« 2008年4月6日 - 2008年4月12日 | トップページ | 2008年4月20日 - 2008年4月26日 »

トップセールス第2回

時代がなんか自分の頭の中に蘇ってきました。もちろんニュースでそういやあそういうことあったあったということで自分のリアルタイムとリンクしてこの時こんなことしてたなあというものまで蘇った訳ではないんですけど。

で、特になにを思い出してきたかと言うと、所長さんのような戦争体験を潜り抜けてきた大人達の存在というものです。ちっとやそっとのことじゃめげないと言うか信念を曲げない強い心でへこたれない大人達のことです。

奇しくも避難所であだける旦那さんと比べればより判り易いんですが、公共の場で子供が傍若無人に周囲に迷惑掛けようものなら容赦なく叱咤するその理由と迫力の違いでしょうか。なんか軍隊生活を含む地獄を見てきた人達はとても深いところで人との係わり合いの大切さを会得してたようで、決して感情や雰囲気で怒ったりするのではなく、人が共に生きるために守るべきものに従わないことに対して怒るというような説得力を持つ人が沢山いたような気がしてました。無論当時子供だったので当時からそう思ってたんじゃなく今思うとそういう態度に思えるということです。もちろん戦争という悲惨さの弊害から社会に適応出来なくなった大人とかも存在してたので全ての方がと言うわけではなかったのですが。でもどんな職業においても漢(おとこ)がいた時代でしたです。

このドラマに出てくる所長さんは紛れもなく強い心を養って生きてこられた方でしょう。こういう人に怒鳴られたらぐうの音もでませんでしょう。素直に従うのみです。怒られたりなじられたとしても怨みになぞなりません。それくらい人として比べたら完敗の器です。事務のおばちゃんが所長の軍隊生活の過去のことをおっしゃられていましたが、あそこら辺りの一連のシーンがやけにジーンときました。あの世代の人は「生き残った自分」という表現をよくされていて生きてることが罪悪のように思ってる人とかもいたくらい亡くなった人の分まで精一杯生きるという意識が強かったような記憶があります。言葉が少ない人の多いのが玉に瑕でしたけど。

私が社会人になった頃はもうそういう大人はリタイアしていて頑固爺という職種に転職される方向になりつつありましたが相変わらずその信念と迫力に完敗でした。老いては子に従いなんぞ絵空事でした。

すんげえ脱線してますけど、そういう時代を思い起させてくれるドラマの力に感心するばかりです。そういう敵わない世代を追い越そうとする主人公の年代の人達の雰囲気もきちんと表現されていてなんか引き込まれるドラマです。起きた事象も実際にあったことと上手く組み合わされていて説得力ありますし。今の30代以下の人達にこの感慨が理解できるとは想いませんが実際にいた日本人をきちんと描いているドラマだと思えます。

ほぼアナログの時代ですから今の時代にこれらの世代がタイムスリップしてきても活躍できるかどうかは疑問ですが今思えばいい大人が沢山おられた時代だなと感じます。歳だけくって大人になりきれない私が言っても説得力に欠けますけど。年の功という尊敬に足る年功序列が存在した時代ということでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

狗神

画は物凄く綺麗です。モノクロにおいてでもカラーで深遠というか深淵な緑の「あお」においても綺麗です。

一族というコミュニティのどうしようもなく個の意思が介在出来得ない無常な流れといえるものが非常にどろどろの原液のまま薄めることも味付けもせず表現されてるようで、捉えようによっては反吐がでそうな雰囲気を醸し出してます。

古くから伝わる昔の日本の風景を男衆・女衆・子供衆とかの役割分担とか年功序列・世襲とかも織り交ぜられて描かれていてリアル感(空気感)があります。なんでもかんでも情報公開を美徳とされる現代とは真逆の隠せるものはとりあえず隠すというのがコミュニティの作法としての常識だった頃に時代を引き戻された感があります。

天海祐希さんもお綺麗でおますし、方言もナイスでおますし、役者さん方も原田組の常連さんも呼んでもおかしくないと思えるくらいの息のあった安定感をば感じますです。

だからといってこれが評価の高い作品と称せられるかというと(一般的にではなく私の解釈)そうでもないとこはあります。その理由は良くわかんない部分がそのまま解決納得しないままスルーしてエンディングを迎えたというところでしょうか。

タイトルの狗神がそもそも良くわかんないとこです。存在するのか精神性の中だけの存在なのか。説明だととある退治された妖怪の体の一部で、夜な夜なほっつき歩くそうな。それが悪さしないように鎮めるのが役割の一族がということらしいんですが劇中狗神を見た記憶がありません。

一族間や集落の人間模様は綿密に描かれていて画面も何かが隠れていそうな深淵さが見られるのですが肝心の狗神というものが見た(見えた)記憶がないんですわ。見せたら荘厳さが消えてしまうから見せてくれないのか、それとも映画で述べている通り一族の女しか見えないから私みたいな部外者には見えないことになっているのか。想像力の欠如してる者には少し冷たい狗神様です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

オトコマエ!「助けてえ」

今回は粋な会話がちと少なくて大分残念。岡っ引きの旦那の末期の「しくじった」が粋?いやさ江戸っ子の意気を感じたくらいですかいねえ。長屋のでえくの「恩知らずの大馬鹿野郎だ。」が入るかどうかは微妙なところ。

主人公(の一人)の逸馬が町民の育ちから武士になった設定なので、江戸っ子の粋を期待する訳ですが今回は行動だけで口が伴わなかったのはホント残念。「へらず口」ってえくらいだから幾ら言っても減るもんじゃなし、遠山の金さんだけの専売特許ってのは無しにしてもれえてえところでさあ。

ところで信三郎のお袋様。どこのもんとも知れねえ女性を連れ込んで息子よよーしたと仏壇にご報告するたあ、仮にも武士のお家柄。なに考えてんだか腑に落ちねえとこでございます。

格闘シーンは若さに溢れていて観てて爽快感がありまするな。これが売りなんでございましょうか。30分で魅せるには愛でるに堪えうるお約束をたんと作ってはしょれるもんははしょっちゃうのが筋ってなもんでしょうが、あまりやりすぎると黄門様になっちゃうもんで、難しい塩梅でしょうけど売りの部分を長くするためにもはしょりが重要になるんでしょうな。

はて、ならば売りとはなんぞや?やつがれ思うにですよ、粋な会話と世を正す心意気に若気のいたりってとこでしょうかねえ。毎回ぎゃふんという鳥居耀蔵というのはそれに入るやら。ちと微妙。

にしても仙人の存在といい、まだまだ底を見せない大きなうねりが隠されてもいそうな予感がいたします。来週は前編とか、徐々に深い展開が繰り出されてくるんでしょうか。愉しみでありますです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

裸足のピクニック(第一回作品)

1993年の作品。92分。英語タイトルは「DOWN THE DRAIN」。矢口史靖第一回監督作品。

売りの文句は「日本最大の稀にみる不幸な女。」でも、矢口作品なんで部類はコメディに属するんじゃないかと。私のこの作品との出会いは映画館ではなくDVDで、時期もSG以降で、DVDで観た完全なる後追いです。この作品をリアルタイムで観られて「面白い(興味深い)矢口要チェック」と評価された伊集院光さんの慧眼は凄いといわざるをえません。尊敬いたします。私的にはそこまで思える感じは正直ありませんでした。だって不幸ですからねえ。あまり得意分野じゃないんですわ。矢口作品ではWBについで観てない部類に入りますです。でも映像特特典とオーディオコメンタリーは秀逸です。興ざめになっちゃうようなネタバレの寸止めみたいなさじ加減で当時の撮影模様や状況とか作り手の冷静な意見とかが忌憚なく織り込まれていて、見る者がなにが愉しくて知りたいかを理解されておられるかのようで、如何に視聴者目線というものを普段から大事にされてるかが窺い知れるようです。(この作品に限らず矢口作品のDVDはいづれもそうですけど)

以下のデータは主にDVDの映像特典のインタビューやオーディオコメンタリーから引用しています。このDVDはウォーターボーイズ発表後に作られたものであるらしく映像特典等は当時を回想するといった趣になっています。

出演は

芹川砂織さん・浅野あかねさん・梶三和子さん・Mr.オクレさん・娘太郎さん・鈴木砂羽さん・あがた森魚さん・泉谷しげるさん(以上DVDのカバーに記載されているお名前)寺十吾さん意外なところでは緒方明(監督)さん。みなさんがどういう経緯で出演されたかは映像特典で述べられていますが、スタッフの方も含めて映画に生きる世界の人々のつながりが垣間見えるような感じです。

余談ですが、鈴木砂羽さん、公式HPの方では「愛の新世界」で主役デビューと謳われていて裸ピクの作品出演については記載されてません。ちょっと前までWikipediaにも記載されてませんでしたが、最近になって記載されるようになりましたがこの作品で映画の世界にデビューされたと思われます。特に消し去りたい過去と言う訳でもなさそうですが。それと、DVDに収録されてる砂羽さんのイントネーションはまごうことなき遠州弁ですのでご参考までに。決して馴れ馴れしく砕けて喋っておられるわけではありませんです。でも浜松の田舎娘が都会の女優さんへと華麗に変身する様を見れたようでこうも変わるものかという驚きはあります。でもその頃から演技の輝きはあったと関係者の方が口を揃えておっしゃられてますので演技の才は最初からお持ちのようでした。

雨女でPPFアワード90のグランプリを受賞し、PFFスカラシップを獲得してその奨励金で制作された第7回スカラシップ作品。

90年受賞で93年発表作品という結構な間があった理由はいまひとつ明かされてませんが、撮影開始直前になってもなかなか主役が決まらなかったという理由が存在したということはメイキングにおいて述べられておられます。奨励金出資先からやいのやいの言われてもイメージに合う人が見つかるまで粘られたそうです。決定した主役鈴木純子役には、たまたまピアの隣にあった珈琲店で働いていた役者でもなんでもない芹川さんを発見して小躍りされたとインタビューで述べられておられます。

これから考えられることは、役柄のイメージが明確に監督の頭の中にあって、実績・容姿・演技力とかいったものではなく演じる人が放つ印象を重要視する監督と推察されます。ご自身はこれで当てて映画監督の道を突っ走ろうというよりもこれで映画つくり最後になってもいいから(商売よりも作る楽しさの追求)面白いことだけやろうと決めていたと語られていますが、面白いという基準がビミョーに複雑です。欲がないのは確かですけど。定かではありませんが推測するに自分に正直な飄々とした頑固者なんでしょうか。

お話しの内容は、平々凡々な女子学生が或る日を境に不幸へと転げ落ちていく様をひたすら描き続けるといったもの。ネタバレというか要は観た方がいいですよということであっさりとこんなもんにしときます。でも印象としては今の矢口作品とは異質な匂いがしてると思えます。監督自身の若さゆえの暴走みたいな、プロでない映画青年が作りたいように作った感じで間口というか万人向けではない観る側を選ぶみたいなとこはあるかもしれませんです。でも息をもつかせぬ展開は誰しもが引き込まれることは確かです。だるい展開ではありません。後は好みの問題としかいいようがないですけど。

脚本については矢口さん鈴木卓爾さん中川泰伸さん御3人方の共同執筆で、不幸のアイデアをいかに思いつくかというのが肝だったように語られておられます。ちなみに私は火を扱うお通夜シーン辺りがお気に入りです。

「毒を食らわば皿まで」ではないですが、徹底的に不幸を描くと逆に笑っちゃうという、感覚が反転する作品。映像特典のインタビューとかから推察して狙いとして始めから意図していたかはわかりませんが、鈴木純子を演ずる芹川砂織さんが、展開が進むに連れどんどん不幸が加速して行くにも拘らず見た目が逆にふっくらしてくるというギャップが生じて、それが作り手の意図した想像とかを超えてより主人公が逞しくなっていく様としての映像を撮る事が出来たらしいです。計算して出来たものではなく偶然というか奇跡の産物だったらしく、映画の神でも舞い降りたんでしょうか。確かに不幸が積み重ねられて頬がそれに伴ってこけていったら映画のイメージは違ったものになったような気はします。

なんていうんですかね、裏がないっていうか、見たまんまのキャラのお方ばかりで。そういう意味では裏をかかない正攻法で責める監督さんに思えます。しかし発想と言うか始まりが男がシンクロしたり女子高校生がジャズやったりと、とにかくぶっとんでますんで相殺されてなんか逆にまともに見えなくもない気がいたします。そういう部分が安心してコメディとして見ていられる要因になってる感じがします。

矢口作品は悪意を持った人が登場しないのが特徴ではありますが、この作品においてはまだそういう部分が確立されておらず登場してきます。脚本が共作という面もあるのでしょうか。他の特徴として絵コンテの見事さが有名なのですが、この第一回作品においてもう絵コンテの印象について述べられています。因みにSGではキネマ旬報社から絵コンテ集の本が出たくらいの凄いレベルだと言うことです。ただし黒澤監督のようなアートなものではありません。砂羽さんが絵コンテみて「映画って漫画?漫画って映画?って思ったもん。」という感想が象徴的でした。

DVDに関してはとにかく特典が面白いです。オーディオコメンタリーも「矢口・卓爾」の最強コンビで大好物ですわ。SGやWBもこのコンビでコメンタリー取り直して欲しいくらいです。このDVDもWBに便乗して作られたものと思われますからそのうち何かの矢口作品の新作出た時に焼き直ししてくれる可能性を信じて願っております。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

パズルその1(PIECE1)

いやあ、面白いですわ。トリック風味だなと感じたらさもありなん、脚本蒔田光治さんなんですね。どうりで謎が凝ってると思いましたです。それをあっさり拍子抜けするくらいサラっと解いちゃう辺りは観ていて気持ちいいですわ。観る側と一緒に悩み考え推理を積み重ねて結論にいたるまでを丁寧に描くのが最近の風潮みたいに思えていたので、周りがお手上げ状態で首を傾げてるところにひょこっとやってきてサラっと解いてくのはなんか粋に映ります。その分お馬鹿な迷走して笑える部分に時間かけられますから愉しいですね。音楽とのマッチングも馴れてくれば状況説明の手助けになってより分かりやすくなってくるんでしょうか。なんか空気感居心地がいいです。リアル系かありえない系だったらまごうことなきありえない系でしょう。なのでもっとぶっとんでもついていけますです。

やはり面白いと思わせる要因はキャラクターでしょうねえ。鮎川(石原さん)が立ってますです。裏表のギャップだけでも笑えるし、苦手と得意の落差もあって決して万能じゃないところがいいんでしょうか。それをサポートというか召使いのごとき扱いを受ける3人衆がいい味だしてて鮎川と組むといいハーモニーを奏でてくれそうです。

多少召使い化していく様が強引な展開だなとは思いましたが、運命というかなるべくしてなったようなナイスポジションという気もするのでぐだぐだ関係性を正当化するのに時間かけるよりこんだけはしょったほうがもさもさ感がなくてよかったかなという印象でした。

まあこんだけ濃いキャラですから犯人ではなくライバル的に対抗というか反抗というか敵対するキャラとか登場させて競わせる(又は邪魔される)くらいの感じが欲しくもなりますです。謎の解明の切れ味がいいので周りの登場人物がどれくらい鮎川の障害になるのかがアクセントになるのでしょうか。鮎川自身そんな善い人だとはお世辞にも見えないんで主人公であろうと多少鮎川にぎゃふんと言わせても苦にならない所はありますです。

それにしても鮎川のキャラ。石原さとみさんがやるから映えるんでしょうか。なんか全てにおいて胡散臭くてしかも無理してる感が垣間見られてそれでいて前進のみの超前向きな強気の性格。とても現実にはありえねえ人格をとてもそうには見えない石原さんがしれっと演ずるからそのギャップが面白いのでしょうか。比喩に若干オヤジ入って恐縮ですが、いかにもと思える人とこんな人がと思える人が、衝撃のヌードってことになったら意外性のほうがそそられますからねえ。

いままでの石原さんの役ってことあるごとに「すいません」と言って手で頭を庇うイメージが強いんですけど今回はそれとは正反対のような役ですから回重ねてこなれてきたらどういう印象に落ち着くのか興味があります。いまのところ意外性が面白いんですけど、「意外」に馴れて「普通」に思えてからが評価というか固まったイメージとしての感想を述べるべきかもしれませんが私は嫌いじゃないですこの矛盾したキャラ。

まとめじゃないですけど、このドラマが愉しいかどうかは3人衆にかかっているような気がします。鮎川はウルトラマンじゃないけど強欲スイッチ入ったらサササっと問題退治しちゃうキャラなんで右往左往パートはこの3人衆が受け持つべきでしょうから。今回見る限りじゃ愉しそうです。ただ犯人の対決と自白(経緯説明)に時間を費やすのは極力短めにして欲しいところであります。ところであの女子3人組は置き去りキャラなんでしょうか。なんかずうっと放置プレーされてるみたいで。ハンバーグ食うかいって感じで毎週こういうのも面白そうではありました。(意味不明ですいません)

蛇足ですが英語のテキストつばつけてページめくるのっていくら30代を表現したといってもいつの時代の30代だよと思いましたです。それだったら立つ時「よいしょ」と声出す方がらしいと思いました。アディダスの三本線にも反応してしまう私も私ですが鮎川の時代キャラが不思議です。

場所というかロケ地が浜松の天竜区と協力場所にありましたが、具体的にどこだという詮索はいたしませんです。それにしても石原さん以前にも小野田少尉のインタビュー番組で天竜に行かれウォーターボーイズでも天竜(厳密には違いますけど)でロケされたりと、案外天竜区近辺によくお越しくださる役者さんです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

*けんむい・けぶい・けぶたい

煙い・煙たいという意味。「けむり」を「けぶり」と言うかというと、うちの集落ではすけなくとも聞いたこんない。そういう場合は「けぶ」と言う。

例文

「ちゃんと火いつくまで薪これ以上くべんでいいでねえ。けぶんでるだけでしょんないだで。」

  (ちゃんと火が点くまで薪をこれ以上くべなくていいからね。でないと煙が出るだけでしょうがないんだから。)

「わ!風こっち来た。馬鹿けぶい。」

  (うわ~。風がこっち向いて来た。すごく煙いよお。)

「だらあ。けんむいらあ?だで無闇にくべるじゃないっつっただに。」

  (そうだろ煙いだろ?だから無闇にくべるじゃないって言ったのに。)

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

ラスト・フレンズその5(第2話)

この回において樹里ちゃんの瑠可は不安定さが消えてもう出来上がったのかなという感じがいたしましたです。表現が適切ではないかもしれませんが初回は多少の男っぽい部分と女性としての部分が演じ分けられてるようで、二面性というのを表現されてるのかなと思えたんですけど、今回は上手い具合にミックスされていてより自然な印象を受けましたです。朝食での雑っぽく味噌汁をよそう仕草とかお父さんとのバーでの会話とか男寄りになりつつはありますがナチュラルな感じに磨きがかかってきた勢いに思えます。今のところは第一回はぎこちなかったということなんでしょうか。それとも交互に訪れる不安定な性格なんでしょうか。可能性は低そうですけど。

冒頭の美知留の苦しみを知っていたら私はなにかしてあげる事ができただろうかって、この回の最後で庇ってあげてるじゃないかって録画で見直した時おいおいって突っ込んでしまいました。これを早い展開と呼ぶのかフェイクな惑わしのナレーションととるのか微妙に思えてきましたです。それとももっと深い暗示なのでしょうか。とてもそうは思えませんでしたけど。とにかくナレーションがどれくらい経過した時間からの過去への呟きなのかバラバラみたいで複雑でわかりづらいですわ。それがおつかどうかはもう少し話しが進まないとわからないでしょうけど。

美知留に電話してもう掛けてこないで用があればこちらから電話するといわれた時の言われる前のはしゃぎようと言われた後の落ち込み方の激しさがほんと見ていて切なかったです。踏みにじられても愛情の濃さが変わらない一途さが見えてる分切なさが沁みます。こういうとこ上手いですよね。正月に観たのだめの時もそう思えました。(あの時の対象は音楽でしたけど)感情の起伏のメリハリがはっきりしててそれでいて無理したオーバーな感じにならず一人の人格の振幅として見れるというとこが秀でておられるのかなと。

病室で宗佑と初めて会った時の敵の情勢を探るというかこいつが美知留の障害(傷害でもある)かと敵と判断する視線もフレンドリーのかけらもなくて緊張しましたねえ。不動心の宗佑がいて、その隣で動揺しまくってタケルにすら気取られる美知留がいて迫力ありましたです。また音楽の演出も雰囲気を増長する感じでした。

長澤さんですが病院内で宗佑が出現した時の驚きの表情がとても印象的でした。宗佑が病院に来たということは連絡を入れたということでしょうが、まさか来るとは思いもしなかった複雑な表情が印象に残りましたです。見られたくないものを見られてしまったという思いも入り混じった微妙さが伝わってきました。やはり人には隠したいものそのものなんでしょうかね宗佑は。身内の恥とも取れる印象でもありました。こんな人と付き合ってるのを見られたということではなくここまで追っかけてきたということは相当怒ってるんだろうなという「しまった行動」をしていたという後悔の念がもちろんメインですけど。

順通りに戻りますけど、宗佑と美容院の外で再び出会い和解(?)するシーンはなるほどと思わせる納得できる理由(宗佑に頼る理由)を表現する重要なシーンだと思って見てたんですけど意外とあっさり風味に思えました。宗佑の飴は反省ではなく要望というか理想の押し付けで、これでどうやって美知留は自分を納得させられるんだろうかよくわかりませんでした。「黙って出て行かないで欲しい。」に対して「あんたが暴力振るうからじゃないの反省してよ。」ではなく「ごめんね。」というのは理解に苦しむところです。そう言えないからDV受けるんでしょうけど辛抱強いのか立ち向かう勇気がないのか生きるうえでの選択肢が他にないのか本気で愛しているのか。単一ではなく複雑に理由が入り乱れてるんでしょうけどもう少しクリアに表現して欲しかったとこです。ってこれは脚本の方でのお話にすり替わっちゃってますけど。役者力云々の話しじゃあないですから。設定で両親が生活力無しで暖かい家族というものに飢えている人間だというのは分かるのですが、何ゆえ数多いる野郎の中でそういう親と(精神面が)同じ匂いのする奴を選んでしまったのか。それは追々ドラマの中で説明されるんでしょうか。っていうかして欲しいところです。

いつのまにか宗佑の話しになっちゃいましたけど、錦戸さんが上手過ぎなせいでしょう。セリフいらないんだから。不気味なオーラだしまくりで迫力が凄いです。恐怖映画みたいという表現もあながち的外していない気がします。宗佑は自分の正義を押し通す人なんでしょうけど「すっぱマン」と一緒で他人にとっては迷惑以外になにものでもない正義(?)をも貫き通すから始末が悪いんでしょう。制作発表の場で錦戸さんが「○ャニーズなのに・・・」と発っせられておられましたが、ドラマ見る前は特殊な意識を持ってるように取れてざらつき感があったんですけどいざ蓋を開けて観てみたら、「夢を届ける」本業の人がそれとは明らかに異なる印象を発することへの疑問であって、この役の手ごたえを実感していたんだなあと思い違いしてたことに気づきました。やはり仕事人です。やるべき(表現すべき)ことをきっちりこなす役者力を感じましたです。

あとこれはおふざけですけど、長澤さんは客席で応援する役が多いイメージです。プロポーズ大作戦の第一回・タッチ・ラフ・今回のモトクロス大会と続いていて。自らが光り輝くのではなく後ろから見守るイメージが「長澤まさみ」にはあるのでしょうか。

一話完結に馴れてしまって重くてついていけないという声なぞ聞きますが、私は喜多善男でひとつの出来事に対して回を重ねて盛り上がっていくドラマというものの良さに改めて感動したのでこれで良いのだと思っております。お気楽に軽めの感激楽しみたいのなら最終回だけみればいいでしょうけど、開放感も伴ったような解き放たれた感動を味わいたいなら全話観なけりゃ無理な話しです。しかもきちんと冒頭で終わり(又は始まり)を提示してくれている親切設計なんですから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

ラスト・フレンズその4(第2話)

ひねくれた見方ではありますが、私はこのドラマは戦場でのサバイバルを描いた物語だと勝手に解釈しています。押し寄せてくる敵は現代社会の歪み。今のところ無事生還できたと確認できたのは美知留のみ。押し寄せてくる敵は全世代に共通する敵なのか若い時期だけなのか・美知留以外の人は生還又は戦闘中なのかは要観察中。いづれにしても戦場を舞台にしているのだから凄惨であろうと壮絶であろうと当然ありうる空間だと思って観ておりますです。ましてや全滅した訳じゃないので儚く虚しいものではないとも解釈できるので、戦争活劇好きな私としてはそういう見方で見るようにしておりますですわいな。でないと観てられないってのがありますんで。

ナレーションのフレーズで気になるのは「あの時こうしていれば」とか「今想うと」とかいった変えれるものならばという後悔(?)の念に思わせるとこがなんかねえという感じです。あの時がなんなのかはまだわからないのですがとにかく最悪といってるのですから何が変わってもあの時よりは良い方向にいったってことで想い巡らしたところでどうなるわけでもないような気がするのですけど。

瑛太・上野樹里のコンビはやっぱいいですわ。なんて表現すればいいのかよくわかんないのですが、信頼感っていうんですかねえ意識して合わせようという気配がないところなんでしょうか。あいつならなんとかなるんじゃないくらいな突き放ししても壊れない関係性に映るかのような錯覚を覚えますです。盟友って表現のほうが適切な気がしますです。

で、瑛太さんですが、野郎には興味がないのであまり気にも留めてなかったんですが、よくよく考えてみるとこの人が出演される作品ってハズレがない気がしてきました。強運なのか作品選びの眼が確かなのかそれとも役者力で多少くすんだ作品でも光り輝かせる力量があるのかは知りませんが、柴咲コウさん並にはずれなしなんですね。改めて感じましたです。

で、第2話の内容についてでありますが、薔薇のない花屋でも思ったんですが最近の風潮なのでしょうか案外あっさりとというか謎を引っ張らない傾向にあるのかしらむと。だから次々と新たなるものを担ぎ出さないといけない訳で。それだけ視聴者の方にこらえ性がなくなってきているってことなんでしょうか。

そういえば食べ方にしても交互に食するのではなく一品づつ食べていく人が増えてきたとか。交互に食べて口の中で合わさった微妙さを愛でることが出来れば品数複雑にしなくても色んな味覚が味わえると思うんですけどね。とにかく作り手の方は品数増やさなくちゃいけない訳で以前よりもアイデア捻るの大変だろうなあと考えてしまいます。

で、今回はなんといっても「私の美知留にさわるな!」。事実上の宣戦布告ですなあ。それにしても宗佑。出物腫れ物処嫌わずとばかりに外でもやりますかあDVを。ここまで来ると狂気を感じますです。その狂気を抱えた人物と一つ屋根の下で暮らす美知留の心境はいかばかりか。自分に置き換えたならば絶対エスケイプかヘルプを選択しますな。自らが耐え忍んでいて未来はあるのでしょうか。「馴れる」という選択肢か「嵐はいつか収まるもの」なのか「落ち着いたら話し合おう」なのかそれとも他に選択肢があって見せていないのか。とりあえず今日までのところは怯えて硬直している様で思考能力が正常じゃない状態のように映ります。一人で抱えきれる問題ではないというのは間違いないところでしょう。まさかいくらなんでもこのままでいいなんて思ってないでしょうねえ。よく心情が理解できませんわ。宗佑のどういう魅力に美知留が惹かれているのかもう少し説明が欲しいところでありましたです。

DV受けてる時には正義の味方が現われて悪の宗佑を退治してくれる。その正義の味方は瑠可しかいないんじゃないのかと見ていてそう思えましたから、あの宣戦布告はなんか見ていて爽快さを感じました。冷静に考えれば不幸を背負い込む女子(瑠可)を見て可哀想にと思わなくちゃいけないんですけど我が身の痛みなど構わずなんの躊躇なく庇いに向かう瑠可は大事なものを守ろうとする献身の愛情というものが直球で伝わってきて心が踊りました。母親が我が子を守ろうとする感覚にも近いのかなと感じられました。

ここまでくると性に関わらず愛すべき対象であるというのはわかります。男同士だと引くけどこの二人なら見れるかなという許容範囲でありますが、個人差や性別によって異なるでしょうから見る人を選ぶ作品かもしれませんです。万人向けでなくとも私は構いませんので迎合することなく展開が作り手の意図する道へと突き進んで欲しいものです。月9じゃあないんですから。私はついていきますから。

宗佑は宗佑で何考えてるのか流石に分かりませんわ。宗佑の理想の美知留像というのはどういうものなのでしょうか。ストーカーの一歩手前(?)な事するのは凄い精神力としか言いようがないですわ。監禁とまではいかずとも専業主婦として一日中家に閉じ込めておきたいのでしょうか。生活水準から推測しても十分宗佑の給料でやっていけそうな感じですから、二人で話し合って納得させればいいのにと思っちゃいます。ここまでくると嫉妬という表現は似つかわしくない感じがしますです。

なのでさすがにこの回見てると宗佑を擁護する理由は見つからないです。こういう人(DV常習者)って飴と鞭の使い分けが凡人には真似できないほど上手だと聞いた事あるんですけど少なくとも宗佑の飴は甘そうになく鞭の部分が飛びぬけている様に見えました。

今の現状みてると怯えた青い鳥を囲って楽しいんだろうか疑問です。おおらかに羽ばたいていてこその青い鳥ならば恐怖心という檻の中ではその価値は見出せないと思うんですけど。篭の鳥でもいいということなんでしょうか。いずれにせよなにかにつけて苛立つくらいだから満足な理想の状態では毛頭なく、感情の発露として暴力が常習的なガス抜きの必要手段というものでもなさそうですけど、「なんでわかってくれないんだ」って分かるわきゃないだろう普通、と思います。この人の恋愛経験って美知留で何人目なんでしょうかねえ。ふと気になりましたです。余程この方法で前回上手く行ったのかこの方法とらなかったから後悔したのか。宗佑の過去が描かれないとこのままじゃ完全悪役になっちゃいそうなくらいの迫力でした。この人にも救いの手は差し伸べられるのでしょうか。

タケルが唯一幸せそうで息抜きできたかなあという印象です。エリの明るい存在も救いのような感じがしますけどエリの抱える悩みって軽いんでしょうか重いんでしょうか。説明されてる先輩とかの人間関係ってだけならそう重くはなさそうに見えますけど。救いすらも悩みに押し潰される展開に進むのでしょうか。美知留と瑠可だけでも十分重いのにタケルと宗佑が絡んでるのですから一人くらいは元気があれば何でも出来る存在であったとしてもいいような感じはするんですけどね。

それにしても味噌汁をカップで飲むのは時代を感じますです。それを男っぽく注ぐ瑠可が印象的でもありました。新しい住人はどういうポジションになるのでしょうか。少なくとも言いたい事言えない善い人ではありそうですが夫婦間の亀裂という傷持つ人ですが他のみんなとどう関わってくるんでしょうかポジション取りが気になるところです。

いずれにせよ行動理由が理解できたのは瑠可とタケルとエリですかねえ。小倉さんの間男に家を占拠されてスゴスゴしてる感覚理解できないですし、美知留が宗佑の元に戻るのも自分の意思を伝えず飲み込むのも誰にもSOSを発しないのも理解できませんでしたし、宗佑の家庭内という内面とそと面の使い分けをせずに病院内であだける気の短さもよくわかんなかったし。

来週は宣戦布告した以上瑠可と宗佑の衝突が起こるのでしょうけれども、直接的なことよりも美知留の決断が気になるところですね。あれで宗佑のもとに美知留が走ったら瑠可の居場所は梯子を下ろされた屋根の上みたいになってしまいますから降りようがなくなっちゃいますから。はてさどうなるんでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (1)
|

*もす

燃やすと言う意味。「や」が抜ける表現といっていいのか定かではないが結果は「や」抜きである。遠州独特かは不明。

「燃やすゴミ」だと「燃すゴミ」。「燃えるゴミ」だと「燃せるゴミ」となる。

この論法でいくと「モスバーガー」は「燃やすバーガー」になる。なんちゃって。

モスバーガーを略して「もす」と言ってるわけでもない。というおやじギャグが成り立つ。

例文

「ここでこれ燃すとどうなるだかいねえ。」

  (ここでこれ燃やしたらどうなるのかなあ。)

「けむんでるらあ。」

  (煙がでるだろうねえ。)

「そんだけかい。」

  (それだけかねえ。)

「うっとおしいこんに違いありもしんに。」

  (はた迷惑ことであることは間違いないだろう。)

「ほいじゃ燃したら怒られる?」

  (それじゃあ燃やしたら怒られるかなあ。)

「当然だの。」

  (当たり前だろう。)

文字なら意味が分かるが耳で聞くと、「も」をする?「も」をしたら?なにそれ?ってことになりかねない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

どういう連なりなのだろう

ハッピーフライトの公式情報多少なりとも即応で知りたいので、ANAとかも含めてアルタミラのHPとかにちょくちょくとお伺いさせていただいてるんですけれど。

昨日アルタミラのHPお伺いしたらいつのまにかTOPの様相が模様替えされていました。記事内容はハッピーフライトの第二次エキストラ募集のお知らせが先頭で、以下は「それでもボクはやってない」の各授賞式の模様などが書かれてありました。

で、そんな中で毎日映画コンクールの記事において、水田芙美子さんと周防監督の2ショット写真が掲載されていて、その説明文で意外な再会に驚いたとありました。それ見て思ったのですが、役者さんと映画制作会社さんとの繋がりってのはどういうものなのだろうかということなんだろうと。

ひとつの映画作りのために共に苦労努力してきた戦友ということなんでしょうか。一期一会ではないにせよもしかしたらSG一作でもうアルタミラ作品に出演されることはないかもしれないプロ同士の間柄にも関わらず、再会を素直に懐かしんでいるという光景が記事からでも読み取れるくらい身内の再会記念写真のようにも見えました。そうみえる表情に私には映りましたです。もっとも周防作品に水田さんは出演されてませんから水田さんのプロの顔+警戒(緊張)心のない表情がうまく合わさった表情はおそらくカメラのシャッターを押した人または周りの人に対してでしょうけど。いい顔されておられます。写真のタイトルはさしずめ「感慨(再会した戦友)」というとこでしょうかねえ。

映画は人力で発電されるもの。だからこそ普通の会社社会の感覚では計れない人同士の繋がりを大切にされるんでしょうか。けっこういい写真というかいい表情が映ってるものが多くていいですわ。ハッピーフライトが完成して本格的にプロモーション活動始めたら物凄く混雑するメインストリートになるだろうから今のうちにのんびりと散策しとこうかしらむ。

で、そうそう肝心のハッピーフライト。私のブログごときにもこの文字検索でお越しくださる方が多く感謝する次第ですが、キャストが誰だストーリーがとかいう予想想像ネタばらしを期待してお越しいただいてもそんな内容ありませんのであしからずです。先入観ほど映画をつまらなくするものはありませんですから。

正式発表あればフジテレビですからこれでもかという位宣伝かまされるでしょうし、なにより監督はじめ作り手の方達の邪魔してまで知りたいわけではないし、そういう下手な外野の野次が作品の質を下げる要因にでもなったらせっかくの愉しみが台無しですから、出来るまでは余計な詮索しないというのがルールのような気がするのですけどね。オープンな性格の矢口監督が発表しないと言うことは発表すれば映画を作るうえでの妨げになるということでしょうから。でも気にはなるので正式発表が出たら即座に反応したい訳で。でも督促や要望で「早く」と言う気はございませんです。

と書いてて矛盾してきましたけどまあそんな心境ですわ。欲しいものが目の前にあるのに誕生日やクリスマスまで開けちゃダメと言われてる子供の心境みたいなもんですわ。一応大人なんで解禁日前に開けちゃう白け具合は経験してるんでここはちゃんとルール守ろうと。

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

なんちゃって禁煙・節煙中その4

体質によるものでありましょうが、貰い煙草に勤しんでいた時(今は中止中)に感じたことは、メンソールの煙草を吸った時の方が私には呼吸をする時により負担を感じるということであります。痰が出るので喉すっきりさせたくて普通の煙草よりメンソールの方がすっきりするのかと思ってたんですけど私に限ってかもしれませんが、かえって痰が出るのでありました。

さてここで思案。辞めるつもりで(最終目標が)減煙節煙運動実施中なのだから、吸って美味しいよりも吸って後悔してたほうが懲りるという意味に繋がるんじゃないかと。

話しは変わりますけど、禁煙ガムを買いに行きました。ガムも禁煙に挫折した人からの貰い物で済ましてたんですが使い切ったので買いに行きました。案外高価で買うのに一瞬躊躇しました。ガムに1000円札はたくのかあと。煙草代毎日300円程浪費してたんだから1000円で済むなら安いものの筈なんですけど。ガムに1000円札っていうのがもったないと思える貧乏人根性(価値観)も直さなくちゃいけないのかと思うとホント前途多難な道のりですわ。ところで一時期評判になってたニコチンパッドという代物。私の周りではついぞ見かけた事がないのですけどあれはただの流行だったんですかねえ。医者には通ってない人ばかりの環境だからでしょうか。周りは辞めるなら俺はきっぱりと辞められると言い切る人が多いのですが、辞めると誰も言わないのでホントかと確認とれないのがちと「根性なし」と言われっぱなしで悔しいとこではありまする。むしろこっちこいよと手招きする人ばかりですわ。「根性なし」とは禁煙できないことじゃなくて煙草を吸わないことに対して根性ないといわれてるんでしょうかね。

あと、聞いたところによるとダイエットと同じで禁煙にもリバウンドと言うものがあって、中途半端に禁煙挫折すると、以前より本数が増えることがあるそうな。怖い恐怖話しを聞いてしまった。それとチェーンスモーカー又はヘビースモーカーの人ほど辞められるという都市伝説も聞こえてきたんですが、ホントかしらむ。だとしたら元が一日20本程度だった私はなかなか辞められないといのもただ根性なしというだけの理由ではないのでしょうか。今のところ0になる気がイマイチしない私です。でも禁煙ガム噛みながらその合間に煙草吸うのが一番無駄使いだというのは私でも分かるので本数は一桁に収まるようにはなってきました。酒は3年かかったんだからまだまだ先は長いぞと。缶コーヒーみたくボトルコーヒーに切り替えたら或る日突然自販機とかに反応しなくなったみたくなればいいんだけれどそこまでやっぱり甘くない。まあぼちぼちと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

*ちんぷりかある

「もー。すぐそうやってちんぷりかあるだでホント嫌。そんなんじゃかんだにい。」

訳すと、何かあるとすぐにむくれるところが嫌なんだよね。そんなことじゃダメだよ、となる。

「ちんぷりかある・ちんぷりかえる」の意味としては、すねる・ふくれっつらになる・むっとする・反抗する・我を通そうとするなどなど色々とある。

語源はなにかと問われても正解は知らないのであるが、推測として「ぷり」は「振り」、「かえる」は返るだとすると「ちん」という振りが裏返るということになる。ただ「ちん」がなんなのかが分からない。「知らん」が「ちん」に一番近い感じではあるので合体させると、「知らん振りが裏返る」と読めなくもない。つまり露骨に態度に表れている様であると言う状態と解釈することも可能ではある。不満とかを隠すことなく態度で示しているということで意味としては遠くはない。が、この解釈があってるという確証はない。

他にも、「死ぬ」を「おっちぬ」と言うが、これが「ちん」に変化して死んだ振りが翻ってというこじつけにも考えられる。繰り返すがこれも推測である。

それとも「陳腐る」が返るで「陳腐りかえる」陳腐な顔になる(戻る)つまり本性が現われるということか。さすがにここまでだと妄想力の賜物になるが。

ニュアンス的には決定的な反目敵対ということではなく、共同歩調をとる上での(生活上とか)摩擦的な擦れ合いにおいて使われる言葉であろう。面と向かって反論できないが影に隠れてではなく直接的に不同意の感情が抑えきれないという状況。怒りの状態ほどではない。

なので特に深刻な状況において使われることはないが、それでも積もり積もれば悪い方向に流れていくのは当然なので早めの対処は必要ではあろう。ほっときゃ治る傷ももちろん多いけど。

例文

「あそこんさあの家。親子で仲悪いだって。なんでか知ってる?」

  (あそこの家。親子仲が悪いらしいって聞いたけど理由知ってる?)

「それがさあ。なんかしょんないこんで息子ちんぷりかあってあだけただって。それん親爺さん許せんくて以来口きかんくなっただって。」

  (それがね。なんか些細な事を息子が気に食わなくて騒いだんだって。その時のことを親爺さんが許さなくてそれ以来口きかなくなったんだって。)

「なにんちんぷりかあっただかいねえ。」

  (何に対して気に食わなかったのかねえ。)

「さあ、さすがにそこまでは知らんだよ。」

以前の記事でも「ちんぷりかある」を取り上げたが、今回は補足というかより細かく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

*あっちっかわ・こっちっかわ

あちら側・こちら側が訛るとこうなる。「あっちこっち」を「あっちゃこっちゃ」という人もいる。そういう言い方をよくする人は「あっちゃがわ・こっちゃがわ」と言う人もたまあにいる。

もっと大雑把に指す場合には「あっちらへん」・「そっちらへん」。

場所は明確ではあるがうまく指し示す事が出来ないような場合には「あっちんさあ」・「こっちんさあ」とかを使う。ただしあくまで一例でこれ以外にも言い方はあろう。

例文

「天竜川の西のこっちっかわは浜松で東のあっちっかわは磐田でえ。」

以前はこう言ってもおおよそは間違いではなかったがでは最近の市町村合併でそうとも言えなくなった。

| | コメント (0)
|

雨女

観ておりません。数秒ほどのシーンとかは見たのですがそこからなんかブーたれるほどの妄想力にはさすがに欠けるのでどんな作品なのかは知りませんです。

ひみつの花園のDVDに付いていた資料によると

1990年に完成(2年以上もの歳月を費やしたと書いてある)制作された8ミリ/72分の作品。PFFアワード90でグランプリを受賞。この後1993年制作の裸足のピクニックに続くとなっていますです。

つまりコンテスト出展作品で、これが評価されて映画監督としての道が開けた作品ということになる。商業映画というか自分以外のお金で映画を作れるようになるきっかけとなった自主映画ということ。

8ミリでありしかも自主制作だからDVDになるには研究の対象になるくらい「矢口史靖」が巨人化しなくてはいけないのでいずれはそうなるであろうが当分の間はまだ見れそうにもない予感。裸ピクのDVDの中の鈴木砂羽さんのインタビューで、浜松の自主映画のサークルに呼ばれて上映されたみたいなことを述べられておられたが作るほうには興味がないので当然知る由もなし。

お話しの内容は二人の女性が生きるからという大義名分的な自分勝手な理由から雨降り続く中非社会的な行動を繰り返す奇妙な生活を送っていたが、雨が止んだと共に二人の関係が崩壊し始めるというものらしい。

ちらりと見た映像が72分も延々と続くとなると根性は要りそうではありまする。見たいかと問われたらこわいもの見たさの感ありと答えるしかなさそうな印象ではあります。こわいは遠州弁でいうと「固い」という意味もありますんで「怖そうと固そう」(若さからくる無意識の凶暴性と頭の中と表現として出てくるものの不一致性)両方の意味でひらがな表記にしときましたです。リアルタイムで観てこいつは将来の大物だと判定する先物買いの悦はもうありえないので、後出しじゃんけんみたいなものでこういう人が後になって大きくなるのかあという勉強になるんでしょうね見る意義としては。

これ以前の8ミリ自主制作作品は

1986年「フラストレイター」(初監督作品)20分

1987年「回記線」(17分)

1990年「浅き夢みし」(45分)オムニバス作品でこのうち「腐っても鯛」・「火事場のバカ」他5作を監督。BIG WEST ビデオフェスティバル90銀賞受賞。

(以上、ひみつの花園のDVD特典資料から)

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

矢口作品の特徴

矢口作品の特徴の私見としましては、その強引な設定の展開性だと考えられますです。つまり「ありえね~」キャラクター・行動が登場してくるということです。しかしその登場人物達が動きひしめくそのフィールドは全てリアル(現実の中)で、かつ矛盾を見つけにくい理屈(道理)にあったもので構築されていますです。

つまり個性溢れた連中がごくありふれた日常の中で巻き起こす色んな種類の風というものを描いている。そしてエンターテイメントとしてお客の立場から観て面白いかどうかを判断基準として作られているということです。風ですよ風。さっと爽快に吹いてあとくされなしって勢いですかねえ。

故に主義主張が全面に出るわけではないので、深いメッセージ性がある方ではないのですが、悪人は出さない。勝ち負けで物事の良し悪しを判断しない。登場人物達も観てる側にもハッピーエンド(犠牲者を出さない)で締めくくる。などといったルールを設定することで観る側を幸せな気分に誘ってくれる作品つくりをされる監督さんだと思っています。作品的には大まかに言うと二種類の傾向に分けることができて、一つはウォーターボーイズやスウィングガールズに代表される観る側の期待を裏切らない作品。もう一つは、実験とまでは行かないけれども本番前の助走というかリハビリというべきかは定かではないのですが面白いと思えたものを商売抜きで自らが作る楽しみを満喫・再確認するための作品。

傾向としてはこれを交互に繰り返しておられる感じがしますです。私はこういう世界感がどちらも好きです。しいて注文出すならもう少しコンスタントに作品発表して欲しいです。

作品の特徴とは別に、出演される役者さん選びの選択眼が際立っているところでしょうか、それぞれの方にとって矢口作品が原点・出発点かどうかは定かではないのですが、当時はまだ無名に近い状態での出演で、その後大成されていった役者さんが目白押しというのは凄いです。一部ではありますがお名前を挙げると鈴木砂羽さん・西田直美さん・田中要次さん・唯野未歩子さん・猫田直さん・マギーさん(映画では)・妻夫木聡さん・玉木宏さん・三浦哲郎さん・近藤公園さん・金子貴俊さん・上野樹里さん・貫地谷しほりさん・平岡祐太さんなどなどまさに綺羅星の如くの様相であります。

「追っかけ」という表現でいえばガールズ連よりも矢口追っかけの部類に入る私です。もっともご本人そのものに興味がある訳ではないのであくまで作品に関してのみの話しですけど。

矢口作品(多少順不同だし細かくいうともうちっとある)

雨女

裸足のピクニック

ひみつの花園

ONE PIECE

アドレナリンドライブ

学校の怪談物の怪スペシャル オープニング&エンディング

   同               怪猫伝説

   同   たたりスペシャル 悪魔の選択

ウォーターボーイズ

パルコフィクション

スウィングガールズ

歌謡曲だよ、人生は

作品ごとの感想はおいおい改めて。別に研究ではありませんから、そこんとこはくれぐれもお間違いなく。

ブログ初めて一年になんなんとして、そろそろ方向性というか立ち位置を決めといたほうがいいかなと考え、無い知恵なりに思考を巡らした結果、私の中心点はやはり矢口作品だという結論に至りました。なので今後はその関連したものを贔屓の引き倒しで記事を書くことに対してむしろ当然といった姿勢で臨むことに突き進むことにいたしました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

どうでもいいはなし

今月のNo.1505のキネマ旬報。大分買いに行くのが遅くなって今頃購入。

ふんで、持った瞬間「あれ?」と違和感を感じて思わず表紙を見て「キネ旬」だよなあと確認してしまいました。だって軽いんですもの。

気の迷いかと思ったんですけど、とりあえず家に帰ってから他の号と比べてみたんですけど、やっぱ軽かったんですわ。ページ数が少ない訳でもなさそうなので紙質が変わったんだろうなと想像するのですが。ま、自分の直感がたまには当たるもんだという感激も湧くには沸いたんですけどね。

でもなんと申しましょうか小西さんの解説調で言うなれば、中身が真摯な映画論の塊ともいえる内容の冊子なんだから重厚感があるほうが箔がつくんじゃないでしょうか。などと思ったりもする反面これも省エネの一環なのかあ、じゃ、しょうがないなあとも勝手に解釈してみたり。すくなくとも商売上の理由で経費節減したなどという後ろ向きな理由でないことを祈る次第であります。私に商売繁盛に貢献出来ることといったら毎回必ず一冊買うくらいしかできないので。

今回の記事では、香川さんの日本魅録が相変わらず連続ヒット更新中という勢いですわいな。私の以前のブログ記事でエキストラが役者さん目当てのミーハーばかりだと画全体が薄っぺらくて白けてしまうので、映画に参画するくらいの決意でエキストラをやって欲しいし、そういう人達を使って欲しいと書いたのですが、そういう理想のエキストラさんを紹介されておられて我が意を得たりと言う気分で気持ちよかったです。

あとトピックジャーナルの「シネコン優先型映画ビジネス」もうなずきながら興味深く読んでしまいましたです。都会と田舎は明らかに観れる映画の種類が異なってきていてキネ旬で紹介されていても見れない作品のなんと多いことか。もし映画が文化だと言い張れるなら現状をなんとかして欲しいと真剣に思うところです。医が仁術であるように映画も仁術ならばという架空のお話しではありますけど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

*いくらでもない

どうってことない・たいしたことない・多少のことだとかいう意味。

「いくらもない」となると「ちょっとしかない」とか「僅かなこと」という意味合いでの多少・たいしたことないという意味になる。

例文1

「これいくらしたよぉ。がんこしただけ?」

「いくらでもないよ。ほんの2ヶ月分の小遣い全部くらいでえ。」

「おおそりゃあがんこ気張ったのえ。そんで大丈夫けえ。」

「大丈夫じゃあらすかあ。だでちいと助けてよ。頼むにい。」

「おおまかしょと言いたいとこだけど状況によりけりね。」

大抵のことには使えるのだが病気とかで大丈夫と聞かれて「いくらでもないよ」(たいしたことないよ)とは普通言わないのである一定の条件は存在すると思われる。

例文2

「あとどんだけ歩くよお。」

「いくらもないよ。まあちっとで着くで気合入れてかまい。」

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

そういえば

知り合いと4月期のテレビドラマ何観るかという話しになって、その時に私の特徴というか傾向というものに気づかされたのですが。いわれてみれば私視聴率的に高評価若しくは安定した作品って観ない傾向にあったんですねえ。人に指さされて初めて気づかされましたです。全くではないですけど。

「ごくせん観るか」どうかで「観ない。前のも見てない。」。「変な奴」といわれて。なんで?どうして?ということで振り返ってみたら熱姫見てないし、以前だとシーローや看て黄門とか相坊とかも。もっと遡ればイムタクさんの出演される作品殆ど観たうちに入らないしオレンディドラマとか言う類はほぼ全滅だしふぞろいの蜜柑たちとか今度おさわがせしますなんかも観てないなあと。

いつから誰しもが観る作品に背を向けるはぐれ者になったんだろうか。木枯らし紋次郎とか探偵物語とか踊る大捜査線・トリックにはモロはまりしてたんだけどなあ。時代がバランバランな喩えだけれども、時間ですよとか泣いてたまるかあたりでもガキの頃のおぼろげな記憶ながら残ってるし。池中玄太100貫・豪腕繁盛記・北のお国がら・ママはオイドルなどなどそれなりに人と話ししてもついていけたんだけど。

銀八先生シリーズ観なくなってった頃からはぐれ始めたのかしらむ。アンチという概念なぞ毛頭無くただ詰まんないから見ない感覚だけだったけど、よくよく考えたらひねくれた感性だったということか。ストーリー的におっかない系はずうっとダメだったけどそれ以外は悲喜劇硬軟といった種類に捉われずホント面白いかどうかだけで判断してきたつもりだったんだけどなあ。王道が嫌いなんでしょうか。

元々が好きな役者さんが存在しててその追っかけしてた訳じゃなかったのでそういう贔屓しだしたのはスウィングガールズ以降だから、まあそこを区切りとして考えればそれ以前はあまりテレビドラマには興味が薄かったということで決着がつくのであろうて。

でも私疫病神じゃないつもりですので、私が記事に書いたドラマ作品は視聴率が必ず悪い訳じゃあありませんので。それにこんなはぐれ視聴者をも引き込むくらいよっぽど魅力があるんだと思っていただければありがたいのですがね。

ちなみに「ごくせん」。原作の漫画の方は読んだことありますです。結構はまりましたです。でもドラマの方は見てませんです。

とりあえず今日(4/14)のところまでのはぐれ視聴者なりのお薦めは、ラスト・フレンズ本命で対抗がアラ40。穴的にはオトコマエ!ってとこでしょうかねえ。これから始まるとこでは猟奇的な彼女・パズルをチェックってとこでしょうか。ま、個人的都合として21時台だとまだ家に辿り着いてないんでどうしても観る気迫が削がれる傾向にあるのは否めませんけんど。

私的にメインは映画の感想なんですけんど、なにせ丁寧なつくりだから何度も見直してからじゃないとなかなか書く勇気がでなくて。そういう意味じゃテレビドラマに数はまるのは寄り道しまくりでもあるんでなんだかなあなんですけど。最近それなりに愉しい作品多いんですよね。それとガールズ達も順調に活躍されてるし。まあいいかあって勢いですわ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

いすかあ

いるわけないだろうと言う意味。

例文

「そんなとこに竿だしたって魚なんかいすかあ。」

「わからんよー。いるかもしれんじゃん。」

「いけすかあ」だと行ける訳ないだろと言う意味になる。

まあポイントは{~すかあ」という表現であって、近いとこでは「~すかや」・「~すけえ」などがある。す+かあ・かや・けえとなるのであるが、厳密というかはしょらなければ、す+かあ+やあであろう。

冗談だが、「イスカンダル」超強引に遠州弁に翻訳すると「いすかあんだる」(いる訳ないだろ。うーんとだるい)と訳せなくもない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

ラスト・フレンズその3(とりあえずの長澤視点から見て)

くどいようですがこの作品は「上野樹里」作品であって、「長澤まさみ」がその世界の中で自由に羽を広げてると思って観てるので、贔屓の引き倒し的にはどうしても樹里ちゃん主題で書いてしまうのですが。

考えてみれば地元出身だからと言う理由で長澤ファンも兼ねているのでそういう視点からでも書いとかないとばつが悪い気がしてきたので以下は脱線的なドラマの感想です。こういうのを蛇足というのでしょうがまあ性根が脱線基本なんですんませんです。

この作品は今のところ、大人の力を借りることなく同年齢の自分達だけで組み上げられていくお話しのような感じがしています。仲間を描いた作品としては「ロボコン」・「プロポーズ大作戦」などがあり今回が初めてというわけではないのですが、「ロボコン」では役者力の違いに一念発起した出発点であり(ご本人曰く未熟)、「プロポーズ大作戦」はヒロイン的要素の方が強く山下さんのサポートという役割のように感じられた訳で、今回は誰かをより輝かせる為の役どころではなく一人の人間模様を自らの責任で表現ししかも大人の役者さんの手助けがなく演ずるということでは初めてといえるかもしれません。「ガンジス河でバタフライ」では実質一人芝居でしたから自己との葛藤的要素が強かったのですが今回は仲間と関わった上での自己表現ですからそこいら辺りがバランス的に新たなる挑戦といえるのではないでしょうか。

しかも誰かがサポートしてくれるのではなく各人が自分のことで精一杯な展開の様相ですすむのであろうと予想されるわけで。決して力量的に一杯一杯ということではなくて各人が各人のパートで最善を尽くしその集合体として組み上げられたハーモニーとしての映像の色がカンバスの中に飛び廻ってひとつの絵として美しければいいという感じなんじゃないのかなという気がしてきております。つまりみんな主演で助演なんて存在していないドラマじゃないのかと。戦友として同じ戦場でサバイバルを繰り広げる展開で、とりあえず美知留は生還出来たってとこでしょうか。

私は「長澤まさみ」はつづみのように打てば打ち様のままに響くタイプの役者さんだと勝手に決め付けてる部分があります。振動の空気読み、つまり打ち手がいてこそ輝く役者さんじゃないのかと。その役が今回は樹里ちゃんかと想像して望んだのでありますがそもそも樹里ワールドってものが実は理解できていない上にまだ謎だらけの役どころで掴めていないことに気づきました。しかも第一回は各人のとりあえずの紹介と長澤さんの苦悩を表わす回とも云えたので全容が見えている訳じゃないのでこの時点で判断するのは尚早だといえますです。なので樹里ちゃんが打ち手なのかどうかそれ以前に長澤つづみ説があってるのかどうかという見極めはもっと先に進まないと見えてこないのかもしれないです。ちなみに過去の作品の中で最高の打ち手は「優しい時間」での寺尾聰さんだと思うております。

第一回だけ観てああたらこうたらとりあえず書けるのは、前記事でも書いたんですけど、冒頭からマタニティのお芝居がインパクト大きかったです。どう考えても実生活で未経験の仕草を芝居という技術的なもので違和感なく見せて、技術的(職人的)に着実に成長されてるんだなあと観るだけ素人の立場からではありますが関心いたしました。DVでのシーン錦戸さんの渾身の演技で迫力あったんですけど役者根性みせて蹴りはともかく平手くらいは入るのかなと予想してたらそうでもなくて、やっぱテレビの限界なのかそれともお雛様扱いされるような位置に立つようになられたのか気になるところです。もしそうだったならばあまりいい傾向には思えないんで。まだまだ挑戦者であって完熟期ではない筈だと。

表情のつけ方は樹里ちゃんの瑠可と比べるとより判り易いなとは思うのですが、大きな振り幅をつけての喜怒哀楽表現は相変わらずだなと感じます。オーバーでわざとらしいと映るか、元の素質が大きいのであって表現する際にそれを制御せずに放出してるから大きいのであって若気の至りじゃないけど年とともに丸くなって30代にピーク頃には丁度いい感じになってくるんじゃないのかと思えるか。無理矢理大きく見せてる張りぼてか、はたまた大きな素質のせいなのかということなんですけど、贔屓者としては後者を選択してる訳ですがこの目ははたして曇っているのかどうか。答えは長澤さんが30代になられないと出ないのでそういう意味じゃなにとんちんかんなこと言っても時効になりそうなので何書いても気は楽ではあります。ってその前にあと10年先まで役者さん続けておられるかどうかの方が気がかりなことではありますな。

| | コメント (0) | トラックバック (1)
|

*じゃん

相模の言葉として有名なので、ここで挙げるのはどうかとは思ったが、使うもんは使うので記載。意味に遠州独自性というものはない。「だよね」=「じゃんね」と思われるので「じゃん」の意味は「だよ」ということでそう大きな間違いではないと思われるが。用途としては言い合い・論争とかでファイトしてるような状態で使われることも多く。その際は「だよ」というより「~じゃないか」・「~だろうに」とかいう訳がふさわしい感じになる。

「ちゃんとやってる?」

「やってるじゃん。」

「全然進んでへんじゃん。」

「それじゃあまるで遊んでたみたいじゃん。大体が今日中にやりゃあいいっつったじゃん。」

「すぐやれじゃ可哀相かと思ってそうゆったじゃん。人の気持ち分からん人だやあ。」

みたいな感じ。「じゃん」と言われて「じゃん」で言い返すと基本延々と言い合いが続くことになる。

「感覚的に「じゃん」に代わる言葉としては「ら」・「らあ」とかが遠州弁っぽい代わりの言葉であろうか。

共通語で同じ表現だと、本家の相模はどうかしらないが遠州だと「じゃない」というのが共通語では同じ表現かと。つまり遠州弁の特徴として「ない」が「ん」に変わるという論法を駆使すれば「じゃない」は「じゃん」、「じゃないか」が「じゃんか」に変わるのだという理屈。まあ屁理屈だけど。

使い方というか独自性的なものとしては

「じゃんか」・「じゃんねえ」・「じゃんなあ」とかが地方独特ということらしい。(どうも当たり前すぎてピンとこないが)

例文

「待っててつっただにあんたらはあ食ってるじゃんか。誰ん食っていいっつったよお。」

  (待っててねって言ったのに、あんた達もう食べてるじゃないの。誰が食べて良いって言った?)

「そんなこん言ったって、腹ん減ってるだもんはしょんないじゃんねえ。」

  (そんなこといったってお腹が減ってるんだから仕方ないよねえ。)

「待たせ過ぎだでしょんないじゃんなあ。」

  (待たせ過ぎなんだから仕方ないよなあ。)

このブログではあまり「じゃん」表現は避けているのですが、実際は非常に良く行き交う言葉である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

« 2008年4月6日 - 2008年4月12日 | トップページ | 2008年4月20日 - 2008年4月26日 »