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ルーキーズ第三話

世間じゃ黄金週間。しかも今日はなかなかの好天気ときたもんだ。絶好の行楽日和なのだが、浜松は凧凧凧。この日の為に人間やってる奴も数知れず。道路もなにも全てが法被着た奴のために世界が廻ってる日。夜は夜で練り歩く掛け声で騒々しい。

そんな中でテレビの音がかき消されながらも観てる私はなんだかなあという気分。落ち着いて観てられない。

でも観てましたルーキーズ。なんか久々に観たような感じがする暑苦しいドラマだなあと改めて思う次第で。ヤニ摂取するシーンも激減して健全化してきた分観やすくなったような気がしましたです。

「部活」という言い訳が小憎らしい程粋に思えましたです。理屈云々より判かってらっしゃるとニヤリときましたです。それにしても川藤の行動は予想を覆すことの連続でホント見ていて面白いです色々と。助けに行く連中を止めて自分が行くのかと考えたんですけど、そうきましたかと云う感じでした。

テーマが再生というよりも「仲間」・「絆」に重きがいっているから助けに行く奴を止めないというのは後から考えれば納得なんですけどね。でも気持ち良いほど予想をきっちり裏切ってくれる川藤は見ていてホント愉しいです。しかも厭味がないから。佐藤隆太さん決まってます。非常に魅力的な川藤というキャラに違和感や無理してるっぽさがないです。

安仁屋復活の回であった訳ですが、市原隼人さんはホントいいですわな。雨中の対決のシーンは新庄の解説という補助があったとはいえその揺れ動く心の様が伝わってきて良かったですわ。今までウォーターボーイズでもチェケラッチョとかでもひたむきな一本気で真っ直ぐな役のイメージが強かった市原さんでありますが、こういう複雑な想いを表現するのも虹の女神で実証済みとはいえやはりいける口でありましたです。もっともどの作品でも恒に内面になにか抱えてるような奥深さを持ってる風には映ってましたけど。

雨が多少つくりものぽかったけど、川藤VS安仁屋は最後の一球の結果までハラハラして見てました。打つのか空振りのかもしかしたら見逃すのか。ワザと空振りさせないように煽る川藤もかっこよかったです。で、どうするんだろうと思ったら打っちゃいましたよ。アララな展開ですけど残尿感のないすっきりさはありましたです。川藤あんたよーやったと思いましたもん。

その後の展開はまさに雨降って地固まるというやつですか。

以下は私の妄想的感想ですが、それにしてもTBS。こういう決め打ちのテーマを単純化して掘り下げるドラマはその盛り上げ方が上手いなあと思いますです。色んな色が絡み合うと言うか登場人物の立場ごとにそれぞれ違う視点で描く方向ではなく、皆がひとつの方向に紆余曲折しながらも進んでいく統一性のある視点からのドラマは見応えある物を作られます。

こんだけ個性的な人物が多く登場して来るんだからひとりづついじれそうなとこをひとつの塊としてテーマの流れに添って各キャラを動かしてるのがそう思える理由なんでしょうか。ま、原作の持ついいところを失わずドラマにされてるってのが一番の勝因なんでしょうけど。

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キミ犯人じゃないよね?その4

今までにおいて今回が一番面白かったです。宇田川(要さん)のキャラにも馴れてきましたし、今回の捜査の場所は舞台のお芝居の役者さんが相手ということで。出てくる人皆濃いので濃い筈の宇田川がその輪の中では普通に見えてなんか愉しかったです。それにしても「キミ犯人だよね」のドラマの刑事が再び出てくるのはナイスヒットという感じでした。しかも意外と強いのがニヤリですよ。犯人なら見境なく決め台詞を吐くってのもあれですしそれをツッコむさくらもグーでした。これからもお約束で出てくれると愉しいキャラです。

今回のしほりんのコスプレはぬいぐるみと劇団員でしたけど、しほりん自体舞台経験者ですので劇団員がコスプレの範疇に入るのかは微妙ですがそれなりに化けてる芝居はされてる風に見えました。それと草木も眠る丑三つ時に藁人形に呪いを籠めてる鬼嫁も鬼気迫る(笑えたけど)ものがありましたなあ。女性編集員との掛け合いの部分が一番しほりんらしく見えるんでそこをノーマルとするとその他の弾け具合がよく分かります。宇田川といる時はいつも考えてる設定ゆえか大人しめに感じますです。家でカレー食う辺りの掛け合いが面白かったです。「妹年上なの?」・「少しだけ」はお気に入りの会話です。

火星の土地買う話しが月の土地購入になったっていうくだりはちょっとなにがどう宇田川がひっかっかったのか理解できませんでしたけど。

謎解きについては、真っ昼間に海岸に死体遺棄して一人も目撃者が出ないのかいとかいうツッコミは差っぴいても今回の謎は面白かったです。犯人は宇田川が「持ってかれた」女性だというセオリーに縛られて、どうやって犯行を成し遂げたのかと結構最後の方まで謎解きでも引っ張られました。共犯者の可能性もあると思ってたけど実行犯と決定した根拠はちと味付け薄味に感じましたけど。でも面白かったです。このペースでドラマが続いていけば嬉しいところです。

ただ、同じ日にパズル観てこれ観る。しかも同じ局ってのは、特に推理好きじゃない私には頭が爆ぜるのでできれば日をズラしてくれた方がありがたいんですけどね。これで同じ局で同じ金の亡者(失礼)だからコラボ企画で合体番組で何か作ってくれるとより嬉しいんですけんど。

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パズルその5(PIECE3)

始めに書いときますけど私このドラマ好きです。

キャラ設定とかこれ以上弾ける必要がないくらいなのに何故か大人しめな味付けな作品と感じるのは21時台というルールがあるからなのでしょうか。どうしても「トリック」と比べてしまうのですが、あちらは深夜帯からのスタートで突拍子もないことでもOK(貧乳だとか巨根だとか)だったのに対し、この時間帯は社会への影響性とかも考慮に入れなければならないなどの制約とかが大きいのかなとつい想像してしまいます。そういうせいにしないと面白い筈なのに筈のままという理由が分かりませんです。

相変わらず事件の導入部(予選を勝ち抜くのは別として)はゲーム性を感じてドロドロ感のない推理をシンプルに愉しむ環境が用意されていて面白いと思うのですが、今回も相変わらずなんか物足りない感じの勢いで事件が解決しちゃったような印象を持ちましたです。謎はホント面白いんですけど。宝探しを逆手にとって殺人を遂行するというのにも見事に騙されましたんですけど。

お宝の隠し場所もダイイングメッセージの謎も「おお!」と思ったのですが、犯人が判った時点で急に失速した感があります。理由は単純に時間が足りないんじゃないのかと。だって黒田殺しであれだけ騒がれることなく皆が居る中で確実に仕留めた程の人が喚くだけで逃げ上手には見えなかった鮎川を仕留め損なうなんてありえるのかなと。他にも単純に謎解きゲームとしてみれば許せちゃう設定でも、復讐という怨念が動機ならどうしてもマジっぽく(現実味が帯びちゃう)なるので、予選するくらい大々的におおっぴらにやる中ですることじゃないだろう。って思っちゃいましたです。宝探しゲームであったならどんなお馬鹿な展開でもお前らアホかで済まされると思うんですけどね。時間内で納めようとはしょってはしょり過ぎてる慌しさを感じますです。三人組みと鮎川のコンビはホント観ていて愉しいので謎とは離れるような余計な部分まで手が廻っていないのが私的にはもったいないと思えますです。

それにしても晴信公と静御前の格闘の舞いは世が世なら時を超越した垂涎物の風情でしたなあ。でも○HKの○河ドラマじゃないんでそれほどの有り難味はなかったのが残念ですけんど。とにかくびっくりの出演でおました。

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*ごぶれいさしてもらうで

お先に失礼させていただきますと言う意味。遠州と言うより東海地域全般で使われる表現。

単純に「ご無礼」だと「失礼・ちょっとすいません」といった意味になる。

「ごぶれい」の場合の使い方例としては、混雑してるとこを縫うように移動せざるを得ない場合とかに、共通語では「すいません」というものを「ご無礼(します)。」と言う感覚である。年長者が年下に対して「失礼」と言うところを多少丁寧にしていう感覚になる。逆に丁寧じゃない場合は「ごめんよ・ごめんな」と江戸っ子風になる時もある。「邪魔をするご無礼をお許しあれ」と言った意味の短縮形みたいな「先謝っとくね」的なものであろうか。

で、本題の「ごぶれいするで」は今の使い方は「悪いけどお先に」ということでほぼ定着している。死語の「ここらでドロンする」みたいなものだが、一応丁寧な謝意の物言いなので「ドロン」のような幾分おちゃらけた表現ではない。「先行く不幸をお許し下さい」ということ。なんちって。

例文

「盛り上がってるとこ悪いけどここらでご無礼さしてもらうでねえ。」

「はあかえるだか?まあちっとええらあ。」

  (もう帰るの?もう少しいいだろう。)

「悪いやあ。どうしても行かにゃかんとこあるもんで。」

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ラスト・フレンズその9(第4話)

今回は妊娠した美知留を冒頭のシーンで映し出されていなかったけど。

もしこれが終わりの形ではなくて、実はまだその後にも展開があって真のエンディングが用意されたとしたら観てる方はびっくりで見事たばかられることになるだろうなあと思ったりもいたします。具体的に何を観たいのかということではないんですけど。

そこまでの意外性を衝く余裕があるほどやわなテーマじゃないからまあ妄想話しなんですけどね。

まあそんなヲタ話しはともかくとして、水川さんのハイテンションなご陽気な太陽役のエリですが、ここにきて見慣れてきたというか当初えいやさ!という感じのテンションを無理目に上げてた印象を受けたんですけどこういう人なんだというので理解出来てきましたです。空気の読めないひたすらご陽気ではないとこがエリのいいとこなんでしょうかね。宗佑来襲の際にもしっかりひるんでたし、女性らしい今時の女性ということで瑠可や美知留との普通じゃないことの比較対象としての役割も兼ねているんでしょうか。

樹里ちゃんの瑠可はもう完全に「上野樹里」が抜けてるんでどうみてももう瑠可にしか見えないんでなにも感想ないんですけど、強いてあげればパーペキに男ですよね。野郎目線からすれば容姿は女子でも声掛けようなんていう雰囲気ないですから、確かにコーチの行動は酔った勢いとしか考えられない感じです。強く生きてる心の支えがなんなのかより明確にしてくれればもっとありがたいところではあります。

長澤さんはお岩さん役に挑戦されたともいえる回でしたが目を腫らしても十分観賞に堪えうる感じでした。あと離れていても宗佑と惹かれ合う得体の知れない繋がり感というのが良く出てていつまでもシェアハウスにはいられないんだろうなと言う予感を感じさせてましたです。それだけにゴミ捨てのシーンは納得というか瑠可すら止めに入れない絆を感じましたです。追われる側はもうお手の物という感じでしょうか。もっとも追い詰める役なんて長澤さんには来ないでしょうけど。

瑛太さんは今回善い人オーラ全開てな感じでしたが、聞く耳と言うか雰囲気を厭味なく表現されていて好感度アップでしたです。仕事場で美知留をアシスタントとして連れて行った時の「彼女?」と問われたシーンでも言い訳しないし口が固いというのも善い人の条件なんだろうなと想いましたです。するとやっぱり男は黙って○ッポロビールってか?無口で無骨?いやあスタイリストさんだから無口で粋ってことなんでしょうかねえ。

錦戸さんは最後の「待ち続けることは・・・」というセリフを実践しまくった回でした。それだけにホントこのセリフはハンパなくずっしり重く説得力ありましたです。美知留の母親の家に潜んでいるのを瑠可に感づかれるくらいのおどろおどろしたオーラ感は確かに感じましたし眼が何の感情も発していない不気味さも迫力ありましたし、新境地というか追う側の役ピタリとはまってる感じです。

全体的に緊迫した中でともすれば非現実的になっていきそうな雰囲気を、大人の倍賞さんとか平田さんが普通の生活感を醸し出してくれることによって繋ぎとめてるようにも思えてバランスがいいなあと思いますです。

今回のお話しをぶっちゃけてまとめれば、駆け込んできた美知留を匿うも瑠可達の健闘もむなしく引寄せ合う赤い糸に引っ張られるかのように鞘に収まってしまう。タケルと瑠可の距離が近づくということにまとめれると思うんですが、それにしちゃあ色んな事が一杯起こったように感じられた回に思えました。宗佑仕事してるのかよという疑問以外は思ってた以上に物語が進んでるなあという印象でした。こんな早くに元の鞘に収まるとはという感じです。どうせ一時的にでしょうけど。あまりくっついたり離れたりを繰り返すのはどうかとは思いますけど。

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テレビドラマの感想の傾向

面白いと思ってるテレビドラマの話題についてのBBSとかブログとかを拝見して何気に感じたことは、この先どうなるという方向性に寄りがちな傾向が見られるような気が。今回はどこが良かったとか云う味わいとかの感想を述べる内容よりも。

映画や単発スペシャルとの感想の違いはこういうところに出てくるのかなと。その回を食い尽くすということより今後の予想に話題の中心がいく。自分もそうなのかなと思い当たる節がないでもない。テレビドラマが旬(瞬)の消耗品扱いされるとしたらこういうところから理由が生じるのかなと。

批判めいたことは思惑通りに言うことが出来てもその逆のどこが良かったのかというのは案外表現できないのものかもしれない。そういう意味では作ってる方にしてみれば作品作りの参考になるような意見なんて聞けないことになる。いい作品作れば作るほど得体の知れない成功理由によって次!次!餌よこせとせかす雛鳥のためにせっせと次回作持って来なければいけない親鳥の心境のようなもので巣立ちという最終回がこなければなにがなんだかわからない状態なのだろうか。

評価の高い順の傾向

1.次回の展開予想に気が行く・役者さんが役に同化してるからお芝居云々の感想より役柄名でドラマの中での出来事などが中心で会話される・集中してるから背景を含め細かい部分まで話題になる

2.役者さんのいいとこが印象に残る・役名でなく役者さんの名前で会話が進む(役者さんについてる贔屓筋の人は除く)

3.自分が観たいところと異なるところが愚痴めいて出てくる(でもまだ観てる証でもある)

4.話題に参加しない(当然観てない)

これはいいなと思えるドラマの時は検索ワードで「結末は」とか「ネタバレ」とかそんなの知ったら興ざめになるだろうにと思えるものが増えてくる。

まあまあと思えるドラマの時は役者さんの名前の検索が多い。

とにかく結論を直ぐ知りたい人が多いことは事実のようで、どうなるのか分からないものよりも終わりが見えていてそこに至るまでのドタバタを愉しむというのが最近の傾向なのでしょうか。その場にいるようなリアルタイムのハラハラドキドキの臨場感よりも祭りの後の余韻を反芻するかのような感じの方が多くの人に好まれるんですかねえ。

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*きしょい

気色悪いと言う意味。遠州の方言ではなく最近の造語若しくは他の地域からの流入ではあろうが、遠州弁の「ぶしょい」(ぶしょったい)と並びで語呂が合うので遠州では流行としてでなく残りそうな言葉かもと思って記載。

気色悪いを調べると「不快」ということであるらしいが、私が受ける言葉の印象は、服とか行動などが似合わないとか不自然だとかわざとらしいとか云う風に受ける。貴方が意図しているほどの効果が窺い知れずむしろ作為的に受け取れてなんだかなあという感じである。ま、下心(魂胆)見え見えということである。

例文

「どうでえこの服。」

「なんかきしょい。」

「どこがよー。」

「鼻の下伸びてるの直ぐ分かる。」

「なにがよー。」

「誰ん見たってなにしい行くだか直ぐ分かる。」

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ラスト・フレンズその8(第4話)

宗佑の「歪んだ愛」遠州弁で発音すると「いがんだ愛」。正義はないけども、夫婦喧嘩は犬も食わない。はたして瑠可のやろうとしてるのは美知留にとって余計なお世話なのであろうか。当の本人達、特に美知留は助けを求めてきたのか逃げてきたのかどっちなのだろか。追い出されたなんてことはありえないからどっちかしかないんだろうなとは考えるのだけれど。助けを求めたのなら瑠可の決意は無駄じゃあないし、一時避難のほとぼりが冷めるためなら見守る以外はいい迷惑になるだろうし。

それにしても多少は宗佑の精一杯仕事してるとこも見せてくれないと、今の感覚じゃあ一日中美知留のストーカーやってるみたいに取れて宗佑=悪の構図に解釈してしまうように見えてきましたです。正義はなくとも情状酌量できる特異な人間ではなく誰しもがそういう要素を持ちうる(自分にも思い当たる節があると思わせる)普通の人として描いてくれたほうが私的には好みではあります。将来彼が犯罪者になるかはともかく今のところ普通にはいい人なんでしょうから。そうでないと猟奇と知った上で彼と添おうとしている美知留の自業自得というようにも思えてくるんで。いつか分かってくれるという願いよりその環境に自分が慣れようとしてる感じのほうが強くなるようで。そういう風に見えてくるともう勝手にやってといいたくもなる感じになりそうです。

などと四話が始まる前はそう思ってたんですが、さすが分かってらっしゃる。

宗佑の心根(悪ではない)を普段の生活からではなく生い立ちで表現されてたとこは予想とは異なりましたが、それなりに美知留が宗佑を見捨てられない理由というものを提示してくれてました。同じ境遇故の連帯感。そしてそれが根底にある以上自分ひとりが孤独から脱却することに罪悪感を感じる。ということでしたが、だったらやられっぱなしじゃなくて対等にやり合えばいいじゃんと思わないでもないところがありますです。生傷絶えなくて大変でしょうけど。

宗佑に嫌われたくない去られたくない。この人を失ったらもう自分を必要としてくれる人はいない。それが反論や反抗が出来ないって理屈じゃあ連帯感の脆さを美知留は感じてるってことでそれはなんかたとえDVを受けても共に暮らそうとする強固な理由というものとは矛盾してる風にも思えて、対等の立場に立てない理由の説明になってないのではと。まあそこらへんは追々説明してくれるんでしょうけど。人間の尊厳を破壊するDVという行為をこのドラマはどう最終的に表現するのでしょうか。破滅なのか理解なのか。言葉を変えれば実刑か情状酌量の余地ありで執行猶予つきかということでしょうか。まさかいくらなんでも無罪はないでしょうけど更生するのかしないのか。

とかなんとかいってもDVをする理由はやっぱ理解できません相変わらず。(今回はなかったですけど)今のところ人の振り見て我が振り直せ。明日は我が身と思い当たる節に置き換えようがない驚異的な精神力で生きてます宗佑は。でも一方的な悪ではないところは示した筈なので多少は美知留のこの回最後の行動もまあしょうがないかなと思いましたです。瑠可がなにやってんだって間に入らなかったのは不思議でしたけど入る余地の無い程の二人の迫力だったんでしょうかねえ。それとも割ってはいるのは野暮ってなもんでしょうか。

瑠可といえば、今回も強い人でおました。タケルの前で弱いとこ見せるくらい打ちひしがれていてもその場で収めてシェアハウスに着く頃には何事もなかったように振舞えるのは、本当に強い人なんだなあと。翌日のコーチに対する接し方も鈍感力のお手本みたいですげえなと。人が朽ちていくのは大抵明日が厭になるから。いい事ばかりがあるわけじゃなし。なにがあるのかわからない漠然としたものよりも、何が待っているのか分かってる事に立ち向かう方が辛いから。そういうものに影響されない鈍感力を持てる瑠可はすげえなと思いましたです。こういう人一人近くにいて欲しいです私も。

タケルも今回格好良かったです。聞く耳のある男は(男に限らずでしょうけど)モテるよなあと確かに思えますです。バーでの瑠可の肩を抱こうとする辺りは自分自身に探りを入れてる感じでもあり、とりあえず二人とも拒絶反応がなかったのは良かったねと素直に思えました。瑠可もいいけどタケルでもいいや近くにいて欲しいと思うこういう人。優しさは傷を知る人でなければ人にしてあげられないものというのは説得力あるところです。

カップがやけに強調されてるように毎回感じるのですけどどういう重要なアイテムなのかイマイチ理解できてませんです。ただ単に番組中に使われたのと同じタイプのカップのテレビショッピングだったら白けるとこですけど。そんなことはないですよね。

ここまでなんとなく各人の悩みが見えてきた中でエリ(水川さん)だけはまだ見えていないような。唯一の普通の人なんでしょうか。なんとなく先が読めそうで読めない展開でホントようけ惹き込まれるドラマです。美知留が宗佑を好きな理由が分かった回でしたが、一番の疑問の何故瑠可は美知留でなくちゃ駄目なのか。その理由が明かされてないんですけどいつ頃分かるんでしょうか。

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*ほこりまるけ

ほこりだらけ(まみれ)と言う意味。

「まる」というのは「まるまる」(全て)「まる一面」とかと同じ意味で全体とか辺り一面とかいうニュアンスを表わしている。

「け」については、だらけの「け」だろうという想像しか思いつかない。

「血まみれ(血だらけ)」を「血まるけ」とは言わないのでなんでもかんでも「だらけ」が「まるけ」に変化するわけではない。

「猫灰だらけ」を「猫灰まるけ」とはいうかもしんない。

例文

「やあ。○○かしとくりょー。」

  (ねえ、○○貸してちょうだい。)

「ええけど、やあっと使っちゃいんでほこりまるけだにぃ。」

  (いいけれども、随分使っていないから埃まみれになってるよ。)

「構わんでえ。埃払やあ使えるだら?」

  (構わないって。埃払えば使えるんだろ?)

「だと思うだけどやあ。」

  (だと思うけどね。)

「ありがと。ほいじゃ借りてくでねー。」

  (ありがとね。それじゃあ借りてくよ。)

「使えんかったらごめんだにい。」

  (使えなかったごめんね。)

「はいね。」

  (わかった。)

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参りましたわ渋滞の理由

いやあ、ホント参りましたわ今日の渋滞には。

まあそこはいつもそれなりに渋滞するんですが、今日はいつも以上に渋滞してたんですわ。このままじゃ約束の時間間に合わなくなるかとハラハラ通り越してイラ!ムカ!っとしてたんですけど。渋滞の理由を知って呆れて怒れる気力が失せましたです。

ガソリンスタンドに入るための渋滞だったんですわ。いくら明日から高くなるからってアンタ渋滞の間エンジン掛けっ放しで牛歩戦術してたら安いとかいうの意味無いじゃんと想いましたわ。

祝日の昨日は仕事してなくて家にいたんで状況は知りませんけど。少なくとも一昨日はこんな事になってなかったよな。なにか訳の分からんものに踊らされてるみたいで切なくなってきましたわ。それとは別にこういう逞しい連中が結局人押しのけて生き抜くんだろうなあと思ってもみたり。

凧が始まるからその期間街の機能は祭り馬鹿に乗っ取られるからその前にという地域性を考慮にいれたとしても、明日だってあるじゃねえかと思ったりなんかしてとても同情と言うか「大変だねえごくろうさん。」という気にはなれなかった。こちとらだって仕事で道路使ってるんでえって思いです。

だってすんごい渋滞招いてるんですよ。この人達のせいで。ガソリンスタンドのレイアウト考えりゃ何台までが許容できるか位想像つくでしょうに。出直してなんてやってたらいつ空くかなんて保障はないという理屈はわかるんですけど、だからといって信号手前まで渋滞作るのはどうかと思いますです。スタンド側は人件費節約でセルフになってるから店の中の対応で精一杯というのは店員さんの気持ちになってみればしょうがないと思えますです。対応できないと判断して休業してる店もありました。賢明だと思いました。

なんとか反対側車線の車達が左によってくれて普通車が通れるスペースを確保できるようになって車は動き始めて遅れずに済みましたが、大型車が来たら通れなくて詰まるだろうから私はラッキーだっただけかもしれない。

通り過ごしにガソリンスタンドを見たけど、道路が渋滞してるんだから入れ終えても道路に入れなくて数珠を繋いだまま。ガソリン入れ終わっても動けないから次の車両がガソリン入れられなくて機械は効率的に稼動してそうになかった。

で、職場に戻ってその話しでひと盛り上がり。大勢の意見としてはああはなりたくないものだと。

帰りは21時過ぎて22時前であったけど、いくらなんでも狂想曲はこの時間まで奏でてないだろうと思ったら甘かった。普段なら絶対渋滞しない2車線の広い道路の追い越し車線を走行してたら前が詰まってる。え?なんで?と思ったら進行方向右側にあるガソリンスタンドに入ろうとする輩が一台道を塞いでた。左側車線は切れることなく流れているので車線変更したくても出来ない。なんだよ~と独りぼやきかましながら蓋してる車が入ろうとしてるガソリンスタンドを眺める。あれまあ並んでるよここも。しかもこんな時間に。見て無理だって気づけよと再び独りぼやき。前の車がクラクションかましてくれたので諦めたのか動き出したのだが。

道路の渋滞なんてほんの些細なことで起こるものだと痛感いたしました。

それといかに普段それぞれの運転手のマナーとルールの下で秩序が保たれているかというのも改めて実感した次第で。日常というものは脆いものだと世を儚んでしまいましたです。

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おせん(第弐話)

日本料理を知るというテーマで観るとお仕着せのハウツー物でなく、心根が伝わってきて勉強になるなと想いやんした。出てくる料理は確かに旨そうでした。

原作知らないんですが、しょーもない板前江崎(内さん)の成長記という方向には進んで欲しくはないとこです。アホはアホのまま周りをとっちらかして毎回江崎をギャフンと言わせる展開が私的には好みです。それに堪えうる可哀想とは思えないふてぶてしさを維持してやられ役に徹してくれたら嬉しいなと。ただ縦横無尽に引っ掻き回しが過ぎると鼻につくのでそこいら辺の塩梅はよろしくです。

それにしても静岡県に住んでるものとしてあのお茶の入れ方は料理人以前のレベルで、私如きでもツッコミ所満載でイラッとして観てましたです。鉄瓶でのお湯はホント柔らかくなりますしそもそもお湯を沸騰させること自体信じられないですよねえ。流石に一度椀に注いでから急須に入れる手間はしませんけどいれて暫し待つのも当然というか常識でしょうに。ま、作り手の意図通りに観てる訳で、見事に術中に嵌ってるってことでしょうけど。

あくまで現代人代表としての意見や感情をたれるというポジションで、彼(現代人)がぎゃふんとなることで壱升庵の世界の良さが引き立てばいいんじゃないかと。まかり間違っても蓼食う虫も好き好きってなばかりな惚れたはれたの世界にはいって欲しくないですわいな。

もうひとつのストーリー展開の醒めた夫婦の修復というお話しとも上手く重なり合っていて楽しめて観れましたです。それと、江崎の言い草じゃないですけど「人より料理かい」ってのはなるほどなと。人をもてなすために作られる料理。その作り手は料理が主で人が従(手間隙懸ける)でなければいいものは作れないという信念というのはプロの料理と家庭の料理の違いなのかなと納得しましたです。外食で1000円以上は贅沢だと思って生きてる私ですが、同じ料理名でも全然違うものだから料理の値段を家でつくるものと比較することは間違ってるんだなと思いましたです。

それとおせんさんの言葉は江戸の下町言葉なんですよねえ確か。「ひ」が「し」に化けるとかは知ってるんですが他にどういうのあるのか興味があるところではありますな。味噌汁の作り方を伝授してる時の言葉は江戸言葉っぽく感じられたのですが、「へえ(はい)」・「新婚さんならににんまい(二人前)」・「鉛筆を削るみてえに(みたいに)」など。そのシーン以外にもあったんでしょうかねえ。「あっち」(私)は初めて聞いた言葉でしたけど。ちゃきちゃきの江戸っ子って感じだと前のおかみさんの方がらしいって感じですけどこういう空気感を持った江戸っ子も存在してるイメージがないのは偏見なのでしょうか。黒人は皆ダンスが上手いみたいな。

でも問題児江崎の言葉に辛抱して涙するおせんとか観てると蒼井さん上手いよなあと感心してしまいます。大豆の袋軽々と背負う力持ちとは意外でしたけど。結構逞しいお方なんでしょうか。朝湯に朝酒でこれで朝寝がついたら身上潰しそうなくらい不健康な感性を研ぎ澄ます芸術家肌の人かと思ってたんですけど。

料理に対してのおせんさんの言葉はそれぞれ含蓄があって成程の連続でしたが、手前味噌と云う言葉に引っ掛けた一連の会話は現代とは思えない感じでした。住み込み部屋を這っている電気の線の渋さといい時代考証の逆流加減が味噌なんでしょうかねえ。その割には廊下の光る艶具合がイマイチでしたけど。なんとも不思議な壱升庵の建物です。

うじゃうじゃこいてますが面白いです。問題児のバランス具合がこれからどうなるのかで面白さが変わる不安定さは感じられますけど。

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*う

「そうせるう」(そうするんだあ)「買い行くう」(買いに行くんだあ)

というように「~するんだあ(あっそう・ふ~ん)」と言う意味で使われる「う」。

「するのかい?」という訳でもはまるところである。

前の言葉の長音化という考えが無難なところではあるが。

古語辞典で「う」を調べると

「う」{助動特殊型}①推量を表わす。・・・だろう。②意思を表わす。・・・よう。③適当・当然を表わす。④命令・勧誘を表わす。・・・せよ。・・・したらどうか。とある。

遠州弁で使われている「う」はイコールではないが①が近いか。でも推量というのではなく「ほんとかよ」とかな確認という意味合いの方が強いのでやはり違うかな。

存在はするけど屁理屈が見つからない。何かがう音便化したのではという勘繰りもあるかもだけど思いつかない。

話しを変えて、他の言い回しでは

「そうせるだ」(そうするんだ)「買い行くだ」(買いに行くんだ)

「~だ」との違いは前者(う)が意外で後者(だ)が納得ってことか。

これに「ら」を加えて「だら」にすると

「そうせるだら」(そうするんでしょ)「買い行くだら」(買いにいくんでしょ)

と確定(~に決まってる)的なニュアンスに変化する。

例文

「なにい。それ買うう。」

  (へえそれ買うんだあ。)

「なによー買っちゃかんだけ?」

  (なんで?買っちゃいけないの?)

「いやそういうの買う人だと思ってんかったもんで意外。」

「悪かったねー。どうせ見栄で買うと思ってるだら。」

  (そりゃどうも。どうせ見栄で買うんだと思ってるんでしょ。)

「そんなこといってもしんにい。」

  (そんなこと言ってないよお。)

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ダヴィンチの壁画の番組

番組内で引用として使われていた「レオナルドダヴィンチの生涯」をまじまじと観ていた者としては、こういうタイトルぶたれちゃあ観ずばなるまいて。

若干批判めいた感想なんであえて番組の正式タイトルは書きませんが、色味が綺麗で鮮明なところは観てよかったと感謝するところではありますが。

出来ればNHKで観たかったなと。

なんかね、期待持たせで盛り上げんかの空気感よりも淡々と進む学術的な雰囲気の中で進行して欲しかったなという想いの方が強かったです。前日の「日光・月光菩薩はじめてのふたり旅」観た後だけに余計そう思えたのかもしれませんけど。

事実と想像と資料からの推理の境界線が曖昧で、疑い深い私としましてはどこまでが予想の作り事なのかと想いを巡らしてしまいました。本来はどれが本当かといった風に逆に思えないきゃいけないんでしょうけども。全部「夢」とか「希望」に満ちていて本当のことが見えないようにも想えましたです。別に権威とかのお墨付きが欲しいとかいうのじゃなくて、客観性が欲しかったなと。

こういう歴史的発見ものでNHK以外で面白かったと思えたのは「シカン文明」くらいでしょうか。「エジプト」ものは人生賭けておられる吉村先生が自らの夢を語ってる重みがあるから良いんでしょうけど。別に今回の出演者の方がどうのこうの言うつもりではなく、ドラマの進行方法が肌に合わない感じでした。ま、もっとも私の理想形だったらNHKの教育でやれっていうくらい地味で確実に視聴率からは見放されるでしょうけど。

山口智子さんはゴッホの番組でも旅人されてて違和感ないんですけどねえ。むしろ、モナリザの眉毛のある映像を見た時の期待に反した幾分興ざめに取れた表情とかなんか素直で好感度アップでしたけど。

次に正式な調査が終了して全容が発表される特別番組が再び放映されても、こういう歴史的大ニュースなら他で特番ではないにしてもニュースとして観れるでしょうからパスしそうではあります。以上後ろ向きな感想でした。

そうそう書き忘れてました。この番組見てよかったことは、大和ハウスのCmが数種類一気にゲットできたことでした。なかなか同じCmの連呼が多い中で色んなパターンを見せてくれるのは非常にありがたいことと感謝いたします。

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遠州弁認知計画

以前遠州・三河は日系ブラジル人を含む海外から就労に来ている人が多く住んでいる地域で、その彼らがそれぞれの国に帰っていけば(その人数が多ければ多いほど)話す日本語は遠州弁ゆえ、世界的規模でいけば日本語=遠州弁となる。

と、遠州弁認知計画をぶったのであるが、今回は成功から学ぶと云う視点で遠州弁認知計画を考察してみる事とする。

現在の普及方法としては、芸能人さんによる方言ポロリ作戦に頼わざるを得ない状態であるが、関西弁、特に大阪弁が認知に至った経緯を参考に認知を図れないものかということである。そしてその理由を考えてみると、その理由は漫才にあるのではないかと思われたのであります。

共通語の中で独り方言は洒落にならずに浮いてしまう。しかし方言は会話とした場合に成立するものと思われる。大阪の漫才芸が関東をも凌ぐものとなりその会話の話芸が全国に流れていくことによって違和感のないものとなって今では当たり前の存在として独り大阪弁でも浮くことなく存在できているのではないか。関西の落語も秀でているが漫才ほど注目されなかったのは会話調であっても会話そのものではなかったのではなかろうかと。

したがって大阪弁がこのように成功したならば遠州弁だってやってやれないことはないのではと思ってしまうのである。ましてや江戸の下町言葉の語源の一つとして徳川家康公と共に江戸に移り住んだ三河・遠州・駿河衆の方言があるといわれているだけに。それを武器にすれば遠州弁は関東の人にとって聞きなれない新しさの中にどこか懐かしい印象を与えることが出来るのではないか。

ただし遠州弁はきつい汚い表現でもあるのでこれを浄化してからでないと認知は困難を極めると想像されるのが難点ではある。でも、どつき漫才という人の人格無視するような人をはたく行為でさえお笑いとして認知されてるご時勢なだけに一発勝負で手を加えない遠州弁で勝負という冒険も全てナシということではなかろうて。「アホ」がいいなら「馬鹿」だってええじゃないかってことで。

それともうひとつ難しいのは、遠州弁を話す人は自分が方言喋ってるという自覚がないため、普通にその地域で生活していくと方言を忘れてしまうということである。何が方言でとかは人から注意されないと分からないのである。なにが方言かをきちんと把握しておかなければいけないのが面倒であろう。

誰かそういう漫才コンビが出てこないかなあと思うとりますです。現実的には他の地域出身の方でその土地の方言駆使して漫才繰り広げられる方おられないんで机上の空論なんですけどね。

ちなみに余談ではありますが静岡県人の傾向としては人に手をあげるお笑いは引く人が多いと思われる。

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最近磐田から芸能人がよー出る

ここんところ、磐田出身の芸能で活躍される方々のご活躍が目立つ。

「長澤まさみ」は別格的存在としても、パッチギ(2)に出演された井坂俊哉さん。羞恥心のメンバーのお一人野久保直樹さんEXZILEのメンバーのAKIRAさんなど。そういやあこないだテレビで野久保さんが筧さんと地元巡りしててさわやかのげんこつハンバーグの想い出話しされてましたなあ。長澤さんについでのげんこつハンバーグ紹介で、さわやかもウハウハだらなあと余計な感想ありましたです。

今まで静岡県で芸能人を輩出するといったら静岡・清水・富士といった中東部伊豆に集中してたのだが、磐田の活躍で多少なりともバランスが均一化してきている。

でもなんで?という疑問はあるのはある。静岡や沼津なんかは昔っから文化の盛んな地域でそういう夢を抱かせる土壌というものがあるのだけれど、遠州は文化より産業という気質で街が形成されている。そういうところでああなりたいと夢を抱かせるような本物を観る機会がない地域である。ましてや人口的にも浜松市約81万に対し磐田市約17万。芸能界に憧れ「下手な鉄砲数撃ちゃあたる」的な大勢の予備軍から生き残ったということではない。

おそらくというか個人的な邪推なのだが、理由のひとつとして、これはジュビロ効果なのかなと。選手はテレビの中の住人。それを間近で恒に見れる環境にいて、そういう人が発する空気感が刺激となってそういう世界へジャンプする意欲が湧き出るのかなと。

ジュビロの選手の人達は結構浜松に住んでおられる方が多いのだが、それはサッカー選手としてではなく一市民としてであってのべつまくなし選手のオーラだしまくってるわけではない。スイッチが入った時に発せられるものであって日常からのものではないのであろう。もちろん勝負の世界に生きてる人だからやはり普段からして雰囲気は普通人と違う感覚は実物を見ると感じるけれど、競艇選手やオートレースの選手からも感じるものと一緒ではあるけれど。

でも磐田でなんで?という疑問はこういうことしか思いつかない私であります。

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*かええいく

代えに行く・交換しに行くとかいう意味。「に」が「え」に変わった表現。

全ての表現が「え」に変化するのではなく「買いに行く」だと「買いい行く」・「壊しに行く」だと「壊しい行く」と言う風に前の母音と関わって変わると思われる。こういうのを長音化というのかどうかは定かではない。

効能としては言い易い。副作用としてはなめた言い方に聞こえるという点か。

こうすることによって「てにをは」を略している風にも聞こえる点も特徴ではあるか。

例文

「バイク乗ってどこを行かすでえ。」

  (バイクに乗ってどこに行こうとしてるんだい。)

「バイク屋。オイル替ええ行くでえ。」

  (バイク屋へ。オイル交換しに行くところ。)

「まめだねえ。店屋行って自分でやらすだ?」

  (こまめだねえ。バイク屋で自分で作業やるの?)

「そりゃやれんで店の衆にやってもらうだよ。」

  (それは出来ないからお店の人にやってもらってる。)

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Aroundo 40 ・ 注文の多いオンナたち その3

恵太郎(藤木さん)が出るようになってからやはり雰囲気が変わりましたね。良いか悪いかは分かりませんがやけに恵太郎の存在が大きく感じられます。聡子というよりも天海さんの持つ雰囲気からなんでしょうか男子を立てるというか一歩下がるというか。女子だけの時はほんと誰よりも目立つ印象があるんですがね。それともやはりアラ40ということで一応そういう気遣いをするように躾けられた世代というのを演技として表現されてるからなんでしょうか。対等という印象が感じられませんです。これが作り手の意図的なバランスなのかどうかでドラマの印象が変わるんですけどどっちなんでしょうか。

あと、竹内(松下さん)の社会参画って不倫(浮気)かいってことでびつくりではありました。しかもときめきのお相手があの人たあホント世の中狭いときたもんだ。ドラマらしい偶然を感じます。

恵太郎と聡子の関係性も同じ仕事をする上での行き違いとかも描かれていてそれなりに複数のストーリーが入り混じりつつある展開になってきてますが、如何せんオヤジが観てて共感する様相ではないよな気が。多少年齢が近い方ともいえる大橋(筒井さん)に頑張っていただかないと見てるだけ~というドラマになりそうですわいな。だって結婚相手として紹介されるオヤジ軍団ことごとくパスされちゃうんですから私的に居場所がね。

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キミ犯人じゃないよね?その3

なんか忘れてるなあと思ったらこれ忘れてました「オレまだ書いちゃないよね?」。番組の売りのひとつにしほりんが嬉々としてやってるコスプレがあるんですが、第3回のそれは女学生でした。

歳をさば読むのが女優の務め。そういう視点でいけばまだまだいけます高校生。流石です。だけどコメディなんだから物を(流行を)知らないという直球だけでなく、仕草とかでイタい(無理がある)部分をもう少し観る側に見せてくれたほうが(尚且つクスっと出来る条件で)可笑しめるかなと。生徒達にばれたら話しになりませんけど、上手(自然)過ぎて逆に映えないという感じには思えました。隙(ぎこちなさ)を作るのもたまには必要なのかなという上手い人だからこその要望を感じましたです。ま、基本コスプレに興味があるほうではないので醒めて観てる部分もあるにはあるんですけどね。でもめがねっ娘は似合ってましたです。

今回の要さんの「もってかれたー」というセリフが良かったです。またかよーしょうがないやっちゃなあと確かに思えて笑えました。逆に「キミ犯人じゃないよね」のフレーズはあまり輝いてませんでした。初回のように先に言っちゃったほうがいいような気がしないでもないです。でもキャラクターが観てる方も分かってきたので構えず無防備に観れるようになりました。コンビもこなれてきた感じですし。

今回のゲスト犯人の星野真理さんはお綺麗に映っておられました。作品名は覚えてはいないんですがちょくちょく色んな作品で拝見させていただいてるのですが、いつも以上に綺麗でしたです。でも、あれは事件であって殺人ではないですよねえ。普通は逃げるより救急車呼ぶでしょう後ろめたい殺意があったんじゃないのだから。

ひき逃げ犯人の心境なんですかねえ理屈が理解できませんでした。ま、事故であれもし万が一自分が拘束等の障害により、彼が力を入れていた合唱コンクールを(意思を継いで)成功させることが出来なくなってしまったらという想いからというような理由はついてましたけど。「事故で処理した方が早くね?」とレタモン栽培してる人に向かって言うようなのと同じ口調で言いたくはなりましたです。

今回はブラフというか引っ掛けで別の事件が絡んで複雑に入り組んでいて探偵物の雰囲気がありました。脂が乗ってきたのか安定してきたのか落ち着いて観れるポジションを見つけた感じがしますが、終わりに必ず飛び出る過去の記憶という爆弾がどう爆ぜるかで様相が変わるのでしょうか。犯人が直ぐ判るしかも女性というお決まりの薄いドラマという訳ではないのでしょうか。そうじゃない事を期待しております。

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*こさう

こしらえると言う意味。こさえるはこしらえるの俗語でこしらえるとは作るとかいう意味。作るをなんでもかんでも「こさう」と言うわけではないが結構使う表現ではある。

例文1

「あそこんさあ頭おもいっきしぶつけるとどうなるだ?」

  (あそこに頭を思い切りぶつけたらどうなると思う?)

「こぶこさうだ?」

  (こぶが出来るんじゃないの?)

「目ん玉から火がでるだあれ。」

  (目から火が出るのさ。)

「だでなによー。」

  (だからなに?)

「いや、注意せよっちゅうこん言いたいだよお。」

  (いやね、注意した方がいいよと言いたかっただけ。)

例文2

「あそこの畑でなにこさえてるよー。」

  (あそこの畑でなに栽培してるの?)

「うちで食うもんをねちょびちょびっつ。」

  (家で食べるものを少しづつね。)

「じゃねぎとかもこさうう。」

  (じゃあねぎとかも作ってるんだあ。)

「まあの。商売もんじゃないだで見た目美味かぁめえんけどやあ。」

  (まあね。商売用じゃないから見た目は美味そうじゃないけどね。」

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ひみつの花園(第二回作品)

猪突猛進突貫娘がお宝求めて邁進する凄まじき様を描いたスピード感ある作品で非常にテンポ良く、ありえなさも適度に世間離れしていて、それでいて常識とつかず離れずの間合いで気持ちいい作品です。実は矢口作品の中で今のところ一番のお気に入りなのです。観終わっての余韻と影響力ということではSGがやはり上を行く感じですが、単純に観ていて愉しいというのではひみつの花園が一番と思っていますです。

とにもかくにも主演の西田尚美さんが輝いてます。水泳で見事目標ゲットするにはあの泳ぎはないだろうというツッコミはありますが。最後の終わり方も好きですなあ。低予算にしてはという注釈などいらぬ金かけた作品と伍しても愉しいといえる作品です。

1997年公開作品。(制作は1996年)83分。東宝・ぴあ提携作品。

出演(DVDパッケージに記載されているメインキャスト)

西田尚美さん・利重剛さん・加藤貴子さん・田中規子さん・鶴田忍さん・角替和枝さん・内藤武敏さん

他には矢口組の常連さんでは、田中要次さん・徳井優さんなどがおられ、伊集院光さん・濱田マリさん・松岡俊介さん・木村多江さん・日野陽仁さんなど。自主制作ワンピース仲間としては、寺十吾さん・しおのやけい子さんなどが出演されておられます。

西田さんの起用についての逸話は、前作同様なかなか主役が決まらず選考していたところビューネのCmを監督が見て、不幸な目に遭いながらもめげない逞しい(明るい)女性を演じられていた西田さんが目に留まったそうです。

「はだピク」でこれでもかというくらい不幸を描いていたので出し尽くしたのかそれとも飽きたのかは分かりませんが、今作において主人公に課せられた使命は目的の為には猪突猛進。困難を乗り越えるというより障害なぞ眼中にないくらい目的に目がいってるという人を演じること。困難や障害を不幸と捉えるのではなく邪魔だと考える突貫野郎(女性ですけど)でなくてはならなかったのですが、見終われば確かにと思えた西田さんでした。不幸のかけらも見せないのは西田さんの力量によるものでしょう。厭味にもなっていないし後味がいいです。

そんな西田さんに用意された役をもう少し細かく書くと、幼い頃からお金好き。彼氏よりもお金好き。通帳眺めてにんまりするほどお金好き。就職においてもお金が触れるからと銀行に。ひょんなことから誰も知らないお宝のありかを知る。そこは人が容易に辿り着けぬアドベンチャーの勇者のみが行けるところ。なりふり構わずがむしゃらに勇者になるべく修行を重ね、いざ行かんお宝の許へ。しかしてはたして「ひみつの花園」は何処(いづこ)に。いざ行かん立ち上がれ勇者という役。

周りが普通の世界の中で一人唯我独尊気を吐くキャラクター。どこをどう見ても鈴木咲子(西田さん)に目が行く展開です。その咲子に興味を持つ江戸川(利重剛さん)が見る目線と同じ目線で突貫咲子を眺めるという感覚です。脚本は矢口・卓爾の黄金コンビ。

監督業に勤しむ前は大学に通いつつ映画スタッフのバイトで美術とか励まれておられていたそうで、セット作るにも美術さんにまかせっきりではなく自らも参加されていたという逸話が紹介されていました。それがスタッフから見てどう映ったかまでは計れませんが、少なくとも「威厳」を保つ気はさらさらない映画好き青年にしか見えない監督らしからぬお方らしかったと推察されます。

私が買ったDVDはウォーターボーイズがあたって、矢口WHO?という要望に応えたのかついでにイケイケという便乗(物のついでの勢い)だったのかは知りませんが、WBのDVD発売された時期に作られたものです。映画館では観ておりませんです。

特筆すべきは一枚(二枚組みではない)にも拘らず非常に濃厚な特典が詰まっているところでしょうか。音声が1996年オリジナル・2004年リミックス・矢口卓爾西田お三人のコメンタリー。そして劇場公開時のパンフレットの短縮刷版が封入されているところ。パンフレット集める趣味はないんであれなんですけど、こんな詳しいパンフ他にないって感じで矢口監督の資料として重宝しておりますです。経歴・メイキング写真・絵コンテとあって。ほんと参考になります。

この資料によると、「裸足のピクニック」と「ひみつの花園」の間に矢口監督が制作されたのは、1994年メイキングオブ「青空に一番近い場所」映画裏図解52分(鴻上監督作品のメイキングビデオでありながら作品の内容には殆ど触れず映画がいかにして作られていくかということだけに集中して作られた図解ビデオ)。他にはCmでは、3本。テレビでは、CX音楽図鑑「コンフィグ・システム」(1本90秒の短編ギャグ連発番組。46作品中の3本を監督)。以上は観てませんので詳しい内容は知りません。「ワンピース」・「バードウォッチング」。いずれも自主制作作品で、封印(非公開)でないものについてはDVDで発売されているのでこれはまた別の機会に紹介を。

話しを戻しますが、83分と短いのは、脚本の時点で詰め込みすぎだから削れ削れと言われて、でも出来たらこの時間になっちゃったということらしいんですが、それだけ雑多な出来事をひとつのお鍋(作品)で煮込んでも味がこんがらがって分からなくなる訳でもなく長く煮込まなくても短い時間できちんとそれぞれの素材に監督の味が分かりやすく沁みて出せてるってことなんでしょうか。一目瞭然というか素人にも判り易い映像を提供される監督さんだと思ってます。

今見ても色あせていない(多少はありますが)印象を持ちますので見といて損はないと思いますが。私はこれが今のところ矢口作品No.1だと思っとります。予算を掛けられない時期の作品なので知恵と勇気で乗り越えた部分も多々あるのと削れ削れといわれた部分を削らないでの完全版(当初の監督案)というのを観てみたいので、出来れば普通の予算でリメイクしたものを観てみたいです。でも西田さんに匹敵する役者さんがいるかどうかという問題はありますが。

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パズルその4(PIECE2)

先に書いときますがこの作品は好きです。しかし諸手を挙げて賞賛と言うわけではなく「だけど」という部分が感じられてそれを越えていただければより楽しいなという視聴者の勝手な欲を書きますです。でないと人に薦めるのではなく自分だけ悦に入る作品という評価になってしまいそうで。できれば評価されて続編というか長く観ていたい雰囲気を感じさせてくれるので期待の裏返しなんでしょうかねえ。。

一話完結よりも、ひとつの大きな宝探しのための壮大なパズルを毎週土日の学校休みに出かけて少しづつ発掘調査みたいにひとつづつ解き明かしていって最後辿り着くほうが見てて面白いのになと不遜なことを考えてしまいました。とてもぎゅうぎゅう詰めで良く噛み切れなくて消化不良な部分がありましたです。もう解決かいって勢いでした。トリック解明に関しての鮎川達が滑車回す前に細かく「なんだこれ?」って調べてた時に銀色に光るワイヤーに気づかない筈ないだろうとか火を点けて燃やすためにガソリン撒いてたけど匂いだろう普通とかいうツッコミを言ってる訳ではありません。筋書きの展開を追うことに目一杯でキャラクター達の面白さがよく見えなかったというところです。無駄な動きが愉しいのにそういう脱線がとても少なく感じましたです。背景に流れていそうな全体のありえね~空気感が愉しめなかったです。

彼らの行く手をを邪魔・横取りしようとする女子高生3人組との駆け引きももっとあざとくえぐれそうな気がするのですけど。今のところうまい話しを持ち込むだけの紹介人みたいになっていてもっと話しを余計にややこしくしてくれるお邪魔虫になりうる存在のような気がするんですけどね。

それとこれも素人がなにを言うかという話しなんですけど、第一回での鮎川のオヤジ度が今回は影を潜めて薄くなった感じがします。立ち上がる時の「よいしょ」は定番としても、身なりが引き継がれている程度でわざとらしいくらいのオヤジ表現が見受けられませんでした。演出(監督さん)される方が第一回は片山修さんで第二回は宮下健作さんと言うことで演出方法がキャラクター表現重視からストーリー展開重視になったのでしょうか。統一性がないとブーたれてるわけではなくどの方向に鉱脈が在るのか試掘中で色んな可能性を試されてるんでしょうかね。

良い悪いとかではなく、ありえない個性的なキャラがハチャメチャに動き回るとこがこのドラマの味噌であるならば、素っ頓狂なお話しでもついて行けるんですけれどなまじ存在がありえる人間が右往左往すると展開の嘘くささに灰汁が出るような感じになりますです。私的にはキャラを極めて欲しいしそれを映像が追いかけて欲しいところです。それともこういう部分は役者さんに期待すべきものなのでしょうか。

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トップセールス第3回

やはりというか、きちんと描いてこられましたねえ「疵」という名の挫折。もちろんタイトルの「傷」は営業するものに必要なことと言う意味で。傷を負い痛みを知る者こそがお客さんに寄り添う心が生まれる。それがなければ人の心に訴えかけられないというものでした。さすが所長さんいいこと言われます。でもこの回でもっと大きく描かれていたものは挫折のほうでしょう。

営業の辛さの度合いは個人差によって異なるのかもしれませんし売る商品を本当に愛しているかにもよるのでしょうが、あそこまで追い詰められはしませんでしたが私も同類の営業には向かなかった人間です。それだけに彼の追い詰められていく様は見ていて痛々しくて堪りませんでした。今みたいに転職なぞという選択肢は皆無で逃げ出したと評価される時代でしたから歯を食いしばるしかなかったのでしょう。

特に営業成績で叱咤される光景は堪らなかったですし、逃避した後机の中から出てきた苦悩の証文は追い詰められたら頭では分かってはいても止められない転落劇のようでホント辛かったです。ドラマだから本社からの人を悪役として描いていますけど、現実だったらあの人だって末端であって彼もまた上からつるし上げられてる被害者でしょうから無視して終わりなんて甘くはないですよね。運よく追い出せても次がまた来るだけですから。

努力が報われるなんて成績が伴わなければ職業(プロ)の世界は評価されない世界だとまざまざと暗い方向から現実を照らしてくれてるような気持ちになります。

トップセールスへの栄光の道をひた走る努力のサクセスストーリーというものではなく時代ゆえの歪みも織り込んだ大分深めのドラマのようです。恋物語(揺れる心情)に多少比重がかかるのはどうかとは想いますが硬派な感覚で今まで以上に気を引き締めて観なくちゃと思うようになりました。すくなくとも正義なんて実態のないものだ(所変われば品変わる)というのは分かるような気がしてきました。

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*イケヤ

最近 IKEA という言葉をよく耳にするが、浜松でイケヤ(アではないが)と言えばレコード屋さん(古いけど)のことを指す。

昔っから唯一のレコード販売店と言う訳ではなく、日楽浜松とかも老舗として健在であるが、「イケヤ行って来る。」と言えばああCD買いに行くんだなと思われる。実際のところは本やDVDとかもアリなので思い込みではあるが。

昔話をするならば、まだレコードの時代。新曲のプロモーション活動といえば地域の有力なお店に挨拶廻りをして場所(お店)によっては店先なりフロアなりで新曲披露するという戦略が有効だった時代。浜松では池谷(イケヤ)がそういう店にあたり、まだ場所が田町に店舗を構えてていた頃である。

演歌とポップスとアイドルが共存していた時代で、演歌に限ることなくそういう挨拶廻りが重要な戦略であったらしい。なので根気さえあれば有名歌手を身近で見れる可能性があったのである。もっともアイドルはテレビに張り付きだから滅多にお目にかかれることはなかったが、買う用が無くても店でぶらぶらしてると歌手の方に遭遇するチャンスというものがあった。ごく稀だっただけど。出会える奴と出会えない奴がいて、運というものは実際に存在するものだということをそのとき知った。そして運があろうとなかろうと特にその後の生き様には影響ないというのも味わったりもした。

レコードは傷等があっても返品交換の効かない商品だったので、買う時レジで店員さんがパッケージから取り出してレコード板をチェックしてから販売していた。輸入版の場合はパッケージが開封できないので運が悪ければせっかく買っても聴けないということも極稀にあったらしいが私にはそういう不運は訪れなかった。こういうとこで運を使い切ってるから肝心なとこでは運がないのだろうか。

輸入版はジャケットの紙質とかぺらぺらのちんけな作りで消耗品と言う感じで愛蔵版にするには薄っぺらかった。でも安かった。海外からの運送費考えると元の価格がいかに安いかと言うのが分かるのだが、今のCD・DVDもそうだろうけどレコードがこんなに高いのは日本だけだということを知った輸入版の価値であった。

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