。)

非常に突き放した嵐の前の静けさのような冷たい表現。その雰囲気を察知して

「いや、わし別にそうゆうつもりで言ったじゃないだに?」

「じゃどーゆーつもりでゆっただ?」

言い訳したために逆に火に油を注いでしまった会話。この後は沈黙か早々に退散となるが一番。

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遠州人どっちが聞き取りやすい?

三河弁はほとんど遠州弁と同じなので、多少のざらつき感(単語とかの違い)はあるが聞き取りは楽である。では近隣はどうかという問題。ただし個人的な経験上の感覚によるものなのでこれが一般論や理屈的に正しいのかは定かではないのであしからず。尚、相手も方言で言ってきた場合のことなのでお互い共通語話してるつもりの場合の話しではありません。

まず駿河。一応同県ではあるが、厳密でなくとも違いが結構あって意外と会話してて何それ?と感じることが多い。イントネーションは同じなのだが単語の意味に共通点が少ないからである。

次に尾張。これは駿河と対照的でイントネーションは異なるのだが単語そのものは共通項が多く、真似して話すことは出来ないがヒアリングにおいては問題ないことが意外と多い。

三重県。伊勢・志摩・伊賀の国であるが正直どういう違いがあるのかすら知らない不勉強者ですが、経験として一度三重から来た偉いさんの発する言葉が皆目見当もつかなかったことがある。関西風のイントネーションなどもあってゆっくり話して貰わないと聞き取れない。初対面だと遠州人にはまず聞き取れない未知の言葉なのかもしれない。

長野県。実体験であまりお付き合いがないので分かりません。

岐阜県。岐阜市とかは名古屋に近いので余り苦にならないが、奥美濃・高山といった辺りだとちんぷんかんぷんである。

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5/7の記事 無限の色彩と小さな革命。を読んで

水田さんの「芙響和音」の5/7の物語。第一印象として、これはいい文章だなと思えましたです。物書きらしい文章だなと。尚あくまで私の薄っぺらな感想なので共鳴して貰うためのものではありません。そしてあくまでこれは創作物であって実話が土台となっていたとしても作り手がつくりあげた世界という前提で読んだ上でのものです。自叙伝とかには興味はないのであくまで創作だとして読んどります。反論がおありの方もおられましょうがあくまで私の限られた色彩の中での色使いの中での感想です。なので私にしか分からない散漫な文章でしょう多分。あくまでメモ残しですんで。

人見知りの主人公が活発な子との出会いによって視野や世界感が広がり、そしてまた別れを知るというこの年齢にしては小さいどころか波乱の出来事を丁寧に感情を抑えて描かれていますです。旅立ちに必要な導きの書は「ウォーリーを探せ」。

ストーリーとしての柱心がしっかりしているから軸がぶれずにすらすらとテンポよく読み進めました。その楽できた分の余裕で読み手自身が主人公となってあゆみちゃんを見てる感覚で読み進めるという読み手がその世界にいる感覚になります。私の年齢からすると随分昔にルーラしないと辿り着けない年代の筈ですが何故か自分に置き換えて遡れることができました。

作者の意図を読み取ろうというよりも、作者はこの遡った空間を提示提供するのみであって、作り手の手を離れて読み手である自分の空間で物語が構築できる感覚です。つまり自分がお稽古事の生徒としてその場に居るような感覚で「水田芙美子」の存在なぞいなくてもいい。というかまだ「水田芙美子」の人格が形成されるまえの話しだから存在してないということも言えるんだろうけれども。

今までの芙響和音は水田さんを詠むというのが基本姿勢だったのですがこれは純粋に提供「水田芙美子」という感じです。だからどういう捉え方しようとも読み手の勝手で正解はない筈だと。

自身が変化する事象の瞬間を写し取るために描かれていて、それを読み手も疑似体験してるような錯覚を与えてくれます。そうそう自分が変われる機会なんて訪れる訳じゃないだけに擬似ではあれどこういう経験を積めるのは本やドラマ映画を観る醍醐味でもあるのです。

そういう意味では、プロの文章に近づいているんだなと思えてきますです。お仕着せな結論ではなくこの出来事をどう捉えたのかは読み手の自由というとこもプロの(売り物になる)仕事だなと。この寸止め加減がいいんでしょうか。結論ありきなら結論だけでいい。投げかけで後知らないという突き放しのような冷たさとかがない温かみを感じる空気感があるのは良い想い出が基になっているからなのでしょうか。あゆみちゃんを勇者、大人(先生)を竜王と決め付けない傍観者的立ち位置も革命前のおたおた感が彷彿とされて身につまされます。事は違えど大なれ小なれこういう出来事は誰しも経験したことかもしれないです。だからその後大きくなってこの出来事が今の自分にどう影響があったのかということをあえて深く記さないところが読み手自身にも置き換えられる要因なのでしょうか。

自分の信じたことは何があっても曲げない信念につき動かされた。本の読み方や教師の放つ大人の意見に出くわして答えはひとつではないと悟った。など他にも読み手の数だけ想う事があるやもしれぬ。私は譲れるものと譲れないものというよりも答えは多面的なもので決してひとつではないことと捉われましたけど。

ただ個人的には鍵になる導きの書であろう「ウォーリーを探せ」そのものの重要性があゆみちゃんの存在と同じくらいだとは思わずに読んでるので、この本が後にどういう導きを与えてくれたのかが想像膨らませられなかったですけんど。とりあえずはものの見方(楽しみ方)はひとつではないことを知ったってことなのかと解釈したのではありますけど。あゆみちゃんに感化されたのかあゆみちゃんに教えてもらったものの見方に感化されたのか。そのいずれもでしょうけども、私は本からヒントを貰ったのではなくて、あゆみちゃんが本を使って自分を変えるヒントをくれたと云う風に読んでいったのでもう少し描くバランスの比重に順位をつけてくれたらもっと分かりやすかったなあと読解力のない感覚読みの私としてはそう想えましたです。もう「ウォーリー」を読んでも愉しくないということで別離の寂しさを表現されてるのは不可欠ですけど、別のつまんない本でもあゆみちゃんから教わった見方をしてみたら違う世界に読めたとか。「ウォーリー」が特別なんじゃなくて見方を教わったことを私は重要視したんですけど。

あとあゆみちゃんの目の輝きをもう少し映してくれるとありがたかったとこです。いつもどんな時でも自信に満ちた同じものなのか。それとも休み時間・無茶して大人に怒られてる時・最後の授業それぞれで目の輝きに違いがあったのか。記されていたら私みたいなものでもあゆみちゃんの心情が垣間見れただろうなあと。それとも読み取る必要がないからあえてはしょったのか。

なにかの制約で書き足らない部分もあろうかとは思いますが場面描写がそれなりに丁寧なので展開の流れが一定で澱みなく読み進められ、急に早くなったり立ち止まったりということがないからテンポ感よくとても読み易い。深めに勘繰れば掘り下げたとこからボロボロと何かが埋まってそうな言葉使い(選び)は相変わらずで、そういう迷路にはまる様を愛でる作者の無意識のトラップは感じるけれど今回はいつもよりその穴は浅めに掘られてるようにも見えました。もっともこれがないと水玉色の文章らしくないのだけれど。

こういう作者の存在が消える文章を好むかどうかは「芙響和音」の読み手からすれば賛否分かれるかもしれませんが、我が身が投影できる共鳴感が私は好きです。文章で賞を獲る宣言はパルプンテを唱えたのかと思いましたが今までの攻撃的な放射的表現とこういう人を巻き込む包み込み的な表現が両立出来ればありえない話しでもないのかなと思えるようになりました。ギラやバギといった攻撃的な呪文ばかりでなくホイミやルーラの補助系も使えなければ勇者にはなれないと言うところに近づいたというところでしょうか。だからといって浜松の本屋に著書が並ぶ日が近づいた訳じゃないでしょうけど。

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*おこらんでやあ

「怒らないで頂戴よ」という意味。多少悪かった反省してる的ニュアンスを含む。場合によっては多少の苦笑いをたたえた表情となる時がある。

近い言葉では、「怒らんだっていいじゃん」があるが、これは怒らなくてもいいでしょと言う意味である。怒るほどのことじゃないでしょという自分は悪くない的ニュアンスが含まれる。

「怒らんでもやあ」となると「怒らなくてもさあ」という「怒らんでもいいじゃん」に近いニュアンスになる。怒ってる理由とかを納得してる(それじゃあ怒ってもしょうがない)状態で使われる。

ちなみにマジで怒ってる人に「ちんぷりかあらんでも」(ふてくされなくでも)を使うと収拾がつかなくなるので使わないことが肝要と思われる。

例文

「そんな怒らんでやあ。おいてった訳じゃないだで。」

「そんな怒らんだっていいじゃん。誰も置いてくなんていっちゃいんだで。」

「そんな怒らんでもやあ。置いてく訳じゃないだで。」

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おせん(第参話)

「あっち」やのうて「わっち」(私)でおました。わちきの変形なんでしょうかねえ。ま、吉原じゃないんだからそこから流れた言葉ということではないのかもしれませんけど。

今回は見応えあるいい話しでやんした。私的な見所は二つ、主流の人を労わる心のもてなしとは。それと脱線の方言。

まずは主流の人情話し。謎の男竜さん(西村さん)は何者ぞという軽い謎解きもあり事の顛末の締めと具合といい、ほろりとくるじゃあないですかあ。騙されることも誠実の証で一概に愚図じゃあねえよと言わんばかりの粋を感じましたでやんす。むろんおせんさん(蒼井さん)分かった上での確信的犠牲者だからってのもあるんで馬鹿じゃ粋とは呼べないってとこはあるんでしょうけど。壱升庵を追われたと言う理由があったとしても、騙されたことに対してそれを落胆や怒りに変えない辺りがへえ~と感心しましたです。人が出来てるたあこういうこと言うのかと。先代おかみも長年の喉のつっかえが取れて好かった善かったことでしょう。竜さんを演じた西村さんのやさぐれ親爺から恨みの親爺へそして最後に逆恨みに気づく感謝の親爺へと移り変わる様が流石と言う感じで良かったです。料理が進むうちにかたくなな気持ちが緩んで穏やかになっていく様と料理をチェックから味わう・楽しむに変わる様が旨く合わさって観てて気持ちよかったです。なにせ前回まで現代の若造の鼻っ柱が折れるのを愛でるある意味勘違い野郎ぎゃふんの展開だったので、今回の思い違いから生じた誤解が瓦解して四方丸く収まる展開は待ってましたという感じもありましたんで。料理が全てを語るって感じでしょうかねえ。

感情を表にあまり出さなかったおせんさんですが今回は先代おかみ(由紀さん)にはさすが親子、きっちし言い合いしてました。きっちり感情丸出しで何でも言い合えるみたいでかえって仲のよさが見て取れる感じでした。お客さんや壱升庵のスタッフへの接し具合とはメリハリついてて別人かとすら思える一面に思えたおせんさんでした。脇に逸れますけど蒼井さんホントに和服似合いますです。髪型も真ん中分けよりもこの方が好みでさあね。確かに現代に染まっていない空気感が漂ってきますです。

ほいで脱線の方言の話し。竜さん(西村さん)の発するはとろろといえばの静岡の言葉。無論とろろですから駿河の方でわたしんとこの遠州ではござんせんが、そいでも難しいんですかねえ、イントネーション。どこの言葉よーとツッコンでしまいましたです。もっともイントネーションが近いだけで単語とか異なるんで私では正当な駿河弁に竜さんのセリフは変換できないですけど。鈴木蘭々さんの言葉が東北っぽいので色んな言葉を愛でる作品でもあるようで、それはそれで今後どんな言葉が出るのかなという愉しみがありますです。

まあ、元に戻りますけど、由紀さんがおられた方がなんか締まる感じでいいです。参話終了した中では今回が一番好きでおました。唯一というか、私飲み食いに興味がないんで美味しそうとか酒が旨そうという食べてみたい観点からドラマ観てもわからないんでそこいら辺は丁寧に画として提示されてるみたいなんですけど理解できないことがちと残念ではあります。

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相変わらず気が滅入るのです

トラックバックにせよコメントにせよ、人をなんだと思ってるといいたくなるような類(たぐい)のものが後を絶たなくてホント気が滅入るのです。私は貴方の金儲けの餌じゃあないし片棒担ぐつもりもありません。

有名人の名を使って、真意の程が定かでないプライベートの粋を越えた露出(しかも当人の了承なし)の映像画像を謳い文句におびき寄せ、入会金だあなんだのといちゃもんをつけて金銭を要求する。これを悪意を持ってと言わずしてなんと言うかと云う話し。

トラックバックとかは一応礼儀というか確認して、きちんとしたものなら表示するようにしていますです。何度も書いてますけどエロの類・記事と何の関係もないもの・色んなとこからの切り貼りで自身の意思がなにもないもの・単純に商売繁盛のお小遣い稼ぎのものについては排除する方向にしております。極稀にタイトルと関係なくても管理人さんが努力して作ってる様子が伺えるものとかタイトルはえげつないけど中身は本音が読み取れて興味深いとかいうのもありますから。

排除してるその中で特に悪意(騙そうとする)を感じるのがゴシップをネタにしたものです。しかもトラックバックしてくるブログとかは一見無害にみせといて、下手なところをクリックすると訳のわからないサイトに飛んでそこでお金を払えというものです。

つい先日来た奴はまさにその類で、飛んだサイトはユーチューブそっくりに真似た作りにして見慣れた感を装ってありました。凄く胡散臭いんでまさかここに来ただけで金せびるんじゃないだろうなあとすら思いましたです。幾らなんでもと思い直し利用規約という項目があったんでそこチェックしてみたんですが、どれかひとつでもクリックしたら自動的に会員登録とみなし95.000円会費を払えともっともらしい言葉で書いてありました。

ひどい話しだと思って出てきたんですが、ここまで悪どいと利用規約読んだ(クリックした)だけでも金よこせと言ってきやしないかとさえ思ってしまいましたです。ここまでくるとエロサイトでも来客数でいくらのアフィリエイトでお小遣い稼ぎサイトが可愛く見えるほどです。

ホントこういうのは止めて貰いたいし、通報できる機関があるのなら通報して排除して欲しいくらいです。こちらが壁をつくるのではなく発信側の存在を失くすということです。もうこういういたちごっこしてることが面倒くさくなってきつつあるので、こんなことが続くならコメントもトラックバックも「受け付けない」にしようかと考えが傾いていますです。

何に一番気が滅入るかというと、危険性を予測できない能天気な自分にもですが、お金の為に良心の呵責をも売り払ったような輩とネット上で繋がってしまうということに対してです。無くならないのならせめて、あくまで別世界の住人でありたい。

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甦る日本映画黄金期

最後には上手く映画の番宣に転換されていて、そういう操作は見事だなあと思いましたが、やっぱ広末さん観ちゃいますよねえどうしても。

なのでどちらかといえば、映画の黄金期を時代背景とした女性の社会進出奮闘記という側面で観てました。この時代には私まだ生まれてませんから当然当時のことなぞ知る由もございませんので、特に感慨もなにもありませんのであしからず。

三人の巨匠の作品は、黒澤作品は中央劇場での名作豪華三本立て500円とかで映画館で観たことありますし、影武者とかは封切り当時に観てますです。小津・溝口作品についてはDVDとNHKの衛星放送で観ておりますです。全部の作品を見てる訳ではないのですが番組で紹介されてた巨匠三人の作品は上っ面かもしれませんが一応観てますです。一応というのは主人公(広末さん)ほど私は深く理解できてないということで。立場的には新米社員と同じ目線でフーンです。

しかしなにしろ巨匠ですから他の色んなとこでもっと詳しく「語る」番組や出版物見聞きしてますんで、この番組はとても初心者向けに判り易い説明されておられたような印象でした。下手に役者さんが監督そのものを演じてその監督に主人公が直訴(インタビュー)するみたいな展開じゃなくて、そのスタッフからの搦め手のような感じで監督像を示したところは良かったですね。監督の偉大さが天上界におられる人のようで記者ごときが気軽には近づけない荘厳さを醸し出しているみたいでよかったです。それにしても「田中絹代」を若い世代は知らないかもというのは信じられない話しです。それだけ映画は流行品で文化ではないということなのかという想いです。まあ巨匠入門ということでありましょうが私みたいな知ったつもりのえせ映画ファンにとってもへ~ボタン押すような楽しめた番組でありました。こういうナレーションというかナビゲーターさせたら草ナギさんほんと上手いです。つい聞き入っちゃいますです。

で、最初に戻って広末さんの話しですが、まず思ったのはあんな髪長かったっけ?初めて見た様な気がしましたです。もちろん追っかけしてる訳ではないので最近はあれくらい伸ばされていたのかもしれませんし、撮影用にカツラつけられてるのかもしれませんけど。でもなんかね、元気はつらつショートでボーイッシュのイメージが強すぎて途中の記憶がぶっ飛んでるのかなと思って、こりゃ最近のお仕事振り返らんと。で、そういやあ浜田さんが学校の先生役やられたドラマに出たおられたっけなあとチェックし直したら、これほどではないけど大分長かったのでそうなのかと。イメージ的に長い髪はとても落ち着いた印象を受けるのは正解だなと思いましたです。

犬堂監督の愛と死を見つめてのリメイクとかでもそうなんですが、最近では決して幸福ではない人生を歩んでる(最後更生するしないは別として)役が多いイメージが固まりつつある中で今回も「でも負けない」役を演じておられました。基本やはり堪える逞しさを感じさせてくれる方なのでこういう役は安心してみていられます。これで怒るお芝居とかが感情的にではなく理屈的にも見える芝居の使い分けを素人にも分かるようにされれば喜怒哀楽表現が満遍なくこなせる方なのかなと思ったりもしますです。母親でもあらせられるから母親的な人に対する優しさとかも加算されてアイドル並の扱いされてた頃より格段に幅を感じさせてもくれますので安定した活躍を期待したいところです。

それにしてもドラマとしてみると初めての読者の獲得からその後がえらく遠い先までワープしていて主人公が記者として認められたのかどうかなぞ一切描かれていなくてなんか消化不良的なとこは感じましたです。

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おそがい・おそぎゃー

始めに書いときますが遠州弁ではございません。あしからず。遠州では使ってないよと言うことを述べるために記載しておきます。

怖ろしい怖いという意味らしい。物凄くとかいう意味もあるのかと思っていたがそうではないらしい。なので「おそぎゃーくしんどい」(がんこしんどい)とかいう使い方はおかしいということになる。

名古屋独特の言葉かと思ってたら、駿河の方の方言研究されとる人のサイト入ったら地元の方言でもあると書いてあった。(もっともおそがいだけでおそぎゃーはなかった)

だけど、遠州、少なくともうちの集落で「おそがい・おそぎゃー」使う人おるなんて聞いちゃいんにい(使う人が居るなんて聞いたことがない)。だから尾張から飛んで駿河でも使われてる言葉としかいいようがない。遠州では「おっかない」・「どこわい・馬鹿こわい」が普通使われる。ごく稀に「おっとろしい」と言う人もいる。脱線話しになるが、「おっそろしい・おっそろしく」だと物凄くという意味になる。「またおっそろしく派手だなあ。」(これまた物凄く派手だなあ。)

勘ではあるが、「おそがい」と「おそぎゃー」は別物と考えられなくないかと思ってはいる。

Drスランプのニコちゃん大王の放つ名古屋言葉として全国的に知れ渡っているのと、実際使っていないので例文は挙げようがないので、これ読んどるおみゃーさんには申し訳ないだが省略するだがね。勘弁してちょ。

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よく聞く日常会話・1

近所づきあいでよく聞く会話・おすそわけ編

「よかったらこれもらって。」

「いやあこんなことしんでもいいだにい。それじゃあ申し訳ないって。」

「気にせんといて。家じゃ余るもんだで腐らいちゃもったないだでもらってやあ。」

「いつもいつも貰ってばっかだでそれじゃ気い引けるやあ。」

「そんなことないよー私だっていつももらってるだで気にしんで。」

「そんなあ世話んなってばっかでホント気いつかわしちゃって悪いって。」

「ええでもらって。」

「そーおホント悪いやあ。ありがとねえ。美味しくいただくわ。」

何回お断り問答を繰り返せば良いのかが神経を遣うところである。いきなし「あそうありがとねー」となれば「ごうつくな遠慮知らん人」の烙印押されるし執拗に断れば「気い利かん人」と呼ばれてしまう。そういうとこは全国共通ではあろう。

男でよかったと思う会話である。

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愛馬物語

私は賭け事は大昔に麻雀を仲間内のコミ図るくらいにしてたくらいで、宝くじにも手を染めないのですが、唯一競馬だけはやっとりますです。

勝負云々とかじゃなくて馬と人が紡ぐドラマ性が好きで、それに参加してる気分で馬券買ってます。ただのロマン買いなので当たる事はなく儲けた試しはないのですがええ話しには弱いのでそれを応援してるだけで満足なのです。

掛川のつま恋にも観光として引退した馬に乗りに行って、現役時代のイメージが払拭できずメジロデュレンにびびって係員さんに笑われたこともあったり、スダホークの大人しさに感嘆した記憶もありますです。最近は体がぼろぼろなのでもうすでに過去の記憶なんですけど、それでも今でも馬と人のメルヘンには涙腺がつい緩んでしまいますです。しかも事実ときたもんだ。

そういうヒットポイントにズバッと直球投げてくるこのドラマは、冷静というか傍観者的なお気楽な感想が浮かんできませんです。役者さんがどうのとかちと嘘臭いとかいういつもの野次馬目線で見れないのであります。

自分にとっては金持ちでもがむしゃらに働いたご褒美がある訳でもないので、主人公のようなマネは決して出来ない絵空事ではありますが、物凄い好みなお話しなのでいつもの野次馬文章になりませんので映画並に見飽きてからでないとしらふで書けましぇんので、後日酔いが醒めてから日を改めてということで。

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ハチワンダイバーその1

タイトル名といい、番宣でのアキバのメイドコスプレの印象といいぶっ飛んだお話しかと思ってたんですけど、いざ蓋を開けて観ると現実に近い設定でした。そう考えるとこのタイトル。パーペキに若者向けなので、将棋の世界の新しい視点を描くということならオヤジ連中を惹き付けなさそうに思えて凶と出るか吉と出るか。だって劇中で将棋さしてるのオヤジ以上ばっかりだったじゃないですか。ターゲットの年齢層をあげた方が食いつきがいいように思えるのは気のせいでしょうか。ホントそれだけ色んな番宣でのメイド姿が印象に残ったってことなんですけど。オヤジ的発想からいくと、将棋だからという口実でメイド姿家族の前でもまじまじと観れるチャンスでもある訳で。

この時間枠が今まで未踏地の開拓みたいな設定の妙を味わう斬新さが印象に残っていたので、そういう点から言うと現実に近い(ホントにありえそうな)感じがしました。もちろんアキバの受け師の設定はありえね~ですけど、それ以外はなんかリアルな息づかいが聞こえてきそうな現実味を感じますです。上には上がいるってのはいいですよねえリアルで。棲んでる下宿も味があって長く暮らしたくはないですけど寝っ転がって一ん日中ぼーとしてみたいです。

それでいてアキバの受け師というありえね~キャラとのギャップという取り合わせがビミョーに華があって。最終的なゴールとか彼女の「見つけた」発言の真意とか見えてこないといいだか悪いだか見当がつかないのですが、空気感は面白そうな気がします。

主役の菅田を演じておられる溝端淳平さんは初めてお見かけする方なんですが、この役においてはとても合ってるような気がいたしますです。嫌な汗とかくしゃくしゃな涙がいやらしくない(爽やか?)ところが財産なんでしょうか。ま好青年ということですけど。それが似合うということで。敗北感も見事でした。どん底から這い上がるサクセスストーリーなんでしょうかねえ。最下層であがく姿が似合って見えるってことは登りつめた姿がどう写って見えるか。傲慢に映ったら醜いとこですけどなんか成功者のイメージが湧かない人に見えます。はてさてどうなるやら。

将棋はルールを知ってる程度で勝つ喜びは味わったことないので、「潜る」という感覚にはついていけませんでしたので、これが今後必殺技として活用されていくのならついていけず厳しいものに(楽しめない)なるやもしれませんが、まだ謎というかわかんないとこだらけなんで全体の流れが落ち着くまでは様子見という感じで観ることになりそうです。

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オトコマエ!「はめられた」

前半部は幾分パワーダウンした印象を正直持ちましたです。その要因はやはり粋な会話がない。おつな気遣いもない。つまり江戸らしさがなくて髷を結った現代劇にも見えなくもないということです。平等思想の持ち主ということもありともすれば現代劇になりやすいうえに使われている音楽が現代ですから。

江戸風情を求めない作風ならちと興ざめの部分がありますです。

で、後半。やたらくしゃ遠山の金さんが目立った感じでした。柴田恭平さん持ってくとこはしっかりかっさらうお方です。井上和香さんがえらく艶っぽくて時代劇似合います。おとり捜査と言い張って偽長尾半兵衛を放免してるんでしょうけど再度てっぱう持たせて襲わせるなんて鳥居耀蔵には余程配下の人材がいないんでしょうかと気になってしまいました。いちおう強大な壁なんでしょうからそこいら辺は家内制手工業みたいなこじんまりとはして欲しくないところではありました。せっかく片岡鶴太郎さんが好演されてるのにその足引っ張ってるようでね。

でも武士の本懐を示した本物の長尾半兵衛。正義を通したのに命を落とすということに若い世代は理解してくれるんでしょうかねえ。逸馬でさえへこんでましたから矛盾を感じるんでしょうねえおそらくは。

ボケたと見せてた仙人が呼び名の通りの仙人だったのは確かに面白かったです。こういう飄々とした役は藤村俊二さんでなきゃって感じでいけてます。

鳥居が遠山を追い落とそうとしてあの手この手を駆使してるのは分かるんですけんど、なんでそうまでして追い落とそうとするのかよく分かりませんです。実名を使った架空の人物達でしょうから単なる出世競争のライバル蹴落としじゃなく卑怯な手を使ってまで金さんを眼の敵にする理由があるのでしょうか。

とりあえず先の読めない展開なので(ゴールが見えない)観ております。

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トップセールス第4回

今回は家族愛の人情劇という風情でした。お客の数ほど人情はあるのだし御用聞きを手法とする主人公からして見れば顧客の深い部分までの付き合いがあるのだから、こういう逸話でいけば沢山お話が紡げるような気がしてきますです。でも人生最良の日が一転してしまう無念さからくる失態を長い年月背負って生きるのはさぞかししんどかっただろうなと心に響きましたです。こんな話しそうはないでしょうけど。

ところで劇中のコンビニ話し。ケンメリの時代にもうコンビニとは、いやはや都会は違うわと思わざるを得ませんわ。雑貨屋じゃないですか要は。雑貨屋なんて当時消えつつあってもうなかったですよ。それが名を変え復活したようなもんでしょ。でも時代の先取りにしても田舎者にはえらく早い話です。

で、本編に戻りますけど、営業と言う点では、理想はあるが綺麗ごとばかりじゃない。やっかみ・無意識の驕り・目的の為に手段は選ばず・トップになる者は手法は違えど根っこは同じ、こんなとこが描かれていたと思われます。訪問販売から店頭販売の導入というものも描かれていましたが、個人的な経験で言うと、店頭販売から訪問販売への導入と言うドラマとは逆の経験を私しました。そしてこけました。(私がですけど)

なのでこういうビラ配ったくらいで効果が出る展開は「さすがそこはドラマ」と想いましたです。もちろん画にならない地道な努力とかをはしょった結果であってこういうとられ方は作り手にしてみれば本意ではないでしょうけど。

なんでこの回の見所は酒屋の親子の愛憎劇に徹したいところです。もうほろりと泣かせていただきましたです。海に向かって叫ぶ若さにはちとついていけませんでしたが、後生大事に車を大切にしていた理由にはやられましたです。亡くなった長男の想い出ということではなく自らを悔い改め自分の罪を忘れない為というのは切ない話しです。それだけに仲直りできてよかったもんだと素直によかったです。

その後心機一転で車を買い替えるということで幕が下りたんですが、役目を果たした車が潰されるのかと思うと別の意味で切なくもなりました。「まだ乗れますよ。一生懸命整備しますよ。」くらい言ってくれるのかなと期待してたんですけんど、「ありがとうございます。」でした。そんなものなのかなあとね。なんか頑張り続けてきた車がいじらしくてついそういう感想になりました。

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よく聞く日常会話・2

聞いた聞いてないの押し問答編

「なんであんた持って来てないよー。」

「知いらんやあ。聞いちゃいんにい。」

「ちゃんと言われてたじゃん。憶えちゃいんだか?」

「いつう。」

「先週の木曜にい。帰りがけに班長言ってたら?」

「憶えちゃいんやあ。」

「もー、憶わさらん方ん悪いだで自分でなんとかしなよー。うちら知らんでねえ。持っちゃいんなら置いてくにい。」

「そういわすとお。なんとかせるで勘弁してやあ。」

「どうにい。」

「そんなちんぷりかあらんだってええじゃんかあ。行ってどにかせるでえ。」

「ちんぷりかあってなんていもしんにい。人聞き悪いやあ。」

「ま、なんしょ行かまい。行って考えりゃいいじゃん。」

「しょんねえなあやぁ。後ホントに知らんでねえ。」

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