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ルーキーズ第二話

TBSドラマがどうも波長が合わない私ですが、こういう直球のドラマにはついていけますです。ってゆうか役者力バリバリなんでそれで見てるって感じですかねえ。

全くの現実の世界とは異なる別世界での根性物語と言う感覚です。第二回は前回ですげえと思えた市原さん・城田さん・桐谷さんが控えめで随分と落ち着いた(トーンが落ちた)展開で比較的のんびりこんと見れましたが、やけに喫煙シーンが目に付いた感じがしましたです。

斜に構えるアイテムとして煙草という小道具を有効活用されてますが、ただでさえ社会的に悪者扱いされている煙草。それを吸う者としては(将来は辞めるつもりで鋭意努力中ではありますが)、ここまで悪のアイテムに仕立て上げなくてもいいじゃないかという気持ちはありますです。ましてや放送時間が20時台で一番幅広い年齢層が視聴する時間帯じゃないですか。これからという予備軍も見れる訳で、それを考えると本気で社会の体制は煙草=悪という構図を揺るぎないものにしたいらしいと読み取れます。

生きてる人間よりもアニメに恋するくらいの世の中で、ドラマの中の絵空事と謳っていても、我が身に置き換えて(重ね合わせて)観る人もいるでありましょう。煙草が何を表わすのかといえば悪いことをしているアピールの象徴であり、誰しもがほんの一時期訪れる悪に憧れたとき(多くに人は想像で終わるでしょうけど)、吸わなくてもいいのに煙草に手を染める輩も出てくるかもしれない。そう思える程頻繁に喫煙シーンが目に付きました。そういう啓蒙のドラマだとしたら奥の深いドラマです。そうなると当然夢を復活させて努力しても煙草で体力等が落ちてしまって、夢半ばで涙を呑んで過去の挫折したという過ちを後悔すると言う教訓的展開に行くんでしょうか。

なんて筈もなく、彼らは夢に向かっ失われた時間を取り戻すためにも前に向かっていくという明るいドラマなんでしょうね。吹石さんが出ておられる・野球が関わっている・先生が熱血で信ずることを第一とするなど共通性が多くあるから「フルスイング」とどうしても被るイメージがあるんですがそこはやはり生徒役の役者さん達がすんごい人で固めてある分迫力はありますね随分。同じところは同時進行で色んな出来事が重なり合って進んでいくのではなく、ひとつのことを集中して解決して行くという進み方でしょうか。そこら辺がシンプルで判り易いんですけど現実は同じ時間を生きてる限り同時進行で誰も順番を待っててはくれないんですけどね。

えらく野球のユニフォームが似合うなと思いましたです。原作に近づいてる感じがあります。マンガでの彼らは愛すべきキャラでしたから。物語が人間が演じることによって生臭く陰鬱や重苦しくならないのは全て川藤先生がそういうものを受け止めて外に漏らさないところにあるのですが、佐藤さんがそう云う所を見事に表現されていて明るく見れてます。仲間の大切さというかありがたさとかいうものも原作では感じ取れたのでそういう部分も見せてくれると嬉しいんですが。

それにしても開始時間の19:56ってのは勘弁して欲しいところであります。他局の番組と被るので録画が出来ないですわ。バラエティじゃないんだから掴みにインパクトという手法は勘弁して欲しいとつくづく思いますです。

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せっかくの機会だから

芙響和音が暫しの眠りにつかれました。

せっかくの機会だから、前の文章を読み返しておこうかと。心象スケッチみたいな感覚を受ける文に関しては、作者が頭の中に湧いて出る混沌として塊のような像を素早くスケッチしていてそれに文字が追いつかない場合もあろうかと思われ、あまり深く言葉の意味に捉われないようにして読んでたんですが。

良く出る言葉に関してはそれなりに把握しといた方がいいのかしらむと。(頭に!)後、意味わかんないものもとりあえず列記しといて分かったら埋めてこうかなと。(頭に?)ま、全部勝手な勘繰りなんですけどね。書き手が自由なら読み手も自由だろうと言う開き直りでさあれ。

尚、その都度別記事にするのもあれなんで恒に書きかけ書き足しとなりますんで。それであくまで自問自答なので文体がいつも以上にばらばらですが気に留めないでつかあさい。

!「エラ呼吸」

前後の文章からだと水陸両用の体になりたい。つまり境や枠に捉われないという意思と読んでいたんですが、単純に深く潜行(籠もる)ための酸素発生装置という読みでもありかなと

もうひとつは、水に含まれる沢山のものから酸素だけを取り出す行為。つまり入ってくるもの全てを体内に取り込むのではなく必要なものだけを取捨選択して取り込む。そういう解釈もなりたつのかなと。ATフィールドの別な表現とも言えそう。

前者は全てを飲み込むと言うのに対し後者は選別してと言う間逆な解釈ではあるが、何故そう思ったのかというと、後者は「空気は吸うもの」という雨風呂の「ダウンタウン」の記事の中で「肺からエラがぼろっと落ちた」という表現があったこと。

以前からの恒の表現ではないが結構最近頻繁に出てくる表現なので確認しときたい言葉。

?「2008/04/20言伝します」に使われた写真の意味

一枚目は雨風呂の「赤い証明」での写真の別バージョンとも思われ

二枚目については「2007/06/06失ってから大切さに」で使われた写真を再び使っている。一枚目はおいといて二枚目のお話し。

まず、なんでこの写真を再びという疑問。写真ではなくこの記事(6/6付記事)を暗示をしたのかそれともシンプルに写真が物語っているのか。あまり使いまわしするという印象がないのでちと気になり申した次第。

次に最初「海に脱ぎ捨てられた靴」といったらイメージするのは海の中に消え去ったという感覚を憶えるのですが、『失ってから大切さに気付くのは失くさないと探そうと言う欲求がないからだ』というサブタイトル(真のメインタイトル?)とリンクしてると深読みすると、これがまた難解で読みにくい。

渋谷で未熟なサイヤ人に変身して咆哮を放った後、猫バスに乗って杉並区に向かい家に着いてビールを飲んで夢を肴に酔いしれながら幸福とはなんぞやを問い。現実世界に世界が転換して探し物が見つかってしあわせ。

要約するとこんな展開だが、この記事は心の泉から湧いてきたものではなくて普段の日常を表現をいじり倒して描いているリアルさが読み取れなくもないし前日の記事の清書という読み方も邪推できる。極めて東京暮らしの異常な日常を描いている風にとれるのだが、これが「言伝します」に繋がるとは思えないのだけれど。

再度疑問を提示しておくと、この写真の意味は?ただなんとなくかもしれないが意味深に思えてしょうがないのだが。ただし読み返して思ったのはリアルタイムで読んだ時よりもわかったような気がする文章だったという感想が湧いたこと。一年近く経つと読み手も成長できるということか。

?「行間」

作品の特徴は行間の広さ。私なんぞは詰めれるものなら詰めたいタイプなのでこういう間逆な空間表現は異様な感覚を感じる時がある。試しに自分が読みやすいようにとコピーして行間を操作して読んでみたら雰囲気が随分と違う。効率ばかり追いかけて自然を破壊するようなものなのかと思ったりもするのだけど。なにがその空白の中に宿っているのだろう。でもやっぱ読みづらい。改行のルール(法則)や句読点とかいきあたりばったりではなく恒に変わらない部分があるけれどルールが理解できれば読みづらさが軽減できるんだろうか。

!「言葉選び」

全体の流れを大雑把にみると、当初は読み手へのメッセージ性を重視したもの。それが表現を変えて身近な出来事を描く・その事象に対して想ったことを造語的な文字で発するという方向に変化。その際比喩・言葉遊びや方言といった言葉そのものを探している状況がみられた(過去形)。最近は直で伝わる言葉を探している感じにとれ、会話調が加わるようになった。ただし景色(背景)をあまり描かないので私のような想像力の欠如してるものにはイメージとして画を作れなくなりつつある。そういう意味では宮澤賢治の心象スケッチを読んだときと同じ頭のとある部分が痛くなる感覚がある。

?「移り変わり」

内面に切り込む誰かに向けてのメッセージではない初めての記事「2005/07/14の唯一無二の」であろうと思われる。まだ行間の空白とかは使っておらず固有性は生じていない。2006年の1月辺りから楽曲用の詩として出されたものから徐々に今の形態に近くなってきたと思われる。歌詞としてでなく文章全体の改行ポイントは「2006/02/08好きなこと」が今の形の第一号か。でもまだ行間の空白はない。おそらくは自分に意思に反して機械の都合で改行されるのが好きくないらしい。行間が空くようになったのは2006/05/08~12の3つの記事からであろうか。

?「カテゴリーの活用」

読み返して思うのはカテゴリーが何もない。ただ日付のみ。過去を振り向かない作者の姿勢なのであまりとやかくは言うべきことではないのだけれど、読み手へのサービス性を考慮にいれてせめて項目を分けてくれると非常にありがたい。では分類できるとしたらどういうものに分けれるか?無い知恵を絞ってカンガルー

近況報告・告知・メッセージ・情景スケッチ・心情スケッチ・想作・思考作語・ホイ夢・パル憤テ・ル裏・アリホー・真ヌーサ

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パズルその3(PIECE2)

今日も元気に三本線。初回でやけに目に付いたアディダスのウィンドブレーカー。

今回も着ておられたということはこれが強欲鮎川の戦闘服ということか。それにしても石原さん堂に入ってきましたですその強欲ぶりに。いたいけな(自信過剰でもある)生徒達の話しを有無を言わせず横取りしようと妄想する辺りは正しく真骨頂の様を呈していて笑う(にやける)しかない情況でした。何気に悪巧みする面のにやけ具合がはまってますです。今回も無駄骨に終わったのですがこれからもそういうパターンなんでしょうか。毎週土日連れ出されちゃ3年生でもある訳で進学にさしつかえないのか余計な心配しちゃいます。

自信過剰なガキどもをギャフンと言わせる爽快感も確かにあるんですが、それよりも「トリック」の後継的な雰囲気があるのが堪りませんです。

とても胡散臭い。壮絶とか悲惨とはかけ離れた世界感。推理物なのに笑わせてナンボというギャグのてんこ盛りで冷静な推理をしようとする邪魔をする。役者さん達が嬉々として演じている。セットとかでのちまちました作りではない。殆ど手作り・人力で済ませてCGとかで胡麻かさない(?)。殆どというのは岩が落下するシーンは流石にということで全部じゃないという意味。

今回は、キーワードからして「落ち武者」・予言めいた殺人(しかも警察力に頼らずに解決すると言うルール)なぞはもうまさしくと言う感じです。ただ本家と違うのは一話完結のようでそこは分家の悲しいところで本家並みに3~4話でひとつの物語という濃密度がないところでしょうか。跡目を継いで後継となるには視聴率という評価が必要なのでしょうか。それとも「トリック」マニアが反応してそこから火が点くようにならなければならないのか。いまのところ可能性かもといえる程度でそうだと言い切れる熟精度ではないのが残念です。誰も二番煎じなんて言わないと思いますよ。むしろ待ってただけに歓迎されると思いますけどね。

とりあえず動因部と超強引な段取りは愉しいですけど、展開が動き始めると時間が無さ過ぎる気がしますです。ちょっともっと良くなる気がするのに残念な感じがする尻すぼみ的な勢いでした。

因みに今回のロケ地も浜松。春野の秋葉神社近辺ということで馴染みはあまりないですが大雑把にあああそこかあ(具体的な細かい場所までは知りませんけど)という気持ちになる場所での撮影されたのかという感じです。おそらく大分作りこんでますからロケ地巡りしても楽しくなるには自己努力が必要な気がしますです。秋葉山は火防ぎの神ですからドラマの中でも火が消えるのは神のご利益の賜物かもしれませんです。

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*もちっこ

持ち合うという意味。「~っこ」と言う表現が特徴としてのポイント。「~しあう」という意味。ただし静岡県のお土産「こっこ」は「こをしあう」と言う意味ではない。

「はんぶんっこ」となれば半分づつと言う意味。共通語だと「はんぶんこ」。

例文

「じゃもちっこにせまい。わしこれ持つであんたこれ持ちない。」

「あれ~、悪いやああんたに持たせちゃって。気いひけるやあ。」

「ええってえそんな心配しんでも。気い遣わんといて。」

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ラスト・フレンズその7(第3話)

樹里ちゃんはアップに迫力を感じさせる役者さんなんだなあとふと想いましたです。長澤さんが半身以上(希望は全身像)の画で輝く映画の人タイプに思えるだけに余計そう思えてくるのかもしれません。

人の不幸は蜜の味。昼の最中に繰り広げられるドラマを表するにぴったりの言葉なんですが、ラスト・フレンズはどうでしょうこれに該当するのでしょうか。それなりに色んなサイトにお邪魔して感想を拝読させていただいた限りでは、該当しないようです。どこが異なるのかと言うと、感情移入の度合いがということになるのでしょうか。昼ドラは他人視線で居られるから(我が身が痛む訳ではない)あのどろどろを見れるのでしょうか。かといって白けさせたら意味がない。つまりお芝居はつかず離れずの微妙な他人行儀の技術を必要(つまり芝居とわかる芝居)とするこれはこれで腕の要るお芝居ということでしょうか。

ラスト・フレンズは感情移入の度合いが深く、DVを受ける側の長澤さんを応援するサイト辺りは可哀想で見てられないという意見が多いようにも感じられます。もちろん明るく元気な「長澤まさみ」をイメージとして持ってることによる反発という面もあるかと思います。(もちろんファン層が若い世代中心だということもあるのでしょうけど。)美知留がDVを受けているというよりも「長澤まさみ」がDVを受けていると受け取る心持ちでしょうか。良くわからないのはセカチューや優しい時間・ドラゴン桜等他にも薄幸な役どころが結構あるのにそれに馴れないという感情です。両親健在な家庭環境の設定よりも何がしかのハンデを背負ってる中でも健気に生きようとする様が多いと思うのですが。それでも、またかよというマンネリではなくいつも新鮮に映るというのは役者さんとしての財産なのでしょうか。穿った見方すれば今回は反撃しない(耐え忍ぶ)のが「らしくない」ので歯がゆいという印象もあるのかもしれません。とにかく何しても「長澤まさみ」に見えるのは財産であることには間違いないでしょう。でもそうなると普段の言動とかも律していかなきゃならない訳だし、銀幕のスターへの道は遠そうだなあと。化けるのが職業なら普段が別人でもキャメラ廻って見事なら許されるんでしょうけど。

どのみち堪えるだけでは解決には向かいそうにない展開と想像されますので(まさか瑠可に解決丸投げということはないでしょうから)これから変わっていくであろう美知留をどう演じていくのかが興味のあるところですね。窮鼠猫を噛む的に堪えて溜め込んでいたものが噴出していくのか周りから感化を受けて自分を変えようと決意していくのか。いきなり母は強しなんてオチだけは勘弁して欲しいところではあります。それにしても「私の瑠可」といった感情。犯されたくない聖域だったのか鬱積した感情が噴出したスイッチだったのか。過去の二人が描かれていないのでどちらの感情が強かったのかちと灰色でした。反論すればどうなるか分かってる上での言葉でしょうからどういう覚悟の上での言葉なのか知っておきたかったところではあります。

疑問といえば、残業出来ない定時で終わりたいと願い出た際にお店の人が店の都合ばかり言って「なんで?」と聞かないのはこれが普通なんでしょうかねえ。人材こそが財産ならばこういう人を道具扱いするのはありえないんですが。これが今の常識なんでしょうか。確かに孤独感を感じさせるには十分なインパクトではありますが。

樹里ちゃんのサイドから見ると「虹の女神」でのあおい役に近いのでしょうか。まあとても「のだめ」とは比べようがないので当然なんでしょうけど。とりあえずは滅私奉役。「上野樹里」が褒められるよりかは「瑠可」に共鳴したよといわれる方が樹里ちゃんにとっては本望かもしれませんです。なので終わってみなければなにも言えない感じです。

長澤さんは惹き寄せるタイプで樹里ちゃんは惹き込むタイプって表現じゃ意味不明ですかねえ。

タケルが越してきた日の歓迎会辺りはホント仲がよさそうな自然さが見て取れて、瑛太さんと樹里ちゃんの掛け合いはうまいよなあと改めて思いましたです。ここがみんなそれぞれの心の拠り所となる場所であろうからここに着いた安堵感がよく滲み出ててシェアハウスが最後の砦という印象を濃くしましたです。外はどこも戦場でここだけが安寧の場所のようで、もしここで惨劇なんぞ起こったら気が滅入っちゃいますわ。でもまあ、展開の綾や具体的な事象の提示やスピード感とかは脚本や演出される方の使命としても、ドロドロなものをクリーンに魅せるかが役者さんに課せられた使命でもありましょうからそういうところの味付けを愉しみたいところでもあります。

具体的な暴力行為を提示しなくても、その前の衝突と美知留の初めての反発から予想して今まで以上にただじゃ済まないと思えたし、はしょってシェアハウスに逃げ込む傷だらけの姿だけでも十分DVの恐怖というものを味わえました。海の穏やかな画もそうですけど、演出とかも大分凝ってるな気合が違うなという感じがします。でも冒頭で流れるあのシーンホントに最後の結末なのかちょっと信じられなくなってきましたです。続編がということではなくて、まだ次というか裏がありそうでまだこの後(真のエンディング)がありそうな。(勘繰りすぎか?)

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猟奇的な彼女その1

なんですかねえ、これだけすんごいキャスティングされてる中で今回は殆ど草ナギさんと田中さんの二人芝居観てたような印象で、いくらなんでも宝の持ち腐れってこたあないでしょうから、今回で全容が見えたとはいえそうになく何書いていいのかよく分かりません。来週見ないと流れが掴めない雰囲気です。

出会いが超重要なポイントであるが故に、これでもかと言う勢いで描かれてるのだと思うのですが、田中さんも草ナギさんも私ごときが改めて書くまでもなく上手い仕事人的な役者さんですから変なツッコミとかも思い浮かばないし。

ただ、谷原さんの弾け具合といいラブホテルから出てきたときの二人の様を見てしまった同僚たちの驚く様や表情など周囲のキャラクターが非常にコメディっぽくて、なに?これってコメディなの?と顔ぶれから想像して一風変わった人間の真面目なラブストーリーかと思ってたんですけど違うようで少し意外でした。セカチューのパロディとかは夢想話しですからどんだけはしゃごうともドラマの流れに影響ないんですけど。まともな人間の中でこそ猟奇的さが映えると思ってたんで。

観る前の期待としては、映画の影響と田中さんが出演されるということもあって高めだったんですけど、いざ蓋を開けてみるとTBSタッチのドラマだなあと思いましたです。私の心地よいと感じるテンポとTBSのドラマに共通するテンポは異なるようで何故か馴染めない感が拭えないです。具体的にどこがとかは上手く説明できないんですけど。いくら南ちゃんが出てたとしてもこのタッチはウマが合わないっつうか。

カレーなる一族のような重厚感のあるドラマとかひとつのテーマを突き詰めていくには向いているんでしょうけどライトなもの話しが入り混じったものには重過ぎる感覚です。この間というかテンポのまったりした緩やかさがどうも馴染めなくて、贔屓してる樹里ちゃんの「冗談じゃない」にしても長澤さんの「ハタチのい恋人」にしても観たうちには入らない見学レベルの挫折状態でした。この作品においてもそういう雰囲気が漂うのです。

なので次回観て、流れに変化がないようなら見てるだけ~で感想もなにもないかもしれませんです。良い悪いとかの問題じゃなく性に合わないというへ理屈です。もしかしたらこのドラマの感想これが最後になるかもしれませんがそういう理由です。

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ラスト・フレンズその6(第3話)

墨汁なる木10で深く濃いほど味が出るってか。今回も見応えありましたです。

今回は美知留に焦点が集中した感じのする展開でした。その分他の連中の展開の描き方が淡白に映ったのですが、それらの分のパワーを全て美知留に注ぎ込んだような感じがしました。だからと云って単調に見えたかと云うとそうでもなくて状況(展開の妙)に振り回されるというよりも人(特に美知留)の心のうごめきがより深く映った回に見えましたです。

タケルへの謎の電話と小荷物の送り主との関係。それにまつわる過去にあった許すことのできない事象という存在があるのは分かったのですが序奏のみで実際に何があったのかなにも説明されないままでした。それを忘れたくて(逃避したくて)シェアハウスに来たのかというとそうでもなくてやはり瑠可が居るからと言う前向きな理由で居を変えたのでしょう。もし瑠可と出会っていなくてもタケルは崩壊することなく今のままで生きていけるのでしょうけど、瑠可に自分が変わる為の何かを託しているのでしょうか。単純に好きになったというお話しではなさそうにも見えますです。でもそれがなんなのかまだ読めません。

美知留の思考回路はなんとなく読み取れる展開でありました。行くとこがないのではなく唯一愛される場所だから戻るんだと。家族にも愛をもらえなかった人生で宗佑だけが愛を示してくれるからということですが、家に戻った行動理由は納得出来たんですがやっぱり理解はできませんですわ。「変だ・屈折してる」とかを何故言えないんだろうかと。そこまでいかなくても約束という名の束縛を了承しなくてもいいんじゃないかとも思えてきます。

宗佑が自分の許を去ってしまうと考えるんでしょうか。あんだけ宗佑カラーに染め上げたい奴が思うように行かないといって自分から去るという心理よりもなんとしてでも変えてやると思ってて。もしダメだったら泣かぬなら殺してしまえ青い鳥というタイプだと思えるんですけどね。そう思って観てたんですが最後の最後に「あたしの瑠可」と初めて反撃に出たときは「よーゆうた」と思いましたです。その後は想像がつく方向性でしたが、しいて突っ込むなら家から出すかなあと。顔を腫らすほどDVかましたんですから、病院で言い訳したみたいに収まる訳がないですから監禁するだろうと考えるんですけど。まあそこまで逝くと家庭内の問題じゃなくなるんでしょうから描かないんでしょうかね。そこいら辺(家から出す)が感情だけで行動しているゆえの甘さなんでしょうか。悪意がないのは確かでしょうけど。病気なのは確かそうです。それにしても何年かぶりであった瑠可に助けを求める美知留という人は親が他の男連れ込んで行き場がないとはいえ、他に頼れる人がいなかったのかとつくづく孤独な人生を送ってきたんだなあと感じますです。だからこそ宗佑の許に戻る決心がついたんでしょうけど。どういうところで友達を作れなかったのかというような説明があれば親切だなと思えました。

宗佑は人の心を読むことに長けた人ですね。青い鳥が逃げない理由を把握してるみたいだし、一度会っただけで青い鳥をめぐって瑠可は自分のライバルだと直感で分かる鋭さを感じますです。約束という束縛は無理難題のようなもので、DVするための口実じゃないのかとも思える約束ですよね。深いとこではやりたくない訳じゃないのかもしれないと思ってしまいますです。

瑠可は淋しそうでしたね。美知留を諭そうとした際「父親の暴力」というものを間近に見てきていながらそういう行為が幸せには決して繋がらないという説得は分からない筈ないのに、「愛されたことがなかったから」と言われて黙るしかない瑠可が切ないところでした。本当は自分が昔から世界で一番美知留を愛しているのになにも伝わっていない伝えちゃいけない(?)もどかしさが、憤って店を出る様から伝わってきました。その後の「遠い」という表現も象徴的に残りましたです。自分は父親に愛されていることを実感する分美知留よりも恵まれている(同じ立場じゃない)負い目と、自身の想いがなにも伝わっていない(自分の悩みのせいで言えなかった)虚しさが見えて。それでも助けを求められれば駆けつけ、最後は守りぬく決意を持ったというナレーションが正しいのなら全てを解放する決意を固めたということで。瑠可に迷いがなさそうですけど、果たして美知留がそれを受け止めてくれるのかどうかが心配なところですな。これで「信じられな~い。そんな目で今まであたしを見てたの。」なんていわれた日にゃあ堪りませんですよ。ま、そんな紆余曲折は誰も見たくないでしょうからありえないところでしょうけど。

航空業界にお勤めのお二人はシェアハウスが楽しい場所を表現する賑やかしなんでしょうか。今回はそういう風にしか見えませんでしたが来週なんかあるんでしょうか。タケルとこの二人の問題が交差し始めたら物凄く複雑なものになりそうな気がするんで今回のじっくりは貴重な回だったんでしょうか。それともひとつづつ順繰りに解決して行くのでしょうか。

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*あけよお

開けろ・開けてくれといった意味。命令形と依頼形が混ざり合った不思議な言い回しでもある。他人というか余り親しくない人に対しては発しない言葉。というかしょっちゅう使うと不遜と思われる。

急な際に発せられることが多く意外と緊急性があり、こういわれてもさもさしてると怒られる。

「よお」という命令形の言い回しが味噌になるわけで「開ける」に限らず「やれ」と言いたい時に使われる。

「閉めろ」なら「閉めよお」。

例文

「やあぼさっとしとらんであけよお!」

  (おーいぼーっとしてないで開けてくれ。)

「開けよう」ではない。しいて挙げれば「開けろよ」の方が近い表現か。

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*ええだかやあ

いいのかよと言う意味。

「ええだかいやあ」(いいのかな)とは微妙に異なる。「ええだかいやあ」は幾分自問自答的なニュアンスになるが、「ええだかやあ」は相手に対していいのか?と問うているニュアンスが強くなる。

例文

「ええだかやあ、勝手に入って。」

  (いいにかよ、勝手に入ったりして。)

「構わすけえ。とんじゃかないわ。」

  (構うもんかどうってことないよ。)

「じゃ入るけど知らんにい怒られても。」

  (それじゃあ入るけど怒られたら責任とってよ。)

「そんときゃわしだけ逃げるでええよ。」

  (そうなったら自分だけ逃げるから気にしないで。)

「やあ馬鹿っつら。てっめえ行けやあ。」

  (なんだよそれ!それならお前が行けよ。)

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口は災いの元

あくまで言葉遊びです。冗句です。

「朽ちは災いの元」

気力第一。何事にも気力が朽ちてしぼんでしまうと悪い方悪い方に流れていってしまうものである。

本来の「口は災いの元」は読んで字の如しでそのまんまの意味であるが

単純に余計な事を言うという言葉に気をつけろという解釈だけでなく、口が滑る状況(驕り)を戒めるという解釈もあろう。

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しょーもない冗句その1

あり をり はべり しおひがり

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ハッピーフライト出演者発表

4/23、ハッピーフライトの出演者が発表されました。公開日も11月15日と決まったらしいです。タイトルもこれが正式になるようです。

主人公の副操縦士に田辺誠一さん、機長に時任三郎さん、キャビンアテンダントに綾瀬はるかさん、寺島しのぶさん、吹石一恵さん方が“着任”。

顔ぶれを拝見する限りでは、矢口作品に初出演の方ばかり。そして実績を積まれた方々で固められていると言うのが特徴というか感想でしょうか。矢口作品は今までに無名に近い役者さんを招いて(発掘して)それを矢口組の常連さんが支えるみたいな構図のキャスティングというパターンが多く感じられるのですが、今回は並んだお名前眺めてみると、何作るんだろうサスペンスでも作るんかな?という気になってしまいそうです。確かにこの役者さん達がコメディやるのは意外性が感じられて面白そうなんですけどイメージ湧かないなあコメディっていうのは。だから面白いのかしらむ。それとも味付けはアドレナリンドライブ風に近いんでしょうかねえ。これだけでも変な詮索のおかずになりそうです。(しませんけど)

因みにこの情報の出自は日テレのズームインスーパーHPのエンタニュースからで、出演者名はそこから引用したものです。勧進元のフジテレビの方はめざましのスポーツ紙での紙面紹介コーナーにおいて、ちらリズムでキャスト名までは言及されてませんでした。制作サイドとしては作ってる最中はやはりあまり騒がれたくはないようです。なにはともあれこれで余計な詮索されないで済むことになったのでしょうから心置きなく矢口ワールド全開で行って欲しいと願う次第でおますわな。

ちょっと前から「ハッピーフライト 綾瀬」とか「ハッピーフライト 玉木」とか色んな役者さんの予想をされてる検索ワードが最近目立ってきてたんですけど、みなさんどっからこういう情報仕入れてくるんでしょうかねえ感心しますわ。もっとも殆どハズレですからその徒労に終わる労力と情熱に感心すると云う事ですけど。

補足、ANAのサイトの方でも発表されていてより詳しい情報が載っていましたです。

グランドスタッフ 田畑智子さん 乗客役 笹野高史さん オペレーション・ディレクター 岸部一徳さん

いきなし渋い感覚になりました。ホントにこの陣容でコメディ作られるんでしょうか。なんか緊迫するリアルな展開という矢口作品らしからぬ方向性のような・・・んなわきゃないかあ。

その後、動画でのニュースがあったので拝見させていただいたのですが、主役の苗字は不動・不変の「鈴木さん」だというのは分かりました。スタッフさんが映っていなかったのでキャメラマンさんを始め矢口組がどういう組員さんなのか知れたら知りたかったですが無理でした。

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*ほい

遠州弁の特徴とも言われている言葉。女性言葉。

意味は「ねえ」・「あのう」・「ちょっとぉ」・「あのすいません」・「おーいー」とかであろうか。色々なニュアンスで幅広く使われる。基本誰彼の見境なく遠慮会釈なしに使われる。

同じような意味使いで「やあ」と言う表現もあるが基本男言葉で、こちらは基本身内というか親密度の深い相手に使うことが多く。たまに初対面とかの人に対して不用意に気が緩んだり我を忘れたような緊急のときなどに使ってムッとされるときがある。

もっとも「ほい」にしてもいきなり言われりゃいい気はしないか。でも当然のように使うのが遠州である。ムッとしないで馴れることが肝要である。

共通語で「ちょっとちょっとぉ」は遠州弁では「ほいちょっと」と言い換える事ができる。さすがに「ほいほい」とは言わない。

例文

「ほいあんたあ。悪いだけどやあ。お使い頼まれてくれんかいねえ。」

「どこええなにしにい。」

「○○のおじさんとこ玉葱持ち行ってやあ。」

「どんだけえ。」

「知らんけどがんこくれるっつってたやあ。」

「ほいじゃ車でいかにゃかんだけ?」

「だで頼むじゃん。」

「はいね。いったるでガソリン代くりょう。」

「どうしてえ。」

「だって入っちゃいんし金んない。」

「もう今度だけだにい。しょんないやあ。ゆっとくけど貸しだでねえ。」

「えー随分じゃん。」

「当たり前じゃん。甘えちゃかん。」

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おせん(第壱話)

私は映画の「蟲師」がお気に入りです。その世界感と空気感がとても心地よいのですが唯一現実に引き戻されたのが蒼井優さんでした。立ち振る舞いや容姿がそうさせるのではなく発する言葉がそうさせるのです。もちろん私だけの感覚なんでしょうけれども何故か現代的な言葉を発しているように感じられたのです。細かく観ていけばセリフの物言いとかも決して現代にアレンジされてた訳ではないのですが。

言葉のパワー、特に方言や昔の言葉使いには地域性と時代性を表現する上での最大の武器だと思われます。しかし諸刃の刃でもあり、もし万が一中途半端で下手に聞こえてしまうと逆に足を引っ張るものでもあります。「フラガール」で東北の言葉を見事に使われていて、地域を表現されておられるのに時代を表現されるにおいてはまだその範囲が昭和近辺までなのでしょうか。蟲師の時にそう思えたのですが、今回は時代性というよりも地域性ということになるのでしょうが蒼井さんの言葉の力量というものについつい眼が行きがちな私の目線であります。そして感情表現に長けたお方ですがはたして情緒とか風情とかの表現をどう表現されるのかというのも興味がありますです。

などという穿った想いを持ちながら「おせん」を観たのでありますが、そんなこと以前に和服を含めた佇まいのほうに眼がいってしまって正直そこまで気が廻りませんでした。まあ見事に和服の似合うお方です。茫洋とした雰囲気も時が止まったような空気感を醸し出していておせんというキャラクターに対して、らしいらしくないとかの疑問はございませんです今のところ。入浴シーンはサービスなんでしょうか非常にありがたやと思いましたるお調子者の私であります。ただどういうところが天然ボケなのかよく分かりませんでした。天然とか自然という表現なら分かるんですけど。それは次回からおいおいということなんでしょうか。

ところで壱升庵。もうすでに完成されているというか出来上がっていて付け足すものがない世界ですから、やるべきことは維持すること。これが一番大切というかすべきことのような気がするのですが。だとすると余計なお世話ですけどネタというかお話しになるような出来事紡ぎ出すのに大変そうだなと思わずにおれませんです。へたにそれを邪魔する出来事が押し寄せる話しばかりだと立ち退き問題で苦しむ人達の物語みたいになっちゃうのでそういうのは勘弁して欲しいところです。あくまでこの素敵な世界が花の種を蒔くように広がっていく展開になって欲しいものですな。冒頭ナレーションのようにおかしくなっている日本の食文化。そのいいところを忘れていたものを思い出すような展開ならいいなと。おせんのふんにゃり感からすれば「おいしんぼう」ほどのガンガン警鐘を鳴らす過激なものにならないから不用意に敵を作らず安心して観ていられそうな予感がしますです。生まれついての今の食文化しか知らない世代だと思い出しようがないというウィークポイントはありますが、昭和を知らなくても懐かしいと想える心に期待するしかないでしょう。

今回は各登場人物の紹介と現代調理との比較を料理の鉄人まがいのイベントで表現されてたのと、現代的な若造が壱升庵に迷い込んだ後に改心して(?)再び門を叩くという三本立ての展開でありましたが。

江崎のキャラクターで印象的だったのが、前の店を辞める時の言葉に「辞めます。」だけで「お世話になりました。」という言葉がなかったとこです。壱升庵の料理の基本はおもてなしであって相手を気遣う労わりが不可欠なのに、そういう心が欠けている江崎がこの先どう変わっていくのかがポイントになるのでしょうか。先輩の料理人が年齢的に江崎とたいして変わらない同世代(若しくは下?)のように見えるので、何故先輩の彼らがここにいるのかの説明がなされるのでしょうか。他のスタッフも含め時代から隔離されたようなこの世界で何故暮らしているのか、一人づつ物語にいていけば話しは作れそうではあります。あまり江崎目線からばかりだといささか単調になるやも知れず、今後どうなるんでしょか。原作記憶にないんで先がわかりません。

料理の鉄人まがいのお話しは、調理と料理の違いを表わしていたのでしょうか校長先生の試食後の解説が全てまとめて要旨を述べられていたようなので読んで字の如しじゃないですけど特に他の感想は浮かびませんでした。でも敵は出てきて欲しくはないですね。

さてもさても、とりあえずはこのドラマ。面白いです。蒼井優さん観てるだけでも堪能できるです。期待してた以上に面白いです。ターゲットを若年層に絞らずに高めの層に設定してくれればお馴染みさんが増えるんじゃないのかなと思われますです。一瞬浮浪雲の旦那の女性バージョンかと想える部分もあり嫌いなキャラではないですわ。

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クローズZERO

タイミング的にテレビドラマのルーキーズとついつい見比べがちになりそうだけれど、根っこの部分が違うお話しで比べてみること自体大間違いな血沸き肉踊る作品です。友情だあ信頼だあとか四の五の講釈云々の問題じゃあなく愉しめたもん勝ちでしょう。とてもカラっとした後腐れのない爽快感が漂う空気感を感じます。不思議と疲れただろうなとは見えるのですが痛そうに見えない(見せない)ところが味噌なんでしょうか。根性が肉体を越えてる連中を見てる感じです。

「てっぺん」を遠州弁で言うと「てんこちょ」。「てんこちょとったる」というトップを目指すお話し。普通は勉学というところを腕っ節&人心掌握術でてんこちょ目指すということでありましょうか。単純明快で色んな現実らしく見せるための小細工なしで始まる世界感は強引ですけど映画なら当然アリかなと思いますです。少なくとも一般の人を巻き込まない自分達の居場所の中だけでという努力がみられる所が効を奏しているのでしょうか。

親達の棲む世界。誰しもがもつ弱点を衝かれることへの憤り。信頼の構築への手順と維持管理と許容することの深さと大切さと難しさ。人に対する優しさとはなどなど能もない私などが小癪な事考えたらキリがないくらい深いとこをさりげなく描いていてるんですが頭使って観るもんじゃなく感覚で感じる映画です。な、だけにこれでもかと言うくらいの迫力ある大画面で観ないと私みたいに邪まな邪推が生まれてきて損するかも知れませんです。ちなみに私が好きなのは、卒業後はみんなきちんと生きていてこんなことやってるのお前くらいんなもんだという刑事さんのセリフです。学校の中で自分の限界まで挑戦した奴は中途半端な人生は送らないというのが好きです。

こんだけ色んな事詰め込んでも物語として成立するのは監督さんの腕と役者さんのマジ振りによるものでしょうか。でもこの迫力映画館で観たほうがやっぱいいですんで家でDVD見直すと迫力よりどうしても展開の妙に眼が向いてしまいがちになってしまいます。他人に対する思いやりがやけに目に付きました。

山田孝之さんを愛でるなら映画館でないと半減するかもです。

役者さんでいうと、イケメンなる人種が席巻してる中で男は顔じゃないみたいなこういう人達が闊歩できる作品は少ないともいえるわけで、当たってよかったなと素直に思えますです。パッチギやこの作品。そしてルーキーズまでとお馴染みのお顔の役者さんが結構おられるのが如何に居場所が少ないかという証ともいえるような気がします。もちろん小栗さんのように両方イケテル人もおられますが無骨者の居場所はそうないだけに(私がおっかないの嫌いだから観ないせいかもしれませんが)貴重だといえるのではないでしょうか。

余韻もへったくれもないジェットコースーターみたいな展開なんですが、何故かエンドクレジットに流れるピアノ曲で地面に足が無事着いたみたいな安堵感があって意味もなく生還したんだという気分を味わいました。少なくともなりきるというより異空間に行ってた感はありました。メイキングとか観ちゃうと白けそうなので映像特典とかはまだ見ておりませんです。別世界のままでいいじゃん。現実とリンクする必要なんかないような気がしてますです。そりゃ役者さんはリアルに大変そうで苦労されたみたく思えますからそういう逸話には事欠かなさそうですけど、見てませんです。

愉しませようというより作り手自らが愉しいものを作ろうとして、しかも観る方にとってもいい作品なんだから双方ウハウハな娯楽映画で大正解なのでしょう。学業に励むのは勉強ばかりじゃないと言わんばかりの作品でこれは腕っ節と男気という学業でしたけど、想い出つくりのシンクロとかも観たことあるし、部活とかでスポーツ熱血ものも観たことあるし、異性不純行為もね。それ以外の学業でまだ映画になってない物ってあるのかしらむ。それ見つけたら新発見ってことになるのかな。学校でなきゃ出来ない事で。

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*ほんとけー

ほんとかよと言うニュアンスになる。幾分猜疑心というか言われて事を信じてない節が伺える。

アクセントは語尾が上がる「ほんとにい」もほんとかよというニュアンスであるが、こちらは「うそだらあ」がつくくらい嘘だろう・冗談だろうといった信じてないというか否定したい気分が伺える。語尾が下がるとああそうなのかそうなんだというニュアンスになる。

真に受けるというか信じて疑わない言い方だと

「そうけえ」・「うっそーほんとにい」とか「ほんとお」などが良く使われる。ただし語尾が上がると「ほんとにい」と同様疑わしいニュアンスになるので注意が必要ではある。

「ほんとにい」が信じてない(真面目に聞いてない)のに「うっそーほんとにい」だと信じてる表現というのは不思議かもしれないが、実際こう使われている。

例文

「あにさあ、いつ帰って来るだって?」

  (お兄さんいつ帰って来るって言ってた?)

「あれえ、きんのう来てはあその日のうちに帰ったにぃ。」

  (え?昨日来て直ぐその日のうちに帰ったけど。なんか用があったの?)

「ほんとけー。本借りすかと思っただに。こんだいつ帰るよお。」

  (なんだよー。本借りようかと思ってたのに。今度いつ帰るか知ってる?)

「知らんやあ。盆暮れでもこん時あるだで本人聞いてみい。」

  (聞いてないなあ。盆暮れでも帰って来ない時あるから。本人に聞いてみなよ。)

「そうせすかやあ。」

  (うんそうしてみようかな。)

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ルーキーズ第一話

時間的にも見応えのある野郎達のドラマでしたね。暑苦しさ風味のセリフも飛び交って雰囲気出てました。全編暴力のイメージがあるのですが、感情の発露という表現がきちんと出ていて、おっかないの嫌いな私でも観れましたです。威嚇や屈服を目的とするような他人に向けての暴力は観ていて厭な気持ちになるのですが、暴れる方も怯える側も逃げてる自分に対して怯えているのであって、暴力を受ける恐怖に行動が支配されてる訳ではなく観えるところが良かったというか上手いところなんでしょうか。もっとも受けての側の佐藤さんが壁のようにどっしりされてたからなんでしょうけど。

これだけ味のある役者さん揃えてるのだから引き込まれるだろうなと観る前から予想はしてたんですけど、予想以上で満喫しましたです。

市原隼人さんは表現すべきこと伝えるのにセリフのいらない程の方ですし、桐谷健太さんや小出恵介さん高岡蒼甫さん中尾明慶さんとかも実績満点ですしと、キャストの顔ぶれみれば多少ストーリーがなるくてもなんとかしそうな雰囲気かましてそうなんで面白いの?というよな疑心暗鬼な部分は観る前からなかったです。佐藤隆太さんに持ってた軟弱なお調子者というイメージが見事に払拭されていて線の太い男と映りましたです。

今回初めて知ったのが、城田勇さんでして。声といい迫力といい存在感ありましたです。

原作というかお話し上野球を演じなければならない訳で、今のところの仲間集めの展開においては役者パワーでぐいぐい引きつけてくれると確信してますが野球選手としてのお芝居が甲子園への道のりが遠いのか無理なのかどう映るのかが鍵になりそうです。ドラマの落としどころがどこで終わるかは知りませんけど。

くすっと笑えるギャグみたいなシーンはマンガだから笑えたみたいな部分が感じられて桐谷さん以外の部分はまだ改良というかいまいち笑えませんでしたです。桐谷さんのお笑いセンス抜群ですが余計にそれを目立たすような印象を持ちました。ホントは佐藤さんが笑わせ泣かせ感動させという振り幅の大きい役なんでしょうけど笑わせの部分は若干薄味に感じられましたです。真面目すぎるんでしょうかね。人をおちょくるくらいの持ち様で丁度いいくらいに思えるんですけど。

マンガの方をちらほら見たことがあって単行本とかでじっくり読んだ事はないのですけどアホだけどいけてる愛すべき連中というイメージがこのチームにあります。合わせてくるのかアレンジしてくるのか比べてしまう分、色眼鏡視線になってしまうので原作知らない人より損だなとは思うのですが、面白いドラマのような気がしますです。とにかく現実離れした世界だということを忘れさえしなければ愉しめそうです。

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*どうに

単純に「どうに。」となると、「どういう風にやるんだ(するんだ)。」という意味になる。非常に白けた感が漂う表現ではある。

「どうせすでえ・どうやるよー」だと決断を求めるニュアンスになるが、「どうに」の場合にはほとんど信用してない雰囲気が伴う。

例文

「さあ時間ないだで、ちゃちゃっと片付けて終わらまい。」

「どうにい。」

「気合と根性。なんとかなるらあ。」

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一年続いた。あな珍しや。

2007年4月21日よりブログをば始めして一年が経ち申し候。粘着気質の癖して飽きぽいなる矛盾抱きし人間なれど、よくぞ一年続いたりと感無量。

誉なるもの是無くも日々しこしこと書き続けしは一応の成果也。幸にしてお越し戴く方おられて励みにもなり誠感謝申しあぐる次第。

最初は「とにかくはじめすかねえ。」っつーなんしょやらまいで始めたはええだけど、方向性が決まっとらんかったもんでえ右往左往しとっただよを。

ふんでも遠州弁をヲタこいてりゃあネタん困らんらあと思って、そんで映画も好きだでその感想やり始めて。最近じゃあれよーCmとかテレビドラマとかの感想も書くよーにしただよを。

消しゴムのいらないメモ帳としての利便性もあって重宝しているブログではありますが、一年振り返っても中身がないのが変わらないってのがここまでくると自慢ですらあるか。

有用な情報なぞひとつもない自負があるので、そんなので小遣い稼いでも居心地が悪いからアフィリエイトには関わらない。そういう意地がとりあえず通せた一年目でありました。ホントにお金に困るようになったらもちろん小遣いといわず本気で稼ぐ修羅と化しますが今のところは大丈夫そうなので道楽してます。

しかしより見易くするために画像の活用を図るのは必然であり、とくに映画やドラマなぞ文字でああたらこうたら駄文連ねるよりもこのシーンですとか書いて画像を示した方が間違いなく判り易い筈です。今のところ公然というか使用しても撥が当たらないのがあるかないかさえ知らず、画像としてもアマゾンとかからのものしか知りません。ですので商売繁盛としてではなく説明の補助として使うかもしれませんです。でもイマイチ扱い方が理解できていないのでまだ先の話しにはなりそうですけど。

皆さんは著作権とかも含めてどのように画像や動画の使用をされてるんでしょうかねえ。テクニック的なことも含めて色々と勉強が必要なんですがいかんせんサボり癖は性分で治りそうもない。当分は中身がない、わかりづらいの豪華二本立てという売りは変わりそうもないですわ。

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パズルその2(PIECE1)

第1回を繰り返し観てて思ったのは、この空気感の居心地悪くないなという点です。何度か観るとそれなりの作品は感想文作るためにチェックしてるみたいな心持になるんですけどパズルはそういう邪まな下心なしでただ漠然と愉しんで観ていられるんですわ。

私の予感は当たったことはない方が圧倒的に多いのですがなんとなくこれはいいぞという予感がしますです。推理と言うか謎解きは往々にして作為的な強引なこじつけを感じる時があるんですけど、これは自然の流れで物語が流されていくのではなく全ての事象にヒントや理由が存在する人工的な流れにならざるを得ないからだからでしょうか。普通こんなことしねえよと思ってもそういう繋がりでなければトリックなどが成立しない場合が多いからでしょう。要はそういう辻褄合わせな部分を如何に消すか、または流す許容さを見てる側が持てるかと言うことだと思うのですが、この作品では主人公達のコメディなセンスで私には許せる領域なのです。こういう感覚は「トリック」とか「古畑シリーズ」と同じ感じです。サービスすればわざとらしい、自然に流せばわかりづらい。究極の選択でしょうが私にはOKな展開でおます。

でも設定が高校生だから長くやろうと思っても彼ら(役者さん)が大人になっちゃうからシリーズ化は無理っぽいですね。大人の高校生役は見れたもんじゃないですから。短い青春の時間をとりあえずは謳歌してもらいましょうか。

しかしエロい方も併せて血気盛んな高校生に、30代とはいえ見た目美形の女性(鮎川)が物凄い至近距離にいる画ってのは違う意味で見ててハラハラしてきます。初回の襖一枚隔てた部屋で寝泊りを同じくするなんてシチュエーション。私だったら友達が隣で雑魚寝してようとも同い歳の女子高生が待ってるといっても襖の向こう側の物音ひとつでも反応してしまいますです。他にもカッとなった鮎川を止めに入って腕掴んだりなどなど教え子と生徒という関係が理性の壁になってるのか、または鮎川の性格が恐怖を与えるほどのものかよく分かりませんが全体的な距離感の近さにハラハラしてますです。野郎同士の距離でもとても近いんで、そういう意味では健全なのか興味が存在しないのか画面の中に全員納める都合上なのかとつっこみたくなるところはありますです。

あともうひとつ、刑事の鎌田との関係性はなんかいきなりの信頼関係が構築されてしまってるようでなんか嘘くさい感じがしました。証拠品のメーッセージを鮎川にポンと渡すくだりなんかは理解に苦しむところではありました。年齢的にいっても色気とかそういう好意によるものでなく、HPの関係図によると「敬意」となってますが、その「敬意」に至る「経緯」がいささかはしょりすぎに思えました。もうすでに関係性が築かれたということになってるんでしょうから今後改めてそれが説明されることはもうないでしょうから別にもういいんですけどね。

でもまあ、鮎川というキャラは強烈で見てて楽しいです。ページめくるのに手に唾つけたり聞きにくいこと聞くときに首ポリポリ掻いたり缶コーヒー飲むのに銭湯でコーヒー牛乳飲むように腰に手あてたりいつの時代のウィンドブレーカー(?)ヤッケ(?)着てんだよーとか態度の豹変具合の極端さとか撤退と言う文字はない超強気なところとか。なんかいいですよねえ。弱みといえば生徒の方が英語力があるくらいで、怖いものなしの要領のいい無敵キャラっぽくて空元気とか張りぼて風のいきがってる感じでもなくて、演じられてる石原さとみさん見直しましたです。女子高生の裏表のメリハリとは比べ物にならない格の違いを見せ付けてる感じです。眼鏡は伊達なんでしょうかねえ学校ではかけてたけど青柳家ではしてなかったみたいだし。色々と興味の湧くキャラクターです。

三人組も好い味出てていいですよね。山本裕典さん・木村了さん・永山絢斗さんですか。名前覚えとこう。基本欲がなく善人で疑うことを知らない雰囲気醸し出してるとこがいいですね。変な言い方ですが僕(しもべ)化してても厭味じゃないとこが鮎川とのコンビが対照的な分お互いのキャラを引き立てあってるようでいい感じで観てられます。三人それぞれの個性と言うか特徴が今後表現されていくかは要観察でありましょうけど私的にはこの勢いで相乗効果で引き立てあう関係を愉しみたいところです。高校3年生。鮎川は臨時教師。そう長い期間のコンビという設定ではなさそうなのが気になるところではありますが。

音楽も聴きこなれてきて「トリック」や「エヴァ」みたいに音楽だけでどういう状況か繰り広げられているのか判断出来るようになればもっと愉しくなりそうですし、なにより繰り返し観ても観ていられるということは、私的にはつぼに入った作品かもしれませんです。ネタさえ続けば長いこと観ていたい作品かもしれませんです。

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ロス:タイム:ライフ「特別」編

前後編ということで一括りとして解釈いたしましたです。とりあえずの印象は舞台のお芝居みたいと思いました。

あまり舞台には普段触れることもない生活送っているので、こういうお芝居にどうも馴れていなくて、なにがどうの言うとっかかりさえ掴めませんのでその部分はフェイントかけてスルーしますです。

全編通して出演された温水さん。お邪魔虫賑やかしキャラかと思いきや見終わってみれば成程なと思える筋書きでありました。というかこのために前の色んな物語が存在したのかもと思わせるような納得のお話しであったような気さえしてきました。汚職に絡み色んな人が暗躍するというので行動理由や目的が不明な人物が駆けずり回ってもなんら不思議のない展開で後半に繋げるのは上手いアイデアだなあと感心しましたですそんな中で能天気に人生を謳歌する温水さんとの対比が面白かったです。

対比といえば栗山千明さんとの対比も面白かったです。舞台的なお芝居で言えば栗山さんとの二人芝居において温水さんの上手さが目立った感じで栗山さんは舞台の人ではなく映画の人だと再確認した次第で。

そのあとの岸本加代子さんとのお芝居がざらつき感なく素直に観れたので益々そう思えました。栗山さん立ち振る舞いや目鼻立ちがはっきりしておられるのであまり強弱をはっきりつけられるとわざとらしく見えてしまうような気がして損なような感じがするのでやはり映画でご活躍された方がいいのではと、ど素人がいい加減な感想能書きをたれてしまいました。

岸本さんのはたき具合は見てて好きです。親しさを表現してるようで旦那との距離感が如何に近いかがあのはたきで感じられましたです。お蕎麦のシーンも泣かせてくれますです。人情劇ということで言えばこの回が一番だったように思えました。(次は伊藤淳史さんの回かな)タイムリミット劇ということならそう上位には入らないですけど意外性では樹里ちゃんの回に続く展開でしたです。

それにしても落選したとはいえ選挙に出るなんて控えめなチャンスを逃す人かと思ったんですがやるときはやる人だったんですね。人は見かけによらないものです。

順番から行くと大泉さんの回と順番が入れ替わっていると想像されるのですが、笛を拾うと審判になれるという事なんでしょうかねえ。謎が解き明かされるなんてなんかの番宣でのたまわれていたような気がしてたんですが記憶違いだったようです。わかんないのは審判団は人か天国の使い番かということ。

尾元夫婦のロスタイムが案外短いこと。離婚したと思い込んでいた年月が二人にとってのロスタイムだとしたら、あの時間設定は短すぎないかい?っていうツッコミですかねえ。ま、解釈の違いですから質問のうちに入らないですけど。

人生にロスタイムがあったらという発想の勝利のドラマですから荒っぽいところは眼をつぶるべきでしょうがこの後もあるというのならもう少しルールを詰めてほしいところです。例えば、イエローカードが出たらどう影響があるのか。レッドカードだったら?それらを出す判断基準は?

やり直すのではなくやり残しを清算するというテーマでしかもタイムリミットが明確であるというのは斬新で、まだまだ鉱脈がありそうな気がします。なので続編が出るでしょうしその時はまた見ますですよ。

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キミ犯人じゃないよね?その2

間違いなくいえることは、毎回のコスプレ。本人絶対楽しんでやっておられるなというのが映ってるところ。(ちりとてからの引継ぎ事項なのかしらむと勘繰ってしまいますです。)

役どころが飄々と明日なろ、ミステリー作家に明日なろ、でも今日はなれないからバイトしよ。という明日に希望(野望)を抱いて生きてる未来ある生活を送っていると言う設定。厭な事でも耐え忍び今日を生きてる訳だからバイトが楽しい筈もなく営業用の作り笑顔が適切だろうなと考えたりもするんですが、それはさくら目線から見てのことであって、映ってる映像見る限りしほりんがウキウキしてやってる風に見えてくる。良いか悪いかはとりあえずおいといてひとつのアクセントになってることは間違いないのだろう。しかも売りとしているらしくご本人も楽しそうだし。しほりんファンとしたら色んなバージョン見れるので愉しいんだろうなあとは思うのですが。

考え方はふたつ。役者としての実力の評価の割には認知度がまだトップクラスとはいえない「貫地谷しほり」を応援するファンはまだ多くないと思われ、しかも深夜帯での放映でとなると新規のファンを開拓しなければならないわけで、初めて見た人がコスプレ役者とかカメレオン役者だとかと間違われたら嫌だなあという想い。

もうひとつは、お芝居が上手過ぎて(自然過ぎて)逆にその凄さに気づかないある意味損なタイプの役者さんの一面もあるので、こういうことしてインパクトを与えて掴みはOKくらいした方がいいんだろうなとも想えるし、こんなことしてくれるのも今のうちだけだろうからなあという想い。

大河や朝の連ドラでファンになられた方も多いでしょうから、この深夜帯という時間枠までついて来てくれるのかしらむと余計なお世話を考えたりもするのですが。ドラマがなんかまったりと事件解決していく展開のようで、ストーリーで愛でれないとなると役者力と小ネタで愉しむしかないものだから期待が偏っちゃうんですよねどうしても。

違和感を感じた部分は、なにかとめんどうなものはとりあえず神棚に上げて仕舞って飾っとけと思ってるような日和見主義の刑事さん達が現場検証の場所に部外者のさくらがいることを許容するのは、いくら宇田川がうまく言い訳して言いくるめたことが出来たとしても、後々のことを考えたら面倒の種になる可能性があるんだからなんで一般人さくらの捜査行動だけ許してしまうんだろうかと言う疑問あり。

犯人探しの醍醐味は、登場する容疑者の数が圧倒的に限られた人数で、しかもタイトルじゃないけど「キミ」という麗しき女性が絡むのが眼に見えてるのだからほぼないといっても過言ではないのだ。

このドラマを愉しむコツというかポイントを探ると、さくらの七変化(コスプレ)。宇田川とさくらの掛け合い。次にトリックの解明。後はなんでしょうかねえ。今回は海の色と風景が綺麗でしたけど。それと個人的には雑然とした生活感のあるさくら姉妹の家ですかねえ。なんかあったか味が感じられてまったり出来そうなんですわ。この家でのんびりこんとくつろいで見たいと思わせる家です。

要望としては坊っちゃんのダメ具合に歯止めを掛けて欲しいところです。いいとこといったら金払いがいいくらいしか思いつきませんがせめてなんかひとつくらいは特技があったほうがいいような気で見てますです。

それと犯人の自供に時間を割きすぎな感がありますです。毎回ゲストで「キミ」役の方をお呼びする都合上、花道を用意しなくちゃいけないというのは分かるんですが。

まあ色々要望と言う名のへたれ書いてますけど毎週観ますですよ。ちりとてで主役は体験されてますが、あの作品は周りの大人衆のサポートが強大でチームで作り上げた感が強いのですが、今回は要さんとの二人三脚という少人数でのドラマ作りですから「貫地谷しほり」の作り出す空気感をより愉しめる作品であることには違いないので。

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Aroundo 40 ・ 注文の多いオンナたち その2

恵太朗(藤木さん)の登場でなんか趣が変わった印象をうけました。初回は3人の女性の生き様の違いを均等に近い状態で描くことであちら立てればこちら立たずの微妙な人生の岐路である40圏突入に際しての摩擦を表わしているように感じたのですが、今回は聡子メインのお話しになったような感じがしましたです。40代初心者の三つの輪(聡子・瑞恵・奈央)で漕ぎ出すよちよち三輪車物語かと思ったんですが、恵太郎と聡子という二輪のタイヤの自転車に瑞恵と奈央という補助輪がついたものに乗って爽快なスピードでドラマが進むんでしょうか。

聡子の行動理由は出産へのリミットが最大の要因ですが、その未来の選択肢の中に未婚の母という概念は今のところまったくなさそうです。そういうところは案外古いタイプの人なのかなと思ったりもしますです。やはり義理の母(加賀さん)といういい見本が傍にいるからなのでしょうか。それとも世間体を案外気にするタイプの人なんでしょうか。野郎目線からいくとちと付き合いづらそうな雰囲気は確かに醸し出しておられます。エコに執拗に拘る恵太郎のことを周りのスタッフが敬遠してますけど案外聡子にもそういう同じ空気感が宿っているのかもと想像してしまいました。仕事とかに高いプライドとプロ意識と気力を持ってるだけに人に頼るとかすがるという弱みを見せないタイプなのでしょうか。

ま、そうでなきゃお独り様やってて苦にならないどころか開放感を得るということはできないのでしょうけど。医者として患者さんから頼られることに喜びを感じているのだとしたら子を持つ親の気持ちも理解できるのでしょうね。だから子供を生むということに拘るのも理解は出来るのですが。それにしちゃあ理想がきっちりと高くて現実がついてこなくてどうするんでしょうねえ。結婚相談所での連敗もむべなるかなという感じでなんか説得力ありますわ。

それにしても片桐はいりさんと天海さんの掛け合いは見てて愉しいです。片桐さんの丁寧な言葉使いながらも言ってることはほぼ引導を渡すくらいの最終通告ばかりで。あれだけ言われてもめげない聡子がなぜか滑稽に見えてきて失礼なのかもしれませんがつい笑ってしまいます。

今回のメインはやはり「新たな人生を始める」を肯定しなかったということでしょうか。仕事に対するプライドや尊厳さは不可侵の領域であると宣言したということでしょうか。出産=結婚という案外古風なルールを守る人の割には、結婚したら一旦リセットして新たな人生を歩むというルールには従えないようです。第二の人生などはなく恒に連続して連なるものであって過去を清算したり否定するものであってはならないということでしょうか。

正論ではありますが今まで全力で生きてこられたわけだから共同生活することになれば今までとは違う大変さも背負い込むことになる訳で、どこかでなにかをスローダウンか撤退する部分を設けないと許容量オーバーになるような気がするのですが。大丈夫なんでしょうか。出産・育児と仕事との両立は家族の支えがなければ難しいでしょうから以前のままの自分に母親としての自分が追加された人生を送るというのはどこかで無理が生ずるから妥協とか歩み寄りとかを選択されたほうがいいような気がするのですが。そういう意味ではあんないい相手お断りするなんて変な人と思わずもったいない感情が湧きましたです。

もちろん主夫を見つければ問題解決でしょうけど。そういう意味でハードル高く設定されてるお方ですよね。確かに自分を振り返って冷静に状況を把握しなさいよという周囲のアドバイスには一理どころか正論のような気がします。聞く耳持たない聡子さんには恋は盲目という言葉は存在されないようです。あるのはなんでしょう。恋は納得ですかねえ。今のところ聡子さんがウェディングドレス着る光景がとてもじゃないけど想像つかないです。

細々とした出来事の組み合わせでお話が進んでいくのにも関わらず、淡々とした感じではなくそれなりの山あり谷ありの展開に見せる役者さん達の腕の見せ所といった力量感を味わう、安心しつつ落ち着いて見れるドラマという印象です。ただやはり私男ですからしげしげと観てていいものかどうか(女性向けの作品では)という疑問はまだ拭えてませんです。

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なんちゃって禁煙・節煙中その5

言い訳としては、目指せシングルスモーカー。とりあえずはこんなところかな決意としては。

軟弱だけどいきなし0は無理だった。それに嗜好品としてここぞの一服くらいしても撥は当たらんだろうと思う。禁煙中は正直体調不良のせいもあったけど、吸いてえ一心でなんにも文章が思い浮かばなかった。そうまでして生きながらえてもしょうがないのだから上手く折り合いつけていくことに転進したのである。

だから先週辺りからなんとかブログ記事書く意欲が復活した。なので暫くは目指せシングルスモーカー。

別な言い訳をするならば、タスポなる喫煙者排除計画に抗議の意を示し(つまり他人様のせいにして)禁煙に向けてひた走ろうとしたが、あまりの軟弱な精神力により節煙へと転進を決意。押さば引け引かば引け。したら今度はまだ検討中ということではあるが免許証でも買えるようにするとか。普及率が良くないことによる処置らしいけど、そっちの方針も軟弱かい!買う方も売る方も禁煙する方もとにかく煙草に関しては皆軟弱でなし崩しが得意らしい。そう考えると同じ穴のムジナ、なぜか自分とは水が合う環境である。

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