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星新一かあ

本読みの変遷と言えば、小学生の時にはシャーロックホームズにがんこはまって。中学で芥川龍之介に染まり宮澤賢治に憧憬して、そんで高校時分には星新一にはまってたなあ。そのあとは司馬遼太郎ワールドを丸鵜呑みしたり寄り道して柴田練三郎とかの江戸噺に向かったなあ。

そんなこんなを懐かしむ理由は最近某局で星新一ワールドを色んなクリエーターさんが紡いでるのを知ったから。因みに観てません。だって「アナログ」という表示が邪魔でしょうがないから。でもまた読みたくなってきたのでテレビでの効果というか影響があったことは事実。

とりあえず家の本棚にあって今すぐに読もうと思えば読める本を眺めてみると、順番(発行年数)は順不同だけど列記すれば

きまぐれ博物誌・進化した猿たち・ほら男爵 現代の冒険・殿さまの日・おかしな先祖・祖父 小金井良精の記・ごたごた気流・未来いそっぷ・妄想銀行・おみそれ社会・ようこそ地球さん・エヌ氏の遊園地・ノックの音が・ひとにぎりの未来・盗賊会社・かぼちゃの馬車・だれかさんの悪夢・なりそこない王子・妖精配給会社・おせっかいな神々・さまざまな迷路・マイ国家・ボンボンと悪夢

よくもまあ少ない小遣いの中からこんだけ買ってたもんだと感心してしまう。物置漁ればまだ他にもあるかもしれないがもう腐って腐葉土化してるかもしれないな。本棚に並べてあるのだってぞんざいに扱ってきたからシミだらけでとても売れれるものじゃないのだから。

そもそものきっかけというか出会いは学校の国語の教科書に載っていた「おーいでてこい」だった。SFという枠組み(背景)にしては出てくる登場人物たちがやけに現代っぽいアンバランスさが不思議でありんした。あんまり人間は変わんないものなのかしらむと思えたりなんかして。

で、谷島屋通っては新刊出る毎に飛びついてたなあ。

講釈垂れるほど読み込んでいる訳じゃないんで熱く語ることは出来ないのだけれど芥川龍之介の隙が無い息さえつけないような緊張感を感じたり、宮澤賢治の言葉の力強さに押し捲られた後に読んだ星新一は、肩肘張らず寝転がって読めて楽だったなあ。それでいて風刺という表現が適切かどうかはあれだけどピリリとあ痛!なものがあって。そしてオチというかあっと言わせる展開が必ず待っている。このアイデアは凄いなと。その証拠に今も色褪せることなくテレビでオマージュのように登場している。たしかあの頃よく思わないお人と絶賛するお人に分かれて評価が随分揺れ動いていたよなあ。まったく新しいことするとこういうことになるのかと思いましたわ。

これがもしSFと言う形をとらなかったとしたらどう評価が変わっていたんだろう。オチの見事さが読んでて最も愉しい部分だったけど、物語の始まりからしてよくよく考えてみたら奇想天外でこういうこと思いつくだけでもすんごい事だったっけ。未来と言う架空の世界だからこそなんでもありだったのかなあとも思えてきますです。

どこで読んだか忘れたけれど、作品の作り方としてはとても短いものを伸ばし膨らませていくという作業だという事を読んだ事があります。つまり長大なものを要約して削り凝縮していくのではないということ。自分でも出来そうに思えてアイデア捻ったけどな~んも浮かばなかったなあ。

とりあえず読み返してみよう。

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