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刑事の現場第3話

前回での迫力あるものを再び観たいですなあ。ど迫力の原田芳雄さんとそれに飲まれまくりの森山未来さんとさりげなくかわしてるように見えて実は確実に追い込んでいく羊の皮を被った猟犬の寺尾聰さんとの思わず息を飲む丁々発止な緊張感のあるやりとりと、対比のような同年代同士の何気ない職場での会話のやりとり。緊張と弛緩が絶妙に絡み合ってホント惹き込まれました。事件の全貌が徐々に解き明かされていく度に驚きをともなう展開でストーリー展開も抜群でした。誰も幸福に終わらない。事件は加害者にも被害者にも幸福は訪れないという儚さが切ないメッセージとして感じました。こういう儚さが犯罪の抑止に繋がればいいのだろうけど、ある意味虚しさを憶えても満足できる作品だと感じます。

とにもかくにも、必死で生きんが為にしのぎを削りあう様を見てみたいです。ってこんなこと書いてるとドラマ本来の趣旨である団塊の世代から若者への大切なものの引継ぎというテーマからはずれることになりますから、邪道な愉しみなんでしょうけど。

今回は、張り込みと家庭内不和による殺人という異なる事件が同時進行したお話しの展開でした。

お気楽な感想を先に書くと、張り込みのシーンは踊る大捜査線を、殺人現場にての行動はアンフェアを連想しました。嘘くさいドラマの見栄かと思ってたんですが、別のドラマで同じような仕草をしてるとこみると、案外本当のことなんだと思い知った感じです。張り込みの最中にふと気が緩んで自分のことをボソっと話したり殺された人の最後の景色を実際体験してみるとかいう辺りの話しです。池脇千鶴さんも今回はたんと映ってて見ごたえありました。

そうなのかと思えた感想としては、「普通の人なんていない。」と「それを見抜くのが刑事の仕事。」というセリフでした。誰しもが普通でいようと努力をしているものであって特別を諦めた人間が普通になれる訳ではない。そして普通でいられなくなって破綻した部分から犯罪というほころびが生まれ普通に戻ろうとそのほころびを必死で隠そうとする。それを見抜くという仕事。

正直な話し仕事で疲れる理由はほぼ人間関係によるものです。犯罪に比べれば他愛のないことなのでしょうがそれでも疲れ果ててます。それを犯罪という比較にならないほどのドロドロとした情が交叉する出来事に毎日出くわし、しかも歓迎されもしない作業を仕事として沢山出くわさなければならない刑事という職業には私の尺度では測れない精神力を必要とするものだなと感じました。中堅先輩刑事のように業務としてそういうドロドロな部分を排除して作業にあたって何が悪いと開き直られても文句は言えない気がしてきました。

今回の最後の寺尾さんのセリフは来週に繋がるものでしょうからそれについては来週のお愉しみとして、実際の刑事さんとかに遭遇してその容姿を拝顔させていただくと、やっぱ目つきとかが一般人じゃあない雰囲気を感じます。捕まった事はないので追われたことはないのですが、特殊な専門職なんだろうなと推察されます。配属されてはい今日から貴方は刑事ですなんてこと無理な世界なのでしょう多分。ドラマのテーマである世代から世代への引継ぎの重要性というのもホント分かる気分になる説得力です。でも団塊の世代と若者世代の壁が見事に表現されていてハードルがんこ高そうだなとは感じます。

ちょっと気になったのは森山未来さんの役どころ。若い世代であんな綺麗に頭下げれる奴なんて見たことないです。そこんとこは出来過ぎだとツッコミいれたいところです。非現実的だと。鑑識の宇崎さんに注意されても聞いてるんだかいないんだかイマイチはっきりしない三浦アキフミさんの方がリアルな若者です。

たった4回で終いかいってぶーたれたくなるくらい惹き込まれるドラマです。フルスイングの余韻で観始めた殆ど期待してなかったドラマでしたが、宝石を拾ったような儲けた気分です。もうね役者力バリバリでいうことないですわ。でもですねえ、4回だけでテーマが完結できるようなものではないでしょうに。もっとやってくれと受信料を払う身としては発言しても撥はあたるまいて。

余談ではありますが、刑事の現場のサイトにいったらNHK初のスピンオフのショートドラマがあったそうな。知らなんだ。気づかなんだ。

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未来講師めぐる最終話

栄作おじさんの登場で、少し真面目というか深い展開になって参りました今日この頃いかがお過ごしでって、静岡県は一週間遅れなんだから世間ではとうの昔の話しでした。

12年前愛おしき我が娘をおじいちゃんに預けたその真相が明らかにされた訳ですが、その理由はパパの過ちであったということでありました。前回そこんとこ(娘を何故預けたのか)が理解できんと書いたのですが、一応の納得はしました。

教室でのパパへの講義では父親として成すべき事はのめぐるの質問にはなんだろうと真剣にパパと一緒になって考えちゃいました。パパは気づいたみたいでしたけど私はタクシー降りた場所見るまで気づけませんでした。で、ああなるほどと。

それにしても、栄作おじさん。も、真のエスパー。しかも発言実行。発言した事が現実になる「自慢」というのはこれはもう「自慢」の領域をはるかに越えた「能力」であったというどんでん返しでした。しかもユーキ君もめぐる限定ではありますが心を読めるというもう一人のエスパーであったなんて。ここまでくると超能力者の大安売りの会場にいるような感じでしたが。

考えてみれば未来なんていくらでも変わるものであって不変なものではないという結論とも云える訳で、やはり「自慢」の範疇に収まるものであってえらくもなんともない人畜無害なものといえるのでしょう。シンゴの様に色んなパターンが思考の中に押し寄せてくるのは精神の病と呼べるくらいの生活するのに支障をきたす障害とすらいえるような感じです。おじいちゃんの普通が大切という説得もよく分かるお話しでした。

吉田家に真の悪党はいないというのが最大のハッピーエンドでまずはめでたしめでたしでしたが、ユーキ君すらもプチ「自慢」保有者だとしたら吉田家で持ってないのパパだけなんですねえ。ふてくされなきゃいいけどと余計なお世話感じちゃいますけどこの人なら大丈夫かぁと思わなくもないです。

先を読み通したり先のことに悩み苦しむことより、今を大切に生きることが重要。ということを謳ったテーマと推察する次第で。馬鹿ばっかりやってるようにみえてきちんとツボは抑えた人情劇となっているところは凄い話しです。どうしてこんなすっとぼけたキャラクター達の右往左往する様からこういう推論が出てくるのか自分でも理解不能なんですけどそう思えちゃったんだからしょうがない。

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*こんだ・こんで

ことだ・ことでが訛ったもの。「と」が「ん」に変わっただけのことである。

ただし「こんだ」には「今度は」という使い方もあり、「こんで」には「来ないので」という使い方とかがあるので混同しないように注意が必要である。

ご苦労なこんで・奇特なこんで・迷惑なこんだ・余計なこんだ

関東とかでは「こって」という表現になるのだろうか。

広範囲に広がる言葉なので遠州弁ということでは特にないのだが、他の地域よりも頻繁に使われる表現であると思われる。

例文1

「それっぱかなこんでいちいち大声だして呼ぶなやー。」

  (それくらいのことでいちいち大声出して呼ぶんじゃない。)

「~なことだよな」と言う場合には「~でえの・~なこんだの」とかが使われる。

例文2

A「・・・・・・・だっただよー。」

  (・・・・ということだったんだよ。)

B「そりゃまた大変なこんでえの。」

  (それはまた大変なことだよね。)

C「こんだなによーなにしたよー。」

  (今度は一体なにやらかしたの。)

例文3

「大切なこんだでよー聞きなよ。」

  (大切な事だからようく聞きなよ。)

「なによー大切なこんて。」

  (大切な事って?)

「明日は雨だで傘忘れんよーにね。」

「どこん大切よー。迎えんきてくれりゃあ済むこんじゃんか。」

  (それの何処が大切なの?迎えに来てくれれば済む事じゃないの。)

「迎え行くのがめんどいのっ。だで幾ら待っても誰もこんで。ね。」

  (迎えに行くのが面倒なのっ。だから幾ら待っても誰も来ないからね。)

「あーそーけー。」

  (ああそうなの。)

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コンケルドの役者さん

何ゆえか、検索ワードでコンケルドのコマーシャルに出ておられる役者さんは誰?というのが気になる方がたこさんおらるる様で。

コンケルド

  調査中

いつものお姉さん

  石橋けいさん

監督さん

  山内健司監督

ちなみにコンコルドTV-CMというサイトがある。

http://concorde-tvcm.weblogs.jp/

写真の色から想像するに制作の方もしくはコンケルドさんが作ったサイトかもしんない。(確証はございませんのであしからず。)

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恐縮です

ここんところ「めざましテレビ」ネタが多いのですけど3/21の放送でのお話しです。

好きな女子アナの人気ランキングとかで高島アナが1位に選出されたそうな。

で、その報に接してのご本人の弁が

「恐縮です。」

とても久し振りな感覚がする言葉でありました。なんか響きが心地よかったです。

自分のようなものがといった謙遜の意味合いと、かような名誉を戴けて身に余るといった敬いと感謝の意味合いが混ざり合って恐れ縮む想いというのは、いいなあと。

傾き具合がどっちかはともかくとして、「ありがとうございます。」とか「うれしいです」・「これからもがんばります」とかを最近はよく使われているような気がしていて、そういう表現だと自らが一歩下がる(へりくだる)意識が窺えない感じがするのです。

もちろんどんな場所にでも使えるような万能の言葉ではないのですが、少なくとも今日使われた場ではベストな表現に思えました。

そのあと、第2位に選ばれた中野アナがコメントを噛んで見事オチをつけてるコンビネーションを見るといい雰囲気だなあと思わずにはおれません。(軽部アナのツッコミもナイスタイミングでおました)

ホントは文字でああたらこうたら説明するより、映像貼り付けてどうですかってした方がずっと判り易いのでしょうが、ルールとして無断使用はいかがなものかという臆病風が吹くので拙い表現だけなのですが

実際に無断使用がこれだけ氾濫する状況の中で、ただ駄目だと云われるだけではあまり説得力に欠けるような気もしています。もう少し細かな現実に即したルールというものが私のような末端のものにも伝わるような(守れる)ものが欲しいところであります。

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*ふやかす

「ふやかす」は共通語。ただし遠州弁での意味は二通りあって、ふやける(ふくらむ)と増やすという意味がある。もっとも見た目がどちらも増えるということでは大した違いではないのだが。

遠州弁では「増やそうとする」という意思がこもった意味でも使われる。なので「増やかさんとす」が縮んで「増やかす」になったと云う解釈の方が判り易いかもしれない。ただし物の言いようの例えとしてなのでこの論法が正しい訳ではないので悪しからず。よりまともな考えは「す」=「する」であろうが。

イントネーションに違いは無く、前後の繋がりから違いを判断する技術を要する。

例文

「水ん入れてふやかしときゃええだって。」

  (お水に入れてふやけさせとけばいいんだってば。)

「あいつのパチンコ貯金。ふやかすっつって増えた試しありもしんに。」

  (あいつがやってるパチンコ貯金。増やすぞって言ってる割には増えたことないじゃないか。)

「貯まってるなあパチンコ屋の方だっつう話しじゃん。」

「そんだったら納得だな。」

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鹿男あをによし最終話

最終回は儀式の模様とその後片付けの展開でした。謎と云うか理解できていなかった部分の解明としては、

何故意味ある場所に学校が造られたのか。

先代の狐の使い番(運び番?)が狐からご褒美として貰った願いの財力でそれらの地を先代なりの意思で守ろうとした。その手段が学校をその地に建てるということであったと云う事。

シルシは解除出来るのか

結果として無事解除できた訳ですが、それでひと悶着あって地固まる展開に進んだ訳ではあります。が、シルシってペナルティじゃなかったんですかねえ。「元に戻せ」が「願い」と云うのはふ~んという感じでした。使い番にしか出来ないことがチューと云うのは劇的でしたが劇なのでこれもアリなんでしょう多分。

儀式の内容

観た通りの出来事でした。凝ってましたが結構あっさりとした感じだったんですが、重大なことって案外こんなものなんだろうなと逆に納得しました。

人間模様はどうなる

小川と藤原、それと長岡と福原は目出度し目出度し。だけど福原先生には「教えてくれないんだ。」小冶田は再び邪馬台国近畿説のヒントを与えて貰って鹿に笑われる他力本願ながらも意欲復活。総じて丸く収まる展開でした。

これについての感想を云えば、小川と藤原は東京の人間にはもう見えなくて奈良が相応しく見えました。なので、小川が奈良に戻るって形の方が私的にはハッピーエンドなのになあと思えました。小冶田にヒント与えて教えなかったんだから他力本願でも構わず手段を問わない小冶田としては答えを鹿から教えて貰ったという小川を引き止めて聞き出そうと奔走して小川を留め置こうとするってのもアリのような気がしました。

答えて貰えなかったのは

鼠の使い番は登場しなかった。

新たな疑問(というかツッコミ)

「め」(三角縁神獣鏡)は儀式が終了した後、堀田の道場で神棚にて保管されると云う事になったらしいが、破壊された(学術的価値が消えた)訳ではないのだから小冶田がまだ狙ってもおかしくないのに何故素直に諦めたのか。意気消沈はしてたのでなんらかの釘をさされたような事はあったんでしょうが。

他言無用とは言われてないようで、しかもサンカクは普段(最近)は道場で保管されてるらしく、保管者が使い番・運び番に選ばれるかどうかは別としてもサンカクの正体は保管管理する者が伝承していかなければ次に伝わっていかないとしたら。これだけ長い年月の間には文献なりなんかで人間世界の中で儀式とかが記録として残っててもおかしくない。なまずの伝承のみと云うのはちと疑問に思えました。ま、誰もこんなこと信じちゃくれないってことなんでしょうけど。

全話通しての印象としましては、新鮮な発想と青緑っぽい絵柄と世界感それにキャラクター達はとても気に入りましたが空気感が間延びした感じに取れてしまって、1クールと云う逆の制約みたいなのを感じてしまう不届き者の私です。

第一話を振り返ると一話丸々使うような内容だったのかしらむと今振り返ってもそう思えますし、一気に観た方がのめりこめそうな感じでした。もちろん2時間スペシャルじゃあ足らなさ過ぎますけど、もう少しコンパクトにまとめて堀田の正体が分かったときのようなスピーディな展開で全編が進んだらより面白さが増したのかしらむと思うところであります。もちろん享受するだけのド素人の一視聴者が具体的にどこをどうのとかいう知恵はありませんけど。

とにかく一度見直ししたくらいはんなり進むのでつい前のことを忘れがちな展開でしたが、まったり感を感じた以外は嫌いじゃないですこういう作品は。確かに自分のペースで読める小説が売れたというのも理解できますし、役者さん方も見甲斐がある方ばかりで愉しかったです。

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よくいきる

コマーシャル見てて「よくいきる」と謳ってることが頭に留まりました。

非常に強引な使い方ですが表現する際の例えの当て字と思ってください。

良く生きる

 人から良くやったと褒められるために生きる(滅私奉公に傾き易い)

善く生きる

 人に後ろ指刺されずに正しく生きる(周りから煙たがれる)

欲生きる

 欲望や感情の赴くままに衝突・障害を恐れず自分に素直に生きる(周りとの闘いが待っている)

能く生きる

 自分の能力を余すことなく使い切る(自分の能力を知らなくてはいけない知恵がいる)

克く生きる

 恒に何かに挑戦してそれに打ち勝つ(恒に敵や対象を求めなくちゃいけない)

翼生きる

 飛翔するかのような夢を追い求めて自分を信じることだけで生きる(なんの保障もない)

よく生きる

それとも単純に「よく転ぶ」とか「よくある」とかいう意味合いの普通に生きるということなのだろうか。

私は多分「よー生きてる」よくもまあそんなので息してるなあとあきれ返られる生き様なんだろうなあと言える話しですけど。うー耳が痛い。

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ボンビーメンその3

3話以降を一気に観ました。詰めて観ると面白かったです。特に最終回のイベントは初まりに繋がる展開で、なるほどなあと感心しました。最初掛け違えたボタンをもう一度やり直したとも、主人公の生活環境や考え方が変わっても真理(金が全てじゃない)であるならば結果は同じ(勝ち)となるのか、それともより成長した主人公が到達し得る様を実現してみせたのか。勝ち負けに拘らない態度を見る限りオムオムさんとの金か人情かの勝負ではなく主人公の自己との闘いというか修行の成果を試す道場と捉えた方がしっくりきそうでした。

こうしてみると全話通してタイムリミットの設定をきっちりして時間との闘いみたいな要素を明確にするかなんかしてハラハラ感があった方がより愉しめそうな感じがしました。だって主人公寝る間(自分の生活)も惜しんで滅私返済にいそしんでる様は、普通体壊して死ぬぞと思えますもの。

借金の金額考えたら大学生が背負える金額なんかじゃ決してないですものね。ハードルがいささか高すぎて中盤絶望的とはいきませんが暗く重たい方向に引っ張られましたから。光明らしきものがチラリと見え隠れしていればドヨヨン感が薄らぐんですけど唯一の救いは信じられない程の主人公の明るい性格のみですからねえ。途中貧乏からは永遠に抜け出せれないけれどめげずに明るい人生をいかに送るかを指し示すドラマかと思えたくらいの高いハードルの設定でした。

それを返済するんだからありえない展開に走らざるを得ない設定になったようで調子良すぎの印象が大分ありました。最初はともかくとして、1000万円からの展開はオムオムさんが幾つかの条件を提示してそれを毎回クリアしていけば返済完了というロールプレイングゲームみたいな展開になっててくれればチームも組めてる訳ですし毎回それなりに「今日は何面クリア!」みたいな一歩づつ進む達成感が得られたような気がするんですけど。

全体に流れる空気感は人を慈しむことの大切さを表現されてると感じた訳ですが、アットホームなファミリーの物語にも見えたりして金より大切なものは存在するというのは理想(空想)を真面目に追いかけている現代のドンキホーテのようにも映りました。そういう意味では予想を覆す発言や行動ばかりする主人公は見ていて面白かったです。ポジティブとはこういうことを言うのかと思うと私には発想の転換以前に生まれ変わらないと無理なような気すらする意外性の塊のような人でした。そういう意味で、ありえない人間にきちんと血と智を通わせた小栗さんは一生懸命の似合う役者さんなんだなと感じます。

にしても最後の結婚式イベントは予想外な展開ではありましたがそんなんありなのと疑問符がついてしまいました。山田優さんの存在感に興味があって観始めたドラマという動機なので、ホントにこれでいいのかという感想を抱いたのであります。ついでのハッピーエンドとまでは云いませんがおまけの印象がどうも拭えませんでした。そういう部分を差し引けばそれなりに愉しいドラマではありました。でもこんな奴絶対いないとは今でも思ってますけど。

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コンケルド⑤

なんか物凄い展開になってきました。そうくるかという感じです。

いきなりヒーローモノのパロディとしてのコンケルドから始めた人にはお話しの展開としてありえる方向なのではありましょうが、以前からこのCmシリーズ見てる人にとっては感嘆の印象の展開なのです。むしろパロディという冠をつけていいものかどうか。シリアスという色味が加わるのでしょうか。

④でも書いたけど今書くことはネタバレと判断してるので内容については書かないようにしてますけど。世界は広げようと思えば広がるものです。まさか娯楽仮面コンケルドがこういう状況に身をおいていたとは。本当に真面目になにやってるんでしょうかこのお兄ちゃんは。

後、前回までの予想による誤解だけは解いておかなければ誤誘導してご迷惑をおかけしてしまうので書きます。

コンケルドの出没先は今回はおそらく公園ではなかったです。(おそらくと云うのはちいと暗ぼったかったものできちんと確認できなんだ。)

周囲の人は無視又は当たり前の日常と判断してるのかと書きましたが、今回は後ろ指こそさされてませんがしっかりと(変な人だと)笑われてました。

話はがんこ飛んでなんで今頃という話しになりますけど、去年のシリーズ(コンコルドへの道)に出てらっしゃった母と娘さんよー似てましたなあ。実際に親子という訳ではないみたいですけど。家からパチンコ屋へ向かうまでの道すがらを描くだけという単純なシリーズでしたけど、それと比べると今回の娯楽仮面コンケルドは壮大な(入り組んだ)展開のような気がしてまいりました。大分言い過ぎな表現ではありますけど。

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*ざあ

歌舞伎だかなんだかの演目「白浪五人男」での有名なセリフ

「知らざあ言って聞かせやしょう。」

で有名な「ざあ」。世間では古い言葉かもしれないが、遠州では当たり前に現役の言葉として使われている。ただし意味使いは変化している。

「しらざあ・・・・」のセリフを今の遠州弁にすると

「知らんだったら教えちゃるにい。だで、よー聞きない。」となる。

今の使い方では、「やらざあ」(やろうぜ)・「買わざあ」(買おうよ)・「行かざあ」(行こうぜ)

といった「~(し)ようよ・~(し)ないと」という意味で使われることが多い。「結婚しようよ」を「結婚ざあ」とは言わない。脱線するがこういう場合は「結婚しまいか」・。無理に「ざあ」を使うとしたら「結婚式やらざあ(まい)」。

古い使い方のほうは「ずば」「ずんば」という意味であろう。辞書によると「ざあ」は「ずば・ずんば」の俗語となっている。なので以下の使い方は方言というよりも昔の日本語をまだ使ってるということになる。

「知らざあ」(知らないんだったら)・「買わざあなるまいて」(買わなくちゃならないだろうに)

ちなみにこちらの意味は現在は「にゃあ」・「んだったら」・「んと」とかの表現に変化してきている。

「知らんだったら」・「買わにゃあ」(買わなくちゃ)・「買わんと」(買わないと)

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斉藤さん最終話

時間延長のご褒美付の最終回。いまのところご褒美付のドラマはこれが今年初めてのような記憶が。私的には今までの中で一番にさんざっぱらこらしょとテレビドラマを観た1~3月なんですがご褒美付が少ないのは私の好みがいかに普通とずれてるかの証にもなってるわけで。喜んでいいものやらどうやら微妙な感じであります。

同じタイプの人間とはある意味反発しあうもの。だから斉藤さんと三上さんは似たもの同士で仲良くない。でも交じり合わなくても理解はしている。真野と斉藤さんはおそらく正反対に近いのではないか。共に自分が持ち得ないものを相手は持っている。だからお互い尊敬し合える。しかしいくら深く交じり合っても本当のところは理解できていない。したがってはきはき即応の筈の斉藤さんでも真野に対しては計りかねてしまって海外に行くからお別れという言葉がどのタイミングがいいのか計れなくて言い出せない。

そう考えれば辻褄があうのかなと勝手に納得してたんですけど、議会に乗り込む行為に真野を巻き込みたくないからわざと辛く当たってしまった。だから言い出すタイミングが見つからずに言い出せなくなってしまったと云う解釈。(言おうと思えば幾らでもチャンスがあったじゃんって前回まで思ってたんで。)別に性格がどうのこうのという訳ではないということで、この二人が何故友達になりえたのかよく分からない状況に逆戻りしてしまいました。ま、ドラマとはなんの関係もない話しですけど。それに自分の子供にもなかなか言い出せなかった訳だし、シンプルに別離を惜しむということの表現なんでしょうか。いずれにせよなかなか言い出せなかった理由はよくわかりませんでした。

今回は噛み合わなくなった歯車の修復と別離を描いた回であったのですが、正直女性の友情は野郎に理解するのはドラマといえども無理です。それがよーく分かりました。録画だったなら早送りでちゃちゃっと要点だけ抑えて終いにしたい感覚でした。(リアルタイムで観たんでちゃんと見てましたけど。)

それにしても最終回だけに限らず、ミムラさんが主役かと思い違いしてしまうほどの感じでした。おそらくは斉藤さんというキャラクターが感情をあまり表に出さない設定の為に、単調になりがちになってしまうので、喜怒哀楽の激しい真野というキャラクターと云うフィルターを通しての斉藤さんを描いたせいによるものなのでしょうけど。原作読んでないんで知らないんですけど、原作は漫画なんですが原作でもこういう描き方をしてるんでしょうかねえ。良薬口に苦しといいますがリアルに身近に斉藤さんがいたらイタい話しです。

真野の妄想未来話しに掛ける訳ではないですが、ずうっといたら周りがどんどん斉藤さんに面倒くさいことは全部押し付けそうで、でも言うべきことはきっちり言われるからいつの間にか一同頭が上がらずどこぞの顔役に祭りあげられてしまいそうな気がします。で、最後は結局政治家になったりなんかして。よき妻・母だけで済まされない人生を送りそうな予想が立ちます。

まあ、きっちり別れを設定したということで続編とかシリーズ化とかいう野望は全くないと想像されるので、潔しという表現では云えるのですが、とりあえずは観月ありささんが見事にはまってた、高島礼子さんとミムラさんの納得のお芝居がが観れて良かった作品というまとめになります。

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コンケルド④

昨日③をやってたが今日④をもうやっていた。なんで?と思ったが、そういやあ「コンコルド夫人」のときも3月の年度末に何故か一時的に全シリーズ流れてたなあとうろ覚えで確証はないんですが思い出してきました。

ここで中身書いてしまっていいものかどうか考え、思案のあげくネタばらしになると勝手に判断したので、「見た」とだけ書いてよしとすることにしました。

今までの感覚からするとこれが普通に見れるのは6~7月くらいの予想。でも今までもさんざん予想を裏切られてきたコンコルドシリーズなので今シーズンはとてつもなく話が多いのかもしれない可能性も無きにしも非ず。

でもまあ逃げるものでも生ものでもないし時期に敏である必要もないのでやっぱ「見た」だけにしときます。感想は「いいとこまんじゅう」ということで。

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*なかまでつかいない

中まで使いなさいという意味もあるが、仲間で使いなさい。つまりみんなして一緒に共用しなさいと言う意味。(当然だが「中まで」と「仲間で」のイントネーションは違う)

もっと簡単に表現すれば「使いまわししなよ」と言ってる。

「仲間」を「共有」という使い方をするのは全国的だと勝手に思っていたのだがどうも違うらしい。どうもと云うのは方言だと思ってはいないからであって半信半疑の遠州弁としての記載。

例文

「皿んないよー。」

「仲間でつかいない。」

「えー、やだよー。ばばっちいじゃんかあ。」

「どこが汚いよー。手で掴んで食うじゃないだで汚くなんかありもしんに。」

「仲間して」という表現については「みんなで」・「共謀で」とかいう意味の使い方もある。同じようなものでは「みんなして」という表現もある。

例文

「なによーなかましてわしん悪さするだか?」

  (なんだよー。みんなで私をいぢめるのか?)

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あしたの、喜多善男第11日

高らかに勝利宣言!全話観たぞー。面白かったぞー。善かったぞー。

視聴率的には高くはなかったらしいけど、観なかった人に「ざまあみさらせ」と思わず吼えたくなる様な快感すらありまする。最初と最後だけ観たってこの感動は味わえんぞと。終わってみれば全てが緻密に作りこまれていて、それに気づかず当初ダルイとすら感じた自分が如何にドラマ観るのが下手な人間かと痛切に思い知らされた感じがします。

最初からと云うか毎回インパクトを求めるお気楽な風潮を善しとしてきた自分を反省し、ひとつの終焉に向かって着実に盛り上がってくというか登りつめてく爽快さを改めて感じました。我慢も快楽への予兆だということを。

そういやあ昔は運動中に水飲むなと云う時代で、その時の蛇口からごくごくと飲み干す水道水のなんと旨かったことか。なんかそんな感覚を思い起させてくれたような感じです。ああいう精神論根性論を優先させた行為というものを経験したことのない人達が大半を占める今としては、こういう作風は受け入れにくいもんなんでしょうかねえ。ま、いくらなんでも勘繰り過ぎでしょうけど。

で、最終回の感想といたしましては、

まず久し振りにCmがうっとおしいと思ってしまいました。Cmが展開の変化の一部のアクセントともなってると普段思って観てるんですが。「なんだよお!いいとこでえ。」と一人ツッコミしてしまいました。

そして画のなんと美しいことか。写真とそっくりの風景って。あんな風景西欧の景色であって日本に存在する筈ないと信じてたけど、マジありました。ホント綺麗でした。綺麗なとこで華麗に「体を破壊する」のは美学だと変に納得してしまいました。それに輪をかけてお芝居のセリフがいつのまにか心の叫びに替わる情感のナレーションが乗っかる小憎らしい演出で、身の回りは昨日のうちに、今日は心の整理といった全ての清算を済まさんとするかのような、後は凄惨を待つだけという盛り上げに見事にはまって泣きそうでした。

それでもいざ死に向かわんとする喜多善男の躊躇する様は見苦しいものだけれどなんか感動しました。ネガティブ善男に後押しを求める姿と平太が説得しようとする際のタメ口は生と死の葛藤が交叉する非常事態であることがビンビン伝わってきて(半々というより生のほうが強かった印象でした)、後はやり直すきっかけというか理由を捜し求めているようで。

「弱くたっていいじゃないか。」このセリフにはずしりときました。今まで搾取され続けてきた喜多善男の人生は絶望に値するものであったとしても、絶望は過程の途中であって結末ではないと諭されてる想いでした。私はこの言葉でジーンときたんですけど「カレーが食べたい」とか「なんでも言うこと聞くから」とか「頼むよお喜多さんよお」で納得された方おられるんでしょうか。確かに平太の存在は大きい筈で、利用とかではなく真摯に止めに入ると言う行為も感動もんでした。これでも納得ですけど私は「弱くてもいいじゃないか」が一番心に響きました。

華麗を選ばずカレーを選んだ喜多善男でありました。

その後の整理のような展開も大人の世界っぽくて甘くなくほろ苦いものでしたが、甘いもの好きな私でも納得の心晴れ晴れなエンディングに思えました。観始めの頃は喜多さん別に美学で終わるなら死んでもいいかあなんて考えてたのが嘘みたいにコロコロ心が変る優柔不断な私です。

振り返るとやっぱいいですわ。小日向文世さんでしょ、松田龍平さんでしょ、小西真奈美さんでしょ、栗山千明さんでしょ、生瀬勝久さんでしょ、今井雅之さんでしょ、後出てこられ方みんなすんげえ方ばっかだったもんで役者力バリバリ堪能できましたし。お話しの展開も振り返ってみれば緻密で筋が通っていたし予想外な展開で凄かったし。余韻も残るし。これで何が足りないのか私にはよー思いつきません。

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カルピスウォーター

3/18のめざましテレビで紹介されてたのを見たんですけど、最近キャラクター(タレント)的な立ち位置でのCmが多かった感のある「長澤まさみ」でしたが、久し振りにひょんきんではありますが役者さんっぽい存在で登場した感じがしたCmに思えました。

ほぼ独り芝居ではありますが、空想が妄想にとどんどん膨らんでいく様が見てて笑えるくらいの暴走感があって結構好きです。色んな人格を衣装とかの手助けなしで表現するのですから幅が広くなられたと感心しますわ。幾分悪代官と町娘の「あれえご無体な~よいではないか云々」みたいな現代に変換したパロディーにも見えますけど表情が豊かで見ごたえあります。

先輩の能天気さが救いとはいえ、オチはこれがリアルだったら冷や汗出まくりで引くだろうなとは考えたりもしますが、若さゆえの暴走ということで可愛く映ります。そういう意味では甘酸っぱいカルピスとの接点があるストーリーなので納得ではありますが。

色んなCm出まくりの長澤さんですが最近の中では役者力で魅せる作品としていいCmだなと感じました。こんな奴絶対いねーよと思えるドラマの世界にしかいない人物を演じておられてるのでエプソンの「プリントで自分磨き」編(名前がこれであってるかは自信なし)でのリアルなお芝居と比較したほうがより愉しめるのは確かでしょう。

追記

3/22、実際のCmを観て印象がえらく違って思えた。なんでかなと何度か見直したら15秒と30秒バージョンで先輩に向かって「好きです」と言った後のアングルが異なっていた。15秒ではほぼ正面からで30秒は横から遠めに映っている。

これだけの違いで15秒の方は「あちゃぁしまった。」もしくは「やべえ。でも言っちゃえ。」といった感じにとれる。対して30秒の方だと「乾坤一擲」・「自爆上等」といった感じであります。15秒の方が多少計算高いというか裏の顔が見え隠れした印象を受けます。それはそれで面白いんで否定的ではありません。

どっちが好きかといえば30秒は今までの「長澤まさみ」のイメージの延長線であって、役者さんとして新しい面を表現している15秒の方が見ごたえはあるような感覚です。

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コンケルド③

今日も大福投げが炸裂命中。標的は絶望に打ちひしがれるサラリーマン。(どこに座って嘆いてるんだよ。)

投げつけられたサラリーマンはコンケルド仮面に挑むもあっさり投げられ地に臥し赤き血潮の世界に変わりて高笑い。(軟弱そうな容姿の割には結構強い。)

いつもの決めポーズしてるとこへいつものOLが今度は同僚のOLを連れて来て、「あ、いた。」とホントにいたとばかりに確認。(凄い冷静な二人のOLその表情は少しSっぽい。)

どうやら彼の出没はこの公園だけのイベントのようである。(周りは見て見ぬ振りしてるのか当たり前過ぎる光景なのか。)

ヤンキーのようなうんこ座りして「コンコルドの間違いなんじゃないの?ふざけてんの?」と突っ込むOL。それに反論するコンケルド「いや真面目にやってるんすよ。」(どこが真面目なんだ?)

今回はえらく人間っぽい感じのする娯楽仮面コンケルドでありました。公園からの出入りではきちんと普通の人間に変身してるのか気になるところではあります。

相変わらず変な世界感を構築しているこのCm。確かいつもだと一年単位で物語を構成してる訳で、3月にして早や3話目に突入というのはコンコルドシリーズにしてはハイペースな錯覚に陥る。

なんでこれが面白いと思えるのか分からない。分からないから御託も並べられない。でもついつい見入っちゃうんだよなあこれが。

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なんとなく

安らけく 生きんが為に 何をせん

つつがなく 生きんが為に 何をなす

つつましく 息する為に 穏やかに

輪をなし 和となし 永久(とわ)となし

穏やかに 健やかにと 息をせん

急くことなかれ 飽くことなかれ 断つことなかれ

ことなかれ主義の昇華こそ

明日へと続く 道標

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*さしょうやあ

させろと言う意味。詐称やあ(嘘だあ)とか些少やあ(こまけえ)とかいう意味ではない。

「かしょう」(貸せ)・「まかしょう」(まかせろ)と同じ「しょう」という使い方の言葉。

やらせろと言う意味で「やらしょう」というのもあり、これとの違いは「さしょう」の方が強めの言い方になるということである。まあ共通語の「させろ」と「やらせろ」の違いと同じであるが。

「やらしょ」・「やらしょう」・「やらしょうやあ」と言う使い方があるが、

「さしょ」・「さしょう」・「さしょうやあ」のうち「さしょ」はあまり使わない。言いにくいからであろうか。

これが「かしょ」(かせ)であれば逆に「かしょう」の方が言いにくいのか「かしょ」の方が多く用いられる。

「やあ」は意思を示している。「さしょうやあ」の場合だとしたい・する意欲があるという意思を表わしていることになる。

例文

「あーもー見ちゃおれんで、さしょうやあ。ホントとろ くっさい。」

  (もう見てられないから私にさせろよ。本当要領悪いんだから。)

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薔薇のない花屋その10

そういえば、美桜が盲目で登場しなければならない理由。知らないままでした。とっくにどこかで説明されてたのを私が見落としているのか。とにかく今週もわかんないまま来週は最終回を迎えんとしております。

とにかく舜が登場してから急に加速感が増したようで、江戸っ子かいってツッコミ入れたくなるほどはきはき活動する舜であります。防御力が弱いからひたすら攻撃に専念するタイプの方のようで、一旦退却して作戦を練り直すというまどろっこしい事はせず、臨機応変にてその場の判断即決で最善策を捻り出すというイメージです。

英治と対極をなすキャラクターと位置づけられる舜は、英治を映す鏡でもある訳で。その比較が面白いほど明確なので、英治の人がいいのもここまでくると病んでるんじゃないのかと思ってしまいます。

「俺はいいんだ。」と云うフレーズが初志一貫して貫かれている英治の心情を余すことなく全て言い表している訳ですが、美桜が舜に放った「貴方は光なんかに近づかない。」という辺りのセリフがこのドラマの核となる部分を言い表しているのでしょうか。「愛」とドラマでは使われてますが、「情」という表現の方が私には理解しやすい言葉です。「情けは人の為ならず」。ギブ&テイク(持ちつ持たれつ)が人間関係において良好状態なのは確かなことですが、英治の「俺はいいんだ」フレーズは見返りを求めない事ばかりではありましたが、あの院長先生でさえ英治のことを見る目が変化してきています。「情けをかければいつか必ず自分のところに戻ってくる。」そういうことなのでしょうか。それにしてもここまで七難八苦の連続の英治ではありました。

それが報われるように、なんとなくのこの先の流れは、全ての明るい暖かい日差しが英治に向かって注がれそうな勢いを感じます。ただささやかな幸せだけで満足してこれた英治が今まで溜まったツケのような充足した幸福を素直に受け止めるのかどうかは来週のお楽しみというところでしょうか。少なくとも英治のそばにいれば幸せにはなれることは確かなようです。英治はマグマのような爆発性は有していない(裏の無い)性格だというのはこの回にしてようやく分かりました。あまりにも善い人過ぎていつか暴発するんじゃないのかと戦々恐々な試練の連続でしたから。

来週起こるであろう事を勘繰るに

手術は成功するのか(舜は説得されて手術室に向かうのか)。

院長先生は英治に対してどう過去と将来を清算進行していくのか。

英治と雫の親子関係は復活するのかどうか。

その他の諸々の人間関係。マスターと先生・先生と直哉・桂子+雫と院長先生・

舜と雫などそれぞれの行く末は。

花屋は再開できるのか。

ほぼ間違いないとこだろうなと思われるのは英治と美桜の関係性が堅固なものとなるであろうこと(もうなってるか)。でもなんで最初盲目を演じなければならなかったのかを教えてはくれるのかは心配なとこではあります。

これ以外の展開があったら意外で驚かされたという感想になります。

今回は寺島進さんががんこ渋くてカッコ良かったです。

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*馬鹿見た

損した・騙されたとかいう意味。失敗したというニュアンスも含まれるが「馬鹿こいた」の方が失敗という意味では強い感じになる。

例文

「やあ。行って馬鹿見た。」

「なんでえどうしたでえ。」

「店閉まいセールスだっつうもんでえ。先週ちゃっと行っただよ。ほいたらまだやってけつかりゃがんの。」

「まだ品もん残ってただらあ。」

「ふんだだこんあらすけえ。残り一点だっつうもんで思ってたよりかちいと高いもんでどうせすか悩んだだけど買っただよを。ほいたらまたおんなしもん売ってただにい。」

「店閉じまいたあ名ばかりってかぁ。」

「しかも他の店屋とたいして値段変わらんかったっつーオチまでついてるだにい。馬鹿見たらあ?」

「買えただもんでいいじゃんか。」

「なんかしっくりこんだよ。」

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ロス:タイム:ライフの常盤貴子さん

いつも必ず書きますが、私はおっかないのは嫌いです。なのでおっかないご職業に従事しておられる方を描く作品は、たとえ美化されようと希釈されようと甘く味付けされていようと特に感想はありません。

ですが今回は常盤貴子さんが出演されるということに引き寄せられて観てしまいました。いやあ絵になるお方です。綺麗とかお美しいとか存在感が艶っぽいとか色っぽいとかという表現で述べるべきでなくて、シンプルに絵になる方です。

様になる絵になるという表現が適切かと。

昼と夜のお姿ならばやはりなんといっても夜の方がいいです。

てな事ばかり書いてもあれですので多少はドラマの感想らしきことをひとくさり。

昭和と平成の境の辺りの時代設定らしかったんですけど風景が車とか含めてどうみても今でありました。今回はピッチリポーターとかいうのも登場して斬新さをアピールしてましたが、こういう切った張ったの世界とマッチしてたかどうかは評価が難しいとこではありました。

それにサッカーのルールがこの時代に理解出来てたかどうかもビミョーな空気です。まあそんなことはどうでもいいやと主人公が思ったんでなんとなく無理なく進んでましたけど。こういうのはファンタジーなんだからとやかく言うのはアホだといわれてしまえばその通りなんですけど、さりげなく気にはなっちゃうんですよねえ。

「もしものコーナー」なんだからもっとご陽気に考えろよというのも分かるんですけど、「死」に関わるテーマでもある訳で、その折衷案というか混ざり具合の塩梅が肝要かと感じるんですけど、今回はいささか甘さが強い勢いに感じました。だからこそおっかないの嫌いな私でも観れたんで感謝はしてるんですけどね。

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*だわぁ

例文

「あんた○○買うっつってんかったっけ。」

  (あなた○○買うって言ってなかった?)

「明日買い行くんだわぁ。だであんたもつきあってくれん?」

  (明日買いに行こうかと思ってるんだけど、あなたも付き合ってくれない?)

「どこまで買いいかすよー。近くなら行ってもいいけど。」

  (どこまで買いに行くの?近くなら付き合うけど。)

標準語の「わ」とは大分ニュアンスが異なる。

「買いに行くんだわ」(買いにいくのね)・「買いに行くわ」(買いに行くのよ)

共通語の「わ」には近い。

「買いに行くんだわ」(買いに行くのさ)・「買いに行くわ」(買いに行くよ)

名古屋方面の「わ」の使い方にも近い。

「買い行くんやわ」(買いに行くんだよ)

したがって名古屋から伝来した表現の可能性と共通語の可能性が両方ある訳で、純粋な土着の遠州弁だと

「買い行くもんでえ」・「買い行くだでえ」とかになる。

西の地域との違いは、「や」ではなく「だ」がつくことから推測すると共通語の変化形の可能性が高いのかもしれないがなんともいえない。

「わ」ではなく「わぁ」となりやすいことが遠州の特徴ではある。

意味としては「そういうつもりでいる・そう思ってる」とかいった感じのものと解釈している。

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