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のだめカンタービレ・第一夜(陰の感想)

陽の感想と食い違うといわれるかもしれませんが素直に思った事を書くと陽と陰が交叉するのです。いやあ愉しめたと思う部分と、そうじゃない部分とが。

SGファンの残党を名乗るものとしては、鈴木友子こと上野樹里さんの事を語らんでどうするというのだめですが、何故かテンションが高くならないです私。勿論ドラマは好きですよ愛すべきキャラクター達ばかりだし樹里ちゃんのギャグセンスも日の本を代表する若きコメディエンヌの名に恥じぬハマリ具合ですし。充分満足いく楽しさと真面目さでした。

しかし音楽。それもクラシックですから当たり前ですが素人です私は。でも聴くには聴くので無知と言うほどではないつもりなんですわ。で、本物の音楽に近づけば近づくほど役者さんが演じる事の限界みたいなものが見えてきてしまうようでちと切ないのですわ。唯一玉木さんが近づいているのはせめてもの救いでしょうか。

音楽も本物場所も本物演奏も勿論という環境の中で、真っ向勝負に演じているが故になりきる演技と言う領域を越えているような、物凄いレベルを役者さんに要求し過ぎてるんじゃないのかと。

ストーリー上のお芝居については安心して見ていられるんですけれど、実際の演奏での演技でのシーンでは白けるとかじゃなくて違和感を感じてしまうのです。ほんとにいいのかよ恐れ多いんじゃないのかよといった感じです。敷居が決して高いわけではない世界だというのはこのドラマで改めて知ったと言う部分はあるんですが、本当に小さな些細な事なんですが引っかかってしまっているんですわ。

それらしく見せる方法なんて幾らでもあるだろうに、それでもこういう真っ向勝負で描く今まで見たこともないパイオニア的な作品だからこそのざらついた違和感なのでしょうから、応援賞賛を送らなくてはいけないと思ってはいるのですが、感覚的にどうも乗り切れてません。

それはどうもというかおそらくは、SGが実際にガールズ達が演奏した事によって生まれた感動や躍動感という表現を味わってしまったからでしょう多分。エアギターはボディランゲージという世界であって音楽表現の手段ではないじゃないですか。実際に演った者だけが表現出来うるものってある筈だと信じてるんですわ。のだめのメイキングというか番宣の番組で「成長した~を見せなきゃならないんで・・」という表現をされてたように演ずることでは表現しきれない領域ってのがあるのかなと。

音楽ってそれだけ深いってことで、しかも設定が性格はおいといてエリート(選ばれし者)達じゃないですか。浜松ではピアノコンクールがあってそういうものに参加してくるエリートを実際に見れたりもするんですけど、名もなき若き者達ばかりですけんど間違いなく音楽に捧げ物をしている空気感を感じます。

SGの奇跡は等身大の音楽だからでしょうか。ガールズ達本人が最善の努力を積み重ねれば到達できる領域と役が最高にリンクしたことによる奇跡だったような気がします。まあ改めてSGは凄いなと思い直した次第で。

さて第二夜は樹里ちゃんの番。この思いが払拭できるかどうか愉しみです。

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のだめカンタービレ・第一夜(陽の感想)

とにかく凝ってますなあ。気合充分って感じが伝わってきますスタッフさんも役者さんも。番宣というかみどころ紹介番組見てから臨んだので余計そう思えます。

マンガから飛び出したキャラクター達ばかりですから誇張の嵐が吹きまくってるので話半分で丁度いいくらいかなと想像してたんですけれど、

前半部分のテンポのよさは快感ですな。言葉の問題をこうやって片付けるのかと感心しきりです。強引ですがこの世界なら納得してしまいます。のだめ自身の言葉の壁もありえない手段だけどのだめらしい展開で無事こなしてしまうし確かに無敵ですわ野田恵。

音楽をぶち切りにせず画面を入れ替え品を替え対決の図式を描くと言うのもお気に入りです。音楽に対しての尊敬の念というか大切にしている想いが伝わってきます。モルダウは特に好きなので使い方に騙されたかなと思ったりもしてますけんど。

後半部分はやけに地に足が着いた人間らしさが見えたような気がします。でもドマジでシリアスな色調だったら決して明るくはならない苦悩からの脱却という内容のお話なんで、のだめが来てからはもう少し浮いてても(小ネタギャグ満載でも)いいかなと欲張りな感想も多少あります。

お話の流れも世界観が崩れることなく安心して観れました。玉木さんの痩せすぎに思える容姿もストイックさの表われのようで、かえって好都合というかやけに苦悩が似合います。まさかとは思いますが、この役の為にこういう役作りをしてきたのだとしたら凄い執念だなと。トップアスリート故の苦悩でなくてはならない、凡人の領域ではない感性においての話しなのですが、選ばれし者が更に高みを目指すために選ばれんとするための通過の苦しみというのがきちんと見えてたような気がしました。

樹里ちゃんはノッてる勢いみたいな感じが伝わってきて凄く眼が生きてる感覚を憶えました。まあノッてない樹里ちゃんって見たことないんですけどそれでもいつにも増してということで。「はあーい」と「ばぁーい」という発音と言うか言い方は相変わらずいいですよね独特で。第一夜は玉木さんの回なので感想はあっさりと単純にしときます。

でも「のだめ」というキャラクターって音楽以外は大丈夫かこいつと思えるくらい生活力がないのに、いきなりおフランス行ってどうしてこうも言葉とかも含めて自分らしく生きてけるんだろうと不思議ではあります。どこにいても「自身が我が家」なんでしょうか。私みたいにすぐホームシックにかかる土着性の強い人間には分からない部分でもあり羨ましいと思える部分でもあります。

唯一私が駄目というか苦手なのは白目をむくことです。マンガだから絵になっても人がやると絵になるとは思えませんでした。

前後編各2時間半づつの長丁場。映画並みという表現もありますが、合わせて5時間ですから映画館で観たんじゃあヘロヘロになっちゃいそうな気がするので、これで正解のような気がします。でも下世話な話し元取れるのかなあと心配になるくらい金銭的・人的(知恵も含めて)に多くのものを費やして創られてると感じます。

今頃樹里ちゃんとか玉木さんの応援サイト辺りは感動感動の大騒ぎなんでしょうね。無理もないことと存じます。納得ですわ。

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*こらしょ

一杯・沢山・たんと・しこたまといった意味合い。これでもかという勢い。

共通語の「どっこらしょ」とどう関係があるのかは定かではないが、意味は全く違うので他言葉の空似の可能性が高いが、「よいしょこらしょ」を「よいしょ、これでもか(動け)」と訳すと共通性が見いだせる。

以下は勝手な推測であてずっぽうで根拠はないが、動かす・片付ける等とにかく移動させる・全部使い切るなどする際にはどっこらしょと掛け声というか勢いをつけないと減らないくらい沢山ということで「どっこらしょ」が「こらしょ」に何故か変形して使われるようになったのかもしんない。

こらしょとある。

この上をいく表現としては

「くさるけにある」(腐るほどある)・「いらんけにある」(いらないくらいにある)

と言うものがある。これに比べれば「こらしょ」は捨てるほど余分なわけではなくてただ沢山あるという表現であることが分かる・・・ような気がする。

例文

「おー風邪はあ治っただか?ま、無理しんとと言いたいとこだけど休んだ分仕事貯まってこらしょとあるでの。まあ頑張ってくれやあ。」

「ちったあ手伝ってくれるだらあ?」

「馬鹿こいちゃかん。見てみいわしの机。向こう見えんらあ。わしだっていらんけにあるだで、どこに助ける余裕なんかあるだ。」

「うー熱ん出てきた。帰っていい?」

「ばかっつら。いい訳ないらあ。なにょ寝言こいとるだあ。」

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年末年始の番組その2

年末年始のテレビ番組、結局なんにも見ることなく寝正月で過ごしてしまった。風邪をひいたというせいもあるけれど、バラエティ馴れしてないせいであろうかどうもイマイチ食指が動きませんでした。もちろん私の視野が狭いと言う理由もあるんでしょうけど。

作り手が錬りこんだセリフとか画面の端まで手を掛けた100%創造力で成り立ってるドラマ主体で見ていたせいからか、昔のドリフみたいな作り込んだものじゃなくなったせいなのか、最近のバラエティは何故か緊張感があるといってしまえばそれまでなんですが、リアルな人間のハプニングというか意外性というか即興性なものに目が行ってしまって落ち着かないんですよ。それでいて洒落にならない終わり方にならないように努力邁進する姿は「大変だなあこの空気読みドラマは」と思わずにはいられないのです。

特にこの時期って、役者さん・スポーツ選手・タレントさんとか異業種入り乱れての異種格闘戦という部分もあるじゃないですか。笑わすのが商売の方と感動を与えることが商売の方と夢を魅せてくれる商売の方がいっしょくたあに出てきて見てる方はどうすりゃあいいんだ?笑っていいのか?って悩むところでもありますわな。

瞬発力と閃きの世界の中で出演者ご本人の裁量で描き出される世界と言うものは、映画などとは真逆の位置に属する世界だなあとつくづく思います。それを否定する気は毛頭ありません。そういう位置におられる方々が才能だけでそこにいるなんて全く思ってませんから。精進と努力や根性の塊なんでしょうね多分みなさん。選ばれし勇者として敬意は表してますよ勿論。

でもなんだろう、暗黙の序列とか配列などというものも垣間見えたりなんかして、ある意味現実社会と変わんなくてイタイ部分も見え隠れしてるような気がしないでもないです。

まあ馴れの問題なんでしょうけど、ドラマにバラエティにと、オマケでスポーツとかなんでも愉しめる人がいたとしたら凄いなと尊敬してしまいますわホント。

作り方でもリプレイと言うかCMを間に挟んで少し巻き戻したところからまた始まるってのは盛り上げる手法なんでしょうけれど私的には「もう見たよ」という感覚ですしどうもついていけなかったです。プレイバックする必要なんてあるのかなと。

それで、ドラマについては再放送のオンパレードだったような気が特にするのは気のせいなんでしょうか。いきなしSP再放送ですもんねまだ終わってないのに。

何が観たかったのかと問われたら、非常に月並みなんですが歌・ドラマとかそれぞれ専門業種のその道のトッププロ達が集って年末は今年一年を振り返ってと、新年では今年なにやろかとかいうのを異業種のバラエティとしてではなく、それぞれの業種の特番ごとに一同うち揃っての雑談っぽいのをまったりと見聞きしてみたいです。正月はそれなりに時間あるんで、もっさりでも構わないんですわ。

これだけ人も方向性も多種多様になって、昔みたくに一人の「スター」に全てが集中する時代じゃなくなっているんだから、より専門的にその道に進む方がDEEPでいいんですけどね。今専門的っていったら「お笑い」の世界だけじゃないですか。もっと色々あってもいい時期なんじゃないのかなと。もっとも視聴率は稼げないでしょうけどその道のヲタクには堪らないと思うんですけどね。じゃあ具体的にどういうのがというと年末年始番組じゃないけど「タモリ倶楽部」の鉄っちゃんネタなんか面白いですよね。私は鉄っちゃんじゃないですけどみんな本当に愉しそうでDEEP(専門的)ですもん。

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*や・やあ

「買やいい」・「買やあいい」・「食やいい」・「食やあいい」

「や・やあ」とは(~えば)と言う意味合いになる。上記を訳すと

買えばいい・食えばいいとなる。

「や」と「やあ」との違いはあまりなく、しいて挙げると「や」は断定的で「やあ」は~する気があるんでしょといった感じのニュアンスになる。

「買やいいじゃん」。買えばいいでしょ。

「買やあいじゃん」。買う気があるんでしょ。

否定で使う場合は、「や」は断定的で変わらないが「やあ」は~する気がない・意思がないというニュアンスになる。

「買やせん」。買おうとしないとか買わない。

「「買やあせん」。買おうとする気がないとか買う根性がない(多少強引でし)。

例文1

「これ欲しいだよなあ。でも金んない。」

「買やいいじゃん。後で買わんくて後悔してぐちぐち言われちゃかなわんで。」

  (買えばいいでしょ。買わなくて後でやっぱり買っとけば良かったっていつまでも根にもたれたんじゃ堪らないからね。)

例文2

「これ欲しいだよなあ。でも金んない。」

「買やあいいじゃん。ここで我慢したってどうせ買うだら?」

  (どうせ買う気なんでしょ。この場で我慢できてもまた欲しくて我慢できなくなるんでしょ。)

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*なにしい

なにをしにという意味。

例文1

「どうしっかなあ。来たはいいけど存外高くて買う気が失せた。」

「あんたなにしい小一時間もかけてここまで来ただ?これで買わんと帰ったらただのアホじゃん。」

「そう言わんとお。これ買っちゃうと小遣いなくなっちまうだにぃ。それともなに?小遣い足してくれるだか?」

「ばかこいちゃかんて、どこにそんな金あるよお。買えんならとっとと帰るかあ。」

「アホといわれて帰るのもしゃくだしなー。」

「こだわるのはそっちかい。」

例文2

「あれ?わしなにしい来ただっけか。」

「おーいはあボケただか。しゃれんならんにー。ホントなにしい来たよー。」

「これで戻ると思い出すだよな。」

「今からこんなんじゃ歳とったらどうせるよー。」

「疲れてるだよ。単純にぃ。」

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猫の餌やり

生きとし生けるものに自愛の精神で接して何が悪い。人だって誰かに何かに迷惑を掛け続けていなければ生きていけない生き物ではないか。存在するものはしょうがないじゃないか。自然に生きるなら受け入れて共存すべきだ。

動物ごときに自分の生活リズムを犯されたり狂わされたくない。いるといないとでは明らかにいないほうがいい。以前米国で橋が崩れた原因が鳥の糞による腐食だったそうじゃないか。いていい場所と悪い場所というものがあるんだから生活の場で共存なぞ考えない方がいい。

野良猫に餌をやることの功罪というものを読んでの思ったこと。猫に限らず鳥の餌やり野生動物の餌付けなどやる側の理由とやらない側の理由は食い違う。

私的には、鳥は光るモノに対して攻撃性があるのか、バイクや車のミラーにしょっちゅう糞をかけられて怒れている。鳥の糞の腐食性は半端ないすからねえホント。それでも「とりぱん」とか読むと癒しと感じてしまう。俗に言う都合のいいケースバイケース主義。極めて軟弱なATフィールドを張った使徒みたいなものだろうか。ガンジス河でバタフライなんてドラマの中の他人の出来事だろうなきっと。

躾と言うかお互いが得するルールというものが成立してる関係ならいいんでしょうけど野性に躾なんてね普通無理でしょう。人間の側が折れるしかないような気がするのですが、その度合いが人それぞれ過ぎて軋轢が生まれるんでしょうね。人間が食物連鎖の頂点にいるという驕りがある限り人が生活する場所は人間のものであって野良に餌やるだけで後知らんという事は無責任といわれるんでしょうね。共に生きるなら責任をもって「飼う」という管理下におけと。

でも共存を願う側にしてみれば、友達を管理する人はいないだろうし他種族であろうとも相手の自由を尊重するというのは包容力の大きさを感じるわけでもあるのでそれは羨ましい限り。

で、お前はどっちの立ち位置なんだと問われても、修行が足らないのでどっちつかずのどちらもなるほどと思う「うなずき族」なんですわ。でもいつかは優しい動物になりたい傾き具合です。すけなくとも餌をくれてる人を見ると優しい人なんだと思うし迷惑だから止めろと言うことはしていない。

ちなみに「すけなくても」は(少なくても)と(助なくても)を掛けた遠州弁的な表現です。どうでもいいことですが。

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いざよい(ためらう)

いざや十六夜(いざよい)徘徊し

ひやかしまやかし賑やかし

はぐらかしたるさまぞいとをかし

現(うつつ)の裏の万華鏡

覗きて何が見えるやら

所詮飽く撰身につきゃせん

豊かにならずもまた明日

テレビやマンガばっかり見てると駄目ですよと子供の頃よく注意された。確かに実になるものは少ないけれど、明るく生きる道具としては重宝なのだと思う。

普通に生きてく為のスパイスや栄養剤として、今年もいい作り物に巡り会いたいものですなあ。なにを良しとするかは問題だけれども。

ま、でも依存症にならぬよう適度な距離と言うか醒めてたほうが良し悪しを感じ分けることには楽なような気が最近してきました。でもやはり醒めたとしても能天気だけは譲れません。

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*あたまいいじゃん

頭がいいじゃないの。要はいいこと思いついたねと言う意味。共通語だと「なるほど」と同じ意味合い。単純に感心したときに発せられる表現であって、小馬鹿にしてる訳ではないので、そういわれてムッとしてはいけない。

例文

「どうせっかなあ。」

  (どうしたらいいんだろう。)

「そんなの○○すりゃあええじゃん。」

  (それなら○○すればいいんじゃないの。)

「おお!おめえあたまあいいじゃん。」

  (おおそうだ!なるほどいいこと言うね。)

「こばかにすんじゃねえよ。こんくらいちっと頭使やあ誰だって思いつくらあ。」

  (照れるじゃないか。これぐらい頭が冷静だったら気がつくことだよ。)

「こばかにすんじゃねえよ」と言ってはいるが顔はそうでもなく褒められて(感心されて)にやけて笑ってるのが普通。あまり人を褒めない部族のせいか「頭いいじゃん」は上級の褒め言葉として使われることが多い。冷やかしとか皮肉厭味で使うことはほとんどない。冷やかし等の場合は

「あたまいいだの」(頭いいんだね)・「あたまいいだか知らんが」(頭いいのかもしれないが)

などが使われる。

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春追い

てふてふ舞い飛ぶ春のよに

てくてく歩くはなんのため

ただただ息をせんがため

ただただ生きとしんがため

止まらば子らに捉んまさる

止まれば冬に捉んまさる

夢から夢へと食い繋ぎ

春よ春よとてくてくと

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東海で韜晦

書くは自由の地獄絵図

出すは勇気の誉れども

読めぬは現(うつつ)の戯言(ざれごと)か

命短し襷(たすき)は長し

なにもしなけりゃ始まらぬ

なにもせずとも終わりなく

今に今にと世は深ける

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謹賀新年

金運がしんねん。いやいや今年こそは気運が新念。気運を新たに念じていい年にせすかいのう。いやさ、せまいしまいそうならまい。

なんしょそうならにゃかんし、そうしんとかんらあ。

ってほいたらなにやらすだ?決めてもいもしんに、をたこいたじゃかんでのー。

とりあえずは無病息災からいかすかのえ。

ま、そこらん無難だの。難が無いだでええこんだら?そうしまい。

共通語訳(すごい強引ですが)

明けましておめでとうございます。新年を迎え新たな気持ちで今年が今まで以上に気運が増すよう祈願すると共に、まずは無病息災。安寧な年になるよう日々を積み重ねて参りましょう。

尚、あくまで言葉遊びですので、遠州での新年の挨拶がこうだと言うことは決してありませんので、くれぐれもお間違いなきよう。

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19年締めの記事

人の数ほどに幸せの形はあるけれど

今年一年の私の幸せは

誰かを踏み台にして成り立ってはいなかっただろうか

百八つもの鐘を聞き終わったら

抜け殻だけでなにも残ってはいないのかもしれない

人を幸せにすることは出来なかったけれど

365日とりあえず息してました

生物としては幸せなんでしょう生きながらえて

明日は来年

今想うと鬼が笑うとか

とりあえずは鬼に笑顔をプレゼント

いいことしたぞと縁起良し?

良い今年たぞと縁起良し

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*こうるさい

小さく(少し)うるさいという意味ではない。物凄く(しつこいくらい)うるさいと言う意味。全国的な言葉で遠州弁なのかは疑問が多いが一応記載。近い共通語だと口うるさいが近いのだろうか。

系統としては粋(いき)と小粋(こいき)とかしゃれた(洒落た)とこじゃれたのようにニュアンスが変わっても大まかな意味が変わらないものの部類に入ると思われる。癪に障る(しゃくにさわる)の癪に小と言う字がついて小癪な(こしゃくな)となるようなもののように、癪の意味が不愉快で腹が立つであるのに対し小癪なはなまいきなという意味でまったく異なる意味になるものもあることからそうだとは言い切れないのだが。もしかしたらうるさいにこうるさいの「こ」がつく理由は別にあるのかもしれない。

大体が「小」をつけてうるささが増すというのは、がてんがいかない話ではあるが、そうゆう使い方になっているのだから仕方ない。全く根拠のない推量であるが「小」ではなく「誇張の誇」なら納得できなくもない。しかし一応辞書で調べると「なにかにつけてあれこれとうるさい」ことと書いてあるので小さな(些細な)ことまでうるさいということであろうか。それなら納得。

例文1

「ひゃあひゃあいわんだっていいじゃん。あれっぱかのこんでえ。」

  (そんな口うるさく言わなくてもいいでしょ。あれくらいのことで。)

「きんのうあんだけこうるさくいったって、あんたゆーこときかんだもんでかんだよ。今日と言う今日はわし気い済むまでいわしてもらうでねー。」

  (昨日あれだけ何度もしつこいくらい注意したのにそれでも人の言うこと聞かないからじゃないの。今日と言う今日は気の済むまで言わせて貰うからねえ。)

例文2

「あれえ。今わし名前呼ばれたにい。」

  (あれ?今俺名前呼ばれたぞ。)

「呼ばれたのえ。」

  (呼ばれたねえ。)

「ええだか?」

  (いいのか?)

「なにがよ。」

  (なにが?)

「今、個人情報がああたらこうたらっつってこうるさいってゆうじゃん。」

  (今は個人情報が口やかましく言われてるじゃないか。)

「ああそうけえ。」

  (ああそうなのぉ。)

「ええだけ?」

  (いいのか?)

「はよ行けや呼ばれてるだで。おめえの方がこうるさいわあ。」

  (もう早く行けよ呼ばれてるんだからあ。お前の方がよっぽど口やかましいわ。)

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雌伏の時と至福の時

えらい違いではある。でも読みは一緒。

だからなに?と言われてもはいそれまでよ。解けて流れりゃみな同じってことでええじゃないか。

マゾと呼ばれようとも堪える時こそ誉れなり。

至福も雌伏も裏表。

そう思って生きてかんとやっちゃおれんて。

いざ、正に今ぞ「しふくの時」。

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いいじゃん別に

棒読みの意味ではいいじゃないか別に(問題は無いだろ)。特に方言と言うことではない。

例文

「この道進んでええだかいやあ。」

  (この道進んでいいのかなあ。)

「いいじゃんべつに。違やあ戻りゃええだで。」

  (別にいいんじゃないの?違ってたら戻ればいいんだから。)

別の意味で、ほっといてくれよとか余計なお世話といった使い方をする。省略形で「いいじゃんか」と言うのもあるがこちらは多少軽めの拒絶感になる。強めの場合は「うっさいなー」を使うことが多い。

例文

「あんたあ行儀悪い格好しちゃかんぶしょったい。」

  (ほらあ、行儀の悪い格好しない!見苦しいんだから。)

「いいじゃんべつにぃ。誰も困りゃせんだで。」

  (うるさいなあ。誰も困る訳じゃないんだからほっといてくれ。)

「いいじゃん別にほっといてやー」とフルで言えばより判り易い。ただし拒絶感は強めになる。

例文

「いいじゃん別にぃ。ほっといてやー。」

「あっそう。人がせっかくいってやりゃあそういう口の利き方するだ?そんなこんゆーならワシはあどうなっても知らんでねー。好きにすればいいじゃん。」

「そんな言い方してもしんに。やりやすいようにさせてっていってるだけじゃんか。」

上の例文は、拒絶はしたものの思ってる以上に相手を怒らせてしまったので自分の態度を軟化させた様。

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