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刑事の現場第2話

いんやあ物凄い迫力でした。さかしい装飾の言葉なんぞいらないただただ「スゲー!」です。

原田芳雄さんと寺尾聰さんのとてつもない役者力にぞっこんですわ。

観れてホント良かった。森山未來さんも石倉三郎さんも池脇千鶴さんも宇崎竜童さんも真野響子さんも若手衆の頼りなさも、とにかくみんないいですわ。

欲いえば4回で終わりってのが残念ですが、中身が濃い分薄く引き延ばしたりはしない潔さと解釈して「つながっていく世界」を堪能することとします。

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エジソンの母最終話

子供の火遊び。一大イベントですな。ひょっとしたら誰にでも心当たりのあることなんじゃないのでしょうか。直接的に自分が当事者でなくても学校という範囲の中でならこういう経験したことがあるんじゃないでしょうか。

それにしても罪を一人に被せるという展開には合点がいきませんわ。あんなもん共同謀議で連帯責任を問われるべきであって、朝礼で明日は我が身のこととしてみんなで反省すべき事だと経験しておりますです。それとも現代はこういうのが至極当然な個人主義の時代なんでしょうか。人の振り見て我が振り直せという言葉は見せしめと変化してることなんですかねえ。

あいつが火遊びしようなんていうからこうなったなんて、そんなの止めない奴も悪いと言われた時代に育った人間なんで、そんな事言って自分だけ逃げたら後で仲間はずれにされるの決まってましたもの。ドラマでは自分たちが後で反省するという表現でしたけど私らの時代じゃ周りが(子供同士)ほっときませんて。総スカン食いますよ。嘘はついても言い訳するなの時代でしたなあ。嘘はばれますけど言い訳は巧妙で賢しい(さかしい)ですからねえ。「恥ずかしいまねするな」といわれた時代でしたっけ。

逸脱しますが、昭和が懐かしいというのなら、そこで生活していたルールや掟というものもきちんと提示すべき気がいたします。社会(公)は大きな我慢大会の場であったということを。みんなが共用するものには我を抑えてみんな我慢するものだと。自分勝手に思うとおりにいかなきゃ気が済まない奴は容赦なく警告を受けるのが当たり前の時代だったことを。そんなやりたいことしたいなら自分の家でやれと家(私)との明確な区別が存在していたことを。自分らしく生きるのは私で公ではないということを。

で、本題に戻りますけど、出来る限りの努力はしたが彼はそれを越えてしまって手に負えない状況に陥ったので残念ながら最早これまで。という学校の立場という展開でしたが、なんかひっかかる印象でした。業務と考えればあながち間違ったものではないですけど、「庇う」という観点から考えるとなんか冷酷とも思えてしまう感覚でした。まあ最後が良かった良かったで無事お開きな展開で結果終われましたけど。

でも大杉漣さんの存在感は凄いです。このリアル感はどこから導き出されるのでしょうか。身近におられる人を観察した結果なのか頭で構築した産物なのか分かりませんが、とにかく凄いです。今回は全てのセリフに含蓄があり、これだけでもこのドラマ観てよかったと思えたくらいでした。物凄い役者さんだと改めて思い知らされましたです。

最終回にも関わらずドラマと殆ど関係の無い感想に終始してしまいましたが、考えてみればずっとそうでした。ドラマとしてよりも企画と役者力を愉しめた作品だったということなんでしょうか。

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第62回毎日映画コンクール

3/15BSデジタルのテレビ番組でその模様が放送されていました。2月の中旬に開催された授賞式の模様なので速報性はもちろんなく。結果を知った上での番組観覧ではありますが、文字による情報だけではやはり伝わってこない人間模様の空気感が味わえて結構愉しめました。こういうのもっとやって欲しいなと率直に思いました。

ま、観ようとした動機は非常に邪まで、司会役の水田芙美子さんを観んがためだったんですけど、幸か不幸かあまりご登場シーンが少なくて、授賞式本来の方に興味が湧いて観ておりました。こういうのを本末転倒というのか趣旨迷走と呼ぶべきかはともかくとして。

決していざ盛り上げんかなと云わんばかりの大仰な演出ではないのですが、文字では表わせない賞に対する受賞者の方々の重さというのがよく伝わってきた感じです。周防監督のインタビューが素直な表現で感心いたしました。賞を戴いたからと言って作品そのものの価値が変わるわけではないけれど、次に繋がる為には大切なものだという表現は好きです。逆に受賞が足かせになってプレッシャーになるのも厭なので忘れるようにもしてるといのも、悪くとればありがた迷惑ともとれそうな発言も嘘偽りのない表現でいいなあと思いました。

日本映画の大抵は見知ってるとそれなりに思っていたんですけど、「ふみ子の海」とか存じ上げない作品もあることを知り、奥が深いというかまだまだ修行が足らぬと反省する次第でもありました。

個人的には「天コケ」を評価してる賞なら信頼に足ると考えているので、いい選択眼のある賞だと勝手に思ってるんですけど、山下監督のお名前を「あつひろ」とお呼びしてる辺りはいただけないところでした。敦弘と書いて「のぶひろ」とお読みするのが正しいであります。

んで、本来の目的の「水田芙美子」ウォッチングですが、緊張されてたということを差し引いてもその場に流れる空気感を感じ取って憑依するかの如き神妙な態度だったところは、やはりこの人はオーラ放出型ではなく受信同調型のタイプの人なんだなと改めて思った次第で。

インタビュアーの方が自分を出そうと若干自爆してた(浮いてた)感があるのと比較してみると自分の立ち位置を敏感に感じ取れる人だなあと思いました。今回は多少のぎこちなさをば感じはしましたが精一杯感であって無理してる(作ってる)感はなかったので場数踏めばお綺麗な方ですのでこういう仕事もアリなんかなと。

でも今回に限らず役者さんとして色んな異なるシチュエーションにおいても嘘くさくなくわざとらしくなくそこにいて不自然に見せないかが課題となってくるわけで、お決まりのワンパターン一発必中イメージで推す様な主役しか出来ないタイプでは絶対ないなとも想像されるのですが。それだけに無闇にひと色に染まることなくその都度適正な色に塗り替えていく順応性を必要とされると予想される訳で、切り替えが大変そうでなんか茨の道を進まなくちゃいけないようで自己管理・経験値の蓄積が大変そうだなと思わないでもないです。役者さんってみんなそうなのかもしれませんけど。

ま、その分、飲や文章で溜まりカスをぶちまけてもおられるようなので大丈夫なんでしょうけど(全部がそうだとは言ってませんです)、普段大人しい人がハンドル握ると性格変わるみたいなもんなんでしょかねえ。ブログだけでしか水田さんを知らないと痛い目に遭うのは確かなようです。次は舞台を踏まれるとかで、田舎者は当然観れませんのでどなたかのご報告を心待ちにしております。はてさてどういうお姿を魅せていただけることやら期待しておりまする。

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4姉妹探偵団第九話

嘘みたいにデカイお月様が宵の町を照らす。画的にはがんこ凝ってる印象すらするこのドラマ。そういやあ初回はいきなり家一軒燃やしてたもんなあ。つくりは丁寧なんですよね。

今回は珍しく、一気に引き込まれる動因部でした。夏帆さんは表情豊かで上手いです。アイドルとかタレントさんじゃなくて役者さんとして成功して欲しい気がしてまいります。多少攻撃的と云うか押し出しがキツイ感じがするのと、誰と接してもあまり態度等に変化がないというのが気になりましたが。まあそういう役の設定なんでしょうけどねおそらくは。気が強いと物怖じしないと言う設定なんでしょうけど、それとタメ口きくのとは同一ではないのでは?それと夏帆さんの見た目のイメージ的には聞くイメージに見えるものですから受けの人かなと思えるんですけど自分の意見ズバズバの人だったっので意外という感覚もありましたです。

ストーカーですか。見えない敵の恐怖という奴ですな。犯人が誰なのかと云うのももちろんですけど、恐怖の様を表現する雰囲気を味わうと云う手もありますですな。

って思ってたら今度はいきなり国友刑事が殺人の容疑者にって。このドラマお得意の信じられない展開が再び幕を開けました。それでも今回は巧妙で真綿で首を絞められるかのように国友に不利な状況が押し寄せてきました。おっかない人達との係わり合いに関しても、夕里子に対する接し方とは明らかに真逆の行動で国友を追っている姉御さん達の行動も予想がつきません。

正体不明のストーカーは、案外簡単に自爆してしまいましたって話しが上手すぎるのでまだあるんだろうなと思ったんですが、私はひねりが足らなかったようです。ストーカーの対象は夕里子ではない。そう来たかあですわ。そうなりゃ犯人までたどり着くルートも納得ではありました。

でもなんで国友追うのか理解できなかったんですが、それは犯人のばれちゃあ仕方ないと云う告白シーンで「恥かかせたのが許せない」という理由ということで納得いたしました。犯人の告白シーンといえば本来お決まりの筈の崖の上でのですがサスペンス劇場でもないので、豪華なお庭でのシチュエーションではありましたが、やはりここら辺りは勘弁して欲しい展開ではありました。自供するなら取調べ室でしてって思いです。この回に限らず作りがサスペンス劇場風味としたのは成功とは言い難い気もちらほらとはら法螺ひれ張れです。

全9話中、初回についでくらいの位置の面白い感じでした。今回の見所は暗中模索中の見えない敵に怯える夏帆さんのお芝居に引きつけられたとこでしょうか。言ってはいけないことかもしれませんが、4姉妹である必要性がイマイチ感じられなかったのがもったいない感は拭えない気がしました。

全体的に考えると吉沢悠さんは働きマンではじめて知った方なのですが、さりげなく存在感のある方で好感が持てました。でもやはりこのドラマは夏帆さんを愛でる作品に尽きたような気がいたします。そういう意味では役者「夏帆」の将来性を想像させる華を感じた気がいたしました。いつもぶちぶちへたれな感想書いてても全部観たのはそういう理由からなんでしょうかね。

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未来講師めぐる第九話

世間では今日が最終回。だけんど静岡県は来週が最終回。だもんでズレてるだよね中身が。まあ、リアルタイムでも内容はどっちゃみっちゃズレてますけど。

今回は最終回に向けて盛り上げる前段的な展開で、ハチャメチャ度とコミカル部分が甘さ控えめのビターな内容でした。悪の権化たる栄作おじさんに捕んまさった二人の運命は如何なる事に相成り候や。ってな具合でおました。

だけに、多少こう云う展開になるとちょっと待てとばかりにツッコミ入れたくなる悪い癖が疼きましたですわいな。口頭と云うか自己申告で「自慢」能力者であると告白した訳ですが、証明されてるというか確たる証拠を提示していないのを、何故みんな素直に信じるのか不思議であります。警察までも逮捕にまで及ぶのかと云う感じです。何を証拠にお縄を掛けれるんだろう。これでどう立件できるんだろうかと。まあ、これについてはなにか仕掛けが用意されてそうな匂いはしておりますが。

雑誌に載って記事が踊る愚民も踊るというのはそこはかとなくキツイジョークになってるのは分かるんですけど。

ご両親が実は離婚してなかったってのは意外と驚きではありましたが、じゃ何故カワユイ我が子を爺ジに預けにゃならなんだのか。経済的に逃げ回ってたと云うのでも12年間行方知れずの理由がイマイチ説得力不足。連絡というかことわりをひと声掛けといてもバチは当たるまいて。でも笑えたからまあいいかあ。

20年後にお縄頂戴の未来が今現実の光景になってるのはなんで?そこが来週にかかる展開なんでしょうね。でもこういうタイムなんたら物ってのは全うに考えると私の頭では脳みそが爆ぜます。そういう意味ではユーキの気持ちが良く分かる気がしてきました。

全体的に今回はなんかテンポがいつもよりか早かったような気がするッス。そんな一杯詰め込まれてたんでしょうかねえ。

*「自慢」が消えた、開放感と無念さが交差し揺れ動いた、その間に「自慢」をばらして「自爆」した、相談したいが今のユーキでは頼り無い、したら似た人が出現してそちらによろめいた、今度は母に相談しようとしたら新事実を知ってしまって愕然とした、また復活した。したら捕んまさった。

*めぐるを拉致せんとうごめく栄作であったが、我が子に能力ありと知って標的を変更しじっちゃんと共に拉致した。

こう大雑把にしてみると決して色んなことが詰め込まれてる感じはしないけどやっぱあれですよね、それなりに甘さ控えめな展開だっただけにめぐるの迷走具合が気忙しく映ったんでしょうかね。そう考えると今までは結構行動に芯が通ってたんですかねえめぐるは。いつもは目的に向かってまっしぐらだったけど今回は迷走しっぱなしだったからということなんでしょうか。

とにもかくにも次は最終回。能天気な善人ばかりのお気楽な世界感だからこそ心置きなく馬鹿笑い出来たけど、栄作の出現でそのエッセンスが薄くなってしまった感のある勢いですが、はてさてどうなりますやらって全国的にはもう終わってるのか。

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*んじゃさあ

それじゃあねえ、とか言う意味。

「そんじゃさあ」や「ふんじゃさあ」・「ほんじゃさあ」が省略されたもの。まあ、方言かどうかは怪しい普段使いの言葉。

「さあ」の他にも「ねえ」・「やあ」・「よを」などでも使われる。

例文

「腹減らん?

  (お腹が減ったよね。)

「んじゃさあなんかとるけえ?」

  (それじゃあさあ。なんか出前とる?)

「そうしまい。ほんでなに食わす?」

  (そうしよう。それで何食べる?)

「ピザでもとらまい。ちゃっと来るで楽だでやぁ。」

  (ピザにでもしようか。直ぐ来るから便利だもんね。)

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方言の恐怖

3/14のめざましテレビで、医師不足により他府県からのお医者さんを招く事象において、方言により患者との意思疎通がままならないで多少の混乱をきたしている事例と云うものを紹介されていた。

こう云う話しを聞くと、言葉は全ての人に伝わることが理想だということが伺える。遠州弁という方言をネタとしている私としては方言化計画を推進してる訳ではないが推奨してるという理屈も成り立つので反社会的な行為をしてるのかしらむとビビらなくもない。

で、テレビで伝えたまとめとしては、若い世代はテレビ等に接する機会が増え、核家族化少子化等で方言の伝承が消えつつあるが、高齢の人にあっては、翻訳集をパソコンで取りまとめて有効活用しようとする動きがみられると締めくくっておられた。

私のブログは言葉遊びなのでこういう動きに協力できる有用なネタは皆無だから傍観するのみだけれど、思った事はふたつ。

*方言は無くすべきか否か

*何かを訴える際基本言語が確立していないと精神に負荷がかかる。浜松では中南米から来られている人が大勢いる。長年住めば子も生まれ育つものであるが、小さい頃に否応も無く二ヶ国語を使い分けなければならない状態で、それが負荷となって言語能力に無理が生じているというレポートを見たことがある。つまり熱いものにさわってしまった時、即座に反応しなければならない時どちらの言葉が優先されるのか分からなくなるということである。

最近幼児期から英語を習わせる教育方針を選択される親御さんが多いと聞くが、こういう話を聞くとまず正しい日本語を確立させる事の方が生きる上で重要なんじゃないのかと真剣に思う。自分の意思が相手に通じないからキレるたあけものが増えてるのは言葉を知らなさ過ぎるという理由もあるのだろうと思うのです。

まあ結論というか、方言は狭い範囲で肩寄せあって生きてきた先人達の感情の発露を社会性の許す範囲内で素直に表現してきたものだから他所の衆が理解できないというデメリットはあっても、なくなったほうが良いとは思わないのが私のスタンスであります。

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鹿男あをによし第九話

今回はいささか男らしい感じの小川先生ではありました。やるときゃやらないと主人公には流石になれないようです。神経衰弱と弱気と気迫なしと及び腰とネガティブと被害者意識と悲壮主義。しかも運がない。これでもかという位負のイメージを具現化した存在の小川先生ですが、よくよく考えてみると途中経過はともかくとして一度も逃げ出し事は無い訳で。京都に来たのも逃避ではなく飛ばされたのだし、生徒(堀田)からは嫌われ周りの先生方からも距離を徐々に広げられ、鹿にせっつかれても優勝杯を目指し狐の使い番を探し鼠の運び番を追い詰めてきたわけですから根性なしと言う条件だけはなさそうです。あと早起きが出来るというのは凄い。いつも誰よりも早く起床して鹿と打ち合わせをしてるわけですから「年寄りか」と突っ込みたくなるくらいの早起きマンです。こんな危なっかしい役を違和感なく嫌悪感を感じさせることなく演じておられる玉木さんはお上手な役者さんだと感じます。誠実さが失われないとこが引力の秘密なんでしょうか。顔つき目つきも先週まで虚ろだった感じから覇気が目の中に宿ったようにも見えました。

それをサポートする唯一の理解者たる藤原先生役の綾瀬さん。悪意の無い無神経を無邪気ととるか鈍感ととるかで随分と受ける印象は異なるものですが、綾瀬さんからは好意的な印象を受けます。下手すればカマトトと勘繰れなくもない危ない役柄なんですが「天然」と云う方に昇華されているようで厭味がないですよね。表現が変かも知れませんが主人公のサポート役(助手役)演らせた時の綾瀬さんは映える気がします。

どうやって「め」を取り戻すのか出来れば頭脳戦で推理小説みたいなのがいいなと書いたのですが、見事堀田の活躍と藤原先生の知識で取り戻せた辺りは見てて気持ちよかったです(いささか出来過ぎかとも思えましたが)。その凛々しさと不可侵の部分を感じさせる堀田という不思議少女役の多部さんも適役に思えます。中盤まで謎の殆どを担ってきた重要な役でありました。ある種なんでも自分の中に抱え込む役がはまる方です。ご本人がそうなのかは知りませんが多分お芝居でしょうけどそう見えます。

引っ掻き回し役の児玉さんもその意外性でホントたぶらかされ申した。イメージ的に知的で誠実な児玉さんがまさか話をややこしくした張本人というのはこのキャスティング卑怯の一歩手前の大正解でした。周りの先生方の方がとっても怪しい人ばかりだったせいもあるのでしょうけど見事意表を衝かれた感じです。

今回判明した事は、どうやって狐の使い番が騙されたのかの謎解きと鼠の運び番のご無体な行いの理由と無駄な抵抗を描いたわけですが。なんとか神無月の最後の日に儀式が行われることが出来る準備が整ったということで来週に続くということで。さてどういう光景を見せてくれるのでしょうか。

それにしても「め」の使い道と使わないとどうなるのかを知ったうえでのご謀反だったのですね。日本全てが廃墟と化すということではないのでしょうか。半分程滅んでも研究としての重要性に目が眩むというのはことの重要性がどのくらいかと云う事に懸かってるんですよね。狂気に走って日本の半分くらい犠牲にしてもという気持ちは分からないでもない勢いでした。

余談的な展開としては、小川が先生でなくなる。つまり京都にいる理由が儀式が済めば存在しなくなるということで、いくらなんでもどうころんでもここまでくれば日本の危機は回避されるでしょうから、その後ということで小川はどうするんでしょうか。

藤原との関係は?まあ当然シルシの解除はあるでしょうし、話しが飛んで鼠の使い番は明かされるのか?(まあ剣道一家に伝わる伝承みたいなんでおそらくは大阪の剣道部の先生なんだろうなとは思いますけど)長岡先生と福原先生の関係は?落胆にくれる小治田は儀式が終わったらどうする。というか儀式終了後の「め」はどうなるかってことに繋がるんですけど。福原先生には今回の顛末を説明するのかそして説明したとしたらどういう反応をするのか。

色々と細々としたものがありますが、来週一回で全部応えていただけるのでしょうか。

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*きせる

洋服を着せるの「着せる」ではない。無賃乗車の「キセル」でもない。

蓋を被せると言う意味。つまり「被せる」・「蓋をする」という意で「きせる」という表現を遠州ではするという事である。漢字でどう書くかは知らない。

例文1

「のりしっけちゃうでちゃっとふたきせて。」

  (海苔が湿るから直ぐ蓋をして。)

例文2

「あれえ出んよお。どーして?」

「そりゃあふたきせたままだもん。出る訳ないらあ。」

車にカバーとかを被せるような場合には「車にカバーきせて」とはあまり言わないので、単純に被せる・あまり大きなものなどには使われないと思われる。蓋に限定されるかどうかは不明。

話しは若干飛ぶが「着せる」という言い方。上記での「車にカバーきせて」という場合もし「被せる」という意の「きせる」ではなく「掛ける」という意での「着せる」だと車を擬人化してる風にも聞こえてくる。こういう言い方は例えば「お人形さんにけっこい服着せる」とかいう使い方で存在する。

で、この「着せる」。共通語に訳すと「着させる」という事になるかというと微妙ではある。つまり「着させる」だと「着るようにさせる」という使役(やらせる)というニュアンスが強くなり遠州弁での「着せる」は「させる」ではなく「する」という意味合いの方が強い言い方もあるのである。

つまり使役の助動詞「す」の未然形の「せ」ではなくサ行変格活用動詞の未然形である「せ」という方がニュアンスが近いところである。

遠州弁でやらせるという意の場合「着さす」という事が多い。「着せす」という言い方もあってこちらなら「せ」は使役の助動詞「す」であると思われる。どちらも使うということで解釈(聞き取りよう)によっては勘違いされやすい言い回しではある「着せる」というのは。

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めざましテレビの渡辺さん

3/13のめざましテレビ。静岡県出身の渡辺和洋アナウンサーが高島彩アナウンサーから突っ込まれていた。

渡辺さんの「妻がやっておったので云々。」とのコメントに対し高島さんが瞬間大受けで「やってたから。」と標準語に訂正ツッコミをされておられた。

渡辺さんは三島市のご出身なので遠州弁の使い手ではないけれど、この表現は遠州でも当たり前に使う表現である。なんの違和感も不自然もない感覚だが、何故か高島さんには受けていた。渡辺さんが見た目イケメンでそのギャップからくる面白さであろうから、「そんな表現で受けるだったら静岡県くりゃあ笑いん止まらんくなるにい。」とは一概に言えないのだろうけれど。それにしてもホント受けてたなあとぞ想ひけり。

余談だが遠州弁だと「やってたもんでえ」辺りになる表現ではある。

渡辺さんの穏やかな雰囲気と地方表現を話すことが加味されることによって純朴さが加わっていいお味加減になってるんだろうけれど、こういう方言ではないが地方でしか生き残っていない表現というものは、地方に根が張ってる人間では当たり前すぎて気づけないことなので、お厭でなければキャラクター的に損じゃないと思えるのでチョコチョコ言ってもらいたいと願う次第です。もちろんアナウンサーとしてあるまじき行為であり、少数希望意見であることは承知しておりますが。

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四月はなに観よか

今殆どのドラマが佳境に入って盛り上がらんとしてる時に、次の話しをするのは無粋というものだけど。テレビ番組情報誌読んでりゃ厭でもさあ次はってな事が目に入る訳で、しかも手当たり次第観るほど時間はない。必然的に選別する防御姿勢をとることになる訳で。ホント見事に踊らされておりますです。

で、「ラスト・フレンズ(仮)」と「キミ犯人じゃないよね?」、それに「おせん」は観るだろうなと思うちょります。「猟奇的な彼女」は田中麗奈さんに興味が湧くし上川隆也さんの名前もあったのでとりあえずということで。あとは行き当たりばったりで見れたら見る感じでしょうか。四月からは今ほど観ないことになりそうです。(あくまで期待度からの予想ですけど)

*ラスト・フレンズ(仮)については、前にも書いたんですが、SGからの連なりで樹里ちゃん。同郷の遠州人ということで長澤さん。どっちをえこ贔屓して観ればいいんだという葛藤が今もって渦巻いております。ど素人の勘繰りから想像するに、「上野樹里」は徹底して造り込むのめりこみタイプであって周りに左右される事の少ない役者さんというイメージがあって、「長澤まさみ」はその場の空気感を読み取って自分を調節する臨機即応タイプだと勝手に判断してます。

かくもタイプが異なるので、ウマが全く合わなくやりづらくなるのか、人それぞれだと干渉されない分のびのびやれるのか。どっちにしてもドラマ全体の空気空間創りは「上野樹里」が構築されるものと推察いたしております。それに「長澤まさみ」が居心地がいいと感じるかどうかということになるんでしょうかね。共演の方も瑛太さんは樹里ちゃんとよくご一緒されてますしここはやはり「上野樹里」ポイントで観た方が無難な気がしてはいますです。

ドラマのお話しがそれぞれに抱えた悩みを傷を舐め合って慰めあって明日への再生というような展開ならば意識して仲良くする事が役作りの上で大切なんでしょうけど、おそらくはそれぞれの悩みはそれぞれが己の力で(仲間の手助けはあるでしょうけど)克服してくんじゃないかと予想してるんで、ある程度の離れた距離感を構築されるんじゃないかと想像しております。

個人的にはですけど別に人として樹里ちゃんと長澤さんが仲良くなるかどうかなんて、正直どうでもいい話しで、火花飛び散る緊張感を望む訳ではないのですが。絶対馴れ合いっぽい雰囲気は出してこないんだろうなあと。「女優」という定義(そんなのあればの話しですが)からすればまだそう呼べる気はしてないお二人ですが、昔っから「女優同士は火花散る」と申します。いがみ合うのはいやらしいですが心無い記事とかで「一触即発」的な表現されようともひるむことなく己の流儀で全開バリバリで行って欲しいものです。

ドラマの内容がコメディの要素がなさそうですので役者力が物言うと確信しております。辛い状況のシーンであっても観る者が目をそらさない惹きつける吸引力を期待したいところです。「あしたの、喜多善男」くらいの役者力で魅せる作品になってくれたら嬉しい限りです。

*キミ犯人じゃないよね?はSG連なりのしほりんということで観ますですハイ。ただそれだけの理由です。なのでどんな内容でも気にしませんです。

*おせんについては蒼井優さんが出演されるのも魅力ではありますが、舞台が下町の老舗旅館で、食と日本文化の乱れを正すとなっていたので内容が面白そうかなと。なので作りが安易だったら途中挫折する可能性もありますけどまずは観ますです。

*猟奇的な彼女は田中麗奈さんが魅力的ですが、オリジナルは韓国で当たった映画作品。韓国と日本の文化の違いをきちんと翻訳しないとオリジナルに対して失礼になる惧れが感覚としてあって、なんか微妙に複雑でそこんとこを上手くクリアして単純に愉しめるかどうかが鍵になるんでしょうか。

いずれにせよ、四月期は溜まった映画のDVDじっくり見直せる好機ともいえそうな感覚です。まあ一月期は観過ぎという反省もありますけど。

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いけすかあ

「行ける訳ないじゃん」と同義語。

「いかすかあ」だと行くもんか(行く訳ないじゃん)という意味になる。

「いけすかん」は気に入らない・気に食わない・性に合わないといった違う言葉なので「あ」と「ん」は聞き違う事が無いようにする必要がある。

結構感情直の言葉なのでやんわりと言いたい場合は「いけんだよ」・「いいなあ」などが使われる。

例文

「今日サッカーの試合観い行く?」

「いけすかあ。仕事休みじゃないもん。」

「休みゃあいいじゃん。」

「首んなるわ。」

因みに「いけすかん」だと

「今日サッカーの試合観い行く?」

「いけすかん。仕事休みじゃないもん。」

「サッカー好きだっつーもんで誘ってやっただに。なに?その言い方。」

となるので聞き取り間違いなき様ご注意を。もっともイントネーションは大分違うけど。

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斉藤さん第十話

動物の子別れのシーンを見てるみたい。素直に云うとそう思えました。

親交が深いからこそ別れを告げるのが辛いというのは矛盾は感じませんけど正しい事を行うに勇気を振り絞り続けてきた斉藤さんと云うキャラクターらしからぬ振る舞いに思えました。黙って去るよりか最後にパアッとご陽気に出会えたことに感謝するって方が斉藤さんらしい気がするんですけんど。息子にも伝えづらい雰囲気を醸し出すとこ見るとこういうとこが斉藤さんの弱点なんでしょうか。人間っぽいと表現すれば許せる出来事なんでしょうね多分。

ところで斉藤さんの服ってHEROの久利生公平みたいな服に見えるのは気のせいか、正義の味方の着る服はお決まりってことなんでしょうか。

設定年齢が幾つになってるのかはよー知りませんが、いくら一線を画していて尚且つ同級生の母同士とは云え、斉藤さんが三上(高島さん)に対してタメ口きいてるように聞こえて違和感を感じるんですけれどどうなんでせう。年長者には敬意をもって接すというのは斉藤さんの考える正しい事の中には含まれていないのでせうか。だとしたらちと淋しいですわ。立場が同じなら同列と云うのでは人間の一面しか見ていないとも云える訳で生きた分だけ厚みが増すんじゃないのかと思う私には引っかかるところではありました。

いよいよ来週最終回。多聞に嘘くさい設定とも思える展開の中で、ここまで観ててこれたのは、ひとえに役者力によるものでしょう。観月さんの冷静英断なぶれない私心を差し挟まない雰囲気は流石ですし、両極的な役割である高島さんのひたすら賢母に努める立ち振る舞い。その中間で右往左往するミムラさんとのバランスが良くて、お話しの筋が大分強引ではありますがそれを抑えて余りある説得力を感じます。適材適所のキャスティングの勝利か役者さんの力量からすればこんくらい当然なのかは分かりませんけど、とにかくこのお三人の存在感がとても印象に残るドラマです。

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*ため

最早全国語に昇格したが元は方言の出自らしい。しかも静岡県の。

タメ口・タメ張るとかで同格・横並びと云う意味で共通語では使われているが、シンプルに「タメ」と云う場合は同い年という意味に遠州弁では限定されることが一般的となっている。

しかもイントネーションが「タ」が強くなる。

同い年ゆえの馴れ馴れしさを含むので状況を考えて使わないと大変失礼にあたる場合が多いのでそういう出会いに興奮したとしても注意が必要である。しかも当人以外の周りは結構冷ややかである。

例文

「なんかえらく話しん合うだけど、もしかしてタメ?」

「何年よー。」

「○○。」

「おー!わしもそうでえ。じゃタメだの。」

「ほうけえ。タメけえ。そいじゃ気い使って損こいたのえ。」

「確かに!」

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あしたの、喜多善男第十日

ここまでお話が進んでしまうとリカと平太の固い絆のルーツを描く事はなさそうですが、今はやりのスピンオフとか云う奴でもいいから観てみたくなり申した。

に、しても展開の流れが前回辺りから怒涛の流れになって、少し頭の中を整理しないと「よかったあ!」と云う感想しか書けそうにもないんで、ちと順不同ではありますが整理しがつらすすめてかうかと思うちょりますです。

*みずほ。腹心の叛乱にあい警察沙汰となって現在地は警察内。されどみずほ本人は自分が殺人を指示した覚えなし。指示者が誰かも分かっていない状態。催眠とまではいかずとも三波さんの企みの後遺症によって別人格にみずほが起こしたことで現在のみずほ本人が気づいていないだけなのか。それとも保険調査員の「勘が外れたことが無い。」を鵜呑みにして、みずほに濡れ衣を着せようとしていてまんまとそれに嵌ってしまっているのか。

そしてこの状態に置いて、喜多善男を救う理由は社長辞任によって損得勘定が成立しなくなった為、死のうが生きようがお構いなしなのではないのか。だとしたら平太の「助けてくれよ。」の言葉に真剣に応えるのだろうかと云う疑問。

*平太。何の裏も無く喜多善男を救おうと奔走している。が、現在のところ効果なし。最愛のリカは取り調べ中。

*三波さん。喜多善男との面会時において企みの後遺症などではなく喜多善男本人の逃避癖によってネガティブ人格が発生したと云う事で、せめてもの償いとしてネガティブ人格を消滅させ現実とあらためて向き合う道を喜多善男に提示した。これにより、みずほに対しても精神操作を行ってはいないしまだ引きずっていると云うことも否定しているとも考えられる。少なくとも未遂であり犯罪性のない人物でありそうではある。

*宵町しのぶ。平太と同様喜多善男を救おうとしたいのだが身動きとれず脅迫(?)的なしのぶへの依頼もみずほの会社からの追放というお家騒動により効力を為さず、右往左往状態。

*喜多善男。三波さんと再会しネガティブ人格を消滅させ現実と向き合う状態に心理が変化した。一時期パニックになったが再び平太の元へ訪れた時には本来の状態に戻っていた。結局死に向かう方向への歯止めとならずカウントダウンを止める気配なし。

プンプン匂うのは、みずほにけんもほろろに振られた森脇が社長偽装殺人の犯人っぽいって事。この展開で喜多善男が死んでもなんの益にもならないという事。結局現実逃避で死ぬんだったらドラマとして11回も放映しといて成立するエンディングかという疑問。

疑問といえば、保険料払いたくないから調査してる保険調査員が、みずほが犯人ではないのではと疑う理由があるのか。あくどくはあっても冤罪は納得しないという正義感からなのでしょうか。いまいち良く理解できません。自分が保険に関する知識が欠如してるせいでちと辛い。

いよいよ最終回。目玉は社長殺人の全貌の解明と、喜多善男がどう再生されるのか。保険金の行方はどうなる。何度も書きますがこれで望みどおり死んだらホントしょーもない展開ですよ。そして登場人物のその後。甘ちゃんの私としては万事丸く収まって欲しいとこではあります。

いやあホント辛抱して見続けてて良かったですわ。最初は展開の援護なく役者力だけでドラマが淡々と進んでたように感じられて。後半からは怒涛の展開の援軍を得てばく進って勢いでホント来週が楽しみです。

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意外と意思が伝わらない表現

若い癖して「自分も歳をとった。・若くない」と云う表現。

発言者より年下の人にはどうということもない言葉だが、自身を卑下して言ったつもりでも、年上からしてみれば謙遜とは絶対とられない。むしろ年長者を小馬鹿にしてるかのような錯覚とさえとれてしまう。

こういう時は、「あいつら若いわあ。」くらいにとどめておいた方がいい。つまり相手(比較対象)を持ち上げる方が良いと云う事である。

以上は年上からみた印象であるが、逆に年下からみると「君たち若いねえ。」という発言には引っ掛かりが生じることになる。「俺たち馬鹿にしてるのか」って。

じゃどうすればいいんだということになるのだが、結論としては年齢を出来ない言い訳の理由にしてはいけないということになるのだろうか。

例文

「久し振りに体を動かしたのであちこちが痛い。私も歳とったものだと何気に思う。」反論感情(その歳でなに言ってるんだ!)

「久し振りに体を動かしたのであちこちが痛い。これくらいは平気なんて言う人は若いなあと思う。」反論感情(ガキだと思って馬鹿にするなよ!)

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*なんしょかんしょ

とにもかくにも・つまりは・いずれにせよ・要はといったまとめたい場合や結論・要点を述べたいときに云う言葉。「なんでもかんでも」というような是が非でも・ぜひといった強引なニュアンスではない。

「かんしょ」の「か」はなんなのか私には分からないが「なんしょ」なら想像できる。

「なんにせよ」が「なんにしよ」に変わり遠州弁では「に」が「ん」によく変形するのでその論法で「なんんしよ」に変わるのだがこれだと非常に言いにくいので「なんしょ」になったと考えられる。

別の妄想的な論法で云うと「なんのところかのところ」(何の処彼の処)という表現が訛って「なんしょかんしょ」となったとも超独断的ではあるが考えられなくもない。ただし元でそんな言葉が存在するかと云う疑問はある。

というヲタ話はおいといて、真面目に考えれば「なんにしてもかにしても」がどういう変形経路を辿ったかは知らないが「なんしょかんしょ」に化けたと考えるのが筋ってもんだと思われる。「かにしても」の「か」は口語形で字で書くと「彼」となるであろう。

最近は「とにもかくにも」より「とにかく」が多く使われるように、「なんしょかんしょ」とフルで言う人は少なく「なんしょ」と言う人の方が多い。もしくは「なんしょあれでえの・なんしょやあ」女性言葉なら「なんしょあれだにい」がよく使われる。

例文

「おめえの言いたいこんは分かった。なんしょかんしょあれだら?要は行きたあないっつうこんだら?」

  (あんたの言いたい事は分かった。つまりは行きたくないって言ってるんだろ?)

「なにょ聞いてただあばかっつら。行かんなんて一言もいってもせんにい。失礼しちゃうやあ。」

  (何を聞いてたんだよ。行かないなんて一言も言ってないだろ。)

「行くとも言ってもしんに。」

  (行くとも言ってないじゃないか。)

会話の中に出てくる「ばかっつら」と「失礼しちゃうやあ」には深い意味はない。なので真に受けて「ばか」と「失礼」に反応すると話しがこじれる。

あえて訳すとするならば、「ムッとした」とでも訳せばいいだろうか。

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薔薇のない花屋その9

「希望言い換えれば欲望これが意外と馬鹿にならない。」あっさり言ってましたけどなんか深い言葉です。言い換えれば「死にたくないなんとしても生きるんだと云う精神力」と云う事でしょうか。根性なしでありネガティブ人格抽出したらカスしか残らないような私には非常に耳の痛い話しです。死にたくない理由が痛いの嫌いだからと云うだけでは生死をかける手術では成功率を下げるんですね。

「自分を売り物にはしない。」薔薇を置かない花屋の理由の新しい側面からの提示でした。自らを棘のあるものとして捉えだからということでした。元は彼女が薔薇の花に特別な感情を抱いていたからと信じ込んでいただけに、はたしてどちらが正しい理由なんでしょうか。そして最終回に花屋が再営業したとしたら薔薇の花は並べられているのでしょうか。英治の過去は全て提示されてはおらず、まだ隠し球を隠し持っているということでしょうか。薄々は幼少期の孤児(?)ゆえの辛い経験だと想像されはしますが、彼女と舜との関係がはたして繋がりが存在してたのか。

今までの展開的には舜が父親だと匂わせるような思わせぶりで来ているのですがまさかまだ意外な展開ってことはないでしょうねえと思ってたんですが、さすがにそこは全うな予想通りの展開でおました。この予想通りがホットしたのかナーンダなのかはともかくとしてそういうことでした。

ここへ来てマスター(寺島さん)の活躍と存在感が光ります。英治の最大のよき理解者。元おっかないさんが足を洗ってかと思いきや元十手持ちだったと云うことでそれも個人的にホットするところです。英治の人としての相談に恋の相談かと勘違いして渾身のボケかますとことかホント愛すべきお方です(もしかしたらホントに恋の相談だったのかもしれませんが)。おっかなくないハードボイルドも決まってます寺島さん。英治が若かりし頃社会に反発してた時期があってそういう時期に当時まだ十手持ちの旦那だったマスターに色んな意味で英治がお世話になったみたいな背景が浮かんできそうです。

そんで、いきなり田園風景に展開が変わってなにすんだと思ったら美桜のお荷物と云うか足かせとも云うべき親爺の希望話が始まりました。本当に完璧に足かせ役をこなす役回りの親爺です。院長先生みたいな悪意がない分本当に始末が悪いということなんでしょうか。

そして英治と美桜の分かれのシーンに突入する訳ですが。「事実だけど真実じゃない。」それをこれから見せる展開なのか、新たなる登場人物である舜との係わり合いに絡んだこれからどうなると云う展開なのか。過去を暴くか将来を描くかと云う事なんですけど、観てる方としては、花屋は再開するのか、英治と美桜の関係はどうなるのか、院長先生はどうするのか、雫はどうなるのか、舜はどうなるのか、手術は成功するのか、マスターと先生の関係は?などなどまだまだたくさんある訳でおますが、とりあえずお決まりのラブストーリーならマスターのガツンと言うたれ!という前フリもあったから英治が美桜に行くなとなると思うんですが、引き止められない英治というものに妙に感激してしまいました。観てて歯がゆいのが面白いというのは、私おばさん化してきちゃったんでしょうか。

それにしても工藤探偵さん。この人も親爺さんと一緒で物事をややこしくする役割完璧に果たしてます。はてさて迷走した復讐に燃える院長先生はターゲットを修正してどう云う決断を下すのでしょうか。公を取るか私を取るか。

最後に出て来た薔薇の花束は美桜に届けるものだったのでしょうか。だとしたらえらく切ないお話しです。そして薔薇を置かない理由が「自分を売り物にしない。」という意味であったなら本心を届けようとしたと云う事になる訳で益々もって切ない話しです。ただ美桜がそれを知っていなければ言葉足らずと云うそしりは免れないところではありますが。結局は渡せなかったんだからどうでもいい事かもしれませんけど。

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*しょんない

*しょうがないと云う意味。あきれるようなときに使われる。「しょーもない」と云う使い方もあるがこちらは関西風に近い。

「馬鹿しょんない」となるとどうしようもない・救いようがない・ホントにつまらないとかいうニュアンスに変化する。

「どしょんない」となるとくだらん・馬鹿げた・つまらん・あほらしいといったニュアンスになる。

まあ些細な違いなので「ふんだだこんあらすかあ」というツッコミをされる方もおられるかもしれないが、突っ込まれてもそれはしょんない。

例文

「あいつきんのうもおんなしとこでこけてたにい。」

  (あいつ昨日も同じとこでコケてたねえ。)

「しょんないやっちゃなあ。おぼわさることを知らんだか?」

  (どうしようもない奴だなあ。憶えるって事しないのか。)

*仕方ないと云う意味。慰めるような場合で使われる。

「やらまいか」がまず実行考えるのはその後でええじゃないかという基本思考に対して「しょんない」はそれをフォローする言葉とも云える。

なにも全部が全部「やらまいか」で物事が上手く行く筈が無い訳で、そういう土壌を支えるためにも何か行動して失敗したとしても許すというか許容する事が重要となる。そういう言葉である。他には「まあ、の」・「ま、あれでえ」とかがある。非常に親しい場合とかには「馬鹿かおめえ」と笑顔で言うと云う手もある。

例文

「しょんないよ。しょんない。よーやっただでしょんないって。」

  (仕方ないよ本当に。良くやったんだから結果がこうなっても仕方ないって。)

意味が全く異なる部分を持つ「しょんない」だがイントネーションとかに違いは殆どなくその場の空気を読んで意味を解釈するしかないが、実際のところ聞き分けはそんなに難しくはない。

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佐々木夫妻の仁義なき戦いその7

第8話の展開ですが、さすがにここまでくると観ていて疲れて参りました。旦那の方には悪意すら感じ取れるあざとさが目に付いて、誠心誠意とストーカーの違いを取り違えているかのような錯覚を憶えました。普通はああいう行為でほだされるもんなんですがねえ。

もちろん最後の大一番に向けての前フリで、そういう作り手の意図にまんまとはまっているんでしょうけど、ここまで離婚の正当性を歌い上げなくてもいいんじゃないのホームコメディなんだからという想いですわ。同性愛的要素も含ませ始めている訳ですから、違った形の愛情というものを描くお話しかもしれないのでしょうけども、なんか心が安らぎません。

一難去って又一難どころか転げ落ちてく一方のようです。旦那の神経過敏度合いが狂気に近づいていくような展開は御免こうむりたいところです。エンディングに余程のご褒美つきのハッピーエンドが待っていなければ堪ったもんじゃない展開に思えます。とても元の鞘に収まる感じがしませんし、だからといって無事離婚できて目出度し目出度しならば大分しんどい感じです。どんなウルトラQな幕締めを用意されておられるのでしょうか。

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姑獲鳥の夏

実はこういう作品は不得手で、普通は手を出さないんですが、DVDが「魍魎の匣」公開記念とかで安かったんで、価格に引き寄せられて買ってしまいました。なんで映画館では観とりませんです。

で、予想通り観念的で、正論が積み重ねられたものでしょうけど、私みたいに感情で映画観る人間には厳しいっす。

しょっぱなから頭が爆ぜそうな会話で始まり、もうそこら辺りでついてくの放棄しました。なのでもうなんでもアリだと思ってたんで最後これが夢だったなんてオチでも許せる感覚でした。考えるのを放棄すると結構見れるもんなんですね。初めてに近い経験でした。途中でやめようと思わなかったのは役者力に引き寄せられてのことでしょうか。

現場に一度もいかずとも事件の全容を見通してしまう京極堂と、一度訪れて大勢を見極める榎木津探偵がウルトラマンみたいで最後に決めてく様は爽快でもある訳ですが、関口役の永瀬正敏さんが上手過ぎて、思いっ切り関口が構築した概念の世界の中で共に迷走しまくってえらく疲れました。唯一の救いは原田知世さんがお綺麗で見取れてたことでしょうか。永瀬さんがとにかく映画全体の空気感造りまくって決めは主役に任せたぞみたいな雰囲気で堤さんもさぞかし大変な事でしたでしょうに。

普通事件の謎解き時間って謎が解き明かされてびっくり納得晴れて爽快ってなるんですが、京極堂のセリフじゃないですけど「知らない方がいいこともある。」って言葉が一番納得しましたわ。不可思議な出来事を知的好奇心で解き明かしていく作品と想像されますが、知の欠落してる私には猫がやけに目に付いて「猫が怨念。」と冗談呟きながら見るのが精一杯でした。

でも、結論としましては、2、000円を切る価格というのは魅力的であり思わずよろめいてしまうものであります。この際苦手なものでも挑戦してみようと思わせる額です。アニメのDVDが特典満載の高級化してる傾向にある今、お得価格で挑戦者への間口を広げる戦略をとられたほうがいいような気がするのは世迷言なのでしょうか。

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ゆれる

私の記憶の範疇ですけど、浜松では映画祭とかで田町だかのK-Mix辺りで監督をお招きしてのトークショウを兼ねた上映が一度行われただけらしい。なんで実質DVDでしか観る事の出来なかった作品。

雪だるま式に評判が膨らんでから観た作品なので、評論されてる方で前評判に振り回されてどんだけという期待が大き過ぎてなんたらかんたらという批評を読んだことがありましたが、まさしくそんな感じを受けました。でもいい映画であることに間違いはないということに異論はありません。

出だしからして、懐かしい訳ではないけど押入れから久し振りに出して観たような古い見慣れた映像のような気がしました。傷だらけのなんちゃらシリーズみたいな時代です。なんか意味不明な緊張感があってストレートなんだか象徴的比喩なのか理屈じゃなく感性で勝負しろみたいな挑戦状を突きつけられてるみたいな感覚です。ついてこない奴は置いてくよみたいな「ちょっと待ってよアニキ~」ってな感じです。

そういうなんか男っぽい感じのする映画ですが、監督さんは西川美和さん。言葉の端々とかにきめ細かさを感じたりもします。明朗快活とは程遠い心理の葛藤戦の割には結末が綺麗で、なにより噂どおり役者力でぐいぐいの説得力のあるお話しです。ぐうの音もでないほどの推進力で引っ張られてしまいます。とにかく余韻ががんこ残る感覚で後引き感は凄いです。119分となってますが体感的にはもう少し長く感じました。罪と罰とかではなく罰と罪悪との葛藤を描いたと表現すればいいんでしょうか。

観てる者への裏切りもあり登場人物たちに感情移入できるくらいの描きこみも濃厚で、しかも役者さんがいいときたら。こりゃ確かに評判いいのも頷ける訳ですが、自分で発見したんじゃなくて人がいいからと云う事で観たみたいな負い目があるんでしょうか。なんか興奮感が沸かないのは淋しい限りです。ホント時流に乗るというか映画館で観なくちゃ置いてけぼりをくらうのはつくづく損だなと思えるひねくれものの私です。今頃になって感想書くのは、何度か観れば勢いが変わるかしらむと考えていたせいですが、やっぱ何度見てもぐうの音もでないことに変わりが無いので書いとくことにした次第で。

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*いっこく

この道一筋とか頑固者とか自分流を通すなどの人の事を指して言う言葉。

ただこれが方言かと云うと「一刻」と漢字で書くれっきとした辞書にも載っている言葉で、しかも意味もほぼ同じなので方言ではないと云えるのではあるが。他の地域では廃れているかもしれないのでとりあえず記載。

「強情」とどう違うかと云うと「強情」は感情的に頑固という感覚で、「一刻」は経験上得たなどの生き様(ライフスタイルなど)とか仕事手順等に固執するがための頑固という感覚で使われている。一刻で強情だったら誰も寄り付かないので現実的に両方兼ね備えてる人は希少ではあろう。

他にも「一徹」とどう違うかというのもあるが、辞書などでは「意地っ張り」という訳が多く、「頑固一徹」とは言っても「あいつは一徹だ」というような使い方はしない。その点「あいつは一刻」という表現があるというのがその違いであろうか。おそらくは感情的か信念的な使い分けという違いではなかろうか。

例文

「あいつぁだめでえ。いっこくだでいったってきかんにい。」

  (あいつに言っても無駄だよ。頑固者だから人の言うことなんか聞かないよ。)

「いつまでもど古いやり方やっとったじゃ駄目だらぁ。わしんゆったる。」

「言ってもしょんないでやめときない。」

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